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はてなキーワード: 度外視とは

2016-05-10

社会人ってこんなに辛いの?

学生時代でも努力必要だったけど、自分の出来るところまで、で妥協できてた。

社会人になってからはそれができない。大事なのは自分が出来たところでも自分いかに頑張ったかでもなくて、期待する結果が出たかどうか。出ていなければいくら頑張ってもダメで、たとえ残業してでも徹夜してでも休出してでも、結果が出るまでやらなきゃいけない。

「無理そうだから諦めます」は通用しない。怒られた。なんでだ。仕方ないので「どうせ無理なのに」と内心思いながらしぶしぶやってたら、ミスしまくって洒落にならない損害出そうになって面談大会が開催された。だからなんでだ。無理だと言っただろ。

なんていうか会社って、個人の力量を度外視した精神論的結果主義者の集まりって感じがする。潜在能力に優れた人なら耐えられるんだろうし、実際耐えてる人もいるけど、俺は無理。これでも学生時代クラス一位の成績取ったこともあったし、運動部に勝てることもあるくらい運動神経もあるし、腹筋割れてるくらい筋トレもしてるし、他にも色んな趣味に取り組んできた。遊んでばっかのリア充オタクとは違って、努力してきたんだ。自分の潜在能力もわかるんだ。

俺は決して怠けたいわけじゃない。出来ないことを出来ないと言ってるだけ。なのに返ってくるのは「やれ」だの「まだできるだろ」だの「ふざけるな」だの、そういったことばかり。

学生時代は、自分が出来ないレベルからは逃げればよかった。東大に行けないなら行かなくて良かった。対して仕事は、社会人は、いうなれば「東大に行け」と強制されてるようなもの

給料はもらってるけどさ、それでも出来ないものは出来ないんだよ。現実アニメゲームじゃない。努力はある程度までしか報われない。学生時代色々やってきたならその程度の真理くらいわかると思うんだけどなあ。

……以上、勢いで吐露してみた。これを先輩や上司にぶつけるかは悩み中。

2016-04-04

http://anond.hatelabo.jp/20160404120425

保育について、投資に見合う納税をする人は少数派です。5年で1000万以上かかるのですから

投資に見合う納税が出来る人は、最初から保育園なんて使わずシッター+名門幼稚園、だものね。

かと言って現状ではガチ貧民の為の採算度外視福祉政策にもなっておらず、中途半端な人しか使わない。

http://anond.hatelabo.jp/20160404133327

シッターじゃなくて、今の無認可保育園に預け続ければいいのでは?

こっちも需要が高まれば値段上がるだろうけど。

でも認可保育園を無くさない限り、無認可保育園に預けたがる人はいないだろうね。

採算度外視の超お得サービス存在しているのに採算考えたサービス選ぶ人はいない。

採算考えたサービスを普及させたいなら、超お得サービスの方をまず潰さないと。

2016-04-03

面白いアニメが売れない理由

前期のアニメ面白かった。僕だけがいない街鉄血のオルフェンズ灰と幻想のグリムガル昭和元禄落語心中亜人、DimensionWと、クオリティが高く面白いアニメが充実していた。この素晴らしい世界に祝福を はとても楽しかったし、無彩限のファントムワールド最後まで見れば決して悪くなかった。しかしこれらのアニメ、このすば以外はあまり売れていないようだ。グリムガルはそれなりの売上だが、それでもこのすばの半分程度。オルフェンズも売上は下がり続けている。単純に作画ストーリーレベルは、このすばより他のアニメの方が間違いなく高い。なのに何故売れないか。

考えるまでもなく明白だ。アニメというのは値段が高すぎて、クオリティで買ってもらえるレベルを超えているのだ。アニメBDを1クール全巻6本揃えると4~5万円かかる。この金額ゲームに費やせば、本体ソフト1~2本、もしくはソフトを6本は買えるのだ。僕街もグリムガルも確かに面白かった。面白いが、面白いゲーム6~7本に相当するほど面白いだろうか? …そんなことは有り得ない。もちろん1本のゲームになら匹敵するか、あるいは上回ることもできるだろう。しかし6本分より面白いのは不可能だ。世界最強の男でも、世界2位~7位の6人と同時に戦って勝つことは有り得ないようなものだ。要するに面白さという基準で考える限り、アニメというのは支払ったコストに対してリターンが少ない、全く割に合わない商品しかない。面白いものが見たければ漫画ゲームラノベを買った方が良い。アニメを1本買う金で全部の原作が揃えられるのだから

では何故アニメは売れるか。もちろん月に10万も20万も趣味に使えるブルジョワが、コストを考えずにガバガバ買ってくれる場合もあるだろうが、そんな人はごく一握り。大多数のそれ以外の人なぜ買うのか。それは『愛』という採算度外視感情によるものだ。「俺はこのアニメを愛している。だから金は問題じゃない。この愛を示すために俺はこれを買う」そういう心情になって初めて、この全く割にあわない金が出せるのだ。

アニメで一番売れているのは、ラブライブ! と おそ松さん だ。だが「アニメで一番面白いのはラブライブおそ松さんだ」というわけじゃない。そんなことを言われたら反論はいくらでも思い浮かぶだろう。面白いアニメなら他に幾らでもある。しかし、「アニメで一番愛されているのはラブライブおそ松さんだ」と言われれば反論はできない。男オタクラブライブへの、腐女子おそ松さんへの熱狂ぶりを見れば、あれより熱狂的なファンを抱えているコンテンツはそうは思いつかない。今期のアニメでこのすばが一番売れたのも納得できる。オルフェンズも僕街も重厚で深い内容で本当に素晴らしかった。このすばは、面白自体はほどほどだった。しかキャラを一番好きになったのは、めぐみん、アクア、ダクネス要するこのすばではないだろうか。要するには一番愛されたから一番売れたのだ。

このことから導かれる結論としては、アニメは今の高額を続ける限り、クオリティを追求しても売れない。クオリティを追求するならゲームの6倍面白く無いといけない。そんなのは不可能だ。

だったら愛してもらうことだけを目指した方がいい。可愛い女の子を出せば好きになってくれる男は居るはずだ。格好いい男を出せば好きになってくれる女は居るはずだ。関係性が面白ければ腐女子が食いつくはずだ。

そうして、売れもしないクオリティの高いアニメは淘汰され、最終的に一部の人に愛される萌えアニメけが残ることにならないだろうか? そうなるなら、残念で仕方がない。

そうならない為に、アニメは値段を下げろと言いたい。「アニメは値段を下げても売れない。だから下げないのだ」と関係者は主張するようだが、本当にそうだろうか。かつてのアニメマニアだけの趣味だった時代とは違い、アニメという趣味はすっかり一般化した。今オタクジャンルで一番活発で、視聴者が多いのは間違いなくアニメだ。TV放送して、大勢が見て、大勢が熱中し話題にしている。ゲームより漫画より話題になっている。

