「開放骨折」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 開放骨折とは

2019-12-25

anond:20191225110735

開放骨折って、骨が折れて外に飛び出すやつだよね。

頭蓋骨解放骨折で助かるんだ。

すげえ。

2019-07-01

副都心線から銀座線

初めて乗り換えたのだが、道中不安不安しょうがなかった。なんかオレンジ色の改札通れと言われるし。

グーグルマップは使えないし、同じ場所をぎっこんばっこん折り重ねながら行って、迷路みたい。

なんか外に出て、あれ地下鉄なのに?と思ったらそうだ、銀座線って外に開放骨折してるんだった。3階までがまた長い。

あたしゃ膝に故障も抱えたが一応十分健常者だ。だからぐにゃぐにゃしつつまっすぐ?進めたけど、これストレートにいけない勢は大変だなと思った。

そうだ3年前に銀座線から副都心線に降りたんだった。なにも変わってないやんけ。ぬぉぉぉぉ

2018-04-22

漫画アニメって独白内面描写多すぎじゃね?

一人でひたすら

「クソッ アイツの弱点は・・・」「この患者開放骨折から・・・

みたいな一人議論自己解決してるせいで

まったく他のキャラコミュニケーション取れてないのスゴイ気になる

 

キャラ同士の関係性を高めるたり

会話を挟んでサブキャラにも個性付け出来るのに勿体ねえ

2015-08-03

先日、死にかけた話

端的に言えば、高さ2メートルほどのブロック積の上から落下した。

下はコンクリート張りの地面。

作業服に肩掛け式の草刈り機を装備してのダイブだった。

実家の裏側、山の斜面の法尻にブロックが積んであるが、雑草で覆われていたのでこれを切ろうとしたのだ。

その結果、雑草の下に隠れていた瓦を踏んで落下。

から夏祭りの準備でテントを立てたり、バタバタと忙しかった。

から有給とって嫁さんの実家草刈りでもしようと計画していたのだが、急遽仕事が入り、疲れたまま現場へ。

打合せの後、二時間ほど遅れて、草刈り開始。

家に戻ったのは夕方六時頃。

そのままで目についた雑草を片付けようとした。

といって、別に初めてのことではなくて、年に数回、目についたらいつもやってきたことだ。

ただし、この日はタイミングが悪く、朝から何も食べていなかった。

気温が高く、早朝からの肉体作業で疲労が深かった。

普段は必ず長靴を履いてやるのが、その日はスニーカーのままだった。

作業を初めて十分ほどで落ちたのだと思う。

階段で言えば8~9段くらいの高さで足を滑らせ、まっすぐコンクリートに落ちるのだ。

下手をすれば死ぬ

事実、滑った瞬間、死ぬと思った。

稼働中草刈り機抱えて、足を滑らせれば大動脈切って死亡なんて珍しくもない。

落ちる瞬間は、着地と草刈り機を引き寄せない事について、頭に浮かんだ。

落下をして倒れ込み、僕は慌てて草刈り機のストッボタンを押した。

両足がしびれるように痛い。

両手も手首と指が痛い。

故障箇所の把握に努めると、右足の裏、かかと、すねが痛い。

左足は膝のみ、手では左手首が強烈に痛い。右手の小指も痛むが、突き指みたいなもので、このさい無視をした。

総合すると、僕はターミネーターシュワちゃんの登場シーンのような姿勢で着地したらしい。

すぐに親戚が駆け寄ってきた。

後で聞いた話によると、たまたま草刈り機を借りに来た親戚が僕の作業を見に来て、まったく聞こえなかったのだけど、落下の瞬間には「危ない」と叫んだそうだ。

「頭を打っただろ」

しつこいくらいに聞かれたのは端から見ていて、そう見えたかららしいのだが、幸いに頭部は地面に触れてもいない。

腱も靱帯も、傷めはしたものの断裂はしていない。骨もヒビは入ったが歩けないほどではない。

どうにか死なずに済んだ。後遺症も残らない。

今、自分幸運感謝している。

本当に少し間違えば、草刈り機による切断も、コンクリートで頭を割ることも、背骨骨折も、靱帯断裂も、開放骨折普通にあり得た。

子供達や嫁さんと会話したり食事をしたり、今もできて本当によかったと思う。

生きていてよかった。

2013-03-21

娘が事故に遭った。

先日、息子が私のパソコンYoutubeを見ていた。私の閲覧履歴から鉄拳の"振り子"の動画を見つけ、クリックした。私は数か月ぶりかにその動画を見て涙が溢れていたが、息子の眼差しディスプレイから逸らされることはなかった。息子に気付かれないように涙を拭った。私が涙を流したのは、数か月前にこの"振り子"の動画を初めて見た時以来だった。

