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2018-02-02

インフルエンザ夢日記

インフルエンザにかかって家で寝ていたら、こんな夢を見た。

実家ダイニングでテレビを見ている。仮面ライダーをやっていて、仮面ライダー銭湯で敵の一味にこてんぱんにされて終わる。

粘菌みたいなものカメラにくっついて汚ならしい。

隣のキッチンでは大きなアルミ製と思われる金だらいがコンロで火にかけられていて、中のお湯が沸騰している。

いま風呂に入っている母がやっていったのだろう。

僕はダイニングテーブルから火を消しに立ち上がるが、そのとたん強烈な目眩に襲われて立っていられない。どうにかキッチンへ辿り着いてコンロの火を消すが、目眩は終わらない。脳出血などを思い浮かべ、死を覚悟する。助けを呼ぼうと何故かトイレに閉じ籠ろうとするが、トイレに辿り着けない。

更に消したと思っていたコンロがまだ火がついており、金だらいが熱で溶け始めていて、形が崩れている。目眩バタバタしながらキッチンに戻るが、どのつまみを触っても火が消えない。どうしたらいいのか分からず叫んだところで眼が覚めた。

また、夢ではないが、眼が覚めてからこんなことを妄想して本気で涙していた。

日テレビで見た、珍しい姓のルーツを辿る番組で取り上げられていた「返脚」さんの件。

木地師の姓である小椋を木地師免許と一緒に返却したのが由来ということだったが、並大抵のことではない。

400km以上を明治の初期であるから歩いて木地師集落まで訪ねて返したのだ。

国の政策林業自由にできなくなったか廃業を決意したのであろうが、この返しに行った人物がしたためた文書が出てきたという妄想から始まる。

文書には、初代返脚氏の木地師許可職能姓を返却することにした理由が語られている。

曰く「免状と小椋姓を返納するのは、御国方針に自ら進んで協力した証を公文書として残すためである。やがて姓名の由来など忘れられようが、私が免状と姓を返却したこと公的な記録として残り、子孫の目にも留まるだろう。祖先御国施策に沿うべく行動した栄誉ある者だということが分かるであろう。」という内容で、備忘のためにこれを記すとされている。

これを聞いて当代の返脚氏は涙を流す。「良かった」と。

「何代も続いた生業を国の政策で捨てざるを得ず、私はこの人が、ひょっとしたら惨めで悲しい気持ち出自の村まで歩いて向かったのかと心を痛めていた。しかしそうではなかった。誇らしい気持ちで返却したのだと分かった。良かった」

というのが涙の理由だった。僕はそんな妄想をして軽く嗚咽するほど泣いた。全くの想像なのに。

これもインフルエンザからこそだろう。

まり、かなり精神がフワフワしているのだ。用心しないといけない。

 
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