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はてなキーワード: 新天地とは

2015-06-02

http://anond.hatelabo.jp/20150602094633

そもそもスマブラ格ゲージャンルに含めるのはとても違和感がある。

コンピューターゲーム黎明期からある「崖下に落としたら勝ち」っていう1画面ゲーム現代風に味付けし直した伝統アクションゲーム定義づけるほうが妥当新天地開拓というよりは、もっと身近な、駅前再開発とでも言おうか。

あれが今も生き残り続けているのは、スパロボが売れてるのと同じ理由だろう。シンプル安心システムとド派手な演出キャラ人気あたり。

初心者対上級者の対戦時におけるゲームバランスの設定などというご大層な理由でないことは確実だ。

スマブラを引き合いに出す意味がまったくない。炎上必要な燃料用途以外には。

2015-05-18

http://potatostudio.hatenablog.com/entry/2015/05/16/090000

子供の声がうるさいって言ってる人がわからん

80歳になる俺の婆ちゃんが保育園の隣に住んでるんだけど、うるさいなんて言わないし、言う気配もない。ものすごく微笑ましく見てる。

一体どういう人がうるさいって言ってるのかまるでわからない。

ので、考えてみたらこうなった。

こういう事を言っている人達は、

大人になったら結婚して子供作って立派に育ててっていう一昔前の当たり前な人生観を持ってはいるけど、

そうする事ができずに寂しい老後を送っている人なんじゃないかな。

子供が騒ぐ声を聞く度に、

本来自分にもこのぐらいの歳の可愛い孫が居るはずだったのに、どこで人生間違ったのかな・・・とか、

今となってはどうすることもできない現実を見せつけられてしまう。しか日常的に後悔の念を抱いてしまう。

かといって、引っ越しする程の体力も無いし、経済力も無いし、この歳になって長年住んできた街を離れて新天地に引っ越すのだって相当勇気がいるはずだ。

からどうすることもできず、思考が停止しただうるさいと文句を言う事しかできないのではと。

だとしたら俺は、そんなお年寄りはただただ気の毒だ。

人によって望んでそうなった人、1人を望んでたけど考えが変わった人、元々望んでないのにそうなっちゃった人とか、人によって色々だけど、

どっちにしろ気の毒。

ただ、そういう事を視野に入れて考えないきゃいかんのではないかなーと思う。

だってこの問題について話題になる度に、お年寄りの方達は老害というレッテルを貼られ、ただ叩かれているようにしか見えないから

2015-01-22

http://anond.hatelabo.jp/20141007135007

 長年彼のツイートを直接関わりなくただ眺めて楽しませていただいている一人としては、彼のことをテレビで知ったりはてなで論じたりするのもどうにも不思議な気のするもので、そういった立場から彼のフィクションという言葉の使い方について一言二言一家言ある身として書いていきたいと思う。

 つまりクオリアの話ともつながってくる。

 プラトン洞窟の影の話、イデア論とも関係してくる。

 我々は認知する機械しかないことは近年科学が発達した結果として多くの人が理解するところだと思う。現実物質人間物質。けれどそれだけでは人間社会は成り立っていない。そこには文化がある。文化は必ず物質であるわけではない。しかし多くの人がその文化になんの疑問を抱くこともなく物質と同じように自明で今ここに存在しているものとして認識している。この現実について、彼は疑問を抱いているのだと、長年彼を見ていた身としては思う。至極当然のことを彼は言っているだけだ。

 彼の指している中東フィクションとは、中東文化と言い換えることができる。すなわちイスラム国においての宗教、彼はその文化に、もしかたらこ日本の文化よりも上手く適応できるかもしれないという青い鳥症候群を我々に見せたのである。女を性奴隷にして人を殺す世界、彼は新天地を夢見ている。

 どれほど頭がいい人間でもよくて大学教授、悪ければ非正規雇用教員使い捨てられるポスドクしかなれない。儒教的上下関係年功序列、徹底されていない半端なメリトクラシー曖昧かつ意味がないこのつまらない現実に彼はほとほと嫌気がさしている。そしてこのつまらない現実を、本当なら実体なんてないただの文化で、いつでもひっくりかえるような普遍性も何もあったものじゃないフィクションであると言い切って切り捨てたいのだろう。彼が彼自身障害者であるとして自称するのは高度な皮肉であって、意味が無いものについて意味があると思っている大勢の人を馬鹿にしている。しかし同時に自分自身社会に不適合を起こしていると客観視して自虐しているのである

 ……結果として公安に追い回される日常という非日常を彼は手に入れた。それもまた今は自覚はなくとも彼にとっては好ましいことでしかないのだ。

2014-10-02

諸星すみれちゃんと久野美咲ちゃんの共演が見たい!

このふたり出会ってしまったらどうなってしまうのだろう!

ひとりで妄想してぞわぞわしてるw

運命ふたり出会っていけないんだろうな、きっと。

このふたつの巨大な柱は世界の両極にあってアトラスのごとく世界を支えているわけだ。

お互いに相手を自分がはじめて見る鏡像、距離なき他者のように眺め、そこで、ある感情を交し合っている。

ふたりの偉大なる小さな巨人は相手に引かれながらも世界を支えるために動くことが許されていない。

手を取り合いたいのにそれが許されていない。

このふたりはそういう運命なのだ

ふたり出会ってしまえば世界の均衡が崩れてしまう!

半球をそれぞれ諸星すみれゾーン久野美咲ゾーンとして持ち、お互いリスペクトあいながらもけっして交わらない。

自分もっとも近い存在として感じながら、世界もっとも遠いところにお互い位置している。

ぼくはふたり出会うべきだと思う、いずれね。

世界バランスが崩れたとき世界が新たな形で再生されるだろうから

ふたり微妙立場におかれている。

この世界は沈みゆ世界だ。

いずれ世界は再創造されなければいけない。

だが同時に世界現状維持に固執するものでもある。

その役割をあてがわれたのがふたりであり、ふたり絶妙バランスがこの沈みゆ世界に唯一の秩序を与えているともいえるのだ。

だが先ほども言ったが、ふたりはいずれ出会わなければならない。

それは世界破壊により世界創造するという逆説的な事態なのだが、いずれ人類はこの問題に取り組まなければならないだろう。

すでにこの世界は腐敗しきっていて、もう崩壊寸前のところにある。

ふたり女神が両極でほほえむことによってかろうじて、この亀裂だらけの、さびきった、脆弱世界が愛の鎖に取り巻かれて崩落を免れている。

だが、この鎖はふたり女神の体に巻きつき、ふたり女神を苦しめてもいるのだ!

ぼくたちはふたりの偉大なる自己犠牲にいつまで甘えていればいいのか!

