はてなキーワード: 自営業とは
元増田は給与をベースにした考えを出しているがそれ以外についての指標についてはほぼ言及していない=給与だけが幸福の基準としているとはみなせない(現に自由が幸福指標だという示唆もある)のに対して親戚は結婚子供ベースのみを指標としているからドン引きしているだけhttp://anond.hatelabo.jp/20170218201036
http://anond.hatelabo.jp/20170218203715
元増田は結婚ベースの幸福感をバカにしてないぞ、やはり論理性のないアホアホマンの言うことは斜め上すぎて笑えるな
http://anond.hatelabo.jp/20170218211128
作者の出身地から勝手に人格分析して、「あんなに結婚が女の価値を決めると決めつけた漫画」と当てつけのような書き方で漫画の内容を表現する。
アホアホマンはマンガに対する評価を元に勝手に人格分析している自分の脳内には疑いを持てないらしい。
結婚が女の価値を決めると決めつけた漫画だと評してはいるだけで、結婚が女の価値を決めるかどうかということにたいしてはノータッチだよね。
この漫画が決めつけた漫画であると自分の経験に即して述べただけで、この漫画の他の観点からの評価については述べてないだけだよね。
元増田が批判してる対象は結婚以外の他を評価しないクズだけであって、結婚で女の価値や幸福が決まるかどうかについてはなんにも述べていないね。
そんで「元増田は金銭だけで決めてる!!」とか喚くバカがいたけど「元増田がそうだとはいえない」という事実の指摘に対して反論なしです、私が間違ってました、ごめんなさいということでいいのかな?笑
勝手に作者の人格を分析して、「私のような自由に生きている人への嫉妬なのかな?」と、結婚ベースで生きる人間と自由に生きる人間を対比させ、結婚ベースの人間が自由に生きる人間に嫉妬しているという構図を勝手に作り上げて、自由に生きる人間を嫉妬される側を上の立ち場にしている。ちなみに元増田が自由に生きる側としているのは、あなたも言ってる通り、「現に自由が幸福指標だという示唆もある」こういうことね。
私のような~とはどこにも書いてないんですが妄想補完ですか、とっても論理的ですね~笑
結婚ベースで生きる人間と自由に生きる人間を対比なんていつどこでしてるんでしょう?笑
その段落では元増田はリーマンと自営業に近いマンガ家の対比をしてどっちも自由だと思い合うのかもな~と述べているだけですよ笑
結婚ベースの人間が自由に生きる人間に嫉妬しているという構図を勝手に作り上げてるのは元増田の文章から勝手に脳内補完してるあなたの側ですよね?書いてないことを脳内補完で勝手に決めつけるのが論理的なの?笑
>ちなみに元増田が自由に生きる側としているのは、あなたも言ってる通り、「現に自由が幸福指標だという示唆もある」こういうことね。
はい?笑俺が主張してるのは金銭面だけの指標だけでなく他にも幸福の指標は示されているという多様な観点からの価値水準を持ってる可能性が示されている、つまり金銭だけが幸福だと思っているに違いないと脳内妄想振り回す脳ミソ腐ったアホアホマンは大間違いだと述べただけで、自由に生きている側だなんて一度も言ってませんが笑
まあこれが馬鹿にしてない、見下してないっていうのなら、私とあなたの読解力の差だと思いますね。
いやー文章に書かれていないことを脳内補完して勝手に発狂することは読解力というよりただのイカレ度合いの差だと思いますけど。
他人にどうこう言う前に自分自身がどんな偏見を持っていてどんなことに発狂してしまうクセがあるのか30時間考えてから出直してきたほうがいいと思いますよ?
あと、人に論理性論理性言う割に「笑える」とか「アホアホ」とか非論理的な言葉が多いんですけど、論理性論理性言うならちゃんと論理的な言葉でお願いしますね。
あーなるほどアホアホマンにとってはどこにも書いてないとか言及してないと事実を指摘されてもアホと呼ばれた部分しか理解できない論理性をお持ちなんですね~
まずご自分の脳内空想補完で勝手にブチ切れて捏造しまくる前にテキストをそのまま読むクセを身に着けてから論理的な言葉を学んだ方がいいんじゃないですかね~
中間管理職として3年働いた。今の業界では10年働いている。この3年でとくに感じたのは、中途採用の奴らの9割は使えない金食い虫だということだ。
まず色々な業界を2、3年程度で転職している奴は絶対にやめろ。履歴書がいくら立派な企業で立派な経歴で飾られていても、そんな短い期間で転職を繰り返す理由が必ずある。面接時にはこれまで他業界で培った経験を活かして御社で働きたいなんてことをいうが、だいたい企業はその企業の業界で必要とされる人間を雇いたいわけで、そう簡単に他業界の経験が活かせるわけがない。しかも2、3年でできることなんてたかがしれている。
自分に都合の悪いことが起こるとすぐ転職、転職を繰り返しているのだ。「自分はA社で〜、B社で〜、C社で〜このような経験をしてきました!」昔語りはいいから経験じゃなくてどんな成果を残して今後どんな成果を会社にあげていきたいか答えんかい。
しかしこれらの転職プロフェッショナル達は無駄に転職して無駄に面接慣れしているので、口からでる言葉は相当な高レベルであることが多いのでタチが悪い。なのでこういう奴らに対してはまず履歴書を見ろ。矛盾が必ずある。そして面接時には矛盾を指摘しろ。それでも納得するようなことを言えるプロ転職屋はいる。そういうときはうちでどんな仕事をしてどのような結果を出したいか、具体的に提案させてみると良い。だいたいここで綻びが出るから。
プロ転職屋はある程度の期間雇ってもらって失業保険が出るようになるとサラサラ仕事を辞めていく。プロ転職屋はそうやって自己都合だけで仕事をしているので責任ある仕事などできない→できないから任せられない→さらに仕事を任せにくくなる→プロ転職屋自身はその程度の仕事しか仕事だと捉えられない。責任ある立場になったことがない人間は特に要注意だ。個人的には履歴書をみて最低でも過去5年くらいひとつの職場で働いてきた人でない限り、中途採用はしない。無駄に勤務年数だけ経ちスキルはないまま昇級の恩恵に預かり、その年数だけのために妥当ではないほど多額の人権費がかかり、長く働いたわけでもなく退職金だけ享受するプロ転職屋は自営業をしろと思う。そうでもしなければ「自分の働きで金を稼ぐ」ということを学ぶことはできないからだ。
とにかくプロ転職屋には気をつけろ。中途採用を続けるくらいなら新卒を雇ってみっちり教育体制を整えることにコストを割いた方がいい。
プロ転職屋へ。他人が汗を流してくれたおかげで食える飯は美味いか?職場の文句や不平不満ばかり言ってないか?何か責任のある仕事や役職を任せられたことはあるか。ないなら貴方がどんなに職場の待遇に文句を言っても意味がないんだよ。金を貰うに妥当な仕事をしてから文句を言え、それでも状況が変わらないなら転職も止むなしだろう。しかし次の転職先が貴方にとってプラスになるかはわからない。その働き方ではずっとずっと文句を言って石を投げて逃げるだけの生き方を続けていくことになるだろう。
ブルゾンちえみが好きだ。
ようつべで何度も何度も繰り返し見ては大笑いしている。
と言っている。
