はてなキーワード: 新天地とは
いや無課金で楽しみたいなら他にもっと金のかからずに面白いサービスや趣味沢山あるでしょ
なんか自分が貧困である現実から目をそらして勝手に妥協ポイントとして無課金縛りしているのを
そこは変にカッコつけずに金持ってないから無課金で遊んでる、これでいいじゃないの?
課金要素が遊びの中の1つとして組み込まれているシステムなら自分の可能な範囲で
無理のない課金をすることが最善の楽しみ方だろう
それはもう他の課金要素のないゲームか定額制のもので遊んだほうが有意義な時間を過ごせるだろう
というか無課金でできることなんて課金前提のゲームにそんなにないから遊び尽くすと言うほどでもない時間で飽きるだろ
マジで課金全くするつもりもないのに始めるのは時間の無駄としか言いようがない
何かを育てる楽しさなら圧倒的に植木鉢の世界の方が楽しいし多様性に富んでいる
無課金にすることで生じているコスパの悪さを自覚せずに無課金が最強みたいな言い方を
マジョリティの貧乏人同士で認め合ったってつまらないモードで慰め合ってるに過ぎない
新天地に旅立つわけでも金をより多く稼ぐわけでもなく
生産性も発想の転換もない「悟り」を見せつけられるとこっちのココロが痛々しくなる
そのマイナスを返してくれるのだろうか?いや、ない
「ネチケット」などと散々大人たちに講釈たれられていた時代に2chを知り
その無法地帯かつユートピアが居心地良くなるくらいには入り浸っていた青の時代。
2chがメジャーになるに連れ、アングラ感を無くしていき「ここはなにか違う」感を強く受けるようになり、
ようやく一般化したネットを踏破すべく意欲的に新天地探しに渡り歩きだしたバラ色の時代。
SNSが一般化し子供から大人までネットにつなかることを否定しない世の中が来て、
自分もその一員であろうとするものの、今ひとつ踏み出せずシュールな発言でお茶を濁す。
twitterアカウントを幾つか運営するにとどまる煮え切らない超現実主義の時代。
ふとした不用意な発言と、添付した画像のEXIFから炎上芸を披露し、あと一歩のところで現実にまで
延焼しそこねそうになるも、ギリギリ回避でき命からがら逃げ延びることに成功したゲルニカの時代。
そして、安住の地を求めた結果、気がつくと益田がそこに居た。
幾度も立ち去ろうとする自分を止めたのは枡田だった。
諦めの境地から救い諭してくれたのも桝田だった。
気が付くと増田になっていた。
怨讐星域を読んだ。一巻を読み終わった時、一巻から三巻までの帯についてる煽りは嘘じゃないのかもしれないと思ったけど、結局尻すぼみな読後感になってしまった。残念。
なんだか似たような恋愛話が多かった気がした。宇宙船でのお見合いシステムも、なんで男性がアクセスして相手を見つける話ばかりだったのだろう。逆があっても良かったはずだし、女性が主人公になる話があっても良かった。もちろん結末はいろいろだったけど、過程が似たり寄ったりでちょっとうんざりさせられた。
また年代記の体裁をした短編集になってるのに、ひとつひとつのエピソードに重みがないのがもったいなかった。もっとこう後世に残る大発明とか、大きな障害を克服したとか、些細な行いが禍根を残してしまったとか、重大なエピソードに焦点を当てればいいのに。改めてあらすじを眺めてみるとそうじゃないことがわかるんだけど、読んでいる最中は余分な話があるなって感想を持ってしまった。たぶん構造が悪いんだと思う。
一巻は素晴らしかった。新天地での人類と生物との戦いや別コミュニティとの交流なんかはわくわくした。サラマンダー殲滅でもそうだったけど、梶尾真治が生み出す生物は特殊でグロテスクで面白い。スナークとの格闘や百年蟬とブッシュ・バードの話なんかすごく面白かった。
終末期の地球の話は一巻の中で異彩を放っていたと思う。ハッピーエンドっていう話は主要な内容もさることながら、とある高校生が家族と一緒に暮らしていることに衝撃を受けた。もうすぐ地球は滅びるのに、脱出する選択肢も提示されていたはずなのに、地球崩壊を信じない父親の影響を受けてか新天地に移動しなかったことを思うと、自由選択の切なさというかもどかしさを感じないわけにはいかなかった。そりゃあ最終的に決定したのは本人なんだろうけど、それでいいのかってどうしても思う。終わり方も切なかったので終末モノが好きな人には読んでもらいたい内容だった。
ノアズ・アークの船員たちの心情も良かった。地球の人々に内緒で宇宙船で脱出することを選んだ大統領の苦悩とか、人生が宇宙船の中だけで終わってしまう人々の無常観とかが胸に迫った。コミカルな内容もある宇宙船の話だけど、いつもどこかに物悲しさがつきまとっていた気がする。
二巻にも好きな話がままある。ノアズ・アークの怪物は結末がギャグだし、アダムズ小屋の話はモンスターパニックになっている。深遠の選択で描かれているジレンマもよかった。
三巻になると、復讐とか戦争とかそういう話になっていくから話が重くなる。戦中の情報統制とか教育方針とか、そういうものに抗う話じゃなくて浸透していく話になるから読んでて辛かった。また結末のカタルシスも微妙。予想出来た終わり方なのは致し方無いとしても、もうちょっとドラマチックに心情を追って欲しかった。
このシリーズ、せっかくなら一巻は地球に残された人々を主に描いて、二巻は約束の地に先回りした人々の歩みだけでまとめて、三巻での宇宙船で旅だった人々の真意を重点に書いたら良かったんじゃないかな。単純に年代順に物語を並べたゆえの弊害が出てしまったように思う。読みやすくはあったんだけど。
インターネットはその性質上、全宇宙のデータ化を目的とする。人体やその内面も例外ではない。
