はてなキーワード: 紅葉とは
https://anond.hatelabo.jp/20180822005110
こんな程度の噓んこ数字遊びにあっさり騙されるってどういうことなの。脳みそ入ってんの?
そんなことはないだろう。事故が起こる要因を考えればいい、車種で決まるだろうか?むしろ車種によらない要因が主で、更に多数あるはずである。
軽自動車の交通事故件数は 131,909件、登録台数21,847,783に対し、1万台あたりの事故は60.4件と7%程度多くなっている。
普通自動車の死亡事故発生件数は 1,097件、1万台あたり0.28件に対し、軽自動車は 853件、1万台あたり0.39と、普通車に比べ39%も多くなっている。
したがって、車種による安全性を比較したいという趣旨においては、この比較には全く意味がない。
本来であれば速度、事故がおこった道路、出来れば性別・年齢ごとに比較して車種の影響のみを考慮する工夫をすべきだが、元増田が出した数字のみで辛うじて意味のある評価をしたい。
元増田は「②JNCAPの新安全性能評価」において車種ごとの試験結果を比較している。これが実際の事故において、どの程度の影響を持っているか?を見るべきだ。
したがって、事故の発生件数に対する、死亡事故の割合をみるのがいい。
普通自動車 死亡事故 1097件 事故件数 222,486件 死亡事故は、事故 100件に対して0.493件となる
軽自動車 死亡事故 853件 事故件数 131,909件 死亡事故は、事故 100件に対して0.647件となる
繰り返すが、この評価には事故が起こった条件にたいする評価がない。したがって数値にはブレが存在する。この時100件あたりの事故件数の差の 0.154件は有意に危険であるといえる差であろうか?
乗員保護性能の平均値を有意に反映した数字になっているだろうか?その評価は、元増田が出している数字のみからでは行えない。
軽自動車が、普通自動車に比べて、死にやすい危険な車種であるか?は、元増田がやった事故件数の評価では全く言えていない。(安全性能試験の評価数値のみで語るべきだっただろう)
確率は条件がそろえば加減乗除の対象にしてもいいが、何を比較しているのか理解していなければまるで意味がない。
台数あたりの事故発生数は7%増なのに死亡数は39%増ということは、一事故あたり30%多く死ぬってこと(4人乗ってた普通車なら1人生き残れても軽だと全滅する)
まったく意味が分からん無価値な評価だ。なんで死亡事故の増加割合と、事故の発生数の増加割合を引いていいと思ったのだろうか。
7%と39%という評価はミスリード。正解は、事故率は0.5658%と0.6037%なので0.0379%増。死亡事故率は0.02789%と0.03794%なので0.01114%増。さわぐほどの差かね?
恐らく、0.6037 - 0.5658 なんだろうが、引いたことで何を評価できているのか理解できてるのだろうか。。。「割合は」0.0379%「増加」していない。
割合の差は0.0379だが、この場合、あるドライバーが事故を起こす確率は 0.0379% 高いと言って価値があるか?
まだ元増田が1万件あたりに均して、その割合を取って7%と言っている方が意味がある。
これらのコメントに星を付けた奴は阿保。
はてなーは数字も読めない、3行以上の文章は理解できない、タイトルしか読めない阿保ばかりである。
数字を使った場合に、その数字が何を評価しているか?というロジカルシンキングの基本がミジンコほどもできない連中が政治だなんだ言ってるのは笑える。
cider_kondo どうでもいいけど軽運転者に多そうな属性って 1.若葉マーク 2.紅葉マーク 3.大きな車の取り回しに自信がない人 だよね。増田時空には、因果関係がないと相関関係は存在しないの? それとも馬鹿なの?(煽ってみる
俺が分かったのは、お前って奴は
という事だな。頭が悪すぎてどうすればいいのか分からん
俺が言ってることは、相関そのものについてなのは、交絡って言葉一つで、正しく理解できている事を表現できているブクマカの存在で分かるだろ
ある事象の発生確率に影響がある複数の変数が、互いに相関している状態を排除して、1変数(この場合は車種のみ)の確率に与える影響を正しく評価しなくてはならないという事だ。運転手の年齢性別、事故時の速度、気象、時刻 etcとある中で、車種の影響を評価するのは、おまえのような馬鹿が考えるほど簡単ではない。
因果とか、相関とか、時空とか、自分でも意味を理解してない言葉は使うな。
馬鹿だ阿保だ間抜けだと罵倒せずに済むような評価はどういうものか?
