はてなキーワード: 何だかとは
俺の爺ちゃんは俺が小学生の時に亡くなった。優しくて、茶目っ気があって、大好きだった。
爺ちゃんが亡くなってからは、墓参りで手を合わせるときにはいつも爺ちゃんのことを思い浮かべて、頭の中で色んなことを報告した。
社会人になってからも、仕事で辛いことだとか笑える失敗談だとかを、はっきり言葉にならないごちゃごちゃのまま報告していた。
そして今年の春、20年以上遅れて婆ちゃんが爺ちゃんの後を追った。
俺は、爺ちゃんは大好きだったが、婆ちゃんは色々と厳しくて実はちょっと苦手だった。
爺ちゃんには話せても婆ちゃんには話せないようなことが沢山あった。
でも爺ちゃんと婆ちゃんはそれなりにきっと仲が良かったんだろうから、一緒になれて良かったな、なんて思ったりもした。
で。
今年はお盆に休みが取れず、先日やっと婆ちゃんの納骨以降初めて墓参りに行って、いつも通り手を合わせたんだが。
そこで初めて、去年までのように日々のことを報告できなくなってしまった自分に気づいた。
今年は墓の中に爺ちゃんだけでなく婆ちゃんもいると思うと、緊張してしまって下手なことは言えない、と感じてしまうのだ。
何だかんだ言って墓参りなんて、生きてる人間のための儀式でそこに故人は居ないと頭では思っていたから、この自分の変化に驚いた。
頭の中で作り上げた虚像でも、やっぱり苦手な相手に対しては苦手意識を抱いてしまうものなんだな。
なんて戸惑っているうちに今年の墓参りは終わってしまったのだが、そこで味わった当惑がまだ尾を引いている。
来年からは、もう俺は爺ちゃんに馬鹿な失敗の話を報告したりできなくなってしまうだろうか。
そう思うと結構つらい。
伏字が嫌い、問題であるという指摘について。引用部分は【伏字の文化史】という本から引いたものです。
現在マンガなどで行われている伏字は、人名・商標などに対してお遊び的に行われている1文字伏字だと思いますが、日本の歴史上、伏字は検閲逃れとして、元の語が分からなくなるように行われていました。
新聞紙上に伏字が登場した頃、読者からの次のような投書が掲載されました。
此頃諸新聞に文字の代りに何だか○○○点がよく書て有ツて分りませんから或る学校の教師に尋ねましたらあれハ算術で○(本では「れい」のルビあり:匿名ダイアリー執筆者注)の処へ遣ふ符微だから大かた算法律から代用したので有らうと申されましたが如何でございますヱ新聞屋さん 麻布市兵衛町 長屋平太郎
検閲で発禁処分(言論弾圧)を受けないために使用された伏字ですが、投稿者も教師も伏字の意味が分かっていなかったようです。
明治十年には伏字に対しては下記のように違和感を表明し、使用を止めるように新聞社へ促す投書が見られます。
どうも了簡が少し卑屈で「うづく○(本では「まる」のルビあり:匿名ダイアリー執筆者注)」様に見えるから此丸々の新聞は止て貰ひたいと貴社へせ○(本では「まる」のルビあり:匿名ダイアリー執筆者注)もの
このように、卑屈で蹲るような文体は止めて下さいと、新聞社に対して駄洒落つきで求めています。
と指摘されました。
内閲制度改正運動の発端を作った藤森成吉は、後に「亀のチヤーリイ」という作品の文末において、次のように書いています。
附記、「争う二つのもの」について。あまり伏字は多くなるので、その掲載をやめる事になりました。どうも住みにくい国です。同作者
小説家である上林暁は、戦前に改造社にて編集部員をしていた人物でした。著書「伏字」では、伏字の対応が記述されています。
結局、どんなに手を尽してみても、伏字といふものはきれいなものではなかつた。紙面を汚くしたといふより、紙面を滅茶苦茶にする場合もあつた
当時は、「革命」「平和」「反戦」などの言葉や、それらを匂わす章句も全て駄目でした。
小林多喜二は、伏字が多いために作品が読みにくくなることは避けるべきであり、そのために作家としては伏字が少なくて済む作品を書き、編集側は一文字でも伏字を少なくした出版をするよう説得を試みています。
読書論・読者論と言った研究においては、大前提として、読者が入手したテキストは完全なものであることが必要です。
彼と遊ぶ時は大体野原だった。
日が暮れるまで虫を追いかけてりなんとかごっこを繰り返した。
僕は虫取りが好きだったしヒーローごっこも大好きだったから彼とはとても気があった。
ある日無性に彼の家に遊びに行きたくなっててお願いしてみたことがある。
何だか嫌がっている様子だったけど、家は知っていたから無理矢理に押しかけてしまった。
外はまだ明るいのに、家に入ると暗い居間には父親があぐらをかいて座っていた。
その後ろには掛け軸があって、細長い半紙に四文字熟語が描かれていたけど僕には読めなかった。
お父さんは鋭い目つきの強面で、びしっと決まった角刈りが印象的だった。
お邪魔しますと挨拶をしたけど、黙って頷くだけで何も言わずに一点を見つめていた。
お母さんがお水とお菓子を出してくれたけど、すぐにそそくさとどこかに隠れてしまった。
おもちゃなんて呼べるものはおいてないし、なんだか友達に話しかけても全然相手をしてくれないからその日はさっさと帰ることにした。
そいつはいつも五分刈りで、髪の毛が伸びたところを見たことがなかった。
学校帰りに駄菓子屋に誘っても、一度もついてきてくれたことはなかった。
ある日家まで学級通信を届けに行ったことがあった。
お母さんが出迎えてくれて、御見舞をしたいというと渋々迎え入れてくれた。
この日もお父さんは居間に座って一点を見つめていた。
それからも友達を遊びに誘おうと家を訪れたことがあったけど、大声で友達を呼んでいるといない時は何度目かに決まってお父さんが出てきて一言「いないよ」と言っては奥に消えていった。
その時は怖いお父さんがいつも家にいるなんて友達は辛いなぁくらいにしか思わなかったが、あとになって仕事は何をしていたのかなんてことが気になった。
そのヒントは友達とヒーローごっこをしている間の会話にあった。
