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2021-12-27

コンサート感想

ブログとか沢山文章を書ける場所を持っていないので持て余した感情を解き放ってすっきりしたい。

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25日クリスマス土曜日M-Line Special Make a Wishというコンサートに行ってきた。

M-Lineアップフロント所属する主にハロープロジェクトOGメンバーを中心とした歌手活動を行うアーティストたちの総称というかファンクラブ名称

私の参加した25日には元モーニング娘。道重さゆみ、元Berryz工房夏焼雅、元Juice=juice宮本佳林、元つばきファクトリー小片リサが出演。

上記以外にも元℃-ute鈴木愛理元モーニング娘。高橋愛田中れいなが出演したり現役ハロプロメンバーゲスト出演することもある。

ハロプロ同様ほぼ毎週末全国のどこかでコンサートをしていてセットリスト出演者結構毎回変わるらしい(下調べせずに行ったのでこの辺は曖昧です)

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もともとハロプロ好きではあるがそこまで熱心にOGは追ってなかったものの、昨年juice=juice卒業した宮本佳林ソロデビュー曲として収録されている「氷点下」がとても素晴らしくてどうしても生で聞いてみたくて参加した。

https://www.youtube.com/watch?v=ejeKV4zq0EI

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結果としてセットリストには「氷点下」は入らなかった。残念。

しかクリスマスということでハロプロソングの中からクリスマスソングをチョイスしていたり、今日だけの特別セットリストを聞けたのは嬉しかった。

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道重さゆみパフォーマンスを生で見るのは何年ぶりというくらい久しぶりだったのだが相変わらず彼女の放つ「かわいい」は強い。

道重さゆみが思う道重さゆみ最上級な「かわいい」を声、歌、ダンス、表情、ポージングすべてから感じて、ブレのなさ、セルフプロデュース力に改めて感服した。

卒業して何年も経つのに今でも道重Tシャツを着てコンサートに足を運ぶ彼女ファンの皆さんの気持ち共感する。

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今回の道重さゆみ夏焼雅宮本佳林小片リサという4人のメンバーの中で名も顔も一番知られているのは道重さゆみだろうが、

おそらくM-Lineの中心、エースというかセンター、顔とも言えるポジションになるのは今年ソロデビューしたばかりの宮本佳林(と、この日はいなかったが鈴木愛理

歌もダンスも申し分ない実力のある夏焼雅といるだけで存在感抜群な道重さゆみはむしろ宮本佳林小片リサを支えながらリードもする頼もしい先輩という立ち位置のような気がしていた。

(もちろん個人の感想ですし二人がこのコンサートの脇役という意味ではない。全員どう見たって主役だった)

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この4人の中で、小片リサつばきファクトリーを諸事情活動休止、脱退、そしてソロとして再デビューという少々後ろ暗い経歴があり、

なおかつM-Lineの中では活動歴が最も浅い後輩メンバーという微妙立ち位置

表向きはカバーアルバムを発表して、イベントではつばきファクトリー和解する機会も設けられ新たなスタートを切っているものの、

自分つばきファクトリーでは小片リサが好きだったこともあり、大丈夫かな、と不安で複雑な思いを抱えていた。

脱退の理由となっているものが他メンバーにも少なからず関わる内容でもあるため加護ちゃん喫煙騒動のように個人問題として自虐昇華してしまうのも難しく(自虐にできるほど時間も経ってないし)

その経歴ごと小片リサが腫れ物扱いになってしまわないか不安だった。

最初に復帰したM-Lineコンサートで暖かく迎え入れられていたというをレポを見聞きしていてもやっぱり不安なわけです。

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しかし行ってみればM-Lineではソロアーティストjuice=juiceの元センターで売出し中の宮本佳林が自ら喜んでトナカイの被り物をしたり汚れ役と言うかピエロ道化?を演じに行ってしまい、

その調子のまま小片リサ道重さゆみにも絡みにいき、道重さゆみには絡みにくいと困惑される状態。(とてもおもしろかった)

仮にこの被り物や道重さゆみという大先輩にグイグイいくような役回り小片リサがしているとその経歴と元の彼女の真面目な性格から罰ゲーム感」が出てしまもの

M-Lineの輪の中心にいる宮本佳林が自ら引き受けてそこに小片リサを巻き込んでMCをしたり、SNSでも彼女との交流を重ねている様子をアピールしてくれているのは

小片リサが新たなスタートを切るにあたってとてつもなく温かい支援だと感じた。孤立させず、かと言って罰ゲーム空気も出さず、すごくうまいやり方でM-Lineに溶け込ませている。

宮本佳林本心はわからないけどサポートのつもりでやっていると言うよりは恐らく心から楽しんで小片リサ交流を重ねているものと思う。

ファンの一人として本当にありがとうという気持ちでいっぱい。

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そして今回目的であった宮本佳林の「氷点下」は聞けなかったもの小片リサデビューカバーアルバムに収録されている「真夜中のドア〜stay with me」が本当に素晴らしかった。

https://www.youtube.com/watch?v=LpFTzsG23Pw

You Tube撮影時は前髪を切りたてだったらしい)

クリスマス失恋ソングかいな、と思ったがとくに最近失恋したわけでもないのに胸に響いて涙が出そうになり気づけば前のめりになって聞いていた。

ステージで毎週末歌い続けることで既出動画音源よりも完成度を高めてきたのだと思う。本当にこの曲を聞くことができてよかったと思う。

来年M-Lineコンサートは続き、ゲストを迎えながらのソロライブもする予定らしいのでより多くの人の耳に小片リサの生歌での「真夜中のドア」が届いてほしい。

パフォーマンスに関しては先述の道重さゆみが「かわいい」に全振りしているわけだけど、小片リサ場合は本当に彼女の真面目さというのをとても感じる。

ものすごく可愛いとか大胆でダイナミックだとかそうした派手さやわかやすい特徴はないかもしれないが曲に対して真摯で丁寧。

そうだ、つばきファクトリー時代から彼女パフォーマンスのこうした真面目な部分が愛おしくて惹かれたんだったな、と思い出させてくれた。

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コンサート最後に歌われたのは「HAPPY作戦(モーニング娘。)だった。

この曲を歌う前のMC道重さゆみ

今日ここに集まっている人たちはみな違う個性を持っていて、まったく生まれたところも住んでるところ全然違って…あ、一部同じ服(道重T)の人もいるけど(笑)、それでも今日この日はここでこのコンサートに来たいと思って集まってくれたそのことが、そしてここにいるみんなが愛おしい(意訳)」と言ってくれてジーンと染み渡った。

このMCはおそらく「HAPPY作戦」の2番の歌詞『君も 私も あの子も違うんが個性なんだよ』というところに引っ掛けて話してくれたのだと思う。

そうした部分にも道重さゆみらしさを感じて、きっと道重さゆみファンはまた彼女の虜になるんだろうなあと感服。

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そしてこの「HAPPY作戦」の歌詞は、目の前にある仕事勉強もなんだって全力で頑張るんだ、手は抜かない、そんでみんなで最高の未来をつくろうよ、なんて綺麗事とも取れるが

