はてなキーワード: 裸のままでとは
もうすぐ4歳の長女が発達センターに通うくらい手がかかる子で
妹の世話より自分の世話を優先してほしいと主張する
私は一生懸命0歳の次女をお世話してるつもりだけど
次女とは長く一緒に過ごせない
夫が育休をとったので夫が次女の寝かしつけをしてくれて
それはそれで恵まれてるんだけど
寝るときは
夫と次女が二人で寝て
私と長女が二人で寝てる
夫の育休が終わってしまえば専業主婦の私はいやでも次女との時間が増えて次女の育児で大変な思いをするんだろうけども
私の父が次女とずっと二人でいてくれて
それはそれでありがたいことだけど、次女との時間がほんとないなあって思う
長女はわたしがお風呂あがりに次女に服を着せていたら「妹は裸のままでいい」と言う
長女にそういうことを言われたら悲しくなっちゃう
泣いてる次女をあやしてたら長女のほうが「妹じゃなくて私をだっこしてよ」と言う
ギャップにびっくりする
子供の人数がふえればふえるほど
上の子がメンタルがやられて大変なことになっているときに下の子の離乳食の準備やオムツの対応に終われたりとか
子供の人数がふえればふえるほど親の子供に対する対応が雑になっていくのでは?と思う
障害児がうまれて、障害児の育児に手がかかりすぎて健常児のほうの子供がほったらかしになってさびしい思いをさせてしまったとか
あるあるだと思う
当時は自宅にお風呂なんてまだ恵まれた方で、多くの人は銭湯に通っていた。僕の実家はそんなに貧乏でもなかったけど、小学六年でやっと自宅を改造してお風呂が出来たくらい。だからそれまでは銭湯通いをしていたのだけど、たまにクラスの同級生と一緒になることもあった。といったって、顔見知りなだけで、友達でもないから仲良くするわけでもない。誰かいたらあいつ来てるなぁ、位の感覚。
で、小学校五年生くらいの頃だったと思う。僕は成長が早くて、身長も背の順番で最後尾なくらいだったし、陰毛だって既にうっすら生えてきていた。これが恥ずかしかった。確か、修学旅行や林間学校、通っていた塾の合宿などでも僕は絶対に見られないように一緒に入るお風呂ではいつもタオルで隠していた。同様に成長の早かった見られたやつが他にいて、みんなからからかわれているのを知っていたし。でも、僕はバレなかった。
そんなある日、普通に一人で銭湯に行って、普通通り体を洗ったり入浴していたりしていた。まさか、そこにクラスで一番意地の悪いAがいただなんて気づきもしなかった。次の日、学校に行くと、既に噂がばらまかれていて、「あいつさぁ、チンコに毛が生えててさぁ、チンコもでかいんだぜ?」のような話が周りから聞こえてきた。くすくす指を刺されて笑われている感覚。恥ずかしくてたまらなかった。そして、昼休みか放課後だったかと記憶するけど、とうとう「見せろよ」といじめっ子達に囲まれてしまった。
思いっきり抵抗したのに、羽交い締めにされて、ズボンとパンツを下ろされ、僕はさらし者になった。その上、そのズボンとパンツを校舎の外に投げ捨てられ、泣きながら、下半身裸のままでそれを取りにいかされたのだ。
でも、いじめられて引き下がるような性格でもなかったので、クラスに戻ってすぐにそいつらのリーダー格に飛びかかって喧嘩になった。ただ、すぐに先生を呼ばれてしまい、どっちが先に殴ったかを問われて、僕は先生に滅茶苦茶怒られた。さらし者にされたのは言わなかった。それを先生に知られるのも恥ずかしかったからだ。それから一週間ほど学校を休んだ。また同じことを言われるのが嫌だったから、逃げたんだけど、どういうわけかそのまま不登校ということにはならなかった。
結局、小学校時代に自分のチンコでからかわれたりすることはそれっきり一度もなかった。でも続きがある。
