2016-09-25

俺とお墓と虚像について

俺の爺ちゃんは俺が小学生の時に亡くなった。優しくて、茶目っ気があって、大好きだった。

爺ちゃんが亡くなってからは、墓参りで手を合わせるときはいつも爺ちゃんのことを思い浮かべて、頭の中で色んなことを報告した。

社会人になってからも、仕事で辛いことだとか笑える失敗談だとかを、はっきり言葉にならないごちゃごちゃのまま報告していた。

 

そして今年の春、20年以上遅れて婆ちゃんが爺ちゃんの後を追った。

俺は、爺ちゃんは大好きだったが、婆ちゃんは色々と厳しくて実はちょっと苦手だった。

爺ちゃんには話せても婆ちゃんには話せないようなことが沢山あった。

でも爺ちゃんと婆ちゃんはそれなりにきっと仲が良かったんだろうから、一緒になれて良かったな、なんて思ったりもした。

 

で。

今年はお盆休みが取れず、先日やっと婆ちゃんの納骨以降初めて墓参りに行って、いつも通り手を合わせたんだが。

そこで初めて、去年までのように日々のことを報告できなくなってしまった自分に気づいた。

今年は墓の中に爺ちゃんだけでなく婆ちゃんもいると思うと、緊張してしまって下手なことは言えない、と感じてしまうのだ。

何だかんだ言って墓参りなんて、生きてる人間のための儀式でそこに故人は居ないと頭では思っていたから、この自分の変化に驚いた。

頭の中で作り上げた虚像でも、やっぱり苦手な相手に対しては苦手意識を抱いてしまものなんだな。

 

なんて戸惑っているうちに今年の墓参りは終わってしまったのだが、そこで味わった当惑がまだ尾を引いている。

来年からは、もう俺は爺ちゃんに馬鹿な失敗の話を報告したりできなくなってしまうだろうか。

そう思うと結構つらい。

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