はてなキーワード: デモ参加者とは
小森龍邦氏死去、88歳 元衆院議員、部落解放同盟広島県連顧問
解放運動の巨星がまたひとつ墜ちた。私もあと十年生きるか怪しい身である。自分の政治運動に対する考えを少しばかり綴ってみてもいいだろう。
上のニュースの人は、かつて解放同盟の事務方のトップだった方だ。昭和7年に広島県東部の被差別部落に生まれ、中高生の時分から老年に至るまで部落解放運動に携わってこられた。
私が活動していた地域とは遠く離れているが、それでも半年に一度は彼の実家の傍にある、ちんまりとした選挙事務所へ行き、地元産のワインを飲みながら語り合ったものだ。
私などが知己と呼ぶのがおこがましいほど尊敬できる人格の持ち主だった。家族や地域や仲間のためであれば、危険を顧みずに行動する力を持っている。それでいて、思慮深いうえに頭の回転が速く、無謀な策を講じたりはしない。講じるとしたら、背後に確かな計算を持っている。そういう方だった。
それが、こんなに早くにお亡くなりになってしまった。悔しい限りだ。
私の番はいつ来るのだろう。運が良ければ二十年は生きられるかもしれない。運が悪ければ数年後か。その前に、自分の想いを吐き出す機会が欲しい。
さて、表題の意味について。あなた達の政治運動には『迫力』が足りないとは、どういう意味か。
言葉どおりの意味だ。特に、伝統的な分野、例えば労働組合などが挙げられる。昔に比べて弱体化が著しい。
企業ごとの組織率は低下し、労働者の組合加入率も低下し、賃金は下げられ放題、追い出し部屋や希望(半強制)退職の蔓延も放っておかざるを得ない。数十年後には、労働組合というものが事実上消滅していてもおかしくはない。
また、高校や大学など、学校内の自治を求める活動もそうだ。私は元高校教師だが、昔に比べれば、学生たちが自ら声を上げて学校のルールを変革するために動くことは減っている。感覚としてはそうであり、数字においてもそうなっている。悪い意味で、子どもが大人のいいなりになっている。
近年話題になったものだと、#MeToo運動だ。女性がこれまでに男性から受けた、性を主とする嫌がらせを公共の場で告発することをいうようだ。
日本ではそこまで定着しなかったが、本場のアメリカでは著名な人物の一部が職や名誉を失っている。最悪の場合は、裁判により実刑判決を受けることになる。
LGBTの社会運動も、社会の価値観を変革しつつある分野のひとつだ。
大衆消費社会が訪れてそうまで時間も経たない頃から、同性愛者としてのカミングアウトや文学活動、デモ行進や芸能界での活躍、自分たちを侮辱する者に対する訴訟提起(府中青年の家裁判)、ゲイであることを周囲に言いふらした者及びその所属校への糾弾(一橋大学アウティング事件)など、仲間の権利を守るための諸活動を行ってきた。
以前は、映像作品において、同性愛者が精神異常者として描かれるのは当たり前のことだった。子ども向けのアニメなどでもそういった描写があったが、昔に比べればなりを潜めているように思える。批判を恐れて、ゲイやレズビアンの人達を描けなくなっているだけかもしれないが。
これらの成功している政治(社会)運動には、共通する点がある。
相手の痛いところを突いていることだ。
この方針なくして勝利はない。しかし、近年の伝統的な政治運動の類を見る限り、相手の痛いところを見抜くことができる知性、または攻撃する度胸を欠いているように思う。
特に、組合関係の団体がそうである。昔の労働組合は、使用者と刺し違える覚悟があった。
意図的に給与の支払いを遅らされても、当局側が雇った暴力団に夜道で襲われても、工場を社員寮ごとロックアウトされても、それでも不屈の覚悟で戦い抜いてきた。
それが今では、使用者の言いなりとなり、組織から仲間を追い出すための行為に協力している。情けない限りだ。
話が逸れた。
相手の痛いところを突くことの具体例として、昭和40年頃の話をする。私の高校時代の級友の話である。K君とする。
高校二年の時だった。夏の午後の授業中に、ある教師が教室の窓の向こうにある山を指さして言った。「お前らみてみい、あの山にはよっつが住んどる」(※手の指が四本であるという意味)
その教師は、部落に住んでいる人間を馬鹿にしたのだ。当時はまだ、被差別部落で生活する人々と、それ以外との間に貧富の差があった。馬鹿にされやすかった。
どれだけ悲惨な生活だったか、今の生活と対比しながら述べると、家にトイレはなく(集落で共同のトイレだった)、上水道は通っておらず、生活汚水は外に垂れ流しであり、雨樋や排水溝がないので大雨が降ったら屋内は水びたしになっていた。
家族で食卓を囲んだ光景にいい思い出はない。口に出して述べたくないし、思い出したくもない。
さて、その男の言葉に頭にきたK君は、翌日に地域の仲間(私を含む)を連れて職員室に入っていった。K君が連れてきた解放委員会の男が怒鳴ったのを覚えている。「教頭、どういう教育をしとる!」という大声に、周囲に緊張が張り詰めた。校長までやってきた。
その教師に向けて、「そんなことは言ったらいけんど」と説得しようとしたものの、それ以前の問題だった。その教師は、私達の質疑に対して、最後までしらを切り通したのだ。「そんなことはしていない」と言い張った。
このままではK君の立場が危ういわけだが、私にはどうすればいいかわからない。しかし、協力をしたかった。
また翌日、K君は教室の中で証言者を探すために、級友の前で声を上げた。「このままでは俺は嘘つきになってしまう。証言をしてくれ」と皆に伝えた。が、私ともう一人か二人以外に協力者は出なかった。
次の日だった。今度は、級友一人一人と話をする作戦に切り替えた。校庭に級友を呼び出し、どうして協力してくれないのか、と訴えたのだ。それでも駄目だった。みな、「それは勘弁してくれ」と言うばかりだったという。
さらに次の日、K君は50枚ほどのA6程度の大きさの小紙を持ってきた。それを級友の一人一人に渡して、「これに証言を書いてくれ。後で預かる」とお願いして回ったのだ。
翌週、K君は再び、地域の仲間と、同じ地区の解放委員会の役員を連れて校長室に入っていった。私は外で待っていたが、勝利を確信していた。K君は、20枚以上はあろうかという紙の束を持っていたからである。
