はてなキーワード: 賛否両論とは
デレステ内のコンテンツであるデレぽで、杏botとそれに対する冴島清美、および他のアイドルの反応について、問題があると感じている人もおられるようです。
ただ、この件、問題があると思った人は強く主張するが、問題があると思わなかった人は特に言及しないため、後に「すべてのユーザーが問題を感じていた」というイメージだけが残る可能性があります。
そこで、問題があると思わなかった私から見て、あのやり取りをどのように解釈していたか、というのを書こうと思いました。
杏botの件に問題があると思っている人は、これを読んでも意見を変えることは無いでしょう。
あくまで、「こう考えた人もいた」という程度の駄文と思ってください。
これは明言されていませんが、杏botがbotであることを隠さず再開できていることから、デレぽには「bot禁止」というルールは存在しない、と考えるのが自然です。
そのため、杏botの問題点は、「botを使っていた」ことではなく、「自身の手による投稿であるかのように周囲に誤解させていた」という点になります。
この問題点に対して、最終的な「botであることを明示する」というのは、妥当な落とし所だと思われます。
それに対して、「botを即時停止させる」という冴島清美の行動は、行き過ぎがあったと思われます。
では、この行き過ぎた行為は、冴島清美というアイドルの株を下げるための表現でしょうか。私はそうは思いません。
私は、botを即時停止させたという冴島清美の行動は「張り切りすぎたがゆえの勇み足」だと感じました。
彼女がデレぽのマナーに関して張り切っていることは、4/27の以下の投稿から窺い知れます。
このように、マナーやルールを大切にしたいという思いが強すぎ、時にそれが勇み足や空回りに繋がるというのは、この冴島清美のアイドルの魅力ではないかと、私は思います。
(もちろん、私が冴島清美について正しく理解できていない可能性も高いので、担当Pから「そんなことはない、誤解している」という批判があれば甘んじて受け入れます)
ただ、こうした空回りは、必ずしも悪いものではなく、それが魅力となることは十分にあると思います。
隙あらば担当について語ってしまいますが、私の担当する今井加奈というアイドルも、「張り切りすぎて空回りする姿」を見せることがあり、それもまた1つの魅力だと思っています。
次に問題となるのは、botの即時停止が冴島清美の勇み足だったとして、双葉杏がなぜそれを受け入れたか、という点です。
これは、単に双葉杏が「正当性を争うよりbotを止めた方が面倒ではない」と考えた、ということだと思います。
これもまた、双葉杏というアイドルの特徴をよく捉えている部分だと思います。
こうして、張り切りすぎた冴島清美と、面倒くさがった双葉杏という2人の特徴を踏まえて、杏bot停止という1つの結果に繋がります。
ただし、このままでは冴島清美は「勇み足をしただけ」になってしまいます。
この部分は、蛇足だと感じる人もいるようですが、私はこの再稼働こそが今回の勇み足をフォローし、冴島清美のもう1つの魅力を表現する部分だと思っています。
杏bot再稼働後、冴島清美が反省していることについて、「なぜ反省する必要があるのか」という意見を見ました。
ですが、「bot禁止ではない」という前提をもって、冴島清美の投稿の以下の部分をよく読んでみましょう。
「私の一存で」という部分は、非常に重要です。
この時点で冴島清美は、本来は自分にbot停止を強制する権限がなかったという点に気づいており、そのことを反省していると捉えられます。
このことは、先述した冴島清美の「張り切りすぎて勇み足をする」という魅力に加えて、「勇み足に気づくことができる」という点、そして何よりも、その2つを総合した魅力としての「生真面目さ」が表現されていると思います。
双葉杏側にも「botの投稿を自身の手による投稿であるかのように周囲に誤解させていた」という非があったにも関わらず、あまり反省していない双葉杏と深く反省している冴島清美の対比には、やはりこの2人の性格の違いがよく現れており、この一件の特徴的な締めくくりとなっています。
ただし、先述したように、争うことを面倒くさがっている双葉杏をbot再稼働に向けて動かせるためには、「杏に有利な状況」が作られないと、話が進まないという問題があります。
ここでbotを止めたままにしてしまうと、冴島清美の勇み足のフォローを行うことができません。
(デレぽをbot禁止という設定にしてしまうと、今後他のbotを生み出す余地がなくなる、という事情もあるかもしれません)
そこで、杏に有利な状況を作る「他のアイドル」が割り込む必要があったのだと思います。
そのためのメンバーに深い意味を持たせる意味はなかったと思うので、最近のイベントで杏と一緒に組んだメンバーが選ばれたのではないでしょうか。
この部分のやり取りが陰湿に思われることが今回の問題の本質であり、ここへの言及が少ないことへの批判を複数の方からいただきました。
この点への言及が少ない理由は、まず1つには、私はこのbotを巡る一件でデレぽ内で表現したかったメインの部分は先に述べた部分にあり、この部分は本質ではない、と考えているためです。
もう1つの理由は、私はこの部分のやり取りが陰湿だと感じなかったためです。
前段に書いたように、この記事は私がどう解釈したか、ということを書いたものであり、今回の問題への解答をしようだとか、他の人にこう解釈すべきと押し付けるものではありません。
まず、そのことを前提としてご理解ください。
ですが、この部分への言及が必要だという意見をいただいたため、私が陰湿だとは考えなかった理由について、述べさせていただきます。
くどいようですが、あくまで他の人にこの解釈に従って欲しいというものではありません。
まず、この件では、全員が一方的に冴島清美を責めてはいません。
むしろ、直接的には誰も冴島清美の行いを責め立てる発言を行なっていません。
この「正しく楽しく」という言葉が、私は最初に引っかかりました。
この「正しく」というのは、冴島清美のキャッチフレーズである、「清く正しく」に繋がっているのではないでしょうか。
続く「楽しく」は、それへの対比として、双葉杏を表している言葉だと考えられます。
ここで、「正しく楽しく」という表現をあえて用いることで、冴島清美と双葉杏の2人の落とし所として、その次の2人の相談に繋げていると思えます。
冴島清美も、本来はデレぽの利用を締め上げたいのではなく、悪用を防ぎたいという考えで行動しています。
そのため、佐久間まゆの発した「正しく楽しく」は、彼女にとっても自分の意思を曲げずに受け入れることのできる考え方です。
