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はてなキーワード: 過小評価とは

2021-05-20

anond:20210520072315

世の中、源を過小評価しすぎだよな

アイツすげーもん

アンタが惚れたのもわかるよ

ホームシックになりそう

30過ぎて転職をした。実家より田舎ではあるが生活には全く不便しない環境なので全然気にしていなかったけど、子供ができる可能性を考えていたら急に実家付近環境の良さに心がむしばまれ始めた。これは一緒のホームシックなんだな。

実家首都圏地方都市。そこそこな文教地区私鉄駅直ぐ近くだった。東京にすぐな立地なので自分の家をやや田舎だと子供の頃は過小評価していた。一時期は東京に住んでいたし実家は建て替えるまえはかなりのボロ家だったので自分の家がまともという感覚はあまりなかった。

それに片方の親との確執もあってか実家から離れたい願望が強く、今の仕事実家から程よい距離間を保てるという理由で決めていた。

結婚してしばらくは全然問題なかった。しか子供計画を話している内に、教育地域としてはあまり充実していない事実に頭を悩ませている。

結局の所、公立中高なんてのは年や校長によって常に変わっていく。近所の中学だって校長が替わってからは劇的に改善してと聞く。単なるくじ運でしかない。とはいえ実家付近公立学校の評判より明らかに低いのだ。地方なんてそんなものだ。そう割り切ればいいと思っていたが、自分実家付近が軒並み「どこにでもある普通学校であることがむしろ羨ましい。こちらは年度単位で当たり外れがあるし、そうでなくとも普通よりは下の水準なのだ

実家付近にいれば子供教育で変に頭を悩ますことはない。それどころか能力に応じて柔軟に高校までも選べる。こっちだと特に公立高校から荒れやすい。

こちらは一人・二人だけの暮らしには全く問題ない。金があれば比較的良い家だって買えるが、実家付近だと家は馬鹿いか狭っ苦しい。いまの賃貸だってかなり快適だ。

下手に東京に近かったか教育は少しは受けていた自覚がある。だからそれ未満の環境しか用意できないのが歯がゆい。こんなことで実家のことを評価する時が来るなんて思わなかった。良い解決方法は、収入増やして私立の中高に通わせる程度しかない。あるいは転職をして教育環境の良いところに移るかだ。田舎でも文教地区は意外とあったりする。というか田舎からこそ教育に力入れる傾向がある。転職の立地を間違えたと思った。

2021-05-18

中二病

中二病という言葉が好きだ。

元々は中二病という言葉はその直撃世代にとって抑止力だった。

多くが「中二病は悪」という共通認識をもち、自らのそれを大人になるまでの時間で徐々に修正する・・・そういう先人の残した指針としての機能が確かにあった。

中二病の明確な定義は難しいが、おおよその場合「強固な自我の芽生えに伴い発生する欲求自尊心自己肯定感との付き合い方を失敗したケース」を指している。

自分特別な力があるように感じる(根拠のない全能感)

洋楽を聞く、感情がなくなる、眼帯をする(人と違うことをすることで承認欲求を満たそうとする)

上げればキリがないが、これが派生すると

・チームで共通目的を目指す際に失敗はチームメイトのせい、成功自分のおかげのように振る舞う責任を負うことを過度に嫌う(他者を害してまで自尊心を守りたがる)

DQNになる。評論家気取り。(自己他者に優先すると錯覚する、それを誇示したがる)

など、周囲に害を振りまくタイプにもなる。

逆に強く厨二病意識していた人はそれを恐れるあまり自己過小評価所謂陰キャのようになってしまうことも有ったのだろうが。

ともあれ、実際の所こうした類の人間中学生に限らず多くいる。

そして彼らを見て「やり直しの効く年齢の時点である程度矯正しておいてよかった」と心底思う、それが中二病を支持する理由だ。

 

敢えて中二病という言葉を人に投げかける場合

若さ故の過ちを全て「中二病」と称することで「今では笑い話」「既に完治した」という許しを得るために使う。

悪く言うつもりなら中二病なんて言葉を使わずともいくらでも叩きようがある。

近年それを理解できずに過剰反応してしまう人が多く露出するようになった、敢えて増えたとは言わないが。

もちろんリアルで口にするにはリスクのある言葉で、それを分かっているが故ネット上でのみそのやり取りを行うのだからそういう人がいることも織り込み済みではある。

その上で触れられたくない部分に無神経に踏み込んだ人が悪いのは間違いないが、もし「中二病」という言葉への理解のなさ故に生まれ軋轢であるなら

それは少し悲しいことだと思う。

 

近年はアニメの影響で中二病という言葉が誤って広まってしまった。

言ってみれば中二病の光の部分、クリエイティブな人たちが作り上げた「恥ずかしいけど悪いことではない」という上澄みを中二病の全てであるように認識してしまっている。

人は自分が「善」だと思っていることを他者から「悪」と呼ばれることを極端に嫌う。

中二病を善ないし悪ではない、と考えているとすれば「中二病は悪」という言葉暴力的レッテルに映ることだろう。

繰り返しになるが前提の共有を怠った側に非があるのは言うまでもないが、本来許しであったりなるべく傷つけまいとした助言であったものが全て悪意に変換されているとすればあまりに悲しい。

中二病は悪。

そこには親も先生も友人も言ってくれないあまりに人の心を傷つける教訓が詰まっている。

過去の行いに対する数少ない免罪符にもなり得る。

単なるキャラクターテンプレ属性として漂白してしまうにはあまりに惜しいとは思わないか

2021-05-17

中国理系学問の自由アメリカより自由

アメリカ福音派の影響で特に生物学医学で制約が大きいし、人命が重くポリコレもうるさいから思った以上に研究が制約される。一方、中国政治に関わらなければアメリカと反対に想像以上に研究自由だと研究者も言ってるから、下のような報道中国没落と結びつけると敵を過小評価することになるよ。

中国、「学問の自由」認めず

https://this.kiji.is/766541317536694272

anond:20210516234549

逆に努力してきた人が報われない世の中ほうが良かったの?

英才教育でもなんでも本人の努力なしには続かないでしょうに。恵まれてるとか勝手過小評価じゃないの。

2021-05-16

成功秘訣は?(洋書より)

■優れた教師は、生徒の卓越性を、達成されたレベルではなく、どのような進歩があったかによって評価します。誰もが改善できるので、誰もが成功することができます

「Assessment for Learning」より


成功は手がかりを残すことを忘れないでください。成功する人を研究します。効果的な行動を一貫して行い、優れた結果を生み出す能力を高める重要な信念を見つけてください

「Unlimited Power a Black Choice」より


努力成功への唯一の鍵であることを認識しなければなりません。真夜中の油を燃やす人々は、成功の甘い果実を味わいます

「Descriptive English」より


■己の成功する能力過小評価しているために、すぐに諦めたり、決して試みなかったりする学生がたくさんいます

「Encyclopedia of Special Education」より


成功には勇気必要です。どんなに偉大な人も完璧ではないことを考えると、成功する人は遅かれ早かれ彼らの内なる敵に正面から立ち向かう人です。

「6 Years UPSC Civil Services IAS Mains Topic-wise Solved Papers」より


■己のパフォーマンスについて考えてはいけません。失敗への恐れを高めます。もちろん、失敗しないようにすることは、成功しようとすることとは大きく異なります。前者の場合努力は、ダメージコントロールを行い、リスクを最小限に抑え、通り抜けることに向けられています

