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2020-06-26

anond:20200626101228

四国が有りなら松山はおススメだよ

コンパクトシティなので車が無くても生活出来る

広島とか岡山と比べて家賃が異常に安い 中心部で飲んだあと歩いて帰れる距離に住めるからタクシー要らず

空港って辺鄙なところにある県が多いけど、松山空港は市内中心部からすぐなので東京出張でも便利

転勤で松山に住んだことがある人が定年後に松山移住するケース結構多いよ みんな居心地いいみたい

2020-06-12

anond:20200612105506

ほんとなんで辺鄙なとこにあるんだろうな

僕のチンコデカかった

年寄りの古い時代の話さね。

 

当時は自宅にお風呂なんてまだ恵まれた方で、多くの人は銭湯に通っていた。僕の実家はそんなに貧乏でもなかったけど、小学六年でやっと自宅を改造してお風呂が出来たくらい。だからそれまでは銭湯通いをしていたのだけど、たまにクラス同級生と一緒になることもあった。といったって、顔見知りなだけで、友達でもないから仲良くするわけでもない。誰かいたらあいつ来てるなぁ、位の感覚

で、小学校五年生くらいの頃だったと思う。僕は成長が早くて、身長も背の順番で最後尾なくらいだったし、陰毛だって既にうっすら生えてきていた。これが恥ずかしかった。確か、修学旅行林間学校、通っていた塾の合宿などでも僕は絶対に見られないように一緒に入るお風呂はいつもタオルで隠していた。同様に成長の早かった見られたやつが他にいて、みんなからからかわれているのを知っていたし。でも、僕はバレなかった。

そんなある日、普通に一人で銭湯に行って、普通通り体を洗ったり入浴していたりしていた。まさか、そこにクラスで一番意地の悪いAがいただなんて気づきもしなかった。次の日、学校に行くと、既に噂がばらまかれていて、「あいつさぁ、チンコに毛が生えててさぁ、チンコもでかいんだぜ?」のような話が周りから聞こえてきた。くすくす指を刺されて笑われている感覚。恥ずかしくてたまらなかった。そして、昼休み放課後だったか記憶するけど、とうとう「見せろよ」といじめっ子達に囲まれしまった。

いっき抵抗したのに、羽交い締めにされて、ズボンパンツを下ろされ、僕はさらし者になった。その上、そのズボンパンツを校舎の外に投げ捨てられ、泣きながら、下半身裸のままでそれを取りにいかされたのだ。

でも、いじめられて引き下がるような性格でもなかったので、クラスに戻ってすぐにそいつらのリーダー格に飛びかかって喧嘩になった。ただ、すぐに先生を呼ばれてしまい、どっちが先に殴ったかを問われて、僕は先生に滅茶苦茶怒られた。さらし者にされたのは言わなかった。それを先生に知られるのも恥ずかしかたからだ。それから一週間ほど学校を休んだ。また同じことを言われるのが嫌だったから、逃げたんだけど、どういうわけかそのまま不登校ということにはならなかった。

結局、小学時代自分チンコからかわれたりすることはそれっきり一度もなかった。でも続きがある。

中1か中2くらいにはもう大人サイズのそれも少し大きいくらいにまでなっていた。小学時代事件コンプレックスを持っていたから、自分チンコがでかいことや既に陰毛大人レベルなことは誰にも知られたくないと思っていた。銭湯はいかなくて良くなっていたから知られるチャンスはほぼなかったのだけど、小学時代から通っていた塾の夏冬の合宿だけは違った。馬鹿なクソガキ連中がいて、僕じゃない1人の同様に成長の早かった男子ズボンパンツを脱がせて、何人かで部屋で笑っていたのである。ところがその男子はみんなと一緒に自分も笑っていて、楽しいからかノリで勃起までさせてみんなの爆笑さらっていたのだ。さらには、それを写真まで撮る始末。

僕は同室だったけど、その輪には加わらず、布団に入って寝たふりをしていたのだけど、どういうわけだか、僕のチンコがでかいことを知っているやつがいたのである。その輪の中の誰かが「あいつのと比べてみようぜ。めっちゃデカイらしいし」と言い出したのだ。そいつらの中の1人は不良寸前の悪ガキで、他の男子に嫌がる僕を布団の上に押さえつけさせ、無理やりパンツまで脱がさせられた。実は僕はその悪ガキとめちゃくちゃ仲が悪かった。何が原因かは思い出せないけど、お互いムカつく相手認識していたのは事実だ。だけど僕は、その塾では友達らしい友達はおらず、悪ガキには取り巻きがいっぱいいたのが運の尽き。小学時代のような抵抗不可能だった。そして無理やり勃起させられ、先に脱いで楽しんでいたやつと比較させられ、同様に写真まで撮られたというわけだ。

流石に余りにショックで、僕はその塾にはそれ以降通えなくなって、やめてしまった。その理由を親にも言わなかったから、相当親を悩ませてしまったと思う。

 

こんなことを辺鄙増田で書いてもほとんど読まれもしないと思うけど、世間にはペニスが大きいことが男の自慢になるような風説が流れているように思う。でもそれは少なくとも、僕にとっては全く違うものだったということを言いたかった。それ以降、高校以上になると、見られたところで誰も何も言わなくなったし、当然辱めも受けなくなったけど、たまに「いいの持ってるなぁ羨ましい」などと言われることがあって、やっぱりそれが嫌で酷い目にあったことを何度か思い出したりもしたし、他人に見られるような温浴施設などでは今でもずっとタオルで隠すようにしている。

巨乳コンプレックス漫画話題になっているみたいだけど、男だってあったんだよ、と。

2020-06-06

anond:20200605161805

田舎辺鄙な駅の横に宿泊施設を併設して10万円払ったら払った日から一年路線上のどこでも20泊できる仕組みを作ってほしい

狭くてもいいから必ず個室で泊まれる奴がいい

ホテル側の不正防止のために空き部屋はネットで公開しろ

食事なんてクオリティを言わなければ弁当でいいのだから障碍者や老人向けなど特別意味もなければ月額である意味がない

2020-04-28

終わりの始まりは、始まりの終わりより良いんだ

NHKがついにUFOニュースを公開した。何年も前からすでに存在した映像が、このコロナ禍のさなかに、改めて本物であるとして記事にされたのだ。

気づいている人もいるかもしれないが、これは、始まりだ。長く待ち望まれた始まりだ。そうでない人は、フィクションだとおもって聞いてもらえればいい。どうせこんな辺鄙場所だ。もうしばらくすると、第2の公式発表がされるだろう。我々と、彼らの接触について。

時は満ちた。人々が救いを求め始め、宗教もその役割を果たせず、我々のテクノロジーでもどうにもできない破壊の波が押し寄せるとき、それは現れる。すべての人の心にできた少しの隙間にぴったりとはまり込むように、我々の前に姿を表す。

そうでなければ、いつだったというのだろうか。いまでなければ、なにがそうだったというのだろうか。

嘘だろうと思うことが起きる。しかしその頃には嘘だろうと思うことがすでにたくさん起きていて、これまでだったら信じられていなかったことも、信じられてしまう。そのひとつの点の上で、時代は、歴史は変わっていく。扉をあけるそのときまでは、我々は薄い壁の向こうにすら盲目であるのと同じように。

2020-04-16

パパ活生活が豊かになって、胸が痛くなっている。

こんにちははじめまして

私は所謂パパ活」と呼ばれる援助交際によって生計を立てている者です。

私の育ちは豊かとは言えないがそこそこ幸せだったように思う。

お金はそんなにない家庭だった。

まあでも、無くても無いなりの幸せってのはあるもので親元を離れるまでは地元で楽しく暮らしていました。

勉強はそこそこだったが突出して良いという訳ではなく、スポーツや一芸に秀でていることもなかった。

おまけに学校での素行は悪く高校は2年生の冬に辞めた。

両親は共にヤンキー上がりで、私が問題を起こすたびに「若さ大事からそんなに気にしないの。子供の行いは親が責任取るものから」なんて言って励ましてくれていたが、流石に退学処分を食らったときは泣いていた。