私はこのように、
の流れと、直接冴島清美を非難しないことにより、書き手の配慮としては、一方的に追い詰める形にならないようにする意図があった、と思っています。
問題があったとすれば、この描写が中途半端であり、中途半端に配慮したことで返って裏の意図を感じて「陰湿」に思う人がいたということかもしれません。
ですが、私はここで4者の発言に裏の意図などはなく、小日向美穂も本心から冴島清美の事情を肯定していると解釈しました。
顔ぶれを見ても、思ったことを隠して遠回しな発言をするようなメンバーではないと思います。
ここまで、私がこの件をどう感じたかを書きました。
このように、冴島清美というアイドルの魅力を感じることができたため、私はこの件が問題だとは感じませんでした。
ですが、この件の表現に問題がある、という受け取り方を否定するつもりはありません。
ですが、2つだけ、気をつけてほしいことがあります。
まず、多数を持って1人に圧力をかけているような構図に見えることを問題視しながら、「皆でこの件を問い詰めよう」と拡散を呼びかけている人がいます。
その構図こそ、この件を問題視した人がけしからんと言っている行動に近いのではないでしょうか。
SNSにおける数の力による圧力を醜いと思うのなら、自分もSNSを使った数の力で圧力をかけるのではなく、個々で意見を送ればそれで良いと思います。
問題に感じた人が多ければ、自然とその意見は力を持つはずです。
もう1つは、「この件を問題に感じない人は、他者が傷つく気持ちに鈍感である」という中傷を行なっている人がいることです。
ですが、果たして、本当に他者が傷つく気持ちに敏感であれば、相手の意見も聞かずに一方的に「こういう人は鈍感だ」と非難するでしょうか。
人の気持ちを語るのであれば、本当に自分は相手の気持ちを考えることができているか、気をつけたほうが良いかと思います。
1人でも多くの人にこの件を問題視して欲しいのであれば、このような人格攻撃はかえって逆効果となります。
複数の方から、先にこの件を問題視していない人から、問題視している人への「陰キャ」などの中傷があった、という指摘をいただきました。
私のTLではこの意見を見ておらず、この経緯を把握していませんでした。
この点は、記事を書く前に経緯を調べ切れていなかった私の落ち度です。
これに関する言及がないことについて、不快に思われた方には申し訳ありません。
記事内で何度も言及しているように、私は「問題だと感じることも、一つの捉え方」だと考え、そこに優劣は無いと考えています。
この記事も、優劣をつけるために書いたものではなく、私の解釈が優れていると主張するつもりもありません。
はじめに書いているように、「こう考える人もいる」ということの主張です。
そのため、問題視した人を下に見て人格を攻撃するということは、私が記事で書いた考え方とは完全に対立する考え方です。
自分が問題だと考えなかったからといって、この件を問題視した人を中傷するということは、あってはならない行為です。
(上記で私が行なっている批判と矛盾している、と感じるかもしれませんが、私が批判しているのはこの件を問題視することではなく、それを主張するための一部の行動です)
問題視している人は、こうした中傷を受けて、腹が立ち、「相手の主張になど耳を貸すものか」と頑なになったことでしょう。
これは当然の反応だと思います。
ここでもまた、人のふり見て我がふり直せという言葉が価値を持ちます。
この件を問題視している人も、自分の主張を伝える際に、そこに中傷を混ぜてしまうと、相手は「そんな主張になど耳を貸すものか」と頑なになってしまいます。
私が気をつけてほしいと思っているのは、まさにこうした点になります。
また、この記事自体が他者への批判になっており、以下の点が自己矛盾しているのではないか、という批判もいただいています。
開き直るつもりはありませんが、これはまったくご指摘の通りで、私もこうしたことが実践できている訳ではありません。
これはとても難しく、だからこそ、常に気をつけなければならないことだと思っています。
今回の件で、単に騒動に乗っかって楽しんでいるだけ、という人もいないわけではないと思います。
そういう人に対して私から言うことは何もありません。
どうでもいいことです。
最近(ここ3年~今日)ぼやぼやと思っていることを勢いで何の構成も考えずに垂れ流すだけです。痛い自分語りです。私がすっきりしたいがためだけに投稿します。
本当に何も考えずに書いているので、文章に矛盾ありまくりだし何がいいたいのかわからないと思うけれど、とにかく発散したいので書いてます。
作者の過去の発言やひぐらしの時のアレコレについても書いていますが、記憶が改ざんされているものもあるかもしれません。
最近某ソシャゲ(竜騎士07が尊敬する作者の別作品の派生ゲーム)でイベント?で探偵モノ?があったらしくノックス繋がりでうみねこの話をする人がTwitterで多かったですね。
一過性のモノとはいえ、一うみねこファンとして陰ながら嬉しかったです。
それもあったり、うみねこ漫画版EP8がだいぶ加筆修正が加えられていて、電子書籍版普及によりうみねこ再評価の動きが盛んでとてもありがたかったです。
(修正というとまた表現が違うかもしれませんが、個人的に縁寿が真実の書を読んだ後の黄金郷での右代宮家一族の罪の懺悔、ベアトと戦人からの縁寿へのエールのシーンは絶対に漫画版の方が良かったと思います)
うみねこ原作が完結してから、まぁ色々ありました。うみねこ原作完結時、私は中学生でした。
うみねこに嵌った理由は、小学生の時ひぐらしに嵌ったその流れからでした。
確かep4あたりですかね。
当時は07thexpansionに公式絵掲示板があり、ひぐらしやうみねこのファンアートを見るのが楽しくて楽しくて仕方が無かったです。
アニメ化するにあたって色々騒がれている中で、googleで「うみねこのなく頃に」と検索してでてきた、当時うみねこ関連のまとめブログ「さくたろう速報」というモノを見て
メディアミックスの一つとしてアニメ化にあたって声優が嘘みたいに豪華だったり、グロシーンがモザイクだらけだったり、楼座のシーツの下着が蝶だったり、間がなく内容を詰め込みまくったりと賛否両論ありつつも
2chに私は書き込んだりはしていませんでしたが、「沢山の人がうみねこを見ていろんなことを思ってるんだなー」と見ているだけで楽しかったです。
アニメ化する頃はちょうどEP5発売と被っていて異様な盛り上がりだったのを覚えています。もう9年も経つんですね。恐ろしいことです。