論文ではないから評価手法の妥当性を検証せずともいい、条件の絞り込みに蓋然性があれば、多くの人は納得するはずだ
これであれば、
事故発生件数にたいする死亡事故の割合の評価=車種が死因の直接的な要因であることの指標
を書いたら、なんでかすぐに正体がバレてもうたんやけど
ブコメとかツイッターに「で、どこを見ればええんや」って書いてる人が居たから考えてみたで。
セレクションブックとかも出てるけど長編シリーズかっとばしてるからおすすめできへん。
アニメより単行本が一番早いわ。アニメ初期は長期シリーズになると思ってなかったから結構改変もあるねん。
これじゃあ足りんやろって思うかもしれへんけど、最短ルートやからな…。
1巻 すべての始まり
2巻 宮野明美(アニメで改変されてるから、実はアニメって筋通ってないんやで。読みや)
(7巻) ピアノソナタ月光事件。これ最短ルートにはいらんねんけど、外したら怒られそうでな。
(10巻) 西の名探偵 服部平次が初登場するで。黒の組織はまったく出てこーへんけど読めや。飛ばしてええとか言うなや。
12巻 ゲーム会社のやつ。テキーラさん、関西弁やったな。ちらっとバーボンとか言っとんで。
18巻 灰原哀登場
19巻 同上
(20巻) 競技場無差別脅迫事件。どうもなんか未回収の伏線回っぽいから読んどけや。
21巻 ロス行き飛行機の話。工藤の本格探偵デビューや。ここで初めて「本庁の刑事恋物語」がスタート。23巻24巻にパート2。その後の恋物語はぐぐってや。
(25、26巻)命がけの復活シリーズや。ちょっと間だけ工藤が戻ってきてたわ。
28巻 そして人魚はいなくなった「動いたら殺すぞボケ」。服部もかっこいいし超重要な未回収伏線話やから見とけ。
30巻 超弩級の重要回「集められた名探偵! 工藤新一vs.怪盗キッド」白馬探登場。中間テストで西の探偵は参加できへんかった…。
37巻 黒の組織との接触。大ピンチ。ゲーム会社からの伏線回収話。そして最新刊までの伏線やで。
38巻 同上
41巻 42巻につなぐ重要巻
42巻 満月の世の二元ミステリー。ベルモットと直接対決。服部も頑張っとったで。
(43巻)後日談
49巻 同上 本堂瑛祐が登場
56巻~59巻 赤と黒のクラッシュ ここ読まないと、あとが読まれへんで。
60巻 バーボン編開始や。俺あんま出番無かったな。沖矢昴が登場。
65巻 赤井秀一っぽい人が出てくるで。
67巻 赤井秀一っぽい人が出てくるで。
71巻 ある意味黒の組織より衝撃的な工藤と姉ちゃんの最重要ラブコメ回や。
72巻 同上
73巻 世良真純が登場
(74巻) 76巻へのフラグ。博士のやらかしにより灰原ピンチ。
75巻 ウエディング・イブ。安室透が登場(前も言ったけどアムラーここから読むと後で読み直しになるから気を付けや。56巻からや)
(77巻)読むと流れが分かりやすいで。
78巻 漆黒の特急 ミステリートレイン 当時「最も真実に近づくシリーズ」として大々的に宣伝されたで。特別ポスターもある。
85巻 緋色シリーズ 59巻からの伏線回収や。最も真実に近づいたのコレちゃうんか?
88巻 領域外の妹の正体に近づくで。
89巻 ラムの正体に近づくで。
(91巻)あいつの小学校に新しい先生がくるで。大岡紅葉が…初登場やな…。
(93巻)この辺は後々に響いてきそうやから見とけや。
94巻 あいつ呑気に修学旅行行こうとしてるで。(次の回でラブの予感や…「あの方」も分かるで)
頑張って41巻で追いつけるな。言うて最近のやつが一番多いし。
(最近展開早いねん…終わるんかな。まだ俺告白してないねんけど)
奈良県のせんとくん、経済効果が2105億円だか何だか知らんけど、いろんなもんが多過ぎ
まわしを締めた「相撲せんとくん」、桜の花が頭を飾る「桜せんとくん」……。現在、オリジナルのせんとくんを含め、8パターンのデザインが存在する。
県の使用指針には「違う要素を加えたり表情など細部を部分的に加工することはできません」と著作権保護のため、厳格な規定がある。テーマに沿ってせんとくんをアレンジするには、その都度、新たなデザインが求められるのだ。
県は売り上げや製作費用の3%をライセンス料として納めることなどを条件に、商品や広告に利用することを認めており、遷都祭があった10年度には約4900万円の収入があった。
ところが祭りが終わって一段落した11年度は、699万円に激減。同年に県のキャラクターになったのを機に、県は12年度に、「官服」「桜」「紅葉」の3デザインを追加しててこ入れを図ったが、各地に次々と特徴的なゆるキャラが誕生する中で存在感の低下は否めず、16年度は154万円にまで落ち込んだ。県は先月、さらに「はかま姿」を投入し、起死回生を狙う。
通称「海づくりせんとくん」。2014年に開かれた「全国豊かな海づくり大会」PRのため、前年に誕生した。デザイン料約60万円、着ぐるみ代約180万円をかけて作成したが、大会終了後は大型商業施設でのアマゴ販売イベントなど、3回しか登場していない。
県農業水産振興課の一角で、「海づくりせんとくん」は箱に納められている
昨年の「国民文化祭」「全国障害者芸術・文化祭」に登場した通称「はかませんとくん」も、同様の状況に陥る危機にある。デザイン料約60万円、着ぐるみ2体計約330万円をかけて生み出したが、運営を担った大会特別課そのものが、来年度にはなくなる見込み。