ぼくたちは見るべきなのだ奇跡の瞬間を、ふたりの1億年ぶりの出会いを。

そして空が裂け、地が割れ世界の終末に立ち会ったとき、ぼくらはその断裂した時空の先になにかを見ることになるだろうが、それは愛と呼ばれるものだろう。

世界は新しい回転を始め、これまでになかった配列で瞬く間に再構成されていく。

すべては喜びに包まれ、悲しみを彼方に置き去りにして、ぼくらはどこまでもどこまでも上っていく、あのふたり女神に導かれて。

新天地でぼくらは笑っているだろう。

1億年の隔たりは一瞬のことのようだったと感じるだろう。

ぼくらは取り戻すだろう。1億年前のあの記憶を。

世界の回転は徐々に緩やかになり、運命女神ふたりの手が離れるとき、またつぎの1億年が始まるだろう。

ふたりの涙の中にぼくらの世界は泡となって浮かび上がる。

ぼくらの世界は無数の幸福と愛を創造するだろう。

すべては彼女たちの、その涙のおかげなのだ

2014-08-31

おまえには音楽の話を自由にする権利などない。なら勝ち取れ。

https://twitter.com/sahoobb/status/505525364521570304

 彼女の嘆きに対する解答はラストコマで既に自ら出している。

 要するに、「音楽の話をせずに」、「好きなもんを好きな様に聞けば」いいのだ。

 そうやって過ごせれば、こんなに平和なことはないなんて赤ん坊でもわかる。そうやって過ごせればどんなにいいか。

 「音楽国境はない」。とても有名で、とてもすてきな言葉だ。たぶんボブ・ディラン歌詞だろう。音楽関係名言の九割はボブ・ディランの口から発しているとされおり、すごく有り難い。

 ところが現実ボブ・ディランではない。各国の土着・民族音楽に使用されている音源はおのおので笑えるくらいに異なり、「国境なんてないんだ」などとほざいて通じるように聞こえる西洋音階によるポップチャート侵略主義の結果に過ぎない。しかしだ。ここはあえてボブ・ディランに百歩譲りたい。音楽国境はない。その呑気なテーゼを容認したうえで、ボブ・ディランはこう付言する。

 「音楽の話においては万人が万人へ対する闘争状態にある」と。

 http://b.hatena.ne.jp/entry/togech.jp/2014/08/30/12027

 ここにコメントを書いているブクマカ(死語)は全員、本質を見誤っている。

 音楽の話において、人が他人を見下すのはそいつマイナージャンルを好きだからではない。過去自分を見ているからでもない。人間は見下すように生まれた動物から、というのはちょっとあるが、決定的ではない。

 女が泣くのは、音楽の話をコミュニケーションの道具に使うからだ。

 そもそも音楽の話はコミュニケーション媒介として非常に燃費が悪い。なんせ、実物がないとその曲がどういうものか、ぼんやりとすらわからない。小説漫画には筋がある、映画には役者がいる、スポーツには様式化されたアクションが、アイドル芸能人にはゴシップが、文学にもゴシップが、それぞれ素人にも言語化しやすい形で道具として可視状態にある。

 音楽には何もない。楽器に触れたこともない素人二人が互いに片方しか知らない曲の話をする場合、だいたいはエモーショナルでよくわからない表現に頼るしかない。あるいは「いいんだよ」だ。「うまく言えないけど、とにかくヤバイの」。これでは何も伝わらない。即時性を重要視するコミュニケーション現場では、音楽など、口下手な二人の間で放置され冷めたフライドポテトよりも価値がない。すくなくとも冷めたポテトは「まずい」という互いがすぐに了解しあえる話題のフックを備えている。

 とかく、音楽の話はコミュニケーションに向かない。

 なんだ、当たり前の話じゃないか、そんなことは昔からわかっているよ、とあんたは言うだろう。

 ところがあんたは昔とおなじくらいに何もわかっちゃいない。

 順序を間違えている。

 人は他人を見下す生き物であり、だから音楽の話でコミュニケーションを取ろうとすると悲劇が起こる、あんたはそう考えている。でなければ、あんた以外の誰かはそう考えている。

 違う。逆だ。

 音楽の話でコミュニケーションを取ろうとするから他人を見下す生き物としての人の顔が顕現してしまうのだ。これは理屈でも論理でもなく、真理だ。

 音楽の話が諸悪の根源なんだ。 

 音楽は門戸がビッチの(ピー)なみにガバガバに広い。食べ物と似た感覚で「うまい」と「まずい」を直感的に判断できる。その直感は、一見まじりけなく、自分本質、アーイデーンティーティがぁーー♪に直結しているように思われる。

 だが、アウトプットしようとなると、童貞のケツ穴のごとく狭窄だ。和音? コード進行? ポリフォニック? Perfumeゴリラ

 なんだそれは? なんだそれは? なんだそのわけのわからない……専門用語は?

 そして、俺を含めた素人の九割はその意味を知ろうとしない。「しろうと」だけに。これは駄洒落でも冗談でもなく、真理だ。いや、ほんとうに。

 ゆえに、聞く行為のもの直感的な好みへ直ケツし、下痢気味の短腸生物のごとく未消化でそのまま「おれのアイデンティティ」へ繋がる。

 すると、どうなる?

 コミュニケーションバトラーたちは「○○を聞いている俺=俺自身」で勝負するしかなくなる。変化球切り札も伏せカードも強欲な壺もない、各種ジュアルルール適用されない生の殴り合い。怯んではならない。ダウンしてはならない。なぜなら、その曲は「俺」の魂そのものであるからだ。

 それはかつて冷戦下で想定された最悪のシナリオ酷似している。発動されてしまった相互確証破壊戦略スクリーンを飛び出してしまったスター・ウォーズ。後には誰も残らない。灰と水曜日以外、残らない。

 20XX年、ここは音楽の話の核の炎に包まれた日本だ。モヒカンゲスの極み乙女。)が汚物(イグザイル)をルールする日本だ。

 みんなが音楽の話をしている。フェイスブックで、twitterで、日常会話で、好きなアーティストを主張しまくっている。もう手遅れだ。

 最初の女の嘆きに戻ろう。すまない。君には嘘をついた。「君一人が黙ればすむ」だなんて。

 でも、さっき言ったように、ほんとうはもう全世界的に手遅れなの、君一人が黙ってももうダメなの、ごめんね、でもほんとうです。

 しかし、本当のおわりが来る前に試みることができる解決策が二つ、ある。もちろん、択一だ。どちらかが正解のコードかもしれないし、どちらを切っても結局爆発するのかもしれない。なんであれ、やってみるだけの価値はある。

 一つ目、耳を塞いで今君のいるコミュニティフィジカルものバーチャルものも)から遁走し、誰も音楽になんてプリミティブな代物以上の興味を持たない新天地老人ホームおすすめだ)を探し出し、そこに逃げ込んで、鼓膜を破り、二度とiPhone再生ボタンを押さないことだ。

 二つ目――これはきみが臆病者でない場合プランだ、当然、保険はきかない。

 とりあえず、だれでもいい、きみの周囲のモヒカン無作為に選び出し、襟を拳で持ち上げ、殴れ。

 ボコボコしろ。そして、耳をかっぽじってよく言い聞かせるのだ。

「これから二度と私の前で、音楽の話なんてするんじゃないよ」と。

 相手は腫れ上がったクチビルで言い返すだろう。「勘弁してくれ、音楽は俺の魂なんだ」と。

 言ってやれ。「あんたは○○○かい? 音楽なんざいくらでも聞きな、あたしは『音楽の話』をするな、って言ってんだ!!」

 それから、相手の携帯を出すように命じろ。ロック解除のパスワードを聞き出したなら、フェイスブックとその他諸々のSNSアクセスしろ。まず、プロフィール欄の「好きな音楽」を抹消しろtwitterプロフィールは「わたしは卑怯ネオナチ豚野郎です」と書き換えろ。

 それからそいつ過去web上で行ったあらゆる音楽関係の発言を消してまわれ。終わったら、君はその携帯を愛をもって持ち主に返却するか、悪魔の笑みを浮かべて膝で叩き割るか、電子レンジでチンするか、そのどれかを選べる。この選択は択一ではない。

