はてなキーワード: 見立てとは
意識していたわけではないが、仕事が忙しいので競技は全く見れなかった。
スマホの通知で各種ニュースサイトの速報が流れてきて「へーメダル獲ったんだ。多いのか少ないのかわからんな。ふーん」程度の感想しか無かった。
ただ私は一応エンタメ系クリエイターの端くれだったので、開会式と閉会式だけはちゃんと見ようと思ってリアルタイムの予定を空けていた。
リオの演出には本当に心震えていたし、色々最後までゴタゴタがあったがそれでもどこかで
「なんだかんだ兆円規模の大会にふさわしい演出があるんだろう?」とどこかで期待をしていた。
なんなら恥をしのんでMIKIKO案でもパクってくるんだろ?さぁどんな禁じ手をやってくるんだ?とソワソワしていた。
どうであれどこかで楽しみに待っていた。
虚無だった。
虚無だけがそこに広がっていた。
しかもリオのときはオブジェクトと連動した光の演出だった気がするのに、会場をただスクリーンに見立てた映像演出。
漫画の吹き出しプラカードを手に虚空に向かって手を振る選手団の入場。特に関連性のないゲームBGM。
度々キャスターの口から出る「多様性」の言葉。何が多様性???
リオの煌めきは何だったんだ? ん、いや待て待て、ここから本番が始まるんだろう?
なんて思っている間にピクトグラムの余興。24時間テレビとかで見そうな演出ですね。
ドローンで描かれる地球。あーなんかドローンをスクリーンにするのって中国のイベント映像良く見るなぁ。
そして長嶋茂雄の痛々しい聖火リレーの姿。いや車椅子とかにしたげてよ、見てるほうが辛いよ。
開会式、終わり。
ところどころ順序が違う気がするけどまぁもう見返す気も起こらないのでご愛嬌。
終始私の頭では「なんだ?今私は何を見せられているんだ?」というはてなマークの嵐だった。
そっとFireStickのリモコンを手に取り、アマプラで配信中の東京卍リベンジャーズを見た。面白かった。
それから大会期間中は、冒頭に触れたとおりで、五輪が始まったこともあまり意識に無いまま日々を過ごした。
私の中で五輪ははじまっていなかった。
はてなでの連日のコメ欄でのバッシングなどを見て、あー今日も非難されてるわーと思った程度だった。
それでも私は諦めなかった。
私は五輪はどうでも良かったが、閉会式はエンタメ系クリエイターの端くれとして楽しみにしていた。
虚無だった。
虚無だけがそこに広がっていた。
キャスターが言葉として今やっている演出の補足を入れるんだが、それがいちいち薄ら寒い。
語らないと伝わらない演出意図が意味不明なパフォーマンスの数々。
演者たちが各々パフォーマンスを最大限やり遂げているというのは伝わってくるんだけど
なんの一貫性も感じられず、共感性羞恥みたいなものを感じてしまってただただ辛い映像が流れた。
後で何かの記事で、これは混沌を題材としたと言っていたが、カオスとは演出されて成り立つものであって
一応クリエイターの端くれの私からしたらこれは演出を拒否したただの無法地帯にしか見えなかった。
演者に全てを丸投げし、現場はどうにかいい舞台を作ろうともがいている、そんな苦しい空気を勝手ながら感じ取ってしまった。
突如差し込まれる日本美しいデスネな映像も前後の脈絡が無く、空虚なもの。
パリのPVは結構賛美されてたけど、私は特に刺さらなかった。リオがあまりに良すぎたので。
そして、終わってみれば、私にとっては開会式以上の虚無が眼前に広がっていた。
虚無を終えたところで、何かが始まって終わった感じが無い。
だから私にとって五輪は実感のないままただ過ぎ去っていったもの、だった。
私は日本で五輪やるんだから自分の中でどこかでお祭り気分みたいなテンションの振れが起こると思ってたんだ。
でも本当に、何も私の中に起こらなかったんだ。
クリエイターの端くれとして、こんなに心が動かない自分に驚いてしまったんだ。
みんなはどうだった? 五輪終わったなーって感じある?(パラがまだあるっていうのは置いといて)
よく「子供好きを装う女あざとい」と言うけど、女は大体子供が好きだ。「赤ちゃんかわい~」と言うのは90%は演技ではないと思う。女は赤ちゃんが好きというのは遺伝子レベルの本能だと思う。
これは男が「若い女かわい~」と思うのとほぼ一緒ではないか。もちろん若い女が好きでない男もいるだろうけど、大多数の男が「若い女かわい~」と言うのは否定できないだろう。同様に赤ちゃん好きではない女もいてもおかしくないが、若い女が好きではない男並ではあると思う。
そういうわけで、「若い女かわい~」を発露するのが失礼なように、他人の赤ちゃんに「赤ちゃんかわい~」を大っぴらにやるのもどうかと思うし、ましてや大の男を赤ちゃんに見立てて「かわい~」と公に言うのもセクハラなんだと思う。
たとえばこんなやつ
https://anond.hatelabo.jp/20200825205655#
元増田に直接ついたトラバは多くないが、そこからカオス理論の一例でもあるかのように複雑に枝分かれしている。
かつ増田の仕様により不明確な基準で表示されてないトラバがあるため、少なくとも直後のトラバは表示されるという法則に基づいて、トラバツリーからいろいろクリックして省略されているトラバを探す必要もある。
また一番右側のトラバもリンクをクリックするとさらにトラバがくっついてることがある。
そういうわけで元増田に関連している全ての言及を漏れなくかつ効率的に巡回するには工夫が必要だ。
さてどうすればいいのか…。トラバを探索木と見立てて深さ探索をすればいいのか?