そんなこんなで学もなく、真面目さの一つもない私が持っていたものは両親から譲り受けた"可愛さ"だけだった。

高校を辞めた私はバイトを始めた。

未成年だったので朝9時から夕方の6時まで、有名雑貨店バイト仲間と駄弁りながら時間を浪費していた。

家に帰れば大好きな両親と兄弟がいた。

休日地元の不良仲間とカラオケプリクラ、安い古着屋で服を漁る。

今思えば私の暮らしは何の不満もなかったはずだ。

ある日、ふとテレビで見た原宿に強い憧憬を抱いた。

私の地元はお世辞にも発達しているとは言えない、辺鄙な所でした。

そんな土地で十数年暮らしていた不良少女が華やかな東京の街を見てしまった。憧れないわけがない。

車の免許費用として貯めていた40万円の貯金を元に突発的に上京した。

ここから私の生活は一変、彩度が低い田舎からカラフルキラキラ輝いている街を闊歩するように。

当時の私にとって全ての体験が新鮮で刺激的でした。

とりあえず東京暮らしをするためにガールズバーで働き始めた。業務内容も、時給ひとつとっても全て田舎の比ではないくらい良いものだったし。

毎月20〜30万ほどの収入があって、こんなにお金が貰えるなんて...と感動した。

人とは愚かなもので一度甘い蜜を味わってしまうとさらに上を求めてしまうんですね。

家はもっと立地がいいところ、服や鞄はブランド物じゃないと嫌、一流のデパコスで顔を彩りたい。

とにかく貪欲になっていく。

当初は満足していたバイトですら物足りなくなって風俗嬢になった。

ここで私は可愛く生まれたことを激しく両親に感謝した。整形しなくとも指名は入り、バンバン固定客を掴んでいった。

月収はゆうに100万を超えていたと思う。ただ、それ以上に出費がとにかく多かった。

新宿家賃20万くらいのマンションに住み毎週のように百貨店ブランド品を買う。貯金なんてしなくても稼いでるからいいでしょ?と自分に言い聞かせ。

そんな生活をしていたらまあ、誰でも破綻するだろう。

働けど働けど一向に貯金は増えなくて、いよいよ生活費を賄うことすら厳しくなってきた。

つくづく私は運の良い人間だ。

いつもの様に出勤し、太客から指名が入り開口一番「君のことを本当に愛してる。僕に養わせて欲しい」

なんて言われた。

その瞬間私が思ったことは、やはり可愛く生まれて良かった と、傲慢過ぎる感覚だった。

金以外何も見えていなかった。

こうして私は水揚げされ、彼と暮らすことにした。

早速住んでいたマンションから退去し、都内有数の超高級住宅の部屋を与えられた。

凄い。これが本当の金持ちなんだ。私の暮らし虚構だった。

詳細は伏せるが有名人御用達の高級マンション家賃は3桁万円。これだけでなく毎月うん百万のお小遣い、それだけで軽自動車が買えてしまう服に鞄に家具

夢にまで見た暮らしがあっさり手に入ってしまった。

こうして私のパパ活が始まった。

初日から1ヶ月目くらいまでは興奮のあまり寝ることすらままならなかった。

自分の通帳を何度も開き、これは嘘でも夢でもないんだと都度幸福に浸る。

エルメスセリーヌバレンシアガディオールルブタンジバンシーフェンディヴィトンバーバリー。まあなんとも成金臭の強い物ばかりだが部屋の中で買い込んだブランド品で自分を着飾っては恍惚した。

田舎1000円以下の古着を漁っていた頃の自分はもういない。今の自分は、一枚10万もするシャツを惜しみなく買える。それも際限なく。

もう私の頭の中はとにかくお金でいっぱいだった。

専属運転手毎日ブランド品を取り扱う店に走らせた。使わなければ溢れてしまうほどのお金があるのだから

半年ほどこの様な生活をしてみたが遂に、またしても「飽き」に到達した。

欲しいものはもう買い尽くした。新商品が出たら別に欲しくなくても、惰性で買っていた。

上京して2年。私を取り巻く環境はあまりにも変わりすぎた。

しか生活水準は地元にいた頃とは比較にもならないぐらい上がった。

それでも、何かが足りない。

それから私は思考を巡らせました。

あぁ私に足りないのは無償の愛だ。という答えに辿り着いた頃にはもう遅くて彼から受ける一方的暴力的とも言える施し。私は1秒も彼を愛していなかった。

只々与えられ続けブクブクと肥えた心を得ただけでした。

そういえば上京してから家族と連絡をあんまりとっていなかった。

みんな何をしてるんだろう、と思い友人数名と母親のインスタを覗いた。

...。

結論から言いますと、あまりにも私の家族や友人と私自生活の差に号泣してしまいました。

仲が良かった友人らは相変わらず某ショッピングモールで屯し、安いフードコートスイーツを食べ、プリクラを撮って、カラオケに行っている。

母親100円ショップで可愛い小物を探すのが楽しみです♪なんて投稿をしていた。服なんてもう何年も新しいものを買っていないだろう。私の母は美人だ。美人だが、金はない。ルックスと身につけている物の落差で余計にみすぼらしく見えてしまう。

妹もとびきり美人だ。勉学に勤しみ、運動神経もずば抜けている。なのに、私のお下がりを着続けてボロボロになったランニングシューズ大事に使っている。

ショックだった。

私は、最悪だ。

金に塗れ、周りの事など見ていなかった。

思えば収入が増えた時点で実家仕送りをすれば良かったのにそれをせず自分お金を使い続けた。

なぜあんなに大好きだった家族に何もできなかったんだ。

本当なら、母にはいつまでも綺麗でいてほしいし妹にはもっと自分の可愛さに気づいてほしい。これは押し付けかもしれないけど、私はそう思う。

お金は一番の麻薬。与えられれば与えられただけ、求める量も増えていく。

現に私はまだパパ活を続けている。

今の生活を手放すのが怖い。

ただ変わった点はいつ見限られてもいいよう貯金は常に2千万を切らないようにし、家には毎月20万の仕送りをしている。

本当なら100万でも200万でも送ってあげたいけど、私がどのようにして稼いでいるかを知ったら、ひどく悲しませてしまう。

20代前半にしてこんな暮らしを覚えた私の行く先は、どうなってしまうのだろう。

この身体が私の商売道具だ。身体さえあれば稼げるが、逆に言えばそれ以外何もない。

もう一般的幸せは手にできないと諦観しています

私の幸せが飽和してしまった分、家族や友人らに幸せを与えることが、今後私の役目だろうか。

お金以外で感情表現することができなくなった私は、毎月お金実家に送り、使わなくなったブランド品も定期的に送っています

愛情ゆえの行為ですが、正しくはないんだろうな。

正しい愛を誰か私に、再教育して下さい。

パパ活生活が豊かになって、胸が痛くなっている。

こんにちははじめまして

私は所謂パパ活」と呼ばれる援助交際によって生計を立てている者です。

私の育ちは豊かとは言えないがそこそこ幸せだったように思う。

お金はそんなにない家庭だった。

まあでも、無くても無いなりの幸せってのはあるもので親元を離れるまでは地元で楽しく暮らしていました。

勉強はそこそこだったが突出して良いという訳ではなく、スポーツや一芸に秀でていることもなかった。

おまけに学校での素行は悪く高校は2年生の冬に辞めた。

両親は共にヤンキー上がりで、私が問題を起こすたびに「若さ大事からそんなに気にしないの。子供の行いは親が責任取るものから」なんて言って励ましてくれていたが、流石に退学処分を食らったときは泣いていた。