 悪を根本から断て。音楽の話を滅ぼせ。本物の音楽のために。

 君に関係する豚野郎もの携帯がすべてアルミメルトチーズと化したころ、君はようやくお気に入りのイヤフォンであるATH-CKN70を耳孔に接続できる。

 音楽聴くことができる。

 もはや君の周囲で音楽の話をする豚はいない。君に話しかける人間もいない。誰にも邪魔されない。

 本物の安寧と平和が手に入る。

 本物の安寧と平和、いい言葉だ。きっとボブ・ディランが作ったに違いない。あるいは残りの一割を司るアジカン眼鏡が。

 ピース 

 

 

 

2014-08-16

いまいち結婚というものに踏み切れない

そろそろ今の恋人結婚意識し始めたのだが、いまいち踏み切れない。

その大きな理由は「仕事」と「家族関係」にあると思う。

自身のことは好きだし、これからも一緒にいたいけれども、

仕事はなるべく正社員で二人とも働く

(でも彼は全国転勤の多い仕事)

②彼の家族が私にとって未知の人種で馴染めるかわからない

この二つが大きな問題になってる。

②はまあ実際会ってみたらなんてことはない可能性もあるけれど、問題は①だ。

そもそも現在正社員正社員への転職は難しい。

さら旦那についていくため二三年で辞めるかもしれない既婚女性正社員で雇ってくれる会社はあるのだろうか。

結婚はしたいけれど、でも財政難だし、正社員の方がなんて思いつつも、実際に今の仕事を辞めるふんぎりはつかない。

あと家事を考えると、私は果たして正社員をしながら家事をやっていけるのだろうか。

「女は家を守るもの。すなわち、家事は女の仕事」な価値観がまだ根づいている世の中だから

旦那は許してくれても社会が許さない気がしている。

世の中はわりと良妻賢母という名の性処理もできるママの役目を妻にかぶせているような気もするし、

私もそうでなくちゃいけないと思い込んでいる節もあるので。

恋人のことは大好きだし、ずっと一緒にいたいのに、

結婚となると仕事とか家族とかそういうのを考え過ぎてブレーキがかかってしまう。

周囲の人は「結婚すれば案外なんとかなるよ!」と言ってるけれど、そういうもんなのだろうか




(追記)

ありがとうございます。私の会社は小さな会社なので、支社が関東しか展開されてないのです。

から、転勤となれば当然今の会社は辞めなくてはなりません。

二人とも正社員、というのは彼の意向です。私自身は上記のような事情から無理なんじゃないか、と思い始めているのですが、

新天地に行っても正社員仕事を探して就職するのが当然!常に努力しろ!」みたいなことを言われてものすごく疲れています

今回トラバいただいた方々からいろいろな妥協点をいただいて、目から鱗でした。

とりあえずもう少し話し合いをしてみます

2014-07-26

喪女実在する

男の私は野郎ばかりの理工学部卒業し、オッサンばかりの会社に入り、環境のせいにするわけではないが全く女性と縁がなかった。

類友の原理で友人は喪男ばかりだ。酒が入ると「女子実在するか」真剣に議論するような、魔法使いデフォキモいおっさんたちである

私はまだ魔法使い"見習い"で、このまま解脱するのは嫌だ嫌だ嫌だという御百度を踏むような思いが上役に伝わったのだろうか。女子率が高い関連会社への出向が決まった。

   私「おらワクワクしてきたゾ!」

これが噂のモテ期か。勝つる。屈折二十余年、遅きに失した感は否めないが、もうウェイウェイぶいぶい言わせちゃうよ?

