はてなキーワード: 不幸の手紙とは
どうもですググって勉強になりました
日本における受容
海外の英語圏で流行していた「幸運の手紙」が日本で最初に流行したのは1922年(大正11年)のことで、外国に知人がいる上層階級から侵入したとみられている[2]。 戦前の「幸運の手紙」は大人の間で拡散するものであったが、1954年(昭和29年)頃から子供の間でも「幸運の手紙」が広まり始め、1970年(昭和45年)秋頃には「幸運の手紙」は「不幸の手紙」へと変質し、子供の間で流行した[3]。
また「幸運の手紙」は商品の広告や選挙活動のほか二次大戦中には反戦運動にも利用され、特高警察が取り締まりを行っている[4]。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%83%AB
そういう不幸の手紙みたいなのやめて頂戴(草ぁ
マッカーサーは、中学生ぐらいの年齢で入学した西テキサス士官学校のころから、性的なことしか頭にありませんでした。近くにある聖メアリー女学校まで遠征すると(笑)誰彼なく声をかけまくってます。一応マッカーサーの通っている士官学校も女学校もミッション系の学校でしたが、エロマッカーサーの頭にはそんなことは関係ありませんでした(笑)
その後も、マッカーサーは49歳の時に16歳の少女に手を出してるほどの、重度のロリコンで、人生で常に性欲に忠実(笑)に生きてきた男ですから(笑)
英雄(笑)は昔から色を好むと言いますし、女と金と名誉に尋常ならざる拘りを見せたマッカーサーの行動原理は正に英雄のそれでしょう(笑)
マッカーサーは初婚が四十路と典型的なモテない男でしたが、ウェスト・ポイント士官学校在学中には、モテないダサい高校生がやりがちな『俺は何人の女とヤッた』自慢をやっている(笑)
ちなみにマッカーサーが入学するまでのウェスト・ポイントの記録(笑)は7人の女性と関係したのが最高だったそうですが、マッカーサーが8名と関係して記録を塗り替えた(笑)と吹聴していたそうです。
マッカーサーは近くのホテルに常駐していた母親ピンキーに監視されており(笑)そんなマネはとても無理だったので、これまたマッカーサーの武勇伝(笑)でしょう。下らないですね。
※参考:ジェフリー・ペレット著『ダグラス・マッカーサーの生涯 老兵は死なず』P.81
それでモテない暗黒の学生生活を送った反動で、マッカーサーは士官学校を卒業すると女狂いとなりました(笑)
と言ってもモテないのは相変わらずだったので、マッカーサーがやったことは現在でいうストーカーでした(笑)
1907年にマッカーサーはミルウォーキーのファニーベル・ヴァン・ダイク・スチュアート嬢という金持ちの娘に惚れて、仕事すら手に付かない状態まで入れ込んでしまいます(笑)
しかしスチュアート嬢はキモくて野蛮なマッカーサーには全く興味がなく、まったく相手にされなかっため、どん詰まったマッカーサーはラブレターを出しまくります。
スチュアート嬢が身の危険を感じたのか、ミルウォーキーから故郷のニューヨークに帰った後も追撃(笑)しているぐらいなので、かなりの執拗さです(笑)
そのラブレターの中の一つを紹介すると
私が愛するのはあなた
何にもまして
なぜにあなたは私を愛してはくれないのか
という、「自分がこんなに好きなのになぜ相手は自分の事を好きにならないのか?おかしいじゃないか(憤怒)」みたいな典型的なストーカー思想の手紙であり、こんな手紙を何十通も送られてきたスチュワートさんはさぞかし恐ろしかったことでしょう、そりゃ逃げたくもなるよ(笑)
これでも十分やばいんですが、マッカーサーはトドメとばかりに(笑)27頁にも及ぶマッカーサーとスチュワートが主役の韻文劇を創作(笑)し、その脚本をスチュワート嬢に送りつけるという暴挙に出ます(爆笑)
その内容は
軍人であるマッカーサーがスチュワート嬢と結婚し、散々二人でセックスした後に馬に乗って二人で戦場に赴く。
そこで、マッカーサーが重傷を負い、スチュワートの献身的な看護で一旦は回復するが、その後さらなる激戦でマッカーサーは戦死し、スチュワートは自分の夫マッカーサーを誇りにして余生を過ごす。
