はてなキーワード: 開拓者とは
https://b.hatena.ne.jp/entry/4671388889690389090/comment/Toteknon
ちょっと遅くなったんだけど、このブコメへの誰にもあまり得にならないコメント。食べていたのは豚ではなく鮭だと言う話。
お菓子の販売元の六花亭がちゃんと説明しないからわるいんだけど。
ある時依田勉三は開拓仲間とお酒を飲んでいた。つまみがなく、遡上して弱って川岸に打ち上げられた鮭を鍋に入れて食べていた。
弱った鮭は「ほっちゃれ」と呼ばれ、開拓者の食料であるとともに、飼育していた豚の餌にもなっていた。
だから開拓仲間の一人が「落ちぶれた極度か豚と一つ鍋」と一句ぶった。落ちぶれて俺たち豚とおんなじもの食べてるし! アハハ! みたいな。
依田はこれを詠み変えて「開拓のはじめは豚と一つ鍋」とし、これが後世に伝わっている。
ということで、食べていたのは鮭なんです。豚ではなく、鮭なんです。
アメリカでは自由に?銃が買えるそうですが、どうしてなのでしょうか? - Yahoo!知恵袋 https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q126831922
アメリカでは自由に?銃が買えるそうですが、どうしてなのでしょうか?
ですから、殴ってきた相手を殴り返せば双方が暴行の罪に問われますし、身内が殺されて仇討ちをすれば殺人罪として罰を受けなければなりません。
この原則に我々が納得しているのは、自分達の力を使わなくても国家が救済してくれるという合意があるからです。
しかし、アメリカの開拓時代、当時のアメリカ政府は広大な西部の治安を自力で維持することが非常に困難でした。
この弁護士に限らず、最近の元官僚がドラ息子の非行を憂慮して刺し殺してしまった事件も、日本社会が自力救済に向かいつつある一例なのかもしれませんね。
人が集まったから仕方ない、ではなく、人が集まっても変えなかった何があるかだ。
というかYouTuber自体確固たる信念が無けりゃやってられないものなんだろう。日本のYouTuberの大半が『自分達が面白いと思う映像を作ってる、それを視聴者と共有したいだけ。』みたいな感じだし。
そりゃあサムネイルをわかりやすくして視聴数を稼ぐとか、どんな相手にも敬語を使ってリアクションはわかりやすくするとか、しっかりと音質にこだわって立体音響もかくやの動画を作るとか視聴者も見やすくはなるけど、こんなもの動画作成者がこだわって編集しているだけだ。
それが結果視聴数の増加に繋がったというだけ。
本当に自分のやりたいことをやることは、視聴者が否定しても規約に違反しない限りは配信サイトに否定されない。
そして、自分がやりたいことで視聴者が求めていたとしても規約に違反していれば配信サイトはそれを削除する。
YouTuberは人気商売ではないが、善良な観測者がいるので倫理観が求められる。
VTuberなんて、それの延長線上だ。
画期的であれば好かれるし、それが非人道的であれば非難される。登録者たちを害する存在であればYouTube側がシャットアウトする。
そして、VTuber界隈全体の登録者数は、Pewdiepieの登録者の半分もいない。
PewdiepieですらYouTubeの登録者数の十分の一もいない。
複垢も含めてしまうと多数消えてしまうだろうけど、それでも、そんな狭い界隈だ。
本当は業界全体含めて東海オンエアの登録者数以下かもしれない。
そんな狭い世界を見て、絶望したとするなら、やっぱり最初っからやるべきじゃない。
YouTuberなんてVTuberなんて、元からニッチな需要の為にあるものだ。