友人たちの殺意を帯びた眼差しに見送られるようにして、私は新天地へと羽ばたいて行った。いや、逝った。

   私「なんですの、これ……」

事前情報通り、出向先は女ばかりであった。

しかし、あまりに残念過ぎる女子ばかりなのだ

鼻毛が飛び出したままの子、見た目だけでなく人格ねじ曲がっている子、「すご~い、マジで、ありえない、超ウケル」しか言わないオツムの弱い子。

クリスマスを通り越して節分を迎えたケーキしかない。

   私「F○ck! Fu○k!」

わずブチ切れてしまったが、聡明な私は幾日も経ずして状況を理解した。

類友の原理だ。

そう言えば、ウェイとキモヲタ高校くらいで袂を分かち、程よい棲み分けをしながら共生してきた。

女子も同じなのだ

残念な子が澱のように滞留しているスポットがあって、彼女たちはちょうど私たち喪男と合わせ鏡のような関係にある。世の中はそうやって均衡を保っている。

要らぬ経験値を積んでしまい、また一つ魔法使いに近づいてしまったじゃないか。正月までなら許す。食べられるケーキはよ。

2014-06-14

はてな

何気に酔って書くのは久々かもね。

自分の感じるはてなの現状とこれから目指してほしい方向みたいな話。

今も昔もはてなに基本一流はいない。

玉石混交ではあるが、一流に会いたければツイッターの方が確実。

そのかわり、昔のはてなは平均レベルが高かった。

名もなき一般はてなーでも、それなりに教養のある人が多かった。

結果、はてなは一種のサロンというか、教養ある人の社交場的な役割果たしていた。

ところが、たぶんはてブロとかあの辺りを境に、はてなの平均レベルはぐっと下がった。

そうなると、はてなをうろついてても無教養な話題にばかり出くわす。

自分が話してるときも無教養な連中につまらない横槍をいれられる。

というわけで、はてな教養ある連中ははてなを見捨てて新天地を探し始めている。

というのが、はてなの現状だと思う。

で、どういう方向を目指してほしいか。

教養な人たちの受け皿は、アメーバでもなんでも、色々あると思う。

またツイッターは、確かに一流の人間もいるけれど、上記のとおり本当に玉石混交から教養ある人間にとって居心地の良い均質な空間とはなり得ない。

というわけで、今ネットに足りないのは、それなりに教養のある人の社交場であって、はてなにはそういう昔の姿を取り戻してほしいです。

もちろんそういう場所をつくるのははてなでなくても良い。

たぶん今はてなを見捨てつつある人も、新たなたまり場が見つからなくて困ってると思うので、誰でもいいからそういう場所を作ってくれたら絶対人が集まると思う。

2014-04-26

変化への憧れ。変容への怖れ

社会に出て12年が過ぎた

いまでは気付けば中堅層

仕事も大枠が掴めてきて、実績や成果にもあらわれ

それなりの貢献ができてきたと思っていた矢先

経営から組織が硬直化しており、新しいアイデア

組織改善への傾向が弱くなった」という通達があった。

経営陣が変わり組織改善や強いグループつくりを意識せよとの指示をうけた。

朝令暮改では遅い、常に改善実践を心がけ現状からの脱却を目指せと

なるほど、安定化した組織を目指したが変化を恐れてしまった

自らを反省し、今現在問題点や不満を洗い出しとりあえず

試みようと改善点や変更案を提出、実行に移した。

その結果自分に下された回答は悲しいかな、組織を混乱させた

という責任を言及され、多少の降格という処遇であった。

混乱の根源である罪は受けよう。しかし、改善や変化を求める代償

がこれでは、旧体制以上に保守的企業になるのは目に見えている

よかれと思い提案した改良案でここまで自分人生プランを変えて

しまものとはわれながら驚いたのがつい一週間前のこと

組織旧体制に少しづつ戻り経営陣は、改善されない問題にまた頭を

悩ませ、企業成長の鈍化に憂い始めたそうだ。

残念ながらそれが現状の我々の実力なのだ

変化に憧れながらも、それが急激であったり自分たちの予期せぬ結果

になることは怖いという二律背反に苛まれながら明日もまた同じよう

なことを繰り返す

自分は取り敢えず世間が浮かれるこの時期に、来月から赴任する未開の

新天地にある種の諦めと少しだけの期待を詰め込んで荷造りしている。

2014-02-24

ウクライナ政変についてid:Midas氏のコメントまとめ

示唆に富む内容だったのでまとめました。ご本人から要望があれば削除します。

出典:http://b.hatena.ne.jp/Midas/20140223

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世界Twitter同時革命エジプト暴動の時にもこの違和感を覚えたのだが何だかんだいってクルマがきれい。この写真とかで見れる自動車どれも当ってない(過去事故歴がない)しこんな暴動の中で普通(1こ前のモデルはいえ)ベンツ停めとかない(燃やされたりしたら困るから)。ベンツの1番高いの買えるお金持ちは普通そういうとこすごい気をつかう人たち。今やラゴスでもカイロでもキエフでも下手したら東京よりいい自動車にみんな乗ってる。だから報道で「ウクライナ景気後退」とか言われてるけどこの貧困はこれまでの歴史上のどれとも違う。故に「ロシアが正しい」や「米国が裏にいる」「ナショナリズム許すまじ」は誤り。第三次世界大戦覇権争いでなくポトラッチ

世界Twitter同時革命][ピンポイント][ハルマゲドン]ユーゴ内戦ソ連崩壊の結果。シリアウクライナ米国日本中国EU金融政策の結果。市場原理に任せてれば必ず訪れるバブル崩壊が今や不可能(起これば世界破滅)になった代償(局地的破綻)。小国経済大国犠牲

この件を「左翼目的の為にウヨと共闘すべきか否か」と(反原発運動チベット人弾圧でそうしてきた様に)捉えるのは誤り。報道も含め参加者が「自由」「民主主義」と言ってるのは実は全く別の事が問題になってるから

良識ある人々(エジプト革命クーデターと呼ぶ様な)が受け入れないのは『もしも参加者の行動(自由を求める)が崇高なものでなく単なるストレス解消でウヨと変わらずなおかつそれが唯一の選択だったら』という可能性

[ああ勘違い][↓バカ勢ぞろい]↓「河野えらい」とか言ってる奴はバカ。本件は『排外主義』vs 『 国際協調』の争い(我々は自由と人権の為に闘おう!的な)ではない。河野サヨクも全く解ってない。現在(特に日本において)『ナショナリズム』ほど誤解されてる概念はない。皆うすうす「まさか戦前のあの感じになるとは思わないけどそうなったら困るし…」としかイメージできてない。この場を借りてはっきり言っとくがいま全世界で復活してるナショナリズムウクライナ極右イラク武装勢力日本ウヨアメリカンウェイオブライフ『アメリカ的なものとは何か?』の『アメリカ』をそれぞれの国の名前に置き換えただけ。問題の本質は全員が同じメロディで踊ってるにも関わらずそれに気づいてないとこ。既にグローバリズム世界中の人の心に染み付いてる。これは断じて排外主義」vs 「自由、人権民主主義」でなく『同質の人々同士の衝突』。みんなが「それぞれの『アメリカ』心の中にあるマイプライベートアイダホ」を求めた結果。なぜ気がつかないかというと『アメリカ的なものとは何か?』この理想愛国主義は常に「個人」vs 「 社会」であって国家ではなく荒野(ウエスタン)の論理から

内戦の世紀][第三次世界大戦]どの国も今度のナショナリズムは国土を荒野化しようとしてるのであってこれは全体主義ファシズム国家とは正反対(故にもっと悪質)。河野サヨクのいう事を絶対に信じてはならない。彼らもウヨも(そして我々も)同質

[他人の夢]皆社会的状況(しがらみ)から己を切断したがってる。「国歌で起立したくない」「勝ち逃げしたい」「歴史から解放されたい」は同じ自分探し。『荒野(新天地)でなら真の自分定義できる』アメリカ神話に巻き込まれてる

2014-01-08

そろそろスマート家電が爆死した舞台裏暴露する

あんなもん売れるわけないって社内でも9割は分かってたよ。

だけど全員が空気を読んで周囲に合わせた結果があれだよ。

ごく一部の空気の、読めない人間けが批判していたが煙たがられていた。

そして、周囲の和を乱す、空気の読めない人間はどんどん減っていった。

俺もその一人だ。

次は何をする気なのかな。

空気を読むしか能のない人間らだけで。

もう興味のない話だけど、彼らにはずっとあのままでいて欲しい。

そしてずっと低迷していて欲しい。

そうなら俺の仕事も楽になって儲かる。

企業はこうも食い潰されていくのか。

社内の空気を読むのが、いくら上手くても、プロダクトの質は上がらない。

寄生虫を養うことにうんざりして、組織は潰れるんだな。

さて、俺は新天地に出発する。

お前らはずっとそこにいな。

2014-01-06

いい年でいい給料もらってるが楽しくない

35歳定年説wtf?位のいい年したプログラマーで、

自分が首になるかは別として、まあつぶれないような大手企業に勤めてて、

確定申告必須かどうか位の給料もらってるけど、

ここ最近、ありえないくらい仕事がつまらん。

来てくれという会社はあるので、自分の年齢は忘れて、新天地にて上を目指すべきか、

下手な欲は出さずに守りに入り、今の職場に留まるべきか。

どっちがいいんですかね。

2013-11-24

女の子かぐや姫の物語は見せてはいけない

かぐや姫の物語は、この世は美人、金、高名がモノを言うのを丁寧に教えてくれる映画である

この映画化原作より非常に分かりやすくなっている。

超絶美人ならいかなる我儘が許され、自然とちやほやされ、普通金持ちぐらいではお顔も拝見できない。

一般人美人といい関係になるなんて夢でしかないというのもしっかり教えてくれている。

問題がこじれて面倒になれば逃げて新天地でやり直せばいい。

これを見て非美少女勘違いされても困るし、美少女に真に受けられても困る。

風立ちぬでも見て育ってもらいたい。

2013-10-07

はてなダイアリーからはてなブログになったわけは?!