日々仕事や色々な面倒事、聞くに堪えないニュースを見聞きしている生活の中でふとこういう曲を聞くと、「あぁそうだな頑張らなくちゃな」と思えてしまもの

そしてこの曲は少し前にも一部でツイッター話題に上がっていた。

秋元康HKT48というグループに書いた「アインシュタインよりディアナ・アグロン」という曲が簡単に言うと「女の子バカでいい」とでも言っているようで女性蔑視的だと批判されたのだが、

(見てみるとびっくりするほど薄っぺら歌詞なのでさすがにプロデューサーとしてこれを自分とこのアイドルに歌わせようと思ってしまうのどうなんだろうと思ってしまう)

それに対して恵泉女学園大学ではそれならばどういった歌詞なら良かっただろうか?という授業を行い替え歌が作られたという。

https://www.keisen.ac.jp/blog/president/2016/05/post-4.html

そしてその替え歌歌詞モーニング娘。の「HAPPY作戦」的な世界観だとして一部で話題になっていた。

HKTの曲が話題に上がった(炎上した?)のは2016年頃のようだが自分がこれについてのツイートを知ったのは先月かそこらのことだった。たまたまRTで見た。

改めて聞いて、そうだ頑張らなくちゃな、学生の頃なんかはこうした歌詞を見ても斜に構えて綺麗事言っちゃってさ、と思っていたけど結局歳を重ねていくと色んなことに真摯に立ち向かって頑張っていかなきゃいけないんだと思わざるを得ないことが多くてこうした曲に立ち戻って勇気づけられてしまうんだなと思う。

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さて、まだ明日仕事だけれど仕事納めでもある。

そんな明日も頑張って上司とやりあって最高の2022年を迎えるんだって気持ちになった。

今年の最後に良いコンサートに行けた。

この気持ち文章にできてよかった。

おやすみなさい。

2021-12-26

死ぬのを延期し続けていたら結婚してた

 今年のうちには死のうと思っていたのだが、あれよという間に結婚していた。妻と出会ったのはほんの半年前のことだ。

 そうして2021年ももう終わりに近付いてきたところで、希死念慮もとりあえず脇においておけるレベルになっていることに気付いた。

 経緯をはてぶにでも簡単に書き残しておくことで、誰か必要な人に届けば良いと思う。

 

 私はかなり重度の希死念慮の持ち主だ。

 元来、基本的に薄っすら死にたい気持ちを抱えて暮らしてきた。健常の人には中々理解されないことだが、「生きているだけで苦痛なのだ

 学生時代挫折連続でそれはそれなりに辛いこともあったけれど、普通サラリーマンとなり受験就活といった目下の目標を見失った後は気を紛らわすようなものもさして見当たらず、ずっと「一体、何のために生きているんだろうか?」という気持ちに苛まれてきた。

 私には、生きるのに理由必要だった。

 趣味でも、仕事でも、誰か大事な人の為に生きなければいけないでも、何でもいい。生きる苦痛を贖うだけの理由必要だった。

 そして特に趣味はない。そういうものを探す努力もしてみたが、見つからなかった。元々無能社会不適合なので、立身出世を夢見て仕事にまい進することも出来なかった。婚活をしてみたけれど、お恥ずかしいことに誰にも愛されることは無かった。

 

 誰にも求められず、自分さえ何のために生きているかからないまま東京で過ごす日々は着実に心を擦り減らしていった。

 婚活出会う女に金を遣っているうちに貯金の残高もなくなり、やはり自分のように価値のない人間が愛されるにはカネが必要なのだと思った。そして、はやりの言葉でいえばFIREをしたいと熱望するようになった。

 リスキー投機を繰り返し、あっという間に2千万円という多額の債務を抱えてクビが回らなくなった。

 首を吊った。失敗した。縄が切れたからだ。次はもっと丈夫な縄でやろうと誓った。

 いずれにしても、「実行できた」。希死念慮を持つ者の中でも、思い描くことと実行することには大きな隔たりがある。「オレは本当にいつでも死ぬことの出来る人間なんだ!」という思いを確かにし、ずいぶん勇気づけられた私は、破産手続きをすることにした。

 法テラスに連絡して弁護士破産手続きを進め、裁判所から「お前の破産を認める」という通知が来たのは2019年も半ばに差し掛かった頃で、私は30歳になっていた。

 「破産」という言葉の強さに、「これが不幸の底だったら良いな」と少し楽観的に思っていた私だったが、そこから坂道を転がり落ちるように不幸が立て続けに起こった。

 

 職場上司暴力を振るわれ警察沙汰になったり、身内が亡くなったり、別の身内がニュースになるような事件当事者になったり、海外で車にひかれ、その勢いでインフルエンザに罹り入院したりした。短い期間に事故って負傷したり損害を負ったことも一度や二度ではない。

 もちろん仕事がうまく行くようなことはないし、婚活をしたって破産者で更に未だ債務のある人間を愛する異性なんているはずもなかった。

 そうして鬱々としているうちに、そういう態度に愛想の尽きた友人たちの多くは私の下を去り、余計に孤独を深くした。

 もう何をやってもこの人生は上手く行かないと悟り、いい加減に死んだ方が良いと思った私は、前回の失敗を活かしAmazonで丈夫な大型犬用のリードを購入した。

 

 そんな折、婚活仲間として意気投合し、一緒に遊んでいるうちに希死念慮を打ち明け合うようになり親しく付き合っていた友人から連絡が来た。私の数少ない、大事親友だ。

 それは、「一緒に死のう」という申し出だった。「さもなければ一人で死ぬ」という話だった。

 

 結局、思うところあった私はその申し出を断った。その代わり、友人の自死を看取ることを約束した。

 看取る。つまり友人が自死に失敗したときには、私が殺すということだ。

 私も自殺をしくじった人間だ。自殺の恐ろしいところは、死それ自体ではない。失敗して、欠損した心身で生き残ってしまうことだ。

 少しでも苦しまずにいけるよう、寄り添っていたいと思った。何があっても味方でいると誓った友人が君にはいて、クソみたいな人生だったかもしれないが、孤独ではなかったと思っていて欲しかった。

 

 そして友人は死んだ。ホテルの一室で首を括った。傍らには私がいた。

 私は、服役することを覚悟していた。調べる限りにおいて、類似事件はみんな実刑になっていたからだ。

 しかしそうはならなかった。友人が書き残した遺書に、しきりに私のことを庇うような言葉が書かれていたからだ。遺書は、私に書かされたものではないことを示すために、自宅に届いた携帯料金の請求書の裏に書かれていた。

 そして遺書には、友人の大事な人に私がメッセージを届ける役目を託すという旨が書かれていた。

 

 警察から解放された私は、確固たる希死念慮を携えて、友人に託された遺書に書かれた内容を遂げていった。遺族や友人に会い、顛末を伝えた。

 会うのを拒んだ人もいたし、友人の死で心が落ち着くのに時間を要した人もいたが、おおよそ「これ以上はもうできないな」というところまで遂げるのに、半年以上の月日を要した。

 

 昨年2020年年末私自身、満足していた。

 私は友人にとって特別存在になることができた。それだけでもう、苦しんで生きた甲斐があったというものだ。そしてもう私の生きる意味も役目を遂げた。

 ここから先にあるのは、更に苦しく孤独未来しかないと思った。私自身の心ももう、本当に限界を迎えていた。

 

 もういつ死んでもいいと思っていたが、最後にせめてやり残したことを全て終えてからにしようと思った。

 

