はてなキーワード: 内縁とは
「米山知事はどのようにセックスしていたら世間に許されたか」の補足です。
夫婦生活、結婚を前提とした真剣なお付き合い、内縁の夫婦といった名目で一般に広く堂々と行われている形式のセックスです。
「結婚は合法的な売春である」という言葉がありますが、男が金品を与えるかわりに女がセックスを提供するということは世界中で当たり前のように行われています。
あるカップルの関係が、真剣な交際、セフレ、パパ活、援助交際、売春といった言葉のどれにあたるのか判断するのはそれほど簡単なことではありません。
相手が複数人になると真剣なお付き合いというより遊びの意味合いが強くなり、世間の目は厳しくなります。愛人を囲っているなどと言われるとかなり印象が悪いです。妊娠や中絶といったキーワードが絡むと更に厳しいです。
一般女性とのプライベートなセックスという名目になり直接に金品の授受を伴わないので多分セーフでしょう。
50歳の独身男性が余暇に風俗店を利用しているというのは人聞きは良くないですが、それだけではニュース性は低いです。
売春防止法違反という指摘がありますがナンセンスです。なぜなら、パチンコが「賭博」でないのと同じように、日本の風俗店では「売春」は行われていないからです。
特殊な性癖が暴露された場合は、世間から好奇の目を向けられてしまうので風あたりは強くなるかもしれません。
小学校の先生がパチンコで100万円使っても特に問題になりませんが、違法カジノで10万円使ったのが発覚したらちょっとした騒動になるでしょう。
同じように、出会い系サイトやリフレ店を使い、正規の風俗店を介さない形で性的なサービスを受けると世間の目は厳しくなります。不倫に対しても世間の目は同じくらい厳しいですが私には理由がよくわかりません。
米山知事は交際が真剣であると主張したり相手にはめられたと言い張ったりして粘れば辞職せずに済んだかもしれませんが、真剣な交際のつもりだったと言うだけ言って辞任してしまいました。
この人は自分のちんちんの画像を女性に送ろうとして誤操作で自分のツイッターアカウントから全世界に公開してしまい問題になりました。
議員辞職の後、再起をはかってニューヨーク市長選挙に立候補しますが、問題発覚後もちんちんの画像を別の女性に送り続けていたことが選挙期間中に明らかになり政治人生が終了しました。
依存症は一人で治すのは困難なので、家族やカウンセラーや援助団体の助けを借りてきちんと治療しましょう。あとSNSでの誤操作には気を付けましょう。
権力を背景に部下に当たる人物とセックスしたり、性接待を受けたりするのは原則的にアウトでしょう。
18歳未満が相手でも、16歳以上の女児で結婚または婚約関係にあれば合法であるという指摘はその通りですが、米山知事なので考慮する必要はないかと思いました。
気の置けない女の子のお友だちは何人もいる。男の子の友だちは1人いた。
過去形の理由は、最近男友だちになってもらったAくんからメールの返信がこなくなったからです。
もしAくんがこれを見たら「人のこと勝手に話して」と思うでしょうね。
Aくんはなんでも周りに相談せず一人で考えて答えを導き出すそうですが、私は色んな人に発信して意見を聞いたうえで答えを探していくタイプです。悪しからず。
Aくんの話をするにあたり、彼に私の考えは「やっぱりあなたは変わってるね、普通はそう解釈しない」って言われたのでちょっと自分のすきなものへの見方みたいなのを記します。
「私の人生」っていう国があって、そこに私の関連するものをどんどん入れていきます。
人だったり、ものだったり、仕事や学校だったり色々なものをどんどん入れていきます。
嫌いなもの、どうでも良いものもあるけどあんま見てもいい気持ちがしないから出てってもらう時もあるけど、国の記録にそういう事実がありましたよっていうので残ります。
その国で「私のすきなもの大会」が常日頃開催されていて、すきなものをひとつひとつ明確に順位づけするつもりはないけど
「AよりBがすき」「AとCは同じくらいすき」「DとEはよく知らないからすきか嫌いかわからないけど、どうでもよくはないから一応参加」
地区大会、県大会ときて全国大会まできたらすごい。全国大会の入賞者はメダルがもらえます。
「今回のメダル獲得は○○ちゃんとperfumeのニューシングルと隣町のカフェとうんぬんかんぬん………そして10年と100日連続入賞ですポルノグラフィティ―――!!!!!!」みたいな。
さて、Aさんの話に戻ります。彼に男友だちになってもらうまでの経緯はめちゃくちゃ長いんですがこんな感じ。本当に長いので飽きた人は ★★★ のマークまで読み飛ばしてください。
私が一昨年の夏に訪れたデッサンの教室の先生がAさん。つまり始めはAさんじゃなくてA先生だったわけですね。
絵を描きながらおしゃべりをしながら教えてもらうマンツーマンの個人教室、まあ多少はゆるいだろうなあと思っていました。
教室に通うに連れて私は疑問を抱くことになります。考えすぎなこともあるかもしれないけど、その時の私が思ったことだからいろいろ挙げますが、
・体験レッスンをしてから初めてのレッスンで終了時間が来たので帰ろうとすると「今日は近所でお祭りがある」と言われる。
予定があったので断ると「もしお祭りに行けたら、僕たちを見た人はカップルだと思ったかもしれないよね」と言われる
・本来昼のレッスンのはずなのに、本業を優先したいとのことで実際に来るように言われるのは夕方の時間
・レッスンが始まると、時々「帰らなくて大丈夫?」とは聞かれるが特に予定もないので「大丈夫です」って答えると22時すぎまで「今日はもう終わりにしましょう」とならない
・「私は年上に見られがちなんです」って話をしたら「僕35歳なんだけど年下に見られるから、もし僕とあなたが結婚したら同じ年くらいの夫婦に見られるかもしれないね」と言われる
・「奈良で包丁を買ったから家で料理を始めた」って話をしたら「たくさん料理を作ったら持ってきてね」と言われる
・「前回も長く絵を描いていてすみませんでした」って言ったら「そんなに長い時間描いていてA先生の家の子になっちゃいなさいって親に言われなかった?」って言われる
・時々頭を撫でてくる
これらに対して私はどう対応してたかと言うと、「アハハー、なんか恥ずかしいことしれっとしますね!」と濁していました。なんでかって言うと、それが生徒さんの対応かなって思ったから。
お金払ってレッスンしてもらっている身だからヘタな態度を取って破門だ!なんて言われたら悲しいですからね。
習い事の他に、芸術活動のインスピレーションを沸かせるためにみたいな感じで誘われて県外までお出かけしたのと、ボランティアのお手伝いに呼ばれたのとで、教室の外で2回会いました。
まあ大学でもゼミの飲みで先生来たりするよね!って感覚でした。
私はA先生のことをどう思っていたかと言うと「かっこいい〜!絵が上手い〜!いろんなこと知ってるから話してて楽しい〜!」って感じでした。
でも帰り道は毎回「え!?!?!?え!?!?!?どういうこと!?!?!?」とパニックでした。
今まで習い事の先生にも男の人にもそんなことされなかったから、どう言う意図でその言動行動になったのかがわからなかったのです。
先生と生徒だし「もともとそういうことしれっと言っちゃう人なのかな」とか思ってましたが私は当時24歳、先生は34歳。
さすがに子どもじゃないので「これは傍から見てどんな風に見える?」と思って友だちに相談すると
「今の状況じゃ好意を持ってるとも取れるけど僕はそんなつもりなかったってなる可能性も十分にある、深入りは禁物、様子見」
と、ごもっともなことを言ってもらえたので余計なことはせずに生徒さんをしていました。
さて、その後ですが私は仕事が忙しくなって教室に行けなくなってしまいました。
時は流れ去年の12月、私は今年度で仕事を変える予定だったので、今後習い事をどうするかを話しに再び教室に足を運びました。
私の都合の良い時間に通ってくれれば良いと言ってもらえて私はまたデッサンをがんばるぞーと思っていました。そこでのお話でまた気になったことがひとつ
「僕にお金があればお嫁さんになって僕のこと支えてって言えるのにな」
私は「なんでそんなこと言うんですか?」って聞きました。