という中二病どころではない、もし普通の人なら、こんな妄想を考えている事がバレた時点で確実に自殺するような凄まじい(笑)内容でありましたが、マッカーサーは躊躇することなくこれをスチュワート嬢に送ってます(困惑)
こんな不幸の手紙以下の汚物をもらったスチュワート嬢の気持ちは想像すらできませんが、マッカーサーの期待も空しく、スチュワート嬢は最後までマッカーサーになびくことはありませんでした(当たり前ですが)
※参考:ジェフリー・ペレット著『ダグラス・マッカーサーの生涯 老兵は死なず』P.109
若い頃モテない暗黒人生を送ったマッカーサーは四十代になって、元上官の愛人でバツイチ子持ちという見えている地雷、ルイーズ・クロムウェル・ブルックスとようやく結婚しますが、彼女は離婚歴もあり、また参謀総長のパーシングやその副官キュークマイヤーなど片手では収まらない男性と交際するなど、非常に性経験が豊富な女性でした。
そこで、女性経験に乏しい(というか殆どない)マッカーサーが旦那になったものですから、彼女の不満は相当なもので
とか
「ダグラスはペ○スをオシッコをするためのものとしか考えてないのよ」
とか
パーティで出席者に向けて、自分の指を曲げて見せて、マッカーサーの○ニスが萎れた形にしてマッカーサーの性的能力の乏しさを表現した
結局、マッカーサーは生来のセコさとマザコンと男性機能の乏しさを理由に離婚されます。
その後、傷心のマッカーサーは新任地のフィリピンで、マニラ・オリンピックスタジアムでボクシングの試合を観戦中に16歳のイザベル・ロザリオ・クーパーという混血のモデルに一目惚れし(笑)副官のトマス・ジェファソン・ディヴィスに命じて、イザベルを愛人とする交渉をさせてます。部下に愛人交渉をさせる上官(それも少将)とか嫌すぎますよね、さらにその時のマッカーサーの年齢が49歳ですから・・・ガチで性犯罪でしょ(呆れ)
※参考:ジェフリー・ペレット著『ダグラス・マッカーサーの生涯 老兵は死なず』P.285
この副官のディヴィスという副官は気の利いた(笑)男で、結局マッカーサーは帰国後にこのイザベルにもフラれるんですが、そのあと傷心のマッカーサーを慰めるためにワシントンの郊外にコールガールを呼ぶための専用のアパートを借りています。マッカーサーはそこに頻繁に来ており、好きなプレイは、コールガールをルイーズやイザベルに見立てて激しく罵倒するプレイだったと後日スッパ抜かれてます(笑)
また、マッカーサーとデイヴィスは仲良く(笑)一人のコールガールと3Pすることもあったそうで(笑)部下と3Pする上官(それもこの時は大将)とか嫌すぎますよね(呆れ)
※参考:ジョセフC・グールデン著『Korea:The Untold Story of the War』
話はかなりそれましたが、日本では、毎日がGHQ司令部のあった第一生命館と嫁・とクソガキが待っているアメリカ大使公邸の往復であったので、日本女性を食いまくっているヒマはなかったようです。
しかし、日本に進駐当初に、日本女性にセクハラを試みたことは明らかになっています。
1945年8月30日、厚木飛行場に到着したマッカーサーは横浜へ直行。ホテル・ニューグランドを日本で最初の宿泊の場としました。
当時、ニュー・グランドには唯一辞めずに残っていた26歳の(山口由美著「クラッシックホテルが語る昭和史」では24歳)女性社員霧生正子氏がいました。
マッカーサーと護衛の空挺隊員は、ニュー・グランドに到着すると、男性社員を集め後ろ手を組ませて身体検査をしましたが、霧生正子氏にもそれを要求し、身体検査をすると通告しました。
護衛の空挺隊員には女性兵士はいなかったので、男性兵士が身体検査にされるのを嫌がった霧生正子氏は、「こんの野郎」と憤慨し、その命令に従わず、ホテルウーマンらしく前で手を組みました。
霧生氏の強い意思に押された、マッカーサーはそれを許可し、霧生氏には空挺隊の中尉がおっかなびっくり身体検査をしています。
霧生氏が気丈な女性でなければ、マッカーサー自らが身体検査と称しセクハラをするつもりだったのかも知れません。
また、霧生氏は自宅を空襲で失っていた為、マッカーサーらのことをイヤでこの野郎と思っており「家をかえせ」と言った事もあるほど、強い敵愾心を抱いたまま硬い表情で米軍兵士と接していました。