当時は(言い訳ですが)11歳くらいだったので推理などは全くしていませんでしたので、2chやまとめサイトや公式掲示板でも、ep6より前の他の方の推理は特に覚えていませんね…。
当時は完全にキャラクターや物語の流れが好きでうみねこを見ていたので、鮮明に残っている記憶は
量産型さくたろう(ヴィイイイイン)やら楼座無双やらコラ画像やらオリスクなど、推理にはほぼ関係ないネタ系のものばかりです。
自力でまともに推理をしたのはep5で戦人が共犯なんじゃないか、とep4は戦人以外狂言なのか、と碑文の謎を途中までくらいです。
ep5でベルンが「これから碑文の謎を解いちゃうから」と言い出したところで原作プレイを止めて、必至に1週間かけて?哩岸駅まで自力で辿りついて、後は全く分からなくて原作プレイを再開したら答えをぼかされて半ギレした記憶があります。
まぁ楽しいばかりではなく、火種がぽろぽろでてたのに幼いながら気づき始めましたよ。ep5あたりからは。
「ノックス出すのかよ。じゃあひぐらしはなんだったんだよ」的な声。大いに分かります。私も思ってました。今でもちょっと思ってる。
あとep6で紗音・嘉音・ベアトが1人の人間の身体の中の人格だとわかって、cp厨が大打撃を受けていたのも覚えています。
当時その話題を出そうものならジェシカノ好きの人(今で言うところの過激派)が暴れていましたね。
私は今でもシャノカノベアト同一人物は、最強のcp厨破壊設定だと思っています。(ネタ半分、本気半分)
私の憶測ですけど、うみねこの当時のファンはひぐらし既読者が90%を超えてたと思うんですよ。
信者の贔屓目ですけど当時のひぐらしの人気っぷりはそこそこに凄かったですし。
ひぐらしをプレイしたことがあるからこそ、うみねこの完結の仕方に納得がいかずにアンチ化した人が多かったのかなーと漠然と思います。
ひぐらしで犯人側の犯行前・動機・最中・後の人生、思考をしっかり描いていたからこそ
ひぐらしがミステリーとして解いていた人々には「目明し編までは良作。後はオカルトで商売文句詐欺」と批判されていたり
個々のトリックの推理をしないで、キャラクターの成長や物語を楽しんでいた層からは「ひぐらしはグロいだけじゃない!感動する!泣ける!」
ひぐらしで犯人の動機や個々のトリックのネタ晴らしを本編で描かれたからこそ、うみねこでもそうだろうと期待した人は多かったと思います。
でも実は、ひぐらしの時に既に竜騎士は過剰なネタ晴らしをしたくない風なことを言っていたんですよね。
適当な意訳をすると、「今までの物語を読んで咀嚼して自分なりの解釈をしてきた人に、質問されて答えを返すキャッチボールをしたい」
「親切に描きすぎると、推理をしてきた人にとっては冗長になりすぎる」とか、ひぐらしが完結する前から言っていたんですよ。
正しくは製作日記に書かれていたことなので、元の文章を読みたい人は自分で探して読んでください。
でもおそらくこの辺りのさじ加減は、当時ご存命だったBTが相当サポートしたんじゃないかなーと思ってます。
竜騎士もおそらく当時は、ひぐらしもあそこまでネタ晴らしや祭囃子編のカケラツムギもする予定が無かったんじゃないかと思うんですよ。
当時からよーーくインタビューで言っていたのが、「ひぐらしのファン同士がお互いの推理を提示して討論してほしい。コミュニケーションのツールとして使ってほしい」
ということを言っていたんですよ。
まあ皆殺し編だか祭囃子編だかのスタッフルームで「答えがないなぞなぞはなぞなぞじゃない」的なこと言っていましたし。
ある程度の答えは出す予定でもあそこまで包み隠さず出す予定はなかったと推測しますよ。
罪滅ぼし編でボロカスに叩かれまくったこともあって、批判を恐れて完全なネタ晴らしをした可能性もあるかもしれませんがね。
それで、ひぐらしの期待を背負ったままうみねこが始まるんですね。
特に推理における赤字・青字システムという発想は、それだけで竜騎士は天才だと思いました。
何故EP8まで残っていた人が、「犯人の動機書かねーのかよ!!1986年10月4日5日に本当は何があったんだよ!!」的な反発をしたことです。
犯人の動機はEP7で幻想装飾されながらもされていましたよね。
あのシーンでクレルが「ここまで語って分からないのならば、もう私の心は理解できないでしょう」的なことを言っていたんですよ。
これって、普通に読み取ると「あ…竜騎士はもうこれ以上動機について細かく書く気がないんだな…」と気づきますよね?
犯人の動機が書かれなかった云々について怒ってた人はEP7の時にキレて離れるのが道理なんですよ。(犯人の動機自体が不満な人は、全然いいと思います。価値観はひとそれぞれです)
なんでEP8まで残っちゃったんですか。まぁそれだけ竜騎士を信じていたってことなんでしょうけど、作品は別れ際が大事なんですよ。
あっウィルのふわふわEP1~4トリック解説は、個人的にいい塩梅な誤魔化し方だと思いますが、ムカついた人の気持ちもとても分かります。私は当時PC画面を見ながら( ゚д゚)としてました。
1986年10月4日5日になにがあったのかをハッキリさせろと怒っていた人は、本当に読解力がないのかなと思います。
全てを受け入れると悟っていた縁寿が、泣き叫んで真実を認めようとしないということは、EP7お茶会の霧江ヒドスが真相だったんだと普通に気づくでしょう。
なのに、1986年10月4日5日になにがあったのか本当に分からないと言ってた人はもう意味が分かりません。
これだけEP8でアンチ化した人を批判してますけど、いっても私も当時しばらくはもやもやしてました。
オチには感動したし、キャラクターも演出も物語も好きだけれど、なんでここまで作者は真相を隠したがるんだろうともやもやしてました。
EP7はベアトの葬儀なので、ベアトに最大限配慮しつつ推理してきた読者(私たち)に解答を教えるなんだと思ってます。
だからクレルは、安田紗代としてのみすぼらしい自分を幻想装飾して優しい解釈に捻じ曲げて語るし、
クレルが語りたくない黄金発見~1986年10月4日までの心情は無理には語られないんですね。
あとメタ的には、竜騎士が推理を真面目にする人にだけ分かるように伝えたかったんでしょう。
EP8がなぜあれほどご都合主義なのかは、EP8は現実世界の私たち読者に向けた物語ではなく、作中の登場人物である縁寿に向けてのエールの物語だからなんですね。
だから私たち読者が納得できないまま終わるのはしょうがないんですよ。戦人がゲームマスターとなって縁寿のために向けて作った物語なんですから。
【読者置いてけぼり】っていうのは文字通りこのことなんだと思います。
まぁだからといって、うみねこはこういうテーマなんだからしかたがない!!読解力がない人が悪いとは、この部分においては思いません。