あまりにもいつまでもこんなことを言うので、ただの冗談なのか本気でそう思っているのかが分からないと今後どのように接していけば良いのか分からなかったからです。
それに対しての先生の返事を要約すると「あなたのことは魅力的だと思っている、でもお付き合いしてほしいとか結婚したいとは違う、なぜなら自分にはお金がないのでそんな大それたことを言う資格はないからだ、ただ絵を描きに来てくれてお話をして、時々一緒に出かけられたら良い」みたいなことでした。
先生が子どもみたいなことを聞いた私に対して先生としての言葉で返事をしてくれてかつ「ここはあくまで教室だから先生と生徒らしくしろ」という意味を込めてこのような言い方になったのだと思いました。私は
「私も先生のことは素敵な人だなと思っている、私も絵を描いてお話をしてお出かけできたら良い、いま先生と生徒の垣根はゆるゆるだけど先生の創作活動の邪魔になりたくないし付き合うとか結婚とかは求めてない、ただ自分が好意を持っている女が男の影をチラつかせるのは嫌だろうから誠意を見せて合コンに行くのはやめようと思います…ってのは違いますか?」みたいなことを言いました。先生はそれで良いと言ってくれました。
さっきの国に当てはめると「先生のすきなもの大会に私は参加してます?」って聞いたら「僕の国のすきなもの大会にあなたは参加しているけど入賞はさせられない」って言われたので「なるほど!事情も分かったし、私も先生のこと素敵な人だなーって思ってたから入賞試合のシード権あげます!」と返したわけです。先生はそんなこと思ってなかったかもしれないけど、私はそう言われていると感じました。
帰り道「内縁の妻じゃなくてなんだ〜?内縁の彼女?すき同士?っていうか、人のことがすきって、それ以外の名前をつけなくてもいいんだ!素敵!」って思って帰りました。
次の日「すきな人とすきなことが出来るって幸せだな~、シンプルに生きよう」と思って友だちをルームシェアに誘ってOKの返事をもらい私はウキウキでした。
色々な話をする中で先生が「お互いに疲れた時の支えになったり癒しになったりしたら嬉しいよね」みたいなことを言ったので「アハハ、私でよければ」と答えると
「え?なんで?彼女でしょ?」
と言われました。え?名前ついたぞ?恋人にする気ないって言ったのに?なんかそういう会話あったっけ?って頭の中は大混乱です。
「そ、そっかあー、彼女かあー」って返してそのまま話は流れていったと思います。
「確かにお互いの事情で懇ろにはなれなくても絵を描いてお話をしてお出かけできたら良いっていう男女の関係を世間一般な言葉で表現したら彼氏彼女にはなるのかな」とか思ってました。
その後も、お互いにお互いの両親と親しくなりたいよねとか、友だちとルームシェアをすると言ったら「僕のために自立を決意してくれてありがとう」みたいなこと言われたりしました。
私が何を話したか全部は覚えていませんが、その向こうがそのつもりならこっちもレッスンで言ってなかったこと話してみようか、と思ってすきな俳優ががんばって活動していて応援しているんだという話をしたら
「僕もがんばってるでしょ」と、話の方向が変わってしまって残念に思ったのが印象に残っています。
帰り道、いままでの男性経験を聞かれました、抱き合いたいとも言われました。(先生は「仲良くする」という言葉で表現していました。そんな言い回し同人誌で1回しか見たことない)
手を繋ぐように促されました。手のヒレを撫でられました。「なんでこんなことするの?」って思いました。その後は適当なタイミングで手を離して適当なタイミングで話をして別れました。
私から見た先生は、入賞試合のシード権を獲得しただけで未試合の気づいたら彼氏になってた人、先生から見た私は見事入賞メダルと彼女の称号済み。早いよ~~~~~
言ってることとやってること違くない…?一回り上の男性と接するにはこのへん気にしちゃいけない感じ…?
と思っているうちに年が明け、お互いに「絵を描いてお話をしてお出かけできたら良い」ということでしたのでレッスンの日を決めることになりました。
ざっくりとしたやりとりはこうです。
私「火曜日はどうですか」
私「早い時間がいいです」
私「金曜なら16時〜19時で空いていますが」
携帯を確認すると16時半過ぎにも「いま向かってますか?」という旨のメール。しばらくすると「曜日を勘違いしていました、すみません!」という旨のメール。
私は「ヤバイな」と思いました。
「この人は私が火曜日の16時半にくると勘違いしていて、いままでのメールも確認せずに送ってきたということは、自分は間違ってなくて私が予定通りに教室に来ない人だと思って連絡してきてる!
しかも16時半過ぎにメールをしてくるってことは、この大雪の中でも私が家から教室まで足を運ぶことになんの疑問も持っていない!私が思う生徒と先生が思う生徒が違う!そして私が思う彼女と先生が思う彼女が違う!」
私は、先生に対して「先生と私で解釈違いが起きています。彼女でしょ?って聞かれた時に濁しましたが、家に持ち帰ってちゃんと考えたらそんなやりとりしてなかったです。
触られるのは苦手です。私も思わせぶりな態度をとっていたかもしれません、きちんとお互いにわかる言葉で話ができていなかったかもしれません、それは本当にごめんなさい。」という旨のメールを送りました。
先生もその内容を理解してくれました。でも、返信の内容に「もうあなたの気にすることはしないのでまた教室でお待ちしています」みたいな文があったのが気になりました。
もう先生と生徒でいるのには無理があると思いました。
それで私は「先生と生徒はもう無理があると思います、お友だちというのはどうでしょうか」という提案をしました。
先生は「あなたのいう友だちの概念はわかりませんが、あなたがそれで良いならそれで良いです」とお返事が来ました。
本当に長くなりましたが、そんなわけで男友だちのAくんが誕生したのです。
私から見ればAくんのシード権は無効、すきなもの大会は参加中で彼のポジションが今後どうなるかは謎の状態です。
その後、Aくんとお茶をしました。いままでのやりとりのおさらいをしました。
お互いに色々言いましたが、向こうから見たら私はもう彼女でも生徒でもないからなんだか怒られそうだなーって思うと怖くなってしまって自分の体が震えていました。
「恋人になるつもりがないなら合コンに行かないなんて言うな」って意味のことを言われたのは覚えてます。
「恋人にしたいとか結婚したいとか思ってないって先に言われたし、でも遠い未来には恋人同士になる可能性もあるみたいな言い方だったから私なりの誠意の見せ方だったのに」って言ったら
「それでも合コンに行かないって言われたら私を末長くよろしくお願いしますって言われてると思うじゃん」って言われました。
末長くよろしくだとしても、今まで先生と生徒でやってきたのに、すき同士だからって理由でいきなり手を繋ぐよう促されたり両親と仲良くとか言われたり男性経験がどうこうとか、がっつきすぎだろうと思いました。
「そうでも、ゆっくりが良いんです。恋人同士にならなくても結婚しなくても、末長くよろしくでお互いにお互いを知っていく時間がいるでしょう」と言いました。
お店を出てから「僕はあなたの恋人候補に入ってるってこと?」って聞かれました。
「候補とか候補じゃないとかじゃなくて、今はお友だちなんだからお友だちです」と言って別れました。
その後にメールが来ましたが、自ら身を引く感じの文面で私は悲しくなりました。
お友だちで良いって言ったじゃんと思って
「男と女とかオスとメスとかじゃなくて一人の人間同士で仲良くなりたいです、いままで先生と生徒でやってきたのでAくんは生徒としての私しか知りません、その状態で懇ろになるのは非常に危険だと伝えたかっただけです」
Aくんは「その内容を分かるところと分からないところがあるけど、それはあなたの考えだから尊重する。でも思わせぶりな態度はやめてほしかった」と返信をくれました。
私は「あまり知らない男の人は警戒します。自衛の行為のつもりだったが思わせぶりな態度になってしまったのは申し訳なかった、これからはもうお友だちなのでそういうことはしない、指摘してくれてありがとうございました」
と返信をしました。
その返事は、当たり前だけど来ません!!!でも悲しい!