自分の記憶の中では柳原可奈子がまず思い浮かぶけど、女性だからこそわかる「いるいる!こんな女」という笑いは結構いろんな女性芸人がやっているけど(男性のバカリズムがやっていたネタも大好きです)、ブルゾンちえみも大枠ではその中に入るのかなと勝手に思っている。ただの印象で語っているだけなので詳しい人間違ってたらごめんね。
彼女が受けているのは「キャリアウーマン」という言葉から大衆が想起する漠然としたイメージに、彼女のネタがよく合致しているからだと解釈している。自分は少なくともそういう動機で笑っている。もちろん現実にあそこまで振り切れた人はそんなにいないけれど、一人の女として、自分自身の中にもあの「キャリアウーマン」さんと重なる部分がないとは言えない。「男は手玉に取ってなんぼ」「自分らしく生きる」「周囲に流されない強いアタシ」みたいな、なんかそんなセルフイメージを大切にしたがっている部分。そしてそれを体現した彼女を見てなぜこんなにも笑えてしまうのか、ちょっと考えた。ほんとはわたし、そういうのあんまり好きじゃないんじゃないだろうか。
あの「キャリアウーマン」さんは、女性誌をはじめとする昨今のメディアがガンガン押し出している「あるべき女性像」の権化だ。
正直ね、もうそういうの疲れてるのよね。突っ張って、気合い入れて、周囲の人との関係性を巧みにコントロールしながら生きていくのって、大変なのよ。もっとのんべんだらりと、ときには流されたり、理不尽と戦わずして負けたりしながら、それでもえっちらおっちら、なんとかかんとか生きていくぐらいでもね、もういいんじゃないかと思うのよ。要するにメディアがあの「キャリアウーマン」さんのような女性像をゴリ押しするのは高い服やら化粧品やらをたくさん買ってほしいからだし、それに踊らされることに疲れた女性が彼女の姿に癒しを見いだしているのではなかろうか、と、自分がそうだからみんなそうだとは限らないけれど、そんなふうに思う。
一方で、突っ張って、気合い入れて、まだまだ強い逆風と戦いながら働いている本物のキャリアウーマンに、彼女はどのように映るのだろう、とも思う。
一時期そのような生き方に憧れて頑張ってみた時期もあるけれど、わたしには無理だった。心も体もついてこなかった。
今は家事の傍ら、週2日もしくは3日ぐらいのペースで細々と自営業をしている。
だから、男性と肩を並べて大きな仕事に取り組む女性はすごいと思うし、そういう女性がもっと働きやすい世の中になってほしいと常々思っている。
しかし、あの「キャリアウーマン」さんがネタとして成立するということは、正直まだまだ、真の男女平等には遠い世の中なのかなあ、と思ったりもした。
考えすぎなのだろうか。
ブルゾンちえみが好きだ。
ようつべで何度も何度も繰り返し見ては大笑いしている。
と言っている。
自分の記憶の中では柳原可奈子がまず思い浮かぶけど、女性だからこそわかる「いるいる!こんな女」という笑いは結構いろんな女性芸人がやっているけど(男性のバカリズムがやっていたネタも大好きです)、ブルゾンちえみも大枠ではその中に入るのかなと勝手に思っている。ただの印象で語っているだけなので詳しい人間違ってたらごめんね。
彼女が受けているのは「キャリアウーマン」という言葉から大衆が想起する漠然としたイメージに、彼女のネタがよく合致しているからだと解釈している。自分は少なくともそういう動機で笑っている。もちろん現実にあそこまで振り切れた人はそんなにいないけれど、一人の女として、自分自身の中にもあの「キャリアウーマン」さんと重なる部分がないとは言えない。「男は手玉に取ってなんぼ」「自分らしく生きる」「周囲に流されない強いアタシ」みたいな、なんかそんなセルフイメージを大切にしたがっている部分。そしてそれを体現した彼女を見てなぜこんなにも笑えてしまうのか、ちょっと考えた。ほんとはわたし、そういうのあんまり好きじゃないんじゃないだろうか。あの「キャリアウーマン」さんは、女性誌をはじめとする昨今のメディアがガンガン押し出している「あるべき女性像」の権化だ。
正直ね、もうそういうの疲れてるのよね。突っ張って、気合い入れて、周囲の人との関係性を巧みにコントロールしながら生きていくのって、大変なのよ。もっとのんべんだらりと、ときには流されたり、理不尽と戦わずして負けたりしながら、それでもえっちらおっちら、なんとかかんとか生きていくぐらいでもね、もういいんじゃないかと思うのよ。要するにメディアがあの「キャリアウーマン」さんのような女性像をゴリ押しするのは高い服やら化粧品やらをたくさん買ってほしいからだし、それに踊らされることに疲れた女性が彼女の姿に癒しを見いだしているのではなかろうか、と、自分がそうだからみんなそうだとは限らないけれど、そんなふうに思う。
一方で、突っ張って、気合い入れて、まだまだ強い逆風と戦いながら働いている本物のキャリアウーマンに、彼女はどのように映るのだろう、とも思う。
一時期そのような生き方に憧れて頑張ってみた時期もあるけれど、わたしには無理だった。心も体もついてこなかった。
今は家事の傍ら、週2日もしくは3日ぐらいのペースで細々と自営業をしている。
だから、男性と肩を並べて大きな仕事に取り組む女性はすごいと思うし、そういう女性がもっと働きやすい世の中になってほしいと常々思っている。
しかし、あの「キャリアウーマン」さんがネタとして成立するということは、正直まだまだ、真の男女平等には遠い世の中なのかなあ、と思ったりもした。
考えすぎなのだろうか。
公的なものなら今時はパパ向けに別枠で色々あったりするが、そういうのが無い自治体なのか
(うちの自治体はパパ向け育児イベント(女性は単独参加不可)とか父子家庭相談とか色々やってる)
どちらもPTAとは別に父親会があるし父親だけの懇親会もある(意識高い系イクメンパパ以外に自営業の人も多いらしい)
幼稚園の父親会の会長の人は(専業なのか平日休みの仕事なのか知らんが)毎日迎えに来ていて、他のママ達とも普通に馴染んでた
まして保育園なんてそれ以上に父親参加率高いもんだと思ってたけどなあ
遠足見てても保育園だと引率親の1/3が父親って所も見かけるし(親子遠足は大体他の園と行き先が被る、やる時期が似通ってるから)
そういうのをやりたがらない風潮が強い地域なのかな
それとも男女別枠にされているのが気にいらないのか
でもママの方が圧倒的に多いのは仕方がないし、異性親同士だと園や学校の中だけで浅く付き合う程度なら出来ても
それ以上に親しく付き合う事は出来ない(不倫扱いされるわ)からそこは仕方ないんじゃないかなあ
病院もうちのかかりつけはFQJAPANとか置いてある
パパだけで子供を連れてきているのも見かける(明らかに仕事中抜け出して来ただろ的なスーツの人とかもいる)
つか保育園児なら病院で雑誌なんか見てる暇ないだろ、子供の世話で精一杯
連絡網なんて今時あるの?と思った(うちの辺りは個人情報云々でそんなのないよ)
学校の説明会等々は共働きだろうが皆休んで来てるんだよお前も休めよそれとも先生方に休日出勤しろっつーのかとしか言えないし
(ナチュラルに「自分は働いていて忙しいから他の人が皆自分の予定に合わせるべき」思想の親は
何でお前の休みに合わせて他人が休日出勤しなきゃならんの?って発想がないんだよね
PTAだって働く親がメインでやるなら働く親の都合がいい時間帯に設定出来るんじゃない?
