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2015-05-06

限定商法について思う

浮世絵にはまった増田です。

突然だけど、ビックリマンシールを集めるように、浮世絵を集めるようになってくれないかなと思う。

子供でも版画の美しさはわかる

ビックリマンのなにがすごいって、ただただ美しいいからというだけでブームを作ったこと。

シールに遊び方があったというわけじゃない。

しか「貼られたら貼りかえせ!」と書いてあったが、そんな遊びをしてるやつはいなかった。

コミックアニメが展開したけれど、あくまシールの人気にのっかっただけ。

コミックアニメの人気にシールがのっかったのではなかった。

子供でも、美しいものは美しいとわかるいい例だと思う。

今にして思うと、ビックリマンシールって、どうみても浮世絵役者絵だと思う。

ポージングや、レイアウトなんかがズバリ

大きく見栄を切り、枠のなかにタイトルがバシっと入る。

背景は描かれず、幾何学模様やキラキラさせたり。

加えて、旧ビックリマンシールって、今の平板印刷じゃなくて、アキバ売られてるイルカの絵と同じシルクスクリーンだった。

インクの盛り上がりが気持ちいい、一種の版画だった。

浮世絵は意外とお買い得

余談だけど、浮世絵大判が35×25だとして、ビックリマンシールが5×5cmとすると、大きさにして35倍。

ヘッドの封入率が約1/40 。

今売られている復刻浮世絵は、ヘッドシール以上に凝った細工がしてあるので、

35×40×30円=42000円

くらいまでは適正価格だと言えなくもない。

復刻浮世絵は1枚あたり1~2万円、なんとお値打ち

いや、4万もしちゃったら子供は買えないから、1枚1000円くらいじゃないと無理だけどさ。

版画家限定商法をやめたほうがいいと思う

特に現代木版画だと「限定○部」みたいな売り方してるけど、あれはやめたほうがいいと思う。

木版画って、ビックリマンシールと同じで、手にとって、生で見ないと美しさがわからない。

それでも、高級品として額にはめて壁に飾られたいのか?

それで本望なの?

一枚あたりの価値高まるのは理解できる。

でも、それって、希少だから貨幣価値が高まったというだけで、作品芸術性が高まったわけではないでしょう?

限定商法衰退史

手軽に聞けるウォークマンラジカセが普及して、高級オーディオは衰退の一途を辿った。

そこでオーディオ業界は取るべき道を誤った。

限定生産で、付加価値を高めるという方法だった。

結果は今の通り。

ミーハー金持ちと、狂信者だけという有様。

いい音を多くの人に届けていれば、そうやって品質アピールしていけば、もしかしたら生き残れたかもしれないのに。

木版画市場も同じ一途をたどると思う。

印刷技術が発達して、写真ディスプレイで見るぶんには区別がつかなくなった。

高級品として額に入れて紫外線をさけてアクリル板を挟んで飾ることを推奨するような売り方をする理由がわからない。

そもそも、市場は死んでる。

ネームバリューのある作家以外は、限定部数にしようがしまいが、ヤフオクでの値段は知っての通り。

財テクとして買うんだったら、絵なんかじゃなくて株券でも買うだろ。

常識的に考えて。

反論もあるだろうけど

ビックリマンシールが廃れた原因が、公取委指導でヘッドカードの封入率が上がり、レア度が下がったからという意見がある。

自分はそうは思わない。

レア度が下がったからではなくて、封入率が高くなったことで原価を圧迫して、シールクオリティが低下したからだ。

まとめ

限定商法というのはいずれ終わる。

流行りモノ好きと信者しかついてこなくなるからだ。

流行りモノ好きが飽きたら、信者から搾り取るものがなくなったらそこで終了だ。

田中義剛が、

「発想の転換であえて少なく作る」

みたいなことを言っていたが、ぜんぜん同意できない。

ここ十年くらいは、

品質がいいだけじゃ売れない」とかなんとかで、ブランディングが人気のように思う。

高く売るまではいい、品質がいいのなら。

でも、肝心な「多くの消費者」に届けることを放棄したら、終わる。

聞いてるか版画業界、聞いてるか音楽業界、聞いてるか衣料業界、聞いてるか食品業界

2015-01-02

Natural Color Phantasm Vol.101999年美少女ゲーム総括』

イントロ

今回の【N.C.P.】は、『へっぽこ通信』のへっぽこくん氏と二人で、1999年度のベスト5を選ぶ……という、年間総括だったりします。あと、例によって筆者の暗い文章。とほ。

1999年ベスト5(へっぽこくん

おいら的に今年やったゲームって事で……(汗) 発売は去年かも……多数?

Kanon

ぱすてるチャイム

3 がんぶる

days innocent

EDENDOLL

1→久々にやりまくりでした~音楽と絵のタイミングがよかった。

2→コレットさんが成長しちゃうところがマイナスですが、ぶかTシャツスパッツはよい。

3→全てが丁寧に作られた感じがよいいなり。ただパッドがないと最後つらかった。

4→一部当てはまらないけど、精神的にはみんなずーれーだから

5→はじめて、ごんぽりーな女の子が可愛く見えた。(EDENは今年の作品なのかわからないけど……やったのは今年)

個人的総括】

 うーん、今年はKanonですかねぇ~。何はともあれ、音楽が好きかも~。当時はアレンジCD聴きまくってました。オープニングからかっちょよろしくて、ぶるぶるきました。他的には……う~ん『days~』がえろ~すゲームとしてはえろかったかなぁ。後は可愛いので選んでしまった感じ。

 実際、まだ全部のゲーム終えれてないので、今やってるママトトとかがランクインしてた可能性もあるんですけど、いかんせん、おいらゲームはじめる前にねかして熟成した頃にやるから(^^; 故に、ママトトやダークロウズは、すでに来年ゲームな位置づけなり。個人的には、大作なえろーすRPGをやりたいなり~(闘神都市2みたいな)

1999年ベスト5(更科修一郎

実は、キャラ的には沙耶(ぱすてるチャイム)だったりします……へふ。

フロレアール

Kanon

とらいあんぐるハート

くるみちゃん あ・そ・ぼ◆

5 憧れ

#「◆」はハートマーク代用です。

1→巧みに構築された論理悲劇……と書くと『総長賭博』っぽい?(誰も分かりません)

2→バランスの悪さはあれど、印象は強烈。でも、えろげーとしてはちょっと辛いかも……(全年齢版出るけど)。

3→昔気質ラブコメ魂と意地を感じさせる作品だと思う。中毒性はメチャ高い。

4→個人的なツボにストライク親子丼……え、えろ~……。

5→アダルト上品に抑えた雰囲気ナイス女教師ゲーとしては最強かも。

個人的総括】

 今年はエロゲー界のチェ・ゲバラこと、臭作さんのようなヒーロー不在で寂し……もとい、昨年に比べると、大手・中堅メーカーに意欲作が少なく、面白みに欠けたかも。大作ばかりでなく、味のある小品がもっと増えないと、全体の層が薄くなる一方だと思う……。

 あと、恋愛描写の水準は強まっているけど、全体的にえっち度が弱まっているような感じが、ちょっとあるなあ……。キャラ萌えストーリー重視な流れの弊害かも知れないけど、えろげーはやっぱり、エレクチオンさせてナンボ!って気はするですね(小池先生ライクな台詞)。……いや、Kanonもかなり好きですが~。

■本文。

 親がとある新興宗教狂信者だったので、生まれからずっと、カルト的なコミューンの中で育った。ある時、その閉鎖性に気づいて、家を飛び出した。でも、辿り着いたのは、[オタク]という別のカルトだった。

 それはそれとして、1999年美少女ゲーム界で最も気になっているのは、ジャンルとしての共通言語が失われつつあるな、ということだったりする。[萌え]と[泣き]の両極がそれぞれ先鋭化し、カルト的なコミューン形成されつつあるようにも見えるのだ。具体的に書く気すら起きないが、コミケ企業ブースやデジフェスで、毎回決まったように起こる混乱は、そのあたりの空気微妙に表していると言えるだろう。

 量的な飽和と多様化が、ユーザーの細分化をもたらしている。そのこと自体は悪くないと思うが、それがカルト的な求心力を持ってしまうことには、危惧を抱かざるを得ない。そして、[萌え]=キャラクター志向派、[泣き]=ストーリー志向派……という図式が発展していく過程で、両者がそれぞれ保守化し、一部では対立の構図も見られるようになっている……というのは、美少女ゲームというジャンル全体を考えるに、不幸な結果しかもたらさないのではないか? という気がするのだ。

