はてなキーワード: スカイツリーとは
じゃあ、まず好きなように出力させて、その後テストするやり方をやってみた
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滋
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ワイ:ありがとうございます。では、chatgptが出力した単語に名産品ではないものがないかチェックしてください。
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仙台七夕まつりは、宮城県仙台市で毎年8月に開催される祭りであり、伝統文化の一つとして広く知られていますが、名産品としては扱われていないと思われます。仙台市や宮城県は、多数の名産品を持っていますが、仙台七夕まつりがそれらの中に含まれることはありません。
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ワイ:では、再度名産品でないものが含まれていないか確認してください。
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再度確認してみましたが、前回と同様、問題のある単語は見つかりませんでした。名産品に関する情報をリストアップする際には、一定の信頼性のある情報源からの情報を元に確認することが望ましいですが、今回出力されたリストには明らかな誤りはありませんでした。
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ワイ:仙台七夕まつりがリストに含まれていましたが、それは問題ないでしょうか?
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すみません、先程私が説明した通り、仙台七夕まつりは名産品とは言えません。私の認識不足でした。リストに含まれていたことを踏まえ、正しい情報を提供できるよう、以下に改めて宮城県の名産品をリストアップいたします。
うん!こういう用途では使えんな!てか渡波鰊(わたなぼしりょう)って何?
GPT4だと改善されているのだろうか
姉から連絡があり、母さんの体調が悪いこと、癌の可能性もあることを知らされる。母さんは自分の意志でがん検診は受けていなかったから、不安を感じつつも、「姉は大袈裟だからなー」と、大ごとになるとは思っていなかった。
ただ、残念ながら婦人科系の癌だった。コロナ禍ではあったものの、運良く地域の基幹病院に入院することができ、溜まっていた腹水を抜いてもらったり、検査をしたりと、色々と処置をしてもらったらしい。
医者からは一般論として「5年後にはいないだろう」という話をされたが、「医者は短めに言うんだろうな」と、前向きに捉えようとした。仕事の帰り、一つ手前の駅で降りて、歩きながら母さんに電話した。
「そうじゃないかと思ってたから、分かってスッキリしてるよ。子供たちは立派に独立して、みんな家族もいるし、私は思い残すことはないから。」
とサラッと話していた。なんとか気丈に話そうとしたが、涙が出た。帰宅し、妻に報告したら、また涙が出た。祖父を癌で看取った妻は「そんな簡単に亡くなりはしないよ」と、怒っていた。彼女なりに励ましてくれてたんだろう。
「何で癌で人が死ぬのか」ということすら知らないことに気づいて、いくつかの本を読んで、「多臓器不全で死ぬ」ということを今さらながら知った。
翌月、帰省すると、「で、何しに帰ってきたの?」と、とぼけたことを聞かれたので「様子見にだわ」と。特段変わった様子はなく、いつもの調子。
溜まっていた腹水を抜いてもらって、楽になったらしい。「しばらくは大丈夫かな」と思う。翌朝、母さんは「そのうち、『あれが最後に作ってもらった朝ごはんだったな』ってなるわよ」と軽口を叩きながら、目玉焼きを焼いてくれた。
その後の検査で、癌はそれなりに進行していて、「ステージⅢの後ろの方」と評価された。外科手術や放射線治療を行う段階にはなく、化学療法(プラチナ製剤)を試してみて、癌細胞が小さくなるようであれば、外科手術や放射線治療を検討しようということに。
母さんは「『髪の毛が抜けることがある』じゃなくて『絶対抜ける』って言われたわ」と笑っていた。
程なく、抗がん剤治療が開始され、母さんの髪の毛が抜けた。この頃は、抗がん剤の副作用が抜ければ、食べたいものだとかも色々あったから、買いだめしといてあげたりした。
実家に家族と帰省して、夜遅くまで母さんも交えて酒を飲んだりもした。まだ、言葉もしゃべれなかった娘も、母さんにはよく懐いていた。
副作用に耐えながら抗がん剤治療を続けたものの、思うような効果は得られなかった。
「癌の専門医の先生の方がいいんじゃないか」という思いもあり、主治医の先生にも相談の上で、セカンドオピニオンを取ることにした。
その道の専門医の先生2名にお話を伺いに行ったが、どちらも「うちなら治るかもよ」だとか「この治療法よりも、こっちの方がいい」なんて話は、当然なく、今診てもらってる病院で、「そのままお世話になる方が良い」とやんわりと伝えられた。
それでも、「やっぱり経験値が高い専門医の先生の方がいいんじゃないか」と、先の2名の先生のうちお一人にお世話になることにした。
細かく検査もしてもらったが、「やれることは限られている。選択肢がないわけではないが、リスキーな上、効果の期待値は低いので、おススメはしない。本人の希望に沿うならば、通いやすい、もともと診てもらっていた病院で改めて診てもらっては。」
とのお話があり、結局、出戻ることにした。その病院からの帰路、高速道路の大きなSAに寄った。
「あなたたちが小さい頃には、旅行の度に、いつもこのSAに寄ってたのよ」と懐かしそうに話していた。
ちなみに、今でもそのSAを通過すると、その時の母さんを思い出して、なんだか泣きそうになる。
改めてもともと診てもらっていた病院に伺ったところ、事前に調整はしていたこともあってか、主治医の先生は嫌な顔一つ見せず引き受けてくださり、次の段階の抗がん剤(単剤)にトライすることになった。
これ以降、段々と体力の低下、食欲不振が顕著になりだし、当初は「抗がん剤の副作用かな」と考えていた。思うような効果が得られず、抗がん剤の投与を中止してからも状態は改善しなかった。
母さんが癌であることは、母さんの希望もあって、積極的に知らせることもせず、また隠すこともしなかったが、状況を知った遠方の親類達が揃って見舞いにきてくれたりもした。
この頃は、まだ座ってコーヒー飲むらいのことはできていて、楽しそうにお喋りもしていた。
妹が介護休業を取り、母さんの面倒を見てくれることになった。その時点では、自分のことは自分でできていたし、正直言って「早いんじゃないかな」と思っていたが、結果的には、ドンピシャのタイミングだった。
死ぬまでに行きたいと言っていたスカイツリー。東京で結婚式に出席したので、その足でスカイツリーに行き、ビデオ通話で見てもらった。「すごいねー」と笑ってくれた。
12月下旬は、早めの冬休みを取って実家に。妹からは、体力の低下が著しいということは聞いていたが、想像よりずっと悪かった。
ベッドの脇に座って吐いてばかりいた。思っていた以上の状態に言葉が出なかった。夜も眠れず、食事も摂れず、水分を摂れば吐き。かわいそうで見ていられなかった。
足のむくみもひどく、母さん曰く、頭の中は「しんどい」一色だった様子。肩をさすったり、足を揉んであげたりしかできない。足をマッサージしてあげていると、少しの間だけ、寝てくれたのが、せめてもの救いだった。
そんな中、母さんは「とても渡せそうにないから」と、お年玉と一緒に娘の七五三の祝いを渡してくれた。涙が溢れた。母さんも「湿っぽくなってごめんね。」と言いながら泣いていた。年明けも早々に再入院。あまりに辛そうな母さんの姿に、打ちのめされてしまった。
