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はてなキーワード: 支配権とは

2020-08-10

anond:20200810210552

戦力は多いほうが勝つので、少ないから負けただけ

防衛能力がなかったら輸入品が何も買えなくなって交渉国の面倒な仕事を全部させられるだけになるから最低限国際間で死ぬ人の準備が必要

殺されたら被害を届けて国の集まりで多いほうが交渉を有利に進めようと判断してもらえるので軍隊必要

永世中立国銀行国益賄うのは保護国連携をふやすため

日本独自文化日本人の安全を願うのだったら団結して国防を含めた国益に貢献すべき

外国ではみんなやってる自民族確立のための努力をしてないのは南国パラダイスの古民族日本人くらいなもの

日本は何度か受けた空襲民間人の死者被害戦争法違反で訴えるべきだったが戦争で勝とうとして被害届をださずに腕に覚えのある知人をたよってみんな負けたので結果負けた

第二次世界大戦アメリカ警察を押さえてた 日本降伏させたのは「UNアメリカではなく国際連合 国際間組織が実質降伏させたので悪いのは日本という事

(いまは国際連合中国が抑えているので数年来抑圧してるチベットとかウイグルとか最近香港などは中国正義がまかり通ってる)

戦争死ぬ役割がでると意見として死なせるなという風潮がおきて国民の何割くらいまで被害がでると戦意喪失されるという結果に至るのであらかじめ死んでもよいまたは死ぬため死なないようにする訓練を受けたもの必要になるので死なない国民をつくるために兵隊組織する

人間人間を殺すという行為自体効率が非常に悪く一人が一人ないしは三人程度を相手にすることくらいが限度 そのため数千の大軍に数百の軍勢勝利したり中央突破できたりする

これを全否定するのが核兵器 つづいて大量殺りく兵器 人を殺すのが戦争なのになぜ効率化がよくないのか 暴力の勝ち負けが戦力の維持が不能になることだから 第二次大戦では戦力自体日本底なしだった(一億総何々)

日本は何割まで死ね戦意喪失するかという基準アメリカの想定をはるかに超えていたため脅威とされそれを人道的と称して講和にもちこんだ(原子爆弾による民間人の大量殺戮上層部の情に訴えた)

戦争ルールを覆すので日本降伏後そういうのはダメ教育に盛り込まされた ベトナムでは軍備量だけでは勝ててない ベトナム民間人を含めてやたらと殺しても許されない程度に世情がうご情報網の発達があった 中国情報統制がうまくいってる(と思ってる)のでこそっと民族殲滅をしてる(ばれても国連に食い込んでるので黙殺

軍備合戦になると天井知らずになるという危惧について、軍備合戦天井相手が戦力の維持が難しいと思わせるところまででよい

国際協力や単体の戦力などで、もし状況が悪化した場合安全維持の名目他国が護衛に入ってくるとそれに見合った戦力を維持することが難しいとなるところで十分

また軍事目的産業国内生産があがる 国力の増加で内需を軍需にまわせる この循環のための一次産業金属と油でよいため生産性が高い

生産性の低い弱小食物輸出国植民地支配を免れているのは国際的連携において面倒な生産部分を担っているため 近代化するといやがらせをうける

軍備の生産をつづけると償却材がでてくるので紛争地帯必要になる 金属と油のあるところには軍事介入が容赦なくされる

日本語がわからない人に簡単説明すると、防衛目的で人の壁を築ける人がいないと被害届を出せる状況にもっていけないので、敵がきたら前にたって死なないように抗う人が必要なだけ それが防衛の人の仕事

境界線に敵が軍事力をもってきたときアルバイト募集で「最前線生活する人募集」でも軍隊と同じ役割ができる(国際組織が正常に機能していたら、国際法違反とかで訴える)がそんなのだもこないのであらかじめ死ぬように(死なないように)訓練されて、死んでほしくない人のかわりになる仕事がいる(兵力

毎回殺されてから被害届をだすのもなんなのであきらかに国際的に定められてる蛮族がくると攻撃してもよいため攻撃手段はほしいところ

人が人をころさないという事が絶対的保障されたら、被害が発生しないので、補償必要はないので、補償を履行させるための力が必要なくなる 人が人をころさなとはいえいから力が必要でそれが殺される局面において抵抗するだけの軍備

欧州の国みたいに国単体では軍事力はないがほかの国から出してもらってるところもある

永久戦争しないって宣言してる国が軍隊をもっているのは攻め込んで戦争する、悪い奴は積極的にやるとかのためにあるわけではなく、攻撃されてもみんなの役に立っている事は自力防衛するのでわたしの国をいろんな国むけに使ってほしいという事のため

永久戦争しない宣言の国の銀行員が不正な行動をしたとき軍隊がないので国際的な介入がされたとき実質支配権安全確保のためという名目の上でその軍事力の国がもつことになる(その時々の違反を正しい「保安部隊」が維持するため)

巨大な兵器や新しい武装や洗練された技術者兵員)が必要なのは その場所まで移動する手段必要なため巨大な引っ越し業者生活もできる)という隊が必要なだけ(兵隊

最新設備や強い武力相手攻撃してきた場合それに耐えかつ攻撃者を撃退することが可能であるようにするため(できるだけ自軍は死んでほしくない相手正当防衛で事の次第による)

海や陸や空においてそこで人が活動しなおかつ問題対処する能力必要な人にそこにいてもらうための能力軍事

日本はそんなに気にしなくていいよアメリカがそれ出してあげるから問題があった場合正義平和のために「アメリカルールアメリカ軍)が動くけどね)というのを国際間協力という名目沖縄とか全国に基地被害者となってくれる率先して前線引っ越してくれる役の拠点)を設けてる

もちろん日本問題があった場合は、国際協力として「アメリカ軍が日本拠点制圧する」ってことがあってもしょうがないよね(しょうがなくないので自衛必要だと思われる)

巨大な軍備があれば国は守れる それはたしかに守れる それは人が人を殺すのは効率が非常に悪いという点から人が多く兵器の数があれば強いわけではない

現に核兵器がそれを示して結果を出している しかたなく民間人を殺すけどというのを武力というなら兵力としてそれを備えないのが核非武装 防衛あくま自衛手段攻撃をしてくる民間人ではない敵対者(時に人間という前提でほぼ人間

どの戦争でも核保有すればいいだけ ただ核兵器使用目的破壊殺戮のみなのでこれほど純粋目的を完遂するものはないので保有国はほかに保有国がふえることを厳しく制限している

内戦移民のつづく国は軍備を高めて核を保有すれば近隣国との交渉もしやすく豊かになっていくが一般的兵器が余る国はそれを消化したいしその的を国際協力という名の元に他国から募りたい

中国国連アメリカソ連兵器の消化を紛争地帯でしないよう根本的な解決を試みたら具体的な中国問題に実力を行使するかもしれないが国防費の循環とGDP成長を握られているのでおおよそ悪いとは言えない

