はてなキーワード: 何だかとは
今回はガンガンオンライン
あー、こりゃ。
異食のグルメ漫画っていうジャンルは否定しないけれども、この描き方ではテーマに必然性がない。
ただのグルメ漫画でも成立する内容。
こういうの読むと、「ダンジョン飯」あたりは設定漫画といわれることもあるけれども、やっぱり練られた作品だと感じてしまうなあ。
何だかフワフワとした概念的なモノが、そのまま敵になったり武具になったりするっていうのが、如何にもグルグルって感じだなあ。
しかも、それがちゃんと後半の攻略のアンサーになるという構成も唸る。
それはリアリティのない理屈ではあるんだけれども不条理感はなくて、あの状態でも最低限の筋は通っているのが可笑しさに繋がるんだよね。
さりげなく会話に発展したり、ちゃんと自分の人格を乗せた話題振りとかしてると、大分打ち解けたなあと感じる。
それにしても、今まで皆無だった姉弟関係に瞬時に気づく人が出てくるとはなあ。
メタ的に見れば気づいてもおかしくなかったとはいえ、分かりそうな理由が端的に「遺伝子が一緒って感じがする」ってのも、それはそれで。
駒の配置やら動かした方やら、初心者がやりがちな失敗とか、斬新な発想とか見てると微笑ましくなるな。
いや、いい大人がそれやると微笑ましいどころではないかもしれないが。
で、天衣の過去判明。
まあ、そのあたりだろうね。
ブクマたくさんついてて驚きました。ありがとうございます。
更新するたびにコメントを書き直してる人とかも居て、みんな真心から勧めてくれてるんだなぁ、と。
ちなみに、1000年以上前の本で何かあるかなと考えたら、老荘や三国志等しか浮かばなくて、そういや西洋だとどんなんがあるんだろう、と思ってエントリを建てました。中国の本を除いて~ってのはそんな理由です。
んで建てた後に、そういやあの書き方だと中東の本とかも来そうだな~と思ってたら、まさかのヒンドゥー教の本が並んで笑った。
仕方ないんで岩波の『バガヴァッド・ギーター』とその訳者による解説(『バガヴァッド・ギーターの世界』)を買ってきて今読んでます。
戦争を前にして悩む勇士を、神が鼓舞するって設定からして面白い。
あと聖書を挙げてる人が多くて驚きました。聖書はそれ自体も面白いんだけど、理解できると西洋の小説や哲学がぐっと分かりやすくなるのがいいところ。
あと興味を引いたのはキケロ『老年について』。じじいになる前にに読んでおけとのことなので読みます。
『自省録』は何だか難しそう・・・。
これまでそれなりにネットの世界にドップリしてきて、それなりに楽しんできたつもりだった
……何だか「凄く楽しそうだった」のだ
ありきたりな、語録も使えば下ネタも言う、ネットネタを使えばゲームやアニメの話もする放送だった
なぜだか「置いて行かれた」と思った
なぜだか「なんで、俺が居ない所でこんな楽しそうにしてるんだろう」と思った
「自分が自分の世界に篭っている間に、ここではこんなに楽しそうにしてたんだ」と
にも関わらず、片やこんなふうに集まってワイワイ出来ていた人たちと、そうではない自分
もしかすると、こういう感覚を得た人というのはそれなりに居るのかもしれないと思った
理由は色々だろうが、自分が所属していたとおもっていた場所に置いて行かれた感のある人間は
行楽シーズン到来で、これから旅行に行こうなんて人は沢山いるのではないでしょうか。
さて、勢いに任せてカメラを買ってみたけど実はあまり写真に自信がないという人も多いかもしれません。
そんなあなたに、即効性のある今すぐにでも写真が上手になるポイントを3つご用意いたしました。
1.大胆にアイレベルを変えてみる
3.日の丸を捨てる
ピンボケや手ブレ写真はだいぶ減ったのに、なんとなく自分の写真がつまらないというレベルの方が対象です。
1.大胆にアイレベルを変えてみる
写真が単調だと思う人はいつも自分の目線で写真を撮っているのではないでしょうか。
被写体によって適切なアイレベルがありますが、もっとも簡単に意識できる方法は、一体その写真は誰の目線で撮らているかということを考えることです。
