はてなキーワード: 紅葉とは
アニメ観てると「この話のコンテ切ってる人は他にどんなアニメやってんだろ」ってなるよね。意外とヤマノススメ関係してた。
新八合目…絵コンテ-鎌仲史陽(5話「二つのキャンプ、二人の景色」演出・6話「お肉と紅葉と謎の湖」絵コンテ)
十三合目…好き。「ネト充のススメ」監督の柳沼和良が同話絵コンテを担当。
十四合目…4話「野クルとソロキャンガール」で登場した長野県の山「霧ヶ峰」を、主人公たちが登る。
あと、3期楽しみだね
ちなみに音楽担当のEvan Callは今季「ヴァイオレットエヴァーガーデン」「ハクメイとミコチ」音楽を担当。
佐々木恵梨が同作OP「Ring of Fortune」で歌手デビュー(ED「ふゆびより」作詞・作曲・歌)。
ちなみに同作の原案・脚本-林直孝は今季「ダーリン・イン・ザ・フランキス」のシリーズ構成・脚本を担当。
天谷颯太 CV.花守ゆみり(各務原なでしこ)。「同じ人だよね・・・?」ってなった。
三ノ輪銀 CV.花守ゆみり(各務原なでしこ)。「同じ人だよね・・・?」ってなった。
他に何か、引っかかった作品あったら教えて。
https://anond.hatelabo.jp/20180112100435
これだけ見るとすごく暗いしコントラストが小さいよね。
ただ、暗い部屋での人の目の順応性のことを思うと、わりとホワイトバランスをうまく調整してくれてそれなりに見えるんじゃないかとも思う。
ところが元の増田も、また、その増田のブコメでいくつか言及されていた色覚異常者が色彩に出会って感動する動画も、それらのリアクションは全て未知の色彩と出会う驚きによって演出されています。
これは同感。そこまで未知の色彩があるわけない。それもたかがフィルター通しただけで。
ただ、自然界がすべての光の波長のパターンを網羅しているわけでもないと思うので、より色鮮やかに見えるパターンというのはあり得るかもしれないと思う。
実際自分の場合、紅葉や赤いバラは肉眼で見ても暗い赤にしか見えないが写真やテレビで見るとものすごく鮮やかな赤に見える。
これらを組み合わせて、この製品が嘘だという最大の根拠を一つ示します。
特定の色の彩度を下げることで鮮やかな世界を作れるとするのであれば、どうして症例にあわせた作例が一つもないのでしょうか。
レタッチソフトを使えばRGBのバランスを変えることは造作も無いことです。
この辺は微妙。
そもそもこの世に存在するRGBやらCMYKというのは色覚正常者にとって最適化されたものなので、色覚異常者にとってはそもそもがずれたものだ。
光というのは本来様々な波長を含むもので、全く同じ色に見えるものでも物質が違えば違う波長の光を含んでいる。
そういう性質を利用して色覚正常者だけが、自然光と同じに見えるようなRGBの三色光とCMYKのインクを選んでいるにすぎない。
とても繊細な調整が必要で、モニターによって色は変わるし、インクのロットが違えば色も微妙に変わる。再現度を高めるために色校正が必要とされる理由である。
モニターや印刷物は1つ1つで発色の加減が微妙に違うのに、色覚正常者はだいたい同じように見えるように調整している。
言い方を変えると、本当は違う色(光)が出てるのに色覚正常者はその違いを認識できない。
これはあくまで色覚正常者向けの調整なので、極端に言うと色覚異常者にはどれも違うように見えてしまう。
だから、作例がないというのは仕方のない話で、やろうと思っても画像ファイルだけを用意すればいいというものではないのだ。
専用のモニターを用意してそのモニターだけで見るようにすればできるかもしれない。
印刷物の場合、指定のインクを使ってきっちり色校正するようにすればできるかもしれない。
(これを実際にやっているのが色覚検査表。あれって自分で買うとものすごく高いのだけどそれだけ手間はかかってる。
http://www.neo-dalton.com/side/check/が簡易的と言っているのもそのため。これは専用のモニターを使ってるはず。)
これまでの自分の実感だと赤緑色弱は本当に個人によって見え方が全然違う。
この増田自身は赤緑色盲(2色型色覚)なのではないかと思うが、赤緑色盲向けの作例であれば可能ではないかと思う。
ただそれをやるのは結構お金がかかると思うよ。レタッチで済むというものではないだろうから。
分かる。
でも彼らには見えてないものが僕らには見えているはずでそっちを楽しんで生きていきたい。