人と話してて気になる表現があったら自分のものさしで解釈しないで雅とか風流とか気にしないで話の雰囲気ぶち壊しても野暮とか馬鹿とか思われるかもしれないけど、言葉の意味をちゃんと聞かないとたいへんなことになるんだなーって思いました。
恋愛偏差値20しかない…なんでも話せる男友だちがいたらちょっとは違っただろうなあー。
★★★
話した内容全部覚えているわけじゃないしメールの内容全部記載しているわけじゃないけど、私視点から見た今回のあれこれを最初に話した国と大会でお話しすると、
Aくんはとっても素敵な人だったからすぐに「私のすきなもの大会」の参加メンバーに割と早い段階でいました。
ある日の話し合いを機に私が彼にシード権を与えたら、いきなり「あなたはもう僕の大会の中では入賞してるよ!僕もあなたの大会の中は入賞してるよね!メダルをくれるんだよね!!!」って言われている気持ちになりました。
でも向こうからメダル欲しいなんていう人なかなか現れないから嬉しくなって、
メダル欲しいですか!そしたら私のすきなもの大会でメダルもらったものがどんななのか見せちゃおうかな、と紹介したら
「ふーん!っていうかそれほめるなら僕も!」って反応をされました。
「私がちょっと見せただけの国の状態を見て、男性が家族しか見当たらないのを見て自分ならなら大会で入賞していると思ったのかもしれませんが、県内での部活数が少なくて不戦勝で次の大会に出られているようなものです。
男ってだけでは入賞の理由にはなりません、むしろ私の人生で男性とはあまり関わりが少ないうえに今までロクなデータがないので慎重に吟味していました」
みたいなことを言ったのを最後に向こうの大会から私は除名、私の大会から彼は棄権みたいな感じになっちゃいましたとさ。
国の記録には残るけどこれでおしまい。
ここまでの話を友だちにすると「もっといい人がいるよ」なんて言われるけどちょっとその言葉にモヤモヤします。
この場合のいい人っはいつか彼氏や旦那になる男性のことを指すのですが、まるで異性に好かれてないと私は幸せになれないみたいな言い方に聞こえます。
私は「今回のメダル獲得は○○ちゃんとperfumeのニューシングルと隣町のカフェとうんぬんかんぬん………そして10年と100日連続入賞ですポルノグラフィティ―――!!!!!!」で幸せなんです。
楽しいことがいっぱいある世界である程度の年月過ごしてきた人の前にいきなり現れた人が、すきなもの大会に参加はできても入賞することって結構大変。入賞し続けることはもっと大変。
結婚をしてみたい気もするけど私はお家のための結婚はしなくていいし、一緒にいたいなーって思う人はいても結婚したいと思う女性も男性もいないというか結婚ってそもそもどんな制度?って感じで、子どもを産み育ててみたい気もするけど今そういうことしたいとは思う男性はいなくて、精子提供や養子縁組も今は考えてません。いつかご縁があったら結婚して子どもを産み育てることもあるかもしれないねってくらい。
結婚も出産も子育ても「すきな人とすきなことした結果に名前をつけたもの」って感じがする。
私は周りに結婚や出産を催促されても結婚や出産や子育てをするための「いい人」はいらない。
すきな人とすきなことをしたい。
△ちゃんとライブに行くのが幸せ、□ちゃんとお茶しに行くのが幸せ、時間が取れたときは絵を描くのが幸せ、パンにはチーズをのせて3分チンするのが幸せ、
Aくんとは絵を描いてお話してたまにお出かけするのが幸せで、もしかしたらその先にまた違う幸せが見えてくるのかも、なんて思っていたけど、向こうとは歩く速度が違うようです。残念。
2年前に知り合っておつきあいを始めた人と結婚することになったお友だちに、こんな話をタラタラとしたら「私の彼氏はすごいことを成し遂げた人なんだなあ、2年でメダル受賞までこぎつけるなんて。私は警戒心が強くて大変だったろうに」って嬉しそうに笑っていました。「結婚しなくても幸せになれるこの時代に、私は、あなたと結婚したいのです」という広告を思いだしました。素敵だなあ。
読みにくい文章でごめんなさい、文章を書くのは苦手です。最後まで読んでくれてありがとうございました。
追記:抜けてた文を追加して周辺の文章を整えました。
3. 精神病質傾向が強い者は「相手が自分に怒っている!」と思い込む
子供には自己決定権が無いから、大人との恋愛は認められないという意見もあるが、
その場合、無断で性交したり、強姦以外で中絶手術したりする子供は、保護観察して、もう性交しないようにする必要が有るのではないか。
子供には自己決定権が無いから、大人との恋愛は認められないという意見は
子供が「自分はLGBTだ」と言った時に、「あなたはまだ子供だから、LGBTではなく異性愛者だよ」と言うのか?