なのに最大のヒット作でも10万本程度しか売れない。漫画ゲームの1/10~1/100程度でしかない。これは明らかにコストとリターンが吊り合わない、商品として間違っているためだとしか思えない。アニメはせいぜいゲーム一本と同価格であるべきではないのか。

そう思っていても、実際値段を下げるアニメが無いので証明のしようが無かった。かつてNANAなどは値段の安かった1巻だけが非常に売れているが続巻はまるで売れていない。これは証明のようだが、GJ部は全話入り1万円となかなか安くても大して売れていない。確かにそこまでの話題作でもないが、これは明らかな反証だ。現在注目しているのが、6月に発売するひぐらしのなく頃にBOXだ。これは無印、解が全話入って1本7000円程度と、内容に見合うコストである。もしこれがこれが今までのBOX歴史を塗り替えるくらい売れてくれれば、アニメ価格を見直す流れも生まれるかもしれない。そうなれば今後は好きなアニメDVDBDが私のような低収入オタクにも手に入るわけで、非常に有り難い。逆に全く売れなければ、これまでくどくど語った提案部分は大間違いで、値段を下げてもアニメを買うやつは居ないという事実証明する結果になるだろう。10年も前のアニメから力がないのだ、ラブライブ等を値下げしたのとはわけが違う…なんて言い訳も思い浮かぶが、ひぐらしGJ部より遥かに知名度のある話題作だ。これまでの私の主張が正しければ、欲しい、興味があったけれど高いから買っていない、というファン大勢居たはずだ。これが値下げしてダメならアニメというのは値段を下げても売れないと判断できる。ならば逆に主人公名前貴方名前に変更できるが、1千万円。などの超高額路線の方が生きる道になるかもしれない

宣伝のようになってしまったが、私自身は別にひぐらしをさほど好きでもないので買うつもりはない。ただ、結果を非常に注目している。

2016-04-01

新しいSNS "mnmm" がしっくりきた

またSNSかよ、もういいよ、と思うかもしれない。

でもこのmnmm(minimum)というサービスには、いいねもなければお気に入りも無い。

シェアも無い、リツイートも無い。通知も無い。 広告も無い。自分プロフィールを書く欄すら無い。

140字で呟けるのと、他のユーザーフォローするだけ。まぁそこはTwitterベースなんだろう。

これは結構本来人間コミュニケーションに近い形なんじゃないかなあと思う。

要は、その人のことを思い出したら近況を見に行くし、気になったらちょっとした会話もする。

でも、そうでなければ特に何も目に入らない。

いわゆる「SNS疲れ」に自覚してきて、それでも何事かは空中に放り投げておきたいのだという人たちが少なからずいると思う。

中には上手くTwitterサブアカウントを使い分けたり、こうやって増田したりする人もいるんだろう。

そういう選択肢の一つとして、このmnmmはありなんじゃないかと思った。

(ただし、マネタイズの仕組みは完全に謎で、思想を持ったパトロンがついているのか、あるいは全くの採算度外視か。そういう意味では、どっと人が増えるというよりは、じわっと広がっていって欲しいサービスではある)

http://mnmm.social

2016-03-16

http://anond.hatelabo.jp/20160315173152

理想的スペック相手理想的スペック環境があれば結婚したいが、どちらも自分スペックでは手に入らないから結婚しない

というようにしか読み取れないんだけど、そういう発想では一生結婚どころか恋愛もできないよ多分。

結婚なんか子供作ることを度外視したら男女ともにメリットなんてないんだから

2016-03-15

XboxLivePSNと繋がりそうって話で思ったこと

あんまりXboxOneプレイヤーにとってうれしい未来は無さそう。

すぐに思いついたポイント適当に並べとく。


解像度レンダリング距離の違いで狩られる

まず第一にコレ。PCみたいにグラフィッククオリティ落としてフレームレート上げたり出来ないから一方的に狩られる可能性あり。


フレームレートの差によりほんの少し反応が遅れて狩られる

逆に解像度合わせるためにフレームレート落ちてるゲームとかだとフレームレートの差でどうしても反応が遅れる事態が発生する。


ちなみにここまではまだマシな状況。


差を無くすために相手側のプラットフォームの足を引っ張る

コレ。宗教戦争に油を注ぐ結果にしかならん。特に前作とかがマルチ解像度フレームレートに差があったりして

次回作オンライン繋がった上に解像度フレームレートが落ちたりすると、炎上間違いなし。


唯一の救い

北米以外じゃ、パブリッシャーが他プラットフォームクオリティ落としてまで拾いたがるほどユーザーベース多くないってのが

唯一の救いだな。


なんでこんなことになったの?

もちろん競合他社の製品と比べて売れてないって問題はあるにしろ、一番デカ理由は「MSコンシューマを大して重要な客だと位置づけなくなった」ことだろう。

Windows10対応でもそうだけど、もう一般消費者なんて企業向けサービスのβテスターなんだよね。

じゃあXboxOneは?っていうとそのWindows10販促ツール程度の価値しかないってもうMS自体が認めちゃったようなもんだよね。

Forza6も機能限定版とはいF2Pリリースするし、次からPCマルチって確か明言してたし、XboxOneを金掛けて保守する気が無い。

綺麗事を言えば「自社プラットフォームをやっと繋げる気になった」んだけど、まぁ今のMS見てりゃわかる通りコンシューマ位置けがMSの中でどんどん下がってる。

OS市場は採算度外視の競合に押されて儲からなくなってきてるし、スマフォなんか競合のミカジメ料せしめて食い繋いでるレベルだし

まともに伸びてるのはB2B市場だけ。

まぁ、仕方ないな。

2016-03-13

私がソシャゲを心底嫌う理由

モバゲやらGREEやらの全盛期時代から、私はソシャゲというものが大嫌いだった。

しかし、それが何故なのか、言葉にしようとしてもただただ「嫌悪感」という感情論しか片付けられなかった。

さて、某ソシャゲ大炎上し、課金額がゲーム通貨として返還され、その「石高」を巡って祭りが起きたのが2/25のことだ。

あれから既に2週間が経つ。

あの祭りを契機に、改めて考えなおすことができた。

そして、なんとか、この嫌悪感説明することが出来るようになりはじめた。

きっと、私と同様にソシャゲが嫌いな人達も、同じような理由から嫌悪感を持っているのだと信じてこれを書く。

 

第一に、ソシャゲは「ゲームとして面白くない」からだ。

早速感情論か、とは思わないでいただきたい。

この「面白くない」は、客観的事実としての「面白くない」だ。

 