その次の日、娘が交通事故に遭った。家に居た妻とケータイで話しながら横断歩道を歩いていた際に、車に接触されたらしい。電話の向こうで何が起こったのか解らない妻は、電話で娘の名前叫び続けた。現場事故を目の当たりにされた方が娘のケータイを拾い、妻に状況を報告してくれたのだが、加害者は動揺して娘を自分の車で病院まで連れて行こうとしたらしい。妻は混乱しながらも私に電話をし、娘が交通事故に遭ったこと、足を怪我したこと、加害者が連れ去ったことを伝えてきた。断片的な情報しか受け取っていない私は、まだ記憶に新しい楽天社員による事件を思い起こした。

私は仕事を投げ出し、急いで帰宅した。家に妻は居なかった。後で聞いた話によると、現場の近所の方が救急車を呼んでくれて、加害者に連れ去られることなく救急車に収容されたものの、救急隊員に保護者の同伴を求められ、更には収容先の病院がなく、救急車はなかなか出発しなかった。その間に妻が現場に到着し、家で待機していた私に電話をくれた。電話から聞こえる声は、妻ではなく娘だった。少し話をして電話を切った。娘のはっきりとした口調を耳にして安心したのも束の間、その後の妻からメッセージに「開放骨折」という言葉が入っていた。妻はそれが意味するところを全く知らなかったようだが、私はそれがどういう状態なのかをある程度理解し、娘は元通りには歩けなくなるかもしれないと覚悟した。

収容先の病院で妻と二人、担当医に娘の状況を説明される。いくつかの幸運が重なり、私が勝手想像していた最悪のシナリオは否定された。しかし、最悪死に至るような合併症などのリスクゼロではなく、まずは緊急手術をする事に同意を求められた。選択肢はない。ひとりの人間としてはまだ幼すぎる娘だが、事故からここに至るまで涙を見せることはなく、救急車の中で妻に会い、最初に発した言葉は「ごめんなさい」だった。2時間に及ぶ手術も無事に乗り越えた。ここまで本当によく頑張ったと思う。術後、ベッドに眠る娘を見て、私はようやく人心地付いた。気が弛み、涙した。私が2日連続で涙を流すことなんて、何年ぶりだろうか。

話は少し前に戻って収容先の病院に車で向かう途中、一台の救急車に追い抜かれた。病院救急医療センターには断続的に患者が訪れてくる。あるいは救急車で運び込まれてくる。事件なのか事故なのかパトカー警察官も来る。うちの家族に起きた災難と同じようなことが日常的に起こっていることを痛感した。手術が終わるのを待つ間に、警察署から加害者が直接お詫びしたいと待っているという連絡があったが、会ってもこちらには何のメリットもないどころか自分の中で悪い感情が大きくなることが容易に想像できたため、面会を拒否した。この連絡で加害者には直接我々に会って謝罪する意志があり、まともな人間であることがわかったが、我々から見ればまともな人間などではなく、過失で娘を殺しかけたヒトゴロシのなり損ないに過ぎない。罵倒しようが殴り倒そうが娘の傷が癒えるわけではないし、やりどころのない気持ちを加害者に向けても何も解決しない。その一方、謝罪する機会を加害者に与えることすら拒否したいと考えていることも事実だった。

帰宅途中に警察署から再び電話があった。今回の事故報道されるかもしれないという。記事になるかどうかは報道機関次第とのことだが、我々に記事掲載を拒否する権利がないなら何故わざわざ連絡をよこすのかと気分が悪くなった。この程度の事故なら日本中で嫌というほど起こっているだろうに。違和感を覚えながらも匿名希望していることを強く伝えてもらうようお願いした。

