はてなキーワード: 遊園地とは
前回書いたものを踏まえ、好きなものを考えてみたけど、逆に好きではないものが更に見つかってしまったので、追記します。
11.車
ペーパー歴20年弱。いとも簡単に人を殺せる凶器に、みんなよく気軽に乗れるよな、と思う。ハンドルを握ると気が大きくなり、やたらとスピードを出したがる輩が多いところも嫌い。維持費高くつくし。車があったら便利だなと思う事がゼロではないが、タクシーなどの代替手段で何とかなっているので不要。スピード恐怖症的な傾向はあると思う。
どこの誰だか分からない人と、よくそういう事できるよな、と思う。事に及ぶ際は、裸になるなど一時的にものすごく無防備な状態になる訳で、そんな状況で相手が急に発狂して局部を噛みちぎられたりしたらどうしよう!と悪い方に考えてしまう。
生まれてから一度もやったことなし。不便かつ不潔な環境が我慢できない。釣りは狩猟本能的なものが満たされるのだろうか?魚を食べるのは好きだが、自ら捕獲したいという気持ちにはなれない。
14.マンガ
かりあげクンの植田まさしや稲中の古谷実、魚喃キリコは好きだが、世間一般で人気がある、例えば「ワンピース」とか熱狂的に好きな人の気持ちが理解できない。お手軽でインスタントな娯楽、というイメージ。中には良いマンガもあるとは思うが、良い歳した大人がマンガやゲーム三昧で良いのかよ、と思う。漫画家さん自体はすごいと思う。
15.動物
嫌いというと語弊があるが、自分で飼いたくはない。うるさいし汚いし臭いし、手間も金もかかる。猫とか好きな人は多いが、どこがそんなに良いのかさっぱり分からない。
16.セックス
行為自体を否定はしないが、そんなに熱中できる理由が不明。動物感丸出しで、恥ずかしくないのだろうか。付き合ったらしなくてはいけない、というのもおかしな話だと思う。そういう事をするときだけ、プチAV男優、プチAV女優みたいな演技をする感じも薄ら寒い。わざわざそんなことしなくてもいいのに、と思う。
遊園地とかディズニーランドとか、何が楽しいのか分からない。子供がそういうところに行って楽しい、というのは分かる。大の大人が休日にわざわざ行きたいか?となると面倒すぎて無理。
18.グルメ
美味いものを食べたいという欲求そのものは分かるが、それだけのために長蛇の列に並ぶ、遠いところまでわざわざ出掛けるという事はとても出来ない。手近なところで済ますことが何故できないのだろうか。
19.海外旅行
治安が悪いところにわざわざ行く神経が理解できない。なぜみんな高い金を出してまで死ぬリスクが上昇する場所に行きたがるのか。若いうちに海外に行っといた方がいいと言うが、死んでしまったら元も子もない。
だが、イアリーチケットに対する不信感のせいで、存分には楽しめなかった気がする。
それでも気を取り直して楽しもうと、俺たちは頑張った。
そもそも、楽しませるために作られた遊園地で、楽しむ側が必要以上に頑張る時点で無理があるとは思ったけど、そこは譲歩しよう。
しかし、そんな俺たちの譲歩も虚しく、イアリーランドはことあるごとに“残念感”を出してくる。
「ん……この『ウェンズデイ君のカルボナーラ』……どこにウェンズデイくん要素が?」
「そのミートソースの模様じゃないか? ウェンズデイ君って、ほっぺたにグルグルあるだろ」
「えぇ……それだけ? 他にもっと……なんか、こう……あるんじゃない?」
そう言いながらドッペルは、フォークでパスタを掻き分け、その“なんか”を探している。
しばらくすると、ドッペルは無言でカルボナーラを食べ始めた。
答えは聞くまでもなさそうだ。
たまたまハズレメニューを引いただけかと思ったが、俺たちの頼んだものは悉くそんな感じだった。
キャラクターをイメージをしたとされるメニューは、どれもこじつけ気味な関連性しかない。
「ラテアートで、イアリー君のアホ毛が描かれていたんだけど、運んでるときに崩れちゃったっぽい」
「この『ニッキ・ゲーム』ってジュース。ニッキが入っているのは分かるけど、ゲーム要素は取ってつけたみたいな感じだなあ。クッキーに『ゲーム』って書いてるだけだ」
かたどったクッキーをジュースに浮かべただけだとか、プリントしたチョコをケーキに乗せただけだとか、すごく投げやりなクオリティのものが多かった。
にも関わらず、妙に値段が高いのも気になる。
こういうところのモノが高いのは分かってはいたんだけど、さっきのチケット関連の出来事も踏まえると、どうもボッタクリの印象が拭えない。
