はてなキーワード: 眼差しとは
残念なソフトウェア開発の現場は、沈みかけの巨大な船に乗った航海に似ている。
船底の穴からの浸水を必死でかき出しながら、どうにか進んで行く。そういう航海だ。
ある穴を塞ごうと船底に板を打ち付けたら、
船の構造はあまりに複雑で、膨大な部品の間にどんな依存関係や相互作用があるのか、
誰も完全には把握していない。
それは、はるか昔に組み立てられた太古の船で、
構造把握の手掛かりは、代々伝わる不十分で不正確な古文書だけなのだ。
新任の船員は、出た水に対してとにかく手当たり次第に対処した。
どんな物でも使い、徹夜で穴を塞いで回った。
ひたすら大きな声で号令を出し、
いかに早く穴を塞ぐかが、船員の間で競われた。
何人もの船員が過労と心労で倒れ、
船員たちが経験を積むうちに、浸水するのは船室の新しく手を加えた部分だと分かり始めた。
そこで彼らは、改装作業を終えた時のチェックリストを用意する事にした。
穴を空けたままにしてしまう事は無くなるだろう。
それが船底だったら・機関室だったら・客室だったら・甲板だったら・竜骨沿いだったら・板だったら・柱だったら・ドアだったら・蝶番だったら・ドアノブだったら……。
(不思議な事だが、ドアノブを直しても浸水する事がこの船にはあった。事例が少なくて原因は良く分かっていない)
チェックリストの長さは、すぐに人が把握できる数を超えた。
複雑な船に対するチェックリストはそれ自体複雑になってしまったのだ。
船員達はやがて、修正する部品を仮組みして水槽でテストするようになった。
事前に水漏れが無いかをテストしてから実際に船に取り付ければ、
それでも、浸水はなかなか減らなかった。
水圧や比重やその他もろもろの条件が大きく違った。
また、既存の部品と新しい部品とを取り付ける境界部分そのものについては、
やはり実際に取り付けてみないと分からない部分も多かった。
それに対する事前のテストも、天候や波の高さ・潮の流れなど、
誰にも分からなかった。
ある時、水平線上に別の真新しい船が見えた。
それは黒い小ぶりの船で、いかにも俊敏で頑丈そうな船だった。
その黒船は悠々と航海を続けているように見えた。
しかし、他の船員の一団は、
あの船は小さくて目新しいから、華やかで順調そうに見えるだけで、
俺たちのような信頼と伝統のある大型船舶とは違う、ヨット遊びみたいなものだ。
と、その船の小ささを馬鹿にしてみせた。
ある船員はその船の特徴的なマストの形状を真似て、
しかし、船は俊敏にも堅牢にもならず、新たな浸水しか生まなかった。
それで結局、この船には今のやり方しか無いのだ、
その船員は、船に乗る前の学生時代から、小さなヨット作りに熱中していた。
最新の材料と設計技法を駆使した小さなヨットを自分で組み立て、海に浮かべて楽しんでいた。
自分のヨットが有名なヨット雑誌に掲載されたこともあり、それが今でも誇りだった。
そんな彼が、今では大型船舶の穴埋めに奔走していた。
ああなっていれば……こうなっていれば……そんな仮定が頭の中を何度もよぎった。
それでも彼は忠実に、言われるがまま、浸水を塞いで回った。
ある時彼は、比較的大きな船室の改修を任された。
久しぶりの新しい仕事に彼は熱中し、
「このアタッチメントはなんだ?」
それに、今後また改修があった場合、
「こんなアタッチメントなんて見たこと無い。
他と同じように作り直せ。
それにこの部分の文言はなんだ?」
「そんなの他の誰が読んでも分からないだろう。
これを見た客にも、何で今までと違うのか説明できない。
何でちゃんと今までと同じように作らないんだ?」
謙虚な彼は、ただうな垂れて、言われるがまま指示に従った。
彼は善良な人間だったので、自分のこだわりのために無闇に人と衝突するよりも、
彼はそうやって、日々の仕事とどうにか折り合いを付けて、
船員稼業を続けていった。
大きな衝突も無く、仕事も手早かったため、
他の船員達からは頼りにされた。
ただ、週に一度の飲み会や船を挙げてのパーティーでは気後れを感じ、
船の模型を作っていたくなった。
「皆さんの頑張りで今この船が航海できています。今日はこの場の皆さんに感謝を込めて、乾杯!」
船底では、今も浸水を塞いでいる船員がいるのだ。
善良な彼も、つい冷笑を浮かべてしまった。
ある時、黒船が大きく進路を変えた。
目を見張るような素早い転換だった。
「今すぐ黒船を追って進路を変えろ」
何でも、新しい大陸が見つかって、そこにたどり着ければ一攫千金だと言う。
「何が何でもすぐやれ。黒船に先を越されるぞ」
船員達は口々に、それは無理だと言った。
まず、ただでさえ浸水箇所が多くて、それを塞がないといけない。
進路を変えると負荷が掛かる部分が変わって、新しい浸水が無数に起こるだろう。
それを作って水槽でテストして長いチェックリストで確認して……とにかく無理がある。
無理な進路転換とその影響で、新しい無数の浸水が生じた。
浸水が生じるとその原因を追究してチェックリストやテストに反映する決まりになっていた。
するとチェックやテストは消化不良になり、
浸水も見落としや誤魔化しが増え、
それがまたチェックやテストを難しくするという、悪循環となった。
船員の誰もが「これは無理だ」と感じていた。
船長はただ大きな声で怒鳴っていた。
どこかで勘付いていた。
隣の船員が水葬に伏されるのを見送りながら、明日は我が身だと思った。
ある時、船室に大きな音が走った。
何かが裂ける音と、それに続く悲鳴のような音が船中に響いた。
船は船底から二つに裂けていた。
無理な進路転換のせいで、船体に大きな負荷が掛かったのだ。
もはや誰にも沈没を止められなかった。
あらかじめ確保してあった専用の救命ボートでいち早く脱出していた。
しかし、一般船員向けの救命艇は不十分で、何よりそこに行き着く道も複雑で、よく把握できなかった。
多くの船員は、船と運命を共にした。
静かな海で、上司の怒号が聞こえないのが、ひどく幸福に思えた。
海のはるか向こうでは、黒船が滑るように新大陸を目指して進んでいた。
僕はあの黒船を知っている、と彼は思った。
僕は知っている。あの船がどんな構造を持っていて、
僕はそれをずっと夢見ていたし、自分のヨット模型でも試してみたことがある。
僕はあの船のことをよく知っている。
ただ、この沈んだ船では、その知識が生かせなかった。
それは何故なんだろう。
自分と同じように海を漂っているのが見えた。
彼は、パーティーの時と同じように冷笑を浮かべた。
それは真っ当なことなんだ。
あのままボロ船が航海を続けてしまった方が、
そこで目覚しい成果を挙げるだろう。
船が好きで、船に憧れて、この職業に就いたのでは?
それは間違った事なのか? 船が好きなのに?
疑問は尽きなかったが、冷たい海水がゆっくりと彼を殺していった。
その優雅な姿をまぶたの裏に止めたまま、
船乗りの夢を見ながら、彼は死んでいった。
既卒3年以内だし職歴なしだからどこかあるって思ってこの3月から職安経由で探したものの、
世の中そんなに甘くなかった(文系院卒、男性)。新卒の時はあんなに、来て来て!て誘ってくれた企業さんも既卒になると門前払い。
分かってたはずなのに楽観視してた俺。
小町や2chや知恵袋などで「新卒以外で正社員目指すのは無理!」ってのをどこか軽蔑の眼差しで見てた新卒時代。
大学院で研究してたことが、大卒でもそうだけど、仕事では全くほとんど活かせない事に気付かされて30社目。
頼みのシンクタンクもバイトでなら!ってことで研究職での正社員の道はほぼ閉ざされた。
だからこの9月から気分一転してアルバイトやパート労働者として、社会経験を積むために始めた職探しだったが、
バイトやパートだと意外にすぐ見つかり現在はそこで働いている。
でも、こんな所で社会経験を積んだところで何の役に立つっていうんだろう。
それに既卒というネック、職歴なしだとどこも雇い入れてもらえない。
ハローワークが出す求人の敷居の高さ。ハロワ求人の約7割の名のある正社員登用の会社は、最低でも1年以上(通常は3年経験して社会経験者という)の社会経験を積まないと門前払いを食らう。わかものハローワークの職員もどこか他人事で冷たいし。他人事なのですが。また、マイナビやイーキャリア、リクナビなど就職サイトですら既卒には厳しい。アルバイトやパート、派遣では非常に甘いのに正社員となると厳しくなる世知辛さ。
2chなどに見られる「未経験歓迎、誰でも簡単にできます」の甘い売り文句には要注意との文字通りに危ないブラック求人が山ほどあって、
そこから未経験(バイト経験だけがあって)でもやって行ける、けどブラックじゃなくて、小さい会社でもいいから、長期に渡って働くことができ、会社に愛着を持てて、自身の環境も安定させられる、それぽっちの願いも叶えられない。
これは既卒だと贅沢な悩みなんだろうか。
既卒は就職できないの?中小ですら相手にされない……ことはないですが、正社員ともなるとハードルがかなり上がりやっぱり無理です。
今続けてるパートをこのまま続けて職歴になっても、逆にそれがネックとなる可能性もあるんじゃないか、と疑心暗鬼してる今日この頃。
9月末までは正社員は今後やればいいや!と鷹を括ってましたが、やっぱり今からでも正社員を探したほうがいいんじゃないか?