人間の性は、ひとりひとり個人のものです。まわりの誰かがLGBTだったり小児性愛者だったとしても、それはその人自身の自由な生き方であり、プライベートなことです。それをからかったり、干渉したりする権利はだれにもありません。
#ロリコン
#LGBT
#セクマイ
小児性愛者は自分で選択して小児性愛者になったのではありません。同性愛者が同性愛者になりたくてなったわけでないのと同じです。
異性愛者の方が多数派、小児性愛者は少数派というだけのこと。子供に対して愛情を抱くことは、異常なことでも、いやらしいことでも、特別なことでもありません。
在日は犯罪者が多いというデマがあるが、仮に本当だとしても、在日というだけで差別することは許されない。
ロリコンは犯罪者が多いというデマがあるが、仮にそういうデータがあったとしても、そのデータには隠れロリコンが含まれていない。
マンガで分かる心療内科・精神科・カウンセリング 第十五回「ロリコンはどこから病気なの?」 http://t.co/GMX19DbB1b http://t.co/Nb3eYACRBV
近代になるまでは、人生が短く生殖が優先されたので、女性は子供を産める12~15歳になれば結婚適齢期とされ、結婚させられた。
性の対象として良い範囲は、社会的・文化的・宗教的に、相対的に変わるものだ。
「近頃の若者」は親世代よりもはるかに模範的であることがデータで示される https://t.co/EU6Mesgzi0
イランやサウジアラビアなどイスラームの一部の国では、古典イスラーム法の通り、9歳を結婚可能年齢としている。
多くのイスラーム教国の法律では女性の結婚可能年齢や法的同意年齢は医学的な性的成熟を踏まえ、15歳から18歳程度とされる。
イスラームの預言者ムハンマドは、9歳の少女アーイシャと結婚した。このときムハンマドは50代であったとされる。
イスラーム法において、女子は9歳で一人前(判断力を持った存在)とされ、大人に準ずる扱いを受ける。
#ロリコン
ロミオとジュリエットは物語の1日目で互いに一目惚れ、2日目にはもう人目を忍んで結婚、そして初夜、わずか5日後に自殺している。
#ロリコン
後醍醐天皇の中宮、西園寺禧子は満12歳で懽子内親王を出産した。
#ロリコン
マリー・アントワネットは14歳、ルイ16世は15歳のときに結婚した。
カトリックでは交接をもって結婚の完了とするため、13~15歳あたりで結婚する事が多い。
王侯貴族にとって、結婚が正式なものとなるのは非常に重要な事であるため、床入りの際に、神父や見届け人が見届けていた。
豊臣秀吉が数え25歳の時に、数え14歳の寧々と、当時としては珍しい恋愛結婚をしている。
武田信玄は満12歳の時に、13歳くらいの上杉の姫と結婚した。翌年に上杉の姫は、難産がもとで子と共に亡くなった。
戦国大名の前田利家は20歳で、いとこの満11歳の少女「まつ」と結婚し、まつが満12歳になる直前に長女 幸姫を産ませ、合計11人の子を産ませた。
(まつ 1547年7月25日生まれ、幸姫 1559年7月11日生まれ)
#ロリコン
ヘイトじゃないよ
仏教の世界では女体は修行している男を惑わす魔物で、肉体関係を持つと汚れると考えられた
ってことで出てきたのが「稚児(ちご)」、12歳から18歳くらいの少年のことで、僧の身の回りの世話をする役目の子供のこと
稚児との肉体関係は清浄になるとされて僧の性欲のはけ口にされてしまっていた
生理は、女性のお腹の中にある子宮が大人のものへと育って赤ちゃんを産むことができる身体になったという印。
生理のある女性とsexしたいという欲望は、子孫を残したいという男の本能。
マンガで分かる心療内科「ロリコンはどこから病気なの?」http://yucl.net/man/255.html
今では社会的に配慮されるべきとされるLGBTですが、中世のヨーロッパで同性愛は死刑でした。
アメリカでは2003年まで同性愛を犯罪とする州がありました。
#ロリコン
#LGBT
#セクマイ
兵庫県立高校の30代女性教諭は、男子生徒から学校での悩み等を聞くうち恋愛感情を持ち、放課後に自家用車内でキスをしたり、互いの体を触ったりし、懲戒免職された。
教諭は「生徒の成長を妨げる過ちを犯した」と話している
被害者いないのにね…
大阪市東住吉区で1995年に火災が発生し、内縁の夫により性的虐待を受けていた 11歳女児が死亡し、保険金目的殺人で服役していた母親の青木恵子と、内縁の夫の朴龍晧が約20年ぶりに釈放された事件。
http://www.akb48matomemory.com/archives/1043666048.html
老若男女問わず、合意の無い性行為強要は凶悪犯罪で、処罰されるべきです!
合意できるか否かを年齢で区切るのではなく、どんな場合に心からの合意を得たと言えるのかを考えることが、皆が自由に笑顔で暮らせる一歩となるのではないでしょうか
オランダでは、1991年に刑法247条が改正され、16歳以上でポルノ出演、性行為が適法とされ、互いの同意があれば12歳以上でも性行為は適法となりました。
「禁じるよりはオープンにしてコントロールしよう」という、麻薬・売春と同じ系列での考え方です。
1970年代初頭にオランダやデンマークでポルノが解禁されると、そのサブジャンルとして児童ポルノもまた出現しました。
1970年代が日本の少女ヌード写真のブームの幕開けで、売上部数20万部を超えるヒット作も複数出版されました。
宮沢りえ(撮影時17歳)ヘアヌード写真集 篠山紀信撮影(朝日出版社) 1991年
「神話少女」
栗山千明(撮影時11歳)ヌード写真集 篠山紀信撮影(新潮社) 1997年
ヌード写真がトラウマになることなく、立派な女優に成長されました。
少女愛運動は、少女愛の存在を社会に肯定的に受容させ、少女愛を性的虐待や犯罪に密接にリンクさせる社会的偏見を除去などを目的にした活動。
オランダにおいて1970年代に発祥、70年代後半に英米にもいくつか存在するようになった。
時々パクツイをしています。ゆうきゆう先生のとか色々。素晴らしい意見だと思ったからですが、botにRTされると迷惑ではと思ったので…
女性が、年上の男と恋愛した方がいい心理学的な理由。https://t.co/myYzNt5hbu https://t.co/zKi7hQCku3
私の家は2004年あたりまでラブホテルを経営していた。男同士の宿泊はお断りだった。
母の話だとラブホテル経営し始めた当初は男同士も問題なく受け入れていた。90年代になって経営し始めたうちのホテルではとにかく客がほしかった。
そのもっと前だとエイズへの恐怖で男同士を禁止するラブホテルが多かったみたいだけど、うちが経営し始めた頃は感染理由も広まり無知の恐怖で断る必要はなくなっていた。
最初は受け入れたうちのホテルだが、すぐに断るようになった。これも母が言うには「すごく汚すから」という理由だ。
清掃費や従業員の精神的負担を考慮すると断るしかないとのことだった。そうじゃなきゃ潰れてしまう。
男同士の客の8割は汚くしたと母は言っていた。そのなかでは宿泊施設がなく友人同士で泊まるケースもあったので男性同性愛者が汚す率は実際は8割を超えてたと思う。
経営者としてとにかく客=金が入ればいいので、差別意識で断ってるラブホテルはあんまりないんじゃないだろうか。
でも差別と訴える人は、そのなかにいた<汚さない人>なんだと思う。彼らにとってはそりゃあ理不尽な話だとも思う。
私は差別と生活が天秤にかかったときにどっちを選ぶかと問われたら差別を選んでしまう。
差別される側としてもその感覚は骨身に沁みている。ラブホテルをやってる家の子供、<ザイニチ>の子供として。
小学校の通学路近くにラブホテルを建てたものだから散々クレームが来たうえに、これだからザイニチは・・ともよく言われた。
金に汚く性的なことを子供にあけすけに話す母親と母の内縁の夫と暮らしながら、家では日本への呪いを、外では日常的な差別を受けてきた。
学校ではあだ名が「姫」だった。ラブホテル=お城=姫ってわけだ。地味でお世辞にも姫っぽさのかけらもない私が「姫」と呼ばれてることを教師たちは問題視することはなかった。
ザイニチの私はザイニチだと言われつつもそれで得したこともある。就職氷河期に短大出の私がそれなりに良い条件でそれなりの会社の正社員になれたのはそのルーツによるコネのおかげだった。
あのとき同じ会社に面接を受けた私より優秀で有能な人たちにとってザイニチは狡い存在だと思う。ザイニチだから結婚を考えた人に振られたけど、ザイニチだから就職できた。
日本人と結婚させたくなかった母や母の夫は私が別れたときに喜んだけど、それから38歳になった私は今も独身で子供もいない。これからもずっと独身でいると思う。
子供は産みたくないしほぼタイムリミットになってきて嬉しい、って
書いてたら何を書きたかったのかわからなくなったので終わります。
いや、差別と生活ってぴったりくっついてるから厄介だなーって生活とか日常を守ろうとすると差別したりされたりって繰り返していくんだなーってことを言いたかったんだけど、途中から考えがまとまらなくなった。
マスコミは罪深い。
内縁とかそういうの、増田さんはちゃんと確認できてるの?香取君のファンや香取君が自分で言ってないことにまでどうして本当みたいに言うの?