事故の翌日、私は仕事に行き、妻は自分スケジュールを調整して面会時間中はずっと娘の傍に居た。私も仕事を早めに切り上げて娘の元に向かった。点滴による薬投与のせいか発熱のせいかは判らないが、娘はずっと調子が悪そうに寝ていた。人間とは強欲なもので、事故を知った時には生きてさえくれればと神に祈り、娘の声を聞いた時には障害さえ残らなければそれで良いと思い、担当医に完治の見通しについて説明された時には傷跡が残ってしまうことを呪い、完治には十分な時間必要と告げられた時には今後の予定が全て崩れてしまうことを嘆いた。ずっと我慢していた娘が、事故後に初めて泣いた。妻も私も泣いた。3日連続で涙を流すのはおそらく幼少の時以来になるのではないか

帰宅後、今回の事故新聞に載っていることを知った。加害者報道されるに値するだけの人物だったのだ。なるほど違和感を覚えたあの電話は、こうなることを予期しての予防線だったのか。とある新聞では「重症」と記され、その言葉で妻はことの重大さをもう一度噛みしめてしまい涙し、別の新聞Web記事では「骨折」と記され、その言葉の与える印象の軽さに私は怒りを覚えた。娘は今後何か月にも渡り貴重な時間不自由に過ごさなければならないのだろう。もし元通りに歩いたり走ったりできるようになっても、その傷跡が完全に消えることはないだろう。事故の瞬間を電話で聞いていた妻は、確実に寿命が縮まるほどの精神的なダメージを負ってしまっただろう。それ以外にも、私と妻が病院に通うだけの労力と、通院のための時間を使ってするはずだった経済的な活動、通院のために発生する周囲の人たちへの負担は、誰も補償してくれはしない。

あれから娘は順調に回復し、熱は下がり、点滴も外れ、食欲も出てきた。まだ入院中の娘の笑顔を見て、安心してしまっている自分がいる。過去事故加害者被害者になったこともあり、車を何度もぶつけたことのある私は、自分がいつか今回の加害者と同等の立場に立たされる可能性、自動車を運転することのリスクを見つめ直した。また、被害者という立場に立たされ、被害者しかからないこと、「被害」とはどういうものなのかを身をもって体験した。その一方、家族の大切さを嫌というほど再認識させられ、また周囲の人たちからの温かい支援を得られることが嬉しかった。本当に貴重な体験だった。だがそれを学ぶにはあまりに高い代償であり、娘が元気に走れるようになるまでは、まだまだ多くの時間が掛かり、その間にも様々なことがあるだろう。

様々な葛藤を整理し、記し、公開することで区切りをつけたかった。

以上、今日までの出来事と、今現在感じていることを記録しておく。「娘が入院している」という「非常」が、「日常」になりつつあることに恐怖しながら。

2013-03-20

娘が事故に遭った。

先日、息子が私のパソコンYoutubeを見ていた。私の閲覧履歴から鉄拳の"振り子"の動画を見つけ、クリックした。私は数か月ぶりかにその動画を見て涙が溢れていたが、息子の眼差しディスプレイから逸らされることはなかった。息子に気付かれないように涙を拭った。私が涙を流したのは、数か月前にこの"振り子"の動画を初めて見た時以来だった。

その次の日、娘が交通事故に遭った。家に居た妻とケータイで話しながら横断歩道を歩いていた際に、車に接触されたらしい。電話の向こうで何が起こったのか解らない妻は、電話で娘の名前叫び続けた。現場事故を目の当たりにされた方が娘のケータイを拾い、妻に状況を報告してくれたのだが、加害者は動揺して娘を自分の車で病院まで連れて行こうとしたらしい。妻は混乱しながらも私に電話をし、娘が交通事故に遭ったこと、足を怪我したこと、加害者が連れ去ったことを伝えてきた。断片的な情報しか受け取っていない私は、まだ記憶に新しい楽天社員による事件を思い起こした。

