はてなキーワード: 弟子とは
90年台は小室哲哉と華原朋美、keiko、松浦とあゆ等、プロデューサーとの師弟愛カップルが多かった。
歌謡曲の成長期にも似たようなことがあって、ジャンルが成熟してくると、商品や作品を作る“マニュアル”ができて来るのに対して、成長期は一個人の力が非常に大きいから、個人と個人の結びつきでものを作っていくことが多かった。
バラエティだとイモトアヤコとディレクター、ギャル曽根とディレクター、キンタローとディレクター、鈴木おさむと井森美幸
演劇だと
13歳年下の大澄賢也と結婚した小柳ルミ子も忘れてはいけない師弟カップルで、ほぼ無名のダンサーだった大澄に光を当て、ダンサーとしてだけではなく、芸能界で活躍できるタレントにまで押し上げた小柳の功績は、まさしく名伯楽と呼ぶにふさわしい。
13歳という年の差以上に、10代から活躍している小柳ルミコは結婚時、すでに芸歴約20年のベテラン。対して、大澄とは芸歴0年に等しい。キャリアの差で考えると、親子ぐらいの差がある
キャリアに開きがあるからこそ師弟として成立しやすく、関係性も安定する。しかし、弟子が成長してしまうと、その関係は崩れてしまう。
結婚直後は、夫婦ともにテレビ出演やステージを行うなど、年の差おしどり夫婦として立ち振る舞っていたが、'00年に離婚。11年の結婚生活だった。
大澄自身が告白しているが、小柳から「離婚の条件として高額の慰謝料を支払うか、それができないなら結婚以前の無名のバックダンサーに戻るか」の二者択一を迫られたそうだ。結局、大澄は1億円ともいわれる慰謝料を支払う。
小柳ルミ子からすれば“誰のおかげでここまで稼げるようになったと思っているんだ”という思いがあったんだろう。そうじゃなければこんな二択を迫らない。彼女にとっては、破門に近い要求だったんだろう。
自分は東大法学部卒で団藤重光先生の弟子だった、あなたと5歳しか違わないのにまーなんでそんなこというんでしょうなどという具体的な会話が平成30年、31年頃に携帯電話を
介して存在したがここ2年ほどは着信後に電話が切れるという感じ、最後に残した言葉は、「有名なやつ・・・」というだけ。爾来、法律の内容、技術を教えたことは1回もなく、極めて醜悪な
性格から、大体、簡潔な事項と過激な事項の合体した定理やなんかだと完全と言われていてそれでほとんどうまく行くということは知られるのがまずいので決して教えない。
メゾンときわ台に引っ越した2年前は左程と言うこともなく、新居、新居住権が与えられたという感じで意気揚々だったが、新しい住まいができるという期待権は、11月頃に、3階のままや
周辺者が合鍵を持っていて室内のジュースを飲んで玄関に捨てているのが発覚した時点で失われ、R4.11.29に待ち合わせたように延岡で強制保護。
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アパートの契約更新なしは佐藤の夢誘導でなくなったりして自然的な結果として契約更新となったが実質的な居住への期待権とか文化的な生活は失われた。もともとは、健康管理の小島良二、
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すなわち、精神錯乱による保護、措置入院、 飯沼病院とも何の音信もなくなったことからその辺の話が消えた代わりに、寝ている間の催眠や放火の量が甚大である他、警察の保護が次第に
薄らいでいることから、最近は、警察以外の者による攻撃が増加しており、R5.8月頃は、本官の自転車を蹴り倒し、本官が、本官の自転車を蹴った、などといって怒り狂っていたが、最近は警察官
第8回横浜トリエンナーレ「野草:いま、ここで生きてる」がこの土日で終わります。私も見に行って、なかなか面白く思いました。ところが友人によると、SNSでは批判の声が多いそうですね。あまりそういうものは見ないようにしているのですが、友人がその場で例を見せてくれたので、ついいくつか読んでしまいました。そのときの感想は、ひとことで言うと「批判者の言うことにもわかる点はある。でもキュレーターはそれなりによくやっていたと思うし、今回が最悪だとか、他の回に比べてどんどん悪くなっているとか、そんな気はしない」ということでした。そこで友人といろいろのことを話し合ったのですが、今はそれを思い出しながらこの文を書いています。