その年度の末をもって、その教師は異動になった。県内の一番端にあるエリアに転勤していった。彼はまだ赴任して2年目だったことから、今回の作戦が功を奏したとみていいだろう。
この、K君の動きを間近で見たことが、私が政治運動を志したきっかけだった。
今度は、少し規模の大きい話をしよう。
それから三十年以上が経って、平成の初期だったと記憶している。被差別部落の生活・文化的な環境を改善するという一連の政策が国会での議決を受けてから、長い時が経っていた。
K君の事件をきっかけにして、私は解放委員会に正式に加入し、高校で社会科を教えながら政治運動に身を投じていた。40になる頃に教師を辞めて、今度は別の公職に就いた。
ある年の冬だった。私が活動していた県の幹部職員が、「同和関係の補助金はすべて凍結する」と、あろうことか県議会で答弁した。
寝耳に水だった。まさか、そんなことはあるまいと考えたが、確かな事実だった。議会答弁はテレビ中継もされていた。
当時、私が所属していた団体の幹部が全員呼び出され、偉い方々から対策を指示された。それぞれの支部からも、来年度の予算について雨後の筍のように質問が寄せられていた。
発砲ふさがりかと思われたが、ふと、K君のことを思い出した。彼はもう立派な社会人であり、解放委員会からも抜けていた。それでも藁にすがる思いで相談に行こうとしたものの、気が乗らない。
彼に迷惑をかけるのでないかという想いもあったが、何よりも私個人の意地だった。同和教育、人権思想を啓もうする活動を担う一員である以上は、自分達の力で解決せねばならないという気概があった。
とはいえ、K君と話をしたかった。結局、正式な相談ではなく、共に食事をしながら今回の件について話し合うという形式を取った。K君は、「ここで折れたら前例になろうが」という話から始まり、諸々の助言をいただいた。今でも感謝している。
後日、県の横暴に対する対抗策がまとまった。開始時期は、一週間後とした。
数万人規模の組織で、ここまでの速度で動くのは無理がある。組織全体の足並みが揃わなくなる恐れがあったが、予算全凍結は目の前だった。
あの時のK君のように、各市町の教育委員会の庁舎に数人で飛び込んだなら、「どうしてこんな卑劣なことをするのか。子どもらが人権意識をもつための活動ができなくなっていいのか」というメッセージを何時間にも渡って、毎日伝え続ける。
庁舎の外には最大100人程度を待機させていた。みなそれぞれ、横断幕と拡声器を使って、スローガンを堂々たる態度で表し、相手方にこちらが本気であることを知らせた。朝方から始まって、日中は休憩を挟みながら、日が沈む頃まで毎日続けた。
場所は関係なかった。公共機関であれば、どこででも実施した。教育委員会だろうと、市役所の入り口だろうと、学校の門前だろうと、警察署の前だろうと、県会議員の自宅の玄関だろうと、場所は関係なかった。
かつて、私たちは基本的人権の享有を受けられなかった。その歴史を繰り返してはならない。私たちは本気だった。
議会での答弁から半年後、私達の本気は伝わった。予算の凍結が撤回されたのだ。
これまでと同じように、これまでと同じだけの金額を子ども達への教育活動、個別学習会や勉強会に使うことができるようになった。
私たちは、相手の痛いところを突いた。突き上げを受けた教育委員会は、通常の業務を行うにあたって支障が出る。日中は、私たちが絶えず抗議をするので、それに対応せざるを得ないからだ。
それが数日であれば持ちこたえるだろうが、何か月にも及ぶとさすがに根を上げる。
「予算の凍結はやめてくれ。現場がもたない」と各市町とその教育委員会は、県の決定に抗議する流れができる。
さらに長い期間に渡って続けば、県としても、予算の凍結の続行と、各市町の疲弊とを天秤にかけざるを得なくなる。
相手の痛いところを突けばいいというものではない。こちらも痛い目を見る覚悟が必要だ。というのも、現実的には、まずはこちらが痛い目を見る可能性が高いからだ。
上記の場合、県による予算凍結の撤回を求めて戦うにあたり、相手方に攻勢をかける必要があったわけだが――初期の段階が一番苦労した。まず、動員をかけても会員は集まりにくかった(当事者意識の欠如)。これがただの動員ではなく、緊急事態を打破するための闘いであることをわかってもらうために熱弁を振るう必要があった。この説得のための活動、すなわち県内の支部巡りに最も時間を要した。
人が集まり、相手方に攻勢をかけることができるようになったとして、最大のリスクがある。警察に通報されることだ。特に、要職にある者が動けなくなるのはまずい。敵にとっての追い風になる。
今回は、そうした事態が起こることはなかった。絶対に暴力行為や脅迫行為をしてはならないと、組織内で固く申し合わせをしていたからだ。
私が若い頃の解放運動だと、警察など介入する余地はなかった。デモ活動やオルグの最中に通報があって警察官が駆け付けたとしても、我々を見て尻込みをするのは当たり前で、あちらの方が逃げ出すこともあった。
それほどまでに、当時の私たちは気迫に満ちた政治(社会)運動をしていた。物事に対する「本気」というものが、警察すら怯えさせるほどに昇華されていた。
時が経ち、平成時代になると、部落に住む人々も豊かになったこともあり、ハングリー精神が見えなくなっていた。集団の気迫はすっかりと消えてしまい、周りから見ると――デモ活動の全てが滑稽なものに映るようになっていた。満たされた人間に政治運動はできない。それだけのことだった。
ところで、予算凍結に対する対抗策の実施にあたり、最大の懸念事項があった。
県と市町との連携だ。もし、予算凍結の議会答弁を打つよりも前に、県議会が各市町に根回しを行い、さらに我々を抑えるための手を考えていたとしたら、負けていた可能性が高い。
逆に言えば、同和対策事業に関する予算の凍結という重大事項について、事前に各市町と連絡調整をしないというミスを県が犯したからこそ、我々は勝利することができたと言っていい。
最後になる。
相手の痛いところを突くこと、その直近の事例としてミャンマーのデモを挙げたい。
アウンサン・スー・チーを頭に据える民主派が勝つにはどうすればいいだろうか?