まあはてな側は省略せずに全てのトラバを表示してくれれば解決なんだけどそんなこと言っても始まらないし。
あるいはそういうアドオンでもありゃいいんだけど。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.tokyo-np.co.jp/article/123561
tuun 入院してれば亡くならなかったのか専門家の見立てが欲しい
https://www.mhlw.go.jp/content/000788485.pdf
30-49歳の患者が、入院時軽症・中等症なら直近のデータで死亡率 0.1%、
重症なら0.6%が亡くなる。放置すればどうなるかなどというデータは倫理的にとれるはずもないので
この30代男性がこの 0.1% あるいは 0.6% に入ったかどうかなどとは個別に予想できないが
自分も母も児相職員歴あるので、滋賀の事件について色々妄想話をした
今出てきてる情報の中でなんとなくこんな感じだったのかなとか、不思議に思った部分について書く
兄は小学生の頃には施設で、妹とは10歳差がある。ということは、兄が保護→施設措置されてから生まれたか、妹が生まれたから母の育児が立ち行かなくなったか。
どちらにしても、兄と妹の縁は薄いし、どちらにしてもポジティブな気持ちは薄いだろうなあと想像する。
経済的な理由で措置って話なので、身体的虐待ではない。ネグレクトかな。お金遣いがあんまり上手じゃなかったのだろうってことと、今回のきょうだい仲についてあんまり把握してなかった感じからも、母は精神疾患か知的にちょっと低いか、養育能力が低いタイプだったんじゃないだろうか。
多分、児相の指導にも従ってて、今回の措置解除後の自宅の訪問とかの頻度見ても、児相に対する拒否とかなさそう。抵抗する人は、帰ってから家庭訪問できないとかある。無理やりするけど。
兄は17歳で、無職ってことは高校は退学になったのかな。施設って基本的に学校行ってないといられないので、退学が家に帰ることになった理由なんかな。障害者のグループホームとかもそうだけど、職員配置とかが、基本的に利用者が日中活動してることが前提で組まれているので・・・最近は不登校児も多いので、色々工夫してるみたいですが、学校に行ってないことは基本施設には居られないと思うので。
それで、妹も小学生になったから、一緒に家に帰るかってなったのかな。進学のタイミングは家に帰る子が多いです。途中で帰ることになると、転校しなきゃいけなくなっちゃうからね。
上でも想像したとおり、母は児相の指導に従うタイプで身体的な虐待をしたわけではないと思えば、ある程度意思の疎通が図れて、学校という最低限の見守り機関が出来れば、家に帰るという選択肢は大いにあり得るかなという感じもします。
お母さんが十分じゃないところは、兄が補ってくれるかなという期待もあったんじゃないかな。想像以上に兄の負担が多くなっちゃったのが、今回の見立て違いだったんだと思いますが。
ずっと施設にいるという考えは児相はあんまりなくて、『本当に帰れないのか』ということは逐次検討します。国は、家で育てられるのが一番だよって言ってるしね。施設ってそんないいところでもないし・・・施設は施設でいろんな問題が起こるし、本当に自由は少ないし、なにか失敗すればあっという間に追い出されるので・・・集団生活は地獄だと思う。
ということで、このタイミングでの同時措置解除は正直なくはない展開だと思いつつも、高校に居られなかった兄についての精神的なアセスメントとと、母の養育力不足についてのアセスメントが足りなかったせいで起こった事件なんだろうなあと思いました。
せめて、兄妹交流は頻繁にやったよね・・・?というところ。あと、兄妹それぞれの児相通所はどうだったのかな。子供から生活状況聞くために、うちではやるんだけど。
ニュースに出ている父とかパートナーとか居るんだか居ないんだかっていうところは正直児相あるあるの話なので、いたりいなかったり都合よく出入りしてるんじゃないんですかね。
はかなくも なほ実ればと 思ふかな かく乱れたる 心厭はで
【訳:もう終わってしまった恋だけれど、実っていればと想像してしまう。そんな自分が厭わしい。】
春すぎて にほいたちばな しずけさに けふも昔の すひたかづらに
【訳:春が過ぎて橘の香り立つ季節になったけれど、私はひとりあのときの忍冬を、好きだったあなたの面影や髪を思い出します。】
をちかたに ゆきて帰り路 双つ影 伸びのびてゆき なほをちかたに
【訳:帰り道に、遠くで見かけたあなたとあの子の連れ立つ影。私はつい立ちすくんでしまい、あなたたちはどんどん遠ざかっていきました】
ねぎごとや 夕露濡れし 青懸巣 去りゆく我を いひかけてとめ
【訳:アオカケスのような青い髪のあなたは、あのとき去っていく私に何事か言いかけましたね。夕露のような涙で眼を潤ませ、何かを願うようにして。
身一つを 藍に染めあげ 待つ鳥や 撃たれて泣くな 飢えて歎くな
【訳:深い藍色の髪を持つあなたは愛もまた深かったのでしょう。不幸もまた、多かったのでしょう】
汀なる あらまほしきを さやかにも 荒浪くもる あたしってバカ
【訳:『魔法少女まどかマギカ』の美樹さやかのことを詠ったとされる】
さざなみや 大津見かかり あはれなる 近江におもき 淡江のころ
【訳:琵琶湖から大津を望むたび、かの場所にいたころ背負った罪が、今も哀れな私を苛みます。/滋賀(志賀)を負けヒロインに見立てた歌。『万葉集』(古の人に我れあれや楽浪の 古き都を見れば悲しき)などにあるように、滋賀を負けヒロインに重ねるのは古来よりポピュラーな主題。】
かぎりある おんみをつくし 相逢いへ なんでもするから ダメなとこなおすから
【ギリシャ神話、もといFGOのキルケーのことを詠ったとされる。「相逢いへ」はアイアイエー島にかかっている】
さめざめと 背中なでつつ 歎くぞよ 道さだかにも 決めかねる身を
【訳:涙に暮れるあなたをこうして抱きしめているあいだにも、私はどのヒロインのルートにするかで迷っています。なんという卑怯者なのでしょう】
はつこひは 遠くこそなれ いとどなほ 夜の嵐に 髪を吹かれて
つい先日、ボーイズラブ研究家・金田淳子氏のある呟きがちょっとした炎上騒ぎになった。
週刊少年チャンピオンという漫画雑誌で連載中の板垣恵介氏による漫画作品「グラップラー刃牙」シリーズ、
その中でも高い人気を誇るキャラクター「範馬勇次郎」が一般人に性暴力を振るうというショッキングな事件が起きたのだ。
金田氏のみならず、この展開にはネット中で「刃牙シリーズ」ファンの動揺が見られた。
「勇次郎はそんなキャラじゃないだろう!?」「板垣先生は勇次郎をどうしたいんだ!」など、怒りと悲しみの声があちこちのコミュニティで観測された。
金田淳子氏も「刃牙」のスピンオフを手掛ける程の「刃牙シリーズ」のファンであり、この展開には悲しみを感じずにはいられないようだった。
今週のバキ道読んだんですけどね…。
あと不幸にも襲われた方にも伝えたい。男性に襲われるのは「女の部分がある」からではありません。社会的なジェンダーの呪縛でそう思ってしまうのはわかるのですが、女性は「男性に襲われる性」ではないからです。
(※原文ママ)
この呟きが、荒れた。「範馬勇次郎が他者をレイプした」という事件の話題性もあり、小規模な炎上に近い状態になった。
「またフェミニストが~」
「今更勇次郎に対してそれ言う?」
要は、「少年漫画をBL的な目線で楽しんでいるフェミニストが少年漫画に口を出すな」「勇次郎は元々犯罪者なのだから今更レイプくらいで騒ぐな」という事なのだろうか。
この事について、自分としては納得が行かない…という気持ちが無い、と言えば嘘になる。
フェミニズムという男女平等を目指す思想を持ち、またボーイズラブを愛好する人間が少年漫画について何か意見してはいけないのか?