自分はもともと先天赤緑色覚異常だったのに加えて20代でスティーブンス・ジョンソン症候群(wikiは閲覧注意かも)に罹って後遺症?で眼に影響がでたっていう変な状況。
以下、困った思い出とか
1.幼少期のお絵描。クレヨンに色名を書いた紙がないと赤、茶、緑とかの区別がつかない。
だから蓋の裏に色名が書いてあったクーピーはしまう順番間違えると大変。
2.信号。場所で覚えた。色自体の区別はついてない。運転免許は持っていないので特に不便はない。
3.パズルゲーム。ぷよぷよはぎりぎり形で判別できたけど、ときメモのぱずるだまは出来なかった。パズドラの補正はちょっと嬉しかった。
5.小学生時、紅葉を見て「綺麗だね」と言った母に「よくわからないんだ」と返してしまったこと。
このことがきっかけで色覚検査をうけたような覚えがある。検査後母に謝られたのはなんか今でも良く覚えてる。
誰も悪くないのに難しい。
6.家電、電子機器のお知らせランプ。「正常時は緑、エラーのときは赤」みたいなの。
大きいと周りとの差で何となく分かることもあるけど小さいとどっちにしろ光ってるだけの代物
7.UNO。有名。去年だっけ、色覚異常者向けのが出来たのって。
8.焼肉。有名。焦げ始めないとわかんない。
9.黒板に色付きチョーク。白、黄、青のチョーク以外は何書いてあるかわからないこともあった。
10.黄色系の色が目に刺激が強すぎて眼鏡のレンズに色を入れるようになった。色覚補正レンズではないただ色の入ったレンズだけど。
11.体調次第で明るさに凄い補正がかかる時がある。晴れてる昼間なのに薄暗かったり。大体夕日が完全に沈んじゃったくらいの暗さかな。
今までの対応は場所とか他の要素で判別できるものがあるときはそれを機械的に覚えちゃう。
色でしか区別がつかない時は周りに頼るか、諦める。なので事前に周囲にわかってもらってると楽。
生活の中では単品で何色か判断することよりも何かと比べて何色だって判別することのほうが多いような気がするし。
なので色以外で判別できるように形だったり文字入れたりとかして欲しいものは結構ある。
PCをいじり始めてRGBって概念知ってからは色々判別は楽になったな。数値化できるって素晴らしい。
お陰で初音ミクの髪の色が随分緑がかってるんだなってわかりました。
色覚異常者です。
もう手遅れかもしれませんが、本当に本当に辛い思いをしている人間を、さらにその希望まで踏みにじるようなことは止めてください。
残念ながらこの製品はフェイクであり、この体験記もフェイクです。
それがフェイクであることは、このサイトの中で簡単に証明できます。
http://www.neo-dalton.com/side/check/
色覚異常者であるわたしは、一般とされている画像が52と読めます。
(健常者に確認を取ったわけではありませんが、ここにはおそらく89と書かれているのではないでしょうか。)
そして画像の番号が進むと同時に89という文字が視認できるようになります。
わたしはA7で視認できました。
お気づきでしょうか。
89は確かに読めました。でも、これが色覚異常者が見たいと願う色の世界でしょうか。
52と読めてしまう背景には、健常者であれば区別できる色の違いが色覚異常者には区別できないことに原因があります。
健常者であれば区別できる数色が、色覚異常者には緑のような茶色のような灰色のようなどれとでも取れるような色に見えているのです。
それを色覚異常者でも色の区別ができるようにするには、こうして世界全体の色を替える以外に手段はありません。
つまり、この画像が色覚矯正メガネをかけて見える世界ということです。
世界から緑をなくせば紫に転ぶし、赤をなくせばシアンに転びます。DTPをやったことある人間ならすぐにピンとくる話だと思います。
確かに青ははじめよりも青く感じるので一概に元の増田が嘘とはいえませんね。
色覚異常とは、ある特定の色に対してそれ以上の彩度を感じられない症状のことをいいます。
つまり、どれだけ色のバランスを整えたとしても、今まで感じたことのなかった彩度以上の色彩を感じることはありえません。
ところが元の増田も、また、その増田のブコメでいくつか言及されていた色覚異常者が色彩に出会って感動する動画も、それらのリアクションは全て未知の色彩と出会う驚きによって演出されています。
おかしいですよね。今以上の彩度を感じられる器官を持たないのに、メガネをかけると見えるだなんて。
つまりそれらは矛盾であり、感動ポルノを作り出すための演出であることがわかります。
これらを組み合わせて、この製品が嘘だという最大の根拠を一つ示します。
