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はてなキーワード: 日本型経営とは

2024-09-27

anond:20240924164210

今はもう忘れてしまたかもしれないけど

アメリカ時代は終わった、これから日本時代だ」

とか言われてたんだよね

そのアメリカが復活した

何でかといえば大リストラをやったか

日本リストラといえば解雇同義だが

アメリカ企業は大量解雇の一方で成長部門ITなど)は大量採用

(もちろん解雇された人が再就職できずに転落する闇の部分はあるけど)

日本はそれができずに、バブル崩壊後に解雇新入社員を減らすことで対応

かつては日本経営としてもてはやされた終身雇用家族経営が仇に

2022-04-02

なぜ大勢の人が年功序列のせいで賃金が上がらないという神話を信じているのか

もし本当に日本社会年功序列が残っているならおじさんおばさんの賃金は上がっているはずだが

実際の統計データではおじさんおばさんの賃金も下がっている

統計的事実はこうだ

日本企業の売り上げは上がっていない、だが利益は上がっている

理論的に考えてコストが下がっていると考えざるを得ない

そして統計から日本企業人件費は下がっていて、これは派遣が増えたとか給料が上がらないという労働者の実感とも一致する

増えた利益経営者層や株主などの社会の一部の階層に流れ込んでいる

ここ20年ぐらい年功序列無能おっさんを温存するだけだからやめよう

実力主義で年齢関係なく評価する制度にしていこうという掛け声運動が盛んだが

そもそもデフレ経済環境下において成果を出すというのはそうそうできるもんでもない

労働者層としては企画した物が売れるとか新しい契約を取り付けるとか売り上げアップを狙う形でしか成果をアピールする手段がないが

物が売れない社会で売り上げを上げるなんて芸当は普通は無理なので、成果が出ていないという判断をされざるを得ない

しか経営者層は正社員を切って派遣に置き換えることで人件費圧縮して利益を上げるというチートが使えてしま

デフレ下における実力主義とは最初から経営者しか有利じゃない無理ゲーなので、なんだかんだ言って労働者層の賃金圧縮の程の良い言い訳として機能してきたというのが実情ではないだろうか

結論として年功序列日本型経営も実は全然悪くない、濡れ衣であると言えるだろう

2020-07-17

anond:20200717204021

昔の日本はさ、丸々よりマシとかい消極的理由じゃなくて、

もっとあれがいい、これがいいって積極的理由から日本のいいところをあげられたよな

日本型経営がいい、日本技術力は世界最先端日本土地世界一高い

ところがいつの間にか日本人は、マシだからという価値付けしかできなくなったよな

民主党よりマシ、小池は他の候補者よりはマシ

俺はさ、そういう世界で生きてる日本人は

すげー貧しくなった、もっとマシな世界があることすら想像もできなくなるぐらい貧しくなったと思うんだよな

2020-05-06

https://anond.hatelabo.jp/20200505234557

「やっぱ内部留保って大事だよな」という点を、どこかのタブロイド新聞理解してもらうためじゃない?

伝統的な日本型経営は、内部留保大事にするのよ。

会社批判するのが趣味のような言論人の口車に乗った方々は、軒並み死亡ですね。

2018-02-07

選択と集中」は経営者言い訳だった

90年代前半に、日本会社の主力事業が軒並み苦戦に陥った。そこで、会社の主力事業を畳んで新しい主力商品を作る必要があった。

90年代後半になると、「選択と集中」という言葉流行しだす。どこの会社も、役人も、主力も含めた全ての部署から少しずつお金と人を削り、新しい事業にドカン投資した。これが選択と集中だった。