実は、私たちが目にするせんとくんには、2種類があるらしい。県の主催事業や県外で催されるPRイベントで会えるせんとくんの多くは、プロのスタッフによるもの。自治体が主催する小規模な行事などでは着ぐるみを貸し出すだけで、自治体職員などがその役目を引き受けているという。県観光プロモーション課幹部は「時々、『元気がない』と指摘をもらいます」と明かす。
ツイッター社の公式マークがついているのが「せんとくんのつぶやき」だ。
奈良県庁の担当者によると、こちらのアカウントでは、主に奈良県全体に関わる情報を発信しているという。もう1つのアカウントが「せんとくん 《OFFICIAL》」で、こちらはせんとくんの活動報告などをメインに発信している。
ツイッターでは奈良県庁が管理する公式アカウントのほか、非公式アカウントもあり、人気のものではフォロワー数は7万を超える。
県ならの魅力創造課の担当者は「問題になる内容はなく、目くじらを立てるつもりはない。持ち味の違う2人のせんとくんを楽しんでもらえれば」と静観しつつ、「公式のフォロワーも増えればありがたい」と期待する。
※なら和み館の場合
「今は売り場のほとんどが『しかまろくん』で、『せんとくん』の売り場はここしかありません」
奈良市観光協会が5年前に作った「しかまろくん」に追いやられてしまっています。
【土産物店の人】
「『しかまろくん』のほうがやっぱり。『せんとくん』は商品がかなり少なくなっている」
お客さんが手にとるのも、「せんとくん」ではありません。
【子供は】
「駅前の土産店なんですが、他のキャラクターグッズに比べると、せんとくんのグッズはやや少ないように感じます」(記者リポート)
店内には奈良市観光協会のマスコットキャラクター「しかまろくん」が所狭しと並んでいて、せんとくんは片隅に追いやられています。
「だいぶ減りましたね。遷都1300年祭が終わった年くらいから、問屋さんが在庫で終わらせていくみたいな感じで」(土産物店)
浦富海岸(風景、海水浴、遊覧船)、大山(登山、ドライブ、紅葉)、摩尼寺(密教のお寺)、雨滝、さじアストロパーク(星空)、智頭石谷家住宅(建物、庭園、紅葉)、久松山+鳥取城跡(桜、高台、石垣)、仁風閣、宇倍神社(因幡一の宮、昔の紙幣)、観音院の庭園、樗谿公園+鳥取東照宮(梅、紅葉)、若桜橋(桜)、布勢の千本桜、わらべ館(おもちゃの博物館)、鳥取県立博物館(常設展示)、人形峠(紅葉)、かろいち(市場、食事)、白兎海岸+白兎神社(縁結び)、青谷の井手ヶ浜の鳴り砂、青谷海岸道路(風景)、大山寺、桝水高原、植田正治写真美術館、三朝温泉(無料露天風呂)、東郷温泉、皆生温泉、打吹公園(桜、つつじ)、鹿野城跡公園(桜)、琴浦町の鳴り石の浜、弓ヶ浜(風景)、境水道大橋、江島大橋(べた踏み坂)、倉吉白壁土蔵群、湊山公園+米子城跡(桜)、辰己峠(紅葉)、とっとり花回廊(植物園)、三仏寺投入堂(国宝、登山可)、大山滝、大山パイロット(夜景)、大江ノ郷自然牧場(食べ物)、住雲寺の藤の花(5月上旬)、小鹿渓谷(紅葉)、三滝渓谷(滝、紅葉)、芦津渓谷(紅葉)、湖山池、青島(風景、桜)、河原城、恋山形駅、青谷和紙工房(紙漉き体験)、鳥取賀露かにっこ館、砂の美術館、妻木晩田遺跡、夏泊海岸(風景)、裏大山の鬼女台、鍵掛峠(紅葉)、鏡ヶ成(紅葉)、燕趙園(中国庭園)、船上山(登山、桜)、安蔵森林公園(オートキャンプ、ログハウス)、人形峠アトムサイエンス館、若桜駅(SL)、大山まきばみるくの里、天の真名井、大山桝水高原、夢みなとタワー、吉岡温泉(ホタル)、米子水鳥公園、大山トム・ソーヤ牧場、岩井温泉、鹿野温泉、浜村温泉、関金温泉、はわい温泉、豊乗寺、らっきょうの花畑(10月下旬~11月上旬)、すなば珈琲、智頭の諏訪神社(紅葉)。
年に1、2回程度会う知人。
アクティブにSNSを使ってる人なんだけど、TwitterでRTしたネタ画像をわざわざ保存してFacebookとInstagramに投稿してるのがなんかすっごく違和感がある。
本人は別に自分で撮影しましたとうそぶく気もなくて「みんなにオモシロをシェアするぜ!」って無邪気な感じなんだけど、画像保存したらアウトな気がしてて。
悪意なく引用元がロンダリングされてしまっているというか、なんというか。
ただ自分もSNSでリプライにネタ画像を使うこともあるから同じことだよなとは思ったり。ただ、いまバズってるネタ画像と、ある種定番の三国志の一コマだったら違うんじゃないか、いや盗用という部分では同じかなとか悩んだり。
仲のいい友人なら「ネタ画像ロンダリング良くないよー」って気軽に言えるんだけど、おもしろい人ではないけど悪い人でもないし、微妙な関係性だし、付き合い的にフォロー外せないし、Instagramはミュート機能ないし、現時点ではなんで良くないのか自分でも根拠がよくわかってないから話が伝わらなさそうだし、だけど自分の中ではこれアウトなんじゃない?って違和感がずっと拭えなくて。
そうしてる間に知人は「チーフがパンティの雑誌画像」とか「紅葉が卍、超絶見ごろなうのコラニュース画像」とかをわざわざTwitterから画像保存してせっせとInstagram/Facebookに投稿してる。無邪気に。
アニメ観てると「この話のコンテ切ってる人は他にどんなアニメやってんだろ」ってなるよね。意外とヤマノススメ関係してた。
新八合目…絵コンテ-鎌仲史陽(5話「二つのキャンプ、二人の景色」演出・6話「お肉と紅葉と謎の湖」絵コンテ)
十三合目…好き。「ネト充のススメ」監督の柳沼和良が同話絵コンテを担当。
十四合目…4話「野クルとソロキャンガール」で登場した長野県の山「霧ヶ峰」を、主人公たちが登る。
あと、3期楽しみだね