例えば子供の写真を撮るとき、親目線で撮ると見下ろす形になります。そうなると、子供の背景には地面の要素が多く写ってしまい何だか面白みのない写真が出来上がります。
そこで立ったままではなくしゃがんでみることで、子供の視点から撮ることを意識してみてましょう。
子供の背景には空や景色が入り込みます。子供がどんな場所で遊んでいるかという情報が写真内に流れ込んできます。
さらに親を見るときの見慣れた見上げるような表情も、真正面から捉えることで意外な表情を映し出すことができます。
花を撮る時は土の上にいる虫の目線になって見上げてみたり、蝶の視線になって真上から見下ろしてみたりと様々な表現のヒントになるはずです。
写真をある程度撮り慣れてくると、失敗を避けるために強い光を求めるようになるはずです。
そうなってくると、十分な光量を確保するために知らずと順光=正面から光が当たった写真ばかりを撮ってしまっていることも少なくありません。
様々な角度から当たる光と、それによって作られる陰の妙を楽しみましょう。
例えば逆光で撮影をする時、スマートフォンなどのカメラだと被写体が黒く潰れてしまうことがあります。
しかし、測光をしっかりと陰側で行なうことで、被写体の周りを優しく光が包むような幻想的な写真を撮ることができます。
例えば花を撮るときも、順光ではのっぺりとした面白みのない写真になりやすくなりますが、逆光で撮影することで透明感のある写真に仕上げることができます。
これは、透過光という光が被写体を透ける効果を利用したテクニックで、写真の世界では当たり前のように活用されているテクニックといえます。
横からの光は、光の当たる側と陰の強い側とが同時に存在するドラマティックな写真を撮ることができます。
窓際に食べ物を置いて撮るときも、窓と直角の位置から撮影してみるといつもと違う写真が撮れるかもしれません。
真上からの光源は意味ありげな陰を落とし、下すぎる光源は被写体に非現実的な雰囲気を生み出します。
風景など自らが光源をコントロールできない状況では、今度は完全に受け身になり、仕上がりを意識しながらシャッターを切るようにしましょう。
光源によって作られる雰囲気をレタッチで変えることは困難です。それならば、光源の持つ雰囲気を活かすことのできるレタッチを行うことができれば、写真はより完成に近づくというわけです。
斜め方向からの光や、ストロボなどの補助光を使ってみるなど、光源に関する知識はとても奥の深い世界です。
まずは自然光とどのように向き合うことができるかチャレンジしてみましょう。
3.日の丸を捨てる
被写体を中心において、何も考えずにシャッターを押すと出来上がるのが日の丸写真です。
日の丸写真自体が悪いわけではありませんが、全てにおいて通用する万能な構図でもありません。
最近のカメラでは簡単にグリッドなどを表示させる機能が備わっています。
縦横それぞれに均等に三分割する位置に線を引き、その線上、もしくは線同士が重なる交点に被写体を持ってくるというテクニックです。
例えば左向きの人物を撮影する時、縦三分割の左に配置すれば、被写体の背中にドラマが生まれます。
逆に右側に被写体を配置すれば、被写体の前にドラマが作られるわけです。
例えば背中には過去や後悔、おってくるものなどが表現され、前側には未来や希望、目指していくものが表現されます。
被写体が真ん中のままでは、見る側がストーリーを描きづらくなってしまう。それが日の丸構図の難しさといえるわけです。
ある程度三分割法に慣れてきたら、開いている空間の別のラインや交点にストーリーを表現するものを配置してみましょう。
それによってその写真が持つメッセージ性は、無限の広がり持つことになります。
しっかりと身に付けておきましょう。
わかったらさっさとカメラ持って外に出やがれ!
こんな文章いくら読み込んだって実践がなきゃうまくなるわけねーだろ!
1日100レリーズ!シーンに合わせたモード切り替え素振り1000!写真1枚に付きレタッチパターン最低5!
悩んだ数だけ答えが用意されてるのがこの世界だ!カメラ任せでボケボケ写真とってうまくなった気でいるんじゃねぇ!
