はてなキーワード: 科学者とは
かつてソビエト連邦では、メンデル遺伝学はブルジョア主義に基づく誤った学説であるとして否定され、獲得形質が遺伝するというルイセンコ学説こそが共産主義に基づく正しい科学であるとされた。
ソ連国内でメンデル遺伝学を正しいとする生物学者たちは、シベリア送りになって死んだ。
当時、日本でも共産党を支持する科学者の多数が、政治的な理由からルイセンコ学説を支持した。その後、ソ連国内の政治権力の変化によりルイセンコが失脚し、ルイセンコ学説に基づく農法に効果は無かったと明らかになった。しかし、ルイセンコ学説を支持した日本の科学者たちは、自分たちの過ちを認めることはなく、まるで最初から支持していなかったかのように振る舞った。
共産党は何も変わらない。論理や科学的な根拠ではなく、思想に基づく結論を先に用意し、現実の方を曲げようとする。今まさに、ルイセンコ学説と同じ過ちを再び、表現規制論でも犯そうとしている。
https://www.youtube.com/watch?v=QAugnlK74Tw
実はですね、統計学というのは、非常に複雑な対象をですね、適当な形にまとめてなんとか処理をしていくと、そういうときにどうしても必要な考え方なんです。私自身のそういう見方は必ずしも現在ふつうの統計学上のみなさんの考えとは、全面的には一致しないかもしれませんですけれども、でも、あらゆる科学の分野に関係している、技術の分野関係している、そして事実、私自身の仕事に哲学者がですね、関心を示しているようなことがありますから、科学哲学、ようするにものの考え方に関連するところは、どこにでも関係していくと思います。
創造性を維持するっていうよりも、やはり即当面の問題に集中するっていうことですね。そして、適当な、常識的な解で満足してしまわないということです。要するに自分が当面している問題を徹底して理解するというか把握して、納得するまでやると、そういう構えがあれば、どんな問題でも創造性は出てきます。要するに簡単な問題なんかないんです。実際は一見簡単で、みんなが普通にこういうことをしているから同じように処理すればうまくいくと思ってしまうところで、創造性なくなるわけです。そうじゃなくて自分で本当に納得するまで捉えると、そういうことを続ければ、どなたでも誰でも創造的な仕事に到達すると、そういうものだと思います。それが科学ですね。問題っていうのは、こうやはり一種の戦いのように思うんですけれども、これを累積させない限り創造性は出てこないと思いました。
科学者に限らないんですけど、私、戦争が終わった時にちょうど海軍兵学校卒業間近でした。もう一期前の人は特攻に行ったような人もいるような、戦死した人もいるような、そういうクラスでしたから、やはりその頃はですね、明日は自分が出ていくのかなという日々でしたから、それはもうやっぱりそういう問題には直面してたわけです。それで「人間が生きていくっていうことはどういうことなんだ?しかもそんなところで自分は毎日何をしていたらいいだろう?」そこで私は先に戦死した叔父の残していった数学の本をですね見ながらまあ数学でもやっていますかと言って海の水を見てた訳です。ところが終戦になって帰ってきた。だから当然今度はその国家社会の復興と、そういうことに自分たちが努力してなきゃいけないと思って帰ってきた。ところが社会のですね、価値観というか倫理観のようなものは急激に音を立てて変わる訳です。それを目の前で見ているとですね、それは茫然自失するっていうか、どこに自分が足場を置いたらいいのだろうってことはもう非常に悩みました。悩んでいるうちにですね、やはり結局、自他の生命の尊重と、自分の生命と人の生命を尊重すると、それが全ての道徳の基本なんだと、自分たちの生き方を律していく上での基本なんだと、これさえしっかり押さえていけば、どこでどんな生き方をしてもよろしいと、こういうふうに考えるようになりました。ですから、いわゆる科学者じゃなくても、どんな人がどんなところで働いていても、そこだけ抑えていってくだされば、将来は明るいと思いますけど、ややもすれば、単純な専門分野の知識に惑わされて盲目的な行動に走る、この点だけは、やはりこうはっきり分けて認識していただくしかないと思います。
好きなことに熱中してですね、とことん妥協しないでちょっとの混乱には絶対へこまないでですね、やり抜くと、要するに頑張り抜くとこういうこと以外ありません。これさえあればどんな分野でも、どんな仕事でも、必ず成果が得られるとそういうふうに思います。
前回は塩を多く入れ過ぎて塩辛くなり過ぎたから気をつけないといけない。