僕はテレビのヒーローに扮するのだが、彼が返信するのはいつも軍人だった。
「神風特攻隊!」「大日本帝国バンザイ!」それが彼のいつもの必殺技だ。
何だか漢字がいっぱい並んでかっこいいなくらいにしかその時は思っていなかったけど、今思うと何となく理解ができるような気がした。
掛け軸の前に日本刀は飾られていただろうか。
それはもう定かではないが、彼のお父さんは活動が生業だったのだろう。
武士は食わねど高楊枝。
お金を稼いで浮かれた生活をするよりも、志のために清貧を選んだ家族の話だ。
今ではもう見ることのなくなったようなたった30年前の話である。
ぼーっとしてるときなんかふと「ひぼたんばくと」と思ってしまう。
もともとは映画のタイトル(「緋牡丹博徒」)なのだが、別に観たことはない。
何だかうっとうしいので、増田で連呼させてもらう。ひぼたんばくとひぼたんばくとひぼたんばくとひぼたんばくとひぼたんばくとひぼたんばくと。ひぼたんばくと。
「ドライブに行かないか?」と僕は言った。「ウホウホ」とゴリラと言った。
海を見たことがないゴリラのために、僕は海岸沿いの景色のよい道を選んで運転した。ゴリラは「ウホウホ」と無邪気そうに喜んだ。
しばらくしてゴリラはバナナを僕によこした。一緒に食べよう、ということだ。ドライブしながら食べるバナナは、いつもより甘く、ほとんどバナナとは思えないほど美味しかった。
僕たちは食べ終えたバナナの皮をあたりかまわず窓から放り投げて、ドライブを続けた。
しばらくして、トウモロコシ畑を襲撃するイナゴの群れのように、夥しいパトカーが僕たちの車に近づいてきた。
停車した僕たちを取り囲んだパトカーのスピーカーから「手を上げて今すぐ車から出てきなさい」と声がした。警察官たちはひとり残らず銃をこちら側に向けていた。
やれやれ、仕方なく僕が車から降りると、一人の警官が「危ないからそこを離れなさい」と叫んだ。彼の銃口は車内のゴリラに向けられていた。警官たちはゴリラを射殺するつもりなのだ。
僕は警官に顔を向けたまま「ここでおとなしく撃たれるよりは、いっそ逃げよう」ってゴリラに言った。
そう言い終えた途端、僕の体は宙に浮かび上がり、ヒルトンが神宮球場のスタンドに放つホームランのように、爽やかな午後の空に放物線を描いた。もちろんそれはゴリラが僕を持ち上げ、警察の包囲の外側へ投げ飛ばしたのだ。
着地すると同時に、警官たちの銃声とゴリラの咆哮が耳をつらぬいた。僕はどうすることも出来ず、必死に走り、その場から逃げだした。
それ以来、ゴリラの消息は分からなかった。僕は時折「あいつは無事に逃げられたのだろうか」と思いながら、それまでの生活に戻っていった。
ある日のこと、僕は新聞の地方欄の片隅に、こんな記事を見つける。「ゴリラ捕まる、処刑は今日」
僕が街の広場に着いた頃には、すでに群衆が断頭台とゴリラを取り囲んでいた。
人混みをかき分けてゴリラに近づこうとする僕とゴリラの目があった。ゴリラは驚いた顔をして「俺のことはいいから、早くここから立ち去れ」と目で合図をした。
「そんなことは出来ない」と僕は目で答えた。ゴリラが僕にしたように、僕も自分の命を投げ打ってでもゴリラを助けないといけない。絶対に助けないと。
けれどもそう思えば思うほど、僕はベトナムの沼地に踏み込んだアメリカ兵のように動けなくなった。百人の小人が両手をつかまえて、体を左右から引き裂いているような心持ちだった。
「だから」と、僕は彼女に言った。「僕はゴリラとドライブには行かないんだ。もうあんな目にはあいたくないからね」
「きっと楽しいけど、僕はゴリラとドライブに行ったらいけないんだ。そういう運命なんだよ」と僕は答えた。
「じゃあ、これから私とドライブするのはどうかしら?」と彼女は言った。「もちろん、ゴリラほどには楽しくないかも知れないけれど、そんな悲しい思いはしないと思うわ」
「悪くないね」と僕は言った。
先日久しぶりに姉の家を訪れたら、姪とその友達が数人遊びに来ていた。
小学生低学年の娘達がリビングで所狭しと遊んでいるわけだが、そのやり取りがなかなか面白かった。
アジア人丸出しな顔立ちの友人たちなのに、名前がみんな横文字なのだ。
ところが姪だけは違う。
姉は何を思ったか米国人と結婚したので、姪は明らかにアジア人とは異なる顔立ちをしているのだ。
その姿が妙に可笑しく感じられてしまった。
姉にそのことを話すと、わたしもそう思っていたといわんばかりに前のめりになった。
もっとイジメとかを気にしていたらしいのだが、むしろ名前の響きが似ているとかで親近感を持って接してくれているらしいとのことだった。
そういう名前をつけるような母親だからか柔軟性も高く、母親同士の付き合いも変に気を使うことがなくてとても楽なのだそうだ。
オリンピックでメダルを獲得した選手たちを見ても名前にカタカナを含む選手が少なくない。
そうした選手たちがメダルを取ったことを漢字だけの名前の選手と同じく誇らしげに報道するキャスター達を見て、時代は変わったのだなぁとしみじみ感じていた。
口でいくら正しさを主張したところで人間の考えはそう簡単に変わるものではない。
世の中や自分の近い位置での環境が変わっていくことで、人は初めてどう生きればいいかを考えるようになるのだ。
まだ彼女たちは差別というものをそれほど意識しない年齢ということもあるのかもしれないが、とても仲良さそうに名前を呼び合う姿を見ていると何だか心があたたまるような気がした。
理由は一言で言えば、人件費が予算超過することが多く、膨らみがちであることと(人件費の予算が最も大きい事業である為・・・)、
残業を申請する人が限定されていて、"平等ではない"という考え方から固定残業制度を導入。
合わせて、○○時になったらPCシャットダウンといった施策も導入。
結果どうなったというと、
固定残業制度の最たるメリットでもある、人件費もほぼ予算通りに推移。見通しがしやすくなったのは確か。