2020-07-05

オフ会初体験した人狼ゲームトラウマを背負った話。

大分前の話になるが、人狼をやるオフというものに参加した。

人狼ブームなんて時代はとっくに過ぎ去っていて、安定したジャンル確立してから随分経つ、くらいの時期だったと思う。

人恋しいしオフ会でも行ってみるかーって探してたら、たまたまその人狼会が目に留まったんだ。

人狼ゲームには長いこと薄っすら興味があったし、参加してみることにした。

初心者も歓迎!と書いてあったし大丈夫だろうと。

何の準備もしないのはさすがに不安なので、事前に基本ルールだけ予習。

といってもゲームの流れや役職の種類、能力を一通り読んだだけで、実際にゲームやってる様子を見たりとかプレイログ読んだりとかは全然してなかった。

戦略とか予習しまくって頭でっかちになるのもどうかな、

こんだけプレイ人口の多いゲームだし初心者でもそれなりに楽しめるだろう、

役になりきるの楽しそうだし勝ち負けに拘らず気楽に参加してみよう、

という考えで。

これが大失敗だったんだ。

何を今更と言われるかもしれないが、人狼は騙し合いのゲームだ。

しかも割と殺伐とした部類の。

そんなことはつゆ知らず、オフ会当日。

参加者10人ちょいの若い男女だった。

多分20〜30代くらい。

プレイ歴の割合は、バリバリプレイヤー、ライト層、初心者がそれぞれ均等にいる感じ。

初心者歓迎!の言葉に嘘は無く、最初主催者の丁寧なルール説明があり、まずは一回やってみましょうって流れに。

カードが配られ、最初の昼のターン。

早速バリバリ勢がすごい勢いで場を仕切り出した。

互いの意見の隙を突き、畳み掛けるようなマシンガントークで場の支配権を奪い合うバリバリ勢たち。

何だこれ……誰が何を言ったとか全然覚えらんないし、大体語気強すぎない……?尋問かよ……思ってたのと違うしなんか怖いわ……。

もちろんあくまゲームなので、本気で相手人格攻撃してる訳じゃない。

分かっちゃいるが、目の前で繰り広げられる論戦に若干縮み上がっていた。

自分議論ディベート慣れしてない人間ってのもあるだろうけど。

そんなことを考えてるうちに、あっという間に1ゲーム目が終了。

終始置物状態だったが、主催者自分を含めた初心者組にあたたか言葉をかけてくれた。

初心者歓迎!の言葉マジで嘘は無かった。

この時は、自分でもまあ一回目だしこんなもんだよねって思っていた。

内心嫌な予感はしていたけれど。

ゲームは次々と進んでいく。

他の初心者組は、果敢にも攻めた発言トライするようになっていった。

未だにどう振る舞えばいいかからず、ずっと沈黙を守っているのは自分だけだった。

ところで、人狼ゲーム参加者積極的自分の役を演じることが求められる。

そういうゲームなのだ

ただまごついて押し黙るのと、戦略沈黙は異なるのだ。

例えるなら、バスケでゲームの流れを把握しつつあえて遠くでボールを待ち構えるのと、運動が苦手でプレイに参加できず端の方で突っ立ってるのが全く違うのと同じだ。

後者はやる気のない奴、役立たず、協調性の無い奴と見なされ、運動部の連中に散々こき下ろされる。

そう、妙に具体的な例え話から分かる通り、人狼ゲームでどうしていいかからフリーズし続ける状況が、自分人生の数々のトラウマとばっちりリンクしてしまったのだ。

ついでに言うと、語気の強い言葉キャッチボールも苦手だし。

本当、お前どうして参加したんだよ。

話を戻すとして。

いい加減他の参加者視線が痛い……気がする。何か言わなきゃマズい……。でもタイミングが掴めないし、第一何を言えばいいのかさっぱり分からない……。

そんな時、慣れてるっぽい参加者が話を振ってくれた。

チャンスだ!とおどおどしながら懸命に答えた。

席の近い美人女性に「素直だね〜クスクス」って笑われた……。

これはご褒美……じゃないんだよな……。

悪意が無いのは分かっていたけど、学生時代カースト上位の女子馬鹿にされまくったトラウマが蘇り、めっちゃ心に刺さった。

その後も、気遣われて話を振られても自分のロールを分かってない発言を連発し、場を凍りつかせまくった。

もう帰りたいです……。

そんなこんなでオフ会は終了。

この後メシ行く人〜とワイワイ盛り上がる彼らから、逃げるように帰宅した。

まとめると、

人狼ゲーム自分に全く向いていないし楽しめなかった

・それだけなら興味を失って終わりだったが、ゲーム内容と相性が悪すぎて、要らんトラウマを増やしてしま涙目

ってことです。

つい最近、「人狼初めてやった時慣れたプレイヤーに馬鹿にされまくって人狼嫌いになったわー」って話を見かけて、ああ合わない人はトコトン合わないゲームなんだな……って思ったので、トラウマ供養も兼ねて吐き出すことにした。

これだけは言っておきたいが、自分が参加した人狼の会のメンバーは本当にいい人たちでした。

初心者にもちゃん配慮してたし、右も左も分からないカモをいきなり吊ろうとする人たちじゃ無かったし。

ただ自分の順応性の無さと場違いさが想像はるかに超えていただけで…。

おわり。

2020-06-17

その女の子と初めてせっくすしたとき

「どんな女の子でも、せっくすのときは恥ずかしい格好するんだ」と言ったら、

「どんな男の子もおちんちんを固く大きくさせるし」

女の子さんに『四つん這いになって』って、後ろからしてる時申し訳ない気持ちだった、やらせといてだけど」

「なんで?」

「僕が支配権権持って偉そうだから、状況に乗っかって」

「でもそれで私が従うかどうか試したんだよね?」

「ぎくっ」

「私は従いましたよー。最初のせっっくすからこんな体位チャレンジするんだ、と思いながら。

私は顔見えないし、後ろからは丸見えだし、動物みたいにやられてるなー。って考えてた。

私のこと好きでしょ?」

はい

「よろしい。これからずっと私を楽しい気持ちにさせたまへ。気持ち良くも」

2020-01-20

anond:20200120140950

家の金の支配権があろうが、元々金がなけりゃ自由に使える金なんかないだろうが。

そこで自由に使える金が豊富にあるのをセレブ妻と言うんだよ。勿論全体からしたら例外だがな。

そしてランチの方がディナーより高い店なんかあるか。

元々夜より客が少ない時間帯に、夜より安く提供する事で客を呼ぼうってのがランチ営業だろ。

安い分当然内容もディナーに劣るものしか出ないがな。

2019-12-25

bless you って的確だなって思った

くしゃみの瞬間って、反射反応だから、理性が支配していた身体を本性(ほんせい)が奪うともいえる。したがって、身体を奪われた理性が身体から剥離するという想像は難しくない。剥離体が再び身体支配する(すなわち本性が鎮まる)とき、その定着を錯誤なく完了するために(アブラハムの)神の手必要だと思わせたのだろう。

しかし、理性から身体を奪った本性(生命維持のための反射反応)こそが人格の主人だと考えると、話は逆になってくる。普段身体支配しているのは本性であり、理性は時間的領域的に一部の支配権を移譲された状態しかないと考える。すると、くしゃみの瞬間は人間本質の顕れであるといえる。その結果は、二通りの反応とスペクトラムになる。すなわち、第一に、本性の発露は正しく善であるのでそのままを容認する反応。第二に、本性の発露は動物的で人間らしくないので容認しない反応。あるいは、社会性に因る分別を通過して容認か非容認かを選択する反応である

以上のことから

2019-09-26

anond:20190926190357

男性は、多く払うと女性のために何かしてあげた気になれる。

女性は、それほど好意を持っていない男性でも、男性に多く払ってもらうと得をした気になる。

男性支配権の誇示かもしれないが、女性はそんなことに恩義は感じていないと思う。

2019-05-15

anond:20190515223845

えー、だって都会の人達って田舎さら僻地なんかに興味ないでしょう。

仮に竹島北方領土なんかの支配権を取り戻したとしても、その土地のためになることを何かしてくれるとは思えないし。

だったら実効支配してる国に差し出した方が有効活用してくれるだろうし、島も島冥利に尽きるだろう。(尖閣中国実効支配してるわけでもないが)

例え一方的日本の負けだって領土問題解決には違いない。

2019-01-29

anond:20190129120428

「大多数の人間」が絶対的支配権をもって少数派を摺りつぶしていいルールなんかないんやで?

暗黙のルールもしらない社会不適合者は黙れ

anond:20190129120045

「大多数の人間であるというエビデンスすらないんやで?

そして「大多数の人間」が絶対的支配権をもって少数派を摺りつぶしていいルールなんかないんやで?

2019-01-23

https://anond.hatelabo.jp/20190123112242

イトコ婚制度政治資金の非課税制度を利用して

一族の富と地位社会支配権保護し、富の集中を拡大する

不服な奴らはブラック企業にぶっこんで人口を減らす

増田はそういう資本家サイドかい

2018-12-06

anond:20181206125943

支配権が偏る時点でそもそも対等じゃなかったってことだから別れるのが自然な成り行きだろう。

最初からそういう相手だったってこった。

2018-12-02

我々は一人の社員を失った。

これは敗北を意味するのか? 否! 始まりなのだ

GAFA連邦に比べ、我がNTT年収は30分の1以下である

にもかかわらず、今日まで戦い抜いて来られたのは何故か!

我がNTT職場環境正義からだ!

我々は郵政省公社を追われ、民間企業にさせられた。

そうして、一握りのエリートが、全地球にまで膨れ上がったGAFA連邦支配して20余年。

日本に住む我々が社員引き留めを要求して、何度連邦に踏みにじられたか


我が社員諸君が愛してくれたXXXXXXは辞めた。何故だ!?