実際は専業ママに押し付けてるのが現状なのに、専業ママの都合がいい時間帯にするな働く親を優先して設定しろ!ってのも図々しいと思う)
先日、独居状態の高齢者である統合失調症の母をついに入院させた。
ここ1年程で近隣とのトラブルが増え、ここ数カ月は週に一度のペースで警察からトラブル報告の電話が来て謝罪に行く日々だった。
そこで「医療保護入院」という形で、本人の了解なしに家族の同意により強制的な入院を行った。
「こんな長い期間なんで放っておいたんだ」「お前の責任でもあるだろう」という声もあるだろうが、
母は兼ねてより気性の激しい性格で、自分の行動が間違っていると思う事がなく、謝罪したことを見たことがない。
興奮すると激しく怒鳴り散らし、強い言葉で他人を攻撃する人であった。
日常的に暴力を振る事はあまりなかったが、私は10歳になるまではかなり厳しく躾をされ、
一時間以上正座状態で延々怒鳴りつけられ、時に激しく叩かれて育った記憶がある。
母は父方が信仰している宗教を激しく嫌っていた。
父が私と弟を連れ、父方の実家や親戚宅に遊びに行く際に、母がついて行くことは殆ど無く、
「もし宗教の勧誘があっても絶対に断れ!」「あれは怖い宗教だ!」と念押しをされていた。
たまに母も父方の実家に来たことがあるが、その際は私も母の影響で、事件が起こることを恐れずっと緊張していた。
夏休みの子どもだけの楽しい父方の親戚宅の滞在は、いつも怖い出来事が起こるのではないかという思いとセットだったが、
母が懸念するような出来事は一度も起きた事が無かった。
そのうち父の浮気を母が疑う様になり、夫婦喧嘩が絶えなくなり、別居となったのが私が10歳の頃
別居寸前の激しい言い争いの末、兄弟二人に「お前らは父と母、どっちに付いて行くのか」と問われた際、
「両親が分かれて暮らすことが嫌だ」と泣きながら主張した事を覚えている。
しかしその頃、私は母の影響を強く受け、父を慕いつつも、母の想像上の悪人である父を恐れていた事もあり、
母方の祖母宅傍に、母と二人で移り住む事となった。そして弟は父に付き、これまでの家に残る事になる。
専業主婦だった母は別居後、販売員の仕事を始め親子二人の生活が数年続いた。
そして事あるごとに父の悪口とありもしない怖さを母から聞かされて育った。
余談だが、私は小学1年生から激しいいじめを受けており、別居で引っ越した後もいじめは続き、当時はかなりつらい人生だった。
ある日、私の学校の開校記念日と、母の休日が重なった日に、思いつきで弟に会いに行こうか?
という話になり、離婚調停の最中に、小学校の校門から出てきた弟をそのまま家に連れてきてしまった事がある。
再開を喜んだ夜になって慌てて父が家にやってきたが、母は玄関の鍵を開ける事なく、父を激しく責め
自分の非は一切認めずそのまま追い返してしまった。結局、その日から狭い借家に母と弟で3人で住むことになり後に離婚が決定する。
中学生の頃、私に激しい反抗期が起こる。これまで母の言いなりであった状態から、徐々に物事を相対的に見れる様に
なってきてから、今までの反動もあり様々な出来事から私は母を強く嫌う様になった。そしてこの感情はいまだに消えることが無い。
対照的に母は会えない期間のあった弟へ強く愛情を注ぐようになる。
私の事には無関心ながらも「高校を出たら最低限の勉強だけして就職して早く家に金を入れる様にしろ。」と言われていた。
しかし弟はスポーツに才能を見出し、なんとか母が体育系の大学に行かせていた。私は母を恨み、弟を羨んでいた。
母が徐々におかしくなっていったのはこの頃だったろうか。
仕事上での人間関係のトラブルの話は祖母としょっちゅうしていたが、相変わらず対立する相手を悪くいう事がほとんどだった。
その内、「誰かと話をしている際に、嫌な同僚が盗み聞きをして事情を知っているのでは?」と言い出し、
次第に「盗聴しているんじゃないか?」と言い始めた。そして話の中で彼女の敵になる人間が徐々に増えて行った。
しかし私は「元々の激しい性格と強い猜疑心が招いたいつもの奴だろう」位にうんざりする程度で聞いており、
しばらくは家族や親族の誰もが病気の可能性であることを疑う事はなかった。
就職してしばらくは生活費を払っていたが、とにかくそんな母と一緒に生活をしたくなかったので、
近所に一人暮らしをする事になった。母は「今の仕事がどうなるかわからないから一人暮らしはしないでくれ」と言っていたが
自分の性格が招いた結果だと思い、無視して家を出た。そして私は実家に生活費を払う事をしなくなった。
近所ではあるが、母と弟と会う事や話すことを極力避けた生活が続く。
母は仕事を辞めパートをするようになった、この頃から私は近所に住んでいた弟や祖母や親戚とも疎遠になる。
しばらくしてカートを引いて歩く母と会う事たまにがあったが、嫌っていたこともあり
あまり会話をすることもなかった。
しかし、あれは確実に症状が進行し言動がおかしくなり、徘徊をする様になった異常な母だった。
私が母の異常性を指摘すると激高して怒り、頑なに否定した。また、私自身も子供の頃からの嫌いな母と向き合う事になり、
落ち着いて説得することができず感情的にしか対応できなかった。
その様な事実に気付きながら、私は再就職先が通勤で遠かった事もあり、実家の傍を離れる事となる。
弟や親戚が母をなんとかしてくれる。自分はあの家族とは関わりたく無い、という思いがあった。
おそらくこの頃の弟の絶望感は想像をするに余りある。体の故障で体育大学を中退した彼は、徐々に壊れて行く母と二人暮らしを続け、
兄や父には頼れない、母の兄弟である親戚の中でも、母は鬼の子の様な扱いだった為か、親戚にも相談できなかったのだろうと思う。
そして次第に彼も家に帰る事を避ける様になったという。 昼夜の境無しに恨み事と自分が狙われている妄想を、
弟が寝ていようがお構いなしに呪詛の様に話し続けるのに耐えられなかったのだろう。
彼は一時はカルト宗教に通った事もあったそうだ。