「私、同じジュース頼んだけど、こっちにはその取ってつけたゲーム要素すら入ってないわよ」
「いや、さすがに全く入ってないってことはないだろ。カップの底に沈んでるんじゃないか?」
「沈んでないわよ。ほら」
しかも、作りが安定していない。
「取り替えてもらいなよ」
「私、ムカついてるけど、やめとく。文句を言って得られるものが、クッキーひとつだなんて割に合わないもの」
普段なら、こういうことは抗議するタオナケが、ずいぶんと大人しい。
「通販とかでさ、『○○日までなら返品可能』ってのあるだろ? あれで実際に返品する人って、かなり少ないらしいぜ」
「それだけ、その商品に満足しているってことじゃないの?」
「その理由も半分くらいはあるだろうが、もう半分は『返品するためのコストが割に合わない』からだと思うんだよな」
「返品したのに割に合わないって、どういうことなの?」
「例えば、返品時の送料とかは消費者が負担しなきゃダメ、とかいう契約を設けてんだよ」
「うわ、セコい」
「それがなくても、わざわざ返品のためにダンボールに入れて、宛て先を調べて書いて、宅配業者に頼んで……面倒くさいだろ?」
満足に足らないし、後悔もしている。
けど、それを取り戻すために、労力をかける価値を感じないんだ。
『覆水盆に返らず』という諺があるが、仮に返せたとしても「別にそこまでしたくはない」という気持ちが勝るのだろう。
俺たちはレストランを出た後、真っ先に自販機で飲み物を買おうと思った。
お粗末な紛い物で満たされた口の中を、親しんだ既製品の味でリセットしたかったからだ。
こういうところの自販機って割高に設定しているもんなのに。
これだと、レストランで飲み物を頼んだ俺たちがバカにされている気分だ。
どうもイアリーランドは、価格設定が無頓着なきらいがあるらしい。
“したくなかった”のだと思う。
「そうだな、じゃあ帰ろう」と言って帰られる状況ではなかったからだ。
遊園地のアトラクションといえば、何が真っ先に思い浮かぶだろうか。
餃子につける酢醤油の割合について議論にはなっても、酢醤油をつけること自体には異論が入らない、みたいなもんだ。
そう例えたら、仲間たちからは首を傾げられた。
どうも俺たちの家系は例え話が下手らしい。
「あのジェットコースターとか、どう?」
ミミセンが指差した先は、まだ朝だというのに行列がそこそこある。
「よし、早く並ぼう」
「え、予約券だけ手に入れておいて、その間に他のアトラクション楽しんだほうが良くない?」
ミミセンが出鼻を挫くようなことを言う。
効率的に立ち回りたい気持ちは分かるが、俺たちにとっては野暮でしかない。
「おいおい、ミミセン。そんな賢いやり方をするほど、上等なもんじゃねえって。ここはイアリーランドだぞ?」
そもそも、予約券なんてシステムはイアリーランドにはないのだ。
俺たちは並ぶしかない。
並んでから十数分後、ジェットコースターの看板が見えるところまで辿りついた。
「変な名前」
「『スットコイン』ってとこがスポンサーらしいから、そういう名前がつけられているのかも」
「『スットコイン』?」
列に並んでいる間はヒマなので、普段なら歯牙にもかけない広告も読んだ。
お金を一元的に管理できるよう、お金を何やかんや……と書いてある。
横文字や固有名詞が多すぎて目が滑り、ロクに内容は理解できない。
少なくともジェットコースターとは何の関連性もない企業のようだ、ってのは分かるが。
何でそんな会社がジェットコースターのスポンサーなんかやってるんだろう。
遊園地のアトラクションってスポンサーがよくいるが、いまいち経緯が分からない。
「まあ、スポンサーが何であれ、ジェットコースターなら何でもいいか」
「身長が低い人間には子供が多く、そういった未発達な子供は高いGに耐えられないからだろう」
「ちぇっ、知ってたか」
当然、俺が答えられたのは、さっき同じ話をミミセンがしていたからだ。
それくらいの時間、並んでいたってことだが、それもようやく終わりを迎えようとしていた。
そして、それは待望の瞬間をも意味している。
“終わりの始まり”ってのは、こういうのをいうんだろうか。
「こちらのアトラクションは500円。チケットだと100イアリーですね」
このアトラクションに乗るには現金を1000円にするか、またはチケットの値段が50イアリーになっていないとダメだ。
「ああ……上がったんですね」
上がった?