 早々に死ぬのなら、もう働く必要はない。

 職場から逃げ出し、仕事を放り出した私は、ブログにこれまでのことの経緯を書き残した。ずっと書きたいと思っていた小説も書き上げた。それはほとんど誰にも読まれることはなかったけれど、別にそれで良かった。

 そしてバイクを買って、旅に出た。行きたかった場所を見尽くし、この国の何処を探しても希望の無いことを確認して、そして、友人と同じホテルの一室で、ドアノブに首をかけて一人で死のうと思った。

 

 不幸中の幸いなことに、破産してから特に散財していなかったお陰で手元にはいくばくかのカネが貯まっていた。コロナ禍のお陰でホテルも安かった。

 東京から一旦新潟に出て、冬の日本海を南下し、九州を一周し沖縄へ行った。東北を抜け、北海道反時計回りに一周し、小樽フェリーに乗って新潟に戻り、東京へ帰って来た。

 大雨の日も雪の日も、風の日も氷点下の日も、宿が見付からない日もあった。凍った道も崩壊した険道も通ってきた。スリップして転ぶことも凍傷で手足が紫に腫れる日も、腱鞘炎や捻挫で痛みに堪えて走った日もあった。だが、東京で死んだように生きるよりずっとマシだった。とにかく前に進み、少しでも多くの景色を見て、希望が無いことを確認しようとした。

 そうして全ての都道府県を見て回り、日本を一周し終わったのは、今年2021年の春頃だ。

 数か月にわたる旅の間、SNSにその模様を呟いていると、当地に住むフォロワーの人たちが声をかけてくれて物資提供してくれたり、ご飯を奢ってくれたり、宿をとってくれたりした。

 

 本当に有難いことだったが、それでも今後に希望を見出すようなことは無かった。

 多くの人は「生きて欲しい」と言ってくれたけれど、だからといって彼らが私の人生責任を負うこともなければ、依然として私は孤独だった。

 私は罪を背負っていて、債務があって、仕事はない。

 日本中を探し回っても希望が落ちていなかったように、今後そういう類のものが現れることは無いだろう。それを確認し尽くした、と思った。

 旅の間見たどんな絶景も私の心を埋めることはなかった。景色は、しょせん景色しかなかった。

 

 旅が終わって数日もしないある日、近所に住んでいるというフォロワーの方から連絡をもらい、会うことにした。

 私は彼女のことを何度も見たことがあった。ひときわ美しく、人前に立つ仕事をしている人だった。

 彼女は、「あなたファンです」と言った。ブログも、Twitterも、配信も、全部追っていて、そして旅が終わる頃になって、私の生活を追えなくなるのがイヤになってしまったらしい。そして彼女は、「私は、あなた人生責任を負う覚悟があります」と言った。

 だが、私はブサイク陰キャコミュ障無職借金破産非モテ希死念慮役満人間である彼女のような聡明で美しい女が、私のことを好きになるはずはない。分かり切っていた。

 しかしまあ、騙されても奪わるもののない私は、彼女の言うがままデートを重ねた。そうして数か月経った頃、気付いたときには結婚し、主夫になっていた。

 

 だからといって希死念慮がすぐに消えるわけもなく、「自分はきっとこれからも生きていけるのだろう。妻と一緒なら乗り越えていけるのだろう」と思うのにはそれなりの紆余曲折と妻の説得があった。だが結局、女に拾われて節操なく生きることになってしまたことに変わりはない。

 人生塞翁が馬みたいな感じだ。こうなるのには奇跡のように途方もない強運が必要なのは間違いないが、しかし一つ言えることは、私は、「ぎりぎりまで死ぬのを延期していた」ということだ。

 私はこの人生をもはやどうでも良いと思っていたが、ひとまず「とりあえずこれをやる」というものを探し、死ぬのを何度も延期した。

 死ぬ前に、小説を書き上げようと思った。仕事を放り投げて旅に出ようと思った。ブログを書こうと思った。Twitterやキャスをやろうと思った。とりあえずなるべく他人と会おうと思った。

 そうして何度も何度も死を僅かずつ、ほんの少しずつ延期していなければ、妻が私を見つけることは無かっただろう。

 そして妻の人生もまた尋常ものではなく、私に共感を覚えるような深い悲しみを抱えている人だった。そして友人の死と、私がその死に向かい合っていたことが、パズルピースのように奇跡的に当てはまりネットの海から掬い上げられた。

 自分のことを特別にして求めてくれる誰かに愛され生きることは、思っていた以上に私を楽にしてくれた。

 妻は、私が友人のことを悼み続けることを許してくれるし、妻にとって私は、今のところ良い主夫として何とかやれているみたいだ。来年の春には新しい職場で働くことが決まっている。きっと無能者扱いされると思うけれど、きっと大丈夫だろうと思えるくらいにはなった。

 

 私は、希死念慮者として暮らして長い。

 だから死にたいなんて甘えだとか、問答無用に生きるべきだとか、大事な人が悲しむだとか、生きてることに感謝しろだとか、そんなトンチンカンなことを言うつもりは毛頭ない。

 一度「死ぬルートに入った人間を掬い上げるのは本当に困難だし、何の代償も支払うことな他人人生を救うことなんて、基本的には誰にも出来ない。

 私は、自分が友人にしたことを後悔していない。友人のことは救えなかったし、最期孤独にしなくて良かったと今でも思っている。

 

 だけど、もしこれを読んでいる人の中に死にたいと思っている人がいたら、死ぬ前に、何か言い訳をしてみて欲しい。

 明日マックの新商品が出るから今日はとりあえず生き抜くだとか、私みたいにお金と体力が尽きるまで放浪してみるのも悪くない。映画を見まくって、芸術に触れて、ときには創ってみて、食って寝て、会いたい人に会って、未練が残らないように、ギリギリの本当にギリギリまでやることを見付けて、やり尽くして、それでも未だ死にたいと思うのなら、好きにしたら良いと思う。

