はてなキーワード: 同好の士とは
40年前くらい前に始まった、世の中をあげてって感じだった「おもちゃとしてのPC」「PCをいじくり回す遊び」ってのがすっかりマイナー化して、やはり一般人の趣味としては悲しくなるくらいに衰退したオーディオ趣味程度にまで同好の士が減ったって感はある。
業務用途ではオーディオよりもPCの方がずっと大きな市場を持っているために、機械自体を目にすることは多いし自分でも使い続けている人もまた多いので、趣味としての壊滅的な衰退が、オーディオなどに比べて見えにくくなっているのではないかな。
新しいPCを買ってきて、最初に起動する時のワクワク感なんて、今それを感じている人がどれくらいいることやら。 でもそれが失われたのはメーカーのせいじゃないんだよ。 どんなものでも飽きられてしまう事は避けられないのだもの。
落ち葉を細かくちぎってパンくずみたいにして、ハトの目に入るところで餌やりっぽくばらまく
それをみたハトはアホなんでエサだと思ってやってくるし、他のハトが集まるのをみた遠くのハトも寄ってくる ちょっとした饗宴状態!
でも落ち葉しかないので困惑する その落ち葉をつついてみたりもするが、なんの変哲もない落ち葉だ 馬鹿めと思いながらもう一回落ち葉を撒く ハトはアホなんで律儀にまた落ち葉にたかる
この辺りであたりの視線が痛くなってくるので立ち去る これが俺の流儀
ネットでいくら検索をかけても同じようなことをやってるって話がヒットしないから、ここに一人いるぞということを示したくて書いた(増田は木っ端記事でも検索上位に来がちだし)
同好の士よ 君は一人じゃないぞ!
https://mobile.twitter.com/K_Norisato/status/1227780041120968705
まだ出てくんのこういうの嘘でしょと呆れた。呆れたっつーか疲れた……はぁ~……。
さんざんブコメで指摘されてるとおり普通制服プリーツスカートで股間にこういうシワだか影だかはできません。
現実より目が大きいのはいいのかって? それは『目が大きいと可愛い』の意図からでしょ?
違うよね。ほとんどの人はこう受け取ります。『体の線がわかると性的』って。
しかも最初からぴったりしてるレオタードとかでもなく、本来その服なら見えないはずの体の線が見えるというのはよりはっきり意図が浮き彫りになる。
すっとぼけるのはやめようね。
そしてこの手の話でお決まりのように現れる表現の自由論者〜!!
こっちだってわざわざpixivとかコミケまでいって文句つけようとは思わん!
でも赤十字とか農協とかのお堅め組織が万人向けに出すPRとなったら話は別です!
私はエロは否定しない、時にエロは楽しい。でも一般的にエロは公共に出してはいけないものとされているし、女体持ちはエロによって馬鹿にされがち。
わかるかな? この世に性被害が存在せず、被害にあっても「エロいかっこしてたからだろ」とか言われることなく、性産業に従事する人が堂々と結婚相手の親にそれを言えるような社会なら、アニメ絵の股間に謎シワがあったところでそんなに気にならないと思う。
でも実際は性産業に従事する人どころか通り魔的にレ〇プされた人さえ白い目で見られるのを恐れて言い出しにくい社会じゃん。
かくも『エロい目で見られる女』の地位は低い。女体持ちは性的なことへの警戒度を高くせざるを得ない。だからなるべく日常生活では『女をエロい目線で見てるよ』っていう意図を察知したくない。
例えばさ、ダサいオタク狩りが横行してて、オタクがぼこぼこにされたら実際はどうあれ「ダサいオタクだから悪いんだろ」と言われ、ダサいオタクを虐める創作物がウケる世界で、チャラい集団に引きずられてる傷だらけのチェックシャツにアニメTシャツバンダナ汗かきデブ男(『田舎で楽しく農業体験!』)の自治体ポスターとか見たらどう思うよ。
そんなん公に出していいと思ってんの? は?ってならない?
お堅め組織が『万人が見る』ポスターで『女をエロい目線で見てるよ』を公開したってことは、要は女体持ちを馬鹿にしてるんだなって、そう捉えるわけですよ。
『エロいから気をつけてね』みたいなワンクッションがあったり完全に同好の士が集う場なら全然いいけど、JAのみかん大使であれはない……。
股間の謎シワがなければなんにも気にならない。
批判してるのは『女をエロい目線で見てるよ』の意図であって絵柄はなんでもいい。
現実のモデルさんとかが不自然に股間にスカート挟んだ写真で写ってても批判する(撮った人とJAをね)。
ていうか『女をエロい目線で見てるよ』意図の萌え絵批判を萌え絵だから批判されてると受け取るって、要は『女をエロい目線で見てるよ』表明は当たり前だと思ってるんだろうな。
私が大っ嫌いなのはそういう人です。
私の敵は自分のちょっとした楽しみのために人を平気でコケにする腐った根性の人間。
萌え絵を盾にするのをやめろ。
そんな使い方しかしないならどんなに可愛くてもいずれその文化は廃れる。
萌え絵は必ずしもエロ文脈で使わなくてもいいよ、TPOに応じたものにできるよ、ってことをオタク側から言ってった方がいいんじゃない?
