はてなキーワード: 分散とは
女性専用車両はミソジニストが主張する様な男性差別ではなく、合理的な制度だ。「許される差別」ではない(そもそも差別という物は許されない)。しかしこの事を日本国内だけでなく、世界中の人々にもきちんと理解してもらえるのかというと不安が残る。
丁度この女性専用車両のトピックと同時期に、平昌五輪に関する様々なニュースが流れている。考えてみる良い機会だ。2年後の東京五輪の開催時、女性専用車両の存在に訪日外国人の方が戸惑う可能性はないだろうか。
東京周辺エリアでは、女性専用車両が複数の路線で運行されている。そのエリアで五輪が開催されるのだから、外国人観光客にもこの車両の必要性を理解してもらい、スムーズに乗客を運ぶ必要性が出てくる。
そこで世界中のどの国の人々でも、必要性を理解してもらえるような方法を考えてみた。
本題に入る前に、考える対象になっている問題が現実に起こる事かどうかも考えておく必要がある。
「訪日外国人に女性専用車両の必要性を説明する場面自体が、現実的に起こりえない。」つまり倫理的な判断を無理やり絡ませる非現実的な問題について、考える事自体が不適切という可能性もあるだろう。
例えば「トロッコ問題」を取り上げた以下のブログの議論では、非現実的な問題を出題するサンデル教授本人を殴るのが正解という解決策が示されている。
http://vergil.hateblo.jp/entry/2017/08/06/105035
仮に、今回考察する問題がトロッコ問題のように非現実的であれば、黙って私を殴るのが解決策となるかもしれない。
ネトウヨが散々大失敗大失敗と騒いでいた平昌五輪は、実際に国際情勢上の懸念事項や設営トラブルもあったが、結果的に成功裏に終わった。世界各国から選手だけでなく、沢山の観光客も訪れた。次は平昌五輪と地理的、文化的な条件も、開催時期も近い東京での五輪だ。しかも、一般的に冬季より夏季五輪の方が参加国が多くなる。そうなると平昌五輪と同じかそれ以上に、人数も多様性も上回る外国人が訪れると想定する事は現実的だろう。
更に、女性専用車両の運行時間には、多数の外国人観光客が電車で都内を移動するだろう。そして、女性専用車両の存在に不慣れな地域から来る人も多数含まれるだろう。事前にトラブルの回避策を考えておく事は、十分現実的な課題だ。
東京五輪の計画自体を頓挫させる事で、訪日外国人の数を抑制するという手段も存在するだろうか?しかし、一度国際的合意をもって決定された五輪は実施されるのが通例であり(懸念事項のあった平昌五輪も無事行われた)、この手段の方が寧ろ非現実的だろう。
また、女性専用車両が必要になる背景事情として、東京の人口の過密さを挙げる人もいる。しかし、残り2年間で人口を分散させる現実的な手段も思い浮かばない。
そこで、この問題が現実的な課題であるという認識については、ここで合意をとっておきたい。その上で、いくつかの予想される場合ごとに、理解してもらう方法を考える。
イスラム諸国を中心に、女性専用車両が存在する国は他にもある。そうした国から来た人々には、「女性の権利を守るため」と伝えれば理解してもらえるだろう。
既に述べた通り、女性専用車両の扱いに不慣れな人々、そうした車両が制度として存在しない国も多い。しかしそうした国から来た観光客にも、必要性を理解してもらわなければいけない。一方で、世界には多様な文化や価値観があるため、全員に同じやり方で説明しても、理解してもらえるか怪しい。少しずつ条件を分け、できるだけその条件に沿った理解を促す事が必要だろう。
そこで有用だと考えられるのが、世界経済フォーラムのジェンダーギャップ指数だ。
http://www.huffingtonpost.jp/2017/11/01/nippon_a_23263093/
各国の男女が置かれている状況を比較することができる、国際的指標だ。これをもとに、順位が日本(2017年度は114位)より上の国々と下の国々に条件を分けて考えてみたい。
まず、順位が日本より下の国から来た人々には、自国よりも順位が上の国(日本)で実際に行われている、有力なジェンダー平等化制度の一つとして理解してもらうのが良いだろう。希望の範囲だが、自国での採用も検討してもらうのも良いかもしれない。
順位が上と一言で言っても、アイスランド(1位)、ルワンダ(4位)、フィリピン(10位)、イギリス(15位)、ボリビア(17位)、南アフリカ(19位)、アメリカ(49位)等、様々な文化圏の国が存在する。女性専用車両への強硬な反対論が影響力を持っているイギリス、以前に陸上競技のジェンダー問題で世論が揺れた南アフリカ、トランプ大統領を選出してしまったアメリカ等、個別の不安要素も存在する。
しかし、共通理解の助けとなる国際指標として、ジェンダーギャップ指数の日本の順位は皆さんの国よりも低迷している事を伝える。また、日本では実際に性犯罪や女性の被る不利益が深刻である事を合わせて伝え、この男女間の不均衡(権力勾配)を是正する措置として専用車両が必要である事を理解してもらうのが良いだろう。
どうしても個別に考えなければいけないのは、南アフリカやアメリカといった国々の黒人の方、中でも男性への説明だ。(「黒人」という表記には場合によって望ましくない含意がある事は私も理解しているが、「アフリカ系アメリカ人」と表記してしまうと南アフリカ人との混同が避けられない。また、両国で表現を揃える場合は「アフリカ系南アフリカ人」という論理的に整合性のとれない表現を使わねばならない。したがって、やむをえず「黒人」を用いる)。