特定の色の彩度を下げることで鮮やかな世界を作れるとするのであれば、どうして症例にあわせた作例が一つもないのでしょうか。
レタッチソフトを使えばRGBのバランスを変えることは造作も無いことです。
それぞれの色覚異常の症例にあわせて、その人がメガネを掛けることで見える世界を簡単に再現できるはずです。
それが出来ないのだから、残念ながらこの製品がフェイクであると言わざるを得ません。本当に残念です。
もしこれが配色を変えることで色の境界をわかりやすくする程度の製品であれば疑いません。
しかし、今以上に鮮やかに見えると謳うのであれば、それは詐欺でしかいいようがありません。
色覚異常に同情し、それが解決できた気持ちを喜んでくれることは本当にありがたいことです。
だから、元の増田にブコメが沢山ついたことも、あの動画に沢山の感動が寄せられたこともとても好意的に思っています。
しかし、残念ながらその行動が、詐欺を助長してしまう結果になっていることは本当に遺憾です。
始めの頃は肌色が再現できずに相当悩みましたが、いまではあえて特定色の彩度を下げることで自分にしか見えていない世界を写真として表現するようになりました。
その独特の色彩感覚が人には面白いらしく、むしろ被写体の色が湧き上がってくるような写真だと周囲からもとても好評です。
(誤解のないように付け加えますが、この写真は意識しないと気づかない程度に被写体以外の彩度を失わせるという演出です。こちらでいうようなすべての色が色彩を増すわけではありません。)
自分が色覚異常者として生活を続けることでたどり着いた結論は、「失うことは得ることと同意」ということでした。
普段人ができないような何かを失う経験そのものが、かえがたき貴重な経験として得られるものだからです。
それならばないことを嘆くより、得られたものを喜べたほうがよいですよね。
そういう様に考えるようになってからは、自分が人よりも劣った存在だとは感じないようになりました。
これは同じ問題に悩む人間全員に一番に伝えたい事でもあります。
そうはいっても例えば紅葉が綺麗だと言われる度に、他の人が見えている世界を見たいと願う自分がいます。
だからこういう製品や記事が流れる度に、どこかに期待してしまう自分が否めません。
もしこれが詐欺だったときに涙をながすかもしれない人を想像してもらえるなら、ほんの少しだけその感動を安直にシェアするべきか踏みとどまって頂けたら幸いです。
クリスマスが終わった。
息子は2歳になった。
まだ言葉もしゃべれないし、枕元にプレゼントがあってもとくに意味は無いので、普通にクリスマスのタイミングで大きな玩具を与えるに留まった。
そのかわり、クリスマスツリーなどにはたくさん触れ合った。
今年から我が家にもクリスマスツリーを導入した。「家にあったクリスマスツリーは大人になっても覚えている」ということを妻と確認したからだった。
ツリー選びも2人でかなりこだわった。あまり意味は無いんだけど。
すぐに電飾のスイッチの押し方をマスターし、朝起きてピカピカしてないと
「あっ」
と指を指して、ツリーに駆け寄りスイッチオン。そしてにっこり。
それからというもの、至る所でピカピカ光る木が置いてあることに大喜びだった。クリスマスツリーを買って本当に良かったなと思った。
別にキリスト教徒ではないが、日本のクリスマスは季節を感じるための行事だと思っている。
お正月にお雑煮を食べ、春に花見をして、夏に花火をみて、秋に紅葉を見るのと同じ。季節を感じながら生きることは心を豊かにすると思っている。それ以上でも以下でもない。
さて、来年からは言葉もしゃべれるようになり、頭も良くなるだろう。
俺は性格上「サンタが来たよ」と何の考えなしにウソをつくのは気持ち悪くて。あんまりしたくない。
だから本当は「クリスマスだからはい、クリスマスプレゼント」「パパママ、ありがとう」というやりとりがしたい。
それが平和だと思っている。でもこんなことを考える。
うちのこ「サンタさんなんていないんだよ!」
サンタクロースを信じることは誰にでも認められるべきクリスマスの楽しみ方だ。絶対に認められるべき権利だ。
それをうちのこが「パパが言ってた」なんてクソみたいな根拠で踏み潰されたらたまったものではない。どんな悪者だよ。
個人的にはサンタクロースもクリスマスの大切な概念なので、うちの子にもサンタさんは大切にしてほしい。
そして、クリスマスに意味もなくサンタクロースやトナカイを眺めて幸せな気持ちになり、1年を振り返るとポジティブに1年を振り返りやすくなるという日本の文化を存分に活かしてほしいと思う。
