はてなキーワード: 機構とは
私個人は東京の大学に通っていますが、成人式は、高校卒業までを過ごしたいわゆる「普通の地方都市」のものに出席しました。成人式自体は非常に平凡かつ平和なものでした。近くに住んでいたというだけで同じ校舎にぶちこまれていたかつての級友たちとの再会を楽しみ、今は東京に戻っています。
さて、出席して改めて思うのは、成人式は「中学の最後の学校行事」だということです。主催は地方自治体と、その対応する教育委員会ですし、会場の治安維持には当時の先生方が駆り出されていました。(平和ではありましたが、「荒れる新成人」対策はがっつりされていました。以前大変なことになったことがあるようです。)そして、学校行事である以上、その場にはあの頃と同じ「スクールカースト」の力場が保存されていました。あの頃の教室の雰囲気を思い出すのにそれほど時間はかかりませんでした(!)が、あの独特のサル山リバイバル感が無理で成人式に出席しない、という選択をする人たちの気持ちは十分に分かりました。私自身は、あの頃にいい思い出はないもののそれなりに神経が太いので気になりませんでした。(「地元」というコミュニティからある程度離れてしまっているのもあると思います。)
ただ、あの頃の学校行事と異なり、成人式にあっては、その当時のスクールカーストに加えて(成人式では一時的に不可視であるように振る舞うことが求められているものの)社会的な役割分担(階層)がある程度見えています。これら2つの「構造」の比較検討は、フィールドワークの考察としてはかなり面白いと思ったので、とりあえず雑に考えてみます。(レポートじゃないのでテキトーです。許してね)
改めてスクールカーストを俯瞰的に見てみると、以下のようなマトリクスで整理することができるはずです。どこかのブログ記事かなにかの受け売りで、スクールカースト一般の問題を語るのに適切かどうかはわかりませんが、今回は便利なので使ってしまいます。
\ | 学業成績が優秀(教員に従順) | 学業成績が不振(教員に反抗的) |
---|---|---|
コミュニケーションが比較的得意 | 「リア充」タイプ | 「不良」タイプ |
コミュニケーションが比較的苦手 | 「優等生」タイプ | 「オタク」タイプ |
以下、成人式時点での社会階層(の萌芽)との対応を述べていきます。
ほとんどが大学に進学。東京圏の地方都市であることも要因としては大きいだろうが、東京の私立大に通っている割合がきわめて高いことが特筆すべき点。背景として考えられるのは、彼ら/彼女らの家庭が比較的安定していたこと、自分自身の容量の良さから「楽かつ評価される」選択肢を選び取ったことなどか。就職先として地元という選択肢はかなり薄めのよう。
当時から「不良」タイプとの関係性が良好であり、アルコールにも慣れていることから、同窓会後の2次会でも中心的な役回り。男性の中でも血気盛んな層は「不良」タイプの女性とワンナイトラブをキメたよう。
高卒もしくは専門学校に進学。いわゆる「地元」コミュニティの中心をなしているようで、そのコミュニティの関係性を悪化させてしまっていた「元」不良たちはそもそも成人式に出席していなかった。家庭環境がさまざまだが、比較的早い段階で家計を支えることが期待されており、当時のような「ヤンキー」的振る舞いはほとんどなかった。それでも様々な着飾り方、騒ぎ方で成人式の夜を賑わしていたが……。一方で大学進学者も一定数いて、多くは高校からの推薦で、地方の大学に在籍しているよう(就職を意識してか、比較的理工系が多めであるように感じた。)
「つっぱり方」を基軸とした当時の力関係が希薄になるにつれ、地元自営業者の息子/娘もこの層と仲良くしていたのはおもろいかな。
大学進学者が中心であることは「リア充」タイプと共通しているが、比較的国立大学進学者が多め。(女性を中心に)典型的には地元大学の学生だが、理工系を中心に東京圏の中堅私大にも分散していた。地元との関係性は一番希薄であるものの、地元就職を視野にいれた就職活動を行うよう。大学入試偏差値や就職を考えた場合、在籍中の大学の「レベル」はリア充タイプと拮抗しており、今となっては絶滅寸前の浪人経験者もこの層に集中。(余談だが、イキリオタクの如くこの文章を書いている私もこの層に属していると言える。)