グラビアのスキャン画像を蒐集する趣味を楽しんでいた時期がある。
グラビアと言っても日本の週刊誌やアイドル雑誌のグラビアではなく、主に海外のソフトコア雑誌やセレブ誌のグラビアである。
飽きてやめてしまうまでの数年間、日本人の同好の士とは出会えなかったので、たぶん日本人でそれをしていた人はごく少数だったんじゃないかと思う。
自分はただのエンジョイ勢だったのでそれほど深い知識があるわけじゃないけど、日本語の文献も見つからないようだし、思い出としてちょっと書き留めておこうと思う。
だいたい20年くらい前の昔話。
よくわからないが、Online Scan Collection とか scanz(warezのノリ?)と呼ばれていたと思う。
スキャナーと呼ばれる職人が配布する画像ファイル(主にグラビア)をコレクターが集めたり、コレクター同士でトレードしたりする遊び。スキャナーはコレクターを兼ねていたりもするし、コレクターがスキャナーとなって配布を始めたりもする。
配布される画像はスキャンと呼ばれる。紙媒体で売られている雑誌のグラビアを高解像度のフラットベッドスキャナで読み取り、もとが印刷物であったことなどわからないくらい美麗にレタッチされたJPEG画像である。600dpiクラスのスキャナと高機能のレタッチソフト(ほぼPhotoShop一択)がたぶん必須。
題材は大半がセクシーな女性のグラビアで、ヌードでもPLAYBOYやPENTHOUSEに載る程度のおだやかなもの。水着、下着姿のものも多い。が、たまに美しい風景のシリーズがあったりもする。
画像の片隅にはそれを作ったスキャナーのシグネチャ(かっこいいアイコンなど)がウォーターマークとして付される。
あ、上で「日本人はごく少数」と書いたが、おそらく日本人だろうというスキャナーはいた。中でも印象に残っているのは Kuni Scan という2万枚ほどのシリーズで、題材が日本のグラビアだったし名前からして日本人だろう。Kuni Scan で画像検索すると今でも彼の作品の一部を見ることができる。
今でもそうだが印刷物をスキャンして配布するのは明白にコピーライト違反であるし、ことに題材が肖像権にがっつり抵触していることもあって、一次配布はきわめて目立たないかたちで行われていた。
スキャナーたちが「新しいのできたよー」と最初の配布を行うのはおそらくIRCチャンネルだったと思う。自分は外人たちと英語でリアルタイムのチャットをする自信がまったくなかったのでIRCにはほとんど近寄らなかった。なので一次配布の現場のことはよく知らない。
当時はimgurのような匿名画像アップロードサイトなどもなかったのでこのような個人間のやりとりで配布が行われていたのだろうと思う。
この時、スキャナーは画像とともにスキャンリストも一緒に配布するのであるが、それについては次で述べる。
スキャンは数十枚~100枚程度のテーマを持ったシリーズとしてリリースされる。テーマはモデルであったり、雑誌であったり様々。
最新リリースには必ずそのシリーズに含まれるファイルの一覧を記したCSVが添えられる。
リストに記されているのは [ ファイル名, ファイルサイズ, CRC32 ] の3項目(CRC32はファイルの指紋のようなもので、データの同一性を確認するのに用いられる通信技術)。
この3項目が一致していないとオリジナルデータと認められず、集めたことにならない。
たとえばWebで目当てのファイル名の画像を見つけたとしても、それが何者かの手によってリサイズされていたり再圧縮されていたりするとCSVと数値が一致せず、コレクションに加えることができない。
シリーズには継続中のシリーズとすでに完結したシリーズがあり、CSVファイルに[finished]といった名前がついているのが完結したシリーズである。これに載っているスキャンを全部集めたらコンプリート。
CSVはこんな感じで今でも配っているのを見つけた。
http://www.scancollections.com/CSV/list_csv.php
(私がかつてひとつだけスキャナーとして配布したシリーズも含まれていた。なんだかうれしい)
一次配布時にIRCを通じてスキャナーから直接手に入れることのできなかったスキャンは別の手段で探すことになる。
Webにアップされているものを探したり、同好の士とトレードしたり、alt.binaries(ニュースグループ)でも交換が行われていたように思う。
私は主にWebサイト経由で集めていたのだけれど、当時個人ホームページの割り当てボリュームは数MB程度がふつうだったので、スキャンをアップしてくれるサイトも古いものはどんどん消されてしまった。しかも1枚1枚がやたらでかい。今でこそ一辺が1000ピクセル以上あるような大きな画像でも表示は一瞬だけれど、DSLすらなかった時代の混み合うテレホーダイのISDN回線では300KB程度のJPEGでも上からじわじわ表示されてくるのを待つ感じだった。
海外の同好の士からトレードを持ちかけられることもあった。トレカの要領。ロシアや台湾のコレクターと、お互い非母国語の英語でたどたどしく「おまえこれ持ってるか」「おれのこれやる」とトレードのやり取りをするのである。基本は1:1で持ってないもの同士を交換というタテマエだけど、自分は持っているものは気前よく差し上げていた。ドイツのコレクターとはたまたま音楽の趣味が合ったのでしばらく文通してたな。
そうやって新しく手に入ったスキャンがあると、コレクションマネージャーみたいなソフトを使ってCSVと照合する。CSVと一致しないデータを取り除いてくれたり、リネームやフォルダ分けを自動でやってくれたりするスキャンコレクションに特化した管理ソフトがあったのである。
自宅のネット回線をFTTH常時接続に変えたとたんにコレクションがつまらなくなった。
どんなサイトも画像もピュンピュン一瞬で表示されるし、コレクションがウン千枚詰まったZIPファイルですらたちまちダウンロードされて、「苦労して一生懸命集める」という手応えがなくなって、「やりがい」がなくなってしまったのである。
DSL、常時接続の普及にともなってネット上には高解像度データがあふれるようになり、スキャンでしか見ることのできなかった美麗画像の希少性がどんどん下がっていったこともあると思う。
「それ俺もやってた!」って人いますか?
増田を見ている皆さん、こんにちは。皆さんは1月18日から劇場公開されている『劇場版ハイスクール・フリート』を何回見ましたか? 私はまだ4回しか見ていないのですが、きっと皆さんはそれ以上に『はいふり』を堪能しているのでしょうね! 羨ましいことです。
さて、『ハイスクール・フリート』で多くのカプ厨を沸かせたシーンといえば、やはり「本屋晴風」でモモちゃん……もとい青木先生の薄い本を読んだときのシロちゃんとミケちゃんの反応の差が挙げられます(それにしてもナマモノ本を当人たちに見せるってなかなか肝が据わってますよね青木先生)。
青木先生の薄い本を読んだシロちゃんが真っ赤になる一方で、ミケちゃんは「シロちゃん、これって何してるの」などと尋ねており、明らかに内容を理解していない様子です。