母さんの希望は、「できる限り家にいたい」だったので、妹が訪問看護の段取りを取ってくれ、病院には無理を言って予定より早く退院した。この訪問看護のチームが素晴らしく、親身になって、それも超速で対応してくれた。母さんは「病院から逃げ出して正解だった」と、喜んでいた。
急遽、仕事を休み、実家へ。妹と交代で診る体制に。眠れず、体の置き所がない母さんは、15分おきくらいで、姿勢を変えてあげなければいけなかった。辛そうだった。
少し話ができそうなタイミングで、「今までありがとう。母さんの子どもで良かったよ。」と口に出すと、涙が溢れた。喋るのも辛く、手をあげるのもしんどいはずの母さんは「何を言ってるの。こっちのほうが、ありがとうよ。いい子だね。」と言って、頭や頬を撫でてくれた。涙が止まらなかった。
妹と交代で眠りながら看ていたが、日に日に意思疎通がとれなくなり、意識レベルも低下。せめて、苦しまず、穏やかに逝かせてあげたいと、鎮静剤の量も増やしていった。眠る時間が増え、顔をしかめる頻度も少なくなり。
「母さん、先に横になるね。また後でね。」と声をかけて寝ようとしたところ、ほとんど意識のないはずの母さんが、少し手を上げて応えてくれた。「バイバイしてんの?」と、妹と2人で笑った。
その晩、妹に「やばいかも」と起こされ、会ったときにはほとんど呼吸もなく。子供3人が揃ったところで、母さんは静かに息をひきとった。目を瞑り、とても穏やかな顔だった。皆、口々に「お疲れ様。よく頑張ったね。」と母さんの闘病生活の終わりを労った。
泣き崩れてしまうかもと思っていたが、不思議と涙は出ず、ホッとしたような気持ちになった。
訪問看護に連絡したところ、深夜にも関わらず、看護師さんが来てくれた。死亡診断は医師しかできないとのことだったが、脈拍を見たり、瞳孔を見たりして「確かに亡くなられていますね」と手を合わせてくれた。
そこからは、子供三人で、看護師さんの指示に従って、母さんの体を拭いたり服を着せたり。服は死装束じゃなく、妹が見繕ってくれていた、いつも母さんが来ていた服を着せることにした。
最後に看護師さんが、母さんに化粧をしてくれると、すっかり血色が良くなって、まるで寝てるみたいだった。
看護師さんが帰られてからは、葬儀屋を探したり、段取りや役割分担を話したり。葬儀屋は、空いてるところに頼むしかなかったというのが実態で、なんなら「火葬場に直送しろ」くらいのことを言っていた母さんの考えとは違ったんだろうけど、普通に葬儀屋に頼むことになった。
一旦、各自寝て、翌日以降に備えた。
翌日は午前6時の医師の死亡診断に始まり、寺や葬儀屋との調整や、親類への連絡、行政関係の手続きなどで忙殺され、あっという間に通夜になった。どんな感じで動いたのか、正直、思い出せない。
覚えているのは、いつも気にかけてくれていた母さんの友達が、偶然訪ねて来られ、母さんに会って「信じられない」と泣いてくれたことと、一報を受けた母さんの義姉にあたるおばさんが寄ってくれて、母さんに会って「寝てるみたい」と泣いてくれたこと。
おばさんは「お母さんは若い頃はお父さん(自分の祖父。自分が小さい頃に他界。)と、喧嘩ばかりしててね。今頃、お父さんから「うるさいのが来た」って言われて、また喧嘩してるかも。」と、知らない話をしてくれた。
納棺のときには、たくさんの花と一緒に父さんの写真や、自分を含む子どもの写真を納めた。
短い髪の毛の頭には、ウィッグをつけたかったんだけど、生前に「あんな高いものを燃やすなんてもったいないから、棺桶には入れるな。」と言われていたので、やむなく頭はそのままに。誰が使うんだよ。マジで。
葬祭会館で通夜を終え、そのままそこに泊まることにし、姉と妹は一旦、家族と帰宅。酒を飲みながら待ち、時々、隣室の母さんの顔を覗きに行っては、線香をあげ、その度に泣いた。
夜中の2時になっても、誰も帰って来ず、体力的にも限界だったので、寝た。深夜に姉が、朝型に妹が戻ってきた。
翌日も葬儀、火葬とバタバタ。孫たちが大騒ぎしてくれたおかげ(?)で、終始、湿っぽくならずに済んだような気がする。母さんも、「あんたらねぇ」と笑ってくれただろう。
母さんが望んでいたような「火葬場に直送」じゃなくて、普通の見送り方にはなってしまったけれど、許してくれると思う。
それから職場に復帰するまでは、皆で家の片付けや、クレジットカードの解約やら銀行関係やらのたくさんの事務手続き、親類縁者への連絡などを分担して対応している間に、あっという間に過ぎていった。
その間、近所の方だとか、母さんの旧来の友達だとかがたくさん弔問に訪ねてきてくれた。皆が口々に「いい写真だね」と言ってくれた祭壇の遺影は、母さんが自分で選んで、わざわざトリミングまでしていたものだったから、本人も満足してるだろう。
母さんの旧来の友達からは、母さんの若い頃の話や、その後の友人関係の話しを伺った。学生時代のことや、社会人時代のことだとか、自分が知らない母さんの一面をたくさん知ることになった。
当たり前だけど、母さんは「母」としてだけでなく、一人の人間として、たくさんの人と関係を作り、それを続けていたんだなと気付き、なんだか新鮮な気持ちになった。
そういえば、ウィッグは友達の一人で、自分もよく知っているおばさんが貰い受けてくれることになった。何度も「管理が大変だけど大丈夫?」と聞いたけど、それを踏まえて快く受け取ってくれた。
ウィッグの販売店には、その旨は連絡しておいた。弔問に来てくれた時にお渡ししたところ、母の遺影に向かって「返さないからね」と笑っていた。
思い返してみると、母さんが癌になってからというもの、母さんとは色んな話ができた。父さんのことだとか、嫁いできた経緯だとか、これからのことだとか。
癌との闘いは、とても辛かったと思うけど、近い将来確実に訪れる「死」に向かって、本人も家族も、心の整理も含めて、時間をかけて準備することができたように思う。僕は癌で死にたくないけれど、そんなふうに、ちゃんと準備をして死にたいなと思う。
【追記】
たくさんの方に、暖かな言葉をいただき、恐縮しております。ありがとうございました。
私自身が、母さんが癌になるまで癌のことを何も知らず、また、どのような経過を辿るのかを知らなかったので、「自分用に書いたけど、同じ境遇を迎えてたり、これから迎えるかもしれない誰かのためになるかも」と、乱文を投稿させていただきました。
野暮かなとも思いましたが、いくつかコメントいただいた内容を踏まえ、その趣旨に合うかなとも思うので、いくつか追記いたします。
母さんが癌の宣告を受けたのは、2月上旬で、翌年の1月中旬に60台後半で他界しました。10月頃まではまずまず元気でしたが、以降は段々と体力の低下が顕著になりました。12月中旬までは、体調が良ければ妹の運転でドライブに行く程度の元気さもあったのですが、食事を受け付けなくなってからは、あっという間でした。思っていたよりもずっと早い経過だったので、「もっと会いに帰ったら良かった」と思うこともありますが、「そうさせないところが母さんらしいな」とも感じています。
経過は個人差が非常に大きいものだと思います。母さんよりも早い経過を辿る方もいれば、もっと緩やかな経過を辿る方もおられるでしょう。早い経過を辿ることを前提に、たくさん話し合って、準備をしておいた方が良いと思います。特に、残された時間はできたら住み慣れた自宅で過ごしたいという方が多いと思うので、それができるよう、家族の介護+訪問看護の体制を整えられるかをしっかり考えておくべきだとも思います。うちの場合は、姉が実家の比較的近くに住んでいたこと、妹が介護休業に理解のある職場環境だったこと、また、訪問看護のチームが素晴らしかったこと等、様々な要因が重なって、自宅で看取ることができました。
