「まなざし」を含む日記 RSS

はてなキーワード: まなざしとは

2019-11-10

ちょっと不思議に思うんだけど

いわゆるtwitterで「エロ女性性的まなざしてる」とかオタク性差別だっていう人たちいるよね。

あの人たち、なんで有村悠とかの作品にかみつかないんだろう?

https://togetter.com/li/1070432

https://togetter.com/li/1070625

これを見るとオタク差別主義者、エロ差別って人達有村悠が凍結された際は不当だと言って本人が一番嫌がっている。

それに対して本人も特別扱いをやめてくれと言ってる。なのに周囲は特別扱いをやめようとはしない。

誰か教えてくれ。

フェミは何も答えてはくれない。

2019-11-08

anond:20191108205812

男性女性性的まなざしを向けることはあっても女性男性性的まなざしを向けることはないか問題ないよ

しろ公衆面前女性に尻を見せつける男性ラグビー女性への性的イタズラ

anond:20191108004254

女のまなざし云々を全肯定しておいて、ゲイ視線になると自意識過剰って否定しようとするのダサすぎない?

2019-11-07

ノンケの男はゲイにそういう眼で見られてみるといいよ

男性が女体をモノ化して性的まなざしを向けるとき女性が感じる嫌悪感

ノンケ男性にとってこれに相当するのは「ゲイから性的まなざしを向けられる」だと思う。

ノンケ淫夢だの田亀源五郎だののゲイコンテンツを笑って消費できるのは、自分とは無関係だと思ってるからだ。

一度でいいのでゲイにそういう眼で見られる体験をしてみてほしい。

二丁目で無礼ゲイ口説かれるか、

そうとは知らずにハッテン場になってる銭湯に入ってしまって生々しい目線で視姦されるかしてみてほしい。

どっちも経験あるけど、マジできついぞ。

そういう眼で見るんじゃねえよって本気で思うし、あー女性さらされてる目線ってこれかーって思うぞ。

2019-10-29

ジョーカー観てきた

めっちゃスコセッシだった

キングオブコメディ主人公タクシードライバー的な世の中への鬱憤と中二的な趣向をプラスしたら

Vフォー・ヴェンデッタになった映画

もう最後デニーロコメディ番組に出演したのも妄想な気がしてきた

というか妄想であってほしい

もうこの映画って主人公ジョーカーで無くてもいいよね

ジョーカーである必要がない

なんだかんだテーマまなざし問題的なとこあるし

ジョーカーは誰の中にでもいて誰もがジョーカーになりうる的な事なのかね

とりあえずスコセッシファンとしてはスコセッシへの愛が伝わってきて満足

2019-10-22

派遣社員シングルマザーまなざし

貧民からしたら高級官僚パンケーキを食べる図なんて憎しみの対象しかならないし

直近でいえばチリ暴動みたいに火炎瓶投げつけられてもおかしくない話なのであるが、日本の貧民は半端にプライドを持ってしまたから「官さん経済回してくだしゃいwwww」とか言ってしまうのである