日本のクリスマスは「文化の良いとこ取り」が得意な日本人を象徴する文化だと思う。うちの子にもその楽しさは教えてあげたい。
でも、「クリスマスプレゼントをサンタさんが家に侵入して置いていったよ」なんていう大胆なウソをつくのは、俺にはちょっぴりこっぱずかしい。
そして、そもそもそんなことを子供は信じないのだ。「絶対におかしい」と思う。
でも、お父さんとお母さんは「サンタさんが持ってきた」という。だから、信じている。
俺はこれって「サンタさんを信じている」のではなく、「お父さんとお母さんを信じている」だけだと思う。
子どもは「サンタさんがいる!」とストレートに思っているわけではなく、お父さんとお母さんが「サンタさんが持ってきたよ」というからいると信じている。
この時点で、もうあまり意味はないんじゃないかなと思っている。
サンタクロースは実在しなくてよい。ミッキーマウスが実在しなくてよいのとまったく同じ理由だと思う。
これらを総合して「サンタさんは否定してほしくない。でも、プレゼントをサンタが持ってきたと言いたくない」というモヤモヤが発生。後者は完全に自分のエゴでもある。
でも、起きたら枕元にあるあの演出。あれは嬉しい。
そこで来年からは「クリスマスは枕元に注目」ということだけ教えようと思う。
そして、人によってサンタクロースは違うんだとも伝えたい。サンタクロースはたくさんいるのだと。
うちと同じようにパパとママがサンタの場合もあれば、トナカイとソリでやってくる場合もあるかもしれないと。
もし一度「ぼくもサンタからプレゼントが欲しい」と言い出したら、サンタからプレゼントをもらったという演出をするかもしれない。
スウェーデンの謎のおもちゃとかをプレゼントする演出をするかもしれない。
でもその時は「いや、その年はサンタが来た」と大人になっても言い続けてあげよう。
これが正解かはわからないけど、しばらくはこれでやってみよう。
聡明でかわいらしい、素敵な彼女だった。
酔狂にも俺というオッサンを選ぶくらい、独特の価値観を持つ女性だった。
おまけに脳内存在ではなく、実在しているときた。二次元相手にすら恋愛という感情を覚えることができないままぶくぶくと肥ったオッサンには過ぎた幸福であった。
三十路半ばに降って湧いたように訪れた初恋は一年と少しで消えていった。
仲違いではないし、ケンカをしようといっていたけれど、それも楽しみにしていたけれど、結局できないまま終わっていった。
わかっていたことだが、未来よりも過去が強く、彼女は聡明でやさしく、俺は弱かった。
「いつか、彼女が俺に愛想を尽かすだろう」と、非モテのオタクらしくビクビクした卑怯で惰弱な予防線をはりめぐらせ、それでも卑屈にならぬようにつとめて一年を過ごした。
それは思い返しても幸福で濃密な一年で、一人で過ごしたこの一年はただネトゲとソシャゲの数値を漫然と増やすのと同じ時間であることがにわかには信じられないほどであった。
我々は遠距離であったから、一年の間にともに過ごしたのは実質3週間かそこらといったところではなかろうか。
俺は身に余る幸福を、軽々に疑うことなく、その一瞬をひとつづつ大切に味わい、決して忘れないようにしようと思ったのだ。いつか失われるものだと予感していたから。
別れを告げられる前の、楽しそうだった最後のデートで時折見せた憂いの表情で確信にかわった。
もちろん決裂を回避すべく、さまざまな方策が取られた。しかし、竹ヤリで飛行機は落ちない。俺にできることはこの先のお互いの平穏を用意することしかなかった。
万全の心の準備があった。
傷付かずにいられると思った。
やせ我慢などではなく、こんな甲斐性も主体性もない男に生まれてきたことを感謝させてくれてありがとうな。なんて思っていた。
愛想をつかされたわけではない、しかし、どうしても避けられぬ別れを。一緒になるには俺が俺であること自体が障壁になる理由を、来るべき三行半をLINEでしぼりだすように送られたとき。
ここからの余生が決定された。
このハッピーにもほどがある一年を思い返し、少しずつキャラメルをなめるように溶かしながら生きていくのだ。
それはそれで悪くないと、口を半開きにして漫然と生きてきた自分には身に余る幸福なのだと本気で思った。
恋をしたことがないオッサンは、恋に免疫はなかった。ぶっちゃけ甘く見ていた、ひどくナメていた。今自分にとりついている無情感、寂寥感、つかれ、首の凝り、残尿感、就寝後喉から込み上げてくる胃液で灼ける喉、そういったものは一時的な症状で、一年もたたないうちに治るのだと。