ミ社の事例から考えてみた。

はるか昔のニ社の事例でもいい。

どちらもずっと同じコミュニティを維持しようとして自壊していった。

他の移転先ができたともいえるけれども、それぞれ自らの領地の中に新天地がつくれなかったことは確かだ。

参加しているメンバー新陳代謝ってことなのではないだろうか。

クラス替えとか転勤とか、そういう類のもの強制的に発動させる。

不正の温床となる人間関係やしがらみを取り払う。

これまで貯めた経験値や有利な武器リセットする。

そんな目的もあったんではないかと思う。

古参ユーザーにしてみてはたまったものではないが、旧はてな村が行き詰ってきたら、新はてな村を開拓する。

はてな荘園領主としてみれば、当然のことのように思える。

ミ社も二社も第二ミなんとかとか新ニなんたらをつくれば良かったのではないか

新しいほうでは、コミュニティとか会議室を新しく移住したメンバーで再構築する。

そんなリストラクチャリングが求められていたのではないだろうか。

は社が、古参にも新参にとっても最善の策のひとつを選択してくれたこと感謝したい。

2013-09-03

http://anond.hatelabo.jp/20130902232248

別に嫌いなわけじゃないけど、もう刺激的じゃない。

このまま一緒にいても何も変わらないので、新天地を求めて旅立ちます。ということでしょうね。

2013-08-22

加害者

被害者っていうのはさ、楽なんだよ。社会的にね。「被害を受けたものなんです!」だからさ。

そこを「加害をしていたものなんです!」なんて言ったらさあ、ヤバい奴じゃん。加害者であるだけでヤバいのに行いを公言ちゃうなんて更にヤバいじゃん。お前は加害を肯定しているの?みたいな。加害者であれば、だいたいのことがパーになる。すげえ小説書いたり論理的な人であっても、加害者であればパーだ。「加害者が何言ってんの?」

加害者である自分がこれを書いてるんだから、よっぽど加害に対して思い入れがあるようだ。わたしは加害の報い、罰を受けなくてはならない。しかし私はなんと、私の予想以上に罰を避けきってしまった。罰はなにひとつ与えられることはなく、私は新天地で別人として始まることとなった。新天地への移動は私の思い通りであり、超絶ラッキーだと思っていたが、どういうことか新天地では奴隷のような生活を送ることとなった。

上手な飼い主は、逃げ遅れた馬鹿をゆるやかに奴隷にしていく。彼女ほど見事な奴隷使いを、私は他にしらない。彼女は上からの介入で、奴隷がいなくなり、私も彼女から離れた一人なので彼女のその後は知らない。

いまさら当時の罰を受けようがない。「なんとなく」で始まり強制終了された加害は、誰も真実をみつけないままになった。

「その程度の加害」なのかもしれない。これは私が言ってはダメ言葉上位であるが。

収容所、というのは全てをリセットさせる場所であり、出所するということは「本当に申し訳ありませんでした」という心に生まれ変わることだ。

はいまだに生まれ変わっていない。「生まれ変わったとおもったけど、まだまだ駄目ですねえ」こんなところだ。だいたい、とっても楽しく加害を行ってきたので、「やっちゃダメなことだよ」と理解していても反省しきれない。

小学一年生ときの加害をここまで引きずることになろうとは思ってなかった。

ありきたりな言葉だけど、「やめときな」って伝えたい。お前はなまじ考える人間なんだから、耐えられることだけすればいいのに。

一番嫌なところ:「要領よく加害した自分って希少なのでは?」という恍惚

希少だとしても価値はない。ダサい。くだらない。でも、この恍惚を持ち続けてきた。ここが一番、重荷になっている。くだらない。捨てたい。生まれ変わらせてください。

そういえば、親の金を盗んでいたのに、双方ともに何も触れないまま月日が流れてしまった。これで「いままで反抗期がなかった人間なんですよ」紹介を親がするものから、私はいつも腑に落ちない。あんたどうなってんだ。

2013-06-22

最強助っ人の可能性を秘めたメジャー555発男が、新天地を求めて? 電撃来日した。台湾プロ野球の義大を退団したマニー・ラミレス外野手(41=元レイズ)が21日、台湾から直接米国には戻らず、成田空港に降り立った。

ラミレス極秘成田到着!日本球界で就活か

2013-05-25

ノマド意識高い系を躍らせるハーメルンの笛吹き死滅回遊

http://anond.hatelabo.jp/20130522180539

どこかの高校生が夢に敗れたらしい。

とりあえず思ったことを少しだけ書いてみる。

いや、思ったことというか、今まで色々考えていたことをまとめる。

元増田さんは死滅回遊という現象を知っているだろうか?

もし自己啓発本しか読まない人であればまず知らないのではないかと思う。

死滅回遊というのは無効分散とも呼ばれる回遊魚の異常行動の一種で、言ってしまえば生きていけるはずのない場所へ旅立ってゆく群れのことだ。

それによって環境が激変した際などは、偶然それらのグループのほうが適切な環境めぐりつき、種の存続が可能になる。

もし偶然環境の変化によって生まれた新天地に巡りあえば彼らはライバルの少ない環境を謳歌できるだろう。

まりハイリスクハイリターンの旅である

まさにノマド意識高い系の行動原理がソレに当たるし、そのように統計的に分析されれば確率的な危険度が顕になるためこういう概念自己啓発本に載ることはないだろう。

ここまで書いてだるくなってきた。

まぁ、つまり日本というコミュニティーのための貴重な犠牲なんじゃないかという話です。

かっこ良くタイトルまでつけたのにハーメルンの笛吹き云々いってる時間ないや。

そこら辺は想像で補って下さい。

功利主義的に安藤美姫とかがノマドを煽るのは正しいじゃないかって可能性を考えてみたというお話

だって誰もが誰も安定思考だと環境変化で滅びるし

というか滅びそうだし此の国

で、ハーメルンの笛吹きをやるほうもまぁ、自分たちの欺瞞とか当然知ってるだろうし。

それがわかった上で100人若者犠牲にしても10000人の市民の命守る形になるんじゃないかなーとか

そういう決断アジってる人全員がしてるとは言わないけど。

結構わかってアジってる人もいるんじゃないかなーとか

そしてそれって凄い辛いことなんじゃないかなーとか

そして、この僕も数々の講演会で彼ら言論人の言うことを純粋に真に受けて今の身分にまで堕ちた人間だ。責任をとれとは言わない。勉強全然して来なかったのは僕自身の怠慢だからだ。

でも、「学生よ、もっと海外に出ろ」とか、「いい大学に入って、いい会社に入って、それで終わるつもりか?」とか、「安定を求めるな」とか言う前に、「当たり前だけど、勉強大事だよ」という「前提」ぐらいは、講演会学生向けの集会なんかでも言って欲しかったな、と。

という意見は最もだが、

キラキラした目の君をすりつぶしてでも世界を回そうと必死で痛む胃を抑えて嘘をついてた可能性もあるかもよーってね

2013-04-08

http://anond.hatelabo.jp/20130408220824

無理に合わす必要はないし、自分にあう場所はあるんで、新天地を求めてみるとか。中途が多いとこなら気にならないかもしれないし。

2013-03-01

パズドラ中毒と、課金と、乙女心

自分仕事をしてるので、男性仕事から帰ってオフタイムになり、家ではボケーっと過ごす姿はすぐに想像できる。

自分もいつもそんな感じだから

家についたら10分とか1時間とかぼけーっと呆けてしまうこともしばしば。

かといって、専業主婦のように旦那が帰ってくるまでわくわくして待ってる女側の気持ちもわかる。

話し相手がほしいんだろうな、あれは。

果たして男性はその両方を考えたり、理解したことがあるのだろうか。

専業じゃなくても帰宅して落ち合ってから女側がどんなふうに相手と接したがってるのか、とか、そういうの。

家ってオフタイム時にパワーチャージする場で、一人暮らしなら一人、複数暮らしなら複数でのチャージの仕方があるんだと思う。

一人の頃は好きなことをやってりゃーいい。

二人なら二人とも勝手に好きなことやってりゃいいってもんでもなさそう。

二人+分身ができたときはまた別だ。

子ども可愛いから明日も頑張れるとか言う男性いるじゃん。それって一人で勝手に好きなことをしてオフタイムを楽しむのとは全く別物。

ケースバイケースというか、環境が変わったら何か知ら変化するものだろうと考えている。

かれこれ2~3か月ずっとパズドラばかりしている同棲中の彼に、いささか不満を持っている。

起きたらすぐパズドラ通勤中もたぶんパズドラ。私がごはん作ってる間もパズドラ。食べる直前までパズドラ。長トイレもきっとパズドラ。寝る間際もパズドラ寝落ちして滑り落ちたiPhoneパズドラ