ちなみに音楽担当のEvan Callは今季「ヴァイオレットエヴァーガーデン」「ハクメイとミコチ」音楽を担当。
佐々木恵梨が同作OP「Ring of Fortune」で歌手デビュー(ED「ふゆびより」作詞・作曲・歌)。
ちなみに同作の原案・脚本-林直孝は今季「ダーリン・イン・ザ・フランキス」のシリーズ構成・脚本を担当。
天谷颯太 CV.花守ゆみり(各務原なでしこ)。「同じ人だよね・・・?」ってなった。
三ノ輪銀 CV.花守ゆみり(各務原なでしこ)。「同じ人だよね・・・?」ってなった。
他に何か、引っかかった作品あったら教えて。
https://anond.hatelabo.jp/20180112100435
これだけ見るとすごく暗いしコントラストが小さいよね。
ただ、暗い部屋での人の目の順応性のことを思うと、わりとホワイトバランスをうまく調整してくれてそれなりに見えるんじゃないかとも思う。
ところが元の増田も、また、その増田のブコメでいくつか言及されていた色覚異常者が色彩に出会って感動する動画も、それらのリアクションは全て未知の色彩と出会う驚きによって演出されています。
これは同感。そこまで未知の色彩があるわけない。それもたかがフィルター通しただけで。
ただ、自然界がすべての光の波長のパターンを網羅しているわけでもないと思うので、より色鮮やかに見えるパターンというのはあり得るかもしれないと思う。
実際自分の場合、紅葉や赤いバラは肉眼で見ても暗い赤にしか見えないが写真やテレビで見るとものすごく鮮やかな赤に見える。
これらを組み合わせて、この製品が嘘だという最大の根拠を一つ示します。
特定の色の彩度を下げることで鮮やかな世界を作れるとするのであれば、どうして症例にあわせた作例が一つもないのでしょうか。
レタッチソフトを使えばRGBのバランスを変えることは造作も無いことです。
この辺は微妙。
そもそもこの世に存在するRGBやらCMYKというのは色覚正常者にとって最適化されたものなので、色覚異常者にとってはそもそもがずれたものだ。
光というのは本来様々な波長を含むもので、全く同じ色に見えるものでも物質が違えば違う波長の光を含んでいる。
そういう性質を利用して色覚正常者だけが、自然光と同じに見えるようなRGBの三色光とCMYKのインクを選んでいるにすぎない。
とても繊細な調整が必要で、モニターによって色は変わるし、インクのロットが違えば色も微妙に変わる。再現度を高めるために色校正が必要とされる理由である。
モニターや印刷物は1つ1つで発色の加減が微妙に違うのに、色覚正常者はだいたい同じように見えるように調整している。
言い方を変えると、本当は違う色(光)が出てるのに色覚正常者はその違いを認識できない。
これはあくまで色覚正常者向けの調整なので、極端に言うと色覚異常者にはどれも違うように見えてしまう。
だから、作例がないというのは仕方のない話で、やろうと思っても画像ファイルだけを用意すればいいというものではないのだ。
専用のモニターを用意してそのモニターだけで見るようにすればできるかもしれない。
印刷物の場合、指定のインクを使ってきっちり色校正するようにすればできるかもしれない。
(これを実際にやっているのが色覚検査表。あれって自分で買うとものすごく高いのだけどそれだけ手間はかかってる。
http://www.neo-dalton.com/side/check/が簡易的と言っているのもそのため。これは専用のモニターを使ってるはず。)
これまでの自分の実感だと赤緑色弱は本当に個人によって見え方が全然違う。
この増田自身は赤緑色盲(2色型色覚)なのではないかと思うが、赤緑色盲向けの作例であれば可能ではないかと思う。
ただそれをやるのは結構お金がかかると思うよ。レタッチで済むというものではないだろうから。
分かる。
でも彼らには見えてないものが僕らには見えているはずでそっちを楽しんで生きていきたい。
自分はもともと先天赤緑色覚異常だったのに加えて20代でスティーブンス・ジョンソン症候群(wikiは閲覧注意かも)に罹って後遺症?で眼に影響がでたっていう変な状況。
以下、困った思い出とか
1.幼少期のお絵描。クレヨンに色名を書いた紙がないと赤、茶、緑とかの区別がつかない。
だから蓋の裏に色名が書いてあったクーピーはしまう順番間違えると大変。
2.信号。場所で覚えた。色自体の区別はついてない。運転免許は持っていないので特に不便はない。
3.パズルゲーム。ぷよぷよはぎりぎり形で判別できたけど、ときメモのぱずるだまは出来なかった。パズドラの補正はちょっと嬉しかった。
5.小学生時、紅葉を見て「綺麗だね」と言った母に「よくわからないんだ」と返してしまったこと。
このことがきっかけで色覚検査をうけたような覚えがある。検査後母に謝られたのはなんか今でも良く覚えてる。
誰も悪くないのに難しい。
6.家電、電子機器のお知らせランプ。「正常時は緑、エラーのときは赤」みたいなの。
大きいと周りとの差で何となく分かることもあるけど小さいとどっちにしろ光ってるだけの代物
7.UNO。有名。去年だっけ、色覚異常者向けのが出来たのって。
8.焼肉。有名。焦げ始めないとわかんない。
9.黒板に色付きチョーク。白、黄、青のチョーク以外は何書いてあるかわからないこともあった。
10.黄色系の色が目に刺激が強すぎて眼鏡のレンズに色を入れるようになった。色覚補正レンズではないただ色の入ったレンズだけど。
11.体調次第で明るさに凄い補正がかかる時がある。晴れてる昼間なのに薄暗かったり。大体夕日が完全に沈んじゃったくらいの暗さかな。
