はてなキーワード: 2001年とは
保険の授業はあった。女子だけ集められたかは忘れたけど、生理用品メーカーの人が話しにきてナプキンの入った袋を渡された記憶があるからあったんだと思う。あと出産ビデオのマイルド版を見せられた。セックスの話はあったけど、「子供を作る素晴らしい行為、これは自然なことでみなさんも大きくなったらするようになります」って感じだった。これが小学生の頃。
小学四年生くらいからインターネットに触れるようになり、一瞬で耳年増になった。でも正直「セックス」と「妊娠」は頭の中で結びついてはなかった。ネットに溢れるエロGIFは大半が生・中出しだった。「子供を作る素晴らしい行為」感はなかったので、保健で習った「性交」とネットで見る「セックス」は違うもののように思えた。
コンドームというものの存在を知った、そのあと用途を知った。「精液を防ぐ」ものだとはわかったけれど、実感として「避妊」という意識はなかった。エロいもの。変な雑貨屋で売ってるもの。コンビニの隅っこで売ってるもの。そんな感覚だった。
中学では自慰の話とコンドームの話があった気がする。装着時は先端をつまんで…みたいな話ってここで聞いたんだっけな?あんまり覚えてない。
ピルや緊急避妊ピル(アフターピル)への偏見、あるいは過信というのは性教育が充実していないことから来ていると思う。2001年に『思春期のためのラブ&ボディbook』という、避妊方法などを思春期の子供に向けてわかりやすくイラストや写真で示したパンフレットが作成されたのだが、「フリーセックスの助長」「性の低年齢化」「ジェンダーフリー思想を後押しする」「命を育むという神秘的な側面を無視している」等の声が上がり、「性交奨励本」とまで呼ばれて回収になった。
しかし、情報を隠せば子供がセックスについて興味を持たないというわけではない。当時の私のように、耳年増になる子供なんていうのは今の方がずっと多いだろう。偏った情報のみを得た子供が実践する相手を得るなんてことはいくらでも起こりうる。または、その知識のまま成長するということも。
アフターピルというのは、一般に大変副作用が重いとされている。1日から2日、人によってはそれ以上、吐き気や倦怠感などが続く。にもかかわらず、決して100%避妊できるというわけではない。悪用というのはアクセスをむやみに制限することではなく、デメリットとメリットを公平に詳しく教えることによって防げる面も多いのではないだろうか。
「男に強要されたらどうするんだ」というのは、私にはアフターピル云々以前の問題であると感じる。アフターピルがあるから悪いのではない。たとえ長期のパートナー同士であろうと、俗に言うワンナイトであろうと、性的サービスの提供者であろうと、yes/noをはっきり言う・言えること、合意をとることの大切さというのは、少なくとも私は学校では習っていない。
直感でいくと良さそうだけどちゃんと考えると1起算は分かりにくい。
1から数え始めると、100で割って商が0になるのは1~99の99個しかないけど、100で割って商が1になるのは100~199の100個ある。これは分かりにくい。
0から数え始めると、100で割って商が0になるのは0~99の100個で、100で割って商が1になるのも100~199の100個。分かりやすい。
日常生活の例で言うと、西暦1年が1世紀だから、1901年~2000年が20世紀で2001年から21世紀になのが分かりにくい。
0世紀が西暦0年から始まってくれていたら、1900年~1999年が19世紀で、2000年~2099年が20世紀になるから分かりやすかった。
先進国って一つとでも思ってるんだろうか
Flag of Oregon.svg オレゴン州 - 1994年「尊厳死法 (Death with Dignity Act)」成立
Flag of Oregon.svg ワシントン州 – 2009年
Flag of Montana.svg モンタナ州 - 2009年
Flag of Vermont.svg バーモント州 - 2013年
Flag of New Mexico.svg ニューメキシコ州 - 2014年
Flag of California.svg カリフォルニア州 - 2015年[8]
ルクセンブルクの旗 ルクセンブルク - 2008年「安楽死法」可決。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%A5%E7%94%B0%E7%9F%A5%E5%BF%97
SEALDs創設メンバーの奥田愛基は息子である[9]。民主党の蓮舫の質問中に「そんなこと、どうでもいいじゃん」とやじを飛ばした自民党の安倍首相に対して、愛基が反安保関連法案集会の演説で「どうでもいいなら首相をやめろ。バカか、お前は」と言った時は、「それはいけない」とたしなめるメールをした[10][11]。
週刊新潮によれば、即位の礼の反対学習会に参加し「人間を超えた権威づくりによって、再び戦争の道を歩むことがないよう……」と、靖国信仰について「戦前の天皇への極端な信仰と同じ」とそれぞれ発言したとされる。ほか、日本バプテスト連盟の牧師らと共同執筆した『光は闇の中に輝いている』では、「天皇が『絶対的存在』から『象徴』へと表現を変えたとしても、天皇制が依然として民衆統合機能そのものであることが問題なのである」と批判したほか、2001年8月13日に小泉純一郎首相(当時)が靖国神社を参拝したことに対する全国集団訴訟では福岡山口原告団の一人に名を連ねたと書かれている[12]。