宣伝文句や作中でも、推理しろ!思考停止は山羊野郎!愛がない推理は知的強姦者!とかいいつつ
答えを誤魔化すのは実際どうかと思います。いや…そこはハッキリさせろよ…と思います。よっぽどの信者でない限りは。
でもうみねこのテーマとしてはそこを確定させないことが軸というかなんというか…って感じなんですよ。
竜騎士は読者に向けたエンターテイメントよりも、うみねこの作品としてのテーマを優先させたんですね。
私はこのもやもやが晴れただけでも、本当にEP8のコミカライズを読めてよかったです。
私も、コミカライズで夏海ケイによって分かり易く表現してもらえなかったら、もやもやしたままでした。
竜騎士だってひぐらしであれだけ批判されたんだから、EP8が批判されることは予想していたと思いますよ。
でも、そこでうみねこのなく頃にという作品を最後までテーマの軸をブレさせずに終わらせた、その竜騎士の心は作家としては本当尊敬します。
まぁその後の彼岸花と我らの告白抱き合わせ商法とか、インタビューでの竜騎士の受け答えの拙さ、インタビューでの発言が悪意ある解釈でゆがめられて広がったのが、余計にファンアンチ化を加速させたんでしょうね。
あと、単純にミステリー小説を半年連載するという形式が常軌を逸しすぎてますよね。
私含め、よく4年半も付き合えられますよ。
はーあ。コミカライズがしっかり完結して本当よかったですよ。
EP8で2chの本スレが地獄になっていた当時、中二の私は本気で「展開編のコミカライズ打ち切られるんじゃ…!!」と涙目で恐怖してましたからね。
それがEP7ではウィルの推理斬りの詳しい解説付き、EP8では単行本ほぼ一冊分オリジナル展開を付け加えられて、全50巻の完璧なエンターテイメント向けの作品として昇華された…。
パチスロも冗談みたいに豪華ですしね。もうパチスロがあるから散アニメ化はいいと思います。
コミカライズがあれだけ完璧に補完されたんですから、あれ以上のものはもうできないでしょう。
うみねこ以上に好きになる、嵌るジャンルはこれから生きていく上で出会うと思います。
しかし、良くも悪くもこれほど私の情操に影響を与えて心に残る作品はないと思います。
EP8後の2ch本スレを中学生でリアルタイムで追っていたので、メンタルは相当鍛えられましたし(笑)当時の恐怖を簡単に超える荒れスレには滅多に出会えませんよ。
支離滅裂だったり勢いのまま適当に思ったことを書いてすっきりしました。ここまで読んだ名も知らない方、私の自己満に付き合ってくれてありがとうございます。
賛否両論の西野ジャパンの作戦だが、以下の点を分けて議論したほうがよいと思う。
日本はこのままカードをもらわず1点差負けならグループリーグ突破、ポーランドはこのままなら今大会初勝利、両チームの利害が一致して無気力試合になってしまった。まあ確かにあるべき姿ではない。
ちなみに、同点のまま終盤を迎えた場合もおそらく日本は時間稼ぎをしたであろうが、ポーランドはいちおう勝利が欲しかったはずなので、無気力試合にはならなかったと思われる。この手の時間稼ぎも望ましくはないのだろうが、サッカーではまったく珍しくないことである。
時間稼ぎ自体がよくない、という考え方もあるのだろう。仮に勝っていても、時間稼ぎをしてはいけないという考え方。
グループリーグ云々よりも、まずは目の前の試合に勝つことを目指すべき。まあ(特に当事国でない)観客のことを考慮すると正論である。さらに正論を推し進めると、引き分けもよくない(勝ちを目指さないと)、という考え方もある。
ちなみに、ポーランドが真面目に試合を続行する可能性もあったと思う。レバンドフスキはW杯で1点くらいは取りたかったろうし。その場合は無気力試合にはならず、そこまで見苦しい試合にはならなかっただろう。ただし、10分間カードをもらわず1点差負けを維持するのはそれほど簡単ではなかったと思われる。
もう1試合のコロンビア対セネガル戦にて、コロンビアは1点しか勝ち越していない。もしセネガルが同点に追いついて日本が敗戦した場合、日本はグループリーグ敗退してしまう。あまりにも他力本願すぎる。日本はこの試合で引き分け以上ならば、もう1試合の結果に関係なくグループリーグ突破できるのに。
ちなみに、コロンビアがもう1点入れて2点勝ち越した場合は、日本は得失点差で余裕があるので真面目に試合を続けたと思われる。
仮に日本が1―2で負けていた場合は、総得点でセネガルを上回っているので、結局無気力試合になったと思われる。フェアプレーポイントがなくてもこういうことはありうる。
ちなみに、フェアプレーポイントも同点なら抽選で決めるのだそう。そういう状況だったら、日本は真面目に試合をしたと思われる、たぶん(まあ試合が劣勢なら抽選に賭ける手もあるだろうが)。
他国のチームが同様の状況に陥ったときも、同様の作戦を採用するチームは少なくないと予想する。ただ、他試合の結果次第のギャンブルになってしまうので、採用しないチームもあるだろう。
仮に1点差負けなら他試合の結果に関係なくグループリーグ突破できる状況だったとすれば、ほとんどのチームが無気力試合をやっていたのではないかな。
もし、日本チームがこの試合で調子が良ければ必死に攻撃してもよかったと思うが、特に後半は得点しそうな気配がまったくなかったからなぁ。
私は今回の西野さんの作戦を支持するが、仮に真面目に続けて玉砕していたとしてもそれはそれで支持していたと思う。
――ここまで書いて思ったけど、よくある「××派」みたいな分岐図を書いてもよさそう。「時間稼ぎも許さない原理主義派」みたいな。
症状は、
・青汁を飲んだ直後のような苦味を口に常に感じる
・体温調節が下手になり突然滝のような汗が出たり寒さでガタガタ震えたりする
自分は嘔吐がないのとダイエット中のOLよりちょっと少ないぐらいの量なら食べることが出来るので、症状は中程度だと思う。
掃除洗濯食事、さらに自分の看病など家事の130パーセントを現在夫がしてくれているのでそれには本当に本当に感謝しかない。大好きなW杯観戦中でも寝室で自分が唸り声をあげれば、「大丈夫?何か飲む??」とお見舞いに来てくれる。自分が弱音を吐くと励ますのでもなく面倒くさがるのでもなく「そうだね…つらいね…可哀想に…すごく頑張ってると思うよ」と闘病中に聞きたい100点満点の回答をしてくれる最高すぎる夫。
そう、これは闘病。
いくら医学的に病気と認定されていなくても、つわりの症状は『病』と言わずしてなんと言うか。
現在、マタニティモードにトランスフォーマーしたボディは新たな生命を生成することを第一目標としている為、それ以外のものは二の次三の次にされているのだと粛々と感じる。痛みを伴う改革というやつなのかな。わたしのライフはもうゼロよ。