今までの対応は場所とか他の要素で判別できるものがあるときはそれを機械的に覚えちゃう。
色でしか区別がつかない時は周りに頼るか、諦める。なので事前に周囲にわかってもらってると楽。
生活の中では単品で何色か判断することよりも何かと比べて何色だって判別することのほうが多いような気がするし。
なので色以外で判別できるように形だったり文字入れたりとかして欲しいものは結構ある。
PCをいじり始めてRGBって概念知ってからは色々判別は楽になったな。数値化できるって素晴らしい。
お陰で初音ミクの髪の色が随分緑がかってるんだなってわかりました。
色覚異常者です。
もう手遅れかもしれませんが、本当に本当に辛い思いをしている人間を、さらにその希望まで踏みにじるようなことは止めてください。
残念ながらこの製品はフェイクであり、この体験記もフェイクです。
それがフェイクであることは、このサイトの中で簡単に証明できます。
http://www.neo-dalton.com/side/check/
色覚異常者であるわたしは、一般とされている画像が52と読めます。
(健常者に確認を取ったわけではありませんが、ここにはおそらく89と書かれているのではないでしょうか。)
そして画像の番号が進むと同時に89という文字が視認できるようになります。
わたしはA7で視認できました。
お気づきでしょうか。
89は確かに読めました。でも、これが色覚異常者が見たいと願う色の世界でしょうか。
52と読めてしまう背景には、健常者であれば区別できる色の違いが色覚異常者には区別できないことに原因があります。
健常者であれば区別できる数色が、色覚異常者には緑のような茶色のような灰色のようなどれとでも取れるような色に見えているのです。
それを色覚異常者でも色の区別ができるようにするには、こうして世界全体の色を替える以外に手段はありません。
つまり、この画像が色覚矯正メガネをかけて見える世界ということです。
世界から緑をなくせば紫に転ぶし、赤をなくせばシアンに転びます。DTPをやったことある人間ならすぐにピンとくる話だと思います。
確かに青ははじめよりも青く感じるので一概に元の増田が嘘とはいえませんね。
色覚異常とは、ある特定の色に対してそれ以上の彩度を感じられない症状のことをいいます。
つまり、どれだけ色のバランスを整えたとしても、今まで感じたことのなかった彩度以上の色彩を感じることはありえません。
ところが元の増田も、また、その増田のブコメでいくつか言及されていた色覚異常者が色彩に出会って感動する動画も、それらのリアクションは全て未知の色彩と出会う驚きによって演出されています。
おかしいですよね。今以上の彩度を感じられる器官を持たないのに、メガネをかけると見えるだなんて。
つまりそれらは矛盾であり、感動ポルノを作り出すための演出であることがわかります。
これらを組み合わせて、この製品が嘘だという最大の根拠を一つ示します。
特定の色の彩度を下げることで鮮やかな世界を作れるとするのであれば、どうして症例にあわせた作例が一つもないのでしょうか。
レタッチソフトを使えばRGBのバランスを変えることは造作も無いことです。
それぞれの色覚異常の症例にあわせて、その人がメガネを掛けることで見える世界を簡単に再現できるはずです。
それが出来ないのだから、残念ながらこの製品がフェイクであると言わざるを得ません。本当に残念です。
もしこれが配色を変えることで色の境界をわかりやすくする程度の製品であれば疑いません。
しかし、今以上に鮮やかに見えると謳うのであれば、それは詐欺でしかいいようがありません。
色覚異常に同情し、それが解決できた気持ちを喜んでくれることは本当にありがたいことです。
だから、元の増田にブコメが沢山ついたことも、あの動画に沢山の感動が寄せられたこともとても好意的に思っています。
しかし、残念ながらその行動が、詐欺を助長してしまう結果になっていることは本当に遺憾です。
始めの頃は肌色が再現できずに相当悩みましたが、いまではあえて特定色の彩度を下げることで自分にしか見えていない世界を写真として表現するようになりました。
その独特の色彩感覚が人には面白いらしく、むしろ被写体の色が湧き上がってくるような写真だと周囲からもとても好評です。
(誤解のないように付け加えますが、この写真は意識しないと気づかない程度に被写体以外の彩度を失わせるという演出です。こちらでいうようなすべての色が色彩を増すわけではありません。)
自分が色覚異常者として生活を続けることでたどり着いた結論は、「失うことは得ることと同意」ということでした。
普段人ができないような何かを失う経験そのものが、かえがたき貴重な経験として得られるものだからです。
それならばないことを嘆くより、得られたものを喜べたほうがよいですよね。
そういう様に考えるようになってからは、自分が人よりも劣った存在だとは感じないようになりました。
これは同じ問題に悩む人間全員に一番に伝えたい事でもあります。
そうはいっても例えば紅葉が綺麗だと言われる度に、他の人が見えている世界を見たいと願う自分がいます。
だからこういう製品や記事が流れる度に、どこかに期待してしまう自分が否めません。
もしこれが詐欺だったときに涙をながすかもしれない人を想像してもらえるなら、ほんの少しだけその感動を安直にシェアするべきか踏みとどまって頂けたら幸いです。
クリスマスが終わった。
息子は2歳になった。