古くくたびれた30年モノのステンレス製取っ手付き鍋に水を入れる。
パスタを茹でるための鍋としてはかなり小さいながらも買い替えるには少々勿体無い。
底にある模様は汚れだろうか、いや違うな、経年による変色だ。その証拠にスプーンの先で擦ってもちっとも手応えがない。
ペペロンチーノの塩加減は水に対して塩1.5%が目安らしい。
でも、名前だけは聞いたことがある何だか有名っぽいシェフが「パスタの茹で汁は味噌汁より濃い目で丁度いいんですよ」なんてドヤ顔で言ってたのを思い出して毎度安心する。
自分は今腹が減ってる。さっさと鍋を火にかけて早く食べたい。
そう思いながらガスコンロを点火して強火にする。
いつか火災が起こるリスクを潜在的に感じられる程度には古いガスコンロ。
うちのガスコンロの強火と他所のガスコンロの強火は同程度なんだろうか、そういう規格として統一されているんだろうか、もし違ってうちの強火が他所の中火程度とかならうちだけ湯が沸騰するまで時間がかかってることになるけどそれは嫌だな。
などと余計な事を考えつつも、時間がない。
さっさとニンニクを刻まなければならない。
のんびりし過ぎてパスタを茹で過ぎた結果全く歯応えのないペペロンチーノが出来上がるのだけは避けたいからな。
古びたプラスチック製まな板の上に房から雑に千切ったニンニクを2片置く。
切れ味が悪くなったから申し訳程度に研いだ包丁でニンニクの付け根をカットしつつ皮を剥く。
薄皮が少し付いてるけど水洗いしようかな、でもあとで油ハネすると嫌だから洗ったあとはしっかり水切りをしないとな…。
いつもニンニクの1片は潰してもう1片は刻むことにしている。
そういえばニンニクは傷つければ傷つけるほど強い味になるらしい。一体どこの誰が実験した結果なのか知らないけど、何だか死に際から生還すればするほど強くなるサイヤ人っぽいな。
無論、ニンニクの芽は取り除かないといけない。後で焦げて苦くなるから気を付けないと…。
***
湯が沸騰する。
1人前は100gだなんて聞くからおおよその自分の感覚で100gのパスタを手に取り全体を捻るようにして鍋に入れる。
上手くいく時はパスタが放射状に綺麗に広がるけど失敗すると上手く広がらない。
世界中を探したらこれを使ったパスタ占いなるインチキ占い師が一人は居るんじゃないかな。いや居ないか。
この時に火を弱火にしないと鍋の縁に当たったパスタが白く焦げるんだった。以前に焦がした時は少しその部分が硬くなってたな。でも食べてて気になるほどでは無い。別に誰かに食べさせるわけでもないけど変に完璧主義なのかな。焦げないように弱火にしてさっさと鍋の底にパスタを沈める。
***
潰しておいたニンニクは大きくて火が通るまで時間がかかるから先に熱する。
潰したニンニクがシュワシュワしてきたタイミングで残りの刻みニンニクと唐辛子を投入して待つ。
これは「ニンニクを揚げる」ための時間じゃないんだ、あくまで「オリーブオイルにニンニクの良い香りを移す」ための時間なんだ。
そう自分に言い聞かせながら待つ。
ここで絶対に焦がしてはならないんだよ。焦がしたニンニクの香りが付いたオリーブオイルなんて自己嫌悪に陥るほど苦くて不味いからな…。
ニンニクの香りが嗅覚を通して食欲を刺激してきたらフライパンの火を止める。このくらいが苦くなるか否かを分けるデッドラインだろう。
もっとも、ここですぐに茹で汁を加えるような愚行に走ってはならない。高温で熱した直後の油に茹で汁を入れれば水蒸気爆発の様な現象が起こり細かい油が辺りに飛び散る。
油が飛び散っただけならまだいい。
フライパンの火を止め忘れた時など最悪だ。
その飛び散った微細な油がコンロの火に引火してフライパンに火柱が立ちキッチンの天井が焼け焦げそうになる。
もうあんな怖い思いは二度としたくない。
それに「ペペロンチーノを作ってて火事になりました」なんて恥ずかしくて口が裂けても周りに言いたくないからな。
過去にフライパンに火柱が立った記憶のフラッシュバックと、もし火事を起こしてしまった場合の未来の世界線のイメージがことのほか自分を注意深くさせ戒める。
そうだ、ニンニクがシュワシュワしてるうちはまだダメだ。シュワシュワが十分に収まってきたらでいいんだよ…。
***
一気にオリーブオイルの量と同程度の茹で汁を加えるよりも少しずつ加えながら混ぜた方が乳化が上手くいくというのが経験則だ。
いや、出るだろうな。
でもその機械をわざわざ買いたくなるほど料理に熱心ではないんだよな。
でも機械派には味で負けたくないし。
そんな思いが必然的に混ぜる手に力を入れさせる。
理想としてはジャムの瓶みたいなのに入れてシェイクしたくらいには混ぜたいかな。
