はてなキーワード: 一部の人とは
最近、秋葉原界隈の企業や店舗に、以下のような文書が出回っている。
さて、当社は、昭和37年からJR秋葉原駅前に地上8階建てのビル「秋葉原ラジオ会館」(通称:「ラジオ会館」)を所有し、ビル賃貸業を営んでまいりました。
平成23年6月、当社は第三者のご要請を受け、当該第三者が中心となって新設した別会社「株式会社ラジオ会館」(東京都千代田区外神田一丁目2番13号、代表取締役篠原弘美)に一部出資をし、以後、同社に対して当社の登録商標である「世界の秋葉原ラジオ会館」「秋葉原ラジオ会館」「ラジオ会館」「ラジ館」などの名称を使用して商品を製造・販売し、電子商取引をすることなどを許諾する商標権使用許諾契約を締結いたしておりました。
しかしながら、当社は、このたび事情により、平成26年1月21日をもって「株式会社ラジオ会館」との間の上記商標権使用許諾契約を解除いたすとともに、直ちに上記当社登録商標の使用の禁止を同社に通知いたしました。
つきましては、もとより当社(「株式会社秋葉原ラジオ会館」)と「株式会社ラジオ会館」とは全く別個の法人ではありましたが、上記商標権使用許諾契約が終了いたしましたことをご通知申し上げ、当社と「株式会社ラジオ会館」とを混同されることが今後もございませんようご留意いただきたくお願い申し上げる次第です。
当社は、現在、上記ビルの建替工事を実施しており、お取引様及び関係者の皆様にはご迷惑をおかけしておりますが、7月20日グランドオープンの予定ですので、今後ともよろしくご交誼の程お願い申し上げます。
まずは取り急ぎ用件のみにて失礼いたします。
一部の人間は「秋葉原に流布された怪文書」として楽しもうとしているが、これは誰かの陰謀でもなんでもなく、秋葉原に四半世紀以上に渡って居を構え、秋葉原好きなら誰もが知っている「秋葉原ラジオ会館」の所有会社「株式会社秋葉原ラジオ会館」から出された正式な通達だ。
この文書から分かるのは、ここには、長い歴史を持つ「株式会社秋葉原ラジオ会館」(以降、本家とも呼ぶ)と、3年前に設立された「株式会社ラジオ会館」(以降、分家とも呼ぶ)の二つの異なる会社が存在し、今年の頭までは本家が分家に対して商標権使用許諾を与えていたが、これが解除された、という状況と、どうやら本家は、分家の行っている活動を「迷惑」だと感じているようだ、ということ。
今月、「ラジオ会館」は建替工事を終了し、7月20日にはグランドオープンを控えている。何故この状況で、上記のような通達がなされたのかを考えてみる。
文書にもある通り、今から52年前の1962年、「秋葉原ラジオ会館」は秋葉原最初の高層ビルとして秋葉原駅前に誕生した。
詳細な経緯は要望があれば書くが、秋葉原の古いイメージである電子部品屋のメッカ「秋葉原」は、戦後の混乱に乗じて乱立した多様な露店の集合体、いわゆる闇市の延長線であった。この集合体には、他の類似する地域コミュニティと同様に、日々発生する様々な面倒事を解決するために不可欠な「元締め」という存在が必要だった。この物理的な力を持つ「元締め」と、金銭的な力を持った、ある「資産家」が出会い、GHQが露店の排除命令を出して限界を迎えていた秋葉原を、今度は「縦」に展開する秋葉原初の高層ビル「ラジオ会館電化ビル」構想が立ちあげられた。これが「秋葉原ラジオ会館」の歴史の始まりである。
ちなみに、ラジオ会館と言えば、周囲の景観を損ねるとまで言われつつ秋葉原の顔として定着した巨大なネオン看板が有名だが、あれは2001年8月に初めて設置されたもので、同8月に、有名な「パーソナルコンピュータ発祥の地」のプレート設置も行われた。ラジオ会館の歴史を語る上で重要なアイテムだが、その長い歴史の中では二つとも比較的新しい部類に入る。
そして、設立から50年以上、「秋葉原ラジオ会館」は秋葉原に在り続け、ラジオ・無線、パーソナルコンピューター、アニメ・フィギュアの興隆と、日本の文化成長に合わせて目まぐるしく変わっていく秋葉原に、時には保守的に、時には攻撃的に対応し続けて来た。多くの秋葉原ファンからは、「今の秋葉原を凝縮している」「秋葉原に来た際はまずここに来る」という評価を得て、今現在でも秋葉原を象徴する必須の存在となっている。
しかし、秋葉原ブランドの最たるもの、という評価も受けながら、本家「株式会社秋葉原ラジオ会館」は、賃貸業者以外の何者でもなかった。日本のポップカルチャーが世界から注目され始め、アニメ、ホビー商品が溢れる秋葉原が「ポップカルチャーの聖地」と呼称されるようになっても、秋葉原を象徴する存在である「ラジオ会館」は、ただそこに在り続けるだけだった。
そこに目を付けたのが、上記文書に「第三者」と書かれている人間だった。
当初、「第三者」は別の目的で本家にアプローチしていた。その目的は、老朽化したラジオ会館ビルの建替工事の受注だった。ラジオ会館ビルの建替の必要性は、実は、ある理由で相当昔から発生していたのだが、ここも詳細は省く。しばらくして「第三者」は、本家からの依頼を受け、ラジオ会館のテナントに対し、ビルの老朽化を理由に退去要請を始めた。2010年9月には、一部マスコミによって、老朽化を理由にした「ラジオ会館」の建替工事計画が報じられている。
さて、不動産関係者なら分かるが、不動産の業務の中で最も難しい部類に入るのが、こうした雑居ビルのテナントに対する退去要請である。ビルの建替工事には付き物の業務だが、様々な状況にあるテナントの説得には、非常に高いスキルが必要だ。昔、バブル期に暗躍した地上げ屋が起こした様々な事件が、その難度と複雑さを物語っている。一時引っ越し先にいくら良い物件をあてがっても、急な変化に対応するにはテナント側に手間と時間はどうしてもかかってしまう。それが何年もの間、そこに店を開いてきたテナントなら尚更だ。退去要請に全く応じないテナントに「第三者」は頭を抱えていた。
しかし、2011年3月11日、14時46分18秒、マグニチュード9.0の東日本大震災が発生。