お腹に宿る我が子を感じることは、ほぼ、ない。
妊娠初期なので見た目も変わらず、胎動なんてもちろんないし、体重は減っていくばかりだ。
ただ唯一存在を認識するのは2週間に1回のエコー検査。画面に映るボヤボヤした映像の中からかろうじて「我が子?」と認識出来た1分間だけは幸せを感じることが出来る。そんなぽやぽやタイムも家に帰宅する頃には終わる。
まだ最初の頃は良かった。
つらいながらもこれからの為に頑張ろうという気概があった。しかし、2週間…3週間…と続くうちに頭がおかしくなってきた。
不調が回復しない辛さ。いつまで続くのかという不安。職場に迷惑をかけている罪悪感。自身も忙しいであろう夫に負担をかけ続けている不甲斐なさ。
ベランダを見つめて、この柵を、ひょいと跨がれば、もう苦しみが終わるのかなと考えたり……
考えてみれば体の不調が回復しないまま10日以上続くというのは、人生初の体験なのかもしれない。原因がなんであれ体調不良が続くと人間おかしくなってくる。
楽しいことを考えよう。つわりがもし落ち着いたら現在絶賛賛否両論中のマタ旅に行く妄想しよう。無理だ。何かを楽しむ余裕はない。行くなら養生施設的なところで体をなんとかしたい。
妊婦は生命力の塊のようだと思っていた。もう一つのいのちを育むプラスのエネルギーの集合体であると。自分もそうならねばと。
しかし、実体は程遠かった。寝たきりで動けず、社会生活とも離れ、体は弱っていった。
生命力の塊と言いつつも常に「死」も意識していた(前回の妊娠は流産だった)。
要は自分が思っていた妊娠像とのギャップに苦しんでいたっていうありがちなやつだったのかな。
それからは、妊娠状態の体はプラスなのではなく、マイナスの状態なのであると思うようにすると正直気持ちが楽になった。我が子をマイナスの権化のようにしてしまう気がして申し訳無かったが、子は子、妊娠中の体の不良症状とは別だと考えるようにした。
つわり自体はまだ解決してないけど、妊娠が終了すれば嫌でも終わる。優しすぎる夫と、そしてその夫の子供がいてくれる。これから先まだ色々あると思うけどもうちょい頑張ろう。
Q1. 安倍内閣って、モリカケ疑惑、文書改ざん、高プロ、データねつ造、首相のダラダラ答弁、ご飯論法、とかまあいろいろ問題指摘されてると思うんだけど、安倍さんを支持してる人はこの辺の一連の話は別に問題ではないと思ってるの?それともある程度問題だとは思ってるの?
Q2. Q1で問題だと思ってる人は、なぜそれでも安倍内閣を支持してるの?例えばアベノミクスみたいな、何かしらの政策を積極的に支持しているから?それとも野党よりマシみたいな消極的な理由?
---
個人的には、安倍内閣を支持してる人の多くは一連の話を多少は問題だと認識しているものの、それでも野党よりはマシという消極的支持なのではないかと思っている。そしてこの「野党よりマシ」という発想の根源はイデオロギーの違いによるもので、現行の野党がリベラル的な価値観を持ち続ける限りいくら頑張っても乗り越えられないものではないか、とも。要するに、リベラルな野党がリベラル方面でいくら頑張っても、そもそも保守的な思想の人には響かなかったり、むしろ逆効果だったりするのでは、ということだ。
リベラルな野党を支持できないなら、保守の人たちは自分達の力で今の腐った政権をなんとかしてほしい。しかし現実には、自民党以外の保守を掲げる政党は自民党以上に頭がおかしい連中ばかり。はてブではよく賢いふりをして「日本にはまともなリベラルが存在しない」みたいなコメントを見かけるが、保守の方がよっぽどまともなのがいないではないか。保守の政治家でまともに議論できそうなのは石破茂氏くらいだろう。そんな石破氏もきっと総裁選で負けるんだろうし、本当にこの国はクソだという気持ちになる。
人によって考え方が違うので政策に賛否両論あるのは仕方ないが、最低限の道理を通してまともに議論できる人間が政治をやってくれ。頼む。
途中、ベロニカが死んでしまう。ベロニカの死で覚醒するセーニャ。
この流れはありきたりで、仲間の結束が固まる良い流れ。
でも、やっぱり誰も死なない流れが良い。それもありきたりの流れ。
とはいえ、戦いがある以上、生き死には絶対に避けられないものだし避けられるようなほど強かったら苦戦なんかそもそもしないよね。
それがわかっているんだけど、それでも主人公たち一行は、誰一人死なないで欲しいと思ってしまう。
そういうイベントは見たくない。
主人公たちはイベントがあるから、そういう表現がされているけど
実際には脇役だって生き死にのイベントが起こっていると考えると辛い。
そもそも、根本で考えれば主人公たちがモンスターを倒しているのも殺しているのと同じなんだろうなと思う。
「倒している」と表現しているだけで本当は「殺している」んだと。
でも、自分はプレイヤーで人間なんだなと思ってしまう所で、やっぱり登場人物が死ぬのだけは特に見たくないと思ってしまい
モンスターまでは考えることができていない。
話を戻す。
覚醒したセーニャはセーニャで精神面が強くなって、とても頼もしい。
でも、今まで居たベロニカが居ないのは寂しいと感じた。
先を進めていって、ベロニカ復活イベントが発生した時は嬉しかった。
賛否両論になるのはわかるような流れだったけど、個人的にはとても喜ばしかった。
セーニャは弱くなるかもしれないけど、ベロニカは死なずにすんで元の人数に戻るのだから。
こういうイベントもありきたりといえば、ありきたりだけど良いものは良い。
でも、やっぱり死なないで済んで、こういうイベントが発生しないで済む流れが一番だなと思う。
というオチのない話。
先週、さいたまスーパーアリーナでアイドルマスター ミリオンライブ!の5thライブがありました。
普段はモバマスの声無しアイドルのPで、ミリオンライブに関してはミリシタから入った新規Pという事もあって、これまでアイマスのライブはLVでしか見た事が無かったのですが、
今回、2日目にフォロワーの連番で行くことになり、楽しみな一方、少し不安な気持ちもあったんです。
いわゆる「厄介」の存在ですよね。
ツイッターでの報告もそうですが、私自身、LV会場でそういったのをちらほら見ていたので、それが現地だったらもっと多いんじゃないか……みたいな不安がありました。
まぁ、そんなマイナス感情は杞憂で開始早々に吹き飛んだんですけれども。
公演が始まり、会場内が暗くなって、青羽美咲ちゃんがライブの諸注意を話している時に、2階スタンド席から見える緑のサイリウムの海が非常に奇麗だった事は未だに脳裏に焼き付いています。
あ、これが現地の景色なんだ──って、ただ茫然と圧倒されていました。
まだパフォーマンス始まってないんですよ?
