はてなキーワード: まなざしとは
求めている対象が手に入らない苦しさから、それをとうとう憎んでしまうようになってしまう心理というのは珍しくない。自分もまた、そういう誘惑に何度屈しそうになったか知れない。はてブでもツイッターでも、どうして僕が暗黒面に堕ちなかったのかをいぶかしく思っている人も多かった。ここでは、毒を吐きたくなったときにどのように抑えたかを共有したい。
一般的に、結果が出ないときには次のようなことを意識している。頑張れば結果が出るとは限らないと認識する。過程そのものを楽しむ。女性がいなくても楽しめる趣味をたくさん持つ。それから家族や友人を大事にする。友人からのアドバイスとは時として的外れで、かえって傷口を広げてしまうこともあるけれど、そういうときは失恋のことは伏せていて、普通に遊んでいればいい。それだけでも気が晴れる。
一つ目。自分は相手から好かれなくて悲しく、悔しいのだと直視する。とてもつらいが、この感情を無視しようとすると、悲しみは怒りへと変わってしまう。怒りが二次的な感情だといわれる所以だ。悲しみとは何かを失ったというサインで、怒りは相手が期待に添わなかったとサインとされる(1)。この段階で対処しないと、怒りは憎しみになってしまう。憎しみとは厄介な感情で、無駄に精神のリソースを食う。
二つ目。論理的に考えるように心がける。「女性はいつも自分を嫌う」というのは実は正しくない。「今回この女性には恋人としては受け入れてもらえなかった。次の女性の場合はどうなるかわからない」というのがより現実に近い。こういう「全か無か思考」は「認知の歪み」の一つであり、うつ病の原因の一つといわれている。うつ病にならないとしても、必要以上に自分の機嫌を悪くする行為だ。対処法は(2)に載っている。簡潔に言うと、自分の不合理な考えに一つ一つ反証していくことだ。面倒だが、やってみると楽しい。
三つ目。自分が男性だというだけの理由で受けた仕打ちや、不快な思いのことを考える。例えば、電車で隣になっただけで警戒されるような目つきでにらまれたとき。あるいは、攻撃的なフェミニストが、男性の失礼な態度だけではなく、男性が女性のことを「かわいいな。素敵だな」と思う感情そのものも否定するような発言をしたとき。そういうミザンドリーに満ちた文章を読んだ時にどう感じたか。ぐさり、と胸に冷たいものが突き刺されたような気がしなかっただろうか。ここで自分が、公共の場で女性を叩く発言をしたら、見ず知らずの女性が同じ思いをする。そんなことを僕は望むだろうか。
僕はフェミニズムがいけないのだといっているのではない。むしろ大賛成だ。女性の選挙権、セクハラを受けない権利(3)、功績をあげているのに忘れられている女性にきちんとスポットライトを当てること、その取り組みはすべて立派だと思うし、心から応援している。まだこの世には性別による不平等や偏見がいっぱいあり、これをみんなでなくしていくことこそが、僕らや次の世代の幸せへとつながっていくはずだ。僕も自分の中の偏見と闘っていくつもりだ。ただし、言葉を選ばないと両性の間に分断を無意味に生んでしまう。誰にだって怒る権利はある。間違ったことがあるときには怒ったっていい。時には厳しい表現を選ばないといけないことも当然ある。でも、不公正を公衆に訴えて世の中を改善していくことと、自分の不機嫌を見ず知らずの人間に通り魔的にぶつける暴力とは、厳然たる区別があるはずだ。少なくとも自分は、公共の場で他人を口汚くののしるような真似はしたくない。
少々熱く語ってしまった。本題に戻ろう。
四つ目。公共の場で女性を馬鹿にする発言をすることは、自分にとてもよくしてくれた母、祖母、姉妹を馬鹿にすることになる。同時に、未来に付き合い、結婚することになる女性、それから生まれる娘や孫たちに対する侮辱である。自分はまだ出会っていない家族のことを馬鹿にしたくない。
それに、自分の尊敬する文筆家や科学者の多くが女性だ。女性が馬鹿であるという謬見に対する、強烈な反証だ。
インターネット上には様々な声があふれている。ある女性は「なんでもきちんと話し合いで解決したい」という。別の女性は「なんでもかんでも気持ちを察してほしい」という。ある人は「男性からの性的なまなざしに耐えられないと」訴え、別の女性は「異性として意識されなくて悔しい」とぼやく。そういう意見を総合していくと、矛盾の塊というかキメラが発生する。こちらを立てればあちらが立たずだ。さらに「どうしたらいいのですか」と尋ねても、「私はあなたのママじゃないから自分で考えてください」といわれる。そこで困ってしまう。一生懸命行動しても、誰かからは怒られるのだ。ある種のダブルバインドである。
そういう時に思い出したいのは、結婚できるのはたった一人、という事実だ。自分が一番好きな人の幸せを一番に考えて、ほかの人の意見はスルーする。それでいいではないか。相手はこちらの面倒を見ないし、自分も赤の他人の機嫌を取る必要はない。
最後に。誰かに復讐してやる、という気持ちの時には、じっとしているのがいい。他人を憎んでいる心理状態はとてもつらく、幸せからは程遠い。人を呪わば穴二つ、である。そんなときは、家でゆっくり休むといい。肉体が健康でないと、精神の健康もおぼつかない。
