はてなキーワード: 眼差しとは
では、前回のブックマークコメントを参照しながら自論を展開していきたいと思います。
simplemind だが「誰かの悪口を言ったら返ってくる」のは本当に「基本」だろうか?街で「年収○○万円の男なんてw」とdisっても普通怒られたりはしない。「disりっぱなし」は(残念ながら)常識的には正常な「態度」なのでは
http://b.hatena.ne.jp/simplemind/20131224#bookmark-174706694
素晴らしい指摘だと思います。
たとえば私が喫茶店でジュースを飲んでいたとして、そこで隣のテーブルに居る女性2人組が大声で
「年収○○万円の男なんてゾッとするよねー」
とお喋りしていたところで、それに対して私が議論を吹っかけたり、殴りかかったりすることはまずありません(非常識な彼女らにビックリしてチラ見はしてしまうでしょうが)。
私が公衆トイレでおしっこしてるときに、隣でションベンしてるおじさんがオナラをこいたところで、私は「屁ぇこくなよ!」とは言えません。
おじさんと私は友達ではないのですから (ダウンタウンの浜ちゃんは職業病で、そのような状況のときにおもわずツッコんでしまったそうです)。
ところがこれがネット上になると話が変わってきます。「年収○○万円の男なんてゾッとするよね」「結婚しない人間って何考えてるんだろうね」
とブログで言っている女性が居れば、私は彼女達を非難します。また、いつもホットエントリに入っている屁のように臭いブログがあれば、猛烈に叩きます。
もちろん絶対に叩く!というわけではなく、その日の気分によって叩く叩かないは変化しますが。
我々はなぜ街中だと非常識な人間をスルーするのでしょう。我々はなぜネットだと、特にブログやツイッターになると、非常識な人間を見たときに叩きたくなるのでしょう。
私はこの問題を考えているときに、「儀礼的無関心」という言葉を知りました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%84%80%E7%A4%BC%E7%9A%84%E7%84%A1%E9%96%A2%E5%BF%83
私たちは電車に乗っているとき、他人を凝視しません。それは、たとえば特に電車内のマナーにうるさい日本だけではなく、アジア・アメリカや欧州南米でもそれは同じでしょう。
Daniel Powterというカナダ人歌手の「Bad day」という曲のPVを見ると、これには男女の主人公が居るのですが、
男の主人公は電車内で、歴史を感じさせるような老夫婦を尊敬の眼差しを持って見つめます。
女性主人公は幸せそうなカップルを少しうんざりした様子で見ます。けれどここで重要なのは、彼らは決して無礼な態度では観察していないということです。
「お前何見とるんや」
と因縁をつけられない程度の態度で他者を観察しているのです。もしパッと目が合ったら私たちは目を逸らしますよね。
これは現実での振る舞いとして適当でしょう。私たちはそうやって日々を生きています。儀礼的無関心を遂行しているのです。
インターネットではどうでしょうか。我々はいくらでも他者を観察できます。ネットでは「お前何見とるんや」と言われることはまずありません。
他者をいくら観察しようが、いくらイヤらしい意地悪な目で見ようが、その行為の代償を払う必要はありません。
私を含め、古参インターネットユーザーたちはこの2つの世界を行き来していました。儀礼的無関心が必要な現実社会と、儀礼的無関心が義務ではないネット社会。
ところが昨今、特に2013年はそれが大きく変化した年となりました。
2013年を語る上で欠かせないのが、ツイッター冷蔵庫侵入事件です。
デジタルネイティブの若者たちは、コンビニの冷蔵庫に侵入しアイスを靴で踏みつけたり、レストランの備品に自分の身体を擦り付けたり、スーパーの売り物の食品に乗っかって遊んだりして、
そうした行為をスマホで撮影し、ツイッターにアップしました。そうした写真は瞬く間にネット上で拡散されて、ネット社会と現実社会の両方で大きな議論が巻き起こりました。
我々が外食したり、また食品を買ったりするとき、実はそれにはどこの馬の骨とも分からないDQNたちの体液がついてる可能性というものが大きく可視化されました。
主要紙もネットユーザーもバカッターバカッターと彼らDQNを糾弾しました。
「悪ふざけするのは良いとして、ネットに公開するということは全世界に公開するということだ。考えてやらないと。」
「目立ちたいだけだよ。有名になりたい馬鹿たちなんだよ。」
はてな民は偉そうに言っていました。
しかし私はどうも違和感を持っていました。「そもそもあのDQNたちは全世界に公開してたつもりなんて1ミリも無かったのでは?」
たとえば、私がコンビニで買い物をしていたとして、そのときちょうどあのDQNが靴で冷蔵庫の中のアイスを踏みつけていたとします。
私は彼に注意などしません。注意して、彼の仲間たち3人くらいに囲まれたらどうするのでしょう。怖いです。
私はここで必殺「儀礼的無関心」を放ちます。ギャーギャー騒いでる若者たちをスルーするのです。
本当は注意するべきなのでしょう。しかし生活していくなかで、そういうリスクはなかなか背負えません。
みなさんもそうだと思います。関わりたくないことには儀礼的無関心を遂行してやり過ごすでしょう。
さて、それがインターネットで繰り広げられていたらどうでしょう。
冷蔵庫のアイスを踏みつけたDQNたちは写真を撮り、それをツイッターに上げます。彼らは、たぶん仲間内だけに見せるつもりなのです。
「健太が冷蔵庫に侵入した結果www」てなもんです。青春の一ページです。
そうこうしているうちに、偶然にも私はその写真を見つけてしまいます。「あ!あのときのあいつらや!」
私は、現実で儀礼的無関心を強要されたあのときの惨めな気持ち、後ろめたさがよみがえって来ます。
「許せん!」
私だけではありません。DQNに儀礼的無関心を強要された人たちは山ほど居ます。そういう人たちが、DQN健太くんの冷蔵庫侵入写真を見たらどう思うでしょうか。
「恨み晴らさでおくべきか」
となるのは必然ではないでしょうか。
また、そういう恨みが無かったとしても、我々の誰もが買う可能性のある商品に不衛生ないたずらをしかける彼らの姿は、人々をとても不安にさせます。
そう、ここはインターネットです。コンビニで彼らを見たときのように儀礼的無関心をする必要はありません。鬨の声を上げるのは今です。
我々は彼らの個人情報をゲットします。お店の情報をゲットします。お店に電話し、彼らの家に電話し、ネット上に彼らの情報をバラまきます。
怒り狂った2ちゃんイナゴたちは暴れ周り、その結果お店は潰れ、DQNたちの就職難易度はとても高くなりました。
騒ぎが終わった後、DQNたちはどう思ったでしょうか。「ダチでもねぇ奴が勝手に俺らの写真を覗き見して勝手に大騒ぎしていった」と思うのではないでしょうか。
「現実ではスルーするくせに何でネットだと食いついて来るわけ?」とも。
これは儀礼的無関心が必要な現実社会と、儀礼的無関心が義務ではないネット社会との狭間で起きた事件です。
若者たちは混乱しています。「現実では何も言われないからネットでも大丈夫だと思ったのに・・・」
そしてこれはサードブロガーやはてな女子の問題に繋がって行くのです。
「30代でオシャレしてるOLwwwあたしゃああならんわよw」
ということを平気で言います。しかもそれを、日本のネット上でも最も気難しい人たちの居る「はてな」でそれを行います。
これはハッキリ言って場違いです。「年収○○万円の男なんてゾッとする・・・」「結婚しない奴の意味がわからんwww」「30代でオシャレしてるOLwwwあたしゃああならんわよw」
なんてのは、普通はオフラインで言うことです。誰にも聞かれないところで、女子会でやるべきです。喫茶店でやるべきです。
オフラインなら、我々は儀礼的無関心をできます。「酷いこと言うんだなぁ・・・」とは思いますが、彼女らを打ち倒そうとは思いません。
ところが彼女らは冷蔵庫侵入DQNと同じように、オンラインでそれを公開してしまいます。
オンラインでそんなものを公開してしまえば、はてなの妖怪たちが黙っているわけがありません。小難しい理屈を並べ立て、罵詈雑言を浴びせます。
「ほぉーそんなこと言うってことは喧嘩(議論)する気なんやな?オモロなってきたで!」てなもんです。
「友達でもない人が勝手にアタシのブログを覗き見して勝手に怒ってる・・・」
「女子会でこんな話しても誰も怒らないのに何でネットでは怒られるの?」
こう言われてしまうと、妖怪はバツが悪くなって攻撃の手を止めてしまいますし、さらに疑問がむくむくと沸いてきます。
「なんで議論する気ないのにそんなこと言ったの?ここは儀礼的無関心から解放されて忌憚なく議論する場だよ?」
上の言い方では少し強過ぎるかもしれません。もっと適切に言うと「反響が欲しくないのなら何で公開したの?」
ということです。
つまりはてな女子たちは、ブログで何を書こうが、現実と同じように、儀礼的無関心を他の人がしてくれると思っているのです。
冷蔵庫に侵入した若者たちと同じように。しかしその態度は、私にはとても無責任なものに思います。
「私は誰かに関心を持って悪口言うけど、みんなは私に無関心を装ってね?」といったところでしょうか。
はてな民はそれを了承しませんでした。だからはてな女子筆頭の体調わる子は苛烈な攻撃を受け退場して行きました。
「俺は好きなこと言うけど俺に好きなことは言うな」という態度のサードブロガーや虚構新聞も苦戦を強いられています。
この虚構新聞の苦戦に関しては、ネトウヨがネットの外に出て行ったことに強く関連しているので、後日それについて論じたいと思っています。
以上が、私の「現実とネットによる儀礼的無関心の違い」といったところでしょうか。
この儀礼的無関心の取り扱いの違いが、今後どうなっていくのかも後日論じたいと思っています。
一件目の病院での内診は断念。痛すぎて無理だった。
こちらでは処女の内診はできないとのこと。
やんわりと「セックスしたら来てね」と言われる。
「もしかしたら妊娠してるかも…」と一瞬でも悩むのが嫌で、一切そういうことを拒否してきた。
いわゆるBまで。ピルは薬剤師の母があまり飲むなと言っていて選択肢になかった。
そして今、彼氏がいない。
内診であんなに痛いのに。でも性欲は人並みにある。困った。