犯罪者のキャラクターが作中で性暴力事件を犯した事に対して遺憾の意を持つ事はいけない事なのか?それは違うんじゃないかなぁ…と、思う。
漫画雑誌というのは誰が読んで誰がどんな感想を抱いて意見を発表しても良い筈だし、犯罪者なら犯罪を犯しても仕方ないでは納得行かないと思っても良いのではないか。
この事について、「金田氏はかつてキャラクターがレイプされる展開を嗜好している発言をしていた」として反感を示している人も多く見られた。
つまり、レイプという展開を娯楽として消費した事がある人間は、レイプに対して嫌悪感を示す事は許されない、それは矛盾している。と言いたいのだろうか。
これもどうも0か100か、白か黒かという極端な考えだなぁ、と自分は思う。
頭の中であるシチュエーションが好きだという事と、現実でそのシチュエーションを好んでいるかは全く別の問題ではないか?
が好きな人は現実でも異性から強引に乱暴な事をされたいとでも思っているのだろうか?他人にレイプされる妄想をした事がある人は、被レイプ願望があるとでも言いたいのか?
好きなBLモブおじさんは、路地裏に複数で生息していて、火照ったカラダをもてあました受けがそこに迷い込んでくると、「上玉じゃねぇか」「いいケツしてやがるぜ」などほめちぎり、一糸乱れぬチームワークで(※脳を共有している)、受けをもてなして絶頂に導くモブおじさんです
~(中略)~
私のこういう発言をたまに「レイプを受容している」と言って嬉しそうに指摘してくる人がかつていたので、無粋ながら一応書き添えますが、「創作」の話ですよ! 「現実」の性暴力(痴漢やレイプなど、相手の同意を得ない性行為)はダメ、絶対!
続 さらに、過去にツイートしていた、私の好きな「受けが路地裏でモブにもてなされる」レイプ妄想ですが、これは非常に言葉足らずなものでした。詳しく言えば「受けも実は求めている」という気持ちがあり、実質和姦、という現実にはありえない妄想です。(現実にはありえないからこそ妄想と書いてます)
(※原文ママ)
が、こうやって一連の呟きを見ると「性的な事を望んでいる人間が性的な事をされる妄想は好きだけど、現実での性暴力は絶対にダメ」という金田氏のスタンスは一貫していると思う。
正しく金田氏が言うように『「レイプを受容している」と言って嬉しそうに指摘してくる人』が噛み付いているのだなという印象を感じずにはいられない所があるかなぁ。
「不特定多数の相手と合意の上で性的な事をしたいキャラの妄想」と、「強者が相手の意思を無視して性暴力を振るう事」は、似て非なる、どころか全く別の事柄である。本来混同のしようがない。
刃牙はもともと、極端な「男女二元論幻想」を立てていることはわかっているのですが、同時に「闘い=セックス」という見立てにより、「男女のみがセックスする」という二元論をすり抜ける部分も持っていたはずです。しかし今週のバキ道は、男性同士の性すら二元論で語っていてもやもやしますね。
こういう内容の時だけ「フィクションに何言ってるの」ってわざわざリプつけに来る人がいるけど、フィクションを本当に愛してるからこそ、度を越したときはリアルと同じように批判をするに決まっているでしょう? そもそもフィクションを全く批判しない人なんてこの世に居る?
今週のバキ道はあくまで「キャラによる語り」なので、板垣先生の意見だと言えないことは踏まえたうえで、「週刊少年チャンピオン」を読む男性の中に「男性に性暴力を受けた経験がある人」が居ないとでも思っているのでしょうか。その人にとって今週のバキ道は呪いになるのではないでしょうか。
今週のバキ道は、「究極に雄度が高い勇次郎から見ると、他のあらゆる人間(男性も)は異性」という極まった二元論幻想と、勇次郎にレイプされたことのある男性が誰にもそれを話せず、自分が男であることを確認したくて登山家になったという話です。前半はおもしろ話として読めるけど、後半がね……。
もちろん「書き直せ」とか「回収しろ」などと思っているわけでは全然ないので、私個人の立場から、自由に批判を書いております(もともと私の刃牙エッセイ本の中でも、特に範馬勇次郎の言動について強く批判してることは読んでくださってる方は知っていますよね)。
(※原文ママ)
自分は週刊少年チャンピオンを購読している訳では無いので、「バキ道」のその回については詳しくは語れないけれど(チャンピオンには好きな作品も多いのでチャンピオン・コミックスは何冊も持っています)
と強迫的なマチズモとミソジニー、自暴自棄な思想に誘導する可能性もあるかもしれない、呪いに成り得る。
また、金田氏が刃牙のスピンオフを手掛けているからこそ「看板を借りているくせに何様のつもりだ?」と氏を攻撃する人も少なからず見られた。
それもおかしいと思う。親しい人がおかしな事をしたら、周囲の人はその行いを指摘せずに口を噤まなければいけないのか?