相手に八つ当たりしない自信があるのなら、風俗も決して悪い選択肢ではない。ハグしてもらうだけでも怒りは収まることがある。相手から優しく触れてもらえる時には、言外の「あなたを男性として尊敬しています」のメッセージを受けている気がする。たとえそれが作りものだとしても、触覚や嗅覚はどんな言葉よりも雄弁だ。もちろん、人によっては空しさが増えてしまうかもしれないので、諸刃の剣だ。利用の際はよく考えてほしい。
あくまで理想なので、すべてを満たすことは難しいかもしれないが、希望はこういう形だ。
問題は、自分の好みが良く笑うタイプの女性か、研究者タイプの女性か、よくわからないことだ。とはいえ、これは実際に会ってみないことにはどうしようもないのだろう。
苦しかった。悔しかった。けれども、これでいいのだと思う。自分はこの方法ではうまくいかないのだ、そしてモテないのだと直視することができた。自分の実力がこの程度だと理解したことで、やっと素直に結婚相談所に向かうことができる気がしている。
もしもいきなり相談所に直行していたら、将来浮気したくなり、結婚生活を破壊してしまったかもしれない。恋愛はすごく疲れる、ということを体感したことで、落ち着いた生活へのあこがれも強まった。仕事でもそうだが、自分はこのくらいのことはできるが、これ以上はだめだ、という理解が、体調管理には必須なのだ。
今回も長くなってしまった。モテないことのぼやきならいくらでも書けるだろうが、ここで切り上げたい。
読んでくれてありがとう。
(3) 僕も女性からのセクハラを受けたことがあるので、そういう屈辱感を相手に与えるなんて真似はしたくない。もっと異性同士が、もちろんいろんなマイノリティを含めて、尊敬しあう世の中になってほしい。
たくさんの反響をいただけて感謝している。初めて4桁のコメントをいただいたのも嬉しかったのだが、ブクマやコメントの体感9割が共感に満ちた、あたたかいものであったことのほうがずっとうれしかった。ツイッター上でも多くのコメントがついた。これほど多くの人が恋愛で何らかの挫折を感じていることを知ることができただけでも、自分の経験を率直につづった意義があった。すべてにコメントを返すことはできないが、非常に励まされた。ほんとうにありがとう。
一方で、デートを繰り返すたびにどのようなトライアンドエラーを繰り返してきたのが不明確で、問題はそこにあるのではないか、という意見をいただいたので、そこを捕捉する。
心掛けたのは清潔感だ。ただ、この清潔感の内容があまり具体的でないことが、多くの人を困惑させている印象を受ける。自分としては逆に、不潔感から減点されることがないことを心掛けた。
まず、身体面について。髪の毛は美容院で短くし、眉も整えてもらう。きちんと入浴し、定期的に歯科医で歯垢を除去してもらい、ブラッシング指導を受ける。爪は短く切りそろえる。デート前にはシャワーをしっかり浴びてさっぱりする。ただし、香水はつけなかった。人によって好き嫌いがかなり大きく出るので、そこはリスクが大きいと判断した。
衣服については、ワイシャツっぽいのとチノパンが多い。靴はスニーカーではなく、革靴に似た質感のものを。眼鏡はJINSをかけている。髪は黒いままだ。学生の頃はコンタクトレンズにと茶髪にしたこともあったが、すぐに目が痛くなってしまったし、染めるのも手間だった。髪を染めたからといって別にモテるようにならなかった、というのも大きい。
ネックなのは、そこまで皮膚がきれいではないということだ。どうも毛穴が開いてしまうし、ニキビ跡が気になる。そこが改善点だろう。
基本的に、自分のなじみのある行動圏内にした。休日を一人で過ごすときにうろつく場所だ。そこでなら、急に予定を変更しても対応が可能だ。美術館を中心に過ごしているので、候補としては新宿、渋谷、六本木、丸の内、上野が真っ先にあがる。次の候補としては水族館のある品川、明治神宮や絵本カフェのある原宿、日本庭園のある美術館のある表参道、それから日本画を見られる恵比寿がある。
その近辺の映画館やカフェを把握しているので。その場の流れで行く場所を考えることになっても対応可能だ。ついでに事前にイタリアンやタイ料理屋などの場所を調べておく。
今後の課題としては、お酒の飲める場所だろうか。自分は下戸なのでそこが困る。アルコールよりは料理にお金をかけたいタイプだ。そうそう、脱線してしまうがwithにはどういう食事デートがいいかのタイプの心理テストもあって、バーが好きとか居酒屋が好きとかお酒よりの料理派とかでもマッチングが行われていた。
基本的に聞き役に回り、共通点があったら話す。体感では相手の話す量とこちらの話す量が7対3だった。知識のひけらかしは絶対にしない。聞かれたときにだけ、ごく簡潔に答える。相手の興味があるジャンルだったらそこに乗っかることも考える。