 早い話が、筆者が、ある陣営ゲームについて、コラムを書くだけで、別の陣営には激悪な印象を与えている……という状況が、厳然と存在していて、どうも息苦しいのだ。

 さっき、「カルト的」と書いたのは、特定イデオロギーを通してでしかゲーム人間関係判断できない人が、あまりにも増えてしまたからだ。元々、美少女ゲームには、フェミニズムマッチョイズムに属することのできなかった人々にとっての宗教という側面はあるが……。

 例えば、神仏を信じられない人のために、心霊主義スピリチュアリズム)や科学信仰があるように、それ自体はごく自然ものなんだけど、行き過ぎると単なる狂信者になってしまうのは、どちらも同じだ。筆者も、昔は狂信の極みにいたしね。

 だから、このコラムも、印象批評的な文章はすっかり書けなくなってしまった。どうしても状況論的なものに終始してしまうのは、印象批評を書いた瞬間に、どちらかの陣営に与したと見なされ、筆者の友人は半分に減ってしまうからだ。これがまた、かなり実話だったりするから笑えないんだけどさ……。

 別に萌え]でも[泣き]でも、どちらでもいいのだ。出来上がったゲーム面白ければ。いや、本当に心を動かされるような良質の物語は、[萌え]と[泣き]を内包しつつ、そんなイデオロギーの枠組みすら超えてしまうはずなのだ。だいたい、イデオロギー抜きの意見を述べるのが最も難しいという状況は、冗談抜きでふざけているとしか思えない。好きなゲームを好きと言えないって、どういうことだい?

 まあ、美少女ゲーム業界に限らず、どこの世界でもそうなりつつあるのは確かである編集ライター生業とする筆者の周辺でも、オタク系とサブカル系でお互い反目しているので、人間関係では要らぬ苦労を強いられる。全てのジャンルにおいて、そういった対立構造が必ず存在し、延々と繰り返されているメビウスの輪の中で、閉塞感だけが肥大していく……そんな悪夢が年々、増幅されているような気がする。

 だから、もう嫌なのだオタク世界全体に漂っている、奇妙な停滞感が。何より、汲み取るべきものが見当たらないから、何も編集する気が起きないし。よって、編集者としては、秋から休業中だったりする。なんだか、自分の話ばかりで申し訳ない上に、冒頭から変なことをカミングアウトしているんだけども、今回の年間総括は、この連載を一年近く続けてきた、自分に対しての総括でもあるのです。申し訳ない……。

 最後に、[萌え][泣き]……どちらにしても、[癒し]を大量消費している構造には変わりはない。問題は、[癒し]という概念が、思考暴走を抑えるという、本来意味を失い、思考停止の為だけに使われていることである。何も考えないために、生まれてくる全てのものを消費していくのだとしたら、これほど不毛なことはない。これはもう、「終わらない日常」どころじゃない。だいたい、始まってもいないのだから何となく、『キッズ・リターン』のラストみたいだけども。

 この状況に対して本当に必要なのはノイズを削ぎ落とし、完成された構造作品ではなく、むしろノイズとされてしまった要素を積極的に取り込み、想像力領域を拡げ……ポストモダンを超えていく作品だと思う。新しい[魔法]の材料は、ノイズの中にしかないのだから

 しかし、閉塞を乗り越えた作品も時が過ぎていくにつれ、カルトに取り込まれ、更なる閉塞へ向かって保守化してしまう。そう、どんなに素晴らしい魔法も、[メディアミックス]という名の魔物による、カルト性を帯びた資本主義洗礼によって、いつかは解けてしまうのだ……。

 もっとも、商売としては、カルト化して、一定数のユーザー信者から、大量の金を収奪するシステムにしてしまった方が、美味しいんだろうけど……その辺は、世間を騒がせている『法の華』や『ライフスペース』の事件を見ても分かる通りで……カルト信者ほど、財布の紐が緩い人々はいないからねえ……。

 それでも……いや、だからこそ、作り手とユーザーは、次々と新しい魔法……新しい物語を目指さなければならないのではないだろうか?

 それは、思考停止して閉塞へと向かっていくカルトの罠から、自立していくために必要なことだ。更に言えば、進化と消費は、セットであるべきもので、乖離してしまっては、全く意味を成さないのだ。

 つーか、逃げるために消費するのは、もう止めようや。キャラクターへの愛情は、グッズに注ぎ込んだ金額じゃ計れないんだぜ!(←バカ

■総括の総括というか、感想

 毎年恒例(?)年間総括……と思ったら、周りにバランス良くえろげーをやってる人が、へっぽこさんしかいないという……いや、それ以前に、えろげーをバリバリやってる人もいない……何故~?

 という訳で……へっぽこさん、今回は本当に、ありがとうございました~。

2014-12-29

増田に書けばフィクションって事で許されるよね!15

さあって、一日で一年分稼ぐ日が近づいて参りましたよっと。

例によって例のごとく迷信深い原始信仰者の日本人連中から今年もガッポリお賽銭頂くわけなんだけど、ところでこいつら本当に神なんて居るとでも思ってんのかねえ。

別に居ないと思ってるけどお賽銭は投げるのかねえ。 皆がそうしてるからなんとなく流れで大切な大切なお金を捨ててるのかねえ。

それって狂気の沙汰じゃないのかねえ。

狂気とは集団定義する常識から大きく外れる行動倫理に対して与えられる呼称であるから、必ずしも狂気=まともな価値観喪失とは限らない』とでも言い訳すんのかねえ。正常性バイアスかねえ。

4~5時間かけて熱心に通ってくる狂信者連中とか見てると、どうも自分精神の中に神もしくは神社でも飼ってて、そいつの内在イメージを維持する為に足しげく神社へ来ている(来て更新している)ような印象を受けるんだがねえ。

程度は違えどまあ、大体の日本人はそういう奴らと同じだって事なのかねえ。

まあ、まずわからん感覚だな。飯食う為になら虚空に向かって頭も下げられるし道化の真似事もしてやるが、仕事以外で頭を下げる気になるのはお金様だけだな。断じて神様ではない。

ん? これは逆に金を信仰しているという事になるのか? さらに言えば、その金を無から生み出す信仰形態にして優れた集金システムであるところの神社を信奉しているようなものなのか? もっと言えば、神に集まるお金様のお陰で現実に飯が食えているという現世利益享受している以上、神の熱烈な信奉者にして狂信者にして理想的神道生活体現者なのか? 単に金が好きなだけで、迷信深いバカどもから金を巻き上げるのにたまらない快感を覚えるだけなのに、なぜこういう事になるんだ?

そんな慨嘆はさておきと。



12月末

祈願者「お正月は混むから年末に来ちゃいましたー☆ やっぱすいてますね!(ミャハ)」

受付者「ええ…。そうですね…。皆様やはり年が明けてから来られますから…。(死んだ目)」



よし帰れ。このそびえ立つクソ野郎

正月に他でもないお前らクソ野郎が何百億千万人も押しかけてくるから年末はその準備作業をしてるんだよ。

なのにフライングして年末に押しかけてきて正月準備を邪魔してるんじゃねえんだよこのクソ野郎

年末にお前らの祈願を延々とやってたら神社はい正月準備するんだよ。そんくらい考えて正月に来るか12月中旬くらいまでに来い暇人野郎が。

年末暇だからって年始行事を先片付けるんじゃねえ。大人しく部屋の大掃除でもしてろ。ホラ障紙の桟に埃が溜まってんだろうが!



