はてなキーワード: 狂信者とは
親戚がマルチ商法にハマった。
ちょうど去年の今頃の話だ。
彼の母がマルチ商法にハマったらしい。
彼の母は、まず初めに自分の子供に対して勧誘をしたようだった。
マルチ商法といえば、怪しい商品に騙されていたりマルチ商法による儲けに目がくらんでいる連中が大多数だと思っていた。
だが、今回は違った。
いや、私は甘く見すぎていたのかもしれない。
その商品、そして理念、儲かるという根拠のない確信が、狂信者を生み出した。
何を言っても聞かない、会話は成り立たず、科学的な根拠を罵り捨て去り、とにかく強烈に勧めてくるのだ。
絶対に良い物だ。そして儲かる、と。
少しでも疑いの目を向ければ、狂ったように怒る。
今まで見たことがないように、堰を切った様に喋りだす。
家族より、よくわからない商品を信じる心が上回った瞬間である。
だが厄介なのは、親と子の縁は極めて強いということだ。
親がマルチ商法にハマった結果、金がなくなれば、子供に世話をする責任がある。
※詳しくないので不正確かもしれない。
なんとか穏便に話を片付けるために、まずは警察や消費者庁へ問い合わせることも考えた。あらゆる手段を使って、牢屋にでもぶち込めれば目が覚めるのではないかという考えだ。
しかし、これは楽観的に過ぎた。
禁固刑や懲役刑を求刑できるだけの材料を揃えることも大変だが、執行猶予がつくだろう。
※こちらも専門外なので間違いがあるかもしれない。
マルチ商法に関して言えば、無限連鎖講の防止に関する法律が適用され、罰則は以下のとおりである。
第5条 無限連鎖講を開設し、又は運営した者は、3年以下の懲役若しくは300万円以下の罰金に処し、又はこれを併科する。
第6条 業として無限連鎖講に加入することを勧誘した者は、1年以下の懲役又は20万円以下の罰金に処する。
第5条はマルチ商法の運営者に適用されるから、今回は適用されない。
第6条は「業として」つまりは商売にしているかどうかである。これも適用されない。
つまり、マルチ商法の末端である彼女に対する罰則は罰金のみである。
それではどうしたか?
もっと良い手があったかもしれないが、これが最適だと思ったし、今もそう思っている。
① 子供が親に対して、商品や儲け方を完全に拒絶し、解決までの間、一切の連絡を絶つ
② 祖父母や親戚などに頭を下げ、親を叱りつけてもらう
実際に彼はほとんどこの通りにした。
私の両親へは、私から話をした。
まずは①により、「あんたは家族(子供)よりもわけのわからない商品と金儲けを選んだんだ」という事実を突き付ける。
そして②により、近しい者達からの拒絶の意思を伝え、周りに味方がいないことを伝える。また、叱りつけることによって改心の機会を与える。
悪い言い方をするが、親にとって子はコントロールしやすいし、自分の味方でいてくれるはずだという漠然とした思い込みがあると思う。
勧誘に対して、子供や身近な親類が曖昧な態度を示したり、受け入れてしまうと、改心は不可能だ。
特に子供が仲間になってしまえば、もう止めることはできないだろう。
一方で、親は子供からの直接的な叱責に対して素直に受け入れることができない。
子供としては親のために何かをしたいと思うだろうが、絶対に直接関わってはいけない。
拒絶し、連絡を絶ち、周りの大人(年上の親類)に頼るのが最適な対処法である。
私も私の両親も、明確な根拠はなかったが、実の子供が一番狙われやすい、彼が不幸になる、絶対に関わらせてはいけないと感じていた。
マルチ商法を完全に舐めていた。
ここまで危機感が募ることになるとは全く思ってもみなかったし、絶対に当事者になりたくないと強く思った。
調べた限り、マルチ商法やわけのわからない商品に、死ぬまで騙され続ける人も少なくない。
このような対策をとったところで、もしかすると一生改心しないかもしれない。
しかし、狂った親に子が付き合い、子まで不幸になってはいけないはずだ。
私も、両親も、親戚たちもそう考えている。
彼はその時すでに結婚していて、幸せな家庭を築き始めたばかりだったのだ。
彼女は、周りの大人からの叱責により、一瞬改心したかに思われたが、数週間で再発した。
周囲は彼女を見放し、私もその後の経過を知らなかった。
正確には説得を続けていた人もいたようだが、私と両親はそれっきりだ。
いい大人を叱るという行為、狂信者との会話はとてつもなく心をすり減らす。
先日彼から連絡があり、1年経っても親子の関係が断絶したままであるそうだ。
案外もう改心しているかもしれないし。マルチ仲間を見つけているのかもしれない。
子より金とわけのわからない商品を選び、周りを巻き込もうとして、狂信者のようになった親の姿を見て、完全に見放したようだ。
少なくとも親からの謝罪があり、完全に改心したことが信じられるまでは復縁するつもりはないようだ。
結果として親子の縁は断たれたままだが、最善の策だったと思う。
親がマルチ商法にハマり、子もハマれば何事もなかったのかもしれない。(親戚からは見放されていただろうけど)
しかし、親がマルチ商法にハマり、子がそれを受け入れられなかった時の悲惨さといったら、ない。
彼は親元を離れて暮らしていた、彼の父は高校生の時に亡くなっていた。
もしかすると、父が彼女の傍に居続けてくれれば、何か変わったのかもしれない。
所詮マルチ商法だから、と気軽に見てしまいがちだが、本当に人を不幸にさせるのだ。
これを大袈裟などとは思わず、見誤らず、自分の幸せを勝ち取れる人が少しでも増えれば良いと思い、知る限りのありのままを記すこととした。
護憲派で特にとんがってる菅野完さんがまたなんかおかしな記事書いてる。
「経済政策で野党がダメだから自民党に投票する」という愚劣さについて
いつもおかしなこと書いてるけど今回は特にひどいね。「啓蒙」の考え方が暴走しているうえに、ウソを言って人をだまそうとしてる。もはや「啓蒙」ですらない。ただの「洗脳」か、読者を馬鹿にしすぎてるだけのただの狂信者という趣だ。
井上達夫さんは「リベラリズムの基本的な価値である正義は、他者に対してフェアであること。正義とは他者に対する公正さ。」「リベラリズムの源泉は啓蒙と寛容の伝統。自分の他者に対する要求や行動が自分の視点からだけでなく他者の視点からも正当化されているかを自己吟味することが必要。正義は自分の要求を他者に押し付けることではない。」と語っていたけれど、上の記事にはそういう観点がないので、この人はリベラリズムとは縁がない存在と思いたい。 護憲派と一緒にされるの心底迷惑だ。