美術館や映画の感想は、率直に感じたとおりに伝える。ただし、否定的なことはなるべく言わない。面白かったところ、楽しかった点などを話したほうが楽しい。岩井俊二監督の「ラストレター」は、内容はそこまで心に響かなかったが、個人的には庵野秀明が鶴田謙二の絵を描いているという設定がかなり笑えるポイントだった。さいわい、彼女も僕と趣味が共通していたので、そこがおかしいと言って笑ってくれた。その人が結局は音信不通になってしまったのだけれど、もう過去の話なので、どうでもいい。あとは、彼女によれば、岩井俊二の作品には誰かに成り代わって手紙を書くという場面が頻出するそうで、その話をじっくり聞かせてもらった。「花とアリス」にもそういう描写があるそうだ。ずいぶん昔に観たはずなのだが、すっかり忘れてしまっている。
PDCAを回すとすればここなのだろうが、盛り上がるときは盛り上がるし、共通の話題が少ないとなかなか盛り上げられない。共通の話題が少ないと、交際に至っても大変なんじゃないだろうか。あと、実際に顔を合わせないとどうしようもないところも多々ある。さらにPDCAを難しくしているのは、就活と同じで向こうからのフィードバックが原則として一切無いところだ。真っ暗闇の中での手探りとなり、ここで病んでしまう人も多いだろう。
他に心がけたのは、相手の顔を見てゆっくりと話すことと、声を少し低めにすることだ。
趣味は美術鑑賞、読書、ジョギング。無難な趣味で、本は図書館を利用するのでお金がほとんどかからない。
美術鑑賞は、月に1~2回。学生時代は西欧の絵画を見ることが多かったが、最近は日本画も気になっている。現代アートも抵抗がない。それと、古代の出土品なども見るのが好きだ。
読書は小説とノンフィクションを半々。小説は古典や海外文学が多い。ノンフィクションは科学や歴史を扱ったものが中心だ。大体月に12~13冊だが、先月は失恋したのでペースが落ち込み、10冊にとどまっている。
ジョギングは週に1度だけだが近所を10~11km走っている。頻度としては少ないが、やらないよりはずっといい。運動しなかったころに比べると仕事で疲れにくくなっている。加えて、走る前には軽く筋トレをしている。この間失恋した時に行った風俗嬢からは「何か運動されてたんですか?」と尋ねられるくらいの体型だ。ただし、やっぱりここでも顔立ちは褒められたことがない。
付け加えるとしたら旅行だろうか。ここからも話題が広げやすい。
男子校に行っていたので、初デートが19歳でのことだった。大学の中国文学での授業で知り合った女性を、夏休み直前にデートに誘った。けれども、あまり盛り上がらなかった。しかも、無理に手をつないだら痛烈な軽蔑のまなざしで睨み返してきた。そして、夏休みの予定がすっかり空になってしまった。たくさんデートしようと期待していたのに打ちのめされた。懐かしい。だが、今でもあのことが胸につかえていて、女性と気軽に手をつなぐことができない。とはいえ、デートした女の子はみんなポケットに手を突っ込んでいたので、勇気を振り絞っても仕方がなかっただろう。
大学での思い出は他にもいろいろとある。講義で、隣の女子に何気なく話しかけた次の週に、まるでボディーガードのようにその女子の友達らしい人物が控えていたのが、悔しかったことを思い出した。普通に友人になりたかっただけなのに。
社会人になってから、都合三回ほど街コンに出かけた。とはいえ、デートにつなげることは一度しかできなかったし、それも一回目で終わってしまった。
街コンのメリットは、マッチングアプリとは違って必ず対面で話ができることなのだが、進展しなければそれまでだ。それに、街コンそのものに何らかのテーマがないと初対面の女性との接点がほとんど持てない。なんとかデートに持ち込めたのは美術館で行われた街コンだった。恐竜に関する企画展で行われた街コンでは、一応テーマがあって理系女子も多かったはずだけれどもほとんど会話ができなかったし、テーマがまったくないときには非常に困ってしまった。なにより、その時に運営側の手際があまりよくなかったうえに男性が余り気味で、男性4に対して女性2でテーブルにつく羽目になった。なお悪いことに、同席した相手があまり柄のよろしくない人で、女性がいないときには平気で卑猥なことを口にしていたのが耐え難かった。女性とマッチングしなかったのはこいつらのせいじゃないか、とも感じられたのだ。おそらくは八つ当たりだ。
しかも、結局は数人のモテる相手だけで連絡先交換が行われていた。たぶん婚活パーティに参加しても、同じ結果になりそうだ。
2回ほど経験がある。
1回目は塾講師をやっている友人とだ。カラオケボックスで2人連れの女性を落とし、その場で交互にセックスしたという剛の者だ。街コンで連敗していた自分は自棄になって彼についてカラオケ屋に行ったのだけれど、そこでもうまくいかなかった。女性連れの部屋を探し、扉を開けて「一緒に歌いませんか?」と何度も言ったけれど、普通に「迷惑だから帰ってください」と言われて終わった。今振り返ってみれば、そりゃそうだろうと思う。反省している。二十代前半の黒歴史で、一番恥ずかしく、忘れてしまいたい。
2回目は湘南の海辺での話だ。獣医をやっている男で、犬を飼っている若い女性に自然な形で話しかけて仲良くなれるタイプだ。二人して江ノ島をうろついていたが、僕がうじうじしていたのもあり、結局うまくいかなかった。その後、彼が勝手に姿を消して、どこに行ったのかと電話を掛けたりメールしたりしているうちに、水着姿の大学生グループを連れてきた。結局僕はビキニギャルとビーチバレーをして遊んで帰った。楽しかったのだけれど、結局は僕がいるからナンパがうまくいかなかったのかもしれない。