いずれインターネットは脳の中に入り、就寝中の夢をストリーミングしたり、思考のいちいちに他人がクソリプを投げてきたり、幼少期に身に覚えのないヴェルタースを貰った思い出が書き加えられるようになる。そのときに、固有の脳の生理活動を「自分の領域」として保護するための権利意識の醸成が必要不可欠である。もしこれに失敗したら、未だ解明されていない自我そのものの存在が多数の典型的クソリプによって疑義を呈され、なし崩し的に政府による思考情報の自由な読み取りを可能にする法案が衆院を通過してしまうだろう。
また他の心配事として、ネットに魂を移住させて肉体運用のコストを無くすという名目での自殺が横行しする可能性があり、それを止める方便としても自分権が不可欠である。この権利の領域を魂と定義すれば、脳から意識を切り離してアップロードさせるなどという愚考はただの殺人だと説明が付くだろう。問題は、すでにこのようなことを考え、実行するのに何ら疑問を持たない輩がいるということだ。すなわち「現実と故郷の区別が付かない人」の事である。彼らは、ネットに魂を捧げてオトカドールになることは、コントローラを操作する側の世界で生きることと何ら変わりは無いと断言する。彼らが区別が付いていないのは現実とPCの中の世界ではなく、死体と生きた肉体が等価だとする錯誤である。しかし、彼らとの対話においてもはや「肉体」「生物」「社会」という単語自体が彼ら独自の「区別の無い価値」によって書き換えられているので、会話を交わす事自体が相互不信を深める以外の成果をもたらさないという事になってしまっている。近いうちに素粒子サーバー内に作られた広大な公営住宅内に貧困者を移住させる政府の計画が始まりかけている。それは真に大きな過ちであり、失われた生命(この言葉さえも、もう)の取り返しの付かなさとともに、新天地に立った彼らを待ち構えているのは文字通りの「レトロウイルス」、つまり古参の電子の民との闘争の口火に立ち会うことになる。
約束の方舟を読んだ。出会いと別れは少年も少女も、アンドロイドも宇宙人だって変化させるものなんだなって思った。
エピローグが物悲しかった。さくらさんはどうしてるんだろう。スイレンは結婚できたのだろうか。魅力的な女性陣に囲まれて、ケンゴは新天地にてどのような生活を送ったのだろう。
きっと過酷ながらもみんなが一致団結して頑張ったに違いない。多少なりとも衝突が起こったとしても、方舟での出来事を思い出して、力強く生きていたんだと思う。
ただ、ただ本当に、残された機械について思いを巡らせると、エピローグがしんみりする。天冥の標のカヨなんかもそうだけど、長過ぎる命とか長すぎる精神って必然的に別れが多くなるから寂しくなる。
人工生命体の幸せって何なんだろう。あなたのための物語とかグラン・ヴァカンスとかスワロウテイルとか内なる宇宙もそうなのかな、いろいろ描かれてるけど、いつ読んでもどんな描かれ方をしても好きだなあ。人間じゃないものの幸せや存在って、どうしてこんなに魅力的なんだろう。社会から理解されないからかしら。悲劇性が全面に押し出されやすいからかしら。きらいじゃないなあ。
自宅にインターネットを引かないといけない。さもなければ、私は電子の世界から栄養を受け取れない。
そこで、洗濯機を買うついでに、Y電気でソフトバンク光を申し込んだ。
ソフトバンク光はいまいち評判が悪いと聞いていたけど、Y電気は他のプロパイダ(今はそう言わないそうですな)を扱っていないという。
だから半分は諦めて、残りの半分は、まあ最終的にはどこでも同じでしょうという楽観から。
その時に、工事の予定日を選んだんだ。
ソフトバンク光担当者であるお姉さんの説明はわかりやすく、その優しそうな笑顔に癒やされながら、なんとかなるかと少し安心しつつ。
結局、その後ソフトバンクから手紙が届き、工事予定日が決まったんだ。そこまではよかった。よかったんだよ。
でも、その後、仕事が工事予定の日に入ってしまい、当日に在宅ができなくなったから、仕方なく候補日の変更をしようとした。
ソフトバンクからの手紙を見てみると、工事予定日変更はコールセンターまで電話くださいとなってたのだ。
それで、コールセンターの工事予定変更の部門に電話したところ、オペレーターに繋がらない。30分かけ続けても繋がらない。
途中で、これはいかん、メールで対応してもらおうと思って、Websiteを確認してみたらコールセンターに電話しろって書いてある。
いやいや、コールセンターに繋がらないからメールで対応してほしいんだけど。
ふと、気がついた。Y電気のソフトバンク光担当の人に変更してもらおうと。
そこで、Y電気に電話をかけて、ソフトバンク光の担当の人に工事予定日変更の希望を言ってみたけど、コールセンターに電話してもらうしかないと言われた。儚い希望は絶たれた。
で、繋がらない。1時間かけ続けても繋がらない。
無慈悲なコール音を聞きながら、ソフトバンク光に期待した自分の愚かさを呪いつつ、他のものに切り替える決心をした。
かけ続けて1時間10分。私は諦めた。
ソフトバンク光にはもう、うんざりだと思いながら、コールセンターにもう一度電話して解約のための番号を押した。ハハッ、繋がるわけないよなと思いながら。
そしたら、3分と経過せずに繋がったんだ。そう、繋がったんだよ。
家にはインターネットが引けなかった。時間は無駄になった。でも、私はソフトバンク光の魔手から逃れることができた。だから、これはハッピーエンドのお話。そう、ハッピーエンドなんだよ。これは。
あれ?ハッピーってなんだったっけ。
新しいメディアが出てくるとそれまでのメディアでは表現しづらかったもの、それまでのメディアで王道だったもの、その他有象無象が次々に作られる。
そうしてそのメディアは目新しく楽しいもので溢れた媒体として評価されるようになる。
しかしやがてクリエイター達が表現したいものを一通り出しきってしまう。
ネットも今その黄金期の終わりに差し掛かっているのではないだろうか。
今までのメディアで表現できなかったネットでしか表現できない物がまだ残っているのだろうか?