今回の展覧会には魯迅の『野草』という短編集が深く関わっていますが、魯迅は「おおむね、折にふれてのささやかな感想を述べたに過ぎない」と述懐しています(岩波文庫、竹内好訳『野草』の解説)。魯迅の感想が短編集『野草』を生み、『野草』がこの展覧会を生み、この展覧会が人々の感想を生み、そしてその感想がこの感想を生みました。もしこの感想を読む人がまた新たな感想をもつならば、それで満足です。
人は物事に触れて感想を持つものだと思います。SNSの批判の中にも、「これは感想にすぎない」というような留保をつけるものがありました。感想は自由にあるべきと思います。そして、感想を読んだ感想というものも自由にあるべきでしょう。今はくだんの批判を読み直さず、またあまり調べものもせずに書いていますが、不十分なところはどうぞ悪しからずご理解ください。これは「論」ではなく、「感想」のつもりです。
今回の展覧会の特徴は、「作品」と「意味」のバランスを探る点にありました。多くの作品は、ただ「見て楽しむ」ものではなく、「意味を考える」ことが求められるものでした。そのバランスがキュレーターの側でうまく作れているか、そして鑑賞者がそれをどのように読み解くかがカギになっていたと思います。
今回のテーマは「野草」というのですが、その裏には魯迅の『野草』という著作が密接しています。これは展覧会中にも幾度となく示されており、魯迅の『野草』の本も展示してありました。この本は「二十四篇の短文から成る」ものですが、「スタイルはまちまちであって、詩あり、散文あり、また即物的なもの、追憶的なもの、観念的なもの、象徴的なもの、風刺的なものなどが入り混り、内容形式ともに多傾向」なものとなっています(岩波文庫、竹内好訳『野草』の解説)。この本は意味があるようで意味がない、意味がないようで意味がある、詩のような文のような、芸術のような政治のような、一種独特の雰囲気をもった作品集です。
これを読んでから展覧会を見渡すと、「キュレーターたちは横浜美術館を一冊の現代版『野草』にしようとしていたのではないか」ということに思い至ります。
そう考えると少し納得できる点もあります。それは「文」への偏重です。友人は次のように話していました。「私は今まで、展覧会は作品を見ればよいと思っていた。作品を見ずに解説ばかり読む人があれば、本末転倒だと考えていた。つまり、言葉を軽視していたのだ。ところが、今回の展覧会では作品の多くに意味があり、その意味もキュレーターの解説を読んで初めてわかるようなものが多かった。入口にはタブレットの文章が並べられ、その左側の階段の上には本を並べた一角もあった。さらには猟師へのインタビューがあったり、詩が作品として出ていたりと、言葉への重視が目立った。」
しかし、これは考えてみればさほど奇妙なことではありません。ふつう、広く「芸術」 (art) と言うときには「文学」を含みますし、「美術」 (fine art) というときでも「詩」を含むことがあります。「芸術」は「造形芸術」に限られたものではありません。もちろん、ただの書籍や文章が「芸術」と言えるのかどうかは議論の余地がありえますが、言葉と芸術の距離がそう遠いものでないことは確かです。
さらにテーマの「野草」が魯迅の『野草』に由来するものであることを考えると、今回の展覧会の裏地には文学がぴったりと張り付いているような気がしてきます。キュレーターが中国の出身であるということから、なんとなく心のなかに「文の国」という言葉が浮かんできました。三千年の歴史をもち、科挙の試験にも詩が課され、書という芸術をいだき、詩文や文字が芸術でないなどと疑ったことのない文化の国のイメージとともに。
いっぽう、日本で一般に「芸術」というとき、それは詩文を容れえないほど偏狭なものなのでしょうか? 批判の中には「文」への偏重に対する疑問もあったように思います。そのような人々にとっては、あたかも展覧会から「あなたの思う芸術とは何ですか?」という問いが投げかけられたような恰好になっているわけです。