中1か中2くらいにはもう大人サイズのそれも少し大きいくらいにまでなっていた。小学生時代の事件でコンプレックスを持っていたから、自分のチンコがでかいことや既に陰毛が大人レベルなことは誰にも知られたくないと思っていた。銭湯にはいかなくて良くなっていたから知られるチャンスはほぼなかったのだけど、小学校時代から通っていた塾の夏冬の合宿だけは違った。馬鹿なクソガキ連中がいて、僕じゃない1人の同様に成長の早かった男子のズボンとパンツを脱がせて、何人かで部屋で笑っていたのである。ところがその男子はみんなと一緒に自分も笑っていて、楽しいからかノリで勃起までさせてみんなの爆笑をさらっていたのだ。さらには、それを写真まで撮る始末。
僕は同室だったけど、その輪には加わらず、布団に入って寝たふりをしていたのだけど、どういうわけだか、僕のチンコがでかいことを知っているやつがいたのである。その輪の中の誰かが「あいつのと比べてみようぜ。めっちゃデカイらしいし」と言い出したのだ。そいつらの中の1人は不良寸前の悪ガキで、他の男子に嫌がる僕を布団の上に押さえつけさせ、無理やりパンツまで脱がさせられた。実は僕はその悪ガキとめちゃくちゃ仲が悪かった。何が原因かは思い出せないけど、お互いムカつく相手と認識していたのは事実だ。だけど僕は、その塾では友達らしい友達はおらず、悪ガキには取り巻きがいっぱいいたのが運の尽き。小学生時代のような抵抗は不可能だった。そして無理やり勃起させられ、先に脱いで楽しんでいたやつと比較させられ、同様に写真まで撮られたというわけだ。
流石に余りにショックで、僕はその塾にはそれ以降通えなくなって、やめてしまった。その理由を親にも言わなかったから、相当親を悩ませてしまったと思う。
こんなことを辺鄙な増田で書いてもほとんど読まれもしないと思うけど、世間にはペニスが大きいことが男の自慢になるような風説が流れているように思う。でもそれは少なくとも、僕にとっては全く違うものだったということを言いたかった。それ以降、高校以上になると、見られたところで誰も何も言わなくなったし、当然辱めも受けなくなったけど、たまに「いいの持ってるなぁ羨ましい」などと言われることがあって、やっぱりそれが嫌で酷い目にあったことを何度か思い出したりもしたし、他人に見られるような温浴施設などでは今でもずっとタオルで隠すようにしている。
かなりレアな体験でしたし、ネタっぽくもありましたから、そこそこ反応はあると思いましたが、こんなに反応いただけるとは思っていませんでした。質問がかなりありましたので支障のない範囲で答えます。
・性別は?
残念ながら、50代男性です。これが20代の女性ならセンセーショナルでしたよね。
・ご褒美だったんじゃないの
図星です。人前で裸を晒しても羞恥心は感じないようになってしまっていて、むしろ、どこまで裸のままなんだろうと興味津々だった自分がいました。連行のときは「何かかけてやった方が良いんじゃないですか?」って言ってくれた警官がいたのですが、リーダー的な警官が「自分で脱いで歩き回るような奴は裸のままで良い」って言ってそのまま連行されました
・釈放されたときは裸?
逮捕時脱いだ服は公園の入り口に置いていたのですが、犯罪の証拠品として押収された形だったので、連行のときに着ることは出来なかったのです。釈放時は捜査が終わっていたので、返してもらいましたので、それを着て帰りました。
・何日勾留されたの?
1週間勾留されました。勾留期間中は警察から服を貸してもらうので、全裸ではありませんでした。
・寒くなかったの
11月でしたので気温は10℃位でした。確かに寒かったですが、風邪をひく程では無かったです。
・なんで裸で散歩していたの?