今までのメディアに存在した王道のうちでネットで消費され終わってないものがあるのだろうか?
我々は黄金期の終わるネットに対してどう接するべきなんだろう。
どこかにある新天地を目指してイナゴの大群になろうにもその新天地はまだこの世界のどこにもない。
だがネットは枯れ始めている。
今何をやればいいのだろうか。
ネットがまだ一般的でなかったとき、そこは現実社会では発露出来ない思いを持つマイノリティたちが隠れる場所だった。
いわゆる「アングラサイト」と言われるものが多数存在し、彼らはそこでマジョリティたちから隠れて過ごしていた。
現実社会に持ち出したら間違いなくバッシングを浴びることを分かっていた彼らは、世間から隠れる場所としてネットを選んだのだ。
「ここなら彼らはやってこない」
「万が一見つかっても寄ってこないように入り口に注意文を書こう」
「いや、偶然入ってくることを防ぐために入り口を隠そう」
「パスワード制にして入れないようにしよう」
彼らは自身の居場所を守るため、マジョリティたちに見つからないよう様々な予防措置を行った。
ここまですればマジョリティたちも入ってこないだろう。
その後、ネットの普及により多くのマジョリティたちがネットにやってきた。
彼らはさながらアメリカ大陸の開拓団のように新天地であるネットを開拓しだした。
彼らの開拓の手はマイノリティたちが隠れ住んでいたアングラサイトにも及んだ。
「汚物は消毒だ~!」
さながら某世紀末のモヒカンのように、彼らは一般常識という火炎放射器を掲げてマイノリティたちの居場所を暴いていった。
また、マジョリティたちに混じって、ネットという隠れ場所を知らなかったマイノリティたちもやってきた。
彼らはまだ暴かれる前のアングラサイトを見て「ここなら『これ』を出してもいいんだ!」と感動した。
先住民マイノリティたちにとっての不幸は、移民マイノリティたちの一部に「隠す」という行為の意味を理解しない人、勘違いする人がいたことだった。
やがて世紀末モヒカンに見つかり、次々と火炎放射器で焼かれていった。
彼らは焼かれながら呪詛を吐く。
「あそこでもやっているじゃないか、何でこっちだけ責められるんだ」
そうやって隠れていた先住民たちや受け入れられた移民たちも世紀末モヒカンに見つかり、火炎放射器で焼かれた。
「次は俺たちの番じゃないのか」
「いや、まだここは見つかっていない」
「ここも見つかったら、我々はどこに行けばいいんだ...」
住処を追われた先住民たちは居場所を転々とし、世紀末モヒカンに見つかる恐怖と戦いながら自身の居場所を作ろうとした。
しかし、開拓が進み、世紀末モヒカンたちが開拓した場所には後から来た何も知らないマジョリティたちが現実社会さながらの社会を作っており、彼らの安住の地はどんどん消えていく。
隠れ住むのも限界に近かった。
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どうも何をやっているのかよくわからない。
上京した際も、東京に出身県の県人会があるのは知っていたが、なぜ東京に来てまで
だいたい、これまで何の関わりもなかった上のジジイどものご機嫌取って何になる、
という思いがあり、一切関係を持たなかった。
それにしても門外漢にとっては、この県人会、なんとも不思議な存在である。
例えば、他国に移住したとかなら、まだ同じ民族で固まってコミュニティを作るというのはわかるが、
ここは日本だ。その手のテレビ番組で煽られるほど、どこの県民も大した違いはない。
逆に、高校や大学の同窓会と比べると、ただ同じ出身県というだけでは共通性が少なすぎる。
仲良くしようにも地域ごとの派閥とか、贔屓チームの違いとかあって大変なんじゃないだろうか。
あと、新天地に来たというのに、発想がどうも内向きだなーとも思う。
イケハヤやらハセカラやらがネット流行っているらしい昨今、時代に先んじて
農業に憧れて、バブル期只中、脱サラし、地方に一家揃って在住させた男とその息子のその後の話。
確かうちの父が俺にとって一応の故郷、父にとって見知らぬ新天地へと旅立ったのは1988年だったとかいう。
おれはその頃4歳。詳細な記憶はないけれども、幼稚園児でなくなり、覚えた平仮名はマ行までにとどまった
ことははっきりと覚えている(ヤ行以下は小学校で習った)。そのせいか東京が知の先端であるという認識は消えない。
そんなわけで幼稚園のうさぎ組より全生徒の人数が少ない小学校にあがるまで俺は、
俺にとって単調な遊び場、父にとって夢が詰まった無限の大地で遊んでいた(ほっとかれていた)。
正直、少子化すぎて、田舎のガキ大将に目をつけられていじめられるとかもなく、
主にバッタ、セミ等、季節の虫が友達だった俺だったが、父は早速、村の連中にいじめられた。
果たして父に対するいじめが、村の人間の狭小さ故のものであったのかは判断に悩むところだ。
はっきりいって俺でもいきなり人口数百人もいない集落でいきなり東京の余所者がやってきたら
扱いに困る。しかも、父は時代を先取った痕跡を残すとかいって、変な雑誌の取材をよくいれて
いたので、余計に目立ったし、村の人は父が村に溶け込むつもりかもわからなかっただろう。
なんかだんだんめんどくさくなってきたので、結論からだけ書くと、俺が小学4年の時、
母が父の友達のライターが東京に帰るのについて行ってしまい、それっきりになった。
人というのは脆いもので、そうすると、父も実家の家業の手伝いとかいって、
