はてなキーワード: インスピレーションとは
元増です。
なんか、思ったよりも多くブクマが付いたので、補足&言い訳を。
これはあくまでも、私が読んだ相撲マンガの比較であって、世の中に有るおもしろい相撲漫画を網羅して比較しているものというつもりはないです。冒頭にもそう書いていたつもりですが、タイトルにも入れておくべきだったかもしれません。Amazonのレビューを見ても、本の内容がおもしろいかどうかという以外に、本のタイトルと内容の不一致を理由に低評価が付けられる事がよくあって、タイトルと内容の一致は重要というのはよく知っていたつもりですが、どうせブクマあまりつかないだろうと適当なタイトルをつけたのは今思えば失敗でした。すみませんでした。(タイトルと内容の不一致に寄るレビューの不評の例としては、「酩酊すみれさん」 http://www.amazon.co.jp//dp/4785955767/ 参照のこと。ワカコ酒のような内容を期待したらそうじゃなかった的な☆1個のレビューが多数。)
「武装少女マキャベリズム」を推したいだけじゃないの?というのは、まぁ、そうですね。肯定です。ああ播磨灘を読んだ時に、冒頭から仮面を被って登場しているのをみて、これは鬼瓦と同じじゃないか?と思ったのがあれを書いたきっかけなので。相撲好きからしたら、ダシにされた利用されたような感覚があって不快かもしれません。もしそうなら、誤ります。Amazonのレビューでも、そういう理由で低評価にされて入りものが合ったはずですが、何だったか忘れました。
うっちゃれうっちゃれ五所瓦を推す人が多いですね。そんなにおもしろいのなら読んでみます。また、Amazonのレビューの話で恐縮ですが、(試し読みのしにくいネット経由で)おもしろい本を買うにはどういう基準で選ぶべきか考えていて、Amazonの評価が☆☆☆☆☆になっている本を調べて、片っ端から読んでみようとしたこともあったのですが、レビューの数が少ないと一人の評価の影響が大きすぎてあまり参考にならないんですよね。なので最近は、漫画の場合はレビューの「数」を参考にしています。レビューを書くのもある程度手間がかかるので、その手間を考えても何か書きたいと思わせるものは、例え評価が☆☆☆くらいであっても、おもしろい本なのだろうという考えで。ただ、この手法、古い漫画はわざわざレビューを描く人が少ないのであまり参考にはしにくいんですよね。なので、古めの漫画でおもしろいのものを薦めてくれるのはありがたいです。五所瓦、読んでみます。
【創作系譜論】同士いましたか。後で、見に行きます。私は、周期表をつくったメンデレーエフからインスピレーションを受けたのですが、固有名はつけてないですね。
漫画の要素として、描かれていることに注目するのは簡単なのですが、描かれていないこと、当然のことに注目するのはそう簡単では無いのです。その点、こういう表を作ると、相撲マンガの主人公には男が多いという当然のことに気がついたり、マワシの描き方に特に特徴は無いということに気がつけたりするのが、気付きが面白くてたまに表を作ってますね。で、おもしろい気付きを得るには、一部に異質なものを入れるのがコツで、相撲の表で言うなら武装少女が明らかに異質。でも、こういう異質なものを混ぜることで見えてくるものもある(場合もある)と考えています。なので、ダイレクトマーケティングの要素がないとは言わ無いですが、100%そのために入れているという訳でもないことはご承知おき頂きたく存じます。
ITパスポートの試験勉強をしているのだけれども、ちっともやる気がでない。
受かったときの「自分へのご褒美」を設定すれば、少しはモチベーション上がるかなと思った。
が、かれこれ40年生きてきて、いざ欲しいものが思い浮かばない。禁欲的だとかミニマリストとかではなくて、ほんっとに自分の欲しいものが分からない。
以前、使い捨てで500円くらいで買えるオナホを買って「安い!」と思ったのだが、挿れて10秒くらいで致してしまってとても切ない気分になった。10秒のために500円を溝に捨ててしまった。タイム・イズ・マネーとはこのことだった。時給換算するとなんだ? 18万円だ。この使い捨てオナホは時給18万円のとんでもない高給取りだった。だから私は、人間とオナホは見かけで判断してはいけないのだと胸に誓った。今日も駅前で街頭アンケートに引っかかって、うっかり住所と名前を書いてしまった。こわい。
人間は失敗から学び日々成長してゆくので、私が次にチャレンジしたのはちゃんと非貫通式の使い捨てじゃないものだった。これは2000円ほどで買えた。「幼馴染」とかそんな感じの名前だったが、私には異性の幼馴染がいた記憶もないので、いまいちそのオナホに触れたところで、昔の記憶が呼び覚まされたり青春の日を思い出したりといったインスピレーションには浸れなかった。2000円もしたかいがあって、こんどは挿れても20秒は我慢できた。だが30秒後に果てた。賢者モードで幼馴染を風呂場で洗っているのがすごく虚しくなって、やはり非貫通式のはダメだ。たしか星の王子さまか何かで『手間暇かけて世話をするから、人はバラにも愛情を抱くのだ』みたいな話があったような気もするが、残りの人生を考えると、私がオナホを愛せるようになるためにはもう時間が足りないような気がする。独り身で寂しいのでペットを飼おうとしたこともあるが、同じ理由でやめた。愛に必要なのは十分な時間である。自分の時間を捧げることこそ、愛なのだから。ところで中に溜まった水を押し出すためにオナホをぷにぷにと押していると、やがてそれが心臓の鼓動のように思えてきて、オナホは生きているのかもしれない。私の胸の鼓動と脈打つオナホが同調するような感覚に襲われる。
上記のような理由をもってして私は貫通式オナホが欲しいなと考えたのだが、しかし自分の40年間にわたる人生が貫通式オナホに集約されることを思うと、何だか感慨深い。よくよく考えて見れば「貫通式=通る=試験に合格する」と、試験の合格祝いにオナホを買うのはゲン担ぎにもなって縁起が良いのではないか。そう思ってAmazonで商品詳細を見てみたが「全長:14.5cm」と書いてあって、通らねえじゃねえか……。通らないのではかえって縁起が悪い。やはり貫通式オナホではない何かを自分は見つけなくてはならないのだった。
自分へのプレゼントと言っても、服や時計を買っても見せる相手がいない。ゲームもやる暇がないし、たいていああいうのは買っただけで満足して部屋の片隅に積んでしまう。本屋で売っていた水耕栽培セットはちょっと興味を唆られるが、子供時代に友だちがいなくて、学校の校庭でアサガオやミニトマトに話しかけていたら、余計に気持ち悪がられてしまった。あの頃は「植物と話ができる!」みたいなオカルト本が流行っていて、それを読んで影響されたのだが、あれならまだファービーに話しかけていた方が幾分もマシであった。
10代の頃は嫌いで仕方がなかった。納豆がね。味覚の変化に気が付いたのは、20代に入って暫く経ってのことだった。
とりわけ、あの匂いが堪らず、旅館の朝食などでは食べるものがなくて困ったものだ。(魚もダメなら生卵もダメで、その当時は何を食って生きていたのかも覚えていない)
ところが、あることをきっかけに、納豆嫌いが治ったばかりか魚も頂けるようになった。人生の転換期など、思はぬところでやって来る。今では干物が好物で、特に鯖やアジの開きには目が無い。
どうしてこれほどの変化が起こったかと言えば、それは不思議な出会いがあったからだ。こう書くと大袈裟に聞こえるが、それは紛れもない偶然だった。