私は仕事を投げ出し、急いで帰宅した。家に妻は居なかった。後で聞いた話によると、現場の近所の方が救急車を呼んでくれて、加害者に連れ去られることなく救急車に収容されたものの、救急隊員に保護者の同伴を求められ、更には収容先の病院がなく、救急車はなかなか出発しなかった。その間に妻が現場に到着し、家で待機していた私に電話をくれた。電話から聞こえる声は、妻ではなく娘だった。少し話をして電話を切った。娘のはっきりとした口調を耳にして安心したのも束の間、その後の妻からメッセージに「開放骨折」という言葉が入っていた。妻はそれが意味するところを全く知らなかったようだが、私はそれがどういう状態なのかをある程度理解し、娘は元通りには歩けなくなるかもしれないと覚悟した。

収容先の病院で妻と二人、担当医に娘の状況を説明される。いくつかの幸運が重なり、私が勝手想像していた最悪のシナリオは否定された。しかし、最悪死に至るような合併症などのリスクゼロではなく、まずは緊急手術をする事に同意を求められた。選択肢はない。ひとりの人間としてはまだ幼すぎる娘だが、事故からここに至るまで涙を見せることはなく、救急車の中で妻に会い、最初に発した言葉は「ごめんなさい」だった。2時間に及ぶ手術も無事に乗り越えた。ここまで本当によく頑張ったと思う。術後、ベッドに眠る娘を見て、私はようやく人心地付いた。気が弛み、涙した。私が2日連続で涙を流すことなんて、何年ぶりだろうか。

話は少し前に戻って収容先の病院に車で向かう途中、一台の救急車に追い抜かれた。病院救急医療センターには断続的に患者が訪れてくる。あるいは救急車で運び込まれてくる。事件なのか事故なのかパトカー警察官も来る。うちの家族に起きた災難と同じようなことが日常的に起こっていることを痛感した。手術が終わるのを待つ間に、警察署から加害者が直接お詫びしたいと待っているという連絡があったが、会ってもこちらには何のメリットもないどころか自分の中で悪い感情が大きくなることが容易に想像できたため、面会を拒否した。この連絡で加害者には直接我々に会って謝罪する意志があり、まともな人間であることがわかったが、我々から見ればまともな人間などではなく、過失で娘を殺しかけたヒトゴロシのなり損ないに過ぎない。罵倒しようが殴り倒そうが娘の傷が癒えるわけではないし、やりどころのない気持ちを加害者に向けても何も解決しない。その一方、謝罪する機会を加害者に与えることすら拒否したいと考えていることも事実だった。

帰宅途中に警察署から再び電話があった。今回の事故報道されるかもしれないという。記事になるかどうかは報道機関次第とのことだが、我々に記事掲載を拒否する権利がないなら何故わざわざ連絡をよこすのかと気分が悪くなった。この程度の事故なら日本中で嫌というほど起こっているだろうに。違和感を覚えながらも匿名希望していることを強く伝えてもらうようお願いした。

事故の翌日、私は仕事に行き、妻は自分スケジュールを調整して面会時間中はずっと娘の傍に居た。私も仕事を早めに切り上げて娘の元に向かった。点滴による薬投与のせいか発熱のせいかは判らないが、娘はずっと調子が悪そうに寝ていた。人間とは強欲なもので、事故を知った時には生きてさえくれればと神に祈り、娘の声を聞いた時には障害さえ残らなければそれで良いと思い、担当医に完治の見通しについて説明された時には傷跡が残ってしまうことを呪い、完治には十分な時間必要と告げられた時には今後の予定が全て崩れてしまうことを嘆いた。ずっと我慢していた娘が、事故後に初めて泣いた。妻も私も泣いた。3日連続で涙を流すのはおそらく幼少の時以来になるのではないか

帰宅後、今回の事故新聞に載っていることを知った。加害者報道されるに値するだけの人物だったのだ。なるほど違和感を覚えたあの電話は、こうなることを予期しての予防線だったのか。とある新聞では「重症」と記され、その言葉で妻はことの重大さをもう一度噛みしめてしまい涙し、別の新聞Web記事では「骨折」と記され、その言葉の与える印象の軽さに私は怒りを覚えた。娘は今後何か月にも渡り貴重な時間不自由に過ごさなければならないのだろう。もし元通りに歩いたり走ったりできるようになっても、その傷跡が完全に消えることはないだろう。事故の瞬間を電話で聞いていた妻は、確実に寿命が縮まるほどの精神的なダメージを負ってしまっただろう。それ以外にも、私と妻が病院に通うだけの労力と、通院のための時間を使ってするはずだった経済的な活動、通院のために発生する周囲の人たちへの負担は、誰も補償してくれはしない。

