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2020-10-02

https://orangestar.hatenadiary.jp/entry/2020/10/01/222627

まあ書かれているイライラポイントにはほとんど納得するんだけれども、

ドラえもんが「科学的には正しい部分を提供する」漫画だったことなんて全然なくて

タイムパラドックスめちゃくちゃ起こすし

物質組成性質はめちゃくちゃ変えるし

生物をすぐにめちゃくちゃ進化退化させるし

なんなら非生物生物しまくるし

イヌの国は作るし

科学的にやっちゃいけないこといっぱいやってるんだけど、

ドラえもん(をはじめとする藤子Fまんが)の素晴らしいところは

SFを身近に引き寄せる能力

宇宙スケール分子スケールを六畳間に持ってくるところだと思う。

それは、登場するのが魔法じゃなくて未来の道具(キテレツなら過去発明

からというのもあるだろうけど、単に現実にないものをポンと出すんじゃなくて

現実世界科学法則を少し変えたらどうなる?日常にどんな変化が起きる?という感じで

科学というフックでお話舞台を作るのがべらぼうにうまい

その舞台に乗っかったら、主にのび太やジャイアン調子に乗って舞台をめちゃくちゃにして

ドラえもんが呆れるのが定番オチ

そういう意味では、「科学的には正しい部分を提供する」どころか

科学的な正しさをぶっ壊す」のがドラえもん面白さであって、

恐竜進化して空を飛んで現在の鳥になった」のような「ただの正しい科学」は

ドラえもんお話の1ページ目、出木杉くんがしゃべって終わる程度のネタしかないはずで

それを映画ドラえもんストーリーの根幹に持ってきちゃう企画自体

もう致命的にズレていたんじゃなかろうか。

ちなみに書かれている通りだとするとキューは生まれときから普通には飛べず

羽ばたきをしようとしていたという点で突然変異した種のようだから

努力で羽ばたきを獲得した」ように受け取るのは作劇手法に騙されてるように思う。

そういう努力至上的な作劇をするなという点には同意する。

あと「今までのドラえもんでは、そういうラスボスっていうのはいなくって」ってのも違くて、

ドラえもんの、特に映画原作には、ドラえもんの道具が創り出す日常が非日常になる舞台

わかりやす悪党が出てきてわかりやすく倒されるわかりやす勧善懲悪ストーリーがあって

最後にその舞台と、出会った友だちにお別れをして日常に戻るというのがドラえもん映画お約束

から本来今回のお話なら、ケツァルコアトルスは時空犯罪者恐竜ハンターに操られていて

そいつらをぶっ倒して気持ちよく現代に帰るはずだと思うんだけども、

それじゃ「のび太の恐竜」と同じやんけっていうのとは別で

ドラえもんの、というか昭和時代創作物現代で作るときに難しいのが

ドストレートな勧善懲悪が作りにくくなってしまったという点で、

悪人にも悪人なりの矜持とかバックグラウンドみたいなもの要求されてしまって

享楽的に悪を成す畜生みたいなのを出せなくなってきた

からケツァルコアトルス感情のないロボットのような、

なんか敵対してくる怪異のような、現象のような扱いにされてしまったんじゃないかな。

いやまあ映画見てないんだけど。

 
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