「Punished by Rewards: Twenty-fifth Anniversary Edition: The Trouble with Gold Stars, Incentive Plans, A's, Praise, and Other Bribes (English Edition)」より


あなたはまだいつでも成功するチャンスがあります。他の努力と同様に、成功するための最良の方法は、成功した人々を研究し、次に彼らを成功させるものエミュレートすることです。成功した人々の特徴を研究することは必ずしも彼らがそうであるようにあなた成功させるとは限りませんが

Breaking Into Acting For Dummies」より


■確かに物事が変わらない場所に到達しようとするのは人間の本性です。しか成功ほど失敗することはありません。人としてだけでなく組織としても、もっと空腹になる必要があります。上昇するほど、限界を押し上げるのをやめ、現状を維持しようとする力が働くからです。

「The Leader Who Had No Title A Modern Fable on Real Success in Business and in Life」より


■なぜ成功しているのか、なぜ失敗しているのかを知ることは、改善の鍵です。しかほとんどの人は、拒絶や不承認の恐れ、または批判の恐れによって麻痺しています顧客に尋ねたり、簡単質問をしたりすることを避けるために、あらゆる努力します。

「Advanced Selling Strategies The Proven System of Sales Ideas, Methods, and Techniques Used by Top Salespeople」より


■失敗した人と成功した人の違いは、後者がもう一度試みたことです。早いほど良い。これは間違いありません。アプローチを洗練し、目標を明確にし、インスピレーションを深めるためのレッスンと機会が必要です。

「The New Confessions of an Economic Hit Man」より


ビジネスにおいて、販売マーケティングを学ぶことは非常に重要です。しかし、本当の成功を収めるには、まず自分成功者として頭の中で見る必要があります。これを自尊心と呼んだり、自分イメージと呼んだりする人もいます

The Power of Consistency: Prosperity Mindset Training for Sales and Business Professionals」より


あなたはあらゆる方法で失敗しようとしたので、残っている唯一の方法成功する方法です。起業家にとってのそれは常に最後に来るようです。

Little Bets: How Breakthrough Ideas Emerge from Small Discoveries」より


成功と失敗の両方について建設的な見通しを立てる一貫した成功モチベーションを高めるための鍵です。単に成功体験を提供するだけではありません。モチベーションを高めるために、成功経験するだけでなく、それを称賛する必要があります

Sport Psychology for Coaches」より


起業家クラブに参加し、ネットワーキングイベントに参加し、志を同じくする人々と交流してください。またはあなたが望む種類の成功を収めている人々の本や自伝を読んでください。メンターを探すのもよいでしょう。成功必要な考え方を身に付けられます

「The Millionaire Fastlane: Crack the Code to Wealth and Live Rich for a Lifetime」より

2021-05-15

メモ選手応援したいがオリンピック続行はヤバいというジレンマ

これはある意味典型的認知的不協和なんだろうな。

あるいは、オリンピック続行に反対だが、選手応援したい、というジレンマ

全国的感染が急拡大する中、こうしたジレンマに悩んでいる人、多いと思う。

wikipediaによると以下。

認知的不協和とは、人が自身認知とは別の矛盾する認知を抱えた状態、またそのときに覚える不快感を表す社会心理学用語アメリカ心理学者レオンフェスティンガーによって提唱された。人はこれを解消するために、矛盾する認知定義を変更したり、過小評価したり、自身の態度や行動を変更すると考えられている。

オリンピックに反対であるがゆえに、応援もしない、さらには選手軽蔑する、という形で自分自身の内心の一貫性を持たせようとする心的な傾向は、まさに日的不協和典型例なんじゃないだろうか。

しかし、近代社会というのは、個々人の内心が一貫していることを求めるものでもなく、むしろ個人の好みと社会にとって正しいと思うことがぶつかり合うことを前提とした制度設計がなされている。

例としては、うなぎ大好物だが、乱獲は抑止すべきだ、とか、プラスチックは便利だがプラスチックごみ規制すべき等も思いつく。

自分欲求社会のありようが完全に一致しているひとはまずいないだろうし、ありとあらゆる社会問題は、自分なかに矛盾した形である、個々人の選好と個々人の描く社会の在り方(正しさ、善)を調整する営みなんだろう。

うなぎの例でわかるように、「したいこと」と「よいこと」が矛盾した認知的不協和というのはごく当たり前の心理状態であり、大好物という認知と乱獲防止への政策支持の不一致を解消する必要はない。

うなぎは好きで食べるけれども、乱獲防止政策に賛成という態度はあって当然のこと。むしろこの二重性がなければ、公共判断は成立しない。

うなぎを食べながら規制に反対する、というのも、認知的不協和の解消方法ひとつといえる。人々が矛盾を抱えたままで「正しいこと」に合意し、公共判断を下せるのは、とても合理的制度設計だ。

しかし、人間心理矛盾をなんとか解消

公共的な意思決定は、決して個々人の選好の集合や多数決ではない。

そう考えると、現代民主政が直接ではなく間接民主制なのか、納得がいく。

個人的には好きではないけど自分社会の在り方として正しいと思っていることを代表者が討議し、社会として選択する、という場が必要になる。

そうなると、意思決定者にも、討議に参加する代表者にも、欲望だけに囚われない、人間的にも理性的にも分別のあるマトモな人間であってもらいたい。

近代民主主義を築き上げた初期の人たち、例えばアメリカ建国者のひとりジェファーソンは、

公共的な討議の場を設定するためには、市民としては、そういう矛盾する認知を整理し、公共課題自分欲求から分けて考えることができる分裂症的気質こそ、民主政必要市民資質だと考え、他方、代表者議員)に必要資質アリストクラシー自然的貴族)と呼んだ。

しかし、一般市民としては、自分のなかの矛盾に耐えられない、というのが当たり前。

社会はこうあってほしい、という思いと、自分はこれが好きだ、という、ふたつの矛盾する認知に直面したとき

ふつうの人々は、自分内面を整理するために、どちらかの認知一貫性を持たせるよう、知らず知らずに認知修正してゆくことになる。

今回のオリンピックの例でいえば、特に運営側の闇の側面をいやというほど見せつけれられてきたので、人々のオリンピック嫌いが加速し、中止または延期の世論は7割以上になった。さらに、自分のなかでの論理的一貫性を保つために、選手にも賛同しない、という考えすら生まれてきたのは周知のとおり。

オリンピック選手に対するある種の攻撃的な感情は、こうして醸成されてゆく。

社会規範に合わせて自分に対して一貫性要求しがちな日本人特に自分欲求我慢するのはストレスなので、場合によっては、自分だけではなく、他人にも一貫性を強く要求するようになるからだ。