ゲームを「ゲームたらしめている」要素が何か、考えたことはあるだろうか。

ゲームとは、限られた選択肢の中で繰り返される絶え間ない自己決定である

という言葉は私がTRPGGMとなるべく研究をしていたとき出会ったものだが、まさに的を射た一文だと思う。

 

例えば人生ゲームを考えて欲しい。友人たちと遊ぶのは確かに楽しかった。

しかし、それは本当に「ゲームとして」楽しかっただろうか。

残念ながら、人生ゲーム自己決定の介入する機会はほんの数回しか訪れない。ゲーム展開の99.9%はルーレットで決まる。

人生「ゲーム」と銘打っておきながら、アレはゲームではない。

 

ここで誤解しないで頂きたいのは、「運ゲークソゲー」ではないということだ。

綿密な戦略が求められるストラテジーゲームですら、最終的に攻撃が直撃するか否かは乱数に委ねられる。

しかし、私たちは「集中」とか武器補正で、その確率に影響を与えることができる。これは紛れも無くプレイヤー自己決定によるものだ。

人生ゲームも、例えば「1ゲーム10回までルーレットを振り直せる」みたいなルールを足せば、幾分かマシなゲームになるだろう。

仮に全力を尽くしたにも関わらず攻撃がスカったとしても、「命中率を上げようとした」という自己決定自体は確かにそこに存在している。

 

自分の決定が、ゲーム世界にあらゆる影響を与える。これがゲームゲームたらしめている要素だ。

さて、ソシャゲに、そのような自己決定を促すメカニズムが十分備わっているといえるだろうか。

 

典型的ソシャゲには、「ガチャパーティ編成、ちょっとしたゲームらしさ」が備わっている。

ちょっとしたゲームらしさ、というのは、パズドラやらモンストやらにあるパズルらしい要素のことだ。

左下で3コンボを確定させて・・・とか、ダメージ壁を回避するためにこの角度で・・・という作業は、確かに紛れもなく自己決定連続だ。これは「ゲームしている」と認めざるをえない。(裏を返せば、ただ戦闘結果を待つだけの艦これソシャゲはその時点で論外だ)

だが、大勢を決するのはあくまパーティ編成であり、もっと言ってしまえばガチャ運・ドロップである

どれだけ優れた操作ができたとしても、思慮深いパーティ編成を行えたとしても、初期メンバーだけでは一瞬で壁にぶち当たる。

そんな時の解決法は唯一つ。ガチャを引くこと。

これのどこが自己決定なのか?

で、そのちょこっと残ったカスみたいなゲームらしい要素に、何万もつぎ込む価値があるのか?

マクロを組んで放置していればいずれ突破できるような、人間の知性をかけらも必要としない「それ」は、本当に価値のあるゲームか?

 

こう言うと、間違いなくこう反論される。

「何に価値を見出すかは人それぞれ、そこにケチをつけるのはナンセンス」と。

 

ここで、ソシャゲを嫌うふたつ目の理由を示そう。ソシャゲの氾濫はゲーム業界にとって不健全からだ。

悪貨は良貨を駆逐する」という言葉がある。

そこらのソシャゲと最新の超美麗オープンワールドゲーを比較して、後者の方が作るのが簡単だと思う人はいないだろう。

しかし、現実には、超美麗ゲームではなく、前者のような極めて低い技術力・アイデアで作られたゲームに、多額の課金という不当に高い評価が与えられている。

今の市場では、本気の一作をつくり上げるよりもソシャゲに流れる方がはるか安全なのだ

ガチャパーティ編成、ちょっとしたゲームらしさ」という既存システムでがっぽり儲けられるなら、新しい技術システムは生まれない。

それどころか、数十年にわたって蓄積されてきた技術次世代クリエイターに引き継がれず、霧散してしまう可能性すらある。

数年後か数十年後か、もしくは意外とあっさり数カ月後になるかわからないが、とにかくソシャゲブームが終わった時に残っているのは荒廃した大地にほかならない。

これは、パブリッシャー問題というよりは私達ゲーマー問題だ。

 

さて、予め断っておくと、以下は私自身の哲学から主観的な内容だ。しかし、共感は得られるだろうから書いておく。

最後理由

ゲーム世界は我々の世界独立しているべきものだ。

ゲームが私達の金銭状況や感情に影響を与えることがあっても、現実世界の状況がゲームに影響を与えることがあってはならない。

なぜなら、現実世界現象ゲーム世界に影響を与えたその時点で、ゲーム世界現実世界の一部として取り込まれ消滅するからだ。

肉体的・経済的社会的にどれほど劣った人間でも、ルールの下で平等を再配分され、互角に戦うことが出来る、それがゲームというものだったはずだ。

私達が真にゲームに求めているのは、「ゲーム世界内で」可能な限りの自己決定を尽くすことである

 

 

それでいいのかゲーマーよ。我々はもう一度考え直すべきだ。

今の状況は、ゲーム進化の結果とは到底言えない。紛れも無く、プレイヤーを含めたゲームに関わる人々全員の怠慢が産んだ惨状である

ゲームは新しい芸術の形だと信じていた、熱量に溢れた彼らはどこへ行ってしまったのか。

クリエイターになったのは、「自分の信じる最高に面白いゲーム」を沢山の人に遊んでもらうためではないのか。

別に利益度外視無償提供しろと言っているわけではない。露骨に集金に走るのをやめて欲しいのだ。

売れない画家生活に窮して空き缶を拾い集めているようで、見ていて本当に痛々しいから

 

 

わたしのこと、愛してる?