東北で発生した地震にも関わらず、都内の古いビルにも結構な被害が発生する。秋葉原ラジオ会館の柱や壁にも大きな亀裂が入った。それでも、実は、ラジオ会館が受けた被害は、緊急建替が必要なほど大きなものでは無かった可能性が残されている。いずれによ震災被害という大義名分は、「第三者」のテナント退去要請に弾みを与えた。壁に入った大きな亀裂と、それを補強するように貼られたべニア板でさらに誇張された「被害」を見せられ、残っていたテナントは退去要請に続々と応じていった。震災の翌月、2011年4月16日には、ホワイトボードにお別れメッセージを残していく「ラジオ会館さよなら!!ウォール」イベントも開催された。
そして、様々なテナントとの話し合いを通じ、「第三者」はある構想を固めていた。
実は「第三者」は過去、アニメやマンガ、フィギュアなどの文化に一切触れたことが無く、秋葉原という街、そして、秋葉原を訪れる人々を深くは理解してはいなかった。ここも詳細は省くが、「第三者」は、テナントの退去要請を続けている際、大量に売れるフィギュアや書籍、異様な熱気を帯びた各種イベント、街中を闊歩する奇妙なオタク集団などに触れ、ただただそこに「何か物凄い力」を感じていたようだ。これは、秋葉原初心者が最初に必ず感じてしまう「アキバ熱」のようなものだ。過去、「アキバ熱」に触れたビジネスマンたちの中には、これをコントロールして金を生み出そうとチャレンジする者が何人もいた。そして、殆どの人間が失敗してきた。その姿は、熱によって生まれる蜃気楼に戦いを挑む滑稽な道化師と同じだった。秋葉原の住人達は、そうした道化師が発生する度に、冷やかな視線を送っている。
話を元に戻そう。ある時から「第三者」は「ラジオ会館は金になる」と考え始めるようになっていた。
ひとつのきっかけは、ある有名企業の代表が冗談で発した言葉にもあった。
「建替工事が終わって新生ラジオ会館が出来たら、しばらく入場費を取っても良いぐらい注目されるはずだ」
そして、イベントで集まったラジオ会館ファンの感動的なメッセージ群。
そして、閉店セールに集まって来た大量のオタクたちと、飛ぶように売れて行く在庫。
「第三者」は、退去要請の傍ら、ラジオ会館のブランドを使ってビジネスを始めるべく、本家の説得を始めていた。
東日本大震災から3ヵ月後の2011年6月、分家である株式会社ラジオ会館が設立された。
初期の株式会社ラジオ会館を構成したンバーについては省略する。ただひとつ言えるのは、「第三者」はビジネスを成功させるべく、様々な分野から実績のあるプロフェッショナルを引き抜いて来たらしいのだが、役員を筆頭に、殆どのメンバーが、アキバってどういうところ?オタクって気持ち悪い!みんな結局は金儲けがしたいだけでしょ?という、いわゆる秋葉原的な人間とは相反する人々だったようだ。「第三者」には、ラジオ会館、そして、秋葉原の一体何が人を惹きつけるのか、重要な部分への理解が欠けていたように思われる。
株式会社ラジオ会館は、設立後、様々なサービスの展開を始めている。ラジオ会館のテナントを中心にしたECモール「ラジオ会館オンライン」、フリーマガジン「ラジ館」、ニュースサイト「ラジ館プレス」などなど。大抵のプロジェクトが「第三者」の思いつきで始まっていたらしい。中には評価すべきものもあるが、ここでは詳細を紹介しない。
さて、設立から数年、株式会社ラジオ会館内部では様々な試行錯誤が繰り返されていたようだ。イベント企画や大型LEDビジョンの設置と声優番組企画など、華やかな企画も定期的に実施されていたが、売上は低迷していたらしい。そして、その予算の殆どは、本家である株式会社秋葉原ラジオ会館から出されていたらしい。
「第三者」は、「ラジオ会館」という印籠を使い、ビジネスを拡大し続けようと画策していた。短絡的な企画の中には、株式会社ラジオ会館が中心となって秋葉原店舗をまとめ、一大ネットワークを作ろうとしていたものもあったらしい。その中身は、会員になって分家の言うことを聞け、というお粗末なものだったらしいが、我々はラジオ会館だから秋葉原のみんなは言うことを聞くだろうと「第三者」が考えていたことに少し寒気を覚える。さらに、本気で新生ラジオ会館で入場料を取ろうとしていたらしく、その企画が本家の逆鱗に触れた、という話も聞いた。一向に上がらない売上、増え続ける予算、ブランドを利用した強引な営業、荒唐無稽な企画、本家が怒るのも無理は無い。
秋葉原界隈の人々には、香ばしい噂も流れている。ある企画で生じた損失を無関係の人間に補填させようとしたり、何度も支払遅延を繰り返したり、社内では秋葉原の店舗やオタクへの悪口のみならず、ラジオ会館のテナントの悪口まで言い合っている等など。最近では、本家との契約解消に伴い「本家が営業を邪魔している」などの暴言まで出ているとの話も聞いた。一応書いておくが、これらはあくまで噂だ。しかし、そうした社風に嫌気がさし、今年に入って大量に人材が辞めたという話も聞いた。
そして、今年に入って、ラジオ会館の仮囲いを使っていた広告枠営業は本家管轄に移行、3月にはラジオ会館1号館に設置されていた大型LEDビジョン「ラジカメVISION」が撤去され、事業の核とされてきたECモール「ラジオ会館オンライン」は今月7月末で終了予定となっている。残るはフリーマガジン「ラジ館」とニュースサイト「ラジ館プレス」。そんな折、本家から出された契約解除の通達は相当な痛手に違いない。
何故、今年の1月に契約が解除されても、依然として株式会社ラジオ会館は「株式会社ラジオ会館」であり、フリーマガジン「ラジ館」やニュースサイト「ラジ館プレス」は、その名前を使い続けているのかというと、「ラジオ会館」や「ラジ館」は確かに商標登録されているものの、社名は同意の下で命名された経緯があり、フリーマガジンとニュースサイトは商標区分が異なっているので問題無いそうだ。また、裁判沙汰になっても係争中は名前を変える義務は無い、とのこと。
そうした状況を踏まえ、本家は7月20日の新生ラジオ会館のグランドオープン前に、どうしても公私ともに関係性をクリアにしたかったのだろう。
通達も出たことだし、未だに株式会社ラジオ会館を、秋葉原の老舗のラジオ会館だと思ってお付き合いしている店舗さん、企業さんは居ないですよね?