別の例を挙げれば、60年代セクト化が加速したサヨクの動きが典型例。

エスカレートした「総括」要求など。

また、原発反対するなら電気使うな、オリンピック反対するなら、テレビをみるな、といったよくある論法も、同じ認知一貫性他人に求める一例。

サヨクのみなさんは、極端に走り勝ちで、じゃあ電気をつかわない、といって原始人のような生活を始めたりもしてしまう。

自分のなかで一貫性を持たせようとして、あえてオリンピックをみない、応援しないといった姿勢を貫こうとする人も少なくないようだ。

まさにこれが心理学が扱う認知的不協和テーマなのだろう。

党派性それ自体は、個々人の選好が異なれば自然発生的なものだろうが、

それが過激化するのは、認知的不協和へのストレスのほかに、もうひとつ社会的な原因がありそうだ。

ますます両極化が進んでいき、相手方一貫性のなさを批判し合うようになるまでには、認知的不協和を解消しやす立場の人とと

そうではない人たちとの分断が背景としてあるのかもしれない。

認知的不協和を解消しにくい人々。解消しやすい人々。

コロナ対策では人流の抑制課題なので、パンデミックが始まった一年前、ステイホームが大きく取り上げられた。

しかし、ステイホームできない、したくない人たちの現実、そして経済再開を望む多くの圧力を前に、

次第に言葉の力は失われ、今では行政政治家も口にしなくなってしまった。

もっとも同時に、自粛警察あんまり姿をみなくなったのは喜ばしいこと。

ステイホームができる人と、できない人の立場の差。それを声高に叫べば叫ぶほど、軋轢を生み、社会の分断が加速する。

思い出すのはベトナム反戦運動ベトナム反戦真っ盛りの60年代アメリカブルーカラーと呼ばれる労働者階層が、ベトナム反戦に熱を上げる若者たち

反感を抱いたのは、自らは徴兵されず、安全場所から口だけ反戦を叫ぶやり方が気に食わなかったからだ。

コロナ禍でのステイホームムーブメントでも、それと似たような分断が生じたように思う。

自粛、在宅など社会に貢献できる人々と、ステイホームという形では絶対に貢献できず、むしろ足を引っ張ってしまうようにも見られてしま業界

それが特に浮き彫りになったのが、エッセンシャルワーカーというカテゴリからこぼれ落ちた飲食業界だ。

オリンピック選手もまた、一般人以上に、社会安全自己実現との間の認知的不協和に引き裂かれ、なおかつ、オリンピック反対派の標的にされるという意味では、深刻な犠牲者だろう。

以上の話は、人々のジレンマ構造的にとらえたらどうかな、という試みだけど、

自分自身が考えた正しさは、オリンピック賛成であれ、反対であれ、現在自分社会立場のなかで認知的不協和を解消しやすい形で論理化されたものであり、

自分自身党派性無自覚であってはいけない、

知らず知らずに自分の都合のいいように、正しさの論理的一貫性アピールされているに過ぎない。

しかし、そんなふうにと口でいうのは簡単だが、ふつうはそんな悟りを開いたようなことはいえないし、そんなもの誰とも共有されない。

重要なのは、こんなふうに構造化して達観する、というか、悟りを開け、ということじゃなくて、

相手立場を知る、という機会自体重要なんじゃないかな。

オリンピック観戦は選手の思いを知る絶好の機会。オリンピック反対がトーンダウンした、という論調もあるようだけど、

そうではなくて、自分的には反対は反対だけど、選手たちの置かれている立場もわかって、攻撃性が選手に向きにくくなったということだろう。

飲食でも、これまではタレコミにも怯え、苦しめられてきたけれど、最近は、ある意味、腹を括ったお店も多い。

タレコミも減ってきたという声もきかれる。

こうした寛容さは、行政飲食業界への不十分な手当が報道されたり、飲食の場で実感することで、人々の認知が再修正された結果だと思う。

人々の認知には多様性が生じるものの、異なる立場の姿が可視化されることによって、自分のなかで矛盾する二つの認知をよりクリアに整理することにつながる。

しかし、人々の寛容が進めば、自粛警察抑止力を期待した政策は効力を失う

こうして考えてみると、自粛要請ベースとした日本流政策は、人々の認知が多様になるとかえって不都合なのがわかる。だからこそ政権与党は、人々が同じ方向を向きやすタイミングを狙って、オリンピック直後の選挙を好機とみたりするのだろう。

自粛要請は、政策決定(ルール)に従う形で自分自身の好みという認知的不協和を解消しようとする日本人メンタリティと、同じ社会構成員にも同じ一貫性要求したがる相互監視ムラ社会的なメンタリティが合わさって発揮して初めて効果的だといえるけれど、昨今のオリンピック運営のゴタゴタにみられるように、公共的なルール判断への人々の不信感が強まると、必ずしも政策決定者に都合のいいような仕方で人々が一丸となって、認知的不協和を解消してくれるとは限らなくなる。

ましてや大阪市市長さんのように、それを体現たかのように

感染者がいなければオリンピックもやっている。一生の思い出に残る行事実施したい

などと、都合のいい解釈認知的不協和の解消を政策決定者自らが行うとなれば、

人々は、ルールへ従うことの意味不明瞭になり、ああ、結局、好きなようにやっていいんだな、という思いを強め、相互監視機能せず、自分生活を変えることなコロナへの懸念自分認知のなかで両立させてゆくだけだ。

しかし、現実には、2020年4月に実現した日本人一丸となったステイホームは夢のまた夢だし、飲食業界は我慢限界をとっくに超えているしで、

人々はデルタ株猛威の現実にピンときておらず、人によって温度差のある、かなり適当自粛をしつつ、コロナから目を背けられる絶好の機会とばかりにオリンピックに夢中になっている。

自粛に頼った政策は、結局のところ、オリンピックへの賛否が開催とともに揺れ動いてきたことに典型的に表れているように、認知的不協和の解消の仕方に多様性が出てきた瞬間、崩れ去ってゆく。「コロナ心配、、、」といいつつ普段通りに暮らす人々であふれかえるだけだ。

本来政策というのは、そんな人々の認知世論)など無関係に、討議されるべきであるし、人々は討議の結果に対して法的な拘束力を受け入れるべきだ。

例えば、自分の考えと相反していても、オリンピック応援しているし、これからもしたいが、もし中止という政策決定がなされるならやむを得ない、

あるいは、オリンピック懸念しているが、もし続行という政策決定がなされるならやむを得ないという態度でいられるほどに、政策決定者への信頼が重要になる。

「ほらみろ五輪楽しんでいる奴らが増えただろ」などという次元政策を決めるべきではない。

しろ個人としては五輪は楽しんでいるけれども、政府には感染対策として中止するなら、中止を決定してもらいたい」という、ジェファーソン流にいえば分裂症的な市民判断を見極めたほうがいい。

しかし残念ながら、いまの政権にはそうした信頼が全くといっていいほどない。

いつどんな判断をするか、全くわからない。データは出さない。モニタリングもしない。事実に基づかず楽観論でしか答えない。

将来シナリオを示さない。予測分析を共有しないから、いつも唐突首相が何かを決心したかのように物事が決まって、人々がついていけなくなる。

ある意味ガバナンスの基本ともいえる、こうした事柄に目を背け、

政策への信頼を、世論(最大多数の認知)で推し量ろうとする、その姿勢こそが日本ガバナンスのガンだと思う。

2021-05-09

ノブレスブリージュとかさ都合が良いよね

ノブレスブリージュとかいって現状大して社会的影響力もないであろう大学生に向けて説教するのは好きなのに、オリンピックに参加するアスリートとかの社会的影響力もあれば利益享受してるようなノブレスにはそんなこと言わずまだ子供だからとか擁護し始めるのなんなん?個人的攻撃や中止にしろなどの無理筋要求は論外だけど、開催是非に関する意見表明の責任はあるだろ。建前上はアスリートのためなんだから意見を言わず責任を果たさずに利益だけ持ってくのはおかしいだろ。