「安倍政権のやり方に危惧を覚える人々ですら、野党やリベラルはもっとひどいという不安があって、世論は、安倍政権の強引な手法に不安を抱えつつも、より害悪が少ないものとして支持している」
ほんまこれな。菅野さんだけがとがってるならいいんだけど、上で書いてるようなことを他にも主張する人がいて、完全に目がイッチャッてるのに自分は優良な人間で周りが愚かだと思ってるからもう完全に救いがない。
原理主義的護憲派と修正主義的護憲派という二種類の護憲派。専守防衛であったとしても自衛隊の存在そのものが違憲と考えるのが原理主義的護憲派。専守防衛の枠内なら自衛隊は合憲だと言ってしまうのが修正主義的護憲派。
専守防衛の自衛隊や安保を政治的に必要だからという理由で事実上容認しつつ、専守防衛の自衛隊を認める明文改憲には反対。自衛隊の違憲状態を固定化しているという意味で原理主義的護憲派は憲法を守っていない。
修正主義護憲派も、現実主義的に見えるけど、9条2項を考えるとあからさまな解釈改憲。世界第二位の自衛隊が戦力ではないということになり、米軍とともに行う自衛権の行使が交戦権の行使ではないということになる、無理な解釈改憲。原理主義的護憲派も修正主義的護憲派も憲法を守っていないので、安倍政権の集団的自衛権容認を違憲だと批判するのは欺瞞。この欺瞞ゆえに護憲派の安倍政権批判が力を持てないし、このような考えはリベラリズムとは何の関係もない。護憲派をリベラルと呼ぶこと自体がおかしい。
リベラリズムは憲法の精神や立憲主義を守るという意味では基本的に護憲の立場ではあるが、日本の護憲派は憲法を全然守っていない。リベラリズムが護憲を主張するのは「憲法に定めていいのは、特定の党派に有利にならないような公正な競争ルールと、少数者を保護するための基本的人権」だからだ。
にも拘わらず、護憲派を主張する上記人物は自分の意見に沿わない人は愚劣だと罵る。これは憲法の精神に反しているので話にならない。なんちゃってリベラルであって、主義主張として評価すべき点がない。ただの自分の意見をごり押ししたいだけのわがままちゃんだ。 この人たちは護憲派とよぶことさえも語弊があると言える。
こういう人と一緒にされるのは耐えがたい屈辱である。リベラルの立場からも、この人の今回の記事は遺憾であると述べさせていただきたい。
三宅洋平という人を知っているだろうか?
今回の参院選に東京選挙区から立候補していて、演説動画が異例の50万回再生、最近ネットでもちょっと話題になっている人物だ。
出馬当時はほぼ無名で全く話題にもならなかったが、演説動画の再生回数が増えるにつれ、
特にここ数日は区議会議員やブロガーなどそれなりの有名人も批判するようになっている。
確かに彼の考えは未熟だ。
ではなぜそれでもなお彼を支持するのか?
それは彼が「自由」と「対話」とに基づいた民主主義を重視する人物に思えるからだ。
「なんか悪の権化とか、安部やめろとか、安部倒せとかだけでは、
そこに、対話を阻害する要因があるんですよ。
安保法制に反対しているといえば「反日勢力」だの「脳内お花畑」だのと罵られ、
安保法制に賛成しているといえば「アメポチ」だの「ナチス」だのと罵られる。
改憲VS護憲、原発再稼働VS反原発、高齢者VS若年者、正規VS非正規、大企業VS労働者、…。
相手の本当の考えなど知ろうともせず、勝手に都合のいい言い分を想定し「敵」を批判する。
「味方」同士でしか通用しない論理で盛り上がり、「敵」からの批判には耳を傾けない。
そんな言論が硬直化し教条的となってしまっている現代において、
三宅洋平が語る、たとえ意見が違っても相手を尊重するという姿勢、相手の意見をちゃんと聞き、自分の意見をちゃんと言う、
「対話」を通じて問題を解決しようとする古くて新しい考え方はとても貴重なものだ。
しかしそれは彼の周りにいるブレインがダメなだけだと考えている。
したがって今の彼の主張が政策がダメダメなのは周りの仲間、そして彼に色々な知識を吹き込むブレインの考えがダメダメなだけなのだ。
もし彼がそういった陰謀論を盲信する狂信者なら私は彼を支持しないだろう。
でも彼は「対話」を大切にしている。
彼に「それって本当なの?」と疑問を投げかければ、「それっておかしくない?」と批判を投げかければ、
彼はちゃんと知らべ、考え、そして意見を返してくれる。
対話をすることで考えを改めたり深めたりすることができる。
まともで説得力のある現実的な政策に変えていくことが可能なのだ。
これは特定の支援者や組織に縛られた他の政治家では絶対にできない。
というわけで、私は三宅洋平を支持する。
それを見たシロクマが「あれっ?ねえねえ何してんの?あっ、分かったネットバトルでしょ?二人ともネットバトルしてるんだ!そっかぁーネットバトルかぁー。……あ、ネットバトルなら僕も一言いうね!僕はねーえーっと、しっきー君はカンフーが足りない!!!!」
アホだろ
こういうアホが、四六時中アホな『総括』をしているから、はてなでは同じような議論が繰り返し繰り返し蒸し返されるんだろうな
きちんと議論が尽くされる前に、『ネットバトル』とかいうクソな話題に回収されるから
シロクマがネットバトルって言ってるからネットバトルだー!って考える連中もアホだけど、まあアホの親玉が一番アホだろう
興味のないトピックなら黙ってればいいのにね
とか書くと、またブーメラン教のブーメラン狂信者がブーメラン認定して見えないブーメランを勝手に幻視してブーメラン刺さってる発言してくるから本件一応言及しておきますね
しかしながら、自殺をほのめかして耳目を集める北条のやり方が許されるのも間違っていると思うので、もっと穏当なやり方がないか、みんなで考えていくべきではないでしょうか
以上です
http://blog.kaerucloud.com/entry/tattoo-wedding
オレはタトゥー好きか嫌いかと言われたら「どちらでもない」けど、するかしないかと言われたら「しない」かなあ。それは「嫌い」に分類されるのか。それなら「何を思いますか?」って聞かれてることにして感想言うけど、まあ「心底どうでもいい」だわ。
あのさー。アフリカで唇に皿入れたりする民族がいるじゃん? 東南アジアに首伸ばす民族とか居るし。そういう人らの結婚式見るのと同じような感じ。「ステキだなーって思わないの?」って。まあ「別に」だよ。