 その最期の一瞬までに、これを読んだあなたのことを誠実に見てくれている誰かがいて、手を差し伸べてくれることを切に願う。

 そしてあなたの大切な誰かが自分の前から去ろうとしているときは、遠慮がちに手を差し伸べてみて欲しいと思う。

 人間人間を救うことは出来ないけれど、それでも人間を救えるのは、人間しかいないので。

追記】2021/12/29

https://anond.hatelabo.jp/20211229194627

2021-12-06

anond:20211206182125

果物我が家に送られたのは、車が放置される1週間ほど前だろうか。

から聞いたところによると、父はその代金を直接農園へ支払に行くというような話をしていたらしい。

警察農園の人に話を聞いたところ、父は実際にやってきていて、

もう一度果物を発送してくれと無理に代金を置いて行ったそうだ。

毎年来る時はしっかりした服装ジャケット着てたんだと思う)をしていたが、今回は普段着だった。

現地の過去1ヶ月ほどの天気を遡って調べてみたところ、最低気温は0℃あるいは氷点下になろうかという寒さだった。

色々なことが思い出される。

毎週、漫画喫茶(今の漫画喫茶とは違ってたくさん漫画が置いてあるただの喫茶店だった)にモーニングを食べに連れて行ってもらったこと。

パチンコで勝ったと言って、何の日でもない普通日曜日ゲーム機を持って帰ってきたこと。

退職勧奨を受けても、私や兄弟のために踏みとどまり、本意ではない職種転換を受け入れ単身赴任したこと

反抗期に施錠して家族を締め出し家に閉じこもった日、単身赴任から片道3時間かけて戻ってきたこと。

私が名の知れた大学入学したことを、親戚に嬉しそうに話していたらしいこと。

そして、自分からは触れようとしないくせに、孫の写真をたくさん撮っていたこと。

写真を見返すと、父は小さな孫を上手に抱いていた。嬉しそうに抱いていた。

2021-11-17

急に氷点下になるな

先週まで5度くらいまであったのに急に氷点下にまでなるな

共用部の水抜きしなきゃいけないのか迷っちまうだろが

今週末トラブっても対応できないんじゃ

何でこんな寒いんだ畜生

2021-10-02

全然詳しくない人間が抱くEVイメージ

坂道でパワー不足になる

乗った事があるのが10年くらい前なので最近EVは違うのかもしれないが、3人で乗ってたら坂道の頂上付近全然進まなくなってやべーってなった時があった

しゃあないので俺ともう一人が降りて後ろから押したらなんとかなったのだが、やっぱEVってガソリン車よりパワー足りないんだなという印象を持った

まあ山の山頂付近だったので急坂過ぎたってのはあるのだろうが、とはいえ山がちな地形の田舎ではちょっと使いづらいんじゃないかと思った

もちろんモーターの出力を向上させればどうとでもなるのだろうが、その分だけ車両価格も上がるだろうしバッテリーの容量も増えてその交換費用馬鹿にならんのではないだろうか

価格が高い

ガソリン車に比べるとやっぱりEVは高い

EV軽トラ一台200万とか言われて「ええ……」ってなったのを覚えてる

技術革新や量産効果で今後は安くはなるのかもしれないけど、上でも書いたバッテリーの交換費用問題もあるし現状では割高というイメージを拭えない

エコカー減税的なやつでジャブジャブ補助金投入すればなんとかなるのだろうか

短期的にはともかく長期的にそれを続けられるのか? って疑問は浮かぶが詳しい人にはなにか名案があるのだろうか


気温の変化でバッテリーの性能が左右される

これはネット記事や知り合いから聞いた話なので個人的体験に基づいている訳ではない

バッテリー砂漠みたいな高温地帯だと劣化が早まり氷点下を下回るような環境では電圧が低下するみたいな話は聞く

ただ北欧の方だとEVバッテリーバッテリー用のエアコンが付いてるみたいな話があるので、そういう解決法もあるのだろう

その分だけ燃費は悪くなるんだろうし、車両価格も高くなるんだろうけどね


ぶっちゃけ不安EVのものとは別のところにある

現状では割高な割に性能的にはイマイチな車ってのが俺のEVに対するイメージ

個人の街乗りメインとかならともかく、実用車の代替えとしてはどうなのかな? って印象だし価格ちょっと高すぎる

温暖化対策必要ってのは分かるけど、今のままではメリットよりデメリットの方が大きすぎるのではないかと思う

多分EVへの移行は車両だけじゃなくて、それに関わるインフラもまるっと入れ替える必要があるのだろう

その為のコストを都会は引き受けられたとしても、田舎はそれを賄いきれないと思う

田舎EV移行の為に国の税金を大量投入する事を都会の人達は許容するのか? その為に税金が重くなっても納得してくれるのだろうか?

田舎の事は田舎の財布でやれ! 俺達の税金を使うな!」ってならない?

そのくせ都会の意識高い人達が「EVに移行しない田舎人間意識が低い! 今の時代では許されない!」とか言い出さない?

正直EVのものに対してはそこまで悪印象がある訳じゃないし、技術革新課題点も徐々に解決していくのだろうと思う

でもEV移行にともなう社会の変化にはちょっと警戒心を持たざるを得ない

都会の人達内輪ノリで全部決められちゃうんじゃないかっていう不安をどうしても拭えないんだよね

2021-09-12

テキサス停電について

その例に挙げる海外停電が起きることについて有識者はどう判定してるんだろうね?

今年2月にあったテキサス停電のことだと思うけど、あのとき歴史上例を見ない-19℃という大寒波の影響で、再エネ風力(タービンの凍結)・LNG火発(パイプラインの凍結)・石炭火発(石炭の凍結)・原発(冷却水の凍結)など、多くの発電設備が止まってしまった。

原因は、風力タービンが欧州日本で使われているような凍結防止型になってなかったこと、その他の火発・原発氷点下気温に対応してなかったこと。つまりテキサスの発電送電網は、再エネと化石エネと原発のすべてが、そもそも世界的に「再エネをやらなきゃいかんぞ」となった理由である気候変動に対して、極めて脆弱状態のままだった。なおテキサスでは発電電力の2/3が化石燃料+原発由来で、なかでもLNGシェアが圧倒的に高いため、結果的にはLNGが大停電主犯だったことになる。このことは、停電発生当初は再エネを苛烈批判していたグレッグ・アボット知事も後に認めている。

https://abcnews.go.com/Politics/republicans-texas-power-outages-spread-false-claims-green/story?id=75947664

この凍結への準備不足に関して、米連邦政府は昔から凍結対応をせよと警告してたんだけど(1980年代から何度か寒波による電力供給問題が起きていた)、テキサスエネルギー政策では極めて反連邦的で、アボット知事の州政のもと、そうした連邦レベルの指示・規制を受けないよう、グリッドを切り離して独自運用をしていた。

本来、電力というのは送電網を使ってどこからでもどこまででも容易に送電できるのが燃料エネルギーに対する長所なわけで、ただ地域内で個別の再エネ設備LNG火発が止まっただけなら、他地域から送電すればよい。実際、テキサス以外の米本土各州はすべて州間のグリッド接続をしていて、そのほとんどは「東部インターコネクション」と「西部インターコネクション」という2つの送電網に集約されている。ところがテキサスは全米で唯一、連邦政府規制を避けるために、州間グリッド接続をせず州単位系統テキサスインターコネクション)を運用しており、これが命取りになってしまった。電力が不足してもほとんど他州から電力を流せない状態になっていたのだ。

うまく機能する電力取引市場大前提は、あらゆる発電設備需要家が相互グリッド接続されているということだ。だから欧州では地域間どころかEU全体に及ぶレベルで国際連系が形成され、非常に強靱で効率的な電力網が構築されている。テキサスはこういう流れに背を向け続けた結果、地域内の発電設備の一部が停止しただけで大ダメージを受けた。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%82%AD%E3%82%B5%E3%82%B9%E5%B7%9E%E9%9B%BB%E5%8A%9B%E5%8D%B1%E6%A9%9F

というわけで、テキサス停電は、今では再エネの技術問題などではなく完全な「人災」だった、という評価になっていて、アボット知事は激しい批判に遭い、テキサスインターコネクションを管理するERCOTは訴訟を起こされている。この停電の教訓は、

①これまで以上の気候変動を想定した、よりロバストな発電設備を導入すべき。

②安定した電力供給のためには、広域グリッド接続をしっかりやるべき。

ということ。

anond:20210912143653


追記と訂正

id:bleut テキサスというか米国LNG火力じゃなくて天然ガス火力だが、大丈夫か?