ある日、テレビを見ていると、当時人気の芸能人が出演していた。彼女が納豆を食べるとき、ある調味料を使ったことがインスピレーションを与えてくれた。
「私をスキーに連れてって」ならぬ、「私にマヨをふりかけて」とでも言ったところか。ときはバブルの全盛期、日本中がマヨネーズの消費に狂った時代であった。(ウソよ、ウソ)
いやしかし、このマヨネーズが納豆嫌いを克服するきっかけになろうとは、神ならぬ拙者には知りも得ぬ事にて候。醤油だけでは拭えぬ匂いが、マヨネーズを加える事で大幅に軽減されたのだ。
これには実際驚いた。驚きついでに色々な食材に使うようになった。ただ、やはり合うものと合わないものはあるようで、マヨマヨ~とひねってかけて行く度に、食さなくなった食材もいくつか出て来た。
とは言え、納豆が食べられるようになったのはありがたいことで、レトルトの白米をチンして納豆をぶっかければ、はや納豆丼に大変身!これは重宝することの行ったり来たりで、非常に感謝している。勿論、マヨと醤油はご一緒に。
拙者にとっては(誰やねん?)生卵が依然として反シビライズドであることから、卵かけごはんが食べられない。そこへ来るとこの納豆飯は、見事にその代役を果たしてくれている。
シーチキン丼にもマヨネーズ、豆腐丼にもマヨネーズ、時折マヨネーズスパも作るぞ!何に付け便利なマヨネーズ。私の人生を左右するマヨネーズだ。
ただ、自宅の昼飯以外では、マヨくんをこの手に握ることはない。
http://gigazine.net/news/20140213-fixed-vs-growth-brain/
「固定された思考態度」は根本に「自分をよく見せたい」という欲求があるため、失敗する可能性がある挑戦を避けたがります。
障害にぶつかった時のあきらめも早く、努力は実を結ばないと考えがちです。
批判に対し、例えそれが有用なものであってもネガティブな意見であればフィードバックを無視してしまい、他人の成功に脅威を感じます。
そして自分の能力を出し切ることができず、早い段階で能力の伸びが頭打ちの状態へと移行してしまいます。
一方「成長する思考態度」はまず「学びたい」という欲求から始まるため、挑戦を喜んで受け止め、逆境にぶち当たっても粘り強く堪えます。
努力は熟達への通過点と考え、批判から学び、他人の成功からも学んだりインスピレーションを受けたりするという流れ。
根本にあるのが「学びたい」という考えのため、全てを雪だるま式に吸収し、高い成功レベルへと到達できるというわけです。
・・ここまで引用・・
成長したいと思う分野内においては色々見るし吸収するけど
それ以外(つまり全く興味がない分野)にはほんっとうに手を出さない
昔は色々やってみたような気もするけど
唯一出来る分野、向いてる分野があって
それだけは続けてるんだけど
それはもう始めてやったときから今までずっととにかく「好き」なことだった
自分の感覚にフィットするというか、これが向いてる、私の才能はこれだっていう感じがずっとある。
今でもそう
好きなので続く。
やり続けてると辛いこともあるけど、それすらも楽しいというか
他の興味の持てない分野はやり始めたときの違和感、どうしても楽しいと思えないもやっとした感覚、
疎外感、劣等感などが強すぎて続けるに至らない。
好きなら徹底してやれる
嫌い/興味がないことは出来ない
それって私の中では「いいこと」なんだよ
興味があるものにだけエネルギー注げることって素晴らしいと思うんだけど
視野が狭いって人から助言されてから「そういうことなの?」って疑問を感じだした
それでも現時点だと、好きなこと以外のことに労力割きたいとは全く思えなくて
便乗して書いた割にブクマが伸びて恐縮している。インスピレーションを与えてくれた元増田に感謝するとともに、率直な感想を書いてくれたお前らにも感謝したい。元増田のような文才は俺にはないが、その分ミュージシャンから見た、あまり大げさな飾り言葉のない本音を伝えたつもりだ。
「月並みなリストだ、つまらん」という意見もあるだろう。しかしそれだけ定番化したものの完成度の高さというのはバカにできないし、それどころか極めて貴重なものであり、これを無邪気に聞き始めることのメリットのほうが海のものとも山のものとも分からないレア盤を首を傾げながら聞くことよりもずっと価値があると俺は考える。もっと重要なこととして、演奏者から見ても、これらの定番の超一流アーティストたちというのは、他のアーティストよりも表現手法の確立やそれに向けた努力という面で比較にならないほど飛び抜けている。ジャズファンで良くある「そのアーティストなら俺はもう知ってる。もっとレアなのを持ってこい」ていう傲慢な態度にはいつもイライラさせられる。
しかし「こういう説教じみたウンチクがジャズのハードルを上げてる」という意見には正直ハッとした。自分としては演奏者の立場に立って正直に書いたつもりだったからだ。評論家気取りの的外れで抽象的なジャズ批評には俺自身が辟易しているのだが、いざ自分が書いてみるとそういうものと同じカテゴリーで見られるらしいというのは良い発見だった。そのようなハードルを下げるために面白おかしく相手を煙に巻いてわかった気にさせたり、別に分からなくっても大した問題じゃないという態度をとるのは自分にはできない選択だ。きちんと聞けばジャズはとても分かりやすい音楽だからだ。
さて、「アーティスト10人なんて多すぎる、CD3枚にしてくれよ!」という意見はごもっとも。3枚厳選する時間が今ないので、ざっと探してみた感じでこれならとりあえず間違いないんじゃないのかと思うのがあったので紹介しておく。
http://www.amazon.co.jp/Best-Blue-Note-Various-Artists/dp/B004IZBJ3K
これが本当に3,471円なのならお買い得だ。とりあえずこれで100曲繰り返し聞いてみて気持ちよいなと感じる瞬間がたくさんあるならジャズはお前の音楽だ。
追記:前の記事で入れたYouTubeリンクは実は一つ一つかなり厳選した。「あ、とりあえずこのアーティストの動画あるみたいだから貼っとこ」というものではなく、動画の最初のほうでサウンドの特徴が出てるものを選んだり、今すぐ流してBGMにできる名盤を選んだりしている。同業者が見たら「ははあ、なるほどね」と意図を分かってくれるようなものが多いと思う。よかったらそちらも是非活用して欲しい。
先日、クリエーター系の友人と東日本大震災が与えた影響について話した。影響と言っても創作界隈に関する話に限ってだ。
一応、立場を明かしておくと僕ら二人はどちらも震災による被害(計画停電を含め)は全く受けない地域にいた日本人だ。
友人曰く「311」がクリエーターの精神に与えた影響は凄く大きくて、震災前、震災後で明らかに作風が変わってくるであろうし、時代を分けるべきだ、とまで言っていた。
友人の言うところによると、震災や津波や原発事故はまさしく震災前に想像された世界の終わりであって、SF作品が書いてきたものだった。しかし、現実には世界は終わらなかったし、被災地以外では何一つ変わらない日常が続けられていた。そのことでSF作家というのは衝撃を受け、あの程度で世界は終わらない、と彼らが描く未来というのは決定的に変化してしまった……、まあそのようなことを言っていた。
その友人は震災というのを大きく受け取っていて、震災の当日や原発爆発の映像、連日の報道は「世界の終わり」に感じられたそうだ。津波の動画を見て涙を流した、と言っていた。