あれから娘は順調に回復し、熱は下がり、点滴も外れ、食欲も出てきた。まだ入院中の娘の笑顔を見て、安心してしまっている自分がいる。過去事故加害者被害者になったこともあり、車を何度もぶつけたことのある私は、自分がいつか今回の加害者と同等の立場に立たされる可能性、自動車を運転することのリスクを見つめ直した。また、被害者という立場に立たされ、被害者しかからないこと、「被害」とはどういうものなのかを身をもって体験した。その一方、家族の大切さを嫌というほど再認識させられ、また周囲の人たちからの温かい支援を得られることが嬉しかった。本当に貴重な体験だった。だがそれを学ぶにはあまりに高い代償であり、娘が元気に走れるようになるまでは、まだまだ多くの時間が掛かり、その間にも様々なことがあるだろう。

様々な葛藤を整理し、記し、公開することで区切りをつけたかった。

以上、今日までの出来事と、今現在感じていることを記録しておく。「娘が入院している」という「非常」が、「日常」になりつつあることに恐怖しながら。

娘が事故に遭った。

先日、息子が私のパソコンYoutubeを見ていた。私の閲覧履歴から鉄拳の"振り子"の動画を見つけ、クリックした。私は数か月ぶりかにその動画を見て涙が溢れていたが、息子の眼差しディスプレイから逸らされることはなかった。息子に気付かれないように涙を拭った。私が涙を流したのは、数か月前にこの"振り子"の動画を初めて見た時以来だった。

その次の日、娘が交通事故に遭った。家に居た妻とケータイで話しながら横断歩道を歩いていた際に、車に接触されたらしい。電話の向こうで何が起こったのか解らない妻は、電話で娘の名前叫び続けた。現場事故を目の当たりにされた方が娘のケータイを拾い、妻に状況を報告してくれたのだが、加害者は動揺して娘を自分の車で病院まで連れて行こうとしたらしい。妻は混乱しながらも私に電話をし、娘が交通事故に遭ったこと、足を怪我したこと、加害者が連れ去ったことを伝えてきた。断片的な情報しか受け取っていない私は、まだ記憶に新しい楽天社員による事件を思い起こした。

私は仕事を投げ出し、急いで帰宅した。家に妻は居なかった。後で聞いた話によると、現場の近所の方が救急車を呼んでくれて、加害者に連れ去られることなく救急車に収容されたものの、救急隊員に保護者の同伴を求められ、更には収容先の病院がなく、救急車はなかなか出発しなかった。その間に妻が現場に到着し、家で待機していた私に電話をくれた。電話から聞こえる声は、妻ではなく娘だった。少し話をして電話を切った。娘のはっきりとした口調を耳にして安心したのも束の間、その後の妻からメッセージに「開放骨折」という言葉が入っていた。妻はそれが意味するところを全く知らなかったようだが、私はそれがどういう状態なのかをある程度理解し、娘は元通りには歩けなくなるかもしれないと覚悟した。

収容先の病院で妻と二人、担当医に娘の状況を説明される。いくつかの幸運が重なり、私が勝手想像していた最悪のシナリオは否定された。しかし、最悪死に至るような合併症などのリスクゼロではなく、まずは緊急手術をする事に同意を求められた。選択肢はない。ひとりの人間としてはまだ幼すぎる娘だが、事故からここに至るまで涙を見せることはなく、救急車の中で妻に会い、最初に発した言葉は「ごめんなさい」だった。2時間に及ぶ手術も無事に乗り越えた。ここまで本当によく頑張ったと思う。術後、ベッドに眠る娘を見て、私はようやく人心地付いた。気が弛み、涙した。私が2日連続で涙を流すことなんて、何年ぶりだろうか。