米軍兵士らは困ったのか「笑え」と霧生氏に命令し、それでも霧生氏は媚びないので「おれ等は悪くない、東条英機に文句言え」と責任転嫁したあげく、霧生氏に毎日コーヒーやらチョコやらを献上しにきたそうです。霧生氏は美人だったので、マッカーサーらには下心があったんでしょう(笑)
まぁ、マッカーサーも周りに連合国の高官らの目があるなかであまり無理もできなかったようで霧生氏がマッカーサーの毒牙にかかることはありませんでした。
よかったですね。
※出典 USArmyInJapan A Japanese lady who worked for GEN MacArthur
https://www.youtube.com/watch?v=0RqsjRRkUpQ
https://www.youtube.com/watch?v=Cvh6uW0Yxek
鼻の下を伸ばしただらしないいやらしい顔で、女性従軍記者マーガレット・ヒギンズ女史に不必要なほど接近し、その右手でヒギンズ女史の腰を弄るマッカーサー
現在で例えれば、自衛隊の司令官が女子アナにこんなことしてればどうなるか火を見るより明らかなように、典型的なセクハラですね(笑)
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12184777592
めちゃくちゃ老後の予習感がすごい
ちなみに独身 既婚者はパートナーや子どもにすがっとけよ知らんけど
基本的に孤独から逃れられないので対策が必要。明るくしとくのは対外的に効いてコスパがいい
ちなみに「明るく」と「元気に」は履き違えないほうがいい気がする 明るくするのは周りのためだが元気はまず自分のため 結構外からわかりやすい、しらけられる余地がある
明るくといっても、エルダーは常に調子良くないので機嫌よくいられるための策が必要
喜びは予めある程度投資して望みを繋いでおく(時間、労力、勉強)
それぞれあまり関連のない楽しみ、喜びのほうが総崩れが防げて良さげ
結構人間性が違うから入れ込んだり完全に理解しようとすると無益に終わりがち 土台完全に孤独を解消することはできない
喜びとも通じている。「今日あの道に猫がいたよ」を誰かと分かち合えるのは、些細だが孤独の薄らぐ喜びだと思う。裏を返せばエルダーが何でもないことをすぐ話したがるのはその世代が孤独に迫られている証左のように思われる
歳を取るにつれ馴染みの人は減っていく。新しい関係を、前項と抵触もするけど、自分より若い世代の人と築けるように、気張れるようにしておきたい
エルダーは基本的に承認欲求は満たされない。「え〜っもっとお若いと思ってた!」など言われたところでもっと若いやつが隣でちやほやされてたりチャラチャラしながら仕事こなしてたりする。承認ほしさに周りの都合よく振る舞っても、なけなしの労力に見合う承認は得られないまま搾り取られて自分の機嫌が取れなくなりがち。かといって仕事の手を抜くと老害認定になる。生きることのコスパが悪い。
そんななかで人の価値や労力を低く見積もる体質の舐めプマンは不必要of不必要。壁を作って作り笑顔で接するが吉
舐めプではないが思いやりのない人も個人社会の俗世で多く見受けられるような気がする。こちらもやはり一枚隔てないと疲れてしまう。でも薄い壁越しでも寄り添っていけば一緒に過ごしやすくなるかもしれない。喜びの望みは繋ぎたい
改善は見込めずとも、めちゃくちゃ小さくても、何かしらの希望や祈りを持つと張り合いが出てくると思ってる
頑張ってても経験則的に正しくても、自分が絶対正しいとは思わない ただし舐めプマンは許すな
早めに人間を捨てる 欲望に任せる 強い 恋愛体質なら顔や毛髪や身体を作っといて色に溺れればいいし、威張るの気持ちいいなら相手を萎縮させるパターンを積んどいて恫喝しまくれば勝ち 勝つ喜び 不幸の手紙を書きまくれ
ただし そういうことができる人は少なくとも自分が自分に想定する以上には耄碌しているためしっぺ返しが想定超えどころじゃない途方ないものになりうると思っている ハイリスクハイリターン