もう少し丁寧に言うと「ああ、そういう文化なのね」って思う。批判とか軽蔑とか、全然ない。ただ「そういう文化なのね」っていう感じ。正直言うと「一瞬ギョっとする」よね。そんで、奇異なものを見る目で見てしまうくらいは、正直勘弁してほしい。けど、もともと「ある文化に慣れた人の中でも、より一層他との差別化を図って行っているような装飾」である以上、初見の人間が一瞬固まることくらいは想定しておくべき範囲内のことだと思うんだよね。ちょっとギョっとする。で「別に」と。それ以上の感想を求めると、もう暴力だと思うんだよね。どういうことかって、もう少し説明する。
豚を調理する文化もあれば、豚を穢れたモノとして遠ざける宗教に基づく文化の人もいる。牛を調理する文化もあれば、牛を神様としてあがめる宗教に基づく文化の人もいる。後者の人に、前者の人が「ほら美味しいよ」って言うのって、どうなのかなあ。「ああ、それは美味しいのかもね。あなたのではね。」って言うのが最大限の譲歩だよね。ハッキリ言って「見たくない」のが本音じゃないかな。それに対して、いかにも「美味しい、って言わせよう」ってやり方で感想を求めるのは、もう文化的デリカシーが欠如してるなって思うし、場合によったらソレって暴力の域だよね。
肌の上に装飾をする文化の人もいれば、「何もない・清らかな肌」を美しいと感じる信仰を伝統的に受け継ぐ人もいるわけ。
入れ墨アレルギーの人に頭っから否定されたタトゥー愛好家は、そりゃ確かに腹立つとは思うんだわ。「このガラパゴス狂信者奴」って。けど、後者の人にタトゥー見せつけて「どうよ」ってやるのも、やっぱ同じ位暴力的だと思うんだわ。で、双方が無理に布教しようとすれば、結局戦争になるほかないわけ。それってあんまりイイコトじゃないと思う。
だから、まあ平和的に棲み分けましょうよって。要はそういう話。宗教的問題について「話し合えば分かり合える、説得できる」なんてそんなん夢物語(ふぁんたじー)ですよ。残念ながら、人間はまだそこまで進化してない。というか、それが/それこそが『人間』なんだと思う。
20世紀初頭、英国の経済学者であるケインズ卿は、主著の中で「考え方ほど強力なものはない」と説いた。つまり、人の行動要因のうち、最も影響力が強いものは、外部的要因よりもその人の内部要因、すなわち考え方だというわけだ。
ひるがえって現代の英国では、中東出身者の2世、3世となる若者たちがイスラム国(という名のテロリスト集団)へと帰属すべく、混乱を極める中東へと世代を超えた里帰りをしている。こうした若者たちが常軌を逸したテロリスト集団に忠誠を誓う要因は何だろう。ある人は欧米社会における中東系への差別が原因であるとし、ある人は貧困が原因であるという。しかし、これはあまりにも皮相的な見方ではないだろうか。どの国にも貧困と差別は存在する。それにも関わらず、なぜ一部の人々、特に豊かな先進国の若者が海外の狂信集団への参加を企図するのだろうか。
ここでケインズ卿の金言を思い出してほしい。何よりも人を駆り立てるのは考え方だ。もちろん、乾燥した砂漠地帯へと向かう若者たちの中には自意識をこじらせ、過激思想に染まった狂信者もいることだろう。だが、その多くは渡航直前まで通常の市民生活を送っていた一般人である(と報道されている)。ということは、通常の市民生活に浸透するごく一般的な常識の中にこそ、彼らを破滅的な行動に追い込む何かが潜んでいるとは考えられないだろうか。
健全な若者たちを追い込んだもの、近代社会の「一般常識」とは、「人は役に立たなければ生きている価値がない」という考え方だ。このあまりに妥当に思える考え方にこそ狂気が秘められている。
中東に渡航した若者の多くは、同国の他の若者と同等の高等教育を受けており、言い換えれば社会的に役立つ(と見なされるべき)存在である。彼らは教育によって社会常識と能力を身につけ、社会への参加と貢献を望む(ごく健全な)精神性を身に付けていたはずだ。だが、彼らはその意欲と能力を十分に活かすことが出来ない環境下にある。
無論、こうした差別や貧困だけが問題ならば、例えば南米や東南アジアのスラム民のごとく、それを人生の既定路線として別の生き方に適応することも出来ただろう。だが、彼らは私たちと同じように近代的な市民としての精神性を埋め込められた「一般人」なのである。
資本主義であれ社会主義であれ、近代社会おいて市民は、「人の役に立たなければ生きている価値はない」と考えられている。言い換えれば、人の役に立つことが人生の意味・意義・目的である。それは経済活動の本質でもある。だが、英国をはじめとする欧米社会は、中東系の若者たちが近代市民としてごく一般的で健全な希望を満たすことを許さなかった。結果として「人の役に立ちたい」という健全な欲求は、全く不健全で狂気の塊とでもいうべき集団への参加・貢献へと姿を変えてしまう。なぜなら、イスラム国はそうした近代市民として望ましい欲求の全てを満たしてくれるからだ。
あなたの人生には意味がある。あなたは人の役に立つことができる。あなたは必要とされている。だからこそ、私たちに参加・貢献してほしい。
こうしたメッセージが実存的な欲求を満たせずに鬱々とした日々を過ごす若者に届き、その心の隙間に棲みついたとき、彼らを押しとどめる要因、すなわち彼らを暴走させない「考え方」を欧米社会は提供できていたのだろうか。事実、イスラム国はすぐれて近代的な精神性を持つ集団であり、表面的な暴虐性と狂信性を剥ぎ取れば、そこにあるのは英国と全く同様なもう一つの近代社会であり、宗教というフックによって近代市民を惹きつける別種の帰属集団たりえるわけだ。よって、若者たちの豊かな社会から貧しい狂信団への「宗旨替え」という一見奇妙な現象は、単純に欧米社会の失敗と敗北の証左なのである。
ところで、これは私たち日本人にも無縁の問題ではない。むしろ喫緊の問題でもある。中東系の若者には(擬制とはいえ)神への信仰が残されているようだが、私たちには一体何が残されているというのだろうか。この社会による無言の死刑宣告に抗うため、私たちにはどうふるまう余地があるだろうか。自身の社会的価値の欠如を自覚し、世間という名の集団圧力に圧迫され、閉塞し、窒息したとき、私たちは静かに(そう、「誰にも迷惑をかけない」ように!)命を棄てる道しか残されていないのだろうか。
かつての武士階級にとって自死は、名誉を守る行為だ(という共通理解があ)ったが、近代市民たる私たちにとっては疑いなく、何の疑いもなく、言葉通りの犬死でしかないだろう。それとも、これも一つの考え方に過ぎないのか?