とはいえ、そのイケメンの友人も妻の浮気で離婚しているし、失礼な女性にばかり引っかかっているので、イケメンにはイケメンの悩みがあるらしい。別のイケメンの友人も女性側が不倫していた。なんか自分の周囲はこんなのばっかりだ。ただ、基本的に男性側の話しか聞いていないので、バイアスがかかっている可能性は否定できない。
なんにせよ、一番向いていない方法だと学んだ。
ちょうど就職した直後、文学サークルの後輩女子三人とそれぞれ二人きりで会うことになった。パフェだとかガレットだとかチャイだとかをおごって、ああだこうだ話したのはとても楽しかった。けれども、基本的にはそれっきりだった。僕もそれほど期待していたわけではない。学生なら、社会人の先輩からはランチくらい当然おごってもらいたいだろう。SNSを見るとみんなそれなりに元気そうなので良かったけれど、僕もサークル内恋愛がしたかった。
サークル内部の一組のカップルは結局結婚した。誰が見てもイケメンと美女のカップルだった。もう一人のカップルは男が平気ですれ違った女性に対して「あいつはブスだ」とは言うような奴だったし、女性蔑視的な言動が多かったのに、なぜか彼女ができていたのが、今でも不思議で仕方がない。粗野な奴のほうがモテるのか、という疑惑にさいなまれることもあるけれども、こっちが軽蔑したにもかかわらず慕ってくる相手とは、なんというか健全な関係が築けない気がしていて、自分としてはやっぱり相手のことは大切にしたい。ちなみにそのカップルは別れた。
全然関係ないけど、サークルのもう一人のイケメンは新聞記者をやっていて、そのつてで引退した芸能人と結婚していた。うちの大学は偏差値高いんだけど、天は平気で二物を与える。こればかりは仕方がない。
(ようするに、アニメゲームマンガを見ながら政治運動に傾倒して、アニメゲームマンガを政治でぶっ叩くよりも、「ガチャを回すぞ、かわいい女の子を描くぞ、コスプレしたぞ」のほうがよっぽどオタクとしてきちんとした姿だってことに、最近まで気づかなかったって話です。)
背景は、同人作家。で、左派系思想にバックボーンを持ちいわゆるネットの論客とかもやってた。
いま、もう、俺たちの時代に通用したオタクしぐさはただの迷惑行為なのだということを感じる。
昔は、バンダナにジーンズをつけたオタクがいた。あれは当時の最新のファッションを後追いしたものだった。しかし、今見るとダサいしキモいし、痛々しい。
俺たちはネットで、「バンダナにジーンズをつけたオタク」をやっているのだということを自覚した。
ラブライブのスカートの線は現実女性に悪影響を与えるから許されない、という例の話は、はっきり言えば老害オタクしぐさなのだ。
もうすこし順を追って話そう。
俺たち30代40代オタクは、好む好まざるにかかわらず、政治にかかわることを必要とされた。(後から追記:考えてみればかかわる必要などなかったし、そう思うこと自体が、おかしいといわれればまさにそのとおりなのだが、なぜかそもそもかかわるものだと信じていた)
オタクというだけで、差別され、いじめられた時代を経験し、保守(左派系ラディフェミ政治家も含む)政治家がオタク文化を焼き払おうとした時代だ。
だから、オタクは政治にかかわって自分を守ることが要求された。
それゆえに俺たちのイケてるオタクしぐさ、というのは政治にかかわっていろいろ発信することだった。(後から追記:考えてみればなぜそう思ったのか心底わからない。オタクとして萌え萌え言っておけばよかったと心底思う)
サブカルとしての政治運動にかかわってるというだけで、一目置かれたし、あらゆるアニメを政治に結び付けて批評したりすることが最先端のオタクしぐさだった。
とりわけ人文科学、もっと言うなら大学で覚えたばかりの社会学や歴史学や心理学を利用してオタク文化を批評したり政治に牽強付会してサークルで議論したりネットに発表したりすることが最先端のしぐさだった。(後から追記:当時からすでにめちゃウザかったっぞというブコメもついている。すでにダサかったことに、その当時は全くおもわなかった。しかし実際はダサダサだったのかもしれない)
セーラームーンとフェミニズムのかかわり、エヴァンゲリオンの登場人物の心理解析、シスプリの大ヒット、涼宮ハルヒが社会に与えた変化と現象、発売されたばかりのアダルトゲームと国防体制とか、そんな愚にもつかない論考を出せば、転載サイトが記事を拡散し、バンバンブクマが付いて、はてなやFC2のブログが大いににぎわった時代を体験したのだ。
しかしその時代は、終わりを告げる。個人SNSの情報速度の加速に、この手の論考はついていけなくなった。より刹那的に、よりリアルタイムでの反応が求められた。
また、オタクの政治的立ち位置とかかわりも一気に変わった。まさか、よもや、自民党から表現規制反対の議員が出て、アニメゲームマンガを守る一本槍で戦い、全国比例で53万票も獲得するとは夢にも思わなかった。同時に、左派系議員にも表現規制賛成を叫び、多くのかつてのアニメゲームマンガ規制反対政党からも、アニメゲームマンガバッシングが飛び出すようになった。