新しい時代覇権を、我ら選ばれた社員が得るは歴史必然である

ならば、我らは襟を正しこの戦局を打開しなければならん。

我々は、過酷競争環境生活の場としながら、共に苦悩し、錬磨して手厚い福利厚生を築き上げてきた。

かつて中曽根康弘は、行政革新郵政の民たる我々から始まると言った。

しかしながら、GAFA連邦モグラ共は、自分達が情報通信産業支配権を有すると増長し、我々に抗戦をする。

諸君の、父も、子も、その連邦の無思慮な抵抗の前に辞めていったのだ。

この悲しみも怒りも、忘れてはならない!

それをXXXXXXは退職をもって我々に示してくれた!

我々は、今この怒りを結集し、GAFAに叩き付けて、初めて真の勝利を得る事ができる!

この勝利こそ、退職者全てへの最大の慰めとなる!

悲しみを怒りに変えて、立てよ社員

我らNTTこそ、選ばれた民である事を忘れないで欲しいのだ。

優良種たる我らこそ、人類を救いうるのである

ジークミカカ!!

2018-07-19

少子化って何が問題なの?

私はもう人間がすべていなくなって

地球支配権猫ちゃんに渡した方がいいと思ってる

2018-07-04

日本ネットコミュニティ環境ネット国境が出来る日

最近徐々にインターネットに(事実上の)国境が出来るのではないかと思い始めている。

いや、国境というより大量の検問が作られると言う方がわかりやすいだろうか。

中国の台頭とEUネット政策を見ると明らかにそちらに傾いているように見える。


KADOKAWA川上社長ブロッキングにまつわる議論を見ているとどうしてもそのような考えが浮かんでくる。

ニコニコ動画差別に対して肯定的であるか否かという議論がしばしば起こる。

ニコニコ動画在特会専門チャンネルを一時期容認していたり、ネット右翼のユーザーが多いためそのような議論が出てくるようだ。

だがここで冷静に考えて欲しいのだがニコニコ動画在特会チャンネルを最終的に削除した。


https://www.huffingtonpost.jp/2015/05/19/zaitokukai-niconico_n_7312092.html


一方でYoutube在特会桜井誠チャンネルを削除したのは2018年6月である

さらYoutubeネット右翼の動画数はニコニコの比ではない。

別に川上社長擁護するわけではないのだがなぜこのような差が生まれたのか考えるとYoutube日本企業ではなく

アメリカ企業であったからという理由がどうしても大きいように思える。

同じようにTwitter日本支社の対応が歪んでおりまったく差別発言などの削除が行えていないのではないかと話がずっとついて回っている。


はてなではニコニコが「日本企業であるため、差別容認していると見ているように思える。

だが実態

「どんなに規約差別に対して許さないといっても他国で他言語日本コミュニティは明らかに二の次である

という状態だ。

もちろんYoutubeTwitterが悪意をもってそのようなことをしているとは思っていないが。

ニコニコ動画ネトウヨを押し込めといって活動している人達がいるが

その間にYoutubeに大量のゴミ動画が作られる可能性はどう考えても高い。


これは現実政治法律日本支配権を握っているにもかかわらず

ネット世界ではアメリカ企業支配しているから起こる現象だ。

アメリカ人は通常日本語をできないし、日本政治法律に通じているわけではない。

だが良く考えて欲しいが、企業がその国の法律コンプライアンスを守らないという状態は全く正常ではない。

おそらく今後もYoutubeTwitterに対して抗議の声を挙げ続ける人はいるだろうが全ての決定権はアメリカ他国に委ねられている。

これは明治時代不平等条約下における大日本帝国事実上同じ状態なのではないか

おそらくEUエリート達はこの事実に気づいたのではないだろうか。

中国の長城につづきEUのグレートファイアウォールが出来る可能性は高い。


その時われわれ日本インターネット環境果たしてどのようになっているだろうか。

2018-03-17

anond:20180317193638

かにな。

それにね、痴漢が多いのもそれが原因だと個人的に思う。

人が嫌がると自分も嫌だって感覚母子愛がルーツだと思うから

どんなことがあっても人を傷つけないっていう気持ちは、母の無償の愛から学ぶことだと思う。

でも、父性って強い者こそ正義であり、強い者には支配権正当化されるって意味合いあるよね。

母性精神が欠如したら、力で女を抑えれば正義だってなるよね。

母性父性が揃ってれば、人の痛みは自分の痛みっていう母性が理性(父性)をドライブするから痴漢は止められると思う。

2018-03-01

anond:20180301210210

宇宙人が既に地球に来ていないという根拠存在しない

俺はもう宇宙人地球に来ていると考える

ではなぜ公開しないと俺にいうだろうが

それは公開するメリットがまずないからだ

1.人間自己進化をやめてしま

宇宙人科学技術横流しして使いだしても

自己進化をやめた人間が使えば戦争の道具や争いにしかならないだろう

人類自力調和を持つようになるまでは宇宙人科学技術提供なんてしてくれない

 

2.なぜ地球支配してこない

植民地理解人間の考える現実限界から

空間を超越してやってくる宇宙人地球を欲しがる理由がない

やってくる理由すらないほうが自然

もしやってくるなら未開の猿を救おうとする慈悲の心以外に有り得ない

 

3.1と2の理由から今は人類テスト期間

人類自力核兵器を捨てて戦争に頼らない統一政府を作り出し人口調整ができる時代に至るまでは

宇宙人技術提供しないし助けもしない

から当面の目標世界統一して支配権が誰にあるのかを宇宙人に示す必要がある

表向きは昔から戦争っぽいけど今はそういうステージじゃない

宇宙人に答え合わせの解答用紙を誰が持っていくかで、地球支配構造覇権争いされている

もちろん同じ目的で動いていない宇宙人いるから一緒に働いてるやつもいるでしょう

 

特に目撃例についてとやかく言われるけど

日本みたいに何もない国にきてどうすんのって話でしょ

一番先進的な国がアメリカなんだから

あなた地球に来た宇宙人アマゾン川に降りると思います

 