「まああの人のやる事だし…」「自分は作品を貸してもらっている側だし…」と「立場をわきまえて」「わきまえる女」である事、が本当に正しい事なのだろうか。
それは違うんじゃないか?それは間違っているんじゃないか?と自分が思ったのなら、例え親しい相手でもちゃんとその感想を伝える事こそが、正しい事なのではないだろうか。
「男性だけど男性に性暴力を振るわれ自分の中の『女性』を意識した」
という「刃牙シリーズ」の男女観は、確かに金田氏が指摘するように正直言って…古臭い、いつの時代の考えだろうか…?という感覚を抱かずにはいられない。
そういう意味では、以前金田氏が言ったように「凶悪な男性犯罪者が意図的に少年を性的な対象と意識し強姦した」エピソードを1992年に少年誌で描いた「ジョジョの奇妙な冒険」は非常に先進的だったと言える。
「ジョジョ」ではその凶悪な男性犯罪者は、文字通り「死ぬより酷い生き地獄」を半永久的に生き続ける事になり、キッチリと自分が犯した過ちの報いを受けている。
対して、「刃牙シリーズ」の人気キャラクター・範馬勇次郎は文字通り「刃牙」という作品の中で最強の人間であり、地上最強の生物という異名を持つ格闘家である。彼が犯罪の報いを受ける事は、決してない。
決して誰にも報復されない、一方的に暴力を振るう側である「加害者」の範馬勇次郎に、「刃牙シリーズ」の一ファンである金田淳子氏が苦言を呈したくなった気持ちを、自分は分かる。そんな日記でした。
【追記】
あまり本題とは関係ないかもしれないけれど、自分が好きな言葉を二つ最後に書き足します。
批判されているのは、BLレイプを無邪気に肯定する一方で少年/青年漫画におけるラッキースケベやご都合描写は糾弾する姿勢。氏の主張に則ればバキもゆらぎ荘も「本当は受け(女性)の希望だからOKです、以上」で終わる。
少年/青年漫画におけるラッキースケベやご都合主義はそのまま現実でのセクハラや性暴力に直結する可能性が高い前提が忘れられてるような…
AVやエロ漫画で女体の扱い方を理解した気になって、女性は乱暴に扱えば自然と気持ち良くなる物だと思っている男性が恐ろしい事に冗談じゃなくゴロゴロしているこの世の中だし
少年誌・児童誌などでスカートめくり、痴漢などのセクハラ行為が行われる→それを見て「よし、やってみよう!」と即決する小中学生男子は少なからず居る、だからこそゾーニングは大事ですよね
「刃牙シリーズの男女観はこうなんだ」と決め付けるの辞めて貰えますか?なんで一部の人の意見を真理のように考えるのですか?それはコンセンサスを得られた意見ですか?
決めつけるとかではなくて、刃牙シリーズの男女観はむしろ刃牙を読んでいれば自然と伝わってくる物だけど思うけど…
男性側が常に強者で女性を選び女体を食らう側で、女性は出産の経験の有無に関係なく男性の癒しである母親としての役を背負わされ、主導権はいつも男性の側に有り女性はいつも選ばれる側であるような
自分の側から男を選び抱いてやった、というような女性が良くも悪くも「刃牙」シリーズには居ないんですよね…餓狼伝に出てくる数少ない女性キャラ達も「選ばれる側」で、男にはレイプされ、息子を慈しむ母でしたし
あ、餓狼伝なら安原健次の彼女さんは「お前ら男二人が勝手に私を賞品として喧嘩すんじゃねえよ!」って男達を一喝した強い女性だったかな?
それを言うと「BLが」作品レイプというか…「二次創作が」原作レイプなのでは?
BLは創作だからレイプもオッケーって人が創作のバキ道に文句つけてるからなんで?ってなってるんでしょ。そこのところ混乱しなかったの?
個人的に金田淳子氏の主張は一貫してると思ったのでそこのところは混乱しませんでした。
金田氏の好むBLは原作が存在する二次創作で、商業誌で発表されている一次創作の商業作品との影響力は段違いですから…漫画雑誌に載っているプロの漫画と自由帳に描いた自作の漫画くらいには印象が異なるのかなと。
「刃牙」シリーズは四大少年誌というメジャーな雑誌で連載されている上、格闘漫画という題材もあって今時珍しい程「男らしさ」に拘ってますから…男性読者当事者への影響力と反響は凄まじいでしょうね。
【追記2】
自分の素直な感覚と感情には正直になった方が良い、という持論を自分は持っている
理屈と自分の感覚・感情は時に相反する事があるけれど、その時理屈を優先して自分の正直な気持ちを押し殺すと、後で辛い思いをする物だから
メイキャッパーとか読んだ?
わー懐かしい!「メイクで美しくなる」ってテーマに惹かれて昔読みました!
