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2024-06-02

映画 ジュラシック・ワールド 新たなる支配

新旧メンバーが勢ぞろいして送る超豪華映画

んーしかし、二つのシナリオが同時進行することでとっちらかって、人間ドラマの量が増える。

因縁があるような恐竜も出ず、先々でイベントのようなアクションシーンにいろんな恐竜が添えられる。流石にCGはよくバイクや車とのチェイスシーンは好きでしたよ。その前の人の飛び降りとか視界外の移動に超反応で別ルートから追走するのは嫌い。

合流したらご丁寧に全員の正面が映る画を作り、ノルマのように順繰りに危機に陥るのは正しく失笑した。いい感じにオールスターでございと出来ている。

メイン目標遺伝子操作されたイナゴを何とかしろというぼんやりとしたミッションとなっており、ここでも恐竜は添え物。メインディッシュではないのが悲しい。イナゴには恐竜DNA研究結果が反映されてる?だからなに?

OPを除けばゆったりと恐竜を眺めることもなく生態を利用するでもなく。危険装置として働いている。そういえばほぼ銃を持った敵が出なかったのでそういう一般的な敵の代替程度の扱いだろう。

恐竜仕草・恐さについても鼻先だけ映して匂いを嗅いだりうなり声を出したりのオマージュが多用され辟易とする。お前らそれしかできんのかい。その場面に持っていくために視覚聴覚嗅覚ガバガバ恐竜が出来上がり2020年代にもなって行動が生き物らしくない恐竜を見せられる。見た目はリアルになる一方でこんな生き物にされて恐竜ファンは嬉しいのか?ケツァルコアトルスとかもノルマ的にいるだけ参戦だしよぉ。飛行機襲って破壊するとかぶっとんだ舞台装置だよ。

  

 

キャストについてもポリコレが鼻を突く。

とにかく白人ばかりになってしまった主要メンバーたちを助ける善人はバランスを取るためにか黒人である

内部の裏切り者博士たちを助けるのは黒人

潜入捜査中で旧友を助ける捜査官も黒人

密輸上等常習犯なのに女の子の受け渡しを見て良心が疼き母親のために危険飛行機も投げ打って行動を共にする女性黒人。一緒に密輸した恐竜の子供に思うところはないのか?コイツはなぜかそこそこ恐竜知識がありながら恐竜への思いいれや因縁などはなにもない。人身売買に関与したのが初めてなの?加入までの流れは非常に人間至上主義的で、ご都合主義にしても「恐竜がいる世界」もなにもかも活かせていない真っ黒のクソの塊。

中国系科学者良心の呵責に耐え切れず改心し主人公たちに協力する。

義務のように各場面によい黒人を帯同させてるのはうんざり。全体のバランスをとるにはコレぐらい必要かもしれないが、新味方キャラという視点では固まりすぎている。せめてこんな長期シリーズ決算でやるなよな。

 

  

 

じゃあ面白くなかったのか?と聞かれると、悔しいかなそこそこ面白かった。映像のよさは七難隠すし、なによりやはり人間キャラクターがよい。昔のキャラちゃんと活きていて懐かしさを覚えるし若々しいキャラ若いなりのアクション含めまた見れるのは嬉しい。

とかく同窓会としてよく出来ている。

その分なおさら強調されるのは恐竜映画としてどうなのよ?という点。ダメダメだよね。

たまにNHKが輸入して流してる恐竜CG番組の方が満足感はあるかな

2020-10-02

https://orangestar.hatenadiary.jp/entry/2020/10/01/222627

まあ書かれているイライラポイントにはほとんど納得するんだけれども、

ドラえもんが「科学的には正しい部分を提供する」漫画だったことなんて全然なくて

タイムパラドックスめちゃくちゃ起こすし

物質組成性質はめちゃくちゃ変えるし

生物をすぐにめちゃくちゃ進化退化させるし

なんなら非生物生物しまくるし

イヌの国は作るし

科学的にやっちゃいけないこといっぱいやってるんだけど、

ドラえもん(をはじめとする藤子Fまんが)の素晴らしいところは

SFを身近に引き寄せる能力

宇宙スケール分子スケールを六畳間に持ってくるところだと思う。

それは、登場するのが魔法じゃなくて未来の道具(キテレツなら過去発明

からというのもあるだろうけど、単に現実にないものをポンと出すんじゃなくて

現実世界科学法則を少し変えたらどうなる?日常にどんな変化が起きる?という感じで

科学というフックでお話舞台を作るのがべらぼうにうまい

その舞台に乗っかったら、主にのび太やジャイアン調子に乗って舞台をめちゃくちゃにして

ドラえもんが呆れるのが定番オチ

そういう意味では、「科学的には正しい部分を提供する」どころか

科学的な正しさをぶっ壊す」のがドラえもん面白さであって、

恐竜進化して空を飛んで現在の鳥になった」のような「ただの正しい科学」は

ドラえもんお話の1ページ目、出木杉くんがしゃべって終わる程度のネタしかないはずで

それを映画ドラえもんストーリーの根幹に持ってきちゃう企画自体

もう致命的にズレていたんじゃなかろうか。

ちなみに書かれている通りだとするとキューは生まれときから普通には飛べず

羽ばたきをしようとしていたという点で突然変異した種のようだから

努力で羽ばたきを獲得した」ように受け取るのは作劇手法に騙されてるように思う。

そういう努力至上的な作劇をするなという点には同意する。

あと「今までのドラえもんでは、そういうラスボスっていうのはいなくって」ってのも違くて、

ドラえもんの、特に映画原作には、ドラえもんの道具が創り出す日常が非日常になる舞台

わかりやす悪党が出てきてわかりやすく倒されるわかりやす勧善懲悪ストーリーがあって

最後にその舞台と、出会った友だちにお別れをして日常に戻るというのがドラえもん映画お約束

から本来今回のお話なら、ケツァルコアトルスは時空犯罪者恐竜ハンターに操られていて

そいつらをぶっ倒して気持ちよく現代に帰るはずだと思うんだけども、

それじゃ「のび太の恐竜」と同じやんけっていうのとは別で

ドラえもんの、というか昭和時代創作物現代で作るときに難しいのが

ドストレートな勧善懲悪が作りにくくなってしまったという点で、

悪人にも悪人なりの矜持とかバックグラウンドみたいなもの要求されてしまって

享楽的に悪を成す畜生みたいなのを出せなくなってきた

からケツァルコアトルス感情のないロボットのような、

なんか敵対してくる怪異のような、現象のような扱いにされてしまったんじゃないかな。

いやまあ映画見てないんだけど。

 
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