そんなこんなで学もなく、真面目さの一つもない私が持っていたものは両親から譲り受けた"可愛さ"だけだった。

高校を辞めた私はバイトを始めた。

未成年だったので朝9時から夕方の6時まで、有名雑貨店バイト仲間と駄弁りながら時間を浪費していた。

家に帰れば大好きな両親と兄弟がいた。

休日地元の不良仲間とカラオケプリクラ、安い古着屋で服を漁る。

今思えば私の暮らしは何の不満もなかったはずだ。

ある日、ふとテレビで見た原宿に強い憧憬を抱いた。

私の地元はお世辞にも発達しているとは言えない、辺鄙な所でした。

そんな土地で十数年暮らしていた不良少女が華やかな東京の街を見てしまった。憧れないわけがない。

車の免許費用として貯めていた40万円の貯金を元に突発的に上京した。

ここから私の生活は一変、彩度が低い田舎からカラフルキラキラ輝いている街を闊歩するように。

当時の私にとって全ての体験が新鮮で刺激的でした。

とりあえず東京暮らしをするためにガールズバーで働き始めた。業務内容も、時給ひとつとっても全て田舎の比ではないくらい良いものだったし。

毎月20〜30万ほどの収入があって、こんなにお金が貰えるなんて...と感動した。

人とは愚かなもので一度甘い蜜を味わってしまうとさらに上を求めてしまうんですね。

家はもっと立地がいいところ、服や鞄はブランド物じゃないと嫌、一流のデパコスで顔を彩りたい。

とにかく貪欲になっていく。

当初は満足していたバイトですら物足りなくなって風俗嬢になった。

ここで私は可愛く生まれたことを激しく両親に感謝した。整形しなくとも指名は入り、バンバン固定客を掴んでいった。

月収はゆうに100万を超えていたと思う。ただ、それ以上に出費がとにかく多かった。

新宿家賃20万くらいのマンションに住み毎週のように百貨店ブランド品を買う。貯金なんてしなくても稼いでるからいいでしょ?と自分に言い聞かせ。

そんな生活をしていたらまあ、誰でも破綻するだろう。

働けど働けど一向に貯金は増えなくて、いよいよ生活費を賄うことすら厳しくなってきた。

つくづく私は運の良い人間だ。

いつもの様に出勤し、太客から指名が入り開口一番「君のことを本当に愛してる。僕に養わせて欲しい」

なんて言われた。

その瞬間私が思ったことは、やはり可愛く生まれて良かった と、傲慢過ぎる感覚だった。

金以外何も見えていなかった。

こうして私は水揚げされ、彼と暮らすことにした。

早速住んでいたマンションから退去し、都内有数の超高級住宅の部屋を与えられた。

凄い。これが本当の金持ちなんだ。私の暮らし虚構だった。

詳細は伏せるが有名人御用達の高級マンション家賃は3桁万円。これだけでなく毎月うん百万のお小遣い、それだけで軽自動車が買えてしまう服に鞄に家具

夢にまで見た暮らしがあっさり手に入ってしまった。

こうして私のパパ活が始まった。

初日から1ヶ月目くらいまでは興奮のあまり寝ることすらままならなかった。

自分の通帳を何度も開き、これは嘘でも夢でもないんだと都度幸福に浸る。

エルメスセリーヌバレンシアガディオールルブタンジバンシーフェンディヴィトンバーバリー。まあなんとも成金臭の強い物ばかりだが部屋の中で買い込んだブランド品で自分を着飾っては恍惚した。

田舎1000円以下の古着を漁っていた頃の自分はもういない。今の自分は、一枚10万もするシャツを惜しみなく買える。それも際限なく。

もう私の頭の中はとにかくお金でいっぱいだった。

専属運転手毎日ブランド品を取り扱う店に走らせた。使わなければ溢れてしまうほどのお金があるのだから

半年ほどこの様な生活をしてみたが遂に、またしても「飽き」に到達した。

欲しいものはもう買い尽くした。新商品が出たら別に欲しくなくても、惰性で買っていた。

上京して2年。私を取り巻く環境はあまりにも変わりすぎた。

しか生活水準は地元にいた頃とは比較にもならないぐらい上がった。

それでも、何かが足りない。

それから私は思考を巡らせました。

あぁ私に足りないのは無償の愛だ。という答えに辿り着いた頃にはもう遅くて彼から受ける一方的暴力的とも言える施し。私は1秒も彼を愛していなかった。

只々与えられ続けブクブクと肥えた心を得ただけでした。

そういえば上京してから家族と連絡をあんまりとっていなかった。

みんな何をしてるんだろう、と思い友人数名と母親のインスタを覗いた。

...。

結論から言いますと、あまりにも私の家族や友人と私自生活の差に号泣してしまいました。

仲が良かった友人らは相変わらず某ショッピングモールで屯し、安いフードコートスイーツを食べ、プリクラを撮って、カラオケに行っている。

母親100円ショップで可愛い小物を探すのが楽しみです♪なんて投稿をしていた。服なんてもう何年も新しいものを買っていないだろう。私の母は美人だ。美人だが、金はない。ルックスと身につけている物の落差で余計にみすぼらしく見えてしまう。