「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」という映画をご存知でしょうか。20年以上続くシリーズの中でも傑作と名高い作品です。20世紀も終わり2001年、「20世紀博」というテーマパークにはまる大人達。ある日しんのすけ達子どもを置き去りに失踪してしまう。残されたしんのすけ達は大人を救うため20世紀博へ向かう…という映画です。
若干ネタバレですが大人達は結社イエスタディ・ワンスモア(敵)が発明した"なつかしいニオイ"に影響され幼児退行し文字通り「子ども」に戻っていきます。
立ち位置的にイエスタディ・ワンスモア=P、「大人」=ノクチルに近いのでは無いかと思います。(あくまで立ち位置的な話)
Pは透の中に過去の思い出を回想し、「輝き」としてノクチルの大人として見た時決して褒められた物ではない行為に拍手し、またノクチルもPの中に昔の憧れ(ジャングルジム?)を見た透とその後ろ姿から懐かしさを求め、挙げ句子どもじみた反抗をする姿に近しさを感じます。
オトナ帝国では敵とされた「過去に立ち戻らせようとする大人」が主役となっている訳です。
要するにノクチルの「青春」というのはPという大人の望むその掌の上の出来事で、反抗的なある種幼稚な行動もPの期待する所な訳です。そしてPは彼女達を罰を与えず始末書を書かせる程度で済ませてしまいます。敢えて大人として振舞わない事で子どもを自身の願望の自己投影の手段とする作中のP引いてはライターのエゴを強く感じました。
イエスタディ・ワンスモアのボスであるケンの台詞「夕焼けは人を振り返らせる。だからここはいつも夕方だ。」
子どもとして大人への反抗を遂げたノクチルを夕焼けが照らし出します。遠い過去や子ども時代への回帰の象徴としての輝きなのでしょう。日暮れへの感傷は万人共通のものなのだと思います。
最後は野原一家対イエスタディ・ワンスモアの戦いになります。過去に拘泥し時間を巻き戻し過去という殻に閉じ籠ろうとする敵と未来に向かってひたすら走り続け未来を手に入れようとする一家の戦いです。
先程も述べましたがノクチルに対するPは大人の責務を放棄し、彼女たちの良く言えば純粋な、悪く言えば子ども染みた行為を称賛します。
こういった構図は特に青春モノなどではありふれたものとも言えます。ただ私が気になったのはそれが「大人の主観」でありそれを美化し正当化するような筋書きであることです。
系統として古典で言えば「ぼくらの7日間戦争」のような純粋で爽やかな青春と大人への反逆を描こうとしたのだと思います。ですがPという大人の恣意が前提にあることで純粋さは薄れ「俺たちの7日間戦争」とでも言うべきものになってしまっています。一言で言えば"理想的なクソガキ"でしょうか。青春の1ページという描写も陳腐な物に成り下がります。
今の所のノクチルにおけるPというのは彼女達の成長を阻む存在であり、必ずそこと向き合うべきであると思います。
そこに向き合えない限り"売り物"と"売る者"のエゴ、ノクチルというアイドルがPの自己満足と大人としての子どもへの傲慢の上に成り立つ存在でしか無いからです。
割と悪く書いてる気がしますがまだ1ページ目、最初のコミュまでの感想でしかありません。またそう言った関係性や意識の変化も描かれていくものと思います。
個人的に驚いたのは天塵のコミュを徹頭徹尾称賛する人が割りといた事でしょうか。オレの人生はつまらなくなんかない!(ryと言えるような大人は意外と少ないのかもしれません。
現状の彼女達というのはPに泳がされているだけの存在であると思います。そこに自身から向き合い、殻を破り、誰の定義でも無い私へと変化していく方が健全だとは思いますね。
PS4の『The Last of Us 2』が事前のメタスコア大絶賛一色とは一転していざ発売されると前作ユーザーから賛否両論となりユーザースコアが激低で結果的に主要サイトの中でほぼ唯一批判的に評価していた日本のIGN Japanのレビューが海外ユーザーから再評価される怪現象が起きている。
2020年6月19日に発売されたPS4用ゲーム『The Last of Us Part II』。日本では「ラスアス2」、海外では「TLOU2」と略されることが多い。ソニー・インタラクティブエンタテインメント (SIE) のファーストパーティー(傘下スタジオ)であるノーティドッグ (Naughty Dog) が開発を担当し、SIEより発売された。アメリカのヴァージニア州に本拠地を置くノーティドッグは、『クラッシュバンディクー』シリーズや『ジャック×ダクスター』シリーズ、そして近年では『アンチャーテッド』シリーズによって知られている開発会社であり、2001年よりSIEの傘下スタジオとなっている。
前作『The Last of Us』は2013年にPS3で発売され、2014年にはPS4でリマスター版が発売された。PS3版とPS4版を合わせると現在までに約2000万本以上を売り上げている。メタスコアでは95点を獲得し、数え切れないほどのメディアによって表彰された( https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_accolades_received_by_The_Last_of_Us )。