武力では国軍に勝てない。ならば、「国軍は間違っている」というメッセージを、自国内と国際社会に訴えかけるしかない。
経済面ではゼネラル・ストライキを行い、社会面では民主的な思想や制度について啓もう活動を行い、政治面では大規模デモによって世界に窮状をアピールする。
アメリカがすでにミャンマーへの経済制裁を行っているし、世界的な空気として、国軍より民主派を推す声が大きいのは間違いない。
民主派のやり方というのは、それでいい。とことん大きなデモを打って、自分達の正義をアピールする。
が、その代償として、民主派は多くの命を失っている。つい先ほど、未成年のデモ参加者が銃で撃たれて亡くなったというニュースが飛び込んできた。先日のデモでは50人以上が亡くなったという。
民主派グループの中でも、指導者に近ければ近い者ほど、身体に危険が迫る。国軍にしてみれば、今が正念場である。世界各国からの評価が低下することを気にかけず、民主派の指導者層を徹底的に弾圧し、デモ活動を先導する者を少なくし、事態を膠着状態に陥らせ、軍事政権を持続させるとともに――軟禁しているアウンサンの自然死を狙うメリットの方が大きい。
もし日本が、ミャンマーのように危険な状態だったとして、あなたが立ち上がって戦わねばならなくなった時、どういう心構えで、どういう行動を取るべきだろうか? 相手の痛いところを突くために、どこまでのリスクを背負えるだろうか?
その問題に直面していたのが、私が生まれた時代よりもさらに昔、明治以降の被差別部落に暮らす人々だった。あまりに苦しい生活環境であるがゆえ、生存権を得るために戦わねばならなかった。しかし、どうやって戦えばいいのか?
多くの者が基本的人権を得るために戦い、痛い目に遭いながらも戦いを続け、そして今の、(経済的な意味に限っては)被差別部落問題が解決した現在に至る。
あなたの人生にとって、重大な戦いをせねばならない時がくるはずだ。その時に、どういった行動を取ればいいのか、当日記がその際の助けになれば幸いだ。
40代以下の若い人に向けて、このトピックを書いたつもりだ。あちらへ、こちらへとぶれた文章になって申し訳ない。読み返してみると、まとまりのなさに驚いている。ご容赦いただきたい。
もう2ヶ月以上続くインドの農民デモ。今までは最低価格保証がされていたが新法では価格保証が明記されず自由化で生活が苦しくなるとして政府に抗議。地方から首都に出向いて道路を占拠したりしている。
インドで農産物取引の自由化などを促す「農業新法」が成立したことに対し、約13億人の人口の半数以上を占めるといわれる農民の抗議が広がっている。
スウェーデンの環境活動家のグレタ・トゥーンベリさんも農民支持をTwitterで表明。
ところがデモに関して農民支援のレクチャーを受けたと見られる資料を誤爆ツイートして「グレタの背後に怪しいやつがいる」とインドの与党支持者や反グレタの間で反発広がり一騒動。インド警察も「背後」を調査したという。
その「背後」でデモ支援資料を作成してたというのがカナダの親カリスタン運動団体だとか。
'Preliminary enquiry has revealed that the toolkit in question appears to have been created by a pro-Khalistani Organisation 'Poetic Justice Foundation',
Furious Indians burn posters of the eco-campaigner after she wades into farmer protests dispute | Daily Mail Online
カリスタン運動とはシク教徒によるインドからの分離独立運動のこと。シク教とは信者数が世界で5番目に多い宗教で、歴史的経緯からインドのパンジャブ州に多く住む。
パンジャブ州は 1947年の印パ分離独立の際に,パキスタンからの難民であった多くのシク住民が移り住んだ。インド政府は同州をパキスタンとの戦略上の観点から農業州として固定化する方針を打出し,工業投資は控えてきた。 1960年代から米や麦の生産は向上したもののこの政府の一方的な方針に対してシク教徒の不満は次第に増大し,富裕なジャート系シク教徒の反政府運動へと発展,80年代には暴力行為が横行した。一方,このころ一部の海外移住シク教徒の間でもカリスタン運動が提起され,これがパンジャブ州での動きに相乗作用した。
今回のデモもパンジャブ州の農民が首都ニューデリーにトラクターで抗議に訪れている。
インド政府やヒンドゥー教の与党支持者は単なる農民デモとしてだけでなくカリスタン運動にも警戒しグレタさんに対しても「テロリスト支援だ」と批判している。
1月26日に警察との衝突で農民側に死者が出た。デモ参加者に少数派シーク教徒が含まれていたことから、政府やヒンズー至上主義の与党インド人民党(BJP)は、デモがシーク教徒の分離独立運動に結び付いていると主張し、世論の批判をかわそうとした。
ウィスコンシン州で、自称自警団の少年(17)がデモ参加者?と揉めて最終的に発表した事件について。昨夜から、大量のアカウントが一斉に「少年は正当防衛だ!」と同じ主張を声高に叫んでて大変奇妙に感じる。…とともに、同時にアップされる動画を見てある種の納得を感じてる。「ああ、あっち寄りの人からは、これが『大量の黒人に襲われて殺されそうになった哀れな少年』に見えるのだな」と。
動画は、BBC等が報じたニュース映像があちこちでアップされてるから、実際に見てみてほしい。たとえばこれ。
https://www.youtube.com/watch?v=39BpJ7juniE
以下、私が見て率直に感じたことを述べる。
・冒頭、突撃銃?を肩がけした「少年」が右から走ってくる。銃が重いからか、「少年」の足取りはやや重い。
・一、二度「少年」が振り返る後ろから、左手に布のようなものをもった小柄な人物Aが追いついて(かなり全力で走ってきている)少年の背中を空いた右手で叩く。
・向かいから来る人々は「何だ?」という表情。動画以前に、はるか右後方で、何かトラブルがあったように見える。(これが何かは分からない)
・最初のAは、少年を叩いたところで力尽きたか画面左にはける。入れ違いに、7~8人の人々が右手から追いかけてくるが、Aほど全力疾走ではない。