自分でするやり方もよくわからない。何せ穴が使えないのである。
テンガさん聞こえますか。
オナホ利用者に(たぶん)童貞が多いように、irohaも処女ユーザーが熱い眼差しで見つめています。
所女でも使えるやつありませんか。
そしたら内診もおもちゃも使えるのにね。
思い出したり、話そうとするだけで当時の感情が甦るもの、というのは誰しもあると思うのだけど、私のそういうものの1つに「2010年のピーター・アーツ」がある。
アーツは、K-1に最初期から参戦して、94年、95年、98年と3度世界一になったキックボクサーだ。
なかでも98年のK-1GP、3試合連続ハイキックでの1ラウンドKOは「20世紀最強の暴君」という二つ名に相応しい圧勝劇だった。
アーツは70年生まれだから、その頃はちょうど20代半ば。全盛期、ということになるんだろう。
そして当時中学生だった僕は、周りの男の子と同じように、その眩い存在感に憧憬の眼差しを向けていた。
空手出身の選手たちの華麗なそれとは違う、あの、大木を力づくでなぎ倒すようなハイキックは、中学生に「ああ、この人が世界一強いんだ」と思わせるには十分な説得力を持っていた。
そんな絶対的な力を誇ったアーツも翌年以降は優勝から遠ざかり、2000年代以降は若い選手の台頭もあって徐々にその存在感は薄れていく。
格闘技も一時の隆盛は終わり、年末に誰もが見る、という状況はあっという間になくなっていった。
そして2010年、アーツは40歳だった。彼はまだリングに立っていた。
試合前のPVでも40歳の誕生日ケーキを頬張る場面とともに「もう若い頃のようにはトレーニングできないよ」と話すシーンが流れるような、
優勝を争うファイターというよりは、完全な「往年のスター」扱い。
それでもファン投票で席を与えられたベスト16からなんとか勝ち上がり、準決勝にまで駒を進めていた。
212cmの長身から打ち下ろす角度のある攻撃を武器に、05年、06年、07年、09年と世界一になったディフェンディングチャンピオン。
05年の参戦以来、K-1GPでは一度も負けたことがないという無敵の絶対王者。
試合前の正直な思いは「どちらが勝つか」というものではなく「アーツはどこまでシュルトに抗えるか」というぐらいのものだったと思う。
「なんとか最後まで立っていて欲しい」とも思っていたような気がする。
それほどシュルトは強かったし、アーツの全盛期は既に過ぎ去ってかなりの時間が経過していた。
試合が始まっても、やっぱり展開は一方的だった。
アーツも192cmと大きい方だが、それでも212cmのシュルトとの身長差は20cmある。
全ての攻撃が上から非情に降り注ぎ、アーツの攻撃は腕や肩に阻まれてうまく当たらない。
何度もふらつき、目の上から流血しながら、それでもアーツは懸命に前に出続けた。
アーツの突進をいなしながら、シュルトは笑っているように見えた。
とでも言いたげな表情は完全に余裕で、あまりにも憎らしく、そして試合の行方についての見通しはどこまでも絶望的だった。
一方的だった試合の流れが変わったのは、2Rの終盤。
本来は端正なフォームのアーツが、のめるように、のしかかるようにして放つ、やぶれかぶれと紙一重の攻撃が何度かシュルトを捉え始めていた。
それでも、インターバルでコーナーに帰ってきたアーツは全身がボロボロで、シュルトの顔には傷一つなかった。
映像を見返すとシュルトの表情には明らかな困惑の色が浮かんでいるのだけど、当時はその時点でもまだまったくアーツの勝利を信じることができずにいた。
「できれば最後までこのまま行って欲しいけど、さすがにそれは難しいんじゃないか」
でも最後のラウンドが始まると、リング上の景色は一変していた。
アーツの鬼気迫る攻撃に押され、シュルトがクリンチに逃げることしかできない。
振り回すように放つアーツのパンチが顔を捉え、キックは脇腹にめり込んだ。
有効なダメージは通っていない。それでも、シュルトは完全に気圧されていた。
防戦一方のでシュルトに消極的姿勢で減点が与えられた後もアーツの攻勢は止まず、そのまま3分間が過ぎた。
僕は「倒してくれ」と願うよりも「反撃しないでくれ」と祈っていたような気がする。
そして終了のゴングが鳴った瞬間、アーツは勝利を確信して両手を突き上げた。
目の上から流れる血をタオルで押さえるアーツと、無傷のシュルト。
それでもどちらが勝者かは、2人の表情が何よりも雄弁に物語っていた。
2-0の判定で勝利したアーツの、控え室へ戻る足取りは、全てを使い果たし歩くのも精一杯なほどに重たく見えた。
その後行われた決勝戦は、1RでKO負け。
覚えているのは、巨大な、絶対的な強さを誇るチャンピオンを、40歳のアーツが圧倒していたあの数分間だけだ。
僕は今でもこの光景を思い出すたびに涙が出そうになるし、あの瞬間のアーツは世界一格好よかったと思っている。
最後の相手はアーツが初めて世界一になった時と同じ、24歳の若者。去年のヘビー級トーナメントチャンピオンだ。
でも僕は1998年と、2010年と、そして2013年のピーター・アーツを見られたことを幸せに思うし、あの、勇気に溢れた数分間を忘れることは絶対にないんだろうと、今はそんな風に思っている。
欧米だけだろというコメントもあるので北京も加えて考察してみたい。東京は東と西では文化が違うのでそれも別だな。米は言ったことないのと欧で大都市はパリしか知らないけど、個人的な感覚としてはどっか不親切な部分はあるけど、どっかしら親切、表出の仕方は文化の差としか思えなかった。
東京東:よく見かける。
東京西:よく見かける。ただまぁ嫌な顔してどかないなどして邪魔する人も時々いる
パリ:割と見かけるが、バスなどに乗る場合はたいていカップルで移動しているので、どちらかがやっている。いない時は(関係ない)おばちゃんが指令を出して若い人にやらせたりする。終わった後ににっこりしあうのはマナーで特に意味は無い
北京:あんまりベビーカーを見かけないが、基本的にカップルまたは家族で移動しているので誰かが抱いている
東京東:基本無反応かな。下町を歩いていると声をかけられることもあるが、知り合いでないとねぇ
東京西:レジとかでよく話しかけてるの見かける。多分レジのパートに日本人が多いせい。眼差しは無関心を体現した感じ
パリ:基本的に目が合うとにっこりするのがマナーというだけで別段あたたかいわけではない。そのかわり騒いでいても気にしない
北京:ぐずってる幼児に席譲ってあげる若い子をよく見かける。というか基本的にまったく知らない人でも隣にいると急に話しかけ始めたりするので優しさというわけではなく、そういうものだと思ってるぽい
東京東:まわりにいる人による
パリ:弱者(外国人観光客ふくめ)が基本的優先+ママが周りを気にしていないので特になにが変わるわけではない。和むかどうかは本人のひとがらによる
東京西:知り合いになるほど厳しい
パリ:厳しくないが適当といったほうが適切。他人はどうでもいい。他人が嫌なことしてると黙ってそっと距離を取る
北京:何かアクションがあるまで他人がいることに気づかない。自分優先。他人がイライラしていても気づかない(イライラしてる方もイライラする前に口に出す
東京東:基本安全なのでそういうことはないが、千葉・茨城側に行くと一部地域ではあぶない
東京西:基本危ない
パリ:かなり危ない
北京:よっぽどのことがない限りない。ボッタクリはあるかもしれんが
東京東:良い意味で人種差別的なものはある。外国人相手にはどんなときでもたいてい親切
東京西:かなり嫌な顔をする人の割合が多い。人種差別はないかな
パリ:白人なら嫌な顔はされない。ほかは乗ってきた時点でされる。何人でも子供が泣き叫ぶことに関しては無関心。バスの中とか走り回ってても気にしない
北京:そもそも大人がうるさい。言葉が通じない相手には親切(というかおせっかい)
東京東・西:豊か
パリ:少ない印象はある
北京:豊か
東京東:まぁ多い
東京西:多すぎ
パリ:朝はかなり満員。押さなくて入らなくて良い程度。ストライキがあったら埼京線並み
北京:バスも地下鉄も路線によっては常にかなり混んでいる。日本の通勤時間帯なみになることも
東京西:つねになる
パリ:ならない
北京:ならない
北京:基本的にカップルで移動。ママが子供を抱いているがパパがちょっかい出しまくっている
東京西:周囲に無関心
パリ:当然という態度
北京:周囲に無関心だが席譲られたりしたら一応お礼は言ってる
言葉通じるという点で日本が一番楽ですね。個人的には東京の西側よりは東・北側の下町が楽だと思います。ほんと。田舎のほうが厳しい印象はあるなー。あと大人のネットワークがめんどくさい。
http://d.hatena.ne.jp/Rootport/20131015/1381840117
2013年9月でテレビアニメ『ガッチャマンクラウズ』は終了したが、それに絡めて(上記URL)書かれたガッチャマンクラウズの描像に違和感を覚えたので、それをきっかけにして『ガッチャマンクラウズ』について私が考えたことを記しておきたい。尚、本稿は読者が『ガッチャマンクラウズ』を最後まで観ていることを前提に書かれている。
さて、上述したブログの筆者(以下Rootport氏)の見解を一言でまとめるなら、『ガッチャマンクラウズ』とは「社会秩序を守るタイプのヒーローが、秩序の破壊と変化を受け入れる物語」ということになるだろう。だが私は、寧ろそうでなかったからこそ『ガッチャマンクラウズ』は面白かったのであり、現代日本的ヒーロー像を書くことに成功したのではないかと考えている。つまり、『ガッチャマンクラウズ』に登場するヒーローたちは元々が「社会秩序を守るタイプのヒーロー」ではないのではないかということだ。Gメンバーは一ノ瀬はじめが加入するまで確かに襲来する宇宙人達から密かに地球を守っていたが、それは単にJ.Jの指揮下で仕事をこなしていただけであり、奉仕していたのは地球とは文字通り次元の異った高度な秩序である。社会秩序に「人間の理解すら及ばない高度な秩序」は含まないだろう。地球のガッチャマンたちがやらされていたのは全貌を見渡すことのできない「大きな」仕事の一部でしかない。それは結果として地球を守っていたのかもしれないが、積極的に「地球を守る」こととは明らかに違う。『ウルトラマン』が全宇宙的な秩序を守ると言いつつ地球準拠の正義に隷属しているのとは対称的だ。