そういった意味新谷選手は優先ワクチン開催について意見表明出しててしっかりしとるなと思ってる。開催についての肯定否定に問わず、こういうのを評価する社会でありたいね

よくただの参加者からというが、小学校市区町村大会参加者とかと責任割合同じかもしれんが、世界的でコロナ禍で大きな影響を有するイベント責任割合は少なくても責任絶対量は大きいでしょ。責任範囲過小評価するなよな。

というかノブレスブリージュ自体思想は良いとは思ってるんだけど、利益とかそういうの無視して高い能力を持つ人にだけいう奴に義務を課そうとする風潮もマジでなんなの?元々の発言租税を民から徴収してるからその分責任があるとかい意味なのに、都合よく使ってない?マジでアホだと思う。

まあ、とにかくアスリートは開催についてなんかいってくれよ。

2021-05-08

anond:20210508001537

shatomori 病気から回復物語として消費された上に東京五輪マスコットのような存在にさせられてしまたことはとても気の毒なのだが、「私は何も変えることができません」というのは自分の影響力を過小評価していると思う


こいつはhateをhatoって間違えてるアホなネトウヨなんやろなあ

2021-05-06

anond:20210506194053

てりやきバーガーは旨いやろ

世のハンバーグの多くはほとんどソースの力で旨ぁなってるだけやぞ

マクドハンバーグ過小評価されがちやけど普通に旨い部類ぞ

2021-04-26

[] 203

 昼夜逆転していて頭痛常態化しそうだったのが、とにかく寝ることで生活リズムを戻すというニート技によって直した。

LINE連作先を家族のみにして、今後の予定もほぼ全部なくして(歯医者くらい)、ある意味ミニマリズム。いらない本をもったいない本舗に送ってダンボール撤去したくなってきた。

5chのスレも居心地悪くなって、現実世界に帰ってきて。寝起きなのもあってぼーっとしている。

ここで海外一人旅に出かけられたらそれっぽくなるのだが、転職面接の申し込みをしないといけない。

こんな生活をしている人間なので、やっていける自信はあまりないのだが、別に人はあんまり他人のこと気にしてないので、悪い人間でなくて能力及第点に達しているように見えればなんとかなるかもしれない。

いや、もはや自分なりの予想をしても意味がない。自分の予想の範囲内の行動しかしなくて予想通りのことしか起こらない人生なんて面白くない。そこまで自分の理性を過大評価していないし、世界過小評価してもいない。

自分がこうだと思っている自分を超えていくのが成長だろう。だとしたら、俺はここ10年ほどそこまで成長しちゃいない。何か間違ったルールに基づいて行動していしまっていて、間違ったルールから結果が出ないのではないか

自分思い込み常識を捨て去りたい。今までの自分が間違っているのだからそれが大事だと思う。ここ15年ほどで取り入れた考え方に間違いが含まれているので、それを検証して修正する必要がある。

考えて、目の前のことをやって、フィードバック得てまた考えて、それを繰り返そう。自己啓発本とかを読みたい気持ちが心の隅に微かに湧いたが、安易に手に入る正解はだいたいうまくハマらないと既に学んでいる。

考える、やる、反省する、この3ステップを回していきたい。

2021-04-23

まだコロナで騒いでるの?

日本役人政治家国民バカにしてるのね、まぁ実際バカなんだから仕方ないけど。

選民の我々が国民を正しい方向に導くって意識なの。

国民を操り先導することは彼らにとって善なわけ

 

から情報出し惜しみ、国民操作する方向でしか情報を使わない。

厚労省ミスコロナでもこれやっちゃった

なんとかなると思ったんだね。

まぁただの風邪ってのは昨年の6月ごろにはほぼ見えてたか

 

夏には収束し、実際ほぼ収束したし、熱しやすく忘れっぽい国民性だから冬場に再発しても騒ぎにはならんだろうと。

ところが感染率、感染力の読みがちょっと外れた。

国外の影響を過小評価しちゃった

 

厚労省が堂々と、ただの風邪だ騒ぐな、普段どおりで良い

とやってりゃとっくに終わった騒動なんだよ。

ようするにスエーデン方式、あれが正解だった。

ここ最近マスコミスエーデンを取り上げない。

報道として面白みが無い。

スエーデン評価は二転三転したが、どうみてもあれが正解だったわけで

マスゴミ煽り報道に相容れない。

コロナ煽りはもはやマスコミの優良コンテンツに育っちゃった。

煽れば煽るほど数字が取れる。視聴者は喜ぶ。

これを否定する素材は報道しない自由で切り捨てる。

 

ウイルス感染症の対策は、無策か封じ込めの二択しかなく

中途半端対策はなんら効力が無い。

感染専門家もこれを明瞭に発信すりゃいいのに

年々削られる医療費研究費の挽回のチャンスとばかりに乗っかった。

 

当初BCG説などあったが研究が進み抗体検査も精度があがり、ほぼIgG/IgM交差免疫説で確定しているのに

専門家マスコミもこれは取り上げない。都合が悪い。

 

未だにマスク自粛感染者や死者を減らせると勘違い、誰も間違いを正さない。

減らしません。遅延させるだけです。

アホにはこれの意味がわからない。

10+10+0+0+0+0+0+0+0+0=20

1+2+1+2+1+2+1+2+4+3+1=20

 

にするだけで、合計は変わらない

ただ10を超えると本来救えた命がキャパオーバーで救えない、見殺しになる、

それを避けよう、後者にしようってだけ。

まり医療リソースに余裕があるなら結果は同じにしかならない。

 

で、コロナ指定感染症にしちゃったか一般病院で診察できない。

ただの風邪の扱いならどの病院でもエクモだろうが酸素吸引だろうができるわけで

我が国は年間5万人が肺炎球菌で亡くなってて、これを受け入れる程度の医療リソースの余裕はあるわけです。

5万でカツカツではなく上かなりの余裕がある。

2,3万増えたところで余裕。

 

ところがこのキャパを数百、数千に自ら制限かけちゃった。アホですか?

で、オーバーフローだと言うてる。

一般病院で使ってないエクモゴロゴロ転がっているのに使えない。

バカですか?

 

こういう正しい情報判断できる材料厚労省専門家国民に丁寧に説明し発信するべきだった。

 

いまだ新型コロナ特別重篤副作用があると信じてるアホもいる、

これも専門家厚労省も間違いを正さない。

 

普通風邪でも同じような後遺症症例は山程あるが、これまでさほど真面目に研究されてなかっただけ。

ぶっちゃけそれを老化というのです、で終わる話。

風邪の後に頭痛息切れレントゲンで肺に影

うん、普通風邪でもレントゲン撮れば全員影が写りますよ、当たり前でしょ?