その頃私は都内の仕事が好調で彼女もできたが、人間関係の立ち回りで失敗し、今思えば鬱の症状を発症し、結果解雇される事になる。
その後も自営業や再就職をするが、運が悪いのか、決定的に欠けた何かがあるのか。最初は順調に勤めても何故か数年すると
上手く行かない状態が何度も続き今に至っている。
幼少期から自己肯定感は低い方だったが、今では自己肯定できる理由がさらに少ない人間になってしまい、死を考える日も増える様になった。
しかしこんな私を慕ってくれるパートナーをこれ以上悲しませたく無いというのが、生きる理由になりつつある。
この頃は母の症状もかなり進行しており、必要のないものを買い込み家が物で溢れ、荒れ放題であった。
何年かすると賃貸住宅を出ないといけない状況が何度か続く、弟に頼まれ引っ越しの手伝いをしたこともあった。
普段弟は殆ど家に寄り付かず、母は近所では有名人であった様だ。
しかし何故か日常生活を一人で行うことには支障がなく、買い物や家事などは全て一人でこなせる状態で、
支給された年金と弟の援助で生活を続けていた。風変りな半独居老人でしかなかった。
徘徊を行い細かなトラブルはあったではあろうが、周囲に大きな迷惑をかけることはなかったらしい。
ただし、自分が襲われ被害に遭う妄想は常にある為、頻繁な110番通報や派出所に入り浸り被害妄想を延々しゃべり続ける事は
しょっちゅうだった様だ。たぶん地域の警察官の中でもやっかいな有名人であったと思う。
その点では心あたりのある警察官の方には大変申し訳なく思ってる。
仕事とはいえ私たち同様、制度の穴で苦労を強いられる人々であることに変わりはない。
バラバラの家族に転機が訪れたのは、今から数年前に弟に彼女が出来た事がきっかけだった。
母の住む家に通える距離にある、彼女の家で生活を始め、近く家庭を持つ事を報告してくれた。
彼女は大きな困難を乗り越え成功を収めた家で育ち、弟にはもったいない程の素敵な相手だった。
そして彼の子どもが授かった事をきっかけに、母を何とかしなければ、という兄弟での協力体制が築かれる事になった。
これより以前に、弟が役所や医師に相談したこともあったそうだが、散々たらい回しにされ出てきた結論は、
本人に自分が病気だという意識(病識)が無いと、精神科への通院もできないし治療もできないとの事だった。
そして母の症状は強い猜疑心が伴う為「薬に毒が混入している」「過去に薬で体をおかしくされている」
という妄想を持っており、通院・投薬が難しい状態だった。
入院させるにも費用が高額な為、ワーキングプア状態では結局どうにもならなく何もできない、という結論に達していたようだ。
私も色々調べたが、実際、統合失調症がある程度進行した状態で、病識は無いが日常生活は可能、しかし治療を拒む状態だと、
いわゆるグレーソーンとなり、周囲の人間にお金が無いとどうにもならない状態だった。
そしてこの結論はここ数年、兄弟二人で対処した際にも全く同じ結論にしかならなかった。
いくつかの精神科を兄弟で相談に回ったが、どこもまず本人を連れてこないと話にならない、という結論だった。
また、症状が出てから経過年数が長く比較的症状が重い為、どこも受診を嫌がる兆候があった。
そこで「健康診断に行こう」と言いつつ近くの総合病院に連れて行き、そこにあった精神科も同時に始めての受診をさせた。
はらはらしながらの受診だったが、精神科医に統合失調症と病名を告げられても理解が出来ていない様子だった。
母無しで医師に相談した際、入院相談等もしたが、否定的な答えしか戻って来ず、投薬しても発症から長期経過している為、
回復はほとんど見込めない旨。どこも満床でベットが空くまで場合によって半年以上待つことになる旨。
入院には大変お金がかかる。月30万位は行く、生活が苦しいと難しいよねという旨を伝えられ。まるで軽くあしらわれているかの様だった。
今ならわかるが、この医師からはケースワーカーの存在を紹介されることもなく、国立や県立病院の可能性を教えてもらう事もなかった。
自分の事を棚に上げてあえて言うが、面倒事を何とか避けようとしかしなった、この医師の仕事に対する姿勢を私はいまだに腹立たしく思っている。
それでもこちらから持ち掛けた話で、弟が与える健康ドリンクに密かに混ぜて飲ませるという事で薬を出してもらった。
薬は数週間飲ませ続ける事が出来た、その期間は明らかに普段と変わった状態になり、何らかの良い作用が出ている様だった。
僅かに希望が見えたが、次第に蓋が空いた状態で渡される健康ドリンクを疑い出した。
飲むと頭がぼーっとしてだるくなると言い、健康ドリンクを飲む事を拒否し始めた、
毎日離れた母の家まで通う弟の負担もあり、 投薬はそこで終了となった。
同時に[精神障害者保健福祉手帳]の取得を検討したが、結論としては現状で必要が無いものであった。
取得しても得られるメリットは通院をすることで受けられる医療費が対象であること。
医療費負担が3割→1割だが、既に母は年金生活者で、医療費1割負担の対象者であること。
今後母がトラブルを起こした際、持っておいた方が無いよりもマシでしょう。
また、通院と同時に市役所への相談で介護申請を行い、定期的に家に来てくれるヘルパーさんと信頼関係を築き、
ゆくゆくは薬を飲ませてもらう事も計画したがこれも実現できなかった。
まず、加齢により体の不調があることも理由に介護申請を行ったが、統合失調症等の精神疾患は介護認定の判定要素に
大きく加味されることが無く、介護度2となった。
ヘルパーさんが定期的に母の自宅に訪れて買い物の連れ添いや、身の回りの世話等をしてくれることになった。
母も最初は喜んでいたが、次第にヘルパーさんが物を盗んでゆくと言い出し、やはり疑う様になった。
そしてヘルパーさんを避ける為か、ヘルパーさんの訪問予定時間に外出することが増えた。
そうなると、介護サービスを受けた事にならなくなる。介護事務所も国にに介護をした事実の申請が出来なくなる為、
実費の人件費が発生するようになる。その費用がは当然私が持つ事になる。(1時間約3000円程度だったろうか?)