しかし2人は同じ高校1年生のはずなのに、どうして青木先生の漫画の理解度に差が生じているのでしょうか。ミケちゃんが無知すぎるのでしょうか、それともシロちゃんが性知識豊富すぎるのでしょうか。
この増田では、いくつかの仮説を検討して結論を出したいと思います。
青木先生の薄い本の内容がエッチではあるがさして突飛でもない常識的なプレイだった場合、シロちゃんの性知識は年相応のものだがミケちゃんのそれはそうではない、という仮説が導かれます。
おしべとめしべも知らずに艦長が務まるのかという疑問はあるでしょうが、別に航洋艦は女郎宿でも何でもないわけで、船の動かし方についてよく知っていてさえいれば子供ができる仕組みについては理解していなくても問題ないということなのでしょう。
ミケちゃんはあえて理解した上で無知を装ってシロちゃんに質問することで天下の大通りで羞恥プレイを楽しんでいるという解釈ももちろんありえます。
「漫画の中だと、わたしたちここまで進んでるんだね……現実には、まだ××もやってないのにね。ね、シロちゃん、ちょっと△△してみよっか?」
みたいな感じでシロちゃんに仲良しすることを誘った挙げ句に家族しそうですよね。好意をストレートに伝えてきそうというか。なのでこの説も惜しくはありますが却下です。
そもそもモモちゃんが描いていた内容には特に性的な描写はなく、いたって普通の恋愛漫画に過ぎないのだが、恋する乙女シロちゃんが過剰に興奮してしまった……という仮説です。
正直シロちゃんはかっこいい表情でシロちゃんに迫るミケちゃんのイラストを見てドギマギしちゃうレベルのシャイガールだと思うので、青木先生がちょっと気合の入った全年齢ミケシロイチャラブシーンを描いただけでも真っ赤になってしまうのはもう火を見るより明らかです。
この場合、ミケちゃんも別に性知識が極端に乏しいとかではなく、特殊な生育環境ゆえにポッキーゲームを知らなかったとか壁ドンの意味がわからなかったとか、そういうレベルの無知だった可能性があるのではないでしょうか。
このレベルの無知ならありえる話じゃないかと個人的には思います。
青木先生の描かれたシチュエーションもといプレイがあまりにも特殊であった場合、あるいは同じ業界の人にしかわからないような隠語やメタファーが散りばめられていた場合、平均的な性知識しか持っていなければ内容を理解できない、という可能性は十分にありえることでしょう。
もしもミケちゃんが保健の授業をちゃんと聞いていたにもかかわらず青木先生の薄い本で描かれているものを理解できなかったとするならば、その内容は極めて特殊な性癖にリーチした内容のものである可能性があります。
ではそれをどうしてシロちゃんが知っていたのか? という問いに対し、「それはシロちゃんがムッツリだから」と答えるのがこの仮説です。
ムッツリであるシロちゃんは日頃から特殊な性癖や隠語に親しんでおり、それゆえに青木先生の描かれる特殊な内容の薄い本を完璧に理解することができてしまったのでしょう。
しかしシロちゃんがムッツリだとするならば頬を赤らめながら熟読するはずで、正視に耐えないとばかりに目を逸らしているあたり別にムッツリではないのではないかという疑念が湧いてきます。
そうであるならば、いったいどうやって彼女は特殊な性知識を得たのでしょうか。その疑問への答えとして、次の説が提出されます。
劇場版でのシロちゃんの回想シーンで、ご幼少のみぎりに部屋に入ったところ真冬姉さんがホラーを鑑賞していたため、怖くて一人で寝られなくなってしまったというエピソードが語られます。
姉の見ていたホラー映画をうっかり見てしまうことがあるのなら、姉の持っていたエロ本をうっかり読んでしまうこともあるのではないでしょうか。
しかし、真冬さんはTVアニメや漫画『はいふり』の描写では尻! 胸! という感じのなんというか非常にわかりやすい即物的な性癖の持ち主であり、そこまで特殊な性癖をこじらせているようには見えません。
この件について友人と熱く討論をしていたところ出てきた説です。
劇場版などでかなりのSっ気の持ち主であることが衆目に晒された宗谷三姉妹の長女宗谷真霜さんですが、彼女が実は割とディープな腐女子であり、その蔵書をうっかりシロちゃんに見られてしまったと考えれば、色々なことの説明がつきます。
漫画版を見る限りでは、彼女の私生活はかなりだらしなく、シロちゃんはしばしば彼女の部屋に立ち入っています。そのような関係の姉妹ですから、うっかり秘蔵の薄いブックを目にすることもままあったのではないでしょうか。
そして真霜さんの蔵書によって植え付けられた一般の方があまりご存知ないような営みについての知識を持っていたからこそ、おそらくは真霜さんの同好の士であろう青木先生のミケシロナマモノ本に反応することができた、と考えれば辻褄が合います。
個人的には宗谷真霜さん腐女子説に一番説得力を感じるのですが、はてなの皆さんはいかがでしょうか。
他にも、「モカちゃんに上下関係を叩き込まれた説」「ココちゃんにブルーレイを見せられた説」「クロちゃんが夜這いしてる説」「ミーちゃんにダンケダンケされた説」「リンちゃんに下剋上された説」「タマちゃんに撃ち抜かれた説」「メイちゃんに魚雷発射された説」「サトちゃんにピロピロされた説」「まゆちゃんにどん底に堕とされた説」「まりこおじさんの薙刀が一閃説」「実はシロちゃんもマッチの女説」「みなみさんの保健体育実習説」「古庄薫は夜の教官説」「真雪母さんが4人目に向けて活動中説」「宗谷家に伝わる因習説」など様々な説がありますが、蓋然性が低いことからここでは採用しませんでした。
なお、増田はミケモカ前提のミケシロと宗谷真霜×古庄薫を応援しています。いやだってモカちゃんはどう見てもシロちゃんをナチュラルに見下してるしシロちゃんもシロちゃんでミケちゃんとモカちゃんがいちゃつくのを眺めながら「まあ正妻さんですから仕方ないですね」みたいな一歩引いた二号さんの表情をしてたじゃないですかそんなんだから正妻戦争で敗北するんですよわかってるんですかシロちゃん! リンちゃんにも岬さん呼びでマウント取られてるの理解してるんですかシロちゃん! 仕方ないからシロちゃんのことは大親友で心の友であるわた納沙幸子さんに面倒を見てもらうといいと思います。
まさか自分がお気持ちを書きたくなるなんて思わなかったからビックリしている。
先日もSNSでカップリング表記にとやかく言われた人がアンケートを取っていた。
挿入描写はAからBのみの二次BLをAB表記にしたら、Bが積極的な描写があるからBAタグをつけろと絡まれている~等ということだった。
腐女子をわりと長くしてればたまに見る光景なので、何の気なしに回答してRTした。
そこまでは良かったが、何故か自分の回答に違和感を覚えてしまった。何故か。
自分が推してるジャンルの推し二人組を何と表記したらいいか分からなくなったからだ。
正確に言うと上記の思考をもってして、その二人をABと表記するのを(嫌だな)と思ってしまった。私の中でその二人は今、お互いに強い感情を抱いているが肉体関係は結んでいないからだ(そもそもが妄想、という話は今回は関係ないので割愛する)。