実際の内容は想像と大分違うというか…初期のグラップラー刃牙の前身というか、トンデモ料理バトル漫画の料理要素がメイクバトルになった作品と言うか、面白かったですけども
【追記3】
よく「お気持ち」という言葉が他人の意見を揶揄する時に使われるけれど、感情から発せられる意見が悪い物だとは自分は思わない。
義憤というか、何かに対して「それは間違っている」という意見を発する活力になる物は、その「お気持ち」と揶揄される感情以外にないのではないだろうか。
オリンピックの演出を途中で交代させられたから勝手に美化されて過剰に持ち上げられてるだけじゃね?って頭の片隅であったのよね。
毎回オリンピックの開会式とスーパーボウルのハーフタイム・ショーは欠かさず見ている私としては、今回の開会式も「まあ、コロナ禍で頑張ったんじゃない?」と上から目線だけど評価はしてる。
でも、MIKIKO氏の演出ってどんな感じなのか気になって、リオ五輪の閉会式で日本を紹介する部分(彼女が演出)をYouTubeで見たわけよ。
https://youtu.be/ssc5eLjLoMQ?t=6478
Olympics公式チャンネルがフルムービーで公開しているから良かったら見てほしい。開始位置は1:47:58〜。上のリンクは一応その位置に飛べるようになってると思う。
いや…ワクワク感のレベルが違ったね。会場でのパフォーマンスも空間の使い方が上手い。光や映像を巧みに使って、会場をフルに活かしている。無観客開催で、演者数も限られる今回のオリンピックにぴったりの演出じゃないかな。当時の首相であるアベ氏をマリオに見立てて活用するってのも、ロンドン五輪のエリザベス女王には負けるけど、良かった。あれはアベ・マリアとアベ・マリオを掛けてるね。
マリオが途中で取り出すガイドマップ。「RIO」と書いているからリオデジャネイロと思いきや、広げると「MARIO」。「OBRIGADO」や「ARIGATO」の「RIO」という部分を強調したりと小ネタもうまく盛り込んでる。
もちろん、すべてが彼女のアイデアというわけではなく、チームとしての成果だろうけれど、MIKIKO氏が今回の開会式を最後まで手掛けたらどうなっただろうと考えるとかなしくなるね…。
とはいっても、どうせ「◯◯を盛り込んでほしい」「◯◯を出演させてくれ」と断れない勢力から圧がかけられるのは目に見えてる。クリエイターが才能をフルに使えないのが今の日本なんだよね。
だからMIKIKO氏が今回の開会式を最後まで担当しなかったのは正解だと思う。今回の件で彼女の株は爆上がりだし、今後も世界で通用する仕事を手掛けてくれると、同世代の1人として応援している。
ちょっと話変わるけど
中国の南宋時代に作られた青磁のお茶碗で「馬蝗絆」と呼ばれているものがある
足利義政のところにあったときに、割れたので代わりを中国に求めたら
いまはもうこんな素晴らしい茶碗は作れないとカスガイで継いで送り返されたとかいう
実際に作品にはヒビが入っていて、それをつなぐかのように小さなカスガイがいくつか打たれている
カスガイを見立てるにはその形状からも性質からも相応しいネーミングだと言える
しかし、いつのころからかこの「馬蝗」が「イナゴ」と解釈されて
カスガイをイナゴに見立てたものだと解説されるのが一般的になってしまった
まともに辞書も引かずに知ってる文字だけで解釈したものが広まった挙句
何十年も訂正されずに放置されているというのは残念なことだ
2ちゃんねる運営してた頃のように、楽々広告料収入が入って来るような金ヅルが無くなってるんじゃない?
なので、Webメディアで連載持ったりして「営業」せざるを得ない...ような気がするw
「営業右翼」「営業左翼」って言葉がある。その主張どおりの「理想的な社会」が実現して欲しいと本心から思っているのではなく、右翼的・左翼的な言説をメディアで吹聴することで、特定層の読者・視聴者にウケて、そのメディアの売り上げが上がったり広告収入で儲かったりすることが目的の人たちだ。
映像あったんで見返してきました。テレビ東京「マヂカルクリエイターズ」5月24日・漫才のようなもの王という企画で見事失格した、野田クリスタルをして「しんどい」と言わしめたネタ。
アルフォートのお面をかぶったスーパー3助が「アルフォートマン」を名乗り、正真正銘のYUIを騙ったアンゴラ村長が"CHE.R.RY"を歌いながらマイクに見立てた麩菓子を食べ、そのあと大幅にネタが放送上でカットされて最後に五穀米を食べながら退場する…
という、映像を見返したとて説明しようがない漫才(?)でした。
3助さんがずっと「アールフォートマーン!!」と甲高い声で叫ぶなか歌っておやつ食べる村長というシーンをコンビの両名がリジェクトしなかったあたりセンスがぶっちぎってる…
サウザン・ドレッシングとは、マヨネーズをベースにビネガーやケチャップなどを加え、みじん切りにしたピクルスや玉ねぎを混ぜこんだドレッシングのことを言う。
英語ではThousand Island Dressingと書く。
Thousand Islandとは、アメリカとカナダの国境にあるオンタリオ湖と、そこから流れ出すセントローレンス川のあわいに浮かぶ「サウザンド諸島」のことである。
このドレッシングがなぜ「サウザンド諸島」の名を冠するのかについては、日本では「ドレッシングに浮かぶピクルスがサウザンド諸島のようだから」と説明されることもあるが、Wikipediaでは普通に「サウザンド諸島で生まれたドレッシングだから」と説明されている。
前者の説は、英語圏ではまったく見かけないので、おそらくキユーピーが広めたガセだろう。
さて、「Thousand」のカナ表記は、通常なら「サウザンド」である。
にもかかわらず、なぜ日本では「サウザン・ドレッシング」という表記が定着したのだろうか。
疑問に思った増田は、いつものようにGoogle Booksへと飛んだ。
軽く検索してみたところ、古くは1952年「American Cooking in Japan」でサウザン・ドレッシングが紹介されていた。