では、「芸術(アート)」とは何でしょう。批判する人たちの中には、自分にとって「美しくない」「面白くない」から「芸術(アート)ではない」と断じたい人もいるようです。でも、現代アートは「美」への問いかけを含むものではないでしょうか。デュシャンの「泉」などはまさにその代表だと思います。また、「芸術」における「言葉」といえば、シュルレアリスムと詩の関係だとか、20世紀初頭の芸術家たちがしちくどい宣言を次々と打ち出したりだとか、いろいろと思い当たることはあるはずです。そういうところに「美しいものが芸術なのか?」とか「言語表現は芸術と無関係か?」といった問題はゴロゴロと転がっているわけで、簡単に「これは芸術だ」「これは芸術じゃない」と判断できるはずはありません。その人たちの考える「芸術」は、どのくらいの狭さなのでしょうか。
鑑賞者は芸術に触れるとき、常に戸惑い、「作品の受容」ができない事態に直面する可能性をもっています。そのような時こそ、自分の中にある固定観念を見直す機会かもしれません。今回、批判したくなった人が多かったということは、それだけ作品からの「問い」を受けた人が多かったということでもあります。そうなると鑑賞者は、やっかいなことですが、自分の回答を練らなければならなくなります。批判もひとつの回答ですし、その回答に満足せず、さらに新たな回答を考えてもよいわけです。陳腐な言い方ですが、「作品との対話」が必要な展覧会であったと言えるのでしょう。
友人はまたこうも言っていました。「かつては『現代芸術は抽象的すぎて何が描いてあるかわからない』という時代があり、その後に『現代芸術は難しくない、何も考えずに作品を面白がろう』という時代が来て、それはひとむかし前まであった。でも、それが終焉すべきときに来たということかもしれない。今は言葉の時代なのでしょう。考えずして何が現代の芸術か、ということになっている。地味でつまらなかったといった批判もあるようだが、休日にちょっと芸術に触れてみよう、子どもを芸術に触れさせてみよう、デートで美術館に行ってみよう、特に『何も考えずにただ作品を面白がろう』と期待した人にはつまらなかったかもしれない。」
たしかに、昔からの(または昔ふうの考えをもった)現代芸術の鑑賞者の中には、「芸術とは面白がるもの」という考えから抜け出せず、新しい潮流に戸惑う人がいるかもしれません。「金を払って楽しみに来た」という手合いには、気の毒だったと言えるでしょう。しかも来訪者への間口は大きく広げられていたので、そのようなミスマッチを生むしかけは念入りに準備されていたともいえます。今回は横浜美術館の改装後の久々の展覧会であり、規模も大きく、宣伝もあって、多くの人を誘い込む要素がありました。そのような場で横浜美術館は「人を面白がらせる」展示をすることもできたはずです。しかし、実際には「人を戸惑わせる」展示を行いました。だからがっかりした人も多かったのでしょう。
私も「キラキラ」な楽しい芸術が好きです。だからそういうものが多いと嬉しいし、その逆ならばがっかりします。しかし、美術館の目的には「レクリエーション」もありますが、決して「レクリエーション」だけを目的とした施設ではありません。今回、美術館はこのような大規模の展覧会で、作品との「出会い」と作品からの「問いかけ」を提供し、人々を「戸惑わせ」てくれました。その意味で、美術館はよくやったと思うのです。「キラキラ」な楽しい回があってもよいし、「地味」な考える回があってもよい。美術展はそういうものだと思います。
ここで、ちょっと過去のトリエンナーレを振り返りたいと思います。
私が初めてヨコハマトリエンナーレに訪れたのは2011年の第4回「OUR MAGIC HOUR ――世界はどこまで知ることができるか?――」でした。この年は東日本大震災の年で、印象としてはとにかくキラキラと輝くような回であったということです。震災後の混乱をアートがどう扱うか、芸術家の間でもまだ折り合いがつかずに、ただ思いつく限りのことをやってみたといった印象で、宝箱の中の宝石をぶちまけて転がしてあるような、たいへん魅力のある回でした。私にとってこの回は「よい」の標準になっています。
2014年の第5回「華氏451の芸術:世界の中心には忘却の海がある」もたいへん期待したのですが、この回は言ってみれば「地味」な印象で、まだ青かった私は「ハズレ」だと感じました。しかし、友人はこの回も面白かったと言っています。この回は「忘却」がテーマで、戦争中に作家や芸術家がいかに体制側に立ってはたらき、戦後その責任もとらず、反省もせずに「忘却」したかということを、当時かれらが執筆した文章を並べて示していました。このころには震災後の政権交代や脱原発などの流れの中で、世の中を動かすのは「政治」であるという意識が出てきていたためかもしれません。