村を出て、東京近郊に舞い戻ることになった。無論、家業は父の兄がしっかりと
継いでいたから、父にやることは特になく、俺が中学校に上がる頃には、
父は何をしているかわからない人になった。そして、それっきりで、
俺はというと、父の兄のおかげで、大学も出れて、今では父の兄の事業を任されている。
ま、本当に地方在住って父の人生に何も残さなかったのだなと、東京、地方、消耗
という言葉を聞くと思う。帰れる場所が東京近郊にある人にとって、地方は
本当にプライドをみたすだけの存在なんだろうとも思う。それが故に、それを満たせない
ものだと気づくとあっさりとそれを捨てられるのだろう。なんというのか、
http://anond.hatelabo.jp/20150929182417
思いの外前回の記事にたくさん反応をいただきまして、皆さま本当にありがとうございます。
ブコメの「頑張ったのは引越し屋さん」が目からウロコで、これが目からウロコの自分に絶望した。なんというか、「自分のことしか考えてない」というやつを言葉でなく心で理解できた。そうだね引越し屋さんの方がよっぽど頑張ったよね。向こうにとっては仕事とは言え、本当に悪いことしてしまった。
汚部屋指数はレベル1から8までに分けられてるチェックリストからお借りしました。ウチはレベル6〜7くらいで、汚部屋指数90〜100、床可視率1ケタ%って感じ。9割以上は人間に消化できないモノで埋まっとります。食べたゴミとかはビニール袋には入れて、それをさらにでっかいビニールにまとめて、ゴミの日に出したり出し損ねたりしてます。
おかたづけ作戦として定期引越し案のご提案ありがとうございます。残念ながら、わたくし一人暮らしは10年余ですが一箇所に10年住んでたわけでなく、複数回引越しを経験しておりますが過去の例を鑑みるに策としてはこうかはいまひとつのようです。特に前回の引越しはひどかった。お察しの通り荷造りが間に合わなかったのですが引越し屋さんは梱包が済んでるもの(と冷蔵庫とかのでかい家電)しか持っていけないということで、結局別口の引越し屋さんを急遽雇い、それでもどうしようもなくなったのでその別口さんのツテで産廃引き取り業者さんも手配しました。産廃ってことにすると分別とかしなくてもモノを一気に捨てられるんだそうで、ビニール袋20袋以上のモノを捨てました。結局あの時は予算から10万はみ出て定期預金中途解約の事態に至り、「予算」の意義が問われ自己評価が落ちに落ちてしばらく抑鬱状態に陥る(病院はこの時行って片付け下手な件も含め洗いざらい吐き検査とかもしましたが結局何にもなりませんでした☆のでたぶんもう行かないス)など一人ですったもんだしたので、今回こそはゴミ帝国をやっつけてから新天地に行きたい。負けるわけにはいかないのです。
あとね、一人暮らしで訪れるものはないって書いたけどね、ツッコまれてよくよく考えたらあれ嘘だった。6本足の知り合いとか来てたわ。呼んでないのに。知ってるってだけで別に友達じゃないのに。
体長2ミリくらいの連中で果物とか食べるとお相伴たかりにきてだいたいシンママで気がつくと増えてる。クローン親子かってくらい似てる。というか実際クローンかもしれん。単性生殖してそう。
あと6本足を追ってか知らんけど8本足も来てる。3ミリから5ミリくらいの。あんまり巣とか張らないし小さくてかわいいのでいちいち窓開けて逃がしてるけど週に4日くらい見てる気がするので、もはやこれは同居かもしれない。オシャレなのは黒ベースに白のラインが入ってたりして見飽きない。2ミリどもの羽音が死ぬほど嫌いなので、8本足はみんな共闘相手ってことにしてる。踏んづけたことはないけど寝てる間に耳に入られたことがある。懐中電灯で照らしたら出てってくれた。話のわかるやつで助かった。
黒くてでかくてクビが飛んでも一週間くらい生き延びられると悪名高い6本足のやつは越してきた当日に対面した。流しの下の戸棚開けたら目が合った。すごいね彼ら。上体をわずかにこう持ち上げて、いかにもこっちを「見上げて」、触覚をゆっくり動かしてニンゲンの様子を伺ってるって感じの反応だったのが忘れられない。犬かよ。かわいこぶってもかわいくねんだよ。
こっちの出方によってはダッシュで逃げるか飛びかかってくる気なのがわかったので、その場は「あっそう。ふーん。そうなんだ」くらいのカジュアルな感じで何も見なかったかのように一旦扉を閉め、すかさず買って来といた殺虫剤をひっつかんで噴射口だけ戸棚にねじ込んで収納スペースをガス室に変えた。死骸はきっちり確認したし排水パイプの周りとか速攻目張りしたし毒エサみたいなの仕掛けたし、結局そのあとずーっと見かけなかったから忘れてたけど、まだいたらどうしよ…「Gだけは出さない部屋(引越し初日に目撃=不法入居の先住民=わたしが殖やしたわけではない)」ってことでいろいろギリギリセーフって思ってたのに…
あと何気に「頑張れ」的応援ブコメが結構あったのがすごく嬉しかったです。汚部屋国の玉座(超お気に入りのスツール。どんなに周りにモノが積み上がってもこの上にだけは本とか服とか置かない)で思わずホロリとしそうになった。
頑張る!!1わたしまだ頑張れる!!!1!頑張れるよ!!1!!ってなってます。「頑張れ」言ってくれた人はむしろここまで読んできて「前言撤回、頑張りの問題じゃねえ、病院行け」ってなりそうですが、そんな読み手を置いてきぼりに大事なことなので自分のためにもう一回書いておく。
頑張る!!!!!わたしまだ頑張れる!!!!!頑張れるよ!!1!!!1!