宇宙人地球存在しないという現実

あなた宇宙人出会うだけで崩壊する大したことのない希望的観測なんです

それは原発メルトダウンしたことと同じように根拠のない絶対なんです

この宇宙生命誕生物理法則になった確率と比べたら

既に宇宙人地球滞在してる確率の方がずっと低い

もっと早い段階で心ではなく力を信じるべきだった

より多くの人間を救うことが使命であり正義だと思っていたが

その自分の考えこそが大いに間違いであるという疑問を持たないでいた

現実はそれを実行できるか、結果に起こせるかということにしか関心がないようで

人間の信じる心や愛や真実にはとんと無関心らしい

自分の考えてきた正しさという者は心の中にしか存在せず

過去成功例はないし未来にもまた一切ないだろう

それについて絶望しているもの弱者であり強者はただ合理的行動を取ることができる者であるというのは疑いようがない

強い者が強くあり続ける理由がようやく分かった

それを俺が求めている答えでないことも、認められないことこそが己の弱さであることも

やるべきことは突き留めることではなく、それを理解自分が変わることではないだろうか

俺は産まれときからずっと支配権を握られることに強い抵抗を覚えてきた

自分よりも強い存在がいることに激しい怒りを覚えた

特に感情的な行動が多かった

思考よりも感情を優先した

なぜ支配されることが嫌なのか考えてみたが、それ以上の理由がこたえられない

かに決定されることが極端に嫌いだ

地球支配構造についても嫌いだし資本主義についても嫌いだ

この宇宙物理法則にしたって嫌いだ

なぜ生命には寿命があり、死ななくっちゃいけないんだと

なぜ全ての人間が同時に幸福になってはいけないのかと

この宇宙法則性という支配力そのものに怒りを覚えている

なぜ俺は決められなくてはならないのかと

自分意志やチカラよりもずっと上位に存在する階層から

影響を受けて支配され続ける限りは俺は永遠に自由になることはない

俺の求めている自由が一体何を意味するのか俺自身には分からない

から正確な怒りの理由動機説明できないが、とにかくずっと怒りを感じてきた

人という檻の中で生きるのが苦痛だし、

社会的ルールを守り続けるのも本当に苦痛

宗教的観念モラルにしても倫理にしても守らなければ自分の身を守れないという理由で守っている

決して美的感覚ポリシーから守っているのではない

まり善人ではないのだ

俺が自分根本的な悪人悪感情を持っていることを強く自覚している

自分のものが悪だと思っている

例え犯罪的な行いをしていなくとも心が悪なのだ

善とは嘘偽りのない感情で、常時ではなくとも、常に善人としての行動や心情を選択できる人間だと信じている

だが

俺はそのような人間と、完璧な善人と出会った事がない

から探し続けている

悪人は死んでもいいからだ

俺は自身が悪であり、生きるべき善人を見つけたときにやっと死ぬに値する人間として生を受けたことを自覚し、

死を受け入れることができる

それが死生観

ずっと探し続けているが見つかりそうにない

もちろん俺と比べたら幸せな家庭をもっていたり守る家族を持つ、まっとうな人間は見てきた

だがどこまでも自分は疑いを持ち続けた

無力だ

100%確率でそんなものはないし、自分を納得させれるだけの材料は揃わないとも思っている

愚かだ

であれば開き直り弱肉強食世界に対して利用できるものを踏みにじっていくという精神性を持つべきだった

自身が悪であると思いながら悪を肯定しきれない未熟さ不安定さが俺の人間としての軸を破壊している

矛盾したポリシーのせいでだ

から俺は今度は絶対的な力を持つ存在を信じることにする

この世の正しさを作り出せるとしたら圧倒的な力だ

俺のように無力な人間にも目はついていて耳は聞くことができる

恐ろしく力の大きな存在を少しでも感じることで俺は残りの人生の生きる糧にしようと思う

俺はもう生きるのに飽きてはいるが

やはり死んではならないと考えている

自分意志の強さを信じている

ずっと繰り返してきたのだ、10年以上

から楽しみは観察することや知ることだけだ

もう何かを変えられるとは思わないし興味も無くなった

聖人がどこにいるか探すよりも力を見ていたほうがずっと正しいと思っている

今ではそうだ

2017-06-05

鎌倉戦国時代に燦然と輝く北条家は、日本史教科書では分からない

http://anond.hatelabo.jp/20170604204919

日本史教科書いくら見ても本当のところは理解できないんですよ。

なぜ北条家が坂東武士の頂点に立ち、鎌倉幕府頼朝が作ったにも関わらず、北条がその後の支配権を握り続けたのか。そして戦国時代に「後北条家」が、北条家と特に関係がないのに成立し、関東盟主足り得たか源氏とは、北条とは何か。

北条は、坂東平氏の家柄である坂東平氏とは、桓武天皇の血を引く、関東にやってきた平氏総称であり、その五世である平将門新皇自称して、朝廷に対して関東支配権を主張して反乱を起こし、敗れた後に祟りを起こして神となったことで、関東に決定的な影響力を及ぼすようになった。

平将門は神である。そこを間違えてはいけない。平将門怨念とされるものは畏敬の対象として、現代人に対しても深く印象づけられているが、関東ではほぼすべての神社平将門を祀っていたほどに力があった。坂東武士たちにとっては、平将門は実際に神であり、朝廷反旗を翻し関東独立した政権を、坂東平氏が頂点となって打ち立てることは坂東武士の念願であった。平忠常というそのへんの平氏関東で反乱を起こしただけで一大ムーブメントになってしまうぐらい、平氏関東支配朝廷から独立するという夢は坂東武士の間に広がっていた。元記事に書かれている関東の有力豪族千葉氏上総氏は、平忠常の子孫とされている。

そこにやってきたのが源頼朝である源頼朝清和源氏事実上嫡流である清和源氏桓武平氏といった用語を知らない人のために説明すると、天皇家は偉いわけだが、子孫がいつまでも皇族だと皇族が際限なく増えてしまい、現代で言う宮内庁予算が際限なく増えてしまうので、どこかで平民になってもらわなければならない。平民になる時に、皇族には名字がないので、名字を与える必要がある。その時に、源、平の名字が与えられた。天皇の血を引くスゴイ人たち、という意味が源、平という姓には込められている。清和源氏清和天皇の子孫で源姓を名乗った人たち、桓武平氏桓武天皇の子孫で平姓を名乗った人たちである

たとえば足利も、徳川も、本姓は源である。源尊氏源家康が本名だ。なぜ足利とか徳川というかと言えば、源が増えすぎて区別必要が出てきたというのもあるが、源というスゴイ名字を出すのは気が引けたから、という要素が大きいように思う。本当の名字は避け、住んでる所を名字にする、といったことをして、木曽義仲とか、足利尊氏とか、あるいは自分でっち上げ徳川という名字を使った家康のような人もいる。これを説明するには、武士にとって本名いかに大切であったか述べなければならないが、面倒だ。武士の下の名前は諱(忌み名、呼んではいけない名前)とされていたということを考えれば、上の名前もそれなりに大事だということはわかると思う。(そして信長様~とか秀吉様~とか言っている時代劇が全部嘘っぱちだということも分かるだろう)

平忠常の乱を平定しようとした、桓武平氏嫡流平直方は、乱の平定に失敗するが、清和源氏事実上嫡流である源頼義を婿に迎え、領地であった鎌倉を譲り渡す。この時、鎌倉坂東源氏拠点であると同時に、平氏源氏嫡流が交わった聖地という意味が生じた。そこから八幡太郎義家が生まれ源氏の声望が高まり、その嫡流である頼朝権威づけていく。

ここまでくれば、坂東平氏である北条家が頼朝を婿にとり鎌倉本拠地に据えた意味が分かるだろう。平家源氏が交わり、鎌倉拠点とするというのは故実に則った神聖儀式なのだ。ちなみに、北条家が坂東平氏の由緒正しい血筋だというのはおそらく自称であり、フィクションである。だが坂東武士は将門の祟りの方が怖いので、血筋の細かい所は気にしないのだ。

鎌倉に作られた幕府は初めから天皇を中心とする朝廷対立関係にあり、承久の乱勝利することで朝廷の上位に立ち、皇位継承操作するまでになった。それはなぜかといえば、平将門朝廷から独立志向していたかである平将門怨念が実際に実を結んだのが鎌倉幕府である頼朝の下で働いた北条梶原三浦和田千葉熊谷などは、みな坂東平氏である。そして役割を終えた源氏はどこかに消えて、坂東平氏北条家による支配が行われた。

そして戦国時代、後北条家の話になるが、後北条家は伊勢新九郎盛時、北条早雲によって立ち上げられる。伊勢氏室町幕府政所執事の家柄で、ものすごく偉い。ちなみに桓武平氏である

室町幕府というのは北条家に牛耳られた鎌倉幕府を倒して出来た政権である鎌倉幕府内の源氏で最高の血筋だった足利鎌倉幕府を倒し、北条家はほぼ滅亡してしまう。そして源氏である足利京都朝廷とベッタリの幕府を作った。平氏による独立志向関東幕府から180度の転換である

史実ではものすごく偉かった伊勢新九郎盛時であるが、実家室町幕府の偉い家柄で、関東を牛耳りに来たというのは、いかにも坂東武士には都合が悪い。仕方ないので、先祖を辿れば同じ坂東平氏という縁にあやかって、北条の名を名乗ることにした。ちなみに名乗ったのは息子の氏綱の代である。そこで、おそらく後北条家のプロパガンダによって、歴史改変が行われ、謎の素浪人北条早雲が、下克上嚆矢となり関東に覇を唱えたという、我々のよく知るストーリーが現れる。よく調べると、全てデタラメである

これにより、なぜ後北条家が秀吉と争い、滅亡への道を歩んだかも分かるだろう。秀吉関白天皇代理である天皇と対抗する存在である坂東武士にとって、秀吉に降ることは、平将門祟りを招きかねない決断であった。そのため、天下の趨勢が決しても、徳川伊達の援軍が得られなくても、単身で秀吉と抗い、滅びたのである。それだけ将門の祟りへの畏れや、坂東武士の誇り、天皇家という存在に対する対抗心が強かったのだ。

平将門武士の始まりであり、武士スピリット体現する存在である武士は武装し土地を守り、権力に抵抗する存在であると同時に、一族で争い、殺し合う存在である。その構図は徳川家康武士を飼いならすことでご破産になり、そこにあった本質は見えにくくなってしまっているが、武士を知りたければまず平将門を見て欲しい。

続・山川出版日本史の何がすごいのか、さっぱり分からない

http://anond.hatelabo.jp/20170604204919

これの続き。(文字数制限にひっかかったので分割します)

  

三省堂日本史B 改訂版』(日B 015)

1183(寿永2)年、義仲軍は京都に入り、食糧不足もあって狼藉を続けた。京都にとどまった後白河法皇後鳥羽天皇即位させ、寿永二年の宣旨頼朝東国での支配権を認めるとともに、義仲軍の乱暴ぶりを口実にして頼朝上京要請するなど、政治力の強化につとめた。しかし、頼朝東国支配を固めるために鎌倉を動かず、かわりに弟の範頼・義経上京し、1184(元暦元)年、二人は義仲を打ち破った。

義仲が京都乱暴狼藉を働いたという記述があるのは、意外にもこの教科書だけでした。

兵糧不足のまま進撃して首都占領しても、どうせ軍規が乱れて略奪しまくるぞというのは、日中戦争における南京事件南京大虐殺)のことを言いたいのかなと思いましたが、それは深読みのしすぎかもしれませんね。どうなんでしょう?