こんな時代になってくると、もう、人文科学や政治にオタク趣味を絡めて、左派的価値観で作品を論評したり、オタクにかかわることが何の意義があるのか? ということになる。「この作品はリベラルなのかどうなのか」とか、「この絵はフェミニズムから考えると女性の抑圧ではないか」とか論評すること自体、もう「バンダナにジーンズのオタクがダサいのに自分はイケてると勘違いしている」ということになる。
いまどき、「艦これやアズールレーン趣味をやりながら正しい歴史認識を叫ぶ」というのも痛々しい。
そんな奴よりも、「ただネットに同人誌の一コマを乗せたほうがよっぽどRTといいねが来る」し「youtubeでレイヤーがSEKIROをプレイしてたほうが尊敬を集めるし面白い」って時代になった。
いちいち海外の友人と友達だなんてマウンティングをとる必要もなく、同人作家は海外絵師やファンと、レイヤーは海外レイヤーと相互フォローになってる。自分たちが海外に友人がいるんだぞとマウンティングの経費を大量に払ったのと比較にはならず、ナチュラルに異文化交流してやがる。
そんな老害になった俺たち世代がせめてもの抵抗として、注目を集める方法が、炎上とオタク文化批判だったことは悲劇である。要するに、「今のオタク表現は差別だ。許されない。俺が真の表現規制反対派として、表現を規制してやることがお前たちのためになるんだ」と言い出すことだ。
老害化を直視できないが、注目を集めて最先端に残るためには、世界を破壊しようとするしかないのだ。
でも全員がそんなことできるわけじゃない。
昔の時代を忘れられずに、しかし、今の時代に適応できない人間はかなりの数いる。
文化の中心にいない人間が、ついに最先端の若者たちを攻撃する時代になった。もう完全にやってることが石原慎太郎である。
事実、かつては左派系表現規制反対派の論客たちが、次々と規制派へと転向しフェミニズム系規制論を唱えるようになったのは偶然じゃない。
いま現在、左派系価値観で、オタク趣味を語ることの価値は暴落し、何の意義もない。唯一かろうじてオタク文化の真ん中に居座るには、規制派としての椅子しか残されていなかった。
さんざん世話になった左派思想である。どんなにくだらない、萌えオタ表現たたきであったとしてもこの際仕方がないという面は理解できる。
自分が老害化していることを認めず、「今のオタク文化を矯正してやるんだ」と息巻いては見たものの、周囲の人間からは「迷惑でうるさい老害が来てるよ、お前は石原慎太郎と同類だよ、劣化したな」と軽蔑のまなざしを向けられる政治語りオタクを何度も見てきた。
いま、政治とオタク文化を結びつけるには「差別」という強いカードを切って、「お前らは差別しているんだ。いや差別じゃない」とこじつけるしかない。
だがそれを繰り返せば繰り返すほど、余計にダサい老害になるというのに。
昔は20本以上見ていたのに。
ソシャゲの周回もおっくうだ。
そのくせ、ひどく怒りっぽくなってアニメとか新作を見るとくだらないと思える。
もう認めよう。
俺たちは石原慎太郎と同じ道を歩んでいる。
追記1 ブコメに「もう虐げられてるサブカルじゃなくて、超どメジャーカルチャーなんだよ。」ってまさにそれなんだよね。マイナーなサブカルロックバンドが好きだったのに、メジャーになったとたんに「堕落した。メジャーに媚びた」って、昔のファンがアンチになるでしょ。あの状態。今更、メジャーなサブカルとしての生き方をどうやってやったらいいのかわからないのだ。だけども、この流れは今更もう止められないだろうということも理解してる。
追記2 自分は30代だが、この世代がどうとかいうのはたしかに間違いだった。もっと上の世代にもそういう人が多いというのは理解してる。世代というよりは、政治にかかわってオタクを語ろうとするクラスタの話なのかもしれない。
追記3 その老害ムーブを、まずやめろというのは正しいし、自分はそうならないようにしているがそれでも、政治語りがダサいということを受け入れるのは難しい。
追記4 いろいろ反応を見て気づいた。なぜ政治オタク語りなんてやってたのか。全然わからないし必然性もなかった。本当になんでやってたんだろう。
追記5 「オタクじゃない、政治サブカルだ」というのは本当にそうだと思う。サブカルがオタクに文化的な敗北したから、サブカルから一段下にオタクを見下しつつかかわってた人たちの軸がすっ飛んだんだと思う。政治サブカルが破綻して、オタクだけが残ったんだと思う。
追記6 なぜ害だと気づけたかというと、政治サブカル系のアカウントが次々おかしくなっていったから。かつてはまともだったはずなのに、今はもう何なのかわからない人たちがたくさん生まれ始めた。それを何だろうと考えた結果。
追記7 KEYについては正直よくわからない。やってないから。ただ友人は、CLANNADをガンガン推してきたが、ぶっちゃけ観てない。絵柄がちょっと合わなかった。