一部は大学での経験をもとに「リア充」タイプへの順応を見せているか。
大学もしくは専門学校進学者がほとんど。コミュニティとしての「地元」には所属していないものの、実際は地元に残っている場合が多い。なぜか分からないが、男性ではスーツの着こなしが一番微妙だった。当時と比較して「優等生」タイプとのコミュニケーションを志向している様子が見て取れ、同窓会ではアルコールも控えめい、かなりおとなしく過ごしていた。高校卒業後フリーターをしている層はここに集中しており、このご時世にあってコミュニケーション能力の果たす役割の大きさを感じずにはいられなかった。
当時のスクールカーストに対して学歴で復讐、みたいな素敵なことはなく、社会の荒波と言われるようなものは(少なくとも自分の地元では)スクールカーストとなんとなく連続している。ただ、東京の大学に進学することは、「提示されている選択肢の多さ」という点で大きなメリットであり、また、終わりつつある「普通の地方都市」という機構から脱するためのいちばん有効な手段。
もちろん家庭環境は当時のカーストから現在の状況までを形作る通奏低音であるものの、社会全体の成長という神話が終わってしまった自分たちの世代にあって、ふたたび地方における「構造」として安定的であるかどうかは疑問。「不良」タイプの家庭の再生産は現在の就職環境にあっては以前より難しいし、「優等生」タイプに提供される地元の就職先の選択肢は縮小しつづけている。「オタク」タイプは「結婚しない/できない」問題の中心にあるし、今後の私の街はどうしようもなく不安定な何かしらになってしまう気がする。
大学教員になってから、学生には「セレブになる一番簡単な方法は勉強すること」と言ってきたが、最近は、そろそろそのセリフも封印した方がいいかもしれないと思い始めている。
勉強しても階層のチェンジが可能な社会ではなくなってきているような気がするからだ。https://t.co/sygWbV5xKl— 国立研究開発法人原田知世研究機構 (@norinori1968) 2018年1月6日
勉強していい大学に入って大企業に入れば「安定した生活」ができる時代があったが今はそうではない。という話なら事実だし、良く言われていることでもある。
でもそれって「セレブ」の話じゃないよね。普通の人がたとえ大企業の社長になったところで所詮サラリーマン社長。せいぜいセレブの下位に入れるかどうか。というのが実態だったよね。
・ただし税制改正を通じてインセンティブを与えようというのは良い方向への変化といえる。
・雇われる側が今のままで変わらず賃金だけ挙げて欲しいというのは無理な話。労働の市場価値の低下の反映なのだ。政権の問題ではない。他国でも同様のことは起きているし、過去もこういうことは何度も起きてきた。
・雇われる側が専門技能向上、専門知識習得に努めないことには賃金上昇など無理な話なのだ。単純労働の代わりはいくらでもいる。
・専門技能向上、専門知識習得の補助を通じて所得アップというのが無理のない流れであろう。分かっている人はそういう努力を重ねている。
・一般大衆は愚かなものという前提で考えなければならないのが統治者というものなのだろう。怠惰で愚かな人々を守るのが政治家というものならば因果な商売である。よくやるものだ。本来、聖人でなければ務まらない職業である。
・既に高齢な人々は変えられない。大人は変えられない。よほどのことがなければ己を変えようなどとは思わないものだ。自身を磨き鍛える意欲が旺盛な成人など、万人に一人もいないと考えた方が良い。とはいえ、そういう稀有な人々のための専門技能習得、専門知識習得の機会を補助するのは有意義である。
・可処分所得を増やそうというのなら無理な賃上げ要請ではなく減税である。
・一番重要なのは子供の教育だ。大人に期待してはならない。未成年者、特に幼児・小学生の教育が国家百年の計の根幹となる。すれば百年待たずとも数十年、早ければ十数年で効果が出て来るはずだ。
確かに「役と同じ服装」と取り繕ってもあの忌まわしき戦争を連想させるので「人殺しの服着ている」とか「軍国主義者」という誹りを受ける可能性はある以上、迂闊だったかもしれない。
……のであるが批判者側も主語が大きくなりすぎていてお話にならない、幼稚なレベルで正直失笑ものである。