高校卒業後すぐに就職した会社の同僚、Mちゃんの話をさせてほしい。
Mちゃんと私は、県立の商業高校を卒業して自動車の部品関連の会社に就職した。
高校時代のMちゃんとの関係性は、友達の友達くらいの間柄でそれほど深い関係ではなかったものの、就職後すぐに仲良くなった。
彼女はとっても美人というわけではないけど、ブスでもない。おしゃれと洋服が好きな70点くらいの女子だ(因みに私は20点くらいのブスな女だ)
彼女は明るい容姿とは裏腹にネガティブで、そこが当時無駄にポジティブだった10代の私と引き合った。
業務内の宿泊を伴う研修は必ず2人で行っていたし、慰安旅行でもいつも一緒だった。仕事帰りに定期的にお茶をしたし、先輩を交えてご飯に何度も行った。
取るに足らない無駄話や妄想話を何時間も続け、とても楽しかった事を今でも覚えている。
ただ、私は思う。Mちゃんは友達ではなかった、と。
Mちゃんと一緒にご飯に行っていた先輩は後に友達になれた。それなのに、Mちゃんとは最後まで友達になれなかった。
Mちゃんとの距離が離れていったのは、Mちゃんの結婚がきっかけだった。所謂おめでた婚、である。
MちゃんとMちゃんの旦那と私は同じ年で、セッティングされた飲み会で知り合った(因みにその飲み会は一言で称するとクソ)
Mちゃんはその時旦那を好きになり、数か月後めでたく付き合うことになった。
告白からの初セックスの流れを事細かに説明してくれたMちゃんの恥ずかしそうな顔は忘れられない。おかげで雨の日にタクシーに乗ることを数年間拒否したほどだ。
結婚式にも一応参列した。少しお腹が膨らんでいたものの、Mちゃんは純白のドレスがとても似合っていた。おめでとう、と当時の私は声を発せたはずだ。
Mちゃんは綺麗で、とても幸せそうに見えた。
ビンゴの景品でコンドームと精力剤が当たるような2次会を終え、私は帰宅するためにタクシーに乗った。見知った街並みを眺めながら、タクシーの中で声を殺して泣いた。
悔しかったのだ。結婚できない自分が。何かの烙印を押され、欠陥ができてしまったような自分が許せなかったのだ。
今となってはお笑い草だが、あの頃は結婚できない自分か最下層だと思っていたのだ。
結婚さえできれば、人間的に評価される。結婚できない自分は不出来であると。我ながら、小さな世界でしか生きていなかったと今なら思える。
ただ、その頃は全く思えなかったのだ。
結婚式から数か月後、Mちゃんから子供が産まれたとの報告があった。悩んだが、仲良くしていた先輩と一緒に赤ちゃんの顔を見に行くことに決めた。
地元から車を飛ばして数百キロ、1DKの荷物が多めのアパートの一部屋にMちゃんと子供がいた。
キラキラネームを多少かすったような女児の名前を伝えられ、口にするたび澱が溜まっていくように感じた。
決して子供が嫌いとかそんなことではない。子供に害はないのに、Mちゃんの子供というだけで何だか存在が不快そのものになった。
子供を抱いてみるか、と言われやんわりと拒否をしたのは、赤ちゃんという物体への恐怖心だけではなかった。
やわらかさやあたたかみに触れて、自分がちっぽけでみじめな存在だと再確認したくなかったからだ。
そして子供を産み、多少ふっくらして母となったMちゃんが心底羨ましく思えたのだ。
そうだ。羨ましかったのだ。
結婚、出産。自分には叶わない事をMちゃんはいとも簡単に手に入れた事に。
赤ちゃんを見に行った数日後、Mちゃんから来た御礼メールに返信をしてそれ以降Mちゃんとの連絡は暫く途絶えた。
それから約7年の月日が経つ。
その間、私には色々変化があった。
まず地元を離れ、首都圏に移り住んだ。様々な仕事を転々とした結果、現在は在宅で仕事をしている。
まだまだ雀の涙くらいの収入だが朝晩の通勤ラッシュと煩わしい人間関係から解放されることができ、とても快適な毎日だ。