「このアトラクションが出来た頃は、500円は100イアリーだったんです。チケットの値段が上がって、1000円が100イアリーになったんでしょうね」
何で値段なんか上げたんだ。
アトラクションの設定している値段と辻褄が合わなくなっているじゃんか。
「私、そんなの知ったこっちゃないんだけど。50イアリーで乗せて」
「そんなこと言われても、ウチは500円または100イアリーでやっているんで」
「おかしいじゃない! それだと私は500円損したことになるわ!」
「お気の毒です」
話が通じない、と確信するには十分な態度だ。
「もういい! お金と換えてくる!」
またも衝撃の事実が告げられる。
「お金をイアリーには換えられるけど、その逆は無理っておかしいでしょ」
「ちょっと前に、偽者のイアリーチケットが出回りまして。その対策を検討中なため、一時的に換金をとめているんです」
『対策を検討中』って……だったらイアリーチケットそのものを止めればいいだろ。
「はあ……私、ムカついてるけど、もういい。はい、100イアリーで乗るわ」
タオナケが怒りで超能力を暴発させたらどうしようとヒヤヒヤしていたが、意外にも落ち着いていた。
ここまで並んでおいて、乗らないというほうが損だと考えたのかもしれない。
もしくは、理不尽も一定のラインを超えると、怒りの感情すらどこかに行ってしまうのだろうか。
「じゃあ、俺たちも……」
タオナケの顔色を窺いながら、俺たちは恐る恐る500円を受付に渡した。
「お金そのものは、金属か紙切れだ。でも、それで大体は交換できるように世の中は出来ている。だから、みんな欲しがる。俺も欲しがる」
兄貴の主張はともかく、「お金には価値があるか」と問われれば、ほとんどの人はイエスだと即答するだろう。
俺だって、そう答える。
にも関わらず、その“お金の価値は誰が担保しているのか”について、俺は今まで全く考えていなかった。
そのことについて考え始めたのは、とある遊園地での出来事がきっかけだ。
その日、俺たちは学校行事の遠足として、『イアリーランド』に来ていた。
人気ランキングでは上から数えても下から数えても遅く、大人気ともいいにくく、かといって不人気だとネタにもしにくいビミョーな遊園地だ。
遠足場所に選ばれたのも、学校から最も近かったからという理由だ。
それでも俺たちは、普段なら授業をやっている頃に遊べるとあって、内心ワクワクが止まらなかった。
園内のパンフレットを読みながら、逸る気持ちを抑えるばかりだ。
「えー、あれがこうして、これがああして……他の人に迷惑をかけないよう……園内ではルールを守って……」
先生が注意事項を話しているが、生徒の大半はマトモに聞いていなかった。
子供でも分かる常識的なことしか言っていないから、守るやつは聞く必要がないし、破るようなヤツには最初から意味がない。
結局は、一定の距離から生徒たちをマークするしかないことは分かっていた。
それでも一応は説明しないと、面倒事が増えるかもしれないからやっている。
「じゃあ、なんやかんやで気をつけて……A組のA班から順に入場して……ちょうだい」
こうして俺たちの班の番が来て、小走りでイアリーランドに入場する。
班の仲間たちは、ミミセン、タオナケ、ドッペル。
まあ、いつものヤツらだ。
「じゃあ、どうしようか」
「やっぱり、まずはアトラクションだろ!」
近くの窓口にいた人に、そう呼び止められた。
「イアリーランドで現金と同じように使える、紙幣みたいなものです」
100、500、1000の三種類で、イアリーランドのマスコットキャラらしきものが、それぞれ印刷されていた。
「アトラクションはそれがないと乗れないの?」
「何かの特典があるとか?」
「あるかもしれません」
「私、興味ないけど、試しに買ってみる」
そういってタオナケは、おもむろに1000円札を受付に渡した。
「マジかよ、タオナケ。普通の金も使えるんだから、チケットに換える必要ねえじゃん」
「私もそう思うけど、こういうのは雰囲気を楽しむことが大事だと思うの」
雰囲気、なあ。
まあ、園内のみとはいえ現金と同じように使えるんだから、損するわけではないだろうけど。
「私、1000円渡したんだけど……」
「1000円はイアリーに換算すると100なんです」
何だ、そりゃ。
中学生からずっとBとLなことばっかり描いたり読んだりしてて、ごく普通のリア充がごく普通に過ごしてきた青春を知らぬまま母親になってしまったので、保育園の懇談会でお母さん達も自己紹介しましょうってなった時に、皆がキラキラしすぎててびっくりしてしまいました。
わたし(外で肉を焼くとか、モンハンでしかやったことない……そもそも友達いない……フレンドならいるけど……)
クラスのママ「趣味はハイキングなので、子供も3歳になったので、一緒に連れて行ってます!」