これは性癖としか言えません。常識ではありえない姿になっている自分が好きなんです。裸以外でも、女性の下着だったりスク水だったり体操服とブルマだったりも良く着ていました。そういう格好だったら逮捕されなかったのですけど。この時はたまたま裸だったという感じです。理解しにくい性癖だとは思います。
私や姉の場合は、母に洗ってもらっていた。
姉は高校生になっても母親に「麦茶取って」って冷蔵庫から取ってこさせたり
「○○やって」と母親をパシリ代わりに使っていたのによく言うよなぁ。
自分が一番冷蔵庫に近かったのにね。そういえば、冷蔵庫から一番遠い私も良くパシらされたわ。
姉の子どもがパンツもはかずに洗っている後姿を想像し、少し可哀想だなと思った。
自分がされていなかったことを息子にさせるって……と思ったものの
「自分で対応できること」を学ばせるのは良い事だな、と思ったりしている。
とても良い母親に育てられたが、世話焼きで色んなことを先手を打ってやってくれるために
姉も自分も世間に出て辛かった。住民票を取りに行ったことも無ければ、お店の予約もしたことなかったからだ。
幸い、数年で慣れて姉も私も結婚したけど。
姉の息子の自立のためには良い事かもしれない。でも、全て自分でさせることは悪いことかもしれない。
きっとこれから親戚が事あるごとに「Bは結婚したんだ。次はAの番だよ」と言うのだろう。
苦しい。
異常なのだろう。
その中に残されたDNAの中に出産を経験せず受け継がれたものなど一つとしてない。
生き残った一匹だけが無限に紡がれてきたDNAを次世代に届ける正常な子孫であり、
今まで親戚の中で私はモラトリアムの中に居た。
今どきの人間はこれぐらいの年齢ならまだ結婚しないといふ世代論に守られていた。
そのバリアは内側から食い破られ、今私は裸のままで私に向けられる視線を一身に浴びているのだ。
畜生、死んでやる。
そんなに私を否定したいならド派手に死んでやる。
いや、殺してやる。
待っていやがれ。
計画が完成した暁には、貴様らは自殺者の親戚になるか殺人鬼の親戚になるかの二者択一だ。
私に、出産するか異常者として後ろ指を指されるかの二択を投げつけた貴様らの末路がそれだ。
私からすれば、同じことだ。
出産するのと人殺しになること、親戚から異常者として扱われるのと自殺者の親戚になること、同じことだ。
何故なら、私のような人間から生まれた子供の人生など、死んだように生きるのと同じだからだ。
それは聞いたことがあるよ。
さらに言うと、生殺与奪の権限があるところに、情で能無しを据えていったからますますボス猿がボス猿でいられるようになると。
人間、特に日本人はその原始的なところで動いているからボス猿が多いんだろうねと思う。
まあ、あえて言うならお互い気遣いしあいが「当たり前」になりすぎて、能無しボス猿を能無しボス猿として指摘できなくなってる。
裸の大様を裸の大様として言えないから王様は永遠に裸のままでいられる。
そうして、会社は潰れていく。それじゃ困るからいけにえとして「イノベーションになりそうなことをして、そして死んでくれるやつ」を求める。手柄は内部の人間でとりたいからね。
みんな熱出すし、1週間以上続く。
拙僧も11月の三連休にひとりカラオケでマクロスΔの「ワルキューレがとまらない」を歌いまくるという一人遊びをしていたらもらってしまった。
喉がっさがさで声が出なくてな、めっちゃ緑色の鼻水と痰出るし、ワルキューレが半強制的に止められることとなった。
だから自分も休みを頂こうと思って課長に電話しようとした時、メールが飛び込んできた。
体調不良の子は熱まででてるらしい、一方こっちは声が椿鬼奴?みたいな感じになってるだけ。
言えねえ〜〜 体調は普通やけど喉の御方の機嫌がちょっと悪いです〜〜
また、社内にストーカーがいるのでそいつを避ける仕事回しをしてもらってたのだが、この交代によりまさかのバッティング。
神は拙僧を見捨てたのか。
青のベンザ飲んでるけど全然効かねえ。
何回もうがいするけど喉が焙煎されたまま。
しかも日が経つにつれてよりヴィンテージ感がでてきてる。もう無理。
客に話しかけるだけで「こいつ見た目に反してガマ蛙みてえな声してんな」って顔される。
もうワルキューレになりきってた頃の美声には戻れないのか。ちなみに推しは黄色。
このまま抱きしめて夢が醒めるまで←わかる
何もいらない←今はパブロンが欲しい
愛もいらない←それも欲しい
裸のままでいいよ朝までみつめて←寝る時裸族なんだがたぶん風邪をひく要因のひとつ
愛しさがとまらない←わかるけどそれどこじゃない
病名
「外出困難で無為に過ごすことが多い。
多彩な自律神経症状を伴い罪悪感が強い。予期不安・希死念慮がみられる。