妹もとびきり美人だ。勉学に勤しみ、運動神経もずば抜けている。なのに、私のお下がりを着続けてボロボロになったランニングシューズ大事に使っている。

ショックだった。

私は、最悪だ。

金に塗れ、周りの事など見ていなかった。

思えば収入が増えた時点で実家仕送りをすれば良かったのにそれをせず自分お金を使い続けた。

なぜあんなに大好きだった家族に何もできなかったんだ。

本当なら、母にはいつまでも綺麗でいてほしいし妹にはもっと自分の可愛さに気づいてほしい。これは押し付けかもしれないけど、私はそう思う。

お金は一番の麻薬。与えられれば与えられただけ、求める量も増えていく。

現に私はまだパパ活を続けている。

今の生活を手放すのが怖い。

ただ変わった点はいつ見限られてもいいよう貯金は常に2千万を切らないようにし、家には毎月20万の仕送りをしている。

本当なら100万でも200万でも送ってあげたいけど、私がどのようにして稼いでいるかを知ったら、ひどく悲しませてしまう。

20代前半にしてこんな暮らしを覚えた私の行く先は、どうなってしまうのだろう。

この身体が私の商売道具だ。身体さえあれば稼げるが、逆に言えばそれ以外何もない。

もう一般的幸せは手にできないと諦観しています

私の幸せが飽和してしまった分、家族や友人らに幸せを与えることが、今後私の役目だろうか。

お金以外で感情表現することができなくなった私は、毎月お金実家に送り、使わなくなったブランド品も定期的に送っています

愛情ゆえの行為ですが、正しくはないんだろうな。

正しい愛を誰か私に、再教育して下さい。

2020-04-13

anond:20200413131139

ホテルとか病院なんて全然たりない

辺鄙場所テントを張って野戦病院化して隔離する以外ない

火葬場も併設して

一瞬で恐怖国家の出来上がり

2020-04-07

anond:20200407080548

辺鄙土地が余ってる場所太陽光発電所を作ったとしてだ

増田は朝から晩まで、鳥のウンコで汚れたパネルをモップで掃除する仕事をやりたいですか

発電量が多すぎると班長命令されてパネルの上にブルーシートを置いたり

台風が来るからと言われてパネル撤去してトラックに積み倉庫収納する仕事で一生を終えたいですか

2020-04-05

アベマスク国民にもれなく2枚配る金があれば軽症患者隔離できる

辺鄙施設をまるまる借り切れる

2020-03-05

anond:20200305154459

まあ、あん辺鄙な屋外にいるとコロナよりも風邪インフルあたりを心配することになるから

閑散とした屋内で手洗いうがいのできるとこがよさそうだ

2020-03-02

俺は家に置き去りだったなー

妹がいたから一人ではなかったし

辺鄙田舎治安心配宅地ほどないということもあったろうが

今ならネグレクトだーって言われるところ

2020-02-18

一目惚れした人に会った場所へ5年ぶりに行った

タイトル通り

かなり辺鄙場所時間お金がない限りなかなかいけない場所

5年の歳月を得てようやく再訪することができた

それが何の意味も表していないってのは分かる

だけどいいリフレッシュだった

あの場所にいる時だけは永遠の18歳でいられる気がした

って年齢がバレるな

anond:20200218090443

ガイジとエンカウントするのがみんな嫌だからこそ、ああやって辺鄙なとこに施設造ってぶち込んでるわけでな

命には等しく価値があるから許されないとか言ったところで何もかも茶番しかない

2020-02-13

anond:20200207185501

 今更だけれど思ったこと書くね。

 エンタメに飽きたら、世界史勉強をするのがいいんじゃないかな。

 この元増田の言っていることの全部が正しいとは思わないんだけれど(たとえば「海外ドラマはお子様向けを卒業した十二歳向け」みたいな表現ね)、娯楽をある程度摂取するとパターンが見えてきちゃうのは本当だと思うし、たくさんの作品を鑑賞していると、脚本術について詳しくなくても、「この場面で伏線を張っているな」とか、「今このキャラクター物語をたたみに向かってるな」とか、何とはなしに見えてきちゃうよね。

 それに、月9ドラマなんかだと作業しながらでもそれなりに理解できるようにストーリーを作っているので、まどろっこしく感じちゃうのもよくわかる。自分全然見ない。映画なんかも、友達と付き合いで行く以外は、こじらせ芸術映画をたまに見る程度。なんでかっていうと、アート映画脚本術に従っていない、従っていたとしてもあからさまじゃなくて、どういうストーリーになるかほとんど予測がつかない。そこが楽しいから

 で、この増田勉強することにしたみたいだけれど、なんだかんだ言って、教養を得ることに向かうってのは、いい考えなんじゃないかな。

 自分なんかは、世界史をざっくりと勉強してみると楽しかった。ちょっと古い本だけれど、中央公論社から出ている「世界歴史シリーズ全三十巻を、数年前に読んでみた。正確には、学生時代に流し読みをしたものの再読だ。

 世界史を知っておくメリットはいくつかある。ニュースを流し読みしても大体のことが頭に入ることだ。でも、それとは別にそもそもすごく楽しいってのがある。いろんなファンタジーとかゲームとかの元ネタを見つけるとわくわくするし、遠い国の人たちの暮らしを知って空想するだけでも、毎朝の通勤時間が豊かになる。

 それと、このシリーズは、歴史地域ごとに分かれて書かれているので、ある出来事複数の巻で重複して触れられることがある。たとえば、モンゴルによるバグダッド破壊なんかはイスラームの勃興期と遊牧民を扱った巻にそれぞれ出てくるし、トルキスタンで起こったムスリムの反乱は、近代イスラームの巻と清朝末期を扱った巻の両方に出てくる。

 それの何が面白いかっていうと、同じ出来事見方によって評価全然違うってこと。当たり前なんだけれど、ある国では救国の英雄だけれど、別の国では冷酷な侵略者になっていることなんてざらだし、時代が変化することで評価が逆転したり、忘れられていた人に急に光が当たったりする。チンギス・カンモンゴルではヒーローだけれどほかの国では災厄以外の何物でもないし、バッハフェルメールといった人物も、忘れられていた時代があった。この世界史シリーズも著者によってバイアスがかかっていて、そこがかえって読みごたえがあるんだけれど、モンゴル担当した人が個性が強くて、「遊牧民文化は定住民のせいで低く評価されすぎ!」みたいな本を出していて、おかげでモンゴル残酷行為が若干省かれちゃっているのが難点。

 これってまさに芥川龍之介の「藪の中」みたいな感じで、互いの証言矛盾しているから頭を使わないといけなくて、下手な娯楽よりもずっと面白い。いや、自分現在起こっている日本中国韓国との証言の食い違いは、あまりいい気持がしないんだけれど、それがたとえば何百年も昔のことだと、それがとてもロマンチックに感じられる。聖地奪還の情熱燃えていた十字軍も、アラブから見れば「なんか辺鄙なところから蛮族が来たぞ」みたいな印象しかない、みたいな話だ。

 話がそれてしまったけれど、自分が言いたかったのは、頭の中に複数物語を併存させておくことで、自然物事に対して客観的になれるメリットがある、ってこと。しょっちゅう増田表現の自由だとかセクハラだとかいろいろと炎上したりしているけれど、ある人の意見絶対視しなくて済むようになる。Aという視点ではこうだけれど、Bという観点からだとこういう意見が当然出てくるだろうな、ってのが読めてくる。読めてくると、「この人ならこういう反応をするだろうな、この専門家ならこういう発言をするに違いない」ってのがわかってきて、こっちも必要以上に感情的にならなくて済む。元増田は「悪化する大衆メンタリティ」という表現で、そういう荒れがちな場をちょっと下に見ている感じもないではないけれど、議論にすらなっていない議論から距離を取ることができるようになると、余計なストレスを感じなくて済むのは確かだ。

 それに、複数見方ができるようになると、例えばムスリムから世界史を見たらどう見えるだろう? 女性史の観点からならどうだろう? って、多くの人に受けいれられている歴史見方を疑ってかかれるようになるので、やっぱり楽しい

 他にもいろいろメリットがあって、基礎的な知識があると、ほかのことを勉強していてもすごく楽しい古典文学を読んでいてもすごく面白いし、百年前のあの憧れの人と同じ本を手に取っているって興奮できる。文豪たちと同じ詩を読んで感動するのはいものだ。科学医学歴史についてざっくりとでもいいので学ぶと、自分生活は先人のものすごい技術的蓄積の上に成り立ってるんだなって思うし、自然科学の基礎的な素養があると、ぽっと出のインチキ治療法には引っかからなくなる。哲学史について軽く触れるだけでも、学生時代にしたような哲学的思索は、ギリシアインドが二千年前にとっくに通過した場所だってわかってはっとする。女性地位がどう変化したかをたどってみると、「女性は『常に』被害者だった」みたいな極端な意見には大きな疑問符をつけることができる。

 それと、こうやって三十巻ざっと読んで思ったのは、自分歴史観はバイアスがかかっていたんだなってこと。たとえば、ギリシアローマ歴史は一巻にまとまっていて短すぎるって思ったし、中国歴史ももう少し細かいところに触れてほしいって思ったけれど、たとえばムハンマド時代からアッバース朝滅亡までが一巻ってのはちょうどいいって感じられて、これってつまり自分イスラームのことをまだまだ知らないってことだよね、って思えたりして、バランスが悪いなあって。自分の考えは、ちょっと偏っているかもしれないって、疑えるようになるってのもまた、勉強する楽しさの一つだ。

 あと、いろんな知識が増えると、いろんな人が自分よりも前に書かれた本について言及しているのをたくさん見つけることになるんだけれど、この世界がまるで巨大なシェアードワールドみたいな感じがして面白い自分古典を読むのが好きな一番の理由がそれかもしれない。さっき述べた、互いに矛盾するような証言でさえ、この世界がどれほど「作りこまれいるか」、いいかえると複雑なのかを教えてくれているみたいで、興奮する。

 自分通勤時間と昼休みしか読書をしないエンジョイ勢だけれど、こういう勉強ってのは一生やっても飽きない気がしている。娯楽を馬鹿にするわけじゃない。でも、「娯楽の場がぎすぎすして嫌だな」ってときには、ほかに楽しいと思える遊び場を持っておくのは、いいことなんじゃないかな。

お礼は義務か?