気持ちはそうなってるんですが状況は完全に空回り。
結局、まだ、脱せてません。
片付いてません。
手配はした。洗濯機とか捨てるために業者さんの予約取ったりした。でもそれだけ。まだ捨てれてない。
というか玄関が片付いてない。一人暮らし向けの部屋なので玄関が超広いとかはなく、むしろ洗濯機通すのには割とすれすれだっていうのに、そこにA◯azonの箱が積み上がっている。結構前から。未開封のまま。毎朝の出入りとかはそれらをうんとこしょと乗り越えて行ってる。
いや、最悪密林箱はどっかに積んどくこともできます。どっかっていうか居室スペースに。
でもそういうことじゃなくて、洗濯機はそれでいいとしてもそもそも引越しの梱包が進んでない。進捗10%もない。
週明けに引っ越すのに。もう新居の鍵もらってるのに。
何が最悪って、昨日の夜から熱出して今も伏せってるのでございます。仕事休んで。そうです真昼間にこんな長文書けるのは休み取ってて熱があるからです。発熱ってやばい。ストッパー外れてる。推敲できないからスラスラだらだらいくらでも書いてしまう。
熱自体は夜は38度超えもしたんだけど現在は微熱でちょいとクラクラして頭痛するくらいで落ち着いてるんですが、鼻水が止まらない。脱水起こしかねない(当社比)。
あとこの部屋食事事情的に瀕死。缶詰とかストック尽きてて、箱買いのソイジョイが発掘されたんでちまちま食べてるけど飽きてきた。うっすら吐き気もあって食欲わかないし当面はこれでいっかーって思ってたけどきついわ。うどんとか食べたいのに近所にうどん屋なんかないしデリバリーも検索ヒットしない。食べ物もピンチだけどそういえば地味にボックスティッシュもピンチ。ストック残1機(箱)に既に手をつけている。
とにかく、仕事休んじゃったんだからせめて引越し準備の続きを!と思って午前中はダンボール組み立ててモノ詰め込んでってやってたんですけど、こんな状態なのでびっくりするほど作業が進まない。
栄養つけなきゃ治るものも治らないまずは買い物を!とも思うんだけど最寄のスーパーまでの徒歩15分を歩く決心がつかない。寝ててもフラフラ感があるのに出歩くのがちょっとアレだし何より鼻から水がエンドレスなので鼻に栓をして外出したい。しかし鼻栓を隠すためのマスクがない。こんなにモノがある部屋なのに。
でも、頑張る。わたしまだ頑張れる。はず。
俺が二十年間欠かさず続けてるオナニー
人よりも優れてること、継続していること、好きなこと、
それがオナニー
どんな指の形でストロークパーミニッツで後処理の仕方はコスパやリスクを考えて
そういうのを書いて後世に伝えていきたい
風俗とは、1度足りとも彼女がいたことのない社会不適合者の私にとっては介助施設であり、
風俗とは、人の温もりを知らない私が唯一人並みの愛と温もりを感じ魂の救済を受けられる宗教施設である。
とりあえずfc2ブログに作って見たんだけど、
20年ほど前ならただの子供の日記でさえ1日100人以上アクセスがあったのに、
新天地など探しには行かないということでしょうか?
大手アフィブログですべて事足りてしまうということなのでしょうか?
記事内にいろいろ貼った後に審査通らず大きくやる気削がれてしまったので
なんかアドバイス頂戴
あとはどういった記事が読みたいとか、まともな記事一つしかないけどこう変えたほうがいいとか助言ください。
とりあえず月5万稼ぐのを目標にして稼いだ金額はすべてブログ記事に還元されるような
その場合経費になるのかな
http://anond.hatelabo.jp/20150627125609
告発者の考えはどこにあるんだろうね
http://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/koyou_roudou/koyou/shougaishakoyou/index.html
この厚生省の文面見てもらえればわかるけど、
よーするに「企業は従業員数に応じて障害者を雇ってね★もしくはお金払ってね★」ってところなんだけど、
企業による社会貢献という面を考えても、例えめんどーでもこういうのって大事なんだわ。
税金だけ払ってりゃ良いってわけじゃないんだよね。
任天堂の障害者雇用という「企業として中心ではないけど必要な仕事」についてどう思ってたんだろうね。
猛烈に抗議したって言ってるけど、代案を提案してたりしたのかな?
「任天堂の◯◯部署なら聴覚障害者さんでも仕事出来ると思います」みたい事は言ったのかな。
まぁ、結局のところ厄介払いする事しか考えなかったんじゃないかなー。
自殺未遂の箇所以外は「上司はクソ、同僚は無能」みたいな内容にしか見えないんだよね。
「同僚に教育という名のパワハラしたら自殺未遂した。上司が揉み消した。怖くなって逃げた。アレは俺のせいじゃない、クソ上司のせい」
って感じにも見えるんだよねー。
自殺未遂に至った部署の皆さんは自分が加害者かもしれないって意識はあるんですかねー。
退職and告発エントリ書く暇あるなら聴覚障害者さんの直接様子を伺いに行ったりする暇もあると思うですよねー。
そうだとしてもせいぜい部長さんは一時減給レベルじゃないですかね。
もしクビレベルの問題があるならば、それは今の社長さんも一緒に引責辞任が必要なクラスの問題なんじゃないですかね?