そしてヘルパーを家に寄こさないでくれ、と強く言い出し、これも結局お手上げとなった。
結局この時も出てきた結論は、もうちょっと病気が進行しないとどうにもならないね。ということだった。
そして、去年あたりになってから、私の元に警察から頻繁に電話がかかるようになる。
過去にも真面目な新人と思われる警官から、母の妄言を真に受け私の元に安否確認の電話がかかることがあったが、
今回はついに近所の方とトラブルを起こし始めた。アパート近隣の住民に迷惑をかけ遂に警察沙汰となった。
どうも明らかな幻聴が聞こえる様になり、彼女の人生で登場した嫌な奴をののしったり、
幻聴で助けを求める困った人を助けようとしたり、私たち子供の危機を救おうとしたりした結果、大きなトラブルに発展している様だった。
以前より持たせて携帯電話も、しょっちゅう警察に通報したり、私たちに電話をし、
一方的にしゃべり続けたりする大事な必須アイテムだったが、いつしか持ち歩かなくなり、荷物だらけの部屋に紛れてしまった。
近隣のトラブルはついにアパートの不動産屋に伝わり、大家が嫌がり、アパートの契約更新を一方的に拒否され、退去を迫られた。
ヤクザの様な不動産屋に電話口で恫喝され、あなたが面倒を見ないと駄目だろ、引っ越すにしても老人一人を
入れてくれる所なんてどこにもないよ。とまったくもって他人の家庭事情に土足で踏み入る様な事を言われる。
要は親を引き取って面倒を観るなり施設に入れるなりしろ、という訳である。それが出来ればこんな苦労はしていない。
親を引き取って一緒に生活することになったら、私の気が狂うか、母を殺めてしまいかねない。と思ってる。
さらに警察や近隣住民からの電話が続く様になる。その都度、謝罪の電話や訪問に向かう事が短い期間に連続するようになった。
これまで半世紀近く、おそらく二番目に被害を受けた人間が、その加害者のしでかした事の為に謝罪に回るという罰ゲームである。
しかし、このトラブルの増加あたりから、状況は徐々に好転を見せ始める。
トラブル頻発の経緯からか、独居老人を見て回ってくれる地域の高齢者支援センターの方がたまに母の様子を見てくれていたそうなのだ。
この頃になると母の症状もだいぶ進み、自分の事を自分ですることが出来なくなりつつあり、言動が破たんしている頻度や時間も
長くなってきた。支援センターの方は、そんな母を外部に連れ出し入浴をさせてくれたり、
家の手伝いや話相手になってくれることがあったそうだ。
長く孤独だった母に対し、支援センターの方が母との信頼関係を築いてくれた。
母が病気になってから知り合った人間の名前を覚えて良い人物として会話に登場することになった。
そこに私も同行し、その流れで精神科のクリニック紹介してもらい、再度精神科の受診させることもできた。
しかし、入院施設もなく、通院投薬が前提のクリニックで紹介された入院施設のある病院は、
かつて散々嫌な思いをした地元の総合病院だった。ウェブサイトで調べた所、当時の担当医師は既にいなかったが、
入院をさせても高額になり、治療をするにも、これまでと同じ結論にたどり着くのは明らかだった。
でも、これ以上トラブルを抱えた状態ではどうにもならない、そこでセンター長さんは老人ホームへのショートステイを提案してくれた。
何度かショートステイを行って次第に慣れてもらい将来的にはそこで生活を、というニュアンスだったと思う。
まず2泊3日で滞在させることになった。滞在時には私も同行し、旅行にでも来たと思って楽しんでくれと言って置いていった。
けっこう喜んでいた様子だったが、結局、最後は自ら老人ホームを抜け出そうとしたそうだ。
怖い何かがいてここにはいられないとの事。母は予定滞在期間より少し早く、自宅に送り戻された。
老人ホームの事も調べた。経済的には何とかなる様になっているが、それにはアパートを引き払い、完全にホームで暮らすことが前提になる。
しかしホームでは看護サービスは受けられるものの、やはり薬を強制的に飲ませる事は出来ないそうだ。
また、本人の意思を尊重することが前提なので、無理矢理家に帰ろうとする母を拘束することはできない。
また周囲とトラブルを起こした際はやはり退去を求められる可能性がある為、現状での長期滞在は難しいという結論だった。
ここで進退窮まった。引っ越しは迫られる、トラブルは頻発する、治療には金がかかる。同居は実質不可能。
しかし殺人の容疑者比率で最も多いのは家族や近親者という事を知って、実現不可能であることを認識した。
こうなったら、母と絶縁状態の親戚を頼りにするしかない。という事になり、自らの恥を含め事情を話し、
その際、医療関連の仕事をかつてしていた母の弟にあたる叔父から、
県立の精神病院の存在を教えてもらう。あそこなら比較的安くすむかもしれない。ということだった。
アパートの引っ越し先を何とか見つけ、ゴミ屋敷の引っ越しを済ませ、恫喝をされた不動産にアパートの引き渡しを済ませた。
殴りたかったし文句の一つも言いたかったが、こちらは加害者なので、なにも言える状況ではなかった。
翌日、筋肉痛で疲労困憊の状態で県立の精神病院に電話をかけた。
事情を話し、入院費について尋ねると、これまで問い合わせた病院のどこよりも費用が安く入院できるとのことだった。
状況で費用も変わるが、約8万程度だという。さらにこれまで受診した病院と連絡を取ってもらい、事情を把握してもらった。
そして遅くとも2週間位で入院ができるとの事だった。
電話した日の夕方、再び病院から電話があり、明日の入院がキャンセルになった関係で、
母を連れてくれば、明日そのまま入院できる。と連絡があったのが、つい一昨日の事だ。
正直、すこし拍子抜けをした、これまでの苦労は何だったのかと。
最初に誰かが県立の精神病院の存在や制度や費用についてしっかり教えてくれれば、自分自身できちんと全て調べていれば、
こんな苦労はしなかった。私自身、最初は問題から逃げようとしていたし、問題に向き合ってからも苦労の方向性が
間違っている事に気付けなかった、しかし、役所、介護、福祉、医療、警察、の現場であった人も親類も、
これまで誰もそのアドバイスをくれなかった。いや、耳を傾けようとしなかった部分も多分にあるだろう。
正直、母の病気は隠したい恥という部分もあり、これまで親しい関係の人にしか、打ち明けた事が無かったが、
自分の不甲斐なさと共に、制度の穴に対しても恨み言の一つは言いたいと思ってこれを書いている。
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あと少しだけ以下に続きます。
ブログには書けないけど、どうしても吐き出したくなったのでこっちに投稿する。
実家に帰ったとき、父が母に「時々自殺したいと思うことがある」と話しているのを偶然聞いてしまった。
死にたいと言ってる奴は死なないというし、それほど切羽詰まった感じではなかったので父も本当に死ぬつもりはないのだろうけど、それを耳にしたときはとてもショックだった。
夜寝れないと言っていた。
毎日のように夢でうなされているようで、寝言で大声を出しているのが別室で寝ている私にもわかった。
父が追い詰められているのは病気のこともそうだけど、経済的なことが大きいのだと思う。
家にはお金がない。
父は自営業で母はその手伝い。
家のローンもまだ残っているし、じきに要介護になるであろう祖父がいる。