わたそ(趣味はゲームだから、息子3歳にしてスプラトゥーンで毎日イクラ集めてる……)
クラスのママ「娘がディズニー好きなので、よくランドに行ってるんです」
わたし(アマプラで昔の戦隊もの見てハマって、中古ショップで関連グッズを格安で買ってる……)
クラスのママ「暖かくなってきたら、キャンプしようと思うんです。結婚前は良く行ってたので」
わたし(結婚前によく行ってた所なんて東京ビックサイトとインテックス大阪しかないよ……あと池袋……ロード……)
クラスのママ「寝る前に絵本読んでて、うちの子、図書館が大好きなんです」
わたし(うちの子、クローゼットの奥にしまってる、男の子と男の子が仲良くしてる薄い本を引っ張り出してきて、キラキラしてて綺麗だね、って嬉しそうに持ってきてくれました)(PP加工、ホログラム加工、エンボス加工、シャインフェスゴールドとかほんと綺麗だよね、お母さんも好きだよ)
普通の幼児が親から享受できる、明るい人生が享受できてなくて子供に申し訳ない。
そんなわけで、土日になると、口コミ(ネットの)(友達いないから)いろんな公園や遊園地や動物園に行くんですが、
むすこ「家でモンハンしたい」
わたし(テレビでアスレチック特集見ながら)「わー、あそこ楽しそうだね!」
むすこ「お母さん一人で行ってくれば」
体調悪くて疲れたわたし「ごめん、今日はお菓子食べながらトッキュージャー見てスプラトゥーンやってモンハンやってご飯食べて寝よう」
ひょんなことからアラフォーにしてアラサーの彼女ができて、結婚も視野に入れて半年以上付き合ってきた。
遠距離なところもあって、その寂しさもあるだろうから埋められるように努力してきた。
だけど仕事やプライベートなこともあって、今年に入ってから数週間ほど会えない期間ができた。
この一言で自分が一体何を彼女のためにやってきたのか分からなくなった。
メールもラインも面倒な人間だったけど、彼女のために毎日ラインを送るように努力した。
突然相手の生活に押し入る携帯電話という文化が得意じゃないけど、電話をもっとしてと言われたから電話をするように努力した。
会えない分だけ、一緒に美味い飯も食えるように仕事に加えて電子書籍で月5万円くらいの印税をもらえるくらい頑張った。
自分だけの人生では全く関わることのなかったであろうディズニーや遊園地の類も、彼女の希望だったから奮発した。
「分からなくならないように、どうしたらいいのか2人で話し合おう」
細々としたことから始めるのではなく、まずは可能不可能を考慮せず、大きな石を切り出して、そこからディテールを掘り起こそうと提案した。
しかし彼女の口から出たのは、もっと会える頻度を増やすとか、そういう粗削り案ではなく「距離を置く」という提案だった。
その提案はディテールを掘り出すまでもない一種の拒絶で、僕はそれを呑んだ。
どうせ1~2日で連絡をしてくるだろうと思っていたからだ。
連絡が来たのは数日後、約1週間後に電話をしたいというものだった。
僕という存在は夢のような存在で、付き合ってきた期間はまるで夢を見ていたのじゃないかと感じたそうだ。
何がいけなかったのか、僕には全く分からない青天の霹靂だった。
堕天翅族がアトランディアの地(南極)に高度な文明を築いていた(創聖のアクエリオン)
プレデター南極に降り立つ。人類に建築技術を与え神として崇められた
神殿を建造させ100年ごとに成人の儀式のために地球を訪れ、エイリアンの宿主となる生贄を求めた。しかしある時繁殖しすぎたエイリアンによって敗北し、全てをリセットするため自爆装置を用い南極の文明を消滅させた(エイリアンVSプレデター)
全盛期のキスショットが南極大陸から日本に渡る。衝撃で南極大陸を破壊しかける(鬼物語)
アーサー・ゴードン・ピム、友人オーガスタスの協力のもと帆船グランプス号に密航する
様々なトラブルを乗り越え辛くも南洋を目指す貿易船ジェイン・ガイ号に救出される
そのまま南極探検に向かい「テケリ・リ」と鳴く動物に遭遇する(ナンタケット島出身のアーサー・ゴードン・ピムの物語)
ノーチラス号は資材補給のため南極の秘密基地へ向かう。基地は南極の地下にある大空洞に、2万年前に古代アトランティス人が建造した巨大なドックだった(ふしぎの海のナディア)
ミスカトニック大学のダイアー教授率いる探検隊、南極大陸に向かう
生物学者のレイク率いる分隊が狂気山脈を発見。「古のもの」の化石を数体発見するがショゴスの襲撃を受ける。最終的にたった2名の隊員のみが帰還する(狂気の山脈にて)
ナチスの残党が宇宙人との戦闘に勝利し、遺跡から聖杯を手に入れ新たな帝国を南極に築く(ADVANCED WORLD WAR 〜千年帝国の興亡〜、難局!ED)