2017年の第6回「島と星座とガラパゴス」は、博物館の表に救命ボートがびっしりと張り付けられていました。「ネトウヨ」に関する展示もひとつふたつあったことを覚えていますが、これもきわめて「政治的」でした。長期化する安倍政権のさなかにあって、政治の右傾化が懸念されていたことも影響していたのでしょうか。(「政治性」の話は、後で少し触れたいと思います。)
2020年の第7回「AFTERGLOW――光の破片をつかまえる」は久々の「当たり年」でした。2011年に次ぐキラキラの再来です。入口から光り輝くカラスよけのCDのような装飾、メビウスの輪のような形をした光り輝く金属の骨組み、巨大な腸を模した造形、赤いカーペットをひいたでこぼこの「道」、映像作品「遅れてきた弟子」、そのほかここでは言い尽くせないもろもろの楽しい展示の連続。
きっと第7回が初めてのヨコトリ体験であった方々は、2011年の私が次回に期待したように、第8回にも「キラキラ」を期待したかもしれません。しかし、べつに横浜トリエンナーレは「キラキラ展」ではないので、地味な回もあるのです。その意味で言えば今回はやや地味だったかもしれません。しかし「地味」には「地味」なりの「味」があるものです。今回はその意味で「ふつう」と「よい」の間くらいと感じました。決して「悪い」ではなかったと思います。
今回の展覧会が悪かったという人の中には、展示が「政治的」だという人もいたようです。もちろん、芸術が政治的であることの何が問題なのかとか、政治が生活と密接なものである以上は程度の差こそあれ政治的でないものなどありうるのかといった疑問も出てきますが、今回の展覧会を見て私が感じたのは、むしろいわゆる「政治性」の薄い部分があることでした。キュレーターが中国出身の方ということなので、もしや特に日本のために配慮(手加減)したのではないかという疑いさえ感じました。
たしかに、今回の展覧会ではヨーロッパの戦争に関連する展示や国粋主義者の移民反対デモの映像が展示されていました。それがひとっところに固めてあるのではなく散らばしてあったのは、この会場をひとつの世界に見立てて、このような出来事が遍在していることを忘れてはいけないと示したようにも見えます。
そのデモの映像のひとつを見ているときでしたが、後ろを通りかかった人が「ヨーロッパ、壊れてんな」とつぶやきました。まことに然り! だがそれを言えば日本だって「壊れて」いるのです。日本でも人種差別のデモが行われています。ヘイトクライムの危険もあります。「人種差別」がわたくしたちの身近にあることは、ネットを少し覗いてみればすぐわかることです。
思い返せば2014年や2017年はかなり「政治的」な展示があったと思います。しかし今回、キュレーターは日本の問題をひとつも指摘しませんでした。日本で美術展が国粋主義的主張をもった人々の抗議で中止に追い込まれた事件もそう遠い昔のことではありません。日本は美術の表現が自由にできない国です。キュレーターたちは日本に気をつかってくれたのでしょうか? それとも日本で波風を立てて攻撃されることを恐れたのでしょうか? それとも今の世界を広く見たときにもっとも新しくもっとも重い問題にしぼってとりあげようと考えたのでしょうか? それは知るよしもありません。もっとも自由な表現への危機は(またすこし違った形で)キュレーターたちの出身地である中国にもあることでしょう。展覧会中に示されたように、ヨーロッパも安全ではありません。世界じゅうで似た現状があります。
しかし、日本が名指しで批判されなかったからと言って、日本が許されたわけではもちろんなく、これらの作品のなかに普遍性を見出し、これを「鏡」として日本の現状を見ることが求められているのだと思います。それらの作品が見るに堪えない現状を示しているとき、それに怒っても意味がないでしょう。それは鏡をヒョイと覗き込んでみて、「ああ醜い! 私の美学に反する。美はいったいどこにある?」と怒るようなものです。