ゲームのジャンルとしては三人称視点のアクションアドベンチャーであり、サバイバル、ホラー、ステルス、シューターといった要素を含む。プレイヤーは成人男性のジョエルと少女のエリーを操作し、ゾンビがはびこる終末的世界を生き延びるために冒険を繰り広げる。オープンワールドではなくリニア(一本道)ではあるが、開発チームが「ワイドリニア」と呼ぶ自由度の高いリニアな空間は、開発者の企図した凝ったゲーム体験とプレイヤーの自由な探索という相反するゲーム性をバランス良く両立させるものである。
Metacritic(メタクリティック)というレビュー収集サイトによって、主要ゲームサイトのゲームレビューの点数を収集、平均したもの、それが「メタスコア」であり、それとは別にユーザーが投稿した点数を平均したものが「ユーザースコア」である。
Metacriticは1999年に映画レビューサイトとして始まり、その後サイトの評価収集対象にビデオゲームを加えた。メタスコアは現在では世界で最も重要視されるゲームの評価基準のひとつとなっている。単純にいえば、あるゲームに100点をつけたレビューサイトと60点をつけたレビューサイトがあれば、それらを平均した80点がそのゲームのメタスコアとなる(実際にはメディアごとに重要度というものが設定されており、その重み付けを反映してスコアが計算されるため、もう少しややこしい)。
『The Last of Us Part II』は世界各国のメディアによるレビューで絶賛され、2020年6月20日10時(JST)時点では94件のレビューを平均して95点という非常な高評価を受けた。過半数を越える実に50件ものレビューが同作に100点満点を与えている。
このメタスコアは2020年に発売されたゲームのなかで最高評価であり、その下には同じく95点の『ペルソナ5 ザ・ロイヤル』、93点の『Half-Life: Alyx』、91点の『あつまれ どうぶつの森』などが続く。なお日本のユーザーに馴染みが深いタイトルで言うと、『ファイナルファンタジーVII リメイク』は87点、『仁王2』は85点、『バイオハザード RE:3』は84点である。( https://www.metacritic.com/browse/games/score/metascore/year/all/filtered )
PS4タイトル全体の中では、97点の『Red Dead Redemption 2』(2018年)と『グランド・セフト・オートV』(2014年)に次ぐ順位である。( https://www.metacritic.com/browse/games/score/metascore/all/ps4/filtered?sort=desc&view=detailed )
しかしその中にあって、日本のIGN Japanは10点満点で7点とやや厳しめの点数をつけている( 過去との決別で残された物語『The Last of Us Part II』レビュー https://jp.ign.com/the-last-of-us-2/44388/review/the-last-of-us-part-ii )。レビュアーの福山幸司は前作が「ビデオゲーム史上に残る、マスターピースであることが疑いようがない」とした上で、「残念ながら『The Last of Us Part II』は、前作を超えるどころか、共に並び立つことすら許されないほど、いびつな出来栄えとなってしまった。」と評した。福山が同作に批判的な評価を下している原因は、主にそのストーリー面についてのものだ。Metacriticに収集された94件のレビューのうち、ラスアス2にIGN Japanと同程度またはそれ以下の評価を与えているメディアは、ほかにGAMINGbibleとGame Revolutionだけである。
IGN Japanは6月13日に福山によるレビューを発表し、さらにその翌日には同編集部のクラベ・エスラによる同作のレビューをめぐる分析記事が掲載された( 世界各国のメディアが『The Last of Us Part II』を大絶賛! IGN JAPANの評価が激しく異なる理由を紐解く https://jp.ign.com/the-last-of-us-2/44460/news/the-last-of-us-part-ii-ign-japan )。相反する評価を受けるビッグタイトルは時々あるが、それを分析した記事が投稿されるのは頻繁にあることではなく、それだけラスアス2が注目を集めるタイトルであること、IGN Japanのレビューが異色であったことを示していると言えるだろう。
2020年6月19日にいざゲームが発売されると、ユーザーからはたちまち賛否両論が巻き起こった。議論の的となるのはやはり主にストーリー面についてであり、前作のファンからの批判が多くを占めた。Metacriticのユーザーレビューは、2020年6月20日10時(JST)時点では17984件のレビューを平均して3.3という酷評としか言いようのないスコアになっている。
そして、このような酷評を与えられるにつれ、IGN Japanのレビューが再評価されつつある。興味深いのは、海外のゲーマーの多くが(日本のゲーマーが『ファミ通』のクロスレビューに対して揶揄するのと同様に)多くのメディアの絶賛レビューはメーカーから受け取った金銭によって操作されており信用に値しないと信じ込んでいる点だろう。以下、ツイッターでひっかかった意見の一部。
まおんも@nagineco
MichiruBOSS @N6Gi7
I think one of the best review about Tlou2 is from IGN Japan. If you are interestes, go check it out.