ご指摘ありがとうございました。ついLをつけてしまった。仰るとおり、米国で火発に使われているのは液化してないNG天然ガス)です。上のLNGは全て天然ガスと読み替えてください。

(このエントリ

皆さん、そろそろ「ベース電源」て言葉は忘れてください

続・皆さん、そろそろ「ベース電源」て言葉は忘れてください

の続きです)

2021-09-06

結婚したい

父親が嫌いだ。もうなんの捻りもなく、そのまんまの意味わたしは実の父親が嫌い。いや別に義理の父とかいないけど。あー先言っとくけど長いから読まなくていいよ。読まれない前提で自由に書き散らかすだけだから

こういうことを言うと「育ててもらったんだから感謝しなきゃだめ」とかいうクソ寒いことを言う人間がいるので先に言っておく。感謝はしてる。19になるまで育ててもらって、なんならこのまま学校卒業するまで育ててもらって、その上きっと家を出たらお金の援助だってしてくれる。学費を出してもらって通いたい学校に通わせてもらって、学びたいことを学ばせてもらって、超金持ちって訳ではなかったけど他の家庭よりもある程度お金があって不自由なく育ててもらった。もちろん、もちろん心から感謝はしている。それでも、感謝好き嫌いって別じゃないのかな。わたしは別だと思う。だってわたしがそうだから

わたしの父はモラハラ気質があると思う。あると思うというか、ある。うーん、ちょっとなんて言ったらいいかな、ちょっと前まで親が家庭内別居してた。原因は父の母へのモラハラ

わたしの父は一度怒り出すとおさまらないんだよね。本人の気が済むまで周りに当たり散らして自分不機嫌ですオーラを出しまくる。大迷惑。でけえ赤ちゃんかよ。わたしが小さかった頃はもっとマシだったはずなんだけどね。

わたしが中2のころくも膜下出血ICU入って戻ってきたら高次脳機能障害になってた。高次脳機能障害の中に対人技能拙劣っていう症状があって、まあ簡単に言うと他人とうまく付き合えなくなるよーってやつ。もうね、その2つがあわさると相乗効果がエグいんだよね。ずいぶんうれしくない相乗効果だな。

個人差があるだろうからはっきりとこれでーす!とはわからないけど死ぬほど被害妄想激しくなったし機嫌の良し悪し周りに撒き散らすようになったし攻撃的になった。

父親、2年前に姉のこと家から追い出してるんだよね。毎晩姉の部屋の前で死ね!って怒鳴ったり姉のこといない存在のように扱って姉は専門学校卒業と同時に逃げるように出て行った。

まあもうそうなったら怖いのなんのって。だってそれがわたしに向くのがいつかわかんないし。幸いにもわたし中学生のころ父方の祖母が原因でうつ病になったことを申し訳ないと思ってるらしくたびたびごめんねと謝られるしわたしに攻撃が向くことは滅多にないけど。でも、いつ向くかはわからない。わたしにも母親にもなんなら父親にも。

しょうがないんだ。高次脳になる前からモラハラだったし、高次脳だし。しょうがないの。しょうがないけど、でも、だからって怖くなくなるわけじゃない。父のモラハラのせいで母はうつ気味だし、姉は年に1度帰ってくるかどうか。隣の県に住んでるのに、家族で団欒とかもうないんだろう。電車で2時間もかからないのに。かなしいなあ。

わたし死ぬほど結婚願望がある。絶対結婚してから死にたい。なんならむしろ結婚しなきゃ死ねない。だって父と祖母と同じ墓とか絶対入りたくないし。でも結婚ってそんないいもんかな。死ぬまで配偶者の顔色伺いながら生きていきたくないんだけどわたし

それに父親がそんな感じだから男の人怖いんだよね。みんな結局そんな感じなんじゃないのーって思ってしまう。モラハラデフォルトみたいな。モラハラって言葉存在する以上普通モラハラじゃないんだ。でも、モラハラじゃない男の人ってなに?どこにいるの?だれがモラハラしない人なの?そんなのわかんなくない?


結婚しなきゃ死ぬ死ねないし、でも結婚希望が見出せないし男の人怖いし。でもわたしがなりたい職業って1人で死んでいけるような給料じゃないんだよね。あーあ困ったなあ。

うん、何十年後のことなんか考えたって意味ないし、とりあえず勉強するしかないよね。あ、ちなみに今わたしの家は父親が機嫌悪くて空気感氷点下です。はは、ウケる

2021-08-08

anond:20210808063530

引火点が高い。

引火点というのは、その温度にならないと、火種をつけても火がつかないということ。

ガソリンは引火点が氷点下から、室温ではまず火がつく。サラダ油はかなり高い。

ただ、引火点の知識危険物取扱者という資格では当たり前に使う。そして、この資格ガソリンスタンドのバイトかにも関わってきて高校生ですらとってる人間がそれなりにいるぐらい初歩的でかんたんな資格

でも引火点が何か?をわかっていれば覚えるだけのかんたんな資格

2021-05-29

anond:20210529122042

下調べせずに深夜氷点下まで下がるキャンプ場に不十分な装備で出かけてたけど作中内でちゃんと怒られてたね

2021-03-31

アーツ前橋作品紛失問題

はてなでは意外と話題になっていないようだが、アーツ前橋という公立美術館作品6点が行方不明になる、という事件があった。

館長も辞任して一件落着かと思いきや、その後出た報告書で館長による隠蔽疑惑が指摘されたり、その報告書に館長自らが反論したりして、泥沼の様相を呈している。

まとまった記事としては美術手帖を参照されたい。

アーツ前橋作品紛失に関する調査報告書が公開

https://bijutsutecho.com/magazine/news/headline/23795

紛失問題報告書に関して、アーツ前橋館長の住友文彦が反論

https://bijutsutecho.com/magazine/news/headline/23803

一般の人にはあまり知られていないかもしれないが、アーツ前橋というのは近年アート業界ではかなり高い評価をうけている美術館である

たとえばこういう企画展

https://www.artsmaebashi.jp/?p=13991

堂々と掲げられた「本展のキーワード」の、「周縁性、ローカルジェンダー福祉ケア老い共同体移民」というあたりが、この館の方向性を端的に示していると思う。

ざっくりと言ってしまえば、社会問題を扱う現代アートを精力的に紹介しつつ、ワークショップによって地域との結びつきを強めていく、というスタンスである

個人的には、なんか優等生的だなという印象で、反感を抱かないでもない。

しかし、年々予算が削られ、文化政策への風当たりも強くなっている斜陽美術館業界からすれば、「SDGs」的なアピールによって先端的な雰囲気を放っているアーツ前橋は、地方美術館のあり方として、ひとつモデルともいうべき存在であった。