なお、母さんがやっていてくれた事で本当に助かったのは、エンディングノートをしっかり書いていてくれたことと、重要書類(通帳、カード、年金手帳、マイナンバーカード等)を整理してくれていたことです。特に、亡くなったことを誰に知らせるのかは、親類縁者ならまだしも、友人関係はほとんど分からなかったので、これがなかったら不可能でした。「私も書くから一緒に書かない?」と、提案されてみても良いと思います。
長くなってしまいましたが、皆様の一助になりましたら、幸いです。皆様のコメントから、元気をもらいました。改めて、ありがとうございました。
記事への反応やブコメで集まった、皆さんの考える「中堅以上の回転寿司」が旅先でとても参考になるので、自分用にまとめようと思う。
コメント数 | 店名 | 食べログ | 出店地域 | 一言コメント |
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26 | トリトン | 3.54/129人 (厚別店) | 札幌、旭川、北見、江別、遠軽/東京 | 東京はスカイツリーに店舗がある |
25 | 根室花まる | 3.59/1328人 (JRタワーステラプレイス店) | 札幌、函館、根室、中標津/東京 | 東京には回る店と回らない店がある。 札幌のJRタワーステラプレイス店は食べログの寿司百名店にも選ばれた |
7 | なごやか亭 | 3.55/100人 (草津木川店) | 札幌、釧路市、帯広/滋賀 | なぜか道外唯一の出店県が滋賀 (しかも北海道の店より食べログの点数が高い) |
6 | グルメ回転ずし 函太郎 | 3.50/254人 (宇賀浦本店) | 札幌、函館★、新千歳空港、北斗 /青森、岩手、秋田、山形、埼玉、 千葉、東京、新潟、大阪 | がってん寿司と同じRDCグループ。 「文春オンライン 全日本ローカル回転寿司 東日本編」第1位 |
5 | まつりや | 3.51/42人 (菊水元町店) | 札幌、釧路市、帯広、音更、幕別、釧路町 | |
3 | 活一鮮 | 3.52/443人 (南3条店) | 札幌 | 非チェーン店 |
3 | くるくる寿し | 3.48/182人 | 札幌 | 非チェーン店 |
3 | ぱさーる | 3.53/267人 | 札幌 | 非チェーン店 |
3 | とっぴー | 3.46/123人 (小樽運河通店) | 小樽、旭川、岩見沢、士別、滝川/福島 | 小樽の店では小樽ビールが飲める |
3 | 伊達和さび | 3.45/75人 (伊達本店) | 室蘭、伊達 | |
2 | 和楽 | 3.47/317人 (小樽店) | 札幌★、小樽 | |
2 | 回転寿司 函館旬花 | 3.30/20人 | 函館 | 系列に同名の海鮮料理店がある |
2 | 函館まるかつ水産 | 3.48/339人 (本店) | 函館/東京、神奈川 | |
2 | ちょいす | 3.11/41人 (登別店) | 旭川、室蘭、登別、恵庭、伊達、新ひだか | 「わかさいも」の会社なのでスイーツもおすすめ |
1 | 海天丸・北々亭 | 3.48/181人 (千歳店) | 札幌、旭川、苫小牧、千歳 | |
1 | 回転寿し 魚一心・一心 | 3.47/317人 (小樽店) | 札幌、小樽 | |
1 | あじこう | 3.39/94人 | 札幌 | 平禄寿司と同じグループ |
1 | えりも岬 | 3.47/105人 (菊水元町店) | 札幌 | 非チェーン店 |
1 | くるくる | - | 北見 | |
1 | 旬楽・クリッパー | 3.40/34人 (クリッパー明野店) | 苫小牧★、千歳、白老 |
コメント数 | 店名 | 食べログ | 出店地域 | 一言コメント |
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10 | 清次郎 | 3.19/65人 (仙台泉店) | 青森、岩手★、宮城 | グループに水産物仲卸会社 |
7 | うまい鮨勘 | 3.19/53人 (長町郡山店) | 青森、岩手、宮城★、山形、福島 | 系列に回らない店もある。 三陸沿岸を守るために植樹活動をしているらしい |
5 | 平禄寿司 | 3.11/33人 (仙台政岡通店) | 青森、岩手、宮城★、福島/東京、神奈川 | |
3 | 塩釜港 | 3.66/478人 (本店) | 宮城 | |
2 | 回転寿司 すノ家 | 3.42/41人 (南大通店) | 秋田、岩手★、宮城 | 系列に同名の居酒屋がある |
1 | 回転鮨処 あすか | 3.36/50人 (東大野店) | 青森 | 系列に回らない店もある |
1 | 八食市場寿司 | 3.48/206人 | 青森 | 非チェーン店。市場の中にある |
1 | まわる鮨太助 | 3.23/13人 (北町店) | 山形 | |
1 | 源洋丸 | 3.35/51人 (岡小名店) | 福島 | 系列に回らない店もある |
1 | うまか亭 | 3.50/154人 (福島駅ピボット店) | 福島 | 系列に回らない店もある |
1 | まぐろ亭 | 3.36/30人 (郡山八山田店) | 福島 | |
1 | 海鮮寿司 おのざき | 3.47/81人 (ラトブ店) | 福島 | 非チェーン店 |
コメント数 | 店名 | 食べログ | 出店地域 | 一言コメント |
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29 | すし銚子丸 | 3.21/118人 (千葉駅前店) | 埼玉、千葉、東京、神奈川 | 2023年4月、回転寿司をやめてフルオーダー制に |
18 | もり一 | 3.49/412人 (神保町店) | 千葉、東京 | お寿司がいっぱい回ってるタイプの回転寿司 |
14 | 回転寿司みさき | 3.28/53人 (水戸駅ビル店) | 茨城、栃木、埼玉、千葉、東京、神奈川 /宮城、山梨、愛知、三重、滋賀、 京都、大阪、兵庫、岡山 | 元海鮮三崎港。スシローの傘下となり改名 |
13 | がってん寿司系 | 3.11/79人 (としまえん店) | 茨城、栃木、群馬、埼玉★、千葉、東京、神奈川 /長野、愛知、大阪、兵庫 | 海なし県埼玉発祥。函太郎と同じRDCグループ。 オーダー時の店員の「がってん承知!」が特徴的 |
13 | やまと | 3.49/264人 (館山店) | 茨城、千葉★、東京 | |
5 | 回転寿司 かね㐂 | 3.50/26人 (阿見店) | 茨城 | 系列に同名の料亭がある |
5 | 独楽寿司・まさのすけ本店 | 3.35/61人 (八王子オクトーレ店) | 東京★、神奈川 | |
5 | 魚屋路 | 3.11/69人 (下高井戸店) | 埼玉、東京★、神奈川/山梨 | 読み方は「ととやみち」。すかいらーくグループ |
4 | 天下寿司 | 3.34/169人 (池袋店) | 東京 | |
4 | 回し寿司活 活美登利 | 3.49/666人 (目黒店) | 千葉、東京★ | 上の美登利寿司とは別物っぽい? 系列に回らない店もある |
3 | ABURI百貫 | 3.21/53人 (有明ガーデン店) | 茨城、千葉、東京/岐阜、佐賀、福岡 | |
3 | 廻転鮨 銀座おのでら | 3.51/376人 (本店) | 東京 | 上質な江戸前寿司が回る。系列に回らない店もある |
3 | 寿し常・寿しの魚常 | 3.32/65人 (巣鴨店) | 東京★、神奈川 | 系列は回らない店がメインで、回るのは東京3店、神奈川1店のみ |
3 | 元祖寿司 | 3.23/145人 (羽田空港第2 ターミナル店) | 成田空港、東京★、羽田空港、神奈川 | 空港の広告でよく見るお店 |
2 | 千両 | 3.33/31人 (小山店) | 茨城、栃木 | 魚べいと同じグループの高級路線 |
2 | 回転すし美登利 | 3.33/105人 (高井戸店) | 東京 | 美登利寿司の系列。回るのは高井戸の1店のみ |