なぜ南アフリカ人あるいはアメリカ人全般ではなく、黒人に限定しているか?彼らは「Whites only」といった看板を掲げる人種隔離政策がかつてとられていた国々で、隔離されていた側のマリノリティグループの人達だ。「Women only」といった女性専用車両の表記を見て、特別な感情を覚えてしまう可能性があるからだ。
それでも黒人女性であれば、自分が乗車可能なカテゴリーだと認識できるだろうが、黒人男性の場合は通常は乗ることができない。そのため「差別を受けた」という彼らの誤解を招きかねず、特別に理解を促す説明方法を考える必要がある。間違って専用車両に乗ってしまい、彼らが乗客に締め出されるような事態は何としても避けたいし、日本人が決して名誉白人ではない(差別などしていない)という姿勢も示さなければならない。
また、たびたびネトウヨやミソジニストは、「女性専用車両は白人専用車両と同じ差別」という雑な議論を展開する。両者が全く別の物である事を明確にするためにも、女性専用車両について黒人男性に理解してもらう方法を丁寧に議論する事は大切だ。
「Women only」とは書いてあるが、「Whites only」の様に(彼らの想像する様な)排他的な中身ではなく、障がい者や高齢者、幼児といった社会的弱者であれば、男性でも乗れる事を伝えるのが良いだろう。例えば世界的な有名人として、南アフリカにはパラリンピック陸上競技のピストリウス選手(両足が義足)がいる。彼の様な身体障がいがある男性も、女性専用車両には乗る事ができると伝えるのが分かりやすいだろう。
特にアメリカの黒人の方には、アメリカの多くの大学入試基準で採用されているアファーマティブアクション制度に例えて説明するのが良いだろう。アファーマティブアクションの必要性、そしてマイノリティの地位向上に対する有効性については、既に社会的議論が尽くされており、比較的スムーズに受け入れられるだろう。
現時点では私の知識不足により、アメリカのパラリンピック選手、南アフリカのアファーマティブアクション制度等の具体例を思いつかなかった。実務的には各国の有名な事例を事前に調べておき、観光客の出身国に合わせた例で説明するのが良いだろう。
最後に、男女別に分かれているトイレや風呂に例えて説明する方法もとれないか検討した。しかし、これは「なぜ車両は男女で半々になっていない?」「既に男性がいるトイレや風呂に後から入ってくる女性なんかいるか?」といった問いに答えにくくなるため、断念した。
枚数が増えるほど一枚当たりの圧が分散されるから肌には優しいって聞いてたけどな。体感でもそうだし。ひげそりだって一枚のT字が一番荒れないか?
まーなんでもいいけど。参考にしておくよー。
東京と地方の話題になると東京の納税額が多い事を理由に、地方に発言権は無いという論調の人がちょくちょくいる
しかし、利便性の面から本社が東京にあるだけで、利益は全国各地で商売を頑張った結果という会社も多いと思う
大企業であればあるほど地方の各支社、支店と、その地域の従業員の労力で得られた利益も多いはずだ
地方の人間から見ると人、物、金を集約している東京が、税収、納税額の面で突出するのは当たり前の事の様に見える
全国規模の大企業も多くは本社を東京に置いているのだから尚更だ
それで納税額が他県と変わらないなどという事があり得るだろうか?
そして、あれほど色んなものを集約している割には、その突出度合いが小さいのではないか? とも思う
もしかして集約し過ぎてかえって効率が悪くなっているのではないか? という疑念も湧いてくる
あーなるほど?
「厚生労働省の平成24年就労条件総合調査結果によると、平成24年におけるフレックスタイム制の導入状況として以下の様に報告されている。
1000人以上の事業所では25.9%の事業所が導入しているが、100人未満の中小零細企業では2.9%に留まり、事業所規模が小さいほど導入されていない傾向にある。
業種別では情報通信業、電気・ガス・熱供給・水道業での導入実績が高い。建設業、鉱業、採石業、砂利採取業、宿泊業、飲食サービス業での導入は少ない。
規模の大きな会社ほど導入される理由として、労働組合の強さと勤務時間分散による業務への影響の少なさのためとされている。規模の小さい企業では取引先に迷惑がかかる、労務管理が煩雑になる等の理由ため導入が進まないとされている。」
甘ちゃんの高卒無職がゴミみたいな人生を振り返るだけのエントリなので、あんまり読まない方がいいです。
花は咲かなかった。
蕾すら無かったのかもしれないが。
同世代の奴らが大学生活を終えて社会に出る時までには夢を叶えようと思っていた。
今年だ。
貧乏なのに兄妹が多い家で、大学は学費がかかるとか思い込んでたから金のかからない進路にしたいと思っていて、メンヘラ彼女と同じ大学に進むため勉強漬けで娯楽を禁じられていた自分は解放感から突飛な進路を選択したのかもしれない。
まあ、それでも学んだことは学んだ。
自主練はサボりまくったけど、結果として「演技は自分には難しい」ってハードルが建設された。
「もうこの道への気持ちは向かないんだろうな」と思う。
有能な兄は長年の努力が実を結び、仮にも自分が目指していた芸能関係で巨額を稼ぐ売れっ子になった。
妹は学費の関係で自分が学ぶのを諦めた分野を勉強して楽しそうにしている。