  

また、これは下記の引用部分になりますが、頼朝が初めて上京したタイミングがいつだったかを明記しているのは、この教科書だけだと思います

(この点はとりわけ山川の『詳説日本史』が最悪です。頼朝西国での平家追討の仕事をすべて弟の範頼・義経らにやらせ自分はその間ずっと鎌倉にひきこもって地盤を固めていたという基本的事項すらも把握できない書き方がされているんです。)

頼朝挙兵以来、北条氏三浦氏などの東国武士たちと主従関係を結んで、彼らを御家人として組織した。そして1180(治承4)年、御家人の統率と軍事警察担当する侍所を設けて、有力御家人和田義盛別当長官)に据えた。さらに1184(元暦元)年、一般政務をつかさどる公文所(のち政所)と問注所を開設し、実務に優れた下級官人らを側近にして職務を分担させるなど、支配機構の整備を進めた。

頼朝後白河法皇要請を受け、範頼と義経平家追討を命じ、1185(文治元)年、長門壇ノ浦平氏を滅亡させた。後白河法皇頼朝権力拡大を恐れて義経を重用し、頼朝の追討を命じたが失敗した。逆に頼朝は、親鎌倉派の公卿九条兼実藤原兼実)らを朝廷重要政務担当する議奏につかせ、反鎌倉派の貴族追放し、義経の捜索を名目に国ごとに地頭を置くことを認めさせた。さらに1189(文治5)年、頼朝義経をかくまったことを口実に藤原秀衡の子の泰衡を攻め、奥州藤原氏を滅ぼした。こうして頼朝東国西国の多数の武士御家人として組織しながら、主に東国支配確立していった。

1190(建久元)年、頼朝挙兵後はじめて京都に入り、右近大将に任命され、後白河法皇没後の1192(建久3)年には、法皇の反対で就任できなかった征夷大将軍に任命され、名実ともに鎌倉幕府が成立した。」

当然ながら『詳説日本史』にも、侍所政所問注所地頭というキーワードは出てきますしかし、治承・寿永の乱とは別項に記述されているため、時系列が分かりづらくなっています

それに比べて、この教科書歴史の流れの中にキーワードを配置しています。だから時系列に即してこれらの言葉意味理解することができるはずです。

  

結びが「名実ともに鎌倉幕府が成立した」という記述になっているのも、味わい深いです。

鎌倉幕府の成立が何年かという論争を垣間見ることができます名目的には1192年に幕府が成立したと言えるが、実質的にはそれ以前から幕府政治機構ができあがっていたというニュアンスを含ませているのでしょう。

  

  

  

あとは、上記引用中の「義経の捜索を名目に国ごとに地頭を置くことを認めさせた」という記述が最高にクールです。

一般には1185年、義経の捜索を名目にして守護地頭が設置されたとされていますし、国ごとに置かれた役職地頭ではなく守護だと暗記している人が多いんじゃないでしょうか?

例えば山川の『詳説日本史』はそうなっています。それによると、頼朝は1185年に「諸国には守護を、荘園公領には地頭を任命する権利」を獲得したとされています守護は「おもに東国出身の有力御家人から選ばれて「原則として各国に一人ずつ」任命され、「大犯三箇条などの職務を任とし」て国内御家人を指揮統率し、とくに東国では在庁官人支配することで「地方行政官としての役割も果たし」ました。いっぽう、地頭は「御家人のなかから任命され、任務年貢徴収・納入と土地官吏および治安維持」です。「頼朝は主人として御家人に対し、おもに地頭に任命することによって先祖伝来の所領の支配保障したり(本領安堵)、新たな領地を与えたりした(新恩給与)」わけですが、このことが御恩と奉公関係となって封建制度の基礎となりました。

  

ところが、三省堂の『日本史B 改訂版』(日B 015)によると、ここの説明がこれとまったく異なります。私が先に引用した項では、1185年の出来事として守護の設置には言及せず、地頭の設置だけが記述されていますしかもその"地頭"は国ごとに置かれたものだとされているのです。

私は最初にこれを読んだとき、わけがからなくて混乱しました。それでがんばって自力で調べてみて(独学なので苦労したナァ)ようやく理解できたのですが、1185年の文治の勅許守護地頭が置かれたとする『吾妻鏡』の記述には疑いがあり、実はこれがかつて学者の間でも論争になったテーマだったらしいのです。

1960年石母田正が新説を発表したのですが、おおざっぱに言うと、新説では、この時点で置かれたもの守護地頭ではなく、地頭(国地頭)だったとしています。それはわれわれが普通一般に知っている地頭(荘郷地頭)とは異なり、一国を統括する強大な権限を持つ存在です。この国地頭はすぐに廃止され消滅しましたが、守護前身となりました。

三省堂教科書は、次項でそのことが説明されています頼朝がはじめは国ごとに"地頭"を派遣して荘園国衙領のいずれからも兵糧米を徴収させていたこと、そのやり方がひどすぎたから反発を招いて、以後は"地頭"に代わるものとして守護を置いた、という記述になっています。またこれに続いて、頼朝は「荘郷地頭と呼ばれる地頭を任命し」、平氏没官領や謀反人の所領跡で「年貢公事徴収治安維持に当たらせた」としています

このように、三省堂教科書では、「国地頭」と「荘郷地頭」をはっきりと区別しているのです。

  

実教出版もこの新説を採用していますこちらも合わせて読んでおくと、国地頭のことが大変よく分かります東京出版は本文の記述が旧説に拠っていますけど、欄外では国地頭が惣追捕使とならび、守護前身として存在していた話をちょこっと説明しています。これらの教科書は「国地頭」論争の成果を取り入れており、学問的に誠実だと思います

それに対して山川の『詳説日本史』は旧説を採用し、1185年に守護地頭の設置が認められたとする断定的な記述になっています。これが他の教科書とのあいだに無用矛盾を生じさせているのです。私と同じようにこの点につまづいて、困惑してしまった高校生が少なからずいるんじゃないでしょうか。

  

なお、山川参考書『詳説日本史研究』にもこの新説の紹介はありません。同社『日本史B用語集』には「国地頭」という用語掲載されていて、そこでは一応説明がされているんですが、あたかも国地頭が荘郷地頭前身だったと思わせるような記述です。

地頭(じとう)⑪:1185年、頼朝要請後白河法皇諸国公領荘園地頭を設置することを認めた。当初は1国単位荘園公領支配する国地頭を設置したが、まもなく平家一族の所領として没収された平家没官領と謀反人跡地に限定した荘郷地頭となった。しかし、公家寺社の強い反対で、一時縮小、承久の乱後に全国化した。任務土地管理年貢・兵糧米の徴収治安維持など。

地頭⑤ 荘郷地頭

  

山川出版日本史B用語集』より

ですが三省堂実教出版東京書籍の教科書によると、国地頭はむしろ守護へと発展的解消を遂げたという記述なんですから、『日本史B用語集』のこの説明とはやはり若干の矛盾が生じています

「国地頭」を教科書に載せている上記の主要3社の文脈に従うなら、この用語独立の項目として取り扱うか、せめて「地頭」の項目じゃなく「守護」の項目にいれて取り扱うべきじゃないでしょうか。

  