そうしたら、突然推しが自分ちの台所で白米を炊き始めたのを目撃した女子のごとき切ない声をあげてうずくまるようなこともなくなるだろうと軽く考えていた。
これは失われゆくときに効果を発揮し、一生をかけて宿主を食らう猛毒の類であることに。オッサンはようやく最近気づかされてしまった。
余生のはじまりであったこの一年は短いが、人生を支配するには十分な期間だった。
一年には四季があった、ふたりでいろんな話をしながら、様々なところにでかけた。おそらく、ほかのつがいたちがそうするように。我々もさんざんそうした。行こうと約束したきりの場所が、いくつもあった。
ひょんなところで、どうしても、少しのきっかけで思い出してしまう。
つきあっている間から、ちょっとした瞬間にこねくりまわしていた甘い思い出たちが、刃を剥いてオッサンのやわらけえ心をズッタズタに切り裂いていくのだ。
お揃いで買ったボールペンを筆箱から取り出したとき。町中でてんぷらそばの香りが漂ってきたとき。美しい紅葉を見たとき。バスの中が閑散としていたとき。Twitterにネタ画像を貼ろうとしてカメラロールをたぐったとき。カップル用の写真置き場として導入したアプリに「もう別れた」と告げることもできないままだったから「つきあって2年目ですおめでとう」という通知が臆面もなく画面に現れたとき。テレビにサメがでてきたとき。花火の音を聞いたとき。モネの絵を見たとき。映像の世紀のテーマソングが流れたとき。海。いきつけの居酒屋。空が透き通るように青かったとき。ふたりで行こうと話していたその場所への旅行記。机の引き出し。
容赦なくそれらにまつわる我々のイベント一枚絵がフラッシュバックしていく。
思い出がたのしかったほどに、もはやそれらが二度と訪れないことを突きつけていく。無能で怠惰だった自分を上っ面だけなじって、甘い記憶の反芻にくたびれる。
そして文字通りくたびれたオッサンは何度目か忘れた記憶の反芻の果てに、ふと気づいてしまう。
たった一年だ。
たった一年でも、強い記憶でも、そのすべてをわすれないように目に、鼻に、耳に、手がかりをのこして脳の一番とりだしやすい引き出しにこうしてしまいこんだつもりでも。
どうしたって、あせていくのだ。あせていく割に、思い出したときのダメージは軽くなりはしない。ただうすくらがりの割合が増していき重くなっていく。
なんて意味のない自問をして、やめて、また自問して、夜が明ける。
どうすればこの変質を止めることができるのか。
高校生のうちになやんで置くべき事をいまさらやりはじめているから、だれもその無意味な思索を止められない。
俺の印象に沿って変質した思い出を、きっと刻み込んだ瞬間から変質しつづけているその代替品を、いつまで、いつまで舐め続けることができるのか。俺が改竄したのは、いったいどの部分か。彼女の行動か、表情か、懊悩か、それらを突きつけられまいと先手をとって口先で蓋をしていった愚かで卑しい自分の行動か。
傷つけるかもと言おうとして言えなかったうわっつらの言葉か。
いや、それに妥協する自分を、自己愛を自覚していますみたいなメタい達観視点で、別の自分を用意したあげくのいぎたないマウントをキメる惰弱な自分への嫌悪感だ。
こんなものが、二度とこない、見ることのできない美しい追憶の邪魔をする。
しかしこんなものがなければ俺はきっと、こんなこともわかりはしなかった。
冒頭で「フラれたときに、余生を決定した」と言った。
20代のはじめに自分というハードウェアの脆弱性に愕然とした自分は、ここより余生という看板を高々とかがげ、レールにトロッコを設置してゆっくりと坂を下りはじめた。山にぶつかるまでが人生だと割り切ってみると、けっこう空は綺麗だったし、白米は噛むと甘かった。
思い出じゃなくて、君と君と一緒にいる自分自身を。
なんて、ありあわせの後悔を口に出せば、どうしたって、安っぽくなる。
感謝の言葉を書き連ねたいが、それここでやるにはあまりにも浅ましすぎる。
誰の目にもつかず埋もれるか、「貴様の贅沢な懊悩など見る価値ないわ」と吐き捨てるように扱われたいだけなのに。
そうでもされないとやっぱりやってられないくらいにただひたすらに、いまだに、恋しさだけが、こびりついていく。
こんな寒い日に、さびれた地方都市のビジネスホテルで、小さなシュトーレンを分けて食べた。
みんな! 現実には存在しないキモオッサンの気持ちになって書いたキモポエムをここまでよんでくれてありがとうな! 愛してるぜ!