Sublem @DarthSublem
Whooo boy, friend is pissed off at TLOU2, he says it's a PoS because the fucked the story so hard. IGN Japan was right. Gameplay and graphics are great, but the story is complete ass. He told me about the story and ending, and I have to agree. It's basically a big FU to TLOU1
(友人がラスアス2に立腹している。ストーリーがとても酷くて凹んでいるらしい。IGN Japanは正しかった。ゲーム性とグラフィックは素晴らしい、しかしストーリーは本当に最低。彼はストーリーとエンディングについて語ってくれて、私も同意した。今作は基本的に前作に対するFU (Fuck You) だ)
The Last Of Us Part IIを5時間程度プレイしてみたが、IGN Japanのレビューで言いたいことが序盤をプレイしただけで、非常によく伝わってきた。7/10という点数になるかはともかく、賛否両論になるのがほぼ確実なゲーム。クリア時に今の感想を塗りつぶすほどの展開になっていると嬉しいな。
Mashiro@li__xunhuan
#TLOU2
高真剣@scaa315
Rich Price@richprice16
I’m only 3 hours in, but the IGN Japan review of game resonates the most so far. They basically said it’s a good game, but not 10/10. The gameplay is virtually identical to the original, which is 7 years old.
(まだ3時間プレイしただけだが、いまのところIGN Japanのレビューが最も共感できる。基本的には良いゲームだと言えるが、10点満点はない。ゲーム性は7年前のオリジナルとほぼ同じだ。)
Metacritic needs to make it that the Critic Reviews are based on actual critics and not paid off journalists. The only legitimate review on there is from IGN Japan. Even THEY were generous.
(Metacriticは、そのCritic Reviewsが実際の批評家に基づいたものであって報酬を受け取ったジャーナリストによるものではないことを明らかにする必要がある。唯一の正当なレビューはIGN Japanによるものだった。それですらまだ手ぬるい。)
IGN Japan did a better job review this game.
This game is not a masterpiece, is not a 10/10 or 9/10.
I don't care about gay or bi characters, i think that is amazing but the story of this game is a 6/10.
Yes the graphics are amazing but that alone is not what makes a great game.
(IGN Japanはこのゲームレビューで最も良い仕事をした。このゲームはマスターピースではないし、10点満点でも9点でもない。私はゲイやバイのキャラクターは気にしない、それは素晴らしいことだと思うけれど、でもこのストーリーは10点満点で6点だ。)
Sublem @DarthSublem
Friend has, he says the story is dog shit and just takes a shit on TLOU 1.
From what I can tell, IGN Japan was right, and everyone who gave a 10/10 was obviously paid off
(友人は今作のストーリーはラスアス1の上にひりだした犬の糞だと言った。私の知る限りではIGN Japanは正しかったし、10点満点を付けたやつは明らかに金をもらっている)
ラスアス2
まだ半分だけど、俺は苦手
IGNJのレビューも納得だわ...
話が重くて辛いとかじゃなくて単純に話がつまらなくて辛い
#ラスアス2
Ivanhoe20@Ivanhoe20
It means IGN Japan is less biased than IGN USA in terms of criticism
Let me tell you this IGN gave the game a 10/10 and most def is sucking up to ND and sony but IGN japan gave the game a 7/10 and said the story is bad and did not follow the same route as the first one so i wouldn't trust any gaming journalists or company on an honest review
(IGNは10点満点で10点を与え、Naughty Dogとソニーにおもねっているが、IGN Japanは同作に7点を与え、ストーリーは良くなく、前作のようにはなれなかったと言う。だから私はゲームジャーナリストや企業が誠実なレビューをするとは信用できない)
I don't believe to the 100% ratings, I don't believe to 0% ratings either...
IGN Japan gave the game a 70% score, probably what it really deserves.
(私は100点の評価は信じていないし、0点の評価も信じていない……。IGN Japanは本作に70点を付けたが、おそらくそれが実情に近い。)
vεr†rø@DaytimeCurfew
The thing with IGN is that you can pay them for a review. Like almost any "credible" reviewer. IGN Japan tho, thats a realistic review
(IGNについて重要なのは、レビューのために彼らに金銭を支払うことができるということです。ほとんどの「信頼できる」レビュアーと同様に。ING Japanは現実的なレビューだったけれども)
Nemui@Gelzoniansuss
IGN Japan summed that up pretty good there.
Graphics are out of this world. Its beautiful.
But well... new characters only to throw them away.