(追記 これはインターネット上の情報なので私は未確認ですが、現在は『詳説日本史』にも国地頭掲載されているそうです。近年改訂されたんでしょうか。

予防線を張っておくと、私は高校日本史Bを履修しなかったし、大学理系に進みました。教科書を読んだのは興味本位にすぎません。

はじめに書いたとおり、最新版教科書を持ってません。今回はてブでバズっていてびっくりしましたが、筆者は歴史学の専門家でも何でもないことをお断りしておきます

追記id:HRYKtbykさん、確認をしてくださり感謝です。)

  

  

  

追記

複数教科書を読み比べすることで、『詳説日本史』を読むだけでは見えないポイントが浮かび上がってきます

『詳説日本史』では、前九年合戦後三年合戦のところで、「これらの戦いを通じて源氏東国武士団との主従関係を強め、武家棟梁としての地位を固めていった」とあります。これが後の頼朝挙兵につながるわけですが、それは時代を経てからのことだから教科書のページが離れすぎていて、この関連が把握しづらくなっています

ここで例えば山川出版社『新日本史B 改訂版』(日B 018)のような他の教科書と読み比べてみると、『詳説日本史』がこの簡潔な一文を通して伝えたかたことを理解することができるのです。(上述参照)

  

つぎは例えば、貫高制・石高制を見てみましょう。

『詳説日本史』によると、戦国大名性格は次のように説明されています戦国大名は「新たに征服した土地などで検地をしばしばおこなっ」て、それにより「農民に対する直接支配」を強化しました。そして国人地侍を取り込むため、貫高制を導入しました。これは戦国大名が彼らを「貫高という基準統一的に把握」して軍役を課す制度でした。それでここからすこし時代下り、別のページで豊臣秀吉太閤検地説明しています太閤検地により石高制が確立しました。それは「荘園制のもとで一つの土地に何人もの権利が重なりあっていた状態を整理」し、「一地一作人」を原則とするものです。農民は「自分田畑所有権を法的に認められることになった」わけです。

このような記述だけでも表層的な理解はできると思いますが、実教出版日本史B 新訂版』(日B 014)は、貫高制について「荘園の複雑な土地制度は貫高に組み込まれ大名統一的な国内政治を推進」するものとしています。『詳説日本史』ではせいぜい石高制と荘園制の関係しかからないでしょうが、本書はこのように貫高制と荘園制の関係を明示しているのです。

この視点を最もわかりやす記述しているのが、三省堂日本史B 改訂版』(日B 015)です。本書は貫高制、石高制、荘園制の全部を一つの項目に入れて記述しています。それによると、秀吉太閤検地を行い、「戦国大名の貫高制にかわって、それを発展させて全国に広げた石高制」を導入、その結果「荘園制を完全に崩壊させ」ました。このポイントを把握しておけば、中世から近世への社会の変化を、土地一元的支配確立荘園制の衰退・消滅という視点で見ることができます。本書の特徴は、貫高制・石高制をともにこの視点から語っていることと、しかもそれが荘園制を「完全に崩壊させ」たと言い切っていることです。

ちなみに、東京書籍『日本史B』(日B 004)では、石高制を「近世封建制体制原理」と書いています。これがまったく新しい制度であることを強調しつつ、近世という言葉を使ってその射程を江戸時代にまで広げているのです。)

2017-06-04

山川出版日本史の何がすごいのか、さっぱり分からない

山川出版の日本史いかに凄いかについて情熱的に説明する」

http://blog.tinect.jp/?p=40198

はてなブックマークの人気記事だったので開いてみたのですが、驚くほど中身のない記事でした。

これ、おっさん居酒屋でしゃべっているレベルですよね??

『詳説日本史』を引用するなり参照するなりして、具体的にどこがどうすごいかを語ってほしかったです。

僕も10代の頃はあれが本当に理解できなかった。けど今ならああい教科書が作り続けられる理由がよくわかる。物事を語るにあたって、中立を維持しようとするとなると、事実しか語れなくなるのである

ストーリーというものは、基本的には何らかの価値観を元に構築されるものである日本民族いかに優れているかという視点で歴史を分析すると、それは右翼的な記述にならざるをえないし、平等であろうとすれば、それは左翼的価値観を元に記述せざるをえなくなる。

客観的な記述がされている、左右に偏向していない、中立だからすごいゾ、という感想には呆れ果てました。

いったい全体、どこが情熱的ですか? 教科書を読み返さず、いい加減な記憶をもとに語っても、多分これくらいのことは言えると思います。 

  

クソ記事を読んでしまい、あんまりにもムシャクシャしたので、私が自分で『詳説日本史』を引っ張りだしてきて調べました。

例えば「源平の騒乱」という項目は、次のように記述されています

平清盛後白河法皇幽閉し、1180年に孫の安徳天皇を位につけると、地方の武士団中央貴族・大寺院のなかには、平氏の専制政治に対する不満がうずまき始めた。この情勢を見た後白河法皇皇子以仁王と、畿内に基盤を持つ源氏源頼政は、平氏打倒の兵をあげ、挙兵を呼びかける王の命令(令旨)は諸国の武士に伝えられた。

これに応じて、園城寺(三井寺)や興福寺などの僧兵が立ち上がり、ついで伊豆に流されていた源頼朝信濃の木曾谷にいた源義仲をはじめ、各地の武士団挙兵して、ついに内乱全国的に広がり、5年にわたって騒乱が続いた(治承・寿永の乱)。

平氏は都は福原(現・神戸市)へと移したが、まもなく京都にもどし、畿内を中心とする支配を固めてこれらの組織に対抗した。

しかし、畿内西国を中心とする養和の飢饉や、清盛の死などで平家の基盤は弱体化し、1183年(寿永2)年、平氏北陸で義仲に敗北すると、安徳天皇を報じて西国都落ちした。やがて、頼朝の命を受けた弟の源範頼義経らの軍に攻められ、ついに1185年に長門の壇の浦で滅亡した。

この一連の内乱の行末に大きな影響をおよぼしたのは地方の武士団の動きで、彼らは国司荘園領主に対抗して新たに所領の支配権を強化・拡大しようとつとめ、その政治体制を求めていた。

ここには明らかに編者の歴史観と、因果関係説明が詰め込まれています

  

まず、平清盛後白河天皇幽閉したこと、安徳天皇即位させたことは、この教科書では「平氏の専制政治」と評されています

当時の人たちがそう感じていたのか、それとも教科書の編者がこの評価を下しているのか、どちらなのか判然としませんけど、ともかく本書はこの評価にもとづいて記述がされています

  

次に、この「平氏の専制政治」が地方の武士団中央貴族・大寺院の不満につながって、 以仁王源頼政はそういう情勢を見たので挙兵したと書かれています

これはまさしく因果関係に言及しているわけです。

  

このように、教科書は単なる事実の羅列ではありません。歴史に対する評価因果関係がしっかりと述べられているのです。

そこにどういう学問的な裏付けがあるか、歴史学に無知な私はよく知らないです。あのブログ記事ではそのへんの話を説明していると思ったのですけど、まったくの期待外れでしたね。

  

なお、この教科書とおなじ編者がつくった参考書『詳説日本史研究』(山川出版社)によると、次のように説明されています

治承・寿永の乱は、一般には源氏平氏の戦いといわれている。しか歴史学的にみた場合、この全国的な動乱を単に源氏平氏勢力争いとみるのは正しい理解ではない。以仁王挙兵以降、軍事行動を起こすものが相次いだ。美濃近江河内源氏若狭越前加賀の在庁官人、豪族では伊予の河野氏・肥後の菊池氏である。彼らはあくまでも平氏の施政に反発したのであって、はじめから源氏、とくに源頼朝に味方したわけではない。彼らの背後には在地領主層があり、在地領主たちは自己の要求を実現するために各地で立ち上がったのである

彼らの動向をまとめあげ、武家棟梁となる機会は頼朝以外の人、例えば源義仲源行家、あるいは平宗盛にも与えられていた。頼朝が内乱に終息をもたらし得たのは、彼こそが在地領主層の要望に最もよく答えたからである。この意味で幕府の成立は、時代の画期ととらえることができる。

教科書である『詳説日本史』では、これがたった一文にまとめられているのです。

この一連の内乱の行末に大きな影響をおよぼしたのは地方の武士団の動きで、彼らは国司荘園領主に対抗して新たに所領の支配権を強化・拡大しようとつとめ、その政治体制を求めていた。