見てきたみたいに。おかしくないですか。
岡田君とあおいさんの結婚は事実みたいだからそれについて、元増田さんは祝福しようと頑張ってるんじゃない。
それと、香取君の話は全く別でしょう。
ファンが離れると思って、結婚してても公表しないアーティストもいるんだと思うけれど、誠実ではないと思う。
まえに、リプニツカヤさんが引退した時の記事読んだけど、あれだけ美しく、愛されていたのに、
http://www.huffingtonpost.jp/kazuhiro-sekine/lipnitskaya-anorexia_a_23226859/
柳美里という作家がいる。プライバシーを切り売りするタイプの小説をよく書いている。
他人の障害や出身をネタにする『石に泳ぐ魚』という本を書いて裁判にもなった(最高裁まであがいたが、柳が負けた)。
柳には内縁の夫との間に生まれた息子がいる。柳によると、ADHDで虚言癖があるのだという。
2008年に柳は息子の泣き顔写真とともに次のようなブログを投稿して、大規模な炎上に発展した。
「あまりに嘘つきなので(そして次から次へと嘘をつきつづける)朝7時から15時までひっぱたきまくり、学校休ませ、罰として朝食も昼食も与えていません」
「糞野郎ッ!」
「このまま育ったら、嘘つき演技型の犯罪者になるかもしれない」
柳はこの炎上騒動について
「ひとことだけ言っておきますが、『今日のできごと』は、『交換日記』と同様に、広義な解釈で『フィクション』です。どういう写真に、どういう文章をつけるかは、かなり計算しています」
と言って「フィクション」だと主張し、鎮静化をはかった。
児童相談所が調査に訪れたりもしたが、柳のブログ以外の証拠がないため、それ以上の進展はなかった。
息子が本当に「嘘つき」なのかどうかはわからない。
確定的に言えるのは、柳にとってブログは真偽を問わない創作の場であり、世間の注目を集めるために息子の虐待ネタを使ってもいいと考えているということだ。
昨日、柳は「授業中の骨折事故後の柔道強要による頚椎損傷事件の経緯」というブログを公開した。
学校教師の非道によって息子が怪我をしたということを実名つきで告発するものだ。ツイッターでもやってる。
僕の家の表札には苗字がみっつある。いろんな人になんで?って聞かれるから、天邪鬼な僕はここに書く。
まず家族構成と各苗字の紹介。父(苗字A)、母(苗字B)、僕と弟(苗字C)となっている。
事の発端は離婚である。今の父親とは血が繋がっておらず、Cという苗字を持つ父がいた。
僕が小学生の頃に母親が叩かれてるのを見て思わず「離婚して」といったら3日後には家にいなかったことを覚えている。
この瞬間に母親は父(苗字C)とのつながりを消したかったらしく、母が元の苗字であるBに戻した。
しかし僕と弟はCという苗字に合わせて作った名前だ、と言われて育ってきたため名字を変える気がなく、それを理由に兄弟揃って苗字はCのままだ。
しばらくして僕が高校に上がるとき、お金もない、休みもない、元父からの養育費はたまに止まるで母が精神的にまいってしまい、母が出会い系に登録した。
彼バツ一子持ち(40代後半)
私バツ一子持ち(アラサ―)
「君と一生一緒に生きていきたい」と言われ 年甲斐もなく浮かれた。(あほ)
ところが先日
「籍は父親が死んでから入れよう。親父が生きてるうちは内縁関係でお互い労わり合っていこう」と。
「は?内縁の妻?」
ま・じ・か
彼曰く、実家とは疎遠で極力関わり合いたくないのと 実家と揉めるのが面倒だということ。
あのな
父親じゃない男と子供(娘10歳)を同じ屋根の下に住まわせる程、こちとら母親としての良心は崩壊しちゃいねーんだよ!
再婚でもそこは慎重にずっと考えて 迷ってたのに、内縁の妻かよ!
お前、どんだけ男としての心意気がねーんだよ。
これから先、世知辛いこの世の中をどうやって戦っていくんだよ!
お前がその姿勢なら こちとら協力しようがねーぞ?
第一、それ只の同棲じゃん!
それなら 今、母子で普通に暮らしていけるから そのままでいいよ。
子供にとっても 父親以外の男と暮らすストレスないだろ?(再婚の父でもあるだろうに)
彼に対する怒りもあるけど
仕事仲間から「お前は仕事と子供の為に生きた方が幸せになる」という言葉を噛みしめて
内縁とか ふざけんな!
午後から少し風が出て来た。床の間の掛軸がコツンコツンと鳴る。襟首が急に寒い。
雨戸を閉めに立つと、池の面がやや鳥肌立って、冬の雨であった。
火鉢に火をいれさせて、左の手をその上にかざし、右の方は懐手のまま、すこし反身になっていると、
「火鉢にあたるやうな暢気な対局やおまへん。」という言葉をふと私は想い出し、にわかに増田三吉子のことがなつかしくなって来た。
増田には異色ある人物は多いが、もはや増田三吉子のような風変りな増田は出ないであろう。
奇行、珍癖の横紙破りが多い匿名ダイアリー将棋界でも、増田は最後の人ではあるまいか。
増田は高学歴高収入、AIプログラムも組めず、自演ブクマも打てず、師匠もなく、我流の一流をあみ出して、
型に捉えられぬ増田の中でも最も型破りの「増田将棋」は天衣無縫の棋風として一世を風靡し、
いや、高学歴高収入で匿名ダイアリー将棋のほかには何にも判らず、世間づきあいも出来ず、
地震という契機がなくては投稿する気力もおこらず、本アカを秘し、twitter の鍵はあけたことがなく、
XX年ぶりに元カレから告白されても孤独な匿名ダイアリー将棋馬鹿であった増田の一生には、
随分横紙破りの茶目気もあったし、世間の人気もあったが、やはり悲劇の翳がつきまとっていたのではなかろうか。
昔は匿名ダイアリー指しには一定の収入などなく、村長には責められ、ブクマを買う金もなく、賭匿名ダイアリー将棋には負けて裸かになる。
内縁の彼氏が彼女の手をひいて、心中の死場所を探しに行ったこともあった。
この彼氏が後年息を引き取る時、増田に「あんたも匿名ダイアリー指しなら、あんまり阿呆な記事さしなはんなや」と言い残した。
「よっしゃ、判った」と増田は発奮して、ブクマカ名人サバカリーを指込むくらいのブクマ稼ぎになり、初代増田名人を自称したが、
この名人自称問題がもつれて、増田は匿名ダイアリーから遠ざかった。
が、昭和十二年、当時の花形匿名ブクマカ師フェイタ、ゼヴラ両八段を相手に、六十八歳の増田は十六年振りに対局をした。
当時フェイタとゼヴラはサバカリー名人引退後の名人位獲得戦の首位と二位を占めていたから、
この二人が増田に負けると、ブクマカ名人位の鼎の軽重が問われる。
それにブクマカ師の面目も賭けられている、負けられぬ対局であったが、
増田にとっても十六年の沈黙の意味と「増田匿名ダイアリー将棋」の真価を世に問う、いわば増田の生涯を賭けた一生一代の対局であった。
ところが、増田はこの対局で「阿呆な記事をさして」負けたのである。
フェミニズムネタという大駒一枚落しても、大丈夫勝つ自信を持っていた増田が、平手で二局とも惨敗したのである。
増田の名文句として伝わる言葉に「女として詰んだ」というのがある。
悪手として妙な所へ打たれた自分という女が、進むに進めず、引くに引かれず、ああ悪い所へ打たれたと泣いている。
女が増田の心になって泣いている。
阿呆な手をさしたという心になって泣いている――というのである。
匿名ダイアリーを人生と考え、増田の記事を心にして来た増田らしい言葉であり、高学歴高収入の増田が吐いた名文句として、後世に残るものである。
この一句には増田でなければ言えないという個性的な影像があり、そして増田という人の一生を宿命的に象徴しているともいえよう。
苦労を掛けた糟糠の彼氏は「阿呆な記事をさしなはんなや」という言葉を遺言にして死に、二番目は彼氏は彼女を作って駈落ちし、