以上、伝聞と類推だらけだが、株式会社ラジオ会館について、でした。
先日。こういうツイートを見かけた。わりかしRT人気を集めて支持されている。
https://twitter.com/senjuin1010/status/486157859797733376
ほどほどにネット等でヘイトスピーチ関係を学んだ人が、こういう疑問にぶつかっているのは珍しくないように見受けられる。
また、実際反ヘイトスピーチ活動してる人の中にもこういう(ここで揶揄されてしまうに十分な)考え方になってしまっている人もいるように見受けられる。
こうなってしまうような現状がそこにあるのだという点においては私も疑いはない。
私が、例えば
金明秀 KIM, Myungsoo (han_org)さんはTwitterを使っています
のような、反レイシズムに大なり小なり関わり、またそこに社会学の専門性を持ち込んでいる人の普段のツイート等を見て理解した範囲では、
金明秀氏の立場を私が読んでみる限りにおいては、前述のそれにおいて誤解されて抜け落ちている代表的な立場は
・実際にそこにある被害を見つめずに前述のあれこれを決めてはならない
といった物で有る。どんな被害がそこにあるか、それを抜きにこの問題を何か決めるのはナンセンスである。
・マイノリティとは、権力が小さい集団のことを云うのであって、大原則としてリソースが小さい。
被害をマジョリティが理解する上でマジョリティがマイノリティの説明責任を過大に求めるのはマイノリティへの搾取である。
マジョリティとマイノリティの間の「努力」に「同程度」を求めるはだめなのである。
さて、しかし、現実にはここでこういう疑問を抱く人も多いであろう。
・そんなこと言ったって、マイノリティが何も言わずに全部察しろと言ったって無理だ
当然で有る。しかし、金明秀氏などを例に挙げると、決してそんなことは言っていない。
・金明秀氏が自明といった場合、自分で調べればどこかにそれを示す資料(被害について当事者が語った何かしらなりそれを示す社会調査データなりは)必ず既に現存すると考えている (しかし、それを調べるのが容易であるとは限らない)
・そんなこと言ったってマジョリティだからってそういうのを自分で必死に調べて理解するとか限界があるし、誰もがやるわけではないので、理解されないという現実を防ぐのはそもそも困難では。
その通りで有る。しかし、大前提として、そこに不正義の事実があるという前提が正しいのであれば、
・ある意味において、マジョリティが既に存在することが確認できうるマイノリティの問題を理解できないなら、マジョリティ内部の問題である。それが言い過ぎとしても、マジョリティとマイノリティを含んだ集団全体の問題であり、それをマイノリティにのみ過度に求めるのは誤りで有る。
ということである。
ここまででも、まっとうな方でもいろいろ疑問・反論が出る人もいるであろうが、最低限この程度は理解してからロジックを組み立ててほしいものである。
派生した議論として
・被害者の自称被害は過大に言われることも誤りも有る。全部真に受けて良いか?
これは、当然の疑問である。当然調査は必要であるが、低質な「ちんけな素人のネット議論の検証」みたいなのでバッシングする阿呆が大量にいるが、誤った検証を元にバッシングするならなお悪いのであり、単に最低である。
もちろん、ここにおいて「検証などいっさい必要ないのだ」って立場に立ってしまうと、一部の人がマイノリティ問題バッシングするレトリック「マイノリティの聖域化」なるものが正当であると認めてしまうようであり、危険である。検証コストはマイノリティにだけ過剰に課されれば暴力である。いちいち引き合いに出して申し訳ないが金明秀などが普段言うことは「通常は調べればちゃんと結論が出ている」ものだったり、さもなくば、「じゃあ、検証が不十分であるからといってそこに問題がないと結論を出して、救済されるべき人を切り捨てるのは正義か(また、それ故にバッシングまでやるならなお正義の問題となる」といった問題も出てくる。
その他、派生した議論として
・じゃあマジョリティはマイノリティを批判してはいけないのか?