見ました。レポートありがとう。(わりと少なめの文字数でわりと多くの情報を伝えるスキルを感じた)
自然体で楽しめたという感じなんだね。よかったね。
増田は素直な人で、素直であることで誠意を伝えるタイプなのかなって思いました。とても素晴らしいことだと思います。
ただじゃっかん繰り返しで申し訳ないけど、気持ちが溢れてしまってアンバランスにならないように、相手の気持ちの大きさもよく観察してください。
彼に会ってもらってるとか話相手をしてもらってるとかっていう感覚にならないように、あまり下手(したて)に出ないようにしてほしいです。相手も楽しんでくれてるはずだし、感謝もしているはずです多分。基本的には健全な恋愛は対等な相手とするものだと思うので。
適度な間隔で忘れられないように連絡するというのは、相手の好みもあると思うので正解はわからないなー。
なんとなく自分の場合を振り返ると↓な感じですかね。。(恥ずかしいので後で改変するかも)
(1)季節ごとに一緒になにかしようみたいなことを決めておいてそれについての相談をする、みたいな。
初詣→花見→花火→紅葉→イルミネーションとか、それか、おしるこ→桜餅→柏餅→スイカ→かき氷→ビアガーデン→焼きいも→鍋 とかそんな感じ。もっとマニアックなイベントでもよいかも。
2人でブレストして決めたりしたら楽しそう。で季節が近づいてきたら「お花見どこいきますかねー」みたいに連絡できそう。
(2)2人とも好きな映画監督とか俳優とかバンドとか、そういうのの最新情報を交換する、みたいな。
そこからまた映画いこうとかなりそうだよね。最新情報いち早くお届けbotみたいになりそうだからそれだけ気をつけよう
(3)「こんにちは。覚えていますか…?」「元気?今度ご飯いこー!」みたいなノリ
おじさんがやったらウザいやつ。以前、半年にいっかいくらいこういうのくれる女の子がいて、自分的には印象はわるくなかったです
(4)共通の友人知人がいると巻き込むとバリエーション増えそうだけど、いまいないなら難しいですね。無理に作る必要はないです
(5)あとはもう酔っ払った勢いで連絡しちゃうとか。自分は別件で飲んだ帰り道とかにメールしてしまうことが多かった気がします。
そういうときの内容はてきとーです。そこそこ親密なら「さみしくなったのでメールしました/電話しました」みたいなのでも
バイバイのときの別れがたい感じいいよねキュンとする。読んだ感じだと、そのタイミングで挨拶ぽい感じで少し手を握ってバイバイってするのはありなのかもと思った。無理することでもないけど。
次会うのは年明けくらい?クリスマスの約束してもよかったんじゃないかと思ったけど、焦らなくてもいいのかもね。見てないからそのへんの感じはわからないや。
とりあえず振られたのがこの増田じゃなさそうでよかった。
http://www.mag2.com/p/news/334641
紅葉シーズンで外国人観光客激増だが、皆、オンライン決済の白タクシー使うから、京都のタクシー利用客は激減なんだとさ。
正直、自業自得だと思うなぁ。何年か前に仕事で紅葉シーズンで京都行ったとき、ちょっとだけ時間が出来たから南禅寺に行ってタクシーで帰ろうと目の前に停まっていたタクシーに住所行ってお願いしたら、グーグルマップだと1キロ進んで右に2キロぐらい進むだけなのに「行けない行けない、ずっと遠回りしないといけない」とか言われて乗車拒否されたわ。
グーグルマップのルートで出てきたから、実は一方通行とか実は曲がれないとかもないはず。
京都の人はイケズやなー、と思いつつ、蹴上駅から電車とバスで急いでギリギリ次の仕事に間に合ったけどさ。そ~やって京都のタクシーは客選びしてるから、こーゆーめに会うんじゃないの?
恋なんてただでさえ一喜一憂して面倒なのにさ〜〜余計なことしてんじゃねえよ自分って思う。
そもそも彼の話を聞いてる限り彼女結構なメンヘラだわ。めんどくさそう。
できればっていうか絶対に関わりたくないんだわ。
でもだからって
あなたが幸せでいてくれることが私の幸せだから…*・゜゚・*:.。
みたいな綺麗事思えねーしな。
私も私でめんどい女なんだわ。
この三連休、彼に連絡したい気持ちを必死に必死に抑えて終わった。
向こうから連絡来たりなんかしないかなとか思って無駄にiPhoneのホームボタン押してLINEの通知確認してたけど全然来なかった。千葉雄大からブログ更新の通知は来たけど。
んで三連休最終日の今日、ほんのついさっきインスタを見たら彼が旅行の写真を投稿してた。
風景の写真しかなかったけど誰と行ったかなんて考えなくても分かるわクソ〜〜〜〜〜〜楽しそうじゃんかよ連絡しなくてよかった〜〜〜〜〜〜それにしてもめっちゃ綺麗に撮れてるね紅葉もキレイじゃん話面白くてまあまあ優しくて私の好みの顔な上に写真のセンスまであんのかよあ〜〜〜〜好き。
とはならない。
結構な衝撃を受けたのでいいね押すの躊躇う。他の奴の投稿にはハイハイインスタ映えインスタ映えって思いながら適当に押せるのに。
はあ。
まあいいじゃん!もう不毛な恋してないでさっさと忘れて新しい誰かみつけようぜ!!私も楽しいことしたいもん!!
って思って楽しいこと考えるけど、結局その楽しいことは全部彼と一緒にしたいことなんだよな!!!彼が隣にいてほしい!!!!!!バーカ!!自分バーカ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
https://anond.hatelabo.jp/20160907145433 紅葉を見に行こうよう
https://anond.hatelabo.jp/20171105201545 紅葉を見に行こうよう
またのご利用をお待ちしております
世の中が大きく動く時ニートの人たちは自分の現状と比較して死にたいと感じている人もいるのではないでしょうか?