黄色い液体と透明の液体が混ざり合っていくうちに段々とその境界線がぼやけてくる。
不思議と白っぽく濁ったような色が出てくる。
黄色+透明=黄色なはずなのに黄色+透明=白濁した黄色になるから「不思議」だって思ったんだよ。
その不思議の解明はどこかの暇な科学者だか研究者だかに任せて一旦棚上げするとしてさ。
黄色い白濁したとろみのあるスープは何だかキラキラしてて黄金のスープに見えるな。
どこかのラーメン屋だかの宣伝文句で見ただけの陳腐なワードが頭に浮かぶ。
ゆらゆら揺れる金色の波が眼前に広がると共にその波に浮かぶニンニクの刺激的な香りでひとり悦に入る。
***
火の通りすぎた柔らかすぎるパスタは何だかチープな感じがして好きじゃない。
別にソフト麺が悪いわけじゃないけどもう少し大人びた料理にしたいからさ。
これから麺上げしてスープに絡めて皿に盛り付けるまでの過程を逆算して丁度良いと思われるパスタの歯応えを確認してから茹で汁を切る。
取っ手付きのザルにパスタを入れて4~5回ほどサッサッと。
そういや以前友人と行った有名ラーメン店は湯切りの動きに合わせて「シュッ!シュッ!」とか声を出してたな。あの声出しは麺の湯切り作業において全く意味を為さないよね。ただのパフォーマンスだよね。いや、やってる本人もわかってると思うんだよ。でも店のプロデュース・演出の一環でさ、上から言われてて無理矢理やらされてるんだろうね、きっと。などと想像を膨らませながら友人と会話をしたのを思い出す。
スープにパスタを全て入れたらフライパンを揺らしたり煽ったりしながら最後の乳化作業を進める。
「別にフライパンを振れない人は箸でかき混ぜたっていいんですよ?」とか動画でアドバイスしていたどこかの料理人に反駁するかの如く念入りにフライパンを振る。
自分は素人かもしれないけどドが付くまでの素人ではないんだみたいな変なプライドなのかな。
フライパンの中にいい感じに収まったパスタとそれに絡みつくニンニクと唐辛子を見ると漸く安堵の域に達する。
今日も無事に辿り着けた…。
***
皿に移そうか、いや、どうせ自分独りで食べるんだ、スキレット的な感覚でフライパンに乗せたままそのまま食べよう。その方が冷めなくて良いし。
面倒くさがる自分にそうやって言い訳してるんだか本当にそう思ってるんだか分からないような気持ちでパスタに箸を通す。
確かにコンビニなんかに売っているペペロンチーノとは見た目が全然違う。
でもシンプルで見栄えがしないながらもきっとイタリア人の家庭料理としてのイタリア本格パスタはこんな質素な感じなんだろうな、とか、
よく日本人の家庭料理は頑張り過ぎだって外国の人は言ってるのを聞くし、とか、
行ったこともない異国の地について自分が勝手に作り上げたイメージに思いを馳せて、自分を無理矢理に納得させながらパスタを啜る。
でも。
やっぱり少ししょっぱいかもな…。
見てないのもそこそこ
一覧、大枠ストーリーはアニメイトのサイトが便利(https://www.animatetimes.com/tag/details.php?id=5947)
前期で面白かったのは かげき、メイドラ、ジャヒー、Night head2041
感想には偏りが強い
細かいことは気にすんなの展開で進むのと狙ってる客層が決まってる感
ただクオリティは高いしノイタミナ枠でアニメ化するくらいだから先々で面白いと言える作品なのだと思う
序盤の無様さが受け止められるかどうか
男性ヒロインが何故か真田の鎧で主人公の姫をぶっ叩いて1話終わり
コメディの割合と本筋ストーリーとのバランスが取れてれば期待できる
かぎなど
鍵作品見てきた人なら楽しく見れるはず
でもその素材が6年前のゲームってどうなの
がんばれ同期ちゃん
異次元から軍国日本が現代日本にSDサイズロボットで攻めてきて掌握、サブカルを禁止したので戦うって設定はそこそこ凝ってる
ロボアニメだけどSDサイズ(2頭身)なので迫力には少し欠ける、操作は主人公とヒロインの2人1組かつヒロインの気力(メンタル)でパワーが決まるシステムは色々使えそう
全体的にクオリティは高くオリジナル設定がかなり多いのでそこが合えばハマる、今後のストーリーは全く予想できない
吸血鬼が死ぬだろうな〜って場面でちゃんと死んでくれるので楽しめる
境界戦機
ガンダムじゃないけど基本的にはガンダムのストーリー展開、ロボット物
敵機に人を乗せないことで破壊へのハードルを下げたのはナイスアイデア
主人公機の色味は完全にガンダム、デザインはガンダム世界ならエースモブ程度
日本が分割支配されてる設定なので敵の機体デザインが00のように分かれてるけど主役と相対した時に映えが不安
深夜でやる内容か?