僕はまったく逆で、震災を小さく受け取っていた。友人の前ではそれに同調するように悲しいことだったよね、怖かったよね、と僕は言っていたけれど、内心は違った。僕はあの大震災にドラマを見ていた。僕にとって震災はエンターテイメントだった。最高に楽しく、ドキドキとわくわくの非日常を提供してくれる見世物にすぎなかった。世界の終わりなんて微塵も感じなかった。次の日も普通に日常が続いてたからね。動画を見て涙を流すという感覚が分からなかった。当事者以外にとっては対岸の火事だろうと思った。まぁ、こういうのはサッカーの日本代表が負けて泣いちゃう感覚と似ているんだろうと思う。僕の友人はそういうスポーツとかに感情移入するタイプだったから。僕にはスポーツを見てるだけの面白さがわからないので、津波動画で涙する感覚もわからなかったけど。
初日に津波が全てを洗い流したところに言い知れない高揚を覚え、原発が爆発している動画を見て思わず破顔した、これからこの国がどうなっていくのだろう、という期待感があった。ネットはお祭り騒ぎで、日本中がニュースにかじりついて浮き立っていた。その雰囲気を楽しみながら僕は極めて健全にコンテンツを消費していた。それには、どうせ僕には関係ないという、あくまで観客としての視点があった。僕と友人は被災地にはいなかったという環境は同じにも関わらず、こうも受け取るものが違っていた。友人はどこまでも日本人としての当事者意識があったのかもしれない。僕には日本の遠い一地域であった非日常な、それも歴史的にも珍しい10年単位でしか見れないだろうというようなビッグイベントとして見ていた。
その後は日本人と政府による茶番劇が始まって、この国はもう根本的なところで駄目になっているんだなとせせら笑って、楽しんでいた。そしてこのつまらない日常が帰ってきた。残ったのは日本という国に対する絶望だけだった。そういう意味で、震災は確かに影響があったかもしれない。直接的な影響なんてせいぜいFPSに水浸しのステージが増えたぐらいにしか感じられなかった。
震災はエンタメだったなんて言えば、人格を疑われるだろうからきっと言えないし、おそらくこのような考えを描いた創作物というのは10年経っても出てこないだろう。僕も自分の作品の中でこんな話はおそらく持ち出さないだろう。クリエーターの端くれとして、この感情を創作に取り入れたい、面白いとは思っているけれど、絶対に世に出せないだろうし、出しても正義感の強い方たちに袋叩きにされてひどい目に遭うだろう。それどころか、少なくとも2011年から5年ぐらいは震災を『ネタ』((題材、あるいはインスピレーション、元ネタ、設定の一部としての利用、様々な意味で))にしたエンタメ作品(ルポや感動の復興物語!以外の作品)というのは不謹慎だというので作られないだろう。だから、友人にはそのようなことは一切言えなかった。僕は情の深いふりをして、この場面に僕も胸が引き裂かれるようだったと言った。
創作に携わっていた人間なら、あるいはもっと広く、コンテンツを提供している人間であれば誰しもが、あの震災はネタになると確信したに違いない。現にどこかのアフィサイトの管理人だかが上手いこと震災でお金儲けしていたし、投資家や会社員だって、あの震災を利用しておいしい思いをした人は多いはずだ。とあるポンプ会社の社員は、震災の復興需要で業績もいいよと嬉しそうに僕に語ってくれた。あの一大イベントに皆が興奮していた。メディア関係者も視聴率にニコニコして、震災を報道するとき、歴史に残るような大きな出来事に携わり、自分が業界に入った理由を思い出しながら、使命感と臨場感、そしてちょっぴりゲスな気持ちでわくわくしていたはずだ。東北を救おうと盛り上がっていた皆が、日本の団結するときだと、あの雰囲気に、非日常に酔っていたに違いない。不謹慎なネタをネットに書き込み、他方でニコ生で電気をつけてる配信者に電気消せ、pc消せ不謹慎だろ、と書き込んでみたり、そうやって楽しんでいたはずだ。
僕はあの震災で絆だ、不謹慎だなどと喚き散らしたこの国の人々にもう何の愛着も沸いていない。元からそんなものはなかった。愛国心や愛郷心なんて一度も持ったことはなかった。これは僕だけじゃないはずだ。
さあ、もう一度、来てくれ。今度はこの国を吹き飛ばすぐらいに大きな地震を僕は待っている。
滅ぼそうぜ、世界。
あなたは正義感の強い人で、僕は確かに間違っているかもしれませんが、死ねとか言ったり人格否定するのはやめてください。上でも書きましたが人前では常識的な対応をしてます。事件現場で写メとかとりません。たぶん、この人たちと僕は理解しあえないんだなぁと思いました。
この国が吹き飛ぶぐらいの地震が来たら僕も喜んで巻き込まれますよ。もちろん、被害に遭ったときは泣き叫ぶかもしれないし、恐怖に震えるかもしれません、でもそれは僕が自殺願望を持っていたとしても、殴られれば泣いてしまうし、ナイフで脅されれば怖くて動けなくなるのと同じことなんです。実際に遭遇したときの反応と、願望は全く別のところにあると思います。夢を見すぎているかもしれませんが、全てが崩壊した退廃的な光景というのを生で見てみたい、この国なり、世界が滅びる瞬間が見たいっていうのは、現実的かどうかは置いておいて、多少願ってる人もいるんじゃないかなぁ、と思っていたんですけど、世界滅ぼそうという賛同は全然得られなかったのでした。
僕一人じゃなくてよかったーと思いました。
今後の参考にさせていただきます。皆様のクリエイティブな人生を心よりお祈りしております。
911に触れてる方、鋭いです。残響のテロルを見終えた後、911をネタにするなとマジギレしてる人を見て、創作に使って何が悪いと思ったのが、この記事の発端です。阪神淡路大震災はエンタメ的創作物でたまに見かけるのに、東日本大震災がネタになってはいけないのはなぜか、とか事件はいつからネタにされてよいのか、東京マグニチュードが震災後、自粛され扱いが変わったこと、ピングドラムもモチーフにサリンや酒鬼薔薇なんかを使っているが好意的に受け止められていたことなどを友人と話しているうちに3.11が創作に与えた影響という話に辿り着きました。
ほんとは個別で拾ってみたいブコメもあったのですが、慣れてない上に長くなりそうだったのでこのへんで。
元増田です。読んでくださってありがとうございます。
2つ目の記事は初見です。面白そうですね…あとでじっくり読みます。
実は元記事の「レシピ」の項は、「関数型料理」にインスピレーションを受けて生み出したものです。
でも、レシピは本質的に手続きだと思います。手続きがコード上に表れないのは、時に、人間にとっての読みにくさにつながります。
ミュータブルな状態
http://anond.hatelabo.jp/20140411133900
http://anond.hatelabo.jp/20140411144631
http://anond.hatelabo.jp/20140411150212
名前をつけて識別している対象が、その状態が変化しようとも、ブレない、ということが重要です。
思考実験とかグダグダグダグダやってるからダメだよな、日本人って。
アメリカ人や中国人は、いっきにすっとばしてプロトタイプ作ってるよ。
プロトタイプ作ることも出来なければ、アーリーステージで投資受けることも出来ない。
クソみたいなサービスでもcraigslistになる!とか、zapposになる!Google Glassになる!とかいってカネがバカスカあつまる。
いや、問題はさ、従業員もそうなんだよ!
海外で先行してるからやろうとかそういうモチベーションなら死ねよ!
マインドがカスなんだよ、それでスタートアップ気取るなよ、破滅してるんだよ、お前の発想。
シリコンバレーで評価されてないようなサービスだけど、日本だったら行けるだろってスタンスで投資しろよ、立ち上げやれよ!
発想がオマエらくそつまんねーの!