車をだしてもらったときにするお礼が義務のように感じてしまっている。

友達と遊ぶとなったとき、大体はみんな電車で来て集まるんだけど、たまにちょっと辺鄙なところにあるカフェかに行こうとなったとき友達や先輩が車をだしてくれる。

私はペーパードライバーだし運転できる車が手元にないので、せめてもと助手席でナビ役をすることが多い。

車を走らせることもタダではないし、運転が苦ではないと言う人でも、隣に人がいるということに無意識に気をつかってくれているところもあると思う。

から、心ばかりではあるけれどガソリン代を出したりとか、断られたときは心をこめてお礼を言ったりとかジュースお菓子を奢ることもある。これは私のエゴではあるけれど、やっぱり助手席に座っているだけの私よりは色んなことに気をつかってくれているし、車もだしてくれているから何かしらのお礼はしたくて私からいつも言い出していることだ。

でも最近、ある一人がそのお礼を当たり前のようにしてくる人がいる。

はじめは「そんなの悪いしいいよ」って断られていたのを、私が「それもなんだかな」と思ってジュースを奢っていた。その子も「ジュースなら嬉しい」と言ってくれていたから、選択も間違ってなかったなと思っていた。

車をだしてくれたときは私からコンビニに寄らない?」と誘ってそこでジュースを奢る、という流れだったんだけど、今は向こうから何かと理由をつけて「コンビニ行こうよ」って誘ってくるようになった。私の奢るジュース目当てで。

車をだしてくれているから断る理由はなくて今でも奢ってはいるけど、これって向こうから言ってくるともうそれはお礼ではなくないか

最近はそれが面倒くさくて遊ぶとなっても電車でいける距離にしているんだけど、なんだか私のお礼って本当にエゴしかなくて都合がいいように使われていたんだなと思って悲しくなってしまった。

そもそも私の対応って間違っていた?

みんなは人に車をだしてもらったときは、お礼してるの?

なにしたら正解だったの。

2020-02-04

明日あたり無職になるかどうかが決まる

今週中に連絡が来なかったら雇用打ち切り無職

連絡きたら更新

更新ですよーって言われても異動先が通勤難しい凄く辺鄙などころだったら断る

更新のための試験の結果がビリだったので無職可能性はかなりある

正直ワクワクする

パワハラ野郎ほど引き留めるっていうのがホットエントリに入ってるけどまさに今年度はずーっとその状態パワハラを受けて泣いてたら加害者から一番熱心に慰められて

ほとぼりが冷めたらまたパワハラされての繰り返しで頭がおかしくなりそうで

人事の方から「いらない」と言われる形なら上司も何も文句は言えないだろう

引き留めたって人事の決定だから上司は何言っても無駄だし

あ~~~~~~文句言われず無職になれるかも!!連絡来なくていいぞ!!そしたら送別会にも出ず辞めてやるんだ!!楽しみだなあ!!!

anond:20200204210239

辺鄙場所に住む権利侵害される国になりそうだ

現状の水道ですら税金でたった数件の家のためにパイプを引くのが悪いみたいな言い方をする人がいる

2020-01-17

バイト日記

常連さんの中に、

「お願いします!」

一言で全ての注文を済ませる人がいる。私は、変な奴だなぁ、と思いながらも、いつものやつを用意してレジを打つ。

取扱のタバコの種類が増えすぎて、数種類がタバコからあぶれてしまい、別に売れない種類でもないのに辺鄙な所に、番号札も付けられずに並べられている。売れない種類でもないからこそ、辺鄙な所に置かれていると言ってもいい。

ただ、バイト私共お客様もそのタバコ正式名を中々覚えないので、

「あの棚の左の棚の、右側から三番目の、灰色の、6ミリの……」

という、純文学みのある(あるいは魔方陣グルグルっぽいと言ってもよい)曖昧な指示をされ、

「これですか?」

「そう、それっす」

みたいな受け答えをしてタバコを出す訳で、それを三回ほどやったら、タバコ銘柄を覚えないわりに、私共お客様の顔とタバコパッケージの色とミリ数と辺鄙定位置をセットで覚えるのであり、お客様の方も、私共の中で「話が通じる」者の顔を覚えるわけだ。

そしてまた、

「お願いします!」

で、全ての注文を完了するお客様が、爆誕してしまうのである

2020-01-13

辺鄙場所にある飲食店レイプが起きないのはなんでだろう

周囲は人通りどころか車すら走ってなくて

じゃあたまに家族ずれが来たとして皆殺しにしてレイプしてもばれないのでは

2019-12-18

これはやりがい搾取なのか

愚痴らせて欲しい。

私はオタクだ。

日々推しCP小説を細々と書き、時折イベントに出て細々と本を頒布しているどこにでもいるオタクだ。

文字書きということでお察しの通り、オフ本の表紙やお品書きやポスターは全てPhotoshop自分デザインして作っている。単純に素材をあれやこれやと配置して、写真を加工したりフリーフォントを使ったり、これまたどこにでもいるオフ本の作品だ。

私には、リアルでAちゃんという友達がいる。

彼女オタクとは全く無関係世界にいて、なんならここ数年ハンドメイドアクセサリーを作ってminneやメルカリ販売したり、フリーマーケット?的な、なんたらマルシェなどのイベントに出て販売している。同じようなことをしているが、私とは天と地、陰と陽の趣味だ。

Aちゃんは私がオタクということは知っていても、まさか現実存在しない二次元少年たちの妄想号泣しながら小説を書き、それを本にして東京で売っていることなど知る由もない。それでも私たちは仲が良い。親友だ。

ある時、Aちゃん地元ハンドメイドマルシェなるもの主催することになった。彼女学生の頃からそういった企画が大得意だった。張り切ってAちゃんは準備をしていて、そして気付いた。

フライヤーがクソダサかった。

びっくりした。

インスタのストーリーズで見たアクセサリー写真ゴシック体を重ねた読みにくいものまさか配るために作られたものとは思わなかった。しかもAちゃんはそれを印刷所に入稿すると言っていた。え、待ってAちゃん、それ何枚刷るの?え、それインスタのストーリーズで作ったんだよね?そのまま入稿するの?解像度は?Aちゃん

私はそのまま、自分が作ると言ってしまった。

このマルシェは、Aちゃんの夢の始まりだった。

彼女は将来、雑貨屋を開くことを夢見ている。地元におしゃれなハンドメイド雑貨店を作り、沢山マルシェを開いて辺鄙田舎におしゃれなママさんを増やすことが夢だった。

そんな夢の始まりフライヤーゴシック体で描かれていい筈が無い。

私に出来ることと言っても手持ちの素材集から切り貼りして少し文章を整える程度だが、それでもある程度はマシなものが出来た。私が何故そんなスキルがあるのかとAちゃんは聞いてきたが、こういう仕事に興味があって、とだけ伝えた。

そして出来たものは、マルシェ会場になる施設写真(使用許可済)(ド曇りの天気を晴天に変えて緑色を明るくしてピクニック感を出した)に、マルシェ名のロゴを入れたシンプルものだった。

裏面には出店者情報も載せて、いざ入稿……と思ったが。

入稿すると言っていた日の夕方、Aちゃんから急に連絡がきた。

『出店者さんの一人が、内容修正して欲しいって連絡が来た』

私は入稿日の三日前にはデータを渡していた。その時点で一度確認して貰った筈なのに、何故入稿日に言うのか。

だが、修正くらいなら秒で出来るのでとりあえずすぐに直して再データを送った。入稿締め切りは23時だと言っていたが、その時点で18時。余裕だと思った。

しかし、待てど暮らせど入稿したという連絡が来ない。

Aちゃんにどうなったのか確認すると

『返事がない』

この時点で22時前だった。

小さいお子さんがいる人だから寝てしまたかも。

でもAちゃん、私がデータ送ったの18時じゃなかった?