僕はニートです。
なんとなく大学に入り、なんとなく留年して、なんとなく就職し、なんとなく退職して、かれこれ4年ぐらいニートやってます。
世の中にはニート絶対許さないマンがいて、「働かないで食う飯は美味いか?」「早く死ねよ。」とか言っちゃう人もいます。
働いてなくてもご飯は美味しいし、働くのも死ぬのも怖いのでニートのままでいます。
そんな事を言っちゃう人たちも働かなくても十分に暮らしていけるのならば、働かない選択をする方が大半です。
皆、辛いことを我慢して生きているなんて言葉も聞きますけど、辛いこともその耐性も人それぞれです。都合の悪い現実は見ないことにしましょう。
ニートやっていると自己否定を強くしてしまうのですが、これは避けましょう。やめてください死んでしまいます。
今日は早起きが出来た、ご飯を食べた、う○んこがたくさん出た、そういう些細なことでも出来たら自分を褒めちゃいましょう。今日も1日ニートでいてやった俺すごいの精神です。
たくさん外の空気を吸いましょう。玄関先でも部屋の窓からでもいいんです。
秋晴れの空から降り注ぐ日の光が紅葉を迎える木々の揺れる葉の隙間からゆらゆらとこぼれ落ちる様は絶景です。
人の目なんて気にしてはいけません。所詮他人です。その人たちは自分に何もしてこないし、何もしてくれません。だから無視します。やりたい事をやって、やりたくない事はやらなくていいです。
嫌なことは全部無視して生きましょう。生きてるだけで丸儲けです。
世間が、親が、近所の目が許さなくても僕が許します。一緒にニートでいましょう。
そろそろ外に出てやってもいいかなと思えたら外に出ればいいんです。傷ついたらまた部屋に戻ればいいんです。
毎日生きているだけでいいんですよ。自殺は駄目、ニートも駄目とか善人ぶったクソ野郎は無視です。我々は高等遊民なのです。
生きて生きて、生き抜いて、周りの人に迷惑かけまくっちゃいましょう。
人間生きていればなんとかなるもんです。
ニート以外にやりたい事ができたらとりあえずやってみましょう。
そしたら教えてください。
仕事は順調だ。
なりたい職業になれたし、
最近やっと年収400万超えて、決して高給ではないけれど、順調に昇給もしている。
仕事は楽しいし、そりゃあしんどいこともあるけれど基本的に充実している。
セミナー通ったりしてきたけど、最近はもうそういう段階でもなくなって通うのをやめた。
これといった趣味がないので、休みの日は飲みに行くのが主流だ。
夏は1回ぐらいフェスにいくし、秋は紅葉、冬は1回ぐらい温泉に行くとか、
季節性のイベントはちょこちょここなすけど、趣味というほどではない。
ジムとか通ってみたけど、
だいたい週3ぐらいで通ってるけど「たのしー!」とかではない。
とりあえず痩せたいって感じ。そこは順調。おっぱいがすごく小さくなった……
恋人はもう4年ほどいない。
マッチングアプリとか使ってるけどなかなか2度目の食事とかにならない。
し、何人もと同じようなやりとりするのにつかれた。
何がいいたいかというと、土日がひまだ。
いや、楽しいんだけど。なんていうのかな。
別にお酒そこまで好きじゃないのに何を多い時で週に3回も飲みに行ってるんだ。
って思うようになってきてしまった。
一人暮らしだとくらし全般を適当に済ませちゃうし、なんか、こう、張り合いが欲しいな。
NEW GAME!が新入社員入ってからギスギス展開になったとかで一部で発狂してる人達がいる模様。
https://www.amazon.co.jp/review/RUNFLLZSLI1E4/ref=cm_cr_srp_d_rdp_perm?ie=UTF8&ASIN=B071WP7MR4
これまでのニューゲームは好きでしたが、この6巻はまるで違うマンガになってしまいうんざりしました。
専門学校生のインターンとして二人が来ますが、まともに挨拶すら出来ず、先輩の言うことにいちいちケンカを売る、笑顔すらなくガンを飛ばす。
はじめに対して「これって誰の責任ですか?はじめさんたちは正社員なんでミスしても大丈夫でしょうが私は正式採用前の研修中だから、マイナス点が付くと困るんです」お前の責任だろう!お前がやったことのせいで、私の責任にされると迷惑なんだよ!と言っています。
来たばっかりの研修学生が、先輩正社員にこれ言う?いや、ありえないですね
もう1人は青葉に敵対で「青葉さんは気にならないんですか?わたしのキャラデザの実力とか。私クラスで一番だったので上手いですよ」お前なんかより、私の方がずっと上手いんだよ!学校一番の実力だからな!!と喧嘩売っています
たかがゲーム専門学校ごときで成績良かった程度のド素人の分際で、プロとして会社に認められたメインデザイナーの青葉にこれ言っちゃいますか?