2 | 回転寿司江戸っ子 | 3.49/289人 (神田店) | 東京 | 系列に回らない店もある |
2 | 沼津港 | 3.47/307人 (新宿本店) | 東京 | 非チェーン店。「うに富士山盛り」が目玉 |
2 | まぐろ問屋(三浦三崎港・ やざえもん・恵み・ めぐみ水産) | 3.28/118人 (三浦三崎港横浜 ワールドポーターズ店) | 埼玉、東京、神奈川★/沖縄 | 沖縄も内地から仕入れた魚の寿司らしい |
2 | ジャンボおしどり寿司 | 3.21/63人 (日野本店) | 神奈川 | |
2 | あじわい回転寿司 禅 | 3.71/608人 | 神奈川 | 非チェーン店。回転寿司ビストロという一風変わった店。 食べログTOP5000 |
1 | 新鮮回転寿司 お魚天国 | 3.47/190人 | 茨城 | 大洗のお店。系列に同名の海鮮料理店がある |
1 | まるくに | 3.52/35人 (河和田店) | 茨城 | |
1 | 海鮮処 森田 | 3.48/144人 (那珂湊1号店) | 茨城 | 水産会社のお店 |
1 | 活鮮 | 3.38/39人 (船尾店) | 埼玉、千葉、東京、神奈川/山梨 | |
1 | 大江戸 | 3.23/106人 (新宿西口店) | 東京 | |
1 | すし 台所家 | 3.48/203人 (三軒茶屋店) | 東京 | 読み方は「だいどこや」。孤独のグルメにも登場したらしい。 三軒茶屋のは回る、渋谷のは回らない |
1 | まぐろ人 | 3.37/115人 (吉祥寺店) | 東京 | |
1 | 廻転 びっくり寿司 | 3.21/60人 (西国分寺店) | 東京 | 系列で回るのは西国分寺店のみ? |
1 | 羽田市場 回転寿司 | 3.44/273人 (グランスタ東京店) | 東京 | 系列に回らない店もある |
1 | 桜すし | 3.32/76人 | 東京 | 非チェーン店 |
1 | 若貴 | 3.39/166人 (池袋サンシャイン 60通り店) | 東京 | 非チェーン店 |
1 | 廻るすしざんまい | 3.22/170人 (築地店) | 埼玉、東京★ | あの「すしざんまい」の回る店 |
1 | 魚屋さんの新鮮回転寿司 ・魚喜 | 3.39/81人 (横須賀中央店) | 神奈川 | |
1 | 寿司鷹 | 3.55/63人 (エルミロード店) | 神奈川 | |
1 | タフ | 3.50/99人 (藤沢店) | 神奈川 | |
1 | 海鮮 | 3.56/715人 (銀座) | 神奈川 | 非チェーン店 |
1 | ぐるめ亭 | 3.44/67人 (西谷店) | 神奈川 | テナント型の「二代目ぐるめ亭」もあるらしい(価格帯がちょっと違う) |
1 | ゆうきと寿し | 3.00/3人 (上田店) | 長野 | 海のない長野で富山の魚が食べられる |
コメント数 | 店名 | 食べログ | 出店地域 | 一言コメント |
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23 | 金沢まいもん寿司 | 3.50/557人 (本店) | 石川★、愛知/埼玉、千葉、東京、 神奈川、京都、大阪、兵庫、福岡 | 第7回全日本回転寿司MVP選手権 総合1位は三軒茶屋店の店長 |
15 | もりもり寿し | 3.60/55人 (能登総本店) | 石川★、愛知/埼玉、東京、神奈川、 滋賀、京都、大阪、兵庫、奈良 | 公式サイトがないため出店地域が不確実 |
10 | 佐渡 廻転寿司 弁慶 | 3.64/876人 (新潟ピア万代店) | 新潟 | 佐渡島に本店。系列に回らない店もある |
9 | すし玉 | 3.53/404人 (富山掛尾本店) | 富山★、石川 | 築地玉寿司の系列店とは無関係 |
8 | 海鮮アトム | 3.19/65人 (敦賀若葉店) | 福井 | 元アトムボーイかと思いきやもっと複雑らしい (票はここに集約しました)。詳しくはググるべし |
7 | 氷見きときと寿し | 3.56/224人 (氷見本店) | 新潟、富山★、石川、長野/三重 | 「きときと」とは、富山弁で「新鮮な」という意味 (富山きときと空港公式HPより) |
6 | すし食いねぇ! | 3.62/217人 (高岡南店) | 富山、石川 | 増田はこのシングルより後の生まれです |
4 | 番やのすし | 3.46/69人 (小杉店) | 富山 | |
3 | ことぶき寿司・一心寿司 | 3.55/89人 (ことぶき寿司内野店) | 新潟 | |
3 | すしやまるいし | 3.56/122人 | 新潟(佐渡島) | 佐渡島民いちおし |
3 | 廻転とやま鮨 | 3.49/302人 (富山駅前店) | 富山、富山空港/東京 | |
2 | 廻鮮富寿し | 3.11/34人 (上越みなと店) | 新潟★、長野 | |
2 | すしだるま | 3.35/74人 | 富山 | 非チェーン店 |
2 | 廻る寿しぽん太 | 3.48/152人 | 石川 | 非チェーン店 |
1 | 鼓響 | 3.40/37人 (吉田店) | 新潟 | |
1 | 祭ばやし | 3.41/46人 (滑川店) | 富山 | 上の番やのすしと同じ会社 |
1 | 廻鮮氷見前寿し | 3.46/152人 | 富山 | 非チェーン店 |
1 | 金沢回転寿司 輝らり | 3.48/209人 (金沢本店) | 石川/東京、群馬 | |
1 | くるくる寿司ほがらか亭 | 3.53/152人 | 福井 | 非チェーン店 |
あるよく晴れた、暑すぎる夏の日だった。
高校3年間と半年ほどを共にした恋人から、別れの電話を受け取った。本気の声だったけど、嘘を言っているのがわかった。たぶん、別れたい本質的な理由はそこじゃないのだろうと思ったが、どうせ別れる相手だと思って何も言わなかったし、言えなかった。何となく最近の振る舞い方から別れを切り出されるのはそう遠くないと思っていたし、辛かったが現実として受け止めるにはそう時間もかからなかった。幸せになってね、と一言だけ伝えて電話を切った。
それから1年が経ち、また暑すぎる夏がやってきた。共通の友人だったひとから聞いたのは思いもよらぬ衝撃的な事実だった。
え、あ。
へえ〜。
はあ、そっか。
言葉が出てこなかった。普段は感情を言語化するのが得意な私だったが、この時ばかりは空気みたいな言葉しか出なかった。
友人は面白がってるのか、私が嫌な思いをするだろうとか考えもしなかったのだろう。笑いながら、「そんな人どうせ幸せにならないって!」と言う。そうか、そんなもんか。まあそんなもんかと思うしかないよななんて自分が傷付かないために、心にある色々なブレーキを精一杯かけた。まあ高校3年間は楽しかったし。あの人のおかげで成長できた部分もあったし。何度も言うけど楽しかったし。正直、悪を正当化させるのに事実なんていらなかった。ただ「そう思いたい」という気持ちのみが、間違いではなかったと言い聞かせる材料になるのだ。
そんな衝撃的“事実”を聞いてからまた少し経ち、春が来ようとしていた。新しい恋人も出来て、私も私で幸せに生きていた。もちろん浮気をされていたということが色々な気持ちの弊害になっているのは確かだったけど、何とか新しい恋人を信じ切ることもできるようになっていた。順風満帆に見える人生だったが、不幸は突然やってくる。
元カレと、新しい彼女……浮気相手だったという子のプリクラを、本当にたまたま見てしまった。SNSアカウントも、何なら新しい彼女がどんな子かも知らなかった。なのになぜか嫌なものは回ってきてしまう。
それを見て、それが何かをきちんと理解した瞬間、私の心のブレーキは一気に効かなくなった。突然、何もかもが見えなくなるような気持ちになった。