FMラジオを聞いてる時に、「この曲すごい」って思った曲があった。
独特な気だるさと、雰囲気に惹かれて、涼しい声で読み上げられた必死で名前を覚えた。
調べて見ると、彼はまだCDすら出してない、新人歌手だった。デビューしたての、17歳の男の子。高校生だ。
翌週くらいにアルバムの曲が少しずつ公開されたティザー広告のようなプロモが公開されて、1部分しかわからない歌を繰り返し繰り返し聞き続けた。
そして、アルバム発売の日を待ちわびて、何軒も何軒もまわって、隣の県のタワレコで発売日から何日か遅れてようやく買えた。
その曲は、家にいる間中はずーっと聞いて、やっと1部分しかわかっていなかった曲の全部が聞けて、泣きそうに何度もなった。
しばらくして、彼の写真が表紙になった雑誌も出版された。それも買って、一度辞めたツイッターもその人のために再開した。
彼には本当に大きな未来があって、これから先きっとたくさんのキラキラした音楽を作るんだろう。それが、待ち遠しくてたまらない。
ファンの語源は、Fanatic(狂信者)というけど、本当に狂ったように好き。
もっと売れて欲しいと思うし、アングラな世界で評価され続けるもの良い。
とにかく聞いてほしい。名前は、なにか迷惑になるようなことになってはいけないから一応書かないけれど、すぐに調べたらわかると思う。
なんかめちゃくちゃになったけど、要はずっとずっと彼の音楽が聴ければ、私は本当に幸せだと思う。彼の音楽が正当に評価されますように。
他の生物を食べて生きたい、自分の居場所が欲しい、配偶者が欲しい、お金が欲しい、認められたい…等々。とにかく生きるために必ず備わっている欲求だ。この闘争欲求はもちろん人によって小さかったり大きかったりするだろう。大きい人間は上手く活用すれば大企業の社長になったり研究者や開発者として医者や政治家として活躍できるだろう。いかに優れているかを競い合うということは効率化や新たなる発展性を秘める魔法の行為だ。戦時下におけるコンピュータの発達など科学技術発展の背景には知る欲求だけではなくこの闘争欲求も大きく関与してきた。
しかし闘争欲求が大きいにも関わらずその昇華の仕方を知らずに大人になってしまった場合は最悪の不幸が訪れる。他者との優位性を競い合ったとしても感情のベクトルを最適化できなければわけのわからないデモに参加したり、様々な倫理性や論理性を見失い体と時間だけを浪費してしまうことになる。冷静になれ、怒りに身を任せるな。言葉にすれば極めて簡単に聞こえてしまうが、闘争欲求というじゃじゃ馬を乗りこなすにはクレバーになることが極めて重要でかつ困難なことである。
冷静になるということはどういうことか?それは第三者視点を(完全ではないにしてもできる範囲において)獲得することである。ここでいう第三者視点とはタロウさんハナコさんマスダさんのマスダさんのことではない。全てを俯瞰的に見つめる神の視点である。もちろん全てを見通す神の視点などどこにも存在しない。必ず未来には不測の事態がどこかに待ち構えている。現実には神の視点だと信じている第三者視点までしか形成されることはない。しかし2者間の対立構造においてこの第三者視点の精度こそが最も重要な勝敗を決する要素であり、また勝敗が決着した後でさえも重要な要素である。知るということは何よりも重要であり、知ることによって考えることができる。相手の意図や思惑を計算することができれば相手の好きさせることはないし、自分にとって一番効率の良い結果が出せる未来も思い描くことができる。しかし感情に任せての行動には目指す方向やそれを実現するために行われる手法が相手から丸わかりであり、わざわざ第三者視点を形成せずとも相手の意図や情報を一人称からでも考えることができる。正面から突撃しかしてこない騎兵が相手なら毎回弓で応戦したらいいだけだ。感情に任せての行動は戦う前から負けることが約束されている。闘争欲求が感情に任せて利用されると不利益しか生じないことは明らかだ。
闘争欲求が感情に任せて活用される場合、その当事者には成功者や人格者と大きく異なる部分がある。それは着地点が設定されていないということだ。もしくは非常にあやふやなものとして設定されている。何かと対決したり競う以上は勝敗という結果が産まれるが、その結果を正確に予測することはすなわち過程の予測も行われる。望むべき結果を生み出すためには計算をしなければならず計算は第三者視点を作成したうえで冷静でなければできない。具体的な着地点を設定しないということはつまりは過程である行動や手法が本当に実現させるために取るべき最適な答えなのかどうかを問われていないということだ。何が間違っていて何をするべきなのか、それを見極めることができない状態で活動している。このような行為を続けても決して冷静な敵対者に勝つことはできないが、不適当な闘争者はそれさえ気づかずにひた走り続け、決して満たされることのない闘争欲求はさらに活動し、狂い始める。同じような狂信者たちが集まればさらなる大きな狂いの渦を形成していく。数こそ力とは言うが、数が力になるときは同じ方向を向いた瞬間だけである。統率のない集まりがそれぞれ違う方向を向いていても何も動かすことはできない。
闘争欲求は何かを成就させるために不可欠な欲求であるにも関わらず、その昇華のさせ方を知らない者たちは現実と剥離した世界に逃げ込んだり、狂った人間やはた迷惑な団体へと変貌していく。彼らの本質そのものが高度な戦略化した社会における被害者であり弱者ではあるのがが、社会へもたらす不利益もその数だけ存在し、また是正する個人も組織も無いためどのような時代においても反知性主義団体を確認することができる。
かといって感情が必ずしも有害であるかというとそうではない。全ての行動原理は等しく感情という源泉に帰結する。我思うからこそ我あり。第一人称の持つ感情を原発としてそれを慰め、褒め称えるために理性によって実現可能な道を切り開いていくことが一番人間的であり好ましい形であろう。また感情を分解していくことで論理的にも自分個人の感情の形成パターンを分析化することもできる。なぜ怒ったのか?なぜ喜んだのか?それを自分に問うことでさらに自分の感情と欲求の求める結果を洗練させることができる。
感情的なことは悪いことではない。問題は見つめないこと、知らないこと、考えないことだ。感情的な人間でありたいのなら鏡で自分の顔を見るように、感情を理性で見つめるべきである。己を知りより深く自分の感情を愛するべきである。さもなくば感情を愛することもなく理性的ですらなく自分の意志で動いていると勘違いしてしまう感情だけの操り人形になってしまうだろう。1+1を計算できるのは感情だから?アイスクリーム屋でお金を出せばアイスを食べれるのは感情のおかげだろうか?理性がどれだけ感情を守っているかを見直すべきだ。
今、ちょうどExcelを使っている所でこれを書いている。
何故書いているかというと、XMLのデータのインポートを待っているからだ。
若い時は、Excelで全てをこなそうとする日系企業、はたまたドメ会社を心の底からバカにしていたのだが、年月が経ち、結果としてExcel最強説を私めが、提唱させていただきたい。
昔Excelが嫌いだった理由は、1 ダサい 2 ダサい 3 ダサい 4 経理じゃないんだから 5 これだけ洗練された仕組みがあるのにExcel使ってるの? 6 ダサい 7 重い