※指摘有、日曜の朝でした申し訳ない
朝ならこんな具合でいいのかもしれない
良くも悪くも引っかかりがないので大きく展開できるかは微妙
前期紙芝居と叩かれたけどそこまで悪くなかった
ちょっとだけセリフが聞き取りにくい部分はあったのが直ってれば楽
これは見続けることで面白くなってくやつだから序盤のスロースタートはしょうがない
異世界転生だけどまだ能力は未開花、育ってきた環境が特殊な設定
3人の霊体?に育ててもらってこの先パラディン(騎士)を目指していくっぽい
舞台がいつもの中世ファンタジーなので見慣れたストーリーになったらちょっとキツい
サクガン
未開拓の岩石に囲まれた生活エリアから出て開拓者となりたい主人公とそのフォローに回る親
親は元開拓者で主人公の進路は反対してたけどそれを認めるまでが1話なのでまだストーリー本筋展開してない
主軸の話が進む2話以降で判断
2話まで見て序章完といった感じ
1話の最後で現実を味わった主人公が2話途中まで暗いままなのが良い
さんかく窓の外側は夜
BL要素がかなり強くミステリー部分は結構面白い気がするのにそれ以外が合わない
細かい説明無しで話が進む点、急にギャグっぽいことを挟む点など人によって好き嫌いの分かれるストーリー
何にせよBLにしか見えないのでミステリーとして見ると気が散る
シキザクラ
チープな3Dにしたことでアクションバンバン動かせるようにしてるのかな?実際よく動く
終末のワルキューレ
超人バトルならケンガンアシュラのアニメが当たりだったのでそちらをおすすめ
真の仲間じゃないと勇者のパーティーを追い出されたので、辺境でスローライフすることにしました
実力を隠して薬師をやってるオレ、村人がピンチの時には本気を出して助けるぜってパターン
前半萌えキャラが戦うありがちな萌えアニメ系統かと思いきや主人公は中盤から出たジジイ
ストーリーがまだ始まってないので2話以降
キャラはきっちり作られてるのでかわいいキャラで見るタイプならこれ
どこに面白さを見出すか人によるけどコメディ要素結構多いので楽々見れる
先輩がうざい後輩の話
忘れてたけどこれラブコメだったわ
万人向け、作者の漫画はTwitterで公開されてるのでそれ読んで合うならアニメもok
波を求めるというよりはこの2人を見守る系アニメ
クオリティ高い気がするが見ててワクワクというか次も見たいといった感じがあまりない
キャラも絵も綺麗で凝ってるけどそれを抜いたストーリーはそこまで新しくないかも
キャラメインのアニメなら充分、脚本重視にはちょっと物足りない
クオリティは安定して高い、音楽が軸なのでその尺がどうしても長い
会話劇と絵力アクションが見所
月とライカと吸血姫
ソ連風の宇宙開発が圧倒的な世界と吸血鬼がいるファンタジーミックスだけどそこまで違和感はない
林原めぐみがいることでスタッフが引き締まってる雰囲気を感じて期待
実験生物に対する態度の理由もちゃんとしていて脚本も練られてる気がする
2話強がりが可愛いのとキツく当たってくる科学者をしばきたくなる
関係性がすぐ構築されないのも良い、伏線が少しずつ撒かれてる雰囲気
Deep Insanity THE LOST CHILD(ディープインサニティ ザ・ロストチャイルド)
スマホゲーなありがちな展開や戦闘と思ったらまんまゲームだった
でーじミーツガール
2話まで進んでるが短すぎて何が起きてるのか全くわからん
ただ次も見たいと思う雰囲気の良さはある
日曜の朝らしいアニメ
デジモン定期的に出てきては消えるのは何故なんだ
それを目当てに一部Twitterが盛り上がってるのでそういう枠
ただ脚本は面白いらしい、あの絵でストーリー集中できるのは多分才能
ここまでひどいCGは久しぶりに見た、全体的な作画も不安定、ロボットもの
ストーリーも腐る程みた展開