席に着いた時点で「大きいな~人たくさんいるな~」と思ってたんですけど、もうこの時点でヤバかったですね。
その後はどんどんパフォーマンスが披露されていく訳ですが、その一つ一つが最高って感じです。
というか、もう記憶が……。
何と言いましょうかね、こおう断片的にしか記憶にないんですよ。楽しすぎて。
ただ、『たんけんぼうけん☆ハイホー隊』からの『スポーツ!スポーツ!スポーツ!』は最高にテンションブチ上がったのは覚えています。
私はミリオンのアイドルだと木下ひなたちゃんが大好きで、彼女の『スノウレター』を楽しみにしてたんですよ。
直前の『ふわりずむ』が終わって、あぁ~いい曲だな~って思ってたら、「はぁ~~」って声。
分かります?
手に息を吐いて温めてる仕草なんですよ。
イントロ始まって、優しい歌が始まって、あぁ……って。
最初は歯を食いしばってガチガチ涙を堪えてたんですけど、ダメですね。
サイリウムも振れないんですよ。
ステージの上にいるのが、田村奈央さんなのか、木下ひなたちゃんなのか、頭の中でごっちゃになった感じ。
最後はもう顔も上げられなかったから、最後拍手できなかったのが残念でした。
好きなアイドルだからか、パフォーマンスに飲まれたのか、分からないけど、もう全然ダメ。
感動して涙が声に出ちゃって。
もう本当に良かったです。
最後、ライブが終わった後、このライブと、連れてきてくれた隣のフォロワーに「ありがとう」の言葉しか出ませんでした。
彼も満面の笑みを浮かべながら、僕に掛けたのは「これがライブの楽しさなんだよ。一度知ったらLVじゃ満足できないから」という言葉。
これがライブの魔力か、と。
ソロ曲のコールとか全然分からなかったけど、遠くで誰かが始めたコールがどんどん大きくなって波としてこっちまで届くから、それでマネが出来たし、
合わせなくちゃダメなのかな……と思ってたサイリウムの振り方(?)も、曲が始まったら自分のリズムで振ってたし、
意外と何とかなるんだなって……。
あとは、落ちサビUOって言うんですか?
賛否両論らしいですが、これに関しては、2階から見る限りは会場内がブワッと明るくなるのが凄く幻想的だなって。(アリーナ席の前の人にやられたら最悪だろうけど)
初めてだらけで最初はどうなるかと思った初ライブでしたが、終わってみれば「最高」の2文字以外無かったですね。
あの、終演後に誰かが始める「アイマス最高!」ってやつあるじゃないですか。
あれ、LVとかでやってる人達をちょっと引いて見てたんですが、この時ばかりは心の底からその声とクラップに乗る事ができました。
いやぁ、もう1週間経ったんだなって。
本当に最高でした。
次は6thのツアーですけど、自力で現地当てたいって気持ちがマックスです。
でも、私、背が低いので、次の現地も出来たら今回みたいな2階席が良いかな……。
論点を整理しておきたい。
先に筆者の立ち位置を説明しておくと、賛否両論の、どちらかといえば否の方の人だ。
まとめ主の主張はこうでしょ?
①「金をもらったくせに、祝意を受け取らないとは失礼だ」
②「金をもらうというのは公権力と潔く距離を保つことにはならない」
この主張のうち、①には全く賛同しない。
②は同意ってことはないけど、そう思う人だっているかなぁ?程度。同意率10%
そう思っているたくさんのブコメが否の意見を付けてることを明記しておきたい。
(と感じたんだけど、否のブクマさんそうですよね?違ったらごめんなさいえへへ)
みたいなのが人気ブコメになっていると、もやぁもやぁってする。
祝意を受け取るってことが、言いなりになるとか、指図を受けるってことにはならないと思うのだけど
そこのところどうよ、みなさん。
あと「安倍政権の人気取りには与しないってことだ!」みたいな意見もあるけど、
「是枝監督に祝意を届けるなんてさすがは安倍政権!次の選挙で入れちゃうもんね」
って感覚に全然ならねぇ、全くならねぇ。官僚どもが不正ばっかしてんのに何で厳しくつっこまねぇんだこのdotekaboty
カンヌの山田孝之を見て知ったけど、カンヌ映画祭のパルムドールってすげえ賞なわけじゃん。
(相手のゴールにシュゥゥゥーッ!!)
それに対して祝意を称するって別に時の政権がしたっていいんじゃないの?
昔からしてるわけだし、日本に限らずどこの政府でもしてるわけだし、なんかフランス人の怒ってたし。
変に捻くれなくても、素直におめでとうって言葉を受け取ればいいのにって思ってしまう。
おめでとう?お前に言われてもうれしくねぇよ!!死ね!!