昔の自分へ、反駁を試みたい。
Excelの素晴らしい所
・大抵の会社と人が使っている (若しくは互換性のある仕組みを使っている)
大学の研究室であれば、実験的なものを使うことでもよかろう。しかし社会はそうなっていないのだ。近所の八百屋も取り敢えず使い方は分からないまでも、Excelが入っているものなのだ。
これは大きい。
逆に言うと、これだけ日本で浸透しているからこそ、ダサいとも言えるのだが。
よくExcel方眼紙否定論者を見かける。こういう奴らは、Excel方眼紙の利点を理解していない。Wordでやってみろ。計算がスムースに出来ないではないか。結果Excelで良いのである。
Excel否定論者は、否定したいがあまり、過去のExcelのイメージしか持っていない。実際長いこと使っていると、Excelが表計算ではなく簡易的なデータベースとして大きく進化していたり、フォーマットの違うファイルを取り敢えず一回Excelに入れて吐き出しをさせるなど、文字列の扱いが遥かに得意になっていることに驚きを禁じ得ない。
・VBAや数式など
以前はマクロ信者をただの狂信者だと思っていた。今でも一部はそうである。なぜならマクロ信者や数式教徒は、可読性を一切考えないオナニーしかしないからである。
しかし中級程度まで熟達すると、多くのオフィスワーカーを不要にしてしまうすぐれものである。
そろそろ30M程度のXMLを直感的に操作するためにインポートも終わる。もちろんこれだけ言ってもExcelはダサい。ダサいがゆえに枯れている素晴らしい仕組みなのである。
#加筆
しかし、逆に汎用的なツールになってきた事で、かなり重くなりつつあり、複雑な事をしないものはGoogleスプレッドシートに最近移管した。色々難しいもんである。
以前ははてな村は威信値を競うソーシャルゲームだったと言ってたかと思うが、今は威信値など殆ど関係ない。
以前のはてな村
今のはてな村
はてなブックマークは安全な観客席じゃない。“戦場”なんですよ? - シロクマの屑籠
しかしまだまだ精神科医はロートルなので、そのうち狼陣営と村人陣営しか見えていない。
現在はてなには4つの勢力が有る。彼が提唱したモデルはもはや時代遅れである。
村長(絶対的人狼) 本人は支持を出すだけ。他の狼がいなくなるまで吊ることができない。
精神科医 (狼) 最近血に飢えている印象。 その割に3年ぶりの復帰戦で不甲斐ない姿を見せていて威信値だだ下がり。雑魚ばっかり狩ってないでちゃんとやってほしい。
ブックマーカー(狼) 共食いをすることがある。
増田 (狼) 共食いをすることがある。
はてな村ウォッチスレ(狼) 猫又を殺すことに命をかけている狼陣営からしたら迷惑な狼。
ミニマリスト(狂信者) 思考がシンプルライフな人たち。あらゆることが大雑把。
狼を攻撃しようとして実際は村の不利益になるようなことばかりしており結果として狼陣営に味方しているバk
はてな村奇譚(絶対者) 誰よりも村について詳しいが位階が高くなりすぎて彼のメッセージは誰にも伝わらず誰からも村民扱いされない孤独な神様。
しなもん (占い師) すでに亡き存在。 占い師を失った私たちは誰の導きに従えばよいのか。
あざなわ (霊媒師) 傍観者。死体が出た後でネタにするだけ。彼が試合中に口を出した場合は真っ先に両陣営から吊り・噛みの対象。
hage 、to isyu(共有者)絶対的白。 文句をつけた村人や、共有者騙りをした狼は次の日無残な死体となって……。
? (狩人) 誰も仕事しているのを見たことがない。すでに噛まれて死んだのではないかという説が濃厚。
ブロガー (村人) 狼に襲われるのを待つだけの哀れな存在。いつ噛まれるか戦々恐々としている。
はてな女子 (猫又) 吊ると村人を犠牲にして死ぬ。狼が噛むと狼が殺される。村陣営とは言え近寄りがたい人々。
Naverまとめ系(逃亡者) 斧で脳天かち割られたりしてるけど今日も元気そうでなにより。記事の内容があんまり記憶に残らないんだよね……
アフィリエイター(狐) 占い師に占われると死ぬがこの村に占い師はいないので吊られない限り無敵。潜伏が基本だが名前が売れるまではギリギリのラインの炎上狙いをしかけてくる人もいる。
かくいう私も狐でね(狐) 3年以上やっててまだ儲かってないみたいだけどブログで食って行きたいらしい。オタ充やウェーイ系を騙ることが多い。狐であるがゆえに冬眠していた3年ぶりに出てこようが狼であるかぎりは彼を直接倒すことは出来ない。
サイバー眼鏡 (狐) 狐陣営は失うものがなさすぎる人が多くて無敵感ある。狐陣営、精神科医のお世話になっている人も多いがブログ一生懸命書くよりまずお薬ちゃんと飲んで休んだほうがよくね?
互助会 (背徳者) 某人財プロジェクトなどのように記事の内容はよくても互助会認定されると村から吊られる。彼らが狐の代わりに吊られ続ける限りは狐陣営は戦力が温存され続ける。
ウェーイ系 (恋人)
子供を作ることが生物の本能でそれが自然だとか抜かすバカは、レイプでも肯定すんのか?発情期には所構わず犯しまくりか?おまえんとこのガキもそうやって作ったのか。
遺伝子を残すのが本能で、他人の事情や意思なんか関係ないんだろ?子供作れなきゃ生物として失敗か?生きる価値はないか?
おまえらはそういう世界に住んでるんだろ。一生こっちに関わんな。
お布施払って自分だけには御利益があると信じてると公言するとか、完全に狂信者じゃねえか。
子供作らないなら老後は他人の子供の厄介になるなとか抜かすやつ、てめーは子供のいない人の世話になるな。社会から外れろ。
自分の世話させんのが子育ての目的なら、さっさとガキに尻穴でも舐めてもらえ。
ていうか想像力のないてめーにかかった子供なんてまともに育つわけねーだろ。
おまえの老後なんて誰も世話しねえよ。
十年後にはこんなやつらのガキで溢れてるとか、ゴミ溜めもいいとこだ。
まともになれ。
神 ジョブズ本人
狂信者 ジョブズがスーツを着たイケメンだったときからのアップル信者
大福 ジョブズがただの禿散らかしたデブだったときからのアップル信者
安倍自民党に欠けているのは丁寧な法律的手続きであり、批判している野党に欠けているのは
日本が置かれている現在の状況の認識能力と安全保障に対する意識である。民主党などは
自民さえ攻撃できれば日本の安全保障などどうなってもいいと考えているわけで、
もし安倍が懇切丁寧に説明をしたところで聞き入れることはないだろう。
であるから自民党はこのまま数で押し切って法律を成立させるしか無い。
日本は、名分にこだわる振りをして与党の足を引っ張りたいという野党を無視をして実利を取ることになる。
反対だけしていれば議席が守られる日本の野党議員のレベルの低さが政治の足を引っ張っている。
本来国会で議論すべきは法案が合憲か違憲かではなくて現在及び将来の日本の安全保障であるべきで
必要であれば憲法を変更する議論も積極的に行われなければならない。
僕がからかったら、百万人がチョコレートは体重を減らすのだと勘違いした。その手法。
I Fooled Millions Into Thinking Chocolate Helps Weight Loss. Here's How.(John Bohannon)
(訳注:増田の新たな可能性。さあ英語ブクマ勢よ!添削し、正しい文を提示するのだ!)