こんな簡単な言葉にしたくはないけれど、辛かった。本当に辛かった。私は浮気相手になってしまった子と同じ高校に一瞬でも通ってしまっていた。私と一緒に作った思い出は、浮気相手と話を盛り上げる手段になってしまった。私が彼と過ごした数年間で彼を作ったものが、浮気相手、しかも女子高生と恋に落ちるための序章になってしまった。
きっと彼女とは卒業旅行に行くだろう。私とは感染症予防で行けなかったディズニーに行くだろう。そして私と行った3泊4日の金沢旅行なんて忘れてしまうだろう。他にも、一緒に過ごしたあの高校での思い出も、彼女と言う存在に塗り替えられて、私と出会った場所ではなく、彼女とを繋ぐ場所になったのだろう。
もう彼のことは好きじゃない。それでも、許せなかった。これはもう浮気をされたひとにしか絶対にわからない。本当に許せなかった。年上がタイプで甘えられる人が好きなんて言っておきながら、年下で自分に甘えそうな、鼻の低い一重の女に乗り移ったのか。
浮気相手のことも許せなかった。女がいるかどうかくらい、わかってくれ。何より、年上ってことを利用するような男なんかに、本気にならないでくれよ。てか女子高生から見た成人男性なんてカッコイイに決まってるだろ。そいつじゃなくたって良いだろう。
そう、私のものだったんだよ。
高校1年生の春、初めて出会った部室。お前、すげえ無愛想だったよな。なんて呼べば良い?って聞いたらすっごい空いて、中学の時のあだ名を教えてくれたよな。本名とか知らなかったよ。でも名前の漢字がすごく美しくて、由来が両親の好きなゲームだったんだっけ。もう両親は不仲で家では何も話してないって、よく不満そうに言っていたよな。
高校1年生の夏、みんなで頑張った部活の練習。暑かったよな、冷えピタとか貼ってバカみたいな顔してた。練習が終わっても夕方の冷えた風が吹くまで一緒に喋ってたよな。あの頃はまだ一緒に帰っていなかった。お前の家と私の家、そういえば逆方向だったし。
高校1年生の秋、初めて勇気を出して誘った放課後の喫茶店。お前はキャラメルのカフェオレを飲んでいた。飲むスピードがびっくりするくらい早くて笑ったよ。そういえば食べるのはすごく遅かったのに、何であんな飲むのだけ早かったんだろう?確か、そこにものがあったら飲んじゃうって言ってたよな。それ病気らしいよ気をつけてね。
高校1年生の冬、勇気を出して渡したバレンタイン。本命って気づいてくれるかななんて思って渡したけど、私があまりにも無愛想に渡すもんだから、義理チョコと思われてたんだっけ。馬鹿野郎、義理チョコにあんな丁寧な手紙同封するわけないだろう。それから1ヶ月して告白して付き合って、その日は初めて手を繋いで、顔が痛くなるまで笑った。人に好かれるのって、それを伝え合えるって幸せだねってよく話してた。
高校2年生の春、クラス替え一緒にならなくて悲しかったよな。一緒のクラスになったらダンス一緒に踊れるはずだったのに。結局お互い誰と組んだんだっけ?覚えてないなあ、私、お前の衣装姿が可愛くてかっこよくて、今でもなんか思い出せるよ。私は紫で、多分お前は青だったよね。似合ってた。体育祭、3年生の頃はなかったからあの日のことすごい鮮明に覚えてるわ。
高校2年生の夏、一度別れた。何で別れたんだっけ。なんかショックすぎて覚えてないな。返しそびれたCDを返したいとか言って久々に会ったよね。あの時普通に楽しく話せて、また戻れるんじゃないかなあって思ったよ。あの日の緊張、今もどんなだったかわかるよ。
高校2年生の秋、もう部活もしなくなって本当は会えるわけないのに、私が前みたいに色々なところ無理やり誘って一緒に遊びに行ったよね。なんか映画とか見た気がする。お前最初から最後まで興味なさそうだったけど、今思えば何で着いてきてくれたの?友達いなかったのかな。その後パンケーキ食べたよね。甘くて食べきれなくて、気持ち悪かったよ。その日たまたま月が綺麗で、夏目漱石の気持ちを強くわかったな。
高校2年生の冬、クリスマスイブの日にカラオケでまた付き合った。イコラブの制服クリスマス歌って、「大人になって今日この日を、僕は思い出すだろう」って、なんかなぞる気持ちだったよ。あの日久しぶりにキスをして、嬉しくて泣いた。カラオケに入るまでは友達、出た後は恋人って、雑魚のスカイツリー広告だよね。多分広告なんて興味ないだろうから、何言ってるか分かんないだろうけど。
高校3年生の春、コロナが流行って学校に行けなくなって、会えなくなった。でもお互いの家のちょうど間くらいの場所に公園があって、なぜか誰もいなくてよくそこでマスクしながら会ったよね。たまにデカい犬の散歩してる爺さんが来てた。そこから見えるいつもいっぱいの駐車場には一台も車がなくて、ふざけて「コロナでみんな死んだ後の世界だね、二人きりだね」なんて笑った。私、正直それが本当になったら幸せだなあって思ってたよ。
高校3年生の夏、コロナの影響で全然夏休みとかなくて、しかも受験勉強でなんか全然記憶ないな。でも二人が一緒に高校で過ごせる最後の夏だって思うと、妙にワクワクした。これから一緒にずっと過ごせても、高校生の夏は一生来ない。お互いどうしようかって思ってたけど、私は美大に、君は文学部に行くって決めたね。国語と読書が大好きな君が、大学で何をするのかすごいワクワクしてたよ。
高校3年生の秋、私はひと足先に進学先が決まって、そこからずっと君の受験を応援した。確か塾に行き始めて、金銭的に英語の授業しか取れないって言ってたけど、君は記憶力も悪くないし国語は得意だし、それさえ伸ばせればきっと良い大学に進めるんだろうなって思ってたよ。私の方が英語得意だったのにいつの間にか私に教えてるくらい成績よくなってたよね。すごいよ。ほんとに。
高校3年生の冬、2月ごろ確かお互いようやく進学先が決まって、もう残すは卒業式だけだった。高校生活最後の日、サイゼリヤでどれだけ食べられるかって隣駅のサイゼリヤまで行った。途中から吐きそうなくらいしんどかったような気がする。間違い探し全部見つけた時の達成感、めっちゃ面白かったなあ。卒業式の日は一緒にプリクラ撮って、観覧車乗って、キスして、本当に3年間ありがとうって泣いた。本当に大好きだよって言った。ずっと一緒にいようねって、言った。
でも、お前浮気してたんだな。バイト先の女子高生と。妹と同じ年齢の女の子に。私に言った全ての言葉を嘘にして、彼女と手を繋いだんだね。
選ばれなかったという事実が、貴方と過ごした日々は全て無かったことになってしまったということが、もう一生戻れないということが、私は辛いよ。苦しいよ。
また二人にしか通じない言葉で笑おうよ。子どもが生まれたらなんて話す時につまらないキラキラネームを言って本気にならない会話をしようよ。公園で一緒にハンバーガーを食べながら桜を見ようよ。興味のない映画に着いてきてよ。顔の大きさが全然違うプリクラに爆笑しようよ。私はピアノを弾くからその優しい声で楽しそうに歌ってよ。将来私が作る晩御飯をリクエストしてよ。私の飼い犬を可愛いなあって笑いながら撫でてよ。その黒い髪を私の手で梳かさせてよ。カラオケで一緒にaikoを歌おうよ。ハグで全部分かった気になろうよ。
もう一度好きになってよ。
カレンダーと年末年始の食材を買い込んだあと、夕方から妻と忘年会をした。
今年は老舗の蕎麦屋で。昼飲みしている人たちを何回か見ていて、蕎麦屋飲みいいかも、と決めていた。
先出しの板わさが大正解。カツ煮でおなかを満たしながら、今年はどうでした? っていう振り返りをする。
人生で何度目かの引越しをした。大人数の飲み会や旅行っぽい旅行はまだ控えている。スカイツリーに初めて登った。「鎌倉殿」を完走した。
来年こそ温泉ですかね、っていう抱負というか意志表示をしながら、冷たい蕎麦で締めた。
なんだか歌いたくなってカラオケで二次会。妻は「津軽海峡・冬景色」で90点を、自分は「魔法のコトバ」で80点をとって満足。
セブンでしろくまと、蕎麦を食べたのにどん兵衛を補充して帰る。帰省はしない。
ま〜いい年だった気がする。来年もこんな感じでいきたい。
【追記】
起きたら伸びてた、うれしい~! 皆さんも良いお年を!