昭和30年代、敗戦からの復興を進める日本は戦勝国を中心とした国際地球観測年による南極観測への参加を表明する。しかし、他の参加国からは敗戦国であることを理由に罵倒される。そして日本に割り当てられた観測場所は「inaccessible(接岸不可能)」とされていたプリンス・ハラルド海岸であり日本は全く期待されていなかった。その中で倉持たちは日本が世界と肩を並べる時が来たとして南極観測のために尽力する(テレビドラマ「南極大陸 」)
第二次越冬隊を乗せた南極観測船・宗谷が例年にない悪天候と氷河に阻まれ立ち往生してしまう
その4ヶ月後、往生したままの観測船から飛行機が基地に降り立ち本日中に全員が昭和基地から撤退し帰国するよう命令が下る。しかし犬達を連れていくことは許されず、潮田達は苦渋の決断で数日分の餌を与え南極に犬たちを置き去りにして帰国する
犬達は鎖から逃れ、1年後に生き残っていた兄弟犬タロとジロに再会する(南極物語)
南極に生息する怪獣ペギラが南極観測隊の基地を襲撃したが、南極の苔から取れる物質ペギミンHが弱点であることがわかり、それを搭載した気象観測ロケットで迎撃されると黒煙を吹きながらどこかへ飛び去る(ウルトラQ)
イギリスの細菌研究所で開発されたウイルスがスパイによって盗み出されたが、スパイの乗ったセスナはアルプス山中で吹雪のため墜落しウィルスは流出してしまった
ウイルスは全世界に蔓延し半年後には35億人の人類を含み地球上の脊椎動物がほとんど絶滅してしまう
わずかに生き残ったのは南極大陸に滞在していた各国の観測隊員約1万人と、海中を航行していて感染を免れた原子力潜水艦ネーレイド号やT-232号の乗組員たちだけであった。過酷な極寒の世界がウイルスの活動を妨げ、そこに暮らす人々を護っていたのである。隊員らは国家の壁を越えて「南極連邦委員会」を結成し絶望の中から再建の道を模索する(復活の日)
南極の奥地にある機械の城ネオグラードを拠点とする、メカ人間の帝国「新帝国ギア」が人類への攻撃を開始する(超電子バイオマン)
「私」が氷男と結婚、南極旅行を持ちかける(村上春樹「氷男」)
学会で使うテープを間違って娘たちに送ってしまった江崎教授のために両津勘吉と中川圭一が協力して世界中を駆け巡る。冬子がいた南極で両さんは制服のまま海に落ちたり白熊と格闘する(こちら葛飾区亀有公園前派出所「絵崎教授80時間世界の旅の巻」)
西村淳、昭和基地からも遠く離れた陸の孤島、南極ドームふじ基地に料理人として派遣される(南極料理人)
セカンドインパクトで南極大陸が消滅する(新世紀エヴァンゲリオン)
南極の氷山から生まれた極寒爆竜コンビを、アバレンジャーと正義の爆竜たちが迎え撃つ(爆竜戦隊アバレンジャー DELUXE アバレサマーはキンキン中!)
新人サファーのペンギン「コディ」がサーフィン・ワールドカップで優勝を目指す(サーフズ・アップ)
オルタンス、南極のフランス観測基地で料理人となり1年間の任期を無事に終える(大統領の料理人)
碇ゲンドウ・冬月コウゾウ両名が南極に出向きロンギヌスの槍を回収。NERV本部地下のリリスに零号機によって刺された(新世紀エヴァンゲリオン)
18歳のジン・カイザワは、南極海の氷山曳航を計画するシンディバード号にオーストラリアから密航する。乗船を許されたジンは厨房で働く一方、クルーや研究者たちのために船内新聞をつくることに(氷山の南)
戦士としてヒイロとの決戦を望むゼクス。ノインはヒイロとトロワを連れゼクスの待つ南極へと向かう(新機動戦記ガンダムW 第15話「決戦の場所南極へ」)
ストラテラ、コンサータ、インチュニブ。こいつはドラクエの呪文じゃないぞ。俺たち発達障害者にとってのアルファでありオメガだ。辛いんだ。飲むとアドレナリンが胃の中で大暴れして、食事さえもできなくなる。
ぶっちゃけクスリの効果なんてろくすっぽ感じられない。健常者のフリがなんとか出来るって程度。なのにヤメたら元通り。あっという間に魔法が解けて、ただの落伍者にランクダウンだ。知的障害者ならまだいい。でも、俺たちは健常者と知的障害者の狭間に産み落とされている。社会からは見えない透明人間だから、いつだってセーフティーネットの濁りなき網からこぼれていく。
発達障害者には、常人にはない才能が備わっている、と人は言う。いわく、お前の内なる想像力を引き出せば、健常者どころか超人にだってなれる。いわく、お前は無限の可能性を秘めている。いわく、お前は磨かれていないダイヤモンドだ。シンデレラは意地の悪い姉を差し置いてプリンセスに、野獣は呪いが解けてイケメン王子に最後はなっただろう?You are エジソン and アインシュタイン and スティーブ・ジョブズ、blah blah blah…
ハイハイ、この話はもう終わり。そんな都合のイイ話、あるかってんだ。俺、本で読んで知ってるんだ。海馬とか側坐核とか、脳の一部が常人より小さいだけなんだろう?ようするにただの障害者なんだろう?