そんな気持ちでいっぱいになるのは変なのでしょうか。また、これから探すというのは遅いのでしょうか。今、人生の分岐点にいます。
公務員が相変わらず人気のようです。
確かに、現在の日本を取り巻く現状から公務員になりたい人の気持ちはわかります。
私自身公務員をしておりますので、公務員志望の方からアドバイスを求められることがあります。
http://anond.hatelabo.jp/20120922164617
前回、ちょっと暗くなるようなエントリーを書いたので今回は少し軽いノリで書きたいと思います。
私は一地方公務員ですので、市民と日々接する機会が多いのでよく感じるのが公務員に対する嫉妬と憧れの眼差しです。公務員に対しては、俺らの税金で飯食いやがって、もっと働けと思ってる一方で、自分の息子は絶対公務員、娘は公務員の嫁と考えている人が地方はやっぱり多い。確かに、地方でまともな職業といったら、公務員、教員、銀行員といったところです。だから、地方では公務員予備校が大人気なんですよね。
夜の街といっても風俗ではありません(地方公務員は顔がバレるとまずいので地元の風俗には行きません)いわゆる飲み屋ですね。なんだかんだで、総務系の部署は案外定時で終わるので、飲みに行く職員が多いです。そして、地方で繁盛する店は公務員のリピーターがいる店です。公務員は安定収入ですので、その店に対しても安定した顧客になってくれるわけです。民間だったら、明日の仕事を気にして平日に飲みに行く事を控えるかもしれませんが、時間を持て余した職員は今日も夜の街の経済活性化に貢献するわけです。
これは今度ちゃんと書こうと思いますが、案外生活保護が地方経済を支えている面は多いです。具体例をいうと、基本的に生活保護の大半は国の補助で地方への負担はほとんどありません。たとえ負担があっても交付税措置で軽減されています。生活保護が自治体財政を圧迫すると思っている人がいるかもしれませんが。嘘。地方財政を担当している時は、国の生活保護がある意味地方に対する所得移転、再分配的側面があるような気がしたものです。(当然、生活保護は国家財政には負担になる)それに生活保護受給者は車が持てないので、買い物は地元のスーパーで買うことになります。郊外のイオンとか利用すれば安いけど、足がないので地元のスーパーで買う。だから、生活保護受給者が多く住んでいる地区のスーパーや小売店ってなかなか潰れない。パチンコに行ってけしからんという人もいるけど、パチンコ屋はパチンコ屋でなんだかんだで地方に雇用を産み、税金も納めてくれるし、イメージ戦略のために地域の協力を惜しまない。なので、生活保護をバッシングする人はある意味正しいのだけれど、ある意味見落としているよなぁと思う。今度、この生活保護のことはじっくり書きたいと思う。
これは前のエントリーにも書いたけど、昼間に基本若い人は来ない。高齢者ばかり。年金、健康保険、税金といった類は業務の範疇なので対応は容易だが、陳情にも似た「地域の代表者」系がときどき来るのが厳しい。地域の代表というと、民生委員とか町内会長だとおもいきや、そういう地域のコミュニティには距離を置きながら独自のコミュニティ論を展開する人々が増えている。おそらく、出自は退職世代でしょう。彼らは今まで会社に属していたので地域コミュニティと関係を持たず、いわゆる「社縁」で生息してきたわけですが、退職して地域にどういうわけか関わるようになり、積極的に市町村に提言をするようになりました。おそらく、今後彼は豊富な財力を元手に市議会議員、町村議会選挙に出馬するかもしれないと思うと本当に怖い。
地方において、人脈は大切ですけど、それ以上に「カオ」が大切。さっきの地域の代表じゃないけど、ある程度信用がなければ地域のあの独特のコミュニティには入れない。ぶっちゃけ、実力とか、実務能力がなくても、基本ユーザーは高齢者なので、「○○さんにはお世話になっているから」という理由で仕事ができる。いくら行政事務に詳しくても、市民にとったらどうでもいい。ましてや地方でfacebookで人脈作るよりも、寄り合いとか町内会とかにカオを売った方いい。最初は雑用というか役員に祭り上げられて冷や飯食わされるけど、かならず報われる。そうです、それがムラ社会ってやつです。
自民党、民主党とかいろんな党派がありますけど、地方議会なんて党派無視です。基本田舎は共産党と公明党を覗いて、みんな基本は同じ考え。地域コミュニティの再生と経済活性化という方向が同じで選択肢も限られるから政策論なんて難しい。本当に議会の仕事って、地元の有力者(町内会長、古株民生委員、先述のカオのある人)の御用聞き的側面がある。だから、たかが補助金の申請に議員を同行するからこっちとしては始末に負えない。あと、議会は政策を提案すると思っている人もいるかもしれないけど、基本的に地方議会は元農家とか、自営業とか、公務員OBとか制度や運用の粗捜しはできても政策は作れないからね。国がアレだから地方は。。。。
私は商店街よりイオンを使います。イオンの株主でもあります。それぐらいイオンを使います。確かに商店街というところの店主は本当に個性豊かで面白いし、地方の顔であります。だからその意義は街の観光を語る上でも必要不可欠です。しかし、商店街には組合というものがあり、それが一種の圧力団体となっている現状があります。かならずその商店街を地盤とする議員が存在し、商店街活性化を名目として、いろいろな助成金、補助金、低い融資なりを要求します。商店街店主の有力者は近くに駐車場を持っている地主なので、お金には困りません。これは商店街に限らず、農家、建設業者、医師、地方にはいろいろな圧力団体がありますが、要求はお金をくれです。しかし、彼らの圧力が結果的に国から地方を支える補助事業の圧力になるので、否定もできませんが、うーん、なんだかなぁ
ヒントだけ。職員は月額最高2万7000円の家賃手当がつきます。これは持ち家には適用されません。あくまで賃貸です。では、賃貸物件のオーナーが親族だったらどうなるでしょう?頭の良い人は気づいたでしょ?
公務員OBって案外楽しそう。長年地域で活動してきたので、地域活動にも積極的に参加する人も多い。あと、公務員には多趣味な人も多い。作家になった公務員もいるぐらいですしね。なので、地方の文化水準とか、ボランティアとか非営利領域を公務員、それも公務員OBが支えていると思う。私もそういう人になりたいものです。
公務員は公僕だし、私は一生その地域に貢献して死ぬべきだと思う。だけど、決して下僕だと思わない。主権者である国民、市民が誤ったことを言えばそれを諌めるのも公僕の使命だと思う。公務員も同じ人間だし、今のデフレ日本では相対的に恵まれているかもしれない。残業代もでるし、社会的にも認められている。だけど、公務員だからといって聖人君子を求めているのはやっぱりおかしいと思う。この国はじわじわ衰退の道をたどっているけど、それでも公務員として精一杯がんばって、大好きな地域で死にたいものです。
http://anond.hatelabo.jp/20121013233222
ブログを始めました
10年来の友人から相談されたが、一人で抱えきれず増田を頼る。
父親が浮気していることを知ったら、娘はどのような反応をとるだろうか。
友人はお母さんからそのことを聞かされ、証拠となるメールを見せられたらしい。
先月まで使っていた携帯のパスワードを解除し、完全なる証拠を見つけてしまった。
それに対するお父さんの「大好きです」の返事があったらしく、女性である私はクロだと感じた。
翌日、パソコンのメールから関係の始まりが随分前であることがわかる。
お母さんはその事実について問い質した。
「お前はバカか」それが友人の父の返した言葉であった。
証拠があるにもかかわらず、妻を侮辱する言葉だけを言い続けたそうだ。
見かねた友人がお母さんをかばうと、「お前を訴える」とまで言われ、
私も専門家などではないが、話を聞く限りでは友人が訴えられることはまずない、と告げた。
正直家庭内のその程度のことで弁護士も裁判官も取り合わないだろう。
調べても、そのような訴え自体が見つからなかった。
友人によると、一言も謝らず、リビングでテレビを見て笑っているという。
それだけ聞いても友人のお母さんがかわいそうだ。
お母さんは現在がんの闘病中で、職がない。
友人の稼ぎではお母さんと大学生の弟を養えないとのこと。
持ち家、車もあるとのことだが、それをどう分与するのか、
やめさせると言っている。
傍から見てると生活費を断ってしまうのは勇気ある行動であると同時に、
難しい。
眠れないのです。
夜。ベッドの中。カーテンを引いて、蛍光灯を消して、まぶたを閉じて。ゆっくり深呼吸をしてみるのです。鼻から息を吸い込んで、肺を満たして、お腹も膨らまして。手の先が、足の先が、脳髄が、すうっと青く、清流のように涼やかになるのを感じてみても、だめなのです。やはり。だめだったのです。
疲れていないからだとか、カフェインの摂り過ぎだとか、日頃の生活が自堕落だとか。当て嵌めることのできる理由原因は多々あるように思えます。日々の生活が自堕落で、ひび割れた白磁のごとく大量の珈琲を啜る中毒者は、ろくに働きもしない穀潰しでしかなく、同時に何者でもない、没個性的な、凡凡人未満でしかないのです。故に、極ごく平均的な成人が晒されている、日常的な疲労からは程遠い生活を送っている。
しかしながら。それにしてみても、眠れない。ひどく。断固として。眠られないのです。
暗闇の中で深呼吸をしまぶたを閉じると、ぽつぽつと、無秩序な幾何学模様が浮かび上がってくるのです。あるいは、とても醜悪な醜怪極まりない密集が浮かんでくる。てらてらと膨れ上がった小さな小さな黄白色の突起が、わっと眼前に広がってふるふると震えているような画面が、姿を変えて形を変えて、次から次へと展開していくのです。
あるいは、蛍光緑に染まった何かしらの表面に穿たれた無数の窪み。延々とサークルが近づいていたと思えば、突如としてデルタが積み上がっていく。標識は零に置き換わり、麦わら帽子を被った縦列の二つ目に、無味乾燥な眼差しを向け続けられる。
ゆめのような、まっことゆめのようなイメージが、次から次へと、流れては消え、移ろい、変遷していくために、ちっとも落ち着くことなんてできないのです。
ですから、例えば、羊を、柵を飛び越えていく長毛を纏った獣の姿を、諄々に思い浮かべようにも、転々と変化する脈絡のないイメージからは逃れるすべなどなく、横切る羊の眼に顕微鏡が向けられるやいなや、拡大に拡大を重ねたイメージはすぐさま瞳孔へと呑み込まれて、落ち込んだ暗闇の中で新たな表象と対峙するはめになる。
別段、精神的に参っているわけでも、心理的に煩っているわけでもないのです。ただただ眠られない。ひたすらに。純粋に。それだけのことなのです。ちょっとした、些細な物事なのです。
私は明け方の鳥が嫌いです。朝一番の鳴き声が、しんしんと耳朶に染み入ってくる気配が、空を切り夜を引き裂く一声が響き渡る振幅が、受け付けられないのです。
動き出す町並も。目覚めゆく群衆も。苦手で。疎ましくて。心がどんどん灰色になっていく。
眠られない。
ただそれだけのことのために。嫌いな物ごとが増えてしまうのです。
今日は大学の入学式だった.国内の大学に通う増田と同様に,私もまた東大生である.