増してやアイドル礼賛のキズナアイが先導するVTuber業界だ、形式が最初から違うなら俺はこういうアイドルでやりたいと理解させていくしかない。それこそ、キズナアイが必死こいて切り開いていったように、金持ちYouTuberヒカルのように。
あなたがVTuberになりたいというなら、YouTuberになりたいというなら、
表現者になりたいというなら、
その上で開拓者になりたいというなら、
雑多で、軟派で、強固で、姑息で、適当で、賢しらな罵倒や意見に流されずに
胸を張って確固たる表現を続けていって下さい。
その後ろ姿を、ファン達はずっと見ているので。
自分はとあるゲームで全一レベルの腕前があったと自負しているのだが、再就職をきっかけにぱったりと界隈から去ってしまった。
何故去ったのかというと、まともにプレイする時間が取れなければ時間をかけられるプレイヤー・センスのある後続プレイヤーにいずれは追い越され自分の敗北を見せつけられる、のが耐えられないという後ろ向きな思考からだ。
つまり自分は負けず嫌いであり、負けを認めたくないがために界隈からの一切の情報を断ったのだ。
しかし、気まぐれにも最近またそのゲームをインストールし直しプレイを再開してしまった、土日に15時間程プレイするほど楽しかった。
そうなると最新のアップデート情報や記録などが気になってしまうのは仕方のないことだと思う。
やはり自分の記録やスコアは抜かされていた、アップデートの詳細な内容や仕様変更は完全に理解しているわけではないが、当時の自分の足跡がゴミのように蹂躙されている有様だった。
もはや何がどう強化され、どう効率化がなされたのかわからずおれは完全に途方にくれてしまった。
おそらく彼らは俺が去った2年間の間も毎日とは言わずともプレイし続けた人間達だ、ひとつひとつの動きだって俺とはもう天と地の差があるに違いない。
おれがサボった2年間で果てしない差が生まれてしまった、負けず嫌いな俺はもう勝てないだろうと思っている。
そもそもおれはセンスはそこそこあったにしても、早期開拓者としての小技発見は今までの経験有りきで、特別デバックプロという程ではない。
さらにおれは努力ができない、努力をしようとしない怠惰な人間だから、データとして最高効率を求めてもそこから発展系を作り上げる事ができない。
現状に甘んじるために、頂点だと思い上がるために、自分より上がいたとしても過小評価し、現実を知ったら逃げるために、一皮向ける事は一生できない人間だ。
もう俺も働き出して日常生活はそこそこであるが、これから界隈に参入して毎日寝る間を惜しんで努力なんてできないと思う。
だからおれは一生勝ち上がることはできないに違いない、本当に悔しい、本当に悔しいのにおれは勝つために努力できない、気が狂いそうだ。
おれは未だ人生の目的がわからないのもある、だからゲームに無駄な、本当に勝てるのかどうか不明確な時間をかけられない。
ほんとうは勝ちたいんだけどなあ、無理だろうなあ
やれと言われてやる、昇進や資格に必要だからやる、というような勉強はする。
何かやりたいことがあるから下調べをする、自分の生活を向上させるために勉強する。そういう習慣が全くない。
試験のための勉強だったら、参考書がある、塾もある。でもそういうお膳立てのない、「今それをやりたがっているのは世界で自分だけかも知れない」という目的のために、似たような試みを探したり、参考になりそうな資料を集める、という訓練がまったくされてない。
じっさいこれは学校教育や公教育と言う形で身に付けるのは無理なのかも知れない。
アメリカ人があんなに創造的なのは、開拓者のDIY精神が根付いているからではないか?
スティーブ・ジョブズに一番影響を与えたのも、学校の科学の授業などではなくエンジニアだった義父のガレージ作業だったと言う。
親や社会が、自分の目的のために勉強し創造するという姿勢を見せられないとだめなのではないか?