It seems like they couldn't buy IGN Japan in the end haha
(IGN Japanはかなり上手くまとめている。グラフィックはこの世のものとは思えない。美しい。でも、、、新キャラはそれらを投げ捨ててしまった。結局のところ彼らはIGN Japanを買収できなかったようだ。笑)
わからん。
考えられうる要因としては、ゲーマーの「ポリコレ疲れ」やTroll(荒らし)がある。
前作から引き続き主人公を務める女性主人公エリーは、本作ではレズビアンであることが明らかになり、新キャラクターでバイセクシャルのディーナと接近する。新キャラクターのレブはトランスジェンダーの少年である。今作でメインキャラクターの一人となるアビーは、発売前に誤って噂されていたようなトランスジェンダーの女性ではなく、単に「女性らしさ」がないだけの筋肉質な女性である。ラスアス2のシナリオを手掛けたNaughty Dogのイスラエル系アメリカ人のライターNeil Druckmann(ニール・ドラックマン)は、自身はシスジェンダーの男性であるものの、フェミニスト評論家Anita Sarkeesian(アニータ・サーキシアン)からの影響を公言しており、ジェンダーイコーリティや多様性に配慮したゲーム作りを心がけている。2004年よりNaughty Dogで働く彼は、前作『The Last of Us』や『アンチャーテッド 海賊王と最後の秘宝』のクリエイティブディレクターおよびライターを務めた。
ユーザースコアの世界には、Troll(荒らし)によるreview bomb(レビュー爆弾、レビュー爆撃)というものがある。『Death Stranding』のケースでは、1万8000件以上のユーザーレビューから約6000件以上が削除され、それにより「5.1」だったスコアは「7.3」まで上昇した。有名作の発売の際には、このようなreview bombの存在もまたよくある光景となっている( レビューサイトが「デス・ストランディング」への「疑わしいユーザー評価」を大量削除してスコアが一気に急上昇 - GIGAZINE https://gigazine.net/news/20191210-removed-death-stranding-suspicious-ratings/ )。おそらく今回のラスアス2でも、後日いくらかのレビューが削除され、揺り戻しが起こるだろう。
しかしツイッターでの評判などを見る限り、この低評価の原因はTrollによるいたずらだけとは思えない。結局のところ不満を集めるのは、新メインキャラクターのアビーが男性に媚びたところのない政治的に正しい女性キャラクターだったからではなく、前作で辛い旅をともにしてプレイヤーがさんざん感情移入した主人公ジョエルがポッと出のアビーによく確認もされずあっさり射殺され、ジョエルの代わりにそのアビーを長時間にわたってプレイアブルキャラとして操作しなくてはならないというゲームの構造によるもの、それにとっちらかって焦点の定まらないストイーリーラインによるものだろう。
単純な疑問なんだが、今、コロナウィルスの死亡者数が100人ちょっとで、医療崩壊だーって言ってるけど、
逆になんでいままでのインフルエンザでは、医療崩壊してなかったの?
教えてえらい人!
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Q10.通常の季節性インフルエンザでは、感染者数と死亡者数はどのくらいですか。
例年のインフルエンザの感染者数は、国内で推定約1000万人いると言われています。
国内の2000年以降の死因別死亡者数では、年間でインフルエンザによる死亡数は214(2001年)~1818(2005年)人です。
また、直接的及び間接的にインフルエンザの流行によって生じた死亡を推計する超過死亡概念というものがあり、この推計によりインフルエンザによる年間死亡者数は、世界で約25~50万人、日本で約1万人と推計されています。
https://www.mhlw.go.jp/bunya/kenkou/kekkaku-kansenshou04/02.html
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https://mainichi.jp/graphs/20200325/hpj/00m/200/001000g/1
テレビ番組「8時だヨ!全員集合」で熱演するザ・ドリフターズの(左から)いかりや長介さん、加藤茶さん、仲本工事さん、高木ブーさん、志村けんさん=1985年9月、潮田正三撮影
https://mainichi.jp/graphs/20200325/hpj/00m/200/001000g/2
始球式に登場した志村けんさん。得意の「アイ~ン!」もとび出した=福岡ドームで2001年、五味宏基撮影
https://mainichi.jp/graphs/20200325/hpj/00m/200/001000g/1
テレビ番組「8時だヨ!全員集合」で熱演するザ・ドリフターズの(左から)いかりや長介さん、加藤茶さん、仲本工事さん、高木ブーさん、志村けんさん=1985年9月、潮田正三撮影
https://mainichi.jp/graphs/20200325/hpj/00m/200/001000g/2
始球式に登場した志村けんさん。得意の「アイ~ン!」もとび出した=福岡ドームで2001年、五味宏基撮影
( 2 ) おいでよ どうぶつの森