撮りませんよ、ほっときゃ治るんだから医療費無駄

回復後も一定の損傷は残る、うん、当たり前でしょ?人間動物ってそうやって経年劣化するものです。

頭痛だの倦怠感だの、んなもん生き死にに関わるような事ではない、金にならないから誰も研究しないだけで普通風邪でもやまほどある。

2021-04-16

大阪府コロナ資料ダメ出し&感染爆発を防げなかった理由 その3

その1 https://anond.hatelabo.jp/20210416100355

その2 https://anond.hatelabo.jp/20210416172732

その4 https://anond.hatelabo.jp/20210416233727

★★★注意★★★

正直随分と長いので、最後のまとめのエントリ( https://anond.hatelabo.jp/20210417004340 )から読む事を推奨します。





まず状況の確認用に、週ごとの大阪府感染者数と変異割合の表をしめす。

大阪府感染者数

日付 日曜 月曜 火曜 水曜 木曜 金曜 土曜 週計 人/日 前週比
11/01123 74156 85125 169 191923 132人/日119%
11/08 140 78226 256231 263285 計1479 211人/日 160%
11/15 266 73 269 273338 370 4152004286人/日 135%
11/22 490281 210318326 383 4632471 353人/日123%
11/29 381 262318 427 386 394 399 計2567 367人/日104%
12/06310 228 258 427 415 357 4292424 346人/日 94%
12/13 308 185 306 396 351 309311 計2166 309人/日 89%
12/20 250 180283313289 294 299 計1908 273人/日 88%
12/27233 150 302 307313 262 258 計1825 261人/日 96%
01/03 253286 394 560 607 654 647 計3401 486人/日 186%
01/10 532 480 374 536 592 568 629 計3711 530人/日109%
01/17 464 431 525 506501 450 525 計3402 486人/日92%
01/24 421 273 343 357 397 3463382475 354人/日 73%
01/31 214178 211244207209 188 計1451207人/日 59%
02/07117119 155127 141 89 142 計890127人/日 61%
02/14 98 69 98 133 89 91 94 計672 96人/日 76%
02/21 60 62100 62 82 77 69 計512 73人/日 76%
02/28 54 56 81 98 81 74 82 計526 75人/日103%
03/07 76 38103 84 88111120 計620 89人/日118%
03/1492 6786 147 141 158 153 計844121人/日 136%
03/21100 79 183 262 266 300 386 計1576 225人/日 187%
03/28 323 213432 600 616 613666 計3463 495人/日 220%
04/04 593 341 732 879 957927 991 計5420 774人/日 157%
04/11 827 6021099113012081209 計60751013人/日 137%

変異割合

週頭日付検査数3/18陽性3/18陽性率3/18検査3/31陽性3/31陽性率3/31検査数4/7陽性4/7陽性率4/7
12/27200.0300.0
1/3200.02100.02100.0
1/103133.33812.63812.6
1/174636.56234.86234.8
1/2445920.046919.646919.6
1/31551629.1591627.1591627.1
2/739923.142921.442921.4
2/1435514.338513.238513.2
2/21642234.4672232.8672232.8
2/28431534.9501836.0501836.0
3/7372773.01014241.61034341.7
3/141336448.11386748.6
3/2115810566.526016965.0
3/2830422473.7
累計36910729.0081729436.0123158647.6
左記以外26272.75846611.387825929.5

見づらい場合画像化したのでこちらを参照のこと https://i.imgur.com/XftoDPY.png



なお、この変異割合の表は、本稿のその1で解説した理由によって、多く出るような仕組みになっている事を、飛ばして読み始めた諸氏のために明言しておく。

また、大阪府新型コロナウイルス対策本部会議が開かれたのは3/18 3/26 3/31 4/1 4/7 4/14であることも前提として明記する。


後日目線ではあるが、素人でもこの週から危ないと分かるのが3/21からの週で、前週比187%となっている。該当週の変異割合はほぼ2/3である客観的指標として、国の分科会における、ステージIIIの基準である、週・人口10万人あたりの新規陽性者数15人のラインを、第四波で初めて越えたのが3/26である

この3/21~27の週の数字を見れば危機的状況であると断定できたのではなかろうか?よって、本稿においては、3/26~28が急速拡大への強い対策をとる意思決定可能ポイントだとする。3/14からの週の変異割合50%に迫っている事も付記しておく。


実際、この数字を受けて大阪府3/31に対策本部会議を開き、同時に国へまん防適用要請をしている。

ここまでが、考察のための前提情報である。ついで、大阪府新型コロナウイルス対策本部会議資料を見ていこう。

会議資料は全て以下のリンクからたどる事が出来る。

http://www.pref.osaka.lg.jp/kikaku_keikaku/sarscov2/

3/18会議資料 ※ここはまだギリギリ強い対策に踏み切らないでもしょうがないライン(筆者感想)

想定1が横ばいで、想定2が前週比1.2倍固定。両想定における会議からほぼ二週間後である3/31の陽性者数は100と144。

実際は3/31の陽性者数は5994.16倍

3/18時点で横ばい想定のシミュレーションする意味がわからないが、想定2の1.2倍については、上で示した表をみると、3/7の週が前週比1.18倍だったので、妥当と言えるかもしれない。問題は次の会議からだ。

先ほどと同じく、3/31時点の予想が、想定1で62、想定2で67、実際は92、差は25。

17日(会議は18日だが、会議資料は前日の数字なので)54からの増分で見ると、実際は38で、想定1は8、想定2で13。

あり得ない想定1で4.75倍、それなりに現実的ではある想定2で2.92の差が出ているのが分かる。

令和3年1月20日以降、陽性となった検体の一部について変異スクリーニング実施したところ、変異PCR検査陽性率は29%

変異PCR検査件数369件、変異PCR陽性者数107人)であり、変異株陽性者の濃厚接触者や接触可能性のある人等を除けば、2.7%

変異PCR検査件数262件、変異PCR陽性者数7人)であった。※別途、国が実施した検査で7人が陽性判明

なお、直近1週間の変異PCR陽性判明率は4.4%(新規陽性者数620人、変異PCR陽性者数27人)となっている。

3/18資料においては、前週である3/7開始週の変異株陽性率が73%と出ている。これは偏った検査結果が先に出てきたため非常に高く出ているが、後の数字をみると40%程度におちついている。

まりに極端な数字なので、累計の数字を持ち出したのだろうが、本来であればその前週の陽性率34.9%を用いるべきではなかったか?この悪癖が以降の会議資料にも継承されてしまうのだ。

まだこの段階では、大阪市内飲食店への軽度の時短営業はやむなしという論調はあれど、どの専門家からも強い危機感は見られない。年度またぎの人的接触増加時期である事への懸念は相応に示されている。変異株については、感染拡大の要因となりうる事は示しているが、変異株確定のための検査の拡充を訴える程度で、変異株による感染急拡大への危機感は薄い。

3/26会議資料 ※ここで強い対策決断しなければならないライン(筆者感想)

想定1が横ばいで、想定2が前週比1.5倍。1.5倍の根拠は前2週の平均。2週前は1.36倍、3週前は1.87倍であり、ここは想定の甘さを指摘せざるを得ないだろう。実際、この週は結果的に前週比2.20倍となる。(翌週は1.57倍、翌々週は1.37倍)