1月松の内

祈願者「お昼は混むから夜に来ちゃいましたー☆ やっぱすいてますね!(ミャハミウフ)」

受付者「ええ…。そうですね…。皆様やはりお昼の内に来られますから…。(白目)」



よし帰れ。この口からクソを吐く前と後にサーを付けないクソ野郎

正月に他でもないお前らクソ野郎死ぬほど祈願に押し寄せるから神主様は聖職者様はお疲れなんだよ。

早く帰って風呂入って疲れを落として翌日の仕事に備えてさっさと寝てえんだよ。明日もお前らクソ野郎の相手がたっぷり残ってんだから

それをお昼が混んでるからって夜に祈願依頼に来やがったりなんかした日には神主様は一体いつ寝るって言うんだよ。

それと早朝にドンドコドンドコ押し寄せてきてドンドコドンドコ施錠した扉を叩いて破魔矢くれとか言うのやめろ。ゾンビかお前らは。

睡眠くらいさせろ。神主が白目剥いて受付に座ってたら大人しく祈願は諦めて本殿前で静かにお祈りして帰るくらいの優しさを持て。



あー言いたい事言ってスッキリした。本年の煤払いはこれにて終了と。

2014-10-15

アイドルって難しいね

いわゆるファンは狂信者語源だとか言うけど、好きで応援してるアイドルが他の人を好きになってるっていうのはやっぱ心苦しい物があるね。

でもアイドルとしてのその人じゃなくて、その人自体幸せになってほしいって思った時に色んな恋愛して欲しいって気持ちもないわけじゃない。

恋人がいる宣言をして、婚約をして引退した山口百恵のファンの人達最後の1年はどんな心境だったんだろう。

2014-10-12

狂信者

マララさん、今後も襲撃対象タリバン声明

http://www.yomiuri.co.jp/world/20141011-OYT1T50117.html

本来宗教目的がどっかいっちゃった感じ。

でも、異教徒であるキリスト教徒がどうこうするとまたいろいろあるだろうから

イスラム教内でケジメつけるべきじゃないかな。

2014-08-04

http://anond.hatelabo.jp/20140804033604

嫁がそんなふうに反省するような「まっとうな」「言葉が通じる」人間なら、こうはないっていないだろうな。

こういう輩はカルト宗教狂信者と一緒だよ。

一刻も早く子供は嫁と離すべき。犯罪者にしたくないなら。

2014-07-19

http://anond.hatelabo.jp/20140719222106

逆じゃね

狂信者」と信仰者を笑う視点こそ

ニート特権な気がするけど

何か信じて行動しないと生きていけんからねぇ…

http://anond.hatelabo.jp/20140719212006

あんたも逆ベクトル狂信者じゃん

何かを信じて裏切られるのも怖いけど

何も信じなけりゃいいやってわけでもない

宗教だけのお話でもなかろうよ

しろ、「何も信じない」とか結果的生産性ゼロになるから

ニート特権みたいな話やで

2014-07-01

艦これを毛嫌いしているミリオタもまた、無知なのでは? という疑問と散文

 結局のところ、ミリオタもまた、自分が思っている以上に強く「艦これ」という存在にとらわれているのではないでしょうか。

 これは同じジャンル、同じ町に引っ越してきたあまりにも大き過ぎる存在を、相手はなんとも思っていないのに「仮想敵」として想定して、勝手に敵視している、そのような印象を受けます


 艦隊これくしょんも、影響を受けた作品開発者の推薦作品として「鋼鉄少女」という作品があります

 軍艦擬人化した漫画で、主人公駆逐艦雪風擬人化少女です。艦娘はこの鋼鉄少女デザインラインに強く影響を受けています

 また同時に艦これの開発・企画をした母体であるC2機関は、元々艦船擬人化同人誌を発行していた小さなサークルでもあります


 そしてよく「ただ萌え化しただけ」と批判される艦これ艦娘という存在に関しても、「(ライターが一人であるため多様化対応できていない・描き分けのためにデフォルメを強くしているという難点はありますが)軍艦の来歴に基づいた少女」として描かれています

 艦これ二次創作ではキャラ性ばかりが抽出されてしまますが、ゲーム本編では、実際の戦歴にもとづいて「大戦時の軍艦記憶を引き継いだ軍艦少女」として描かれています

 基本コンセプトは擬人化美少女である以上「萌え」が大前提なのでキャラクター性には一定ベタさが付加されていますが、戦闘に関しては殆どキャラクターが徹底してストイックです。


 ここまで羅列した簡単な艦これの基礎知識に関しても、艦これプレイしていないミリオタ人達は、よくお調べになっていないのではないでしょうか?


 もっと率直にいうと、「艦娘の下着の柄」、言えますか? 「何をバカな」などと言わないでください。

 それは「この戦車が・軍艦が・戦闘機が使える武器は何か」レベルの「知ってる人は知っている知識」なのです。

 知らない時点で、それは無知なのではないでしょうか(あくまでこれは極端な例えなので、無理して軍艦はい女の子の下着を調べなくてもいいです)。


 元々ミリタリー傾倒だった人達艦これユーザーを「知識が足りない」と豪語して批判する一方で、ミリタリー界隈の人達は、あまりにも「艦これ」と「オタ文化流行作品が起こす影響」に無知すぎる印象があります

 「無知艦これユーザーが我々の領地に土足で踏み入ってきた」といいながら、「無知ミリタリーユーザーが突然出現した艦これという要塞を前に、塹壕から顔を出して小銃で撃ち続けている」状態が同時に存在してしまっているのです。

 これはとても悲しいことです。


 話はオタク界隈の流行作品全般に移ります


 例えばかつてのエヴァ現在も続くガンダム東方などでも、現在艦これと同様にオタク界に多大な影響を与えて、同時に様々な風評被害が発生しました。

 リアルロボットをやろうとするとエヴァと呼ばれ、二足歩行ロボットを作るとガンダムと呼ばれ、巫女メイドを描いただけなのに霊夢咲夜といわれ、それらの延長線上で今は艦船擬人化軍艦ネタ艦これ境界曖昧にしている現在があります


 ですが、これら作品に罪はないと断言できます

 常に影響を受け、知識を保有し、類似点を見つけて安堵し、自分無知であることを肯定しないためにそれらの相違点を見つけようとしないのは、いつも人間からです。


 作品が有名になるにつれ、多くの人が増れるにつれ、必ず「バカ」非常識」「狂信者」といったたぐいのファン、フォロワーが現れます

 彼らの極端な行動は目に余るため、これらをみた外野の人もまた単純に「あの作品のファンはバカ非常識狂信者だ」と、また安易な考えに陥りやすいのです。

 ですが、実際にはそうではありません。その作品のファン全員が心ない発言をしたり、それに類する第三者がそのような行為をされたのでしょうか? 


 答えはNoでしょう。その実態は、広まりすぎたあまりに「バカにまで作品が知れ渡った」という事実があり、「一部のバカがそのような行為に及んだ」だけなのです。

 これはファンの分母が大きくなる度に必ず訪れる問題であり、現在ガンダムエヴァ東方カゲプロやそれに類する準ヒット作などの大手で根強く残っている問題で、それがたまたまミリタリージャンル艦これという分母の大きくなった作品が干渉しているだけなのです。

 ミリタリーへの干渉だけでいえばストライクウィッチーズガールズアンドパンツァーなども存在していますが、前者はファンタジー化することで干渉を避け、後者戦車は徹底的に独立して管理しつつ、搭乗者に美少女の要素を付加させる事で住み分けを行っています

 ですが艦これはかつて存在した軍艦擬人化であるため、これら作品に比べて干渉率が高く、そのぶん反発の生まれるのでしょう。


 だから、仕方ないので目を瞑ってくれというわけではありません。

 心ない人間作品ファンになり、外部に向けて心ない行動を取るのは許されたものではありませんから


 だから、好きになれとも言いません(私の知り合いのミリオタにも毛嫌いしている人は大勢ます)。

 ですが、特別敵対しているわけでもない、たまたま大きくなりすぎた同系統ジャンルを敵視して、排斥して、そうして自分の家(艦船擬人化)はここなんだ、と閉じこもる事は、あまり素晴らしい事ではないと思います


 それは確実に、「ミリオタ過疎化」を招いて、「艦これ」の波を大きくするだけだからです。

 純ミリタリー需要拡大のために戦えといっているのではなく、もっと堂々として、毅然としていてほしいだけです。

 艦これプレイしている人達の全員がまさか「知識を持ち合わせない・調べようともしない大馬鹿者たちばかり」だという認識をお持ちなのなら、それはあまりにも早計ではないでしょうか。


 これらの問題は、「艦これ一般的ユーザー」にとっても、悩みの種です。

 争う必要もないのに「艦これをよく調べもせずにWW2知識で噛み付いてくるミリタリーファン(彼らは艦これ世界がWW2当時だと信じて疑っていません)」

 艦これきっかけで戦史に興味を持ち勉強を始めた人に対して「無知艦これユーザーはくるな」と勉強することすら否定して偉ぶる自称ミリタリーオタク

 単純に「気に入らない」だけで粗探しをしているアンチ


 ただ艦これプレイして、楽しみたいだけの人間が、このような被害を受けます

 これは各ミリタリー要素を楽しみたいだけの人間が受ける被害と、全く同じではないでしょうか?