家の金を心配して進路を選んで、結果が出なくても「自分は金銭面では兄妹より家のためになってる」と謎の慰めを繰り返していたら自分には何もなくなっていた。
妬む気持ちはあるけど、まあ兄の努力は知っていたし。自分に努力する才能がないことは嫌というほど実感させられたから「兄みたいになりたい!」みたいな気持ちも一瞬で失せてしまった。
誰も責めようがない。
行き場のない鬱屈した気持ちで胸がいっぱいになり、兄妹から逃げるように隣県に社宅のある仕事に就職した。
一切経験のない工場勤務の仕事だったが、高校を出た時と同じように「まあ大丈夫でしょ。高給だし金のためならやれる」と軽い気持ちだったのを覚えている。
結果、一ヶ月続かなかった。
ただでさえ体力が追いつかないのに、毎日の残業と夜勤、そして現場でのパワハラで精神までやられてしまった。
最初は楽しかった一人暮らしも苦痛になり、身も心もズタボロになってギブアップを宣言した。
自分が使えない人間であることを嫌と言うほど思い知らされ、実家に帰ってきた。
働きたくても怖くて一歩を踏み出せない。
そんな自分の不甲斐なさが、余計に心に影を差すように感じながら今生きている。
話は変わるが、数年前、有名ボカロPが20歳の若さで自殺した。これが生前の最後のツイートになる。
https://twitter.com/siinamota/status/624184390592000000
自分はボカロには疎かったのでこの人の事も知らなかったのだが、「気持ちはわかるなあ」ってなんだか謎の同意が心に残っていて、今でも思い出す。こんな無能に同意されても気持ち悪いと思う。ファンの方がいたら本当にごめんなさい。
で、なんでこの話をしたかと言うと、自分の体が使い物にならないのを知ってしまったし、心は完全に働くことに対して及び腰だし、細かな体の不調がどんどん明るみに出てきて収拾つかなくなってるし、治すほどの根気も自分にないし。なんかこう、そういう膿のようなものが体にも心にもたまっているのを感じて、リセットしたいなあ、消えて無くなりたいなあ、と思ってしまうから。
長年やってるSNSも心の支えだけど、長年やってるせいで「罵倒していいやつ」みたいな扱いになってて。オフで会ってもネット上でも言葉でボコボコにされるし。高卒無職とか言えずに大学生気取ってるから悩みの相談なんて出来ないし。
あと最近若い子がネットに増えすぎ。才能のある歳下がバンバン目に入ってきて痛い眩しい辛い怖い苦しい。自分は絵も描けないし文才もないのでエンタメの素養が全然ないんだなって自己嫌悪が止まらない。
とりあえず趣味があってよかったとは思えるけど、リアルもネットも本当にリセットしたいなあって思います。
とりあえず自分でもわけのわからないまま吐き出してしまった。一文字でも読んでもらえたら自分の負担が分散するのかなって思います。いやもう書いてるこの時点でだいぶラクになったけど。以上。
暗号通貨のコンセンサスアルゴリズムには大きく分けてPoWとPoSという二種類がある。保有するコイン数に応じて報酬を得られる確率が決まるPoSは、大量の電力を消費するPoWに比べてエコで優れていると思われがちだが、実は深刻な問題点があり、その価値は0に収束することが示せる。
暗号通貨は誰でもHF(ハードフォーク)によって複製を作ることが可能である。例えば昨年はビットコインからビットコインキャッシュを始めとする様々なHFが生まれた。元のコインを所有しているものはHF先のコインも手にすることが出来る。これは暗号通貨の世界だけを見た場合には錬金術のように見えるかも知れないが、外の世界を含めて考えてみるとマイニングによる改ざん検証能力が分散する(二つのコインを同時にマイニング出来ない)ため本質的な価値は増加していないと言える。つまり、HF前のコインの価値をA、HF後のコインの価値の和をB+Cとすると、A=B+Cが成り立つ。
一方でPoS型のコインの場合、HF後の二つのコインを同時にマイニングすることが可能であり、またそれが最も経済的に合理的である。従って、HF後の二つのコインはHF前のコインと同じ改ざん検証能力を持つことになる。つまり、HF前のコインの価値をA、HF後のコインの価値の和をB+Cとすると、A=BかつA=Cが成り立ち、HFによって価値の総和はAから2Aに変化することが分かる。ここで、A>0を仮定すると、HFを繰り返すことにより無限に価値が増え続けることになり矛盾。従ってA=0が導かれる。
90年代前半に、日本の会社の主力事業が軒並み苦戦に陥った。そこで、会社の主力事業を畳んで新しい主力商品を作る必要があった。
90年代後半になると、「選択と集中」という言葉が流行しだす。どこの会社も、役人も、主力も含めた全ての部署から少しずつお金と人を削り、新しい事業にドカンと投資した。これが選択と集中だった。
しかし選択と集中はうまく行っていないようにみえる。その理由を私なりに考えてみた。
選択と集中のイメージは、痛みを伴って不採算部門を大胆に潰し、今後成長の可能性が高い、新たな事業に集中的に投資する、というものだ。
そのため、上司も部下も苦しいけれど、ここで頑張ればきっと将来はもっと儲かるはずだ、というイメージを持たれている。
しかし実際は全く違う。
実際に行われた「選択と集中」では、「選択されていない」部署からリソースを集め、「選択された」部署につぎ込む。
「選択されていない部署」の余裕を剥ぎ、みんなが少しずつ今より無理をすること、
そして新しい部署を作ってリーダーを増やすことが特徴のシステムだった。