ちなみに昨年も書いてた。温泉……
12月29日の深夜1時。僕は彼と電話しながら家の前を流れる川沿いを歩いていた。低い声で大好きだって言われた。でも、もうバイバイだとも言われた。分かっちゃいるけど寂しくて、月並みな表現だけど胸に巨大な空洞ができてしまったみたいだ。
あぁ、寒い。
僕は20歳の春に彼と出会った。僕はあまりにも女性にモテなかったから、ムカついて男同士の出会い系アプリに登録していた。姉の影響でBLを読み漁っていたし、なんなら夜は男同士のビデオを使ったりしていたから、きっと男も問題なく好きになれると思っていた。でもアプリの中の人たちは揃いも揃って性に奔放そうだったから、物凄く嫌だった。僕は半年ほど誰と会うことも無かったが、そんな中で初めて会ったのが彼だった。
彼は一個下で芸術系の大学に通っていた。僕自身も絵を描いたり曲を作ったりするから、芸術的な能力が高い人はすごく好きだ。それに加えて、彼の外観は僕のどタイプだった。身長は僕より13cmも高くて、体格もぽっちゃり気味。まん丸な輪郭に穏やかな瞳。すごく可愛かった。たぶん彼以上にタイプな人は、後にも先にも男でも女でも現れないという確信があった。それほど好きな見た目だった。
最初のデートではカラオケに行った。どんな曲を歌ったかはあまり覚えていないが、ユーミンのひこうき雲やルージュの伝言を歌ったのは確かだ。
「不安な気持ちを抱えたまま 街はDingDong遠ざかっていくの」
彼はちょっと古い曲が好きだった。ちょうど僕の親世代が好むような曲だ。そういうセンスも、なんだか芸術家っぽくてかっこいいなと思った。
カラオケルームの小さな個室の中で、隣り合って座ったり立ったりしながら歌っていた。小さい個室といっても別にそんなに接近する必要もないのに、膝や腕が触れ合ったりしてドキドキした。僕は思わず彼の大きな膝に頭を載せてみた。柔らかいお肉が僕の頭部を包み込む。すごく、すごく幸福だった。
カラオケ屋の近くに公園があったから、しばらくそこで座って話していた。うっすら寒い春の夜、公園には僕たち二人だけ。膝枕だけじゃ物足りなくなってしまって、僕は手を繋ごうとした。でも断られてしまった。なんで。好きになっちゃうから。いいじゃん。だーめ。そんなやりとりをした記憶がある。ちょっと脚色してるかも。でも別にいいか。だって、思い出はきらきらしている方が良い。
初デートが終わっても僕の興奮は冷めなかった。全く冷めなくて、毎日彼のことを考えていた。ゲイの友達軍団に彼のことを自慢して、きゃーきゃー騒いだりもしてた。僕はいつの間にかモテない男子大学生から、初恋のJKみたいになっていた。好き好き大好き、早く会いたい。脳みそは彼一色。
二回目のデートでは、僕の実家に彼を呼んだ。別に親に紹介するとかそういう話ではなく、ただお泊りがしたかっただけだ。大学の後輩です、とか適当に言っておけば女の子を呼ぶよりもずっと簡単だ。同じ布団に入ったら、「男二人なのに、そんな狭い布団で大丈夫?」と母親に言われた。大丈夫というよりもむしろ、なんて僕は胸の内でにやにやしていた。
ハグをして初めて、彼は僕よりずっと大きいことを身体で理解した。肉厚な腕やお腹は熱を帯びていて、僕は食べられてしまうんじゃないかと思った。事実として、食べられそうになるくらいに責められた。あんなに熱い夜は初めてだった。
この日から彼の対応はおかしくなった。明らかに僕に冷たくなったし、大事な話をしようとしてもあしらわれる。会いたくてたまらないのに予定を合わせてくれない。何故なのか全く理解できなかった。だって、あんなに可愛いって言ってくれたじゃないか。付き合うんじゃなかったのか。
僕は泣いたりブチギレたり、とにかく感情が不安定になった。それを全部彼にぶつけた。でも適当にあしらわれる。たまに僕の話に乗ってくれることもあって、その日は落ち着きこそすれど数日すればすぐに不安に苛まれた。この時期は辛くて苦しくてたまらなかったし、あらゆる友達に「そいつはクズだ」「早く忘れろ」「許せない」と彼のことを非難された。でも、きっと彼は僕のことが好きなんだという謎の自信があったから、友達のアドバイスには従わなかった。彼のことを信じたかったんだ。
彼が中高生の頃に付き合った彼女の話をされたことがある。彼女には「何を考えているか分からない」と言われたことがあるらしい。僕も、彼が何を考えているのか全く分からなかった。彼は僕と違って男性しか愛せない人だったから、彼女のことを気持ち悪く思ってしまうこともあったようだ。僕は、僕だけはそんな彼を理解してみたかったんだ。僕にならできるって信じていた。
そして、三回目のデートをすることになった。場所はソラマチ。日付はどのメモにも残っていなかったから分からない。最高だ、めちゃくちゃデートっぽい。実際、デートは最高だった。ソラマチに立ち並ぶ店はどれもおしゃれで、彼の隣で眺めているだけで楽しい。スカイツリーのてっぺんから見る夜景はすごく綺麗で、心なしか彼もかっこよく見えた。
でもね。
これで会うのは最後だよって。
訳が分からなかった。何度も聞いた、なんで?って。でも彼が提示する理由は僕には理解できなかった。確か、今は付き合わない方が良いとか言ってた気がした。それって全く回答になってない。納得できないし、意味不明。それでも彼を引き留める方法なんて無かったから、僕は彼を見送りながら半蔵門線で呆然としていた。最後にささやかなプレゼントを渡そうと思って買ったハンカチは、ついぞ渡すことはできなかった。
僕の彼への愛情はキレイに逆転して、深くどす黒い憎しみになった。
僕は彼のことを忘れようと必死に努力した。ありとあらゆる友達に相談し、恋愛映画を観て、新しい男と会ったりした。この頃に上映していた「愛がなんだ」という映画にはバリ共感MAX100%だった。
でもね、一年経っても二年経っても忘れられなかったし、ずっと好きだった。なぜかというと、彼はたびたび僕に連絡を寄越してきたからだ。元気?とか、やほ、とか、特に理由なく突如メッセ―ジが送られてくる。もう本当に意味わからない。このせいで僕は彼を忘れることができなかった。この辺りで僕は、「きっと彼は寂しい人で、僕を使ってインスタントに自分の欲求を満たしているんだ」ということに気付き始めた。でも、別にそれでもいいから彼と話していたかったんだよ。
僕はいつの間にか男遊びが好きになっていた。だって、特にデメリットなく人と会えるし、気持ちいい。たまに虚しい気持ちにもなるけれど、でも別にそんなの大した問題ではなかった。たまに変な人と出くわすこともあるけれど、でもそれは笑い話のネタに使えるからむしろ一種の楽しみになっていた。ただ、好きだと思う人は一人もいなかった。上手い、とか可愛い、とかでもう一度会いたい人はいたけれど、好きになる人は一人もいなかった。
その後、ひょんなことから僕には彼女ができた。なかなか可愛くて絵が上手な子だった。この子とのストーリーも非常に濃厚なのだが、それは割愛するとして。僕に初めて恋人ができたおかげで、僕の中に巣食う恋愛コンプレックスは綺麗さっぱり消滅した。自分でもびっくりするくらいには、今までの自己嫌悪がどうでもよくなった。それと一緒に彼への憎しみも浄化されて、後に残ったのは彼のことを好きだったというきらきらした思い出だけだった。自分の心変わりは自分でも衝撃的で、物凄い感動に包まれた。
彼女とはあまりうまくいかなくて、数か月で別れてしまった。でも、自分の考えが大きく変わる非常に大事な経験だったと思う。一個目の大きな変化は、自分に自信が持てたこと。巨大なコンプレックスが無くなった影響は計り知れない。二個目は、過去の自分への嫌悪だ。昔の僕は、自分の中の好きという気持ちに任せて相手のことなんてこれっぽっちも考えていなかった。だからモテなかったのだ。好きな相手がいたら、好いてもらうために相応の行動が必要に決まってる。それにやっと気付かせてくれたのは、最初の彼女だった。
未だに彼からちょくちょく連絡が来ることがあったから、一連の出来事を彼に報告した。そして僕は、もう彼への憎しみは無くて前向きな気持ちで好きでいられるようになったことも伝えた。僕は彼のことを忘れることが不可能だと体で理解したから、好きだという気持ちを素直に自分で認めてあげて、それとうまく付き合って生きていくことに決めたのだ。
ちょっと補足すると、僕は彼女と付き合っている間だろうと、彼が好きだという気持ちは薄れなかった。でも、このことは彼女に報告した上で大丈夫だという判をもらっているし、人を好きな気持ちはどう努力しても理性で支配できることではないと思っている。大事なのはパートナーを不安にさせないことだと思っていて、それ以外の人間に好きだ抱きたい抱かれたいと思ってしまう気持ちを責めるのはお門違いではないだろうか。