たびたび話題に上がるが、一次二次含めてBLはカップリング表記をするし、攻受を表す左右の順番にはとても厳しい。『それが違えばまるで別物』という概念が根強く、お互い別物に触れないように棲み分けてきたからだと思う。
そして多くの場合は、その攻受は肉体関係(挿入)の方向性で定義されるという認識が普及している。件のアンケート結果でも大多数がその認識で、だから前述の状況ではABで良いと考えていた。私もそうだった。
何とはなしに(セックスしてなかったら何て書けばいいのかな)と思って、そこで地獄の蓋が開いた。
えっ分からない。AB、ABなんだと思うけど、何かすごく言いづらい。
いや正直に言うと今までは普通にABだった。
『もしこの二人が付き合ってセックスするとしたらABになると思う』から。
問題は何故か突然、その考えでの表記におさまりの悪い、言ってしまうと気持ち悪さみたいな物を感じたことにあった。
色々考えて、多分それは『現状、"プラトニックな関係性として萌えている対象"を他人に伝える手段として、"予め先立って"、"自分の性的嗜好のかなりの部分を開示する必要"がある』ことが嫌なのかもしれないと思い立った。
つまり、(あの二人は、お互いを気にしたり助け合ったりしていて萌える、違うだろうけど両想いかもしれない)とある二人組に対して関係性を見出だして萌えたとき。同好の士を探したくて伝えようとすると、たとえ自分がその二人は精々キッス位で体の関係は起こり得ないと思っていても、『もし二人がセックスするならAが挿入側でBが受けると思います』『私はそのような嗜好です』の意を初っぱなから表明しないといけない。不要な争いを生まないように、誰かが自分の書いたもので傷つかないように。
でも、そのたびに二人のセックスを想定させられること、それを想像する自分の性的嗜好についてを二文字の中に前提として晒すのが、なんか……恥ずかしくなってしまった。
恥ずかしくなって、(別に生殖活動まで妄想してる訳じゃないのに何でそこまで言わされなアカンの)と思い始めてしまった。とんだ繊細ヤクザだな?地獄。
でもちょっと考えてみて、たとえば好みの異性を聞かれた時にルックスとかこんな振舞いをしてほしいとかはあってもベッドではどんな態度がいいの?まで突っ込まれることは稀だし、芸能人カップルをどちらも推しで応援してるってなったときに『それは夜の生活をそう考えての推しですか』なんて聞かれんでしょ?そういう話題が主体の場合は別にして。
それが、カップリング表記では肉体描写の方向が主流な以上は成り立っちゃうんだよな。
白黒つけないと(つけても)叩かれるから。
そのたびに、プラトニックなのが好きな二人のことでも『"今は"全然セックスとかしないけど、"もしも"二人がセックスするなら"私は"ABでーす!!エヘヘ』って自分の性的嗜好をおっぴろげないといけなくて、それって実はすごく恥ずかしいし嫌だな!!と思ってしまったという話。自分でも繊細ヤクザだと思う、悪いな。
本当言うと、自分は特に地雷とかない方で、散々喚いておいて推しがHな目に遭うのも好きだし読むし書くし、合わないものを見てもスルーできるタイプだと思っていたんだけど。
件のアンケートを見て、当たり前のように肉体関係でカップリング表記を考えた自分と、プラトニック関係に対してもその思考を当てはめた自分に驚いたのと。性的なことを考えていない時に性的なことを考えたり言ったりを強いられて、そう見なされることは何となく嫌で、カップリング表記の文脈上そうせざるを得ないのは地獄みがあるなあと初めて感じたのでした(だからといって肉体的ABに対する精神的BA表記とか、どちらでもないからABAにしてリバ嗜好の人を混乱さすとかはナンセンスだと思う)。今回ちょっと色々眺めて、プラトニックを認めてもらえないのが嫌だというよりは自分のドスケベさを見透かされるのが嫌なのかもとか。プラトニックが好きで二次BLが苦手という人は、肉体関係に行きつくありきの話が主流で二次BLのプラトニック物が見つかりにくいからではとか。性的なコンテクストを含む以上、隠れた方がいいし自分はエロい人間であるという認識は身につけるべしというのを古からの腐の歴史が証明してたのかも…と考えるきっかけにはなった。地獄があるなと思っただけで何か変わる訳じゃないだろうけど、でも自分はこれが地獄だと知れて良かったのかもしれない、
私たちは男性の性欲を一身に受けうる存在を創造し推進してきた。
これらは実在する人物ではなく非実在のフィクションの空想上の萌える女性です。
男性の性欲の向け先を架空へ逸らすことになれば、実在の女性からみたら男性の性欲を減衰させたのと同じ効果がありセクハラ等で苦しむ女性を減らすことが期待できます。
男性の性欲を好き勝手に描くことでの実在の女性への悪影響を懸念する声がありますが、これは強力考課論の研究により明確に否定されています。
私たちオタクフェミニストは同好の士を増やすことで性欲の解消の低コスト・実被害軽減に努めておりこれらを推進することこそが結果的に女性の権利へと繋がると考えており活動を通してフェミニストであることを主張し続けたいと思います。
こんな感じでどうだろう
求職中で大阪市内まで面接に行った。帰りは黒門市場の近辺から地下鉄~阪急と乗り継ぐことにした。なぜなら久しく訪れてない中古カメラ屋があるからだ。
カメラ小僧が大学生で京都市内に進学し、部活で同好の士と出会い愛機の入手に繰り出したのは大阪だった。もう四半世紀は前のことになるから当然フィルム使用の銀塩画像を生成する機器しか、ほぼ一般には出回ってなかった時代。(デジカメといえば、その萌芽?じみたキヤノンの白い双眼鏡みたいな機体がショールームに動体展示してあるのを、何回目かの遠征で触ってフザケていた。そのくらい、カシオQVもまだ出現してない大昔)写真部だったがやはり主流は撮影後の作業で消費する機材のコストから考えても当然のように、皆の狙いは35mm一眼レフ、とその交換レンズだった。もちろん国産の。
(中略)
その黒門市場の近く、まあいわゆる日本橋だが、とくに著名な中古カメラ店が2軒あった。どちらも何故か(関西圏でない地方が出身の自分には妙な違和感がいつもあった)関東の地名みたいな店名で、まあ大層賑わって盤石にみえたものだったが・・・
いつしか一方は、それもどちらかといえば賑わっていたほうが閉店して跡形もなくなり、今回も残っているほうのみとなった。
で。
この写真プリント店が求人も皆無となり(だから自分は他業種で求職活動しているのだ)各店舗で銀塩のフィルムの現像処理機器が故障すれば伝手を頼るか自前で確保した故障機からのニコイチ修理で対応するしかないくらい収益が無く大規模チェーンではほぼ一ヶ所に配送して集中処理している、そんな時代に。
おいなんやその値付けは。
なんでフツーに使えへんもんにそんな5桁の値札を未だに掲げてんねんな。
まあそりゃ5年前くらいからすりゃ半額にはなっとるけども、や。
ラ イ カ M 型 。
おまえさんら桁が一つ違うやろそれコンマの位置ズラしてケツのゼロ消せやー!