2016-03-08

子育て自己責任について

とある雨の夜、保育園からの帰り道。

1歳の娘をバギーに乗せ、3歳の娘の手をとりながら、私は横断歩道の前で待っていた。

住宅地にあるバス通り、それなりに交通量は多いが、信号機はない。

朝の通学時間帯には、地域の父母が旗を持って立ち、子どもたちの通学の安全を守っている。

結局、スピードを落とすことなく走り去る自家用車タクシーを十数台ほど見送った後、やってきたバス横断歩道の手前に停車してくれた。

3歳の娘は危なっかしく傘を肩に預けながらも笑顔バス運転手に手を振り、私は軽く会釈をしながら横断歩道をようやく渡り終えた。

自宅への道を急ぎながら、娘は「みんな、なかなか止まってくれないよね」と、ぽつりと呟いた。

つくづく、この国で子どもを産み育てていくのは大変なことだと思う。

まず、十分な金銭的体力が必要だ。

出産費用にはじまり医療費教育費はもちろん重くのしかかる。

家族が増えれば住居の広さも必要になり、自炊するにも食材が増えた分だけ、食費の増加は避けられない。

年に一度くらいは遠方の祖父母に子どもと会う機会をつくろうと思えば、交通費もかなりのものだ。

子どもを育てるコスト負担しつつ、自分たちの老後に備える必要もある。

私たち夫婦は貯蓄も保険も、ずいぶんと積立額を増やした。

問題は、その原資となる収入だが、今や雇用の安定など私たち20代や30代には望むべくもない。

成熟し、縮小していく社会において、高度成長期のような右肩あがりの成長に伴う給与上昇は考えられない。

となれば、椅子取りゲーム競争に勝ち、立場給与を力づくで手に入れるしかない。

勝利しなければ、生き残らなければ給与の上昇を見込めないどころか、今の仕事すら失うかもしれない。

それも競争社会における自己責任なのだから仕方がない。

そしてその競争に参加するには、子ども存在は重たい足かせになる。

家に帰って子どもの世話をするために、そして週末には子ども時間を使うために、働く親たちは必死の思いで自らの仕事効率化する。

だがそれでも、突発的なトラブルがあり、夜遅い時間に設定される会議があり、そして就業時間後のコミュニケーションが命運を握る社内政治がある。

子どもを持つ親は、子どものいない同僚たちと対等に競争に参加することは難しい。

この国のビジネス社会は、仕事にすべてを捧げ、集中する覚悟実践要求する。

この競争は、ブラック企業だろうと、優良企業だろうと、実はさほどの違いはない。

では、夫婦の内の片方が仕事に全力を注ぎ、もう片方が子育てを一手に引き受ける分担をすればいいのだろうか。

私たちの親世代一般的だったように、企業戦士専業主婦という分業により、家庭を経営していけばいいだろうか。

答えはノーだ。

なぜなら、私たちの親世代私たちでは直面しているリスクの大きさが違いすぎるからだ。

かつて、日本企業滅私奉公要求するかわりに、少なくとも正社員として働く男性たちの雇用を守ってきた。

のしわ寄せは、結婚によって退職する若い女性社員や、パートタイム労働者が負っていたが、彼らは主たる生計者ではなかったから、それでも「雇用の安定」というお題目は守られていた。

今は違う。

主たる生計者が期間限定雇用に甘んじている状況は珍しくない。

正社員ですら、いつ競争に敗れ、仕事を失うかわからない危機感に常にさらされている。

から私たち共働きを選んだ。

どちらかが仕事を失っても、次の仕事を見つけるまで、家計を支えるためだ。

競争に勝たなければ所得の上昇が望めない社会で、成長し、お金必要とする子どもたちに応えるためだ。

そのためには、母親である私は急いで仕事復帰しなければならなかった。

数が足りない認可園に入れないリスク対処するために、先着順の無認可園を徹底的にあたって予約金も支払った。

秋生まれになるように調整したのは、産休明けにシッターを利用して急いで仕事復帰し、認可保育所選考ポイントを加算するためだ。

11月まれ1月後半からシッター利用で復職、生後半年を待たず0歳で認可保育所入園できれば、私たち夫婦収入でも対処できる。

本当は4月5月頃生まれの方が、0歳入園でもほぼ1歳に近く、子どもとの時間を持つことができるが、それでは約一年仕事を離れることになり、復職ハードルが高すぎる。夏から4月までをシッターで乗り切るのはあまり経済的負担が大きかったので、断念せざるを得なかった。

結局私は2人の娘を産んだが、仕事を離れていた期間は通算で一年に満たない。

そこまでして復職しても、いわゆるマミトラックからは逃れられないが、それも甘受するしかない。

保育園落ちた日本死ね!!!」というブログ話題になったが、ネットで何を叫ぼうと誰も助けてはくれない。

同情の言葉くらいはもらえるかもしれない。数年先には状況が変わるかもしれない。

それでは目の前の子ども、不運にもレールに乗れなかった家庭には手遅れだ。

誰もが自分の生きる場所を守り、しがみつくことに精一杯の世の中で、他者に手を差し伸べる余裕がある者などほとんどいない。

保育園に入れないのも自己責任だと切って捨てられる、それが現実だ。

ちなみに、そこまでして入った保育園も、子どもが体調を崩せば利用できない。

行政提供する病児保育のサービスはあまりに貧弱で、フルタイムで働く私たちには使いこなせる余地がなかったから、いざという時には高額な病児ベビーシッターサービス活用している。

そこまでしてでも、母親正社員という立場を守って働き続けなければ、子どものいる家庭を守ることはできない。

少なくとも私はそう考えている。

母親は一度仕事をやめ、子どもが手を離れる年にまで育ったら、再び仕事を探して働けばいいという識者がいる。

そういう人は、十分な学歴と意欲があり、健康な体を持ち、自分自身以外に面倒を見るべき存在がいない若者ですら、安定した仕事を得ることが難しい社会の現状を知っていて、そんなことを言っているのだろうか。

誰もがいつ仕事を失うかわからない、そして失業した際のセーフティネットがあまりに貧弱なこの国の仕組みを理解していて、言っているのだろうか。

自己責任」という言葉のなんと暴力的なことか。

ひとり、あるいは複数人間新生児から社会人まで育て上げる責任の重さを、親になったからには背負わなければならない。

それも親になるという選択をしたのは自分たちなのだから自己責任範疇である

費用も、機会も、制度をいかに利用して乗り切るかも、すべて親の才覚にかかっている。

それでも、私は自分たち家族が驚くほど細い綱渡りをしていることを自覚している。

もし娘たちや私たち夫婦の誰か1人にでも何か不慮の事故病気があれば、この綱渡りを続けられる保証はない。

ここまでは、物質的な話だ。

子どもを育てるには、物理金銭的に大変な努力必要なのはもはや否定できない。

次に、親になる者が直面するのは、精神的な困難だ。

公共交通機関子どもを乗せるなという論争が、日々至る所で巻き起こっている。

冒頭、娘が呟いたように、横断歩道ゆっくりしか渡れない幼い子どもを連れた親は、道を渡ることすら容易ではない。

私は別に子どもいるか配慮してほしいとは思わない。

必要なしつけはしているつもりだし、公共の場でのふるまい方を教育するのは当然親の務めだと考えている。

それでも、子ども連れでいることで向けられる世間まなざしに、どうしようもなく辛い思いをすることはある。

一人だったらとくに気にすることもなく車の間をぬって渡ってしまえる道も、子どもが一緒だから安全確認するまで辛抱強く待つ。

走り去る車をじっと見つめる娘の澄んだ瞳と、だんだん冷たくなっていく小さな手のひらに、どうしようもない心の痛みを感じながら、私は待つ。

帰省の時期、私たち家族はよく新幹線を利用する。

もちろん、指定席子どもも含めて人数分取っているが、たまたま私たちの近くに乗り合わせたビジネスマン風の男性は、あからさまなため息をつき、はしゃぐ娘たちを見て舌打ちする。