話は少し前に戻って収容先の病院に車で向かう途中、一台の救急車に追い抜かれた。病院救急医療センターには断続的に患者が訪れてくる。あるいは救急車で運び込まれてくる。事件なのか事故なのかパトカー警察官も来る。うちの家族に起きた災難と同じようなことが日常的に起こっていることを痛感した。手術が終わるのを待つ間に、警察署から加害者が直接お詫びしたいと待っているという連絡があったが、会ってもこちらには何のメリットもないどころか自分の中で悪い感情が大きくなることが容易に想像できたため、面会を拒否した。この連絡で加害者には直接我々に会って謝罪する意志があり、まともな人間であることがわかったが、我々から見ればまともな人間などではなく、過失で娘を殺しかけたヒトゴロシのなり損ないに過ぎない。罵倒しようが殴り倒そうが娘の傷が癒えるわけではないし、やりどころのない気持ちを加害者に向けても何も解決しない。その一方、謝罪する機会を加害者に与えることすら拒否したいと考えていることも事実だった。

帰宅途中に警察署から再び電話があった。今回の事故報道されるかもしれないという。記事になるかどうかは報道機関次第とのことだが、我々に記事掲載を拒否する権利がないなら何故わざわざ連絡をよこすのかと気分が悪くなった。この程度の事故なら日本中で嫌というほど起こっているだろうに。違和感を覚えながらも匿名希望していることを強く伝えてもらうようお願いした。

事故の翌日、私は仕事に行き、妻は自分スケジュールを調整して面会時間中はずっと娘の傍に居た。私も仕事を早めに切り上げて娘の元に向かった。点滴による薬投与のせいか発熱のせいかは判らないが、娘はずっと調子が悪そうに寝ていた。人間とは強欲なもので、事故を知った時には生きてさえくれればと神に祈り、娘の声を聞いた時には障害さえ残らなければそれで良いと思い、担当医に完治の見通しについて説明された時には傷跡が残ってしまうことを呪い、完治には十分な時間必要と告げられた時には今後の予定が全て崩れてしまうことを嘆いた。ずっと我慢していた娘が、事故後に初めて泣いた。妻も私も泣いた。3日連続で涙を流すのはおそらく幼少の時以来になるのではないか

帰宅後、今回の事故新聞に載っていることを知った。加害者報道されるに値するだけの人物だったのだ。なるほど違和感を覚えたあの電話は、こうなることを予期しての予防線だったのか。とある新聞では「重症」と記され、その言葉で妻はことの重大さをもう一度噛みしめてしまい涙し、別の新聞Web記事では「骨折」と記され、その言葉の与える印象の軽さに私は怒りを覚えた。娘は今後何か月にも渡り貴重な時間不自由に過ごさなければならないのだろう。もし元通りに歩いたり走ったりできるようになっても、その傷跡が完全に消えることはないだろう。事故の瞬間を電話で聞いていた妻は、確実に寿命が縮まるほどの精神的なダメージを負ってしまっただろう。それ以外にも、私と妻が病院に通うだけの労力と、通院のための時間を使ってするはずだった経済的な活動、通院のために発生する周囲の人たちへの負担は、誰も補償してくれはしない。

あれから娘は順調に回復し、熱は下がり、点滴も外れ、食欲も出てきた。まだ入院中の娘の笑顔を見て、安心してしまっている自分がいる。過去事故加害者被害者になったこともあり、車を何度もぶつけたことのある私は、自分がいつか今回の加害者と同等の立場に立たされる可能性、自動車を運転することのリスクを見つめ直した。また、被害者という立場に立たされ、被害者しかからないこと、「被害」とはどういうものなのかを身をもって体験した。その一方、家族の大切さを嫌というほど再認識させられ、また周囲の人たちからの温かい支援を得られることが嬉しかった。本当に貴重な体験だった。だがそれを学ぶにはあまりに高い代償であり、娘が元気に走れるようになるまでは、まだまだ多くの時間が掛かり、その間にも様々なことがあるだろう。

様々な葛藤を整理し、記し、公開することで区切りをつけたかった。

以上、今日までの出来事と、今現在感じていることを記録しておく。「娘が入院している」という「非常」が、「日常」になりつつあることに恐怖しながら。

娘が事故に遭った。

先日、息子が私のパソコンYoutubeを見ていた。私の閲覧履歴から鉄拳の"振り子"の動画を見つけ、クリックした。私は数か月ぶりかにその動画を見て涙が溢れていたが、息子の眼差しディスプレイから逸らされることはなかった。息子に気付かれないように涙を拭った。私が涙を流したのは、数か月前にこの"振り子"の動画を初めて見た時以来だった。