そして数か月前、1年半同棲していた彼氏と結婚をした。7年前の私だったら結婚した事実だけでうれしくて死にたくなっていたかもしれない。
7年前の私に言ってやりたい。結婚なんて呆気ないよ、と。
あと、結婚しても大して何も変わりはなしないよ、と。
同棲からの結婚だったし、結婚しても引っ越すことなく同じ家に住み続けているし、結婚式も新婚旅行も互いの仕事の都合と飼っている2匹の猫と片時も離れたくないという理由でしなかった。
結婚に付随するイベントをほとんど回避し、浮いたお金で電化製品、家具、寝具を一新した。
家に居ることが多い私は、お気に入りのものに囲まれながら猫と昼寝することを何よりの楽しみにしている。
親からは、何度か孫の催促をされているが、やんわりと流し続けている。
Mちゃんは第1子を出産した2年後、第2子を授かった。今度は男の子らしい。
旦那が免許停止になり失職し、人に言えない仕事をすることになった結果「これまで経験したことのないような貧乏」に陥ったと聞いた。
どれほど貧乏かは知らないが、Mちゃんの父親は公務員で母親は専業主婦という比較的富裕層に属していたので、貧乏を経験したことがなかったのだろう。
Mちゃんは寿退社した会社にパートで復職し、時給950円で頑張っているらしい。おそらく、いまも。
これから子供が大きくなるにつれ、養育費が更にかかるんだろうな。大変だろうな、ってMちゃんのLINEのアイコンの中で笑ってる子供の写真を見ながらふと考える。
LINEで一応友達登録をしているが、連絡しあったことは一度もない。ただ、ブロックはしていない。Mちゃんもブロックしていないので、Mちゃん家族の成長をLINEのアイコンで確認している。
お金には苦労するかもしれないけどしあわせでいてほしいな、と今ならそう思える。
これに関しては、まだ答えがでない。おそらく一生でないだろう。
子供を産む人生と産まない人生、ひとりで生きる人生と誰かと生きる人生。選択するのは自分自身だ。
後悔はしていない、今は。
スマホや車のブランドから職業、キャリア、ライフスタイル、結婚、子育て、子供の数に至るまで
人より多くを持っていたり、人に憧れられるような立場の人ですら
自分が持っているモノや自分の属性、自分の社会的立場みたいなものを批判された途端に噴き上がるのって何でなんだろう。
やっぱり人間ってどんなに「勝ち組」っぽく見える人でも、自分を間接的にでも批判されると辛いのかな。
所有物とか仕事、家族、生き方みたいのに承認欲求と結び付けて、何だかかんだいってチヤホヤして欲しいのかな。
ああ、わかんないな。結局、みんな程度問題で同じに見える。メンタルの強い人って本当にいるのかな。
ネットでは承認欲求から逃れた超絶勝ち組の超人みたいのが当然存在するように語られるけど、
増田さん、逃げ延びることができて本当に本当によかった!
もしかして、逃げ切ったあとの高揚感が切れてしまった時に、罪悪感が湧いてくるかもしれないです。でも、それは変化への反動にすぎないから、どうかあっち側に戻らないでなんとか踏みとどまってほしいです。少しでも精神に不調を感じたら、聡明なお友達にアウトプットしたり、心療内科に行ってくださいね。
私も昔、同じ目に遭っていました。昔だったから今ほどDVが知られてなくて、どうしていいのかわからず、なかなか誰にも相談できず、お金が許す限り住居を変えたりしてなんとか逃げ回ってました。
(国外へ行こうって時に成田のカウンターの前で待ち伏せされてたときはさすがに命を危険を感じたな...)
DVに対して肯定的なことや心ないことを言う人は必ずいますが、それは増田さん個人や人格に攻撃しているのではなく、ただただ自分が正しいって顕示したいんだと思います。踏みとどまるよう言う人も同類ですね。まあ、引き続きそっと距離をおくのがベターですね...