・次に追いつく人物Bは右手にスケートボードらしきものをもち、「少年」の接触シーンが手前の人物のせいで見えないが、その後、Bが左手にはけて、スケボーを拾っているように見えるので、おそらくそれで「少年」を叩いたのではないか。
・「少年」はさらに数メートル(5~7歩)走ったあと、何もない所で転ぶ。疲れで足がもつれたか、直前叩かれてバランスを崩したかは分からない。両方かもしれない。
・転びざま向き直って、座ったまま、少年は近寄ってくる最初の人Cに銃を向ける。C、それから続いて近寄ったDが銃口を見て飛びのく。
・それに気づかず走り込んできたEは倒れている少年に飛びかかるような形となり、少年が反射的に発砲1。←ここで止めていれば、まだ過剰防衛くらいのラインで押せたかもしれない。
・次に発砲を見たスケボーのBが少年に飛びかかり、銃を奪おうとするが果たせず、その時におそらく発砲2、少年のもとを離れ数歩歩いたBは道端に倒れる。←殺意
・更に、後から走り込んできたFがBが退いた後銃を押さえようと近づいたのに対し、威嚇から発砲3される。 ←殺意
・遠巻きになる人々。少年は銃で周囲を威嚇しつつ立ち上がり、立ち去る。
以上は、私の「感じ方」だが、明確に感じたのは少年の「恐怖」ではなく、素手でかかってくる周囲の人々に対する少年の「逆上」「悪意」の方だった。「オレに手出しするなら、お前らは殺されて当然だ」みたいな心中が聞こえてくるような様子だ。発砲時も少年はパニックを起こしているようには見えないし、その後も十分冷静で、「恐怖」は感じられない。立ち上がった後の傲然とした様子、自分が撃って道端に倒れている人間を一瞥だけして去る様子などを含めて。
正直、あの動画を見て、「少年かわいそう…」と思うのは相当無理である。まして、有色人種である側の我々としては。それに対して日本語で、「一斉に」「大量に」「似たような内容の」擁護ツイートを繰り返す人々は、一体何をどう感じているのだろう。そこに、大きな違和感を覚えている。
いままさに新型コロナウィルスで人が死んで、外出しないでって言ってるのにデモやってんの?
とてもそうとは思えない。
外出させろってデモしてたり、黒人差別止めろってデモしてるけれど、アレは社会不安があるというよりは、現状に対する反抗に近い。
たまたまの理由がそれだったからで、実際にはどんな理由でもデモが起きただろうとおもう。
第一波もおさまる前から大量の人出でデモをやってる。その前はNYで反自粛デモをやってたし。
アレはつまり、もうアメリカは新型コロナウィルスの抑え込みをデモで失敗した国、ということになるんだと思う。
デモは絶対正義というが、公衆衛生から見ればただの愚行ではある。
どうするんだろうか?
これから先、また医療従事者が地獄の戦いという尻拭いをするのだろうか。
そして、デモ参加者がクラスターとなって、1億円近い治療費を払わねばならないのか。
大変だと思う。
ちょい追記
黒人警官が黒人によって殺されてるとか、その逆に黒人警官が黒人を殺してるとか、そういう話は置いておいて、あまりにも無防備すぎて引く。
この人たち、家族はいないのかと思う。自分がデモに参加して感染して、そこから自分の愛する人にうつしたら、いったいどうするんだろうか。
俺にはホストクラブに通う人たちと同じく、自分の愛する人を危険にさらしてるという自覚がないのかなと思ったりする。
どうなんだろうか。
最近アメリカの暴動が話題になってるからreddit巡回してるんだけどやっぱリアルはちげーわ。
ニュースだと警察が悪いとか略奪が起きててやばいとかなんか単純化されがちだけど、現場の映像見てたらもう何が嘘で何が嘘かわからん。
公園で立膝付きながら演説してるだけで連行される黒人のデモ隊リーダー。
デモパレードに混ざりながら「トラックひっくり返そうぜ」と煽った途端「は?ふざけてんのか?」とデモガチ勢にボコボコに詰められるtwich配信者。
自宅の庭から見物してたら「家の中に入れ!」と有無を言わさずゴム弾を撃ってくる州軍。
「略奪なんかさせねーぜ」とARでがっちり武装しながらにこやかに笑うレッドネック。
トランプが言うように極左の謀略なのかそれとも国民の本当の声なのかはわからん。
けどとにかく現場はしっちゃかめっちゃかで何が起きてもおかしくない。
たくさんの言及とブクマありがとうございます。
はじめての投稿でしたが、予想以上にリアクションがあって嬉しいです。
やはり、書いたからにはたくさんの人に読んでもらいたいですし、議論を深めたいです。
ということで、言及のうちのいくつかについて、私の個人的な考えや思いを書いていこうと思います。
宗教、という言葉の定義は結構ややこしいですが、とりあえず、宗教を神や死後の世界について言及するもの、と捉えることにします。
神や死後の世界について共産党は何も党としての考えはありませんし、宗教に入信している場合も党員になれます。
創価学会員はなれないらしいです。
共産党は徹底して科学を大事にする党で、科学で根拠の示せないものについては党では扱いません。
ただ、個人の損得を越えて正しさを追い求める精神性が宗教家のようだ、という気持ちはわかります。
個人的には、その点については、宗教というよりもNPOと言った方が、共産党の性質をよく表現している気がします。
NPOの人たちも、個人の損得ではなく、世の中をよくするために、NPOで働くという選択肢を選んだのだろうと思います。
NPOも共産党もまとめて宗教だ!と言われると、NPOが宗教に分類されるなら共産党も宗教と言われるかもなあ、とは思います。
党員だとわかると採用をしない企業がある、という噂がありますね。
しかし、たとえ本当に共産党員を選考で落としていたとしても、公に言うはずがありません。
実際落としているのかどうかは、あくまで噂でしかわからず、私には確かめようがありません。
ただ、党の方針としては、党員だと知られたら落とされるということはあり得る前提で、党員の個人情報を守ろうという姿勢なのだなあと感じる場面は多いです。
他に誰が党員なのかは、党員同士でも必要最低限しか知らされません。
なので私も、党員だと知られたら落とされる可能性はある、という前提で動いています。
だからこの投稿も、匿名ダイアリーを利用して投稿しているわけです。
NPOや一部の業界の方は、比較的職場でも理解してもらって受け入れてもらっている気がします。