だから、試験や資格に関わらない勉強のためのリソースというものも、社会全体に驚くほど提供されていない。
自分は最近わけあって英語を本格的に勉強し、その嬉しい副作用として英語世界には如何に「何かをなす」ための勉強指針が溢れているかを知った。
「何かになる」ためのものではない。
ただどんなに簡単なことでも、自分のやりたいことをやり、自分のなしたいことをなすための教材が溢れているのだ。
日本社会はこの差をどうやれば埋められるのだろうか。
それは実のところ、この世界に出会ってしまえば自明な方法なのだが、日本人にはそもそも「それをする」ということ自体が受け入れ難いことだろうとも感じる。
どんなに参考になろう面白いブコメ書こうが大体同じメンバーが人気コメントに上がってくる。内容が同等以上でもそう。
そんでもって今問題になってるブログ内容でもなく、古参はてなが小規模内輪ネタ書いても簡単に上がってくる。
スターレポートで月2、3件しか付かない配布量だしフレンドも増えないクソソシャゲー。
結局はてな民って周囲には全能感で鉄槌下してるのに年功序列ではてな上流階級の内容は免除される。
ニュースやネット内でその一括りの存在は悪い存在とか言っておきながら、自らの気づかない偏りは見ないふりしてブコメ大半が変な状態なってたりする。
だからといって新はてな開拓者が一攫千金狙いで来てるのは許されるわけではない。
なんというかね、新はてな民ははてなドーピング打ち過ぎて露骨。うちらの世界で急成長して消耗が東京並に激しい。
はてな上流階級は一線超えないようスターキメてるから内容が駄目でも讃えられる。
ま、はてな上流階級は仲間内で気づかないだろうが十分独特な考え方を持ってるてこと。その国民である内は気づかないけど他国からは大脳壊れてんなみたいな事言われるだろ?
自分は特許を複数保有しているけど、過去の文献を読み込むというのはあまりしていない。というか大昔にざっと調べて無いなと判断したら、自分しか新しい道を作る人間がいないと自覚するから。
あとはひたすら、ゼロイチの開拓者。文献調べは時間を無駄にするだけ。只でさえ急いでいるのに。
というか、その道で何十年と研究していたら、文献なんて調べなくても、何が新しいか新しくないか調べなくても分かる。
自分が最先端を走っているという自覚がある人に、過去の文献を調べろは意味がないし、この文献を調べたの?とか言う人は
ほんとうの最先端を走るという事が分かっていないように思う。
ジャンルにもよるけど
先端か?、先端じゃないか?というのはもう、肌で分かるしかない、それこそ直感。
http://anond.hatelabo.jp/20160228102915
過去の文献というのは調べ尽くせないほど膨大にある、その一つ一つに目を通すことはできないけど、頭ひとつ飛び抜けることはセンスなどで可能。
目新しい何かを(特定の場所で)発表すると、すぐに、どこからともなく情報が漏れて世に広がってしまう。震源地が誰だかわからない状況が現在だ。
かといって、震源地が特定されても、今の時代、開拓者は命の危険もある。そして、全くといって情報が広まらないのもまた困る。
こうした状況では、震源地と出会ったとしても、人々はそれを震源地だとは分からない。「それは世の中で言われてることじゃないか」と判断してしまう。
そして、震源地がどこだか分からないというのはデメリットもある。
コピーのというのは、劣化した質の部分も多くふくまれていて素人目には、(一部オリジナルが入っているので)どこまでが劣化で、どこまでが良質かは分からない。すると、人間が消費できる量には限りがあるので、劣化を多く含んだ食べ物で、お腹一杯になってしまう。しかも、払う金額は同じだったりする。
失敗するプロジェクトに時間とお金をさいてしまった場合は悲惨だ。目も当てられない。時間が10年~20年と経って失敗だと分かる。
社会というものは、カースト制度のような階級制度が無くても、自然に人口の6~7割りが、親の職業と同じ職業に進むということが、
階級を越えるタイプというのは、その一族の中では変わり者の新種になる。通常、人口の2~3割ぐらいがこれにあたる?階級を越えるには、それなりにエネルギーがいる。
この一族とは異なる新種タイプは、独特の感覚や思想をもっている。ある意味、特殊な資質の持ち主。2つ以上の階級を眺めることができる。
しかし、従来職業がなくなり、新しい職業に就かざるを得なくなった場合は、強制的に皆で開拓者にならないといけなくなる。
無くなった従来職業とは、武士とか、農業とか、職人とか、神官とか…。
これが大変革期。大流動時代。
それは人口の5~6割かもしれない。
自分で選ぶというよりも神様から要請を受けて、回ってくるという感じになるかもしれない。
思いもよらなかったものが来るかもしれないが、これが変革期なのだと人生を楽しもう。
無論、どの階級が楽か?というものはない。それぞれの階層にはデメリットとメリットはある。
追記
大衆の知らない内に終わるかもしれない。