と力無くつぶやいて、朝礼は終了しました。
これ見る限り、会社として障害者の方を雇う事の意義とか従業員に全然説明してない、
要するに体制を整えないまま税金対策的に障害者を雇ってこのザマなんですし。
私は夢という大義の元に人を死の淵に追いやる人・チーム・組織が作ったゲームなんて
これっぽっちも触りたくないなー。それが任天堂であろうが他所の会社であろうが。
そんな暇あったらお見舞いにでも行ったら良いのに。
80歳になる俺の婆ちゃんが保育園の隣に住んでるんだけど、うるさいなんて言わないし、言う気配もない。ものすごく微笑ましく見てる。
一体どういう人がうるさいって言ってるのかまるでわからない。
ので、考えてみたらこうなった。
こういう事を言っている人達は、
大人になったら結婚して子供作って立派に育ててっていう一昔前の当たり前な人生観を持ってはいるけど、
そうする事ができずに寂しい老後を送っている人なんじゃないかな。
子供が騒ぐ声を聞く度に、
本来は自分にもこのぐらいの歳の可愛い孫が居るはずだったのに、どこで人生間違ったのかな・・・とか、
今となってはどうすることもできない現実を見せつけられてしまう。しかも日常的に後悔の念を抱いてしまう。
かといって、引っ越しする程の体力も無いし、経済力も無いし、この歳になって長年住んできた街を離れて新天地に引っ越すのだって相当勇気がいるはずだ。
だからどうすることもできず、思考が停止しただうるさいと文句を言う事しかできないのではと。
だとしたら俺は、そんなお年寄りはただただ気の毒だ。
人によって望んでそうなった人、1人を望んでたけど考えが変わった人、元々望んでないのにそうなっちゃった人とか、人によって色々だけど、
どっちにしろ気の毒。
ただ、そういう事を視野に入れて考えないきゃいかんのではないかなーと思う。
だってこの問題について話題になる度に、お年寄りの方達は老害というレッテルを貼られ、ただ叩かれているようにしか見えないから。
長年彼のツイートを直接関わりなくただ眺めて楽しませていただいている一人としては、彼のことをテレビで知ったりはてなで論じたりするのもどうにも不思議な気のするもので、そういった立場から彼のフィクションという言葉の使い方について一言二言一家言ある身として書いていきたいと思う。
我々は認知する機械でしかないことは近年科学が発達した結果として多くの人が理解するところだと思う。現実は物質、人間も物質。けれどそれだけでは人間社会は成り立っていない。そこには文化がある。文化は必ず物質であるわけではない。しかし多くの人がその文化になんの疑問を抱くこともなく物質と同じように自明で今ここに存在しているものとして認識している。この現実について、彼は疑問を抱いているのだと、長年彼を見ていた身としては思う。至極当然のことを彼は言っているだけだ。
彼の指している中東のフィクションとは、中東の文化と言い換えることができる。すなわちイスラム国においての宗教、彼はその文化に、もしかしたらこの日本の文化よりも上手く適応できるかもしれないという青い鳥症候群を我々に見せたのである。女を性奴隷にして人を殺す世界、彼は新天地を夢見ている。
どれほど頭がいい人間でもよくて大学教授、悪ければ非正規雇用の教員、使い捨てられるポスドクにしかなれない。儒教的な上下関係、年功序列、徹底されていない半端なメリトクラシー。曖昧かつ意味がないこのつまらない現実に彼はほとほと嫌気がさしている。そしてこのつまらない現実を、本当なら実体なんてないただの文化で、いつでもひっくりかえるような普遍性も何もあったものじゃないフィクションであると言い切って切り捨てたいのだろう。彼が彼自身を障害者であるとして自称するのは高度な皮肉であって、意味が無いものについて意味があると思っている大勢の人を馬鹿にしている。しかし同時に自分自身が社会に不適合を起こしていると客観視して自虐しているのである。
……結果として公安に追い回される日常という非日常を彼は手に入れた。それもまた今は自覚はなくとも彼にとっては好ましいことでしかないのだ。
ひとりで妄想してぞわぞわしてるw
このふたつの巨大な柱は世界の両極にあってアトラスのごとく世界を支えているわけだ。
お互いに相手を自分がはじめて見る鏡像、距離なき他者のように眺め、そこで、ある感情を交し合っている。
ふたりの偉大なる小さな巨人は相手に引かれながらも世界を支えるために動くことが許されていない。
手を取り合いたいのにそれが許されていない。
半球をそれぞれ諸星すみれゾーンと久野美咲ゾーンとして持ち、お互いリスペクトしあいながらもけっして交わらない。
自分にもっとも近い存在として感じながら、世界でもっとも遠いところにお互い位置している。
世界のバランスが崩れたとき、世界が新たな形で再生されるだろうから。
その役割をあてがわれたのがふたりであり、ふたりの絶妙なバランスがこの沈みゆく世界に唯一の秩序を与えているともいえるのだ。
だが先ほども言ったが、ふたりはいずれ出会わなければならない。
それは世界の破壊により世界を創造するという逆説的な事態なのだが、いずれ人類はこの問題に取り組まなければならないだろう。
すでにこの世界は腐敗しきっていて、もう崩壊寸前のところにある。
ふたりの女神が両極でほほえむことによってかろうじて、この亀裂だらけの、さびきった、脆弱な世界が愛の鎖に取り巻かれて崩落を免れている。
だが、この鎖はふたりの女神の体に巻きつき、ふたりの女神を苦しめてもいるのだ!
ぼくたちはふたりの偉大なる自己犠牲にいつまで甘えていればいいのか!