フリーのライターさんやアーティストさん、外資系なんかも、特にその辺気にする必要がないお仕事かなと思います。
日系会社勤めの方は職場では隠している人が多いと思いますが、会社によっては党員とわかっても気にせず採用する、むしろ積極的に採用するという企業もあるとの噂も聞きました。
総合すると「実際不利にはなるが、バレなきゃ何も変わらないし、たとえオープンにしても就職するやりようはいくらでもある」ぐらいの感じかなと私は見ています。
こうして見ると、特段絶望的な状況ではないです。
「自分から言わなきゃバレないので平気」「でも隠さなきゃいけないこと自体居心地が悪い」あたりの塩梅は、LGBT等のマイノリティと同じぐらいかと思います。
ただし、省庁や自衛隊を志望する場合は、状況はもっと厳しいかもしれません。
キャリアのリスクが怖いのなら、無理に党員になる必要はありません。
そのリスクと、自分のしたいことと向き合って、党員になろうと思った場合にだけなればいいのです。
私の場合は業界があまりそういうの気にしない業界なので、という面はあります。
共産党を応援したい気持ちはあるがキャリアへのリスクが不安という人には、JCPサポーターというよりライトな応援方法があります。
サポーターという名前ではありますが、共産党全面支持はできないけど、噂だけで決めつけるっていうのも気持ちが悪いし、自分の目で確かめて判断したい、という方にもオススメです。
しんぶん赤旗はスポーツ面も四コマ漫画もある意外と普通の新聞です。
ときどき共産党特集ページが入りますが、他のページはだいぶ普通の新聞です。
使いやすいとは言いがたいですが、しんぶん赤旗は一応電子版もあります。
デモなどの共産党の名前を使わない政治活動が、背後に党派性があるのではないか、という疑惑について。
少なくとも今のところ私のところに、党員からデモに参加してくれとの要請が来たことはありません。
そもそも、名簿の漏洩も警戒するぐらいですから、「はい、このデモ参加者みんな共産党員ですよ」なんてイベントは当然やらないですよね。
党の方針に忖度して活動をしているわけではなく、各々の判断で政治参加をしたりしなかったりしています。
なので、党の方針にはない活動や、中には党の方針とは食い違う活動をしている人もいるのではないかと思います。
党員がすべきことは、自分自身が政治について学んで成長することと、党の方針を一緒に考えることだと言われています。
共産党の運営仕事を行うことは任意の活動で、強制されることはありません。
党員の中には、共産党に雇用されて、給与をもらって勤務している人もいて、運営は主にそういった人たちが担ってくれています。
私は、もともと趣味を仕事にしたようなバイトをしていたので、そのまま共産党でも趣味として同じようなお手伝いをしています。
党の手伝いのためにバイトを減らしたりもしていません。完全にあいてる時間を利用して手伝っています。
支部会議に来るだけで党の運営の手伝いはしてない、という人も実際いるし、少なくとも選挙期間外に関しては、そういう人の方が多いのではないかと思っています。
私は今のところ選挙を経験してないので、選挙期間の様子がどうだったかは、またそのときご報告します。
党員の活動については、JCP WEB MAGAZINEにわかりやすい漫画が載っています。
どーも。日本共産党の党員になってはや一年のワタシが、党員ってどんな人?どんな活動?そんな疑問にお答えしますよ。前編です。 https://www.jcp.or.jp/wm/touin1/
どーも。日本共産党の党員歴1年のワタシが支部活動や集いを紹介するよ。早くも後編。少しずつ社会の見方変わってきたかも! https://www.jcp.or.jp/wm/touin2/
あと、民青以外だと、ドットジェイピーで政治が学べるよ、という言及について。
ドットジェイピーも意義のあることだと思いますが、民青の代わりになるかというと、疑問です。
というのも、ひとつは、インターンが結構高価で、誰でも学べるわけではない点。
それともうひとつが、学べることが、政治家の視点であって、主権者の視点ではない点です。
国民が、国会議員や内閣が国民の権利を守っているのか批判的に監視しなければ、民主主義は成り立ちません。
ドットジェイピーは、どちらかというと、国会議員や内閣で働く人の視点を学ぶ、といった内容に見えます。
国会議員や内閣に関わらずとも、知っておくこともいいことだと思います。
ただ、国民は、内閣の仕事や国会の仕事だけではなく、国民の仕事をまず知る必要があります。
漫画家経験のある編集者は優秀な編集者になれるかもしれませんが、それは編集者としての技量も持っているからこそで、編集のいろはを知らない漫画家がいきなり編集者になれるわけではありません。
国民は、国民に与えられた監視の役割をよりしっかり果たすために、今まで政治はどんな過ちを犯してきたのか、何を見たらその過ちを見つけられるのか、そして過ちを見つけたときにどのように行動にうつしたらいいのか、知るべきなのです。
国民全体に対して、主権者が果たすべき役割を学ぶ機会は、ドットジェイピーには提供できないのではないでしょうか。
ドットジェイピーが悪いというわけではなく、単に目的が違うのです。
ドットジェイピーの目的は、政治に関心を持ってもらい、国会議員の仕事を知ってもらうこと。
私が言っているのは、国民に主権者教育の機会を与えるべきだということです。
個人的には、共産党は情報発信が不足していて、結果的にデマや噂を生み、損をしているように思います。
YouTubeのアルゴリズムで香港でのウイグル民族弾圧反対のデモの様子が流れてきた
これも思想的には何も批判すべきことではないしおおおにやればいい
けど、デモ参加者が国旗を燃やそうとすると警察隊は明確な違法行為を見逃すはず無く現行犯逮捕しようとする
その警察隊を市民が取り囲んで背後から蹴りつけてボコボコにしている映像だ
これは一体どう評価すればよいいいんだ?
俺には普通にデモ参加者は明確な違法行為と暴力行為を行ってるようにしか見えなかった
むしろ警察隊は圧倒的に人数的な不利がある中で催涙スプレーと警棒で対応するしかない
こういう軋轢を作ればいずれ警察隊は安易に銃を抜くようになるぞ
俺は何が正しいのか分からんよ
反対と反体制の活動は匿名で行える必要がある。匿名が保証されない場合、政治行動に対し脅迫・買収etc.を可能にする。