大きな声はださせない、椅子にはきちんと座らせる、そして食べ散らかすような菓子類は与えない。

飲み物はこぼさないようにストローやマグを準備し、それでも万が一に備えてタオルや着替えは常備する。

万全の準備をしているつもりでも、子どもの機嫌が悪くなることがある。

少しでもぐずれば即座に席を立ち、デッキであやす

だが、帰省シーズンともなれば、指定席車両デッキ自由席券の乗客で溢れ返り、苛立つ彼らは泣きじゃくる子どもを抱えて現れた親を睨み付け、ため息をつく。

一体、子を持つ親はどうふるまえばいいのか。

子が公共の場所で泣かず、疲れたわがままを言わないようになるまでは、外になど出るべきではないのか。

この国で、親子で公共の場にでかけることはあまりにも苦しい。

容赦なく投げつけられる批判まなざしを、せめて子どもが直接こうむることがないよう、親は細心の注意を持って配慮し、矢面に立つ。

人の親なのだから、当然のことだ。

だが、そう理解していても、親だって傷つく。

育児仕事を両立し、世間には頭を下げて生きていく。

自分で選んだ生き方なのだから仕方がない、これも自己責任だと言い聞かせ、今日もぐっと奥歯をかみしめる。

仕事を持ち、愛するひとと結ばれ、子どもをもうけて家庭を築き、社会に参加する。

今のところ、私たち家族はそれを実現できている。

本当に幸せなことだ。

川の字に並んで眠る夫と娘たちの寝顔を見る時、私は自分の歩んできた道が間違ってはいなかったことを自覚し、そしてたとえようもないほどの幸福感に満たされるのを感じる。

だが同時に、ひどく不安にもなる。

私はこの先も、この幸せを守り続けていけるのだろうか?

家族健康を守り、仕事を守り、娘たちの未来保障し、自己責任をまっとうできるだろうか?

身の丈に合わない幸せを追い求め、手にしてしまったのではないかと悩むことがある。

本当は、私のようなごくありふれた個人がまっとうできる責任など、自分ひとりが生き抜くくらいのことなのかもしれない。

仕事に集中し、結婚出産もしなければ、私がとるべき自己責任対象は私1人分でよかったはずだ。

(もちろん、親の介護は忘れるわけにはいかないが)

幸せを求めて、家族を築いたのは私のエゴなのかもしれない。

そのエゴの対価を、私ごときに支払い切れるのだろうか。

長くなってしまったし、いささか愚痴っぽくもなってしまった。

ただ、保育園子どもをいれられなかった親が怒り、子ども障害とともに生きる親が絶望してしまうこの世の中で、ありふれているはずの家庭を持つ親が何を考えているのかを伝えたかった。

そして私はこれから子どもを持つかもしれないひとに伝えたい。

今、この国で子どもを持つということは「自己責任」の範囲子ども全員にまで広げるということだ。

そこに伴う困難は、おそらく想像を絶するものがある。

それでも子どもが欲しいなら、産み育てる責任をまっとうしてほしい。

…ありふれた幸せに憧れているだけなら、残念ながらお勧めできない。

この国は総論としては少子化を憂い、子どもを求めている。

だが、各論では真逆であり、子どもを持つことはリスクであり、ペナルティしかない。

私たちは誰もが自分幸せ自由に追求する権利があるが、子どものいる幸せは非常に高価だ。

子どもを持っても、誰も褒めてはくれないし、助けてもくれない。まして見返りなどないし、批判さらされることが増えると覚悟してほしい。

それでも子どもを持つのは、子どものいる幸せがそのリスクペナルティ度外視させ、高価さに見合う以上の精神的な充足をもたらしてくれるからだ。

どうか、人生の大きな決断は慎重にしてほしい。

私は正直、覚悟が甘かったから、今でも時々こんな風に心を痛めたり、迷ってしまう。

まだまだだな、と思うばかりである

2016-03-07

薬価が高騰して医療費ヤバいの話

当面の対処として、つけられる薬価に上限を設ける規制を作ったらどうだろうか。

もちろん薬剤会社はたまったもんじゃないだろうが、値付けの上限が決まれば自ずと開発にかけられるコストにも上限が出来て、コスト度外視新薬というもの自体誕生しにくくなるだろう。

ひいては新薬の開発自体の停滞につながるだろうが、それこそが根本的な医療費上昇の対策となるんじゃないか。

少なくとも、年齢で支給される高額医療の補助を区切ったり、健康保険限定的にして金で命をダイレクトに買うようになったりするよりは、いくらか穏健な命の値切り方であるように思う。