これはみんなが上司になることを目指す日本型経営にとても合っていた。
「選択と集中」のポイントは、儲からない仕事をたたむ必要が無いことだ。
会社の調子が悪いからみんなが苦労する。そして新しい部署を立ち上げた人は功績を得る。
誰も責任を取る必要がない。しかも誰かが新しい功労者になることができる。
それが「選択と集中」だった。
問題は「畳むべき不採算事業」に責めを負わせない以上、「畳むべき事業」「芽が出始めた事業」「好調な事業」の全てからリソースを少しずつ取り上げることだ。
すると「畳むべき事業」だけでなく、「芽が出始めた事業」「好調な事業」にも余裕がなくなる。好調な事業が伸びなくなる。
これが今の日本社会だ。
みんなが遅くまで働いてる。上司も部下の面倒を見ながら細かい書類を作成し、会議も出るわ営業もするわ、もうなんでもやる。でもそんなんで本当に大切な仕事に集中できるのだろうか。
エースと呼ばれる人たちが、会社で言えばウェークマンやiPhone級、研究者で言えばノーベル賞級の仕事に集中できないのは「選択と集中」という危険なイデオロギーが原因なのだ。
またスケールメリットだけで勝負するために集中投資してもダメだ。
選択と集中は、みんなからちょっとずつ集めてドカン、というやり方だ。これはダメなんだ。
それではどうすればよかったのだろう。
事業を畳む必要はなかったのだろうか。もちろんそうではない。逆だ。儲からない事業を潰すんだ。万難を排して潰すんだ。それができないなら改革なんて何の意味もない。
そして、その空いたリソースを分散するんだ。儲けゼロの新事業に集中投資したらダメだ。
だから選択と集中に代わる正しいやり方は、バサッと切ってパッパッ、だ。
選択と集中に成功したすべての企業は、何らかの事業をバサッと切っている。そして失敗した会社は、集中した事業はわかりやすいものの、切り捨てた事業がわからない。
日本企業の幾つかは、「これから投資する部門」を「選択」した。そしてそれは何の意味もなかった。
別の企業の幾つかは(日本企業も含まれる)、「切り捨てる部門」を「選択」した。それはとても意味があった。
こうして考えると、「選択と集中」が経営者の甘えであったことがよく分かる。
つまり、不採算部門をバサッと切り捨てることこそが重要で、何らかの事業に集中することは、じつはどうでも良かった。
なのに、不採算部門を切り捨てることが出来ない経営者が、リソースを削ぐため「こっちに集中するから、少しだけ我慢して」と言った。
はてブにあがっていた、
http://statmodeling.hatenablog.com/entry/best-hospitals-for-cancers
以下では病院ごとの生存率や手術率を比較するために、癌種t・病院hにおける男性比率を0.5・平均年齢を60・平均進行度を2.5(おおよそステージIIに相当)に仮に固定して議論をすすめます。
これは無茶がありすぎ。
https://www.ncc.go.jp/jp/about/disclosere/result_h/index.html
肝細胞がん
進行期 症例数
I 28
II 120
III 153
IV 50
進行期 症例数
I期 425
II期 139
III期 120
IV期 46
癌種における進行度の分散が全然違うし、症例数そのものも違うし、それぞれの癌種の生存確率も違う。
この仮定を置いた時点で、どのようなモデルをつくろうが、単純に難病を受け入れる病院が不利になるに決まっている。
少なくとも各病院の患者のステージ別、癌種別人数位は推計してからモデル化しないと。
なんでみんな素直に称賛しているのかさっぱりわからない。
そもそも固定値として仮定に置いている、男性比率・年齢・進行度こそが5年生存率の主要な説明変数であり、病院ごとの技術の差なんてそれらと比較すると説明力10%もないんでないの?
選挙予測でいうと、過疎の選挙区と千代田区の住民年齢構成比を全国平均を割り当てて自民党得票率を予測しているようなものだろ。当たるわけないよね。
昨今将棋界に注目が集まったことをきっかけに、「男女に棋力差はあるか」という100万回やった議論がまた再燃しているようです。まあ議論自体は大いにやってほしいです。私も興味あります。
で、気になるのは「男性プロは160人いるが女性プロは0人なんだから棋力差がある」という主張です。
これはさすがに雑な主張な気がします。
各種の調査で将棋の競技人口全体は400万人とも1000万人とも言われていますが、どう考えても1000万人は多すぎます。日本人の10人に1人が将棋を指しているとは思えない。
まあ400万人としましょう。体感的にはそれよりさらに少なくてもおかしくないと思います。
で、その中でも「本気で将棋に打ち込む26歳以下の人」は1/1000ぐらい、すなわち4000人ぐらいしかいないんじゃないでしょうか。
そして
http://zekipedia.hatenablog.com/entry/2015/06/19/110006
これを信用するなら男女の比率は35:1
つまり4000人のうち男性は3888人、女性は112人ぐらいということになります。
(岡山県予選の女子が4人しか出場者がいないことを考えるとまあ妥当な推測かと思います。)
「女性が約3%いるなら160人のプロのうち4~5人女性プロがいないとおかしい」とか言う人もいるでしょうけど、
本当にそうなるんでしょうか?