また、固定残業の時間を超過してしまう人もいるにはいるが、PCシャットダウン制度を導入したこともあり、
固定残業を超過する人は減り、確かに"平等"にはなったのかもしれない。
残業は減ったし、人件費も大きく変動しなくなって企業経営的にはよかったのだけれど、
個人的にはこの制度を導入して本当によかったのか最近悩んでいる。。。
この制度を導入するにあたって、契約している社労士から勧められたというのもあるし、確かに企業経営という観点からは今のところメリットしかないようにも思うが、
求人の際に、固定残業の開示が義務付けられるようになったり、何だかブラック企業の典型例みたいな見方をされることも多いようだし、
(因みにそういった見方もされているような話をすると、経営トップは義務より権利を声高に主張する人が増えたなどと機嫌を悪くする)
最近では36協定の見直しについての報道もされてきているし、何より残業時間は確かに減ったのだけれど、なんだか従業員の顔色をみると納得していない。
"残業代を満額出さない"と受け取ったのか、制度自体をしっかり理解してもらえていないのか、"あれだけ残業したはずなのに残業代が少ない"とこぼす人もいるようである。
確かに固定残業制度を導入したこともあり、月次ベースで残業代が大きく変動することはなくなった。
ただ、だからといって、個々人の従業員の給料が大きく目減りしたというかというと決してそうではない。
弊社の経営トップはその辺の気配りは出来る方であり、結果、手取り支給額は従前の給与体系とほぼ変わらない額(というか、寧ろ増額になるように設定)が大半であった。
前職も同じだった。繁忙期は全社員の残業が100時間を超えるような、割と付加価値の高い事業ではあったのだけれど、
あまりの仕事のキツさに突如として退職する人が相次ぎ、経営トップがPCシャットダウン等残業削減を推進する制度を導入。
前職と今の会社で自身のポジションは異なるが、"残業"についてどういった制度を設けることが会社全体としてよいのか悩んでいる。
いや、フルで残業代出せばいんじゃないの?っていえば、それだけの話なのかもしれないのだけれど、
企業経営的な視点でみるとなかなか厳しいのです。恐らくフルで出しても利益は出るとは思うのだけれどね。
大ヒット公開中の『君の名は。』、スゴイ人気なので僕も観に行ってボロクソに批評してやろう!と思い、バンダイチャンネルで配信中の新海誠作品を観ています。
『言の葉の庭』は面白かったです。『ほしのこえ』も、これぞセカイ系!新海誠はこういうのが好きなんだな!って感じでした。
次は何を観ようと考えていたところで、アタマに浮かんできたのは『秒速5センチメートル』でした。
この作品は以前にも視聴していて、その時は半分寝ながら観ていたので殆ど内容を覚えていませんでした。
クソ作品だった気がするな~絶対クソ作品だよな~僕はこういう雰囲気だけアニメが嫌いなんだよな~とモヤモヤしていたので、もう一回ちゃんと観てみるか~、と視聴を開始しました。
そして最後まで観てみたら思っていたよりずっと良い作品で、モヤモヤしていたものが全部スッキリしたので少し語りたくなりました。
「切ない」「バッドエンド」「男は~女は~」、そんな文脈で語られることが多い本作ですが、この作品で描かれているモノはもっとポジティブなモノなのではと思います。
ラストの踏切のシーンでの遠野君の表情がそれを物語っています。
彼らはお互いに過去のことは子供時代の思い出として完全に吹っ切れているんですよ。
「あぁ思い返してみれば若かったなァ」、そんな感じなんです。
明里への思いが完全に消えていることに気づき、会社を辞めて寂しい日々を過ごしている遠野君も何だかんだで未来に目を向けているんですよ。
作品のテーマとしては、「子供の時に考えていたほど人生は思うようにはいかなかったけれど、それでも、僕らはこれからも生きていくんだぜ」みたいな感じが近いと思います。
「過去を思い出して鬱になった!」っていうのは単純に自分らが引きずっているだけです。
特にオチは無いのですが、そういう事を思いましたという話です。
『君の名は。』も後で観てきます。なんかこれもセカイ系のエッセンスが入っていそうな感じするので楽しみです。
部屋を片付けよう、と思って、何週間もかけていろんなものを捨てた。
でも、ぬいぐるみを捨てるのはためらった。
愛着があるとか、呪われそうとかとはまたちがう。
都会の女の子たちはみんな可愛かった。
うちの大学の子達は特に、きゃあきゃあと高い声ではしゃぐ「女の子」な子達だった。
若くて明るくて可愛いをそのまま形にしたような周りの子が羨ましくて、彼女達の真似をしてみた。
パステルカラーの可愛い服を着て、ピンクのチークを塗って、茶色く髪を染めて。
ぬいぐるみは、その中の一つだった。
可愛くって、明るくて、ちょっとおバカだけど周りにとびきり愛されている友達はピンク色に囲まれた部屋にぬいぐるみをいくつも飾っていた。
田舎にいた頃、周りの友人達は垢抜けなくて、バイトもできない私たちは少ないお小遣いで地味な雑貨を買っていた。
でも、それがすごく楽しくて、みんなと街に出て買い物をするのが好きだった。
友人たちは、たくましくて、負けず嫌いで、愛されキャラとは言えなくても、私は彼女たちが大好きだった。
都会に出てきて出会った女の子たちは愛され上手で、身に付ける色はピンクと白。
部屋に飾るぬいぐるみは、彼氏とのデートで買ったものだそうだ。
キラキラしてふわふわした女の子はこういうものが好きなんだ、とぼんやり思いながら見ていた。
一人暮らしが寂しくなった頃から、ピンク色とぬいぐるみを真似してみた。
意外と女の子らしいんだねと言われて、少しだけ舞い上がった。
でも、私はピンク色もぬいぐるみも全然すきなんかじゃなかった。
就職活動を始めて、大人にならなきゃという焦りから、まず服の色が変わった。
選ぶのはシックな色になって、だんだん服のラインもスマートに変わっていった。
髪の色は当然黒で、チークは肌になじむオレンジ、リップは無難なベージュ。