私は父をどこかで嫌っている。
今まで育ててくれたことには感謝しているし、仕事をがんばってきたことは尊意している。
しかし、父は人の親になるには向いていない人間だと思うし、なぜ母が父と結婚して何人も子供を作ったのかわからない。
父は母より一回り以上年上で、典型的な田舎の長男気質の持ち主だ。
家族で外出するのも嫌がる。
母によると、父は家族のことに一生懸命になるのは恥ずかしいことだと思っているそうだ。
それでも子供のことは好きらしい(本当か?)。
父は結婚が遅かったため、長子の私でさえ父が40過ぎてからの子だ。
小さいころは父が高齢なことが恥ずかしかった。私がそうなのだから一番下の兄弟は尚更だろう。
家にお金がないからか、大学に通っている私の前で、ほかの兄弟に対して「大学になんか行くな」と言っていた。
だから私はたいして頭もよくないのに自分だけ大学に進学したことに罪悪感を持っている。
私が高卒で地元に就職していたら、もっと暮らしは楽だったろう。
http://anond.hatelabo.jp/20170201120618
http://anond.hatelabo.jp/20170202032911
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年齢は38ぐらいなはず。(自分が小学校2年のころ6年生だった)
元々は名古屋でと産業用機器の中核ソフトウエアを開発するエンジニアをやっていたらしいが、ある日母親が脳卒中で倒れ、少しの間は親父さんが介護していたらしいのだがその親父さんも介護疲れか調子が悪くなったとか、東日本大震災をみて思うところがあったとかで、親の介護のために田舎に帰ってきた。仕事は手を切らず元の会社とは契約社員という形でリモートワークで仕事も一緒に持って来た。
それがたぶんちょうど6年ぐらい前の話。
その後、請負開発を法人化、人も常勤で1人雇って、リモートワークで何人か抱えて、自営業の社長となっている。年収は聞いたことがないのだが、税金や介護費の自己負担金額が話題になることがあって、、その話から逆算すると、各種控除が済んだ後の住民税計算根拠になる課税対象が800万円以上はあるはず。すると額面で一千万ぐらいじゃないかと思う。
それがきちゃった結婚した。
普段の見かけは俺と同じただのキモデブクソアニオタなのに。なぜメガネっ娘美人と知り合えたのか。爆発しろ
今は2児の父。
なお本件はフェイクは混ぜていない。キーワードでググるとどや顔で写っているインタビューすら発掘されるはずだ。
奴は俺の事をはてなーだと気付いてないはずだが、奴はブログもやっているガチのはてなーである。 末永く爆発しろよばーか 参考になる人がいるはずだからこれをみても笑って許してください。
土地は元々たっていた庭付きの家を取り壊して、介護対応住宅を建てた。
一階は参考にと隅々まで見せてもらったが、2階は彼の部屋しか入った事が無い。一階は5部屋あった。外観から見て総二階なので下手すると9LDKとかになる。
介護対応の専用トイレがついためっちゃ日当たりのいい両親の部屋と、それに続くリハビリルーム。車いすOKどころか、歩く人と車いすが軽くすれ違える広くまっすぐな廊下。施設か。人が乗っても楽勝の手すり。施設かよ。車いすで入ってその場で転回できる、俺の部屋より広い巨大なトイレ。施設なの?施設で風呂入れてもらってんのに何故か無駄にでかい風呂。エロゲかよ。
ヒートショック防止だそうで全館冷暖房。エレベーターは当然、両親の部屋は自動ドアワロタ。一般住宅でナースコールが設置されているの初めて見た。
当然彼の部屋には作り付けの本棚が壁一面にあって、本にアニメにフィギュアが並ぶという、オタクの夢過ぎる。
これでいくらかと聞いたら建具家具家電まで入れて4000万円だそうだ。土地は入っていないが、5LDKの土地建物で1700万円ぐらいから分譲住宅があるような土地なのでそれを入れても5000万にはならんのじゃないのか。
これ以外に、近くの酒屋跡を買い取って社屋としている。悔しいのでいくらで買ったは聞いていない。確かに仕事用の部屋があるが、オタグッズがつまっている部屋があることを知っている。
ただ上記の通り、住民税課税の基準になる世帯年収は800万以上あるのは確かである。
行ったと言う話は聞いたことがない。
子どもが小さく介護もあるダブルケア状態のため、家族旅行という訳にはいかないらしい。
ただし、「相方と知り合ったのはfripSideコンサート」という、酒が入ると何度もしてくるクソのろけから分かるように、その手のイベントにはよく言っていて自慢される。
今度合ったら先日のアイマスのコンサートの話をされることだろう。世の中の不公平さにくらくらする。許せない。革命しかない。富の再配分としてお土産くれたら許す。
当然自動車がないと暮らしていけない土地。軽自動車2台(ホンダのN-BOXと最近買ったオレンジ色のスズキハスラー)とプリウス。ただしプリウスは社用車らしい。
しかしどうみても私用で使いまくっている。脱税である。しかし、N-BOXは車いす仕様車であり、自分も貸してもらったりしているため許す。
レストランとかに食事に行っているのかなどはしらないしが、いつも自分と飲むときはそれほど高い店を使わないのでそこに拘りはないと思う。もしここでそこはお前のレベルに合わせてるんだろ等と言う根拠がない誹謗中傷をする奴がいたら訴訟も辞さない。
服とかは基本しまむら。しまむらの良い所は介護用の前開き下着などがちゃんとしまむら標準レートの割引価格で販売されているところだよね、と言うところで奥さんと情報交換した。
ただし奴の部屋にも仕事部屋にも社屋の二階にも大量にアニメグッズが置いてあり、相当金を使っている物と思われる。業者か。
ある等身大フィギュアはコイツが一体持っています。 めぐみがヤフオクでたたき売られているのをみて忍びなかった 、マンマシンインターフェイスを客観的に検証・研究するために購入した等と意味の分からない供述をしており、動機は不明。
貯金はあるかはしらないが、ないに違いない。
年収1千万あれば田舎では確かに土地が高い都会では考えられないような豪邸がたち、趣味も充実し、美人の奥さんと知り合うことが出来、贅沢ができるように見えるが、こんな生活がいつまでも続くわけがないのであいつはいつか滅ぶ。
彼と再会したのは、自分が小さい頃、地域の寄り合いで中が良かった自分の母親と彼の母親が同じデイケアセンタで再会し、再び仲良くさせてもらったところになる。
そこで、自分の母親を気分転換にどこかに連れて行ってやりたいと思っていたが俺には介護が必要な母親を乗せられる車がなく、N-BOXの車いす仕様車を貸してもらったことがきっかけで仲良くさせてもらっている。彼のN-BOXは自分以外にも貸してもらっている人は多い。田舎のレンタカー屋には福祉自動車はない。その他のいろいろも、正直、尊敬している。
一方の俺だが(フェイクを混ぜているので、あ、あいつのことだ、などと心当たりがあってもそれは間違いである)、年収は額面で280万円。家は親の持ち家で築30年(ただし改装はした。400万ちょいかかったが親父の蓄えで賄った)
一度外に出たが母親が倒れ、親父だけでは介護は無理だと判断して退職し帰郷した。帰郷前はもう少し年収はあった。