不法行為は取り締まられるべきである。犯罪者は逮捕される必要がある。犯罪者を追跡し証拠を示すために監視は必要である。
.
テロリストかどうかは一意に決まるものではなく評価者のポジションによって決まる。
(例えば、当時日本からはテロリスト、朝鮮からは英雄。その後朝鮮でもその時の都合でテロリストあつかいされたりすることもある安重根)
一定の割合でバカはいるし、人が増えればそのバカは顕在化する。
警察と暴力で衝突するデモ参加者が発生しているし、公共施設の破壊行為に関してはデモ側自ら喧伝している。
政府はデモは許可しても、暴力や破壊行為は許可していない。それらの行為が行われれば当然法の下に逮捕される。
不法行為は取り締まられるべきである。犯罪者は逮捕される必要がある。犯罪者を追跡し証拠を示すために監視は必要である。
コンビニでフルフェイスのマスクは禁止されている。これは犯罪が起きたとき後で逮捕するために顔を見れるようにするため。
だれが犯罪を犯すか分からないためあらかじめ監視下に置く必要がある。
一定の割合でバカはいるし、人が増えればそのバカは顕在化する。
政府は脅迫は許可していない。それらの行為が行われれば当然法の下に逮捕される。
反対と反体制の活動に匿名を保証していなかったためあいトレの脅迫FAXを送った人は逮捕された。
あるいは
電凸音声が公開されたように、批判者常にすべて監視されている。
あとで検証できるように情報の透明化が行われていることは良いことだ。特に行政においてはね
(人気コメより)
反対と反体制の活動に対する匿名を許さない仕組みはすでに運用されている。
新たに監視する仕組みを作っても悪用されるとは限らないし、あるいはすでにある仕組みを恣意的に運用すれば十分でもある
匿名と監視のバランスかもしれないけれど、テロにおびえる健全な民主主義より安全な監視社会を望む人はいるだろうし、完全な匿名でないなら追跡可能性はコストの問題でしかないのかもしれない。
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皆さん、こんにちは、香港柳川日本語教室の校長先生です。まずは、この一か月の間、香港で起きた政治的な運動を簡単にまとめてみたいと思います。
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七月一日:55万人のデモ
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ここ数年、日本国内にて、一か月の中に三回も50万人以上の国民が参加した政治的運動はありましたでしょうか。不思議だと思いませんか。僕達が猛暑の中で、何時間もかけて練り歩きながら政府に自分達の要求を訴えてきたのには、ちゃんとした理由があるのです。まず、そんな人達の姿を茶番劇のように捉え、「騒がしいな」と軽く言葉を放り投げてきたあげたには、特に以下の文章を頂きたく思います。
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日本のどこのメディアのどの半人前がどのように誤解したかは知りません。ただ一つ、今、香港にいて、正々堂々と日本の皆さんに伝えられる真実は一つ:このままでは「香港」が亡くなってしまいます。
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「政府側が一歩譲っているのに…」
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日本人の方々のツイッターやフェースブックを見ていると、よく、このようなコメントが見かけられます。正直、見ていて悲しいです。それ以上に、ちゃんとした情報の伝授ができていないマスコミの事が憎くて憎くて仕方がありません。
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政府側は何も譲っていません。政府は逃亡犯条例改正案については、「延期」としか言っていません。確かに、今期の立法委員会では制度的に逃亡犯条例改正案の審議を通すことができなく、来年の七月で自然に「事実上の廃案」になるのですが、「廃案である」と明言されていない以上、決して油断してはいけないのです。
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今回のデモが起こったのも、この改正案が突然持ち出され、民意の反対を無視して急遽、強行採決されそうになったからです。なので、来年、また持ち出してくる可能性は大にありなのです。我々香港人は、この改正案が二度と復活できないよう、改正案の「完全撤回」を政府がはっきりと宣言すること求めています。
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しかし、政府側にはそのような態度が一切感じられません。悲しみ、憎み、失望、これらの感情に疲れ果てた三人の香港人が、この二週間の間、自分の人生に終止符を打ちました。中には二十一歳の大学生の女の子がいました。彼女は「この命と引き換えに、二百万人の願いが叶うことを祈ります」と言うメッセージをマンションの階段の壁に書き込んだ後、飛び降りました。二十一歳です。もったいないにも程があります。「どうか、この子の犠牲を無駄にしないように」、と皆が次にできる事を考えていた時です、「昨日、恋愛問題に疲れた女子が自殺しました」と言う報道が流されました。
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香港には共産党の息がかかったメディアが多数あります。一番大手のTVBがその一つです。彼達はこの三人の「犠牲者」の件について、一言も触れようとしませんでした。報道があったとしても、「恋愛問題に疲れたから」や「建物の上で足を踏み外した」と真実を捻じ曲げていた物しかありませんでした。そして、最も信じられないのが、二日後、彼女が残した遺言が壁から綺麗に消されていたのです。「掃除しただけだ」と、堂々とカメラの前で強調する人達がいました。悔しかったです、唇を噛み締める事しかできない自分が凄く嫌でした。