駅の人混みの中で、女性とすれちがって、「ん?今の人すごくよかった!!」と思わず二度見してしまうような瞬間。
あるいは、早朝、雀が元気に鳴いている、空が朝日で明るくなりはじめている。なんだか、そこに世界のすべてが詰まっているような気がする、そういう錯覚に陥ってしまう瞬間。
そういった素晴らしいものを今、ここに残したい。そういう気持ちというか、使命感のような何かをそこに感じるのです。
つまるところ、自分が何に惹きつけられるのか、何に魅了されるのか。
目を凝らしてよく見るのです。
先日の園遊会の場で、わたくしが天皇陛下に手紙をお渡しをした件に関しまして、今一度皆さまにご説明をさせていただきたく存じます。
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まずは、この場をお借りいたしまして、関係者の皆さま方に大変なご迷惑をおかけしておりますことをお詫び申し上げます。
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参議院議員である私が、このような行動を取ったということによって、議会制民主主義の観点、象徴天皇制の観点などから、大変に重大な影響が各所に及んでいるということは、まさしく、皆さまがマスコミの報道を通じてご覧になられているとおりであります。私自身、あの場で、あの行動に及んだ際に、そうした意味を事前に十分理解をしていたかというと、大変申し訳ないのですが、答えは否であり、その点におきまして、私の認識不足・勉強不足であり、軽率であったことを率直に認めたいと思います。有権者の方々、選挙を通じて私をご支持いただいた支援者の方々にお詫び申し上げたい。また、天皇陛下に対してこのような言い方をするのが適切なのかどうかもわからないのですが、天皇陛下にご迷惑をおかけしていること、これを心からお詫び申し上げたいと思います。
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私が、あの行動、天皇陛下に対して自筆の手紙をお渡しするという行動に至った背景といいますか、心境に関してご説明をさせてください。
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2011年の3月11日の震災のあの日を境に日本は大きく変わりました。津波により多くのの方々が命を失い、また、いまでもなお行方不明の方が多くいらっしゃいます。そのような方が約2万名もいらっしゃいます。そして、福島第一原子力発電所の事故により、住み慣れた故郷の地を追われた方が多くいらっしゃいます。放射能の影響で健康な生活を失った方、健康被害におびえる方々が数多くいらっしゃいます。
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震災から2年と半年がたち、日本は確かな復興の道を歩み始めたように世間では言われております。東京でオリンピックを開催することが決まりました。東北で起きたことは過去のことで、われわれは、すでに未来に向かっている、そのように感じられます。しかし、はたしてそれは正しいのでしょうか。私たちがこのようにしている今この瞬間にも、震災により苦しみ続けている方が日本に何万人もいるという事実、収束の見込みのない原子炉の暴走に対してわが身を賭して立ち向かう方々が何千人もいるという事実、そうした事実に対して私は言いようのない焦燥感を感じるのです。私たちは向き合うべき事実から目をそらしているだけでないか。未来に目を向ける前に、現実、悲惨でやるせない現実、重苦しい現実に目を向けるべきではないか、そのように私は考えるのです。
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政治家とは、国民に対してビジョンを示さねばなりません。参議院議員である私はどうすべきか。オリンピック開催をはじめとする、華々しい未来、経済発展、科学技術により生活の向上が日本の進むべき道なのか。経済発展を推し進め、国民が経済的にさらに豊かになるという姿が日本の目指すべき道なのか。3月11日以降に我々が感じた迷いを忘れ、成長への道を再び、がむしゃらに歩むのが正しいのか。私には、どうしてもそのようには感じられません。
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私は考えます。今は一歩踏みとどまり、考えるべき時であると。思わず目を背けたくなる事実と向き合う。つらい境遇、本当につらい境遇に今ある人々たちに寄り添うこと。そして、我々の今までを振り返り、反省すべきことは反省し、改めるべきことは改める。成長のスピードは落ちるかもしれません。しかし、それが我々にとって真の豊かさと平和を与えてくれるのではないか。日本を取り囲む世界の人々と本当の意味で理解しあい、そして共に歩む未来になるのではないか、このように思うのです。
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園遊会の前は私は一睡もしておりませんでした。園遊会というものに関して最初に知りました、その時から、何か私には、インスピレーションといいますか、私の思いを天皇陛下にお伝えすべきだ、とその一念に取りつかれておりました。そして、園遊会の3日ほど前からでしょうか。私は最初はおぼえがきのようなつもりで自らの考えを書き始め、書いては、やはりそのようなことは大それたことと思い、それを破り捨て、しかし思い直しては、やはり書き直し、ということを私は何度繰り返したかわかりません。そして、もう最後は、赤坂御苑に向かう車の出発するその時間まで、机の上の自筆の紙と向き合い、悩み続け、それをどうすべきか迷いながら、そして、最後は私の中の情念といいますか、そのようなもので自分の迷いを押し切る形で天皇陛下にお渡しをした、それがあの手紙でございます。
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私の起こした行動により、大変な影響が生じておりますこと、冒頭に申し上げました通り、大変申し訳なく思っております。しかしながら、あえてこの場で申し上げたい。震災によって生じている現実から目を背けるべきではありません。そのことに関しましては、私は、今現在も信念は変わりませんし、国民の皆さまに同じことをこれからも訴え続けていきたいと思います。このような言い方をすると、関係各所の方からお叱りを受けると思いますが、私が仮に、またあの園遊会の同じ場におりましたら、同じことを行います。迷いながら、そして、不器用ではありますが、お伝えすべきこと・訴えるべきことには、声を上げ続ける。大変申し訳ありませんが、それが私のスタイルです。今後ともなにとぞ、ご支持ならびにご鞭撻を賜りますよう心よりお願いを申し上げます。
物心がついたときから、俺はずっと絵や漫画を描き続けてきた。俺にとって絵や漫画を描くというのは、
何かにインスピレーションを得てストーリーを書いたり、遊びの一環としてやる程度のもので、
何か特別なことでもなく、ましてや高尚なわけではなかった。
ただ、自分がいわゆる「オタク」かと言われてみれば、オタクとみなされれば利益を害する状況であるかどうかは
関係のない状況だとしても、そうです、とは言い切れないだろう。なぜなら、俺はいわゆる「オタク」の行動が、
全く理解できないからだ。
描く絵柄もかわいいし萌え絵を取り込んだ部分もあるから、世間一般からすれば俺はオタクかもしれないけれど、俺は
オタクの行動、思想というのが全くといって理解できない。というかオタクに対しては忌み嫌っている側面さえある。
もちろん、俺のオタクのセルフイメージ自体、マスメディアの偏向報道によって事実とは違うものも多分に
含まれているという可能性も否定できないと思う。でも、それでも所詮二次元の、自分が描いたわけでもないような
美少女に(いい歳してるかとか容姿の良い悪いかは別にしても)たくさんの愛情を注いで、愛でるようなことをする、
二次元の美少女を「嫁」と称したりするような、そういう入れ込むような行為は、(口は悪いけど)はっきり言ってキモいと思う。
どうしてキモいのか?と聞かれても、俺ははっきりは答えられない。ただただ、キモい、と感じるだけだ。
ましてや(程度の差はあれども)グッズを買ったりアニメイベントに参加するために生活費を切り詰めたりするような連中となると
それこそ本当に理解ができない。アニメで漫画が原作なら漫画やBD、DVDを買うために生活費を切り捨てる、というのなら
まだ理解できる。でもグッズを買ったりイベントに参加するためだけに生活費を切り詰めたりするという話になると、全くといって
その価値観が理解できないものとなる。たかだかそんな物、事のためにお金や時間を消費するという事は、本当に理解できない。
だから俺はそういうオタクの価値観は持ち合わせてはいない。はっきり言ってそんな物より服の方が大事だ。
興味もないし理解もできない。
理解できないといえば面白いアニメを見終えれば、すぐに二期を作れ、続きを作れという作品性そのものを
無視したような、おかわりをねだるような行為も理解できない。確かに面白ければ続きをずっと見ていたくなる気持ちも
わかる。だからといって(続きがあったり続かせる気があったなら別だろうけど)すぐにおかわりをねだるような行為。
これも本当に理解できない。下品だ、作品を単なる消費物としかみていないんだ、とそういう意見は忌み嫌ってしまう。
というか書いてて思ったんだけど、食べ物を食べるだけのようにただ消費だけをする、という連中が本当に
理解できない。
というか、ただ消費をするだけと書いたのはおねだりをするように続きをねだったり絵や作品をかけといってくるような
といっても全てが理解できないわけではないと思う。二次創作をやるのは俺がインスピレーションを得たから
何かを描くのと大して変わりはないし、今後の作品作りに活かすためにアニメや漫画を細分にわけて分析したり、なぜ
面白いのか、魅力的なのかだとかの考察を加えてみたりするような事もある。だからそういう行為は理解できる。
話はそれたかもしれないけど。だから、俺は上に書いたような理由で、(あくまでセルフイメージではあるけれど)
オタクは理解できないし、精神的にさえ「オタク」には成りきれないと思うし、成りきれない。
ものすごく大雑把に要約して書くと、俺はオタク的行動が理解できない、だから精神的にさえオタクには成りきれない。
成りきれないし、忌み嫌う節さえある。
だから結局のところ俺のそういう感情を理解してくれる人は、俺と同じようなかく側、作る側の人間でしかないわけだし、
オタクの世界じゃ俺の居場所なんてない。一時期はサブカルや芸術に身を置く側の人間のように振る舞おうともしたものの、
俺は自分の描く絵や漫画はサブカルや芸術を志向したものでもないわけだし、あくまで漫画や絵は娯楽としかとらえていないし
そうとらえた物以外を作る事には興味すらないわけだから、だから俺は結局サブカルや芸術に身を置く側の人間にも
なれなかった。
そんなんだから、絵は萌え絵を取り込んでいるような絵柄にも関わらず、精神的にさえ「オタク」にもなれない、
零細インハウスで上司はディレクターって感じじゃないし知識もあんまりない。
どうしてこの色にしたのか?
どうしてこの写真なのか?
どうして角を丸めたのか?