こういう史観が妥当なのかというのは、私にはちょっと分からないんですが、この点を強烈にプッシュしているのが『詳説日本史』の特徴と言えるでしょう。

他の教科書を読んでみても、三省堂の『日本史B 改訂版』(日B 015)を除き、この史観はあまりプッシュされていないと感じました。

  

【参考文献】

山川出版社『詳説日本史』(日B 001)

山川出版社『高校日本史 改訂版』(日B 017)

山川出版社新日本史B 改訂版』(日B 018)

東京書籍日本史B』(日B 004)

三省堂日本史B 改訂版』(日B 015)

実教出版日本史B 新訂版』(日B 014)

桐原書店新日本史B』(日B 011)

(このエントリは上記7冊を参照しています。いずれも平成22年ごろ購入。)

  

  

  

余談:教科書の読み比べ

  

山川出版社新日本史B 改訂版』(日B 018)

伊豆に流されていた源義朝の子・源頼朝も、妻・北条政子の父北条時政とともに挙兵して南関東を掌握し、10月には源氏根拠地鎌倉に入った。頼朝は父祖以来の結びつきを背景に、三浦千葉上総氏などの有力な東国武士主従関係を結んで御家人とし

頼朝の挙兵が、東国武士との「父祖以来の結びつき」を背景にしていたものだったということは、他の教科書ではなかなか分からないと思います

三浦千葉上総という武士名前が沢山出てくるのもおもしろいですね。(三浦氏名前が出てくる教科書は多いですが、それはこの時点ではなく幕府成立後、十三人の合議制か、宝治合戦ときに唐突に登場します。)

[寿永二年十月宣旨から義仲滅亡までの]この間、鎌倉の頼朝は没収した平氏の所領(平氏没官領)を法皇より与えられ、経済基盤を固めていった。また御家人を統制する侍所を設置し、その長官である別当には和田義盛を任命した。これに加えて、行政裁判制度を整えるための公文所(のちに政所)・問注所がおかれ、その長官にはそれぞれ京から招かれた朝廷の役人である大江広元三善康信就任した。前後して、義経軍らは一の谷・屋島平氏を追い、1185(文治元)年に壇ノ浦平氏を滅ぼした。

[]は引用者註。

この教科書の特徴は、幕府の政治機構の形成過程を、治承・寿永の乱の進行に併記していることです。

鎌倉幕府の成立が1192年(いいくに)なのか、1185年(いいはこ)なのかという論争は、世間でよく知られているぐらい有名になりました。どちらが正しいかは諸説あるとしても、ただ一つ言えることは、どこかの時点でいきなり幕府が完成したというわけではありません。治承・寿永の乱が続いていた期間に、徐々に幕府の政治機構が形成されたのです。この教科書はその史観が反映されています

  

  

  

桐原書店新日本史B』(日B 011)

北条時政の援助によって挙兵した頼朝は、東国武士たちに支持されて、富士川の戦い平氏を破ったが、その後は鎌倉にとどまって、東国地盤を固めることに専念した。これに対して平清盛は一時、都を福原神戸市)に移して態勢を立てなおそうとしたが、まもなく京都に戻り、1181(養和元)年に病死した。一方、義仲は1183(寿永2)年、北陸方面から急進撃して、平氏一門を京都から追い出した。しかし、義仲は後白河法皇対立したので、法皇は同年、頼朝に東海東山両道(東国)の支配権を認め、義仲追討を命じた。頼朝は弟の範頼・義経らを上京させて、義仲を討たせた。範頼・義経さら平氏追討に向かい、1185(文治元)年、長門壇ノ浦平氏一門を滅ぼした。

この教科書歴史用語の詰めこみを回避しているようで、内容は簡単、文章としても平易です。

上記引用でも分かるとおり、「頼朝に東海東山両道(東国)の支配権を認め」という記述があるくせに、寿永二年十月宣旨というキーワードがありません。治承・寿永の乱、一の谷、屋島の戦いなどは年表に記載されていますが、本文中に記載なし。養和の飢饉、平氏都落ち安徳天皇を伴ったことも言及なし。

というわけで受験生には不向きですが、他の教科書にはない特色もあります

  

鎌倉将軍に尽くして家人となった武士のことを、鎌倉御家人といった。鎌倉御家人になる目的は、将軍面接して(見参)、先祖伝来の所領を承認してもらい(本領安堵)、さらに勲功のあった者は新たな所領を恩賞としてうける(新恩給与)ことにあった。

教科書の中では唯一、桐原書店けが「見参」を掲載しています。これは鎌倉幕府の権威の構造がどういったものであったかを知るための手がかりになるかも。

(他の教科書ではこの用語がないどころか、「将軍面接して」という説明も省かれています

  

["新恩給与"についての註]

土地のものよりも土地に対する一定の支配権と、それにともなう収益権を与えられるのが普通で、そのおもなものが地頭職であった。

これは「職の体系」のことを言っています。他の教科書とは違って、地頭をあえて「地頭職」と見なす視点を紹介し、その意味するところを簡潔に説明しているのがすごい!

所有権が重層的に重なりあっていたというのは、中世土地支配構造を知るうえで一番大切なポイントだと思います

なお、山川出版の『日本史B用語集』には「職の体系」という用語は不掲載で、かわりに「職」の項でそれを説明しています

職(しき)②:一般に職務に伴う土地からの収益とその職務自体を指す。荘園場合、有力者への寄進が何回も積み重なり、下記のような複雑な職の改装秩序を生じた。

本家職①、領家職②、預所職②、下司職②、荘官職①

  

[引用者註:丸の数字はこの用語を掲載している教科書の数]

山川出版『日本史B用語集』より

この説明は悪くないと思いますが、桐原書店は「土地のものよりも土地に対する一定の支配権と、それにともなう収益権」のことと明記しているので、その方が的確です。

しかも、いかんせん、『日本史B用語集』は「職」の用語説明を「院政期の社会文化」のページに掲載しているので、これと鎌倉時代の地頭職との関連が全然分からないです。そして「鎌倉幕府の成立」のページにある「地頭職」の用語説明は、次のようになっています

地頭職(じとうしき)⑤:職とは役職に伴う権益意味。地頭職は御家人が地頭に任命されて認められた兵糧米の徴収や免田(給田)経営などの権利

  

山川出版『日本史B用語集』より

これは間違っていませんけど、この説明を読んで、重層的な土地支配構造があったことを理解できますか? 絶対に不可能ですよね?

せめて「職」「地頭職」という用語同士を紐付けて相互参照させてほしいです。ふざけんなってかんじです。

  

さて、桐原書店教科書に話をもどすと、欄外にこういう豆知識も載っています

幕府とは、近衛府の唐名であるが、転じて近衛大将の居館のことをいった。のちには近衛大将とは関係なく、武家政権意味する語となった。頼朝は1190年に上洛し、右近大将に任ぜられたが、まもなく辞任した。

[ふたつの源頼朝像]

Aについては南北朝時代武将とする説もあり(伝・藤原隆信筆,京都神護寺蔵)、Bも注目されるようになった(山梨甲斐善光寺蔵)。

とてもユニークですね。受験には使えないかもしれませんが、知っておいて損はないです。

  

  

  

東京書籍日本史B』(日B 004)

養和は平氏政権が用いた年号で、これを認めない頼朝の支配する関東では、ひきつづき治承の年号が用いられた。

網野善彦著作『東と西の語る日本の歴史』に、たしかこの話があったと思います

他の教科書には載ってませんが、ピンポイント東大入試に出題されました。

  

源氏鎌倉の関係は、源頼信のころに源氏氏神となった石清水八幡宮を、前九年合戦の際、子の頼義が相模国由比郷に勘請して鶴岡若宮八幡宮前身)を建設したことから始まった。鎌倉は前面に海をもち、三方を山にかこまれた要害の地で、切通によって外部と結ばれていた。

鎌倉という土地をこれだけ情熱的に語っているのは、東京書籍教科書だけです。

上記引用とはまた別に、「コラム 武家の都鎌倉経済流通」というのも掲載されています

東大入試では、「院政時代から鎌倉時代にかけての京都と鎌倉都市の発展」について論述させる問題が出されたことがありますが(1990年)、この教科書はその答案を書くうえで非常に役立つものだと思います

  

  

  

山川出版社『高校日本史 改訂版』(日B 017)