その方向をカリスマ的にリードしてきたのが、2013年の開館当初から館長をつとめてきた、住友文彦その人である

前橋市と館長、どちらの言い分が正しいのかは現時点でよくわからないが、すでに美術業界から擁護の声も出ている。

たとえば東大教授美術研究者加治屋健司。

アーツ前橋作品紛失の最大の原因は、予算、スペース等から美術館が借用作品の保管場所として外部施設を使わざるを得なかったことにある。その状態放置問題に適切に対処してこなかった所管部署文化スポーツ観光部及び同文化国際課に責任がある。これは専門職の館長ではなく行政職の職掌である

https://twitter.com/kenji_kajiya/status/1375731293581807616

スペース・予算の確保は行政職の仕事なのに、彼らはそれを怠っており、そのせいで悪環境作品を置かざるをえなくなったために今回の事件が起こった、という論理である

これは大局的に見れば正しいかもしれない。

ただ、美術の保管場所というのは確保するのに非常にコストがかかるので、無尽蔵に確保できるというものではない。

それに、少なくとも現状で保管場所がまともでないにもかかわらず、作品を預かることにしたのは、やはり学芸員なのではないか

まともな環境作品を置くことすらできないのであれば、そもそも作品を預かるべきではなかったはずである

そういう批判はあったようで、彼はあとから補足している。

他館の学芸員からお話を伺いました。館の作品管理問題があったと私も思います。それはすでに各所で指摘されており館長も認めているので、私はそれを前提としたうえで報告書問題を指摘しました。それを館の問題を認めない発言と受け止めた人もいたようですが、それは私の発言趣旨ではありません。

https://twitter.com/kenji_kajiya/status/1376207390836592642



とはいえ前橋市の報告書住友文彦の責任を追及したように、加治屋健司が行政職の責任を追及するという構図には、結局のところ学芸員行政職の党派性問題なのではないかという感も否めない。

一般にはさほど知られていないかもしれないが、美術館学芸員行政職の人間は、仲が悪いのがふつうである

なぜそうなるのかと言われると難しいが、技術職と営業職が不仲なのと構造的には同じであると思う。

まり理想を求める学芸員コスト重視の行政職という図式で、利害が一致していないのだから対立するのは当然なのかもしれない。

両者のいずれが力を持つかというのは、もちろんさまざまな権力関係によって決まるのだけれど、その勢力図を象徴的に表すのが、「館長が行政職か学芸員か」という問題である

現状で言えば、おそらく行政出身の館長のほうが多数派なはずで、その傾向は年々強まっているのではないかと思う。

現代アート畑の住友文彦を館長にしているアーツ前橋は、その意味でも稀有存在なのである

行政出身の館長というのもバックグラウンドはさまざまだが、教育委員会などから引退間際のおじいちゃんがやってくることが多く、そういう人の99パーセント現代アートなど興味も関心もない(のに反感だけは持っていたりする)ため、館長のくせに予算削減を推進する側に立ったりする。

今回の住友文彦退任にあたっても、後任に専門家を置けという動きが出ているのには、そういう背景がある。

後任に現代美術専門家を 「アーツ前橋」館長退任へ 芸術家署名活動

https://mainichi.jp/articles/20210330/k00/00m/040/038000c

ところで、先ほど「まともな環境がないなら作品を預かるな」と書いたけれど、現実的にはなかなかそうはいかない事情がある。

まず、あたりまえの大前提として、美術館が持っている作品を捨てるということは通常ない。

現実にはゼロではないのだが、やるとなると相当の覚悟必要である

から美術館作品は減るということはなく、ひたすら増えていくことになる。

加えて、美術品のほとんどは温度湿度を厳正に維持した収蔵庫で管理しなければならない。

「厳正に維持」というのは「24時間空調」のことを指す。

38度の真夏であっても、氷点下真冬であっても、24時間365日安定した温湿度でなければならない。

当然これには莫大なコストがかかり、倉庫が広くなればその分お金もかさむ。

まり美術作品は増えていくのに、倉庫を増やすのは容易ではないのだ。

「じゃあ預からなければいいじゃないか」と言うかもしれない。

しかしそうはいかない。

地方美術館美術作品寄付する人々というのは、たとえば地域小金持ちであるが、彼らはしばしばこういう考え方であったりする。

1. 蔵を掃除していたら、なにか絵が出てきた。

2. 貴重なものかもしれないので、美術館電話した。

3. 美術館で引き取ってくれないなら、廃品回収に出そうと思う。

「収蔵するか」「捨てられるか」という二択しか、ここにはない。

売るとか、他の美術館を紹介したらどうか、と言うかもれない。

名の知れた人気作家だったら、そういう手もありうるだろう。

でも、蔵から出てくる作品の作者というのは、典型的にはこういう経歴の人物だったりする。

〇〇県出身上京美術学校西洋絵画を学ぶ。卒業後に帰郷し、〇〇県立第一高校美術教員として教鞭をとる。戦後は〇〇県展の立ち上げに尽力し、後進を育てるなど、〇〇県画壇の重鎮として活躍した。

こういうプロフィール作家面白い絵を描くのだろうか、と疑問に思うかもしれないが、まさにご指摘のとおりで、美術史の大きな流れからすれば、なんの意義もない作品であることがほとんどだ。

しかし、地元での功績というのは地域にとって何よりも大切なものであるし、なによりそういう「つまらない」風景画には、地元民の心をこのうえなく鮮烈にうつし出したような、ローカルであるがゆえの価値がしばしばある。

日本都道府県ほとんどには県立美術館があって、そのそれぞれに多くの「凡庸地元作家」の作品が収蔵されていることの意義は、そこにあるというほかない。

そのような作品は、まさに、「収蔵するか」「捨てられるか」の二択だったところを拾われてきたのである

というわけで、いろいろ書いてしまったが、今回の事件は単なるカリスマ館長の不祥事という以上に、美術館業界の抱えるさまざまな問題関係しているように思われる。

気が重い話である

その他参照

調査報告書

https://www.city.maebashi.gunma.jp/material/files/group/10/hodo20210324_7.pdf

住友文彦の記者会見原稿

https://drive.google.com/file/d/1qQmOLCs2XI1VK9XzPgQpWyKlJZH809Yx/view

2021-02-25

アイスいっぱい食ってるのになぜか太るんだが?

アイスって氷点下から熱量マイナスで、食べれば食べるほど痩せるはずなんだけどなぜか太る

なんで?

ついでにカロリー摂りすぎないように、冷めたコンビニ弁当も食ってるのにこれも太る

おかしいよな?

2021-02-04

anond:20210204205225

それだと素直に氷点下対応の買ったほうがよくねっすか

2021-01-19

キンコン西のとふわちゃんが怖い

あいつらまじで怖い

いつ、どの場合にいてもあいつらのどっちかがその場にいるだけで「話の中心」になりそうでこわい

ふわちゃんに関してはパワー型タイプから「とりあえず静かにしてください」って言っておけば静まるかもしれないけど(というか彼女自身すごく努力してる気がする)