追記8 「アニメから思想が消えた」とか、無理やり政治問題や世相を切る道具として使って政治敵を攻撃したり政党批判に持っていくのが、ダサい時代になったということだと思考。
追記9 30代は若い若い、と言われてる。確かにもっと年齢層が高い印象。しかし、この手の老害化は30代でもかなり目撃してる。
追記10 お前39だろ、39だろ、っていうやつら。39歳だってまだ30代の仲間だろ! いじめよくない! どうしてそう、必死に30代にしがみつかせてくれないんだ。
追記11 これを規制派とか反規制派とかいうくくりで読むこともできるんだろうけれど、害だなあと思うようになったのは、「本気でオタク表現に対してマジギレ」したり、「本気でオタクはネトウヨだが俺たちは違うんだ」と立ち振る舞う人が、オタク系政治に浸透してきて「本気かよ」とドン引きしたのが最近の率直な印象。「オタクは腐敗してる」とかいっても、どうせごっこ遊びだろ? いつもの極論ワロスw って受け止めてたが、ここ最近、本気で怒って、本気でつぶそうとしてる人が自分の周囲でもマジに出てきた。昔は評論遊びをしてる部分はあったと思ったけれど、実際には他者に多大な迷惑をかけまくってたんじゃないかと考えるようになった次第。
追記12 ラブライブのスカートの線で、マンガ家が「そんなの大した問題じゃないだろ。俺の健全な絵でも見ろよ」とオタクを軽く挑発するオタク老害しぐさをやって「本気の攻撃をされたと認識したオタクがフルボッコにした」ことがあるけれど、あれを見るに、もう今と昔ではオタクの自意識も作法も違うと思う。昔から嫌がっていた人が可視化されただけかもしれないが。
ダイヤモンドプリンス号に、コネを使って潜り込み、あとからすぐに「映像を撮りしながら、あそこがダメココがダメ」と批評して雑誌やyoutubeに載せ、現場を混乱させるという最悪のタイプ。これ、災害対応で一番邪魔な奴なんだよね。
完全に迷惑な奴。
上杉某、内田某と本を出してるという時点でかなりやばいと思うし、とても信頼できる人間とは今の段階では思えない。
少なくとも、一日で追い出されたという理由はすぐにわかる。部外者が勝手に入り込んで、「現場の指揮にギャーギャーギャー」となんの権限も責任もなく文句をつけ、動画を撮影しながら文句を言ってたら、追い出されるしネットに公開というのでは、ただの迷惑な奴である。
東日本大震災ではこういうやつが山ほどいたが、「その後ほぼ本当です、米軍情報」のように、すべてでたらめだったみたいなことがあるので二度と同じ手は食わぬぞ!
ブログの隆盛に始まり、ツイッターなどのSNSの台頭、さらにジオシティーやインフォシークがなくなったことでほぼ消滅したといわれる個人サイト。
個人サイトは、まだ、「オタク」を公言することが世間で後ろ指さされる時代の産物だった時代に「オタク」を開放し、密かに、だが確実な仲間を見つける唯一の手段だったように思う。
そして、唯一だっただけに、裏切り(嗜好の移り変わり)も少ない。
味噌汁に例えるなら、
個人サイトは、その分離して底によどんでいる部分
とてつもなく濃いので、とっつきにくいが、嗜好がハマればとても有用(下手すると市販品よりも使えたり、面白かったりする)
一応、2010年代初頭あたりまでは、動画サイトもその傾向にあったが、(著作権侵害もあったが、後ろめたさも残っていて、ひっそりとしていた)
金儲けができるようになると、似たような、そして勘違いしたものが量産された。
味噌汁に例えるならレトルト物に各自で具材を足したもの。うまく出来たものもあるが、大半がケチってレトルトを半分以下しか使わずに味がほぼ無く、話題に上がるものは具材の味が味噌汁の味をじゃましていたり、砂糖山盛りでもはや味噌汁じゃなくなっていたり、下手するとう〇こを使ったものなど。
そして、自分に合った「よどみ」に近いレトルトを見つけても、それ以上に製作者に目の前でチップを期待するまなざしで見つめられるものが多い。
個人サイトは、見る方に「気軽さ」があった気がする。
お気に入りの妄想:「この作品の監督/歌手/作家だったら、友達や同級生はどう私を羨望するだろうムフフ」
中二病患者だって自作の技やらキャラ設定やら異世界やらを夢想できている。既存の創作物をインスパイアしているにせよ、琴線に触れたイメージを再構築して、膨らませているのはすばらしいことだと思う。
比べて、私の「すごい奴になって周りを見返す」妄想は、周囲の反応が主で、それは現実の素敵な誰かへのまなざしを継ぎ接ぎしたもので、創造性のかけらもない。であるのに、映画監督や漫画家といったクリエイターに憧れる思いだけが強い。だから優れた作品に触れるとまず第一に、これ私が作ったことにならないかな、と願う。さらに、おこがましいことに、「下ネタ強すぎると下品な奴だと思われるからこのシーンはカットして~」なんて、作った人がどんな人格だと思われるかを指標に脳内改変したり。あと感想ブログで惜しいと評されている部分もその通りに脳内修正してから脳内作品公開して脳内賞賛を浴びる。
コンテンツは好きなのに、作る才能も批評する才能もないからこういう妄想に浸って、他人に評価されたい気持ちだけが募っていく悪循環。死にたい。大きな評価はされていなくても、ただの趣味でも、何かに打ち込んで何者かになっている人が羨ましい。