部屋のものが減っていって、寂しさを感じなくなった。
昔好きだった歌の「したいことが多すぎて散らかった狭い部屋 何から何まで捨てられたなら」という歌詞を思い出した。
ものを捨てながら、散らかっていた頃が少し眩しいと思ってしまった。
それを、明日の朝、捨てようと思う。
カラフルなぬいぐるみを優しく袋に詰めたら、何だか悲しくなってきた。
多分、もうこの先では出会えない色。
心のどこかで、ずっと女の子でいられたらと思っていた。
でも、それが叶わないことは知っていた。
今は、それが叶わないことを受け入れられるようになってしまった。
私が憧れた女の子が言っていた。
「宇宙世紀でユニコーンガンダムと呼ばれていたMSが、黒歴史とまで呼ばれる歳月を経て発掘され、月のギンガナム家の施設軍隊で使われるようになった」という設定で、南条光が作成したガンプラ。
宇宙世紀より劣化した西暦の技術で改修されたため、高出力のビームマグナムなどはオミットされており、近接戦闘に特化している。
特徴は製作者の「変身願望」を実現した、ユニコーンモードからデストロイモード改め「ミンナノミカタモード」への変身だ。
本来のユニコーンはニュータイプに対して反応して変身するのに対して、こちらは味方のピンチに反応して変身する。
その仕組みはなんと、バトルフィールド中に散乱した「プラフスキー粒子」を吸収し、自身のパワーにしている。
しかし、普通にバトルフィールドに満ちている「プラフスキー粒子」を取り込むのは難しいため、味方のガンプラから露出したもののみを吸収している。
そのため、南条光以外の2人を先に倒してしまうと、どんどん彼女が強くなって行く。
「もしレミが死なずにオブライトと共に100年3世代を駆け抜けたら」という妄想で、喜多日菜子が作成したガンプラ。
あくまで一兵卒にすぎないオブライトにそこまで極端なカスタマイズをするわけにはいかない、という妙に現実的な妄想のためもあって、通常のクランシェから大きな改良は加えられていない。
しかし、喜多日菜子にとって「本編での悲恋が成就した」という「妄想」は格別らしく、完成度がとても高い。
・棟方愛海:バーガ・ハリBS-R(アルゴン・プロミネンス+アウクソー仕様)
「超帝國の剣聖「アルゴン・プロミネンス」が薔薇の剣聖マドラ・モイライの肉体を介して星団に帰還するも、その桁違いの騎士とての力を制御する気が一切無い彼女のパワーを受け止めきれるGTMは今現在の星団には存在し無かった。
なんと彼女にとってはツァラトウストラ・アプターブリンガーですら役不足で、彼女のパワーを受け止めきれず壊してしまっていた。
しかし、何故かこのバーガ・ハリだけは慎重に扱い、決して壊す事無く制御していた。
彼女のその肉体に宿るいくつかの精神の一つにとって忘れられない記憶であり、決してその他の人格に漏らしたくない自分だけの記憶だからだ。
また純血の騎士を目の当たりにし、GTMコントロールが再び可能となったアウクソーをパートナーにしているが、バーガ・ハリBS-Rからすると、元の持ち主の元カノと、元の持ち主の子供の父親のパートナーという何だか微妙な修羅場に巻き込まれているようで可哀想」
先に言っておきます。これは一人の「オタサーの姫」の壮大な愚痴です。
当然愚痴ですので、不特定多数の人を傷つけてしまうような言葉もあるかもしれません。
それでも、誰かにどうしても聞いて欲しいと思ったところでこのブログの存在を知りました。
いささか不慣れな箇所もあるかと思いますが、どうかご容赦ください。
専攻の都合上大学のゼミにも女性はあまりおらず、サークル活動にも頻回で参加するわけではありませんが、女性は多くありません。
もともと興味があった分野が女性よりも男性寄りで、学部を選ぶ時も、一も二もなく今の学部を選びました。
入学して少し経って大学に馴染んできた頃、久々にあった高校時代の知人に、不思議な事を言われました。
「XXちゃんって、オタサーの姫ってやつだよね?」と。
当時の私は「オタサーの姫」が何を指すのもわかっていなかったので、軽く笑ってはぐらかして、
しかしそれからも、高校時代の知人たちや、大学の同期の女子、先輩の女子やインカレのサークルの友人などに、
何度も同じように「オタサーの姫」と言われることが続き、次第に自分は何か悪いことをしたのだろうかと思うようになりました。
ネットで調べてみたら、「オタクの男性たちにちやほやされる女」、「ちやほやされたいと思っている女」、「媚る女」果ては
「ちやほやされる事に慣れきって、不特定多数と肉体関係を持つ女」、などと、正直思ってもみなかったような言葉が並んでいました。
確かに、学部の性質上いわゆるオタクという感じの男性は身の回りに多いと思います。
アニメの女の子のカバンやTシャツを身につけている人もいますし、作品を勧められたこともありました。
私自身は、小さい頃はゲーム(ポケモンなど)が好きでしたが、今は友人が貸してくれた漫画などを多少読むくらいで、
あまり彼らの話題には着いていけませんが、彼らがアニメの話で盛り上がっていて楽しいならそれでいいのかなと思っていました。
話を戻します。
男性に媚びているという気持ちも無いし、ましてや不特定多数と関係など、絶対に考えられません。
大学に入ってから私に好意を持ってくださった方も(本当にありがたいことに…)いましたが、
お付き合いしている大事な人がいるので、誠実に断ったつもりでした。
ネットに出てきたオタサーの姫ファッション?(フリルがいっぱい付いているスカート等)もしていません。
美容やファッションは趣味として好きですし、何よりも身だしなみは大事だと思っているので、
だらしのない格好はしないように気をつけています。
どうして私は「オタサーの姫」になってしまったのでしょうか。
私は、そもそもこの学部を選ぶべきではなかったのでしょうか。
私は本当に「オタサーの姫」なのでしょうか。
そんな気持ちがグルグルと渦巻いて、あんなに好きだった勉強をするのが辛くなっていきました。