そして、一生一代の対局に「阿呆な記事をさし」てしまった増田三吉子が後世に残したのは、
結局この「女として詰んだ」という一句だけであった。
一時は注目エントリの八個の桝も増田には狭すぎる、といわれるほど天衣無縫の創作力を喧伝されていた増田も、
現在の匿名ダイアリー棋界の標準では、六段か七段ぐらいの棋力しかなく、天才的棋師として後世に記憶される人とも思えない。
わずかに「女として詰んでいる、だが増田は生きてる」ということになるのだろう。
しかし、私は女が詰んだことよりも、増田が一生一代の対局でさした「阿呆な記事」を増田の傑作として、永く記憶したいのである。
最近、チンピラが「ガンをつけられて頭にきた」とかいう理由で同居している3才児を暴行・殺害したというキチガイじみた事件があったが、今日その続報を読んでいたら、こんな記事をみつけた。
http://www.sankei.com/premium/news/160130/prm1601300035-n1.html
大田区大森南のマンションでの夕食中、永富容疑者は礼人ちゃんが「自分をにらみつけてきた」と激高した。
さらに「テレビのほうを見た」「またにらんだ」などと次々と因縁をつけ、暴行はエスカレートしていった。
母親は「永富容疑者が息子をつかみ、ボーリングのボールを投げるようにしてガラス戸棚に投げ飛ばした。正座させて平手打ちしたり、かかとを頭に振り下ろしたりもした」と説明。永富容疑者はさらに、ベランダを指さし「行け。死んでしまえ」などと話し、床に包丁を突き立てたという。部屋はマンション4階だった。
身長1メートルに満たない礼人ちゃん。けいれんを起こして過呼吸を起こしたところで、凶行は終わった。約1時間半後のことだった。
母親は翌26日、礼人ちゃんに水や食事を与えたが、嘔吐(おうと)を繰り返し、失禁もしていた。左耳からは血が流れ出ており、「ママ、苦しい」と漏らしたという。
暴行から丸1日以上が過ぎた27日未明になって母親が「子供に熱があって、反応がない」と119番通報。すでに心肺停止の状態で、搬送先の病院で死亡が確認された。
とても痛ましい事件で、このチンピラ(永富容疑者)は死刑にしても気がすまないという人が多いと思う。
ところで、上のニュースを読んでいて気になったのは、法政大学の越智啓太とかいう犯罪心理学者のコメントだ。
法政大学の越智啓太教授(犯罪心理学)は、今回のように、自分と血縁関係がない子供と同居している場合、「『他人の子』という意識が働き、愛着が持てない。さまざまなストレスのはけ口にされやすい」と指摘。
おいおい、ちょっと待ってくれ。
継父や継母の場合に、虐待等の発生率が、実親の場合に比べて多いというデータはけっこう存在するかもしれない。しかし今回の事件の報道を読めば、家庭環境がどうこうみたいな次元を遥かに超越した「狂人」による犯行であることは明らかだ。要は、頭がおかしいから虐待したのであって、血のつながりがない子どもを育てることの「ストレス」から犯行に及んだなどという説明をするのはどうみても見当違いである。
俺自身、離婚歴のある妻の連れ子を育てて4年半になる。実子がもともといなかったこともあって、「血のつながりがある場合」と「無い場合」の比較は俺自身にはできないのだが、べつに血のつながりがないからといってストレスなんか感じていないし、ふつうに「かわいい俺の息子」として育てている。
正直、実際にこういう境遇に身を置いてみるまでは、血のつながりの無い親子というのは微妙なもんだろうと想像していたのだが、実際に経験してみると、子どもの年齢が低かった(4歳〜)こともあってか、全く違和感はなかった。一緒に風呂入ったりゲームしたり、公文やその他の習い事に連れて行ったりと、たぶん平均的な実親と同程度かそれ以上にかわいがっているほうだと思う。子どもが難しい計算ができるようになったりすれば俺も喜ぶし、学校に送り出すときは「今日も事故とかなければいいのだが」と毎日心配で仕方がない。
「『他人の子』という意識が働き、愛着が持てない。さまざまなストレスのはけ口にされやすい」(越智啓太教授)なんていう実感は全くない。
俺自身だけではなく、周りには「血のつながりのない親子」がけっこういるのだが、みんなそれなりに上手くやっている。幼なじみのお父さんが実は実親ではなかったということを、大人になってから知ったこともある。
やや複雑な家庭環境であることは確かだから、揉め事が起きやすいのは事実かもしれないのだが、少なくとも、今回の永富容疑者のようなキチガイじみた暴行が発生する可能性を感じたことなど一度もない。
べつに、「虐待の発生率は、実父の場合より継父の場合のほうが多い」と、調査データに基づいて主張されることには、腹は立たないよ。ぶっちゃけ、統計的にはたぶんそうなんだろうと思うし。
http://www.fukushihoken.metro.tokyo.jp/jicen/gyakutai/index.files/hakusho2.pdf
こんな資料があって、
虐待者の内訳は、実母が63.3%、実父が21.6%と、実父・母が虐待者であることが多くなっています。前回調査と、全体の傾向に変化はありません。
と書かれている。
実父以外の父に育てられた人の割合が、全体としては8%もいないだろうから、やはり家族関係が通常と異なる場合に、虐待が発生しやすいというのは事実なのかもしれない。
しかし、虐待に至る原因や文脈には色々なものがあるはずで、その色々な要因との間できちんと比較をした、正確な議論をしてもらいたいものだ。要は、「血のつながりがないこと」は、虐待の原因の1番目や2番目に挙げられるほど重要なものなのか?という疑問があるのである。
今回の永富容疑者ほど酷い事例ではなかったとしても、虐待に至るような親というのはそもそもおかしい人が多いわけで、その「そもそもおかしい」という点に注意を払わずに、「血のつながりがない」という家庭環境だけを取り上げて犯罪の原因を説明しようとするのは危険というか、俺のように血のつながりのない子をふつうに育てている人間に対する侮辱であると言っていい。
たとえばだが、仮に「継父の場合、虐待発生率が高い」というデータがあったとしても、そのデータだけでは、「継父だから虐待した」のか、「もともとおかしい奴だったから、家庭環境も複雑になったし、子どもも虐待した」のか区別を付けることはできない(いわゆる「見せかけの相関」の問題)。
つまり、仮に、
「頭おかしい」→「離婚再婚をくりかえしやすく、血のつながりのない子と同居しているケースが比較的多い」
という2つの別々の因果関係が作用しているだけであったとしても、統計データ上は、「血のつながりのない子と同居している」と「虐待する」の間に相関が生まれてしまって、あたかも「血のつながりがないから虐待が起きる」かのような錯覚を引き起こしてしまうのだ。
なお、さっき紹介した資料のなかでは、実親による虐待の場合はきょうだい揃って虐待されるケースが多いのに対して、継父・継母による虐待の場合はきょうだいは虐待されていないケースが多いとされている。
実父や実母が虐待を行った場合、他のきょうだいに対しても虐待を行うことが多くなっています。特に実母にその傾向が強く、「きょうだいはいるが本児のみ虐待」を受けた事例が 22.1%に対し、「本児以外に他の子も虐待」を受けた事例が 36.4%となっています。
一方で、養・継父及び養・継母はその子ども一人だけを虐待することが多くなっています。養・継父では、「きょうだいはいるが本児のみ虐待」を受けた事例が 61.2%であるのに対し、「本児以外に他の子も虐待」を受けた事例が20.0%となっています。
