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2020-03-24

anond:20200324204659

( 2 ) おいでよ どうぶつの森

どうぶつの森とは、2001年に 1 作目を発売したゲームシリーズであるマリオポケモンのような動物を殺すことを楽しむゲームとは違い、動物世界人間が暮らすことをコンセプトにしたゲームである。この作品において、動物と対等に生活を送っている以上、動物差別などとはほど遠いゲームのように思われる。現に、愛護団体からどうぶつの森批判を受けているという話を聞くことはできない。どうぶつの森は、主人公以外はほとんどが哺乳類動物が生息している空間であり、その空間で、釣りをしたり、昆虫採集したりする。また、採集したものスーパーに売って報酬として金銭を得ることや博物館に展示することができる。動物共存する姿にだけフォーカスすれば、批判される対象というよりもむしろ推奨される存在にも感じられるだろう。しかし、ここにも人間至上主義的な側面を見ることができる。それは大きく 2 つの側面から述べられる。 1 つ目は動物のなかの区別存在すること、 2 つ目は動物社会生活するといわれながらも、生きている社会人間社会であることだ。 1 つ目は前述したように動物の中に階層を作り出している点であるどうぶつの森では、主人公以外全員キャラクター動物であるため、虫や魚を売る相手博物館動物を公開する相手必然的動物になる。動物のなかでも、魚や昆虫搾取される側で、権利迫害される。そして、哺乳類をはじめとする動物は、この世界では搾取する側なのであるどうぶつの森では、作中に主人公外人間が存在しないため、他の作品よりも動物間の階層が色濃く読み取ることができるのだ。本来は、動物間において殺害自由の拘束が権利侵害にあたるのかというと明確ではない。野生のなかで相手を殺す状況は自然であるからであるしかし、この場合適用できると言えるだろう。その理由にもなり得るのが二つ目論点である。それは、どうぶつの森という題名からは、ほど遠いほど、生活空間人間社会なことだ。例えば、取引には通貨が用いられ、娯楽として博物館釣り存在する。動物共存する社会象が、自然ではなく、人間社会であることは人間中心のステレオタイプ存在すると言えよう。人間自然のなかで生活をするのではなく、人間の生きている世界動物存在するということであるからだ。

ただ、上述したとおり、この作品に対する動物愛護方面から批判は加えられてこなかった。以上の観点から、この理由として、動物愛護者の立場でもステレオタイプ動物の種類に対する差異を認められており、かつ人間社会と野生社会関係を対等として認識していないということが言える。毛皮をとることや、戦わせることをはじめとしたシンガー原則を受け入れながらも、そこには人間を中心とする明確な意識存在する。

マリオポケモンのような明らかな人間至上主義どうぶつの森のそれは、大きく社会的な見られ方が異なっている。ゲームのコンセプトの違いが存在していることは自明であるとしても、そのほかに、発売時期が関係していると考えることができる。動物愛護社会的風潮が広がったため、動物軽視的な発想が明らかに反映されているゲーム制作者側は作りづらかったという側面である。現に2002年から CERO という非営利団体が結成され、対象年齢を決めることを業務としている。この一年前に発売されたどうぶつの森は、年齢制限が設けられるかもしれない状況下で制作がされていたのである。この制限が設けられたことにより、例えばこの 2 年後に発売されたモンスターハンターは、対象年齢が15歳と設定された。ゲームに対する社会の変化は、暴力性、性的反社会的表現という倫理的な諸問題の中には、動物愛護についての社会風潮も存在しただろう。それには、以下のことが理由に挙げられる。近世における動物愛護関係法令の移り変わりでは、1973年に「動物保護及び管理に関する法律」として、保護動物虐待・遺棄の禁止動物愛護思想の普及啓発、動物による人間への危険の防止が法令化され、1999年には「動物愛護及び管理に関する法律」として、以上に加えて、愛護動物虐待・遺棄の防止、動物取扱業に対する規制が追加されたのだ。同時期に発売されたゲームに上述したモンスターハンターがあること、また、動物軽視が顕著なゲームシリーズが続いていることから社会の変容にゲームが必ずしも対応するわけではない。それはゲームアンタッチャブル特性によるものだ。それでも、どうぶつの森社会的に批判されない作品であり、もちろん時代背景を踏まえても批判されない前提で制作されたものだと考えられるが、根本的には動物軽視の視点が含まれている。これは、社会において、動物愛護の風潮が高まりステレオタイプが変化したにもかかわらず、深層的に根付いたまま存在していると言えよう。また、長年変化せずにシリーズ化する作品からステレオタイプ再生産され維持されていることが認識できるだろう。

みんなこんな気持ち悪いゲームに夢中になってたのか。これに対して批判の声がひとつも出てこない日本社会の前時代性やばすぎるだろ。狸にでも化かされてるのかな

2006-12-13

すれちがい通信

ニンテンドーDSの「おいでよ どうぶつの森」にはすれちがい通信というのがあるらしい。

すれちがいざまに送られた、見知らぬ誰かの匿名ダイアリー。そんなのも面白いかもしれない。

http://anond.hatelabo.jp/20061212141305

 
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