科学技術コストに敗北しちゃってる感は残念ではあるが、宇宙開発だって結局はコスト問題で大型宇宙船とかの方向には進まなかった。

いつか、コスト心配をしなくて良いような社会が実現したら、そのときはまた薬価の上限を取り外せば良い。

2016-02-22

http://anond.hatelabo.jp/20160222153206

から、そもそも元増田のは程度や現実性度外視した話でしょうが

しらんがなw

「ぼくの屁理屈はセーフだけどぼくの屁理屈を上回って僕をおちょくる屁理屈はアウトなの!」

とかしらんがなwww

http://anond.hatelabo.jp/20160222152904

程度や現実性無視した判例を出すのが既に屁理屈というよ世間では。

から、そもそも元増田のは程度や現実性度外視した話でしょうが

固くて太いほど気持ち良いというのは偽であり、硬いほうがいいというのは程度問題であるという話になるわけじゃん。

2016-02-19

http://anond.hatelabo.jp/20160218153103

そもそも保育園って

普通に働いて普通に家族持って普通に税金治めている真面目な一般人が、払っている税金に対して当然受けられてしかるべきごく普通行政サービス

じゃないよね。

あくまで「保育に欠ける子」の為の「福祉」であって、誰でも受けられる行政サービスではない。

本来は親が自力で保育を確保するべきなのが大前提だが、どうしてもそれが出来ない特殊な親の為のもの」なわけ。

本来設立目的児童保護施設と変わらないんだよね。児童保護施設24時間365日ずっと滞在型だが、保育園は夜は家に帰るのが前提ってだけの違い。

からかかる予算だの採算だのは度外視で、自己負担額は異常に低いのに受けられる保育のレベルは異常に高いわけ。

から昔の保育園不名誉ものだった。

保育園に入れてるなんてちょっとアレな家庭だろ」扱いだった。児童保護施設と同じだから

そういう心理的ハードルによって利用を制限していたわけだ。

ガチで困窮している人しか使ってはならん」と言う利用規則を明確に設けるのではなく、国民心理利用制限するってのは日本がよくやるやり方だよね。

でもいつの間にかそういうハードルが無くなってしまった。

となると制度として明確に「ガチで困窮している人以下略」なんてものが定められている訳じゃないので

別に共働きでなくても余裕で食えるし自力で保育買う財力もあるけど貰えるサービスは貰っとかなきゃ損」なんて人も平気で利用するようになった。

元増田のように「誰もが貰えて当然のサービス」と思う人まで出て来た。

例えるなら生活保護に「ガチ貧困者」と言う規定がない&「働こうと思えば働けるけど働きたくない人も当然受けられるサービス」と思ってる人が多数いるような状態

そりゃ制度破綻するわな。

児童保護施設だって保育園以上に便利な施設(何せ高校生までの子供の面倒を安い金で24時間365日見てくれるわけで)だし

離婚偽装とか虐待偽装とかすれば入れるわけだが、そうやって誰もが平気で使うようになったら破綻するだろ。

そうならないのは「児童保護施設を使うのは不名誉なこと」という意識国民の間で徹底しているからなわけで。

破綻させない為には、最初からガチで困窮している人だけ」と明確に定めておくべきだったんだよ。世帯収入貧困レベル以下だけ、とかね。

それなら利用希望者は減るだろうし、本来の「福祉」の目的にも沿う。

今では利用できない(利用出来ないのがおかしいんだが)ガチ困窮者が利用出来るようになり、子供貧困率も多少は改善されるだろう。

高収入共働き夫婦は安い金で認可保育園を使えるけど、底辺シングルマザーは使えず高い認可外の託児料&生活費を稼ぐには水商売風俗で働くしかない、なんて現状は狂ってるしね。

高収入共働き夫婦の為の民間保育サービスだって充実するだろうさ。

例えば利便性に拘らず環境の良い土地に広くて綺麗な園舎建てて、通園は各家庭まで送迎いたします、

教育ばっちりお受験対応、お子様に悪影響を与えるDQNな子なんていません、土日祝日正月も病児も対応出張時には宿泊もできます

なんてサービスも生まれるかもしれない。

そりゃ高くはなるだろうが、高い金払っても満員電車子連れ出勤やらされてしょっちゅう休まされるよりそっちの方が良いと言う親は沢山いるんじゃないの?

今は民業圧迫されててそちらは普及しない状態からね。

追加

おそらく子なしの増田憶測で書いているのだと思うが、実際には、貧困シングルマザーは最優先で保育園に入れるよ。

何でも子なしと書けばいいと思うの止めてくれないかな。子ありだよ。

んでそれは自治体による。

母子家庭優先」より「『保育に欠けている(=親が働いている)』子優先」の方が強い、という所もあるから

無職シングルマザーより高収入共働き夫婦が優先される場合もある。

偽装離婚ってのは母親も既に正社員として働いている場合効果があるんだよ。それなら「正社員フルタイム勤務」+「シングルマザー」のダブル得点入園確実だからね。

でも「正社員フルタイム勤務」がないなら当然優先順位は下がる。

まあシングルマザー云々言うなと言うのなら、こう言い換えてもいいよ。

高収入共働き夫婦は安い金で認可保育園を使えるけど、夫底辺専業主婦という名の失業中だと認可保育園が使えず

夫の給料だけで生活費が足りなければ妻が高い認可外保育料&生活費を稼ぐために水商売風俗で働くしかない、なんて現状は狂ってるしね」。

これなら殆ど自治体に当てはまると思うよ。

あと水商売風俗とまでは行かなくても、夫と入れ替わりで妻が深夜や土日にパートに出るって話はよく聞くね。

妻は昼間は育児やって夫が帰ってきたら働きに出て深夜帰宅、勿論朝も夫の出勤と同時に起きなければならない、夫が休みの土日も働きに出て過労死寸前だけど

そうしないと食べていけない家庭は世の中沢山ある。

それでも十分に「狂ってる」と思うよ。

2016-02-01

http://anond.hatelabo.jp/20160201150512

社会規範や人々の心理に関して、観覧者に日常では感じ得ない問題を提起することかな

あくま個人的な考えだけどね、そもそもこんな野暮な質問投げかけてる時点でなんもわかってないよね

万人に言い切れるような答えたがあるならアートになんてならないから

作品を鑑賞してその通りだと納得してしまえばそこでその作品価値は終わるから

そういう意味でもデリヘルワークショップアートとして稚拙なんだよ

あれを見て大半の人が人権無視だというようなことしか考えずまともに考察する価値はないと思うということは

倫理的側面を度外視しても作品としては失敗だろう

話は逸れたけどパフォーマンスとかの現代アートっていうのはSMプレイみたいなところがある

SMって同意を重ねた上でなんとか人を拘束して鞭打ったり蝋燭垂らすような暴力正当化されているじゃん

マゾヒストがこんなはずじゃないといいだしたら捕まりかねないでしょあれ

現代アートもまともな作家ならみんなそういうセンシティブなところをちゃんとクリアさせてる

ごくたまにバッシングされて最悪捕まっても良いやというはっちゃけた奴はいるけど

それでも人々が納得できる次元で、独自性と明哲さを感じさせる思想はちゃんと持ってるから

2016-01-27

公務員天国

この不景気なのに公務員給料上げるとは何事か、と憤ってる人が多いみたい。

見識のある人は、公務員給料上がるのは仕方ないって反論している。

曰く、給料が安いと公務員になりたがる人が少なくなり質の悪い人間ばかりになって公共サービスの質も落ちる。

更に、従業員50人以上の企業賃金比較しているので、賃金が上昇していれば連動するのは当たり前。

また、政府賃金上昇を推奨する中で公務員だけ横ばいもしくは低下というのもおかしい、とも。

 

まぁわからなくはない。でも僕としては

「安定してて潰れなくて給料高水準な公務員になりたい!」

という希望者が今は多いんじゃないかっていう感覚がある。

(将来は公務員になりたいって夢も希望もない答え方する子供がいるくらいだし)

 

まりは「我が身可愛さ」のような事情で働く人々が

売上達成だとか新規事業といった成果もなしに給料が上がるから

そこで不公平だという悪感情が芽生えるのではないか。

 

端的に言えば現在は「努力関係ない要因に左右される立場」が非常に羨ましくなってるんだろう。

良くも悪くも「努力すれば報われる(と思われた)社会」ってのは終わったんだね。

 

ただ、今後もこのような風潮だと公務員希望者はどんどん増える。

そのとき本当に優秀な人だけを取れるのか?

楽したい人が入って高給取りになって適当仕事をするのではないか?

そしてまた給料を上げるのではないか?