ところで、批判者の中には展覧会のこのような政治的な「傾倒」や「変質」がここ10年や20年の変化だと振り返る人もいますが、私には展覧会のなかにその説明があったように思われます。今回の展覧会は、これも魯迅の『野草』をテーマとしているためかもしれませんが、歴史を強調するものが多くあり、あるところでは史料紹介の様相すら呈していました。木版画をめぐる日中交流史の展示では、魯迅が木版画という簡易で複製可能な芸術を通じて、民衆に文化を届けようとしていたことが紹介されていました。これは「芸術」が一部の特権階級のものではなく、民衆のためのものであるべきではないのかという問題を、当時から現代に向けて投げかけなおした一面もあると言えるでしょう。また、皇国史観へのアンチテーゼとしての縄文土器や、学生紛争を撮影した写真が展示されていたのは、芸術と政治の問題が降って湧いたものではなく、日本でも半世紀以上にわたって連綿と続いている問題であることを示していたと思います。
(後編へ続きます。)
https://anond.hatelabo.jp/20240608093350
「ダメですよ」は「やっちゃダメですよ」なのか「ダメなドラマであることよ」なのかによって話は違ってくるのだが。
「原作のこころを踏みにじるリメイクや二次創作はダメだ!人が死んでるねんで!」
というところから出発して
「リメイクの一切を禁止しよう」に行くのはさすがにまずかろうという判断により
原作をしっかりリスペクトした「愛のあるリメイク」をすべきなんだという所に半ば自動的に凡愚の群れは行き着くわけだが、そんなのは絵に描いた餅に過ぎないのである。
誰がジャッジするんだ。
出来上がったモノを観て世に出していいかどうか原作者が裁定下すのか。それはむしろ過大な責任を負わせることにしかならない。
自分の作品が換骨奪胎されるのが苦痛なら最初からいかなる二次創作も許可すべきではない。
そもそもドラマ化スタッフは原作者のファンや弟子ではない。原作者の意図を忠実に表現するための下働きではないのだ。そこに上下関係はないしあるべきでもない。
そもそも作品理解において作者が「正解」を持っているわけでもないのだ。
ゴミみたいな解釈は批判されるべきであって禁じられるべきではない。
健全なありようは最終的には読者・視聴者に判断はお任せすることだ。いったんGOサイン出したらクソみたいなドラマ化されてもしかたないし、それを観た観客はおいおいクソみたいなリメイクだなと言えばいい。
原作の真価を知るファンはクソドラマに負けないようにがんばって布教するといい。
「田中さん」原作者はコントロールできないことをコントロールできないのが苦痛で、それがもとのトラブルで亡くなってしまった。気の毒ではあるけど、だからといって「芦原先生のご遺志を実現しよう」「原作を踏みにじるクソみたいなリメイクが作られないように、原作者が二次創作をコントロールできるようにしよう」というのは全く間違っている。
奈良伝授の内容は現在に伝わっていないが、御所伝授や堺伝授の内容は現在確認することができる。御所伝授は口伝と紙に記したものを伝える「切紙伝授」(きりがみでんじゅ)によって構成されている。烏丸家には現存最古とされる切紙と、その付属書類が伝わっており、その内容を知ることができる。切紙は単に受け継がれただけではなく、近衛尚通や幽斎によって書かれたものも存在しており、また時代が下ると次第に内容が書き加えられていく傾向があった[8]。また師が弟子に伝達したことを認可する証明書も含まれている。幽斎は肖柏の一族から堺伝授の切紙を買い上げており、その経緯もともに伝授されている[9]。やで
ある古典芸能の家。
明治維新でお抱えから放り出され、おじいさん(祖父)の時代には戦争で芸事が一旦わやくちゃになって、おじいさんの一人娘(母)の婿(父)は、芸を継ぐ婿と違て、ふつうの会社員やった。
当時は女がする芸事やなかったから、娘に継がすことはできひんし、ちゃんと定期収入がある婿はありがたかったんやろな。
おじいさんは孫の自分から見たらツルっ禿げの爺やったけど、家の外に恋人がいはった。
相手は娘(母)が小学生のときの担任。えぐい話。おばあちゃんも、おじいさんの前でよそのお師匠さんを褒めて空気を冷やすような人やったから、おじいさんの気持ちが外に向いたのも仕方ないかもしれん。
自分は遅く生まれた子で、そんな父親よりもおじいさんの方を尊敬して、芸の道に入った。おじいさんの弟子になった。
孫が継いでくれるのは、おじいさんも嬉しかったと思う。おじいさんとおばあちゃんのゴタゴタも、ちょっとはマシになったような気がする。
