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2013-12-08

1998年と、2010年と、2013年ピーター・アーツ

思い出したり、話そうとするだけで当時の感情が甦るもの、というのは誰しもあると思うのだけど、私のそういうものの1つに「2010年ピーター・アーツ」がある。

アーツは、K-1最初から参戦して、94年、95年、98年と3度世界一になったキックボクサーだ。

なかでも98年のK-1GP、3試合連続ハイキックでの1ラウンドKOは「20世紀最強の暴君」という二つ名に相応しい圧勝劇だった。

アーツは70年生まれだから、その頃はちょうど20代半ば。全盛期、ということになるんだろう。

そして当時中学生だった僕は、周りの男の子と同じように、その眩い存在感に憧憬の眼差しを向けていた。

空手出身選手たちの華麗なそれとは違う、あの、大木を力づくでなぎ倒すようなハイキックは、中学生に「ああ、この人が世界一強いんだ」と思わせるには十分な説得力を持っていた。

そんな絶対的な力を誇ったアーツも翌年以降は優勝から遠ざかり、2000年代以降は若い選手の台頭もあって徐々にその存在感は薄れていく。

格闘技も一時の隆盛は終わり、年末に誰もが見る、という状況はあっという間になくなっていった。

そして2010年アーツ40歳だった。彼はまだリングに立っていた。

試合前のPVでも40歳誕生日ケーキを頬張る場面とともに「もう若い頃のようにはトレーニングできないよ」と話すシーンが流れるような、

優勝を争うファイターというよりは、完全な「往年のスター」扱い。

それでもファン投票で席を与えられたベスト16からなんとか勝ち上がり、準決勝にまで駒を進めていた。

準決勝の相手は、セーム・シュルト

212cmの長身から打ち下ろす角度のある攻撃を武器に、05年、06年、07年、09年と世界一になったディフェンディングチャンピオン

05年の参戦以来、K-1GPでは一度も負けたことがないという無敵の絶対王者

試合前の正直な思いは「どちらが勝つか」というものではなく「アーツはどこまでシュルトに抗えるか」というぐらいのものだったと思う。

「なんとか最後まで立っていて欲しい」とも思っていたような気がする。

それほどシュルトは強かったし、アーツの全盛期は既に過ぎ去ってかなりの時間が経過していた。

試合が始まっても、やっぱり展開は一方的だった。

アーツも192cmと大きい方だが、それでも212cmのシュルトとの身長差は20cmある。

全ての攻撃が上から非情に降り注ぎ、アーツの攻撃は腕や肩に阻まれてうまく当たらない。

何度もふらつき、目の上から流血しながら、それでもアーツは懸命に前に出続けた。

アーツの突進をいなしながら、シュルトは笑っているように見えた。

「そんなものかい?」

とでも言いたげな表情は完全に余裕で、あまりにも憎らしく、そして試合行方についての見通しはどこまでも絶望的だった。

一方的だった試合の流れが変わったのは、2Rの終盤。

本来は端正なフォームアーツが、のめるように、のしかかるようにして放つ、やぶれかぶれと紙一重の攻撃が何度かシュルトを捉え始めていた。

それでも、インターバルでコーナーに帰ってきたアーツは全身がボロボロで、シュルトの顔には傷一つなかった。

映像を見返すとシュルトの表情には明らかな困惑の色が浮かんでいるのだけど、当時はその時点でもまだまったくアーツの勝利を信じることができずにいた。

「できれば最後までこのまま行って欲しいけど、さすがにそれは難しいんじゃないか

3Rが始まるとき、僕はきっとそう思っていた。

でも最後のラウンドが始まると、リング上の景色は一変していた。

アーツの鬼気迫る攻撃に押され、シュルトクリンチに逃げることしかできない。

振り回すように放つアーツのパンチが顔を捉え、キックは脇腹にめり込んだ。

有効ダメージは通っていない。それでも、シュルトは完全に気圧されていた。

防戦一方のでシュルト消極的姿勢で減点が与えられた後もアーツの攻勢は止まず、そのまま3分間が過ぎた。

僕は「倒してくれ」と願うよりも「反撃しないでくれ」と祈っていたような気がする。

そして終了のゴングが鳴った瞬間、アーツは勝利を確信して両手を突き上げた。

目の上から流れる血をタオルで押さえるアーツと、無傷のシュルト

それでもどちらが勝者かは、2人の表情が何よりも雄弁に物語っていた。

2-0の判定で勝利したアーツの、控え室へ戻る足取りは、全てを使い果たし歩くのも精一杯なほどに重たく見えた。

その後行われた決勝戦は、1RでKO負け。

見ているはずだけど、その試合記憶は全くない。

覚えているのは、巨大な、絶対的な強さを誇るチャンピオンを、40歳アーツが圧倒していたあの数分間だけだ。

僕は今でもこの光景を思い出すたびに涙が出そうになるし、あの瞬間のアーツ世界一格好よかったと思っている。

12月21日に、そのアーツ引退する。

最後の相手はアーツが初めて世界一になった時と同じ、24歳の若者。去年のヘビー級トーナメントチャンピオンだ。

この試合が、どんな試合になるのかはわからない。

でも僕は1998年と、2010年と、そして2013年ピーター・アーツを見られたことを幸せに思うし、あの、勇気に溢れた数分間を忘れることは絶対にないんだろうと、今はそんな風に思っている。

 
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