今の自民党のグダグダぶりを見ていて、もっと野党に頑張ってほしいと思ってるが、どんなに良い政策を作っても、どんなに国会で良い質問をしても、見た目が悪すぎて聞く気にもならないことが多いので何とかしてほしい。
テレビ点けたらパワハラ上司みたいなド詰め見せられんだよ。こっちは仕事で疲れて帰ってきてるのに、そんなの見たくねえんだよ。
もしかしたら核心を突いた追及してるかもしらんが、お前が出てるだけでチャンネル変えたくなるんだよ。証券会社のやり方が世間で通用すると思うなよ。
共産党はまだまし。山添拓くらいの淡々とした詰め方で良いんだよ。
しかしだ、共産党!街頭でビラ配ってる奴らの身なりはなんとかならんのか。
覇気のないおっさんやおばはんがぼそぼそ喋りながら渡してくるビラは不幸の手紙にしか見えねえんだ。
ファッションに気を配れっていうわけじゃないんだ。せめてスマートなユニフォームでも着せて、相手の目を見てビラを配ることくらい教えてやれよ。
どんなに良い手紙でも、封筒に「不幸の手紙」って書いてあったらだれも読まねぇだろ?
そんな集団見て「共産党のこと、もっと知りたい」って思うやつ増えるわけないだろ?
そういう意味では元俳優だけあって山本太郎は見せ方が分かってる。
政策の中身についての是非はさておき、少しでも良く伝えようっていう意図が見える。
小池も吉村も、そういう面から支持してる層は少なくないんだろ?
進次郎構文で言うなら、知ってましたか?日本人の2人に1人は偏差値50以下なんです。
どれだけ中身が良くても、主体的に政策を見に行く人なんてごく一部なんです。
ルッキズムだ、重要なのは中身だ、って的外れな反論する奴がいるかもしれんが、これはマーケティングだ。
中身が重要なのは大前提だ。でも、どんなに良いプレゼントだって、箱から異臭がしてれば選ばねぇだろ?見られなきゃ意味ねえだろ?
小学生の頃私をいじめていた人が事故で亡くなった。主犯格ではないがネチネチ嫌がらせされて、保健室で先生と話し合ったこともあった。それでも終わることのなかった悪意たち。
あの時はずっと恨んで、でも何もできない自分が悔しくて、悪口を言われた悲しみとでゴチャゴチャになって、家に不幸の手紙でも入れてやろうかなとかいう気持ちになって。入れなかったけど。誰も聞いていないところで「死ねば良いのに」とつぶやいたこともある。
そしたら、本当に死んだ。バイク事故で、事故の原因はドライバーの不注意。「あいつは何も悪くなかった、運が悪かった」そう教師は言っていた。
本当にこんなことがあるのだと思った。恨めしくて恨めしくて仕方ない相手があっけなく死ぬこと。朝、母が部屋に入ってきて言った「〇〇くん、事故で亡くなったんだって」。寝起きもあって、夢かと思った。うちの学校の卒業生で初めての死亡者だったので知る人はきっと多かっただろう。
切望していた死。でも、その時の感情はやったー!とか、よっしゃ!とかじゃなくてそうなんだ、なんか違うな…だった。
死を喜んだらバチが当たる気がして、あの時あんなに望んでいた死を受け入れる方法がわからなかった。
ただ、ツイッターで「天国の〇〇に届け」だのなんだのラインとかメッセージのスクショを貼ってるやつらに対して、実際に1人の人が死んでるのにこんなお涙頂戴みたいなこと本気でやっちゃうんだ…とゾッとしたのを覚えている。
……数年前のことだが、強い恨みに駆られたとき、このことを思い出す。今はもうあいつはこの世に存在していない。一緒になっていじめてたやつらは、今でもあいつのことを考えている瞬間があるのだろうか?もしかして、親族以外で一番あいつの死を考えてしまってるのかもしれない。ヘドが出る。けどどうして、念願叶ったというのに、この虚しさは何なんだ。
Twitterしてると「な、なんでこんなツイートするんだ?」って疑問に思うことがある。
1、炎上に加担するやつ
いわゆるバカッターみたいなの。最近また流行り始めましたが、動画をアップするやつも大概だがそれを晒してRT稼ぎする人とそれをRTする人とネチネチ特定したり店に電話したりするやつが心底気持ち悪い。なんで通報した後黙っておくことができないんだろう? 「こいつは悪いやつだから懲らしめてもいいんだ」と言う発想が小学生のいじめっ子とまるで同じ。裁く権利はあなたにはない。