そこに,新入生として出席してきたのだ.
入学式は例年日本武道館を貸しきって執り行われる.(昨年は余震を警戒し,大幅な縮小があったが)
入場前,武道館へと向かう道,式終了後,武道館から地下鉄の駅へ進む道,いずれもLECや新聞社などが東大新入生の勧誘を行なっていた.
勧誘だけでなく,テレビや新聞の取材も多い.実際にテレビやインターネットニュースなどのメディアでも今日の記事が大きく取り上げられていた
私は取材に備え,前日晩からしっかりとネタを考えこんできたのだ.
ただ,取材されなかった.
確かに私は画面映しない顔である.
ボランティアに行きたい気持ちはあるが,勇気も出ないし根性もないので,増田や2ちゃんで偽善偽善と叩くのみの日々を過ごしてきた.
部活は中学の途中でやめたし.勉強についてほめられることがあっても人格についてほめられることは一度もない.
基本的に街中を歩くときは勿論右の人も左の人も内心見下しながら歩いている.
単位をとって遊ぶだけの生活.
大きな大きな振動と、とてもとても、とてもうるさかった騒音が止んでしばらく経ちました。
私はいま、窮屈な檻に閉じ込められています。頑丈そうな鉄の棒が、循々と周りを囲っているのです。立ち上がることはできますが、歩くことはできません。同じ場所でくるくると尻尾を追いかけ回ってみれば、確かに多少なりとも運動にはなるのですが、目一杯走りまわることが何よりの楽しみである私にしてみれば、少々どころか全く物足りない状況に陥ってしまっているのです。
厳重に施された不自由は、身体はもちろんのこと精神をも蝕んでいくものです。鬱積し続ける不満によって、私の心身は内側から漆黒に染め上げられつつある――。
抗おうとは思うのです。けれど、行動を大きく制限された檻の中では、体制を変えたり、意味もなく回ってみたりすることがやっとなのです。それ以外には、丸まってふて寝をすることしかできません。そればかりか、少し前までは眠ることさえもが容易ではなかったのです。私が入れられた檻は、なんだかよく分からないランプがやたらめったらに点灯している円錐型の箱に囲われているのですが、この箱もまた異様なほど狭く小さくて、つまるところ私は極小の檻に捕らわれたまま、狭っ苦しい箱物に乗せられるや、いつ終わるともわからない唐突な振動と騒音とに怯えることを余儀なくされていたのです。
そうなのです。本当にけたたましい振動と騒音だったのです。私がまだ人に捕まることもなく、広い森の中を、あるいは街の中を自由に歩いて回っていた頃には体感したこともなかったほどの揺れと音だったのです。身体が芯から揺さぶられ、鼓膜が破れてしまうのではないかと怖くなったくらいです。いまも足元が揺れているような気がしますし、耳の奥がきーんと甲高い音を立てているような錯覚を覚えています。もう過ぎ去ってしまったことなのできっと幻覚なんだろうとは思うのですが、酷いものだなあと感じないわけにはいかないのです。
ため息混じりに、私はついつい考えてしまいます。ただただひたすらに死を恐怖し、生きることだけに全力を注いで日々を過ごしていた私を捕らえて、温かな毛布と、安全な空間を与えてくれた人間という存在は、どうしてこんな場所に私を閉じ込めたのでしょうか。人間でありながら独特の雰囲気を纏っていた彼女もまた、結局は他の人間と同様、小汚い私を忌み嫌い、時には石を投げつけたり蹴りあげたりする悪童や暴漢などの類と同じだったということなのでしょうか。
とてもとても優しくしてくれたのに。額を撫でてくれた手のひらが大きくて暖かくて、とうの昔に失くしてしまったはずの温もりを思い出しかけていたというのに。思わず寄りかかってしまいそうな、くっついて眠ってしまいたくなりそうな安らぎが、確かにあったはずだったのに。
どれもこれも私が抱いていた幻想だったというのでしょうか。ドロドロとした液状のご飯や、なぜこんなことをしなくてはならないのか全く意味のわからない厳しい訓練を終えた後、あらん限りの言葉と抱擁でもって褒め称えてくれたことの全てが、単なる演技だったと言うのでしょうか。
私を騙すために?
いいえ、そんなことはないはずです。長らく生きることだけに執着していた私にはよくわかるのです。相手の感情の機微というものが。真贋を見極める眼にだけは、確固たる自信があるのです。何が危険で何が安全か。鋭利な感覚を持ち合わせていなければ、私はこれまで生きてこられなかったわけなのですから。
主に彼女が私に与えてくれたものども。それは今まで口に含んだこともなかったような食事であり、おおよそ誰も経験したことのなかった訓練の数々でありました。それらは、正直なところ嫌なことばかりで、何度も何度も施設から逃げ出してやろうと考えてしまうくらいでした。伏せることも座ることも許されずにじっと立ち続ける訓練では、足ががくがくとしてくるのはもちろんのこと、身動きが取れずにもどかしい思いをしなくてはならなかったし、ごわごわとした衣服を着せられたことも、またへんてこな装置の中で外側へと押しつぶされるような力に耐える訓練も受ける羽目になったのです。
捕まえられた当初、私はそれらの訓練が心の底から嫌で嫌でたまりませんでした。自由に外を走り回りたかったし、物珍しそうに私を覗き込む人間たちが怖くておぞましくて我慢ならなかったのです。何度も何度も大声で威嚇しました。牙を見せ、爪を剥き出しにして、絶え間なく吠え続けることだけが、私に安らぎを与えてくれるものだと本能的に思い込んでいたのです。
でも、彼女は違いました。彼女だけは、意固地なまでに獰猛な態度をみせる私に歩み寄ろうとしてくれたのです。私と同様、人間たちに捕らえられたものたちの世話を、彼女は一手に引き受けていました。人見知りな私は、彼らとの接触すら断とうとできるだけ近寄らず、檻の隅っこで丸まる毎日だったのですが、彼女はそんな私に近づき、側にしゃがみ込んで、何をするでもなくただただ優しく見守ってくれていたのでした。
鉄の猜疑心と鉛の恐怖心とでがちがちに固められていた私の心を、彼女の眼差しはゆっくりと剥がし溶かしていったのです。ある日、そっと差し出された彼女の手のひらを、私はくんくんと嗅いでみました。素敵に柔らかな匂いがしました。寒くて余所余所しい無機質な施設の中で、彼女の手のひらからはミルクのような穏やかさが漏れ出していたのです。
それが彼女の本性なのか、それとも作り出した仮面だったのか、依然として私には確証が持てなかったのですが、取り敢えず気を許しても大丈夫そうだと判断しました。以降私は彼女にだけ従順な態度を取るようになったのです。
彼女は私の変化を大変嬉しがり、より一層私との距離を縮めようとしました。時たまその一歩が大きいことがあり、私の爪牙が彼女の手のひらを傷つけることもあったのですが、彼女の優しさは変わることなく、かえってより一層深いものへと変貌していくようでした。
この空に向こう側には何があると思う? 穏やかな声で彼女が問いかけてきたことがありました。その日はちょうど訓練も休みの日で、私は彼女に連れられて久々に施設の外へとやってきていたのでした。高台の上にある施設から少し離れたところになる平原で、私の隣に座った彼女は真っ青な大空を見上げながらそんなことを口にしたのでした。
無論、私には答えることなどできません。私の言葉は彼女には伝わらないし、そもそも空の向こうなんてものを想像したこともなかったのですから。だから私は内心、何も無いよ、ずっとずうっと空があるだけだよ、と思うだけ思って、黙っていました。
宇宙には何が待っているんだろうね。髪を押さえつけながら彼女はそう呟きました。ぼんやりとした夢見るかのような口調でしたが、その眼には溢れんばかりの光と希望が満ち溢れていました。
ああ、これが人間なのだな。刹那に、見上げたていた私は心底打ちのめされてしまいました。私なんぞが思いも至らない、想像することもなかった世界を見上げて、あまつさえその場所に名前を与えて、遂には到達することさえ見据えている。外へ外へと向かうことのできる、好奇心と云う名の侵略性を持ちえている存在が人間なのだなと。
がんばろうね。そう言って私に微笑んだ彼女の笑顔が、脳裏に焼き付いてしまいました。訳もわからないまま吠えて尻尾を振った私は、なんとも単純で愚かで滑稽でさえあったのかもしれません。それでもあの瞬間そうすることが何よりも正しかったし、そうあるべきだと自発的に思えたのです。驚いた様子の彼女は、すぐに満面の笑みを取り戻すと、ぎゅっと私の身体を抱きしめたのでした。ぎゅっと、ぎゅうっと抱きしめてくれたのでした。