 これは、艦これという母体が大きくなりすぎたために目立ち、そこに目をつけた負の感情をもった第三者面白半分の荒らしなどが関わりだすからです。


 ですので、この「艦これ側の難有りな層」と「ミリタリー側の難有りな層」は全く同一の原因から発生した"お荷物"であり、艦これユーザーミリオタが争う必要は、どこにも存在していないのです。


 いつも敵となるのは、狭量で視野が狭く、自分が常に正しいと思っていて行動力だけはあり口が悪い、そして面白半分で被害を拡大させようとする、そんな人間たちであり、作品全体を敵視する必要はないのではないでしょうか。


 嫌いなら嫌いで構いません。艦これが好きでもミリタリーは嫌いなどというわけのわからない人間もいるでしょうから生理的問題ばかりはどうしようもありません。

 ですけど、何か嫌なことがあった時に「艦これユーザーは厄介」「ミリオタは厄介」とならずに、「今噛み付いてきたこいつがただ厄介なだけでは?」という発想があると、仮想的が個人で済むため、少し気が楽になるのではないでしょうか。

2014-04-13

侵略されたら反撃せずに支配されるべき

憲法九条狂信者の中には、「外国から攻めてきても反撃せず、従うべき。そうすれば命は保証される」とか馬鹿なことを言う奴がいる。そういう奴は、単なるアホ、歴史修正主義者よりも歴史を知らない間抜けと言わざるをえない。

ドイツに攻めこまれたフランスオーストリアオランダとかだと、ホロコーストに協力させられて自国内のユダヤ人を大量に虐殺してる。そういう協力行為を肯定するってことなのか。

2014-03-21

http://anond.hatelabo.jp/20140321103033

ただApple最近の迷走?っていうと言葉は悪いが端から見ててなんか違うんじゃね?って思うことでもベタ褒めしたり、

Apple批評する意見にやたら噛みつく狂信者の類は今も割と見かける

2014-01-23

実家が嫌い

わたしは実家があまりきじゃない。

タイトルには嫌いと書いたけど、嫌いというほど強烈なものではないと思う。居心地が悪いわけでもなければ、過ごしづらいわけでもない。必要ものだって揃っているし、正直いって十分な暮らしをしていると思う。

でもなんとなくいやだ。夜ベッドに入って、ツイッターを見たり、ブログを見たり、友達ラインをしていて、ああいやだなあと感じることが多い。高校ときもっとひどかったと思う。家が嫌いで嫌いで仕方なくて帰りたくなくて、学校が閉まるぎりぎりまで何をするわけでもなく教室に残っていた。1日中泣いていたり、1ヶ月ぐらい毎日保健室に通いつめていた時期もあった。

両親にはそのことを伝えていない。

匿名から書けることもきっとあるだろう。だから今日はどうしてわたしが実家を嫌いなのか書きだそうと思う。これはわたしのまとめだ。わたしのための自分の気持ちの整理のためのまとめだ。でも、誰かに見て少し考えてほしかったのだと思う。そうじゃなければわざわざネットになんて書き込まないのだろう。自分でも自分が何を考えているかからない。

まず母の話だ。

わたしの実家嫌いはきっと母によるものが大半だと思う。料理うまいと父は言うが、正直いって給食のほうがおいしかったように思うし、至って普通料理をする母親だ。お酢が好きで匂いも味もはっきり残るぐらい入れることがあるし、味の濃いものがすきなのか、味噌汁もいつも塩辛くて飲めたものではない。正直な話、どうしても食べられなかったときは母には内緒で鍋に戻すようにしている。母にはばれているのかもしれない。申し訳ないとは思うけれど、捨ててしまうよりは鍋に戻すほうが罪悪感が少なくてすむから、いつも鍋にいれてしまう。ああでも、よく考えたら母が流しにヨーグルトラーメン味噌汁、あげくはご飯まで、食べ残しをそのまま流すところを見るから食べ物を捨てることには抵抗がないのかもしれない。だったら捨ててもいいのだろうか。わたしにはない感覚だな、と思う。

それから、わたしの母には浪費癖があり、ほしいと思ったらすぐに買ってきてしまうところがある。ほしいから、とか、かわいいからとか。便利だから、とか。まだ使えるものが家にはあふれているように思うけれど、気づくとなくなっているから、母は飽きたら捨てているのかもしれない。それか、すぐに物を捨ててしまう父のおかげだろう。母が買って父が捨てる。我が家では当たり前のことだ。自分がほしいと思ったらすぐ買うのか、服やバックも頻繁に買っているような気がする。わたしは今年で20になるけれど、高校卒業してバイトができるようになるまではずっと、毎年1万円分、服が買えればいいほうだった。かばんは基本母のお下がりだったし、下着なんて2年に1回買ってもらえればいいほうだった。わたしは頑張っているから、とよく物を買ってくる母がうらやましくて仕方なかった。

母は家計簿をつけない。だから支出なんてわたしが生まれた20年前から一度もはっきりしたことがない。これを支えているのもお金に関連する仕事をしている父だ。父が毎月、いくら渡すかを計算して渡している。だいたいこれぐらい使ったのだろう、と父がいるからわかるけれど、父がいなかったら我が家はずっとその場しのぎでしか生きていけない家なのだ言葉を度忘れしてしまった。なんていうんだっけこういうの。

ヒステリックで、母に非があるような物言いをすると怒鳴り散らす彼女が、わたしは怖くて仕方ない。母が横でしゃべっていると口を挟んではいけないと思ってしまう。三者面談とき基本的に下をむいて黙り込んでいるのが常だった。何をいっても怒鳴られるように思うので、なるべく母の前では母の意見肯定的になるよう返答している。いやなことでも一応はウン、といっておく。あとからどうしてうんといったのにやらなかったのだ、と怒られる。ごめんなさいと謝るけれど、母は最後に決まっていう。「あなたうそつきから」「どうしてこんな風になっちゃったのかしら」。

中学1年のとき、わたしは母に首を絞められたことがある。私立中学に入ったのに空気が肌にあわなくて不登校になったからだ。そのあと結局公立の中学に転校したけれど、転校するまでの1ヶ月間、どうしていかないの、早くいきなさい、当たり前のことにもウンウンと返して、でもいかない、を繰り返すわたしに、母がキレてしまった。玄関で押し倒されて首を絞められた。よく覚えていないけれど、息がすえないことにびっくりして、それから目が圧迫しているときみたいにちかちかして、わけがからなくて暴れたように思う。離してもらえて首をおさえて放心していたら、母が泣いていた。泣きながら彼女が言った「あんたなんてうまなきゃよかった」という言葉をわたしは今でもよく思い出す。

次は父の話だ。父の話、といったけれど、本当に父のことに関しては書くことがない。あるといえば男尊女卑の傾向が強くて、口答えするとむっとされることが少し気になるぐらいだ。わたしは父に似ているといわれるけれど、基本的には理論的に物事を考えている父に似てよかった、と思う。1年ほど前に「女の癖に口答えしやがって」と酔った父に言われたことがあったが、まあそれぐらいだ。アルコール依存症毎日日本酒を2~3杯コップについで飲んでいることも気になるだろうか。でもわたしが物心ついたときからこうだったし、飲んでも飲まなくても性格が変わらないのもあって、わたしは父がアル中なんだと気づくまでに相当な年月を費やした。具体的には18になるまで気づかなかったしそれが普通だと思っていた。頑固なところもちょっと気になるだろうか?それぐらいだろう。

あとは何を書けばいいんだろう。うちには弟もいることだろうか。弟はかわいい。わたしに似てひねくれてしまったのが残念だけど。

ここまで書いてきたのは全部家族の、というか大半が母の愚痴だけれど、実家の何が一番いやか、というと、ものの置き場所がないことかもしれない。6畳?7畳?ぐらいの部屋に、わたしと弟の机と2段ベッドが置いてあって、クローゼットの中(ここだけで2畳ぐらいあるのかもしれない、そこそこ広い)に、両親が別の部屋で寝る用の布団と、母の服と、弟の服と、わたしの服が入っている。コート2着とスーツワイシャツをかけたらハンガーラックはもう一杯なので、あとは衣装ケース2つになんとか下着・靴下・インナーパンツスカートとか、そのあたりをつっこんでいる。わたしには机があるからまだそこに教科書をおいたりできるけれど、母はクローゼットしかものの置き場がないから、なんだか可哀想に思えてこれ以上わたしの場所を増やすようにはいえない。

それから宗教のことだ。我が家は有名な某巨大宗教家族で入信していて、両親は毎年20万円ほど宗教団体の本部に送金しているようだった。母に聞いたからきっと間違いない。多いときは50万という年もあったらしいが、最近は20万ほどなのだという。わたしはみじんもこの宗教を信じていないけれど、生まれたときから両親によって入会させられていたし、母は狂信者なので、大変にうるさく信じろ祈れ、といってくる。ほうって置いてほしい。信じていないからいやだ、なんていったら泣かれるか怒鳴られるかだと思うからわたしはいつもそうだねあとでやっておくよ、と嘘を吐く。そしてまた怒られる。これもいやなことのひとつだ。

色々ごちゃごちゃ書いてきたけれど、要するにわたしは自分が可哀想だと思っているんだろう。洋服を買ってもらえなくてかわいそう。ものの置き場がなくてかわいそう。買ったら捨てろ、という父に物を捨てられてかわいそう。自分が一人になる場所がなくてかわいそう。親に意見がいえなくてかわいそう。本当にみじめな人生だ。