上野さんは、ハイヒールは一律に女性に押し付けられた抑圧、ナンセンスそのものであるという見立てじゃないかな。
ハイヒールへのまなざしは意外なところでも書かれているのだけど、小説家の森巣博の作品の中で書かれていたのは、90年代なのか、海外のフェミニストが日本に来て「日本人はいつまでfuck me shoesを履いているのか?」と首を傾げていた、という話だった。
fuck me shoesはハイヒールのこと。ブラジャーを燃やして抗議していた時代もありました。
女性の身体を矯め、女性への搾取の需要を意味する象徴物など捨ててしまえ、自由になろう、というね。
そのメッセージに悩んだり、違う意見を持つ人が出てきたりする。
平常運転ですんで、あんまり突っ込むところでもないんだけど……。
その差異は、他の人に危害を加えたり、社会通念を通じて事実上の強制がない限りにおいてはほっといていい話かな、と。
なぜか、男性がこの件で一生懸命意見を表明していたりするのも未だに見るんだけど、履かない人が一生懸命になる必要もないかと。
ハイヒールを「はかないといけない」という社会通念が未だにあって、実質的に選択の余地がないような現在の社会状況のほうが、よほどに問題で、思いっきり枝葉の話かと。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1434362
【そんなに叩くことではない】
sotonohitokun ちょっと思慮足りない程度の悪意もそれ程無い奴を態々拡散(無言ブロックかDMでええやん。もう男女別で別アプリにすべきと思う位こんなんばっかのはてぶ。断絶を促すばかりで1ミリもプラスになって無い気が…
bunkashiken 確かにデリカシーないとは思うけど、全人類をアップデートできるわけがないんだからデリカシーに欠けた人は絶対にいなくならないよ。それをいちいち集団でバッシングするのはやりすぎだし、手放しで支持はできないね
zheyang 公式の注意の仕方も良くない。言葉尻だけ丁寧で威圧感がある。何が悪いのが説明しないのも無言の圧力を与える(「女性が不快に思われますので~」とか書くべき)。このおぢさんはそれで逆上したんだろう。
yubi1guitarbook ただの感想やん…
reuteri 道端であなたを見てドキドキしましたぐらい言えない社会なんて、ポイズン。不器用な口説きを許容する社会であってほしい。
comitlog もうTwitterは昔と違って世間一般的な場になりすぎてしまい、気軽に好きなことを言える場ではなくなってしまったようだな。
preciarネットが公共空間に近くなったからこそ、自分にとって不快な存在は排除できない。ブロックで自前の壁を作りなさい
hiroyuki1983 現実でダメなことでも許されるのがネットのはずだったが、いつの間にこうなってしまったのか。現実の延長ってことはつまりクソってことじゃん
hinapix 世界中の人の目に留まるSNSにUPするなら『服を着た人を見た、一般人の初見感想』という意味では、様々なものが寄せられるのは覚悟の上で利用するしかない。服自慢の自己満足なら鍵つけて身内に誉めて貰えばいいと思う
sisya 決してセクハラを肯定はしないが、SNSで拡散する宣伝効果と自己顕示欲は肯定するが、セクハラは許容しないという線引きは、可燃性が高いと思う。何らかの批判を浴びる覚悟は最低限持ってほしい。
【法には触れていない】
tetora2 キモいオッサンだとは思うが、女性が好きな格好をして男性が法に触れない感想を言うのは何かアカンのか?キモい相手には何をしても良いという圧倒的お気持ちアタックを感じる。
lettuce0831 本人が言うならともかく公式がわざわざ割って入って言うのは悪手だと思う。くまクッキングみたいに着衣おっぱい武器にして稼いでる人もいるわけだし
goriragao フェミ界隈の人達がくまクッキングに一切触れないの都合良すぎてウケるな
ntstn 結局、男は女性と絡まないのが一番になる世の中はディストピア感があってあんまり好きではないなぁ。グラビアアイドルとかは困っていく流れになりそ。
preciar そのコミュニケーションで問題ない相手もいるので、それをデフォルトにする人間もいると言うだけ
junmk2 本人の意図とは関係なく、この写真は十分に性的と言えると思うんだけど、なんでゾーニングされないの?男性が上げた筋肉美を誇る写真に対して、性的にかっこいいと評するのもアウト?
chirasinouramemo 過度に性的なので、フェミは全力で攻撃に来るべき
yugent 「キモい」ってワードも性的評価でありセクハラじゃん。キモいって言ってる奴はおっさんと同レベルだと自覚しろよ。「キモいおっさんにキモいと言うのはセーフ」ならエロい女にエロいと言って何が悪いってことになる
rag_en 『本人の望まないリプやブクマはNG』という話なら理解もできるが、「性的まなざしはNG」ならただの「まなざし村」でしょ。はてな村、無断リンクや無断ブクマで騒いでた頃、どういう「正しさ」を振りかざしてたっけ?