2019-10-20

性的まなざし論も整理ついてきたなぁ。

フェミアンチフェミ両方で定義が一致してきたし。

結局のところ、鑑賞者が誰かってのが問題なわけか。

2019-10-19

性的」の定義重要だよ

ポスター問題だが、毎回思うのは言葉定義曖昧さだ。

今回も端から公的空間」だとか「性的消費」だとか決め付けている人がいるが、ちょっと待って欲しい。

曖昧言葉を、それぞれが自分の思うままに使い、

それを理解していない相手のことを思考停止フェミオタクお気持ちだとレッテルを貼るので、

問題さらにわかり辛くなっている。

不幸である

指定公共機関」でもある「民間企業」の赤十字社で使われたポスターが「性的」で

ゾーニング」的に問題なのかどうか、実は微妙なのだ

今回の件で問題点になる単語は、

性的」「公共空間」「ゾーニング」あたりだろうか。

性的」について

まず、日本では性的だとされている「女性乳首だって世界各国地域ごとに考えが違うのだ。

異性愛者や同性愛者、無性愛者や動物性愛者(冗談じゃないよ)も存在し、

それぞれに趣味嗜好や価値観もちがうなかで、実は「性的基準」を設けるということが難しいのはわかると思う。

さらにその中で、ポスターなどの表現された「結果だけ」を問題視する人もいれば

「作者のまなざし」という出発点から考える人もいるのだ。

このように、「一般に見せても許される性的範囲」と「許されない性的範囲」が人によってかなり違う、という前提の確認必要だ。

そんなもの議論余地はない、という態度の人は多様性理解する気がないのだから

そもそも話に加わるべきではない。

公共空間」について

これも「官製」なのか「一般に開放された空間」なのかでも意味が変わるので難しい。

企業や店内などは私的空間としながらも、

公共サービスが利用できれば公共空間、と定義する人もいる。

みんな日本赤十字社公共扱いしているが、実際はどうか。

社の説明では日本赤十字社は「民間企業であるが、

さらに「指定公共機関」でもあるとしている。

指定公共機関」とは何か。

災害対策基本法により規定されるカテゴリで、災害時に官民が一体となった取組の強化を図るためのカテゴリ」らしい。

銀行や電力や電波などのインフラ系や、

イオンコンビニなども指定されている。

この前までエッチ漫画を売っていた「あのコンビニ」も含まれているのだ。

イオン内にだって書店はあるし、当然「宇崎ちゃん」も売っているだろうし、なんならポスターも貼ってあるかもしれない。

献血された血液公的医療事業に使われるものではあるが、

献血ルームはお菓子食品提供していたり、カフェ風だったり、漫画を置いていたり、内装形態もかなり自由だ。

清潔感重要だろうが、アットホームであること、気軽に利用できる気安さを重視する利用者もいる。

結構議論余地があることがわかると思う。

ゾーニング」について

狭義では、「青少年保護育成条例」(条例なので、都道府県ごとに呼び名も内容も違う)に基づく区分陳列をさす。

エロ話題になるとすぐ「暖簾の向こうに置け」などという人がいるが、

実はなにを置くかは自治体によって決められています

もちろん、自治体によっては区分方法が違うので、暖簾の向こうに置かなくてもいい県もある。

広義では、まあ「棚を分ける」とか「売り場を離す」とかそういうことか。

今回の場合は当然後者の話だが、なかには前者の前提でポスター撤去しろと主張する人もいて驚いた。

ポスターをどのように「ゾーニングするか」は難しい話である

今回の件はだめだけど、「コミケでの配布ポスターとしてならあり」「秋葉原池袋献血ルームで貼るならあり」という人もいた。

こういった切り分けをして一々考える必要があるのだ。

まとめ

以上のように、ネット議論では「当然共通認識があると思っていた言葉」が、

実はそうじゃないことも多いのである

そういう時は要素を分け、ひとつひとつ自分スタンス確認してみるのが確実だ。

さらに「これがいい/だめなら他の表現はどうなるか」という他の具体例まで考えを広げてみれば、また新たな発見があるかもしれない。

最後に、ポスター不快感を持つ人のことは否定しないが、

大事言葉定義あやふやにして煽るだけ煽った人間は、毎度の事ながら軽蔑する。

デマ拡散と同じであり、唾棄すべき人種だ。

anond:20191016150214

anond:20191018190306

anond:20191018131310

2019-10-18

例のポスターはただの「漫画コラボしてファン献血を呼びかける宣伝」ではないのか?

北村紗衣が自分リプライを寄越してきたアカウントに対してこういう返事をしていた

https://twitter.com/Cristoforou/status/1184999914499006464

「下世話な言い方」をすると言っておきつつ、後者を「漫画コラボしてファン献血を呼びかける宣伝」と控えめに表現する時点で、ご自分判断にかなりバイアスがあることは理解されてますか?

俺にはこのへんの感覚がわからない。あれはキャラクターであり、オタクは女の記号性的まなざし欲情しながら血を抜かれに行くわけではない。

北村によれば例のポスター日本パチンコ店で行われた、ナースコスプレをした女を餌に健康診断を呼びかけ研究倫理問題があると批判された事例と同様のものらしい

https://twitter.com/Cristoforou/status/1184307481830289408

やっぱりこのへんの感覚理解できない。ただのキャラクターなんだけど。こういうセンスにはかなりジェンダーバイアスが入っているんだろうか?