ってデザイナーが一生懸命考えて理由があって筋が通ってても「うーん、なんかイヤ」で、はいやり直し。デザインて良い悪いを決めるのはユーザなはずだけどうちではOK/NG決めるのは上司だから、最近は上司の好きなデザインを作らなきゃいけないんだなって思ってる。インスピレーション型と考えてデザインする型といると思うよ。その自称WEBデザイナーがどこまでやってるのかわからないけど、デザインおこすだけなら元増田みたいにがっちがちに考えないでインスピレーション型でいいと思うよ。
ある会社の「運営している WEB サービスが盗用されたとしか思えない事案」についてのブログ記事があった
http://dubhunter.tumblr.com/post/51692286288
ただ、インスピレーションを受けて事業をつくっている人たちと誰かのアイデアを盗用する?人たちの違いは自分たちの事業アイデアだという自負と真摯さの有無です。
事業をつくろうとした人は市場の課題がどこにあるのか?とかどういうニーズで何をしていくのかなど、本当に多くの時間と頭を使って考えています。
この記事は自負と真摯さが無いものを批難する文脈で書かれているように見受けられる。
だが、500スタートアップスの共同創立者デーブ・マクルーア氏の「自負と真摯さ」とかけ離れた主張を見ていると、とても虚しく響かないか
http://www.slideshare.net/dmc500hats/incremental-innovation-make-stuff-suck-less
http://jp.startup-dating.com/2013/05/dave-mcclure-and-shinya-akamine-talk-tales-from-silicon-valley
前にこんな増田があったな。
studygiftを運営するlivertyのトップページのデザインはHONDAの広告のパクリ
http://anond.hatelabo.jp/20120529015223
これに対してあんたの回答はこれだ。
ホンダもコピーライターの方も、非常にかっこ良く、尊敬しているので、オマージュさせていただきました。“@kuma_55gou: @Shimpe1 パクリなんですか?☞ #studygift を運営する #liverty のトップページ.. http://anond.hatelabo.jp/20120529015223 ”
http://twitter.com/Shimpe1/status/208172492324483072
オマージュ?聞こえがいいなぁ。都合がいいなぁ。
あんたは相手のいうことを素直に受け入れて我が身を直せないな。博報堂のときもそうだったんじゃないか?
あんたは「尊敬」とかそういう類の「聞こえのいい言葉」で人を騙してきたよな。
なめてもらっちゃ困る。あんたみたいなのがいるから若者が勘違いして「自分でもできるんだ」って錯覚を起こすんだよ。
まぁ、何よりも誰よりも勘違いしてるのはあんただけどな。
高木新平、あんたは何もできない。
最近のブログ「いったん解散、よるヒルズ!」でこんなことをほざいてやがるな。
いわゆる”家”のイメージを超えて
単なる友人を家族のようにしてくれた。
結局何したんだよ。わかりづれーよ。
そんでもって、それに「共感します!」とかぬかしてるクソどもは何なんだよ。目ぇ覚ませよ。
せっかくの機会に、近況を話すると、
普段は、図書館にこもって本を読み、
隔週で、日本中をふらっと旅しながら
次のアウトプットに動き出しているので
なんとなく楽しみにしていてください。
はい? 隔週で旅、ですか?
かっこわるいねえwwwwwwwwwwww ダサいねえwwwwwwwwww
まず、「トーキョーよるヒルズ」ってただのシェアハウスだよな?
おい、そこで「オレはコンセプトを〜」とかぬかしやがんじゃねえぞ。
あんたは何も編集してない。出版社や新聞社で編集をしている方々に失礼だとは思わんのか。
編集長って何だよ。もう笑えてくるぜ。ダサすぎて。
そういえばプロフィールに「新たな生き方・働き方、家族のあり方を追い求めている」とか書いてやがるな。あれもやめろ。
真面目に生活しろよ。会社も辞めるようなチンカスに新たな生き方なんてわかるはずねえよ。
もっと言ってやろうか。
「NHK、講談社、マガジンハウス、BLOGOS、ダイアモンド・オンラインなど数多くのメディアに露出」
…で? 終わりですか?
広告代理店に勤務してマスメディアと一緒に仕事をしてきただろ。
それで辞めて、マスメディアの偉大さを痛感したんだろ。
マスメディアに取り上げられたこと自体をネタにしてる時点で、あんたはどうしようもないただの出たがりだよ。しょーもない。
こういうことを書くとあんたはきっとこう思うだろ。
「叩かれてこそ一流」
あんたのどこが一流だよ。三流だよ。
もう一度言おう。
高木新平、あんたは何もできない。
今ネットの蛸壺でおなじみはてなブックマークでも話題騒然のストーカー御用達サービス「カレログ」
(http://b.hatena.ne.jp/entry/karelog.jp/)
と言うサービスがありますね!
はてなは今すぐはてなココ等と言う誰が使ってるんだか分からない中途半端なサービスは捨て、このサービス をパクって からインスピレーションを得て、もう少しまじめなロギングサービスを始めるべきだと思った。
と増田の流儀に従って(?)煽り気味にスタートしてみたが実は中身はわりとまじめなつもり。
サービス名「ライフはてな」とかどうよ
以下に考えた内容を書いていく。
スマートフォン向け ライフロギングサービス。自分の端末にインストールしてもよし、誰かの端末にインストールしてもよし。
記録されるのは以下の情報。
これを基本とし、オプションで
なども記録できるようにしておく。
もちろん簡単な操作で(ウィジットなどで)ON/OFFができる。(当然パスワードも設定することはできるようにしておく)
以上は自動的に記録されていくが、明示的に
も可能なようにしておく。
このほかに、
といった機能があればなおよい。
その他、はてなグループ的な家族内グループウエアサービスのようなものも同時に提供したらどうか。
普通にライフログ的な使い方も考えられるが、一番は「みまもり」需要である。
子供はもちろん、離れて暮らす両親などといった人の端末にインストールして、生存確認や行動確認ができるようにしておくと言うものだ。
そんなのラクラクホンとか専用の装置でいいじゃない、と思われるかも知れないが、そういったサービスは普通に高いし使いにくい。またそれ以外の需要は満たせない。
また、うちの両親だけかも知れないが、スマートフォンは画面が非常に大きく、カスタマイズさえすれば普通の携帯電話よりも使い易いと言う意見もある。
子供も、子供用の端末だけで満足してくれるうちはいいが、だんだん成長してきてスマートフォンが欲しくなる子も出てくるだろう。
今後、スマフォの普及により、そういった需要は増えていくのではないか。
それを警備会社通報サービスを除き、一人月額300円くらいで提供できないか。
俺としてはこれができれば月額2000円でもってもよい気がしている。
就活戦士となっていたのは、もう5年前のこと。
あの頃は、学生特有の無敵状態で、何でもできると思ってた。
自分は見えているんだけど、悪いところは成長すれば改善するでしょう、という楽観思想。
すでに成熟しきった分野であることと、全く車に興味がなかったこと、目立つことをしたかったこと、
ぐらいの動機で、だけど、マスコミとか広告代理店という華やかでハードルが高い業界へは、
そんなん興味ねえし、ほどよく一目置かれるぐらいで満足だし、
とにかく、若い会社がよかった。
取り繕って捻出した動機では、本気でそこを目指している人には勝てなかった。
面接官は、よく見ている。
結局、受かった会社は、県外のIT系のベンチャーで、社長のカリスマ性に惹かれての選択だった。
こんな風にブログを書くと、
どうせブラックでこき使われたんでしょう?
