2021-09-04

桜庭一樹のアレを読んだ

メタ的な視点になるが、面白かった。

まず前提として ”わたし原稿に〝介護中の虐待〟は書かれておらず、”という、一連のアレのしょっぱなに位置する桜庭一樹の主張は正しく、件の夫婦が老々介護であったというのは分かるようになっているが、虐待と読むのは明らかな誤読であろう。

で、内容は多岐にわたっており、田舎の人々の行動や東京での自分現在仕事・交友関係山陰伝承風俗など題材が描かれている。

当該シーンはざっくりいうと「人間記憶はあてにならんよ」というテーマの一つのクライマックスシーンなのだ

桜庭一樹投影である主人公の冬子は当然、自分の都合のいいように記憶改竄している母親に呆れ、批判的な目を向けているのだが、

あくまでそれは「他者限定の」愚かさだ。

桜庭一樹は「自分の書いたことが唯一の真実であり鴻巣友季子の書いたことは間違い」と断言できるし、鴻巣友季子斜め読みした無能の売文屋と断言できる。

冬子が自分の都合のいいように記憶改竄しているかもしれないという自省も畏怖も気づきもそこには存在しない。


わたし原稿に〝介護中の虐待〟は書かれておらず、」は事実としても、そもそも、なんで「そのような事実はありません」と断言できるのか。

24時間365日見てなけりゃ虐待してないとは断言できないはず。 現実老人保健施設における入居者虐待だって見てないところでされてるわけで。

作中の冬子はほとんど鳥取に帰っていないんだ。年末年始帰省しても実家には夕食食べに上がるだけで、食べ終わったら夜はホテルに泊まってると記述されている。

そういう意味で、鴻巣友季子が言うように老々介護の間に虐待があったかもしれない、というのはまったく可能性がないことではない。

冬子が自分の都合のいいように記憶改竄しているかもしれないという自省も畏怖も気づき存在しない。

読者が桜庭一樹自分を同一視し「ああ、ジジイババアしょうもないあいつらは愚かでズルいな」と軽蔑するその場所は、嘘松読んでスカッとするのと大して距離は離れていない。

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