2019-10-09

食べ物好き嫌いがない・・・

食べ物なら何でも食べられる。

にんじんでさえ平気だ・・・。難なく食べられる。

周りにこれをいうと凄い驚かれて尊敬まなざしを向けてくる・・・

でも俺は驕り高ぶったりしないし、好き嫌いがないことを声高に自慢したりしない。

自分にとっては日常のことだから

2019-10-06

騎士ショタ逆レイプするやつを

見たい。こんな感じのやつあったら教えてください。

第一章「おらが村の秘密

辺境の小さな村に仕える女騎士は闇夜に蔓延盗賊ならず者から村を守ることで村人から慕われていた。天下一と言われる女騎士剣術で村に平和がもたらされていたが、代わりに課した条件があった。

なんと、それは年頃のショタを女騎士差し出すことだった。年に一度、村人たちが楽しみに待つ収穫祭の夜に犠牲者は決められる。

饗宴が最高潮に達したころ、女騎士テーブルを見渡し千鳥足で一人の少年に歩みよると半ば強引に肩を掴み奥の部屋へと連れ去った。ろうそくの炎で照らされた少年の顔は蒼白になると同時に、テーブルに残された人々の顔には安堵の色が広がる。

このあと、三日三晩繰り広げられた驚きの行為とは...

第二章「正義の鉄槌」

騎士ショタを求める欲望は初めのうちは祭りときだけだったが次第にエスカレートしていった。その噂は「辺境ショタ喰女騎士」として皇帝に耳に入るほどになっていたので、皇帝は一人の密偵を村に派遣し現状の調査を命じた。後に皇帝の大失策として語り継がれるこの密偵ショタだったのだ。旅人に扮して辺境の村に向かった少年密偵は、女騎士の館で歓待を受ける。ギラギラとした欲望まなざしを向けられながら夕食を共にしたすぐ後、隣室で村の少年四肢を押さえつけられ凌辱されているのを目撃してしまう。噂は本当だったのだと確信した密偵は急いで駆け出し、全力の逃走劇を繰り広げる。しかし、百戦錬磨経験値と鍛え上げられた強靭な肉体を持つ女騎士からは逃れられず捕まってしまう。

後日、皇帝に出された報告書にはたった一言だけ「女騎士は優しくもてなしてくれました。」と書かれるのみだった。少年密偵を呼び出し問いただしても、頬を赤く染めながら同じ言葉を繰り返すのみであった。

いったい、彼の受けた女騎士からの深くて熱い「もてなし」の真相とは...

第三章「止まら因果

肉欲の限りをつくした女騎士の行動もついに白日の下にさらされ、騎士としての身分をはく奪され失意のままその一生を終えると思えた。しかし、その国に並ぶものはいないと言われた剣術の腕が彼女を救った。彼女名前容姿を変えて剣術師範として皇帝仕官したのであった。女騎士としてではなく一人の女として第二の人生を始めた彼女は狂い始める。なんと、皇帝ショタだったのであるショタ皇帝身体を密着させての剣術指導を重ねていくうちに自らの欲望を抑えきれなくなった彼女は...