西のに関してはめちゃくちゃ達観して澄ました顔してるのにだんだん自分世界に引き摺り込まれそうですごくこわい

プペルもスタジオ4度が制作しててめちゃくちゃ映像みたいのに西野っていうだけで見る気が氷点下になった

飼っているヘビが死んだ

アオダイショウ、13歳

もう13年ほど飼っていて、毎年冬眠させているのだけど、冬眠中はずっと外に置いていて、雪が積もった日があっても春には元気に出てきていた

でも今年、年明けからとんでもない寒気で日中氷点下状態が3、4日続いた

これだけ寒さが続いた日は、私自身の人生経験でも初めてだったかもしれない

いま思えば少し温度が下がりすぎない場所に移すなどしなければならなかった

でもここ10年一度もそういうことをしないでも生きていたんだよ

シェルター外に出ていて動かない

死んでいるのだと思う

冬眠中に変に室内に移すなどしても問題になるかもしれないと思うとなかなか動かせなかっt

氷点下になる日移すべき、ちょうど4度前後くらいでなる場所ってどこなんだろう

冷蔵庫

2021-01-11

……我々と致しましてもですね

……深夜2時にストーブが消えたことを確認し1台だけでもつけておこうと善処したと

……こう言うことでございます

……このささやかな2点24キロワットのですね

……小型ストーブ君がですね

……氷点下の天下を室内において許さなかった

……こう言うことがですね

……言えるのでは無かろうかと

……我々としましてもですね

……こう思うわけであります

……おっと鼻水が出て参りました

……失礼致しまする

2021-01-08

anond:20210108145149

氷点下地域では エアコンは室外機を凍らせないようにするため電気食うらしいよ

2021-01-05

アベノマスクの使いみち

雪深いところに住んでいる。日中でも気温は氷点下である

コロナリモート勤務で初夏から運動不足が気になり、散歩趣味となった

最初は家の周りを30分程度歩いていたのだが、徐々に距離をのばし、秋口には2時間程度歩かないと物足りなくなっていた

しかし寒くなると、マスクの中が結露ビシャビシャになるのだ。

マスクの中に溜まった呼気が水蒸気となり外気に触れて凍り、それがまた体温と呼気で溶けてマスクの中を濡らすのだ。不快で仕方ない

最初はこの水分を吸うためにマスクの中にガーゼを入れるか?と思っていたところ、そういえば送られてきて以来開けてもいないアベノマスクがあると思い、マスクを二重にしてみた

アベノマスクは作りが平面だから最初は鼻が押しつけられるようで苦しかったので、口だけを覆って上から不織布のマスクをつける

そうするとマスクの中に呼気が充満するスペースがなくなり、結果的に長時間歩いていてもマスクが濡れなくなった

届いてから半年、やっとアベノマスクの正しい使いみちを見つけた

2020-12-02

anond:20201202143023

先週氷点下霧氷が発生している赤城山に登ったんだけど

半袖半ズボン黒人男性がいて

もともと頭では分かっていたけど

アフリカ気候多様性を実感することができた

2020-09-30

わかる。うちも奥さんがほぼ同じ傾向があるんだよ。

個別喧嘩の発端は…こちらに責があることもあれば向こうに責があることもあるし、最初自分我慢して済むならそれでもいいやと思ってたんだけど、やっぱり理不尽な怒りの暴発を難度も経験すると、徐々にこっちの自尊心が削れてくるし、不機嫌の徴候が見えるだけで心理的に身構えてしまうんだよね。無意識のうちに、相手地雷(どこに埋まってるかわからないんだけど)に触れないように立ち回るようになる。そうすると家庭が安心できる場でなくなってしまう。

もともと彼女自身にも、そういう感情的制御ができないことの自覚はあるし、直したいとも思っているんだけど、キレてる最中に「そういう言い方や態度はよくないよ」と意見しても耳に入らない。「どうせ全部私が悪いんでしょ」「はいはい、また私のせいなんだよね」となって会話を打ち切り、刺々しい振る舞い(ドタドタ歩いたりドアを閉めたりモノを乱暴に扱ったり)して、後には不機嫌な空気けが残る。これがなんともやるせない。一定時間が経って落ち着くと、何もなかったように振る舞うか、一応は「ごめんなさい」と言ったりもするんだけど、そういう殺伐とした感情って人の心を痛めつけるんで、お互い何もなかったように振る舞っていても、やっぱりこっちの心は無傷じゃなくて、刺されたり殴られたりした疼きが残る。たぶん相手の心も無傷じゃない。どっちにもいいことがない。

で、子供が生まれ物心がついてきたのを機に、お互いに真正からこの問題に向き合うことにした。子供が親の逆上や不機嫌に萎縮するようになったら誰にとっても不幸だ、というのはお互いの考えが一致していたので。

実はこの「子供との関係」というのが重要で、結論から言うと、彼女毒親母親)に非常に悪い育てられ方をしてきたことが全ての起点になっていた。母親自分から見ての義母は、幼い頃の彼女を蹴ったり殴ったりした。氷点下に近い納戸に数時間閉じ込めるという身体虐待もあったし、ネグレクト罵倒もあった。理由は、折り合いの悪い義祖母に顔立ちが似ていたから、ということもあったようだし、良家同士の見合い婚で専業主婦になった自分にとって「育児成功させ、娘は良家に嫁がせる」ということが唯一かつ至上の役割になっていたこともあったようだ。それほど受験戦争が激しくない地方にあって小さい頃から娘に複数の塾や家庭教師をつけ、成績が思うように伸びなければ「あんたはなんでできないの」「私が恥をかく」と詰め、娘の夏休み自由課題が賞をもらった翌年からは、傾向と対策を踏まえて母親課題制作し、受賞すればそれを周囲に誇るようになった。義母にとって娘は自己付属物であり、自分能力努力を表示する成果物だった。これは娘側の一方的証言ではなく、義母本人がそのことを問い詰められて(娘以上に感情的に)キレたり、逆に緘黙する状況を自分も見ているので、嘘や極端な誇張はないと思う。

そういう母親との間で育った娘である奥さんは、根本のところで自己肯定感がとてつもなく低く、「自分には価値がない」という強迫観念に苛まれていた。彼女は親元から離れたあと、亡父の尽力もあって学歴にはやや不相応な金融総合職につくことができ、廻りの高学歴人達に揉まれながらも持ち前の根性で「コネ入社腰掛けさん」に留まらない営業成果を出し、職場でも多くの同僚に認められるようになった。でも、これは見方を変えると「自分が無価値人間ではない」ということを自らアウトプットや業績評価によって証明し続けなければいけなかったからそうしていたわけで、その「頑張り」は結局は不安強迫観念によってドライブされてたんだよね。背景にそういう動機があって「頑張り続けなければいけない」人がどうなるかというと、最後メンタルヘルスを崩し、拒食症になり、自己都合で退職した。つらい。

その後いろいろあって彼女自分結婚したんだけど、お互いに落ち着いている時に(感情的チャージされてない状況で)この課題について話し合い、時にはネット情報心理学書籍なども参照しながら考えるなかで、激昂の背後にあるのは自己肯定感のなさだということが見えてきた。彼女は成長の過程で「人間能力や実績によってだけ認められるわけではなく、ただ人間であるだけで価値がある」という確信を得てこなかった。母親から与えられたのは条件付きの愛で、条件を満たさなければ存在自体否定された。だから「認められるために頑張る」という所作が身についた。

頑張りの中には「社会的に認められる人格を演じる」ということも入っているから、ソーシャルマナーちゃん実践できる。人当たりはよく、好感度も高い。しかしそれはあくまで「舞台」に立って「頑張り」を発揮して評価を獲得しなければならない状況での話で、身内にはこのルール適用されない。だから親族家族の中に(彼女基準で見て)頑張っていない人(例:私はこんなに頑張ってるのに、あなたは)、彼女の頑張りを認めてくれない人、彼女の頑張りの成果をスポイルする人(例:頑張って片付けたのにまた散らかして)に対しては、時に制御の効かない怒りを感じ、苛烈言葉や行動を直接ぶつけてしまう。自己肯定感が低いから、他者を無条件に肯定できない。自分に課した高いハードルと同じ評価基準相手にも課し、それを満たさな相手を詰る。そういうメカニズムがあるみたいだった。