ひふみのような可愛いコミュ障でなく、ボーダー障害という真性のメンタル面の病気のようで怖いです。
それに反比例して、今までのメインキャラ出番がほとんどありません。
接触恐怖症は重度のメンタルの病ですよ
フランスの挨拶のビズどころか、このレベルに病んでると電車も乗れません、握手も出来ません、日常生活にも支障が生まれます
作者は自分のゲーム開発会社の経験をもとに書いていると後書きにあったので、回りの同僚でこういうメンタルヘルスに問題を抱えている人達がいたのかもしれませんね
でも、だれもほのぼの萌え漫画にそういうのは望んでません
でもさー良く考えてもみなさいよ、きっかけはねねっちが失言したからでしょうが
なるっちが中学生の頃からゲーム会社に入るためにプログラム一筋でやってきたって話聞いた上で「なんとなく~」「なりゆきで~」って言い方したらそらカチンと来るじゃん
無論、ねねっちが天才だったとしても努力して個人的にうみこさんにも指導してもらう行動力も見せてる事を我々読者はわかってるけどなるっちはその辺知らなかったわけじゃん
で、ねねっちもなるっちの実家の問題や自分で生活費を稼がなきゃならないシビアな状況を知らなかったわけで、それを知った時にあん時まずい対応取ってしまったんやとねねっちと共に読者も理解するって構造になってるのわかんないのかしら。
なるっちのそういう性質がこの後大失態を招くわけで、報いだってちゃんと受けてんじゃん。
んで、ねねっちと協力して相互理解を果たすって流れ、別におかしくもなんともないじゃん。
ギスギスつったって全編そうなってるわけでもなんでもないじゃん、読みゃわかるけど幕間にこんな事もありましたよ、程度のもんじゃん。後の伏線貼ったって程度のちょいギスだぞ
ちょっと話を転がすアクセントつけただけでギスギスギスギスギス~~~!!って発狂する人、端的に言ってヤバくないですか。
まあなるっちはちょっとイヤっぽい感じにしたのは意図的なもんだろうから気持ちがわからないでもないよ。
でもこの手の拒否反応に俺が納得いかないのは、なぜか紅葉までもが同様に嫌なキャラ扱いしてる奴らも多いってこと。
ちゃんと人の名前覚えようとコミュニケーションも努力してる超良い子じゃん
対抗心燃やす青葉にだって1年先輩なんだから敬語使わなきゃって考えてて、めちゃくちゃ良い子じゃん
同じデザイナーとして青葉には負けない!って思うことがそんなにも悪いことなの?
青葉の実力はちゃんと見抜いたその上で負けない!って負けず嫌いなだけで、特に現場に迷惑かけちゃう所は無かったし。
なるっちと一緒にいるってだけで?????マジかよ????????
俺はNEW GAME!って漫画、最初は内容はないようって感じで話はクソつまんないけどkawaiiだけで全て牽引する漫画だと思ってたのね。
まあそれだけKawaiiの力が凄くて俺もついつい読んじゃってたんだが。
でも4、5巻から彼女らにもバックグラウンドやストーリーが存在するんだってわかってそっから俄然面白くなってきたし6巻も俺は満足したんですよ。
だから「ギスギスになって争いも辛いことも男もいないユートピアが崩壊してしまった!!!!許せねえ~~~~」ってヒステリー起こしてる人達がサイコパスかなんかにしか見えない。
「ほのぼの萌え漫画にそういうのは望んでません」ってお前は一方的に勝手に勘違いして勝手に望んで勝手に裏切られたと思い込んでる。
一人のキャラが気に食わないからって、関係ないキャラまで何故か嫌い出すという統失同然の思考まで繰り出して。
この程度でギスギス厭ああああ!!!って発狂するような人達見ると、どこまで精神病んでるんやと日本の将来不安しか感じませんわ。
追伸
id:lwix どうでもいいけど、『NEW GAME!!』な。2期はビックリマーク2つね。/Amazon Primeビデオで2期目以降が別作品扱いになる(シーズン選択で2期に飛べない)のは改善してほしいなぁと思う
俺は原作の話してますんで原作は変わらず『NEW GAME!』ですんで。
これに限らず何でおんなじタイトルで2期目って作れないんだろうか?
!を増やしたり・(中黒)を取ったりして違うタイトル扱いにしなきゃならない理由ってなんかあるの
id:healthy719 大変だけど楽しい!な世界に政治的に正しい意識高い人材を放り込んでもね……。改心の前振りにしても作者はなんか私怨でもあったのかレベル。
別に彼女らが放り込まれても「大変だけど楽しい!」という軸がブレてないしむしろ強化されたぐらいなんだけどちゃんと読んでる?
id:lunaphilia こういう作品を引用して人を批判する内容を書く人って性格が悪そう
嫌ならはてな退会すれば。
こういう所なのわかってはてなやってんじゃないの