まだ言葉もしゃべれないし、枕元にプレゼントがあってもとくに意味は無いので、普通にクリスマスのタイミングで大きな玩具を与えるに留まった。
そのかわり、クリスマスツリーなどにはたくさん触れ合った。
今年から我が家にもクリスマスツリーを導入した。「家にあったクリスマスツリーは大人になっても覚えている」ということを妻と確認したからだった。
ツリー選びも2人でかなりこだわった。あまり意味は無いんだけど。
すぐに電飾のスイッチの押し方をマスターし、朝起きてピカピカしてないと
「あっ」
と指を指して、ツリーに駆け寄りスイッチオン。そしてにっこり。
それからというもの、至る所でピカピカ光る木が置いてあることに大喜びだった。クリスマスツリーを買って本当に良かったなと思った。
別にキリスト教徒ではないが、日本のクリスマスは季節を感じるための行事だと思っている。
お正月にお雑煮を食べ、春に花見をして、夏に花火をみて、秋に紅葉を見るのと同じ。季節を感じながら生きることは心を豊かにすると思っている。それ以上でも以下でもない。
さて、来年からは言葉もしゃべれるようになり、頭も良くなるだろう。
俺は性格上「サンタが来たよ」と何の考えなしにウソをつくのは気持ち悪くて。あんまりしたくない。
だから本当は「クリスマスだからはい、クリスマスプレゼント」「パパママ、ありがとう」というやりとりがしたい。
それが平和だと思っている。でもこんなことを考える。
うちのこ「サンタさんなんていないんだよ!」
サンタクロースを信じることは誰にでも認められるべきクリスマスの楽しみ方だ。絶対に認められるべき権利だ。
それをうちのこが「パパが言ってた」なんてクソみたいな根拠で踏み潰されたらたまったものではない。どんな悪者だよ。
個人的にはサンタクロースもクリスマスの大切な概念なので、うちの子にもサンタさんは大切にしてほしい。
そして、クリスマスに意味もなくサンタクロースやトナカイを眺めて幸せな気持ちになり、1年を振り返るとポジティブに1年を振り返りやすくなるという日本の文化を存分に活かしてほしいと思う。
日本のクリスマスは「文化の良いとこ取り」が得意な日本人を象徴する文化だと思う。うちの子にもその楽しさは教えてあげたい。
でも、「クリスマスプレゼントをサンタさんが家に侵入して置いていったよ」なんていう大胆なウソをつくのは、俺にはちょっぴりこっぱずかしい。
そして、そもそもそんなことを子供は信じないのだ。「絶対におかしい」と思う。
でも、お父さんとお母さんは「サンタさんが持ってきた」という。だから、信じている。
俺はこれって「サンタさんを信じている」のではなく、「お父さんとお母さんを信じている」だけだと思う。
子どもは「サンタさんがいる!」とストレートに思っているわけではなく、お父さんとお母さんが「サンタさんが持ってきたよ」というからいると信じている。
この時点で、もうあまり意味はないんじゃないかなと思っている。
サンタクロースは実在しなくてよい。ミッキーマウスが実在しなくてよいのとまったく同じ理由だと思う。
これらを総合して「サンタさんは否定してほしくない。でも、プレゼントをサンタが持ってきたと言いたくない」というモヤモヤが発生。後者は完全に自分のエゴでもある。
でも、起きたら枕元にあるあの演出。あれは嬉しい。
そこで来年からは「クリスマスは枕元に注目」ということだけ教えようと思う。
そして、人によってサンタクロースは違うんだとも伝えたい。サンタクロースはたくさんいるのだと。
うちと同じようにパパとママがサンタの場合もあれば、トナカイとソリでやってくる場合もあるかもしれないと。
もし一度「ぼくもサンタからプレゼントが欲しい」と言い出したら、サンタからプレゼントをもらったという演出をするかもしれない。
スウェーデンの謎のおもちゃとかをプレゼントする演出をするかもしれない。
でもその時は「いや、その年はサンタが来た」と大人になっても言い続けてあげよう。
これが正解かはわからないけど、しばらくはこれでやってみよう。
聡明でかわいらしい、素敵な彼女だった。
酔狂にも俺というオッサンを選ぶくらい、独特の価値観を持つ女性だった。
おまけに脳内存在ではなく、実在しているときた。二次元相手にすら恋愛という感情を覚えることができないままぶくぶくと肥ったオッサンには過ぎた幸福であった。
三十路半ばに降って湧いたように訪れた初恋は一年と少しで消えていった。
仲違いではないし、ケンカをしようといっていたけれど、それも楽しみにしていたけれど、結局できないまま終わっていった。
わかっていたことだが、未来よりも過去が強く、彼女は聡明でやさしく、俺は弱かった。
「いつか、彼女が俺に愛想を尽かすだろう」と、非モテのオタクらしくビクビクした卑怯で惰弱な予防線をはりめぐらせ、それでも卑屈にならぬようにつとめて一年を過ごした。
それは思い返しても幸福で濃密な一年で、一人で過ごしたこの一年はただネトゲとソシャゲの数値を漫然と増やすのと同じ時間であることがにわかには信じられないほどであった。
我々は遠距離であったから、一年の間にともに過ごしたのは実質3週間かそこらといったところではなかろうか。
俺は身に余る幸福を、軽々に疑うことなく、その一瞬をひとつづつ大切に味わい、決して忘れないようにしようと思ったのだ。いつか失われるものだと予感していたから。
別れを告げられる前の、楽しそうだった最後のデートで時折見せた憂いの表情で確信にかわった。
もちろん決裂を回避すべく、さまざまな方策が取られた。しかし、竹ヤリで飛行機は落ちない。俺にできることはこの先のお互いの平穏を用意することしかなかった。