本当に100分のコンテがつくれたら、業界に入るきっかけくらいにはなると思うよ。
完成度はともかくとしても、100分のコンテを完成させられる素人なんてまずいないから。
ほとんどの人は何だかんだと言い訳をして、つくり始めることすらしないし、
実際につくり始めても、最初の5分くらいで挫折するのがせいぜい関の山だろうからね。
あと監督っていうのは、大勢のスタッフのリーダーになって作品をきちんと完成させるのが仕事だから、
無名で絵も描けないならそのぶん、
全員に的確な指示を出して、言うことを聞いてもらうために、
コミュニケーション能力や人徳、そのための知識や教養、頭の回転の速さや口の上手さ、
「他の人がやってくれるだろう」とか「上手くいかなくても自分のせいじゃない」
スマホについての話なんですけどね、カタログスペックだけを比較して、どうたらこうたら言ってるようなレビューブログがちょくちょくあるけど、カタログスペックなんてあんまりアテにならないから、ああいうレビューって基本的に役にたたないよね……。
スマホって、バッテリーの持ちとか、カメラの綺麗さとか、実際に使わないと判断しづらい部分も多いから。
それに経験上、カタログスペックはやたらと凄そうなのに、動作が遅い端末なんてのもあった。
あと、SIMスロットが2個あるから海外で便利ってのが、海外メーカーのスマホレビューだとテンプレのように出てくるけど、その恩恵にあずかれる人なんてほとんどいないし、そもそも国内だと1つしか使えないことが大半なんだから、使わずにカタログスペックだけを見て書いてますって言ってるような感じがして何だかなーと思うところ。
ちょっと嬉しいことがあったんだけど、こんなことを嬉しいこととして知り合いに話すと嫌な気持ちにさせそうだから、増田で書く。
俺は今半ニート数年目。半、というのは、一応バイトはしているけど、あんまり長続きしなかったりして安定してないから。
そんなんでも生活には困らず、こうして週末はゴロゴロしていられるくらい、親やら環境やらに恵まれている。
でもって、嬉しいことというのは、この週末に入っていた予定のバイトがなくなったこと。
さっきまで寝ても寝ても眠くて、これはちょっと風邪気味だったり天気が悪かったりするせいだと思っていたんだけど、バイト中止の連絡が入ったらすーっと気持ちが軽くなった。
ある程度は「週末のバイト嫌だなあ」と感じてたが、自分で思ってた以上に嫌だったんだなと気付いて、何だか笑える。
俺の労働なんてそもそもが、友人たちに比べたらカエルの屁くらいのしょーもない量と質で(仕事そのものがしょーもないという意味ではなく、求められていることに対して俺の出来ている達成度がしょーもないという意味です)、これを仕事と呼んでは申し訳ないくらいだ。
そんなこと言ったら仕事をくれている人やお客さんに申し訳ないから、もちろん口には出さないし俺なりにまじめにやってるつもりだけど、でも友人から見ればやっぱりお遊びみたいなもんだろう。
俺ももっと忙しく一日中、週末も働いていた時もある。そんな時は本当に辛くて、自分より労働時間が短いのに仕事を辛がってるやつは、憎らしく思えた。
だから本当は友人が俺より全然いい奴らで(それは大いにあり得ることだ)、今の俺を遊んでるなんて思わないのだとしても、そんな寛大さを期待する資格が俺にはないと思う。
しかも、そんなお遊びみたいなバイトしかしてないくせに恵まれた環境のおかげで生活にも困らず、それどころか偉そうに仕事を嫌がったりしている。
そのへんの事情を考えると、今の嬉しい気持ちを友人に言うのは得策じゃないなと思った。
増田でも、これ見て不愉快になる人はきっとたくさんいるだろうな。共感だけしてほしければ、行きたくなかった仕事がなくなったことだけ書いておけばいいんだ。
それをこんな書かなくていい裏事情まで書くっていうのは…… 嬉しい気持ちだけじゃなく吐き出したい気持ちもあるからなんだろうな。
シドニアの騎士みてて、はたと気づいたんだけど
人間なんてねずみ算式に増やせる
謎の先入観で「絶対にどうにもならない」と考えていたが、中国の一人っ子政策並にゴリ押せば意外とどうにかなる
もちろん今はグローバル社会なのでそんなえげつない事はできない
いつかはどこかの国が実行するんじゃないかと思ってる
いずれペット感覚でホイホイ産んでもいい時代になるのではないかな?
その際には人口増加率をコントロールできるようになるといいよね
過去の歴史を振り返ると、増え過ぎたり減りすぎたりというのが極端なのだ
そこを社会がコントロールできれば、人類は新たなステージに立てるのではないか?