・棋力の分布は正規分布に従い、男女とも平均50、標準偏差10である。(男女で平均と分散が同じであることが重要で、平均値はどんな値でも結果に影響しない。標準偏差も結果に大きくは影響しないと思う)
・26歳以下の男女全体で最も棋力の高い上位2人がプロになる。(奨励会制度が半年ごとに2人プロ入りするのを念頭に)
実行
・これを50回繰り返し(つまり奨励会制度が25年続いたとき)プロ入りする女性が何人いるかをカウントする
シミュレーション結果
という結果でした。
まあこのシミュレーションは明らかに仮定が雑なんですが、大目に見てください。
シミュレーションの結果自体を疑う人は自分でプログラム組んでみてください。
で、これを踏まえると
「男女間で棋力差が無くても、今まで女性棋士が1人もプロ入りできないという事象はありえないことではない。(運が悪いことにはなるが)」
と言えると思います。
あったとしても一般に感じる印象ほどには平均棋力の隔たりはないんじゃないでしょうか。
個人的には他の要因として
・有望な女性奨励会員は女流棋戦に参加し棋譜が公開されるので対策を練られやすいのに対し、男性奨励会員の棋譜は基本的に公開されないので対策が立てづらい
などの環境要因が影響しているのかなとも予想しています。根拠は無いので無視して良いです。
P.S.その2
今後男女の棋力差の議論ではせめてこの記事ぐらいには論理的な根拠を示して議論して欲しいと思います。
たとえば「男女で空間認識能力が違うから棋力差がある」と主張するなら「男女の空間認識能力」に関する研究結果や記事、そして「棋力と空間認識能力に因果関係がある」ことを示す研究結果も提示する必要があるでしょう。
それで家を暖めるか家を燃やすかは知らないが、核の炎が必要だ。
再生エネルギーは同時に分散エネルギーということでもあり、つまり送電インフラストラクチャを排除するということである。メガソーラーはいわゆる再生エネのうちに入らない。太陽光発電とか風力発電では東京の人口密度を支えることはできない。どうしてもやりたかったら首都圏の周辺に発電所を設けて集中的に電気を作り、送電するしかない。であれば原子力を使うべきだ。
東京首都圏に住むわれわれは科学万能時代においてテクノロジーと共に生きテクノロジーと共に死ぬことを選択したのだ。それが突然に死にそうになったから今度は自然がどうしたなどちゃんちゃらおかしい。東京湾にさっさと原発を作れよ。いや湾内は流量が不足するから湾口より先にはなってしまうのだが、ともあれだ。
普段からよくブックマークのトップページの人気のページを見ている
しかし、何かが話題になるとそれに対する記事があちこちで出てそれらに分散してブクマがつくので、同じような話題ばかり並んでいることが多い
例えば
年末ころは ため息ついたピカチュウみたいなのが流行っていたし
全体的によく入るのだとAI系とかビットコインとかが去年は多めだった気がする
ただそれらに興味がないとトップページがいらないもので埋め尽くされてるわけなので邪魔でしかない
それらが話題になってるということはわかるが、一度わかればもういらないから消したい
興味のないどうでもいいページで貴重な枠を取ってほしくないという以外にも理由がある
エントリーに対して画像が出て来るが、それがすごくイラッとするものだったりして、見るたびに消えろって思う画像もある
できるならパーソナライズしたニュースまとめサービスのように、話題のような単位で(キーワード指定するなど)いらないものはブロックしたい
まあ、そういうサービスとはてブはそもそもカテゴリが違うからそこまでは無理だと思うので、せめてトップに出てくる一覧からいらないものは×ボタンを押して消せるようにしてほしい
今回のこのタイトル、
『いち風の戦士が書く~~』ってカッコつけてやろうとしたんですけど、
あまりにも偏見とか私感なんちゃらが入りすぎてたのでやめました。
同僚への配慮です。
(そのため、この記事には読む人によっては気分を害する内容が含まれている可能性があります。
心が穏やかな状態の人だけ読んでいただければ幸いです)
さて、大丈夫でしょうか。
まあ、こんな記事を好んで読むような方は、TB投票とはなんちゃらをよく理解しているだろうし、
私は日々、ミリオンスターズの一人、七尾百合子をプロデュースしており、
その七尾百合子は、
そこで私は、
Nカードの姿はちゃっかり本を抱えている。
(TA投票ではその要素を活かして『勇者役』を勝ち取ったりもしました)
そんなこともありまして、
SNSやコンベンションセンターではさほど荒れることもないく、
百合子が探偵一本に絞っていく!というのは早い段階で決まりました。
もしかしたらテーマと役が発表された時点で大本は決まっていたかも。
多くの票を一気に集中させ、盛大なスタートダッシュに成功しました。
②、コンベンションセンター、discordを用いた一斉投票企画
まあ意味合いとしては、いずれ消え逝くコンベンションセンターの代理と言ったところでしょうか。
それはさておき。
百合子陣営、一斉投票企画がとても上手く行っていた印象があります。
2位以下を大きく引き離しました。
コンベンションセンターやdiscordでの意思疎通はとてもスムーズに行き、
(これも、役がピッタリハマっていたことが一要因ではあると思うが)
これは若干反則技のような気もしますが……。
多くの票数を獲得することができました。
初限定SSRカード、イベント上位報酬、Princess Starsのイベントにも参加……。
ミリシタの第二弾PVでは扉を開いて入ってきたプロデューサーを出迎えたのは百合子でしたし。
39人のミリオンスターズの中でも、百合子は特別な優遇をされていました。
あまり声を張って言うようなことでもない気がするけど……。
さて、これで四つです。
ぱっと見たところ、どうですか。
これ絶対に勝ってるやつやん。
……自分でも書いていながらそう思いました。
とてもスムーズに事が運んだ印象です。
それでなくても、風の戦士たちです。
ミリオンスターズの中でも最も大きな派閥と言っても過言ではない。