だが、はじめが加入したことで、ガッチャマンの内実は明らかにそれまでとは異ったものとなる。敵として認識されていたMESSは無害化され、「本来は手出ししない」はずのローカルな事件へ次々と関与していくこととなるのだ。その中でGALAX開発者:爾乃美家 類と出会い、ベルク・カッツェとも関わってゆくこととなる。はじめは何を変えたのか?ガッチャマンたちの「社会秩序を守る」という規範意識か?いや、違う。彼女が齎したのは、そもそも彼らが持っていなかった視座、即ちJ.Jが体現する高度な秩序から離れたローカルな秩序への眼差しである。はじめはそれまでのGメンバーの誰もが実は見ていなかった足元に、持ち前の強引さと直観で目を向けさせた。はじめの出現とベルク・カッツェの暗躍を通して初めて彼らはローカルな秩序と結びついたのである。端的に言って、『ガッチャマンクラウズ』は「社会秩序を守るタイプのヒーローが、秩序の破壊と変化を受け入れる物語」ではない。変化を受け容れるのは神々の視座に安穏としていたヒーローたちの方で、ローカルな社会秩序=ネットはGALAXによって既に変化をはじめていた。自分たちの変化を受け容れたヒーローは、受け容れて初めてローカルな社会の変化を知りその実感を得るのである。自分が大したことないヤツだと思い知らされたからといって不貞腐れている場合ではない、自分の能力に怯えてうつうつしてる場合ではないと気づき、彼らはようやく立ち上がった。
はじめとベルク・カッツェは真逆の方向からそのことをGメンバーに知らしめる役目を負っていた。彼らはインターネットの正負両側面をそれぞれが体現していたのだ。はじめは世代や職業を越えた人々と繋がりが生むポジティヴな連帯を、ベルク・カッツェは猜疑心と加虐性を無限に増幅させて破壊を生み続けるネガティヴな連帯を象徴し、各々自らがその先頭に立つことで「流れ」を引き込もうとする。この両者は、決してバランスのとれた均衡の上で争っているのではない。はじめがネットツール:GALAXに依拠しながらもあくまで立川市内という極ローカルな連帯を核にしている一方、ベルク・カッツェはネット上にありふれた不満と破壊衝動をほんの少しつついてやるだけで、姿を見せることなく、文字通り「どこからでも」破滅の種子をばら撒くことができた。彼(彼女)が立川に拘ったのは、まさに憎むべきガッチャマンたちがそこを拠点としているからでしかない。この圧倒的に不利で不均衡に思える状況の中で、劇中唯一元来の意味でヒーロー的活躍をしていたのがはじめだ。彼女は一切ブレることのない精神の有り様でローカルな視座から遊離していたガッチャマンたちの視線を「足下」に惹きつけ、ネットの向こう側に存在する人々と結びつけた。これに対し、ベルク・カッツェは爾乃美家 類の能力:クラウズを奪ってネット内で辛うじて留まっていた憎悪と欲望を直接現実世界へと送り込んだ。両者が別々の形でネットと現実を接続させ、物語はクライマックスを迎える…
正体を明かし、それまで触れることのなかった他者を知ったガッチャマンたちは、その時はじめてヒーローになった。はじめて守りたいものを思い浮かべ、傷つきながら戦い、己の無力さを痛感するヒーローの入り口に立ったのだ。それまでの彼らは、与えられた力で全貌の知れない「高度な秩序」に奉仕するだけの傀儡だったとも言えよう。だが、各々の意志で翼を広げて立ち上がった彼らは、従うべき規範を越え、ローカルな秩序を守ることに全力を尽くす。しかし、立川を防衛するという一見ローカルな戦いは、爾乃美家類によってGALAXを通したグローバルなゲームと直接接続された。そのことによって、ローカルはグローバルな舞台となり、グローバルな力がローカルに及ぶ。暴走するクラウズとの戦闘に、Gメンバーとゲームの参加者達は勝利する…皮肉にも、そしてある意味当たり前のことだが、これはベルク・カッツェが行ったことと表裏一体である。いや、同じことだと言ってもいいだろう。彼が先に仕掛けたのは、まさに類が提案したゲームであり、参加の動機付けだけが異なっていたに過ぎない。だからこそはじめは「正義ってなんなんスかね~」と戦いの後で口遊む。彼女は理解しているのだ。理解しているからこそ、ベルク・カッツェとの対話を試みる。
ネットだけでも、人智を越えた力だけでもダメなのだ。戦いを終え、ようやく彼らは入り口に立った。ゲーミフィケーションが世界を救ったようでいて、実は違う。GALAXは、単体では無色透明なツールでしかない。そこに参加する者達がどのような動機を持っているのかによって、はじめにもカッツェにも成り得る。目指すべきは秩序を根底から覆す変革ではなく、既にある秩序の漸進的な「アップデート」なのだ。
『ガッチャマンクラウズ』は「ヒーローは最早必要なく、世界は我々の手に委ねられている」なんて呑気な話ではない。少し長く引用するが、Rootport氏によれば
『ガッチャマンクラウズ』では、誰もがスーパーヒーローに準ずるような力を手にした。『キックアス』のように「ヒーローになれるわけがない」と笑い飛ばすのではなく、ほんとうにヒーローにしてしまう。これは現実世界のメタファーと見なせるだろう。ネットが一般化して20年あまり。私たちは実際に、英雄に準ずるような力を手に入れてしまった。
名も無き個人でも、世界に影響を与えられる。匿名のままでも、世界に向けて発信できる。
ということらしい…言いたいことが沢山ある。まず、Rootport氏が言及している映画版『キック・アス』は「ヒーローになれるわけがない」と笑い飛ばしてなんかいない。力(スーパーパワーや金)のない者が現実でヒーローになろうとした時にどれだけの代償を払うのかを冷酷に示して見せている作品だ。勿論、コメディ的要素も色濃く入っているが、本質的には「力がなければ正義をなさなくても良いのか?」という問いに否を突きつけようとして、血塗れになる物語である。そして、コミック版の『キック・アス』は映画版を超え、ヒーローをある種の病気として扱い、その行き着く悲惨さと哀しさを描いてみせた。どちらもアメリカ特有のヴィジランテ文化に立脚したヒーローを解体し尽くしても尚、何が残るのかを問うている…大いに話が逸れた。話を戻すが、私達は一般化したネットによって「英雄に準じるような力」を手に入れてなんかいない。決していない。手に入れているのなら、ガッチャマンたちは必要なかっただろう。お役目御免で、そもそも出てこない。人々は手に入れた「英雄に準じるような力」でさっさとカッツェを撃退してしまえばよかったのだ。だが、それはできなかった。代わりに見せつけられたのは、匿名のままでは、名も無き個人のままではダメだということ。匿名でない誰かがインセンティブを与え、ゲームの動機付けを行わなければ動かない現実だ。匿名の誰かによって動かされたゲームが暴走し、手が付けられなくなる様だ。これは何も特別なことがわかったわけではない。ただ、ネットというツールの「当たり前」を見せられただけなのだから。『ガッチャマンクラウズ』は、寧ろ我々が「英雄に準じるような力」を手に入れたわけではないと戒めるような作品だと思っていたのだが…Rootport氏は「世界をアップデートする」をただのキャッチーな標語かなにかとして受け取ったのだろうか?
Rootport氏は細かい点(その実重要な)について気にしないのか気づかないのか、とにかくざっくりした区分けで語る傾向がある。ヒーローの系譜を何故か『マトリックス』から始め、『X-MEN』『スパイダーマン』『V for Vendetta』『まおゆう』『キック・アス』『ダークナイト』『タイガー&バニー』『サイコパス』を辿っていく。日本なの?アメリカなの?どっちなんだ。アメコミの方は何故映画ばかりで原作に言及しないのか。日本のアニメに触れるなら、何故大元の『科学忍者隊ガッチャマン』含めたヒーローアニメの系譜に触れないのか。ライダーや戦隊には何故触れないのか。その辺りが謎である。特にローカルなヒーローモノに触れないのは、『ガッチャマンクラウズ』が描いてみせた「現代日本のヒーロー像」がそれまでのものとどのように違うのかを明らかにできない点で致命的だ。寧ろ『ガッチャマンクラウズ』が彼の言うような作品なのだとしたら、『東のエデン』にこそ触れて比較すべきではないのか?…このRootport氏が諸作品を引用した部分について言いたいことはまだまだ山ほどあるのだが、虚しくなってきたのでこの辺にしておく。
鼻を啜りながら歩いていたら、それは俺である。
昨年の年初から約二年ぶりに帰ってきた。
月末の給料とともに落として、
言わば、やむなく。
リビングに一人いたおかんは不満を言うこともなく、ご飯はいる?と
真っ先に聞いてきた。
おかんの直近の話……ダイエットに成功したサプリを俺に勧めることから始まり、
最近こっちに来た祖母が会いたがってたよ、いつまでもあんたを愛してるんだねという話になり、
太ったの?健康診断引っかかるよ、アルバム見る?と俺の過去話になり、
帰り際に財布落としたなら困ってるんじゃない、ちょうど祖母が"置いていった"
お小遣いがあるよ、と手際よく韓国のりと湿布が入った紙袋ともに封筒を渡された。
中に十万入っていた。
仕事はまぁまぁ、小さいプロジェクトだけど楽しくやってると空元気で答えたが、あれは嘘だ。
大きいプロジェクトでぼっちに鬱病を加速させて、左遷という形で
同期の上司に耐えながら、何とかやっていたんだ。
こんなに太ったのは幸せ太りかも、いい感じの人がいるんだ……と
話を振って照れ隠しのように強引に打ち切ったの、あれは嘘だ。
土日の空白を、コンビニ弁当を買い込むことで毎週解消し続けてたんだ。
それなのに、おかんは気づかなかった。
いや気づいてたのかもしれない。
あんたは、柔和な性格なんだから、太って周りに圧迫してる壁さえ無くせば、
俺はただ、へいへいと遅めの夕刊に目を通しながら流しただけだった。
すまん、ほんとは全部聞いていたんだ……
人とプライベートの話をするのも久しぶりだったが、
孤独のグルメに慣れさえも感じなくなった今、ようやく俺は気づいた。
話していたとき物音のする書斎から扉を開けて顔を合わすことすらしなかったが、
おかんは違った。そのことに気づけただけで、実家を離れて暮らして
心底良かったと思えた。
今まで育ててくれてありがとう。不肖の息子でごめんなさい。
年間の1/3、1ヶ月間連続で貰える休暇中に船乗りがどんな生活をしているか記しておこうと思う。
その2はこちら
http://anond.hatelabo.jp/20130925032813
1ヶ月間もあるので家族サービスはし放題だ。