みたいなオチがありがちだけど、
そんなことはなかった。
そこは私は、石橋を叩いて渡るタチなので、見極めができていたようだ。
会社は、新人研修もしっかりしていて、社員の面倒見もよかった。
怒号や罵声が飛び交うなんてこともなく、ドライの中にも情がある、という感じだった。
そんな中、私は、自分に合ったペースで成長することができた。
ベンチャーと謳ってはいたけど、実に堅実な会社だったように思える。
客先に出始めたのも、1年目を終えるあたりから。
遅すぎず早すぎず。
ただ、次第に、入社当初に抱いていた、
「この会社すげー!」
という感情が薄れていくのがわかった。
中に入ると、色んなものが当然見えてくる。
私は、何のためにこの会社を選んだのか。
学生時代のかけがえのない友人や彼女と別れてまで捧げる会社なのだろうか。
過去の自分を否定しないために、今一度、別の世界へ飛び立ってみたくなった。
有名な会社を受けてみて、駄目だったら地元に帰ろう、という安全牌を選択した。
「賭けている」という熱さも気概もなかったのだろう。
そして、身に付いている技術も未熟だった。
結局、地元に帰ってきた。
新しい会社は、前の会社と同じ職種だけど、前よりももっとベンチャー気質な感じ。
前の会社に比べたら組織化もまだまだで、上下関係をそんなに意識しなくてもいい。
そして、若い。
そんなベンチャーに身を置いてわかったのは、
私は、常にアンテナを張り、流れに置いてけぼりにならないようにしなければいけなかった。
また、一つの技術を掘り下げるより、幅広い技術を身につけないといけない。
いや、どっちでもいいんだろうけど、やるからには、どっちかなのだ。
ある一つの分野のエキスパートになるか、幅広く何でもできますよというスタンスでいくか。
どっちかでないと、今後、食っていけないと思う。
そういう業界に身を置いて、
心がこもっていないというか、上の空というか。
モーションだけは、「やりまっせ!」というのを出しているけど、心がついていってないというか。
ホントはこんなこと、やりたくないと、心が言っているのかもしれない。
だから、振り返ってみて思うことは、私は、実にベンチャーに向かない、ということだ。
ある実績のあることに対して安心をした上で、その道を突き進む。
新規開拓より、メンテナンスが好きなのかな。
評判を先に気にする。
就活で冒険することなく、堅実な会社に入って、気の置けない仲間と遊んだり、慣れ親しんだ街でデートしたり、
そういう生活を想像すると、はかなくて虚しいけど、心安らぐ。
過去の自分を否定したくなくて、こんな風な考えは否定してきたけど、
やはり、これが自分だと思う。
疲れたね。
・1990年刊。直訳すれば「豊かさのてこ」だが、内容を勘案して邦訳するなら「技術革新の文明史」かな。日本にはあまり紹介されていないが、著者は経済史分野では世界的に著名な研究者。「THE LEVER OF RICHES」はその代表作で、世界経済史に対する独自の解釈と、包括的なサーベイとしてのまとまりのよさを両立させている名著だ。
・「なぜ近代の技術革新が西洋(特にイギリス)で起こって、他の国々ではなかったのか」がテーマ。この問題を解明するためにまずは過去2500年分の人類の文明史を振り返って検討する。次に、このテーマについて検討する。
・西洋世界の勃興に関しては、様々な人が様々な観点から評論しているが、本書では技術革新というファクターを重視する。なぜならば経済学の研究がしめすように、技術革新こそが経済成長の主たる要因であったからだ。イノベーションは、労働や資本などの具体的な資源制約とは無関係に人々の富を拡大させる「フリーランチ」なのである。
・古代(B.C.500~A.D.500)。ローマ、ギリシャ、ヘレニズム文化の時には革新的な発明はあった。たとえば紀元前に活躍したアレクサンドリアのヘロンは今でいう蒸気機関や自動ドア、自動販売機に近い装置を発明して、オーパーツとすら言われている。しかし、そうした発明の多くは未発達のままにとどまったか、破壊されたか、忘れられた。ローマ人は高度な文明をもっていたと言われるが、その技術はかなり未発達で、革新速度も遅かった。
・中世(A.D.500~1150)。農業面での革新は、農業効率を向上させる重すきと三圃制。エネルギー利用も多様化し、水車や風車も工具の研磨やビール醸造や皮のなめし用などいろんな分野で使われた。11世紀の南イギリスには、50世帯にだいたい1つは水車があったというから驚きだ。馬や船はそれまで戦争の道具としてつかわれていたが、商業目的にも利用されるようになった。そのため蹄などの馬具の改良や積載能力の向上が図られた。
・紙は西暦100年頃に中国で生み出され、イスラム社会には8世紀頃に到来し、西洋にはそのあとに伝わった。時計や冶金などの金属加工技術も、東洋→西洋への技術移転の流れだった。この頃は自らがあみ出した技術というよりも、ローマ期の技術の遺産か、東洋の技術を拝借したもも多かった。ヨーロッパ世界はそうして先進技術を異文明から柔軟に吸収し、それを自己流に応用していた。ヨーロッパの中世は停滞といわれるが、実はその後の技術発展に向けた種まきがされていた時代でもあった。
・近世(1500~1750)。ヨーロッパの技術レベルはだいたい1500年頃に中国など東洋文明圏に追いついた。その後、中国などとの差を徐々に広げていった。この時期のヨーロッパは、若干の航海術の発展と、トマトやポテトなど新たな作物の導入などぐらいで大きな技術革新はなかったが、人々の間で技術進歩の可能性を信じ始めた時代でもあった。(※言っておくとグーテンベルクの活版印刷(1450年)なんかは世界史的にみると革新的ではないから。紙への印刷(木版)は7世紀には中国で始まっていた)
・近世期は技術的ブレークスルーというよりも国民国家の発達が、その後の近代技術革新を準備したことの方が大きかったかもしれない。たとえば今でも有名なリヨンにおけるシルク産業の発展はもともと、ルイ11世がイタリアの専門職をそこに住まわせたことに端を発する。このように各国のトップは次々と、産業振興策を打ち出した。他国から有能な専門職人材を呼び寄せるだけでなく、新しい技術を奨励するため補助金を与えて開発を促し、寡占を奨励した。また特許権の制定もこのころなされた。たとえばイタリアのベニスでは16世紀には特許権がある程度は普及していたと言われる。もちろん、こんな”民間活力”をいかした技術進歩の奨励なんかは、イスラム社会や中国社会では到底考えられないことだった。
・近代(1750~1830)。そんな下敷きをすでにひいていたから、この頃、次々と新たな技術が実用化されたのは自然な流れだった。むしろ、この頃には、まったくのゼロから生まれた技術なんて何一つなかったと言っても言い過ぎではないかもしれない。たとえば、ワットが蒸気機関の発明にはたした役割はせいぜいコスト低減や耐久性向上などの実用的な貢献であって、蒸気機関の元アイデア自体は17世紀ヨーロッパにすでに存在していた。ただ、そうした数々の新技術の卵が社会全体に広まったことに大きな違いがあった。繊維産業で言えば、教科書でも取り上げられているような数々の綿加工技術の機械化による生産性向上はめざましく、イギリスにおける綿布の値段は1780~1850年の間になんと85%もダウンしたという。
・蒸気機関の発展・普及によってその後から熱力学が生まれたようにその頃の技術とは、科学的知見を基礎としたものではなくて、もっぱら経験的にもとづいて進められたものであった。1850年より前は、科学と技術は別の存在だったと言ってよい。1850年以降、科学や数学、物理学が技術分野に本格的に応用され始めた。
・技術革新自体はランダムとも言える現象で、特定の新技術がなぜ他でもない西欧でおこったかを具体的に説明するのは難しいが、どんな条件が西洋近代の飛躍的革新を可能にしたかを検討するのは意味のあることだろう。もちろん「必要は発明の母」なんて諺を持ち出す気はない。当然、革新的技術のニーズはいつでもどこでもあるのであって、要はそのニーズを発明によって掬い上げ、実用技術として広めるのに、何が効いていたのか、である。
・「化石燃料資源の豊富さや、地理的要因」に西欧世界の勃興を求める「環境決定論」はナンセンスだ。たとえば北ヨーロッパはよく雨がふるから水車の技術が発達したという意見がある。しかし、これではなぜ水車がイギリスでよく普及したのにアイルランドではまったく普及しなかったかを説明することはできない。同じようにイギリス国内にあった豊富な石炭資源が産業革命を可能にしたという意見がある。しかし、そもそも石炭資源を上手に利用出来るようになったこと自体が技術革新の果実ではなかったか。この説明は物事の原因と結果を取り違えている。木炭資源の枯渇による価格上昇がイギリスでの石炭利用の革新をもたらしたという議論もある。しかし、木炭から石炭への代替自体は16世紀からすでに模索されており、部分的に成功をおさめていた事実を無視している。第一、その頃の中国だって森林資源は枯渇していたのに石炭利用は19世紀になっても進まなかったではないか。
・「産業革命前の科学技術の発展」を求める意見もある。しかし、前もいった通り(真理や総合的把握を求める)サイエンスと(実用を求める)技術は1850年以前にはほとんど別々のものだった。たとえば製鉄法や食料保存法などの技術は人々がその仕組みを把握するずっと前から使用されていた。発明家に科学の知識はなく、科学者は実用の世界に降りてこなかった。両者の融合が始まったのは1850年ごろからだ。たとえばトマスエジソンは科学的知識がなかったため、自己のインスピレーションを補強するために数学者を雇った。