そんな邪推があるわけだ。

 

断っておくがこれは感情の話であって、公務員全てに当てはまる前提ではないし

公務員という特殊性度外視したものだ。

でも「公務員天国」というイメージ蔓延っている。

公務員にあらずんば人にあらず」な考え方だと、優秀な人が民間に行かない。

それって国としても問題だと思うんだけど

政府はどう捉えているんだろうね。

 

とりあえず僕は今更公務員にはなれないので指をくわえるしかない。

ただ子供が将来、進路を相談してきたとき

公務員になれ!」

と言い切るような世の中であってほしくないな、とは思う

2016-01-12

テレビは何処にあるのか?

4Kテレビ、ひそかに盛り上がり始めたワケ」

http://toyokeizai.net/articles/-/98408

十年以上ひとり暮らしをしている増田です。家のテレビは多分24インチくらい。居間にある。稼働率は低め。PCモニタのほうがよほど稼働してる。買い替え予定なし。

そういう自分にとって50インチテレビというのが想像つかない。

日本住宅環境ってどうなってるんだろう? 実家居間を考えてもそんなでかいテレビ必要ないと思うし、実際買い替え時に(価格度外視しても)選択肢としてあがらないと思う。

自分の知らない部分で日本の住環境が素晴らしく改善したのかという疑念が、上の記事を読んだ結果出てきたんだけど、その辺どうなんだろう?

ウォーターフロント億ションに住んで居間に50インチテレビ置いてる世帯ってのが、そんなに増えてるのかなあ……。なんだか胡散臭い気がする。

そもそも、50インチを消費できるほど、映像コンテンツ鑑賞ってのが、生活の中の重要度を占める消費者ってそんなにいるのか? それとも重要度が低い部分にそんな機材を投資できるほど豊かになってるのかなあ。

たぶんほかの国民と同じく、自分自分の交友範囲という狭い社会に属して生きているので、その辺の全体像というものが全く見えてこないんだけど、すくなくとも自分の属するコミュニティにおいてテレビっていうガジェット全然重要ではない。

でもそれがかなり重要であるコミュニティってあるのかな。田舎主婦だの老人だのはテレビ漬けだよ! と友人から聞いて「なるほど!」とは思ったんだけど、それが50インチ方向に向かう欲求なのか考えると、疑問が残る。

増田の皆さんは、どんな家族構成で、どんな家に住んでます? テレビサイズと使い方、どんなふうになってます

2016-01-09

製品に対する要望と考えたら

もっと別の色を出してほしいとか、デザインが気に入らないとか、重箱の隅をつつくようなクレーム予算度外視の思いつき等

そりゃ色々くるよね。でもそういう意見が来たからってさ、お客さんはわがままだなぁとは思うだろうけど製品を作るのやめようって思うか?

逆にそれらの中から意見を貴重な顧客から要望として受け入れつつ取捨選択して、需要を発掘しようと思うのがプロじゃないの?

そうやっていい製品が生まれてくるんじゃないの?

直接怒鳴り込まれるわけでもないのに、客から寄せられる不満が気に障るって言う奴は普通仕事なら向いてないと言われてもしょうがないのでは?

作家業だけ特別から意見も機嫌を損ねないように気を使ってーってことなんだろうか?

http://anond.hatelabo.jp/20160109205124

2015-12-13

おっぱい募金チャリティコンサートの違い?

チャリティコンサート利益度外視チャリティを行ったアーティストが「凄い!」と称賛される

おっぱい募金売春行為によって本来なら自分のものになるべき利益を吸い上げられた女性達ではなく

買春してその対価を払っただけの側が何故か「募金した」事にされる。

この違いじゃない?

2015-12-03

http://anond.hatelabo.jp/20151203111009

でも君の同年代も五歳ほど年下も結婚焦ってる年齢やん

いいとしこいて結婚度外視して恋愛したいですーみたいなふわふわと付き合う暇ない 

しかも大人なのに恋に恋する学生ばりに内心がっついてるし

昔の人は見合いで一度会っただけのひとと結婚してそれなりに幸せな家庭を築いてきたわけだし、人生二の次恋愛にがっつくほど、そこまで神聖視するもんでもないと思うけどな

恋愛幸福感なんて我が子の愛しさに比べたら大したことないで

2015-11-20

オーダーメイドAV作るとしたら

どんなの作りたい? まずは予算度外視してさ。

2015-10-20

よく「会社員としてのエンジニア給料安い」って声があがるけど、

派遣社員と同じで自分の単金が見えているから、そう思うんだと思う。

 

「単金60万円だけど、自分給料は25万。35万もピンハネされてる!」って具合で。

 

有給賞与、営業コスト管理コスト会社負担社会保険料研修費、業務が空いた時も給料が発生したり、

時には赤字プロジェクトに採算度外視で人を入れざる負えないことがあったりすることも加味すれば、妥当だと思うけど。

 

個人事業主として60万円貰っている人は、人脈広げて営業やら確定申告やら自分でやっているし、

さら必要とされる技術自分で身につけなければあっという間に仕事がなくなるので、

それと比較しなければ「会社員としてのエンジニア給料安い」とは言えないんじゃないかなぁ。

 

もちろん多重請負・偽装請負で、

お客さんからあなたには100万払ってるんだから」と言われるのはまた別の話だけど。

 

 

風邪引いて休んでるSI独り言でした。

2015-10-18

http://anond.hatelabo.jp/20151017231113

仕方がないので必殺技を教えてあげよう。

出会い系はぜんぶサクラだしそこで出会っても得るものはない。

あなたがいくべきは安キャバである

  1. 会社か家の近所の安キャバに通う
  2. ルックス度外視して、性格が良くてなるべく若い女の子友達になる(口説かない)
  3. の子と同伴して仲を深める(口説かない)
  4. の子友達(非キャバ嬢)と三人で遊ぶ。これを数年繰り返す
  5. の子友達に頼んで年上OK女子を集めた合コンをセッティングしてもらう
  6. ふつう若い女子ゲット