休暇直前になると家族持ちの船乗りはそわそわし始めて、おもちゃを買い漁る。
おもちゃをいっぱい買って帰るのが船乗りが理想とする父の姿であり、子供にあったらそのおもちゃでたくさん遊ぶのだ。
帰るとトタトタと走り寄ってくる我が子を見た瞬間疲れなんて吹き飛ぶものである。
当然、嫁へのサービスも忘れない。自分が居ない間家庭を支えてくれていたのだ。
船乗りが「日帰りにはなるが平日子供達が学校言ってる間に温泉でも行こうか」というと船乗りの嫁は流石だ。
「疲れてるでしょうから直ぐにじゃなくても良いよ」と言ってくれる。この一言で更に惚れる船乗りは多い。
疲れも吹っ飛んだのでその夜は家族を増やす営みを船乗りは頑張るのだ。
実家へ顔を出すのも忘れない。
船乗りは親の死に目に会えないと既に諦めている者が多い。そこで生きてる間は孝行しようとするのだ。
親父が好きそうな酒を入手して、お袋の手料理を肴に親父と一緒に呑むのだ。
「親父、今度の三連休にでも子供つれて皆で飯食いに行こうよ」とかそういう話をする。
たまたま休暇中に子供の参観日や運動会、文化祭が合致したら船乗りはテンション高くなるものだ。
自慢の一眼レフやビデオカメラを持ち出し1分1秒でも逃さまいと子供を撮影する。
父兄徒競走や綱引きにだって本気を出す。子供に格好悪い姿なんか見せない。
子供が幼稚園保育園くらいだとまだまだ記憶が曖昧のようで、帰るたびに船乗り父さんは忘れ去られている。
ひどい時には抱き上げるだけで泣き叫ばれ、一緒に風呂入ろうとか考えてたのにそれどころじゃなくなる。
わが子から「おじさん誰?」みたいな表情で見られるのは結構ヘコむので、船乗りの嫁は可能な限りお父さんの写真を見せたりお父さんの話をするべきである。
独身の場合は休暇中の大半は寝ているか色々なもので散財するのが基本である。
船乗りは基本的に乗船中はあまりお金を使えない。使わないのではなく物理的に使えないのだ。なのでいつの間にか通帳の金額は膨れ上がっている。
散財の仕方は様々なパターンがあるので箇条書きにしていこう。
飲み歩いたり女に貢ぐのは定番だ。何だかんだで金を持ってるとモテる。そうやって彼女を探す。
別に彼女は水商売の女じゃなくたって良い。船乗りは金のない若者も演じたりもたまにする。
様々な手法で女を試して良い女か見極める傾向があるので金だけに食いついてくると遊んでポイッである。
無駄に広いマンションに住むのも船乗りならではだ。住んだ後に「こんなに部屋必要ないな」と気付く。
しかし実家暮らしの独身船乗りも多いのでこのパターンは半々くらいだと思う。
時計はセイコー(グランドセイコー)、万年筆はセーラーというのが船乗り的にシブイしあこがれなので買う。
セイコーやセーラー買ったらロレックスとかプラチナとかも買う。
ギャンブルに突っ込む船乗りは多い。理由は世界各地どこでもギャンブルというものは存在するからだ。
日本国内であればパチンコ・パチスロになるだろう。休暇中暇なので打つ。
ただ筆者は特に理由はないけれど若い頃は競馬を勘で買うのを好んでいた。倍率が見えてるのが良かったのかの知れない。
車に金を使うのも定番だ。船乗りはスポーティーな車か、無駄にデカイ車を好む。これはバイクでも同じ。
社外パーツでシブくキメるのが定番で、いわゆるVIPカーとかそういう傾向のカスタムを好む人は少ない。
筆者はフェアレディZ33が出た時に速攻で電話して予約、現金で購入した。
大画面TVにトールボーイスピーカー、Blu-rayレコーダーと一気に揃えるのだ。
何でこういうことするかというと自分が休暇中でも地元の友達は仕事があり誰も遊んでくれないので映画とか観たりするためなのだ。
そして映画とか観ていると再生機器にこだわりが出始めて高級家電化してくる。
独身船乗りの旅行は唐突だ。フラッと繁華街へ出かける感覚で飛行機のチケットを買う。
船乗りにとって日本は(距離の感覚として)狭いので、例えば東京から沖縄は"近場"である。
実家住まいでも「ちょっと北海道行ってくるわ」と親に伝えると最初は驚いた顔をされるが親も直に慣れてくるのが面白い。
休暇が同時期にある船乗り仲間と場所を指定して集まり飲みに行くのも独特の文化といえば独特だ。
船乗りは全国に散在しており近くに住んでいる船乗り仲間が休暇とは限らない。
なので誰かが思いたち「今日の晩にでも皆で新宿行かね?」と同じく休暇の船乗り仲間へ昼くらいに電話するのだ。
船乗り仲間も距離の感覚が一般人と違うので「良いよ17時くらいに行けると思うわ」と快諾する。そして飛行機のチケットを直ぐにとり出掛ける。
ここまで遊んでいても年間を通すと月5万10万は貯金できているので意外かもしれない。
これは親が口うるさく「5万円くらいは貯金しておきなさい」と言うので定期預金とかで貯金しているためだ。
若い頃から定期で預金しているため信用が付いており家建てる時の融資もかなり通りやすかったりする。
船乗りという職業は明らかに特殊な業務である。そのため生命保険が少しだけ他の人より高い上に審査が厳しい。
何が厳しいかというと「どんな業務をしているのか?」とか書類不備で再審査が頻発することが稀にあるのだ。
これが非常に鬱陶しく、折角加入してやろうとしているのに加入する気が段々となくなってくるのだ。
同じ生命保険会社でも生保レディによって書類不備が頻発するかしないか、保険商材によって書類不備が頻発するかしないかが変わってくるので生命保険会社はもっと船乗りに優しくするべき。
社内規程とかあるのは察するが、5度6度と書類不備が起きるのは流石に堪えられなくなってくる。
船乗りが結婚相手に選ぶ基準は殆どの場合見た目は気にされない。
これは家庭を持ってもその船乗り自身が近くに居れないので、居ない間に家庭をしっかり守れる相手を選ぶからだ。
大金があるので浪費するという欲望に勝てる若い子は少ないから見た目とか気にしてられないのだ。
船乗りは若い頃に付けてしまった自分自身の浪費癖をよくわかっている。自分が家庭の財布を持つと家計が上手く行かなくなる可能性がある。
なので多くの船乗りは嫁に財布を持たせており、その嫁の金銭感覚を信じているのだ。なので見た目はどうでも良い(良ければ越したことはないけど)。
国を愛し、家族を愛し、恋人を愛し、友人を愛する。それは長い間遠くへ離れているからこそ持つ強い感情だ。
愛するからこそ船乗りは愛する者の前で格好を付けて、そんな自分自身を自慢して貰いたいと考える。
自慢の国民となり、自慢の家族となり、自慢の恋人となり、自慢の友人となりたいのだ。
だから船乗りは自身の面子を潰されたり、愛するものが傷つけられるのを非常に嫌う。
おそらくはネット上へここまで詳細に海運系船乗りのことを3ページにまとまっているものはないと思われる。筆者はもう書きたくない。
注意点としてはところどころ端折ってる部分は当然ながら存在するし、会社によって差異があるところも存在する。
可能な限り平均的な目線で書いたつもりだがおかしな点はあるだろうと思われる。それを見つけた船乗りは各自「うちの会社はこうだ」と主張していただければ幸いである。
ただ船舶が灰色だったり白くて青いラインが入ってる船舶を持ってる"会社"の船乗りたちは機密保持の兼ね合いもあるだろうから気をつけるように。言っちゃいけない部分は言ったらダメだよw
船舶という業界は非常に過酷な職場です。3Kと呼ばれる職業だし、その上に知能まで求められます。
セクハラ、パワハラなんて当たり前だし叱られて殴られることすらあります。そんな環境なのに逃げ場がありません。
しかし、だからこそ我々船乗りは高給取りであり多くの人々から尊敬され羨望の眼差しで見られます。
我々船乗りが得られる一般的な感覚からすると有利とも思われる権利は、それなりの義務を果たすことで得ているものです。
学ぶ気の無い者、本気になれない者、そして船乗りとして格好が付けられない者は業界として必要ありません。どうぞ別の業界へ行ってください。
学ぼうとし、本気になり、そして格好を付けようとする者、どうかお願いですからこちらの業界へ来てください。我々には貴君を金の卵として向かい入れる準備があります。
この記事を読み、少しでも海運へ興味を持っていただけたのなら嬉しく思います。
日本国は島国海洋国家であり海運へ強く依存せざる得ない立地条件です。
「日本国経済は海から」という言葉もあるくらい、良いにせよ悪いにせよ経済的変動の影響は海運へ先に現れると言われています。
逆に言えば日本国海運が世界海運の中で悪い立場となれば日本経済へ悪影響をもたらすとも言えます。
IT産業や宇宙産業など新たな市場は開拓されていっていますが、日本国と同じく2000年の歩みを進めた海運産業へもその視線を向けていただれば幸いです。
そして出来ることならば海洋の研究を支援するお声かけと、海運の大切さを伝える教育を実行していただければと思います。
ここ一ヶ月間私は気になって仕方がない。
もう一度言おう。sendとreciveだ。
誰かをお忘れではないですか。
(゚∀゚)ラヴィ!!
reciveから逃亡していたのだった。
ところで、私はSEだ。IT業界の雑用係として名を馳せている。エクセルシートでレポートを書き、エクセルで調査表を作成し、excelで仕様書を修正し、Excelでソースコードを打ち込んでいる。エクセルでチャットに励むのも、エクセルに目覚まし時計を頼むこともエクセルでコーヒーを沸かすことも、、、できる。そんなエクセル戦士たる我が日々戦っているものはなんであろうか。難解なシステムか?不毛なレビュー会議か?睡眠時間か?……いや、どれもそうであるが、どれもそうではない。一番は誤字脱字、二番目は文言の不統一だ。レビューで誤字脱字が一つ見つかると平均して五分時間が伸びる。たった六つで三十分だ。鬼の首でも取った勢いで指摘する人もいれば、淡々と告げる人もいる。だが、これだけは共通している。間違えれば、確実に時間が伸びる。
そこは本質ではない、そこはレビューで確認してほしい点ではないんだ。内心でどう喚こうと、口に出していかに取り繕うと、誤字脱字の指摘にレビュアーは時間を最大限に割く。どいつもこいつもだ。修正は終わるところを知らない。
今いる場所もまぁ似たようなところだ。どこも一緒。だが、IFなんつー物騒なところにアホくさいスペルミス。これはどういうことだ?使用箇所は軽くgrep検索しただけで200行以上。ソースコードのタイムスタンプを見るに八年前はすでにこのフォルダ…ディレクトリ名を使用していた。
これだけ省略形?