自分は「ええ子」にしてるのが上手かったしな。
けど、お母はんは苦労しはったやろな。おじいさんが死んだ後も、おばあちゃんと入婿のお父さんの間で板挟みになったはった。
まあ、そんだけの話。
ポスト構造主義的マルクス主義は、構造主義とマルクス主義の要素を組み合わせつつ、両者を批判的に再解釈し、社会や経済の分析を行う理論的枠組みです。このアプローチを代表する重要な思想家の一人がジャック・デリダであり、彼の弟子とされる学者には以下のような人物がいます。
1. **スラヴォイ・ジジェク**
- ジジェクは、ラカン的精神分析、ヘーゲル哲学、そしてマルクス主義を融合させ、現代のイデオロギーや政治を批判的に分析しています。彼の思想はポスト構造主義的マルクス主義の影響を強く受けています。
- ランシエールは、デリダの影響を受けつつも独自の政治哲学を展開し、平等や民主主義について深く探求しています。彼の著作は、ポスト構造主義とマルクス主義の融合を感じさせるものです。
- ラクラウは、チャンタル・ムフと共に「ポストマルクス主義」の理論を発展させました。彼らはヘゲモニーとポピュリズムの概念を再構築し、デリダの影響を受けつつ、マルクス主義を批判的に再解釈しました。
- スピヴァクは、ポストコロニアル理論の主要な学者であり、デリダの解構学を用いて、サブオルタナート(被抑圧者)の声を取り上げています。彼女の研究もポスト構造主義的マルクス主義に関連しています。
これらの学者たちは、それぞれが異なるアプローチを取っていますが、共通してポスト構造主義とマルクス主義の対話を通じて現代社会の諸問題を分析しています。
体育館で子供に延々と叱りつけている光景をよく見かけるが、見るたびに気分が悪くなる。
やれ、腰の回転だの、手首の角度だの、膝の伸展だの、ラケットの回し方だの逐一報告してくるが、そんなに言われたって、できません。毎回、違うことを言われて、直せるわけないだろ。そもそもその角度で打つと、不自然な回旋になるから手首を怪我するぞ。
上手い選手が全身の関節の角度を一つずつ調整して、今の形になっていると思っているのかな。正しい意識を覚えれば、自然にそうなるだけで、自然にそうなるように仕向けるの指導だろ。連続した動作とかどうするんだ。全部角度を意識して調整し続けるのか? そんなことしてたら敵はコートの向こうにいるのに、自分との戦いで終わるやん。
むしろ正しい練習を設計すれば、言葉もそこまで必要ない。正しいか正しくないかを子供でもわかるレベルに分解してないから、不自然な言葉で補っているだけだろう。
中国武術の直弟子なら仕方ないと思うが、なぜその辺のお母さんが形にこだわっているのか、正直不思議ではあるが、未来の競技者を減らすようなことはやめて欲しい。
お疲れ様です
私は数年前から地元の寺や神社を中心に御朱印をいただいている。
その中で気づいたことを書いていこうと思う。
まず御朱印には直書きと書き置きがある。
直書きは御朱印帳や順拝帳といった霊場や宗派専用のものにその場で直接書いてもらうこと、書き置きはあらかじめ紙に書いてあるものをいただいて御朱印帳に貼り付けたり
最近では書き置き専用のクリアファイルタイプの御朱印帳に入れたりする。
書き置きはご住職や書く人が不在だったり最初から直書きはやっていなかったり、(コロナ禍では感染対策で書き置きの所も多かった)切り絵や色がついた限定御朱印のものがある。
紙に直接書いてくださってある事が多いが印刷やコピーの場合もある。
直書きはお参りの際に書いてくれる方がいれば良いが、小さな所では不在だったりご住職がいない場合もありいただけない場合もあるので事前に問い合わせしたほうが無難である。
またご住職以外でもお弟子さんや奥様などに書いていただける場合もある。
また時間がないということで御朱印を拒否されるところもあり、ネットで検索しても何度訪れても断られたというお寺もあるが私も一度目は断られ、その次に電話で問い合わせたら日時指定でいただけた。
とても細かく丁寧に書かれており、お寺のお手伝いの方も初めてそちらの御朱印を見たとおっしゃっていたので、面倒でなかなか書きたくないという人もいるようだ。
時と場合により書いていただける人が違う場合もあり字体が異なるのでその違いの面白さもある。
