やれと言われてやる、昇進や資格に必要だからやる、というような勉強はする。
何かやりたいことがあるから下調べをする、自分の生活を向上させるために勉強する。そういう習慣が全くない。
試験のための勉強だったら、参考書がある、塾もある。でもそういうお膳立てのない、「今それをやりたがっているのは世界で自分だけかも知れない」という目的のために、似たような試みを探したり、参考になりそうな資料を集める、という訓練がまったくされてない。
じっさいこれは学校教育や公教育と言う形で身に付けるのは無理なのかも知れない。
アメリカ人があんなに創造的なのは、開拓者のDIY精神が根付いているからではないか?
スティーブ・ジョブズに一番影響を与えたのも、学校の科学の授業などではなくエンジニアだった義父のガレージ作業だったと言う。
親や社会が、自分の目的のために勉強し創造するという姿勢を見せられないとだめなのではないか?
だから、試験や資格に関わらない勉強のためのリソースというものも、社会全体に驚くほど提供されていない。
自分は最近わけあって英語を本格的に勉強し、その嬉しい副作用として英語世界には如何に「何かをなす」ための勉強指針が溢れているかを知った。
「何かになる」ためのものではない。
ただどんなに簡単なことでも、自分のやりたいことをやり、自分のなしたいことをなすための教材が溢れているのだ。
日本社会はこの差をどうやれば埋められるのだろうか。
それは実のところ、この世界に出会ってしまえば自明な方法なのだが、日本人にはそもそも「それをする」ということ自体が受け入れ難いことだろうとも感じる。
開拓者精神なるものは絶対善なのか? いまの社会経済に都合よい生き方なのはわかるがな。