万全の心の準備があった。
傷付かずにいられると思った。
やせ我慢などではなく、こんな甲斐性も主体性もない男に生まれてきたことを感謝させてくれてありがとうな。なんて思っていた。
愛想をつかされたわけではない、しかし、どうしても避けられぬ別れを。一緒になるには俺が俺であること自体が障壁になる理由を、来るべき三行半をLINEでしぼりだすように送られたとき。
ここからの余生が決定された。
このハッピーにもほどがある一年を思い返し、少しずつキャラメルをなめるように溶かしながら生きていくのだ。
それはそれで悪くないと、口を半開きにして漫然と生きてきた自分には身に余る幸福なのだと本気で思った。
恋をしたことがないオッサンは、恋に免疫はなかった。ぶっちゃけ甘く見ていた、ひどくナメていた。今自分にとりついている無情感、寂寥感、つかれ、首の凝り、残尿感、就寝後喉から込み上げてくる胃液で灼ける喉、そういったものは一時的な症状で、一年もたたないうちに治るのだと。
そうしたら、突然推しが自分ちの台所で白米を炊き始めたのを目撃した女子のごとき切ない声をあげてうずくまるようなこともなくなるだろうと軽く考えていた。
これは失われゆくときに効果を発揮し、一生をかけて宿主を食らう猛毒の類であることに。オッサンはようやく最近気づかされてしまった。
余生のはじまりであったこの一年は短いが、人生を支配するには十分な期間だった。
一年には四季があった、ふたりでいろんな話をしながら、様々なところにでかけた。おそらく、ほかのつがいたちがそうするように。我々もさんざんそうした。行こうと約束したきりの場所が、いくつもあった。
ひょんなところで、どうしても、少しのきっかけで思い出してしまう。
つきあっている間から、ちょっとした瞬間にこねくりまわしていた甘い思い出たちが、刃を剥いてオッサンのやわらけえ心をズッタズタに切り裂いていくのだ。
お揃いで買ったボールペンを筆箱から取り出したとき。町中でてんぷらそばの香りが漂ってきたとき。美しい紅葉を見たとき。バスの中が閑散としていたとき。Twitterにネタ画像を貼ろうとしてカメラロールをたぐったとき。カップル用の写真置き場として導入したアプリに「もう別れた」と告げることもできないままだったから「つきあって2年目ですおめでとう」という通知が臆面もなく画面に現れたとき。テレビにサメがでてきたとき。花火の音を聞いたとき。モネの絵を見たとき。映像の世紀のテーマソングが流れたとき。海。いきつけの居酒屋。空が透き通るように青かったとき。ふたりで行こうと話していたその場所への旅行記。机の引き出し。
容赦なくそれらにまつわる我々のイベント一枚絵がフラッシュバックしていく。
思い出がたのしかったほどに、もはやそれらが二度と訪れないことを突きつけていく。無能で怠惰だった自分を上っ面だけなじって、甘い記憶の反芻にくたびれる。
そして文字通りくたびれたオッサンは何度目か忘れた記憶の反芻の果てに、ふと気づいてしまう。
たった一年だ。
たった一年でも、強い記憶でも、そのすべてをわすれないように目に、鼻に、耳に、手がかりをのこして脳の一番とりだしやすい引き出しにこうしてしまいこんだつもりでも。
どうしたって、あせていくのだ。あせていく割に、思い出したときのダメージは軽くなりはしない。ただうすくらがりの割合が増していき重くなっていく。
なんて意味のない自問をして、やめて、また自問して、夜が明ける。
どうすればこの変質を止めることができるのか。
高校生のうちになやんで置くべき事をいまさらやりはじめているから、だれもその無意味な思索を止められない。
俺の印象に沿って変質した思い出を、きっと刻み込んだ瞬間から変質しつづけているその代替品を、いつまで、いつまで舐め続けることができるのか。俺が改竄したのは、いったいどの部分か。彼女の行動か、表情か、懊悩か、それらを突きつけられまいと先手をとって口先で蓋をしていった愚かで卑しい自分の行動か。
傷つけるかもと言おうとして言えなかったうわっつらの言葉か。
いや、それに妥協する自分を、自己愛を自覚していますみたいなメタい達観視点で、別の自分を用意したあげくのいぎたないマウントをキメる惰弱な自分への嫌悪感だ。
こんなものが、二度とこない、見ることのできない美しい追憶の邪魔をする。
しかしこんなものがなければ俺はきっと、こんなこともわかりはしなかった。
冒頭で「フラれたときに、余生を決定した」と言った。
20代のはじめに自分というハードウェアの脆弱性に愕然とした自分は、ここより余生という看板を高々とかがげ、レールにトロッコを設置してゆっくりと坂を下りはじめた。山にぶつかるまでが人生だと割り切ってみると、けっこう空は綺麗だったし、白米は噛むと甘かった。
思い出じゃなくて、君と君と一緒にいる自分自身を。
なんて、ありあわせの後悔を口に出せば、どうしたって、安っぽくなる。
感謝の言葉を書き連ねたいが、それここでやるにはあまりにも浅ましすぎる。
誰の目にもつかず埋もれるか、「貴様の贅沢な懊悩など見る価値ないわ」と吐き捨てるように扱われたいだけなのに。
そうでもされないとやっぱりやってられないくらいにただひたすらに、いまだに、恋しさだけが、こびりついていく。
こんな寒い日に、さびれた地方都市のビジネスホテルで、小さなシュトーレンを分けて食べた。
みんな! 現実には存在しないキモオッサンの気持ちになって書いたキモポエムをここまでよんでくれてありがとうな! 愛してるぜ!