わたしはこれからどうなるんだろう。引っ越せばなんとかなるんだろうか。少なくとも後半で書いたことは解決できそうな気がする。でも宗教はどうだろう。追いかけてくるのだろうか。信じろと要求されるんだろうか。すごくいやだな。

機能不全家族なんだって思い込みたかったけれど、書き出していたらそうでもない気がしてきた。単純にわたしは自分を可哀想と思うことでしかアイデンティティ確立できないんだろうな。高校ときどうこう、と頭で述べたけれど、あのころリストカットをすることでしか自分が保てなくて1日に数十回浅い傷をつけて流れる血を見て安心していたように思う。今はしなくなったけれど、こうやってネットに書き込んで、返ってくるかもしれない反響でどきどきしている。そんなことで落ち着こうとしている。

わたしのわたしらしさはどこにあるんだろう。家を出たら本当に大丈夫になるのかな。友達も少なくて、見てくればかりつくろうから深い付き合いをすることもできないのに。

実家が嫌いなのに実家を出たらわたしが死んでしまう気がする。

いやだなあ。

2014-01-22

職場は、年の収益が二億。支出も大体二億。そして借金は六億。

年末に総費用三億とぶち上げた事業があって、いつものように金を集めようとしたら集まらず、銀行にも金を貸し渋られ、まずここで経営者が泡を食った。

職員給与世代平均を大幅に下回る安い額なのだが、そこからさらに職員全員の賞与を夏冬正月合計で1.2ヶ月分くらい削られた。

月の人件費が500万だからせいぜい600万くらいの人件費削減にならなかったわけで、あまり意味があったとも思えない。

職場の状態を相談する為に、30年勤めて経営者の悪口ばかり言っている人が、経営者と一緒に会計事務所へ行ってきたらしい。

まずここで、なぜ会計事務所に行くのか?相談というなら六億もの借金をしている銀行に行くべきではないのか?と思ったが、疑問は置いておく。

持ち帰ってきた結論とやらを聞かされたが、年に2000万ずつ30年ローンで返していく計画を立てるというものらしい。

六億といったら利子も物凄い額になるだろうし、これまで出来ていなかった返済をとてもできるとは思えないが、やるらしい。

その為にはまずやる気を見せることが必要、とか言われたが意味がわからない。

返済する意思を示す為に具体的なプラン必要なんだとさ。

どうやったら職場収益が上がるか下々の者達から意見を聞いてまとめて、それを見せる事で銀行に返済の意思がある事を示して、また金が借りられる状態にもっていけるようにするんだとさ。

冗談じゃねえ。銀行から金借りる為にピエロをやれってか。馬鹿馬鹿しい。

だいたい年収300万の職員にそういう経営改善とか相談する事自体が間違ってる。そこまでのお給料は頂いておりません。

そういう仕事をするための教育は受けてないし、そもそも改革主義の人間不要とされるのがこの業界だ。

300万なんだから300万の仕事しかしない。年休すら70日しかないんだし、定時に出勤していつもの仕事して定時に帰る。

経営がどうとか再建がどうとか、そういうのは全部600万とか700万とか貰ってるお前らが自分達だけの力でやれ。給料分の仕事しろ

毎日毎日不景気な話を聞かされて帰る時間も遅くなるし、時間を返せ。時間外手当よこせ。

今の職場には安定を求めて転職してきたんだがどうも目論見が外れた。自分裁量でなんとか年収50万くらい上乗せする事には成功してきたが、それですら年代平均給与額には及ばない。

生活が安定すればこそと思って、虚空に向かって頭を下げるバカども狂信者どもにもこれまでずっと我慢して付き合ってきたんだが、その甲斐は無かったな。すべて、すべて、無駄だった。

さっさと大学院合格して外資に戻ろう。

2013-07-22

http://anond.hatelabo.jp/20130722010657

無定見な支持→伸張→ゴタゴタ→支持者すらヒク→滅亡

最後の「滅亡」までは、意外と行かないもんだよ。狂信者ってのは、どこにでもいるからな。社民がしぶとく生き残ってるようにね。

2013-07-13

http://anond.hatelabo.jp/20130713111927

アイデア創造するための話し合い手法として「ブレインストーミング」というものがありますね。

言葉は知られている割に、その正確な用い方は意外と知られていない側面がありますが、ブレインストーミングを強力なアイデアツールとして用いるために必要手法の一つが「人のアイデアに積極的にただ乗りする」です。つまり特に断り無く引用すること」「人の意見自分意見のようにしちゃうこと」を許可する。

これによって、集団で出すアイデアの質は確実に上がります無断引用を許可することが良い結果を生むケースがあることは、私も同意します。

では、なぜ世間では無断引用が許されないか

たとえば、某アルファブロガーさんのケースを考えてみましょう。たとえば「ちき○ん」さんとか。

彼女は書いた文章の独特な語り口や切り口で話題を呼び、多くの読者をつかんできました。結果、そのペンネームで本を何冊も出版するに至っています

さて、彼女の書いた文章が、パクリおっけーな世界で、片っ端から無断引用(出典不明記)で大手サイトに掲載されていたら、どうなっていたでしょう? 彼女はたぶん、有名になることもなく、そのうちパクられることに嫌気がさして、記事を書くことをやめてしまっていたのではないでしょうか。

書くことによって、何らかのフィードバックを(場合によっては利益を)得る、という点に関して、彼女の「閲覧無料ブログ」と、無名の人のツイートの間に、何か差があるでしょうか。

そう、一見それらは無料に見えていますが、「名声」自体も商品となる資本主義社会下においては、それらは明らかに「商品」として供されているのです。

そのとき、「無断引用」は、単なる「窃盗行為」となります。書くことによって得られる何かを書き手から奪うことで、書き手に損害を与え、優秀な書き手のモチベーションを奪い、ひいてはその書き手が将来書くはずだった(そして社会にとってとても有益だったかもしれない)偉大な文章を永遠に失わせるかもしれない……まさに社会的悪以外のなにものでもありません。

最初の例と、あとの例。何が違うのでしょうか?

それは、同意の有無です。最初の例は、一見「無断引用」のように見えますが、実は、「ブレインストーミングに参加する」という時点で、参加者自分意見がどう扱われるかということについて暗黙の了解をしています自分意見を「公共に供する」ことに同意することで、ブレインストーミングは成り立っている。しかし、後者は、自分意見を「公表」はしても、それを「公共に供する」ことに同意しているわけではありません。それは、その人がIDなりペンネームなりの紐付きで発言していることからも明らかです。その人は「私の意見を公表」しているだけであって、「誰が使ってもいい意見」として喋っているわけではない。いや、匿名掲示板(たとえば増田2ch)であっても、それは同じです。判例でも、たとえば2chの書き込みを勝手書籍化したことで訴えられ、負けたという事例がありました。現代社会おいて、あらゆるテキストは原則として「値札のついた商品」であり、それが「無断引用」が許されない理由です。

ただし、一方で「インターネットの自由こそがあらゆる価値の源泉であり、インターネットから利便性を得ているあらゆる利用者は、また、インターネット上に送り出すあらゆる情報を、利用者の自由な利用に供することに同意すべきであり、特に明確な意思表示の無い限り(場合によっては、意思表示があっても)、あらゆる情報は自由にもちいられるべきである。それがインターネットの唯一の掟である。」と考える狂信者な方々(賛同者が少ないかもしれなくても、それはそれで一つの理屈です)もいますし、そもそも資本主義自体を私は認めない、という意見もあるでしょうから、上記の私の意見に納得されない方も一定おられるとは考えます。ただ、資本主義社会に生きて、それを認める立場であれば、逆にどのようにして「無断引用はオッケーである」という論理が成り立つのか、説明する必要があるのではないでしょうか。

…とイケダハヤトに言うほど私も暇ではないので、増田に書きます

(※なおこの文章については、恣意的な改変をほどこさないという条件の下において、公共の利用に供することに同意します。)

2013-07-08

狂信者

ある作品についてblog自分見解

「A(その作品)に初めて触れた。B(同ジャンルの別の作品)に少し似ているところもあるなと思った」

と述べたところ、「そんな風に言われるなんて悲しいですふじこふじこ」ってひとしきり騒いでおいて、最後に「あっでも私の言うことは気にしないでください。いや気にするよねw」って締めくくる奴が現れたんだけど、一体何なの。

個人的な見解を述べただけでふじこふじこ言われたこともだいぶアレだけど、最後の二言がすごくやな感じ。気にしないで欲しいなら初めからそんなこと言わなきゃいいし、気にして欲しいんなら気にするなって言うなよって感じ。