最悪明日入稿でも良いし。

Aちゃん、私はね、締め切りを守るために予定をキャンセルした日があったよ。

予定では一ヶ月後だったのに、君が突然週明けには入稿したいって言い出したから、慌てて作ったよ。

それから二日後に、入稿したという連絡が来た。

Aちゃんからはお礼に、ハンドメイドアクセサリーを一つ貰った。

そして、そのイベント大成功したAちゃんはまた私にフライヤーを作って欲しいとお願いしてきた。

前回のフライヤーが大好評だったから是非またお願いと言われた。前回は初めてということもあり、私もなぁなぁにしていた部分があったから締め切りのことはかなりしっかり決めた。

今度のイベントクリスマスの夜をテーマにしたいけど、同じ施設でやるから同じようなデザインでやって欲しいと言われた。

前回は秋のピクニックイメージしたので、ならば今回は青っぽい色味でロゴも少し変えようと思って、簡単に作ったデータを送った。

返ってきたのは、前回と同じようにしてという言葉だった。

写真は同じものを使った。色味を変えてクリスマスの夜っぽくしたがダメなのか。

前回のフライヤーが好きだから前回のやつが良い。

でも前回のは明るすぎてクリスマスの夜感は0だよ。

それでも前回のやつが可愛かったからそっちが良

い。

そうだ、この子センスが無いんだった。

とりあえず、他の人に聞いてみてと返事をした翌日に、やっぱり青い方でお願いと返ってきた。そりゃそうだ。

私はこの辺りから少しAちゃんフライヤーを作ることに嫌気が差していた。

この後も三回ほど作ったが、ネットで見た『デザイナーあるある』が本当にあるあるだったと頷いてしまうようなことが山ほど起こってちょっと笑った。

はいよいよ決心してLINEを送った。

仕事が忙しくなるから、次のフライヤー最後にしたい』

これがついこの間のことだ。

私がAちゃんフライヤーを作って一年、作ったデザインは五つ。その全てが打ち合わせ通りに進んだことは無かった(割愛します)

次のフライヤーは、最初マルシェをした施設とまた同じものだ。だが、今回は別のイベントも同時開催でもっと大きなものになるというのは前から聞いていた。

そして一昨日、連絡が来た。

縁のある方にDMを送るから、今週末までにデータが欲しい。

まだ一度も打ち合わせをしていない。

イベント3月で、成人式あたりにフライヤーを配布したいという話だったからだ。

そして今日、また連絡がきた。

私が作ったフライヤーが、新聞の折り込み広告になる。

入れて欲しい文章が増えた。

サイズも変えて欲しい。

何もかも変わっても、締め切りは変わらない。

誤解なきように言うと、私はAちゃんのことは今でも大好きで親友だと思っている。今回の件で距離を置こうなどとは微塵も思っていない。

これが、一般人の認識なんだと勉強になった。

今の時代スマホがあればフライヤーデザインを作ることなんて簡単だ。スマホ写真を撮って、アプリ切り貼りして文字を入れれば完成する。

誰にでも出来るそれを、自らやりたいと申し出た私はきっと『それをやることが好きな人なんだ』。

見易さやターゲット層の視点なんて関係ない、パパパッと作れるものだ。

だって自分からやりたいと言ったのだから

最初に言った通り、私はオタクだ。

アンソロジー個人主催プチオンリーに参加した経験がある。

オタク殆どは、書き手に対して物凄い敬意を示す。それは自分もまた同じように苦戦した戦士からだ。絵描きが字書きを、字書きがグッズサークルを、グッズサークルデザイナー否定するなんてことは、私がいるジャンルではあり得ない。

だが、一般人の認識はそうではない。

自分は作れない。でも、あの人は作れる。じゃあお願いしよう。きっと作ることが上手なんだから、パパッと簡単にやってくれるわと、その程度だ。

今回、はてなダイアリーに書こうと思ったのは、職場でこの話をしたところ『でも貴方は好きでやったんでしょう?』と全会一致の意見を貰ったからだ。なんなら、これだけ愚痴って『ウチの年賀状もお願い(笑)』と言われて、この世界ダメだと絶望した。Twitter日常愚痴はあまり言いたくないため、ここに吐き出させてもらった。

もしもいつか、貴方仕事ではないプライベートの場面で似たような経験をすることになった場合、その時は辞めた方が良い。

私は『これ以上続けたらAちゃんとの友情ダメになる』と思ったから自ら辞めると言った。

やりたい、という気持ちを踏みにじられてしまう前に。

2019-12-17

anond:20191217163032

自炊スペースのある図書館いいなあ

島根鳥取みたいな辺鄙場所にそんな図書館タケノコみたいに作ればホームレス貧困層日本からなくせるのに

2019-12-12

僕は朝青龍sexしたことがある

タイトルはもちろん嘘である。でもその女子朝青龍そっくりだったことは間違いのない事実だ。ある出会い系アプリで会った。

メッセージのやり取りだけだったが、僕はsexたかっただけなので、はっきり最初からsexしたいとその相手に伝えた。

そしたら、私もヤリモクでしかいか別にいいけど、私は朝青龍似だけどいいか?と伝えてきた。

そりゃま、何秒間かは迷ったが、あまりそっくりだというのでどうしても見たくなり、会うことを約束した。

車で約二時間結構遠かったが、そこはちょっと田舎的な辺鄙駅前で夜に待ち合わせ。

車で待っていると約束時間数分前に、助手席側の窓がノックされた。

マジで朝青龍そっくりだった。

あれほど似た人間をあの子以外で見たことはないレベル

もちろん百キロはいかないけど、見た目かなりデブ

ところが・・・これがどう言えばわかってもらえるのか、本人を見てもらう以外に方法はないと思うのだが、可愛いのだ。

え?と思うかもしれないが、朝青龍そっくりデブなのに可愛いだなんてあり得そうになさそうで、現実にはあったのだ。

体験を聞くと、そこそこ豊富らしく、出会い系sexだけというのは僕が初めてらしかったけど、付き合った人数は十人を超えていた。彼女当時自称25才。

実際にやったsex感想は、まぁ普通

彼女に対する拒否反応は最初だけは確かにあったものの、気にしなけりゃいいと開き直り、やってみたら意外と普通にできてしまったって感じ。

ていうか、可愛いと思った嘘みたいな感覚はまるで失われなかったのである

で、彼女男性体験実績告白はおそらく本当で、むしろモテる方なのかもしれないと思ったりもした。

しかし誰がどうみたって、あの子朝青龍そっくりである

付け加えるほどのことではないが、僕は決していわゆるデブ専でもない。

の子とはそれっきりだけど、男が女に対して客観的な可愛さを求めるというのは、射程範囲不用意にただ狭めているだけであり、実際のところ損しているのではないかと思ってる。

容姿なんか実際のところ、選択条件の一つでしかないし、それを絶対条件にするのはむしろ意味がないのではないのかと思ったり。

それで、その朝青龍似の女の子とのsexきっかけに、僕はそんなに外見などに拘る事はなくなった。

外見なんかより、その人といて楽しいかとか、幸せを感じるかとか、息が合うかとかの方が遥かに重要だ。

当たり前のことだと思うけど。

2019-12-05

エンジニア職に就いたあと辞めたポエム

補足→ https://anond.hatelabo.jp/20191205212350


これは退職アドベントカレンダー2019 (https://adventar.org/calendars/4051) 5日目の記事です。最初自分ブログに書くつもりでしたが、書いてるうちにどこまで筆が滑っているのかわからなくなったので増田に投げることしました。そしたら余計にタガが外れたのはご愛嬌