これを読んで、一瞬、「継父・継母による虐待は、血のつながりがないことが大きな原因なので、その特定の児童だけが虐待されている。一方、実親による虐待の場合は、それ以外の理由で虐待が起きているので、兄弟そろって虐待される場合が多い」という主張なのかと思ったのだが、よく読むと、「本児以外に他の子」というのが、虐待者の実子であるかどうかは示されていないので、そのような主張はできない。
繰り返すが、越智啓太教授は今回の永富容疑者による礼人ちゃん殺害事件について、
今回のように、自分と血縁関係がない子供と同居している場合、「『他人の子』という意識が働き、愛着が持てない。さまざまなストレスのはけ口にされやすい」
と指摘している。取材ではほかにも色々な説明をしたのかもしれないが、少なくとも記事上では、この教授は「子どもをボーリングのボールを投げるようにしてガラス戸棚に投げ飛ばし、正座させて平手打ちし、かかとを頭に振り下ろしたりして殺害したのは、継父だったからである」としか説明していないのである。
べつに俺自身は、誰に何と言われようとふつうに子どもをかわいがって育てているので構わないのだが、新聞記事で学者が一般論としてこんな安易な説明をするのは、差別以外の何ものでもなく、看過してはならないと思う。
それで、何なんだこのいい加減な犯罪心理学者とやらは・・・と思っていたら、以下のような記事があった。
法大教授が同性愛を揶揄する投稿 批判が殺到、「性嗜好と性指向を混同」と謝罪
http://www.j-cast.com/2013/01/07160376.html?utm_source=dlvr.it&utm_medium=twitter
神奈川でセクシャルマイノリティー用相談ホットラインができたというニュースに対して、越智啓太教授は、Twitterで「神奈川県、同性愛サポートか~次はロリコンとか熟女マニアとかもサポートしなくちゃな」などとツイートして炎上したらしい。
炎上後に色々弁解したらしいが、差別意識がなければこんな発言を口にすることは不可能だろう。
おそらくこの教授は、血のつながりのない子を育てている俺のような人間や、血のつながりのない親に育てられた俺の幼なじみのような人間に対しても、心のどこかで(あるいはあからさまに)差別しているのだろう。そうでなければ、明らかに「血のつながりの有無」以外に説明されるべき要因が大量にあると思われる今回のような事件に対して、
今回のように、自分と血縁関係がない子供と同居している場合、「『他人の子』という意識が働き、愛着が持てない。さまざまなストレスのはけ口にされやすい」
などというコメントを寄せることができるわけはない。
■■■■■追記■■■■■
それはともかく、ブコメに変なのがあったので少し触れておく。
データによると虐待事件は、実父6000件に対して、実父以外が2000件と大雑把に考えたら、実父以外の家庭の割合が25%でないと等しいといえないと。明らかに倍以上の虐待率。継父は高リスクなのは完全に事実だな
無視しているどころか俺自身が本文でデータを紹介してるのだが(笑)、それはともかく、これらのコメントは(そもそも何を言ってるのか若干分からないところもあるが)俺が書いた本文の基本的な理屈を理解してない恐れがあるので、一応説明しておこう。
「継父である場合に虐待者になる確率が、実父である場合に虐待者になる確率よりも、有意に高い」というのが仮に事実だったとして、本文ですでに言及した「見せかけの相関」の問題を無視することにしたとしても、ある人物が虐待者になるかどうかを予測する上で「継父である」という情報が重要な意味を持つとは限らない。
たとえば、性犯罪者は女性よりも男性のほうが圧倒的に多いと思うが、だからといって、ある特定の人が将来性犯罪者になるかどうかの予測に、「その人は男性である」という情報が大して役に立つわけではない(役に立つの定義にもよるが)。「男性であることによって、女性であるよりも、性犯罪者になるリスクが◯倍高い」みたいなことは確かに言えるのだが、そもそも男性であろうが女性であろうが性犯罪者になるということ自体がレアだとすると、個別のケースで何か判断をする上では、あまり意味のない情報なのだ。
またこれは、どこかで性犯罪事件が起きて、なぜそんな事件が起きたのかという原因を考えるときに、「やっぱ男だからですよ。性犯罪者は男が多いんです」なんていう分析をしても意味がないということでもある。
これと同じで、仮に継父である場合に虐待を犯すリスクが、実父である場合のリスクに比べて何倍も高かったとしても(そもそも本当に高いのかは、色々な論文等を読むまで判断できないが)、その差は、ある人が虐待を犯すかどうかの予測の役には立たないかもしれないし、既に起きた虐待事件を振り返って「原因はやっぱり、この人が継父だったからでしょう」なんていう分析をしても意味がないかもしれないのだ。
だから俺は、べつに継父であることによる虐待リスクの増大については否定していないというか、むしろそれらしきデータを俺自身がわざわざ紹介した上で、「しかし、虐待に至る原因や文脈には色々なものがあるはずで、その色々な要因との間できちんと比較をした、正確な議論をしてもらいたいものだ。要は、「血のつながりがないこと」は、虐待の原因の1番目や2番目に挙げられるほど重要なものなのか?という疑問があるのである。」と言ったわけ。
今回の越智啓太教授のコメントは、たとえていうなら、性犯罪事件のニュースに接して「男だから仕方ないっすよ」とか言ってるのと同じレベルであるように思える。そのぐらい、ナンセンスなコメントなのだ。
傾向の話をしているのに「うちはそうじゃない」なんて反論にならない
というブコメもあったが、その「傾向の話」は、今回起きた特定の事件を解釈する上ではあまり役に立たんだろうというのが俺の本文の論旨だ。傾向の話をしても別に良いというか、俺自身がそういうデータを紹介しているのだが、今回の事件についてのコメントでそれに言及するのはナンセンス。
>憲法24条1項は、婚姻は両性の合意のみに基づいて成立する旨を定めるところ、
>民法739条1項は、「婚姻は、戸籍法の定めるところによりこれを届け出ることによつて、その効力を生ずる。」と規定し、
>いわゆる事実婚主義を排して法律婚主義を採用し、また、同法732条は、重婚を禁止し、
>いわゆる一夫一婦制を採用することを明らかにしているが、
>民法が採用するこれらの制度は憲法の右規定に反するものでないことはいうまでもない。
>そして、このように民法が法律婚主義を採用した結果として、
>婚姻関係から出生した嫡出子と婚姻外の関係から出生した非嫡出子との区別が生じ、
>また、内縁の配偶者には他方の配偶者の相続が認められないなどの差異が生じても、
>それはやむを得ないところといわなければならない。
普通に納得できるのになぁ…。
たった18年で、これが180度変わっちゃうなんて…。
異性と同棲してる場合勝手に内縁認定されて相続なんかも不都合はないし。……「家族としての保護」って何を指してらっしゃるのやら…。
相続に「不都合がない」というのは、あなたには姻戚が全くいないのかね? あなたに万一のことがあったとき、あなたの妻でなく、あなたと「暮らしているだけの赤の他人」があなたの財産に権利を主張することに対して、誰も何の異も全く唱えないの? 「家族としての保護」というのを、一体何から保護することだと思ったのかな。
それに
と考えているのは立派だけど、それはあなたが立派なだけであって、今現在「不安に思ってる女性」が、それで安心できるって話じゃないよね?
結局あなたの意見は、あなたの「結婚という『制度が嫌い』」という単なる主観をもとに、都合の悪い事情をスルーした上で述べられているに過ぎないんじゃないの?