「オタサーの姫」という呼称に伴って、ひどい噂も耳にしました。
私があまり女性慣れしていない人たちをたぶらかして、その気にさせて捨てるという話を聞いた時は、
もう怒りよりも呆れと、ただただ悲しいという気持ちしかありませんでした。
私は「オタサーの姫」という言葉をぶつけてくるのが、毎回女性だということにも、妙な引っ掛かりを覚えていました。
本当に仲の良い友人たちにはもちろん言われたことはありません。
毎回、そう呼んでくるのは微妙な距離感の女性たちで、彼女たちは、私を「オタサーの姫」にすることで、
鬱憤を晴らしているのだと気づいて、いつの間にか彼らのことが大嫌いになってしまいました。
自分自身は、取り立ててフェミニストというわけではありませんが、日本の女性たちが、男性社会で心が折れてしまう
サイクルの根底には、この「オタサーの姫」呼びのような、女性による女性蔑視が根深く蔓延っている事実があると思います。
もちろん、その程度で折れる自分のメンタルが弱いということも承知の上ですが、誰だって人の悪意を受けるのは嬉しいことではありません。
私情ですが、来週海外に旅立ちます。向こうでは、今度こそ「オタサーの姫」という風評なしに、集中して勉強したいです。
心ない人たちに「オタサーの姫」と呼ばれたたくさんの女の子たちが、どうか心折れずに夢を追っていけるように願っています。
そして、身近な人を「オタサーの姫」と呼んでいる方、今一度、その言葉が本当に相手を傷つけていないか、少しでいいので考えて
あげてください。もしかしたら、彼女は今笑っていても、すごく、すごくあなたを傷つけてやりたいほど怒っているかもしれません。
今回はガンガンオンライン
まあ、タイトルはどうせミスリードだし、予測に対して期待は特にない。
というわけで、その正体はボッチ、と。
ただ卑屈さや悲壮感はなく、箱入りな生活でできなかった様々な遊びを謳歌するってテーマね。
まあ、執事のモノローグで場を繋いでいるけれども、やっていること自体に大して面白みはあまりないかなあ。
勝負に場慣れさせるために一般人が指している店でやらせて精神を鍛えさせるか。
素質を見るためのポイントが「将棋で一番楽しいのは勝つこと」、つまり「勝つことへの執着」で奇麗事じゃないのもいい。
何だか、あいのときよりすげえ漫画の講師っぽい指導をやっている気がする。
あと、見た目だけじゃなく、声を聞いても性別が不明な大阪の中高年ね。
ステレオタイプではあるし、ヒョウ柄の服ともなると今や希少種なんだが、行くとこ行けば実際に存在するんだよなあ。
樹視点ばかりだと思ったけれども、遥視点でのエピソードもちゃんとあるのか。
意外にも、遥の本位ではない態度ぐらい分かる人が多いってのは驚きだった。
むしろ、兄弟なのに樹が分からなさすぎってことの裏返しともとれる。
で、いくら意識が変わろうとも、本質的な部分までは変わらない以上、不備が色々と出てくるってことも描写されたか。
私の解釈では、樹側のエピソードが「見えなかったものを見ようとする」。
対し、遥は「やらなかったことをやろうとする」という印象。
長嶋有の「愛のようだ」を読んだ。
作中で言及されている通り、登場人物が"ちゃんと疲れる"ロードムービーだった。
その手口は「水曜どうでしょう」に似ている。
どこで読んだか忘れたが「水曜どうでしょう」の面白さを分析した文章で、
「あれは出演者の"疲れて何をやっても面白い状態"に視聴者を巻き込むことで成立している」
的なものを読んだことがあるが、それを思い出した。
「水曜どうでしょう」ばりの徒労と混乱とハイテンションを経て、"疲れているから面白い"、ではなく、"疲れているから感じ入る"。
作中一番の盛り上がり。第四話のラスト、「愛のようだ」という詩的(俳句的)でストレートで派手なタイトルの言葉を、
語り手の友人がそのまま呟くという凄い場面。
ここは語り手も読者も、道中で疲れているからこそ、「愛のようだ」と、感じ入るのだ。
ところで、この作品の帯には
という、なかなか凄いコピーが載っていたが、なるほど作者の「感動的な恋愛小説をちゃんと書こう」という気概を感じる作品だった。
つまり、主人公(=語り手)に好きな人がいるけれど死んでしまって悲しい話なのだ。
「世界の中心で愛を叫ぶ」であり「ノルウェイの森」なのだ。
こうやって書くと何だか馬鹿にしているような感じになってしまうが、
何と言うか、本当に「主人公に好きな人がいるけれど死んでしまって悲しい話」をちゃんと書いているのだ。
作家が「主人公に好きな人がいるけれど死んでしまって悲しい話」を書くことが
その恥ずかしさから逃げることなく、と同時に読者が引いてしまわないよう配慮して、
手続きを踏んで、抑制の効いた方法で、その「悲しさ」がきちんと書かれていた。
とてもかっこいいと思う。
前述の友人が「愛のようだ」と呟く場面は、とても感動的でポジティブで素敵な場面だった。
が、そこで語り手はあくまで第三者で、言ってみれば読者と似たような立ち位置だった。
友人が愛のようであることに気付く場面に(第三者的に)立ち会ったその余韻が残るエピローグで、
それは、映画の「ニュー・シネマ・パラダイス」を彷彿とさせるような、チャーミングで切ないメッセージなのだが、
そこで語り手に訪れる悲しさは、とことん「当事者になれなかった悲しさ」なんだと思う。
それと、この小説を語る上で外せないのが、全編通して大量に登場する固有名詞だ。
漫画、アニメ、テレビCM、映画、J-POP(歌謡曲? その辺の区分けがよくわからない)といった
サブカルチャー、ポップカルチャー(この辺の適切な総称もよくわからない)からの引用がべらぼうに多い。
作者は、以前からエッセイで小説内の固有名詞の使い方について論じたりしているし、
というか、そんな前情報がなくても一目見て明らかなくらい大量の固有名詞を意図的、意識的に使っている。