その勢力が、決まりきった役どころに、すべてをかけて、役を取りにきた。
でも、
負けたんですよ……。
この記事を書いている現在(1月27日)、まだ正式な結果は出ていませんが、
その差、6万票ほど……。
圧倒的な敗北でした。
流石に6万票差……。
幾ばくか票数は変わるとのことですが、
それでも6万票差……。
(それに不正投票の除外を期待するのはなんだかイヤですし)
百合子Pたちが……。
圧倒的な票差をつけられ、破れました。
はい。
本当にですよ。
本当に、勝つ要素しか無かったんですよ。
言い訳がましいですが、それでも本当に、
スタートダッシュを決め、
更には、百合子が2位に陥落した時、
百合子を勝たせようと、多くの他担当Pが助力をしてくれました……。
それでも、負けたんです。
勝ちに不思議な勝ちあれど、
負けに不思議な負け無し。
本当に、どうして負けたのか……。
抜いた抜かれたの大接戦を繰り広げた後に
僅差で破れでもしたのなら
天災……。
天災。
……。
それだけなのに、致命的すぎた。それが致命的だった。
巻き込まれたら最後、他のどのアイドルでも太刀打ちできなかっただろう。
……こんな感じでしょうか。
そうでもしないと、納得ができないというか。
反対に、『探偵白石紬』の敗因となりえた部分にも触れておきますか。
TB投票イベが始まってすぐ、白石紬は総投票数ではトップクラスに躍り出ました。
その反面、特定の役で1位になることは長らくありませんでした。
3テーマ15役全てのトップ5に入ったこともあるくらいでしたし。
TA投票時の北沢志保……。いや、それ以上の死票が出たのではないでしょうか。
普通、あれだけ死票を作ってしまえば、後々取り返すのが苦になるものです。
実際、そうでしたし。
②、ゲーム内コンベンションセンターが無いという事実。
グリマスゲーム内コンベンションセンターがありませんでした。
投票が始まった直後は意思疎通をする場も無く、担当Pは大変だったのではないでしょうか。
……こんな感じでしょうか。
多くの勝因を備えた七尾百合子。
そして、勝敗の結果は先のとおりです。
本当に、運。
運の悪さ。
……。
少し、前言修正。
そういうことは決して思いません。
決して、決して。
意見をまとめあげ、役を決定するまでには多くの苦労があったことでしょう。
ただ、それでも、
それらを乗り越えての6万票差という結果。
それらは説明がつくのかというと、
やはり、難しいのではと思うのです。
そして、もう一つ思ったのは、
その勢いは、既に全盛期のそれでは無いのでは……。
ミリシタでの『Growing Storm!』イベも、ボーダーが跳ね上がるということは無かった……。
たった、それだけの存在であった……。
ええっと、なんだっけ。
……にしても、書きたいことは書けたはず。
うん、多分。大丈夫。
ここまでこの拙文を読んでくれた方はいるのでしょうか。
もしいるとしたら……。ごめんなさい。変なものを読ませてしまって。
ただ、本心です。
運悪く、天災のような勢いに飲み込まれ、役を得られなかったこと。
それらを、なんとか文にしたかったんだと思うし、それができてよかったと思っています。
で、文を書いたなら締めないといけないんですけど、
どうやって締めたものでしょう……。
まあ、そうですね。
二度ある事は三度あると言いますし
また投票イベがあることを信じながら、
もし、次の投票イベがきた暁には、
いや、ゼッタイにあげてみせる!
みたいなことを決意しながら、この拙文を締めようと思います。
お疲れ様でした。
昨日の帰宅時、札幌市営地下鉄東西線宮の沢行きでの事。
ぎっくり腰の妻が地下鉄に乗った際、座席に空きが無かったので仕方なく出入り口付近の手すり(ポール?)に寄りかかって手すりと杖を頼りに立っておりました。
乗り込んだ駅から走行中、どういう訳かひとつ隣の扉の方が近い位置から、2人ほど突き飛ばしながらこちらに向かって来た女性が、妻と扉のわずかな隙間に妻を突き飛ばすように割って入りました。
妻は杖と手すりに体重を分散してようやく立っていられる状況でしたが、その女性は割って入った後も妻をずっと押し続け、妻は相手に「ちょっと痛いんですが」等と3度ほど訴えたのですが全く無視され、挙句に寄りかかっている手すりから突き飛ばされる寸前になってさすがに私も見ていられなくなり、相手の肩を掴みんで押しのけたところ、無言のまま更に全体重を掛けて押し返してきました。
私は堪らなくなり「杖ついてるだろうが!」と声を掛けたところ、ようやく押し返すのを止めましたが、このせいで妻のぎっくり腰が悪化してしまいました。
相手方は(恐らく)わざとでしょうから、一度も顔も向けません。
この女性は一体何の為にわざわざ遠くから杖をついている人間を突き飛ばし、更に怪我人に体重を預けるような嫌がらせを続けたのでしょうか。
せっかく治りかけたものが悪化し、今日は病院に行かなくてはならないかも知れません。
私はもう何年もうなぎを食べていないし、周りにも食べないようにうなぎゃしている。
しかし、それでもなお日本の国民の多くはうなぎを販売し、消費し続けており、うなぎは確実に絶滅へ向かい続けている。
正直な所、私は二度とうなぎが食べられなくなるのは構わないが、国際的に働く身分上、うなぎを絶滅させた国の人間というレッテルを張られるのは嫌である。
思うに、本当にうなぎが絶滅してしまった時に歴史に名前を刻むべき責任者が明確になっていないのが悪いのだ。
その人をもっと有名に仕立て上げ、間接的に決断を強いることが私にできることではないかと思い至った。
汚名を刻みたくなければ、あらゆるしがらみを断ち切って決断し、代わりに英雄として名前を刻んで欲しい。
あるいは
だろうか。
仮想通貨や電子決済というだけなら、ATMで金を入れればクレカで決済できる。分散仮想通貨は機能では既存の決済システムと何ら変わりない。
もちろんバブルだから値が釣り上がっているということがほぼすべてだが、既存決済システムから分散通貨に資本が流れる理由は高度な技術やコンセプトではなく、既存金融の経営陣への単純な否なのではないか?