ついでに言うと、彼女母親にとっては娘自身が「彼女の頑張りをスポイルする人」(一生懸命教育してるのに成果を出さずに「私に恥をかかせる」から)だったので、娘に対してそうした精神身体DVを繰り返していたわけだ。自己肯定感の欠如と感情コントロール欠如という点では似たもの同士だった母親彼女との喧嘩は、ちょっとした言葉尻の棘を捉えて相手を強く咎める(「それどういう意味?」とか「あなたはいっつもそう!」とか)の繰り返しで、なんでもないやりとりがあっという間に激しい罵倒応酬エスカレートしたりする。まさしく言葉の刃で刺し合うがごとくで、たまたまその場に居合わせ自分もぐったりと疲弊し、時にはあまりの情けなさに泣くこともあった。

ともあれ、我々2人は「こんなことが当たり前ではいけない、子供をこういう『こじれ』に巻き込まないようにしよう」ということをスタートにして、まず彼女母親との関係は明らかに機能不全に陥っていること、彼女母親過去も今も彼女自尊感情を蝕んでいること、自尊感情の乏しさが他者への非寛容や感情制御の困難につながっていること、自分母親承認/不承認にかかわらず価値のある人間だし、他人もそうだということなどをひとつひとつ確認していった。彼女最初は「母親はもしかしたら毒親だったのかも」程度の認識だったのが、あまりにも定型的な虐待パターンのど真ん中に自分いたことを知り、自分感情コントロールの難しさが個人資質というより関係病理に起因していることを学んだ。そうすることで、母親との関係も1:1の差しかいではなく、その関係自体第三者として見る視点を手に入れた。自分はそのとき情報考察の手伝いはしたけど、結局それは彼女自身自己探究の道のりだった。

それでどうなったかといえば、状況は明らかに良くなっている。奥さんアンガーマネジメントを少しずつ理解し、実践している。実際にキレる回数は格段に減った。キレてしまった時はそのままにせず、すぐ言葉にして反省するようになった。YOUランゲージを控え、Iランゲージを使って自分希望意志を率直に伝えられるようになった。母親とのやりとりもベタ足の殴り合いをするのではなく、だんだんと「所詮他人しかない、母親とのやりとりで感情的に消耗したくない」という感覚を持てるようになってきている。無駄に険悪になることもないが、母親から近しくしなければいけないという「演技」からちょっと解放された。やっぱり根本的な原因や構造が見えてきたことで、本人の物事の捉え方も変わってくるんだと思う。

…というわけで、うちの場合子供ができた結果、徐々に状況がよくなってきたんだけど、これ「子供が生まれたから良くなった」じゃなくて「子供いるから良くしないといけない」という問題意識を両方が持ったからだと思っている。逆に言えば、元増田場合子供ができなくたって「この状況を放置するのは2人の心理的安全性にとって良くない、2人の関係健康を損ねる」という意識で話し合うことができれば、だんだん建設的な方向に向かえるかもしれないよ。

さっきも書いたけど、うちの場合は、彼女病理というより関係病理だった。だから時間はかかったけど、こじれた関係を解きほぐすことが解決の糸口になった。元増田奥さんが同じかどうかわからないけど、参考になったらうれしい。お互いがんばろう。

anond:20200928211140

2020-09-11

anond:20200910183643

そうやって夜でも外に出てみあげられるような天気に浮いてるのってたいてい絹雲っていっとけば間違いないんじゃなかったか

雷とか雨とか竜巻とかひょうとか高山で夏でも氷点下近いとかじゃないんだから

星座はたいてい夏の大三角形と冬はオリオンシリウスおぼえときゃなんとかなる

プラネタリウム行けば手ほどきしてくれる(寝なければ)

2020-08-06

やっぱ夏はダメだわ

暑すぎて黙っているだけでイライラするのが良くない。

服を脱ぐ、扇風機クーラー等の対策も限度がある。

ランニングに出かけると汗ダラダラで超不快だし、日没後でも暑すぎて生命危機を感じることも珍しくない。

その点、冬は服を着込む、暖房をつける、布団に潜り込む等で簡単対処できるから良い。

おまけに鍋も美味い。味を毎日変えながら野菜簡単かつ大量摂取できる髪の料理

除雪が多少面倒だけど、まあ運動する機会ができたと思えば悪くはない。

冬のランニングは家を出た直後は寒いけど、10分もすれば体が暖まってくるので走り続ける限りは意外と寒さは気にならない。氷点下でも全然いける。

やっぱ俺は冬がイイわ。

2020-07-31

義務教育廃止論全面的に支持する

もはや義務教育はいらないと思う。国民全員の教育税金を費やして援助するのは無駄だと思う。

理由1 わざわざ学校で教える必要がない

この情報化社会において、わざわざ学校に通わずとも、小学校高校までの勉強学習することは誰でもできる。

受験産業の振興の副作用で、巷には良質な参考書や、格安で受けられる映像授業などが豊富にある。そういうものはもう20年くらい前でも、既に学校の授業の水準をはるかに上回っていたように思う。

理由2 教育の質が高くない

小学校では、掛け算の順序がどうとか極めて愚劣なことが行われているようだが、中学以降でも大して変わらないだろう。地方公立中学校のひどい所など最早「通わない方がマシ」というレベルなんじゃないだろうか。

そこまで酷くないにしても、自分担当科目範囲を超えた知識を持った上で教えている教師は稀であるさら事務業務煩雑化などにより、教師教育に割ける時間はどんどん減っている。その上、出退勤管理自動化のような設備投資、教材の電子化なども全然進んでいない。

理由3 劣悪な環境いじめなどの問題がある

公立小中高の教室にはエアコンがなかった(今は知らん)。気温が30度を超えようが、氷点下だろうがそのままである。今にして思えば、よく通ったもんだ。エアコンの無い会社に勤めろって言われたらほとんどの人は辞めると思う。

また、いじめ等で取り返しのつかないほど人生めちゃくちゃになる可能性もある。可能性があるどころか、いじめ自体どんな学校にもある。高校なら辞めりゃいいと思うけど、義務教育なのにいじめがあって通えないというのは、おかしな話だと思う。

理由4 そもそもほとんどの人にとって教育必要ない

そもそも学校で習ったことなんてほとんどの人は社会に出て使っていないだろう。つまり不要なのである不要なことを教えるのは無駄である

2020-06-28

anond:20200628031943

人間は気温の絶対値を感じ取っているわけではありません。肌表面の水分気化(=気化熱の移動)を暑さ寒さとして感じ取っているのです。

夏のビーチって灼熱のはずなのに、結構快適ではありませんか?逆に、雪の降った朝が暖かく感じることありませんか?

ビーチでは常に風が吹いていますから人間の汗がすぐに気化して涼しさを感じることができます。逆に湿度が高くなると気化が抑制されるので、室温が低くても寒さをあまり感じません。雪があると寒さが抑制されるのはそのためです。(氷点下場合を除く)

ですので、同じ室温26℃でも、湿度40%の部屋と80%の部屋では快適さが全く異なります。この辺りの快適さを官能評価実験により可視化したのか不快指数です。

通常の冷房でも湿度は下がります。それはエアコン機能ではなく、温度を下げれば空気中に止まることのできる水蒸気の量(飽和水蒸気密度といいます中学校で習いますね)が減るという物理法則によるものです。

逆に暖房をつけると肌が乾燥するのは、飽和水蒸気密度が上がることによって人間の肌の水分気化が促進されるためです。

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