とりあえず狂信者自分(たち)と違う意見は全部disってると取るんだということを身をもって再認識。怖い。

まりにも怖いので、今回のことはスルースキルを全力で発動して、もうAには近づかないことにする…。

こうしてAは狂信者のせいでファン候補をひとり失ったのだった。

増田に書き捨てて、このことはもう忘れる。Aなんて作品なかったんや…。

2013-06-26

http://anond.hatelabo.jp/20130626183457

そう。

正義」のために戦ってる奴が一番怖い。

ネット炎上してる奴を自殺に追い込んでも何一つ得をしないのに、

あえて労力をかけてそんなことができるのは、彼らが自身の正義を盲信しているから。

でも、その正義って他人の理解を得られるものなのかね。

まわりから見れば、狂信者区別がつかないかもね。

2013-06-24

弱者強者意志を変える方法

弱者強者意志を変える方法なんてないんだよ。

から経済強者経済弱者経済的に搾取してる現状はその意味で当たり前なんだ。

もちろんそれが善か悪か是正すべきかどうか議論の余地はあるよ。でも善悪の議論で弱者強者意志を変える方法はない。弱者意見が通ったように見えたとしても、それは強者側が譲歩したのであって弱者が己の意見を通した訳じゃない。トートロジーではあるけれど、相手の意志にかかわらず意見を通すだけの強さがあればその人は強者もの

日本の法分野においては、基本的にどの個人も平等だとされている。だから、法的強者、法的弱者というのはいないという設定だ。だから喧嘩できるんだよ。個人が会社を訴えて時に勝利を収めることが出来るのは、法分野が経済分野に比べて、比較的公平だからだ。

でも現代社会において経済分野の方が法分野よりも大きな力を持っている。だから経済強者は、立法に働きかけて己に都合の良いルールを作ろうとする。時間が経てば目立たない形で、経済強者は法的にも強者になっていく。これは先進国に多く見られる特徴で、日本でも例外ではない。

今後ますます経済強者ほとんどの分野で強者になっていくだろう。

じゃあ、経済弱者が、経済強者に対して互角あるいは有利に意志を通せる土俵はどこかというと、それは暴力なんだ。経済強者だの弱者だの言っても、裸ん坊で殴り合いをすれば、たいして差がない。人間だもの、肉体性能は五十歩百歩だ。経済強者は数が少ないから百人で囲んで棒で叩けば殺せるよ。

いま世界中で起きてるテロ暴動は、要するに上の図式の上で起きてる。イスラムのそれもそうだし、EUのそれもそう。宗教価値観とかはデコレートだよ。そのほうが都合の悪い部分を見せないから「あいつら狂信者の群れだからこわいねー」で済ませてるだけ。

民意とか、民主主義って言うのも、上の理解を元にしないとずれた認識になる。選挙により大衆多数の意志をくみ上げてというシステムは、最終的に「もし大多数の意見無視して物事を進めたら、大多数が怒って、お前らを棒で殴る」っていうのを下敷きに設計されてるんだ。いまの日本暴力を否定(忌避とすら言える)した社会だけど、民主主義暴力革命から生まれたってのは忘れるべきじゃない。

この記事は別段暴力を推奨する意図はない。けれど、その覚悟や理解無しで生きていくと、弱者弱者のまま搾取されて死ぬ世界なんだ。というか世界最初からそういう場所だったんだけど、ここ数十年の日本幸運なことにそのあたりぼんやりしててもOKだったと言うだけの話じゃないか

2013-06-22

渡邉美樹さんは選挙に通るよ。我々のせいで。

より正確に言えば、日本社会は彼を政治家にすることを仕組み上拒否できない。

法律よりも情動を尊ぶ

最近車いすの人と料理のお店で揉め事が起こったときに、強く感じた。

現状の法律がどうであるとか、法律にどう違反しているかではなく、それが正しいのか間違っているのかを話そうとした。

少なくとも、僕が見聞きしたネットではそうだったし、会社や知人もそうだった。

「これは名誉毀損から、客側が悪い」

侮辱罪だから、店側が悪い」

といった、「法律違反しているから悪いのだ」という話にはなっていなかった。

まず社会的にはこうあるべきだろうという理想があり、それに対して法律がどうだろうか、という話になっていた。

これはある意味ではとても正しい社会の有り様だとも言える。

法律が先にあって、その結果として正義が成されるのではなく、

正義がまずあって、その結果として法律が形作られる。

から法律はその解釈正義制度趣旨)を念頭において、世の中に合わせて柔軟に運用される。

我々はそれを自然なことだと感じているし、法律が間違っていると考えることも出来る。

公職選挙法が具体性故に現状にそぐわない(時代に追いついていない)と考える人が多いが、

公職選挙法に沿わない現代は、間違って進歩してしまった(時代が誤っている)と考える人が少ないのと、ほとんど同じ意味だ。

情動を尊ぶので、正義不正義は変質する

これは、とても良くまとまっていてかつ、典型的な例なので、是非読んで欲しい。

モズグス型」という類型――渡邉美樹戸塚宏永守重信などの共通点

http://www.amakanata.com/2013/06/blog-post_21.html

法律の枠組みや、その会社が良いかいかではなく、その創業者人間性で店に行きたくないと始めている。

もちろん彼(もしくは彼女)に悪気はないだろうし、不当に貶めてやろうという悪意があるわけでは無いと思う。

ごく自然に、「一私企業はい社長なのだし、ほぼ公人だから、多少の揶揄は許されるだろう」と考えているだろうと思う。

厳密に法解釈すれば問題ないかも知れないが、さきに言ったように、我々は法律に縛られて何かを判断しない。

まり、「自分正義に照らして間違っている(不正義)のであれば、多少の揶揄は良いのだ」と考えてしまう。

素直に読めば、渡邉美樹さんはブラック起業創業者で、その人間性に傾倒するのはカルト宗教にはまるのと同じで、

漫画キャラクターでは悪役として描かれる「モズグス」とそっくりだと言っているわけだ。

これを、好意を持って解説しているとは受け取れないし、中立的に公益性のある情報開示ともやはり言えない。

「ま、有名税だろ。それに当たってるし面白いし」と、思ってしまう。

少なくとも僕は面白いと思ってしまった。

ブコメで袋だたきにあって大炎上するような構造なのにも関わらず、だ。

これがTwitterで「俺のクラス渡邉と永守って、すげー気持ち悪い。モズグスそっくりだ」と

特定できる形で解説して、クラス全員で笑いものにして楽しんでいるとしたら、どうだろうか。

すなおに笑ってまとめを読んで、サイコパスやっかいだよな、狂信者はどの時代でもこまったモンだよなとコメントできるだろうか。

僕はそれは、やってはならない不正義だと感じるし、恐らく不愉快な気分になるだろうと思う。

まり、ある役割、ある属性を持つと感じる人物に対して、我々の正義感は少し変質するのだ。

正義不正義は変質するので、立場を重んじる

なぜ変質するかと言えば、情動を尊ぶからだ。トートロジーではなく。

具体的に言えば、電車が来ないことに対して、自分の友人を怒鳴りつける人はたぶん凄く少ない。

たとえ、その友人が予約をした特急が来ないとしても、いらだつ人はごく少数だろう。

なぜならば、その友人には責任がないのだから

でも、これが「駅員」などの「属性」が付くと、簡単にタガが外れる。

その駅にいるその駅員の責任電車が遅れたわけではないのにも関わらず、「駅員であれば電車の運行に関して責任があるはずだ」と感じる。

その駅員は、その鉄道会社の一員で、つまり鉄道会社責任は、「その駅員」にぶつけても構わないと感じる人は、そこそこ居るハズだ。

実際に怒鳴るかどうかは自制の問題で、ある会社に属している一社員を、ある会社と同一視する事は、そこまで特殊じゃない。

近所に住む53歳のおじさんを実名ネットさらすことは不正義だと感じるが、

ワタミ株式会社取締役会長なら、少なくとも不正義ではないと感じる。

これも個人ではなく属性で判断するからだ。

まり属性正義不正義を変質させる。

属性とはつまり立場だ。

「ある立場にいる人は、ある責任を背負うべきだ」と感じているからだ。法律とは無関係に。

「ある責任を背負っていないのであれば、ある立場にいてはならない」と感じているわけだ。

(その思いにはもちろん個人差があるし、あまりにも突出していれば「モンスター」と言われるだろう)

これは容易に「その立場なら、これぐらいの責任を負うのが当然だ」にすり替わる。

道徳規範が、責任の要求になる。

立場を重んじるので、責任も重んじる。

そう、ネット上でも多く感じるし、実際に知人友人に聞いても、自分でもそうだが、

法律とは無関係に、ある立場に対して、自らの正義でもって責任を問いたくなるのだ。

企業トップであれば、本人が知る知らないは別にして、その企業責任を取って当然だ、と言いたくなる。

法律とは無関係に、だ。

それは企業トップから見ても、同じだ。

法律とは無関係に、ある立場に対して、自らの正義でもって責任を問いたくなるのだ。

従業員であればこの程度の責任を持って仕事に臨んで当然だ、と言いたくなるし、実際に言うだろう。

法律とは無関係に、だ。(もちろん企業は個人よりもずっと遵法精神を問われるが)