ネトゲに限らず、ゲームが悪いとは言わない。これまでもやめろとは言ったことがない。

だけど、少しはかまってよ、これくらいは言いたい。

しかも、課金までしてるらしい。

さすがに、理解の限界だなぁ。

私は暇があるから料理したり、洗濯機まわしてるわけではないんだよ。

私の趣味をやればいいといわれるだろうけど、ロックライブDVDを相手や隣近所に気遣って小音量で見ても楽しくないんだよなぁ。

新天地での地盤作りに専念してもらいたいから、オフの時くらい好きなこともさせてあげたい。

だけどそればっかりはイヤ。たまにはこっち向いて。

一緒の空間にいても、違うことをやっていればそれは時間を共有したと言い難いでしょ?

オンナだからですかね、こういう感情になるの。

2012-11-25

エヴァQのまともな見方

ネットサーフィンしてるといやでもエヴァQの感想がめにつく。

やれループだやれ巨神兵だやれミサトさんひどいだ……。

どうしてそんな穿った見方しかできないんだろう?

とりあえずどうしてもエヴァループものにしたいやつはまどマギを楽しみにしたほうがその人のためだし、

巨神兵までエヴァの一部みたいに思っているやつは風の谷のナウシカという漫画を一度は読むべきだし、

ミサトさんひどいとかいってるやつはもうちょっと人の意図というものを読み取る訓練をしたほうがいい。

しかエヴァというのは穿った見方をさせようとするような磁場がある。

とくにテレビ版と旧劇はそういう性格が色強くでていたと思う。


けれど、新劇はまったく違うストーリーの描かれ方をしている。

新劇は、ヱヴァンゲリヲンといったっていいけれど、これは前と違って至極真っ当な物語なのだ


それは序、破ではみんなわかっていたはずで、

かつてのエヴァにくらべると真っ当だ、ということを強く認識していたはずで。

でもQの極端な急展開にめくらましを食らっている。

繰り返しになるが、僕が強く主張したいのは、新劇は、とても真っ当な物語である、ということ。

そしてどこまでも観客のために作られている作品だということ。

前置きが長くなったけれど、タイトルどおり、まともな見方を提示したいと思う。

エヴァQという作品の肝心な部分は、

碇シンジを観客のラインまで下ろしてきて、感情移入できるキャラにする、というところだ。


直行って第壱話からぼくはなんでシンジエヴァに乗ったのかわからなかった。

そりゃ綾波だとか親父だとか、そういった要素で乗ったという論理は捉えられたけれど、

その気持ちを理解できるかといえば完ぺきにノーだ。

時はたち、彼は序、破とどんどん成長していって、シンジさんなーんて呼ばれるような大人びた存在になってしまう。

そこにいるのは僕ら――この二十年近く前のアニメリメイクをよろこんでみている僕らとは、まったくかけ離れた存在だ。

あのシンジさんに感情移入できるという無自覚なリア充

どうぞエヴァQをクソつまらんといって月9ビブリア古書堂でもみてください。

もともとエヴァの、シンジの魅力というのは、どこか僕ら側にいる主人公だ、という点だったはずなんだ。

それがTV版では話が進むうちによくわからなくなっていって、

旧劇の完全に狂った彼の姿は僕らとはまったく関係ないところにあった。

それとベクトル真逆の方向を向いているけれど、破でもシンジも僕らとは関係ない存在だったわけだ。

綾波を、返せ!」というセリフをはじめて耳にしたときの印象を思い出してほしい。

僕はまったくしっくりこなかった。どこかそれは英雄じみていたから。

こんなクソみたいな生活を相変わらず続けているる僕とは似ても似つかないキャラクターだった。

でも僕は破に夢中になった。爽快だったし、ポジティブ綾波アスカ快楽主義的な立場で可愛さを感じたから。

そしてQだ。はじめて見たときは面食らった。

14年後って設定もヴンダーデザインもゲンドウのサングラスもなにもかもに。

面食らっているうちに『つづく』の文字が黒背景に浮かんでいた。

見終わったあともしばらくポカーン状態がつづいていたけれど、一日くらい経つと、何か残るものがあった。

見事なまでに、僕とシンジの心象が重なり合っていたのだ。

というより、自分映画を見ながら思ったことを、シンジが感じていたことだと考えてみると、

とてもしっくりいくことに気付いた。

起きたら14年経っていたときの驚きがまずそうだろう。

あのヴンダーだとかサングラスだとか新キャラだとかの強烈な違和感

冗談だろと思いながらも、でも14年は立ったんだ、それはまるで旧劇から今までの時間のように、という曖昧な実感。

崩壊したネルフ本部、アヤナミレイに覚えてしま嫌悪感

24話んときはどうもキモかったカヲルくんにも、妙な親近感がある。こいついいやつだな、という。

そしてサードインパクトの結果も、『急にこんなこと言われたってなあ……』という、

自分関係ないといったような無責任感情

そして、『この世界をやり直したい』という強い気持ちと、2本の槍にすがってしまう気持ち。

なにもかもが手に取るようにわかったのだ。

いままでのシンジの行動は、観客が責めることができるか、褒めることができるか、そのどちらかだった。

でもQでの彼の行動は、どこまでも理解できるものだった。

そしてシンジの行動を観客に理解できるようにするには、この構成とストーリーは、必要不可欠であるように思うのだ。

ミサトさんだって『行きなさいシンジくん、とか言ってたくせして、あなたは何もしないで、といってひどいやつ』

みたいなコメントをいくつか見かけたけれど、ちゃんと映画全部見たのか疑うレベル

もしくは親から先生からもしつけられたことのないゆとりか。14歳の感想だったらゆるせるけれど。

エヴァQをつまんなかったというひとは、ハリウッド映画みたいなのを期待しているならもう見ない方がいい。

逆に、謎の考察ばっかしてる加持リョウジじみた人は、もうちょっと主人公たる碇シンジ視点によってあげてほしい。

いまさら人類補完計画の全貌がなんだろうが、どうでもいいでしょう? ゼーレの正体とか気になる? 

いまだに本気でTV版の伏線まで回収してくれるなんて思っちゃいないよね? 先はどんなに予測しようが何の意味もないし。

伏線の回収なんかより、胸踊るサスペンスなんかより、キャラクター同士の馴れ合いなんかより、

描くべきものというのがあるはずなのだ

これは厄介なことに巻き込まれた14歳の少年ドラマだ。

そして14年前、旧劇で『現実に戻れ』とバケツ一杯の冷水を浴びせられながらも、

学びもせずまたアニメらしいアニメを期待していた僕らへの、再びのメッセージなのだ

しかし旧劇のように、庵野さんは水を浴びせるだけで済ますのではない。

観ることで自分現実にまで意識がいくように、丁寧に構成を組んだのだ。

そして、僕たちにはまだシン・エヴェンゲリオンが用意されているというではないか

なんてサービス精神の旺盛な人なんだろうか、庵野秀明という人は。

僕は、エヴァQは一つアニメ新天地を切り開いたと思っている。

あのテレビのエセ心理描写なんかじゃないほんものドラマを、

少なくとも碇シンジに関しては成立させているように感じた。

冒頭の宇宙描写の精緻さが話題になっていたけれど、それと同じように、

キャラクターの気持ちを精緻に描いてみせたのが、エヴァQなんじゃないかね。

2012-10-09

我々は凱旋門賞の勝利を失った!