スポーツものにありがちなストーリー展開になったらもうキャラ見るしかない、その時まで見ていれば。
プラチナエンド
期待枠、アートをゼロから解説しつつ進めるアニメは誰が見てもわかりやすい
思ったより展開が早いがアニメはどこに着地させて終わるのか気になる
宗教画や風景画など見たことのあるアートから入るのも取っつきやすい
やっぱ最初の美術の先生が無駄な嘘を言わない辺りで見てる側も真剣になれるしどんな評価も隠さないのが良い
Eテレで展開してるのが残念
MXなど深夜にやればゆるキャンなどの日常ゆるアニメとして覇権だった
BLらしく話の途中でぶつ切りになる場面があるがそれは別としてちょっと面白い?
女性の出ないおねショタというか説明は全く出来ないがじわじわ面白いのがふしぎ
原作は古いゲーム、アニメは気色悪い生物とグロとロボットアクション
この1話はファンサというかゲームの前日談らしく世界観の説明で終わる
見える子ちゃん
相変わらずのクオリティ
MUTEKING THE Dancing HERO
原作?は昔あってそれをリメイクしたらしいが面白いとは言いにくい
結城友奈は勇者である-大満開の章-(ゆゆゆ)
やっと無事終わったのにアニメ再開でまた視聴者が病む予感しかしない
とりあえずやけに1話金かかっとる
ルパン三世 PART6
もともとは敗戦国日本を復活させるために海外からキャッチアップしないとならなかったからだと思うよ。真鍋先生が博士を取ったのが1950年代だったからポストもなかっただろうし。
だけど、成長して、一時期は本当に自力で様々な産業を作る力を持っていたが、バブル崩壊と近視眼的新自由主義で科学衰退国になった。でもどこかよそをパクったりとか、隠れたものをおだてて引きずり回したりしたらすぐ儲かるものがあるって幻想のまま暴れてる。
いい加減すぐ確実に成功し儲かるものがあるって幻想が間違いじゃないか?って危機感で研究者流出が叫ばれてるのだと思う。
まあ、豊田長康先生や毎日新聞が日本の科学技術衰退と、ガチデータで基礎研究と、数年後のGDPとの関連などを調査した本を出したのがあると思う。
一方○売新聞は日本を捨てた科学者は裏切り者だ!すぐ確実にもうかるテーマじゃないから海外に移ったのにすぐ軍事技術に応用できる!なんてデマ本を出版する。あまりのデマ本臭くて自社系の出版社に相手にされなかったからよその出版社つかって。
キングオブコント観て思ったけど、今のお笑い?コント?って純粋な笑い以外もドンドン入ってくるんだね
蛙亭は最終的に科学者がホムンクルスを受け入れてその手を握るエンドで普通に感動するし
空気階段の1回目は映画みたいな物語として成立してるし、2回目はメガトンパンチマンの可愛らしさにほっこりもする
ニッポンの社長は小道具が全て使われるミステリの伏線回収の小気味良さを感じた
「笑い」以外でも「エンタメ」の面白さが加わるというのかな?そんな感じ
他に感じたことがあって、それはこれらのコントはあまりにも世界観の構築やキャラ設定が高度になってて、
マミィの2回目なんかは、「本当に言い争っている」「ドラマを演じている」をあえて曖昧にして
観客に「どっちだ?どっちだ?」と迷わせておくことを前提に笑いを構築しようとしている
そいつどいつも、「パックの奴は本当に彼女か?」「犯罪者か化け物の類では?」と客を誘導する構成にしておいて、
これらは全部面白かったんだけど、みてるとやっぱり高度だな、と思う。
新種ウイルスのパンデミックに対して「なぜかはわからないが発症予防、治療に効果があるらしい」と噂される安価な既存薬があったら、まず試してみようとするのが人情だと思うんだけど。アメリカは公式には絶対それをせず、世界最多の死者を出し続けてる。日本だって国を挙げて独自で治験してみればいいのに。ワクチン未接種者に治験協力を要請して配ってみればいいのに、しないよね。反ワク勢はタダでも協力してくれると思うよ。でもしない。まるで効果があったら困るかのように。