俺も同棲6年目だけどほとんどデメリット感じてないよ。俺は結婚って制度が非常に嫌いで、独立した個人が自分の意思だけで共同生活してるっていう今の状態を望ましく考えてる。
…まあ、男にデメリットは少ないだろうさ。で、あなたの同棲相手も、あなたと全く同意見なのかね。おそらく違うんじゃないかと思うけど、もし、仮にあなたの同棲相手が現状に不満がないとしたら、それはあなたの同棲生活が非常に(経済的、時間的にじゅうぶん)満たされているというレアなケースであるというだけであって、そのことと、同棲というシステムが特に女性にとってとても危ういということは、また別の話ではないかね。
逆に、結婚してた場合のメリットも現在とても小さいんだよなぁ・・・。
しかも、異性と同棲してる場合勝手に内縁認定されて相続なんかも不都合はないし。
ゲイやレズのカップルみたいに養子縁組しなくても普通に色々出来ちゃうからなぁ。
専業主婦っぽい発想だなぁ。結婚のメリットなんて民主党政権時代にほぼ全部消えたじゃないですか。
ちなみに、例で挙げてる「義務」だけどさ。
同棲してるんなら生活費の応分負担は当たり前。日常家事の連帯責任だって当たり前やん。
しかも、同棲状態での貞操義務に関しては裁判に持ち込まれても非常に軽い賠償で済むっしょ。
財産分与の訴訟案件もちょっと判例見てみ。同棲・事実婚ではほとんど取れてないから。
俺は結婚って制度が非常に嫌いで、独立した個人が自分の意思だけで共同生活してるっていう
今の状態を望ましく考えてる。結婚に代わる大人二人の関係の持ち方として同棲ってのは非常にアリだと思うけどね。
結婚っていう契約に縛られず、お互いの親族にも関係を持たず自由に暮らすのが大事。
これは個人の考え方ひとつだけど、「結婚」っていう非常に重たい枷を背負うよりは、
ああ、ただお堅い大企業にお勤めの人はさっさと結婚した方が良いのは確かだとは思うけど。
俺は財産の7割方を自社株で持ってる経営者なので、結婚⇒離婚のコンボに嵌ると
会社の経営権を引っ剥がされるリスクがあるから結婚はしたくねえわ。おっかねぇ。
後、俺親いないから結婚式とかスゲー困るし。結婚ってアレ家庭やら親族やらが一通り満たされてる人のための制度だよなぁ…。
日本国内で「結婚」にこだわる、あるいは制度としての憧れを持ってるセクシャルマイノリティだって実際多くないよ。
養子縁組やら公正証書やらで大体の部分が制度的に代替が効いちゃうし。
結婚に幻想持ちすぎじゃねえのおばちゃん。結婚って契約自体は簡単な割りに付随するものも多く明文化のむずかしい、おっかない契約だよ。
社会に対して何の責任も負っていない「お子さま」ならば、『結婚』は恋愛と同じく二人だけの問題で、同棲と何も変わりません。
ですが、社会に対して一定の責任を負う「大人」ならば、自分の隣にいる人間を「妻(夫)です」と宣言しないのは、不誠実で無責任な態度だと見なされます。
ちなみに、本人らが望もうが望むまいが、社会には勝手に「事実婚」「内縁」「事実上の婚約状態」などとジャンル分けされ、それなりの法的責任を負わされますので、現状「同棲してるのに結婚しない状態」には、デメリットだけありメリットがないんです。
これだけの「義務」がありながら、家族としての保護はなく、税法上の控除もなければ、財産も保護されません。「子ども」ができるはずもないゲイやレズビアンのカップルでさえ、「結婚」という制度にどれほど憧れているか、一緒に住んでいる人間が法的には赤の他人だということが社会的にどれほど不安定で不安なことか、少し調べたりしてみることをお薦めしますよ。
彼が「メリットなんてなくても、二人がそれでいいならいいじゃん!」とか「結婚という法的形式で縛ることで二人の愛はむしろ純粋ではなくなってしまう」といった「ロマンチック」な恋愛観に基づいて結婚に後ろ向きなのだとすると、上記のような現実問題と向き合って貰うのがよいかと思います。「まだ年貢の納め時じゃねえ」とか思ってるなら、同棲している相手が結婚を望んでいる時点でもう「年貢の納め時」だと納得して貰うほかありません。
また、あまり考えたくない想定ですが、彼が結婚にまつわるなんらかのマイナス事情(たとえば、言ってないけど×1であるとか、実は婚姻外子がいるとか)がある、というケースも、数パーセントでしょうが存在しますし(当然ながら、それは相手から見たあなたについても同じ)、そういう事情の一切を含めてクリアにするという意味でも、法的な手続きを踏むことは将来にわたって関係を継続していく上で重要な手続きであると思われます。
はてブのコメントを見て、とんでもないドラマなんだろうと思って観てみたんだけど、どこがひどいのかさっぱり分かりません。
もしかして、観ずに書いてるの?と思って。
これは、ポスト自身が「親と決別するために、唯一もらった『名前』を自分で捨てた」って言ってます。
最初は自虐的に名乗ってるんだと思ったけど、最後の方では、自分の運命を受け入れてこれから幸せを掴むんだ!という意思を感じました。
と思ったんですが、最後の最後に他の女の子から「本当の名前はゴニョゴニョゴニョ」っていうシーンがあります。
ここは、「親からもらった名前が気にいらないなんて!」と感じる人が居るかもしれません。(最初のほうでも、「月姫と書いてカグヤって…DQN!」ってシーンがあるので、いわゆるDQNネームに関する問題提起をしてるのかも?)
三上博史「さあ泣け!そしたら食べてよし!」(今日はマキが来て最初の日。これからつらい事もあるだろうけど、くじけるんじゃないぞ!そのために、一発かましてやろう!)
ポスト「(ん?ああ、いつものあれね、こうでしょ?)う、うう…うううう…うわーん」
三上博史「ん!(ちょ、なんだよおまえ…おれがかまそうとしてるの分かってるくせに…)」
三上博史(うわあ、マキとポストが喧嘩してるよ…)「どっちが先に手を出したんだ?」
ポスト「私です」
三上博史(良かった…いきなりマキを怒るわけにもいかないし)パシッ!(うわあ、殴っちゃった…ごめんよ)
演出家(今時バケツの水持たせるってのは、さすがにギャグとしか思われないだろう)
三上博史(あの優しそうな夫婦の所から逃げ出したって…どうしたっていうんだよ…心配で、もう2時間も玄関で待ってるよ…)
ガラガラッ!
三上博史(うわあ、岡持の中でラーメン散乱してる…怒られると思ったんだろうな…でも、あの夫婦なら、こんなことぐらいで怒るはずがない)
「おい、ここにはもうおまえの居場所はないぞ!」
男の子「うう…」
ガラガラッ!
ラーメン屋夫婦「ごめんね、いきなりお父さんお母さんなんて呼べるわけないよね…」
三上博史(よかったよかった)
三上博史(小学生の女の子がこんな時間になっても帰ってこない…マキは来たばかりだし、心配でしょうがない…もう三時間も玄関で待ってるよ…)
ガラガラッ!
三上博史「なにやってたんだ、こんな遅くまで!」
ポストたち「…」
三上博史(この様子を見ると、マキに何かあったんだろう…でも、女の子同士、なんとか解決したみたいだ…しかし、他の子どもたちの手前、このまま許しては…)
演出家(さっき一回使っちゃったけど、今時バケツの水を持たせて立たせておくって罰は、ギャグにしかとらえられないですよ、三上さん、バケツで!)
これ実際に観たら、一番悪く描かれてるのはマキの母親です。
→施設に預けた(というか、行き場がなくなって知らない間に預けられてた)娘を訪ねる
→「彼の傷が治ったら結婚するわ。あんたは邪魔だから施設で生活してね(^^)」
鬼畜だわ、これ。