ある時、テレビで映画「フォレストガンプ」が放映された翌日、学校でセンセイが俺に言い放ちやがった。「お前は無能なフォレストガンプだな」って。その時は腹が立ったけども、よく考えたら当たってた。そうだよな、映画じゃ主人公のフォレストガンプは知恵遅れだけど、底抜けの優しさと脚の速さで皆から愛された。少なくとも才能があった。卓球だってアメリカ代表になるくらい強かった。
だが俺たちは?チートツールで隠しパラメータを読むまでもねぇ。当ててやるよ、顔面:E・体力:D・知能:D・幸運:E。ゲームならノータイムでリセマラ対象、競馬なら二束三文でデビュー前に売却さ。何かひとつは良いところがあるはずだって?残念、ギリギリ正常であり、かつ真に何の取り柄もないナチュラルボーンの無能だ。
生まれてこのかた、あらゆるコミュニティーで必要とされたことがねぇ。唯一慰めてくれる親は日に日に年老いていく。クラスのみんなは結婚して子供もいるらしい。数少ない俺の友だちは(友だちと言えるのか?)、未だに森の小動物みたいに鼻をヒクヒクさせながら実家に引きこもってやがる。
どこにも属せない俺はどうすりゃいい?最近じゃ、phaとかいうヤツが「持たない幸福論」とか提唱してるそうだ。社会に適合できないはみ出し者は、はみ出し者らしく断捨離して生きれば幸せになれるってさ。それにヨッピーは「明日クビになっても大丈夫!」だって。オイオイ、クビになったらどうすりゃいいんだよ?ブログ記事書けってのか?お前みたいに、パンティー被って裸で渋谷でも駆け巡ったらさ、お布施貰えるのか?
イラッと来たね。そんなことが言えるのは、お前が京大卒だからであり、あるいはお前が元商社マンだからだ。つまりお前らは確かにアウトサイダーかもしれないが、と同時に才能のあるフォレストガンプだからだ。文化資本があるからなんだ。頭がいいからなんだ。人には負けない才能があるからなんだ。ムカつくんだ。
なぁ、教えてくれよ。俺たちの物語には、ハッピーエンドが存在しない。そう言うと、お前らは「誰にだって悩みはあるし、ハッピーエンドの人生を送っちゃいない。まずはその思い込みから脱却しろ」と、ニヤニヤしながら言ってのけるんだろう。それ、病院のセンセイにもこの間言われたよ。でも、それってお前が、医学部卒で4LDKのタワマンに帰ると綺麗な奥さんが笑顔で暖かいご飯を作っており休みの日には子供と遊園地に行き血統書付きのラブラドールレトリバーを飼いベンツを乗り回し悩みをウンウン聞いて薬を処方するだけで年収一千万だからだろう?そう話したら、向こうは押し黙りやがった。
俺も努力すればそうなれるのか?いや、人並みの生活が送れるのか?お前は短期バイトすらロクに受からない人間の気持ちを、頭を横に振られながらゴミを見るような目つきでクビを宣告される人間の余裕を、必死に働いて手取り15万という人間の惨めさを、本当に知っているのか?