2、この人に〇〇されたんです系ツイート
注意喚起を装ったものもある。中には本当に善意から注意喚起してくれている人もいるのかもしれないが、〇〇は大抵詐欺なので詐欺なら警察に行ってほしいしそもそも単なる認識の相違だったり喧嘩じゃないの? と思うような内容のものもある。当事者同士でやってほしい。後、現実世界で嘘か本当かわからないけどまあ嘘だろうなと思うような被害報告もカテゴリとしては同じ。貴重なオタクグッズ毟り取られましたとかクレクレされましたとか。あるか? そんなこと。
3、絡みない人リムります or フォロー整理するのでリムられたくないならいいねしろとかリプしろとか
絡みないのはお前が絡んでこないからだろ! と思う
フォロー整理なんて黙ってすればいいのに。
4、この画像をRTするといいことあるよ! みたいなツイートをRTする人
あまり遭遇しないが、絶対15年前はチェンメとか回してたタイプの人
いいことあるよ程度ならまだしも不幸の手紙タイプもある。RTするまでもなく今まさに不快なんだけど、と思う
何も憎しみのあまりブロックしてるわけじゃなくて「この人のツイートうっかり見ないようにしておこう」と思ってるだけだから。フォロワーのフォロワーとか、よくRTされてる有名人とか。
上4つはブロックしておしまいだがきちんとブロックした後にまでこんなこと言われるのは解せない。しかも、親切にこんなツイートがされてるということを教えてくれるフォロワーがいる。困惑。
上5つは嫌悪感しかないがこれは困惑する部類。この5つと同列に扱うのは違う気もする。
律儀なんだろうとは思う。でも個人情報を伴わない会話なんてリプでいいし、なぜわざわざDM? いいねで終わらせられないから面倒なんだけど……。
礼儀だと思っている人もいるようなのでやめてくださいとも言いづらい。
上の5つはツイートしてる本人も楽しくないと思うのだがなぜかどの界隈でも一定数いる。
それとも楽しいのだろうか。もちろんブロックして金輪際関わらないようにするだけだが、あまりブロックすると5の人が騒いで親切なフォロワーが教えてくれるので煩わしい。お、教えてくれなくていいよ!!!!
http://anond.hatelabo.jp/20160706213158
最近話題になっていた落語家、司馬龍鳳さんの一件が元ネタではないのか?
569 名前:番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (アウアウ Sa1f-zDc6)[] 投稿日:2016/07/09(土) 09:11:16.11 ID:U/49pRPra
→断る
→炎上
って事案があったけどおそらくぽてさんこれにインスパイアされたぽい
588 名前:番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (アウアウ Sa9f-oo3f)[age] 投稿日:2016/07/09(土) 09:26:52.58 ID:5aki218Ma [4/4]
ぽてがインスパイアされたのが7/5
テロリストの要求に従えと言う人は、不幸の手紙を受け取った場合に、迷わず他人に向けて不幸の手紙を拡散する人達だろうなあ。
不幸の手紙の文面に従ったら、同じ不幸の手紙を受けとる人がもっと増えるという事実と向き合わない人達だ。あるいは、意図して不幸の連鎖を加速させたい人たちかもしれない。
テロリストよりも安部首相を非難してる人達は、不幸の手紙を初めに書いて送った人や、不幸の手紙を拡散した人よりも、送りつけられてしまった人を責め立ててる どうしようもない人達だと思う。
そして残念ながら、そういう人たちが日本の政治家やマスコミ、著名人たちの中にもいるということが今回、嫌というほど分かってしまった。
サイバーエージェントの藤田社長の件ですが、寄附を頂けるというお気持ちだけで患者及び家族としてはありがたいし、世界じゅうの方がキャンペーンの「話題性」を上げるために様々な努力を払って下さったことに、とにかく感謝の念しかありません。「不幸の手紙」式の危うさももちろんあるけど、このキャンペーンはそういう「システム」の成功ではなく、個々人が行った多様な創意工夫の成功だと思うので。