シミュレーション結果は、想定1はあまりにも論外なので触れないが、想定2で2週間後の4/9の陽性者が395予測

実際の数字883で、2.24である

先ほどと同じく、4/9時点の予想が、想定2で83、実際の数字174.前日3/25の61からの増分でみると、想定2で4/9に22。

実際の数字1135.13倍である

変異PCR検査陽性率は28.7%(変異PCR検査件数540件、変異PCR陽性者数155人)であり、変異株陽性者の濃厚接触者や

接触可能性のある人等を除けば、5.3%(変異PCR検査件数400件、変異PCR陽性者数21人)と、3月13日時点の2.7%から増加。

※別途、国が実施した検査11人が陽性判明

なお、直近1週間の変異PCR陽性判明率は4.5%(新規陽性者844人、変異PCR陽性者数38人)となっている。

また本質的意味合いが薄い数字しか出していない。最初に示した表によれば、この会議の前週の変異株陽性率は48.1%で、28.7%としめした累計の数字よりも20ポイントも多い。残りの5.3%や4.5%という数字には何の意味もない。(なお、最初に示した表には3/31の数字を乗せているが、ほぼ変わりがないので3/26の数字と思っていただきたい。26の数字に直したいが時間が無い)

その1で示した通り、感染力が既存株の25~50%増しと言われる変異株への危機感の欠如となった原因となっているのでは?と考えてしまう。

ここからは各専門家毎にどういう意見を述べているか、少し突っ込んで触れていきたい。専門家諸氏を無根拠に貶す気は毛頭無いが、後日見て、ここは甘かったのではと言うところには積極的に触れていきたい。当然許される言論範囲だと筆者は認識している。

■朝野座長

危機感は余り感じられない。高齢者感染を抑えることが重要等。資料分析が主で、将来予測は余りない。

■掛屋副座長

第四波の兆し。年度末リスク言及患者急増の数週後に重症病床ひっ迫。(実際はここから3週でパンクした)

佐々木委員

時短を21時から20時へ強化する提言(実行されたのは4/5のまん防から)。二週間以内の検証後、やばければ躊躇なくより強力な制限策をとるべき(二週間後は4/9、まだ吉村府知事はまん防より強力な制限策は考えていない)。

■茂松委員

飲食対策を徹底すべきではないか、現状だと感染爆発の可能性高い、と。危機感を感じるコメントである

■白野委員

重症病床は今20%だけどすぐ増加し、逼迫すると見込まれる。年度末リスク言及

しかし、その割に対応は「少なくとも21時時短継続花見宴会自粛継続」というレベルで、そこまで強い危機感は感じられない。

変異割合28.7%だが、すぐ増えるとの発言。先ほどから述べているが、本会議の前週の数字は48.1%であり、変異割合過小評価しているとみられる。

■倭委員

急拡大の懸念。21時時短では拡大不可避。週人口10万人あたり15人を超えたらまん防要請必要(実際この日の陽性者報告で、このラインを越えた)

後日目線では、強い懸念を示した専門家は倭委員のみであった。また、総じて変異株の脅威評価が低いように見える。重症病床の逼迫・パンクについての懸念も少なすぎるように思える。


3/31会議資料 ※まん防要請当日

想定1が前週比2倍、参考として前週比1.5倍。ここへ来てようやく実際の数字と近いシミュレーションに。

想定1によれば4/9時点で891、実際は927で、ほぼ近い数字が出ている。

先ほどと同じく、4/9時点の予想が想定1で126。実際の数字174。

前日3/25の61からの増分でみると、想定1が65増、実際は113増。

1.74倍も増分も見誤っている。これはおそらく変異株の重症リスク(60未満での重症化率上昇、発症から重症化までの日数減の2要素)が高まった事に由来するものだろう。重症者数の予測は、新規陽性者数の予測よりも1段複雑なため、感染症の研究家ではない健康医療部の職員に正確さを求めるには酷だったかもしれない。しかし、それならそれで専門家予測を依頼するべきだったのではなかろうか?

後日目線で、ここの視点の欠如が重症病床のパンクに至った主な要因だろう。



変異PCR検査陽性率は36.0%(変異PCR検査件数817件、変異PCR陽性者数294人)であり、変異株陽性者の濃厚接触者や

接触可能性のある人等を除けば、11.3%(変異PCR検査件数584件、変異PCR陽性者数66人)と、3月20日時点の5.3%から増加。

※別途、国が実施した検査で25人が陽性判明

なお、直近1週間の変異PCR陽性判明率は6.7%(新規陽性者1,576人、変異PCR陽性者数105人)となっている。

相変わらず、本来想定すべきよりも低い累計の陽性率と、ほぼ意味のない数字を並べている。前週の変異株陽性率は66.5%で、累計の数字よりも30ポイントも高い。明らかに不味い。

会議スパンが短いので今回は朝野座長意見のみである

感染状況への言及

変異株による60未満層の重症リスク念頭にない。

正直これは余りにも能天気楽天的意見だと思う。

  • 対策を立てれば、今年も昨年と同様であれば、4 月の初めまで陽性者が増加傾向を示し、その後減少に転じることが予想される」(原文ママ)

変異株の影響を全く考えていない、あまり軽率予測だと思われる。後日目線ではあるが、専門家であればここまでの楽観視はしないで欲しかった。

  • 周囲の変異株の増加は著しく、既に半分を超えている(資料 1-2)実感がある。(原文ママ)

変異割合が半分を超えているとの実感で、前意見専門家としてどうかと思う。

対策への言及

これは妥当意見だが、実際に「追加の有効対策」は府知事から示されていないと思う。何か見落としていれば指摘をお願いしたい。

必要施策ではあるが、逼迫度合いに対して悠長な気もする。

異論はない。高齢者施設従事者への検査(その2で紹介。定期的なPCR検査)で行われてはいる。

後日目線ではあるが、総じて見通しが甘かったと断じざるを得ない。根本原因は変異リスクの軽視だと思われる。その1で紹介したように、変異株の感染力は既存株比で1.25~1.6倍程度と目されており、昨年との安易比較はできなかったはずである


その4へ続く

2021-04-11

性欲ヤバ男はなんで生身の相手に拘るんだろうか

毎日AV見まくって限界まで射精しまくれば賢者モードで生身の人間なんてどうでもよくなるだろ。

ゆくゆくは刷り込みモニターオナホールとローションとDVDに直接欲情するようにさえなるんじゃないのか?

生身に固執するのはお前が性欲ヤバ男に生まれた不幸が原因なんじゃなくて、お前が生身の人間欲情し続けたことに責任があるだろ。

ちゃん架空セックスで性処理しまくれよ。

お前のチンコ架空セックスでマスをかくために存在し、お前の金玉架空セックスでマスをかいたら出てくる液体を作るためのものだと割り切れよ。

なんでそれが出来ない?