法律がこうだから自分はこれを正義としよう、ではなく、

自分はこれが正義から法律はこうあるべきだ、この立場人間はこの責任を負うべきだ、そう感じるわけだ。

そしてそれは、全員が一致しているわけではない。だから、議論になるのだ。

その議論の結果、各々の正義感をすりあわせた結果が、法律になる。

責任を重んじるのは正義感故に。そしてそれは法律になる。

まったく逆の発想で言えば、法律違反していないことは、社会的不正義ではない、とも言える。

ある正義感を持ち、そのうえで法律違反していなければ、「自分正義は、他者の正義と競合していない」と感じる。

ある人から見れば「法律が不整備なだけで、それは不正義だ!」と感じることも、

他者には「正義なのだから当然法律規制されていない」となりうる。

これは単に、世の中という漠然としたものが、何を不正義だと思うかにかかっている。

例えば、FX外国為替証拠金取引)の証拠金割合は、自己責任論で言えばいくらでも良いはずだ。

でも「無制限のままで、良く判っていない人が取引をした結果、大きな損失を負うのは、社会的不正義だ」と考えられた結果、

金融庁は取引の額の4%以上の証拠金を預けることなく取引することはいかん、と証拠金規制を行った。

でも、証拠金取引のものを禁止するところまでは行かなかった。それは不正義だとはみなされなかったわけだ。

児童買春・児童ポルノ処罰法単純所持の禁止を加えようとするのも、つまり正義感故だ。

だが、誰の正義感だろうか。ネット上ではずいぶんと反対されているように見える。

世の中とは、なんだろうか。もちろん我々日本国民のことだ。

では、全国民を代表しているのは?国会議員だ。

まり国会議員正義感が、法律を作る。

これは他でもない我々が、法律よりも情動を尊ぶからだ。

国会議員を選ぶ人達が、正義を規定する。

ワタミ株式会社取締役会長渡邉美樹さんの正義感を、どう感じるだろうか。

彼は悪意を持って従業員を搾取しているだろうか。

ネット上ではそういう声はあまり聞こえてこないし、僕も違うと思う。

彼は、自らの信じる正義の基に行動しているし、当然その行動が正義だと感じている。

そして、我々と同じように、法律よりも情動を尊ぶ。

公職選挙法が世の中にそぐわない、時代遅れだと感じるのと同じように、

自らの正義が世の中と違った場合時代遅れだと感じているわけだ。

それは、我々となんら変わりはない。

単に「正義」が異なるだけだ。

そして、そういった「正義」を是とする人達が多いからこそ、選挙に担ぎ出されている。

(分かりやすく言えば、例えそれが不正義であったとしてもなおメリットがあると思われているわけだ)

そしておそらくそ正義は、投票率の高い人達にも正義だと見なされている。

東京都知事選で100万票を集めているというのは、選挙に行った人達17%が、彼の正義を肯定したという事だ。

どうすれば、自分正義を通せるだろうか

まず法律を守ろう。正義感よりも現状の法律こそが絶対だ。

そんな立場は結局、「幸福であることは義務です」と書かれる未来になる。

我々は、自らが信じる道徳正義感社会のあるべき姿を信じて、それに沿った形で法律が整備されることを望む。

まり、自らが信じる正義に従って欲しい。

社会的に正しい事だと明記し、そういう社会になるように強制して欲しいと思っている。

でもそれは、国民一人一人がそう思っている。

厳密に法律を守れ、自らの権利を主張したいときには、相手の権利も尊重しろ

ネット上で相手を揶揄しても醜悪なだけだし、裏付けなく広げるのはデマと同じだ、

そこまでは僕も言えない。

それが一個人の人権から言えばマズイ事だと理解できても、モズグス型とは面白いと思う自分がいるし、

経営者立場が重いか情報開示だという主張は理解しても株主手紙はマズイんでないの?と裏取りせずに考える自分がいる。

から投票には行こうと思っている。

そして、自分正義に関しては、周りに伝えていこうと思っている。

国会議員国民の代表というのは、全ての国会議員がそうだ。

何かをするときには多数決をとって、全国民多数決に代えている。

から自分正義を託せる人に投票して、自分不正義と思うことを正義だという国民の代表と戦って欲しいと思っている。

から自分と同じ正義感を持つ国会議員が、自分と同じ正義を信じる人達が増えて欲しいと思っている。

から、僕は自分の信じる正義の基に、不正義は不正義だと声高く言い続ける。

渡邉美樹さんが選挙に通るのは、我々が法律よりも情動を尊ぶからだ。

そして、それぞれの正義が異なるからだ。

からこそ、日本社会の仕組み上、彼は不正義だと信じて選挙に行く人が多ければ、彼の正義は「世の中」では不正義になる。

即効性はない。報われるかも分からない。やらない理由は星の数ほど思いつく。

でも、投票しないことで口をつぐみ白票を投じることで選挙揶揄するよりも、ずっとずっとマシなハズだ。

僕はそう信じている。

2013-05-10

id:TM2501さん、作画オタクになりたかったら本気でついてきてください

ライター(笑)古田ラジオさんの作品を仕方なく「読んであげた」。 - とある青二才の斜方前進

http://d.hatena.ne.jp/TM2501/20130505/1367758802

より。

アニメで言うと「凄腕の原画マン」だけでアニメは作れない感じ。作れるんだけど、背景が雑になったり、(全部一人で書かない限り)絵柄が崩れて醜い感じ。典型的なのが「松本憲生」さんというNARUTO鉄腕バーディーなどのアニメに携わっている人のアクションシーンの作画。「アニメとしての疾走感」が話題になるが、彼が1パート丸々担当したシーンは背景もキャラの顔、モノの質感も崩れる。演出で「崩してる」のだが、20分間のうち彼の担当するパートだけ別のアニメのようになってしまう。

あのね。ふつうアニメーターが描いた背景は絵として画面に出ないの。

それは美術屋さんの仕事なの。

松本憲生自分で背景を描くのは背景を動かすからなの。

から美術じゃなくてセル、筆ではなく鉛筆で描くの。

から簡素な線のみの背景になるんだよ。

逆に言うと背動しないとこで見られることはめったにない。

何か勘違いしてるんじゃない?

それとNARUTOバーディーはそもそものデザイン簡素なの。

少ない線で立体を表現することを美としている人たちなのよ。

あと逮捕しちゃうぞの2話は見てる??

あれ見ててもこんなこと言えるの?????

当時の中嶋敦子の立体的デザインは最高なのよ。

そのデザインうつのみや立体の描ける憲生が作監することによって至高の人体になってるの。

アゴを見ろ首を見ろ指を見ろ。わかるか?

ディテールももちろん手を抜いていない。

濡れたあとのタオルで拭いた髪をこんなにエロく描けるやつ他にいる?

ずっとワイシャツ着てるアニメからシワも贅沢に楽しめるようになってる。

アクションシーンで崩すのは凄腕原画マンからじゃないの。

アクションシーンだから変わるんですよ。

Fate/Zeroみたいな棒立ち糞アクションならあんまり変わらないんだけどね。

有名なのはNARUTOの「ナルトVSペイン」の作画シーン(一応、松本さんがしたことになってるけど、後半はちょっとだけ違う人のパートも出てきます

しろ後半が全て松本憲生だ。その動画だと8分過ぎからラストまでがそう。

当時話題になった5分過ぎまでは山下清パートで、作画オタクの誰もが彼の仕事だと最初からわかっている。

松本憲生パートになったことなど一度もない。

ちなみにその間は沓名健一パート

わりとうまいのでバーディーでも松本憲生と間違えられたことがある。

作画オタクは様々な世代に分けられる。

金田山下を崇めていた長老たち。

ネット作画論壇以前、フリクリアニメスタイルきっかけの現行世代の古株。

グレンやコイルから入った未だにニワカと呼ばれるかわいそうなやつら。

その中でも一番厄介なのがNARUTO松本憲生で目覚めた人間

30話や133話を見て作画オタクになったやつは憲生狂信者と言ってもいい。

こいつらに目をつけられたら最後死ぬまでニワカ扱いだよ。

ブログを書く前に最低でもパートチェックはしておこうね。

…作画オタクから「こっちがむしろスタンダードで、予算がないか制作枚数を制限してる。日常シーンだってヌルヌル動きまくるアニメ(例:『涼宮ハルヒの消失』『劇場版けいおん!』など)も予算時間さえあれば、作れないわけじゃない」と言われそうだけど…ここで言いたいのは、そんな話じゃありません。

作画オタクに対する認識を改めてください。

私たちヌルヌルという言葉を肯定的な意味で使うことはありません。

かんなぎ2話のような無駄に枚数のかかった気味の悪いアニメを批判するときにのみ使います

あとヌルヌルしていることと動いていることは直接関係いからね?