しか選択と集中はうまく行っていないようにみえる。その理由を私なりに考えてみた。

選択と集中イメージは、痛みを伴って不採算部門を大胆に潰し、今後成長の可能性が高い、新たな事業に集中的に投資する、というものだ。

そのため、上司も部下も苦しいけれど、ここで頑張ればきっと将来はもっと儲かるはずだ、というイメージを持たれている。

しかし実際は全く違う。

実際に行われた「選択と集中」では、「選択されていない」部署からリソースを集め、「選択された」部署につぎ込む。

選択されていない部署」の余裕を剥ぎ、みんなが少しずつ今より無理をすること、

そして新しい部署を作ってリーダーを増やすことが特徴のシステムだった。

これはみんなが上司になることを目指す日本型経営にとても合っていた。

選択と集中」のポイントは、儲からない仕事をたたむ必要が無いことだ。

会社調子が悪いからみんなが苦労する。そして新しい部署を立ち上げた人は功績を得る。

誰も責任を取る必要がない。しかも誰かが新しい功労者になることができる。

それが「選択と集中」だった。

問題は「畳むべき不採算事業」に責めを負わせない以上、「畳むべき事業」「芽が出始めた事業」「好調事業」の全てからリソースを少しずつ取り上げることだ。

すると「畳むべき事業」だけでなく、「芽が出始めた事業」「好調事業」にも余裕がなくなる。好調事業が伸びなくなる。

これが今の日本社会だ。

みんなが遅くまで働いてる。上司も部下の面倒を見ながら細かい書類作成し、会議も出るわ営業もするわ、もうなんでもやる。でもそんなんで本当に大切な仕事に集中できるのだろうか。

エースと呼ばれる人たちが、会社で言えばウェークマンやiPhone級、研究者で言えばノーベル賞級の仕事に集中できないのは「選択と集中」という危険イデオロギーが原因なのだ

またスケールメリットだけで勝負するために集中投資してもダメだ。

選択と集中は、みんなからちょっとずつ集めてドカン、というやり方だ。これはダメなんだ。

それではどうすればよかったのだろう。

事業を畳む必要はなかったのだろうか。もちろんそうではない。逆だ。儲からない事業を潰すんだ。万難を排して潰すんだ。それができないなら改革なんて何の意味もない。

そして、その空いたリソース分散するんだ。儲けゼロの新事業に集中投資したらダメだ。

から選択と集中に代わる正しいやり方は、バサッと切ってパッパッ、だ。

選択と集中成功したすべての企業は、何らかの事業バサッと切っている。そして失敗した会社は、集中した事業はわかりやすものの、切り捨てた事業がわからない。

日本企業の幾つかは、「これから投資する部門」を「選択」した。そしてそれは何の意味もなかった。

別の企業の幾つかは(日本企業も含まれる)、「切り捨てる部門」を「選択」した。それはとても意味があった。

そして「集中」は、企業の成長に何の意味もなかった。

こうして考えると、「選択と集中」が経営者の甘えであったことがよく分かる。

まり不採算部門バサッと切り捨てることこそが重要で、何らかの事業に集中することは、じつはどうでも良かった。

なのに、不採算部門を切り捨てることが出来ない経営者が、リソースを削ぐため「こっちに集中するから、少しだけ我慢して」と言った。

この言い訳こそが「選択と集中」だった。

言い訳だけしている分には良いけど、それじゃ「痛み」に耐えられなくて、実際に集中した事業を始めた会社が倒れた。

元々の強みに投資した会社は悪くなっていない。

2017-12-21

労働生産性が低い責任から免れる日本人はいない

経営者責任もあるが当然個人責任も重い

個人生産性がもし高いのであるなら、みんな昔ながらの日本型経営にしがみついている理由がないからだ

フリーランスになったり、起業したり個人生産性が高いならそれが可能

でも、それができないのはひとえに組織歯車になることでしか成果を出せないか

学校の成績が悪いのは教育方針問題があるのはもちろんだが当然個人責任もある

それと一緒だろ

正直、勉強の出来ない学校の生徒が俺が頭悪いのは学校のせいだと言ってるような滑稽な光景はてなでもSNSでも広がってる

それともみんな実は外国人かなんかなのか?

2014-06-17

http://anond.hatelabo.jp/20140617005958

なるほど。その通りかもしれない。

実際に成果型報酬を導入すると、日本組織では上司へのゴマ擦りが上手い人間ばかりが高い報酬を得て、

他人へのアピールのヘタな人は腐ってしまうかもしれないと思った。

特に日本人は専門的な仕事に黙々とストイックに取り組み姿を美しいと評価しがちなので、

専門職の高度なスキルを持った人は外部へのアピールのスキルに欠けていることが多い。

から、成果型報酬はヘタをすると高度なスキルを持つ人ほど腐らしてしまう可能性があると思う。

日本ではここ20年での景気低迷を、産業構造組織構造に求める言説が流布しすぎた。

おかげで、実際にはそれなりに上手く機能していた日本型経営スタイルを貶しめ、破壊しようとする傾向に傾いてしまった。

電池を入れれば動き出すおもちゃを、分解して中身を入れ替えるみたいなまったく意味のない改革、ひょっとすると改悪かもしれない。

安倍政権も、発足当初は金融緩和など、やっと経済問題に適切に対処できる政権が表れたかと思ったが、

まだまだ構造改革という妄想から逃れて切ってはいないのだと思えてきた。

 
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