どうぶつの森とは、2001年に 1 作目を発売したゲームのシリーズである。マリオやポケモンのような動物を殺すことを楽しむゲームとは違い、動物の世界で人間が暮らすことをコンセプトにしたゲームである。この作品において、動物と対等に生活を送っている以上、動物差別などとはほど遠いゲームのように思われる。現に、愛護団体から、どうぶつの森が批判を受けているという話を聞くことはできない。どうぶつの森は、主人公以外はほとんどが哺乳類の動物が生息している空間であり、その空間で、釣りをしたり、昆虫を採集したりする。また、採集したものをスーパーに売って報酬として金銭を得ることや博物館に展示することができる。動物と共存する姿にだけフォーカスすれば、批判される対象というよりもむしろ推奨される存在にも感じられるだろう。しかし、ここにも人間至上主義的な側面を見ることができる。それは大きく 2 つの側面から述べられる。 1 つ目は動物のなかの区別が存在すること、 2 つ目は動物社会で生活するといわれながらも、生きている社会が人間社会であることだ。 1 つ目は前述したように動物の中に階層を作り出している点である。どうぶつの森では、主人公以外全員キャラクターが動物であるため、虫や魚を売る相手も博物館に動物を公開する相手も必然的に動物になる。動物のなかでも、魚や昆虫は搾取される側で、権利を迫害される。そして、哺乳類をはじめとする動物は、この世界では搾取する側なのである。どうぶつの森では、作中に主人公以外人間が存在しないため、他の作品よりも動物間の階層が色濃く読み取ることができるのだ。本来は、動物間において殺害や自由の拘束が権利侵害にあたるのかというと明確ではない。野生のなかで相手を殺す状況は自然であるからである。しかし、この場合は適用できると言えるだろう。その理由にもなり得るのが二つ目の論点である。それは、どうぶつの森という題名からは、ほど遠いほど、生活空間が人間社会なことだ。例えば、取引には通貨が用いられ、娯楽として博物館や釣りが存在する。動物と共存する社会象が、自然ではなく、人間社会であることは人間中心のステレオタイプが存在すると言えよう。人間が自然のなかで生活をするのではなく、人間の生きている世界に動物が存在するということであるからだ。
ただ、上述したとおり、この作品に対する動物愛護方面からの批判は加えられてこなかった。以上の観点から、この理由として、動物愛護者の立場でもステレオタイプに動物の種類に対する差異を認められており、かつ人間社会と野生社会の関係を対等として認識していないということが言える。毛皮をとることや、戦わせることをはじめとしたシンガーの原則を受け入れながらも、そこには人間を中心とする明確な意識が存在する。
マリオ、ポケモンのような明らかな人間至上主義とどうぶつの森のそれは、大きく社会的な見られ方が異なっている。ゲームのコンセプトの違いが存在していることは自明であるとしても、そのほかに、発売時期が関係していると考えることができる。動物愛護の社会的風潮が広がったため、動物軽視的な発想が明らかに反映されているゲームを制作者側は作りづらかったという側面である。現に2002年から CERO という非営利団体が結成され、対象年齢を決めることを業務としている。この一年前に発売されたどうぶつの森は、年齢制限が設けられるかもしれない状況下で制作がされていたのである。この制限が設けられたことにより、例えばこの 2 年後に発売されたモンスターハンターは、対象年齢が15歳と設定された。ゲームに対する社会の変化は、暴力性、性的、反社会的表現という倫理的な諸問題の中には、動物愛護についての社会風潮も存在しただろう。それには、以下のことが理由に挙げられる。近世における動物愛護関係法令の移り変わりでは、1973年に「動物の保護及び管理に関する法律」として、保護動物の虐待・遺棄の禁止、動物愛護思想の普及啓発、動物による人間への危険の防止が法令化され、1999年には「動物の愛護及び管理に関する法律」として、以上に加えて、愛護動物の虐待・遺棄の防止、動物取扱業に対する規制が追加されたのだ。同時期に発売されたゲームに上述したモンスターハンターがあること、また、動物軽視が顕著なゲームシリーズが続いていることから、社会の変容にゲームが必ずしも対応するわけではない。それはゲームのアンタッチャブルな特性によるものだ。それでも、どうぶつの森は社会的に批判されない作品であり、もちろん時代背景を踏まえても批判されない前提で制作されたものだと考えられるが、根本的には動物軽視の視点が含まれている。これは、社会において、動物愛護の風潮が高まりステレオタイプが変化したにもかかわらず、深層的に根付いたまま存在していると言えよう。また、長年変化せずにシリーズ化する作品からもステレオタイプが再生産され維持されていることが認識できるだろう。
みんなこんな気持ち悪いゲームに夢中になってたのか。これに対して批判の声がひとつも出てこない日本社会の前時代性やばすぎるだろ。狸にでも化かされてるのかな
2002年米国でジョン・ホプキンス市民生体防御戦略センター(CCBS)や戦略国際問題研究センター(CSIS)が主導、
軍司令官やジャーナリスト、大統領顧問、FDA委員、CIA上級職員などが参加した
高伝染性病原菌を用いたバイオテロ攻撃シミュレーション「オペレーションダークウィンター」の結果によって
・大規模な民間人の死傷者の可能性に加えて、政府への信頼の喪失、それに続く市民の混乱、および秩序を回復しようとする当局による民主的プロセスの違反、不可欠な制度の崩壊の可能性があること
・政府のさまざまなレベル(連邦、州、および地方)の間、政府と民間セクターの間、さまざまな機関と機関の間、および官民セクター内に主要な「障害」が存在すること
・十分な準備がない場合、病気の拡散蔓延を防ぐための十分な薬物や機材の欠如が政府の選択肢を著しく制限すること
・情報管理とコミュニケーション(たとえば、報道機関への効果的な対処、市民とのコミュニケーション、あらゆる組織レベルでの指揮統制に必要な情報フローの維持)が危機/結果管理の重要な要素になること
・高伝染性病原体の拡散蔓延の防止には、倫理的、政治的、文化的、政府運営上、および法的重大な課題が存在すること
が明らかになりました。
https://www.mhlw.go.jp/bunya/kenkou/kekkaku-kansenshou04/02.html
Q10.