今気づいた。
聞いていて、こっちが間違っているような気がした。何でたかが一ディレクトリの名前が違うことに義憤とも私怨ともつかぬものを燃やせばならんのだ。アホらし、アホらし。
その数時間後、仕様変更の連絡違いで30ファイルのエラーログを修正しなければいけないことをレビューで告げられて、闇の炎は再燃することになる。何の因果から、レビュー議事録を送ろうと開いたメールボックスには、TOEIC団体申し込みの最終案内が入っていた。
少なくとも八年前、ディレクトリ名にreciveと名付け、魔のレビュアーの監視を全て逃れて、見事システムに組み込むことに成功した名も無きエンジニアよ。私が今、敬意さえ込めた眼差しで見つめていることをあなた様は知る由もないだろう。人が多ければ多いほどいい。そうすれば、猫は犬に変わり、日本語はJanglishになる。あなた様は確かに、間違いを正しさへ変えたのだ。工数、信用、評価、どれも欠けることなく。
凄いよ、くそったれ。
幼稚で愚かな底辺SEの一人より。
だからどうか知らんが
7年後の未来を直視して、そのために今から全力で生きろなんて言われたら耐えられない。
もうそれ言われるだけで、全てのやる気を失うぐらい。耐えられない。
おっさん限らずに、世の中の大人と言われるモノ達で
じいっちゃんばあちゃんは、死んでるかもしれないし。
お姉さんはおばさんになる。
お兄さんは加齢臭だして禿げる。
これを直視しながら、それに向かって頑張れなんて言えるのだろうか。
だけど、僕を含めた彼らは言う
まだ7の2倍にも届かない若者達に、期待という無自覚な悪をぶつける。
若者達は好きのその先を目指して全力で頑張っている。
その若者たちに、7年先を実感しろ。だからといってその重圧に潰れずに
全力で頑張れと無責任に放り投げる
彼らが若者だった頃、そんな先の未来を実感して生きることはできただろうか。
改めて繰り返すが、僕はおっさんになった。
上京組が、地元で暮らす中学時代の同窓に奇異の眼差しを向ける話、よく聞く。
食傷気味というか、手垢に塗れたトピックだけど、とりあえず思うところを書いてみる。
地方の進学校卒業して、そこそこの大学出た人間から見たら、底辺校に入ったような同級は異常に見える。
マークⅡ乗って平日日中にふらふらしてるような怪しい人の使い走りしてる奴とか、“おいしい商売"を紹介してくれる奴とか、ナマポでパチンコしてるバツイチとか。
こういう人間たち、本当にクズだと思うけど、彼らが極悪人だとは思わない。
学校の勉強ができなかったとか、親がバカだったとか、地頭が悪いとか、そういうほんの些細な、本人にはどうすることもできない環境依存的なことでゴミクズになってしまったのだと思う。
「怠け者だから途上国の人々は貧困にあえいでいるわけはない」みたいなプロ市民的言説に聞こえるかもしれない。ただ、程度に差はあれ、世界にこういう構造はある。
もし自分がスクールカーストの最底辺だったら、DVを受けて育ったら。誰かの立場になる想像力を働かすことができれば、真性クズが条件付きクズに見えてくるはず。
大変申し訳ありませんが,皆様のお子様が美術館内でランダムに発する奇声,ドタバタと走り回る際に発せられる異音を,私は許容することができません。特に,静けさが作品の一部となっているような展示会場では尚更です。ああいう雑音も,皆様にとっては許容可能なことなのかもしれません。しかしながら,大変残念なことではありますが,ご自身のお子様について,皆様が許せることと,皆様以外の人間が許せることは,一致しない場合があるようなのです。
そもそも私は,皆様のお子様を,皆様ほど可愛いと感じませんし,皆様ほど許すことも,愛することもできません。私にとって皆様のお子様は,ただの知らないクソガキなのです。そして,私にとっての皆様は,そんなクソガキを美術館に連れてくる,大馬鹿者のクソ親なのです。大馬鹿者のクソ親たる皆様におかれましては,ぜひとも,かの有名な俗物参謀よろしく,「はしゃいでやがる。早すぎたんた」と,ご自身の判断を顧みて頂きたいのです。
「小さい頃から,上質の芸術に触れさせたい。子どもはのびのび育てたい。叱って泣かすより,褒めて笑わせたい」
そうした子育ての理想そのものは大変尊いものだと存じます(とはいえ,皆様がそのような理想をお持ちかどうかは分かりません)。是非とも,その崇高なる理想と使命を全うして下さい。ただし,皆様が許せることと,皆様以外の人間が許せることとが一致する範囲において。お願いですから,はしゃぎ回るお子様に優しい眼差しを送ったり,一緒になってはしゃぎ回るといったことの無いようにして下さい。
美術館で騒ぐ我が子を叱るとか,唇に人差し指を当てて「しーっ」という音を発するとかといった行動は,極めて不合理です。皆様ことお前らクソ親が毎日大変な苦労をして育てておいでのお子様ことクソガキが,美術館なんていう退屈な場所で静かにできるわけがないのです。それは当たり前のことです。水が上から下に流れるように,クソガキは奇声をあげ,そこらを走り回ります。ですから,クソガキのせいにしないでやって下さい。責任は,そんなクソガキを連れてきた,お前らクソ親の方にあるのです。電車や飛行機なら仕方ありませんが,ここは美術館ですからね。
のびのび育児は,お前らのクソガキがのびのび過ごしても許容される場所で実行して下さい。お前らがそうして子どもを育てたいとして,それはそれで理解できますし,お前らの育児方針に意見するものではありません。そうではなくて,子育ての論理と公共マナーの論理,その両方を頭に置いて欲しいと言いたいのです。そして,お前らが優先している子育ての論理が,公共マナーの論理で動いている他人からは受け入れらない場合があるという,当たり前のことを自覚して欲しいのです。子育ての論理が,常に公共マナーの論理に優先するわけではないのです。
叱るより褒めたければ,そのようにできる場所へ出かけてください。泣かすより笑わせたかったら,そのようにできる遊びを選んでください。そして,子どもが大きくなって,多少とも静かにできるようになった暁には,美術館の一つくらい,連れて行ってやって下さいね。
まあそもそもしたくないしするつもりもないけど。
自分以外の男と話してるだけでやきもきする。
表面上ではなんとも思ってないように取り繕ってるけど、談笑してたりしたら本当は発狂しそうになるレベル。
これまで付き合ったことは高校生のときに1回しかもたったの3ヶ月間だけだし、もちろん童貞だ。
自分以外の男に熱い眼差しを送ったりピロートークしたことがあるんだと思うだけですっごい生理的に拒否感がある。
そんなだから今30前だけど仮に結婚したくなって相手を探したとしてもが結婚できないししたくもない。
子どもの憧れレベル、お遊びレベルの恋愛なら許容できるけど、一線を超えたことがある人間とは絶対に付き合えない。
むしろそんなんでホイホイ次にいくのが普通という風潮にドン引き。
絶対にその人間以外とは恋に落ちないし結婚もしないしセックスもしないの。
それだったら誰も不幸にならない。
非処女とか非童貞を受け入れられる人間は器でかすぎで貞操観念無さすぎってだけ。
自分のはしたなさを恥じろ。
受験生のときは、とにかく何が何でもいい大学に合格して、一生使える高学歴の資格を手に入れて、劣等感からの脱却とともに優越感を抱くことを最大の目標にしていた。
誰もが名を知るあの大学に合格できれば、友人や親戚中から羨望の眼差しで見られて、おまけに可愛い彼女のハートもゲット確実。
しかし夢を見るばかりであまり勉強しなかったので、結局志望の難関大学には合格できず。
この不本意な学歴を生涯背負って生きていくことに絶望した時期もあったけれども、これからの勝負は、自分の学歴を受け入れて、学歴なんかにこだわらずに生きていく術を身につけることだと思っている。
艦これ→こんごうモザイク(ニコ動の)→きんいろモザイクに嵌る→のタイトルに反応する中学生ボウイの想像云々というツイートを流れで見つけて、
何となくモヤモヤ中。きんいろモザイクという言葉だけで予約したビデオを思い浮かべて一晩寝つけずにいた、
そして母より先に回収しなければいけなかったミッションへの緊張感を返せと今更ながら思う。
艦これで中破した女の子の悲鳴と絵を見ても初見から何も反応しない...
浜辺のビーチでキャッキャ言ってる女の子らの一人がラッキースケベを起こしたら、
ポロリもするほど元気があっていいですねーと紳士と言う名の変態の眼差しで穏やかに見つめてるような、
そんな気持ちのデジャヴをずっと繰り返してる。
ぎらついた目で百分の一秒を脳裏に焼き付けるのではなく、
あくまでも夏の風景の一つとして流れを留めてみられるような。
補助席でシートベルトを掛けた昼間の服装と交わした会話を思い出して脈絡なく笑えるような。
この余裕は私が今まで築き上げて来たエロスがもたらしたものだ。それがひどく悲しい。
少将止まりのまま変わらない提督の肩書きのように、めったなエロに素直な反応ができない。
夜戦を交えることを念じればまだまだ現役のはずだが、普段はまったりエロスだ。
画面を二やついた顔を必死に押さえながら閉じたくなることも
後ろを振り返ってしまうこともなく、
エルゴノミクスの椅子に踏ん反り返って、淡々とマウスを動かしていく。
ブヒブヒ鳴くことも腰を動かすこともなく、黄昏の波止場をかけてゆく姉妹をぼんやり眺めてる感じ。
艦これってエロい、心の底からそう思いたいが、今の私には言えぬ。
艦これって癒されるよね。それでいい。
ああ、でも一人くらいは毒牙にかけたいんだけどなぁ。
「ああ、自分は日本人なんだ」と思うと、嬉しさがこみ上げてくる。
認定の日のあの喜びがいまだに続いている。
「いいかい?伝統というのは我々自身が作り上げていく物なのだよ」と。
僕は感動に打ち震えます。
「日本政府が何をしてくれるかを問うてはならない。君が日本政府に何をなしうるかを問いたまえ」
僕は使命感に胸が熱くなり、武者震いを禁じえませんでした。
でもそれは将来日本の各界をになう最高のエリートである僕たちを鍛えるための天の配剤なのでしょう。
日本を作りあげてきた先輩はじめ先達の深い知恵なのでしょう。
日本に帰化し社会に出ることにより、僕たちは伝統を日々紡いでゆくのです。
素晴らしい実績。余計な説明は一切いらない。
「いつもきみは学歴で差別をしている」http://anond.hatelabo.jp/20130519031625
を書かれた方と
それを
「いつもきみは学歴で差別されるところにいる」http://anond.hatelabo.jp/20130519040954
と改変された方は
同一人物なのでしょうか?
セルフ改変で、多角的な視点からみせようといった制作意図があるのかもしれません。セルフ改変の場合は、一読者として、何の異存もありません。
ただ、万一、前者と後者の投稿者が同一人物でないのなら、この改変行為には強い不快感をおぼえます(横からですが、個人的に)。
他人のテンプレートを利用しながら、
その人の過去の生き様を学歴でしか判断できない場所にきみはいる
そういって、仕事ができないきみは同い年の上司に陰で笑われている。
いつも君を支えてくれる人にひとかけらの眼差しも投げることはない。きみを見ているたくさんの人に気づくこともなく、振り返らなかったあの人にいつまでも意固地になっている。
というような自前のヘイト感情を織り込んでいく。ひとのふんどしで相撲を取りながら、寄生主を内側から食い尽くす。極めて悪趣味です。揚げ足を取るなら取るで、ふんどしくらい自分で縫ったらどうですか?