その次の日、娘が交通事故に遭った。家に居た妻とケータイで話しながら横断歩道を歩いていた際に、車に接触されたらしい。電話の向こうで何が起こったのか解らない妻は、電話で娘の名前叫び続けた。現場事故を目の当たりにされた方が娘のケータイを拾い、妻に状況を報告してくれたのだが、加害者は動揺して娘を自分の車で病院まで連れて行こうとしたらしい。妻は混乱しながらも私に電話をし、娘が交通事故に遭ったこと、足を怪我したこと、加害者が連れ去ったことを伝えてきた。断片的な情報しか受け取っていない私は、まだ記憶に新しい楽天社員による事件を思い起こした。

私は仕事を投げ出し、急いで帰宅した。家に妻は居なかった。後で聞いた話によると、現場の近所の方が救急車を呼んでくれて、加害者に連れ去られることなく救急車に収容されたものの、救急隊員に保護者の同伴を求められ、更には収容先の病院がなく、救急車はなかなか出発しなかった。その間に妻が現場に到着し、家で待機していた私に電話をくれた。電話から聞こえる声は、妻ではなく娘だった。少し話をして電話を切った。娘のはっきりとした口調を耳にして安心したのも束の間、その後の妻からメッセージに「開放骨折」という言葉が入っていた。妻はそれが意味するところを全く知らなかったようだが、私はそれがどういう状態なのかをある程度理解し、娘は元通りには歩けなくなるかもしれないと覚悟した。

収容先の病院で妻と二人、担当医に娘の状況を説明される。いくつかの幸運が重なり、私が勝手想像していた最悪のシナリオは否定された。しかし、最悪死に至るような合併症などのリスクゼロではなく、まずは緊急手術をする事に同意を求められた。選択肢はない。ひとりの人間としてはまだ幼すぎる娘だが、事故からここに至るまで涙を見せることはなく、救急車の中で妻に会い、最初に発した言葉は「ごめんなさい」だった。2時間に及ぶ手術も無事に乗り越えた。ここまで本当によく頑張ったと思う。術後、ベッドに眠る娘を見て、私はようやく人心地付いた。気が弛み、涙した。私が2日連続で涙を流すことなんて、何年ぶりだろうか。

話は少し前に戻って収容先の病院に車で向かう途中、一台の救急車に追い抜かれた。病院救急医療センターには断続的に患者が訪れてくる。あるいは救急車で運び込まれてくる。事件なのか事故なのかパトカー警察官も来る。うちの家族に起きた災難と同じようなことが日常的に起こっていることを痛感した。手術が終わるのを待つ間に、警察署から加害者が直接お詫びしたいと待っているという連絡があったが、会ってもこちらには何のメリットもないどころか自分の中で悪い感情が大きくなることが容易に想像できたため、面会を拒否した。この連絡で加害者には直接我々に会って謝罪する意志があり、まともな人間であることがわかったが、我々から見ればまともな人間などではなく、過失で娘を殺しかけたヒトゴロシのなり損ないに過ぎない。罵倒しようが殴り倒そうが娘の傷が癒えるわけではないし、やりどころのない気持ちを加害者に向けても何も解決しない。その一方、謝罪する機会を加害者に与えることすら拒否したいと考えていることも事実だった。

帰宅途中に警察署から再び電話があった。今回の事故報道されるかもしれないという。記事になるかどうかは報道機関次第とのことだが、我々に記事掲載を拒否する権利がないなら何故わざわざ連絡をよこすのかと気分が悪くなった。この程度の事故なら日本中で嫌というほど起こっているだろうに。違和感を覚えながらも匿名希望していることを強く伝えてもらうようお願いした。