「チョコレートで痩せる!」 こんな見出しが踊った。ドイツ人研究者チームが、毎日チョコバーを食べると低炭水化物ダイエットよりも10%も早く体重が落ちることを発見した。その記事は、ヨーロッパ最大の日刊紙のトップページを飾った。ジャーマンウイングス9525便墜落事故続報の真下にだ。それからそれは、インターネットの遥か彼方まで飛び火した。20を超える国と、半ダースもの言語に翻訳されてニュースになった。ワイドショーでも話題となった。それは最新のシェイプ6月号((訳注:つまり北米版「Tarzan」な))特集として、艶やかな印刷で現れた。(「何故あなたはチョコレートを毎日食べなければならないか」p128)研究では、チョコレートは体重減を加速させるだけでなく、コレステロールレベルを健康値にし、幸福度を増大させる効果があることも発見された。Bild(ドイツの新聞)の記事は、研究の筆頭著者であるIDH(the Institute of Diet and Health)リサーチ・ディレクターJohannes Bohannon博士の談話を引用した:「この手法の優れた点は……チョコレートはどこでも買える」
僕がJohannes Bohannon博士だ。まあ、実は本当の名前はジョンだし、僕はジャーナリストだ。僕は博士号はちゃんと持ってる。でもバクテリアの分子生物学ので、ヒトのじゃない。The Institute of Diet and Health((訳注:どう訳しても馬鹿っぽい……))?ウェブサイト以外には何も無いよ。
ささいな点を除けば、研究は100パーセント本物だ。同僚と僕は、ちゃんと実在するドイツ人被験者を雇った。僕たちは実際に臨床試験をしたし、被験者には色んなダイエット法を無作為に割り当てた。それに、統計的に有意な効果がチョコレートにはあるって報告は、実際のデータに基づいている。それは、実際の所、ダイエットの実地調査としては公平で典型的な研究だった。ひらたく言うと:それはヒドイ科学だった。 結果には意味が無いし、世界中の百万もの人々がメディアでがなり立てた健康の手法は、まったくもって根拠が無い。
僕らは、いかにしてやったか。
僕は、去年の12月にピーター・オネケンって名前のドイツのテレビリポーターに呼ばれた。彼と協力者のダイアナ・レーブルは、クズ科学ダイエット産業のドキュメンタリー番組に取り組んでいた。彼らは、ダイエットブームの背後にあるダメ科学入りのニュースが、どれほど簡単に作り出せるかのデモンストレーションを手伝って欲しいと言ってきた。そして、オネケンはとんでもないスタイルを望んだ:それを使って、ダイエット研究とメディア企業の腐敗を明らかにする。
呼び出し自体はそれほど驚かなかった。去年、僕は載せるのにお金を取る学会誌(オープンアクセスジャーナル)への囮作戦をやったからだ。アカデミック出版ビジネスの中で急成長中の、儲かる新しい分野だ。そういった出版社のうち何社が約束通り厳格なピア・レビューをするのか見つけるために、僕はバカバカしい欠点だらけの論文を送って、いくつ拒絶されるかカウントした。(答え:半分よりちょい少ない)
オネケンとレーブルは、全て揃えた:被験者を雇う為の数千ユーロ、研究する為のドイツ人の医者、それにこっちに都合の良いデータをこねくりまわす為の統計学者。オネケンは、僕の学会誌に対する囮と風刺の結果を聞いていたし、僕がどうやって出版させれば良いか知っていると考えていた。 唯一の問題は時間だった:この番組がドイツとフランスのTVで放映されるのが、晩春の予定だった(これは来週初放映)、だから実にたったの2,3ヶ月しかなかった。
どこかで出版できるか?たぶん。でも、その後は?僕はこれは正直失敗すると思った。僕ら科学ジャーナリストは、一般人よりは賢いだろうとの自負が有る。結局のところ、僕らは難解な科学の研究について、十分に説明できる程度には理解しておく必要があるわけだ。そして、科学的な素養を持たない記者でも、ほんのちょっとでもこのネタの為に裏取りしたら?本物の栄養学者でなくても、ちょっとした科学的素養を持つ誰かが相手なら? 彼らは、その研究がどんなにオカシクてモロいか気がつく。言うまでもないけど、ググってもJohannes Bohannonの名前も、彼の研究も、全然出てこなかった。ヘルス・サイエンスの記者連中は、ワンマイル先からでもこのごまかしを嗅ぎつけると思った。でも、できるだけ悲観的には聞こえないように、僕は言った。「これがどうなるか、、まあ見てみようよ」
オネケンとレーブルは、迅速だった。彼らはフェイスブックを使って、3週間のダイエットで誰にでも150ユーロを出すと言ってフランクフルトの被験者を募集した。ドキュメンタリー番組だってことはクリアに説明したけど、それ以上の詳細は伏せた。 寒い1月の朝、5人の男性と11人の女性が現れた。19歳~67歳だった。
この悪ふざけにノッた一般開業医、ギュンター・フランクが臨床試験を実施した。オネケンは、疑似科学ダイエットをこき下ろしたフランクの本を読んで、彼を推した。ダイエットサプリとしてビターチョコレートでテストしようというのは、彼のアイデアだ。なんで?と聞いたら、フランクは「自然食品」狂信者は気にいるだろうって言った。「ビターチョコレートは、マズイ。だから、体に良いハズだ」彼は言ったもんだ。「宗教に似てるのさ」
アンケートと血液テストで、被験者が摂食障害や糖尿病やその他の病気で無いことを確認した後、フランクは被験者たちを3つのグループに無作為に割り当てた。1つ目のグループには低炭水化物ダイエットを割り当てた。次のには、同じ低炭水化物ダイエットに加えて、毎日1.5オンス(42グラム)のダークチョコレートを。そして、残りのコントロールグループには、今のダイエット法を全く変えないように指示した。彼らは21日間、毎朝体重を測って、最後にアンケートと血液テストを行った。
オネケンは、ゴリゴリ数字を弄る為に友人で金融アナリストのアレックス・ドロステハールに頼った。週末に1樽ビールを差し入れた後……ビンゴ!低炭水化物ダイエットグループは5ポンド減量して、コントロールグループ(何もしてないグループ)の平均体重は、上下動ゼロになった。じゃあ、低炭水化物ダイエット&チョコレート組は?彼らは10パーセント早く痩せてた。かてて加えて、統計的に有意な差異として、チョコレートグループだけはコレステロール値と幸福度調査の値が良くなっていた。
何考えてるか判るよ。
この研究でチョコレートグループの体重減が早いのを見せたかったんじゃ-信頼しちゃダメじゃない?科学的じゃないんじゃない?