「頭から氷水」は「飽きちゃったので」 「100ドル寄附」を選んだサイバーエージェント藤田社長
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1408/20/news117.html
で、ブコメなんだけど id:nakakzs さんの
つか氷水かぶるのもいいけど、ALS患者など使えるQOL向上システム(例えば話せない人とでも意思疎通ができるアプリとか)を作る方が良いのでは。
については本当にそうで、ぜひこういう面でも貢献を頂きたいです。
ALS の恐ろしさは、何年もの間24時間体制の看護が必要になる点もあるけど(自力で気管の痰を排泄できないので詰まった瞬間に死ぬ)、何よりコミュニケーションを取れない「ロックイン」状態が、本人にとっても看護する家族にとっても絶望的にキツい。
体を動かせないといっても色々と段階があって、瞼や眼球すら動かせない完全な「ロックイン」から、眼球運動と道具を組み合わせる「コミュニケーションボード」でならやり取りできるって人まで色々な患者がいるんだけど、本人の意思で自在に「会話」できるようになることが、患者や家族にとっては大きな救いになります。
https://www.youtube.com/watch?v=j_99gzLgpYU
俺も IT 業界の端くれだけど、今回の件で ALS に興味を持ってくださった業界のエンジニアの方々には、ぜひ患者のコミュニケーションを支援するハードウェアやソフトウェアの面でもご貢献を頂きたいと、切に願ってます。
夫には、前妻との間に生まれた娘がいる。中学校3年生。
親権は前妻が持っており、夫は娘の養育費を払い、月に一度面接交渉権を行使して娘と会っている。
今日街を歩いていたら夫の娘に偶然会った。
生活圏はかぶってないが、たまたまわたしが用事があって出かけた先でのこと。
夫と結婚するという話を初めて親にした時は、ウチの親は結婚にすごく反対した。
ひとまわりも年上の、しかも子持ちで養育費を払っている男をなぜわざわざ選ぶのかと言われた。
それがきっかけで発言小町とか読んでしまい、ネットにたくさん落ちている家庭問題を知った。
「あたなは初婚で、しかも20代。周りにもっといい男性がいるじゃない」
親がそう言っていることは夫には伝えなかったが、夫は何となく察してくれたらしい。
夫が何度も両親に会い説得してくれ、結局ウチは小町に相談するほど大揉めもせずに結婚することができた。
夫は娘と毎月面会をしている。
再婚が決まってから娘には挨拶をして、そのあと面会に数回付き合って色々話をしたことがある。
多感な年頃であるにも関わらず、ひょうひょうとしていて「パパに新しい彼女ができたんだ。良かったね」と祝福してくれたのには驚いた。
今回夫がいないところで娘に会うのは初めてだったが、彼女の方から「何してるの」と声をかけてきた。
わたしと彼女はわたしの目的地まで話しながら行くことになった。
娘は学校のこととか色々話してきた。嫌いな先生のこと、進路のこと、好きな男子のこと。
パパを奪った(と思われても仕方がない)わたしによくこうも話してくれるものかと、
表面的には大人の余裕さを見せながら、内心では「彼女のほうが余裕があるかも」と思って聞いていた。
目的地に着いたので、ごめん、もう行かないとと言ったら
「あ、そうですか。残念です。これからもパパのことよろしくお願いします。あの人1人だとたぶんどっか行っちゃうから」
と言って去って行った。
ウチの夫はわたしからするとそんな放浪癖があるような感じでもなくごくごく普通の会社員なんだけど、
きっと娘から見た父親像っていうのはわたしから見るのは違うんだろうなと思った。
「パパはひとりが好きなくせに寂しがり屋だからなあ」とも言っていた。
ちなみに離婚前に会っていた時に、夫は本人曰く、
「あまり人とうまく付き合えないタイプ」だったらしく、それが原因で離婚したらしい。
わたしは結婚してそんな印象を受けたことはない。
ドロドロとした揉めごとにはまだ遭遇していない。
継母継子での諍いがあると思ったがそんなことも一度もない。
元妻がわたしのことを悪く触れ回っているという話もわたしの生活範囲では聞かない。