ただし、世帯収入としては両親の年金があり、これを介護のために使っているので、収入は苦しくない…といえば嘘になるが、言うほどではない。
貯金も自分だけで年収の2倍を目安に貯めてある他、積立型の民間年金保険にも入っている。
贅沢な生活は出来ないかもしれないけど、選ぶものを選べば苦しいと感じたことは一度もない。
人を呼ぶと家に物が少ないと驚かれることはある。でもミニマリストではない。
では何が違うかというと、それは選択肢だと思う。
恐らく年収280万の俺の場合、新たに家を建てると言う選択肢はなく(必要ないのもあるが)、両親の家を使うことになる。(介護用の住宅改修と一緒に耐震補強はした)介護費用を冷静に考えると、この分がもしなければ、当地では十分に結婚して子育てできるだけの費用は捻出できるだろう。職業の選択しも広がるし。
しかし、例えば目黒に家を建てるのがいいのか、埼玉に分譲マンションを買うのがいいのか、はては田舎に巨大な家を建てて親孝行するか、子どもは私立に入れるのか公立がいいのか、といった選べる余地はない。この年収では東京では暮らすことすらままならないのではないか。
さらに元となったフィナンシャルプランナーの話も混ぜて、そういう多様な選択のなかで、理想的にぶち上げられているいいとこ取り(都心に持ち家を持ちながら、田舎の豪邸のような暮らしをするのは無理だ)はできないと言う点で、それぞれ一貫しているのではないか。
正直、俺から見るとどいつもこいつも贅沢な悩みしやがってと言う気がしている。金持ちには金持ちの理屈があるのだと思うが、そうやって選べることそのものが幸せだということも覚えておいて欲しい。
とは言っても、別に選べなくても今にそれなりに満足している人はいるだろうから、それをどっちがいいだの、資産価値が下がるからお前はアホだのいうのはやめよう。
つまり、どっちがいいとかわるいとか不毛な話ではなく、選択としてみんな自分の事情を増田に書こうぜ。それをみんなで批判するんじゃなくて、はーなるほどと呼んで、自分の生活に生かそうぜ。
結論から話すと、自分を取り巻く環境は以前からあまり変わっていない。
提示してくれたプランのほとんどは実現できなかった。定時制には通っていないし、資格取得のための勉強もしていないし、相談できるような相手もおらず、労働プランも、自営業を営む両親を手伝って賃金をもらうことはあれど、自宅から飛び出し労働するのは今の自分には難しい。
一つ目は、精神科に通い始めたこと。
社交不安障害との診断名を貰い、軽い抗うつ剤と、不安を鎮める薬を処方してもらった。この薬が良く効き、精神状態ははるかに良くなり、他人との軽い会話くらいならできるようになった。
二つ目は、大検取得に向けて、投げ出していた高校の勉強に再び取り組み始めたこと。
在学中に目指していた大学に合格するというのは、今の自分にとってはとてつもなくハードルの高いものかもしれないが、それでも目指すことには大きな意義があるし、たとえ途中で諦めてしまったとしても、きっとそれは将来役に立つと思っている。
現在は数学II・Bを学んでいるところだ。将来はエンジニアとして働きたいと思っているので、数学はきっと頼りになるだろう。
そして三つ目は、自分や世の中に対する考え方が変わり始めたこと。
以前は、正直、不登校の人を心底見下していた。ああいう人間は、社会に適合できない人間で、将来性もなく、運悪く生まれてしまった出来損ないの人間なのだと思っていた。
だが、そのうち自分は不登校になった。他人に向けていた悪意が、すべて自分に跳ね返ってきた。自分は価値がなく、出来損ないの人間なのだと思って、ずっと苦しんでいた。
でも、2年という長い時間と、薬と、なによりも他人からの励ましが、少しずつ心の傷を癒してくれた。
今なら、俺のような人間にも生きる場所はきっとあるのだと思えるし、将来もそれなりに上手くいくのではないかという気もしている。
上手く言えないけど、増田の文章も何度も読み返して、何度も勇気づけられた。
書いてくれてありがとう。
寝室に1時間もいると、妙に眠くなる。
もともと、2歳娘がスヤスヤと寝付いてくれることを期待して、
妻が寝室の蛍光灯を「昼白色(あれ、昼光色だっけ?)」から「電球色」に替えたのが2日前。
その日から、娘を寝かせる前に絵本の読み聞かせなどをしているうちに、
なぜか私が眠くなってきて、娘と一緒にバタンと寝てしまう、というのが2日続いた。
ちなみに、パソコンを極度に使う自営業なので、普段は夜に仕事をしている。
なので、眠たくなってもらいたくないのに眠くなるのは困る。
なかなか眠れない。
眠りが浅くて夜中に目が覚める。
といった人には、2~3000円程度出費をして「電球色の蛍光灯orLED」に替えてみることを提案したい。
騙されたと思ってやってみろといいたい。
※実際、騙されただけになるかもしれないが責任は負わない。
月~水で木金までの仕事を上げたけど死ぬかと思った。何とかなったのは運だ。
自営業だから誰かに頼むとかできないし、仕事は常に前倒しで進めるか、余力を持って入れるべきだなーと痛感したよ。
危篤の連絡があった時、夫に相談の電話やメールをしたけれど繋がらず。
危篤の連絡があった時、「何で今日なのか!やっと予定掴んで、確実に証拠撮れるであろう今日なのか」と思ってしまった。動転して準備して、家を出て最寄り駅に着くまで迷っていた。
今夫に連絡したら、浮気の予定を止めてしまうかもと…夫は最低だが私も最低だ。
でも結局、浮気の証拠と祖父を天秤にかけるのは人としてダメだと思い夫に危篤の旨連絡した。
祖父は結局間に合わないということで、東京駅から引き返して家に戻り徹夜で仕事を終わらせて何とか通夜に間に合い、一通り終わって今に至る。
久々に地元に来て、家族も義理の両親も優しくて癒される。(義理両親は葬儀に来てくれた)
優しくないのは夫だけだな。悲しい。
とりあえず、これでやっと夫と話し合えるのが嬉しい。
もう危ないと連絡を受けて、速攻戻れば間に合ったが打ち合わせがあって無理だった。
今夜も、明日の仕事が何とかできれば終電で行ったがそれも無理。
おじいちゃん、お母さんごめん。。
とりあえず義理の父に連絡したら、すごく悲しんでくれて、気を落とさないでと励ましてくれた。
こんな急な連絡になってしまったことを、多少でも言われると思ったのに全然。本当に優しい。
それを聞いて泣けてきた。
一人のときは今夜中に仕事終わらす!と意気込む気持ちと、こんなときも仕事か、心が死んでるのか?と自分を蔑む気持ちで悲しさはなかったんだけど。
私は自分にも人にも優しくできないから、いつかそう人に優しい気持ちで接することができたらいい。
悲しいな。
でも母はもっと悲しいだろうな。
いやだから抽象的にでもどんな事実があるのかと。根拠云々以前に判断基準ってものがあるでしょ。
いやだから抽象的な判断で事実はないだろアホか。世間一般の基準で見て抽象的にマイナスだということを述べた上でその要因を考察してるわけでしょ。
30代・40代がマイナス評価で20代以下と50代以上をプラス評価しているとするならば、その評価点は何なのか。
「Aがマイナスだ」という命題を述べると「A以外はプラス」だという命題を帰結できるとかちょっとオツムが足りてない人だと確信されてしまうからやめておこうな。