それからどれほど時間が経ったのでしょう。訓練は次第に厳しさを増していき、それにともなって私が入れられる檻も小さな物へと変化していきました。最終的にはその場で立ち上がり一回転するのが精一杯な檻になったのです。狭くて心地よくなくて私の苛々は加速度的に増していきましたが、彼女の笑顔と時折見せる辛そうな表情とが頑丈な堰となって日々を乗り越えさていくことができたのでした。
私が入れられた極小の檻が狭っ苦しい箱物に搭載される直前に、私は彼女とお別れをしました。がんばってね、と彼女は真剣な表情で口にし、あなたならきっと大丈夫、と抱きしめてくれました。いつもと変わらない暖かくて安らぐことのできる抱擁だったのですが、その奥底に到底隠し切ることのできない感情があることに、私は気づかないままいられませんでした。
それは青い滴のような感情でした。爛漫な彼女が、穏やかで底抜けなまでに優しいはずの彼女が、気丈なほどいつもどおりに振る舞いながら、はたはたと湖面に水を漲らせている。後もう二三滴、滴が落ちればわっと決壊してしまいそうな静かな緊張感を、貼りつけた微笑の裏に懸命に隠そうとしている。
私にはもう、与えられた役目を見事遣り遂げることしかできなくなってしまったのでした。檻の中でじっとしたまま、何日間か我慢し続ける。寝食の問題はそれほどでもないにせよ、重なりに重なる苛々に耐え続けなければならないという辛抱のいる役目を負わないわけにはいかなくなったのです。
もちろん、私には我慢し続けられるだけの自信なんてありません。我慢しなければならない確固たる理由もないのです。しかしながら、彼女とのお別れをしている最中に、私の運命は定まってしまったのです。
私はライカ。クドリャフカのライカなのです。彼女に与えられた名前を、その時私は初めて意識したのでした。
私が入れられた檻を乗せた箱物は、依然としてたくさんのランプを点灯したまま変化がありません。宇宙への航行は順調に進んでいるようです。だから問題は私の方。じっとして我慢しなくてはならない私の方にこそ、この任務を遂行するための因子は偏っているのです。
一時はとんでもなく暑くなった船の中ですが、現在は然程でもありません。むしろぐんぐんと気温は下がってきていて、肌寒い気さえします。いいえ、もしかしたらまだまだ船の中は暑いままなのかもしれません。私にはもうよく分からないのです。もうずっと同じ景色のまま、朝も夜もわからず我慢し続けているのです。食事の回数までもが朧気になってしまっては、今が何日目の航行なのかを判別する術は残されていないのです。
狭い檻の中での排泄は、綺麗好きな私にとっては屈辱以外の何者でもありません。が、それさえも与えられた役割であり任務であるというのならば、私は彼女のために我慢し続けなければならないのです。もう少しだけ。もう少しだけ。我慢し辛抱し続けなければならないのです。
ああ、でも、なんだか疲れてきてしまいました。行動が制限されているので、食べては寝続けることしかやることがないのです。始まりこそそんなに眠ってばかりいられるかと思っていたのですが、案外眠れるもので、近頃は眠っている時間のほうが多い気さえするのです。とにかく眠くて眠くて堪らないのです。加えて眠っていると彼女との夢を見られるので幸せです。起きていると我慢しなくてはならないのですが、寝ていれば幸せなのです。とてもとても幸せなのです――。
かしゃんと、餌箱が開く音が微睡みの中に響き渡りました。また今回もドロドロとした美味しくもない食事が始まります。夢現な私の味覚はもう死んでしまっていますが、それでも食べないことには死んでしまいます。死ぬわけにはいかないのです。私の任務には生き続けることも含まれているのですから。
綺麗に器を舐めきって、私は再び丸まって檻の中に伏せます。次の食事の時間まで、また寝続けなければならないのです。あと何回このサイクルが繰り返されるのかはわかりません。でもとにかく続けなければならないのです。そのためには少しでも体力を温存しなくてはなりません。船内の景色を見続けるのは辛いので、眠って彼女と会うのです。会って彼女と戯れるのです。戯れたいのです。
広い高原で、彼女はずっと遠くで私を呼んでいます。私はその声に向かって全力で走るのです。カシャカシャと。檻が立てる音をも気にせず、夢現のまま全力疾走し続けるのです。まだ彼女の元まで届いたことはありませんが、きっといつの日か届くはずです。その時こそ、私の役目は、任務は遂げられるはずなのですから。
カシャカシャ、カシャ……カシャ……。
微笑を湛えた彼女の胸に飛び込む瞬間を今か今かと夢見ながら。
どうして彼女は分かってくれないんだろうか? どれだけ時間を費やし、言葉を重ねても、彼女に届かない。
その事実に僕は悲しくなり、泣きたくなり、感情が酷く高ぶってしまって、思わず怒鳴ってしまった。
「お前に何が分かるんだよ!」
僕が大声を出すこと自体があまり無かったので、彼女は狼狽した。感情の波が防波堤を超えてしまて、
なんだか僕は止まらなくなって、彼女に近づいて肩を掴んだ。彼女はまるで見知らぬ暴漢に乱暴されたかのごとく悲鳴をあげた。
僕は驚いて、彼女の口を手で塞ごうとしたら、勢いが強かったのか、あるいは無意識にそうしたかったのか、彼女の頬を手のひらが音を立てて打った。
よろめいて、そのまま彼女は倒れてしまう。僕を見上げて、自分が何をされたのか信じられない顔をしている。僕はもう駄目だった。
何十分かの後、彼女は虚ろな眼差しで天井を見上げている。服はぼろぼろで、体中に痣や擦り傷が散らばっている。彼女を殴打し、蹴り、
暴力の勢いのまま押し倒して、レイプのように犯してしまった。いや、実際にレイプだったのだろう。
彼女の性器は赤く腫れて、中から僕が放ったばかりの精液が垂れ流されている。避妊具を使わないセックスは初めてだった。彼女は妊娠するのだろうか?
大分話がでつくしてきたようなんですが、ここ4、5年日本の現代思想やコンテンポラリー・アートの業界にうとかったので、色々、わからないこと疑問になっていることでてきました。
無尽蔵に、彼ら的な言葉でいえば機械的に、作品(前芸術てきなものも含めた)が創造されていくネットをアートにすると。「ネット」と「アート」の分断を克服すると。
ただネットというのは結局現象ですよね。ファイン・アートの意味的に作品にはならない。
ある意味でその非・固定、永久に、automaticallyにつくりつづけられるシステムとしてのネット、を、どうしてピンで昆虫採集みたいに物理的に止めてしまうのか?そうしたらもうそれは『ネット→現象』でなくて『アート→作品(芸術としての)』への変換にすぎないんじゃないの?
いちばんよくわからないのが、東氏がいうところの、いわば郵便的可能性をネットがもっていると、そういうところを、まあアートでやると。
で、その郵便的な話をちゃんと喋れる東氏が理論的に助けててどうしてこんな単純なことに気付けなかったのか?????
素朴に疑問。
前段の疑問を百歩ゆずったとして、そもそもネットとアートを分断を克服するって?分断していたの?
このへんがよくわからない。
ふたばとかPixivが、機構としてコミュニケーションの速度と多様性を支援しているのはわかるんだけど、それってカフェや飲みや、パーティーなんかで芸術家が出会ってベラベラしゃべったり酔っぱらったり、その場でなんかやってみたりしてたのと、構造的に同じではないの?そーいう場にたまたまいた人が一緒にもりあがって、なんかになっていく感じも同じだし。創作の過程という意味では全然分断していない。
彼らは発表の機会が云々とかいっているのだろうけど、そういうカフェや飲みやで話したりドンチャンしたことが作品?Pixivではポートフォリオとして使っている人もいるけど、ポートフォリオは静的で、彼らいっているところの機械的につくりつづけられるネットの有り様ではない。
加えてもしここでいうところのアートを近代的な(ファイン・アートの伝統の延長線上にある)アートではなく、語源としてのアート、技術や創造そのものとしたら、ギャラリーとネットにある作品をわけることは始めからありえないんじゃないの????
これはどうしたいんだ??
■アーキテクチャ?
カオスラウンジ宣言に出てくるアーキテクチャという概念を東氏は引っ張っているようだけど、これってなに?
システムと力の話?ということはマルクスの疎外とフーコーの力と、構造主義・ポスト構造主義における社会への眼差しがやってきたことをまぜて焼き直しただけ?
浅田彰が「そんなことはもうやってきた」ってのはそのとおりじゃないの?
なにがしたいの?