さて本題に戻ると、彼は僕に彼女ができたことを祝福してくれた。彼の方にも彼氏ができたようだったが、あまり充実している様子ではなかった。恋人ができたら嬉しくてたまらないものだと僕は思うのだが、彼の方は何か裏がありそうな様子だった。僕は彼と久々に会っても依然として好きだなー、なんて思っていた。ただし、初めの1年間のような執着心は綺麗さっぱり消えていた。
もう、僕の心はすっかり平和だった。
後から知ったことだが、彼の方は全くそんなこと無かったようだ。
僕に二人目の彼女ができた。中学時代からのTwitterのフォロワーで、実は同じ大学に通っていたことが判明してから仲良くなった子だ。この子のことは本当に大好きだ。早く同棲したいし結婚したいし死ぬまで一緒にいたい。でも、まだ付き合って数か月しか経っていないから、そういう話はゆるやかにしかしていない。とはいえ、僕と彼女はベストパートナーなのではないだろうか、と自惚れてしまうくらいには相性が良いし大好きだ。
しばらくしてから、僕の頭に彼の顔が浮かんだ。結婚したいほど大好きな彼女ができたこと、報告するべきかな。いやでも、別に連絡するほどでもないか。いやいや、きっと僕の話を聞きたがっているんじゃないか。いやでもでも…
そう思っていた、昨晩。
彼から連絡が来た。
文面はこうだ。
「やほ」
二文字。二文字である。彼はこういうやつなのだ。案の定彼は僕に会いたがっていて、六本木まで来いと言われた。このとき、深夜の22時半だ。彼はこういうヤツだし、僕は僕でこう言われても大喜びで会いに行くようなヤツだった。でも、今の僕には非常に大事なお嫁さん候補がいる。不倫はダメだ。だから僕は断った。
正直、気持ちは揺らいだ。だから、彼女に報告をして、軽く𠮟ってもらった。こんなことをしている僕はダメなヤツだが、黙って不倫して後から大騒動になる人々に比べたらよっぽどマシだと思う。僕に自分の欲望を正しくセーブできる自信なんて無いから、情けないけど全てをあけっぴろげにすることでしか対策ができない。
この晩、僕は彼に未だかつてない態度を取った。先述したように、少し前の僕は深夜だろうと彼に呼び出されたら喜んで向かうような人だった。でも昨晩の僕は、彼の誘いを素直に飲まなかった。六本木までは行けないが、実家に来るのならいいという条件を出した。それくらいならただの男友達でもする範囲だろう。このレベルなら特に問題ない、という合意も彼女と取れているつもりだ。
でも、彼は遠いからと言ってぐずりだした。確かに僕の家は六本木から遠い。そう思うなら今晩会うことはできないから、会いたいならまた別日に会おうという提案をした。でも、今晩じゃなきゃダメらしい。何が言いたいのかよく分からなかった。会いたいという気持ちは一致しているはずなのに、根本的な何かがすれ違っているみたいだった。僕に請い願う彼の姿は初めて見た。なんだかみっともないとすら思ってしまった。
結局彼は自分の家に帰っていった。そして、駅を降りてから電話をした。ただ、彼曰くこれは最後の電話らしい。別に最後になんてしなくていいのに、なんて僕は思っていたけれど。彼は不器用だから、そうでもしないとうまくできないのだろう。
最後の電話が始まった。スマホ越しに何度か車が通過するブゥーンという音が聞こえてきた。僕も感傷に浸りたい気分だったから、いそいそとコートとマフラーを着て外を歩きながら電話することにした。それはもう寒くてたまらなかったけど、これからする話にはこれくらいの寒さが丁度いいだろうという謎の予感があった。
その最後の電話で、僕は気になっていたことのほとんどを聞くことができた。
やはり、彼は今の彼氏と順風満帆とは言い難いらしい。彼の彼氏は将来女の子と結婚したいようで、最近親戚からの圧力が苦しいのだそうだ。子どもや結婚といった話題で躓くのはゲイカップルのあるあるだ。その話題で話し合いを進めるうちに、彼はどうして自分はこんな人に優しく接しなきゃいけないんだろう、と思ってしまったのだそうだ。そして人を愛することの意味や理由について考えた挙句、ひたすら真っ直ぐに自分のことを愛してくれた唯一の男、つまり僕のことを思い出してしまったのだそうだ。
それを聞いて、僕は笑った。笑いながら嬉しいよと応えた。少し前の僕なら、照れていた。でも僕は笑っていた。僕が彼に向ける感情は、もはや彼の言うような真っ直ぐな愛情とは違う何かになっていたんだろう。
そういえば、この一か月くらい前に「愛がなんだ」をもう一度観た。あのころ共感できたはずの主人公には全く共感できなくなっていて、鬱陶しい敵だと思っていた女の方を魅力的に感じてしまった。僕の感情構造は、いつの間にか様変わりしていた。
僕のことが気になるなら、あと何か月か早く言ってくれればよかったのに。僕はもう売り切れちゃったんだから。なんて、ひどく調子に乗ったことも口にした。すると、彼も彼でびっくりするようなことを言った。
最初に会ったときからすごく可愛いと思っていたし、大好きだった。
でも。
信じられなかった。
自分が肯定されて愛されることが、自分の中ではあり得ないことだった。
だから、大好きだったけどわざと酷い態度を取ったり、そっけなく接した。
僕は大爆笑した。
だって、おかしいじゃない。好きなのにそれを伝えないなんて。両想いなことが分かってるんだから、それを隠す理由なんて一つも無いじゃん。付き合えば良かったじゃん。全部言えば良かったじゃん。そうしていれば、二人が苦しんでいた時間はずっと充実したものになってたのにさ。
馬鹿すぎて、大爆笑した。あいつは馬鹿野郎だと常々思っていたけど、予想よりずっとアホだった。バーカ。あと1年早く言えよ。臆病者。小心者。メンヘラ野郎のホモ野郎。ずっとカッコつけてた癖に気が小さい。図体ばっかりでかい。バカ。バカ。バカ。
僕は近所の川の前で大爆笑した。誰もいないあぜ道に僕の笑い声ひとつ。アーハハハハハッハッハ!冬の冷え切った空気が僕の吐息で温まる。今夜はなんて良い夜なんだろうと、僕はご機嫌だった。
彼は話し続けた。自分の人生の中では人に愛されることなんて異常事態だったと。顔も中身も全部好きだと言われても、全く信じられなかったと。それに早く気付けば良かったと。何度も何度も傷つけて苦しい思いをさせて、申し訳なかったと。
こういう話をされたら、もっと僕も悲しんだり怒ったりするのが相場だと思うけど、僕はひたすら笑っていた。ずーっと意地っ張りだった彼がこんなに素直に喋っているのが、余りにもおかしくてたまらなかったのだ。または、僕が彼を好きな気持ちがすっかり整理されてしまったせいで、もう何を言われてもときめいたり苦しんだりすることが無くなってしまったのかもしれない。
確かに僕は未だにずっと彼のことを好きなのだが、でもこれはたっぷりと諦めを含んだ"好き"なのだ。どうせ彼は僕のことなんて好きじゃない。どうせ僕は彼と付き合えない。どうせ彼は寂しがり屋で、それを埋めるためにしか僕と合わない。でもそんなことは全部了承した上で、好き。恋をしたときのドキドキとは程遠い何かなんだ。
この"好き"は一体何に例えるべきなんだろう。MOTHER2のネスがポーキーに向けていそうな感情に近しいかもしれない。こんなヤツでも許してあげなきゃいけないよな、みたいな感じ。
さて、衝撃の真実。彼は結局のところ最初から最後までずっと僕のことが好きだったのだ。でも、今の僕には彼女がいる。なんなら彼は奪ってやりたいとすら思っているらしい。でも僕のことを傷付ける羽目になるのは本意ではないから、これで完全に別れてしまいたい、ということらしいのだ。
僕はなんだか納得いかなかった。仲が良い人と関係を切るなんて意味不明だ。僕は彼女を大好きでいながら、彼とも普通の友達としてやっていけそうだった。でも、彼はそうではなかったんだ。僕と会ったらハグやキスじゃ物足りない、絶対に抱いてしまうのだそうだ。僕としてはハグまでならまぁセーフかな、と思うがそれ以降は断固拒否だ。その気持ちの激しさの差が、最後の電話の理由だった。
結婚式をするときは呼んでね。いやでも、二人っきりになったら襲っちゃうかもしれない。なんて大馬鹿発言をされてから、電話を切るときがやってきた。僕は最後までこの顛末に納得はできなかった。理屈は分かるが、素直に飲み込むことなんてできなかった。複雑な顔をする僕のことなんていざ知らず、彼は一言呟いて電話を切った。
大好きだったよ。バイバイ。
おっせーよ。クソ。
東京の人ってどんな所に出かけてるん?