とは言え問題もある
現時点の政治を見るとわかるが、人間は何だかんだ言って自分が死んだ後の事をあまり気にしない
少しは考えるが、優先度はずっと低い
それなりに頑張ってこうなればユーザーは幸せだっていっぱい考えるんだけど
途中で「なんで俺が苦しんでこんなことしなきゃならないんだ?」ってたまに覚めることが増えた
生活犠牲にしてまでやってると、じゃあ自分の幸せは誰が考えてくれるんだろうとか考えてしまう
そう考えると結局
私生活が充実してるような奴とか
超絶に頭のいいやつとか
実際に起業するようなやつって何だかんだ言って超高学歴みたいな人多いんだよね
失敗しても余裕そうな人が多い
意外と経営者は家族も持ってて、私生活は順風満帆に見える人が多い気がする
根暗で陰キャ
そいつらも普通に家庭を持って私生活充実してたりするからイラッとくる
俺みたいに半端者だと
疲れてくると次第に「土日は普通に休んだ方がまだ人生楽じゃね?」っていう考えがずっとついて回る
不幸せであることや、富や名声がほしいなどの理由は現代においてはモチベになりにくいんだ
そういえば投資家っていうのはそういうモチベの部分とかをちゃんと見るらしい
俺はきっと見透かされるだろうな
でもこのまま諦めるのもすげー癪なんだ
「見てろよこの野郎クソ野郎すげーもん作ってやるぞクソ」っていうマインドに近い
根性ではない
自分に自信がなさすぎて、プロダクトくらいでしか自己肯定できないんだ
ユーザーや周囲に「これ良いね」って言われて、ようやく自分が存在して良いんだって感じになるんだ
なんか、そういう根性みたいなマインドで成功したら、何故か美談になることが多いけど
鬱々しながらラノベで成功しようとするニートみたいな心理状に近い
いつまでこの状態を続けるんだろう
こういうのにリセットを掛けてくれるのは、子供だったりすると思うんだけど
はぁ、とにかくやるか
わかってる、一時の気の迷いだ
もう何年もやってきたんだ
考えるのを辞めて手を動かそう
一発当てて、その後でゆっくり考えよう
____
追記
ちょっと気づいたけど、やっぱ週末起業みたいなのがダメなんだと思う
会社でもサービスやユーザーやチームのこと考えて、週末もサービスやユーザーやチームのこと考えて、休まらない
前者はまだ給料が発生するけど、後者は成功するまで無給とかマイナスだからモチベ維持がとにかくキツイ
やるならいっそ起業しちゃったほうが良いんだろうな
ってところまで考えるんだけど、やっぱり器じゃないよなっていう結論にぶち当たる
ベンチャー界隈の経営者とそれなりに話したことあるけど(面談とか飯とか)
そういえばあるExit後2社目の社長が「とにかく成功するまで根気よく続けられることが大事」って言ってた
続けるってことは日常にしてしまうことで、プロジェクトに終わりが無いってことだ。考えるだけでしんどい
できる気がしない、バイタリティが違う
やめた、わからん
手を動かそう
あのCM。
担当者が「意図的に炎上させられたのでは」などと言っているのをニュースで知って、
何が悪かったのか考えようともせずに人のせいにする姿勢を見て脱力した。心底呆れた。
その担当者にとっては、別に騒ぐ程のことはない、よくある、普通の、女性をバカにしたCMなのかもしれない。
「日本はまだ恵まれている方、もっとひどい国はいくらでもある」と言う人がいるかもしれない。
だから何?と思う。もっと女性差別的な国の女性たちも、日本の女性達も、そうでない人も、みんな敬意をもって扱われるべきでしょう。
「諦めずに、少しずつ変えていこう」と言う人もいるかもしれない。
そう思いたい。けれど、何だかもうどうでもよくなった。
早く日本滅んでほしい。
「はい、こちらはオープンしたばかりの豊洲市場千客万来のグルメエリア。ここで、今、一番人気が『江戸しぐさ、気遣い海鮮』という何ともオモテナシ感満載の逸品です。
この海鮮ちらし、上の魚介を食べていきますと、何と! あるべき酢飯がない! なにやら濁った水の上に魚介が浮いているんです! 大将、これは? メニュー写真には国産米使用と…」
「糖質たっぷりの米はむしろ危険。そこを気遣って、メニューとは異なる新たな判断で、地元の湧き水に魚介を浮かべた豊洲オリジナルの海鮮丼です。まあ、裏メニューって奴ですよ」
「飲んでも大丈夫、水道水並とのお墨付きの湧き水です。アルカリ度も高くて体にいいという気分の醸成が期待されます」
「なるほど。正しい知識で頭をいっぱいにすると何だかありがたみが増してきました。水を吸った海鮮が重機、いや、ジューシーですね」
「東京湾のアオコをイメージしたリトマス試験紙のトッピングもできますよ」
「わあ。まさにブルーオーシャンやあ!」