最初はお祭り騒ぎなのかーっと自分も参加して面白かったけど、なんだか疑問ばかりになってきた…。
誰か説明してほしい…。モヤモヤ。
不思議なんだけど。彼女は昼食を食べている途中でそう切り出した。不思議なんだけど、最近よく同じ夢を見てしまっているんだ。
へえ。どんな夢なんだろう。私は購買で手に入れたサンドウィッチを飲み下してからそう尋ねてみた。
変な夢なの。彼女は箸を置くと、困ったような悲しんでいるかのような表情を浮かべて力弱く微笑んだ。とっても変な夢でね、いつもいつも、その時間帯に受けなければならない授業に出席できない夢なんだ。
決まって授業に遅刻してしまった場面から始まるのだというその夢は、確かに奇妙で意味深な内容を伴っていた。彼女には寝過ごしてしまったとか、気分が優れなくて少し体調を気にしていたとかいう具体的な理由があるわけでもなく、出し抜けに授業が始まってしまった学校の廊下を歩かざるを得なくなってしまっているのだという。
わたしはね、出なければならない授業のノートと教科書と参考書と筆記用具を腕に抱いて、一人ぽっちのまま、惨めな気持ちでとぼとぼと静かすぎる廊下を歩いているの。恥ずかしさとか後悔は全然ないんだけど、ただひたすらに辛くて苦しくて悲しい気分になってるの。
それはまた面妖な夢だね。相槌を入れると、彼女はまた萎れかけた向日葵のような笑顔を浮かべた。スーちゃんもそう思う? まあ、私なら少なくとも辛くも苦しくも悲しくもならないと思う。そうだよね、どうしてわたしは夢の中でそう思ってるんだろうね。
それは本人にしかわからない類の問題だった。答えに一番近いはずの彼女がわからないのだから、私になんてわかるはずがない。黙したまま紙パックのジュースを飲み始めると、でもそれだけじゃないんだよね、と彼女が続きを口にした。
わたしはね、夢の中でまっすぐその時間帯に受けなければならない授業がある教室に向かっているんだ。サボろうとか逃げちゃおうとかいうことを考えもせず、じっとリノリウムの床に眼を落としたまま、脇目もふらずにその教室に向かっているの。それで最終的には目的の教室に辿りつけるんだけどね、こう、ドアをスライドさせてね、びくびくしながらも懸命に勇気を振り絞って視線を上げてみると、時間を飛び越してしまったみたいに、その教室ではもう次の授業が始まってしまっているということに気がつくの。英語なら英語、化学なら化学。わたしが抱えていたノートや教科書とは全く別物の、わたしとは関係の無い別のクラスの授業が開かれてしまっているの。
わたしは夢の中ではこれっぽっちもお呼びじゃないみたいなんだ。そう言って彼女は少しだけ俯いた。追いつけないんだよね。何をしても。何があっても。結局どこにも行けないんだ。搾り出すような声は紛れもなく小さな悲鳴だった。
でも、夢なんでしょ。現実じゃあり得ないことでしょ。私はできるだけ、それがなんでもないことであるかのように口にした。気にすることないよ。気にしないほうがきっといいことであるはずだよ。
でも、この夢、結構堪えるんだ。暗く沈んだ声で彼女は口にする。いつもみんなに置いていかれてしまうんだもの。どれだけ繰り返しても、どれだけ身がつまされそうになっても、わたしが望む空間には絶対に辿りつけないんだもの。それにね、朝起きると、汗がすごいんだ。ベタベタしてて気味が悪いの。
堪ったもんじゃないんだ。彼女は諦め卑屈になってしまった敗北者のごとくいびつに笑った。嘲笑だった。彼女自身はまるで悪くないはずなのに、自分自身のことを嘲り貶して一笑に付したのだった。
しばらく私はなんと返事をしたらいいかわからず迷った。励ませばいいのか、同情すればいいのか、あるいは突き放してしまったほうが彼女を思いやることに、優しさになるのかどうか。重たい沈黙が流れこんできて、更に焦ってしまった。残っていたパンを食べきった。ジュースを三度口に含んだけど、あまり味がしなかった。
ちらりと上目遣いに彼女を覗いてみると、箸を手に持って食事を再開していた。動作は緩慢で、なるほど最近妙に元気がなかったのはこの夢があったためなんだと確かな確証でもって納得することができた。
紙パックをじゅこじゅこいわせてジュースを飲みきり、私は一言だけ、大変だねと彼女に話しかけた。顔を上げて、うんと頷いた彼女の表情は、内心どこかほっとしているようだった。
ちょっとだけね。かなり、大変なんだ。そう言って屈託なく砕けた彼女の表情には、今にも崩れ去ってしまいそうな脆い矜持が滲んでいた。
やっぱり、私は何もできない、できるはずがなかったのだ。
その揺るぎない事実をありありと突きつけられて、私は少しだけ鼻の奥がツンとした。
そうなんだ。うん。ま、あまり気にしすぎないことだよ。スーちゃん、それさっきも言ってたよ。そうとしか言い様がないんだから仕方がないよ。ふふ、それもそうかもしれないね。
食事を終えて、私は窓際に設置された横に長い業務用のストーブに、彼女はすぐ側の椅子に腰掛けた。私は窓の桟にもたれかかってぼんやりと外の景色を眺めている。ちっとも動かない雲とか誰もいないグラウンドなんかを、頭を空っぽにして見下ろしている。
きっと隣で彼女は、おしゃべりに興じたり忙しなく教室から出入りしているクラスメイトを見ているんだと思う。ちょっとだけ淋しそうな、羨望の色を帯びた眼差しで、彼らのことを見守っているのだろう。
でもね、と言って彼女は夢の話を切り上げる際にちょっとだけ付け足しをした。でもね、もう絶対にどんなに願っても足掻いても辿りつけないのだとするのならね、いっそのことそこに辿りつけなくてもいいような気が、最近はするんだ。どこにも行かないまま、この場所に留まったまま私の時間を過ごしていたほうがいいようなね。何かにつけて、今はみんな早過ぎるんだもの。ついて行けなくたって仕方がないと思わない?
苦笑を浮かべた彼女に、私は何も答えなかった。そんなこと言っていられないよと思いつつも、やんわり苦笑を返しただけだった。
ぼんやりと窓の外に広がる景色を眺めてみる。グラウンドに動くものは見つからず、ぽっかり空の真ん中に浮かんだ雲は動かないままだった。
今までアイドルとか全く興味を持たなかったけど
まとめサイトを見て、ものすごい憤りを感じた。
http://blog.livedoor.jp/chihhylove/archives/4997227.html
スレ内で憶測されているような状態であったなら、
誰がそんなことをさせたのか?
本人が好き好んで晴れ舞台に
自ら仕込むようなことは考えられない。
させられている本人の気持ちを分かって欲しい。
人気票が沢山入ったとしても
仲間たちの嘲笑と馬事を受けながら
表では何事もないように笑って振舞うなんて
とてもじゃないけど出来ない。
今まで全くオシャレに興味がなくて、
ネタにされるの当然なのかも知れないけど…)
結果そのおかげで少しはオシャレに興味を持ったし、
ダイエットもして15kg減少した。
「誰これ?信じられない。」と言われるぐらい容姿は変わった。
ものすごく 億劫になるというか、
なかなか上手い距離感で人と付き合う事が全くできなくなった。
自分の素を曝して 生きていく事が出来ない。
自分を曝け出すと、高校時代の時の様に
嘲られたり、陰口を言われたりするんじゃないか?
そんな風に潜在意識で思っているのか、
なにが原因かなんて分からないけれど、
ものすごい気を使ってしまうし、
なかなか相手にも踏み込んでいけない。
相手から頼られるの逆にすごく嬉しいのだけれども。
酷い嫌悪感に襲われた。
若い女の子たちが集まれば確かに華々しく見えるだろう。
いつも連れ添って、仲が良さそうに喋ってて…
しかしその裏にある、陰湿さなんかを垣間見てて
「ああ、きっと女子高ってこんな感じなのかな」と思った。
ステージの女の子には自分のような苦しみを味わって欲しくない。
なくすことは出来ないんだろうな…。
自分は大学で教員をしている。
今いるところは中国人留学生が比較的多いところなのだけど、
演習のクラスで授業を受けている中国人留学生、
それも大陸出身(香港と台湾以外の、共産党支配地域の中国)の 学生の怠惰さには、辟易していた。
授業は遅れてやってくるし、言い訳ばかりする。
日本人の友人は作らず、内輪で固まる。
同じ中国人でも、台湾や香港出身者が、勉強熱心で、社交的なことと正反対なのだ。
ところが、先日、彼らを食事に誘ってみて、
そうした見方が間違っている…というわけではないにせよ、
一面的なものであったことを知った。
まず、不真面目そうだったAくん。
彼は無口で引きこもり気味、いかにもやる気がなさそう。
それでいて単位だけはほしいと言った感じで、
ぼくの持っている「ダメな大陸出身留学生」のステレオタイプそのままといった学生だった。
教室での、ぼくの勝手な想像は、
「彼が日本に来るのはアルバイトが目的で、勉強する気などないのだろう。
おそらく日本のことなど大嫌いなんじゃないか」
「そのうち発狂して犯罪にでも手を染めるんじゃないか」
そんなところまでエスカレートしていた。
彼について言う限り、ネット右翼が、
中国人を想像するときとそんなに変わらない目で見ていたんじゃないかと思う。
ところが話してみると、
彼は、おそろしく日本通で、妙に日本の流行や文化に詳しい。
飲み会の席での振る舞いなどについても非常に熟知していて、
なんと言ってもおもしろい。
あまりにも想像と正反対で、驚いた。
背景には、彼の父親が、
長年日本企業で働いているということの影響があったようだけど、
理由はともあれ、彼はかなりの知日派だったのだ。
授業中まじめだったBくんは、大学院で早稲田に行って、
日本企業に就職したいと言っていた。
勉強は良くできるが遅刻魔のCさんは、
日本で仕事をするために資格を取りたいと言っていた。
いずれにせよ、彼らが自分の国に限界を感じていて、
今後の人生設計において、
日本を生活の基盤として生きていこうとしていることが分かった。
これはすごく大事なことだと思う。
日本人であるぼくだって、日本の政治・文化、嫌な部分は目につくし、
そういうのを含めて全部好きかって言われたら、好きじゃないところもある。
でも、自分の生活上の、また文化的な基盤だと思っているから、
より良い国であってほしいと思う。
無駄に日本を破壊してどこかにいこうとなんて思わない。
これは、偏狭な「愛国心」よりもずっと根源的なものだろう。
これは、良くも悪くも、このご時世に日本に留学するという
選択をしてしまった彼らにとっても変わらないのだ。
ぼくは中国には何度か行ったことがあるし、
中国人に対してはそれほど偏見を持っていないつもりだった。
特に、一緒に仕事をするようなエリート層については、
立派な人も多いと思っていた。
ただ、ぼくの勤務先(偏差値50ちょっとの中堅校)の
大陸出身留学生あたりだと、
やる気もないし、不真面目、別の世界の人だと思っていた。
それが偏見だったと思い知らされた。
さて、宴もそろそろ終わりに近づいてきたころ、
知日派のAくんが口火を切った。「共産党についてどう思いますか?」。
それからいくつか意見が出たが、
今の中国を悪くしている元凶は共産党であること、
それに対して変えていく運動は、
政府の強力な情報統制によって進まないことなどが、
彼らの共通認識のようだった。
自分も、共産党に対する直接的な嫌悪感を伝えると同時に、
自分なりの情勢分析を伝えた。
今の中国の発展には、貧富の格差が重要な役割を果たしており、
そのために、共産党による抑圧が貢献しているという面があるということ。
だから、民主化は、他の地域では例をみないほど大きな混乱を招く。
日本で暮らすぼくたちにも大きな影響を与えるが、
長い目で見たら、中国の民主化は地域の安定に必須であり、
ぜひ、さまざまな困難を乗り越えて実現してほしいと思っていることなど。
そうした中、いつか来る中国の民主化に際して、
こうして外国で勉強をして、外国語のニュースにそのまま接することができる
中国人留学生は重要な役割を果たすんだという話が出たりして、
その場はもう、革命の闘士の集会のような雰囲気になっていた。
もちろん、事なかれ主義で現実主義的な彼らのこと。
自分から行動をするようなことはないと思う。
タイトルに書いた「革命する中国人留学生」というのは大げさだけれど、
もし本当に民主化運動が起きたら、
何か自分にできないことはないかとは考えている。
いざことが起きたら、それに呼応して周囲を引っ張っていく可能性のある人たちなのだ。
彼らは一面では、人見知りで人と関わるのが苦手、
一部の人は遵法意識が低く、不真面目に思えることもある。
まぁ、はっきり言って、これだけ揃えば、
偏見の目で見る人が出てくるのは仕方ないのかもしれない。
ただ、それにもかかわらず、もう一面では…、
彼らはぼくたちと多くのものを共有している。
日本の経済や国際関係を心配する眼差し、
自由への渇望、共産党への嫌悪感。
これから、日本が経済的にも政治的にも、
中国との難しい外交上の駆け引きを強いられる中で、
日本はもっともっと彼らを大事にしてもいいのではないだろうか。
別に人数を増やせとか、ビザを甘くしろとか、
補助金を増やせとかそういうことを言っているわけではない。
犯罪者を見るような目で見るのではなく、もっと暖かい目で見ること。
身近にそういう人がいたら、思い切って話しかけてみるということ。
拝外主義的な言説を見たら、ちょっと疑って考えてみること。
東アジアの地域情勢が大きく変化する中、
自衛隊を増強するのも大事かもしれないけれど、
同時にこういう地道な努力、気持ちの変化のようなものが、
日本の平和のためにも重要なんじゃないかと思う。
一番お金が欲しい時期だし。
さて、グッズを作ろうと画策している人は、高校生が作ったものだから、無料で使って当然と思ってる。
多分、何も深くは考えてないと思います。
元増田は、グッズをもらうだけでは不十分(不当な扱いを受けているかもしれない)と思っているわけですよね。
「元増田が頑張ったことに対する報酬」を、グッズ以外にも求めていくことになります。これは交渉次第です。
・現金で○万円もらう。(ココが現実的な落としどころでしょう)
・グッズを制作する際に「design by 元増田」などを入れてもらう。
・グッズの売上の10%をもらう。
「このキャラクターを作った生徒に対して報酬を与えたいと思うのですが、○万ぐらい出してくれませんか?」と
言ってもらうのが一番カドが立たずに良いと思います。高校生だとナメられちゃうしね。
もしくは、元増田が「ところで、いくらかお金もらえたりするんですか?!(期待の眼差し)」を言える人だったら、
そう言って相手の良心に訴える方法もあります。
(僕が高校生だったときに、映像作ったりしてお金を貰ったりする時は、このパターンで貰ってました。あんまり相場感とか交渉の仕方とか分かんなかったし…)
某猫がお金をもらっていて、元増田がもらえないということに疑問があるようですが、
残念ながら、元増田のキャラクターと、某猫は全く別のものです。
某猫は、作った企業がリスクとお金をつぎ込んで有名にしたものです。
どれだけグッズを作っても売れない可能性や、有名にならなかったり、一瞬で忘れ去られるかもしれません。
最初に全く認知されていないキャラクターをPRするのにもお金がかかります。
その結果として有名になったキャラクターは、ほとんど芸能人みたいなもんです。
「みんなが知ってる有名なウチの某猫ちゃん!これをおたくでイメージキャラクターとして使いませんか?