見ました。レポートありがとう。(わりと少なめの文字数でわりと多くの情報を伝えるスキルを感じた)
自然体で楽しめたという感じなんだね。よかったね。
増田は素直な人で、素直であることで誠意を伝えるタイプなのかなって思いました。とても素晴らしいことだと思います。
ただじゃっかん繰り返しで申し訳ないけど、気持ちが溢れてしまってアンバランスにならないように、相手の気持ちの大きさもよく観察してください。
彼に会ってもらってるとか話相手をしてもらってるとかっていう感覚にならないように、あまり下手(したて)に出ないようにしてほしいです。相手も楽しんでくれてるはずだし、感謝もしているはずです多分。基本的には健全な恋愛は対等な相手とするものだと思うので。
適度な間隔で忘れられないように連絡するというのは、相手の好みもあると思うので正解はわからないなー。
なんとなく自分の場合を振り返ると↓な感じですかね。。(恥ずかしいので後で改変するかも)
(1)季節ごとに一緒になにかしようみたいなことを決めておいてそれについての相談をする、みたいな。
初詣→花見→花火→紅葉→イルミネーションとか、それか、おしるこ→桜餅→柏餅→スイカ→かき氷→ビアガーデン→焼きいも→鍋 とかそんな感じ。もっとマニアックなイベントでもよいかも。
2人でブレストして決めたりしたら楽しそう。で季節が近づいてきたら「お花見どこいきますかねー」みたいに連絡できそう。
(2)2人とも好きな映画監督とか俳優とかバンドとか、そういうのの最新情報を交換する、みたいな。
そこからまた映画いこうとかなりそうだよね。最新情報いち早くお届けbotみたいになりそうだからそれだけ気をつけよう
(3)「こんにちは。覚えていますか…?」「元気?今度ご飯いこー!」みたいなノリ
おじさんがやったらウザいやつ。以前、半年にいっかいくらいこういうのくれる女の子がいて、自分的には印象はわるくなかったです
(4)共通の友人知人がいると巻き込むとバリエーション増えそうだけど、いまいないなら難しいですね。無理に作る必要はないです
(5)あとはもう酔っ払った勢いで連絡しちゃうとか。自分は別件で飲んだ帰り道とかにメールしてしまうことが多かった気がします。
そういうときの内容はてきとーです。そこそこ親密なら「さみしくなったのでメールしました/電話しました」みたいなのでも
バイバイのときの別れがたい感じいいよねキュンとする。読んだ感じだと、そのタイミングで挨拶ぽい感じで少し手を握ってバイバイってするのはありなのかもと思った。無理することでもないけど。
次会うのは年明けくらい?クリスマスの約束してもよかったんじゃないかと思ったけど、焦らなくてもいいのかもね。見てないからそのへんの感じはわからないや。
とりあえず振られたのがこの増田じゃなさそうでよかった。
http://www.mag2.com/p/news/334641
紅葉シーズンで外国人観光客激増だが、皆、オンライン決済の白タクシー使うから、京都のタクシー利用客は激減なんだとさ。
正直、自業自得だと思うなぁ。何年か前に仕事で紅葉シーズンで京都行ったとき、ちょっとだけ時間が出来たから南禅寺に行ってタクシーで帰ろうと目の前に停まっていたタクシーに住所行ってお願いしたら、グーグルマップだと1キロ進んで右に2キロぐらい進むだけなのに「行けない行けない、ずっと遠回りしないといけない」とか言われて乗車拒否されたわ。
グーグルマップのルートで出てきたから、実は一方通行とか実は曲がれないとかもないはず。
京都の人はイケズやなー、と思いつつ、蹴上駅から電車とバスで急いでギリギリ次の仕事に間に合ったけどさ。そ~やって京都のタクシーは客選びしてるから、こーゆーめに会うんじゃないの?