こののち、後白河法皇義経を重んじ、頼朝追討の命令を下したが、これに失敗すると、頼朝はその責任を追及し、逆に義経追討の命令を得た。さらに頼朝は義経をかくまっていた奥州藤原氏を滅ぼそうと朝廷に追討の命令希望したが、法皇がそれを拒否すると、1189(文治5)年に頼朝は追討の命令を待たず、大軍をもって奥州藤原氏を滅ぼした。ここに全国を平定し、その後、法皇死後の1192(建久3)年に頼朝は念願の征夷大将軍に任じられた。

頼朝の悪人っぷりがこれでもか!?というぐらい強調されています

あいつは自分の野望を実現するため、ときには法皇に逆らって圧力をかけたり、朝廷命令無視して独断専行する奴だった、ということを言いたげな記述です。

  

それはともかく、奥州藤原氏を守ろうとした法皇朝廷側と、それを潰そうとした頼朝の厳しい対立がわかるのは、この教科書だけでしょうね。

両者のぴりぴりした緊張関係が伝わってきます

関西にある政権東北地方を使って、関東独立の動きを牽制するというのは、日本の歴史において繰り返し出てくるパターンなので、この視点を漏らさず記述しているところはアッパレ

  

  

  

実教出版日本史B 新訂版』(日B 014)

平氏安徳天皇を奉じて西国に落ちていったが、後白河法皇は京都にとどまり、新たに後鳥羽天皇をたてて政権を維持した。法皇は義仲には平家追討を命じるいっぽう、頼朝には上京をうながして、京都の義仲に対抗させ、武士たちをたがいに牽制させて政局の主導権をにぎろうとした。しかし頼朝は、東国の安定に意をそそいでみずからは鎌倉を動かず、弟の範頼・義経を上京させて、1184(元暦元)年、義仲を討たせ、源氏一族の長となった。ついで義経らは、その当時勢力回復して都にせまっていた平氏を一の谷・屋島などの合戦でやぶり、さらに翌1185(文治元)年にはこれを長門壇ノ浦に追いつめて滅亡させた。

この時代に2人の天皇が同時に存在していたとする視点を取り入れているのがナイス

都落ちした平氏はそのままあっけなく滅んだわけじゃなくて、京都にいる天皇とは違う天皇を奉じて勢力を盛り返していたのです。

どちらの天皇が正統かというのは、つまるところ結果論にすぎません。この教科書はそんな歴史観に基づいて書かれています

  

ちなみに、この教科書の編者は、大半が関西教育機関に属する人たちみたいです。後白河法皇平氏を主軸にした書き方は、編者の関西びいきが反映した結果なんでしょうか。(笑)

例えば奥州合戦について、「奥州進撃のために頼朝は東国だけでなく西国武士もひとまず鎌倉に動員し、これを機会に国ごとに御家人組織の整備をいっそうすすめた」とありますさら西国御家人東国御家人とどう違うかを説明しているのもおもしろく、この教科書関西中心っぽい史観は独特です。

  

  

  

三省堂日本史B 改訂版』(日B 015)

  

……って、おい!? 増田がここで文章を掲載できなくなったんだが??

せっかくこの先が本番なのに、文字数の上限なのだろうか。

つづき→http://anond.hatelabo.jp/20170605001028

2017-06-02

なぜ男はレイプするのだろうか?

自分は男。「女もレイプする」というだろうけど、ここ最近ニュースや、それ以外のことが溜まっているので、厨二っぽいことを呟かせてください。

例のジャーナリストや、AV強要といった話題が相次い亭で、表沙汰になること自体進歩だろうけど、却って気も滅入る。実は二つくらい挟んだところでも嫌な話を聞いていて、それもあってここ数日、こういうことが頭から離れない。

なぜ男はレイプするのだろうか。なぜ男は女を虐げることを喜んでやるのだろうか。世にヤリチンはもてはやされてもヤリマン軽蔑されるのはなぜだろうか。

よくレイプは性欲ではなくて支配欲だという。だいぶ前だが、当時つながりのあった人物が別の男性彼女を寝とった話をニタニタと話しているのを聞いて、心から不愉快になった。そういう実体からして、性欲と支配欲が一体になる様子は十分に理解できる。女とセックスすることが女を支配すること(もしくは他人から支配権を奪うこと)と同義で、そうであるがゆえに相手の心情を問わず暴力的セックスすることが目標になるタイプ男性がいることは明らかだ。誤解しないで欲しいのは、そういう人間は全体ではごく少数で、十分な数の男性は、(高圧的な権威欲こそあれど)暴力支配欲とセックスを切り離しているということだ。

ぶっちゃけAV好きだ。でも、レイプものは見ない。映像でも、女性が嫌がっているものを見ること、ましてや苦しんでいる姿を見るのが苦痛だ。だから、見ない。可愛い子とイチャイチャするAVが大好きだ。気持ちよくないことは嫌いだ。

性犯罪報道を聞くと、正直AVが見づらくなる。自分がまるでそういうゲス人間と同じ人間なのかと錯覚しそうになり、ヘドが出る。そうでないと言い聞かせるためにさらAVを見ようとするくらいだ。

人類が生まれてすでに数万年文明を得てからも数千年経つというのに、まだこんな身近な問題解決してないなんて、本当に呆れる。様々な宗教が性欲を強く禁じていて、自分はそういうのはきつくて嫌だけど、一方で人類を統御するのに必要措置なんではないかとも思っている。そうでないと、女性は逃げるしかなくなる。

神様、早く世の中からレイプを消し去って、男女ともに仲良くできる世界を作ってください。

2017-03-13

そのリーマンの無思慮な抵抗の前に死んでいったのだ!

我々は一人の英雄を失った。しかし、これは敗北を意味するのか?否!始まりなのだ

リーマンどもに比べ、我がスケベな女に出会いたいだけの50代は30分の1以下である

にもかかわらず今日までひとりで正気を保って抜いてこられたのは何故か?

諸君!我がスケベな女に出会いたいだけの50代たちの戦争目的正義からだ。

これは諸君らが一番知っている。

我々は窓際を追われ、渋谷TSUTAYA移民者にさせられた。

そして、一握りのリーマンらが神泉にまで膨れ上がったニガー達とポールダンサー支配して50余年、蒲田に住む我々が自由要求して何度踏みにじられたか

スケベな女に出会いたいだけの50代の掲げる人類一人一人の自由のための戦いを神が見捨てるはずはない。

私の弟!諸君らが愛してくれた岩◯竜◯は死んだ。

何故だ!?

新しい時代覇権を選ばれたドスケベが得るは、歴史必然である

ならば、我らは下の頭を硬くし、この戦局を打開しなければならぬ。

我々は過酷田都暇つぶしの場としながらも共に苦悩し、錬磨して今日文化を築き上げてきた。

かつて、ワカバ・コシーキは人類革新田都の民たる我々から始まると言った。

しかしながらリーマンモグラ共は、自分たちがスケベな女たちの支配権を有すると増長し我々に抗戦する。

諸君の父も、その息子(もちろんそういう意味で)もそのリーマンの無思慮な抵抗の前に死んでいったのだ!

この悲しみも怒りも忘れてはならない!それを、◯二は!死をもって我々に示してくれた!

我々は今、この怒りを結集し、どうせ私服ガイアが輝けと囁いてるリーマンに叩きつけて、初めて真の勝利を得ることができる。

この勝利こそ、戦死者全てへの最大の慰めとなる。

西郷隆盛とその下の息子たちよ立て!悲しみを怒りに変えて、立てよ!アソコよ! がんばっぺ福島

我らスケベな女に出会いたいだけの隆盛たちこそ選ばれた民であることを忘れないでほしいのだ。

優良種である我らこそ巨乳ポールダンサーたちを救い得るのである

ジークジオン!!!!!!!!

やぱやぱ〜

2017-03-06

なぜ女性格差を埋める方法バイオメガで描かれていた

身体改造至上主義」これこそが女性が唯一男性社会破壊し、支配権を握る方法なのである

身体暴力へと変貌させ、脳をアップデートしろ

悲観的に描かれるハードSFの数々は実は風刺ではなく、女性たちのポジティブな願望の具現化なのである

2017-01-20

http://anond.hatelabo.jp/20170120131011

まりにも多くの事例を聞く限り、もうそれは女の習性しか思えないですよね。

家という場の支配権を争う習性なのか、息子を奪われたと錯覚するのか、よくわかりませんが。

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