と、おもいました まる
私は二次創作で小説を書いている。ジャンルは人気だが、好きなカプは多分マイナーの部類に入ると思う。
投稿サイトはpixivだ。数年前、同ジャンルの別カプで書き、少しの間書くのをやめて(一次創作をしていた)読み手として二次を楽しんでいた。もちろん公式の供給にも一人盛り上がり、楽しいオタク生活を過ごしていた。
そして好きなカプが出来、また書いてみたいなと思って書き手に戻った。
pixivでの評価は、前カプで二桁、今のカプで三桁行けば良い方。はっきり言って人気はないし、陽も当たらない。でも、前カプのほうがメジャーカプなのに今の作品ほうが評価してもらえるのは嬉しかった。文字数が増えたし、あと自分で言うことではないけど書くのがほんの少しだけ上達したからだと思う。
前は「書きたいとこだけ書ければ良いや」みたいな考えで殴り書きに近かった。後から読み返して「よくこれで投稿したな……」と情けなくなったし、そんな作品でも読んでくれて評価までしてくれた人がいたのがありがたかった。
それも踏まえて今度は「せっかく書くならもっとちゃんと考えて書こう」と思った。それであわよくば評価してもらいたい。承認欲求を二次創作で満たすのはどうかと思うのだが、創作は創作なのでやはりそういう下心もわいてしまった。
"ちゃんと考えて書こう"という心がけは、一応成果を出した。前の作品で三桁の評価のものはないし、感想までもらえたのだ。スタンプも嬉しかったが、文章での感想は段違いに嬉しかった。
感想をもらう前はTwitterなどで「感想がなくて筆を折った」や「感想は創作者を救う」という呟きを見ても別世界の話で全く実感がなかったのだが、自分が実際にもらってようやく理解した。確かに読んでくれた人の感想は救いだ。これは誇張ではない。本当に本当に、救われたのだ。
一人であーでもないこーでもないと悩み、一文一文もっと他に良い表現はないかと迷って完成させた小説。好きでやっているとはいえ、暗闇に石を投げてるような感覚だった。
前カプの時も、暗闇に石を投げてる感覚は同じだった。他所では人気の字書きがワイワイやっていて、他の字書きや絵描き、創作はしなくても同じカプが好きな人達と交流している。
あまり認めずにいたが、私は彼らが羨ましかった。向こうはとても明るくて楽しそうだ。
良いなぁと羨みながら、まあ私にはああいう交流は無理だなと思っていた。なぜなら、私は彼らのように自分から輪に加わろうとしていないからだ。小説が面白い面白くない以前の問題だ。
人気字書きは小説の面白さもだが、そもそも社交性があるのだ。Twitterも面白い。人付き合いが苦手そうな字書きでも、誠実に小説に取り組んでいるんだなと分かる人はいて、やはりそういう人のもとにもファンや同好の士は集まる。
しかし、私はコミュ障だ。Twitterも何も面白くない。ネタにしたいことを呟けば人に取られるのではと不安で呟けない。盗まれるような大それたものではないのに、被害妄想ばかり膨らんで何もできない。
もらった感想に対しても、ちゃんと感謝を伝えたいのにどれだけ頭を絞っても無味乾燥な文章になる。時間をかけて返信文を考えてもそれは相手には伝わらない。ただ"返信が遅かった"という事実しかない。しかも本当に嬉しいのか分からない文章だ。それでも何か返信しないよりはしたほうがマシだと思って返信する。
これは二次創作に関係なく、人から好意を向けられることに慣れてないのも原因なのだろう。自己肯定感が低い。好意に対する耐性がない。
だから好意を向けられてもどうすれば良いのか分からない。相手にしてみれば、ただなんとなく気まぐれで送った感想なのかもしれなくても私からすると初めて見る光のようなもので、救いなのに耐性がないからただただ戸惑うしかないのだ。
心の底ではあれだけ欲しいと思っていたのに、与えられたらこれだ。もっとそつなく対応できないのかと自分が嫌になる。
世の人気同人作家は私とは比べ物にならないほどの感想や好意を向けられていると思うと、彼らが別の生物に見えてくる。私より良くできた、なんか違う生物。
人気字書きと比べると憂鬱だ。比べるものじゃなくても比べてしまう。
二次創作は文章力より萌えるのが大事だとよく聞く。それは本当だとも思うが、萌えを伝えるにはまず文章力が必要だし、第一面白い二次小説は文章に長けている。
心理描写、情景描写、キャラクターのバックグラウンドを伝え、キャラ同士の関係性の変化やシチュエーションで読者を熱くさせる。これは並大抵ではできない。
しかも、pixivはどちらかというと絵を中心に据えたサイトだ。だから余計に、小説で評価されているのを見ると凄いと思う。
前もそう思っていたが、今はもっと強く思う。だって前より良いものを書こうと頑張っているのだ。読み手を意識するようになってから、見返りが欲しいと思うようになった。
当然、自分のために書いている。自分が好きなシチュエーションで、自分が好きなカプで。だが、書くなら上手に書きたい。自分も他人も良いと思える、納得できる文章が書きたいのだ。
承認欲求がどんどん大きくなっていく。それでも、まだ私は楽観視していた。書くためのエネルギーになるし、節度さえ守っていれば腹で何を考えていても問題はない。それに、何はともあれ小説を完成させなければならない。これが一番大事なことだ。そう言い聞かせてまた書いた。
Twitterで面白いSSをツイートする字書きがいた。仮にAとする。軽い気持ちでフォローし、SSを楽しみにしていた。
Aはpixivにシリーズ物の長編を投稿しており、これもまた軽い気持ちで読んでみた。
まだシリーズは完結していない。評価はブクマも良いねも多く、感想や続きを待つタグもあった。
TwitterでもAはフォロー数より遥かにフォロワーが多かった。人気も人気、ファンがたくさんいる。
Aの小説は人を選ぶ作風だった。オリジナルキャラクターが中心にいるのだ。内容も殺伐としている。読んでいてつらいが、それでも面白いのだ。表現力も構成も卓越している。
私は人気字書きに対して、別の生物だと思うことで精神の安寧を図ってきた。コミュ障の自分にみんなでワイワイ楽しくは無理だと諦めていた。万が一輪に入れても人間関係で消耗する。せっかくくれた感想に満足な返信一つ書けず疲弊するのだ。自分と彼らは違う。だから羨望は抱いても嫉妬まではいかなかった。
しかし、私はAに凄まじく嫉妬した。オリキャラで、シリーズ物。内容も暗い。なのに人気だ。コメント欄は感想で溢れている。多すぎるからか返信もしていない。面白いからそれが許される。
初めは自分ももっと小説が上手くなろうと意気込んだ。だが、私がまだ序盤すら書けていない時にAは新作短編を投稿する。それもすぐさま評価された。