What's this

よく見かける「未経験からエンジニアへ!」ストーリーの、あまりなさそうなルートです。よくあるルートのほうはなぜかTwitterで報告して「○○系エンジニア」的な命名をしてから入社その後の動向が闇に葬られているのをかなりの確度で見かけますが、まあ、なんか、いろいろあるんでしょう。逆にそういう成功(?)体験生存バイアスを強化する情報ばかりあふれていると情報として健全でないように感じます

ということで、今年あった自分体験談を残すことにします。

といいつつ後日しれっと消えてたらInternetArchivesか魚拓で会いましょう。

この話はここから先はフィクションです。剣も魔法労基法も出てこないファンタジーです。

who are you

地方に潜むフリーターです。好きなvirtual beingsはロボ子さんと東雲めぐさんれいきらさんです。

これまでは自分のためのプログラムを書き散らすだけで、ITとは無関係バイトをしてきました。玉掛フォークリフトなら任せろーバリバリ

入社の経緯

会社にもぐりこんだいきさつはやや特殊なのでぼやかします。とあるきっかけで知り合った人から誘われました。リファラルです。なお、とあるきっかけはなにかと炎上しがちないわゆるプログラミングスクールなどではないことを防火剤がわりに書いておきます。そんなもんに使う金など無い。

その人のことはあんまりよく知らなかったのですが、CTOとして手伝っている会社システム部門で人手を探しているとのことでした。会社ホームページにはリクルートページなど無く、何をやっているかいまいち要領が掴めなかったのですが、ざっくりと自社製のWebアプリ開発をやる感じらしく、内容も聞いた限りでは(自分スキルと照らし合わせて)そんなにどえらいわけでもない印象でした。ちょうど金もないし無職だし、少し経験でも積んでみるかという気になったので、この際ホームページDreamWeaverサンプルを流用したまんまといった細かいところは観なかったことにしました。

面接にいくと社長から「いつからこれるの?」と言われたので「あっこれは」となりましたが、金がなかったので是非もなくそのまま入社の運びとなりました。この頃はプログラム書いて金もらえるなんてサイコーとか思ってました。ちなみにgithubatcoderアカウントを書いた職務経歴書は一顧だにされませんでした。

やったこ

地方製造業システム部門を切り出して別会社にした形態の、創立数年ほどの会社です。自分のほかにもうひとり、社内情シスのようなことをしている方がいましたが、基本的にはサポートが専門な感じでした(ただし肩書自分と同じでしたが)。紹介してくれたCTOは週に一度のMTGに顔を出すだけということで、実質的に常駐している人間プログラムが分かるのは業界経験自分だけというチャレンジングな環境からスタートしました。なお入社して社内の平均年齢を大幅に下げることになりました。

レスポンシブ化

ちょうど入ったタイミング情シスの方が抱えている仕事があり、とくにやることもなかったので手伝いました。グループ会社サイトスマホ対応させるもので、事情はわかりませんがそれまで他社に制作委託していたものを自社で運用することにしたとのことです。みてみるとWordPress4でPHP5が動き、Bootstrap3を使ったオリジナルカスタムテーマ運用してきた様でした。もちろん仕様書ローカル環境もあるはずがないのですが、どうせ自分Webデザインなど知らんのでとりあえず直にheader.phpにviewportを書いてmain.cssメディアクエリを設定して、ザ・web制作初歩みたいなレスポンシブ対応しましたが、デザインについて当事者との意見のすり合わせの機会なんかの開発手順はなかったので良しとしました。

新規Webサービス

入社して2周間ほどのち、社長についてこいと言われた打ち合わせの後日、MTGで「昨日のアレの進捗はどんな感じなの?」と聞かれたこから、いつのまにか新規案件自分に一任されていることに気づきました。仕様は前日の打ち合わせがすべてだった模様です。要件定義技術選定・検証のような工程など決まってないので好みで揃えました。趣味と関心からExpress+Mongo+Reactのセットか、触ったことのあるDjango/Railsでざっくりやるか、どうせならDockerも使い時か、こんなとき相談できる同僚やメンターが欲しいなぁなどと考えていたら、CTOがそれまで作っていたやつをみるとPHP+ES5+MySQLだったのでなんだかんだでそうすることになりました。PHPを初めて触り、「これがペラ1のphpjscssもなにもかも書いていくといういにしえのスタイルか…!」と新鮮な感じでやってました。

既存システムの移行

Windows Server 2012で動いていたサービスLinuxに移行しました。これは自分が入る前から情シスの方が任されていたのですが、マニュアルに沿ってコマンドを打ちこんではどこかで転け、エラーは読まずにあきらめてCentOSインストールからやり直すということを繰り返していたのを見るに見かねて手伝いました。SSHPowerShellからマニュアルコマンドコピペして実行する方法を教えてあげると目を丸くされました。shellファイルを書いてあげると魔法をみるのような顔で驚かれました。自分が入ってなければどうなっていたんだろうか...

自分ツール作成

毎日出退時間規定EXCELフォーマットに記帳する必要があり、これが非常にめんどくさく無駄に思えたので、自動記述するpython/Goスクリプトを書きました。これは入社して2日目とかだった気がします。しかしここを自動化しても「印刷して人事に提出し、それをもとに人事の方がまたEXCELに書き込む」と知り虚無になったりしました。

FE取得

これはやったことというか思うところあってプライベートで取り組んだことです。自分想像していた開発現場との乖離を感じたので、こういうのはFE勉強すればわかるのかもしれないと思って1ヶ月くらいやって取りましたが、得られた知識会社に活かせそうなものは何一つありませんでした。

チーム開発などという概念存在せず、「1案件を1人で上流から実装運用保守サポートまですべてやる」という進め方でびっくりしました。手持ちの技術スタックでできる範囲ギリギリなんとかやった感じです。よく転職サイト上で見かける文言で「お任せします」がありますが、これとかも要するに「丸投げ」の換言なんでしょうか。わたし気になります

とりくめなかったこ

自分のように途中からジョインした人に対しての業務移行のシステムがないことから感じていましたが、案の定「誰かが抜けたあとの引き継ぎの機能」も整備されてないことに気づきました。もともとオンボーディングや研修概念などありません。えらいひとは「そのへんは現場で協力してうまくやって」と丸投げし、すべての作業を自宅でやっているCTOは社内のこうした事情については放任で、いちおう情シスの方がいつのまにかメンター代わりになっていたものの、不明点を尋ねても頓珍漢な返答が多くもどかしかったです。どのサーバでどんなサービスが動いているのかやSSH情報を聞き出すのに苦労しました。こうした不幸と無駄時間をなくすためにドキュメントを整備しようとしたのですが、頓挫しました。これから物理フォルダーと社内サーバ散逸した各種の情報混沌を深めていくのでしょう。gitも無いし。

サーバオンプレでした。自分クレカをもっていないためパブリッククラウドを試す機会がなく、ぜひとも触ってみたかったのですが、承認を得るための説明がうまくいかず、結局VBoxでやることになりました。唯一、それまで使われていたVBoxではなくVagrantを導入したのは少しだけ救いでした。どうせ自分しかいじらないのですが。

余談ですがオンプレ面白かったのはHDD増設のために初めてデータセンターなるものに入ったことです。インフラ/ネットワークはまったく分からんしなかなか個人で試せない領域だし縁がないかなと思っていたのですがやはりそこに見える物理層が存在するというのはテンションがあがりますね(断層みたいに言うな)

イキってカイゼンジャーニー情熱プログラマーを買って読んだりもしました。目につくように共同図書のつもりで「ご自由にどうぞ」を添えて自分ロッカーに置いておいたら「私物は持ち帰れ」と言われてしまったので持ち帰りました。