ぼくたちは見るべきなのだ、奇跡の瞬間を、ふたりの1億年ぶりの出会いを。
そして空が裂け、地が割れ、世界の終末に立ち会ったとき、ぼくらはその断裂した時空の先になにかを見ることになるだろうが、それは愛と呼ばれるものだろう。
世界は新しい回転を始め、これまでになかった配列で瞬く間に再構成されていく。
すべては喜びに包まれ、悲しみを彼方に置き去りにして、ぼくらはどこまでもどこまでも上っていく、あのふたりの女神に導かれて。
新天地でぼくらは笑っているだろう。
1億年の隔たりは一瞬のことのようだったと感じるだろう。
ぼくらは取り戻すだろう。1億年前のあの記憶を。
https://twitter.com/sahoobb/status/505525364521570304
要するに、「音楽の話をせずに」、「好きなもんを好きな様に聞けば」いいのだ。
そうやって過ごせれば、こんなに平和なことはないなんて赤ん坊でもわかる。そうやって過ごせればどんなにいいか。
「音楽に国境はない」。とても有名で、とてもすてきな言葉だ。たぶんボブ・ディランの歌詞だろう。音楽関係の名言の九割はボブ・ディランの口から発しているとされおり、すごく有り難い。
ところが現実はボブ・ディランではない。各国の土着・民族音楽に使用されている音源はおのおので笑えるくらいに異なり、「国境なんてないんだ」などとほざいて通じるように聞こえる西洋音階によるポップチャート侵略主義の結果に過ぎない。しかしだ。ここはあえてボブ・ディランに百歩譲りたい。音楽に国境はない。その呑気なテーゼを容認したうえで、ボブ・ディランはこう付言する。
http://b.hatena.ne.jp/entry/togech.jp/2014/08/30/12027
ここにコメントを書いているブクマカ(死語)は全員、本質を見誤っている。
音楽の話において、人が他人を見下すのはそいつがマイナージャンルを好きだからではない。過去の自分を見ているからでもない。人間は見下すように生まれた動物だから、というのはちょっとあるが、決定的ではない。
女が泣くのは、音楽の話をコミュニケーションの道具に使うからだ。
そもそも音楽の話はコミュニケーションの媒介として非常に燃費が悪い。なんせ、実物がないとその曲がどういうものか、ぼんやりとすらわからない。小説や漫画には筋がある、映画には役者がいる、スポーツには様式化されたアクションが、アイドルや芸能人にはゴシップが、文学にもゴシップが、それぞれ素人にも言語化しやすい形で道具として可視状態にある。
音楽には何もない。楽器に触れたこともない素人二人が互いに片方しか知らない曲の話をする場合、だいたいはエモーショナルでよくわからない表現に頼るしかない。あるいは「いいんだよ」だ。「うまく言えないけど、とにかくヤバイの」。これでは何も伝わらない。即時性を重要視するコミュニケーションの現場では、音楽など、口下手な二人の間で放置され冷めたフライドポテトよりも価値がない。すくなくとも冷めたポテトは「まずい」という互いがすぐに了解しあえる話題のフックを備えている。
なんだ、当たり前の話じゃないか、そんなことは昔からわかっているよ、とあんたは言うだろう。
ところがあんたは昔とおなじくらいに何もわかっちゃいない。
順序を間違えている。
人は他人を見下す生き物であり、だから、音楽の話でコミュニケーションを取ろうとすると悲劇が起こる、あんたはそう考えている。でなければ、あんた以外の誰かはそう考えている。
違う。逆だ。
音楽の話でコミュニケーションを取ろうとするから、他人を見下す生き物としての人の顔が顕現してしまうのだ。これは理屈でも論理でもなく、真理だ。
音楽は門戸がビッチの(ピー)なみにガバガバに広い。食べ物と似た感覚で「うまい」と「まずい」を直感的に判断できる。その直感は、一見まじりけなく、自分の本質、アーイデーンティーティがぁーー♪に直結しているように思われる。
だが、アウトプットしようとなると、童貞のケツ穴のごとく狭窄だ。和音? コード進行? ポリフォニック? Perfumeのゴリラ?
なんだそれは? なんだそれは? なんだそのわけのわからない……専門用語は?
そして、俺を含めた素人の九割はその意味を知ろうとしない。「しろうと」だけに。これは駄洒落でも冗談でもなく、真理だ。いや、ほんとうに。
ゆえに、聞く行為そのものが直感的な好みへ直ケツし、下痢気味の短腸生物のごとく未消化でそのまま「おれのアイデンティティ」へ繋がる。
すると、どうなる?
コミュニケーションバトラーたちは「○○を聞いている俺=俺自身」で勝負するしかなくなる。変化球も切り札も伏せカードも強欲な壺もない、各種ジュアルルールも適用されない生の殴り合い。怯んではならない。ダウンしてはならない。なぜなら、その曲は「俺」の魂そのものであるからだ。
それはかつて冷戦下で想定された最悪のシナリオに酷似している。発動されてしまった相互確証破壊戦略。スクリーンを飛び出してしまったスター・ウォーズ。後には誰も残らない。灰と水曜日以外、残らない。
20XX年、ここは音楽の話の核の炎に包まれた日本だ。モヒカン(ゲスの極み乙女。)が汚物(イグザイル)をルールする日本だ。
みんなが音楽の話をしている。フェイスブックで、twitterで、日常会話で、好きなアーティストを主張しまくっている。もう手遅れだ。
最初の女の嘆きに戻ろう。すまない。君には嘘をついた。「君一人が黙ればすむ」だなんて。
でも、さっき言ったように、ほんとうはもう全世界的に手遅れなの、君一人が黙ってももうダメなの、ごめんね、でもほんとうです。
しかし、本当のおわりが来る前に試みることができる解決策が二つ、ある。もちろん、択一だ。どちらかが正解のコードかもしれないし、どちらを切っても結局爆発するのかもしれない。なんであれ、やってみるだけの価値はある。
一つ目、耳を塞いで今君のいるコミュニティ(フィジカルなものもバーチャルなものも)から遁走し、誰も音楽になんてプリミティブな代物以上の興味を持たない新天地(老人ホームがおすすめだ)を探し出し、そこに逃げ込んで、鼓膜を破り、二度とiPhoneの再生ボタンを押さないことだ。