1年間だと○○○万円で、ポスターや冊子、共同で開発したグッズ(売上は折半ね!)に使えますよ」という売り方。
元増田の場合は、イラストレータさんに「キャラクター作ってくれない?」とお願いするのに近い。
これは幾らか払って、著作権ごと買い取る契約になっていて、価格の基準は【芸能人を使うギャラ】や
【著作権云々】ではなく【イラストレータさんの作業賃】なんです。
だから、仕事をお願いしたお客さんは、上がってきたキャラクターを、イラストレータを気にせずに
どんどん色々なところに使ったり、グッズを作ったり出来るわけです。
もしくは、よくある「街のイメージキャラクターを募集します!採用者には現金10万円!」という
公募キャンペーンの現金10万が、グッズになっているイメージ。
これも、キャラクターの反応が良くてグッズを作っても、原作者にはお金がいかないでしょう。
日本の法律だと、著作者人格権ていうのは、著作者以外に譲渡することが出来ません。
つまり、何があってもイラストレータさんの権利は守られるような気がするのですが
契約書で「著作権は譲渡し、著作者人格権は行使しない」という契約を作るので、
お客さんは何でも出来るわけです。
説明不足な感は否めませんが、なんとなく理解の手助けになったでしょうか。
つーか、地方のおっさんとかって、モノに対してはお金払うんだけど、
他人が一生懸命考えて作ったものとか、人がサービスすること等に対してびたいち払う気がない人が多いので
しっかり交渉して満足行くようにしたほうがいいです。
個人的にはグッズを100個ぐらいもらって、友だちや親戚に
「自分がつくったよー!!」って配りまくるのが一番いい気がするけど。
あと例えば理想的な形で「著作権は持ち続けてグッズを作る時は、契約内容によって都度許諾します」とか言うと
それなら、そもそも頼まないっていう話だと思うので。
人生で一度だけ、浮気をしたことがある。だけど、人によってはそんなのは浮気ではないと言うのかもしれない。私がしたことは、単に彼氏以外の男と一緒に寝たというだけだったから。セックスなんかせずに、文字通り一緒に寝ただけだった。
彼氏と付き合ってからは3か月が過ぎていた。最初は毎日のようにメールが届いたけれど、徐々にその頻度は減っていった。だけど、私の心の平衡を崩すのはその頻度の減少ではなかった。少しずつ、メールの文面に彼の体温が感じられなくなっていくということ。あるいは、別れる間際に特有の、あの他人行儀な距離感。焦燥ははやばやと諦めに変わる。ああ、もう終わったんだ。
さみしい、というのはこういうことなのか、と思った。さみしい、というのは、単にそこに何かが無いからさみしいのではない。そうではなく、自分の手元にあることが想像可能である事物を喪失しているからさみしいのだ。私はさみしかった。だけどそれは固有名詞で表わされる彼氏の不在によるものではなかった。私にとって耐え難かったのは、一般名詞で表わされる彼氏の不在だった。それはさまざまな事象の欠落、たとえば人から気にかけられるということ、人の体温を感じるということ。
そんなとき、男友達と酒を飲む機会があった。彼は人との距離をとるのがうまい、と私は思う。他人が抱える心のすき間に、欠けたピースをさりげなく差し込んでいくような人だ。彼は他人の論理的整合性の欠如には素早く反応するけれど、思想信条の違いについては他人を否定することがない。私は彼のそういうところが好きだった。
すこし過剰な意味を含むような言い方で、私は彼に告げる。たぶん、そろそろ別れると思うよ。そうか、とだけ彼は答える。どうせあんたたち、いずれくっつくんでしょ、と目の前にいる女の子が言った。その言葉を黙殺して、私たちは視線を交錯させる。それはないな、と私は思った。顔は好きだけど、もうちょっとわがままでいてくれないと、私はちょっと、ときめかない。
夜明け近く、ね、ちょっと膝かしてよ、と言って私は人目もはばからずに彼の膝の上で目を閉じた。泊まっていく、と彼が訊ねる。私は無言で同意を示す。これから起こるであろう出来事を考えても、罪悪感は感じられなかった。私と彼氏の関係は、既に私にとっては脳死状態にあったから。定義上は生きていても、実質的によみがえることのない。
彼と一緒のベッドに入る。彼は私を抱いた、けれどそれは社交辞令以上の意味を含んでいなかった。それ以外、彼は私に何もしなかった。ただひとこと、俺、彼氏いる人に手出さないことにしてるから、とだけ彼は言う。それが駆け引きを優位に進めるための言葉なのか、それとも本心から出た言葉なのか、そのとき私にはわからなかった。
結局、彼氏からは、そのあと1週間くらい後に「友達に戻ろう」というメールが届いた。果たして戻る地点などあるのだろうかと思ったものの、それは表に出さず、今まで楽しかっただとか、今まで言えなかったことを後悔の無いように伝えた。
すぐに返事が来た。その文面からは、この人はまだ自分のことが好きなのだということが伝わってきたけれど、それなのになぜ別れようとするのか私には理解ができなかった。そのメールには、返事を返さなかった。返せなかった。
1か月くらい経った後、別れた彼氏から唐突に、会いたい、というメール。後輩の女の子に、これどう思う、と聞くと、さびしくなったんですね、会うなんて言っちゃ駄目ですよ、と返された。いつだって適切なリアクションをする子だと思ったけれど、間抜けな私は既に会おうと返事をしてしまった後だった。結局、付き合っていた頃と何ら変わりのない時間の過ごし方をして、それから終電の無くなった彼を家に泊めた。
同じベッドの中で、私は彼に背を向けて眠る。彼が私に後ろから抱きつく。あのさ、もう別れたんだから、そういうの、やめようよ、と言いかけて、彼が泣いていることに気付く。泣きながら何度もごめんね、ごめんね、と謝っている。それは、聞いているこちらが苦しくなるような、泣き方だった。ごめんね、もう、さみしい思いはさせないから、だから、もう一度。
私を部屋に泊めた彼と、その後、また会う機会があった。そういえば、彼氏とやり直すことになったよ。私がそう切り出すと、そうなんだ、よかったね、と口を開いたのは彼ではなく、別の男友達だった。すこし時間をおいて彼は、俺、お前のこと、すこし好きだったのに、と言う。
すこし、って何だろう、と思った。それがすこしではなくて我慢できないほど好きだったら、彼氏と別れている間に君とくっついていたかもしれないけれど、と思ったけれど、やっぱり言えなかった。
それから半年くらい経った頃、学校から家に向かう途中、彼氏から電話の着信。初めてだった。いつもなら、いま電話していい、とメールで確認をしてから電話をする彼が、何の前触れもなく電話するなんてことは今までになかった。
自転車を降りて、電話に出る。どうしよう、俺、Oの浮気相手と勘違いされてる。そんな内容の言葉を彼は私に伝えた。Oは私と彼の共通の知り合いで、彼氏がいるにもかかわらず手当たり次第に手を出す女として知られていた。どうせあんたたち、いずれくっつくんでしょ、と私に向かって言った女。彼は私の言葉をさえぎるように喋り続ける。でも、俺、本当にやってないから、お願いだから、信じてよ。
ああ、そうだったのか、と私は自分の鈍さをいまいましく思った。今まで理由のわからなかった彼やOの言動の意味が、その瞬間にはっきりとする。たとえばOが私に向かって、何であんたきれいでもないしかわいくもないのに、と吐き捨てたこと。それは単に、彼が体を許しても心まではついにOのものにならなかったことからくる嫉妬だったのだろう。そう思い当たるまでに時間はかからなかった。
私は彼に言う。状況がぜんぜん飲み込めないよ、なんで浮気を疑われる状況になってるかよくわからないし、とりあえず後でOの彼氏に聞いてみるから。彼は、それだけはやめて、と言った。お願いだからそれだけはやめて、もしそうしたら、俺、別れるから。
家に帰り、Oの彼氏にMixiでメッセージを送る。メールアドレスは知らなかった。返ってきたメッセージには、よかったら電話して、と家の電話番号が記されていた。
その電話で、なぜ浮気を疑ったかその根拠を告げられた。彼とセックスしたことを得意気に吹聴していたということ、ご丁寧に手帳にもその記録があったこと。私は訊ねた。いつくらいの出来事だったのかと。彼の回答によれば、それは私が別れを告げられるちょうど1か月前のことだった。
どうするの、Oと別れるの、と私は訊ねる。涙声を装いつつも、それはほとんど尋問に近いやり方だった。どうしようかなって迷ってる。そんな答えが返ってきたことに苛立ち、私は彼らを別れさせようと、たったひとこと言葉を加える。別れた方がいいよ、なんていうものではなく、Oの彼氏が最も強く罪悪感を持つような言葉を、最も彼が傷つくようなタイミングで、私は彼にささやく。
その後、彼氏に会い、隠してること、あるでしょ、と問い詰めた。長い沈黙の後、彼はOとの間にあったことを話す。それにしても、と彼は続ける。君は俺のこと何でも知ってるね、でも俺には君のこと、何にもわからないよ。
私は思う。私は君のことなんて、何も知らない、ただ、知っている振りを装うことができるだけ、だって昔の私のメンタリティーとよく似たものを君は持っているから。けれど、その言葉は口にするには少し重すぎる、と思って口を閉ざす。