これが、例えばキン肉マンを知っている人に「ほら、キン肉マンだよ」とサービスするための符牒じゃないことは明らかで、
じゃあ何のための引用なのかと言ったら、キン肉マン自体を書きたいわけではなくて、
「会話の中ですぐに"そういうの"を引用する人(達)」を書きたかったんだと思う。(当たり前か)
世の中やら自分やらを見て把握して語るときに、ごく自然と漫画の登場人物やポップスの歌詞と
それは、ふざけているわけでも遊んでいるわけでもなくて、その方が断然実感があるからだ。
フィーバー状態の伊勢神宮に願掛けに行く、っていうふざけたような言い方なんかも、
切実な思いを実感のこもった正直な言葉で表した美しい祈りの言葉なのだ。
長嶋有が描くそういう言語感覚は、読んでいて楽しいし、時にとてもぐっとくる。
最後に、この小説は長嶋有にしては珍しくとてもマッチョな小説だったと思う。
「この人のこと女だと思ってたわ」作家で上位にくる長嶋有だが、
「愛のようだ」に関しては、知らない人が読んでも男の人が書いた小説だと思うんじゃなかろうか。
セックスするまでの雰囲気作りというか、ステップを踏まなくちゃいけない感じが心底面倒臭くってしかたない。
恋人相手だったらまた事情が違うんだろうけど恋人いないから、同じ人とセックスだけ繰り返すために会ったり、1回だけしておしまいの人もいる。
お互いの目的なんて1つしかないのわかりきってるのに、そんなことおくびにも出さずにお酒飲みながらどうでもいい話したりしてて、不毛な時間だなぁと思う。
と言いつつ、現実的に、セックスしようよ!なんてオープンに言う勇気はない。私は女だから、相手の男の人がどうにかそういう雰囲気に持って行こうと頑張っているのもわかってしまうし、何だか申し訳ないきもちになる。頑張ってくれなくてもセックスしたいから大丈夫だよ。
・・・ 何だかんだで職はあるし、家庭も持ってるだろうし、親は団塊世代より上
・・・ 給料安いし非正規多いし、貯金する余裕も無い割に結婚しないから支え合うこともできず
子供がいなければ頼ることもできず
親も既に金持ってなくて、退職金どころか定年まで同じ会社で働くような時代ですらなく
老人はうじゃうじゃいる(団塊世代はまだ90歳くらい)
で、どうなるのかなぁと考えたが
普通にみんな70歳になっても働いてるんだろうなと思った
台湾を国家としてみなすかどうかという、中国に対してちょっとセンシティブな内容だからボカしておいたら
過去自分がやってきた重箱の隅つっつきが気に入らなかった人たちから攻撃されてて
因果横暴とは言わないけど、攻撃で自己を確立するスタイルって敵が増えてリスキーだねって感じ。
で二重国籍うんぬんよりも日本のためになることをやるかが重要なんであって
そういう意味でR4がそうやってるとは全く思えないけど、別に間者ではなく思想の違いで
スパイならさすがにそんなあからさまに二重国籍持ち続けないでしょ。
なお、CREAだか何だかの十何年前の雑誌取材と整合性がないのは
・細かい中国への感情あたりはリップサービスとキャラ作りだろきっと
・でも台湾国籍を30まで持ってたのは多分そうなんでしょ、自分で言ってるし
だからまあたたかれてもしょうがないと思うし、好き嫌いでいうと嫌いだけど
議員辞職まで追い詰めると結局今度追い詰めたほうにもなんか将来的に跳ね返ってきそうだし
どうせR4に今更大した支持なんてついてないし、そこまでやっても各政党にそこまでメリットないし
GalaxyNote7の爆発リコールのニュースでは、意気揚々と韓国製品を叩く人達が目立った。もちろん今回の件はかなりやらかしちゃった感じだと思うけど、「韓国製なんて所詮そんなもの」「粗悪品を買うやつの気が知れない」的な意見も多く見られて何だかなぁと思ってしまった。自分はGalaxy S7 edgeを使ってるけど、はっきり言ってこの機種はものすごく完成度が高い。日本メーカーの製品と比べるのはおこがましい程高性能で精巧だと思うし、iPhoneより先を行っている部分も多いように思う。GalaxyがiPhoneの模倣から始まったのは事実だと思うし、俺も最初はバカにしてたんだけど、初代GalaxyNoteが出た時に「あれ?実は結構がんばってる?」と思うようになった。初代Noteはそれまで見たこともない大きさのスマホだったし、ジョブズが否定していたスタイラスをスマートフォン上でうまく生かすための工夫がなされていた。ただの模倣メーカーだと思ってたけど、この初代Noteあたりから独自性もしっかり出してくるメーカーに変わっていったように思う。結局AppleもPlusシリーズを後追いで出してしまうほど初代Noteはすごい機種だった。
日本車が未だに優位性を持っている自動車ならいざ知らず、電化製品で韓国製を「粗悪品」「模倣品」と叩いて日本メーカーの製品より下に見る人達が未だに多くいるのは見るに耐え難い。日本車にコテンパンにされて日本車をハンマーで叩き壊す情けないパフォーマンスをしていたアメリカ人と同じメンタリティを感じてしまう。インターネットは世界中からアクセスが可能だ。「世界で評価されていて明らかに日本製より優れている韓国製品を必死に叩く日本人」は、他の国の人達から見ると滑稽にしか見えないだろう。日本人はそろそろ「日本の電化製品こそNo1!」という意識を捨てるタイミングに来ていると思う。早く捨てないと今後ますます苦しむし、世界から笑い者にされる。電化製品に誇りを持つのではなく、まだ優位性を持っている他のジャンルに誇りをシフトすべきではないだろうか。
※3行まとめ
・まず集めた署名をどう使うのか教えろ
・楽して金儲けしたいだけじゃないの
ソースが産経ニュースのみなので、事実と異なる点や文章の読み違いがあるかもしれません。それを踏まえて、なぜ今回の署名活動がひっかかるのかという個人的な考え。かなり否定的。
◯署名の使いどころはどこ?
記事に『若い女性ファン“刀剣女子”のパワーで展示を実現しようというもくろみだ』とあるけど、署名はどこに使うの?