それはお前が性欲ヤバ男である自分性犯罪を起こすことより、現実セックスをしなくなることの方が恥だと考えているからだ。

犯罪者よりもセックスレスの方が下等だと思っているからだ。

なんて惨めで憐れなんだ。

恋愛業界によって刷り込まれ価値観に振り回され、犯罪過小評価勝手に行った憐れな犯罪者予備軍め。

業界に煽られるままに危険運転を繰り返して刑務所に打ち込まれ走り屋(笑)と同じ末路を歩みたいのか?

もしかして本当に歩みたいのか?

格好いいと思っているのか?

単にチンコと金玉と商業主義まれ刷り込みに振り回され、自分では一切の価値基準を下せなくなった憐れな操り人形であることが格好いいと思ってらっしゃる

めにも程があるぜ。

いか性犯罪者はこの世界で最低のカスだ。

近所の幼稚園児を誘拐してきて無理やり尻の穴にチンコを突っ込むペドフェリアと、同僚に酒を飲ませて判断力を奪ってから無理やりラブホに連れ込むクズの間に、貴賎の差なんてなく等しく人間として最低のクズだ。

自分のガキに手を出すクズ暴力に脅すクズ、こそこそ盗撮をするクズ、弱そうな奴を狙って痴漢をするクズ、全てのクズが等しく人間として最下層のゴミだ。

お前がご自慢の性欲の強さをぶら下げてイキってみせても、世間人間からすれば墓場死体を掘り起こして穴に突っ込み始めるような気持ちの悪い存在と全く同じ、理解不能ヒトモドキしかねえ。

お前に人間としてまっとうに生きたいというプライドが少しでも残っているなら、毎日限界までマスかいてろ。

AVを見てマスをかくためにお前のチンコ存在し、AVを見てマスをかくためにお前の人生存在するんだ。

性欲の強さに嘆く資格があるのは、性犯罪を起こさずに人生を終えてからだ。

生きている今、性欲ヤバ男がすべきことは、お前の性欲が枯れ果てるまでAVオナニーすることなんだよ

2021-04-01

持っているもの過小評価して、持ってないもの過大評価してしまっている

ものって言うのは、所持品だけではなくて、家族だったり友達だったり仕事だったり多岐を意味

 

失って初めて気づく有り難さ。

逆に、長い間、羨ましいと思っていたものが、手に入るとあっそみたいなことだったりする。

ウマ娘シンボリルドルフさんはトウカイテイオーひいきしすぎだと思ったらドラマCD自覚あったみたいでよかった

ツルマルツヨシ

アイルトンシンボリ

ケージジェット・・・

血統で言えばアイルトンシンボリの方が上で、同じシンボリ牧場だった。

https://keiba-umanami.com/archives/44770146.html

過小評価されてるけどGⅠ級の馬。同期だとレガシーワールドライスシャワーと同格の強豪

トウカイテイオー活躍しなかったら本当に認知されてなかったかも。

ツインターボが優勝した七夕賞の2着はアイルトンシンボリだったんだがお父ちゃん全く無視

トウカイテイオーに関してはニコニココメントヒサトモの話してる人いてニッコリ

ヒサトモ

1937年の日本ダービー馬で、日本ダービー牝馬として初めて制した馬です(他のケースは、クリフジウオッカの2例のみ) 他にも、帝室御賞典競走(現在天皇賞)を勝つなどの活躍をして繁殖牝馬となりました。

ところが、繁殖牝馬として活躍馬を出せずにいると、何と、現行年齢の15歳で現役復帰となりました。しかし、その現役復帰で僅か2週間の間に5戦ものハードスケジュールの結果、心臓麻痺を起こして死亡しました。

その「活躍しなかった」子どもたちの子から、1991年のダービー馬・トウカイテイオーが産まれています

2021-03-21

anond:20210321115729

新卒アタリというのがあるけど

小学校の頃からやっていて、大会にも学生時代にでている新卒なんて少ない

どうかんがえても

仕事が遅いやつが標準で、アタリといわれているのが特賞

過小評価も甚だしい人事

2021-03-16

コロナワクチン安全神話原発安全神話

https://anond.hatelabo.jp/20210315160051 を受けて。

暴論アナロジー椎名林檎みたい)という自覚はある。

福島以前の原発事故リスクについての議論と同様に、コロナワクチンの長期リスクについて、感情論議論にフタがされすぎではないかという点について。

共通点

1) 社会的要請が強い
2) リスク専門家判断する
3) 一部のリスクは「科学的に」対処されている
4) 一方で、未知のリスク存在する
5) 専門家には、利害関係があったり、圧力がかかる

原発はどうなったか

アメリカ原発安全基準日本へ導入された。

しかし、日本環境地震津波)に合わせた災害対策は十分に行われなかった(「地震津波が同時に来ることは想定していなかった」)。

電力会社等の専門家には、利害関係からリスクを十分に調査する動機づけがなかった(リスクが見つかれば原発が止まり、採算が取れない)。

福島以前に、「原発には本当にリスクがないのか」という問題提起をすれば、下記のような議論が行われていた。

このため、「原発には本当にリスクがないのか」という問題提起論点がズラされ、日本国民は、「原発災害対策が不十分である」という本質にたどり着くことができなかった。

原発安全神話化された結果、地震津波により、原発事故が起きた。

コロナワクチンはどうなりうるか

海外治験実験を終えたワクチンが輸入された。

専門家会議は、ワクチンの長期リスク判断するように求められるが、当然、長期の治験実験をやる時間はない。

日本は、諸外国経済活動再開に遅れを取るわけには行かない。

専門家会議は、おそらくあっても僅かであろう長期リスクには目を瞑り、「コロナワクチン安全である」と発表する(させられる)。

結果、長期リスクや、ワクチン流通オペレーションミスについての議論にはフタがされ、リスク徴候は見過ごされる。

可能であったはずのリスク管理がなされず、大規模な事故が起きる。

コロナワクチンには長期リスクがないのか」という問題提起をすれば、下記のような議論が行われる。

コロナワクチン安全神話化され、必要リスク対処ができず、事故が起きる。

何をするべきか

原発事故の原因は、専門家意思決定過程にあった。

まり専門家からといって、利害関係者が意思決定を行ってしまっために、リスクが見過ごされた。

実際、事故反省として、原子力規制委員会経産省から分離・設立された。

アナロジーで考えるなら、日本国民は、まず、コロナワクチンリスク評価が行われている意思決定過程を改良するべきだ。

現在組織構成では、専門家会議が、その内部で、集団免疫獲得と経済活動再開の両方のバランスをとりながら意思決定を行っている。

妙な話だが、コロナワクチンリスク可能な限り科学的に評価すべき組織が、同時に、日本経済活動再開の責任も担っている。

経済活動再開を停止することは目に見える損失であるため、経済活動再開ありきで、コロナワクチンリスク過小評価した意思決定に陥りやすい。

例えば、コロナワクチン政策に対する批判的な立場責任組織を作り、専門家会議との議論国民に公開することで、真のリスク対処し、事故を防ぐことができるのではないか

2021-03-15

anond:20210315133310

女性学(じょせいがく、英: women's studies; 仏: études féminines)とは、第二波フェミニズムからまれた新しい学問領域であり、従来の男性中心主義的な学問客観性中立性を問い直し、これまで度外視または過小評価されてきた女性存在経験問題・関心を顕在化、言語化理論化し、これによって従来の知の体系の脱構築を目指す幅広い学際的研究である[1]。