発達障害者には隠された才能がある。駄目なところではなく良いところを伸ばしましょう。みんな違ってみんなイイ。ダイバーシティ。人という漢字は支え合ってできています。もう、やめないか?そういう綺麗事。どうせ俺たちは見捨てられる。才能がなきゃ、発達障害者は愛されない。臭いものに蓋をするかのように。まるで最初から存在しないかのように。無能なフォレストガンプに救いは用意されていない。
そこに贖いはなく、最初から天罰だけが与えられている。それでも生き抜くしかない。マハロ・マザーファッカー。みんなくたばりやがれ。
乱文失礼します。
男子フィギュアスケート日本代表選手の皆様、おめでとうございます。私も氷上の踊りを見るのは大好きなのです。心から祝福させて下さい。
でも私は世間に対してちょっと気に食わないことがあります。「羽生選手も宇野選手もゲームやアニメが好き」「宇野選手はガチゲーマー、携帯ゲームでは課金も」という報道です。どこか、まとめサイトかニュースサイトだったと思うのですが、はっきり覚えてなくてごめんなさい。
私は宇野選手が「ゲーマー」「ガチゲーマー」と読んで心が踊りました。私も生粋のゲーム好きでしたから。
しかし宇野選手が遊んでいるゲームとして挙げられたのは「ベイングローリー」「シャドウバース」「荒野行動」と言ったスマホゲーム。私はこれらを見てちょっと落胆してしまいました。その記事に「携帯ゲーム『では』」と書いてあっただけにスマホゲームしか紹介されていなかったのもえ〜っ…てなります。
まず「ベイングローリー」はMOBAと呼ばれるジャンルの戦略シミュレーションゲームアプリで、競技性の高さが人気のいいゲームなのですがスマートフォン向けということで少しだけカジュアルな作りになっています。というのも元々MOBAはパソコン発のジャンルであり、基本的に画面の小さなスマホでパソコンゲームのフォロワータイトルを開発しようにも少しずつ要素をオミットすることが必要なのです。実際ベイングローリーは人気PCゲーム「LOL」「DOTA2」に似ている面もあり、どうせ「ガチ」ならPCゲームを挙げて欲しかったです。ベイングローリーは確かに良いゲームですが、スマートフォン向けのゲームで「ガチ」などとまるでコアゲーマーであるかのように報道されるのには疑問符が付きます。まあ「もっと本格的なゲームが、素晴らしいものがあるから注目してほしい」という感情的なものからでた言葉に過ぎませんが。
また「荒野行動」。これは2017年に空前絶後の大ヒットを記録したPC/TVゲーム「PUBG」のフォロワーです。「PUBG」は「100人で撃ち合い、残った一人が優勝」という、ゲームとしては本当に面白いルールの銃撃戦ゲームなのですが、中国のスマホアプリ「荒野行動」はこれをパクったものです。ゲーム性はもちろんのことグラフィックやインターフェースまで酷似している完璧な丸パクリゲームなのですが、スマホゲーマーには馴染みの薄い銃撃戦ゲームということ、スペックの低い端末でも動作するということ、そもそもスマホゲームプレイヤーはPCゲームなど知らないということなどが重なりこちらも日本で大ヒット。「荒野行動」は今一番流行っているアプリの1つなのではないでしょうか。
私も「荒野行動」を遊んでみたのですが、やはり「PUBG」のパクリだけあって面白いです。
ただPUBGは実写映画顔負けのグラフィックだったのに対して荒野行動はハリボテ感満載の「これ10年は前のゲームだよね…」という…
またスマホゲームということで指で画面が隠れて没入感や競技性、操作性は低くなっているし、やはり「荒野行動」は「本格!ガチ!」と騒がれるのは違うかな…と思いました。それに中国の十八番、パクリですよ。なのに擁護する日本人が多くいるのは驚きです。中国版ドラえもんなどは叩くのに、「荒野行動」は自分がやっているから叩かないのですね。都合が良すぎる。
いや、確かに宇野選手はゲーマーです。全然良いんですよ。ゲームを遊ばない方やスマホゲームしかしない方もたくさんいらっしゃるのは承知です。
ただスマホの(簡易的な)ゲームを遊んでいて硬派だ本格だ言われると、私の思う「本当のゲーム」、また「本当のゲームファン」が蔑ろにされている気がしてなりません。「ゲームといえばアプリ!」な時代になってきているのも分かります。アプリゲームもとても楽しいです。ただ、もっと素晴らしく、もっと文化的で、もっとたのしい、PCゲームを知ってほしい。「ニーアオートマタ」を知ってほしい。「風ノ旅ビト」を知ってほしい。「ゼルダの伝説ブレスオブザワイルド」を知ってほしい。
他の記事には負けず嫌い・ゲーム好きの象徴としてか「大乱闘スマッシュブラザーズ」や「モンスターハンター」関連のお話も載っていました。知らない人向けの記事っぽかったのですが、これらは100万本以上を売り上げる、かなりメジャーな、小学生も遊ぶようなゲームです。
ツイッター民「フィギュアスケート選手がモンハン好きのゲーマー!オタク歓喜だろ!」
いや…そうなのか?もし仮にあなたが「モンハン」「スマブラ」をやっているだけでドヤ顔して「ゲームオタク」を名乗るのであれば、今すぐにでも飛んでいって様々なゲームを買ってあげたいです。