自営業は比較的早くに影響があったけど、バブル崩壊当時ってそんなに大事になると思われてなかったんだよ。あくまで一時的な不況で、まあ3-4年で日本経済にももう一度波がくるだろうと楽観視されてたので、サラリーマンの給与についてはしばらくの間手を付けられていなかった。そこからの日本の歴史を知っている感覚で過去を振りかえると、バブル崩壊の瞬間に何もかも変わったように思えるかもしれないけど、俺の記憶ではかなりの間、楽観視して、ぼやぼやして何も手を打たずに数年放置されてたの。少なくとも、バブル崩壊が直接的に生活に影響を与えるまでにはタイムラグがあった。投資のレベルではバブル崩壊時からマイナス局面に入っているけど、生活のレベルとしては消費者物価指数でデフレになった1998年くらいからが、自分の感覚としてもバブル崩壊のヤバさが生活に出てきてた感じ。
98年デフレや指標の悪化は消費税でますます悪化させたというだけでしょ
そもそも株価の暴落自体は89年をピークに90年にかけて一気に起こってる
実際そう思う。
ここで云うのは、本物の富裕層と、現代の価値観にして庶民ではないケース、つまり仮にほんとに違うとしても傍証が多いケースとを合わせた数字で、私が学生時代に見聞きした実感として、それくらいあると思う。
まずこれは百パー富裕層だなと思ったのは、見るからに不良出身の自営業で、既に家を持っている。車も普段通る車とは違う。中年にしては若い方だが、ただ危ない人のようには見えなかった。
引っ越しのために転向しようとした富裕層の家庭の高校生が、その代償に問題児から別の校則違反を着せられたケースもあった。しかも学校もそのことを把握しているようだった。彼は最初否認したが、学校は、これを引き受けなければ過去に見逃してやった不良行為を蒸し返すぞと彼を脅したそうだ。彼はやってない罰を引き受けて、高校を去った。
こういった話をした事がないのでこのやり取りだけで本当に励みになります。
まずは自分の方向性を決めて、それに関する成果物を作ってみます。
自営業が茨の道、というのはネットでの見聞しかないので本当の実感はありませんが、こうして会社に文句言うくらいなら自立して腹から血を流す方がよっぽど打ち込めるかと思ったので。
今私が参画している案件に関しては、単価交渉や人員調整など営業担当もしており、
ただすべて見様見真似でやっていて法律などについては契約に関わる最低限の部分以外全く知らないので、後学のためにそういったところもあわせて学習してみます。
が、まずは成果物ですね..!
増田は初めて書く。
だらだらと書くがご了承いただきたい。
研修の内容はOSI参照モデルの説明をせよといったものであった。
研修もそこそこの状態での出向はとても不安だったが、当時はそういうものかと覚悟を決めていた。
打ち合わせで飛び交う単語の意味がまったくわからないが、知らないとは言えず、また近くに聞ける上司がいないので笑顔で流し(時にはなじられ)ながら毎日e-wordsなどにかじりついて付け焼き刃的に調べた。
そうして雑用的なプロジェクトにいくつか参画した後、企業のシステム運用チームの常駐案件に参画し数年間従事した。
超過時間が多く当時はコアタイムが終わるたびにそれなりの達成感を感じていたが、これといったスキルは身についてはいない。
この時点で5年以上が経過していた。
その後次のプロジェクトへ、といった話が出た時に自身のスキルシートを更新し上司と営業へ出したところ、「これじゃ弱い」という事で経歴がサーバ運用からサーバ設計+構築経験などの技能に書き換えられた。
「業務内容の復習のために自宅で環境を構築した事はあるが、業務レベルでの設計や構築に関してはアーキテクチャを理解できていないので経験があるとは言えない」と言った。
返答は「まずは案件に入ってそこの現場で学習すれば問題ない。あとは君の努力次第だ」だった。
次の案件は今までと毛色の違う、とあるパッケージ製品の提案+製品をのせるサーバ導入+コーディング作業の案件であった。
理由はコーディングが全くできず、習熟の見込みも薄いためとの事だった。
何とかしなければと思い家で調べたりはしたが、付け焼き刃の知識では役に立たずタスクを振られる度に頭が真っ白になりコーディングの進捗はあげられなかった。
そもそも即戦力として求められていたので経験もなく自社のバックアップもない状態では当然の結果だ、と思いたい。
落ち込んだが、次に活かそうと踏ん張った。
その後またいくつかの雑用的な案件に参画し、現在とある基幹システムの設計、構築業務の二次請けとして従事している。
入る前は設計業務の補助という事であったが、実際は設計業務は丸投げに近い状態で担当者は体制図上に記載は無いが実質私になっている。
プレッシャーでずっと胃を掴まれている様な感覚を常に感じている。
前システムの設計書のフォーマットから見様見真似で書き出し、レビュー依頼を出し、日程調整をしても、当日になると何かしら用事ができた、との事で参加者0という事が多々あった。
※その用事は早退して飲みに行くという人がいた事も人伝いに知った
今まで受け身に仕事をしていたので自業自得なところもあるだろうが、
もうクライアントの顔色を伺い、ごまかし、仕事を続ける事が本当に嫌になってしまった。
今まで勉強会やイベントに出てみようかと思ったこともあるが、「知らない」と相手に伝わる事に恐怖を感じてしまい、出たことがない。
また、そもそも最低限のLinux/Dos コマンドが使えるだけでプログラミングができる、とかサーバサイドの設計ができるわけでもないので話にほとんどついていけない。
転職した当初はPCを組んだり、Linuxをインストールしたりする事にとても感動し、ウキウキしていたが、
業務ではとにかく否定や罵倒されることが多かったので、今はその手の話をする事によって自身の無知を知られる事が恐怖になってしまっている。
また、毎日の生活が本当にギリギリで、家事や子育て後に勉強しようにも気持ちが切り替わらない。
転職しか選択肢は無いが、はてなの技術系のホッテントリを見るたびに自身のスキルの無さに打ちのめされる。
打ちのめされている場合ではないが、どう動いて良いのかわからない。
まずはこの胸のつっかえをどうにかせねば。
取り留めないですが以上です。
失礼しました。
ニートってのは学校にも働きにも職業訓練にも言ってない若年層のことを指す言葉なんだよ。
最近これを無視して「バイトしてない学生だと、すわニートだ」「お前の仕事は俺様的に気に食わない。よってニートだ」「年金だけで生活している老人だと、ニートだ」などと実際にはニートに当たらない人をしつこくニート扱いしている人が多いように感じるが、ちょっとググってニートの定義を調べることも出来ないのだろうか。
また、労働の形態が「模範的」とやらでないと行けないなどということはない。
別に「ホワイトカラー勤務」でなくても就労しているとみなされ得るということを知らないのだろうか。
「雇用されるという形の労働」でなくても就労しているとみなされ得るということを知らないのだろうか。
自営業やフリーランス、ブルーカラー被雇用者だってきちんと働いている。それはそこまで知られていないことなのか?
ネット上だけのはなしかとおもったら、リアルでもそういうことを言ってくる人がいるのにはさらに驚きである。
ちょっと性格に問題ある感じの知り合いが、ここ一年ぐらいひたすら普通に働いている人をこじつけでニート呼ばわりすることに執心していて非常にうんざりしている。