銀行だけ口座開設が手間だから嫌だとか、銀行だけUIの勝手が違うから嫌だとか、銀行だけクリック数が多いから嫌だとか、銀行だけセキュリティが低いから嫌だとか、そういうことなのでは?
店とか遠いんだよね
自転車や車で行くにしても、往復で40分は取られる
学校は片道30分が基本だった
その後政令指定都市に行ったんだけど
やっぱり店も学校も遠いんだよね
全部一通り揃ってるけど、揃ってるだけで近いわけではない
その後関東に来たんだけど
ドアtoドアで60分〜80分
地方より遠いやんけ
駅前に店が集中してるから、私生活は基本的に往復30分くらいで何とかなるんだけど
通勤が長くてそれどころじゃないわ、帰ったら店とか閉まってるしさ
雑貨や家具を見ようとすると、結局地方に居たときと変わらないくらいに往復の時間がかかる
電車で隣駅まで行かないとなかったりする
渋谷とか新宿とかにしか店がないと往復1時間覚悟しなきゃいけない
スーパーが近場にないし、コンビニも遠い、地方に居た頃より不便かもしれん
あと店がビル内だったり地下だったりして迷うし、ハズレ店も多い
その点ネットはすごい
Amazon行くのに2秒くらいだ
そりゃリアルは負けるって
往復1時間以上かけて徒労に終わった時のあの切なさがなあ
売り上げは1日あたり300万~600万程度の店舗
従業員総数は100人程度。社員は10人程度。残りの従業員の平均時給は900円台で過半数は最低賃金そのまま。
扱ってる商品サービスは実に幅広く、部門数は30程度あり、部門担当者は部門数と同程度の人数しかいないが基本的にパート。
まず部門担当者は大抵の部門が1人しかいない。部門担当者は他の部門が在庫をどう管理しているかとか把握してる時間があるわけがない。
店の営業時間が12時間×7日間として担当者が出勤している時間はそのうちの約半分であり、労働時間の半分以上は接客中であるため、担当者を呼べと言われても呼べる確率は25%にも満たないし、相手に残業を押し付ける構図なので呼ぶ気にもなれない。
商品がレジを通過する量と、商品が荷受から売り場にならぶ量は同じである。
レジ人員と売り場従業員の人数が同程度であれば当然売り場従業員は接客等してる暇などない。誰が売り場に品出しするんですか。
4時間ずっとレジの待機列が途切れないのであれば問題であるが、少しレジに波が押し寄せた程度で売り場従業員をレジに使われたりすれば、結果レジが暇する時間が増える一方で売り場従業員は絶望的に残業時間が増え続ける。
一人の客が少し早く帰りたいだけのために売り場従業員の作業を中断させるな。客はお前一人ではない。
結果他の客含め多大なる迷惑を生むだけだと理解してるまともな人間達が損をするだけだ。暴れたいなら他の店を探し出して暴れてください。
売り上げに対して使える人件費は比例しており、レジが一か所にしかない店舗であればまだいいがレジが分散している店舗であればレジが暇する時間が増える分だけ売り場従業員のサービス残業時間が増え、また売り場の質が非常に悪くなり現状維持が困難でたくさんの悪循環を生む。
降ってくる仕事の速度が速く、例えば配達受注から受注した従業員側の作業完了まで2時間経過しちゃうようなことが日常である。
住所等を書いてもらい客だけ帰ったあと配達業者への引き継ぎ作業を完了させる間に木材切ったりレジに呼ばれたりが続いて2時間後にやっと接客が途切れるような状態である。
とにかく店内放送での接客要求が鬱陶しい。対応できる従業員が存在しないことくらい客側でも分かるだろう。
無駄に暴れる客がいる一方で、必要なのに従業員に話しかけるのをためらってしまう人もいる。(私が全体幸福自己犠牲主義ゆえに躊躇ってしまう)
客の頭の中にある妄想イメージを適切に言語化してもらわないと一切伝わらないし、そんな妄想に付き合うのなんて他の客に迷惑をかけるだけのボランティア従業員でしかない。
客という立場で暴れる客が多く、暴れられるくらいなら時間も無駄なので終わらせるためにサービスすることが多い。
それはそれでよくないが、恥知らずのやつに人間として教育してあげる時間的余裕などない。
携帯ショップでも病院でもなんでもいいけど、順番を待つなんて当たり前に存在すると思うのだけど
なぜかホームセンターの客層は待つという概念を知らないやつが多くてレジ等で暴れるやつが多い。
百貨店並みに利益の高い商品を扱っているのであれば従業員数に余裕があるのかもしれないが、薄利多売のホームセンターに接客してる余裕のある従業員など存在しない。
コンビニやスーパーでそんなに従業員に話しかけますか?なんでホームセンターの従業員には話しかけるんだ?それに対応できる人員など用意されてないんだが。
私個人は東京の大学に通っていますが、成人式は、高校卒業までを過ごしたいわゆる「普通の地方都市」のものに出席しました。成人式自体は非常に平凡かつ平和なものでした。近くに住んでいたというだけで同じ校舎にぶちこまれていたかつての級友たちとの再会を楽しみ、今は東京に戻っています。