・むしろ重要なのは、新技術にたいする政治や社会の寛容さ。人々が技術進歩に向けて継続的に取り組めることを社会が担保できているかどうかにある。この意味において、専政的政治制度よりも多元主義的なものの方が好ましい。ダグラスノースの言う所有権の制定も、この意味では一面の真理がある。
・中国と西欧を比較した場合、その差は際立つ。それは、中世まで技術リーダーだった中国が近世になって急速に停滞した理由を説明する。中国はもともと”one-party state”で、技術進歩は漢の時代からほとんど”お上”主導で行われていた。宗の頃は農民の創意工夫活動を促すための金融インセンティブも行われていた。しかしこうした活動は近世頃から弱まっていき、清の時代になってからは中国政府は技術の進歩につながるような政策(度量衡の基準化、商業法、警察、道路)をとりやめてしまった。一方で社会的にも明(14c~17c)代からとくに中央集権的要素を強めていき、多様な民の活力はますます脇に追いやられた。このために中国の歴史には、新たな技術が十分に伝播しなかった例で溢れている。たとえば複数の車輪を搭載した紡ぎ車はカラムシ繊維産業では見られても、それが綿産業に伝播することはなかった。社会構造の上部に官僚があり続けたこともまずかった。成功して裕福になった実業家はだいたい子供を官僚機構に入れたがり、天才やエリートが(一般的にコンサバな立場を好む)官僚機構に吸い込まれていった。
・これに対して欧州はちがった。前述のとおりヨーロッパの技術開発は民間が主であって、政府は従であった。第一、(言語や宗教、生活様式や歴史などいろんな意味で共通点があるにも関わらず)複数の国家が乱立し中国のような中央集権ではなかった。それぞれの国が富を張り合っていたから、結果的に技術の世界でも競争が促された。人の移動も頻繁だった。だから技術の才ある人は、彼の国で抑圧的な政策が取られたら、別の国に移るだけでよく、西欧全体で見たら一つの技術は断絶せずに繋がりを維持することができた。こうした好条件にある社会は西欧を除いて他はなかった。まさしく、世界の技術リーダーになるべくしてなったと言えよう。
http://twitter.com/#!/zaway/status/66580272551968769
Vocaloidismという英語のVocaloid関連サイトで、英語圏では結構人気のあるボカロP「Doofus-P」のインタビューが載っていた。
海外でのVocaloid人気の高まりを受け、初音ミクの英語版発売など海外展開の動きが広がっている。だが、本当の意味でVocaloidが国外で根付くには「日本語以外を母国語としている作曲者」がVocaloidのオリジナル曲を作り、それが広く受け入れられる必要があるだろう。日本のように幅広いDTM層が元々ある国ならば、その上にVocaloid文化が花開くことも難しくはない。でも、国外のようにあまりDTM層が厚くない地域ではそれだけハードルが高くなる。
中でも英語を母国語とするボカロP、それも才能のあるボカロPがどれほど増えるかは、今後のVocaloid海外展開を考えるうえで重要だ。そうしたボカロPが多数のオリジナル曲を作れば、その中から傑作が生まれる可能性が高まる。その時こそ本当の意味でVocaloid文化が海外に浸透したと言えるだろう。
私が注目している海外ボカロPがDoofus-Pだ。少なくともYoutube上で、海外Vocaloid製品を使って彼ほど高い再生数を得ている人は他にほとんどいない。そのDoofus-Pがニコニコ動画の週刊Vocaloidランキング入りを達成した。インタビューはそれをきっかけに行われたもの。海外Pへの注目がこれを機にもっと増えればうれしい。
なお勝手翻訳なので匿名で。引用元のサイトアドレスは以下の通り。
http://www.vocaloidism.com/2011/01/28/an-interview-with-doofusp/
最近のVocaloid関連ニュースにおいて、matt9fiveという名で知られるPの「サーカス・モンスター」がVocaloidランキングに登場した。英語圏のVocaloidコミュニティーにとってこれは驚きの成果だ。私は最近、matt9fiveとメッセージをやり取りする機会を得た。彼自身はDoofusPと呼ばれる方が好みだそうだ。DoofusPは長年にわたり、Youtube上でVocaloid関連のほとんどあらゆるジャンルについて、カバーからオリジナル曲からMMD作品にいたるまで投稿してきた。最近では彼のオリジナル作品「サーカス・モンスター」が週刊VOCALOIDランキングに登場し、第169週には110位に、170週には14位に、171週には31位になった[初音ミクみくによれば14位になったのは週刊VOCALOIDランキング #171]。この画期的な出来事についてVocaloidismが行った彼への独占インタビューを以下に紹介しよう。
http://www.youtube.com/watch?v=Uef7F01tju4
Red2[Vocaloidism主催者]:まず、インタビューに応じてくれてありがとう。
Doof:いつでも歓迎だよ。
Red2:早速始めるけど、最初にVocaloidを見つけたきっかけと、そのファン活動に捧げる情熱の源が何なのかを教えてくれないかな。
Doof:うん、確かVocaloidを最初に見つけたのは、「涼宮ハルヒの憂鬱」の「晴れ晴れユカイ」をミクが歌って踊っているファンの作ったビデオだったな。ミクって誰なんだと思って少しばかりググったらVocaloidプログラムを見つけたんだ! 僕がこれまで見た中でまさに最もクールなものだと思ったよ。なにせそれまで「ヴァーチャル・アイドル」なんて聞いたことがなかったからね。なかでも一番凄いと思ったのは、Vocaloidが完全に利用者に基礎を置いているとこだね。公式なものは何もないし、制限も全くない。Vocaloidは誰のものでもあり得るし、望むどのようなものにもなり得るんだ!
Red2:君はVocaloidでいろんなことをしているね。MMD、英語曲のカバー、そしてもちろんオリジナル曲。今まで君のYoutubeページを見たことがない人のために、それぞれのジャンルでどれがお勧めなのか教えてくれないか。
Doof:わかった(笑)。僕がアップしたのはあらゆるものがあるんだけど…そうだね、英語のカバー曲としてはケイト・ペリーの「Firework」をルカがカバーしたものが現時点でのベストかな。実はやたらと歌詞を間違えまくっているんだけどね(笑)。
http://www.youtube.com/watch?v=nRVPKOTbhYg
でも実のところ、僕のベストカバー曲は日本語曲だね! アイドルマスターの「プリコグ」をミクがカバーしたやつさ!
http://www.youtube.com/watch?v=DrnHzlVrQUQ
自分でも理由はわかんないけど、本当にいい仕事をしたと感じているんだ! MMDについてはあまり作っていないけど、自分で一番好きなのはポータル[洋ゲー]に基づいているミクの「Who are you?」だね。
http://www.youtube.com/watch?v=WjFFlSXz1Pg
ポータル2が盛り上がっている時に作ったんだけど、今でもポータル2には興奮しまくっているよ(笑)。それと、僕のオリジナルで是非とも「必見」なのは「Finale」だね。
http://www.youtube.com/watch?v=r7pvTRi_GGs
僕の曲の中でも一番短くて簡単なやつだけど、書いていてその歌詞に完璧に満足した数少ない曲の一つなんだ(笑)。
Red2:VocaloidとUTAU、それとVocaloidに関連した製品の中で持っているものと普段使っているものは何だい?
Doof:実際にはかなりの数のVocaloidを持っているよ。でも本当に使っているのは初音ミク、巡音ルカ、SONiKA、そしてSF-A2 mikiだ。僕はこれらのヴォーカルの表現方法が本当に好きだし、それにこれらはどれも凄く使い易いと思うよ!
Red2:それって少ないとは言えないんじゃないの。
Doof:(笑)いえーい。
Red2:じゃあ「サーカス・モンスター」の話をしよう。緑の角を持ったルカは、君の作品の大半に繰り返し出てくるテーマだよね。君の作り出したこの存在について話してくれるかな?
Doof:ああ、緑の角のルカ! 彼女が緑の角を持った化け物である理由は「サーカス・モンスター」のストーリー展開にとってそれがとても重要だからだよ。ルカが演じているサーカスでは、女性歌手たちはある種の「再生」過程を経なければならないんだ。もしこの過程に失敗すると、彼女らはゆっくりと時間をかけて化け物になってしまう。でもその過程に再挑戦すれば、それを解除することができるんだ。しかしながらもう一度失敗すると彼女らは永遠に化け物となり、死の呪いにかかって永遠に他の存在へと生まれ変わることになる。ルカはそうなってしまったんだ! ルカが最後に「死んで」しまうように見える歌は全て彼女の前世を描いたもので、だから僕の多くの曲で彼女は角を持っているんだ!