2019-09-09

anond:20190909131853

そもそもデカすぎる乳」に対して怒りや憎しみを抱くのは「女性から」じゃないだろう。

「男だけど同意!」みたいなこと書いてたのは別に女性人権に敏感なわけでも、「女性にいい顔したい」わけでもなく、女性と全く同じ形の憎悪があるからでしょ。

デフォルメに対する憎悪現実の肉体だけにまなざしを向けることが「生物としてあるべき姿」であるという崇拝。

2019-09-08

anond:20190908164329

この季節、この時間ならこの動物面白い!みたいなのを教えてくれたら憧れのまなざしで見る

2019-09-03

少年誌グラビア少年への性的虐待

漫画雑誌の表紙が話題になってるが、漫画雑誌なら漫画の絵を表紙に載せれば良い

漫画の内容に関してもセクハラ肯定したり、少年誌にそぐわないお色気要素などは徹底的に無くさないといけない

性的もの子供に見せる事は性的虐待と本質的には何も変わらないし、

男性達はああいった表現で傷ついている女性大勢いるという現実直視しなさい

そもそもグラビアなどというもの女性性的まなざして良いというメッセージに他ならず、

男性による性的搾取の塊

あんものを喜んでやるのはごく一部の馬鹿名誉男性のみであり、

殆ど女性苦痛に感じている

男性よ、加害をやめろ

2019-08-25

私がフェミニストから離れた理由

私がフェミニズムから距離を置く理由

https://togetter.com/li/1369547

フェミニストであることに疲れた

http://toianna.hatenablog.com/entry/2019/06/25/205348

この辺読んでいて、そういえば自分はツイフェミだった時期があったなと思い反省文を。

フェミニズムに接近したきっか

自分フェミニズムに興味を持ったきっかけというか要因は、人権問題に関心のあるリベラル学生だったからだろう。私は当時ネット上で左派的な言説の多くを観測しており、その流れでフェミニストたちのアカウントフォローするようになっていった。

彼らは現代においてなお残っている実に多くの女性差別を暴き、実に多くの不正義を告発している、ように見えた。彼らの主張はおおむね正しいように見えたし、差別によって苦しみ、不利益を被っている女性がいるのなら、この状況は是正されなければならないと思った。また自身(男性である)が無意識女性差別的な行動を取ってしまっていないか、という点にも大いに過敏になった。

身近に思いっきセクハラ被害に遭っている女性がいたので尚更こういう話題に関心が出たのかもしれない。フェミニストたちの行動の裡に潜む暗い衝動存在に私が気付くのは、ずっと先のことである

といっても、私もフェミニズムに首までどっぷりとは行かなかった。あの界隈には単に男性嫌悪を拗らせただけと見える人も多くいたし、彼らのいくつかの主張(例えば「権力勾配」「まなざし」など)については本当に正しいのか確信が持てなかったので判断を保留していた。

とはいえ各論においてはともかく、総論においては同意していたのは事実だ。

疑問

で、私がフェミニズムという運動のものに疑問を持ったきっかけだが、それは例の「女だけの街」騒動だった。

あの騒ぎ自体はよくあるしょうもない炎上騒ぎなので、わざわざ論じる価値はない。ネット上でよくある異性叩きコンテンツのいち類型にすぎず、個別に論じる事自体時間無駄だと思っている。

ただあの炎上は私にとってひとつ大きな収穫があって、それはフェミニストたちのある姿勢が露わになったことだった。

事の経緯としては、最初とある女性が書いた「女だけの街があったら夜道で怖い思いをしなくて済むのに」といったようなツイートが発端だったと理解している。これ自体はまあ、政治的に正しいかどうかはともかく、単なる愚痴にすぎないだろう。なのでこれ自体を正しいとか正しくないとか言うつもりはない。人間はたまには正しくない愚痴を吐きたくなるものである

が、人権という原則に照らし合わせてこの発言が色々とまずいのも事実だ。ヒトラーだって同じことを言っていただろう。「アーリア民族だけの国があったら良いのに」と。「〇〇だけの街(国)」というアイデア古今東西多くの虐殺引き起こしてきたのだ。

それなのに、フェミニストたちはこれを「素朴な心情の吐露にすぎない」と擁護していた。

なるほど確かに「素朴な心情の吐露」ではあるかもしれない。だが「素朴な心情の吐露」なら何を言っても良いのだろうか?件の発言が「日本人だけの街」だとしても彼らは同じように擁護しただろうか?「女は男に比べて頭が悪い」と素朴に信じている人間自身の考えを披露するのもOKだということになるのだろうか?そもそも、そういう「素朴さ」の裏に張り付いた偏見認知の歪みを告発してきたのがフェミニストではなかっただろうか?

本当なら、フェミニストたちはこの発言擁護するべきではなかったのだ。

政治的に正しくないから袋叩きにするべきだとは思わない。

繰り返すが、人間は時に政治的に正しくない愚痴を吐くものだ。だが炎上してひとつ論点として浮上してしまった以上、擁護するべきではなかった。せめて「気持ちは分かるけどその言い方はまずいよ」と諌めるくらいのことはするべきだった。

なのに彼らはそれをやらなかった。

その時の様子を見て私は愕然としたのを覚えている。単に男性嫌悪をこじらせた似非フェミニストばかりではない。ある程度誠実に、論理的ものを言っている(ように見えた)フェミニストたちも、揃って件の発言擁護し、食ってかかる人間罵倒を浴びせていた。彼らはお定まりお題目ーー男性社会犠牲者ーーを大声で唱えた。私たち被害者だ、奴らが悪いのだ、と。