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そして、連続十日もの「引き籠り」を終えて、やっとマスコミの前に姿を現した香港政府のトップであるキャリーラム行政長官は記者会見にて、必死に怒りを抑えようとした記者にこう聞かれました、「三人もの命が今回の件で失われています。あなたの感想を教えてください」。記者の質問に対して、キャリーラムは口を開こうともしませんでした。ただただ、沈黙を保つだけ、ただただ、何事もなかったのように、静かにスポットライトを浴びていただけでした。僕達香港の政権のトップは、この三人の命について、何も語ろうとしなかったのです。市民の声なんて、最初から聴くつもりなどなかったのです。
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それもそうでしょう、香港が返還されて以来、デモに参加する人数はどんどん増えてきています。その中、大学生や中学生、更には未成年の子供達の姿がよく見かけられるようになってきています。この理由については、香港政府がこの数年間やってきた二つの「仕事」を皆さんの前で並べながら、説明していきたいと思います。
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香港の沙田駅と中環駅の間を結ぶ「沙中線」と言う鉄道の工程が今、現在この瞬間、行われています。予算1兆3427億円で、そのうち、2279億円が予算オーバーとなりました。長さ17キロメートル、平均1キロメートルにかかる費用が787億円です。皆さん、北海道と青森を結ぶ北海道新幹線を造るのにいくらかかったか、ご存知でしょうか。答えは「長さ149キロメートル合計5300億円」です。平均1キロメートルにかかるコストは36億円でした。
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これは香港市民の税金で造られた施設です。しかし、香港市民の間では、この工程に対して大きく反対の声が上げられていました。理由は二つ:「要らないから」と「高いから」です。鉄道の連結なんてもともとあるルートで十分ですし、新しい鉄道が生み出せる効率を見てみると、必要性なんてそこまで感じられません。何よりも「値段」です。以上の数字を見れば一目瞭然です。中学生でも目を丸くするぐらい、意味の分からない予算だったのです。
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僕達は抗議を続けました、手紙をたくさん書きました、色々な専門家が政府に提言をしていました。それでも、香港政府は市民たちの意見を無視して、強引にこの鉄道を造り上げたのです。それも、この鉄道の工程にはいくつもの問題点が取り上げられています。ネジが無いやら、鉄筋が切られているやらの原因で、工程は延々と長引くばかり。「玩具じゃないんだよこれ?なんでそんなミスが起こるの?」と香港人は凄く怒りを感じています。
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日本で同じような事が起こると、皆さんはどのような反応になりますか。「謝罪して辞任するのが当たり前」、僕達もそう思います。と言うか、それが民主主義の道を歩む国のあるべき「当たり前」の制度です。しかし、この鉄道の工程の責任者たちはつい先日、香港返還記念日に、中国共産党の参加者がたくさん集まるパーティーでシャンパンを飲み終わったばかりなのです。もちろん、まだまだ現役です。
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二つ目は中国と香港を結ぶ「港珠澳大橋」と言う海上道路です。予算オーバーが5732億円、合計1兆6257億円の工程でした。僕達にとってこれほど要らない物はありません。香港にいる人間が何故このような道路を使う必要があるのですか。この海上道路を使う人間は大体中国人観光客です。日本人の皆さん、もし安倍首相が「税金を使って中國との海上高速道路を造ろう!そしたらもっとたくさんの観光客に来てもらえる!」と参議院で叫んでいる姿を知ったら、皆さんはどんな気持ちになりますか。
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もちろん、これに対しても、香港人は立法会を囲んだり、デモを起こしたり、皆さんの一番賛成できる「平和」な手段で政府と話し合える窓口が作れればと頑張っていました。しかし、結果に変わりはありませんでした。僕達の政府は中国政府に媚びる事しか考えていなかったのです。
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他にも、たくさんあります。香港には公立病院が不足しています。インフルエンザのピークにもなると、トイレのドアの前にまでベッドが置かれていて、そこに貧弱な老人が寝転んでいるのです。看護師も医者は睡眠不足のなか、必死に病院の中を走り回り、数えきれない患者たちの世話をしているのです。また、大学の入学定員も極めて今の人口を満足できていません。そんななか、中国からの入学生は増える一方。そこそこ勉強できている香港人の若者が進学できない状況になっているのです。
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日本のメディアは今の香港の政権がどれほど市民の意見を踏みにじってきたか、報道してきたでしょうか。今回の政治的運動をきっかけに自殺した三人の若者達の事について、どこまで詳しく伝えていたのでしょうか。それに対する香港政府の態度を、また、どれほど具体的に、客観的に描写することができていたのでしょうか。
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もしくは、あなた達は香港の大手の報道をそのまま翻訳して載せ上げてきただけでしょうか。
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昨日、若者達が立法会ビルディングを包囲し、夜、中に突入しました。ガラスを割り、歴代立法会の司会の写真を踏みにじり、色スプレーで至る所に「落書き」を残して、深夜に去っていきました。と言うように日本では報道されていますが、もう少し、現地の香港人の目から見た光景を伝えられればと思います。