通常の季節性インフルエンザでは、感染者数と死亡者数はどのくらいですか。
例年のインフルエンザの感染者数は、国内で推定約1000万人いると言われています。
国内の2000年以降の死因別死亡者数では、年間でインフルエンザによる死亡数は214(2001年)~1818(2005年)人です。
また、直接的及び間接的にインフルエンザの流行によって生じた死亡を推計する超過死亡概念というものがあり、この推計によりインフルエンザによる年間死亡者数は、世界で約25~50万人、日本で約1万人と推計されています。
あー
派閥抗争が減って、
自民党内でも強く、
自民党内でも嫌われがちになってるのか
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/内閣総理大臣の一覧
安倍内閣は、直後の
間の
この辺は ほぼ1年おきに政権交代してるが
官僚にも嫌われがちになった
党内でも官僚でも人事を握って
嫌いな人(敵)の話は聞かない から
嫌われる、感じかな
だいぶ強い権力者になるわけね
誰も逆らえない
政権も長いし、そろそろやめろって言われても
おかしくないのね
これって
いつか他の人が総理大臣になっても同じだよね
次の政権も長くなるかな
建前上、
内閣人事局はない方がいいのかなあ
と思っているのかな
自民党員で、こっそり言ってる人ならわかるけど
他党が、
やはりよくわからん
辞任解散総選挙になればいいと思ってるのか
元増田です。
株というよりは、債務、やはり借金は借金です。法律上は返済義務があります。話題のMMTがどう考えているのか、元増田はMMTの教科書を読んだことがないので理解していないのですが、マーケットや財政状況を無視して、いくらでも借金してよいとは考えていません。1982年のメキシコ、1987年のブラジル、1998年のロシア、2001年、2014年のアルゼンチン、2008年のエクアドル、2015年のギリシャなど、借金が返せずに国がひどいことになった例は歴史上いくつかあります。
ただ、企業でも少しの借金で倒産する会社もあれば、たくさん借金していても好調な会社があります。例えばアップルは有利子負債がとても多い会社ですが、だからと言ってアップルの経営について、債務残高が高いから危険だ、あんな会社に融資はできないとは誰も思っていませんよね。アップルの株はこの数年ですごく上がっていますし、アップルの社債の金利は極めて低いままです。それはアップルはiPhoneという安定的なキャッシュフローを供給してくれるビジネスがあるから、返済されないリスクはほとんどない、借り換えも利払いも問題ないと投資家が判断しているからです。国債の場合、国内で消化されていればますますです。償還されてもそれは国内に戻るからです。その際に民間に資金需要が旺盛ならば、償還を受けた投資家は国に貸してくれないかも知れませんが、そのような状況とはすなわち景気がよいということですから、国は税収で経費を賄うことができます。国債が政府機関、例えば中央銀行が保有していればさらに償還には問題ありません。なぜなら政府が支払った分はそのまま政府に戻ってくるからです。日本国債はほとんど国内で保有され、半分近くは日銀が保有しています。
企業の営業利益は、国でいえば一定期間の付加価値、GDPがそれに相当します。GDPをすべて債務の返済に充てることができないのと同じく、借金も全額直ちに返済しなければならないものではないので、対GDP比で注目すべきは、債務残高ではなく、GDPの増え方に対する利払い、もっと言うと政府機関―典型は中央銀行-保有分を除いた利払いなのです(これは元増田のオリジナルではなくて標準的なマクロ経済学の教科書の教えるところです。)。GDPが増える以上に利払いが上昇していなければ、マーケットは発行体の支払いは問題ないと判断し、残高が多くても借り換えに際しても問題が生じず、金利の上昇もないのです。逆に残高がゼロでも利払いがGDPの増え方と比較して増加していれば、持続性に問題が生じます。だから、元増田で書いたとおり、順調に借り換えができているものを無理にゼロにする必要はないし、その条件で貸してくれる人がいるのに期間に上限を決める必要はないし、毎年の予算に借り換え分を計上すると、かえって予算にとって何が負担になっているのかが正確にわからなくなるのです。ちなみに解散価値(国が解散したら大変ですが)、資産、すなわちストックで見ても問題ありません。日本は世界最大の債権大国です。
日本国債の利払い負担は現在9兆円弱、これはGDPが350兆円程度であった昭和50年代末-60年ごろと同じです。現在のGDPは560兆円。350万円の年収で年間9万円の利子を払うのに比べれば、560万円の年収で年間9万円を返済する(しかもうち4万円程度はそのまま収入になる)方が負担が軽いのは自明ですから、すべてのマスコミが日本は借金で沈没すると騒いでも、これまで借り換えに支障が生じたことは全くありませんし、金利も低下しています。債務の負担は今、著しく低いのです。
ご参考になれば。少々口の悪い人ですが
what's more, since the debt to GDP gang never look at the implicit debt created by government-granted patent and copyright monopolies, they are measuring nothing. Give them only ridicule, that is what they deserve
https://twitter.com/DeanBaker13/status/1232786049279021057
