2018-03-01

もっと早い段階で心ではなく力を信じるべきだった

より多くの人間を救うことが使命であり正義だと思っていたが

その自分の考えこそが大いに間違いであるという疑問を持たないでいた

現実はそれを実行できるか、結果に起こせるかということにしか関心がないようで

人間の信じる心や愛や真実にはとんと無関心らしい

自分の考えてきた正しさという者は心の中にしか存在せず

過去成功例はないし未来にもまた一切ないだろう

それについて絶望しているもの弱者であり強者はただ合理的行動を取ることができる者であるというのは疑いようがない

強い者が強くあり続ける理由がようやく分かった

それを俺が求めている答えでないことも、認められないことこそが己の弱さであることも

やるべきことは突き留めることではなく、それを理解自分が変わることではないだろうか

俺は産まれときからずっと支配権を握られることに強い抵抗を覚えてきた

自分よりも強い存在がいることに激しい怒りを覚えた

特に感情的な行動が多かった

思考よりも感情を優先した

なぜ支配されることが嫌なのか考えてみたが、それ以上の理由がこたえられない

かに決定されることが極端に嫌いだ

地球支配構造についても嫌いだし資本主義についても嫌いだ

この宇宙物理法則にしたって嫌いだ

なぜ生命には寿命があり、死ななくっちゃいけないんだと

なぜ全ての人間が同時に幸福になってはいけないのかと

この宇宙法則性という支配力そのものに怒りを覚えている

なぜ俺は決められなくてはならないのかと

自分意志やチカラよりもずっと上位に存在する階層から

影響を受けて支配され続ける限りは俺は永遠に自由になることはない

俺の求めている自由が一体何を意味するのか俺自身には分からない

から正確な怒りの理由動機説明できないが、とにかくずっと怒りを感じてきた

人という檻の中で生きるのが苦痛だし、

社会的ルールを守り続けるのも本当に苦痛

宗教的観念モラルにしても倫理にしても守らなければ自分の身を守れないという理由で守っている

決して美的感覚ポリシーから守っているのではない

まり善人ではないのだ

俺が自分根本的な悪人悪感情を持っていることを強く自覚している

自分のものが悪だと思っている

例え犯罪的な行いをしていなくとも心が悪なのだ

善とは嘘偽りのない感情で、常時ではなくとも、常に善人としての行動や心情を選択できる人間だと信じている

だが

俺はそのような人間と、完璧な善人と出会った事がない

から探し続けている

悪人は死んでもいいからだ

俺は自身が悪であり、生きるべき善人を見つけたときにやっと死ぬに値する人間として生を受けたことを自覚し、

死を受け入れることができる

それが死生観

ずっと探し続けているが見つかりそうにない

もちろん俺と比べたら幸せな家庭をもっていたり守る家族を持つ、まっとうな人間は見てきた

だがどこまでも自分は疑いを持ち続けた

無力だ

100%確率でそんなものはないし、自分を納得させれるだけの材料は揃わないとも思っている

愚かだ

であれば開き直り弱肉強食世界に対して利用できるものを踏みにじっていくという精神性を持つべきだった

自身が悪であると思いながら悪を肯定しきれない未熟さ不安定さが俺の人間としての軸を破壊している

矛盾したポリシーのせいでだ

から俺は今度は絶対的な力を持つ存在を信じることにする

この世の正しさを作り出せるとしたら圧倒的な力だ

俺のように無力な人間にも目はついていて耳は聞くことができる

恐ろしく力の大きな存在を少しでも感じることで俺は残りの人生の生きる糧にしようと思う

俺はもう生きるのに飽きてはいるが

やはり死んではならないと考えている

自分意志の強さを信じている

ずっと繰り返してきたのだ、10年以上

から楽しみは観察することや知ることだけだ

もう何かを変えられるとは思わないし興味も無くなった

聖人がどこにいるか探すよりも力を見ていたほうがずっと正しいと思っている

今ではそうだ

  • そういう難しいこと考えねーで 寿司を食えばみんな仲良くできんじゃねえのか?

  • 正義やルールってのは、強い者だけが作る権利を有しているものだ。 そんな強い者が、自己中や自己陶酔に走らす皆に優しい社会をつくると、カッコいいのよ。

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