しかし!

これは敗北を意味するのか?!

否!!

まりなのだ!!

欧州にくらべ日本近代競馬歴史は三分の一以下である!!

にもかかわらず、今日まで果敢に戦いぬいてこられたのは何故か!?

諸君!

日本馬の競争目的こそが正義であるからだ!!

それは競馬場に通う諸君らが一番よく知っている!

ノーザンダンサーの血にこり固まった一握りのサラブレッドアメリカ新天地を含む世界全域を支配して五十余年!

日本に住む我々が凱旋門賞を要求して、何度欧州の名馬どもにふみにじられたことか!!

かつてジオン・ダイクンは競馬革新極東の民たる我々から始まると言った!

その言葉のとおり!

我々は過酷な高速芝を競争の場としながら共に苦悩し、練磨して今日を築きあげてきた!

我が日本競馬はダイクンの夢と理想をまさに形あるものとしてきたのだ!!

JRAの掲げる、世界に通用する強い馬づくりの為の戦いを!

神が見捨てるわけがない!!

わたしの三冠馬、諸君らが愛してくれたオルフェーヴルは負けた!

何故だ!!?

(池添「スミヨンだからさ」)

新しい時代覇権を、彼等選ばれた競走馬が得るのは血統の必然である!!

ならばこそ我々はオルフェーヴルの前に襟を正し!

士気を高め!

この戦局を打開しなければならない!!

競馬界全体の明日のために!!

しかしながら欧州サラブレッドどもは自分たちのみが凱旋門賞の勝利を有するとして我々に攻撃を加える!!

諸君のエルコンドルパサーディープインパクトナカヤマフェスタも!

その無分別な暴力の前に敗れていったのだ!!

この悲しみを怒りを!

忘れてはならない!!

それをオルフェーヴルは敗北をもって!

我々に示してくれたのだ!!

我々は今!

この怒りを結集しロンシャンに叩きつけるべきである

そうしてこそはじめて真の勝利を得ることができる!!

この勝利こそ戦いに斃れた馬達への!

最大の慰めとなる!

競馬ファンよ!

悲しみを怒りにかえて立て!

競馬ファンよ!!

我等が日本競走馬こそ神に選ばれた馬であることを決して忘れてはならない!!

優良種たる日本馬こそ凱旋門賞を勝ち得るのである!!

ジークケイバ!!

2012-07-24

いじめで反撃すればいいという意見について

 いじめにあって、小学生のころに反撃したことがあった。

 クリティカルヒットを与えてしまい、逆にそのことを根にもたれるようなって、小学校を出るまでいろいろな場面で困った。

 なので、変に反撃に出るってのも考え物だと思う。

 反撃して決着がつけばいいけど、逆に負けちゃって余計に立場が弱くなることだってある。

 立場が弱いことといじめ境界線は微妙だ。

 子分になって服従する関係性ができればいいのだが、子分じゃなくて搾取先でしかないのだ。

 先生に申し出るのも、賭けだ。

 先生対応如何では、妙なクラス会議になって、逆に悪い立場に追い込まれることもある。

 親も何らかの組織の一員なので、その後ろ盾が弱い立場にあるときは、それなりの効果しかない。

 先生だってただのサラリーマンだ。聖職者ではない。残念だが、強いものには弱いんだ。

 子供対子供の関係性だけでなく、親の所属する組織宗教政党地縁のような目に見えない属性があり、それらの力関係もすべて、子供たち同士の関係性に否応なしに入り込んでくる。子供にはがんばる競争を煽っておきながらも、勝者はあらかじめ決まっているんだ。

 いじめられる側は、一対大勢という立場に追い込まれやすい。

 ちょっとしたつまらないことで揚げ足をとられて、追い込まれる。

 いじめる側は、そのつもりがなくても組織的な行動を証拠なしにするだけでいじめ状態に追い込める。

 そんなのに個人で立ち向かうのは困難だし、クラスという枠組みが変化するまでその関係は固定化されてしまう。

 クラス編成の運がいいかいかの問題でしかない。番号順に並んで前後のヤツは、苗字五十音の近いヤツだ。阿部君は一番前のほうで、渡辺君は、一番最後だ。「あ」で始まる名前は大変だ。第一声で空気をつかまないといけない。そんな理不尽なことは運の一言で片付けるしかない。

 クラス替えまで我慢するとか、卒業するまで我慢するというのが、一番だった。

 図書室でも保健室でも逃げ込めばいい。そっちのほうが絶対に楽しいぞ。

 学校外でのスポーツ活動に精を出すのもいい。

 とにかく、学校という枠組みを自分人生のメイン作業からはずして道を見つけよう。

 

 いじめに類することは、子供のころだけに起こるわけではない。

 大人になってからいじめのほうがより巧妙かつ合法的に行われるのだ。

 ブラック企業なんて、その最たるものだし、パソナルームなんてお仕置き部屋や望まない配置転換だってある。

 結局、ある程度の多数があなたを望まないときは、いったん身を引いて、新天地を求めるしかない。

 シビアな判断を要求される場面で迷ったときには、みんなが笑顔卒業できるか、何年後かの同窓会を楽しく迎えられるかと考えるといい。

 会社だったら、円満に退社して、送別会をやってもらえるように行動するしかない。

 いじめる側もいじめられる側も常にうまい上がり方を考えて、大人に振舞うしかない。

 

 学校先生には新学期最初毎日の朝の会で、そのことを口がすっぱくなるまで言い続けてほしい。 

 どうせ、100年経てば、みんな死じゃうんだ。自殺だろうと自然死だろうと。運のよさに感謝して気楽に生きていこう。

2012-07-10

原発を推進した私が福島被災者として感じたこと - 災害本質、真の原因を考え続ける必要がある : アゴラ - ライブドアブログhttp://b.hatena.ne.jp/entry/101231438

根本的問題を後回しにしてきた前のめりの原子力政策、すべてを形式的に済ませてきた関係者の甘さ、中央官庁本社から現場が遥かに遠い存在であったこと、自治体も住民も利益享受には熱心であったが緊急事態に関してはまったく油断があったことなどである



警戒区域に残してきた不動産に対する賠償にも、いまだに応じていないので、新天地で生活を再スタートしようとしている避難者は計画が立たない。



あらためて思うこと

今回の大事故の根本原因は関係者が、原子力平和利用三原則「民主、自主、公開」を踏みにじったことだ。

原子力村と呼ばれる共同体が、自分たちだけで決めて進めてきたことが、必要な慎重さと世間とのバランスを欠いた、形だけ取り繕った原子力開発となってしまったのだ。

気になるところをメモφ(..)