退職経緯

さてお待ちかねメインディッシュですね。

もともと技術コンテンツ会社ではなく、技術畑の人間がまったくいないことのインプレッションが次第に違和感として強く響いてきました。ITエンジニアとしてやっていくつもりの観点でみると、学習や成長の土壌は無いように思えました。協調関係や信頼がうまく築けず、自分のすべき道筋不明瞭のままやっていけるほどタフなYATTEIKI精神ではなかったのです。

これは地方の、それもIT気質のあるわけではない、ワンマン経営中小製造業ならばどこにでもあることかと思われますが、随所に感じるレガシーさに疲れてしまいました。一例を挙げると、毎朝30分に亘り行われる全社清掃(もちろん業務時間外)、社是の復唱、『感謝言葉をみんなで味わうポエム』の輪読、その感想大会、頻繁に行われる中身のない会議日報エクセルで書いてメールで送ったり、出退勤表を毎日エクセルに書いて印刷して事務方に持っていくなどのルーティンがけっこう苦痛でした。

社内のコミュニケーションツールLINEだったので使い勝手も悪く、会議chatworkslackを使いましょうと提案しても誰一人としてそれらの存在を知らず、「勝手にやってくれ」と言われてしまったり。LINE WARKすら知らんやんけ。説明しても「skypeじゃ駄目なの?」と言われたので諦めました。

えらい人の思いつきのたびに方向性が変わり、当人発言したらそれで全て完了した気になってしまったのか、会議終了後の10分後に「さっき言ったやつまだ出来てないの?」などと言われた時はギャグかと思いました。会議議事録も誰も見返さないので果たして意味があったのか疑問です。誰かひとりでもmarkdownが書けたり、少なくとも書く気があれば勉強会を開催してHackMDなどを推せたのですが。議事録機能していないエピソードとしてひとつ思い出しました。開発中に機能追加を下された際に、その挙動は完全にプラットフォームネイティブであり今の技術選定だと作り直しになり、結果納期に間に合わない(し、自分技術スタックからも遠く外れていたので学習コストも加算)と発言したらその場は収まったのですが、会議終了後に個人メールで「やはり機能マストだ」と伝えられました。当然それは議事録に反映されることなく、なんかしらんけどそういうことになっているという感じになりました。

初めてのエンジニア職でしたが、社内に開発をる人やマネージャー職は不在で、いわゆる開発現場での流れを学ぶことはできませんでした。少なくとも技術を知らないえらいひとが「俺がスケジュールを立てたからこれに沿ってやれ」と、”開発”と”広告作成しか書かれていない2週間の計画表をもってくるような現場システム開発として正しいのか、 と本能が警告を発していました。

もともと会社製造業から始まったため、えらい人たちとの見解齟齬があったのは体感としてあります。同じものづくりといえど設備マンパワー時間線形的に結果に結びつく工場業務と異なり、システムエンジニアリングはかける時間見積もりも容易でなく、かかった時間が必ずしも結果に結びつかないものである、と言う事実は受け入れられ難く、知識ドメインマインドセットが異なれば説明も困難です。しかしながらえらいひとは一様に「経営視点を」の号令で、経営誌を配り、その感想文の提出を義務付けるなど、現場視点を欠いた行動で現場(というか私)を疲弊してました。気づいたらSEO対策や別部署MTGのためのプロジェクター設定、全PCwindows updateに伴うドライバ更新の役も同一の職掌として役付けられそうになっていたり(一部は実際に情シスの人がやってた)、It’s not my workなシーンがみられるようになっていました。

そして、よくあることですが、理念実態乖離していたことです。世界をよりよくと言いつつ、目先の掛け算を考えてばかりのように思えました。グロースする中で発生しそうなあれこれをすっ飛ばし利益だけを皮算用するのはいいとして、データ量やトラフィックを指摘すると「そこは現場努力でしょう」となるので、世界を良くする前に精神を悪くしてしま人生で初めて心療内科にいったりもしました。一応グローバル展開を目指しているとしながらサーバからMailerDaemonが飛んできたら「ギャっ英語っ!」と言って読まず捨ててたり、急にサービスが止まった時には激怒して責任所在の追求を求められたため、草創期にえらい人の個人アドレスで取得してほったらかしにしていたドメインが失効したことが原因と伝えたら「あれはもう読んでいないアドレスだし仕方ない。こういうピンチときこそチャンスにしようぜ」という謎理論を出されたこともありました。

違和感が確かなものになったのは、外部に提出する資料で社内の数字が異なっているとを指摘すると「こういうのは見栄が大事なんだ」と暗に公文書偽造をほのめかされたことですが、これ以上は闇っぽいので書きません(たぶんどこもやってて罷り通ってる範囲だと思うけど)

総じて、心理的安全性の低さ、そこからくる身動きのとれなさ、ロールモデルの不在、前時代的な風潮、社内文化へのミスマッチと不理解、成長の実感が沸かない不安と不満、それらに伴う摂取アルコール量の異常な増大と過食、といった要因の積み重ねが、ネガティヴな形での退職へと駆り立てることになったのだと思います。まあ、よく知らんうちにリファラルしてるところからして「採用教育コストを考えてないのでは?」の念はあったのですが。中身がまったく不透明状態で飛び込んだらそうなるよなぁ、の好例かもしれません。誘われた時はわりと藁にも縋る思いだったのでしかたないね

これから

現在スキー場住み込みバイトしてます。無考えに退職すると年を越せないことに気づきました。

可処分所得可処分時間いずれも今の方が上なのはちょっとウケます賃金ふつうに生きていければいいので前職程度でも気にしなかった程度なんですが。いまは映画をみたり積ん読を消費したり、在職時は深いところまで触れなかったPHPをいじったり、生PHPしかやってないことに気づいたのでcakeやったり、あとはweb周辺も久しぶりにキャッチアップしたりしてます。nodeネイティブおじさんなのでFWはangularしか知らないんですよね。vue/nest面白そうな感じです。あと寮のwifi談話室限定で窒息しそうだったので、持ち込んでいたラズパイルータにして部屋まで飛ばしたら隣室の同僚から感謝されたりと活動は多岐に渡ります

先のことはなにも決まってませんが、ちゃんエンジニアリングしている組織で開発してみたいなという気持ちがありますレビュースクラムアジャイルなんてのはひとりだと不可能ですし。ですが、やはりそういった会社日本では都市部にばかり集中しているのでしょう。自分空気の悪いところには住めないし、案外また辺鄙なところでtechとは無関係のことをしているのかもしれません。ワーホリでも使って海外大麻栽培でも始めようかなぁ。

いかがでしたか

巷説に流布する「未経験からエンジニアへ」の言説のたぐいは、どちらかというと技術力よりもコミュ力が偏って高いタイプ生存しがちな雰囲気を感じます。たまにTLに流れてきたのを見かけますが、ああいった立ち回りは自分にはできないしやりたくないなぁと思ってきました。社会要請ならばそれまでですが。

自分は体系的な情報教育を受けていないどこにでもいる地方高卒で、下手の横好きで趣味プログラムを書いてきたし、続けてるってことはそれなりに好きなんだと思います。得意じゃないけど。んで、こんなのがITエンジニアをしたサンプルというのは見かけないかもなぁと思って投稿しました。光あるところに闇あり。

といいつつ、やっぱり好きなことの結果がおかねになるのはいいよなぁと思った次第です。プログラムを書くのは楽しいけどエンジニアリングは超絶むずい、が雑な総括ですが、今回のことを顛末次第にはする気はないので、どこかに拾ってもらえるよう精進するきもちになりました。

ぼくのポエムはこれでおしまい。じゃあね。

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