債務の持続可能性は名目成長率と利子率の関係を探ることによってあきらかになるとされています。
財政赤字が政府債務を増大させることは、必然でありあきらかなことのように思えます。しかしながら、この法則にはひとつの例外があります。Fed(連邦準備制度)が政府支出によってファイナンスされる拡張的財政政策を、発行された政府債券を購入することによって調和するときがそれです。Fedによって保有されている政府債務が増大しても、家計、非金融法人、民間企業、外国人によって保有される政府債務は増大しないということです 。このチャプターのもっとも重要なレッスンは、政府債務を購入するFedの能力が、そういう政策を取らなかった場合に取り逃したであろう、財政政策における行動範囲を提供する、ということです。
…アメリカ合衆国かどこかの国の財政赤字(deficit)が多すぎるか否か、私たちはどのように判断することができるでしょうか。問題にすべきは赤字がゼロかどうかではなく、むしろ、未払いの名目公的債務(D)の名目GDP(PY)に対する割合の安定性の基準がどうあるべきか、ということです。連邦政府の赤字は巨額になり得ますが、D/PYレシオは債務の増加にも関わらず安定的に保つことが可能です。
名目財政赤字は債務の変化(△D)に等しくなります。では、財政赤字はどこまで大きくなり、かつ債務対GDP比、D/PYは安定を保つことができるでしょうか? 債務対GDP比の増加率がゼロであり続ける限り、安定的であり続けるでしょう。
それゆえ、私たちのタスクは、いかなる額の財政赤字が債務対GDP比の増加率をゼロにするか、決定することです。私たちは、債務対GDP比(D/PY)の増加率が、債務の増加率(d)とGDP名目成長率(p+y)の差である点に留意することから始めます。
D/PY増加率=d-(p+y) (6)
債務対GDP比の安定のためには、私たちは債務の増加率と名目GDP成長率(p+y)を等しくする必要があります。
d=p+y (7)
もし私たちが等式の両辺(7)を債務(D)の拡大により増加させた場合、私たちは許容可能な赤字(すなわち追加される債務)を獲得することになります。その分の赤字を増やしても、債務の対名目GDP比はコンスタントに保たれているのです。
dD=(p+y)D (0.05)(9,000billionドル)=450billionドル (8)
このシンプルに表現された(8)は、驚くべき結論を導き出します。債務対GDP比は、もし赤字が未払いの債務にGDP名目成長率をかけたものと等しければ、一定に保たれるのです。数値をいれた例によると、連邦政府の2010年末時点の純債務は約9兆円でした。もしもGDPの名目成長率を5%と仮定すると、許容可能な赤字は4,500億ドルです。現在の財政赤字は2009年-2010年よりもはるかに大きな額ですが、それは債務対GDP比がこの期間に急速に増大したのかをあきらかにしています。
2008年から2010年、さらにその後の債務対GDP比の急上昇は、政治家と評論家の間で、オバマ政権が2009年から2010年に実施した初期の財政刺激プログラムを超えてさらなる財政出動をすることの実現可能性をめぐって、大論争を引き起こしました。"財政タカ派"は公的純債務(debt)の対GDP比の急上昇を指摘し、債務対GDP比の爆発を避けるために財政赤字(deficit)は削減しなければならないと主張しました。"財政ハト派"は高い失業率と弱い需要のもとではさらなる財政刺激が必要とされていると反論しました。実際のところ、金融政策の効果が弱体化した状況では、財政政策は唯一残されたツールだったのです。
財政赤字は2つのパートに分類することができます。基礎的赤字と未払いの純公的債務に対する利払いです。順番に、基礎的赤字は税収からtransfer paymentと利払い以外の政府支出を控除したものと等しくなります。2010年における多額の財政赤字は、多額の基礎的赤字と多額の純債務に対する利払いの合計によるものです。
しかしながら、債務がゼロと仮定しても、利払いの負担は、債務支払い可能なための条件(solvency condition)を満たさなければ、歯止めの利かない純債務対GDP比の上昇を引き起こすのです。この条件について、政府は、名目成長率(p+y)が現在の名目利子率に等しいかそれを上まわっていれば、政府証券を発行することにより、永久的に、債務対GDP比を上昇させることなく、利払いの請求を満たすことができる、と定義することができます。2010年末の純債務(net debt)が大まかに9兆ドル、という上記の例に戻りましょう。政府は等式(8)で示されているとおり、債務対GDP比を増加させることなく4500億ドルの赤字を出すことができます。その赤字のうちから、財務省証券の利払いのためにいくら支払わなければならないのでしょうか?もし利子率が5%で、等式で仮定された名目成長率と等しいとすれば、純債務に対する利払いは0.05×9兆ドル、すなわち4500億ドルです。このとおり、政府は利払いコストの全部を、4500億ドルの財務省証券を新たに発行することにより、債務対GDP比を増大させることなく、基礎的財政赤字をゼロとしたまま、支払うことができるのです。
Gordon, Robert J. "Macroeconomics: Twelfth Edition" (April 18, 2011) 、Chapter6 The Government Budget, the Government Debt, and the Limitations of Fiscal Policy