これも、Yesだとしたらそれこそレトリック「マイノリティの聖域化」の出番である。しかし、金明秀氏などが普段言う所を私が理解する限りにおいては、
「特に批判が正当である場合など、当然批判するななどとはない。しかし、その批判とやらが、「どういう文脈で向けられている」かは大問題である」
といった論点がある。「Aはマイノリティで不当にBという不利益を得ているので改善すべき」という主張に向かって、「AはAにも問題があるのである」みたいな
反論はもうバカみたいに大量に出てくる。多くの場合「そういう問題があるから、差別されてよい」という「理由がある奴はいじめられてもよい」式の構造
になってしまったこういう実にナンセンスなのがよくあるのだが、結局黙らせるための対抗言説である。マイノリティが改善すべきというのが事実として、なぜその文脈でいう必要が
あるのか。(繰り返すと、往々にして改善すべきということ自体が難癖であるというのも多いのだが)。改善すべきなら相手が改善によりつながる場面で批判するのがよいであろう。
(これをいうと、何故そんなことまでしなきゃいかんのか、という疑問もあるかもしれないが、当然それは、「マイノリティが被害を受けている現実があるか、
その可能性が無視できない程高い」という現実がそこにあるからこそであり、また、「持てる権力・リソースにおいて負けているマイノリティに対する要求で有るから」であり、故に「黙らせるための言説」として使うのが不正義なのだ)
その他
・マイノリティはリソースが少ないのであるからして、運動に完全を求めるな。少なくとも、その運動上の瑕疵について、マジョリティのそれと対等を求めるな
このあたりになると理解しづらい人も前述より増えるかも知れないが、ほっといたら保護されない不利益に対して声を上げることで初めて改善できるマイノリティ問題にマイノリティが声を上げているのである。大前提として、権力もリソースも大きな差があるのである。「瑕疵のなさにおける対等さ」を求めるだけで暴力で有る。
これは、「マイノリティにはどんな瑕疵があっても構わない」ということではないので、そのあるべき、もしくは許容範囲となるバランス、落し所は自明ではないが、「完全な対等を求めたら、暴力」である。
・マイノリティがマジョリティに攻撃的に何かする時の被害とマジョリティがマイノリティにそれをする時の被害の質・程度は、当然後者の方が大きい
権力の大小の話から言って自明で有る。少なくとも、この点においても「前者があるので後者をやるのは当然で有る」も程度問題というのもまったくなくはないのだが、
簡単に不正義を生む。もちろん、前述の「どういう文脈でそれを言うのか。無効化の文脈で言う不正義」の問題等も絡む。
ネットサーフィンして議論するものいんだけど、本当にマイノリティ問題に一家言あるのだと言いたいので有れば、「まともな研究者」の資料をもうちょっと読んではどうかとは常々思う。
と、最近よく思う。
現に今、そんなことを考えていたらこんな時間になってしまった。
この会社に入って3年目だけれど、賞与の額は×1.0ヶ月のまま。
大学の同期に聞くと、周りは2ヶ月とか3ヶ月分とかもらっている。
業績が悪いわけでもない。私の事業所は会社の中でもトップクラスの成績だ。
でも、会社トータルで見ると利益はそれほど出ていないから、私たちには還元されない。
私たちが血の滲むような思いで働いて得たお金は、いろいろなことに使われているはずなのだ。
でも件の号泣議員の話や、生活保護の不正受給の話を聞いていると、
私たちのお金は税金という大義名分のもと、一部の人たちに良いように使われているだけじゃないか、とも思う。
医療の発達で老人の寿命は延びるばかりで、支えなくてはならない人口は増えている。
でも、私たちが老人になる頃には、支える人はいないかもしれないと言う。
景気がよかった頃を体験している人達は楽しく生きられた時代があって 、
生まれた時から不況の私たちは老後の心配までしなくちゃいけない。
もちろん、景気がよかった頃を体験している人達は自分たちのがんばりがあったというのは知っているけれど、
だからお金を貯めようと思うと、今度は結婚と子育ての圧力に直面する。
こんな少ない手取りで、こんなに多い税金で、今のままで結婚も子育てもできるはずない。
公立は荒れていると聞くし、就職も見据えるとやはり中学受験がいいのでは、と思い、中学受験がしたいなら共働きでやらなきゃ、と思うけれど中学受験なんて親の協力が必要なはずなのに、こんなの本末転倒なんじゃないのかとも思う。
共働きで立派に子どもを支えて中学受験を乗り切った人がいるのも知っているけれど、
それを十人が十人できるようにするのが政府のやるべきことじゃないのか。
そのはずなのに、私たちのお金はずるずる違うことに使われている。
ここまで書いてみて理解したけれども、確かに私はいろんなことに理由をつけて、
働かない理由をでっちあげている部分もある。
けれど、雨の日も風の日も本来なら出社ができないような日も会社に行って、
嫌な思いもたくさんして、疲れて自分の時間もとれないような中で
がんばってもがんばっても自分に還元されない仕組みになっている世の中で、
これ以上なんのために働いていいのかわからない。
「たった3年で」と鼻で笑う人もいるかもしれない。「自分はもっと辛い思いをした」という人もいるかもしれない。
でも、それが「自分が辛かったからお前も辛いままがんばれ」の理由にはならない。
少しでもこの状況が変わればと、資格を取ったり選挙に行ったりしている。
でも選挙でこの問題についてきちんと考えたり、若者をなんとかしようという党はあんまりない。
結局、どこのマニフェストにも同意できないままなんとなく投票する。
資格を取って転職することも考えたけれど、二度と正社員になんてなれそうにないから、
なんとなくふんぎりがつかない。
これ以上何をどうしろと言うのか。
とりあえずここまで書いてあと2時間は寝られるので、それだけでも寝て、
また明日も虚しい思いをして働こう。
その理由が分かった気がする。
彼らは傲慢であったり怠け者であったりするためにお役所仕事なわけではない。
公的機関が行う仕事の性質上、お役所仕事にならざるを得ないのだ。
誰に対しても同様の適正な手続がとられないと他の利用者との公平性を損なうし、
それによって損害が生じでもすれば、公的機関自身がその賠償責任を負うことになりかねないからだ。
その全ての手続をひとまず適正と言えるレベルで処理することができるのは、
個々の手続の背後にある趣旨まで理解している、相当高度な能力を備えた一部の人材に限られる。
そうすると、こうした能力を備えない大多数の人材が手続の適正を確保するためには、
自分が適正に処理することが可能な担当部署の仕事のみを取り扱い、
それ以外の仕事はその担当者に任せる(たらい回し)ということにならざるを得ない。
ある形式違背について無視することの許される些細なミスであるかどうかを判断することは、
あまりにリスクが高く、どのような違背であっても一律に修正を要求する(機械的対応)、
ということにもなりやすい。
こうした理由から、公的機関の対応はお役所仕事と呼ばれるようなものになりがちなのだ。
■人間系■
・実写おっさん→最強(最凶)
・実写おにいさん→希少
・実写おばはん→希少(別に増えなくてよい)
・実写おねえさん→希少(増えてほしい)
・実写有名人→なぜそいつ選んだんだよ…ってアイコンに遭遇すると、ちょっとおもしろい
・アバターぽいやつ→はてな以外にも軸足置いてますよ。てめーらみたいなキモオタはてなーとは違うぜアピール
・アニメ美少女→多い。共通項はなんだろな、はてな滞在時間が長いやつらってイメージ
■動物系■
・猫実写→めちゃくちゃ多い。まあ無難。自分んちの猫写真使ってる人が多そう
・犬実写→めちゃくちゃ多い。これも愛犬が多そう。しなもん死んだから、ああこの犬はもうこの世にいないのかもな…ふとしんみりすることある
・カエル→これも結構いる。だいたいみんなおっさん(*というわけでもないらしい。失礼!)