逆にきみは人種で差別をする場所には行こうとしない。黒人であれ、中国人であれ、白人であれ、先入観を持つ場所には行こうとしない。
その人の過去の生き様を学歴でしか判断できない場所にきみはいる
地方の偏差値の高い高校を出て、早慶に行く人間が、同じ借家に住んでいる。
そういって、仕事ができないきみは同い年の上司に陰で笑われている。
東京に出て、社会人になって、地元の時よりもたくさんの人と出会うことになったときみは言う。
その人がどんな人で、どんな考え方をするのかはちょっと話をすれば見えてくるよと思い込んでいる。
でも、きみは日本人を語るアダルトチルドレンだから、直接的な質問は怖くてできない。
だから、ちょっとずつ、ちょっとずつしか相手のことを知ることはできない。それを、他人は演技がうまいからさとうそぶく。
人を知るのにはとても長い時間がかかり、その人と仕事をするのは将来大きな事故になるかもしれないと怯えている。
何年も努力をしてきたか、何年も地道なことをしてきたか、そしてそのようなグループと過ごしてきたか、
そういってきみはいつも過去を見て、今目の前にいる人のことを、自分の周りの人びとを、いつも君を支えてくれる人に
ひとかけらの眼差しも投げることはない。
きみを見ているたくさんの人に気づくこともなく、振り返らなかったあの人にいつまでも意固地になっている。
きみは口に出してはいないけど、心の中で、学歴を判断基準にしていることが顔でわかるから。
「何歳で東京に出てきたの?」⇒浪人して大学入ったこと気にしてんのかな、こいつ?
「フェイスブック教えて」⇒お前の大学、友達で分かったけど隠すことないのに
「へー、東大の院を出たんだ?!」⇒研究内容とか聞かないで黙っちゃったよ、どうしよう…
いつも、僕たちは学歴で差別をするところをきみのためだけに用意しているんだよ。
27歳でいまだ童貞です。童貞です。童貞というのは、生まれて今日まで女性と性交渉をもったことがない男という意味です。書いておかないと誤解されると思うのであらかじめ断っておきますが同性愛者ではありません。よっぽど美少年なら抱きたい/抱かれたいというのは正直あるけど、現実にしたいとは思ってません。女性の小陰唇を直に見たことがありません。生身に女性の裸を見たことがありません。当然触れたこともないわけです。
なんで死にたいか順を追って説明してみたいと思います。結論から言うと、春になったからです。春になると、突然、街行く女性の服装が華やかになる。露(あらわ)になる白い二の腕。女子高生くらいの女性が太ももで僕を誘惑する。ショートパンツからにゅきっと生えたバターのように白い太もも、どこまでも白く透き通るような女性の肌の色。雪のように白いというけど、僕はややピンクがかった白い肌に興奮してしまうのです。実を言うと、昨日、あまりにも肌の露出が多いため、深刻な頭痛に苦しんでいました。緊張性頭痛というやつで、精神性のものです。地下鉄に乗ろうとしたのですが、西遊記の孫悟空を縛る緊箍児(きんこじ)のように頭をギューギュー締め付けるのです。会社にいくつもりだったのですが、吐き気がして、自宅に返って風呂のなかに籠っていました。なぜ風呂に入ったかというと、先生が、リラックスすれば頭痛は消えると教えてくれていたからです。
女性の実体そのものはなんてことはないと思っています。それを男の脳というフィルターを通してみたときに、ひどく魅力的なものに見えるにちがいありません。いま、あなた私に「風俗行けよ」って言おうとしませんでしたか?風俗なんていやです。絶対に行きたくないです。お金に困って嫌々働いている女性は、女はカネで股を開く浅はかな生き物だと勘違いしている男を一日何人も相手しているんです。しかも、恥垢のたまった、悪臭放つデブ男のチンコをしゃぶらされ、精液を飲まされるのです。想像しただけで吐き気がしてきました。僕にはそんなことできません。もし、「1万あげるから、洗ってないチンポしゃぶって精子飲んでくれる?」と言われてできますか?イケメンならまだしも、おっさんや風呂に入ってなさそうな引きこもりのチンポしゃぶれますか?もしできるって人間は風俗に行けばいい。俺にはできない。自分がしたくないことを他人(ひと)にはできない。僕はなるべくこのルールを守って来たつもりだし、これからも守っていきたい。だから風俗には行けない。行ってもいいけど、相手は僕を人間として見てくれない、扱ってくれない。「オマエもそういう奴なんだな」っという目で、侮蔑の眼差しで見られる辛さ。僕は人間でありたい。だれも僕を人として扱ってくれないけど、僕は人間だ。人間でありたい。誰が何を言おうと人間だ。でも童貞には、そう発言する権利はない。
童貞というのは、人間として失敗したということだ。欠陥商品だ。本来ならリコールされるべきなのに、人権団体が俺の人権のために俺を苦しめる。童貞というレッテルは前科三犯よりも重い。シンナー吸ったり、Sやったりする奴よりも重い。だって、薬やってもテレビ復帰できるんだろ?日本中の人間が見る番組に出られるんだろ?父親がやくざであったとしても。でも、童貞は童貞というだけで、人間としての資格なしだ。人間失格という本は読んだことはない。太宰治はすぐ女ができるんだろ?
ああ女性は美しい。その存在が僕に平安をもたらす。水平線の彼方のように、さざ波ひとつもない、真っ平らな水平線を僕を連れて行ってくれる。僕はいまそこに行こうとしている。すべての絶望の淵は驚くほど安寧の地だ。あらゆるものが美しく見える。ベルリオーズの音楽が聴こえる。もうそろそろMBAの電源が切れそうだ。できるなら女性がいかにすばらしいそんざいであるか、僕自身の言葉で書いてみたかった。彼女たちは天使だが、天使という言葉では決して語り得ない。
最後に書いておきたい。世界はうつくしい。僕は幸せだった。日本に生まれてしあわせだった。願わくば、あなたにも、あなたのたいせつなひとにも幸福が訪れますように。みなさまのご幸せを心よりお祈り申し上げます。
先日、息子が私のパソコンでYoutubeを見ていた。私の閲覧履歴から、鉄拳の"振り子"の動画を見つけ、クリックした。私は数か月ぶりかにその動画を見て涙が溢れていたが、息子の眼差しがディスプレイから逸らされることはなかった。息子に気付かれないように涙を拭った。私が涙を流したのは、数か月前にこの"振り子"の動画を初めて見た時以来だった。
その次の日、娘が交通事故に遭った。家に居た妻とケータイで話しながら横断歩道を歩いていた際に、車に接触されたらしい。電話の向こうで何が起こったのか解らない妻は、電話で娘の名前を叫び続けた。現場で事故を目の当たりにされた方が娘のケータイを拾い、妻に状況を報告してくれたのだが、加害者は動揺して娘を自分の車で病院まで連れて行こうとしたらしい。妻は混乱しながらも私に電話をし、娘が交通事故に遭ったこと、足を怪我したこと、加害者が連れ去ったことを伝えてきた。断片的な情報しか受け取っていない私は、まだ記憶に新しい楽天社員による事件を思い起こした。
私は仕事を投げ出し、急いで帰宅した。家に妻は居なかった。後で聞いた話によると、現場の近所の方が救急車を呼んでくれて、加害者に連れ去られることなく救急車に収容されたものの、救急隊員に保護者の同伴を求められ、更には収容先の病院がなく、救急車はなかなか出発しなかった。その間に妻が現場に到着し、家で待機していた私に電話をくれた。電話から聞こえる声は、妻ではなく娘だった。少し話をして電話を切った。娘のはっきりとした口調を耳にして安心したのも束の間、その後の妻からのメッセージに「開放骨折」という言葉が入っていた。妻はそれが意味するところを全く知らなかったようだが、私はそれがどういう状態なのかをある程度理解し、娘は元通りには歩けなくなるかもしれないと覚悟した。
収容先の病院で妻と二人、担当医に娘の状況を説明される。いくつかの幸運が重なり、私が勝手に想像していた最悪のシナリオは否定された。しかし、最悪死に至るような合併症などのリスクはゼロではなく、まずは緊急手術をする事に同意を求められた。選択肢はない。ひとりの人間としてはまだ幼すぎる娘だが、事故からここに至るまで涙を見せることはなく、救急車の中で妻に会い、最初に発した言葉は「ごめんなさい」だった。2時間に及ぶ手術も無事に乗り越えた。ここまで本当によく頑張ったと思う。術後、ベッドに眠る娘を見て、私はようやく人心地付いた。気が弛み、涙した。私が2日連続で涙を流すことなんて、何年ぶりだろうか。
話は少し前に戻って収容先の病院に車で向かう途中、一台の救急車に追い抜かれた。病院の救急医療センターには断続的に患者が訪れてくる。あるいは救急車で運び込まれてくる。事件なのか事故なのかパトカーと警察官も来る。うちの家族に起きた災難と同じようなことが日常的に起こっていることを痛感した。手術が終わるのを待つ間に、警察署からは加害者が直接お詫びしたいと待っているという連絡があったが、会ってもこちらには何のメリットもないどころか自分の中で悪い感情が大きくなることが容易に想像できたため、面会を拒否した。この連絡で加害者には直接我々に会って謝罪する意志があり、まともな人間であることがわかったが、我々から見ればまともな人間などではなく、過失で娘を殺しかけたヒトゴロシのなり損ないに過ぎない。罵倒しようが殴り倒そうが娘の傷が癒えるわけではないし、やりどころのない気持ちを加害者に向けても何も解決しない。その一方、謝罪する機会を加害者に与えることすら拒否したいと考えていることも事実だった。
帰宅途中に警察署から再び電話があった。今回の事故が報道されるかもしれないという。記事になるかどうかは報道機関次第とのことだが、我々に記事掲載を拒否する権利がないなら何故わざわざ連絡をよこすのかと気分が悪くなった。この程度の事故なら日本中で嫌というほど起こっているだろうに。違和感を覚えながらも匿名を希望していることを強く伝えてもらうようお願いした。
事故の翌日、私は仕事に行き、妻は自分のスケジュールを調整して面会時間中はずっと娘の傍に居た。私も仕事を早めに切り上げて娘の元に向かった。点滴による薬投与のせいか発熱のせいかは判らないが、娘はずっと調子が悪そうに寝ていた。人間とは強欲なもので、事故を知った時には生きてさえくれればと神に祈り、娘の声を聞いた時には障害さえ残らなければそれで良いと思い、担当医に完治の見通しについて説明された時には傷跡が残ってしまうことを呪い、完治には十分な時間が必要と告げられた時には今後の予定が全て崩れてしまうことを嘆いた。ずっと我慢していた娘が、事故後に初めて泣いた。妻も私も泣いた。3日連続で涙を流すのはおそらく幼少の時以来になるのではないか。