Aはよく、「自分は書くのが遅い」と言っていた。SSをやりながら数万文字の小説を書いてそれを短編だと言って投稿するAが。
Aの物差しではそうなのだろう。Aが言うことに私自身の物差しを当てはめてはいけない。他人には他人の物差しがある。
Aはよく謙遜した。「誰得か分かりませんが」「ほんと自分しか読んでて楽しくないんじゃないかな」「◯◯×△△が好きな人から怒られそう」と。こうして投稿された小説も、すぐに評価される。私も読んだ。面白かった。
Aはよく質問箱で来る質問に答えていた。「どんな本を読みますか?」「執筆スタイルを教えてください」こんな質問が多い。Aは決まって「本はあまり読まないんです」「執筆スタイルと言えるほどのものはありません」と答える。
…………
嫌悪感を覚えた。この嫌悪感については上手く説明できない。嫉妬が源なのは確実なのだが、別の感情も含まれていると思う。
自分とは何もかもが違う。Aは多くの人から必要とされている。長編をコンスタントに投稿し、完成度も高い。そして文章やストーリーを長文で褒められ、謙遜してもすぐに否定してくれるファンがいる。
なんというか、皆に見守られている感があるのだ。見守られながら崇拝されている。
他にも、Aは作中に性描写を入れずにこれほど評価されているのだ。私は性描写のある小説を書いていて、性描写のない小説も投稿したがこれは全然評価されない。読んでももらえなかった。
もう一つ、Aが私の嫉妬や劣等感を煽る理由がある。それは、Aは一次創作でも人気を得るだろうなという確信だった。Aは一次創作をしていない。だからこれは私の想像というより妄想だ。Aは筆力がある。ストーリーに漂う空気感や思想も一貫しており、本人に確固たるテーマがあると伝わるのだ。
原作という確固たる軸をもとに、自己解釈を入れて物語を作るのが二次創作だ。対して一次創作は当然、作者が軸から作らなくてはならない。軸はストーリーを形作る上で作者の一貫した思想やテーマが必要なのだ。それが脆弱だとどこか掴み所のない、微妙な作品ができあがる。「文章は上手いけど……」とか「題材は良いんだけど……」とか言われるような作品。胸に訴えて来るものがない。
はじめに書いたが、私は一次創作もしている。一次は二次より苦しみながら書いている。「きっとAは、そんな苦しみもなく、あったとしても見返りのある小説を書けるのだろうな……」こんな感情がわいたのだ。
Aが書いてもない小説で劣等感を勝手に抱き、被害妄想を膨らませて勝手に苦しんでいる。滑稽この上ない。しかし理性より感情が勝った。次第に私はAに嫉妬や嫌悪感を通り越して憎悪すら感じ始めた。
Aのツイートを見る度に胸がざわつく。「書くの一生やめないかな」「消えないかな」などと考えるようになった。アカウントをミュートにしては気になって解除し、フォローも外そう外したほうが良いと思ってもできなかった。この時点で、私はまだAの小説が好きだったのだ。新作は読まなくなったが、シリーズ物の続きだけが気になっていた。新作を上げる度に、早く続きを書けよとイライラしていた。
こんな滑稽な人間いるだろうか。憎悪すら抱いているのに、その発端となった小説の続きが読みたいだなんて。我ながら馬鹿で笑える。
Aはマシュマロを始めて、またたくさんの人に褒められている。マシュマロには丁寧な返信をしている。謙遜して、自分の作品を"拙作"などと言って。心温まる返信だ。無味乾燥な返信文しか書けない私とは違う。
私は今日もpixivを覗いて、自分の小説の評価を気にしている。カプ名で検索しても、もう他の人が書いた小説に流されていくつもページを越えないと私の小説には行き着かない。新作を上げたいが、まだまだ書き終わらない。誰も褒めてくれない。一次も二次も。
書くのがつらい。やめれば良いのに、やめたら自分は価値がなくなる気がして怖いのだ。他人と交われない私にとって、小説を書いて評価されるのは唯一と言ってもいいくらい自分を満たす慰めだった。私が書いた小説を、誰かが肯定してくれる。これは私自身を肯定されたも同然なのだ。本当は違うと分かっていても、ほんの少し救われた。
このカプ、良いですよね。このシチュ、萌えませんか。この小説どうですか。私の小説、好きですか。
所詮趣味なのに、こんな思いを込めて書いて読む人に過度な期待を寄せてしまう。だから評価されないと無視どころか否定された気になる。私が駄目な原因だと思う。もっと軽く楽しめたら良かったのに。
読み手を意識して、感想をもらう喜びを知ったから脱け出せないだろう。何より、小説を書くのが好きなのだ。書いている最中ずっとつらいのに、書き終えるとまた書かなきゃとなる。
ただ、なんとかAへの憎悪を消したかった。どうでも良いと思えるようになりたかった。その方法が分からない。私が人気になれば良いのか。それも根本的な解決にはならない気がする。Aが私の小説を褒めてくれたら良いのか。私のことなど眼中になく、そもそも全く知らないA。多少承認欲求が満たされるかもしれないが、こういうのは満たされてもすぐになくなる。
他の人は、承認欲求が満たされたら本当にそれで満足できるのだろうか。欲求というコップがあったとして、まっとうな人は褒められるとコップに水が注がれてどんどん満ちていくのだろう。私の場合、多分コップの底に穴がある。自己肯定感のなさが穴の正体だと思う。はじめは穴がなかったのか、それとももともと空いてたのか、褒められて水が注がれてもどんどん落ちていく。全然満たされない。
結局のところ、Aがどうのとか評価がどうのではないのだろう。原因は自分にあり、自分でなんとかしなくてはならない。
自分が納得できる文章を書けるようにしたい。自分が納得できれば、評価は二の次になると信じたい。幸い、納得の基準はまだ自分の中にある。こんな文章でこんな小説を書きたいと理想や目標がある。これがある分にはまだ頑張れそうな気がする。そこから自己肯定感をつけていけば良いかもしれない。すでに評価に依存しているが、まだなんとかなるかもしれない。
理不尽を理不尽だと理解できているうちに、自分の小説をちゃんと書けるようになりたい。これで書くのをやめて憎悪に飲まれたら人として何か終わる気がする。荒らしなど惨めなことはしたくない。
私は小説を書いていたい。一次でも二次でも納得のいくものが書きたい。他の字書きへの嫉妬や憎悪が原動力では嫌だ。
嫉妬も劣等感もあり、とてもつらいが少しでも気が楽になれるよう、自分の面倒な諸々と折り合いをつけたい。
これはその一歩として誰にも吐き出せないためここに書いた。読みづらい文章だったと思う。でも、読んでもらえたらほんの少し救われる。小説が好きで、どんな文章でも大事だと再確認できた。それが嬉しかった。自分の小説にちゃんと向き合えそうだ。
読んでくれて本当にありがとうございました。