(全くの余談であるが、この憲兵役の声優さんは年季の入った軍装趣味者のようで、ワンフェスでも憲兵コスプレで参加されているのを拝見した。)
憲兵という兵科自体「軍の警察」という役割を担う以上必須ということは少しでも軍隊を知っているならば分かる基礎知識であるし、自衛隊でも警務科という“ミリタリー・ポリス”を有している。
フランスでは国家憲兵隊を編成して一部の一般の警察業務を担っているし、日本軍のソレもフランスに倣った組織である。
……という点が批判者側からスッポリ抜けているので意味不明な不気味さを放っている。
逆に「いくらなんでも公式的なイベントで(忌まわしき戦争を思い出される)日本軍の兵士の恰好はどうなのか?」というところで主張を押し留めておけばある程度の賛同は得られた筈だ。
「弾圧」「横暴」というワードからナチス親衛隊(SS)と日本軍憲兵隊を結びつけるもの甚だしく不適切である。
日本軍憲兵隊の場合国軍の中の一つの組織でしかないが、SSはあくまで「ヒトラー個人に忠誠を誓う組織」だ。
そして歴史を追うごとにナチスの武装組織「突撃隊(SA)」に取って代わり、ドイツの警察機構を吸収し、国軍(国防軍)と並立する形で強力な軍隊(武装SS)が出来上がる……という具合に
際限なく国家を吸収していったのだ。
ナチス・ドイツのこうした歪さは戦後にも深く影響していて、元国防軍の将兵と元武装親衛隊の将兵の差別問題とそれに関連する武装SS将兵による復権運動
―パウル・ハウサー、クルト・マイヤー等の著名武装SS隊員らによる「我々は犯罪組織の構成員ではなく国防軍と同じ兵士だった」といった主張―に繋がるのである。
こういう歴史の顛末を知れば日本軍憲兵隊とナチス親衛隊は=で結べない筈である。
そもそも論として「欧米ではナチスのコスプレはタブー」という認識が誤りである。
日本の有名な軍装品店(エ○&グ○フなど)に行けばドイツや海外製の「ナチス時代の軍帽、軍服、勲章……etc.」が沢山売っているし、欧米で戦車や飛行機も動員して開催するほどの気合の入った
(更に全くの余談だがZ級戦争映画と名高い「パンツァー鋼鉄師団」はこうした戦争再現イベントを利用して撮影したと言われている)
日本においてもコミケでは特段規制されておらず、せいぜいイスラエル大使館を名乗る怪電話による自粛程度である→https://togetter.com/li/1047396
毎回、軍装コスプレイヤーの溜まり場に行けば必ずナチス親衛隊のコスプレ、稀にヒトラーのコスプレが居るので「ダメなコスプレ」ではない。
(どちらかといえば現行制服の自衛官や警察官の方が法律に反するので「悪」として認識されている)
当然、コスプレイベントで明白に規制されているにも関わらず、無理矢理強行する行為や何もない普通の街中でそうした軍服を着るという行為は軍装趣味者として戒められるべきであるが
特定の組織や兵科を指して「ダメなコスプレ」のレッテルを貼られる謂れはない。
……よって批判者側のヒステリックな物言いには一切賛同できない。
当然ながら日本軍憲兵隊の行い、ましてやナチスの悪行を一切肯定するつもりもないが、だからと言って「○○の行為はダメだ悪い」と声高に激高し監督や作品自体を誹謗中傷する行為を取ること自体思考停止の産物であり
オイラ昨日深センに行ってきたんですわ。広州から電車で深センに入って、深センから香港経由で日本に帰ってきた。
そしたらタイムリーなことに深セン行ったら日本ヤバイと思ったっていう↓の記事がバズってて、だけどオイラの見て感じたことと相当違うなと思ったんで忘れないうちに感想を書く。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/53545
あなたは今から書くことを読んでも深センに希望を見ることができるだろうか?
これはよく知られている話だけど、深センではGoogle, Facebook, Twitter, Line等の資本主義国のWebサービスが大半使用不能。
旅行blogで深センの情報を読もうと思っても、閲覧制限があるようでLivedoor blogやfc2 blogは参照できなかった。
かといって百度で日本語の現地情報を検索しても、フィルタリングがかかっているようでスカスカの情報しか返ってこない。
記事の筆者も当然この状況を見ているはずだが、これでも深センに希望を感じたのだろうか?