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ガラスは割りました。それも一枚や二枚ではありません。何枚ものガラスが割られました。確かに、あれは暴力です。認めるべき物は認めないといけません。しかし、「どんな状況においても、暴力はダメだ」と強調するあなたに質問です。これまで、この数年間、僕達が何万通の手紙を書いても、何回デモを起こしても、何時間練り歩いても、政府は僕達に目を向こうともしませんでした。このような政権に対して、一体、僕達が次に取れる手段とは、どんな物なのですか。「ガラスを割るイコール暴力」ですか、では、もう一つ質問させていただきます。民意を無視し続けてきた政権の暴力はいかなる物なのですか。若者達の命に目を置こうともしなかった官僚達の沈黙の暴力はまた、許せる物なのですか。
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「なんでそこまでして立法会の中に入りたがるのか」
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凄くな肝心な問題だと僕は思います。どうか、一度、子供達の立場になって考えてほしいです。二百万人もの香港人がデモを起こして政府に要求を訴えたのにもかかわらず、ちゃんとした解決法を考えようとしない政権に対して、あと、何ができるのか。仲間達の自殺が誤報されるなか、官僚達が沈黙を保つなか、残り、何ができるのか。ただただ、許せなかっただけなんです。自分の利益のためなんかじゃなく、誰かの苦しみに涙を流しながら、彼達はより多くのスポットライトを求めて、立法会に突入したのです。「僕達は香港の政権に見捨てられたんだ。せめて、せめて、この叫びを世界各国に聞いてもらいたい。それで何かが変わるのであれば、それで少しでも未来が明るくなるのであれば、僕達は命ですら投げ出してみせる」。これが、子供達の真の声です。
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はい、写真も踏みにじりました。あなたは自分の自由を奪い取り続けてきた人間の写真を目の前にして、拝むことができますか。取り外して踏みにじったところで暴徒扱いしないでほしいです。若者達の靴の下にある人間のほうがよっぽど「暴徒」です。「共産党さまさまに喜んでいただけるために」とずっと中国政府に媚びてきた官僚達が、どのような笑顔で、香港人達を裏切ってきたのか。そんな適当に誰かの写真を外して踏みにじるような行為、誰がやってどう得するのですか。少しは考えてほしいです、「どうして」を。
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色スプレーでの「落書き」ですか。「逃犯條例(逃亡犯条例)改正案の廃案宣言を名言しろ」、「香港行政長官の辞任を求む」、「抗議活動の暴動と言う定義を撤回しろ」、「抗議に参加して逮捕された市民を釈放せよ」、「警察の武力濫用に対しての調査と処罰を行え」などと言うメッセージがほとんどでした。スプレーで「汚れた」所は洗えばいい、なんなんだったら僕が子供達の代わりに洗ってやります。その代わりに、誰か、彼達が流してきた涙を拭いてやってください。本当に汚れているのは立法会の壁なんかじゃなく、今の香港の政権なんです。
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日本のメディアが「伝え忘れた」事をいくつか書き残したいと思います。立法会の食堂にてドリンクを取った後、子供達は自主的にお金を残していったのです。立法会の中には歴史的価値がある物がたくさん展示されています。子供達は「触るな」と書かれた紙をガラスに張り、他にも壊してしまうと取り返しがつかなくなってしまう物がまだあるか、巡視していました。図書館の正門には「図書には手をつけるな」と書かれた表示板が置いてありました。
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この若者達を「暴徒」を名付けようとしているあなたに質問です、「暴徒」とは一体、どんな人達のことなのですか。
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そして、最後の最後まで、残ろうとした若者が四名いました。あと十分でフル装備の警察達が立法会に着く時です。「一緒に出るぞ!」と何十人もの若者達が叫びながらこの四名の仲間を迎えに戻ってきたのです。現場にいた一人の記者が声を震わせながら帰ってきた一人の女の子にこう聞きました、「もうすぐで警察が来るんだよ?怖くないの?なんで戻ってきたの?」。女の子は涙をこらえながらこう答えました、「怖いよ、凄く怖いよ。でもね、このままだと、もうこの四人に会えなくなるのかもしれない、そう考えると、もっと怖いの。だから、皆で決めたの、一緒にここを出ようって」。それを聞いた記者は涙でいっぱいになり、質問を続けることができませんでした。
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「自分達の町のために」、「友達のために」、「弱い人達のために」、「苦しんでいる人達のために」、本当ならプリクラを撮って、ユーフォーキャッチャーを遊んで、カラオケではしゃいでいるはずの年齢の子供達が、このような心境を抱えて、政治的な議論の一番の前線に立ち、戦っているのです。
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どうか、より多くの人達に分かってほしい。今、香港で起きている事を、真実を、この政権の醜さを。ちゃんと捉えてほしい、既に三人もの尊い命が失われている事を、何人もの若者達が逮捕された事を、たくさんの血と涙が流れている事を。最後、できるのあれば、日本の社会の中でこの投稿を広めてほしい。一人でも多くの日本人の方に、香港の若者達の魂の叫びが届くように、ただただ、それを願うばかりです。
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