・ツイッターで何年もフォローしてたらいつの間にかフリーランスとして結果を出していた
・その間に自分も正社員になってるし戦っている場所が違うだけで大差はないのかも
それはまだ私達が大学生だった頃、お互いが大学を中退する前ぐらいのことだ。
インターネットではSNSという新しいサービスがナウなヤングにバカウケだったので、私達もアーリーなマジョリティの一団に紛れてそこに移住してきた。
現実では誰からも面白いと言われない下品な冗談と自己憐憫の繰り返ししかできない者たちが、クリック一つで手に入るふぁぼを求めて日夜レス乞食をしていた。
そんな中で私達は出会い、そしていつの間にかお互いにリアルでの交流もないまま十年来の友とも親しいなにかとなっていた。
ツイッターのブームが去り、やがて世間の流行りはLINEへと移っていく中で、私達は大学を中退したまま何者にもなれず相変わらずツイッタラーでクズのフリーターだった。
もしも違いがあるとすれば、彼にはゲーム・アニメ・漫画・インターネット以外の趣味があり、私にはそれが無かったことだ。
ろくな趣味もないくせにダラダラと時間を浪費し大学から消えていった私は、ニートとフリーターを往復する生活にも飽き、就職活動を本格的に再開することにした。
大学を中退した理由である所の卒業論文にまつわる苦労を薄く広く伸ばしながら上手い具合に過去研究の成果を自分がやったものであるかのように捏造しながら面接を繰り返すうちに、いつしかそれらは真実味をおび、その中で私は流暢に自分のやった研究を喋れるそれなりの理系人間であるかのようになっていくのだった。
そうしていつしか私は年収300万円ほどのしがない正社員となった。
その会社の片隅で、どこへも行き場のなくなった人生を抱えながら、いつしか年収450万円ほどのしがない係長として野原ひろしの凄さに感嘆しながら死ぬ人生のレールの上をゆっくり進みだしていた。
私が自分の人生を虚無の塊と見切りそれなりの人生へと落ち着いた頃、件のツイッタラーも別の場所で結果を出していた。
私がフォローする前から続けていた趣味の世界で10年20年とかけて十分な力をつけた彼は、自分の創作物を価値あるものとして世に売り出せる所にまで来ていた。
彼の作った作品のウチ1つ目が小さくバズったあと、彼は自身をつけたのかフリーランスとして仕事を取り始めるようになった。
フリーとして働きだしてからは、単純労働のバイトも辞め、いよいよその趣味一本で生きる人生を確定させていくのが遠くから見て取れた。
2つ目の製品がバズっていく頃には、一部界隈ではその製品名が彼の名刺代わりのようになっているようだった。
そして、業界内で普通に仕事を取り、ただただ好きなことだけをして暮らす人生のレールの上を走り続けていくのだった。
差がつきすぎていた。
大学でやっていた勉強のウチ、好きなことの抱合せでついてきた好きでもない分野を武器として、好きではないが出来なくもないことをして働いている。
得意なわけではないし経験があるわけではない、正直言えば興味もないしやる気もないので今後その中で一角の人物になることもないだろう。
虚無だ。
栄光を人生に求めるならどこにもたどり着けなくなったあとの人生だ。
ただ生きて死ぬだけのいまを生きている。
彼はどうだろう。
同好の士とリアルでも繋がりを持ち、公私の人脈を広げるなかで確実に居場所を確保していく。
手に職があることの強さを思い知らされる。
だが、ふと自分の素性を振り返ってみれば、私だって仕事がクソなだけでその仕事の中で人との付き合いはある。
居場所がないという訳ではない。
平日は楽しくもないが、土曜日と日曜日はあっという間にすぎる程度には楽しめている。
結局、アニメとゲームぐらいしかない人生だが、それらはどんな無能でも受け入れてくれる。
何も生み出そうという気持ちがないから、何も生み出せずに過ごしたことへの後悔は気の持ちようだけで晴らすことが出来る。
楽な人生だ。
彼の人生は、遠くから見る分には楽しそうだが、その中では苦労もあるだろう。
会社員のようにいざとなったら会社そのものが持つ人脈によって仕事をフォローしてもらってあとはいつの間にかどうにかしてもらうという必殺技もそうそうは使えまい。
私が椅子に座って自動で流れてくる仕事に手を付けていく横で、彼は営業活動をしたりフリーランスの募集に応募をしている。
お互いがお互いに人には見せないウンコを自分の人生の中でそっと一人どこかの便座に腰掛け下水道へと流しているのだろうか。
誰もが腹にウンコを抱えて生きている。
クソ袋達が街をゆく、その人生は平等にその腹の内側からクソにまみれていく。
そんな中で人が人と比べあって何になるのか。
パンティー
これは二次創作界隈で性根を拗らせてしまった、文字書きの独り言だ。
個人サイトから幾星霜、TwitterやPixivなんかで手軽に作品を投稿できるようになった昨今、規模の大小はあれどどのジャンルも二次創作は盛んであると言えるだろう。
そんな中で私も、細々と小説を書いていた。身の内を焦がす推しCPへの熱を昇華したくて、欲望のままに書き連ねていた。
最初は本当にそれだけだった。
ただ、自己評価の捻じれまくった私には、「評価が見える」という環境が苦しくて仕方がなかった。
二次創作において、小説は決して絵より評価されない。誰だって視覚的に直接訴えかけられる絵の方が、いとも容易く拡散されて評価される。
分かっていた。そんなことは分かっていたのだけれど、それでも辛いものは辛いのだ。
私には絵が描けない。描けるようになりたいと練習したこともかつてはあったけど、自分の下手な絵が見るに耐えなくて続かなかった。
才能に恵まれなかった、と言ってしまえば聞こえはいいが、つまりは向いていなかったのだ。
そんな劣等感と嫉妬を抱えた私は、絵の描ける人間が羨ましくて仕方がなかった。
具体的に指し示すことなどしないけれど、私は今いわゆる「流行り」に相当するジャンルに身を置いている。
ただしCPは少しマイナーで、Pixivでもページ数は片手で足りるほどしかない。
それでも萌えが留まることを知らなくて、それこそ検索で数人しか呟いている人がいない頃からひっそりと書いていた。理由は、書きたかったから。
Twitterとは便利なもので、いつの間にか同じCPを推す人たちが増えていた。
相も変わらず逆の方が多かったけれど、それでも同好の士が増えて嬉しかった。
しかし悲しいかな、やはり小説しか書けない人間に人権はなかったのだ。
同好の人たちは、皆絵が描ける人たちばかりだった。絵で摂取する推しCPは本当に素晴らしくて、見ていて幸せだった。
だけど、私の中のどす黒い感情は抑えることが出来なかった。
一番の理由は、その人たちが絵だけでなく小説も投稿する人たちだったからだと思う。