キャバがいいのは、プロが少ないことだ。

昼職がある子か、学生バイト感覚女の子と仲良くする。

そういう子は世界が広いので、うちとけると自分友達を紹介してくれたりする(友達には決してキャバのことは話題に出さないこと。友達秘密にしてる子は少なくない)。

とにかく気長につきあって良好な人間関係を構築する。

そうすればいい出会いもあるよ

2015-10-11

ゼロトレランスに近くなりつつあるはてな自分意見をいうことは割に合わない

レアジョブ社長記事に噛み付いた人は間違いや問題点を指摘するにとどまらず、その不寛容性をむき出しにした。

ここ最近こういうのが多い。

間違いを指摘することと不寛容になることの区別がつかない人が増えた結果、結果として、もうはてな自分意見をいうことは割に合わなくなりつつ有る。

自分意見を言って、みんなに賛成してもらえると思ってるわけじゃない、間違いや問題点の指摘は大いに結構なのだ

だが、はてなは正しい何かが合ってそれ以外は許容しない、という極めて不寛容雰囲気が強まりつつ有る。

はてな自分意見を言うのは不感症か自分批判されていることが何かを理解すらできないバカだけになりつつある。

結果として、自分意見をはっきりいうバカと、賢しらぶって問題点を指摘したりまとめて晒し者にするやつらばかりが増殖した。

割にあわないという計算度外視でき、自分意見をはっきりいうバカは、バカ過ぎて面白くないし反省する知能もないので成長も見込めない。

バカ晒しものにするやつが楽してはてブ稼ぐアナザーワールドが得するだけで同じ所をぐるぐるしているだけだ。

この両者の、共謀しているわけではないがマッチポンプ構造になっている関係が大変つまらない。

2015-09-09

国が作りたいのは国家版Tカードシステムなんじゃね

すまんね、タイトルはちょいあおり気味だ。

前回のラブライブ これまでのお話

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150908/k10010221021000.html

http://digital.asahi.com/articles/ASH9761MCH97UTFK010.html

本題 国が作りたいのは国家版Tカード的な、統合購買情報DBシステムじゃね?

三行でまとめると

そもそも財務省ケイザイガクシャが複数税率は反対だと言っている根拠の大きな所は、手間がかかりすぎる一方で逆進性を和らげるという本来つべ機能が薄いからと言う所だったんで、こんな馬鹿げた案を真面目に出してくるとは思えない。

そこでネットでは

と言うのが目的じゃ無いかとささやかれていけど、ここで俺は大胆に予想。

財務省はこれを機に、一気に購買情報などを電子化して、電子政府電子国家を押し住めようとしているのではと思う!(な、なんだってー)

どういうことよ?

マイナンバーの主目的は、行政のあらゆる所で統一した番号を振ることで効率化する事だ。日本は異様に生産性の高い現場系に対して、バックオフィスが常に生産性が低く非効率だと言われてきたが、これらも効率化したいと言う考えがある。そのためのボトルネックとして、無駄に複雑な税務などは確かに言われてきた。

しかしここでプライバシー問題などの懸念があり(古くは「国民総背番号制」などと言われて廃案になったことも)なかなか進められない。アタマのいいカンリョーのみなさんは、プライバシーなどについても金に換算して考えるケイザイガク脳の効率厨デフォルトなのでおそらくここら辺はなかなか理解できず、どうやって通したものかと考えていることだろう。

ここで登場したのが本件。「 貧困者救済」「消費税増税による逆進性の改善」という事を大義名分に、さら政治的理由から確実に実施される「複数税率」を逆手にとる。これは実務上ではなく政権公約の基礎的なもの政治的理由であるから、採算や効率などは度外視でかなりの予算がかかっても実施されると考えられる。公明党創価学会という支持母体に対して安保法案で相当な無理をしているので、軽減税率実施されるのはまず揺らがない。

ここでごり押ししてマイナンバー利用すれば一気に普及ができるというわけだ。

これだけだとマイナンバー普及させるための陰謀説だが、さらに先がある。

政府の狙いはマイナンバーを普及させることでもあるのだが、これで

という状況ができることになる。

こうして、一度電子的に処理する仕組みができれば、これを拡張していくことは容易だ。

軽減税率現在食品だけになっているが、医療用品や介護用品など他にも免税のものはあるし、今後の政治情勢の変化によって、たとえば子育て用品などは免税といったことも、一度システムが出来上がれば、かつての物品税時代にくらべれば相当に楽にできるようになる。

(おそらく財務省側は公明党が「食品だけに限って拡張しない」といっている事を信用していないと思われる。現に新聞社など社会的ごり押しできる立場のところが自分業界は免税品にせよと運動している。)

さらに、システムがあれば、小売店から情報と、利用者カード登録した情報が蓄積されて、突合せができるようになる。こうなると納税などの際に領収証などを用意しなくても、該当する電子記録を登録するだけで処理ができる、一方でお店のゴミ箱をあさって領収書拝借していくようなこまごまとした脱税は困難になっていくし、金の流れが全体に記録されるので節税明確化されやすくなって事務が減る。

さらにはこうしてフォーマットが確定し、全業者対応する事が当たり前になると、企業間取引や、企業会計処理などにもそのまま使えるようになる。現在でもEDRなどはあるが企業ごとにばらばらになっているが、それを統一して、マイナンバーを核に一気に統一もできる。

また家庭でも所得補足や購買行動が直接入手できるようになるので、ビッグデータ的に処理をして洗い流せば、おかしな消費行動や金の流れ(たとえば急にお金を使わなくなっている、だとか、介護用品を買い始めた、あるいは給与収入に対して登録された消費が急に変化する、など)を抽出することによって、その家庭の問題点抽出し、行政側でフォローを行うこともできるだろう。

こういうのは嫌だと言う層は確実にいる。確実にいるが、システムさえ整ってしまえば、いやだという層と、これを受け入れる層との間で事務手数料名目で税率や社会保障に差をつけてやれば自然にいやでも従うだろう。ここはアソーの言うとおり。

最終的にアタマのいいカンリョーのみなさんはここまで考えているのではないだろうか。

なお妖怪モトマスダたる俺はそもそも消費税に反対

ちなみに俺は、消費への罰則たる消費税なんぞそもそも反対という立場

軽減税率消費税導入を民衆に受け入れさせるために有効まやかしだと思ってはいるので、どうしても行うなら小売価格を素直にあらかじめ低い税率価格で購入できる最終消費者から見て一番シンプルな形にしないとそもそも意味はないし、企業間にのインボイス方式適用して処理するようにだけ義務付けりゃいいと思っている。年間4000円還付したら逆申請を和らげられるとか考えてる経済学者は正直アタマわいてるんとしか思えんレベル

このインボイスで処理する仕組みは超絶効率が悪い行政システムの中でこの手の馬鹿なもんを作らず、クチだけきめて民間企業自分らの努力で仕組みを改善させるほうが全体として効率がよくなると思う。

んで、所得補足についてだが、確かに俺も今日どんな夜のおかずを買って消費したかまで筒抜けに記録される社会真っ平ごめんではあるんだが・・・

消費税はそもそも、タックスヘイブンなど国をまたいでの送金ややり取りが増加して租税回避が起きている中で、獲りっぱぐれのない税金として注目されているところがある。ここに対してそんなもんそもそも消費を鈍らせるようなところに課税するのは駄目だろ、と考えている。

そこで、所得補足、あるいは企業会計処理などが電子化され、効率化されて明確化される事で確実に徴税ができるようになり、そのために消費税増税しなくてすむのならば、こっちのほうがまだましではないか、という立場だったりする。当然、プライバシーも寄こせ、情報も寄こせ、消費税増税、と言う現在の何もかももっちていく話は論外ではあるが。

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