帰宅後、今回の事故が新聞に載っていることを知った。加害者が報道されるに値するだけの人物だったのだ。なるほど違和感を覚えたあの電話は、こうなることを予期しての予防線だったのか。とある新聞では「重症」と記され、その言葉で妻はことの重大さをもう一度噛みしめてしまい涙し、別の新聞のWeb記事では「骨折」と記され、その言葉の与える印象の軽さに私は怒りを覚えた。娘は今後何か月にも渡り貴重な時間を不自由に過ごさなければならないのだろう。もし元通りに歩いたり走ったりできるようになっても、その傷跡が完全に消えることはないだろう。事故の瞬間を電話で聞いていた妻は、確実に寿命が縮まるほどの精神的なダメージを負ってしまっただろう。それ以外にも、私と妻が病院に通うだけの労力と、通院のための時間を使ってするはずだった経済的な活動、通院のために発生する周囲の人たちへの負担は、誰も補償してくれはしない。
あれから娘は順調に回復し、熱は下がり、点滴も外れ、食欲も出てきた。まだ入院中の娘の笑顔を見て、安心してしまっている自分がいる。過去に事故の加害者や被害者になったこともあり、車を何度もぶつけたことのある私は、自分がいつか今回の加害者と同等の立場に立たされる可能性、自動車を運転することのリスクを見つめ直した。また、被害者という立場に立たされ、被害者にしかわからないこと、「被害」とはどういうものなのかを身をもって体験した。その一方、家族の大切さを嫌というほど再認識させられ、また周囲の人たちからの温かい支援を得られることが嬉しかった。本当に貴重な体験だった。だがそれを学ぶにはあまりに高い代償であり、娘が元気に走れるようになるまでは、まだまだ多くの時間が掛かり、その間にも様々なことがあるだろう。
様々な葛藤を整理し、記し、公開することで区切りをつけたかった。
以上、今日までの出来事と、今現在感じていることを記録しておく。「娘が入院している」という「非常」が、「日常」になりつつあることに恐怖しながら。
先日、息子が私のパソコンでYoutubeを見ていた。私の閲覧履歴から、鉄拳の"振り子"の動画を見つけ、クリックした。私は数か月ぶりかにその動画を見て涙が溢れていたが、息子の眼差しがディスプレイから逸らされることはなかった。息子に気付かれないように涙を拭った。私が涙を流したのは、数か月前にこの"振り子"の動画を初めて見た時以来だった。
その次の日、娘が交通事故に遭った。家に居た妻とケータイで話しながら横断歩道を歩いていた際に、車に接触されたらしい。電話の向こうで何が起こったのか解らない妻は、電話で娘の名前を叫び続けた。現場で事故を目の当たりにされた方が娘のケータイを拾い、妻に状況を報告してくれたのだが、加害者は動揺して娘を自分の車で病院まで連れて行こうとしたらしい。妻は混乱しながらも私に電話をし、娘が交通事故に遭ったこと、足を怪我したこと、加害者が連れ去ったことを伝えてきた。断片的な情報しか受け取っていない私は、まだ記憶に新しい楽天社員による事件を思い起こした。
私は仕事を投げ出し、急いで帰宅した。家に妻は居なかった。後で聞いた話によると、現場の近所の方が救急車を呼んでくれて、加害者に連れ去られることなく救急車に収容されたものの、救急隊員に保護者の同伴を求められ、更には収容先の病院がなく、救急車はなかなか出発しなかった。その間に妻が現場に到着し、家で待機していた私に電話をくれた。電話から聞こえる声は、妻ではなく娘だった。少し話をして電話を切った。娘のはっきりとした口調を耳にして安心したのも束の間、その後の妻からのメッセージに「開放骨折」という言葉が入っていた。妻はそれが意味するところを全く知らなかったようだが、私はそれがどういう状態なのかをある程度理解し、娘は元通りには歩けなくなるかもしれないと覚悟した。
収容先の病院で妻と二人、担当医に娘の状況を説明される。いくつかの幸運が重なり、私が勝手に想像していた最悪のシナリオは否定された。しかし、最悪死に至るような合併症などのリスクはゼロではなく、まずは緊急手術をする事に同意を求められた。選択肢はない。ひとりの人間としてはまだ幼すぎる娘だが、事故からここに至るまで涙を見せることはなく、救急車の中で妻に会い、最初に発した言葉は「ごめんなさい」だった。2時間に及ぶ手術も無事に乗り越えた。ここまで本当によく頑張ったと思う。術後、ベッドに眠る娘を見て、私はようやく人心地付いた。気が弛み、涙した。私が2日連続で涙を流すことなんて、何年ぶりだろうか。
話は少し前に戻って収容先の病院に車で向かう途中、一台の救急車に追い抜かれた。病院の救急医療センターには断続的に患者が訪れてくる。あるいは救急車で運び込まれてくる。事件なのか事故なのかパトカーと警察官も来る。うちの家族に起きた災難と同じようなことが日常的に起こっていることを痛感した。手術が終わるのを待つ間に、警察署からは加害者が直接お詫びしたいと待っているという連絡があったが、会ってもこちらには何のメリットもないどころか自分の中で悪い感情が大きくなることが容易に想像できたため、面会を拒否した。この連絡で加害者には直接我々に会って謝罪する意志があり、まともな人間であることがわかったが、我々から見ればまともな人間などではなく、過失で娘を殺しかけたヒトゴロシのなり損ないに過ぎない。罵倒しようが殴り倒そうが娘の傷が癒えるわけではないし、やりどころのない気持ちを加害者に向けても何も解決しない。その一方、謝罪する機会を加害者に与えることすら拒否したいと考えていることも事実だった。
帰宅途中に警察署から再び電話があった。今回の事故が報道されるかもしれないという。記事になるかどうかは報道機関次第とのことだが、我々に記事掲載を拒否する権利がないなら何故わざわざ連絡をよこすのかと気分が悪くなった。この程度の事故なら日本中で嫌というほど起こっているだろうに。違和感を覚えながらも匿名を希望していることを強く伝えてもらうようお願いした。
事故の翌日、私は仕事に行き、妻は自分のスケジュールを調整して面会時間中はずっと娘の傍に居た。私も仕事を早めに切り上げて娘の元に向かった。点滴による薬投与のせいか発熱のせいかは判らないが、娘はずっと調子が悪そうに寝ていた。人間とは強欲なもので、事故を知った時には生きてさえくれればと神に祈り、娘の声を聞いた時には障害さえ残らなければそれで良いと思い、担当医に完治の見通しについて説明された時には傷跡が残ってしまうことを呪い、完治には十分な時間が必要と告げられた時には今後の予定が全て崩れてしまうことを嘆いた。ずっと我慢していた娘が、事故後に初めて泣いた。妻も私も泣いた。3日連続で涙を流すのはおそらく幼少の時以来になるのではないか。
帰宅後、今回の事故が新聞に載っていることを知った。加害者が報道されるに値するだけの人物だったのだ。なるほど違和感を覚えたあの電話は、こうなることを予期しての予防線だったのか。とある新聞では「重症」と記され、その言葉で妻はことの重大さをもう一度噛みしめてしまい涙し、別の新聞のWeb記事では「骨折」と記され、その言葉の与える印象の軽さに私は怒りを覚えた。娘は今後何か月にも渡り貴重な時間を不自由に過ごさなければならないのだろう。もし元通りに歩いたり走ったりできるようになっても、その傷跡が完全に消えることはないだろう。事故の瞬間を電話で聞いていた妻は、確実に寿命が縮まるほどの精神的なダメージを負ってしまっただろう。それ以外にも、私と妻が病院に通うだけの労力と、通院のための時間を使ってするはずだった経済的な活動、通院のために発生する周囲の人たちへの負担は、誰も補償してくれはしない。
あれから娘は順調に回復し、熱は下がり、点滴も外れ、食欲も出てきた。まだ入院中の娘の笑顔を見て、安心してしまっている自分がいる。過去に事故の加害者や被害者になったこともあり、車を何度もぶつけたことのある私は、自分がいつか今回の加害者と同等の立場に立たされる可能性、自動車を運転することのリスクを見つめ直した。また、被害者という立場に立たされ、被害者にしかわからないこと、「被害」とはどういうものなのかを身をもって体験した。その一方、家族の大切さを嫌というほど再認識させられ、また周囲の人たちからの温かい支援を得られることが嬉しかった。本当に貴重な体験だった。だがそれを学ぶにはあまりに高い代償であり、娘が元気に走れるようになるまでは、まだまだ多くの時間が掛かり、その間にも様々なことがあるだろう。
様々な葛藤を整理し、記し、公開することで区切りをつけたかった。
以上、今日までの出来事と、今現在感じていることを記録しておく。「娘が入院している」という「非常」が、「日常」になりつつあることに恐怖しながら。
先日、息子が私のパソコンでYoutubeを見ていた。私の閲覧履歴から、鉄拳の"振り子"の動画を見つけ、クリックした。私は数か月ぶりかにその動画を見て涙が溢れていたが、息子の眼差しがディスプレイから逸らされることはなかった。息子に気付かれないように涙を拭った。私が涙を流したのは、数か月前にこの"振り子"の動画を初めて見た時以来だった。
その次の日、娘が交通事故に遭った。家に居た妻とケータイで話しながら横断歩道を歩いていた際に、車に接触されたらしい。電話の向こうで何が起こったのか解らない妻は、電話で娘の名前を叫び続けた。現場で事故を目の当たりにされた方が娘のケータイを拾い、妻に状況を報告してくれたのだが、加害者は動揺して娘を自分の車で病院まで連れて行こうとしたらしい。妻は混乱しながらも私に電話をし、娘が交通事故に遭ったこと、足を怪我したこと、加害者が連れ去ったことを伝えてきた。断片的な情報しか受け取っていない私は、まだ記憶に新しい楽天社員による事件を思い起こした。
私は仕事を投げ出し、急いで帰宅した。家に妻は居なかった。後で聞いた話によると、現場の近所の方が救急車を呼んでくれて、加害者に連れ去られることなく救急車に収容されたものの、救急隊員に保護者の同伴を求められ、更には収容先の病院がなく、救急車はなかなか出発しなかった。その間に妻が現場に到着し、家で待機していた私に電話をくれた。電話から聞こえる声は、妻ではなく娘だった。少し話をして電話を切った。娘のはっきりとした口調を耳にして安心したのも束の間、その後の妻からのメッセージに「開放骨折」という言葉が入っていた。妻はそれが意味するところを全く知らなかったようだが、私はそれがどういう状態なのかをある程度理解し、娘は元通りには歩けなくなるかもしれないと覚悟した。
収容先の病院で妻と二人、担当医に娘の状況を説明される。いくつかの幸運が重なり、私が勝手に想像していた最悪のシナリオは否定された。しかし、最悪死に至るような合併症などのリスクはゼロではなく、まずは緊急手術をする事に同意を求められた。選択肢はない。ひとりの人間としてはまだ幼すぎる娘だが、事故からここに至るまで涙を見せることはなく、救急車の中で妻に会い、最初に発した言葉は「ごめんなさい」だった。2時間に及ぶ手術も無事に乗り越えた。ここまで本当によく頑張ったと思う。術後、ベッドに眠る娘を見て、私はようやく人心地付いた。気が弛み、涙した。私が2日連続で涙を流すことなんて、何年ぶりだろうか。