薬物療法としては抗不安薬(BDZ系)を受け入れるのみで全ての抗うつ薬についてはその後の身体変化を副作用として解釈し、服薬しなくなり、治療に抵抗を示す。
パニック症的な要素が強く認知行動療法を行っているものの、これが効くのかという不安が強く遅々として進まない。
今後は支持的・受容的に傾聴していきながら不安・抵抗を少しずつ和らげる予定」
受付「お名前とご住所生年月日これでよろしいでしょうか?」
私「はい」
受付「封はされますか?」
私「いえ、そのままでいいです」
受付「え・・・でも・・・?わかりました(笑顔)封筒にお入れするだけにしときますね」
書かれた内容をじっくり見てみようと思ってそのまま密封されない診断書を手に取って、帰宅。
予約制で人がまばらな精神科なので、この受付嬢にも心理検査中の1時間ほどこの内容を吟味されてたんだろうなと思うとせつなかった。
パニック障害とうつで2年ほど通院しているが、このたび、会社に診断書を提出することになって医師に診断書を書いてもらった。
私の通う精神科では、マスクを鼻の下までかけて顔を隠す受付の女性2人がいつもいる。
診察中や受付する患者がいない時は大きな声でぺちゃくちゃしゃべって愚痴や文句を言ってる若い人たちだ。
この人たちが、これを読んだのかと思うといい笑い話とネタなんだろうなって感じた。
帰宅してじっくり書面を読んだ。
そして、なんだか症状を抱えて通院してた自分の精神面の状態がすこぶる悪くなった。
通院したくなくなった。
そのとおりなんだけどね。
「無為にすごす」とか「治療に抵抗を示す」とか「効果が遅々として進まない」とか
ああ、自分はポンコツ人間なんだなってあらためて会社だけでなく医師にも判定されてると落ち込んだ。
10年前に通ってた精神科で(3時間まって3分だけお会いして薬をもらうという大病院だったけど)多剤併用両方でたくさんの抗うつ剤と
睡眠薬を処方され、服用し、(胃腸薬含めて1日34錠飲まなければならなかった)動くこともできず、生活が破綻して寝たきりになった経験があった。
だから、できるだけ薬の負荷のかからない治療を・・・と泣きながら初診の時は言ったっけ。
例えて言うならこのURLの人と同じ状態(https://www.youtube.com/watch?v=tq2pzyhqXxw)
パニックは8年前になんとか自力で飲むのをやめて寛解しつつ5年ほど良好だった。
通院もしなかったのに、職場がかわったストレスで10年後に再発したので今の医院に行ったんだけど。
今度こそは、なんとか良好な医師患者関係を築いて治療を・・・と願って行ったけど、先生にとっては私はやはりこういう「やっかいな」患者なんだろうなって本音をこの診断書で感じて
あー薬だして長いこと飼いならすATMなんだなあってあらためて思ってしまった。
信頼してた先生の本音が見えると通院治療断念したくなってきた。
今、通院断念して、自力で治ったって思ってまた再発前の状態になって、いつかまた再発→今回と同じ経験と気持ちと落ち込みで治療断念→自死
最終形態が見えた。
運良く長生きできたら認知症になってるころにまた精神科にお世話になるんかなあ。
安楽死法案が通って、自分で死を選ぶという楽な生き方死に方ないかなあとか夢ばっか見るわ
とりあえず通院したくなくなった。
体が鉛のように重い。
彼女が出勤した後の部屋に、僕は残っている。
僕は窓の外の洗濯物をぼーっと見ている。
青山の裏道の一軒家を改装したレストランで行われたパーティーには、30人程の男女が集まっていた。
ホストが暖かく僕達を迎え入れてくれる。
彼女はとても明るく、気の利く女だ。
初対面の僕の取引先に対してもとても自然に接することができる。
決して前に出過ぎることはなく、相手を讃え、酒の世話をし、パーティーの華をこなす。
時折僕に目配せをしながら、付かず離れずの距離を保つ。
女同伴できている奴はほとんどが愛人を連れてきているはずだが、それを口に出すのは格好が悪い。
帰ってきて、彼女をメチャメチャに抱いた。
たくさんの男に視姦されて、僕はとても嫉妬していたんだ。
その思いを一気に晴らすべく、シャワーも浴びずに彼女をメチャメチャにしたんだ。
泣きながらも抱いて欲しいとせがんでくる彼女を見て、歪んだ欲望を満たす。
彼女はまだ僕の腕の中で寝息を立てている。
無邪気な彼女の寝顔を見ていると、昨夜の自分の下衆な行為を思い出す。
抑えきれない欲望を再び彼女にぶつける。
荒々しいだけのSEX。
しかしそこには、無垢な愛があった。
確かに、愛はあったんだ。
再び彼女は泣く。
その泣き顔を見ながら僕は絶頂に達する。
彼女は僕の全身を丁寧に洗う。
耳元でとっても良かった、と囁く。
死にたくなってきた。