この本は、日本に駐留している米軍兵士の妻が、日本人の家政婦にアメリカ料理を教えるための本だったらしい。
American Cooking in Japan - Elizabeth B. Patterson - Google ブックス
同じく1952年の「七輪で出来るアメリカ料理」という書籍も出てくる。
この本はロングセラーだったようで1970年に第23刷を数えていたという。
七輪で出來るアメリカ料理 - George E. Engler - Google ブックス
こうした英語と日本語を対訳した料理本によって、サウザン・ドレッシングが戦後日本に知られていったことは、まず間違いないだろう。
ただし、この時点ではまだ「サウザンド・アイランド・ドレッシング」と表記されていた。
では「サウザンド」が「サウザン」と表記されたのはいつ頃なのか。
まず、キユーピーが「サウザンアイランドドレッシング」を最初に発売したのは1963年のようだ。
ただし、この写真を見るかぎり、ラベルにはThousand Island Dressingと書かれているだけで、それを「サウザン」と読ませていたかはわからない。
「サウザン」表記で確認できるかぎり最も古いのは1973年のキユーピードレッシングの広告で、右下のほうに書かれているのを見つけることができる。
他社ではライオンも1973年ごろに「サウザンアイランド」のドレッシングを発売していたようだ。
1979年ごろに発売されたネスレのマギー・クリームドレッシングもこう謳っていた。
おなじみのフレーバー、フレンチをはじめ、スパイスのきいたイタリアン、ピクルスの甘味をいかしたサウザンアイランドの、 3 つのおいしさがそろっています。
ちなみに同時期のカゴメは「サウザンド・ドレッシング」派だったようだ。
たとえばスパゲッティやピザなどのナポリタンソース、濃厚なサラダソースのサウザンドドレッシング。そのほか、トマトソースやフレンチドレッシングにケチャップを加えてトマトドレッシング。
サラダ文化・ドレッシング文化が日本に広まったのが1970年代であり、それに乗って大手企業がドレッシングのバリエーションを拡充していくなかで、「サウザン」という表記が広まっていった、ということが言えると思う。
では「なぜ各企業がサウザンドをサウザンと表記したのか」について検討したい。
まず思いつくのは、当時はまだ「Thousand」のカナ表記として「サウザンド」が定着しておらず、語末の子音が抜けて「サウザン」と表記されることもあった、という可能性だ。
しかしGoogle Booksで戦前の書籍などを検索してみると、「Thousand」のカナ表記は当たり前のように「サウザンド」で定着しているし、「サウザン」と書けば「Southern」、すなわち「南部」を指すことが圧倒的に多かったようだ。
となると、さすがに1970年代にもなって「Thousand」を「サウザン」と表記することは無いと思われる。
次に「サウザンド・アイランド(千の島)」を「サウザン・アイランド(南の島)」と勘違いした可能性が思いつく。
が、サウザン・ドレッシングを最初に出したキユーピーは、ラベルに「Thousand Island Dressing」と表記していたので違うだろう。
そうすると、単なる「略称」であるとか、「語呂の良さ」を重視したものなのではないか。
特にキユーピーが「サウザン」と表記していたのは普通に略称だろうと思う(ちなみに現在の商品では「1000アイランド」と表記されている)。
キユーピーが最初に「サウザン」として売り出して知名度を高めたので、他社もそれに合わせて「サウザン・アイランド」だとか言い始めたのではないか。
また、カゴメが表記していたような「サウザンドドレッシング」では「ド」が重なってしまうので、「ド」がひとつ無くなって「サウザンドレッシング」になったということもあるかもしれない。
私からは以上だ。
誰かキユーピー(@kewpie_official)に真相を訊いてきてくれ。
追記。
これは私も調査の初期に見つけて、一時は「朝日新聞黒幕説」も考えたのだが、そのときは「70年代に用例が増えたこと」のほうを重視して除外したのだった。
しかし、ひと晩ぐっすり眠って整理された脳であらためて確認してみると、この1960年の朝日新聞の記事は、おぼろげながらキユーピーとの関係を示唆しているように思える。
サウザンアイランド(ピンク色のドレッシングの作り方アメリカの代表的なドレッシングでローンのある地名を取った名で、ピンク色のドレッシングの中の、色玉子)を島にたとえたもの。
そう、キユーピーがしきりに主張している「ドレッシングに浮かぶ具材をサウザンド諸島に見立てた」という説が、既にここで出てきているのだ。
ドレッシングなどに関するQ&A|よくお寄せいただくご質問|お客様相談室|キユーピー
細かく刻んだピクルスが、ドレッシングの中に「1000の島が浮かんでいる」ように見えることから、この名前が付いたようです。
キユーピーの社員なりが1960年のこの記事を読んでサウザン・ドレッシングを知り、自社で製品化したのが1963年の「キユーピー・アイランド」だった、という可能性は充分にありうるのではないか。
「クラスで二番目に可愛い女の子」の「ブスさ」を個性に見立てて売り出して成功したの、AKBが初だと思うんだよね
AKBが最初出た時、賛同も多かったけど同時に否定意見も多かったじゃん
グラビアでも「明らかに寸胴」みたいな。あっちゃんも正直可愛いとは言えなかったけど
でもAKBがウケたのってその「キャラクター性」「多様性」だったと思うんだよね。「身近なリアルさ」というか。
AKBの下層も見ればクラスで二番目とは言わず下から二番目みたいな人も居て、「滅茶苦茶やる気があるから」みたいに選ばれて
「アイドルの価値が下がった」と言えばそうだし。まぁプラスサイズとか努力してないブス採用しちゃってる企業も増えてるから、
モデルの価値も下がりに下がって、「モデルで稼いでます」って言っても「へぇ、人前で肌見せて大変だ(笑)」ってなる時代がすぐそこまで来てる