ヌルヌルを褒め言葉、動いている様を指す言葉として使うことは絶対にやめてください。

これはid:TM2501さんだけでなくみんなへのお願いだよ。

id:TM2501さん、パートチェックすら怠るあなたはまだニワカにすらなれていません。

ということでまず作画スレ読破することから始めてください。

それと合わせて作画wiki作画アニメを鑑賞してください。

それで何も感じなければ才能がありません。

潔く諦めて今後一切作画に言及しないでください。

2013-04-09

http://anond.hatelabo.jp/20130409013859

いろいろと想起させられたエントリなのでここに記す。

僕自身は「あの子」が少なくとも聡い子であることは認めるけど、それは子供という範囲を逸脱してはいないと捉えている。

の子自身の言動や思考はまさにそういった厨二病の範囲に収まっている。微笑ましいものだ。

からこそ、あの子自身の「思惑」などと言った大層なモノには興味はないし、それ自体がそれほど問題のあるものだとは思わない。あの子がただの子供のままであるならば。

問題があるならばそれはあの子アイドル化する存在である商業アイドルではなくもっと原初的なアイドル。それに祭り上げている大人たち。

の子の幼稚な発想と若さ故の飛躍を有り難がり、その若さを共有しようと目論見、経年劣化した自己正当性をその子依存することで取り戻そうとする下卑た大人。

商業アイドルとそのファンとの関わり方と異なるのは、彼らがかなり根源的な、思想・信念的な部分でアイドルに信奉、依存している点である。それが彼らを理性的に狂信へと駆り立てている。

原初的で純粋でかつ凶暴な宗教の形がそこにはある。

しかし一人の人間の、しか一過性の輝きに依存した宗教はそう長くは続くまい。

普通の子供であれば、あの子のあまりにその身に余る言動は厨二病、よくある若さ故の過ちで済む。

しかし周りの狂信者達はそれで終わらせることは許さないだろう。

こうなってはあの子がそれを御するだけの理性と実感覚の延長としての知性を得て、真の意味時代を照らす己の輝きを見つけなくてはなるまい。

そうでなければ、そんなあまりにも大きな理想を成し遂げなければ、周囲からの狂信と自分能力ギャップ故にあの子は潰れてしまうだろう。凡百の、そこいらに転がっているかつての「アイドル」と同じように。

ちなみにこれは春風ちゃんだけの話ではなく、子供達が簡単にカリスマ化してしま現代においてはどこにでもある話だ。

2013-04-07

結婚しない非婚な人なのだが、

今日知り合いのじじいに

「なんで結婚しないんだ。俺らの年金が困るじゃねえか。」

とバカみたいなことを言われたため、

「あんたの年金のために結婚するのかよ。自分で貯めなよ。」と

ツッコミを入れて大喧嘩になった。

バカらしくなって勝手に言ってろって感じで放り出して帰ってきた。

結婚狂信者ってホント自分のことしか考えてないくせに

他人には国がー社会だー抜かすんであきれる。

2013-02-26

Google+本質的に"ぐぐたす"だった件

はじまり

2月8日深夜、aki koniだかkoni akiだか、今は名前を変えているらしいユーザリストカットをした。

まぁそんなことは珍しいことではない。

広いインターネット見渡せば毎日誰かしらがリスカをし自慢している。

aki koniだかkoni akiはそのうちの1人に過ぎなかっただけだ。

ちなみにaki koniだかkoni akiはいわゆる"炎上アカウント"で、中身は単なるオバハン。

女王のように振る舞い、自分が気にくわないことには執拗ケチや文句をつけ、

Google+利用者の多くがブロックしているユーザである

しかし一応Google+では初の例ということで注目を浴びた。

大半のユーザリスカではほぼ死なねーよばーかといった感じで、中には頸動脈の正しい切り方なんて投稿も見受けられたが、

aki koniだかkoni akiはいうても東京Google+飲み会や食事会などには顔を出すなどしていたので、「大丈夫?」と心配されたりもした。

ここまではまぁ正常。

つーか面倒なのでaki koniだかkoni akiは以下koniと表記する。

信者登場

ここで発生したのがkoni信者である。いや彼らは潜在的に元々信者だったんだろう。

・koniを快く思わなかったユーザの、koniは死ねばよかったのに投稿に対する批判

・koniに他の人に見える形で「大丈夫?」「僕は味方だよ!」と言いまくる

前者はともかく後者である。数回言うのはまだしもこれがしつこい。異常なぐらい。

もちろん「大丈夫?」「僕は味方だよ!」ってのを快く思わない一般ユーザが現れるのも当たり前で、

「それがウザい」「なんなんのこれ?」という投稿結構溢れかえった。

ここでの構図は

ネ申―koni

信者―「大丈夫?」「僕は味方だよ!」

狂信者

そしてそれが1週間経っても収まらなかった。

誰一人としてkoniに直接連絡が取れるユーザが居なかったのである

大丈夫?」「僕は味方だよ!」はkoniへのメンションだったが、

フォロワーの多いユーザに「koniを助けてあげてよ!」というメンションを飛ばし始めたらしいのである

まぁメンションなので不明といえば不明だが、しかし複数ユーザ投稿から察するにこんなようなことがあった様子。

もちろんメンション投げられた方は「ウザい」と思うのは当たり前で、

はいえこちらは大人なのでぼやかした形でウザいと言い出したのである。もちろん当たり前である

そして「ウザい」に対する「確かにウザい」という投稿が増えるのも当たり前で、カオス化。

信者叩きが一斉に始まったのである

そこで信者が言い出したのがこれである

「浅い関係じゃない」「何も知らない奴は引っ込んでろ」

浅い関係じゃない?koniと直接連絡取れる間柄でも無いくせに?おかしいだろ?

そう思うのは普通で「koniに何求めてるの?体?w」みたいな投稿も増えてきた。

すると「茶化すな」と返事が来るのである

何かが変だ。話がかみ合わないのである

ここで情報収集してみたらどうもこういう構図になっていたことが判明したのだ。

絶対ネ申―koni

ネ申―koniと親しいユーザ(但し直接連絡は取れない)

狂信者―「大丈夫?」「僕は味方だよ!」

「浅い関係じゃない」のはネ申で、ネ申が絶対ネ申と連絡とったりしようと努力していることを「茶化すな」と言っているのである

じゃあ信者は一体何の存在なんだよwwwと言いたくなり、もはやそれは狂信者なわけだが、あれ?この構図って・・・

Google+といえば・・・

Google+といえばなんとか48が大量に居座りだしたSNSである

なんとか48及び関係者及びファンはGoogle+のことを"ぐぐたす"と略すのは周知の通り。

ガチャピンが「Google+の略称はぐぐたすね、覚えたよ」と投稿したときは「違うよ、ぐーたすだよ」という投稿で溢れた。

ぐーたすというのも浸透してない気はするがさておき。

とあるユーザが(わざと)メンバー丸刈りにした件について揶揄する投稿をしたところ、

ぐぐたすと略すユーザが一斉に攻撃してきたことが最近あった。

しかしよく考えてみれば、丸刈りにしたメンバーの擁護は他メンバー関係者がやればいいことで、

ぐぐたすと略すユーザがいちいち攻撃することに何も意味が無いのである

つまるあたり、

絶対ネ申不祥事を起こしたメンバー

ネ申―他メンバー及び関係者

狂信者―攻撃要員

信者―ファン

全一致!最も、不祥事を起こしたメンバーと他メンバー及び関係者は連絡が取れるのでそこは一致しないが。

"ぐぐたす"を批判するが、結局自らが"ぐぐたす"だったという顛末

ネ申狂信者という構図が全く同じで、批判すれば攻撃し、ことあるごとにヨイショする。

ぐぐたすと略すユーザは若年層なので若気の至りかで済む話だが、

Google+からぐぐたすと略すユーザ差し引くと6~7割が30~40代おっさん・オバハンなので、もはや手の施しようが無い。

私はそういうおっさん・オバハンにはなりたくない・・・

そして"そもそも直接連絡は取れないが浅くない関係とは一体何なんだろう?"という謎だけが残る。

さらにいえばリスカしたよ画像なんて検索すれば山のように出てくる状況下で、誰もkoniが本当にリスカたか疑わなかった不思議

下手すると今回関わったユーザは総情弱民なのかもしれない。

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