もう1つ。宇野選手の「課金は強くなるための手段」と言う発言が話題になり、私含めスマホゲーム課金者はちょっと嬉しい気分になっていますね。ただそこには何があるのか?「携帯ゲームには課金も」とあたかも携帯ゲームに課金するのが特殊であるかのような見出しもありました。
アプリストアやSNSへの書き込みを見ていると「たかがゲームに1000円も払うか!w」「課金してないから○千円のアプリは高いよ、無料にして…」という意見が驚くほど多くあります。これはゲームを遊ぶ立場として、たとえ無課金だとしても書き込むべきことなのでしょうか?ましてや、開発者の目にも触れるであろうアプリストアレビュー欄に。
娯楽を享受するには基本的に生産者がいます。テレビやウェブサイトではそれを広告の形で、遊園地ならば入園料の形で、無料ゲームならば課金の形で。
ゲームというものは開発者が汗水垂らして徹夜で限られた時間とお金のなかプランニングし、プログラムを書き、音楽を作り、絵やアニメを描き、3Dグラフィックを作り、インターフェースを調整し、デバッグし、プロモーションし、…
たとえスマホゲームであれ開発者たちの魂がこもった作品であることは確かなのです。そしてそれを娯楽としてプレイヤーが享受しています。
それに対して「課金!?」と言うような書き方はアレやなあと思いました。
…また、正直「たかがゲーム」「無料にしてくれ」などは無礼極まりないと思います。
宇野選手の発言はある意味正しいです。そしてそれが我々課金者を盛り上げてくれています。ただの楽しい話です。
ただそれによってこれまでスマホゲームユーザーの多くが貫いてきた課金はしないという姿勢は少し目立ったと思ったのです。そのような考えの人には、ちょっと考えを改めてほしい。
無課金でもいい、楽しんでいるならいい。でもみんなを楽しませようと思って作ったものを「たかがゲーム」「無料にしろ」はやめてくれ。
この気持ち悪いオタクを装って書いた文章が何かの手違いで人に読まれ、フィギュアスケート選手やゲーム及びゲームファンのイメージダウンに繋がりませんように。
20過ぎた女オタクなんだけど、この前友達と小さい遊園地に行った時にゲームコーナーの中にプリパラがあって、元々名前は知ってたからネタ的にやってみるか、という流れになった。
めちゃくちゃ可愛かった。
キャラクターも可愛いし歌も可愛いし可愛い服着て踊るのも可愛い。
親友とも思えるような友達ときゃいきゃいしながらやったのがまた楽しかったのもあって、結局二人して5回ぐらい遊んでしまった。
私は子供時代ゲームセンターで遊ばせてもらったことが殆ど無かった。
兄が二人もいるからか、自分自身男児向けのアニメとかの方がよく好んで見てたし、当時流行ってたラブandベリーとかもやったことは無かった。
じいさんは無口な人だった。水道工を定年するまでやっていて、頑固な職人気質。
両親が共働きだった俺は保育所に通っていて、婆さんが迎えに来れないときはじいさんが会社のマークの入ったオンボロ軽トラで迎えに来てくれていた。
小さい頃、俺はじいさんが苦手だった。じいさんからはいつもタバコの匂いがしたし、保育所であったことを話しても「ほうか。」「ほうね。」と一言二言しか返してくれないじいさんより、婆さんが迎えに来てくれればいいのにと思っていた。
じいさんは野球が好きで、オンボロ軽トラではいつもラジオがかかっていて、広島東洋カープの情報が流れていた。
ある日じいさんが珍しく「カープの練習を見に行こう。」となぜか俺を連れ出した。家の近くにカープの二軍練習場があって、そこに期待の若手が入ったらしい。
野球がよく分からなかった俺は苦手なじいさんと二人きりは嫌だなぁと思いながら、さりとて嫌だ嫌だと泣きわめくのもなんだか悪い気がして、大人しくじいさんについていった。4歳でも、それくらいの分別はついたのだ。
オンボロ軽トラで行った練習場で、カープの若手がノックを受けていた。カープと言えば猛練習の名の通り、動けなくなろうがノックにさらされ続ける選手をみて、子どもながらに「死ぬんじゃなかろうか」と心配になったのを覚えている。
じいさんは珍しく「あのキャッチャーは凄い。」「よう打つ。」「凄い選手になる。」と教えてくれた。
野球にぜんぜん興味の無かった俺は、あまり気のない返事をしながら、隣の遊園地につれていってくれればいいのにな、と思っていた。
去年、子どもが産まれた。とても可愛い。絵本を読んであげると喜ぶ。
いつの間にか立派なカープファンになった俺は、子どももカープファンにすべく英才教育を施そうと思う。
そうして初めて、俺はじいさんに愛されていたことに今更気付いた。
じいさんは孫を喜ばせたかったのだ。無口で、何を考えてるか分からないじいさんはじいさんなりに、俺を愛してくれていた。
自分が親になって初めてわかったとき、もうじいさんはこの世にはいなかった。
今なら分かる。4歳の子どもをじいさん1人でつれて歩くのがどんなに大変か。トイレの粗相をするかもそれない。目を離せばどこかに走り出すかもしれない。水分補給だって常に気にかけておかないといけない。そんなのを連れ出すのは60過ぎのじいさんにはきっと骨だったはずなのだ。
もっとあの時喜んであげれば良かった。ぜんぶ今更だが。
じいさん、カープは強くなったよ。今年は三連覇出来るかもしれんよ。
愛してくれてありがとう。気付けなくてごめんよ。