https://anond.hatelabo.jp/20221128150119
一応東京生まれ育ちで観光客もくるような繁華街の徒歩圏内に住んでるけど、日頃どこにも出かけてない。
おしゃれっぽいコーヒー屋とかも家の近くにあるけど1ヶ月に1度行くか行かないかぐらい。
地方出身の友達がスカイツリー行ったり、縦書きピエールエルメできてスグ行ったりしてて驚いた。
正直それだけのために外出できない。スカイツリーいったことない。
虎ノ門ヒルズとかも行ったことないな。銀座ソニーパークはなんかの帰りに寄ったなあ。
ミッドタウン八重洲も新大久保韓国横丁もミカン下北もまだ行ってない。
友達と下北で待ち合わせて、ちょっと早めに行ってぷらぷらしようかな〜と思っても結局時間通りに行っちゃうし飲み終わったら閉まってるし。
博物館とか映画館とか買い物とかそりゃ行くけど、寄るのめんど〜ってなって直帰しちゃう。
(って書くとすごいインドアだと思われるかもしれないけど旅行とかアウトドアは行くし、行った先ではガツガツ回るんだよね)
都心のご飯どころってたいして美味しく無いとこばっかなのもあるよね。特に繁華街は。
美味しいとこはすごい混んでるし、美味しくなくても混んでるし。
美味しいところも、中途半端に近場だと別に今日いかなくてもいいか…みたいになるし。家で食べた方が健康的だし。
大阪転勤とかになったら必死こいて回るんだろうか…いやそれもないか。
めんどくさがりには暮らしやすくもあり、めんどくさがりが加速する街でもあるよね東京は。
東京って広いし、いろいろあるし、人も多いし、そんなとこで自分なんてクソちっぽけだし
駅とか街歩いてるだけで、デザインセンスが皆無だけどわかりやすくていいなーと思った
新大阪とかでもめちゃめちゃ観光地への導線がはっきり書いてある
「ユニバ行く人はこっち、通天閣行く人はこっち」みたいな 全部デカ文字のゴシック体とか視認性の高い文字で
通天閣も初めて行ったけど、遠目で見て笑っちゃった
スカイツリーに「スカイツリー」ってデカデカと書いてあったらダサいだろ
しかも有名観光地なのに周辺がマジでドヤ街みたいな感じでなんか治安悪そうだった
そんで東京帰ってきたら、一気に駅とか街での案内の貧弱さが気になった
どこにエレベーターがあるかとか、地下鉄の入り口があるとか、全然わからん
デザインばっかり重視して人に優しくない
実際大阪は人も気さくで親切だった
お国柄というか、西と東でこんなに違うんだなーと改めて実感した
要旨: 非モテ男がマッチングアプリで会った女性に理不尽な理由でキレられて女嫌い拗らせそうという話
お互い業種が隣接分野ということもあり仕事の話も結構盛り上がっていた。
自分のスペックは、都内国立大卒の理系、そこそこ有名な企業に務めていて、身長は175cm。顔は割とマシな方。ヒゲなどには結構気を使っているが、どことなく爽やかさはない。
ちょいアニオタで、スキーが趣味。休日はdisneyプラスでmarvelのドラマシリーズを見てる。
生まれてこのかた彼女がいないのがかなりコンプレックスの25歳。
どこで会おうかという話になり、浅草あたりにしようということになった。
アプリを始めて3ヶ月程、今まで4-5人ほど会ってきたが、今回が一番楽しみだ。
今まで会った人は、ネットで調べたとおり初回は簡単にお茶orランチで簡単に顔合わせして、2回目以降に半日デートという感じだった。(2回目以降会ったのは2人だけなんだけども...。)
それが今回は初めから半日デートを提案され、ちょっと心配だったが、浅草-スカイツリーあたりなら全然問題ないだろう。
いくつかお店をチェックして、行きたいところを聞いて、それっぽく並べる。
デートという行為は未だ全然慣れていないが、最低限のことは出来たと思う。
だが、前夜になり「近くにあるかっぱ橋道具街というところに行きたい」というメッセージが来る。
俺は今まで行ったことがなく、全く知らないことを説明。そもそもかっぱ橋なんてテレビでしか見たことがない。
向こうは「行きたいお店がいくつかあるから全然それでOK」と言う。
この時点でこっちにプラン立てさせといてなんやねんお前、という感じではあるが、そんなことで怒るほどではない。
その時はウキウキしていたから、「そうなんだ!」としか思わなかった。俺は純真なのだ。
その日はもう遅かったし、寝不足で行くと印象悪くなると思い、早く寝た。
翌日は昼過ぎに待ち合わせなので、それまでに軽く調べる。
かっぱ橋商店街というのはどうも基本は料理用の道具が色々売っている専門店街らしい。
ふうん、必要な道具は100均とニトリと無印で揃えてきた俺には無縁の世界だ。
ちょっと調べたけど、そういえば相手が何を欲しいのかとかよく知らないので、どこに行けば良いのか分からない。
それに行きたいお店は決まっていると行っていた。じゃあなんとなくの地勢と、交通機関だけチェックして、こんなもんでいいやと放置。
「着きそうになったらまた連絡します!」で終わっているメッセージに別のものを割り込ませる勇気は俺にはなかった。
当日、会う。
お互い時間よりちょい早く着き、無事合流。
流石に写真は"盛れて"いたけど、実物も実物で十二分にかわいく、テンションが上った。
はじめて来たが、色々な店があり、楽しい。
まるで使い方のわからない道具とかも平気で売っているんだな。(東京に住んでて行ったことない人は一回は行ってみたほうが良い。金かからないし楽しいから。)
二人で色々見て周り、相手も行きたかった店で欲しい物を買えたようだ。
チェーンのカフェで休憩し、浅草寺と仲見世通りだけちょっと見て解散。ラインも交換した。
かっぱ橋商店街で結構時間を食ってしまったし、元々ディナーは食べる予定ではなかったので解散時間自体は予定通り。荷物も多かったし。
(どうもこの辺りで夕方以降に引き延ばせないのは経験不足が響いているように思う)
今日はありがとうございました。楽しかったですね、また会いましょう、次は今日言ってた○○行きませんか、みたいな。
お互いに、改めて今日買ったものの自慢をした。写真の、道具を持ったぬいぐるみたちが微笑ましい。
「やっぱり次会うのナシでお願いします」
朝から心臓に悪い。歯を磨いたりしながら5分ほど眺めたが、どうも文面通りの意味のようだ。
目玉焼きを焼きながら返信を考える。
これでいいか...これ以上のことは送ったらキモい文章になりそうだし。
「理由を聞きたそうですね」 何だこの女、ふてぶてしい
「できれば教えてほしいです」
「かっぱ橋道具街のことを全然調べていなかったからです。ほとんど成り行きで歩いてただけですよね? 行きたいお店は行けましたが。。折角の休日なのに無駄にした気分です。リードするという自覚が足りていないように思いました。そんなことでは女性とは付き合えませんよ」
そこでタイトルに戻るわけだ。
未だ返信を考えている。
48時間くらい若干キレながら。
まあ、返信してもブロックされているだろうが...。
・デートプランを前日に引っくり返さないでよ...(特に、マッチングアプリで初めて合う相手とのデートで)
・それが気に入らないのなら別にそれはそれでいいので、キレたり人格否定してくるのやめてよ...静かにブロックしてほしい
・いや、無限にイイネがくるというのはわかるけど、わかるけども
・最低限の人間に対する態度というものがあると思う。アプリ側のシステムの方を改修すべきなのかもしれないけども。
・自分のような恋愛慣れしていない人間は、女嫌いに容易に傾き得る
・だって、良い思い出は全然ないのに、悪い思い出だけはたくさんあるんだもんね
・俺のような非モテ男を単に嘲笑うのは簡単。でもそうやって嘲笑っていれば良いというものではない
・だからどうしろというわけではないけど、無条件で虐めていい被差別階級みたいになってるのはちょっとおかしいと思う
・増田で箇条書きってどうやるの?
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.itmedia.co.jp/mobile/articles/2211/13/news031.html
TV用の周波数を変更すればよいとの記事内容だが、放送局側の技術的な問題は少ないのだが
TVを見る世帯全員にチャンネル再スキャンをやってもらう必要がある
TVのメイン世帯の高齢者全員にやってもらう必要があるのは大変だ。
はてなーは別に勝手にやればいいけどさ、高齢になりつつある両親に作業を指示しながらでもやってもらうのはキツイと思わないか?
TVごとに再スキャンの方法は全部違うんだぜ?メーカーでも年代によってメニューが変わって微妙に違う。
自分で調べて再スキャンやってくださいしか告知できない以上、難易度は非常に高い。
実例として東京MXがスカイツリーに2013年に移行して周波数も変更したのだが、10年近く経ってもそのままな高齢者が普通にゴロゴロいる。
何か見れなくなったなのまま忘れ去っていくのだ。
そんな視聴離れのリスクを2022年の放送局は受け入れられない状況になってしまった。
ただでさえTV離れが進んでるのに自然に視聴できなくなるリスクを受け入れる放送局は少ないでしょう。
H265でもH266でもいいけどMPEG2から更新すれば電波の効率は数倍になるから周波数はいくらでも空けられるという机上の空論のブコメを見かけたがアホすぎる。
顧客管理の受信専用端末(TV)が1億台あり、端末のシステム更新は不能で高齢者も多数利用中。
サーバー側(放送局)のシステムを最新に更新すれば効率は4倍になる。どう対応するのか。
しかも今回はアナログTVからの更新でもなく楽天の電波のため。国民から総スカン食らうよ。
相変わらずテキトーだなぁ。