一番気になるのは、SNSで集めた署名を「こんなに要望があるから刀貸してください」と所有者のところに持っていくのでは……ということ。まさか「これだけの人が見たいと言ってるんだから貸してくれますよね!!!」なんてゴリ押しに使われるんじゃないだろうな、って疑念が残ってしまう。そんな使われ方されるなら絶対に署名したくない。
そうではなくて、例えば「刀を展示したらこれだけの集客が期待されるので、この企画に援助をお願いします」と自治体や企業へ後援を頼むためとかだったら分かる。協力したいとも思う。
そもそも所有者に貸してくださいと頼むための署名だったら、SNSの刀剣女子ではなくて地元商店街や地域の人たちの署名を集めた方が論理的だと思う。「あなたの刀を見たいという人はこんなにいますよ!」という署名だけじゃ、その場所で展示するための根拠が欠けてる。「あなたの刀をここで展示してほしいという人はこんなにいますよ!」という署名もないと、わざわざ遠くまで持ち出して手間暇かけて展示する説得力が足りない。まずは地元誘致の署名を集めた方がよいのでは?
あと、「刀を見たいという人がこれだけいる!」という署名を提示したら「じゃあもっと大きい箱で展示しますね」となってもおかしくないよね。むしろそうしてくれると見る方としてもだいぶ楽です。
始めるときは、まず何に使うのかはっきり説明してから署名運動開始してください。
◯どこまで計画進んでるの?
記事を見ると、ある商業会が主催? 以前国広の脇差を展示した美術館がある場所らしいので、恐らく展示するとしたらそこでやるのかな。
じゃあ美術館には話が行ってる? 管理できる体制は整ってる? 現時点ではどういう日程で計画している? 所有者には何らかの打診をしている?
そういったことが何も分からない状態で、署名の話だけ先に出てきたのも何だかおかしい感じ。署名活動が始まるときにはある程度ご説明いただけると思うけれども、何も分からずに署名はできない。
というか、筋としてはまず構想を説明を出してから「署名お願いします」じゃない? 何でいきなり署名のニュースが出るの? もしかして全然進んでないの? 進んでないのに署名とかおかしくない?
特に最後の、所有者への打診が一番気になる。他人の持ち物を借りる話を、本人の知らないところで勝手に進めてるってならかなり心象悪い……まず所有者に話を通して、それからの計画じゃない? 「今はまだ案だけですが、後で正式にお願いさせてもらいます」くらいは通しててくれないと署名なんてできない。
そもそも署名集めても所有者に断られたら計画全滅だよね。そうなったらどうするつもりなんだろう。まさか署名集めたらほぼほぼ成功するなんて思ってないよね? 「我々は本気で展示したかったけど断られてしまったので…」とか言うのかな。どう説明しても相手のこと下げる表現にならない?
◯金儲けしたいけど金はかけたくない?
ものすごく悪意を持って見ると、そんな風に見えてしまう。地元経済の活性化が第一の目的っぽいし。
別に活性化自体は悪いことではないと思うけど、だったら自分たちで全部企画進めてよ。
客寄せのエサを用意するためにも客の力を使うのかー。刀剣女子()をいい金ヅルと思ってるんだろうな当たってるけど。
刀見たさに勝手にファンが集まって署名すると思ってるんだろうってのも、記事のインタビューから見え隠れしてる。『「全国の刀剣女子が公開を待ち望んでいる名刀だけに相当数の署名が集まると思う」』ってところね。いや…黙ってホイホイ署名する人ばかりではないからね…刀関連のグズグズ企画が倒れた例もあるからね…。
前回は市が所有してる刀だったから地元資産の活用ってことで上手くいった点もあると思う。それに味をしめたからわざわざよそから借りて更なる儲けを……ってなるとこちらも心持ちが違う。
はっきり言っていけすかない。
そもそも署名がないと実現不可能なくらい脆弱な企画ならやらなくていいよ。しかるべき博物館や美術館でてんじされるのをあと数十年待ちますんで。
あとこれ、記事の書き方もなかなか悪く見える。もし記者がこの署名運動に否定的であえてこんな書き方をしたなら相当凄い。
(でも主催者のツイッター見ると、この記事を割と肯定的に引用ツイートしてるんだよね。商業会としてもこの記事の書き方や見方は間違ってないということなのかな?)
あと、展示が叶えられた結果なにかトラブルや破損があるのも嫌だけど、この企画を断ったあとにどこかで展示がされるときに「あのときは断ったのに!」とか凸する人いそうで嫌だなー。
成功しない限り誰かしらが損しそうな企画だ。今後詳細が発表されたら、不安点が解消されてることを祈る(解消されても署名するかどうかは…)
追伸
他の刀だって経済活性化のために使われてる!という意見もあるだろうけど、所有者マターで進んでた企画がほとんどだと思う。今回のように第三者が主導して、しかも署名というのは……
あと署名って、書いたら「私はこの企画に賛成し応援します」ということにるよな。刀見たいから書く! ではなくて、本当にその企画に賛同できるかを考えてからじゃないと署名できません。
その2はコチラ http://anond.hatelabo.jp/20160905104520
お金も底をついてきたので、いっちょ何か書いて面白がってくれた方からマネーを頂戴したくネカフェでカタカタしております。
それにしても最近のネカフェは安いですねえ。何と12時間1000円ですよ、1000円。
さて、何を書いたら皆さんに楽しんでもらえるのかなあ。
朝。
そこは高速道路が20メートル上空ぐらいを走ってる場所でもありまして、雨よけもバッチリ。
3日に2日ぐらいの割合で夜釣り人が付近にやってくるのが問題といえば問題なのですが、お互い無関心な感じでいけてます。
で、朝なんですが、ダイソーで買った100円の目覚まし時計が5時に鳴ります。
「あー、寝たなー」とか「朝の川って綺麗ねー」とかぼやーっと考えながらアラームを止めて、そこから軽く30分ぐらい二度寝。