さて、出席して改めて思うのは、成人式は「中学の最後の学校行事」だということです。主催は地方自治体と、その対応する教育委員会ですし、会場の治安維持には当時の先生方が駆り出されていました。(平和ではありましたが、「荒れる新成人」対策はがっつりされていました。以前大変なことになったことがあるようです。)そして、学校行事である以上、その場にはあの頃と同じ「スクールカースト」の力場が保存されていました。あの頃の教室の雰囲気を思い出すのにそれほど時間はかかりませんでした(!)が、あの独特のサル山リバイバル感が無理で成人式に出席しない、という選択をする人たちの気持ちは十分に分かりました。私自身は、あの頃にいい思い出はないもののそれなりに神経が太いので気になりませんでした。(「地元」というコミュニティからある程度離れてしまっているのもあると思います。)
ただ、あの頃の学校行事と異なり、成人式にあっては、その当時のスクールカーストに加えて(成人式では一時的に不可視であるように振る舞うことが求められているものの)社会的な役割分担(階層)がある程度見えています。これら2つの「構造」の比較検討は、フィールドワークの考察としてはかなり面白いと思ったので、とりあえず雑に考えてみます。(レポートじゃないのでテキトーです。許してね)
改めてスクールカーストを俯瞰的に見てみると、以下のようなマトリクスで整理することができるはずです。どこかのブログ記事かなにかの受け売りで、スクールカースト一般の問題を語るのに適切かどうかはわかりませんが、今回は便利なので使ってしまいます。
\ | 学業成績が優秀(教員に従順) | 学業成績が不振(教員に反抗的) |
---|---|---|
コミュニケーションが比較的得意 | 「リア充」タイプ | 「不良」タイプ |
コミュニケーションが比較的苦手 | 「優等生」タイプ | 「オタク」タイプ |
以下、成人式時点での社会階層(の萌芽)との対応を述べていきます。
ほとんどが大学に進学。東京圏の地方都市であることも要因としては大きいだろうが、東京の私立大に通っている割合がきわめて高いことが特筆すべき点。背景として考えられるのは、彼ら/彼女らの家庭が比較的安定していたこと、自分自身の容量の良さから「楽かつ評価される」選択肢を選び取ったことなどか。就職先として地元という選択肢はかなり薄めのよう。
当時から「不良」タイプとの関係性が良好であり、アルコールにも慣れていることから、同窓会後の2次会でも中心的な役回り。男性の中でも血気盛んな層は「不良」タイプの女性とワンナイトラブをキメたよう。
高卒もしくは専門学校に進学。いわゆる「地元」コミュニティの中心をなしているようで、そのコミュニティの関係性を悪化させてしまっていた「元」不良たちはそもそも成人式に出席していなかった。家庭環境がさまざまだが、比較的早い段階で家計を支えることが期待されており、当時のような「ヤンキー」的振る舞いはほとんどなかった。それでも様々な着飾り方、騒ぎ方で成人式の夜を賑わしていたが……。一方で大学進学者も一定数いて、多くは高校からの推薦で、地方の大学に在籍しているよう(就職を意識してか、比較的理工系が多めであるように感じた。)
「つっぱり方」を基軸とした当時の力関係が希薄になるにつれ、地元自営業者の息子/娘もこの層と仲良くしていたのはおもろいかな。
大学進学者が中心であることは「リア充」タイプと共通しているが、比較的国立大学進学者が多め。(女性を中心に)典型的には地元大学の学生だが、理工系を中心に東京圏の中堅私大にも分散していた。地元との関係性は一番希薄であるものの、地元就職を視野にいれた就職活動を行うよう。大学入試偏差値や就職を考えた場合、在籍中の大学の「レベル」はリア充タイプと拮抗しており、今となっては絶滅寸前の浪人経験者もこの層に集中。(余談だが、イキリオタクの如くこの文章を書いている私もこの層に属していると言える。)
一部は大学での経験をもとに「リア充」タイプへの順応を見せているか。
大学もしくは専門学校進学者がほとんど。コミュニティとしての「地元」には所属していないものの、実際は地元に残っている場合が多い。なぜか分からないが、男性ではスーツの着こなしが一番微妙だった。当時と比較して「優等生」タイプとのコミュニケーションを志向している様子が見て取れ、同窓会ではアルコールも控えめい、かなりおとなしく過ごしていた。高校卒業後フリーターをしている層はここに集中しており、このご時世にあってコミュニケーション能力の果たす役割の大きさを感じずにはいられなかった。
当時のスクールカーストに対して学歴で復讐、みたいな素敵なことはなく、社会の荒波と言われるようなものは(少なくとも自分の地元では)スクールカーストとなんとなく連続している。ただ、東京の大学に進学することは、「提示されている選択肢の多さ」という点で大きなメリットであり、また、終わりつつある「普通の地方都市」という機構から脱するためのいちばん有効な手段。
もちろん家庭環境は当時のカーストから現在の状況までを形作る通奏低音であるものの、社会全体の成長という神話が終わってしまった自分たちの世代にあって、ふたたび地方における「構造」として安定的であるかどうかは疑問。「不良」タイプの家庭の再生産は現在の就職環境にあっては以前より難しいし、「優等生」タイプに提供される地元の就職先の選択肢は縮小しつづけている。「オタク」タイプは「結婚しない/できない」問題の中心にあるし、今後の私の街はどうしようもなく不安定な何かしらになってしまう気がする。