おおむねこのスレッドで指摘した通りの惨状になっているようだが。
新型コロナウイルスのワクチン接種をめぐり、政府が自治体などの接種実態を正確に把握できずにいる。接種回数や自治体の在庫量は、国のワクチン接種記録システム(VRS)で一元的に管理するが、接種の入力が煩雑で遅れるケースが相次ぐ。ワクチン不足を訴える自治体が出ているなか、今後の配送計画にも影響を及ぼしかねない。
「VRSの作業は煩雑で負担になる。接種に注力させてほしい」…個別接種を行う市内約1800の診療所などのうち、9割がVRSの端末の利用を希望しなかった。
…
VRSの入力遅れは、地域ごとにさまざまな事情で生じており、政府が掲げた「1日100万回接種」の目標達成も実際の達成と発表まで最大15日間の遅れがあった。
そもそも、VRSは国がリアルタイムに接種記録を管理するためにつくり、ワクチンの在庫把握にも利用される。ところが、「国がどんどん打てと急がせた」(官邸関係者)ことで、自治体の入力が追いつかず現実とシステム上の数字にギャップが生まれた。
こうした状況に、政府内の調整を担う河野太郎行政改革相は、7月からVRSへの登録実績に応じてワクチンの一部を傾斜配分する方針を表明。接種登録の作業が遅れている自治体は、システム上は接種が進んでおらずワクチンが余っていると見立てた。自治体側からは反発が出ており、7月の自治体へのワクチン配送量が6月より約3割減になるところにこの傾斜配分が加わったことで、全国の自治体に「ワクチンが足りなくなる」との懸念が広がった要因の一つとなった。
さらに接種状況の把握を難しくさせたのが、6月から始まった企業や大学の職域接種だった。自治体での接種と異なり、接種券がなくても従業員名簿や学生簿で管理することで接種を可能にした。後日、自治体から本人に接種券が届けば企業や大学に提出して、VRSに登録してもらう。このため、自治体からすれば、住民の誰が職域接種を済ませたのかすぐに分からず、接種計画が立てづらくなった。官邸関係者は「職域接種により、自治体全体での接種が早いのか遅いのか見えなくなる。ブラックボックスになってしまった」と説明する。
…
河野氏は6月23日の記者会見で、今後のワクチンの配送計画について「目をつぶって綱渡りをするようなオペレーションにならざるを得ない」と漏らした。そのうえで、在庫を減らして必要なものを必要な時につくるトヨタ自動車の生産方式を引き合いに見通しを語った。
「自動車工場のようにジャスト・イン・タイムというわけにもいかない。すぐにVRSで(職域の)数字が見えないので、正直ちょっと厳しいと思っている」
これから書くのはかなり昔にある先輩医師と久しぶりにあった際、喫茶店かどこかで話したことだ。
一言一句覚えているわけでないのであやふやな部分はあるが、大筋はあっていると思う。
特定を避けるために口調などは変えてある。
こんなことを書いて誰かの役に立つかは分からない。
それでも読みたいという酔狂な人だけ付き合ってもらえればそれでいい。
「お前、せっかく医者になったんだからもっと稼げばいいのに。」
「はあ、一応普通のサラリーマンよりはかなり収入はあると思うんですが…」
「いやいや、保険診療でちまちま稼いでんだろ?
そんなもん仕事の忙しさからしたら割に合わんだろ。自由診療やれよ。」
「自由診療ですか…」
「自由診療は楽だし儲かるぞー。」
「でも、患者集めるの大変じゃないですか?」
「そんなもん簡単だよ。SNSとかで見込み客の喜びそうな話をばらまいてやるだけ。」
「見込み客…ですか?」
「世の中にはな、親とか学校の先生とかいじめっ子とかへの恨みつらみやら怒りやらを
いい年になっても抱えてる奴らが一定数いるんだわ。」
「で、そういう奴らをさ、簡単に囲い込める情報の出し方があるのさ。」
「情報の出し方…」
「そう。大きく3つあってな、①常識や定説とかの反対のことを言う。
②断定口調。③感情を煽る。これにしたがって出してりゃだいたいいける。」
「…それは具体的にどんな感じなんですか?」
「まず、1こ目な。これが特に大事。見込み客の奴らはさ、権威とか権力とかが根本的に嫌いなの。
多分恨みや怒りのある親やらと重ね合わせるんだろうな。
だから、政府とか大企業とか医者とか権威のありそうなものには自動的に反感を抱くわけ。
そこで、普通の医者がすすめる薬とかワクチンとかは本当は毒だとか、
大体の人間が食べてる○○は危ないからやめろとか言ってやると簡単に信じる。」
「本当にですか?」
「理系に明るい奴は引っかからないのも多いけど、物事を科学的に考えられない
中高年の女なんかはほぼいけるな。だいたいが、常識的な科学理論にも権威を感じて反感持つし(笑)」
「なるほど…。」
「科学に弱いだけあってそのへんからテキトーに理屈にあいそうな論文でも拾ってきて、
『ここに書いてある』とかやっとけば『シェアさせていただきます!』とか言って拡散までしてくれるぞ(笑)」
「バレないもんなんですかね?」
「まずだいじょうぶだな。査読とかメタアナリシスの意味も知らんような奴らだし、
「信じたくて信じる。」
「そう、奴らは大嫌いな親やらと同一視する政府とか医者とかをを見返したくてしょうがない。
しかも、その気持ちが心の底にあることにすら気づいてないし、見る度胸もない。
そもそもその親やらに自己肯定感を砕かれて劣等感の強い奴らにとって、
普通の人たちは知らないことを私たちは知っているという優越感は麻薬みたいなもんさ。
一度味わわせりゃこっちのもんだな。」
「ちょっと怖いですね。」
「いいんだよ、どうせ一生治らねえから。いい気分にさせてやるのもサービスのうち。」
「治らないものでしょうか?」
「ああ、よっぽど腕利きのカウンセラーのとこに気長に通い続けりゃ可能性はあるが、
臨床心理士は権威を感じて敬遠するし、行ったとしても占い師か怪しいスピリチュアルってのが関の山。」
「そんなものですか。」
「そうだよ。実際うちに来る奴らはチャクラがどうたらとかレイキがどうたらとかに金使ってるバカも多いぞ。」
「…」