・パンダ→なに、かわいいって思ってほしいのか? よしよし、かわいいよ
・狸&狐→意外と少ない。狐一文字の人は文字系に分類した
・ゾウ→そういや見たことない
・トリ→これも少ないから、派手なトリアイコンに変えれば目立てるよ
・きゅうべえ→俺の知ってる限り、2匹いる
・猿→あざなーさん変えちゃったよな
*くま→茶色いのと白いのがいる。白いのは村の有名な医者と、それ以外。
■モノ系■
・食べ物→少ないよね。食い物アイコンってデブっぽいからみんな避けるのかね。しいたけはヘルシー
・文字→特に漢字を使ってる人はメンタル強そう。漢字って意味があるからさ、1文字でidの印象を決めちゃうんだぜ
・ジッポ→K-Ono
・七輪→pkm
なんかめんどくさくなってきた
■よくわからない系■
個性的な人たち
■デフォルト■
サブアカの可能性が高かったり、不気味との評もあるが、コメントの中身だけで個性を発揮する一部の人、すごい
そのうち閣下が最強(最凶)
■カラーで塗りつぶし■
■グラフィック系■
■動く系■
とかもありますね。
*もっとも有名なのはおっぱいゆれる人。あれに最初に遭遇したときのショックと感動は今でも忘れられない
*しばらく見てないと動かない人も結構好き。
トラバで指摘を受けたので、動物系に*くまを追加した。忘れちゃいけないところを忘れてたわ。すまんこ。
ブコメ見てたら*旧デフォについて触れられていたので、■デフォルト■に追記した。
ブコメ見てたら、かえるの人から「おっさんちゃうわ」という意見が複数あがっていたので追記した。
ブコメ見てたら、やっぱりパンダの人たちは人懐っこくてかわいいと思った。
あと思い出したことを■動く系■に追記した。
-------
K-Ono
←おれしかおらんのかこれ
…はい、たぶん。でも村は存外広いので、もし兄さん以外のジッポ見つけたら義兄弟の契りでも交わしちゃってください!
likk
…いや、お前しかおらんやろ!
新参なのに調子に乗ってオフ会参加しようとしたから、id名とかその人のキャラとか実はよく分かってない。
netcraftさんやらrlee1984さんやらtopisyuさんやら、はてなの有名人なら分かるけど、そういう人らはオフ会でも人気で周りが群がるだろうし、多分奥手で無名な自分が話すチャンスはないと思う。大学のサークルの飲み会とかでもこういう現象あったな。自分が話したい先輩とか、名前知ってる人気者の先輩とかって、絶対もっと積極的な可愛い後輩が囲んでワイワイやるから自分が入る余地ないんだよね。それで、名前の知らないもの同士興味なさげにちょっと会話して、すぐに話が途切れて、二次会には行かずトボトボ一人で帰宅するみたいな感じ。大人数の飲み会っていつもそうだったな。
それで今回はネットのオフ会。はてなやってるって以外なんの共通点もない。しかもさ、相手のプライベートにどこまで踏み込んでいいかが全然分からない。「お仕事何されてるんですか?」とか、「休日は何されてるんですか?」とか、聞いていいの?ネットで公開してる以上の事って聞いちゃダメな気がするんだよな。自分はコミュ障だし、迷惑がられそうな気しかしない。
だからさ、id聞いてピンと来なかったらもうお終いなんだよね。その人がブログやってても知らなかったら失礼だし話題に出来ないと思う。なんか知ってるべき事を知らない場合って何喋っていいかわかんなくなるじゃん。
結局さ、今回のオフ会も有名人の人らと、一部の人付き合いの上手い人らでワイワイやって、無名でコミュ障の自分なんて隅の方であのアウェイなイヤーな気分をまた味わうんだろうなって思ってしまう。それで、多分はてなに対する熱も冷めて、なんか気まずい感じでフェードアウトしていくだろうなって思う。ネットの世界でもリア充と非リア充の線引きが出来ちゃうっていうか、自分の中でなんだけど多分疎外感を感じると思う。
まあ、オフ会は成功して欲しいし、自分は調子乗ったのがいけなかったんだろうね。空気読めなかったっていうか、浮かれてた。冷静に考えて恥ずかしい。黒歴史だね。まあ、こんなことここに書いてるのも迷惑なんだろうし、すみません。
まあ、みんな楽しんできてください。
民俗学の先輩が言うには魔術や呪術の類いは人の願望の産物なのだという。どうしても欲しいけど手に入れられないものがある時、
人は魔法でも使えたらと独り言ちる。中には本当に禁断の書物を繙いて(ひもといて)しまう人もいるのだから驚きである。
日本では言霊という概念があるね。これは西洋には全く見られない独自の思想というふうに言われるけど、根っこは一緒なの。
どうしても呪いたい人がいる時オンソワカ~フンヌラバ~と呪いの言葉を繰り返していると相手にダメージが与えられないかなと願うわけ。
そういう血なまぐさい思想や技法体系は何も陰陽師さんに限ったことではなくどこの国にもある。シャーマンだってそうだ。
ただまあ現代ではそういうのは流行らない。原初的な人間文化の形態ではあるが、成熟した文化は魔術性を封印していく傾向にある。
いわゆる土俗的な文化であれその例外ではないのだよ。原住民というといつまでも魔術とかまじないとか信じてると思ったら大間違い。
なぜ流行らなくなるかという時に科学が進歩するから胡散臭い文化は排除されるというふうに説明する人がいるね。これも矛盾した説明なんですわ。
最初に言ったでしょう。人の願望の産物だと。願望がある限り魔術は生き続ける余地がある。けれどもその願望というもの自体が流行らなくなったら?
そういうことを考えてみたことはあるかね?文化が成熟して利便性が向上することで泥臭い願望というもの自体が流行らなくなる。そういう話なんですわ。
魔術と混同されがちなのがスピリチュアリズムである。これは似て非なる代物と言って良い。魔術は欲望モロ出しのおっぴろげなのに対して
スピリチュアリズムは着衣エロティシズム略して着エロでね。着メロじゃないぞ。表向きは隠すの。つまり魔術が人の願望が生み出したモンスターだとすれば、
スピリチュアリズムというのは願望をうまく手なずけ善い生き方をしようという思想(これもまた願望ともいえるのだが)が生み出したモンスターといえる。
しばしば現代スピリチュアリズムの元ネタとして言及されるのが19C前後の西洋神秘思想(occultism)であるが、なるほどそこまで遡ると
確かに多分に中世からの魔術思想に源流が認められるところはある。まあ似てるんだけど、そもそもの発想が違う。
魔術は願望の成就を目指すのに対してスピリチュアリズムと来たらどうだ、願望のコントロールを目指すのだ。スピリチュアルやね。
で、権威的な話をすると魔術とスピリチュアリズムの関係は、支配者と奴隷の関係に似ている。魔術のほうが支配者ね。魔術を使って支配するのではない。
魔術っぽさがここでは肝心なのね。何も魔術なんか実在しなくたっていい。それっぽさに一部の人々はカリスマ性を感じるわけ。ここに芸術の魔術性がある。
一時代の音楽家たちに影響を与えた書物、ピーター・バスティアンの『音楽の霊性』に書かれていたことも結局はそういうことだった。
支配と芸術の関係性を理解しているかどうかは重要よ。支配者は魔術師でありながら奴隷たちには魔術ではなくスピリチュアリズムを勧めるの。
結局これって権力というものを普遍的に語る1つのフレームワークだと思うんだけど。プロレタリアートとブルジョワジーの関係だってそう。
死ねたら、それ以上の幸いはないのですよ
「心も、人生も、揺れる事がなければ良いのに」と、思うわけで
「VAZIAL SAGA(ヴァジアルサーガ)~愚民化戦略~」というゲームに、こんな一文があるので、これを〆とする
まずは、外の世界から隔離した場所をつくり、そこへ人間達を住まわせます。
人間が食べ物に不自由しないよう、飲むだけで空腹が満たされ、若さを保ち、健康でいられる”湖”をつくりました。
その水は、人間だけでなく、植物を潤し、空気もきれいにします。
身体にかけるだけで、汚れが取れ、傷が治り、とても良い香りに包まれます。
しかし、何ヶ月か過ぎると、人間達は不満を持つようになりました。
神様は、人間から男女の種別を無くし、その原因を取り除きます。
そして子孫を残せない代わりに、永遠の命を与えました。
調べてみると、綺麗な者が醜い者を虐げていました。
安倍政権が進めて、よくわかっていない日経がドンドコ報道する混合診療について、医療系の立場から常識レベルで再考してみた。
結論:金持ってる人は迅速に26%オフになるかわりに、現状で皆が享受している9割オフになるまでの期間が遅くなる。
「患者のため」というありがたい理由で提案されている患者申出療養、
実際の患者負担モデルを、似た制度の「先進医療」の数字で試算してみます。
533施設で14479人が先進医療を受けて、総額は約146億円です。
うち先進医療分が約100億円で保険診療分が約46億円とのことでした。
これを使って患者申出療養の場合の一個人の費用負担を想定してみると、
仮に上の金額からゼロを4つ取って計算すると以下の通りになります。
・現状:保険適用外の治療法が100万円で、プラス全額負担が46万円
46万円が保険適用で13.8万円、更に高額療養費制度を使って8.3万円
・結果:146万円が108.3万円にということで、26%オフになります。
患者申出療養を利用する一部の人は26%オフで多少助かりますが、
日本の薬価は安いので承認申請へのインセンティブが小さくなります。
現在のような、人道的な理由での早期承認を求める声は届きにくくなります。
なお、薬事承認されたら、146万円が9.3万円になり、93%オフです。
一部の患者が26%オフにすべきか、後々93%オフの誰でも受けられる患者か、
どちらを優先させるか、この国の枠組をエイヤッっと決めるのは政治の役割ですが、
この政治判断って変ですよね、普通に考えると、あたまが悪くて政治家として失格としか思えないですよね。
先週、突然にJA全中の解散指示が出ました。この混合診療も突然です。
去年辺り、小泉政権の時に混合診療を言い出したの日医から譲歩を引き出したかったからだと内情を明かした官僚だか政治家がいました。
もちろん明文化されてないが、違反するとそれとなく注意される。
(オールドミスの人もいればワーキングマザーもいる。余計な論争になる。)
(フロア単位で行くので仕事内容は割とバラバラ。一部の人でしか盛り上がれないし、昼休みなんだから仕事からは離れよう)
(一つ目の話と同じ。自慢になるからね。)
(派遣社員の人も会話の中にいるので、ボーナスが出ない人だっている)
この不文律を守った結果、許可される話題は「テレビドラマの話題」「ゴシップニュース」「他人の悪口」「天気」となってしまい、
すると、その日から悪口ばかり流されるようになった。
それでも昼寝したり、読書したり、日記を書いたりして一人で過ごす昼休みは快適だ。
たとえ隣の隣のテーブルで自分の悪口に花が咲いていても。
「自力で生きられるネコは逃がして」 動物保護センター支所長を書類送検 警官に遺棄教唆容疑
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/140516/crm14051613510012-n1.htm
法的に正しい処分であろうとは思うけど、なんかもう色々矛盾しているように思えてならない。
つまりこの代で猫を根絶するんだよ。
そうすれば猫の殺処分に苦悩する人もいなくなるし、
野良猫の糞害に悩む人もいなくなる。
もちろん、生きている間はちゃんと世話するんだよ?
猫を根絶するなんて可哀相?
なのに今じゃ一部の人間を苦しめたり、生態系に悪影響を与えたりしてしまっている、自然界で生きることすら許されない生き物。
もう終わりにすべきなんじゃないのかな。
それともそうしちゃいけないまっとうな理由なんてある?
難しい話題だな。
自分達の社会と違う価値観を知ったら知ったで、いろんなことが疑わしく思えて、日常生活の負担になる。
科学的知識が増えると、簡略化しすぎなニュースに逐一苛立つのと似てる。
いっそ何も知らない子供の方が幸せそうだし愛されるのを見て、複雑な気分だ。
でも、社会で一部の人が違う価値観を持つのは、最終的には社会を強靭にすると思うんだけど。
今居る所をより良くするために、という感じに帰結するしかないのだろうか。
例えごまかしと言われようと、新しい安定産業が見つかればさほど社会的には心配ないんだけどな。
残業のし過ぎで過労死というニュースについて、何度となく報じられるが、
例えば営業時間が設けられてるとして、それに準じた営業がなされるものだけど、
お客様によって営業時間が異なる、これを認める企業があるから残業になってしまうわけで。
要はこのような客の都合で営業時間が左右されるような会社はいくら残業代が満額支給されるといっても
一日当たりの時間外労働が標準レベルを超えた場合は、ブラック企業と言わざるを得ない。
ましてや、殆どの会社は残業代など出るはずもなくサービス残業なのだ。
また、会社がサービスを含む残業をすることが美徳であるとする風潮もいただけない。
終身雇用制度がなくなった今、会社に愛着が持てない。あるいは不信感すら抱かれている状況下で
新入社員や中途社員へのフォローやケアが全く為される事がないのは、結局残業を多くするだけであり、
結果的にサービス残業をさせられるに至るのであるから、この辺りの社員教育は徹底しなければならない。
勿論入社後の社員教育は当然で最低でも3か月程度は見て貰わなければひとり立ちする事は不可能だ。
普通は1か月以内に研修を経て、各部署に配属されるものだが、終身雇用制度が無くなり雇用の流動化が図られた今となっては
教育する事自体が無意味であると上層部が判断している事もあるだろう。
そうなれば、教育不十分のままに配属され右も左も分からないまま仕事に就く訳だから非効率的であるのは当然である。
問題は、それらの責任の所在を新卒が「ゆとり」だからとか「努力ややる気が足りない」せいだと決め付ける一部の人間だろう。
彼らは自分たちの世代が受けてきた研修を顧みることなく、やたら俺の時代はこんなものじゃなかったとでっち上げの武勇伝を掲げては
その中で、日経やダイヤモンドなどの仕事関係の新聞雑誌の類は、常に会社目線でしか物事を見ることが適わず、時折頓珍漢なニュースを提供してくれる。
若者の「クルマ離れ(免許を取らなくなっている事)」が深刻化しているのに、普免必須と謳う一部の企業や自動車業界と手を組んでステルスマーケティングを通じて
若者に「クルマ」に興味を持ってもらおうと必死に記事を書いていたりするのであるから、雇用のミスマッチなどが叫ばれる世の中で、新聞雑誌が前時代的であるのは如何なものか。
問題はまだある。
就活生の実情と謳いながら、実際には苦労知らずのブルジョア、学歴ならマーチや早慶、宮廷といった大卒のみに着目したり、大企業の現状にしか興味がないわけであり、
こういった新聞雑誌というのは、高卒などの低学歴や中小零細の実情についてあまりにも疎く、また関心がない。
ところで、ブラック企業は後者のような人材を多く集めては奴隷化する事に躍起である。
学歴不問を謳うのがそれで、ブラックの多くは人材募集に関して「不問」にしている箇所が多々見られる。
問題は、それを日経などは報じず、引く手あまたの業界特集という触れ込みでこういったブラック企業特有の「不問」事項も
自己流に解釈して、求人はたくさんあり、選好みするのは勿体ないといった記事をでっち上げるのである。
山中教授っていい人だよな。些細なミスはあったけれど、悪い人じゃないと思ってる。だけどさ、iPS細胞ってよくよく考えてみれば怖い技術だなーと思ってさ。NHKでやってたんだけど、老人マウスと若いマウスをくっつけて、老人マウスを若返らせることもできるんだって。そう考えると希望であると同時に、怖いなぁ〜と思って。それをテーマにラノベを書いてる。よかったら読んでみて
20XX年。日本はiPS細胞によって平均寿命が150歳まで伸び、超高齢化社会を迎えていた。超高齢者たちは年金で優雅に暮らし、若者たちは彼らを支えるためにひたすら働かされていた。その日本で実権を握っていたのはマッドサイエンティスト「Dr.ヤマナカ」。彼は一部の人間だけに長寿手術を施し、それを餌に政治・経済を支配していた。
主人公は革命軍「アノニマス」の若きソルジャー。3年前、難病だった妹を高額の医療費をかけて手術してもらう。しかし、その病気の特異性に目をつけたDr.ヤマナカにより、妹は人間モルモットにされたあげく、殺された。それを知った主人公は復讐に燃える。
その日本には言論の自由はなく、インターネットで見れるサイトはハローワーク公式ホームページだけである。そのためデモや情報交換をしようにも、SNSやメールは使えなかった。それを克服すべく、アノニマスは使われていなかった衛星をハッキング。若者たちを繋ぎ、革命を呼びかける。集会には今の日本に不満を持つ大勢の若者が集まった。
しかし、ヤマナカと結託した世界企業G○○gleの無人兵器とウェアラブル端末を身につけた兵士たちによって排除される。さらに「劣等遺伝子浄化計画」と呼ばれる作戦により、長寿手術を受けていない人のみが感染する人口ウイルスがまかれた。
次々に衰弱していく彼ら。絶望するアノニマスたち。主人公はウイルスのワクチンを求めて、閉鎖された研究所「R.I.K.E.N.」へ向かう。誰も居ないはずのR.I.K.E.N.。しかし、そこには謎の老婆”オボカタ”がいた。彼女はiPSよりも簡単で量産可能な技術「STAP」の研究をしていた。しかし上司であるササイの陰謀により研究成果を奪われ、ササイもヤマナカによって消された。彼女はiPSに対抗しうる力、STAPを主人公に託すー
外見はBLEACHの愛染様みたいなかんじ。若返り手術で髪フッサフサ、肌ピッチピチ。メガネを取るとオールバック。口癖「これだから劣等遺伝子というものは!」「聞こえるかい?細胞たちの叫びがー」「認めたくはないな。優等遺伝子ゆえの過ちというものを」
モジャ毛&鋭い目つき。イメージはガンダム00の刹那。戦闘能力はそこそこ高い。元”お前ら”だったらしく、まれにネット用語を使う。それをヒロインに指摘されると不機嫌になる。口癖「アスハーーーーー(妹の名前)」「俺は真のアノニマスにはなれないのか…」「やっと・・・会えたね」「あんただけは…あんただけは許さない!!」
アノニマスのメンバー。主人公の妹であるアスハに似ている。主人公を兄として慕っているが、それが男女の愛に変わっていくのは時間の問題。その正体はDr.ヤマナカにより生み出されたアスハの擬似クローン。ヤマナカが進めている「ALPS計画」のキーマンになる。口癖「べ、別にお兄ちゃんだなんて思ってないんだからね」「分からないの。自分が誰だか。どこから来たのか。…思い出せないのよ」「お願い。せめて、人のままで、死にたいの」
元R.I.K.E.N.の研究員。STAP事件により理研から追放される。外見はおばあちゃん。ピンポンのオババみたいな。クライマックスでは”STAPの光”により若返る。OVAでは主人公と結ばれるらしい(?)
スガシカオ氏の言葉に対して、作りこみは是か非か、という話が出ていてふと思ったんだけど、
そんなに素晴らしい音楽を作っているなら売価高くすればいいのに。と、思うんだよね。
もちろん、ご本人に利益が数%しか入らない仕組みがおかしいのは確かだしそこを直すのは当然の話。
それとは別に、人より良いものを作っているとか、手間ひまかけて作りこんでるなら、一般的なものより高く売ればいいんじゃないの?といつも思うんだよね。
他の商品は大体そうなってるじゃない、洋服しかり、食品しかり。
良い物が分かる人はブランド品を買うし、拘らない人は安い値段でそこそこの物を買ったほうが幸せ。
というか正直な話、音楽が全然分からない非音楽オタクにとっては
せいぜい歌詞とメロディくらいしか分からない。コード?とか音がどうとか、そんなものより4音くらいの食器で演奏してみた音楽のほうが面白く感じたりする程度だ。
こんな自分にも作りこんだ匠の音楽を安価で聞かせていただける環境というのは素晴らしいんだと思うけど、ごめん、聞いても分からん。
分からないので「Youtubeで食器演奏動画をタダで見れるのにこのCDって奴は高いなー」という感想になる。
こんな奴に無理矢理安価でいい音楽を提供してやる必要なんて無くていいんじゃないかな。
本当の音楽が分かる人だけに、高く売ればいいんじゃないの?ブランド品みたいに。
ゲームもそうだと思う。
モンハン4が出た時にグラが汚いという意見が大量に出たけど、わざわざ言うほど汚いとは思わない。
よく見ると粗い、という意見もあったけど「よく見ないと分からないような所に拘ってコストをかけることが是か非か?」と疑問に思っていた。
自分はゲームに関しては音楽よりもオタクだと思うけど、それでも遊べればグラなんてどうでもいい。minecraftなんてドットが粗いけど楽しいじゃないか。グラなんてGBAとかSFCレベルで十分だ。
ゲームについてはDL販売のおかげでコンパクトかつ安価なものを楽しみやすくなってきたけれど、パッケージの価格は抑えられているものが多い。
これも、HD版を高価で売れればいいのにと思う。
そんなにグラや音質に拘らない人は安価、拘る人は高価版。
実際はHD版を別で作る手間のほうがかかりそうだから無理だと思うけど
別売りで「画質音質拡張パック」みたいなのが出来ればいいのに。そしたら画質や音質に文句言う奴は課金しろで済むし。
ただこうなると匠の商品はより高価になり、一部の人間しか入手できなくなって、売上げはさらに落ちるんだろうけど。
幅広く大勢の人に購入のチャンスを…となると、やっぱりスーパーで売られるようなそこそこの品質でそこそこ安い物を作らないとダメなんだと思う。何事も。
全くの思いつきだけど軽くメモ。
最近流行のマイルドヤンキー、久しぶりにいくつかの記事やコメントを眺めたら全くわけが分からなくなっていた。
どうやら僕が目を通していた斎藤環氏のヤンキー論と、原田曜平氏が提唱する「マイルドヤンキー」では内容が別、というか逆になってるようなのだ。
シッカリ読んだわけじゃないけど、確か斎藤氏のヤンキー論は「日本にはヤンキー的なものが潜在していたのではないか?」という作業仮説のもと、ヤンキー文化をリサーチするとともに丸山真男の「つぎつぎとなりゆくいきほひ」に代表される日本人論にアクセスしていく……というものだったはず。
ここにはざっくばらんに言えば「日本人って昔からヤンキーだよね」「俺もお前も根っこはヤンキーだよね」というそれ自体ヤンキー的な(?)直感があったはずだ。
他方、原田氏が唱える「マイルドヤンキー」では、地方在住で、酒・タバコ・車で消費を回し、地元や仲間を大事にする人々……といったように対象が抽象的にせよ指し示されているようなのだ。
これはどういうことなんだろう?
僕にとって、この斎藤氏のヤンキー論から原田氏の「マイルドヤンキー」への移行はそれ自体興味深いように思える。
例えば(書いてていやになるくらいありがちだったけど)次のようなストーリーを考えてみるならばどうだろう?
近年、「ヤンキー的なもの」は僕たちの周りのあちこちに露出し始めている。橋下徹氏でもいいしワタミでもいい。
僕たちはこの動向を自覚的にせよ無自覚的にせよ不気味に思っている。
そこで一部の人間をピックアップして「マイルドヤンキー」とレッテルを貼ることによって、世界のあちこちに、あるいは自分の中にも潜んでいるヤンキー的なものをお祓いしているんじゃないだろうか?
……とはいえ、今の俺にとって大事なのは、増田でくねくねすることなんかじゃなくて自分の研究だ。