なんということはない。彼らの行動原理正義などではなく、結局のところつまらない党派性と暗い攻撃衝動にすぎなかったのだ。ニーチェの言うことろの奴隷道徳というやつだ。

彼らの言葉の底が見えた瞬間だった。

日本人だけの街」がアウトで「女だけの街」がセーフだと主張するには、おそらく根拠として例の「権力勾配」という概念を持ってくるしかないだろう。

権力勾配」の扱いは長らく自分のなかで答えが出せていない問題だった。例えば人種隔離政策実施されていた時代アメリカで、黒人白人を殴ることと白人黒人を殴ることを同列に扱うことはできない、なぜなら黒人被差別階級からだ、という主張は、必ずしも狂ったものだとは言えないだろう。

ただ、私としては最終的に、これは否である判断するに至った。理由は大きく分けてふたつある。

第一に、この主張は結局のところ、「人権の内実はその個人属性によって変化する」と主張しているに等しいことがある。

人権というのはつまるところ社会フィクションにすぎないのだが、ここを切り崩すことを許してしまうのはどう考えても悪手だ。女性差別問題にできるのも、つまるところ「万人が等しく人権を持つ(べきである)」という原則があるからだ。その原則がなければ、性別民族性的指向政治志向、その他あらゆる属性によって、恣意的個人権利制限することができるようになってしまう。これは到底受け入れいることができない。「権力勾配」という概念人権という原則に照らし合わせて筋が悪いばかりか、フェミニズムが拠って立つ基盤を自分で切り崩していることにもなる。

第二に、目的手段正当化するか?という問題がある。

女性差別撤廃という正しい目的を達するために、正しくない手段を用いることは正当化できるだろうか。

これは難しいところだ。政治的目的を達するため不正手段を用いることが、一時的戦略として必要であるという考えは理解できる。が、例えば共産主義革命という「正しい」目的を達するためにいかに多くの人が殺されてきたか、ということを考えると、やはり首を縦に振ることはできないだろう、という結論暫定的にだが出すことになった。

例えばアファーマティブアクション(これは自分否定的なのだが)なんかは、マクロな不均衡を是正するためにミクロ差別を導入する、という政策だろう。他にも、件の医大入試における女性差別問題なんかでも、一概に「差別から悪だ」とは言い切れない事情があるのは理解できる。

社会というもの原則どおりには動いてはくれず、難しいものだなと常々思う。

まとめ

ともかく、あれ以来、フェミニストたちの言説がどういうものだったのかが、なんとなく見えてきた。彼らのやり口はネット右翼よりは洗練されているかもしれないが、その本質においては何も変わるところがないことが分かってきた。

敵を作ることで味方を定義し、団結させる。それは人生に不満を抱えた人間たちを動員する効率の良い手段だ。日曜革命家効率的に票田を獲得し、鉄砲玉を生産するための手段。こういうメソッド社会に遍く見られるもので、今日もどこかで誰かが動員されているのだな、とネットで怒っている人を見るたびに思う。

今更気づいたのか、と言われれば返す言葉もないが、当時の私はちょっとばかり難しい本を読んだだけで社会については全く無知学生だったのだ。ちょっと首を突っ込んだだけの段階でフェミニズムおかしさに気づき、取り返しがつかなくなる前に抜け出せたのは僥倖だったのではないかとも思う。

昨今、TERF関連でまたフェミニズム面白いことになっており、トランスジェンダーに対するフェミニストたちの態度を見ていて、あの時フェミニズムから離れた自分判断が正しかたことを再確認している。そのことにはなんの喜びもないが、少なくとも自分がもう彼らの一員でないことは嬉しく思うし、あの集団的狂気から一人でも多くが目覚めてくれれば良いと思う。

教訓があるとしたら、人々の情動喚起して動員する手口を直に学べたことと、原理原則において一貫性を保つことの重要さだろうか。社会運動自体不要だとは思わないが、少なくとも自分は、正義を叫ぶ人間言葉を、以前よりずっと注意深く観察するようになった。それとリベラルが必ずしも味方だとは限らないということも学んだ。

以上。駆け足で書いたので日本語が若干こなれていない感じはするが、推敲も面倒なのでこれで。

2019-08-02

れいわ支持者の「世界日本人を見てます」ってやつ

なんかよく見るようになったけどこういう人らって世界からよく見られたいの?