2012-04-22

3つの選択肢…年老いた母親と、病気の妻、じぶんのプライド

世の中にどうしても解決できないことというのがあるのかもしれないってことを整理したいがために、これから書くことを試みる。

年老いた母親と、病気の妻、じぶんのプライド、どれを取るべきなんだろうか。考えれば考えるほど、出口が遠く見えなくなり、発狂しそうな自分をどうにか日常に引き止めておくことしかできない。

自分には年老いた母がいる。決してマザコンではないが、幼くして父が亡くなったために母親には兄弟共々途轍もなく世話になり、恩義を感じている。そして、いつか母にラクをさせ幸せに暮していけるようにすることが長男である自分の責務だと思っていた。

ところが、30歳の頃関連会社を通じて出会った素晴らしい女性と意気投合し、生き生きと仕事をこなす彼女と一緒に会社を起こすがために、関西を後にして東京に出てきた。そこでの約10年間は自分にとっても充実していたし、母にも自慢の息子を演じることでささやか親孝行ができたように思う。

彼女仕事をするのも、どこかに行くのも、時を忘れ議論を交わすのも、何もかもが楽しかった。その時間を、ある日あることが一変させた。

順調に仕事をしていたある日、彼女の指先が真っ白になっていた。それからあっという間に手が不自由になっていった。半年ほどあちこちの病院検査をし、やっと「全身性強皮症」という診断をくだされたときには、彼女は一人で服を脱ぎ着するのもシャワーを浴びたり顔を洗うのすら、いつもの数倍の時間をかけるほど、症状が進行していた。たった半年で、だ。この病気膠原病の一つで、皮膚が硬くなってしまう。血管に物理的変化が起きて血流が悪くなるため、一度傷ができると治りにくくすぐに化膿してしまう。発見が遅れると内臓病変も起こし、それで亡くなる方がいまだにいるとのこと。

確定診断をくだしてくれた先生のお陰で進行はそこで止めることができ、大量のステロイドや血流改善剤で身体の不自由さも徐々に引いていった。彼女は、一ヶ月の入院治療後、通常の生活に戻ることができた。料理が大好きな彼女は、仕事を休んでいる間、楽しそうに料理を楽しんでいた。見かけの握力がないため今までのように瓶のふたが開けられなかったり、血行不良でレイノーが出るため冷たい水でお米を研いだり野菜を洗うことはできなかったけど、なんだか今までの生活が戻ったように錯覚した。

しかし、油断できない。症状の落ち着いた今でも3ヶ月に1度は数百キロも離れた主治医病院に通院し、毎度の検査で1年をかけて内臓の検査を一巡する。いまのところ、逆流性食堂炎と間質性肺炎というのが軽く見られる程度とのことで経過観察中だ。

そして…自分には時間がなかった。

彼女病気きっかけに会社をたたまざるをえなかった。何故って彼女会社の営業みたいなものだったし、人間嫌いな自分彼女の作った人間関係を次々壊してしまった。たぶん、ある種の病気…考えれば考えるほど、追い詰められれば追い詰められるほど強迫的に関係を壊してしまう。自分が情けなかった。

彼女自分を立ててくれていたんだと思う。壊した関係をあえてフォローしなかった。彼女にはフォローできたはずだけれど、自分に恥をかかせるよりは仕事人間関係を失うことを選んだようだ。友人や先輩との縁もそうやって彼女は失っていった。悔しくて辛い選択だったと思う。なぜなら彼女健康だった頃、20年近くかけて築き上げてきた関係だったのだから

自分には時間がなかった。母親は容赦なく年老いていく。しかし、一度つまづいた自分は親の面倒をみることすらできないほど落ちぶれてしまった。もちろん、彼女にラクをさせてあげることも問題外だった。今の自分たちに未来は見えない。貯金を食い潰す毎日だ。それでも、まだあなたは以前の仕事に戻れる、まだあきらめちゃダメだと彼女は言う。うれしい反面、途轍もないプレッシャーだ。

彼女自分と対象的に母親に苦労して育ち、貧困の中で努力して高学歴を得た。確実にキャリアを積み上げて病弱な母親の面倒を看ながら、イキイキと仕事していた。「いつか何の不安もなく安心して暮らせるようになりたい」というのが彼女の唯一の夢だった。彼女母親は若くして亡くなり、自分出会ったときには彼女は独りだった。母親DVのせいで未だに悪夢を見ていた彼女は、自分となら幸せになれると思って公私ともにパートナーになってくれたんだと思う。

でも、自分では分かっている。もう、自分キャリアが世に中に通用しないことを。彼女もやっぱり半分分かっている。世の中そんな甘いもんじゃないってこと。でも、ブルーカラーになる勇気がないのは、彼女をガッカリさせたくないこと、親に恥をかかせたくないこと、そして何よりも自分の情けないプライドのせいだった。

一度は成功した自分が、ブルーカラーUターンをする? 街の同級生や親戚たちの好奇の目に晒される? 母親の自慢の息子から、親のハジとなるために戻る? そんな状況であっても、年老いた母を看取るまでそばに居てやることは、果たして親孝行なのか? 否、たとえそうでもそうしなければ「人でなし」とそしられる。そんな恐怖に自分は耐えられるのだろうか? 妻も同じ目でみられ、血がつながっていない分、親戚からの風当たりは自分より強いだろう。治療中の彼女にはそんな思いをさせたくない。否、そんな思いをさせるしかないことへの抵抗が自分へのプレッシャーなのだ

母親はまだ元気ではあるが独り暮らし不安さりげなく訴えてくる。何度か、病気の妻を捨てて戻って来いと言われたこともある。まだ生きている彼女の父親(彼は彼女中学生とき家族を捨てた)が面倒をみるべきで、お前が犠牲になることはない、ととんでもないことも言った。

そして、選んだ。彼女と別れることを。

幸い子供もいないし、籍も入っていない。彼女自分の親戚のしがらみに放り込む必要はない。

母親を看取ったら、また彼女の元へ戻ればいい、それしか今の自分には考えが浮かばない。彼女の症状は一進一退ではあるけれど、介助が必要なほどではないし、そうならないように主治医の近くに住んでもらおうと思っている。生活が落ち着くまでは面倒を見るつもりだ。

それのどこが間違っているのだろうか? 人としておかしいのか、真っ当なのか、考えれば考えるほど分からなくなる。

彼女は、受け入れてくれている。なんとか一人で生計をたてる計画を練っている。彼女相談した親友たちはことごとく反対したり怒ったりして心配してくれたが、やっぱり最適解がないのは同じだった。

地元ではなんて言うの?と気にしている。別れたと言えば簡単だし、彼女の病状も母親はあまり知らない。治ったといえば信じるだろう。性格の不一致というやつで片付ければ、自分けが人でなしになるだけで済む。

あとは、彼女が持ち前のネットワークの開拓能力を発揮して、新天地でうまくやってくれるのを祈るだけだ。

…こんな選択しかできない自分。こんな馬鹿なやつは、いつまでも色んなことがうまくいくと信じていた馬鹿なやつは、自分ぐらいなんだろうな。

どんな罰でも受ける、そう思いながらも、プライドプレッシャーに押しつぶされそうな毎日事故で何もかも一瞬で終わってくれたらどんなにラクか…と何度思ったことか。

彼女が作った食事を2人で食べる。何気ないひと時が辛くなるぐらい幸せ過ぎて、このひと時があと数ヶ月でなくなるなんて、信じたくない。やっぱり人でなしだろうと、彼女と別れて暮らすなんて信じられない。その一方で、母親は独りで食事を作り、独りで食べている。一緒にいてくれる猫には頭が上がらない。

実際、全員が幸せになるシナリオなんて、この世にあるんだろうか…

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