事故の翌日、私は仕事に行き、妻は自分スケジュールを調整して面会時間中はずっと娘の傍に居た。私も仕事を早めに切り上げて娘の元に向かった。点滴による薬投与のせいか発熱のせいかは判らないが、娘はずっと調子が悪そうに寝ていた。人間とは強欲なもので、事故を知った時には生きてさえくれればと神に祈り、娘の声を聞いた時には障害さえ残らなければそれで良いと思い、担当医に完治の見通しについて説明された時には傷跡が残ってしまうことを呪い、完治には十分な時間必要と告げられた時には今後の予定が全て崩れてしまうことを嘆いた。ずっと我慢していた娘が、事故後に初めて泣いた。妻も私も泣いた。3日連続で涙を流すのはおそらく幼少の時以来になるのではないか

帰宅後、今回の事故新聞に載っていることを知った。加害者報道されるに値するだけの人物だったのだ。なるほど違和感を覚えたあの電話は、こうなることを予期しての予防線だったのか。とある新聞では「重症」と記され、その言葉で妻はことの重大さをもう一度噛みしめてしまい涙し、別の新聞Web記事では「骨折」と記され、その言葉の与える印象の軽さに私は怒りを覚えた。娘は今後何か月にも渡り貴重な時間不自由に過ごさなければならないのだろう。もし元通りに歩いたり走ったりできるようになっても、その傷跡が完全に消えることはないだろう。事故の瞬間を電話で聞いていた妻は、確実に寿命が縮まるほどの精神的なダメージを負ってしまっただろう。それ以外にも、私と妻が病院に通うだけの労力と、通院のための時間を使ってするはずだった経済的な活動、通院のために発生する周囲の人たちへの負担は、誰も補償してくれはしない。

あれから娘は順調に回復し、熱は下がり、点滴も外れ、食欲も出てきた。まだ入院中の娘の笑顔を見て、安心してしまっている自分がいる。過去事故加害者被害者になったこともあり、車を何度もぶつけたことのある私は、自分がいつか今回の加害者と同等の立場に立たされる可能性、自動車を運転することのリスクを見つめ直した。また、被害者という立場に立たされ、被害者しかからないこと、「被害」とはどういうものなのかを身をもって体験した。その一方、家族の大切さを嫌というほど再認識させられ、また周囲の人たちからの温かい支援を得られることが嬉しかった。本当に貴重な体験だった。だがそれを学ぶにはあまりに高い代償であり、娘が元気に走れるようになるまでは、まだまだ多くの時間が掛かり、その間にも様々なことがあるだろう。

様々な葛藤を整理し、記し、公開することで区切りをつけたかった。

以上、今日までの出来事と、今現在感じていることを記録しておく。「娘が入院している」という「非常」が、「日常」になりつつあることに恐怖しながら。

2008-12-28

[]

数年前に交通事故にあって足を開放骨折して未だに松葉杖生活な訳だがたまに骨折した理由を訊かれる。

昨日訊かれたときに

悪魔を召喚した際に、悪魔の召喚にも使用し束縛するのにも効果を発揮する魔方陣を一部書き損じて悪魔を完全に束縛することが出来ず悪魔に攻撃されてこうなった

という厨二病的な物を思いついた。

2008-07-31

http://anond.hatelabo.jp/20080731212452

>喋れない 吃音

話したいことがいえるまで待ってやるよ

>足を開放骨折して運動が出来ない。

運動する必要あるのか

>暗いところは夜盲で見えないし、明るすぎても見えない。

なんか知らんが治せ

治らんのならサングラスでもして調整しろ

>外見 キモオタデブのブス

そりゃ恋人には困るが愛嬌よけりゃ友達ぐらいはできるだろ

お前を侮蔑する奴はそもそも友達になれない人種なのだから相手にするな

つうかリア充なんか本当になりたいのか?そんなもんに。

自分がリア充になれない理由が分かった。あたりまえのことが出来ないんだ。

  • 喋れない
    • 喋れないっつーか吃音?これがもう致命的。自分の言いたいことがいえない。
  • 運動が出来ない
  • 見えない
    • 暗いところは夜盲で見えないし、明るすぎても見えない。
  • 外見

あれ?

俺生きる意味なくね?

       ||
     ∧||∧
    ( / ⌒ヽ
     | |   |
     ∪ / ノ
      | ||
      ∪∪
       :
      -====-
 
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん