はてなキーワード: 一部の人とは
http://anond.hatelabo.jp/20140925002959 に続き、準メジャーブラウザとその他のブラウザの現状。
Firefox派生のブラウザは全く使ったことがないので、省略。
Chromium派生のブラウザは(レンダリングエンジンの性能に関しては)どれもChromeを超えられる存在にはなりえないので、とりあえずOperaだけ。
かつては独自のレンダリングエンジン(Presto)を載せ、独自機能を数多く搭載し、一部の人から「Opera最強伝説」と絶賛されていたブラウザ。
Web標準にいち早く準拠させた一方で、IEなどの互換性も配慮していたようだ。
しかし、HTML5やCSS3の準拠度は後発のWebKitエンジン搭載ブラウザに押されてしまった。
そのせいなのか、もしくはPCが廃れそうだから独自レンダリングエンジンに投資するのは無駄と考えたかどうかは不明だが、PC版はBlinkエンジンを採用することになってしまった。
Blinkエンジンを手に入れることによって、得られたのはHTML5の準拠度UPとブラウジングスピードと安定度。失ったのは、マウスジェスチャのカスタマイズやサイドバーといった今までのメリットだった独特のUI。ただのChromium派生ブラウザになってしまった。
バージョンアップタイミングはChromiumと同期するためバージョンアップ頻度が高くなり、現在では24まで上がっている。
それでもなお、独自エンジンを搭載した最終バージョンを使い続けるユーザーが少なからずいるようだ。
国産ブラウザ代表。かつては、IEコンポーネントなタブブラウザの定番だった(少なくとも国内ではそうだった)。
最近、Version 5系が出て、何を思ったのか不明だがバージョンが6まで上がった。5からは文字がボケボケ滑らかになったり、タブがページサムネイルになったり、Blinkエンジン専用になったり、4でできたカスタマイズができない、6で「お気にタブ」というネーミングセンスを疑う新機能など、ある意味で大化けしてしまった。
一方で、2系や4系のバージョンアップは継続するようだ。実際はこれらの処遇を決めかねているのではないだろうか。
2, 4, 6の中で不満の少ないのを模索しているようにも見える。
ちなみに、BlinkエンジンはChromiumをいじってChromiumのタブとかボタンとかを隠しているだけ。このおかげで、Chromeの拡張機能がそのまま使えるようだ。Blinkのプロセスを単独で実行させれば素のChromiumが起動する。4系で確認。6系は未確認。
全バージョンに共通して言えることは、起動が遅い、UIがごちゃごちゃしすぎ。機能に振り回されている。さらに、Chromiumのバグまで引きずるダメアプリ。
国産ブラウザ代表。昔は軽量だったのに、「世界初 トリプルエンジン搭載」だとかなんとか言ってるせいで、いつの間にか重量級ブラウザになってしまった。WebKitエンジンの更新が止まり、セキュリティ的にやばいんじゃないかと言われ続けたが、最近になってようやく更新し始めた模様。
ブラウザ本体にAds by Lunascapeと広告を載せる実験をした実績あり。
感想はSleipnirと同じ。どちらかというと、レンダリングエンジン自体が重いせいなのかもしれない。せっかく3種類のレンダリングエンジンが使えるといっても、重いのでは全く意味がない。
というか、Sleipnir4 - 安定感 + Geckoエンジン = Lunascapeという数式が頭をよぎる。
レンダリングエンジンをどう改造しているかわからないが、HTML5testではなぜかChromeよりスコアが高い(正式リリース前のバージョンだが)。
最近はChromeより30%軽いとか言っているMxNitroを作ったらしいが、まだベータ版らしくブラウザとしての基本機能が足りない。Chrome拡張機能が使えないので、Chromeと同列に扱うのは反則だと思う。
30%軽い理由の1つは、Chromiumの組み込み向けフレームワークであるCEF(Chromium Embedded Framework)ベースと推測されるため。これは間違っているかもしれない。
それにしても、UIが全体的にのっぺりな平行四辺形なのはどうなんだろうか・・・。
国産はごちゃごちゃしたものばかり作るなよと言いたいところだ。ユーザーの要望に安易に答えすぎた結果なんだろうか。技術的には中国産ブラウザに負けているような気がするが、気のせいだろうか。
Operaが独自レンダリングエンジンを止めてChromium派生になってしまった上にスマートフォンやらタブレットやらが普及してしまった以上、もうPC向けに力を入れる時代ではなくなったのかな・・・。
何年か試行錯誤して、初めからこれ知っておけば良かったーって思う事を書いてく
・ユニクロのブラウスやニットを普段着にするくらいの金銭感覚で
2000円以上は高くて着られないのは極端だけど、3000円のブラウスに5000円のカーディガンを羽織るくらいで十分
それ以上は色々と無理が出る
・お出かけ着、勝負服を買う時は、お店を出る時にはコーディネートが完成してるように
その日履いてる靴に合わない服は買わない(買いたい服のイメージに合わせた靴を履いて買い物に行く)
・雑誌がいくら煽っても、チェックのシャツはパジャマに、花柄レースはネグリジェになる人種が存在する
似合わないと思ったら無理に着ないこと
当たり前なようだけど案外難しいから
ブラ紐が隠れて谷間も見えない(でも程良くデコルテが開いてる)タンクトップを見つけたらまとめ買いすると色々楽になる
・化粧は毎朝の習慣に 化粧落としは毎晩の習慣に
習うより慣れろ 習慣の力は大きい
・化粧水、乳液、日焼け止め、化粧落としは安くて刺激の少ない物をたっぷり使おう
パウダーファンデは化粧直しにはいいけど、負担が少なくて効果的なのはリキッドとクリーム
・チークとリップ両方に使える http://www.visee.jp/cheek/lipandcheek.html こういうのを一つ持ってると便利だよ
・他の人も言ってるけどアクセサリーと香水は必需品じゃないからまだいらないかな
雑誌を読みだすと、毎日ぐるぐる着回しして一か月違うコーディネートしなきゃけいないような気分になったり
憧れブランドの○○に心惹かれたりもするかもしれないけど
毎日違う自分になる事がお洒落じゃないし、むしろ似合わない物は着ない勇気を持つ事が大切で
すっごくお洒落な○○を持つ事よりも、一週間以上雨続きでしかもちょっと忙しくても、それなりに似合う服を綺麗に着てる事の方が重要だと思うんだ
だから、あまり高くない物を余裕を持って買うようにするといいんじゃないかなぁと
・
過去に、何回かStartupWeekendに参加し、またはオーガナイザーを幾たびも経験しました。
StartupWeekendは素晴らしいイベントで、楽しいです。みなさんに素晴らしさを伝えたいです。
私も過去何回も出て、経験を積み、各種イベントで色々な人と出会って楽しいです。
その楽しさを広げたいと思って、オーガナイザーやスタッフまでなりましたが、
悲しいことに、裏方のオーガナイザーの一部の人は、自分の「利権」「既得権」のごとく、
新規にイベントを立ててやろうとする人には「圧力」をかけてくる人がいるんです。
StartupWeekendでの「首都圏」でと、ごまかします。
圧力をかけてくる人は、一部・・・というよりずばり「その人」です。言うとばれてしまうので、いいません。
圧力をかけてくる「その人」は表向き、「正論」で攻撃してきて、NPO法人内部では緩やかな組織なのに、変に「コミュニティー」という実態のない世界を笠に着て、自分の影響力を誇示しようとする人です。
「その人」は会社の代表にもなっていて、自分の会社の事業に専念すればいいのに、なぜかこのStartupWeekend界隈に出没して、変な影響力をだそうと躍起です。
見てて滑稽ですが、初めての参加者たちがみると「へーこの人はすごい」という感じです。
「その人」の功績は、素晴らしいです。
過去に、有名な会社での場所確保から、スポンサー獲得、各種審査員、コーチまでの獲得まで、「その人」はすべて一人で行えます。
裏方では、相手の自尊心や名誉などを平気でつぶしにかかります。
この「その人」がしゃべらせたら正論・正攻法で来ます。まずはつぶされます。
「あなたのやり方・発言は、オーガナイザー全体で問題になります。いやなっています。」
確かに。真摯な人は、私に直接言ってくれますが、「その人」の発言力が大きいばかりに「どの程度全体で問題になっているのか」わかりません。明確にしないんですね。
単に、私が「ルール無視」レベルで場を荒らしているのか、「私が強引なまでに民主的なルールを無視した暴挙に出ているのか」。
もともとオーガナイザー間はゆるやかな組織感です。決めることも緩やかです。
きっちりとした組織固めしていないために、「オーガナイザー全体」とは、StartupWeekend全体での「正統性」得ていない感があるんです。
(正統性:きちんとした各コミュティーでも組織が大きくなったら、「コミュニティー規則」ぐらい明確したいです。)
発言の強さで、「オーガナイザー全体」の総意が決まっていませんか?
「その人」は、その発言の強さが強大。
「その人」を知る人は、適当に相槌をうつか、知らぬ存ぜぬで無視します。
逆にオープンな場にすべきところがクローズドな場になっている印象です。
StartupWeekendのブランド力は、今年に入って開催数とともに、増えてきました。
私は、StartupWeekendが大好きで、このイベントを世の中に広めたいと思いました。
しかし「その人」がいる限りは、私はつぶされることでしょう。
スタッフ・オーガナイザーとしては、金輪際一緒に仕事したくない人です。
だってそんなオーガナイザー間で、気を使って仕事するなんてしたくないし。
オーガナイザーやスタッフがやりたいことにも、この「その人」はしゃしゃり出て、ヘンに関わろうする。
まだ呼んでいない段階なのに「コミュニティーの同意」うんぬんと言ってくる。
StartupWeekend各地でコミュニティーがあるのは、分かります。大切です。
各地域でのコミュニティーは「多様性」があってこそ、コミュニティーであり楽しさがあります。
StartupWeekendの「首都圏」で、その多様性は大切です。
「その人」さん。名前明かしませんが、しゃしゃり出てこないでください。
正論・正攻法で、反論がないからと言って自分の意見が正しいと思わないでください。
自分の影響力を行使したいために、実態のない「コミュニティー」論を展開するのはやめてください。
あなたの功績は、誰もが認めます。歴任のオーガナイザーですらできなかった、スポンサーを招きました。偉いです。
イベント開催後は、おしまい。そこまでなんです。「エコシステム」ならしゃしゃり出てこないで、本業のしゃちょー業をやってください。
謙虚さをだしつつ、自分の影響力を虎視眈々と狙っている姿は、丸見えです。
私はこの匿名日記を使って、「その人」を攻撃しました。確かに卑怯です。しかしこれは私だけで済む話し。
「その人」が虎視眈々と狙ってる姿は、日本の歴史に出てくる「藤原家」そのものです。
StartupWeekendを乗っ取るような気配さえします。恐ろしいですね。
(天皇家=StartupWeekendのたとえ)
そんなStartupWeekendの裏方オーガナイザーには辟易しました。疲れました。
私は裏方のオーガナイザー・スタッフ関係からは一切手を引き、イベント参加のみに集中します。
最初で最後の愚痴と、StartupWeekendの「首都圏」界隈がより楽しい裏方になればいいかなーと思っての書き込みでした。
ガキの頃はバブル時代で、テレビCMを見れば豪華なセットをバックにバンバン音楽が流れてて、レコード屋には縦に細長いシングルCDにその音楽を収録したものが大量に並んでて、そしてそれが今週は100万枚売れました、とかそんなニュースが流れてた。
そんな中、すげえ、って音楽を創り出す人に巡り会った。
どんなときも を聞いたのはもうずいぶん昔。
小遣いも少なかったのでレンタル屋に行き、返却を待って借りたのを覚えてる。
それ以降もアルバムは全部聴いている(買ったのは半分くらい)。
現実にありそうな風景の一部を綺麗に切り取れる歌詞作りはマネしたことがあるけど、あんな表現は絶対に出来ないと諦めた大学時代。
Time to count downとかテレビCMで聞いた記憶があるが、好きになったのはシティーハンターとかのエンディングで使われるようになってからだろうか。
勉学に勤しみ音楽とちょっと離れてた時期に解散のニュースが流れ、すごくショックを受け、CDを全部買ったりしたのを覚えてる。
そのすぐ後に聞いたNights of The Knifeにも衝撃を受けた。なんなんだこの曲は、と。頭をハンマーで殴られたくらいの衝撃を受けてそのままバイクで走り回り警察に止められたのもいい思い出だ。
木根尚人のオールナイトニッポンを聞いていたのは今となっては黒歴史だろうか。
初めてその存在を認識したのはBlack or WhiteのMVで、深夜のテレビ見てたら流れてた。
なんとも不思議な雰囲気で、そこから情報収集したら過去に聞き流していた曲も彼の手で書かれてたと聞いてびっくりした。
This is itのライブに行きたいと思ってた頃に急死したニュースに触れ、映画館でその動画を見、悲しくなった。
ASKAのパワフルな声とCHAGEの繊細なメロディが大好きだった。
二人のライブツアーの様子をNHKがBSで流してて、それをビデオに録画した映像を何度も何度も繰り返して見た。
1万人の来客の前で、圧倒的な存在感を示す2人。
いつの日かこういうステージに自分も立ってやる、と心に決めた。
逮捕された途端、みんな手のひらを返したように離れていって、楽曲はCDショップから姿を消し、メディアから消えていった。
時折入る情報はすごく断片的で、離れていったみんなが心を落ち着かせるためのくだらないニュースだったりして。
本人に罪はあるかもしれないけど、楽曲に罪は無いと思いたい。
そして僕は、たぶん人並み以下だけど、それなりに頑張ったけど、残念ながらそういう才能は皆無で。
じゃあ勉強を頑張るか、という気にもなれず、そのままずるずると就職してみたものの、すごく納得出来ないものになってしまって。
そんな中、いつの間にか、YouTubeやニコニコ動画のような場所が出来て、みんなそこで才能を発揮して楽しんでる。
昔取った杵柄じゃないけど、僕にも出来るかな、って思ったけど、やっぱり僕には才能が一切無くって。
じゃあ仕方無い、諦めるか、って思ってたら、いつの間にかそういう「才能を守る」側に立っていた。
この日本という世の中は、一度失敗するともうその場所には戻れない。
でも、才能を持っている人がその才能を活かせないというのは、その人にとっても、世の中にとっても、すごくもったいないことのように思える。
そして、僕は、偶然にも、そういう人を守ることが出来る力がある。
だから僕は、本当に才能ある人は応援することに決めた。それは、みんなに言わせればただの独善偽善に見えるかもしれない。
でも、それは、みんな、一度失敗した人に対して死ねとだけ言っているだけで、その人がその後寿命までどうやって暮らせばいいかの提案は一切無い。
あえてゲスい言い方するけど、才能をオカネに変えることが出来るのは、本当に一部の人間だけ。
そしてその才能がオカネに変わるというのは、その才能をほしがる需要もそこに確実にあるということ。
ASKAさん。
戦争をしたせいで残ったモノはたくさんの恨みと戦地から帰ってきた骨壺だけ。
それなのに政府はその時も和牛ステーキを頬張り、美味しい酒を飲んで毎日優雅に暮らしていた。
この図式は今の政権と何が違うだろうか。
今の政権はアベノミクスによって疲弊させられた経済破綻者の生活や被災者の事など殆ど全く無視して優雅にゴルフする等してまるで別世界だった。
これと日帝はさほど変わらないはずだ。
自民党の中には未だに徴兵制を考えてる人達がいて、それは維新の会にも多く支持する者がいる。
彼らに戦争へ行かせて得られた領土や金は殆ど搾取される運命にある。
それらは上流階級や政府政権の元に行き、一方国民は更なる疲弊を強いられるのである。
広島や長崎に原爆が投下された後、戦後一番助けてくれたのは日本政府ではなく当時敵だったGHQや国連であった事実を忘れてはならない。
何故なら戦後教育があったからこそ、国民は戦争の悲惨さや政府が行ってきた国民騙しの大罪を知る事が出来た訳である。
要するに、洗脳教育の時代に戻してまたも国民を疲弊させて自分たちを裕福にさせる使役を強いろうというのだ。
誰も彼も勉強できず、一部の富裕層だけが美味しい物を食べて国民は疲弊したままだったのではなかろうか。
出版物もいちいち検疫されて、今日の娯楽、アニメや漫画などの日本独自の文化も発展しなかったのではないか。
実際、表現の自由を規制する動きがあり、その説明はほぼ決め付けによる感情論的規制であり、日帝時代のそれと何ら変わりがない。
自分に都合の悪い話は黒塗りする、正に朝日新聞の今のような事が平然となされるわけである。
テレビ中継で見る野球やサッカーも英語の「ストライク」や「アウト」でなく、「よし」や「ダメ」という今では考えられない用語が当り前だったはずである。
女の子の名前はカタカナ表記が一般的であり、当然女は社会に出る事を許されずミソジニストよろしく男社会が形成されたままだったであろう。
一部の人間だけが得をするのが日帝時代と考えるなら、それを推進する人間は十中八九そういう階層の人間に限られる事は留意しておきたい。
農業に興味がない限り縁がない業界であり、農協とか国とズブズブの関係だ等と言われれば知らない人でも関心を持つに違いない。
ここの良い所はアスベスト公害問題が起これば被害者や遺族に誠心誠意を込めて謝罪して賠償にも応じている事だ。
但し、ここの悪い所もアスベスト問題で、このメーカーは機械メーカーではトップ3に入る国内最大手メーカーでありながら
同じミスを繰り返す事でも知られる。
東大や京大だけでなく、Fラン大でも個性を重視して採用するという事で就活生からも絶大な信頼がある。
しかし、内実は例え東京大学を出たとしても身内にコネクションが無ければ一次選考の初っ端で落とされる事だろう。
就活においては様々な意見が盛んに交わされる会社の一つでもあり、入社試験も割と簡単で面接も卒研のプレゼン等で営業力を量ったりと
就活するにあたって何気にやりがいを持たせる会社としても評判が良い。
なるほど正社員(新卒)については甘すぎな程ぬるま湯な環境である事も知られるが、一方それはコネ採用がある場合に限られる事は留意しておきたい。
会社内にはコネクションの有無でカースト制度が形成されており、コネクションを持たない者は正に実力主義の環境(事業所によって異なる)なわけだ。
コネクションさえあれば、営業成績が芳しくなくても一定以上の昇進があり、上層部にいる人達は当然このカースト制度に沿って昇進昇格してきた者たちであろう。
例えば、そのように苦労せずに上役になった人たちが、アスベスト問題に際して謝罪し、そして賠償請求に応じるのである。
俗にクボタ・ショックと呼ばれる公害問題では、未だにアスベスト 被害 からいのちと 健康を守る 尼崎の会による訴訟問題が行われている事からもクボタのこれまでの行いは実に不親切であり、基本的に賠償さえ済ませれば同じ過ちを繰り返しても痛くも痒くもないというスタンスを取り続けているため反発も大きい。
要は上辺だけはしっかりしていてその実は安全管理を平気で無視する企業なので、就活生たちが夢見ているような優良企業とは残念ながら言い難いのが現状である。
確かに社員待遇は良いが、CSは到底優良とは言い難いのである。
クボタに似た企業を例えるなら、東日本震災の時に被災者よりも社員の安全を第一としたコネクションが強力な事で知られる東京電力がそうであろう。
実際この両社はよく似ている。
正社員待遇はかなり良いが、部署によっては劣悪な労働環境にある。
クボタの場合は工場勤務、東京電力もそうではなかっただろうか。
東電の場合、当時福島第一原発で指揮を取っていたが後に放射能汚染による死亡疑惑が確認された吉田元所長がそうである。
クボタの場合も同様で尼崎の工場勤務の社員二名が会社が使用していたアスベストによる石綿肺で死亡している。
また、去年暮れに発覚したO-157事件の元凶で元雪印冷凍食品部門から分社化しマルハニチロの子会社となったアクリフーズの農薬混入事件も他人事とは思われない。
こうしたカースト制度は未だに改善されないままである事を就活生の何割が知っているのだろうか。
仮に知っていても得意満面にそれを喋れたとしても遺族の怒りは収まらないのは明らかである。
こうした問題があってもまだ同じ事を繰り返し、問題が起これば一部の人に対する賠償請求に応じて後は放置する会社のどこが優良企業なのだろうか。
世間で言う優良企業は、世間的イメージを大いに大事にするが、クボタのように機械国内シェアTOP3の優良メーカーですらも一連の問題の収拾やカースト制度で、
本当に世間で言われるような優良企業だと言えるのか、疑問である。
少なくともホームページの「美しい地球環境を守りながら、人々の豊かな暮らしをこれからも支えていくことを約束します。」のような企業理念は上辺だけであろう。
STAP細胞論文の責任著者の一人である理研の笹井芳樹が自殺を図り、亡くなった。
ネット上ではその死を嘆く一方で、一部の人間が「逃げた」だの「卑怯もの」だのと心無き中傷を浴びせている。
その無責任な発言が大きな流れを作ってやがて世論となり、犯罪者でもない一般人の心を痛め付け、ついには死に追いやってしまうというのに、全くその自覚がないようだ。
たぶん「新型うつ」って言葉が出来たころからおかしくなり始めたんだだろうな。
サボりたい一部の人間と、儲けたい一部の精神科医たちの利害が一致した結果、
結果として、本当のうつ病患者には「怠け病だろう」という疑惑の目が向けられ、
この構図は痴漢冤罪と同じ構図だ。
本当の痴漢被害者と冤罪によって社会的に多大なダメージを受けた被害者は救われない。
痴漢の証拠がほとんど残らないのと、うつ病の証拠がほとんどないのもそっくりだ。
痴漢は物証を取るようになったり、うつ病も血液で判定しようとしたり、客観的な証拠を求めるようにはなってきたが、どちらもまだまだ主流じゃない。
自分の職場での体験を元にして言う。過剰な一般化乙、と叩かれるだろうけど言う。
出来る奴に(ばかり)仕事を頼んではいけない ←タイトルよりちょっと日和った。
理由は簡単だ。皆がそれをやると、出来る奴がいずれ潰れるか辞めるからだ。
バイトや転勤などで10以上の職場を見てきたが、まあ本当に頼りになるような出来る奴は、一つの場所に何人もいない。
一つの部署に10人いるとしたら、間違いなく頼もしいのは1人かせいぜい2人、まあ普通ってのが6人くらい。
2人くらいはイケてなくて、ときどき1人くらいヤバいほど駄目なのが混ざる感じかと思う。
自分もそうだが、複雑で責任重大な仕事ほど、部署に1,2人しかいない出来る奴に頼みたくなる。
実際、そうするのが短期的には最適解に違いない。
「相手にとって負担かも」という考えが頭を掠めない訳ではないが、自分も切羽詰まってるので「仕方ない」の一言でそれは片付けてしまう。
出来る奴の方が適宜仕事を断ればいいのだが、それをしない人当たりの良さや積極性が、往々にして「出来る奴」の条件に含まれる。
あるいは、そういう性格による経験値の高さが「出来る奴」を作るのかもしれない。
断ったりする人は「腕は良くても人格が駄目」という評価になる。
結果として一部の人間に仕事が集中し、出来る奴の負担は増える一方。よくあることだ。増田でそういうタイプ(推測)が愚痴っているのも見る。
で、5~10年くらいのスパンでみると、そういう人が「出来る奴」であり続けることは稀だと思っている。
断り方を学び「腕は良くても人格は駄目」評価の人間になるのが一番マシで、それ以外だと燃え尽きて楽な仕事に転職したり、鬱になったり体を壊したりする。
稀に変わらないまま生き残った場合は、業績の結果として出世し、今度はブラック職場生産マシーンになる。そう、すき屋やワタミのような。
いずれのパターンも長期的に見て社会の得とは言えないし、個人の幸福という観点からもよろしくない。
だから出来る奴に仕事を頼む回数は、最低限にしなくてはならない。短期的にはそれが悪手であっても。
特に、「他の奴でも出来なくはないけど、彼が一番気持ちよく引き受けてくれる」というような理由で頼むのは、本当によくない。
他の奴で出来る仕事は他の奴に頼むべきだ。でないと、何のために他の奴がいるのか。
そりゃあ、頼む側としては気持ち良い反応をしてくれる上に仕事のクオリティも高い方に行きたくなるのは分かる。
大いに分かるが、そこは我慢しなければならないのだ。
上司が全部仕事を割り振るタイプの職場なら良いのだが、他部署から頼まれて引き受けた人がやる、みたいなタスク分配の甘い職場も多い。
この話は、そういう職場でのことだ。
医者である必要あるの?どんな根拠を持って「病気」と判定するの?
つまり精神科にくるバカはただ金を落とせばいいんだ、良くなるとか考えるなクズ共、ってこと?
エビデンスありません。
根拠なく何をもって病気だというわけ?食べ物だけに関することを言ってるの?
でも、そもそも「病気」と判定する根拠ってその「食べ物にはエビデンスがありません」っていうのと違うと言い切れるだけの根拠あるの?
たまに「嘘をつくメリットがないから彼/彼女は嘘をついていない」という人がいる。そういう人を見る度に私はもやもやしてしまう。合理的なメリットなんかなくても人は嘘をつけると思う。
そして小保方さんが嘘をつくのは、一度「STAP細胞がある」と思ってしまった、そしてその自分の認識を否定されたくない、ただそれだけの理由なんじゃないかと思っている。おそらく一番最初になんらか、STAP細胞が存在するのではないかと思ってしまうような出来事があったのだろう。ただその後、その勘違いや間違いを指摘されてムキになった結果、捏造までやってしまった、そういうことなんじゃないかと思っている。むしろ彼女の支離滅裂な言い訳を見るとそうではないかという考えはより一層強くなる。おそらくすべての嘘は、「だって本当にSTAP細胞はあるから」という思いのもとで彼女の中で正当化されているのだろう。
一部の人には信じられないかもしれないけれど、そんなある種「子供じみた」と言われるような性質を持った大人はいくらでもいる。
本当に自分のほうが文才があると思ってるなら、netcraftとかfeitaとかkanoseとかそういうはてなの固有名詞を使わずに文章を2つか3つ書いてみてくれ。
それで面白ければ認められるんじゃないか。
ついでにコンビニ店長について言うなら、彼はたしかに文才もあったが、あれだけウケたのは長いコンビニ経営のノウハウの蓄積があってこそだろう。
僕はいくつか空いていた優先席の1つに腰掛け、本を読んでいた。
しばらくすると、突然くぐもった男の人の大きな声で
「ペースメーカーが入っています!携帯を使わないでください!」
と聞こえ、驚いた僕は本を落としてしまった。
顔を上げると、初老の男の人が胸を押さえてハァハァと息を切らしながら、
向かいの席に座っていた青年にスマホの使用を止める様に訴えていた。
周囲の人も「え?なになに?」と顔を見合わせ、
言われたであろう青年はバツが悪そうに携帯(スマホ)をしまった。
次の駅に着く。乗り込んできた人の内、数人はスマホをいじっている。
当たり前だ。今の日本でスマホをいじっている乗客がいない電車なんてありえない。
するとまたその男性は、
「携帯を使わないでください!以前倒れたことがあります!」と、
なにやら証明書のようなカードをホラ、ホラと言わんばかりに周囲に見せていた。
僕はなんだかなぁ。と居たたまれない気持ちで、特に携帯を使っていないにも関わらず、
その席を離れた。それ以上そこにいたくなかったから。
僕は以前からこの手の話に興味があり、自分なりに調べたことがあった。
その時に得た情報に拠れば、以前の携帯電話(所謂movaなど2Gと呼ばれた携帯)で
使用されていた電波には微弱ではあるが、ペースメーカーへの影響が認められていた。
という車内アナウンスが聞かれたのもこの頃だ。
それは何故か。
現在使用されている携帯電波(3G、4GLTE)の電波、またはモバイルWifi等の電波は、
ペースメーカーへの影響が認められていないからである。これは、
現行で使用されているペースメーカーに対して行われた検証に基づく結果であり、
更に言えば、過去の実例(携帯が2G以前の時代も含む)で、携帯の電波が原因で起こった
気分が悪くなった。という例はあったものの、『倒れた』等の重大な事故もないのである。
そういったことを知っていたからこそ、僕はその初老の男性が哀れに思えて仕方がなかった。
「倒れたことがある」と言う話は恐らく作り話であるし、嘘つき、とまでは言わないが、
胸を押さえて苦しそうにするのも「先入観による勘違い」に過ぎないと思ったからだ。
一方で、彼のような人を作り出しているのは鉄道会社各社をはじめとする社会では?とも思う。
いつまでも必要以上に車内での携帯電話の使用を制限することによって、
こういった人たちに必要以上の恐怖を与えていることは、否めないんじゃないだろうか。
通話の問題は別として、今この時代に車内の携帯電話使用を制限する明確な理由はあるのだろうか。
確かに、僕自身も電車内の人が一様にスマホをいじっている光景を見て、異様に思うことはある。
しかし一昔前(今も一部の人では)はそれが、新聞や文庫本だっただけであり、それが電子機器になると
アレルギーを感じ、ヒステリーを起こすのは理に適ってないと思う。そういう人に対する、
正しい知識の提供・教育を行わずして進めている昨今の「地下鉄でも電波が入る!」等の
インフラ整備は、こういった問題を助長するだけなのではないだろうか。
時代・人・技術が変わればマナーも変わる。今やらなくてはいけないことは、