2019-10-25

文字書きに人権はない

これは二次創作界隈で性根を拗らせてしまった、文字書きの独り言だ。

私は文字書きだ。それも、いわゆる腐っているタイプの。

個人サイトから幾星霜、TwitterPixivなんかで手軽に作品投稿できるようになった昨今、規模の大小はあれどどのジャンル二次創作は盛んであると言えるだろう。

そんな中で私も、細々と小説を書いていた。身の内を焦がす推しCPへの熱を昇華したくて、欲望のままに書き連ねていた。

最初は本当にそれだけだった。

ただ、自己評価の捻じれまくった私には、「評価が見える」という環境が苦しくて仕方がなかった。

二次創作において、小説は決して絵より評価されない。誰だって視覚的に直接訴えかけられる絵の方が、いとも容易く拡散されて評価される。

分かっていた。そんなことは分かっていたのだけれど、それでも辛いものは辛いのだ。

私には絵が描けない。描けるようになりたいと練習したこともかつてはあったけど、自分の下手な絵が見るに耐えなくて続かなかった。

才能に恵まれなかった、と言ってしまえば聞こえはいいが、つまりは向いていなかったのだ。

そんな劣等感嫉妬を抱えた私は、絵の描ける人間が羨ましくて仕方がなかった。

具体的に指し示すことなどしないけれど、私は今いわゆる「流行り」に相当するジャンルに身を置いている。

ただしCPは少しマイナーで、Pixivでもページ数は片手で足りるほどしかない。

それでも萌えが留まることを知らなくて、それこそ検索で数人しか呟いている人がいない頃からひっそりと書いていた。理由は、書きたかたから。

少なくとも書き始めたときは、そうだったはずなのだ

Twitterとは便利なもので、いつの間にか同じCPを推す人たちが増えていた。

相も変わらず逆の方が多かったけれど、それでも同好の士が増えて嬉しかった。

しかし悲しいかな、やはり小説しか書けない人間人権はなかったのだ。

同好の人たちは、皆絵が描ける人たちばかりだった。絵で摂取する推しCPは本当に素晴らしくて、見ていて幸せだった。

だけど、私の中のどす黒い感情は抑えることが出来なかった。

一番の理由は、その人たちが絵だけでなく小説投稿する人たちだったからだと思う。

言い方は悪いが、絵が描けるくせに、何故小説を書くのだろう。そう思えて仕方がなかった。

彼女らは、その絵を気に入った沢山のファンがいる。小説しか書けない奴とは、影響力が違うのだ。

そういう人たちが書いた小説は、専業の文字書きよりたくさんの評価をもらえる。

何故なら、絵が描けるから

推しCPに落ちたきっかけを話すタグが流れてきたことがあった。同好の士たちは、楽しそうにきっかけを話していた。

「○○さんの絵を見て」

「○○さんの描く推しCPが素敵で」

きっかけは○○さんで」

当然、挙がるのは絵が描ける人たちの名前ばかりだ。文字書きの名前など言及されるはずもなく。

見えたと思えば、「○○さんので落ちて、△△さんから供給をもらって」、だとかそんな感じで。

結局のところ、文字書きは薪になれても火種にはなれないのだ。

アンソロ小説はいらない」

そんなマシュマロから始まったいつかの論争には、たくさんの擁護意見があった。

それらもかなりバズっていたから、「小説必要だ」と思う人もたくさんいるのだろう。

そんなことは分かっている。分かっているけれど、事実としてただの文字書きは評価されないという現実はここにある。

枯れ木も山の賑わいとは言うが、結局のところ景観が整ってくれば枯れ木など邪魔なだけだ。

文字書きに人権はない。あるのは、絵描きに対する醜い嫉妬と羨望ばかりなのだ

  • サイト作ってそこに篭ろうぜ 交流は自サイト拍手だけにしてさ

  • ないのは人権じゃなくて他者の評価じゃん。 評価されたいなら、やることは一つだよね。

記事への反応(ブックマークコメント)

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