言い方は悪いが、絵が描けるくせに、何故小説を書くのだろう。そう思えて仕方がなかった。
彼女らは、その絵を気に入った沢山のファンがいる。小説しか書けない奴とは、影響力が違うのだ。
そういう人たちが書いた小説は、専業の文字書きよりたくさんの評価をもらえる。
何故なら、絵が描けるから。
推しCPに落ちたきっかけを話すタグが流れてきたことがあった。同好の士たちは、楽しそうにきっかけを話していた。
「○○さんの絵を見て」
「きっかけは○○さんで」
当然、挙がるのは絵が描ける人たちの名前ばかりだ。文字書きの名前など言及されるはずもなく。
見えたと思えば、「○○さんので落ちて、△△さんから供給をもらって」、だとかそんな感じで。
そんなマシュマロから始まったいつかの論争には、たくさんの擁護意見があった。
それらもかなりバズっていたから、「小説は必要だ」と思う人もたくさんいるのだろう。
そんなことは分かっている。分かっているけれど、事実としてただの文字書きは評価されないという現実はここにある。
自宅でプラモを造れない人の為に模型屋の片隅や専業でやってるスペース
エアブラシ塗装用の施設や基本色のカラー使い放題とかはあるが、プラモや工具は基本持ち込み。場所によっては月額で預かりもある
コワーキングスペースだと思ってもらえれば良い
都会や地方も問わずボドゲカフェ並みに増えてきたんだけど、やっぱ想像通りの問題が起きている。ウザい常連だ。模型って趣味なのでその濃度は濃厚。ぶっちゃけ社会生活なぜ出来ているのか不思議な奴も多い
大多数の客が求めるのは図書館の自習スペースくらいの集中できる空気と同好の士を求める交流スペースなんだが、このご時世部屋を分けて準備するのは難しく、曖昧な境界線で混在することになる
その結果大声で話す常連と従業員。そして始まる巡回。要らないアドバイス。謎の「友達になってあげる」目線の態度。まさに地獄
喋るなとは言わないが、喋る場所と集中する場所は分けるべきだし、それが徹底出来てないスペースはオススメしない。関東にも多くあるけど、それが出来ているのは数少ない。もし製作スペースを使いたいって人は自分の行きたい時間に何度か偵察してもらったほうが良い。常連がレジ前にたむろして店員と話してたら、確実に作ってる貴方の後ろから覗いてくるだろう。張り紙等で注意している店はいい店なのでオススメだが、形骸化や身内贔屓しているかもしれないので偵察は必須
ところがこれがゲイのアウティング問題なんかになると面白いもので
人権派の皆様っていうのは、ゲイの側が結構しつこく迫ったことは問題にせず、アウティング行為の是非ばっかり取り上げたがったからなあ
アウティング自体はいかんと思ったけど、あの態度にはさすがにげんなりきたよ
嫌いなものをわざわざ見に来て潰したがる人がいる以上、絶対にクローズドな場所なんてあるのか疑わしい
そういう場所があるようでも、それはただ単に見逃されているだけに過ぎない
商業ベースに乗せようとしても経営すら成り立たなくなる(まあそっちが目的なんだろうけどな)し、電子書籍にしたってうるさい人らはクレームつけまくるだろう
自分が常に「性欲を持つ側」「性的なファンタジーを他者に開陳する側」にいつまでもいられるわけじゃないんだよ。
いくら「表現の自由」があるからって、君にお隣の田中さんが下痢便を食って生じる絶頂感の共有を求めてタッパーに詰めた下痢便を勧めてきたらそれは性加害だし、その隣の鈴木さんが「男性の尿道に楊枝を差し込んで出血させるとこ見るとめっちゃ萌えるんですわ〜増田さんにも差し込みた〜い」なんて君に言ってきたらそれも性加害だろ。
君が田中さんのスカトロ趣味と鈴木さんの尿道SM趣味を押し付けられることに我慢する義務はない。「不快だからその話題はやめろ」と拒絶する権利がある。
だからって田中さんが糞を食うのに悦びを覚えることも、鈴木さんが男性の尿道に楊枝を差し込む様を想像して興奮するのも別に「それ自体」は悪じゃない。同意を得た同好の士とクローズドな場所で楽しむだけなら問題はない。
ネトウヨに限らず、だれかを攻撃して溜飲を下げる行為は癒やしですし、同好の士と共同でそうすることはコミュニケーションを円滑にします。
自分が本来的に権力と縁遠く、右翼を選ぼうが左翼を選ぼうが生活には支障ないと思ったときに陥りがちな落とし穴なのです。
何か別に辛いことがあると熱心にやってしまいがちなのでゆめゆめ自戒しなければなりません。
仕事セミリタイヤ組のネトウヨ活動は、現役時代より顕著に日本が衰退した原因を近隣諸国に求める他罰性もこじらせています。
もっと過酷な条件で、攻撃性の高まった同好の士たちが狭い環境に押し込められると山岳ベース事件の類になります。自分だけはそんな心配はないと安心めされぬよう。
回答ありがとうございます。
否めないです。
最近は「何者にもなれない自分」というのをテーマに書いてますが、自己満足に終わってる気がします。
自分ではエモい話題のつもりだけどどうエモかったか全然表現できてないのでは。
実話をもとにしていても悔しかったり悲しかったり幸せを疑ったりという細かい気持ちのうねりとか
・読者が身近に一人もいないのでは。
家族にも無理してでもよませてみたらいいとおもう。
この辺はあたってます。
同好の士ってどうやって見つけたらいいですかね……?
インテリジェンスとか読書にあんまり関係ないし、おべっかっぽくて気持ち悪いね
・ものすごく本が好きで好きで通学中に図書館の本を読みすぎて二宮金次郎、
あいつ電柱か車にぶつかりそうで危ない、といわれたことがないのでは。
配布された国語の教科書と図書館の日本文学棚は早めに全部読んでしまい
スマホを手に入れたらなろうに没頭しまくるという経験もないのでは。
ま、これ読書側であって読書量が少なくてもちゃんと辞書ひいて書ける人にはあまり関係ない。
なれると処理がマンネリになりがちだし。
自分ではエモい話題のつもりだけどどうエモかったか全然表現できてないのでは。
実話をもとにしていても悔しかったり悲しかったり幸せを疑ったりという細かい気持ちのうねりとか
とにかく細かいとこを結論以外さっぱりわすれてしまうリア充タイプなので
読者を稲垣さんのようにおどろおどろしい世界までひきずりこめないのでは。 ←自分はたぶんこれ
・サラリーマン生活で能力の大半を使っているので今は書ける状況ではないのでは。
・読者が身近に一人もいないのでは。
家族にも無理してでもよませてみたらいいとおもう。
家族は同じジャンルじゃない(たとえば自分はホラー小説を書いているが、家族はホラーを好んで読む性質の人ではない)とおもっても
複数の人にいわれる欠点はだいたい同ジャンルの人によませてもそのまま欠点となる。
あと秋山さと子とか河合隼雄とかの日本の精神分析医の、専門じゃない書籍を読むとかどうだろう。