ここに、ダーティーでちょっとした科学の秘密がある:もし少人数に対して大量の物事を測定するなら、キミは「統計的な有意差」って結果をほぼ間違いなく手にすることができる。 この研究では、18種類も測った-体重、コレステロール値、ナトリウム値、血中タンパク値、睡眠品質、幸福感、ナドナド-たったの15人から。 (一人は落とした)この研究は、偽陽性のレシピで設計された。
計測対象を、くじ引きのクジだと考えて欲しい。クジはそれぞれ「有意な」結果を出すチャンスがあって、ストーリーを紡いで、メディアに売り込むための可能性を持ってる。もっとクジを買えば、たぶんもっと当たりやすくなった。上手くいくかは判らなかった-大見出しを賑わしたのは、チョコレートが眠りの質を良くするだったかも知れないし、血圧を下げるだったかも知れない-でも、最低ひとつは「統計的に有意な」結果が得られる可能性はかなり高いと判ってた。
ある結果が小さなp値を意味する、というフレーズを良く聞くかもしれない。このpと言う文字には言霊としての力があるんだが……まあ、ただのデータのSN比(信号対雑音比)という単位だ。 「有意」であるため閾値(カットオフ値)は、普通0.05だ。それは、5%の確率でその結果がランダムな影響かもしれないってことだ。 たくさんクジを買えば、偽陽性のチャンスを得る可能性は上がる。どれだけクジを買えば良い?
測定項目が18個あれば、p < 0.05となる「有意な」結果を得られるチャンスが60%を超えた。(測定項目は独立していなかったので、もっと高かったかも)このゲームは、僕らに有利に組み立てられた。
これをp-ハッキングと呼ぶ-0.05未満のpを出すために、実験手法とデータをこねくりまわす-そして、これは大きな問題だ。ほとんどの科学者は誠実だが、無意識にこれをやってる。彼らは結果が思い通りじゃなかったら、自分たちがしくじったと思い、「上手くいく」まで繰り返し実験をし、「異常値」を落とす。
ただ、p-ハッキングを避けようと注意したとしても、僕らの研究は(不幸なことに)被験者が少なく、コントロール出来ない要因に大きく影響を受けた。ひとつ例を挙げる:ある女性の体重は、月経サイクルで5ポンド(2.27キロ)も変動したが、これは低炭水化物ダイエットグループとチョコレートグループとの差よりもずっと大きい。これが、大量の人を対象にし、年齢や性別をバランスよくグループに取り入れる必要がある理由だ。(僕らは気にしなかった)
キミは、僕らの結果を解釈するのと同じくらい、紅茶を飲み終わった後のお茶っ葉の形を読んだほうが良い。(訳注:ハリポタにも出てくるが、茶殻を読む占いってのが有る)チョコレートは、体重減加速器かもしれないし、もしくはその反対かもしれない。キミは、ノンチョコレート低炭水化物ダイエットグループも、何もしてないグループも、同じくらい信用してはいけない。何もしてないグループの人達が何を食べたか、誰が知ってるんだ?僕らは聞かなかったけど。
幸運な事に、科学者達はこの問題に賢く対応している。いくつかの学会誌は、科学者たちのより良い習慣となるよう、p値の有意性をテストする段階にある。それに、もはや誰も研究対象の被験者を30人以下にはしない。りっぱな学会誌の編集者は、ピア・レビュアーに送る前に、即座に拒絶する。だけど、評判よりもお金のことを気にする学会誌も多い。
僕らの科学的なブレークスルーを、世界とシェアするタイミングだった。すぐに出版させなきゃいけなかったけど、ダメ科学だし、僕らはピア・レビューを完全にスキップする必要があった。 都合良く、手元にニセ学会誌のリストがあった。(これは僕のリスト、こっちは別のリスト)ちょっとタイトなスケジュールだったから、僕らは同時に論文を出した-「減量加速器としての高カカオ・チョコレート」-20の学会誌に。そして、幸運を祈りながら待った。
僕らの論文は、複数の学会誌に24時間以内に受け入れられた(アクセプトされた)。言うまでもないけど、僕らはピア・レビューに全く直面しなかった。熱烈なアプローチをしてきた、医学国際アーカイブ(the International Archives of Medicine)誌に、最終的には決めた。そこは、巨大出版社BioMedCentralによって運営されてるけど、最近オーナーが変わったばかりだった。出版社の新しいCEOであるカルロス・バスケスは、僕らの出した「傑出した原稿」をちょうど600ユーロで「我々の素晴らしい学会誌に直接掲載しよう」とJohannesにメールしてきた。(訳注:忘れてる頃だろうが、Johannes Bohannon博士はジョンの偽名だ)
アーカイブの編集者は「ジャーナルに提出されたすべての記事は、過酷な方法でレビューされる」と主張してたけど、僕らの論文はオネケンのクレジットカード決済が通ってから2週間以内に出版された。一文字も変更されなかったよ。
論文以外でも、ちょっと仕掛ける時間はあった。僕は、科学的なPRの仕事をしてる友達の友達を呼んだ。彼女は僕を通じて、見出しに載せるためのいくつか卑怯なトリックを使った。毎日僕が触れてるモノの別の側面を聞いて、ゾッとした。
コツは、信じられないほど怠惰なジャーナリズムを利用することだ。もしキミが正しく情報を紙面に反映できるなら、キミ自身がメディアに記事を書くのとほとんど同じくらい、中身を理解してるってことだ。事実、多くの記者たちが(文字通りの意味で)僕らのテキストをコピペしかしなかった。
僕のでっち上げたプレス・リリースをちょっと見て。全部入りだ。記者の専門語で:セクシーな導入部、判りやすくざっぱなグラフ、いくつかパンチの聞いた引用文、そして意外なオチ。さらに、すでに主要なポイントは詰め込んであるので、科学的な論文を読む必要が全く無い。 僕は正確さに特に注意した。記者連中を騙すというよりむしろ、論文についての完全に典型的なプレス・リリースで釣ることがゴールだったからだ。(当然、被験者の数や、グループ間の体重の差がすごく小さいことは書かなかった)
でも、良いプレス・リリースだけじゃ不十分だ。記者連中は、見出しに載せるなにか可愛い「アート」に飢えてる。
だから、オネケンとレーブルは、フリーランスのアーティストに依頼して、チョコレートと体重減少についてアコースティック・バラードとラップを作成させて、いくつかプロモーション・ビデオ・クリップを作った。(ほとんどどんなことでもインターネット上でやってもらえるってことが判るだろう)