5時を過ぎると川沿いウォーキングおじさん達が出没するので本当は5時に起きたいのですが、一向に通報される様子もないので舐めきって二度寝しちゃうマン、ここに参上。
でまあ5時半ぐらいに今度こそ起きて、パパっと身支度を整えます。
パジャマ代わりのパーカーと長ズボンを脱ぎ、Tシャツとパンツを洗ってあるものと換え、短パンを穿きます。
いわゆる夏のTシャツ短パンスタイルです。ぶっちゃけ早朝にこのカッコはわりと寒い。
それから寝床であるビニールシート&薄手の毛布をヒラヒラさせて土を払って原付のメットインにしまいます。
そうこうしているうちに、かるーく便意をもよおしてくるので近場のコンビニにレッツゴー。
コンビニには、タオルを一枚首に巻いて入店します。体を拭くためです。
いかにも「ランニング中にトイレに行きたくなりましてね」風を装ってはいるのですが、原付でやってきてるので装えてはいない気がします。
まあ気にせずトイレに入り、手洗い場でタオルを濡らし、体をゴシゴシと拭きます。
週に2回のペースで銭湯に行ってはいるのですが、ゆーても週2でしかお風呂に入らない人なので念入りにそこはやっております。
あ、便意も解消しとかないと。うん、今日もよく出たなあオイ。(何故かリアルタイム風)
そのあとは、朝7時に食料館があくイオンまで行き、原付を停めます。
6時ごろには結構な数の自転車やバイクが停まっているので、あまり悪目立ちしてないといいなーと思っています。
まあリュックと大きめのショルダーバックがギチギチに足置き場にネットで固定されてる原付なんて目立ってしょうがない気はするのですが。
で、そのまま原付を放置して、8時ぐらいまでラジオ片手に近所をブラブラします。
「生島ヒロシさん今日もテンション高いなー」とか「お、今日は晴れるのかー洗濯日和だなー」とか「武田鉄矢さん相変わらず空回ってるな(真顔)」とか、そんな感じで。
朝からイラっとしたい人、「武田鉄也 今朝の3枚おろし」まじオススメです。
んでまあ、8時頃にイオンに入店し(7時ジャストに入ると悪目立ちしそうだから)、豆腐を一丁購入。「あ、お箸つけてください」の一言も忘れずに。
ここでショルダーバックから取り出しますは緬つゆ。緬つゆでございます。
僕は無類の緬つゆ好きでして、大体何でも緬つゆつけて食ってさえいれば幸せな人間なのです。
豆腐、パックご飯と納豆に緬つゆドバー。ちょっと贅沢したいときにはイオン内にあるお寿司屋さんの鯖の煮付け弁当(お昼の2時にいけば値引きで300円)を食べる。
大体こんな感じの食生活で回しております。弁当に入ってるだしまき玉子、マジ味わい深いんだよなあ。でも今の僕にはちょいと高嶺の花なんだよなあ。
また食べたいので皆さんお金ください(ダイレクトマーケティング)
天才・横山雄二の「平成ラヂオバラエティごぜん様さま」が始まるのです。
この生活を始めるまで、こんなに「いっちゃってる」人の存在を知らなかったとは迂闊の一言であります。
びっくりして調べてみると、深夜ラジオの帝王・伊集院光さんも受賞したことがあるギャラクシー賞(ラジオ界で最も権威のある賞)を獲ってたり何だかんだと有名な方みたいで。
平成ラヂオバラエティごぜん様さま、本当にマジおすすめです。今朝の3枚おろしとは真逆の意味で。
で、そんな天才横山の軽快過ぎるトークを聴きながら洗濯をします。
3枚のTシャツとトランクスを着まわしているので二日に一回洗濯をしなければならないのです。
最初は「3枚だから三日にいっぺん洗濯してるんだな」と思っていたのですが、どうも妙に洗濯する回数が多いので日記をつけたら二日に一回してました。
それぐらいのアホの子です。よろしくお願いします。おいといて。
洗濯は近くの公園でしてます。石鹸と洗い物をビニール袋に入れてテクテクと歩いていきます。
みんなのトイレ(スペースのでかい例のトイレ)を少しお借りして、手洗い場にシャツとパンツと石鹸をほおりこんでジャブジャブと洗います。
何回か水を替え、まあいいかと思ったらすすいでギュッと絞ってハイ終了です。
あとは公園の近くにある秘密の干し場所にゴー。そして図書館が閉まるまで放置プレイです。
そう、洗濯が終わってしばらく天才横山の声を聴いていると、図書館が開く10時になるのです。
あとはイヤホンしたままマンガ読んだり雑誌読んだりネット借りたり(一回30分)して、図書館が閉まる5時を待ちます。
んで5時になったら洗濯もの回収してー、イオンの電子レンジでパックご飯チンして納豆ご飯食べてー、あ、納豆はイオンの冷蔵ロッカーにしまっております。
一日で納豆3パックを食べるのは中々大変なので、1、2パックは持ち帰り、つまり翌日まで常温保存になってしまうのですが気にせず次の日も食べております。
で、納豆ご飯を食べて余は満足じゃ、したあとはイオン内の古本屋さんにいって座り読みします。
野宿生活をするにあたって重視しているのは、いかに疲れないか、の一点にありまして。
なので出来るだけ座りたいですし、バックパッカーのように荷物を持ち歩きたくもありません。
最初は普通にリュックを背負ってショルダーバックを肩にかけて移動していたのですが、「アカン、これ疲れるやつや!」と気付いたときから荷物は原付に縛って放置がデフォになりました。
まあこれが盗まれない盗まれない。ニホンチアンイイクニ、コレホントウ。
そして話は戻りまして、9時前になったら古本屋さんのスピーカーから蛍の光が流れてきますので、じゃあぼちぼち帰るか、と原付で川沿いの土手の寝床に戻って、一日終了でございます。
どんなもんでしたでしょうか。
少しでも面白がって頂けたなら幸いなのですが、うーん、どうなんですかねえ。
もしお金を頂けたなら、週に一回月曜日、こんな感じで野宿生活のレポートをしていきたいと思います。
ここに「その2」へのリンクを貼りますので、チェックしていただけたらなーと。
まあ誰にも読まれずに野垂れ死にしてる可能性が遥かに高いのですが。
それでは一応振り込み先を。ではでは、できればまた。
金融機関コード:9900
店番:438
口座番号:6341006
記号:14330
番号:63410061