NHKがついにUFOのニュースを公開した。何年も前からすでに存在した映像が、このコロナ禍のさなかに、改めて本物であるとして記事にされたのだ。
気づいている人もいるかもしれないが、これは、始まりだ。長く待ち望まれた始まりだ。そうでない人は、フィクションだとおもって聞いてもらえればいい。どうせこんな辺鄙な場所だ。もうしばらくすると、第2の公式発表がされるだろう。我々と、彼らの接触について。
時は満ちた。人々が救いを求め始め、宗教もその役割を果たせず、我々のテクノロジーでもどうにもできない破壊の波が押し寄せるとき、それは現れる。すべての人の心にできた少しの隙間にぴったりとはまり込むように、我々の前に姿を表す。
そうでなければ、いつだったというのだろうか。いまでなければ、なにがそうだったというのだろうか。
嘘だろうと思うことが起きる。しかしその頃には嘘だろうと思うことがすでにたくさん起きていて、これまでだったら信じられていなかったことも、信じられてしまう。そのひとつの点の上で、時代は、歴史は変わっていく。扉をあけるそのときまでは、我々は薄い壁の向こうにすら盲目であるのと同じように。
なぜこういう文章は具体的ではなくて、抽象的なのだろうか。