私の横で彼が眠る。夜中、目を覚ますと、また彼が泣いていた。だけどそれは、私には聞こえないように声を押し殺し、心の底に沈殿した澱を洗い流すような、そんな泣き方だった。私は彼を許したのに、なぜ泣いているのかわからなかったけれど、それでも彼がいとおしくて後ろからそっと抱きしめる。彼はひとこと、そういうことするから泣けるんだよ、と言って私の手を払いのけようとする。私は、離さないようにと、彼を抱く手に力を込める。
2週間くらいした後、Oの彼氏からメールが届いた。その内容は、Oと別れることにした、私には背中を押してもらって感謝している、という簡潔なものだった。思わず、舌打ちした。確かに私は彼らが別れることを望んだけれど、だけどあまりにもタイミングが悪すぎる、と思った。
次に彼と会ったとき、家に寄っていい、と彼が訊いた。私の部屋で彼は何か言いかけて、それを口に出せずにいる。私は、別れたいんでしょ、と訊ねた。だけど、それは既に疑問文ではなかった。彼は、やっぱり君には何でもお見通しなんだな、と言って唇の端に歪んだ笑みを浮かべる。だけど目は笑っていなかった。
私は彼に理由を訊ねる。だって、俺といると、君の価値が落ちる、なんて意味のわからないことを彼は言う。きっとOに何か言われたのだろう、と思った。だって、そんな語彙は彼の中には無いはずだったから。だけど、何を言われたのかは見当がつかなかった。
何言ってるか、よくわからないんだけど、と私は言う。
もう、罪悪感に耐えられない、と彼は言った。
そっか、じゃあ別れたらいいよ。
引き留めてくれないんだ。
引き留めても戻ってこないことくらい知ってる。
ね、最後にひとつだけ、わがままきいてもらっていいかな。そう言って、彼は私に体を預けた。初めて会ったときに付けていたのと同じ香水の、少し甘い匂いがした。ここで体を離せば、もう、こうやって肌を合わせることもないのだろう。だけど、自分で幕を引かなければいけないのだと思い、もういいよね、と言って私は彼を自分の体から引き離す。
彼は、今までありがとう、と言って部屋のドアを閉める。私は、返事をしなかった。
その後になって知ったところによれば、Oの彼氏にOの浮気を知らせていたのは、私を部屋に泊めたあの男だった。彼は言う。だって、Oの彼氏があまりにもかわいそうだったから。この嘘つき、と私は思った。かわいそうな人間に、より残酷な事実を告げることは、さらにかわいそうなことではないのか。
私はそれ以来、いかなる男の知り合いに対しても「友達」という呼称を与えるのをやめた。だけどごくたまに、「知り合い」と呼ぶにはいささか親密すぎる人間関係に、何という名前を与えようか、すこし悩んで、そして結局口を閉ざす。
(追記 7/30)
そろそろこの文章を新しく目にする人もいないかな、と思って追記してみます。
世間でベストセラーになる小説が自分にはちっとも面白いと思えなくて、そして自分が面白いと思う小説は世間では全く受けなくて、だからきっとこんな文章を書いても目にとめる人なんてほとんどいないだろう、と最初は思っていました。それなのに、被ブックマーク数がいつの間にか自分のブログでも見たことない数字になっていて驚いています。こんな真性かまってちゃんの文章に付き合っていただいて、褒めてくれた方にもdisってくれた方にも、どうも、ありがとうございました。
特に、読みづらい、と思われた方には申し訳なく思っています。普段、読みやすい文章が良い文章だと思っていないため、リーダビリティに気を配らない書き方をしてしまいました。こんなに多くの人の目に触れるのだったら、もう少し気を遣った書き方をすべきだったと反省しています。
なお、トラックバックにも書いたのですが、僕は男で、僕以外の人間も全員、ほんとうは男です。tweeterやブックマークコメントを見る限り、トラックバックはあまり読まれていないようなので、今一度書いておきます。ですが、ブックマークコメントに書かれているような、「おっさん」と呼ばれるほどの年ではありません。おそらく、コメントを残してくださったほとんどの人よりも年下です(僕には理解しがたかったのですが、「女でないのに女の振りをして文章を書く」というのは、社会通念として「おっさん」とみなされるのでしょうか。それとも、僕の文体が学生くさくなかった、ということなのでしょうか)。
僕にとって一番の驚きだったのが、「誰の考えも全く理解できない」というコメントがあったことでした。あるいは、「(僕の)フィルターから見た人間はみんな裏工作をしているんだね」というコメントがあったこと。ある人にこの文章を見せたときにも僕はこう言われました。
「感動したけど、他人の態度に対する過剰な意味付けとか、その反射的態度は僕にはよくわからない」
たとえば数学で方程式を解くのと同じくらいのレベルにあると思っていた行動が、他の人にとっては必ずしもそうでないということが、僕には大きなカルチャーショックでした。もし、そういう人が誰かを好きになったとしたら、どうやってアプローチするのか僕には想像もつきません。
おそらく、ですが、そういう人は、日常で不意に放たれる「自分に好意を持っている(いない)」というサインを必然的に見失うことになると思うのです。そして、自分に好意があるかどうかを些細な行動によって見極められないのだとしたら、いったいどうやって"go or no-go"の判断を下しているのか、僕には理解ができません。もし、「そんなのわからないけれど、好きだから告白するし、それでうまくいく」というのだとしたら、それは人としてものすごくハイスペックだと思うし、不確実性に立ち向かうその精神の強靱さに、僕は賞賛と羨望の眼差しを送らずにはいられないのです。
http://www.amazon.co.jp/dp/4396613679/
私の世代で友達に恵まれない者は、かつてランチメイト症候群となり、あるいは便所飯をせざるを得ない生活に涙を呑んでいた。友達がいないことそれ自体が問題となるのではない。一人で食事をすることそれ自体が苦しいのではない。「あいつは友達がいない人間である」と周囲の人間に思われることが、明確に地位を低下させ、人間としての尊厳を著しく損なわせるのだった。人間性やコミュニケーション能力が高らかに賞賛され、みんなと仲良くできること、みんな一緒の集団行動に足並みを揃えられること、とくに友達を多く所有できる人間ほど値打ちがあるというイデオロギーが支配的であった。裏を返せば、そうした評価軸で採点の低い人間は、江戸時代で言えば穢多・非人である。新たに打ち立てられた被差別社会で暗く生きることを余儀なくされた。いつの世も、人々は被差別者を求めているのだ。
ところが、最近の若者は、良く言えば気骨のある人種が揃っていると聞く。友達がいないことで自らが学内で受けた軽蔑の眼差しに対して、昼休みの食堂で憂さ晴らしに明け暮れているらしい。私たちの世代は、便所で食事を済ませる便所飯が主流だった。 ところが、彼らは食堂でウンコを撒き散らしては、群れている集団に泡を食わせているという。ここに私たちは逆転の解決法をみとめるべきだろう。
実は私の会社の食堂でも、そうした新入社員をちらほらと見かけるようになった。すでに学生時代に、つるんでいる連中の食器の上に妨害されずに大便を盛り付ける術を身につけているのだろうか。その一連の所作はこなれていて目を見張るものがある。全国の大学・民間企業・官公庁では、悪臭が立ち込めることが常態と化してからは、食堂の利用数が軒並み激減しているという。鼻をつまみながらカレーライスをほおばり、かつての屈辱の涙が感涙に変わったことに気づくと、人知れず食堂の隅で私は拍手を送るのである。
今からとても変なことを書くけど、増田だから気にしない。お目汚し御免。
シベリア特措法というのが成立した。戦後ソ連によってシベリアに抑留された人たちに対する保証金だとか。
http://sankei.jp.msn.com/world/europe/100621/erp1006210248000-n1.htm#
だからソ連はけしからんとか、その他諸々政治とかに関わる話もあるのだろうけど、以下すべて個人的な話。
ひとつ本件について感想を述べるならば、何を今更で、うちの祖父はシベリアに抑留されて、戦後15年目くらいに亡くなっている。それを戦後65年経ったところで給付されますといったところで遺族がもらえる訳でもないし、そもそも今更そんなものをもらったところで、祖父を亡くして一家の大黒柱を失った母の成人するまでの暮らしが楽になることもない。
それをけしからんというのもなんだかなあと思うし、もしうちの祖父が存命ならどう感じたかと思うとまた祖父のことを思い出す。
祖父のことを思い出すといっても、僕の生まれる遥か前に祖父は亡くなっていて、祖父の人となりはすべて写真からでしかわからない。だから、孫にとってどういう呼び方が相応しいのかわからない。おじいちゃんがいいのか、じいちゃんがいいのか、おじいさまがいいのかすら。
そして母はたまにしか祖父のことを語らず、しかし思い出話をするときの昔を懐かしむ眼差しは両親のそろった家庭に生まれ育った僕の伺い知ることのできない凄みと、祖父への親しみがあり、それはなんとなく覚えている。主に母にとって厳しい父親だったこと、小さいながらも家と仕事を持ってそれなりに幸せな家庭をもっていたこと、子供が生まれてから転勤の少ない職場へ転職したこと、猫が恐かったこと、数学がとてもできたこと、満州へわたった事情と、祖母とのなれそめとかとか。