「で、2つめな。断定口調にする。そもそも自分に自信がない奴らだから言い切られるとより確信を深めるんだな。」
そこが狙い目で、言い切らないのは隠してることがあるからだって解釈にするんだわ。
奴らは基本的に心がふらついてるから答えがハッキリしないことに耐えられない。
だからすぐに答えが出せるように白黒で考えるクセが染み付いてるのな。断定してもらうとホッとするらしいわ。」
「頭が悪いんですかね。」
「いや、意外とそうでもないぞ。話してるとそこそこ賢こそうなのも多い。
結局心になんか抱えてるやつはなんかのポイントをつかれるとまともな思考回路が働かなくなるんだろうな。」
「たしかにそうかもしれません。」
「でもって最後に③感情を煽るってやつな。奴らが根本的に心の底に恨みや怒りがあるってのは話したな。
その感情を代弁するように発信するんだ。」
「それはどんなふうに?」
「医者とか製薬会社とかを敵に見立てて口汚く批判したりするのさ。
『医師や製薬会社は利権にまみれています。ワクチンなんて毒物を金儲けのためにバラまいてるなんて許せません。』
みたいな感じな。基本冷静に批判しつつ、時々『氏ね』とか言うとめっちゃ受けるんだわ(笑)」
「その人たちにしたらスカっとするんでしょうね。」
「そうそう、よく分かってきたじゃん。」
「ええ、でもその人らはよくても家族とか友達とかが横槍を入れてきませんか?」
「『頭のいい人には逆に分からないんだよ。』ってやつな。」
「?」
「意味不明だろ(笑)。奴らはそこそこには頭がいいけど、めちゃくちゃいいわけでもない。
そこにコンプレックスをつのらせてるわけ。だから、暗に君のほうが優れているっていうメッセージをやれば
嬉しくなってすぐこっちに戻ってくるって寸法な。」
「ふーむ…。」
「頭のいい人ほど常識に囚われてしまうとか言ってやれば有頂天だな。
『世の中の人間は洗脳されてる。私は真実を知ってる!目覚めた!』とか言い出したらばっちりだわ。」
「洗脳されてる奴らほど他人のことを『洗脳されてる。』っていうの面白いよな(笑)」
「…」
あとは何療法だろうが、グッズだろうが、機械だろうが飛ぶように売れるわ。」
「それはそうですよね…。」
「事前に本でも出しとくと完璧だな。出版社も常識と反対のことを書いた本に
「はあ?打つに決まってんじゃん。俺も家族もバッチリ打ってるわ。
ディティールはだいたい合ってるはず。
読んでくれた人には一応ありがとうございます、とだけ言わせてもらいます。
「おおかみこどもの雨と雪」ってイケメンの甘言に乗せられて避妊しないと大変なことになるという寓話なの?「男はみんな狼」とか言うわけで、人間の男をおおかみに見立てたお話だと理解したんだけど。
私嫌なことがあったらラーメン屋に駆け込む癖があって、
そこの若い大将のお兄さんも私が嫌なことあったそれを分かっていて、
逆張りで「なにかいいことあったんですか?」って言ってくるの!
私はそんなこと華麗にスルーして
そう言われると大将も一本取られたな!って顔してしぶしふ美味しい醤油ラーメンを作ってくれるの。
美味しいものを食べて一瞬で気分切り替え!
って誰かが言ってました!
でね、
私気が付かなかったんだけど、
いつもチャーシューが厚かったり、
トッピング味付け玉子頼んでないのになんか乗っかってたりしてて、
向こうが透けて見えそうなぐらいハッブル宇宙望遠鏡で見えるペガサス大型銀河団のようで向こう岸がキラキラ光って見えるの。
あれはてっきりラッキー棚からぼた餅的な棚ぼたならぬ棚から味玉って棚の上からちょうど半分に切った味玉が落ちて上手い具合にラーメンが盛られた仕上げた途端に着地いやラーメンのスープに高飛び込みの選手みたいにしぶき一つあげず着水して乗るぐらいのグッドなラッキータイミングのまぐれ味玉かと思っていたぐらい。
あれいつもと違うくね?って思ったら逆で大将がオマケしまくってくれてたのね!って
嫌なことがあったら駆け込むラーメン屋が
なんか何でも無いときに行っても嫌なことを条件反射でパブロンの犬のようによだれが出そうなほど
美味しそうな醤油ラーメンで
なんでもないときでも嫌なことを思い出しちゃいそうよ。
まるで条件反射で。
だから、
なるべく嫌なことがなくてもラーメン屋さんに駆け込むクセを直さなくちゃって思ったわ。
私ったらクセが強いんだから!
このまま嫌なことや辛いことがあったら駆け込むラーメン屋さんなんて
嫌な味や辛い味しかしないじゃない。
せっかく行くんだから
口の中の美味しさが止まらないように、
とめどとなく美味しいラーメンを頬張りたいのよ。
駆け込み寺ラーメン「黙麺」
黙って食えってのがマナーらしいわ。
でも大将は
ラーメン屋さんに行くのが久しぶりだったときとか特に最近忙しいの?とかって話しかけてくるじゃない?
黙麺らしからぬって思うわ。
口の中が美味しさで溢れている状態のそれで
はふはふもごもごむにゃむにゃって、
なに言ってるか分かんないんですけどって、
話しかけといてそう言う言い方するのよー。
富澤たけしさんかよ!って
まったくだわ。
しかもお店の名前「黙麺」と書いて「だんまり」と読ませるところがもはや意味不明だわ。
味は美味しいのにね。
「だんまり」じゃないの?って私言いたいところだけど、
味玉に厚切りチャーチューオマケしてもらっている手前なので強くは言えないところが、
まさに私が「だんまり」ね。
てへ!
一本取られたわ!
うふふ。
そのトマトのルーシーを含んだ柔らかくなったパンが絶妙な歯ごたえのハーモニーを奏でるの。
指がくすぐったくて、
あはん!って言っちゃいそうなぐらいよ。
いいタイミングの作り込んでおいた
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
元増田は絵師あるあると一緒。自分ができてないやつに限って一枚でも多く描けとか、お前がスレに書き込んでる間に他のやつは描いてるだとか、ブーメランを連発する痛々しい人が沢山いる。
正解を言えば競争率の高い分野に転がってるタイプで、多分なろう小説界隈にも売れてないV界隈にもいると思う。
絵師界隈には他にもたくさんいて、