幸福の科学大設置、認可を諮問 文科相、21年度開学予定 | 共同通信
https://this.kiji.is/567307017950413921
わたしは無宗教なんたけど、幸福の科学を深く信仰している一家と数年前まで家族ぐるみの付き合いがあった。
そこの息子さんがとにかくよくできた子で、成績が並外れて優秀なうえに謙虚で気さくな人柄が印象的で、きっとこの子はどこに行っても周りに自然と人が集まるような素敵な大人に育ってゆくんだろうなと感じていた。
息子さんは地元の中学を卒業後、遠方にあるという教団系列の高校に進学した。一家みんなでそちらへ引っ越していったことで、そのおうちとの交流はそこで途絶えた。
うちの母は「あんなに優秀なお子さんなのに進学先まで親の宗教に付き合わせるなど、将来の可能性を潰しているとしか思えない」としきりに残念がっていたが、確かにその通りだと思う一方、同時にわたしは少し違った感想も抱いた。
あれだけ非凡な能力を持った子なら、教団の内部社会で生き続けていればいずれ上層部から見出だされてそれなりのポストをあてがわれるのではないかと思う。そのための英才教育、人脈構築のための進学と考えると、もしかしたらこれはこれで賢い選択なのではないか。
ひとつの組織の中で将来が約束されるのであれば、それもひとつの選択なのかもしれない、いやむしろ、大学を卒業しても何がしたいのかわからなくてフラフラしてばかりの自分の人生などよりそういった人生のほうがよほど価値があるとも言えるのではないか。
といったような考えが一瞬のうちに脳裏をよぎった。
ただ根本的な問題として「本当に本人の自由意思で進学先を決めたのか、親が誘導して話をそう持っていったのか」はわたしにはわからない。
わからないのだけど、彼のような子がきっとたくさん進学することになるのであろう「幸福の科学大学」に、そんなわけでわたしは世間一般の論調と同じようには批判的なまなざしを向けられないのである。
「乳袋は現実的じゃない、女と付き合った事の無い童貞の妄想の産物でキモイ。
現実はあんな乳の形は出ないし、テント張ったみたいになるのが普通。
って言って乳袋愛好者と殺し合ってたんだけど、フェミさんが同じ感想を抱いて表現規制を行おうとしたので
オタクたちは乳袋を認めざるを得なくなった模様。最近は減ってきてたし、このままおとなしくしてれば淘汰されたものを……
http://vitaminabcdefg.blog6.fc2.com/blog-entry-764.html
http://blog.livedoor.jp/houkagoguide/archives/67945694.html
http://blog.livedoor.jp/a_load/archives/52542142.html
うーん。残念ながら「ゾーニング」が適正に働くというのは、「ゾーニングすべきものが何か」について合意のある場合だけだと思うんだよね。でもって、あなたの言う「他者のまなざしを受けた時の反応で判別可能」という説明には納得がいかない。
「ミニスカートは不特定多数の男に受けたいから履いているわけではない」という人も、自分がいいなと思うミニスカ履いてて好みの男性に「かわいいね、似合ってるよ」と言われて「そんなことないですよぉ」とかニヤつくなら、それは十分「他者のまなざしを意識している」よね。本人が望む以上の人にまで届いたときに嫌なだけであって。巨乳絵描きだってもしファンミーティングでカニバリストに近寄ってこられて「あなたの描く胸は大変素晴らしい。食欲をそそります」と舌なめずりしながら言われたらちょっと引くだろうさ。両者とも「望むところには届くことを望んでる(つまり他者の視線を内面化している)」「望む以上のところにリーチしたら、少しはいやな気分になる」という点で、やはり同じだよ。
もちろん本気で「好きで履いているから他者の視線なんて関係ない」といって部屋着や寝間着として存分にミニスカを履いてるとしても(実際そういう人もいるようだが)そういう人はあまり外では履かないようなので、やはり、外で履いている人は「他者の視線を内面化」していると判断し得ると思うし、それなら巨乳絵描きと区別する点が見出せない。他人には一切絵を見せない巨乳絵描きだって山ほどいるしな。
https://wezz-y.com/archives/70406
――自分が主体的に着る理由や意味を選ぶことと、そうした意志を無視した他者から勝手に決めつけられることは、全く違うと思います。
黒澤:そうですよね。もう私としては、リンゴを差しながら「ナシだ」「オレンジだ」って勝手に言われているような感覚です。「まったく違いますよ」って思っています。
男だってできてねえよ。
だいたい思い通りにならねえんだよ。
いい加減それは当たり前のように可能で、自分たちがそれをできないのは男が独占してるからだとか勘違いやめろよ。
つーかお前らオタクがやることなすこと決めつけてんじゃねえか。
自分がされたらいやなことを男に対しては平気でやってんだろうが。
「自分が主体的に着る理由や意味を選ぶこと」ができるかどうかは男か女かじゃなくて
いつになったら気づくんだよ。