そして祖父の人柄を自分の中で作るようになり、偶然かどうか、祖父と似たような仕事に就いた。もし生きていれば祖父は僕とどう接するのか、自分にとってどういう祖父なのか、きになれば尽きることはない。そういうことが年に数度。
だから祖父との思い出のあるやつはいいなあとか、後々思うようになった。子供の頃はそんなおっかないじいちゃんはいらないとおもってたものだけど。
そしてこのような戦争とか、シベリアについての話をニュースで聞くたびに思う。もし祖父が生きていたら今の世の中、戦争についてどういうか。それとも全て墓場まで持っていくか。人となりは母と祖母とその親戚の口からしか伝わらない。そして2人とも祖父は「海軍士官学校」にいたとかいう程度の認識しかない。ちょっと絶望的。
またこういうニュースを聞くたびにこう思う。軍人同士の付き合いで曾祖父が祖母と祖父を引き合わせて結婚した2人の間に母が生まれて、父とであって僕が生まれて、確かに戦争の記憶なんて僕にはないし、話をする人もそうそう多くはないけど、確実に僕の人生に何らかの影響を与えているって。なによりシベリアから帰ってきて、その後同胞を置いて帰ってきてどうせ拾った命と、魂削るまでして祖父が働かなければ早死にすることもなく僕は祖父と孫として会話ができてたかもしれない(祖父が残した数少ない記録のうちの1つである手記にそうあった)。
母の話を聞くたび、祖父の人格を補完していって、きっとこういう人だったのだと仮定して、そこから自分との会話を想像したりする。あのときああいう人ならこう言っただろうなあって。
そうして僕は祖父との思い出を作ってたまに他人を羨んだりする。あいたかったなあ。俺もじいちゃんと仕事の話とか、したかった。母も、和久井映見が演じるOLが友達と飲み屋で飲んでて、たまたまその父親が後から飲み屋であって、父親のツケで飲みまくるっていうCMを見て、私もああしてお父さんに甘えたかったとつぶやいた。幼い妹は、悪い娘だねといったけど、母は寂しそうな顔をして、僕はまだ子供でよくわからなかった。
僕もじいちゃんと酒飲んでみたかった。だから酒を好きじゃないけど、酒を飲んでみんなと酔っぱらうのが好きだったという祖父のお墓に酒を持って今年も墓参りに行こうと思う。
まずは自己紹介のようなものを。
おっとそこのあなた、こんな自己紹介の時点で何か色眼鏡かけてないですか?
これが普通のことだと思うからこそ、今日はこんな記事を書いてみようと思ったのです。
きのう大学の後輩と飲んでいて、その子とは大学を卒業して以来会うのは初めてだった。
そこで話題は自然と、とりあえず僕が大学を卒業して良かったとか、この先はどうなってるのかとかいう話になった。
とはいえ、こういうとき僕に気をつかって、というか色々変なものを引き出しても面倒だし、
その辺のことについてあまり触れないでいてくれる人もいるんだけど、
この後輩はとても素直な感じかつ気をつかってくれる子で、わりと率直に聞いてくれた。
曰く、
「世間体というものは気にならなかった(ならない)んですか?」
「自分は世間体の方が重いから、留年しそうだったけど正規ルートを進みました」
ものすごく単純に答えられる筈の質問(意見)なのに、僕は答えに窮してしまった。
なぜなら、それは僕がずーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっと考えてきたことだから。
僕は世間体が気になるし、その重さをとてつもなく感じている。
ただ、その重さをバネに留年を回避しようと頑張れなかっただけだ。2年も。そして今も。
何が辛いかって、実際の世間の風当たりが強いとかいう以前からして辛い。(実際問題もあるけど、それとは別に)
世間の風当たりが強いと思い込んでいる自分との戦いが、まず辛い。(まず、ね。まず)
そんな思いこみ(でない場合も多々あるけど)はどこから来るのかというと、自分だ。
自分が人を見るとき、いかに世間体というフィルターでもって人を見ているか、
浪人した人、留年した人、ニート、フリーター、ワープア、ホームレス、
こういった人たちを見てきた眼差しがまるっと自分に返ってくる。
そうした眼差しは、自分が内面化した様々な価値観の底とか横のあたりにべっちょりと付いてる。
だから、いざ自分がアウトローに、当事者になってみないと、その眼差しの意味に気づくのは難しいのかも知れない。
さらに、当事者になったところで、その眼差しを捨てられるわけでもない。
僕が「世間体」で悩んでしまうのは、まったくこのためだ。
したがって、後輩の質問と意見は、殆どそのとおりに僕も思っていることなのだった。
それなのに、どうしてそう即座に答えられないのかといえば、
それは、ただ単に、僕がずぼらだから。根本的にはそう。
ものごとを勘案して動ける人に対して、動けないずぼらな僕が、伝えられる言葉がないから。
だがそれだけでもない。
やっぱり、どこかに「この扱いは不当だ」という意識がある。
「なぜ人一倍世間体を気にする自分が、世間体を振りかざす人に説教されねばならぬのだ」という気持ちがある。
これは、後輩の質問に説教の要素を感じたということではなくて、これまでに蓄積してきたもの。
この積もる怒りに同意して欲しいという気持ちが邪魔をして、「自分も世間体を気にしている」と簡単に言うことを阻んでしまう。
だから?、ついでに僕は「世間体」に同意していないことまでをも表明してしまう。
なんともややこしい奴である。
そんなわけで、僕自身は世間体というものの扱いには大変困っている。
しかし、同意しないことを貫くという考え方はちょっといい感じがしている。それが標題につながる。
たとえば、いつまでたっても親に養われ続けることを阻むものは何かと考えたとき、それは世間体なんじゃないかと思う。
現実問題として、働いた方がいいとか、将来困るとか、そういう話はわかる。それは社会全体で解決していけばいい。
しかしニートとかワープアの無縁死とか見てると、これは上でしてきたような話と関係してくるように思える。
つまり、素直な後輩が語ったように、普通の人は世間体を気にして人生のある程度を決めていく。
それができる人はいいが、世間体を気にしてもしょうがない人が気にする視線に同意して人生を決めるから、問題が起きるのではないか。
ただ、それはタイトルのような主張とは結びつかない。
タイトルの含意は、世間体の内容を新しく決めようとしてるだけだから。
こうした世間体であれば僕も気にしなくて済むから大丈夫、という話をしたいわけではない。
僕が言いたいのは、世間体は気になるけど、そんな視線に軽々しく同意して人生を決めるべきじゃないっていう単純なこと。
僕は大学留年時に親の援助をわざわざ一切絶ったけれど、何もいいことはなかった。
「いや、でも偉い」と思ってくれた人は、少し思いを馳せてもいいかもしれない。
その言葉が、僕のような者に届くとき、援助を受ける人に届くとき、どう響くのかということに。
私は出会い系で異性を探していて、ときどきクスッと笑うことがある。
「ああ、私は非処女なんだ」と思うと、嬉しさがこみ上げてくる。
非処女となった日のあの嬉しさがいまだに続いている。
「非処女」・・・・・
非処女の先輩方に恥じない私であっただろうか・・・・。
しかし、先輩方は私に語りかけます。
「いい?伝統というのはわたしたち自身が作り上げていく物なのだよ」と。
私は感動に打ち震えます。
「男が何をしてくれるかを問うてはならない。君が男に何をなしうるかを問いなさい」
私は使命感に胸が熱くなり、武者震いを禁じえませんでした。
でもそれは将来日本の各界をになう最高のエリートである私たちを鍛えるための天の配剤なのでしょう。
非処女を作りあげてきた先輩はじめ先達の深い知恵なのでしょう。
出会い系で異性を物色することにより、私たちは伝統を日々紡いでゆくのです。
嗚呼なんてすばらしき非処女。
素晴らしい実績。余計な説明は一切いらない。
「エッチしたことある?」と聞かれれば「非処女です」の一言で羨望の眼差し。
非処女になって本当によかった。
僕はハロワで求人を探していて、ときどきクスッと笑うことがある。
「ああ、自分は無職なんだ」と思うと、悲しさがこみ上げてくる。
送別会の日のあの悲しさがいまだに続いている。
「無職」・・・・・
しかし、ハロワにいる先輩方は僕に語りかけます。
「いいかい?伝統というのは我々自身が作り上げていく物なのだよ」と。
僕は感動に打ち震えます。
「ハロワが何をしてくれるかを問うてはならない。君がハロワに何をなしうるかを問いたまえ」
僕は使命感に胸が熱くなり、武者震いを禁じえませんでした。
でもそれは将来日本の各界をになう最高のエリートである僕たちを鍛えるための天の配剤なのでしょう。
この状況を作りあげてきた先輩はじめ先達の深い知恵なのでしょう。
ハロワで求人を探すことにより、僕たちは伝統を日々紡いでゆくのです。
嗚呼なんてすばらしき無職。
素晴らしい実績。余計な説明は一切いらない。
「ご職業は?」と聞かれれば「無職です」の一言で羨望の眼差し。
無職になって本当によかった。