なんだかちょっと納得

から9条死守でどの国にもいいこいいこしたいんだな

ムカつく国とはどんどん戦え派の自分としては相容れんなぁ

外人の糞みたいなまなざし気にしてどうすんだ?

2019-07-20

anond:20190720145603

白い目ちゃう。。羨望のまなざしや。

みんな、腹が減っていておにぎり食いたいんや。

2019-07-18

anond:20190718110915

エロ漫画を描く行為批判したら「きちがいふぇみがぁぁぁぁぁ、まなざしむらがぁぁぁぁぁ」してた人達が、ただの批判からと言う権利はないんだよね。エロ漫画を描く行為への批判を受け入れて初めて権利も得る。

フェミニストの「批判はいつも表現規制に直結する時点でなあ

その表現権利を認めた上で口を極めて批判するならそれは正当だしその時にzyzyの主張も成り立つ。

現状ではただの詭弁だよね。

表現の自由という権利と、批判を受け入れる覚悟と、zyzyと

https://b.hatena.ne.jp/entry/4671687466976236546/comment/zyzy

エロ漫画を描く行為批判したら「きちがいふぇみがぁぁぁぁぁ、まなざしむらがぁぁぁぁぁ」してた人達が、ただの批判からと言う権利はないんだよね。エロ漫画を描く行為への批判を受け入れて初めて権利も得る。

うん、後者については、まあそうだね。

エロ漫画を描く行為批判したら云々という点が分からなかったけれど。一部フェミニスト?zyzy?はエロ漫画男性向けも女性向けも含むのだろうけれど――を描く行為を、どういう脈絡批判したのだろう)

何か表現をすれば、賛同する人もいれば批判する人もいる。

その表現の内容が、あまりにも妥当性を欠いていれば、批判者は多くなり、また、例えば一般企業など、社会的信用を重視するところは離れていきやすくなるね。

その覚悟をもって、それでも表現したいなら、その表現自体が犯罪でないならば「公権力で」抑え込むべきものではない(=表現自由)。

ただ、さっき書いた通り、スポンサー関係者などが「この表現放置していたらウチの信用も落ちる」と判断して取り下げる(取り下げさせる)のは構わないし、

逆に言えば、「ウチの信用がたとえ一時的には落ちたとしても、この表現を守りたい」と判断して継続するのも構わない。これらの態度も立派な「表現自由」。

 

で、

zyzyはさ、自分普段言動(主にブックマークコメント)が、まさに「きちがいふぇみがぁぁぁぁぁ、まなざしむらがぁぁぁぁぁ」だと思われていることは自覚している?

少なくとも私は、zyzyのブックマークコメントを見てちょくちょく、「この人おかしい」と感じているし、多分、結構多くの人が、同じことを思っている。

実際、メタブックマーク増田などでも、時々批判されているよね。そして、その多くは結構真っ当な批判だと思うよ。

その批判、zyzyはきちんと受け止めている?

自らを省みている?

きちがいみそじにすとがぁぁぁぁぁ」とかレッテル貼って無視を決め込んでいない?

自分表現権利を主張する上で、その表現に対する批判を一番に受け入れるべきは、zyzyだと思うよ。

 

でもzyzyの表現規制しろとは思わないよ。

自由に「きちがいふぇみがぁぁぁぁぁ、まなざしむらがぁぁぁぁぁ」とでも書けばいいと思うよ。

それを見て、「ま、この程度の人だよな」と、私も判断させてもらうから。この判断表現自由(というか、思うだけなら内心の自由かな。増田に書くことが表現自由)だよね。

 

私は自分フェミニストだと思っているけれど、zyzyと一緒にされたくないので、増田ではあるけれど批判しておくね。

2019-06-04

anond:20190604154015

からまなざしてるのがゲイの時だけ「お前の自意識過剰だ」って言うんでしょw

2019-05-21

anond:20190521163958

何やっても愛でてもらえる。まなざしがあたたかい。最高。

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