はてなキーワード: モリッシーとは
年齢のせいかもしれんが、わりとダジャレが出る。Twitterでも時々書く。今年の初めにそんなツイートをしたら、「それ俺のパクツイですよね」というリプが付いた。
見てみると確かに数年前に同じダジャレが書かれていた。すいませんネタかぶりましたねと返すと、証拠隠滅してもスクショ取ってあるだの変なことを言い出したので放置しておいた。なんかDMも来てたけど知らんがな。
で、知らんことにしたので実害はないんだけど、なんか億劫な話だよね。いちいちダジャレ書くにも検索して先行を調べないとダメな時代なのか。
いやほんとどうでもいいじゃんツイートなんて。「写真家ヒエラルキーの頂点は?」「はい!アラーキー!」とか、気軽に書けないなんて恐ろしい。ダジャレじゃなくても、モリッシーがヨルシカをカバーしたら結構いいんじゃないか?とかの思いつきまで先行研究がないか調べないとダメな時代…。恐ろしい恐ろしい。
毎年、夏がくるとYahoo知恵袋などに「野沢直子って面白いんですか?良さがちっともわかりません。」との質問が1回は上がってくる。
私はもう何年も野沢直子のファンだけど野沢直子をオモシロイと思ったことはあまりない。
どっちかというと渡米して現地で結婚してしまった友人と重ねあわせて見ている。
野沢直子は若い頃か「クラスに一人はいそうな授業中に面白いこと言って笑いを取る女」タイプの芸人だった。
そのうち「ばくばくばくばく おーわだばく」と身も蓋もない歌を歌い出した。
ヒロトと破局したと噂が立ってからしばらくしてアメリカに行ってしまい、
ボブという直子が出演していた番組でよく恋人同士をやっていた松本人志の役名と同名のアホ米国人と結婚した。
直子より少し年下の私達は男女雇用機会均等法の制定の数年後に夢を持って就職したが、
やはりかなりの高学歴な女性や何らかの資格を持たない女性は多数が挫折を経験している。
1年程度で会社を辞めて留学したり、資格をとってから再就職した友人が大勢いたと記憶している。
しかし30を過ぎる頃にはほとんどの友人が専業主婦に落ち着いていった。
そんなわたしの友人たちの状況と女芸人の先駆者なのに失恋したら勢い渡米してしまった直子はかなりカブる。
だから直子が3人の子供を育て上げ、Tumblerに中森明夫の「東京トンガリキッズ」のような小説を書き散らし、
今では看護師となって偶にキチガイじみた絵を描いているちょっとモリッシーに似てきた旦那と幸せに過ごしているさまを見るとかなり応援したくなる。
直子、良かったねって思う。
夏になると日本に帰ってきて旧友と再会して楽しんでいる直子をブログで確認しながら、
私も子供の休みに合わせて帰国した友人と会って、此処ぞとばかりに高いレストランに行ってわたしたちいろいろあったけど色んな幸せを見つけてよかったよかったとかみしめている。
上のリンク、「The Smithsを聞いて自殺した人」の話を読んだ。
The Smithsの作詞者兼ボーカリスト、モリッシーが当時こう語ったのは有名な話。
(ザ・スミスの曲が余りに内省的で陰鬱であり、そのために自殺者が出た、という話を記者から聞いて)
モリッシー「責任なんて感じない、本当に。彼らの人生の最後にThe Smithsがあっただけでも幸せだったと思うよ」
…なるほど。
以来、四半世紀が過ぎた。
今私たちの眼の前にある大量の無名の生と無名の死……
あらためて思う。The Smithsを聞き「自分の生」に殉じた彼らは、確かにある「幸せ」の中に居ると。
たとえそれが私たちの思う「幸せ」とは違っているとしても。
「サッチャリズム後のイギリスと今の日本の経済状況なんて関係ない。ただ、smithsを聴いたこともないって奴に、思春期だなんて言って欲しくはないね。」
僕に中学時代smithsを教えてくれた友人はそう語っていた。
彼は、言うまでもなく文学的で、それゆえ早熟で、結果として孤独だった。
当時は彼がゲイだったというのも知らなかったし(知ったのはずっと後になってからだ)彼の抱えている問題なんて知る由もなかったけど、やっぱりそれなりに早熟でありたいと思っていた僕はそんな彼の話を聞いてわかったふりをしていたのだった。(少なくとも、「平凡でありたい」なんて少年はいないだろう)
彼は当然のように作家に憧れていた。
「作家になりたい、さもなくば生きていたくない」なんて言葉も平気で語った。
今では彼の言葉のほとんどの引用を識ることもできるが、それでもそんな言葉を放つことのできた彼のただ住まいは今でも美しく感じる。
そして、未だ元の言葉が見つからない、彼オリジナルの言葉もその端々にあった。
「僕はまだピリオドのつけ方しかわからない。でもこれからすべての言葉を自由に操られるようになるんだ。」
その点は自分の下に漏れた体液によって描かれた薄黒い水たまりだった。
僕は世界に鈍感な分だけ長生きし、時には当時の苦悩を嘲られるほど愚かになることができたが、それでも時々smithsのCDを取り出し、モリッシーの歌声とマーの紡いだ旋律を聞くと当時の彼の背中を変な甘い感傷みたいな気持を伴って思い出したりもするのだ。