個人的にまだ遭遇したことはないが同じ御朱印帳に寺と神社のものが混ざっている場合は書いていただけなかったり、日蓮宗では御首題と呼ばれているが同じ御朱印帳に他のものと混ざって書く場合は「妙法」と書かれてしまう場合がある。
先日、日蓮宗のお寺で頂いたときは神社や他の宗派が混ざっている御朱印帳にご住職に妙法と書いたものをいただいたが御首題もいただきたかったので後日伺うとお弟子さんが同じ御朱印帳に御首題を書いていただいたので人によったり、同じ日蓮宗のお寺でも混ざっていても普通に御首題を書いていただける場合もある。
御朱印の料金は一般的に300~500円であるが限定御朱印では手間やプレミアム等で1000円前後の所があったり、中には金額は任意だったりお金をいただかないというところもある。
普通の書き置きの御首題で1000円の所もあったのでお参りの際には充分なお金を持っていった方が良い。
お寺の場合は土日祝は法事が多く、ご住職がいない場合もあるのでなるべく平日にお参りにしたほうがいただける可能性は高い。
またチャイムを鳴らしても誰も出てこないこともあるが電話をかけると応対していただけることもある。
御朱印帳は寺や神社、文具店やネット通販でも販売されており1000〜3000円台が中心だ。
またダイソーでも300円で販売されている事もあり3色のラインナップがあり私も使用していたが値段が値段なのでページ数が少なくすぐにいっぱいになってしまう。
横だが、
というのは全くその通りで当然なんだけど、先生について習っていると先生が購入を勧めるんだよ。そして他の弟子たちも先輩たちも買ってもらってるんだよ。こういう状況で「よそはよそ!うちはうち!で却下」するママは殆どいない。
というか、そういう風にゆるくピアノを楽しみたいなら先生について習うような伝統的なコースを選ばなければいいというだけのことなんだけどね。好きな電子ピアノでちんたら好きなように弾いて楽しめばいいわけだから。俺みたいにねw
ただ、ピアノを習うという伝統的なコースだと上に述べたようにある程度のレベルで本物のアコースティックなピアノを買ってもらうというのが主流だという話。だからそういう選択をする人が多いということ。
6代目三遊亭円楽師匠(楽太郎)がまだ本名の會泰通くんで付き人だった頃の話。
いつものように交差点で信号を待ってたら肩をトントンと叩かれ、振り向いたら圓楽師匠の師匠三遊亭圓生が「若旦那、どちらまで?」と気さくに声をかけて「じゃ」と立ち去ったというエピソードがある
『師匠、御乱心!』は昭和53年、落語協会から圓生一門が脱会した分裂騒動の内情を圓生の弟子円丈が明かす暴露本。騒動の黒幕として兄弟子五代目圓楽を人格までけちょんけちょんにこき下ろしているのはもはやコメディなのだが、敬愛する師匠の言動に振り回され、周囲からどんなに罵倒されても圓生の呪縛から逃れられず愛憎入り混じった感情に苛まれる円丈ら弟子たちの姿が哀しい。
とにかく爺さんとオッサンとオッサンが信念と理想とドデカイ”情”でもつれ合ってる様が良い。
単なる上司部下ではない師弟という特殊な関係性がどこまでもぐねぐねと人を結び続ける一方で、各々が矜持としてるものや面子が断絶を生んでる。
この本では主犯・圓生でそれを可能にしたのが先代圓楽っていう描かれ方になってるけど、悪いというよりも全員「下手」なせいで事態が悪化していってる。
ただ腹の内を晒して「ついてきてくれ」と言ってくれるだけで良かったのに……!が出来る/出来ないって些細だけでど大事なことなんだよなあ。
怒りや憤りを根底に書かれたものではあるけど、他者に対しては「俺はこう思った」がメインになってる&語り口も相まってどこかカラっとしているから、げんなりするような描き方は無い。作中にもある「(師匠を)憎んではいない。恨みもしない。ただ許しもしない」というのが全てなんだろうと思う。
先代圓楽の嫌われエピソード、具体的なエピソードよりも”弟弟子は誰も圓楽を「あにさん」と呼んでいなかった”っていうのがなんか一番なるほど感があった。
でもその圓楽には分裂騒動後もずっとついていった弟子達がいるわけで。そっちにもそっちの「物語」があるんだろうなあ。
https://open.spotify.com/episode/3N7RKG3gA8bwUXHC7pTuix?si=mt4njloFSb69bUSrwuvlXw