Red2:そりゃまた随分重い話だね。「サーカス・モンスター」を作る際に特にインスピレーションとなったものは何だい?
Doof:うーん…特にサーカス・モンスターに関してインスピレーションがあったかどうかはわらかないな。でも、できれば人々に考えさせるような曲を作ろうとはしていたよ。英語のVocaloidコミュニティーにはそれほど多くの「深遠な」曲がないことに気づいていたし。あるいは単に僕がその分野の曲をたくさん聞いていなかっただけかもしれないけど(笑)。ただ、「サーカス・モンスター」は僕にとってどっちかというと練習曲だったね。期待したほど深遠でも思考を誘発するものでもなかったし…
Red2:Youtubeに投稿した時の最初の反応はどうだったの、そしてそれはニコニコ動画の反応と比べてどうだったんだい?
Doof:うん、随分と違っていたよ。Youtubeでは最初からかなりの再生数とコメントを稼いだんだ! でもニコ動ではほとんど再生されなかったね。1ヶ月から3ヶ月経ってもまだ400再生かそこいらしかなかった。同時期のYoutubeと比べたらほんの端数でしかなかったよ(笑)。
Red2:腹話によるカバーと、Vocaloidランキング14位、どっちを先に知った?
http://www.youtube.com/watch?v=5LKM3xn6goc
Doof:腹話のカバーが先だったね。凄いと思ったよ! 彼がカバーしてくれて本当に光栄に思う。
Red2:興奮しただろうね。Vocaloidランキングについて知ったのはいつで、どうやって知ったのかな?
Doof:(笑)もちろんとても興奮したさ! 最初に知ったのは「Vocaloidランキング入りおめでとう!」というたくさんのコメントをもらったからさ。みんなが何を言っているのか調べなくちゃならなかったよ! そんで見つけた時にはランキングの高さに衝撃を受けたね! 多分30位前後か、実際にはそもそもVocaloidランキングに入っていないと思っていたから(笑)。
Red2:1週前は110位で、それから14位に急上昇。そして先週はほんの1つだけランク外の31位だったね。これからしばらく「サーカス・モンスター」に何を期待しているかい? もっとたくさんのカバーが出てくると思う?
Doof:うーん、正直これ以上「サーカス・モンスター」にはあまり期待していないね。間違いなく1週間のうちに、もしかしたら多分数日のうちに忘れ去られるだろう。もしかしたらもっと多くのカバーを楽しめるかもしれないけど、本当にそうなるとは思っていないよ(笑)。
http://www.youtube.com/watch?v=o4QDUtHOjZM
Doof:日本語版に何が起きると思っているかってこと? そうだね、いくらか海外のファンの間で人気になって、Youtubeにもう少し多くのカバーが出てくるかもしれない。でも、悲しいことにニコ動で大人気になるとは思っていないよ。どちらも歌詞が理解できなくてもその意味を取れる歌の方が好きだと思う。そのことを責められはしないけどね(笑)。
Red2:このシリーズについて続編を公開する予定は? MMDにするつもりは?
Doof:もちろん! でもすぐには無理かな。シリーズを続ける前にもっと歌詞を書く練習をしたいしね。僕は自分の歌詞に誇りを持っているよ。聞くたびに身の縮む思いがするんだけどね(笑)。
Red2:じゃあサーカス・モンスターについてはここまで。Vocaloidに関して将来なにをするつもりなのか、そろそろ出来上がりそうなものがあるか教えてくれないかな? ランキングのトップを目指すのかい? CDを出すつもりは? 他にそうした予定は?
Doof:うーん…練習を続けるのは当然として、それ以外に次に何をするかはまだわからないな。もっと自分の作品に自信が持てるようになったらトップを狙えるだろうけど、それまでは単なる夢でしかないし。でも、「サーカス・モンスター」の全シリーズが完結したらCDは出したいな! もっとも「生気のない物体にランダムに生命が宿り人々を気味悪がらせる」CDの方が先にリリースできると思うけどね(笑)。[DoofusPの曲の中にはCreepy ToastとかCreepy Songなどがある]
Doof:考えたことはあるけど多分しないね。やるとしたらスペイン語のコツを掴んだ後になるだろう。多分そんな時は絶対に来ないだろうけど(笑)。
Red2:話をする時間をくれてありがとう。とても参考になったよ。Vocaloidコミュニティーや君のファン、潜在的な作曲者たち、あるいはみんなに何か言いたいことはあるかな?
Doof:どういたしまして! うーん…何を言うべきなのかわかんないや(笑)。そうだな、VocaloidであれUTAUであれMMDであれ他のプログラムであれ、何かやるときには少なくとも楽しむこと! 嫌いなことをずっとやりたいとは思わないだろうからね!
以上。先月Vocaloidランキングに入ったDoofusPのVocaloidism独占インタビューだ。もし追加の質問があるなら、下のコメント欄に書き残してほしい。DoofusPに返答するよう頼んでみるから。
おそらく名目上は独立を保つのだろうが、経済的、社会的、政治的、そして、もしかしたら軍事的に、
具体的な内容は、こんな感じ。大きな五星紅旗をそれぞれ手に持ち行進する中国人らしき集団が見える。
ここで場面が変わり、東アジアの地図が眼前に表れた。中国の領土が真っ赤に染められている。
左上のほうには金の星が見える。どうやら、国旗の五星紅旗が中国の領土の形に描かれているらしい。
すると、中国領の赤い色が下方に染みてゆき、ラオスの縦長の領土を完全に赤く染めてしまった。
地図は好きなほうだが、ラオスが中国と国境を接していることは、このときまで不覚にも忘れていた。
でも、その赤くなった国がラオスだということは、どういう訳かインスピレーションで分かった。
晴れてラオスは中国の一部となり、この小さな国の出来事をきっかけとして、国際社会は衝撃を受け、
これまでの中国への見方を改めざるを得なくなる。そうした事が全てテレパシーのように伝わってきた。
かつての大日本帝国ほどではないにしても、現在の中国の本質は帝国主義であり、ファシズムなのだ。
「行って警告しなさい」
声のような思念のようなメッセージで、そう訴えかけられるのを感じた。
最後に、「ラオスがなぜか中国に併合される」と、自分がPCに向かって打ち込んでいるところで、
その奇妙な夢は終わった。
これは、いわゆる予知夢なのだろうか。東南アジアで中国の影響力が急速に強まっていることは、
あの地域の事情に疎い自分でも知っていた。今年の初めにも、ラオスの地デジ放送が中国政府や
資本の協力で始まったという話を、WBSで見たばかりだ。これが潜在意識に影響したのだろうか。
それでも、まさか国の併合にまで話が飛ぶとは…。
自分は、右翼のような中国脅威論者ではなく、中国との関係はどちらかと言えば楽観的に見ていた。
とくに、中国の諸々の問題は体制によるものだと思っていた。けれども、そう単純ではないらしい。
体制という「上」からの影響だけでなく、大衆心理という「下」からの作用もあるのかもしれない。
つまり、大衆の即物的な欲望であり、愛国心教育、民族主義教育で植え付けられた自民族中心主義だ。
冒頭の五星紅旗を掲げた中国人と思われる群衆は、そうした大衆心理のメタファーのように感じられた。
中国との交流が進むことは善いことだ。中国を変えられるものは、隣の日本との交流以外に無いだろう。
排斥は、より強い憎悪として返ってくるだけだ。そもそも、もはや中国なしで日本の経済は成立しない。
でも、目先の利益だけを考えて中国依存を進めていけば、夢で見たラオスのようになるのかもしれない。
日本は、もっと色々な国と深く付き合うべきという事なのか。例えば、他の新興国であり、EUであり、
隣の韓国やロシアだ。ちょうどこの夢を見た25日、思いがけず、ASEANの外相らが陸路でラオスを通って
中国詣でに出掛けたらしい。とくに、ラオスは、資源があり、ここ数年、中国の援助や投資が凄いようだ。
ちなみに、自分としては、ラオスの夢よりも、この夢が終わった後の神秘体験のほうが印象に残っている。
目が覚めていて、意識はあるのだが、身体が動かない。部屋はほぼ閉めきっているはずなのに、
何か風のようなものを四方から強く身体に吹き付けられている感覚がする。これが暫く続いた。
科学的に説明できる錯覚なのかもしれないが、自分にとっては恐怖体験としか言いようがなかった。