同僚が結婚したって聞いて、何気なくおめでとうって伝えて、お、おうすまねぇってなった気分。
念のためもう一回言っとくと、助成金を受け取っても、政府の言いなり感はないし、政府と距離を保ていると思う。
じゃんじゃんもらったらいい。そんで、政権批判バンバンしたらいい。
それはなんも批判されることはない。批判しているやつはおかしい。
そう理性では感じている(理性で感じるとは何だ)のだけど、なんか僕が違和感を感じる(トートロジー最高)のは、
公権力!なんて人生で使ったことないし、潔くっていうと、一切俗世との関わりを絶ってます!!て感じがする。
攻撃的で喧嘩腰で、距離を保つというより、もう日本政府とむっちゃ距離を取ってます!!みたいな感じがするのに、
悪そうなやつとはだいたい友達なくせに、ラブアンドピースって歌われても……みたいな。
あぁでも”悪そう”だから、実際悪い奴じゃない可能性もあって、それはいいのか。
この悪そうなって歌詞のミソを今知ったわ。KJすげぇ。
パワプロのペナントモードで、ドラフトで獲得した架空選手ばかりにして、オートでペナントモードを回している。
選手の成長は自分でやってる。もう総計70年くらい回している。
今年のペナントで、我がパワフルズの渋川選手がシーズン最多本塁打を更新しつつある。9月4日の段階で、57本。バレンティンの実際の記録まであと3本だ。時間の問題である。
ただ、渋川選手には一つ大きな問題があった。打率が2割6厘なのだ。OPSは.818。
現在までの総安打数97本(内本塁打57本、二塁打12本、短打28本)。ただのヒットより2倍近くホームランが多い。
しかも問題なのは、得点圏打率も同じく悪いこと。2割1分9厘。そして打点が98であることから分かる通り、ほとんどがソロホームランなのだ。
渋川選手はもともとミート力(C68)もあり、前年も60本打っている。その際の打率は2割8分。3割を打った年だってある。
なぜか今年だけ、打率2割でホームランばかりの選手になってしまった。
もしこんな選手が実際にいたら、どうなるんだろうか?
ただホームランの数だけ多いのだ。他はひどい。一応チームの決勝点をホームランでもぎ取ることはある。だけど、いつも三振と内野への力ないフライばかりしている。
他の指標が全く揃わない60本打者。昔、外国人が王貞治の55本を更新しようとした時、露骨に敬遠されたことがあった。その問題をも乗り越えてバレンティンは60本打った。
もし現実のプロ野球で、日本人で、打率2割打点100程度で60本打たんとする打者が現れたら、どうなるだろうか。ちなみに四球も選べない。ただ、守備は上手い。
「ホームラン記録にも品格と言うものがある」「こんなただホームラン打っただけの記録は認められない」とかいって、退けられやしないだろうか。
https://news.goo.ne.jp/article/ntv_news24/trend/www.news24.jp-articles-2018-06-01-07394823-html.html
ホームページの作成者(20代)「(ダマされて)ざまあ(見ろ)というと趣旨が違うというか。それだけ多くの人に楽しんでもらえたかなというのが正直な気持ち」
◇
ホームページの作成者(20代)「最初は今までにない拡散の仕方がされていたので、すごいなと思ったんですけど、拡散されるにつれて賛否両論が目立ってきましたので、少しその内容を考えた方がいいのかなと」
全く面白くないよ。
アンサイクロペディア並につまらん。
しかしドラマおっさんずラブについては、周りの腐女子界隈で大盛り上がりを見せているだけでなく、
中年のおじさんもはまってそれこそ女子のようなブログを書いていて注目されていたりと、
なんとなく世間中で評判がいいような気がしていた。
放送日だけでなく毎日のように投下されるキャストのやりとりや情報で萌え転がる日々だった。
しかしここに来て、ゲイ当事者である人達の意見でおっさんずラブはキツいという話を見かけて、芋づる式で批判的な声に出会い、要は腐女子ホイホイ的なクソドラマといったような批難がされているのを知ってしまった。
最終回への高まった気持ち急に水をさされた気持ちになってしまっている。
ただコメディにしてはいけないようなものまで「笑える」ものと演出されている所に、
またはターゲットであるBL好き女子に受ければいいといった安っぽさが見えるらしく、
良いと思える面もかき消されてしまうらしい。
勿論ゲイの人たちもそれぞれ性格のタイプも違えば考え方も違う。
ただ怒っている人たちの言葉を追っていると、
どんどん自分の感覚は間違っていたんだろうかと悶々としてくる。
わりと賛否両論のドラマにすら触れているのにおっさんずラブをスルーしている事まで
何か意味がある気がしてくる。
他力本願だが、できれば誰か頭のいい人に、
どこがどう悪かったのかをリストアップして
できるたけ優しく説明してほしいと思ったりしている。
おっさんずラブに夢中な友達たちには聞けないし、聞いても答えは出ないだろう。
ああ、牧春のことだけを考えていたかった。
正直戦車のこととか全く知らないのに世間が騒いでたというだけで食わず嫌いしていたので
2周目の俺にはなるべく早く観てほしい。
というSF映画や小説で手垢でコテコテのテーマに対して一番納得のいく答えを出した作品。
逆にこのアニメのせいで同テーマにした他の作品への期待値が大きくなりすぎてしまった。
オリジナルサウンドトラックも素晴らしいマングローブの処女作にして傑作。
見続けることでどんどん面白くなっていく。
漫画版は読まなくてヨシ。
・GJ部
学生時代に部活やサークルで青春を送っていなくてもGJ部を見ればOK。
どうしようもないクズたちがどうしようもない状況になりながらも暗すぎないタッチでエンターテイメントにした作品。
小説版、漫画版とメディアミックスしているがそれぞれ同じストーリーのようでアレンジの仕方で同じに思えて全く違う結末になっている。
おすすめは漫画版で、漫画版の佐藤が出した結論が下らないようで、一番クズに必要な答え。
トータルで観て賛否両論もあるがライブ的な面白さは非常に強いし映像として見どころもあるのでネタバレ抜きで観てほしい。
怪奇物をテーマにしたアニメでシャフトの演出と雰囲気づくりがマッチした作品。
新鮮さが一番の魅力。
パラレルワールドをテーマにセカイ系できっちりボーダーを引きつつも話を面白くできたのは評価したい。
タイムパラドックスについての解釈が割と雑だけどその点を加味しても見続けることができるSFアニメ。
・JOJO 二部
ただ「シーザーのアレというかジョセフとリサリサがのそのそ歩いてるときのアレ」については原作まんまだったので、
そこは話が不自然にならないように改変してもよかったのでは…?