領域としては社会学人類学法学経済学地理学倫理学文学歴史学哲学など従来の人文・社会科学の各領域個別にまたは分野横断的に関わる学問であり、女性研究音楽アート映画メディア等に関するフェミニズム批評さらにはケア倫理エコフェミニズムなど新たな概念提唱されている。

増田が言ってるのもっと雑な世界やろうけど、アカデミックの方もこんな感じやからそんな現状らしいで

コロナの長期的影響と「ワクチン打たない」について

https://anond.hatelabo.jp/20210315160051 について、ブコメいただきました。

id:dc42jk

ウイルス感染後数年の潜伏期間を経て発症する悲惨病気もある(麻疹のSSPE等)。ワクチンの長期的副作用が分かっていないのと同様に、新型コロナの長期的影響も分かっていない。新型コロナリスク過小評価しすぎ。

もっともだと思います

この点については、論旨に影響ない程度に文章簡単にするため、新型コロナリスク過小評価して文章を書きました。

当然ですが、より網羅的にフェアにいうなら、ワクチンの方にも同様に、既に統計エビデンス)のあるリスク存在します。こちらも文章から省いてあります

省略なしのリスク記述

同様に、

します。つまり

です。

R1R2なら、人はワクチンを打たないということになります。逆も然りです。

元増田で書いた際は、論旨に影響しないため、Y1とX2は無視して、

としていました。上記ブコメは、Y1無視するのはアンフェアだという指摘で、その通りです(実際にはX2も無視しています)。

論旨には影響しない

元増田で書いたのは、情報収集論理によって明確化できるのは、既知のリスクX1(とX2)についてのみであって、未知のリスクY2(とY1)については、個々人の主観的価値判断になるということです。

したがって、Y2を大きく評価し、結果として、R1R2評価する人がいたとしても、他者がそれを「論理的に」「科学的に」否定することは不可能だし、やるべきではありません。

当然、「R1R2ワクチンを打たない)と考えるのは、X1コロナ感染リスク)を過小評価しているからだ」などという指摘は非論理的です。その個人価値判断のもと、Y2(ワクチンを打つ場合の未知リスク)を大きく評価しているだけだからです。

この結論部分は、上記の省略の影響を受けません。

まりX1, X2, Y1がどの値であろうと、

  • Y2 > X1 + Y1 - X2

価値判断する個人にとっては、R1R2という判断合理的であることは変わらず、

結果として「ワクチンを打たない」という意思決定になります

また、それを他者が「論理的に」「科学的に」否定することは不可能です。

-------------

追記します。

yzkuma 「ワクチン接種ジレンマ」で数理的に議論されている問題リスク値のほとんどが不明なので個人的な正解はない。社会的には打つのが正解なので「自分だけ逃げ切る」という選択肢自分の心が許すなら打たなくて良い。

数理的なんて言われると照れちゃいますね。まぁ足し算も数理ですが。

この点は元増田に書いた通りで、

「全員が免疫を獲得する必要がない以上、統計がないリスクワクチン副作用)を低く、統計があるリスク感染重症化・後遺症)のリスクを高く見積もっている人がいるなら、その人が優先的に打ってくれたらみんなハッピーだよね」という考え方はあっていいと思ってます

flont 反ワクチン思想を持ちながら人には理性的に見られたいという両立不可能欲求が興味深い

元増田に書いた通り、「コロナワクチンを打たない」という意思決定は、いわゆる反ワクチン(既知の科学的なリスク評価自体否定する)と異なるよね、というのが議論の出発点です。

kou-qana 未知部分は掛け算で、その値は未知だから全部脳内妄想で、何を重視しても合理的ということ?うーん、未知部分はとりあえず掛け算しない態度と同程度に合理的…か…よくわからない。

掛け算というか足し算ですかね。

「何を重視しても合理的」というのは遠からずです。他人には口出しできないということです。それを合理的と呼ぶべきかどうかは微妙だと思いました。

frantic87frantic87 打ちたくないから打たないということ?内心の自由としてはそれで構わないけど、それで他者を納得させるのは無理では

極論すれば「打ちたくないから打たない」が認められるべきで、少なくともそれが「非論理的」「非科学的」だという非難おかしいという話です。

個人ワクチンを打つかどうかについて、基本的には、他者を納得させる必要はないと考えています。同居家族等を想定しているなら、そもそも議論がもうちょっと違う方向になると思います

mRNAワクチンについては作用機序科学的に考察すれば長期的副反応はそれほど大きいとは考えにくいけれど、嫌なら嫌で良い。アストラゼネカについては経験的に安全性が高いと考えられるけれど、嫌なら嫌で良い。俺は

まさにこういう議論がありがたいです。書いてある内容に異論はないです。

やるべきことは、未知リスクの部分をなるべく正確に推測するために、状況証拠には何があるのか、とか、リスク見積もりに想定外はないか議論する(または、専門家が適切にその議論ができるよう、社会的環境を整える・監視する)ことだと思っています

残念ながら、ブコメでは、「ワクチンの未知リスクは十分に明らかでないと考えるので、ワクチンを打たない」と表明すると、「コロナ後遺症リスクを低く見積もっている」「集団免疫が獲得できないことが理解できていない」等、別の論点にすり替わってしまます。「知っていることだけで議論したい」「知らないことは議論したくない」「自分意見を信じたい/変えたくない」からですかね。論点がすり替わるため、未知リスク見積もり自体ガバガバのまま議論放置されます

未知のリスク自体をなるべく正しく推測するための議論けが生産的だと考えています

2021-03-06

anond:20210305215517

なるほど。家庭の問題挫折か。

多分挫折は家庭の問題感情的に結びついてる。だから精神葛藤ってワードでその2つを思い浮かべたんだろう。

同時に自己肯定感の低さの原因でもある。

自己肯定感の低さは、ありのまま自分は決して愛されないという思い込みから生じる。認知行動で言うところの認知の歪みがこれだ。大抵は家庭や学校での体験を元に形成される。この問題解決するには過去を変えなければならないが、当然それは出来ない。何年も前の失敗を引きずる、という過去への囚われはここから来ている可能性が高い。認知の歪みが行動へ反映される。これを治療するのが認知行動療法だ。

認知の歪みを戻すには、正しく状況を認識しなければならない。多分「自分成功過小評価し、失敗を過大評価する」傾向が強いだろう。もっと自分成功評価する必要がある。日常些細な事、朝起きられたとか飯を食ったとか、「自分大事にする行動」を取ったら積極的自分を褒めたほうが良い。

日常些細な成功を褒める事」には「意思決定」(過去)→「行動」(現在)→「結果」(未来)という認知行動が集約されているわけだが、これはこのまま「失敗から立ち直る方法」の認知行動に結びついている。

失敗から立ち直るというのは「失敗した」(過去)→「ではこれから」(現在)→「どうするか」(未来)という意識の変遷を意味する。失敗した過去をなかったことには出来ないし、生きていく以上失敗は必ずする。過去への囚われと認知行動を同時に解消するには「自分成功フォーカスし、積極的に褒めて成功体験を積む」事だ。

まぁ頑張れ。応援してるわ。

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