もし効果があることが証明されたら、新しいワクチンや治療薬が売れなくて困るからだよね。商売機会を逃すから。製造元のメルクもだんまりで、高価な新薬開発に忙しい。陰謀論なんて壮大なものじゃないかもしれないけど、今回のパンデミックが商売になってしまったことは確か。
貧しくてワクチンも新薬も買えないアフリカ諸国のほうが感染者、死者ともに少ないことが何よりの証明。彼らがアルコール消毒やソーシャルディスタンスを意識してるとは思えないからね。そもそも全員に効果がないとしても、誰かに効果があるかもしれず、もし効果がなくても大した副反応もないなら、とりあえず配っておけばいいのに。ワクチンが任意接種なように、手元に薬があったって飲むも飲まないも任意で決めたら良いだけのこと。アベノマスクよりこっちを配ればよかったのに。
このパンデミックが、もし戦後すぐにでも起こってたら。世界中の医者、科学者が藁をも掴む思いでいろんな薬を試して、一人でも多くの命を救おうとしたんじゃないかな。
アメリカは移民の国だから、何十万人死のうと新たに入れればいいだけ。アメリカに来たい移民はいっぱいいるし、上の人間からしたら痛くも痒くもないんだろうね。
ワクチン接種済みの人だってモヤモヤしてると思うよ。ワクチンに効果がないとは思わないけど、ただ「もっと副反応の少ない既存薬を使えたんじゃないの?」「本当に最善の努力をしたと言えるの?」って疑問に答えてほしいだけなのに。来年にも軽症者向けの経口治療薬ができて、ワクチンも数種類から選べるようになって、パンデミックは収束。全部有耶無耶にされちゃう。資本主義が全部悪いとは思わないけど、今回の騒動は本当に資本主義の悪い部分の極みって感じ…。
自分は生物系の論文を読み解くだけの知識はないし、玉石混交の論文誌の中から適切なものを見分けるだけの勘も持ち合わせていないけれど、生物科学者に多大なるコネクションを持ち、専門知識も十分な山中先生や尾身先生がご自身で受けられているなら受けていいかなって思ってる。
mRNAは遺伝子に影響を与えないというのは常識で、それを遺伝子治療だとか言っている記事に信憑性はない。
mRNAも体内では1週間ほどで消えるとされているけれど、何の情報を根拠に一生残ると言っているんだろうか。
わいはウィルスベクターのほうはその手の情報が見つけられなかったし、お二方の先生も打っていないからアストラゼネカのワクチンは避けた。
接種後の死亡についての議論はコロナが流行る前の年間高齢者死亡数を考慮して議論するべきだと思う。
例えば、毎年高齢者1000人当たり50人が亡くなっているとする。10万人いれば、例年通りにいけばワクチンを接種しようがしまいが5,000人は亡くなるってこと。
ワクチン接種率が高ければ、ワクチンを打った後に死ぬ人もそれなりに増えるだろうから、ワクチンを打った後に死んだからといってワクチンのせいとは言えないのでは。
今日ちょっと記事見て思ったんだけど、2050年でどこまで科学って発展しちゃうんだろうな。
初めのiPhoneが発売したのが2007年でドコモが出来たのが30年前。もうそんなに経ったのかっていう驚きよりもまだそれしか経ってないのかって感情の方が勝ったし、これから30年ってなったら技術はどうなっちゃうんだろう。
不老不死までいかないまでも寿命が200年とかになったりする?癌や糖尿病はあと10年で克服できるなんて話もあるらしい。
スマホはまあなくなってるだろうな。メガネみたいなデバイスになってたりするんだろうか。脳内にチップ埋め込んでるって科学者をテレビで見て引いてたけど、案外チップ入れてないの!?みたいな驚きになる世界になったりするんだろうか。