話は少し前に戻って収容先の病院に車で向かう途中、一台の救急車に追い抜かれた。病院の救急医療センターには断続的に患者が訪れてくる。あるいは救急車で運び込まれてくる。事件なのか事故なのかパトカーと警察官も来る。うちの家族に起きた災難と同じようなことが日常的に起こっていることを痛感した。手術が終わるのを待つ間に、警察署からは加害者が直接お詫びしたいと待っているという連絡があったが、会ってもこちらには何のメリットもないどころか自分の中で悪い感情が大きくなることが容易に想像できたため、面会を拒否した。この連絡で加害者には直接我々に会って謝罪する意志があり、まともな人間であることがわかったが、我々から見ればまともな人間などではなく、過失で娘を殺しかけたヒトゴロシのなり損ないに過ぎない。罵倒しようが殴り倒そうが娘の傷が癒えるわけではないし、やりどころのない気持ちを加害者に向けても何も解決しない。その一方、謝罪する機会を加害者に与えることすら拒否したいと考えていることも事実だった。
帰宅途中に警察署から再び電話があった。今回の事故が報道されるかもしれないという。記事になるかどうかは報道機関次第とのことだが、我々に記事掲載を拒否する権利がないなら何故わざわざ連絡をよこすのかと気分が悪くなった。この程度の事故なら日本中で嫌というほど起こっているだろうに。違和感を覚えながらも匿名を希望していることを強く伝えてもらうようお願いした。
事故の翌日、私は仕事に行き、妻は自分のスケジュールを調整して面会時間中はずっと娘の傍に居た。私も仕事を早めに切り上げて娘の元に向かった。点滴による薬投与のせいか発熱のせいかは判らないが、娘はずっと調子が悪そうに寝ていた。人間とは強欲なもので、事故を知った時には生きてさえくれればと神に祈り、娘の声を聞いた時には障害さえ残らなければそれで良いと思い、担当医に完治の見通しについて説明された時には傷跡が残ってしまうことを呪い、完治には十分な時間が必要と告げられた時には今後の予定が全て崩れてしまうことを嘆いた。ずっと我慢していた娘が、事故後に初めて泣いた。妻も私も泣いた。3日連続で涙を流すのはおそらく幼少の時以来になるのではないか。
帰宅後、今回の事故が新聞に載っていることを知った。加害者が報道されるに値するだけの人物だったのだ。なるほど違和感を覚えたあの電話は、こうなることを予期しての予防線だったのか。とある新聞では「重症」と記され、その言葉で妻はことの重大さをもう一度噛みしめてしまい涙し、別の新聞のWeb記事では「骨折」と記され、その言葉の与える印象の軽さに私は怒りを覚えた。娘は今後何か月にも渡り貴重な時間を不自由に過ごさなければならないのだろう。もし元通りに歩いたり走ったりできるようになっても、その傷跡が完全に消えることはないだろう。事故の瞬間を電話で聞いていた妻は、確実に寿命が縮まるほどの精神的なダメージを負ってしまっただろう。それ以外にも、私と妻が病院に通うだけの労力と、通院のための時間を使ってするはずだった経済的な活動、通院のために発生する周囲の人たちへの負担は、誰も補償してくれはしない。
あれから娘は順調に回復し、熱は下がり、点滴も外れ、食欲も出てきた。まだ入院中の娘の笑顔を見て、安心してしまっている自分がいる。過去に事故の加害者や被害者になったこともあり、車を何度もぶつけたことのある私は、自分がいつか今回の加害者と同等の立場に立たされる可能性、自動車を運転することのリスクを見つめ直した。また、被害者という立場に立たされ、被害者にしかわからないこと、「被害」とはどういうものなのかを身をもって体験した。その一方、家族の大切さを嫌というほど再認識させられ、また周囲の人たちからの温かい支援を得られることが嬉しかった。本当に貴重な体験だった。だがそれを学ぶにはあまりに高い代償であり、娘が元気に走れるようになるまでは、まだまだ多くの時間が掛かり、その間にも様々なことがあるだろう。
様々な葛藤を整理し、記し、公開することで区切りをつけたかった。
以上、今日までの出来事と、今現在感じていることを記録しておく。「娘が入院している」という「非常」が、「日常」になりつつあることに恐怖しながら。
先日、息子が私のパソコンでYoutubeを見ていた。私の閲覧履歴から、鉄拳の"振り子"の動画を見つけ、クリックした。私は数か月ぶりかにその動画を見て涙が溢れていたが、息子の眼差しがディスプレイから逸らされることはなかった。息子に気付かれないように涙を拭った。私が涙を流したのは、数か月前にこの"振り子"の動画を初めて見た時以来だった。
その次の日、娘が交通事故に遭った。家に居た妻とケータイで話しながら横断歩道を歩いていた際に、車に接触されたらしい。電話の向こうで何が起こったのか解らない妻は、電話で娘の名前を叫び続けた。現場で事故を目の当たりにされた方が娘のケータイを拾い、妻に状況を報告してくれたのだが、加害者は動揺して娘を自分の車で病院まで連れて行こうとしたらしい。妻は混乱しながらも私に電話をし、娘が交通事故に遭ったこと、足を怪我したこと、加害者が連れ去ったことを伝えてきた。断片的な情報しか受け取っていない私は、まだ記憶に新しい楽天社員による事件を思い起こした。
私は仕事を投げ出し、急いで帰宅した。家に妻は居なかった。後で聞いた話によると、現場の近所の方が救急車を呼んでくれて、加害者に連れ去られることなく救急車に収容されたものの、救急隊員に保護者の同伴を求められ、更には収容先の病院がなく、救急車はなかなか出発しなかった。その間に妻が現場に到着し、家で待機していた私に電話をくれた。電話から聞こえる声は、妻ではなく娘だった。少し話をして電話を切った。娘のはっきりとした口調を耳にして安心したのも束の間、その後の妻からのメッセージに「開放骨折」という言葉が入っていた。妻はそれが意味するところを全く知らなかったようだが、私はそれがどういう状態なのかをある程度理解し、娘は元通りには歩けなくなるかもしれないと覚悟した。
収容先の病院で妻と二人、担当医に娘の状況を説明される。いくつかの幸運が重なり、私が勝手に想像していた最悪のシナリオは否定された。しかし、最悪死に至るような合併症などのリスクはゼロではなく、まずは緊急手術をする事に同意を求められた。選択肢はない。ひとりの人間としてはまだ幼すぎる娘だが、事故からここに至るまで涙を見せることはなく、救急車の中で妻に会い、最初に発した言葉は「ごめんなさい」だった。2時間に及ぶ手術も無事に乗り越えた。ここまで本当によく頑張ったと思う。術後、ベッドに眠る娘を見て、私はようやく人心地付いた。気が弛み、涙した。私が2日連続で涙を流すことなんて、何年ぶりだろうか。
話は少し前に戻って収容先の病院に車で向かう途中、一台の救急車に追い抜かれた。病院の救急医療センターには断続的に患者が訪れてくる。あるいは救急車で運び込まれてくる。事件なのか事故なのかパトカーと警察官も来る。うちの家族に起きた災難と同じようなことが日常的に起こっていることを痛感した。手術が終わるのを待つ間に、警察署からは加害者が直接お詫びしたいと待っているという連絡があったが、会ってもこちらには何のメリットもないどころか自分の中で悪い感情が大きくなることが容易に想像できたため、面会を拒否した。この連絡で加害者には直接我々に会って謝罪する意志があり、まともな人間であることがわかったが、我々から見ればまともな人間などではなく、過失で娘を殺しかけたヒトゴロシのなり損ないに過ぎない。罵倒しようが殴り倒そうが娘の傷が癒えるわけではないし、やりどころのない気持ちを加害者に向けても何も解決しない。その一方、謝罪する機会を加害者に与えることすら拒否したいと考えていることも事実だった。
帰宅途中に警察署から再び電話があった。今回の事故が報道されるかもしれないという。記事になるかどうかは報道機関次第とのことだが、我々に記事掲載を拒否する権利がないなら何故わざわざ連絡をよこすのかと気分が悪くなった。この程度の事故なら日本中で嫌というほど起こっているだろうに。違和感を覚えながらも匿名を希望していることを強く伝えてもらうようお願いした。
事故の翌日、私は仕事に行き、妻は自分のスケジュールを調整して面会時間中はずっと娘の傍に居た。私も仕事を早めに切り上げて娘の元に向かった。点滴による薬投与のせいか発熱のせいかは判らないが、娘はずっと調子が悪そうに寝ていた。人間とは強欲なもので、事故を知った時には生きてさえくれればと神に祈り、娘の声を聞いた時には障害さえ残らなければそれで良いと思い、担当医に完治の見通しについて説明された時には傷跡が残ってしまうことを呪い、完治には十分な時間が必要と告げられた時には今後の予定が全て崩れてしまうことを嘆いた。ずっと我慢していた娘が、事故後に初めて泣いた。妻も私も泣いた。3日連続で涙を流すのはおそらく幼少の時以来になるのではないか。
帰宅後、今回の事故が新聞に載っていることを知った。加害者が報道されるに値するだけの人物だったのだ。なるほど違和感を覚えたあの電話は、こうなることを予期しての予防線だったのか。とある新聞では「重症」と記され、その言葉で妻はことの重大さをもう一度噛みしめてしまい涙し、別の新聞のWeb記事では「骨折」と記され、その言葉の与える印象の軽さに私は怒りを覚えた。娘は今後何か月にも渡り貴重な時間を不自由に過ごさなければならないのだろう。もし元通りに歩いたり走ったりできるようになっても、その傷跡が完全に消えることはないだろう。事故の瞬間を電話で聞いていた妻は、確実に寿命が縮まるほどの精神的なダメージを負ってしまっただろう。それ以外にも、私と妻が病院に通うだけの労力と、通院のための時間を使ってするはずだった経済的な活動、通院のために発生する周囲の人たちへの負担は、誰も補償してくれはしない。
あれから娘は順調に回復し、熱は下がり、点滴も外れ、食欲も出てきた。まだ入院中の娘の笑顔を見て、安心してしまっている自分がいる。過去に事故の加害者や被害者になったこともあり、車を何度もぶつけたことのある私は、自分がいつか今回の加害者と同等の立場に立たされる可能性、自動車を運転することのリスクを見つめ直した。また、被害者という立場に立たされ、被害者にしかわからないこと、「被害」とはどういうものなのかを身をもって体験した。その一方、家族の大切さを嫌というほど再認識させられ、また周囲の人たちからの温かい支援を得られることが嬉しかった。本当に貴重な体験だった。だがそれを学ぶにはあまりに高い代償であり、娘が元気に走れるようになるまでは、まだまだ多くの時間が掛かり、その間にも様々なことがあるだろう。
様々な葛藤を整理し、記し、公開することで区切りをつけたかった。
以上、今日までの出来事と、今現在感じていることを記録しておく。「娘が入院している」という「非常」が、「日常」になりつつあることに恐怖しながら。