そこさえ改変しててくれたら2億点出してた。
子ども向けアニメとして時代に忘れ去られてしまうのが悲しいが、
重いテーマを扱っている、しかし白ボンの熱いハートのおかげで視聴者は崖っぷちでも耐えられる。
・タイガー&バーニー
どうも女性ファンが多いので語れる場所が少ないように見えるが心配するな。
全盛期を過ぎた男の進退に悩む姿はヒーロー関係ない、中年は学ぶところがある。
まっすぐな主人公、頼れる相棒、かわいくてやさしいヒロイン、闇を抱えたライバル…
少年漫画的な要素を詰め込んで話も面白い初代ゾイドアニメにして傑作。
・宝石の国
原作と比べたらところどころで表現しきれていない描写があったけど、
それは原作が凄すぎるからであってアニメのせいではなく、マイナス評価にはならない。
・錬金3級 まじかる?ぽか〜ん
ほのぼのとした日常生活を送る魔界のプリンセスたちは苛烈な戦乱に巻き込まれ、
仲良しな女の子たちが学校に寝泊まりする部、ちょっと過激などたばたコメディ。
環境の変化は心の変化に繋がっていく。その先にあるのは果たして…
今のガンダムがこれを意識した宇宙世紀ばかり作ってしまうのも、
残念ながら2018年現代においてもこの作品がガンダムとしてぶっちぎりだからだ。
映画の限られた時間の中で冨野の分かりづらくも、やりたかったこと、全部つまってる。
決して見逃すな。
・蟲師
日本的な自然に対するアニメ表現はやれジブリだ、やれジブリだとジブリジブリうるせえ!けど、
蟲師は別にジブリじゃなくていいんだ、と肩の荷が下りるような気分にさせてくれる。
構成、演出、映像、声優、音楽、すべてがハイエンドで構築されている鉄壁アニメ。
BLAME!もまた日本製CGアニメを確立させた作品だが、BLAME!のアニメ化としては少し辛口になる。
これに関しては映画BLAME!が公開されたときにここでも書いたが作者自身が自分の過去作のリブートの仕方を間違えた結果良さが損なわれたところがある。
ロボット同士の戦いを戦術的にキッチリと映像で見せてくれているし、
細かいアクションまでしっかりと書き込んでいる目に対して懇切丁寧なロボットアニメ。
ロボットアニメは線画が多いせいで誤魔化し演出が多いが、ブレイクブレイドはしつこく描いてくれているので本当にありがとうございました。
元民進党候補者である青地まみ氏の「パブリックエネミー」騒動について、少々遅くなってしまったが、少しこの問題に便乗して自分の思うところを色々書いてみたい。
まず「パブリックエネミー」という言葉であるが、前都議選で民進党から出馬して落選した青地まみ氏が「オタクをパブリックエネミーとして認定したい」という内容のツイッターを書いたことで、ここ数日ほど炎上したらしい。青地氏が民進党から立候補して落選した経緯から、民進党や立憲民主党にも批判の矛先が向けられているとのこと。
パブリックエネミーとは、公的な敵だと社会全体で認定する行為である。
炎上自体に関しては、日本の野党らしくありふれた光景であり、特に目新しさはない。リベラルな価値観を共有しているはずの人間が、オタク全般のことを「萌え豚」という蔑称で書いたらしく、そのオタクを社会の敵認定してやりたいという趣旨のツイートをした。
まあ日本のリベラルは、口では平和だ人権だと高潔な思想を掲げていても、実際は偽リベラルのレイシストに過ぎないといういつもの平常運転です、本当にありがとうございましたというだけの話。
本題はここからであるが、なぜオタク全般は、社会から(特に女性たちから)目の敵にされやすいのだろうか、ということ。パブリックエネミー認定とは「公的な敵」とみなすということであり、上記の青地氏には多数の批判も集中したが、青地氏を擁護するツイートも多かったとのこと。
賛否両論があるにせよ、オタクの存在を忌々しく思っている一定数の人間が世の中には明確に存在しているということでもあるよね。
オタクが社会から嫌われやすい属性集団だと思われやすいのは、やはり犯罪集団みたいなものだと思われているからだろうか。確かに、宮崎勤事件などオタクの中で重大犯罪を犯した一部の人間がいることも事実であるし、それは受け止めるべきだろう。
しかし、社会全体でみた場合はオタクは性犯罪を犯しやすい属性ではないはずである。一番性犯罪を犯しやすいのは、オタクとは正反対の野球部やサッカー部などの運動系の人間ではないのか。
例えば福田元事務次官やTOKIOの山口元メンバー、女性問題で辞任した米山新潟県知事の三者はオタクとは正反対の人種である。
それでもオタク全般が性犯罪者予備軍として扱われてしまう一番の理由は、オタクが扱っている創作物の性表現がストレートすぎるからではないか。
美人や可愛い女だけしか出てこなくて、ブスな女はオタク世界から排除されているのは、テレビや映画などのメインストリーム文化と共通であるが、やっぱり表現がストレート過ぎるのである。
だから、女性たち(特にリベラルの女性たち)に敵視されやすい素地がある。
今の社会は、女性たちから敵視されると社会的生命を失いやすい状況になっている。私達は知らずのうちに、そんな社会の中を生きている。
特に、この20年間の間にセクハラやコンプラの法整備などは進んだ。それ時代は社会が良くなることでもあるから歓迎すべきだろう。
男全般を痴漢予備軍だと見なす女性専用車両や、女性の申告によるセクハラは認定されやすいことなど、思いつこうと思えばいくらでも思いつく。
そんな社会風潮という根拠があるからこそ、オタク全般を「パブリックエネミー」に認定しようという政治的主張も生まれてしまうのではないか。
「オタクは女性の敵だから、社会の敵認定したい」ともっともらしい事を言っているけど、それはナチスドイツやボリシェビキのユダヤ人虐殺と同じ構図だからね。
これ増田が女装子とか言うから賛否両論みたいになってるけど、これがダメならオヤジ狩りとかオタク狩りに対する備えなんかなんにも出来ないからな。
オタク狩りのヤンキーに絡まれてすぐ通報できなきゃアウト。金品全部持っていかれて真っ裸にひん剥かれてチンコ丸出し写真を撮られて、「警察に
チクったらオレの連れがこの写真ネットに拡散させるからw」とか脅されて、それで泣き寝入りだよ。ひどい場合になると定期的に脅されるハメになる。
それでいいのかって問題だよ。
ちなみに俺は以前コインパーキングで当て逃げ事件を目撃した時に110番通報したけど、電話に出るまでに普通に1分以上かかったよ。都内で夕方だよ。
いっそ通報するのやめようかと思ったけど我慢して繋がるのを待って通報したから間違い電話でもないしね。
繋がるまでに時間が掛かるし、警察官が来るまでに運が悪いと23区内でも10分以上かかるからな。そのうえ護身グッズを持つのは男女とも禁止。ほんと警察ふざけんな。