二つ目――これはきみが臆病者でない場合のプランだ、当然、保険はきかない。
とりあえず、だれでもいい、きみの周囲のモヒカンを無作為に選び出し、襟を拳で持ち上げ、殴れ。
ボコボコにしろ。そして、耳をかっぽじってよく言い聞かせるのだ。
「これから二度と私の前で、音楽の話なんてするんじゃないよ」と。
相手は腫れ上がったクチビルで言い返すだろう。「勘弁してくれ、音楽は俺の魂なんだ」と。
言ってやれ。「あんたは○○○かい? 音楽なんざいくらでも聞きな、あたしは『音楽の話』をするな、って言ってんだ!!」
それから、相手の携帯を出すように命じろ。ロック解除のパスワードを聞き出したなら、フェイスブックとその他諸々のSNSへアクセスしろ。まず、プロフィール欄の「好きな音楽」を抹消しろ。twitterのプロフィールは「わたしは卑怯なネオナチの豚野郎です」と書き換えろ。
それから、そいつが過去にweb上で行ったあらゆる音楽関係の発言を消してまわれ。終わったら、君はその携帯を愛をもって持ち主に返却するか、悪魔の笑みを浮かべて膝で叩き割るか、電子レンジでチンするか、そのどれかを選べる。この選択は択一ではない。
君に関係する豚野郎どもの携帯がすべてアルミのメルトチーズと化したころ、君はようやくお気に入りのイヤフォンであるATH-CKN70を耳孔に接続できる。
もはや君の周囲で音楽の話をする豚はいない。君に話しかける人間もいない。誰にも邪魔されない。
本物の安寧と平和が手に入る。
本物の安寧と平和、いい言葉だ。きっとボブ・ディランが作ったに違いない。あるいは残りの一割を司るアジカンの眼鏡が。
ピース。
そろそろ今の恋人と結婚を意識し始めたのだが、いまいち踏み切れない。
(でも彼は全国転勤の多い仕事)
この二つが大きな問題になってる。
②はまあ実際会ってみたらなんてことはない可能性もあるけれど、問題は①だ。
さらに旦那についていくため二三年で辞めるかもしれない既婚女性を正社員で雇ってくれる会社はあるのだろうか。
結婚はしたいけれど、でも財政難だし、正社員の方がなんて思いつつも、実際に今の仕事を辞めるふんぎりはつかない。
あと家事を考えると、私は果たして正社員をしながら家事をやっていけるのだろうか。
「女は家を守るもの。すなわち、家事は女の仕事」な価値観がまだ根づいている世の中だから、
世の中はわりと良妻賢母という名の性処理もできるママの役目を妻にかぶせているような気もするし、
私もそうでなくちゃいけないと思い込んでいる節もあるので。
恋人のことは大好きだし、ずっと一緒にいたいのに、
結婚となると仕事とか家族とかそういうのを考え過ぎてブレーキがかかってしまう。
周囲の人は「結婚すれば案外なんとかなるよ!」と言ってるけれど、そういうもんなのだろうか
(追記)
ありがとうございます。私の会社は小さな会社なので、支社が関東にしか展開されてないのです。
二人とも正社員、というのは彼の意向です。私自身は上記のような事情から無理なんじゃないか、と思い始めているのですが、
「新天地に行っても正社員の仕事を探して就職するのが当然!常に努力しろ!」みたいなことを言われてものすごく疲れています。
今回トラバいただいた方々からいろいろな妥協点をいただいて、目から鱗でした。
とりあえずもう少し話し合いをしてみます。
男の私は野郎ばかりの理工学部を卒業し、オッサンばかりの会社に入り、環境のせいにするわけではないが全く女性と縁がなかった。
類友の原理で友人は喪男ばかりだ。酒が入ると「女子は実在するか」真剣に議論するような、魔法使いがデフォのキモいおっさんたちである。
私はまだ魔法使い"見習い"で、このまま解脱するのは嫌だ嫌だ嫌だという御百度を踏むような思いが上役に伝わったのだろうか。女子率が高い関連会社への出向が決まった。
私「おらワクワクしてきたゾ!」
これが噂のモテ期か。勝つる。屈折二十余年、遅きに失した感は否めないが、もうウェイウェイぶいぶい言わせちゃうよ?
友人たちの殺意を帯びた眼差しに見送られるようにして、私は新天地へと羽ばたいて行った。いや、逝った。
私「なんですの、これ……」
事前情報通り、出向先は女ばかりであった。
鼻毛が飛び出したままの子、見た目だけでなく人格もねじ曲がっている子、「すご~い、マジで、ありえない、超ウケル」しか言わないオツムの弱い子。
私「F○ck! Fu○k!」
思わずブチ切れてしまったが、聡明な私は幾日も経ずして状況を理解した。
類友の原理だ。
そう言えば、ウェイとキモヲタは高校くらいで袂を分かち、程よい棲み分けをしながら共生してきた。
残念な子が澱のように滞留しているスポットがあって、彼女たちはちょうど私たち喪男と合わせ鏡のような関係にある。世の中はそうやって均衡を保っている。
何気に酔って書くのは久々かもね。
自分の感じるはてなの現状とこれから目指してほしい方向みたいな話。
玉石混交ではあるが、一流に会いたければツイッターの方が確実。
名もなき一般はてなーでも、それなりに教養のある人が多かった。
結果、はてなは一種のサロンというか、教養ある人の社交場的な役割を果たしていた。
ところが、たぶんはてブロとかあの辺りを境に、はてなの平均レベルはぐっと下がった。
そうなると、はてなをうろついてても無教養な話題にばかり出くわす。
自分が話してるときも無教養な連中につまらない横槍をいれられる。
というわけで、はてなの教養ある連中ははてなを見捨てて新天地を探し始めている。
というのが、はてなの現状だと思う。
で、どういう方向を目指してほしいか。
無教養な人たちの受け皿は、アメーバでもなんでも、色々あると思う。
またツイッターは、確かに一流の人間もいるけれど、上記のとおり本当に玉石混交だから、教養ある人間にとって居心地の良い均質な空間とはなり得ない。
というわけで、今ネットに足りないのは、それなりに教養のある人の社交場であって、はてなにはそういう昔の姿を取り戻してほしいです。
たぶん今はてなを見捨てつつある人も、新たなたまり場が見つからなくて困ってると思うので、誰でもいいからそういう場所を作ってくれたら絶対人が集まると思う。