オネケンはドイツ語のプレス・リリースを書き、ドイツの地方メディアに直接出した。記事の「専門的な」裏付けは、とても魅力的だ。たとえそれが嘘でも。そして、ドイツ語のプレスリリース爆撃はオーストリアでネットサービスから出て、イギリスでもニュースワイアー(訳注:海外にあるオンラインニュース配信サービス)の外に出た。品質管理なぞ無かった。それは記者連中に託されていた。
僕は、世界中で爆釣れしている中、自慢と嫌悪が混ざり合ったなんとも言えない気持ちになっていた。
餌に喰いついたと気がつく前に、デカイ魚を釣り上げていることすらあった。Bild(新聞社)は、急にこの記事を書いた-「チョコレートを食べてもスリムなまま!」-全然こっちに連絡無く。すぐに、デイリー・スター紙、アイリッシュ・エギザミナー紙、コスモポリタンのドイツ語版サイト、インド版のTimes紙、ドイツ版とインド版のハフィントン・ポスト、それにテキサスのテレビニュースとオーストラリアの朝のトークショー、に気がついた。
記者連中は、とんと僕にコンタクトしてこなかったけど、してきても投げやりな質問だけだった。「なぜチョコレートで減量が加速すると思いますか?読者に何かアドバイスは?」ほぼ誰からも被験者数については聞かれなかったし、誰も数は報道しなかった。誰一人として、他の研究者に聞いていなかった。他の研究者の引用は、無かった。
これらの刊行物は、大量の聴衆を操るけど、必ずしもジャーナリズムの美徳の鑑ってワケじゃない。だから、新しい見出しのためにちょっとしたデジタル撒き餌でも簡単に食いつくのは、別に驚くことじゃない。ベージビューを収穫して、次に行くだけ。でも、(恐らくは)厳格な地方局でも、同じように研究の穴を見つけることは出来なかった。
僕らの研究を伝えるシェイプ・マガジンの記事では-6月号の128ページを見てね-校正係(fact-checker)を雇っていたけど、でも他と同じようにやる気が無かった。校正は全部含めても、2,3の文の正しさと、僕の名前の綴りの確認だけ。校正範囲は、減量を促すチョコレートのカカオ含有量(81%)、2つのブランドの特定だけだった(食料品店とアマゾンで買える)。
いくつかは銃弾を避けた。ある男性向け健康情報誌の記者は、Eメールでそれほど厳密では無い質問をいくつかしてきた。彼女は、9月号の記事を予定していると言ってたので、僕らはその記事がどうなるかは全く判らない。
じゃあ、最も期待はずれだったのは?誰一人として、チョコレートミュージックビデオを使ってくれなかった。その代わり、みんなどことなくポルノチックなチョコレートを食べる女性のイメージを使った。たぶん、この音楽に僕らの生活の真実ってやつがにじみ出ているからだろう:
なんで気にする必要がある?必死に信用できる情報を求める人達は、ズラッと並んだダイエットガイダンスに戸惑ってる-塩は悪い、塩は良い、タンパク質は良い、タンパク質は悪い、脂質は悪い、脂質は良い-まるで天気みたいに変わる。
でも、科学は明らかにするよね、ね?今は、肥満を疫病のように言ってて、トップクラスの科学者達に資金が注入されてる。いずれ原因と治療法をクリアに答えてくれて、雑音は止む。
もしくは、そうじゃないかも。
公平に見て、十分な資金を持ち本当の減量科学の研究をしているところでは、混乱してて、結論を出せていない。非営利の栄養学推進機関(the Nutrition Science Initiative)共同設立者で外科医のピーター・アティアは嘆いている。例えば、女性の健康促進(the Women’s Health Initiative)-その種の調査で最大のものの一つ-で、ダイエットと健康についていくつかが明確になった。アティアは 「その結果は、混乱するものでした」と言う。「彼らは、10億ドルを費やしても、低脂肪ダイエットが良いか悪いか証明できなかった」アティアの非営利団体は、基本的な質問の答えを探すために、1.9億ドルを調達しようとしている。でも、肥満の科学に注意を向けるのはひどく難しい。彼は言う「あまりにも雑音が多すぎる」
キミは、僕みたいなのに感謝することが出来る。僕らジャーナリストは、日々のニュースという獣を養う必要があって、ダイエット科学は打ち出の小槌だ。読者は、赤ワインの効能やフルクトースの危険性について、十分な記事を読めない。一般的な関心事というだけでなく-それは、1日に最低3回は必要という決定に関連している-それは科学だ!僕らは、どんな報告でも、家から出る必要は無い。僕らは、メールボックスに届いた科学的なプレス・リリースを、デイリーニュースという小川にちょっと浸す。そして、ストックしといたスナップ写真を貼り付けたら、完成。
ダイエット科学の唯一の問題は、それが科学であるってことだ。キミは、科学の論文の読み方を知っている必要がある-さらにいえば、本当はやってみる必要もある。とても長い間、人々はゴシップみたいにこのインチキと同じプレスリリースに飛びついては流行を作ってきた。願わくば、この小さな実験が、記者連中や読者を、もっと疑り深くしてくれますように。
もしも、どれだけの被験者を対象としたか明らかにしない研究、「統計的に優位」と言うにも関わらずどれだけ影響が大きいか言わない大胆なダイエット法が発表されたら、キミは「なぜ?」と思うはずだ。でも、大抵の場合、僕ら(訳注:忘れた頃だろうが、科学ジャーナリスト)はやらない。 残念だけど、ジャーナリストは事実上、相互評価(ピア・レビュー)のシステムで動いてるからだ。そして、僕らが失敗すれば、世界はジャンクサイエンスで溢れかえる。
この悲喜劇にも、希望の光はあった。記者連中が僕らの「発見」を吐き出している間、多くの読者が思慮深く、疑い深かった。オンラインのコメントで、彼らは記者連中が聞くべきであった質問をポストした。
「なぜ、各個人のカロリーを計測していない?」ボディービルフォーラムで読者が質問した。「このドメイン(IDHのウェブサイトのモノ)は、3月に登録されてて、大量のブログやニュースは、この研究以外には触れていない(ググれ)。これは誰かが背後に居るぞ」ドイツの主要なオンラインマガジンの内の一つ、FOCAS Onlineの読者が言った。
また、先見性のある読者が、4月4日のデイリー・エクスプレスの記事にこうコメントした。「栄養学は毎日がエイプリルフール」。
更新:the International Archives of Medicineのウェブサイトからは取り除かれちゃったけど、ココで読めるよ。
(訳注:修正済みのためCorrectionは訳さず。あと、何箇所か言い回しが怪しいので、適宜修正するよ)