深センへは日本からの直行便が少ないので、広州経由で深センに向かったわけだけどもやたら難儀した。
直線距離だと100km程度で、日本で例えるなら東京宇都宮間ほどの距離。
最近の中国では全土に高速鉄道が走っているので、そいつを使えばわずか30分で着く…のだけれども。
外国人は鉄道のチケットを事前予約するのはできないので現地の駅で切符を買う必要があるので広州南駅に向かったのだが、
自動券売機は、中国の身分証を読み込む必要があるので一切使えない。窓口に並んで切符を買う必要がある。この窓口の待ち時間が異様に長い。
さらに、中国の鉄道は全席指定になっているので、当日券を買おうとしても4時間後の便しか買えなかった。
しかも、鉄道に乗る前に待ち受ける身分証確認と手荷物検査。行列続きで非常に疲れた。
深センについた後も地下鉄の移動前にはX線スキャンの荷物検査があり、非常に面倒だった。
どうやら中国では鉄道は日本でいう飛行機のような存在で、気軽に利用できる乗り物ではないようだ。
記事でも言及されていた深センの電気街、「華強北」。オイラも行ってきました。というかこれ目当てで深セン旅行を決めたんだけどね。
で、実際に行ってみて、結論から言うと「失望」の一言に尽きるかと。
確かに規模は大きいよ。ヨドバシ秋葉レベルのビルが何棟もあって、秋葉原の高架下にあるような個人店がぎっしり中に詰まってるんだから。
だけど売られている商品に多様性がないんだな。店が100店舗あっても大半がスマートフォン販売 or そのアクセサリー。
USBケーブルに充電器、交換用のバッテリーにSDカード、こんな商品を扱う店が9割くらいを占める。
もちろん、Foxxconの横流し品であろうスマートフォンの機構部品を扱う店や、顕微鏡片手にスマートフォンの基盤修理をしている店のようなマニアックなのもあったんだけど少数派。
さらに、オイラの期待していた「深セン」でしか買えないエッジのきいたもの、例えばbitcoinの採掘マシーンとか評判の高い中国メーカーの短波ラジオのようなものは皆無だった。
まあ、この辺はオイラの探し方が足りなかったのかもしれないが、表通りに立ち並ぶ店の品ぞろえは日本とそう変わるものではなかった。
QRコードの読み込みで決済ができきる「微信支付」は銀行口座と紐づけが必要だから、外国人は簡単に利用できないよ。
仕方ないから町の人の使う様子を見ていたんだけど確かに普及はしている。レンタルサイクルや駅の売店で使っている人はすごく多い。
ただし、屋台の支払いでも普通に使われているかというとそうでもないよなという感じ。
「日本ヤバイ遅れている」を強調するために話を盛っているような気はする。体感的には日本の駅ビルテナントでのSuica決済と同程度の印象。
日本に帰るために、深センから国境(香港返還後20年たってもまだ残っているのだ!)を徒歩で超えて香港に入った。
香港の街並みは深センや広州と比べるとどこか古臭く見える。駅も狭いし、鉄道車両も年季が入っている。
だけどここには自由があった。Googleもtwitterもfacebookもすべて使える。DMMの18禁サイトすら自由に見れる。
地下鉄を乗るときの手荷物検査は存在しないし、外国人もオクトパスカード(香港版Suica)を買えるし、クレジットカードの普及率が高いので、商店で気軽にキャッシュレス決済ができる。
中国本土に居たのはわずか数日のことだったが、香港では深センにない自由を感じたのだった。
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO2312510005112017MM8000/
国の成長戦略の一つ、日本文化の輸出を支援する官民ファンドのクールジャパン(CJ)機構が振るわない。
発足から丸4年の投資24件中、決定後1年を超す事業の過半が収益などの計画を達成できていないことが日本経済新聞の調べで分かった。
経営陣の強い意向から慎重論を退けて投資した結果、損失リスクを抱える事例が相次ぐ。
「まず投資ありき」の姿勢がクールジャパンの戦略なき膨張を招いている。
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO2312619005112017NN1000/
官民ファンドのクールジャパン(CJ)機構では社内の労使対立もガバナンス面の不安の種だ。
「何が起きているのか」。6月下旬、機構に出資する20社超の企業に動揺が広がった。機構の従業員が労働組合を結成し、その背景を各社に通知したのだ。
http://www.yomiuri.co.jp/national/20171101-OYT1T50017.html?from=ytop_main5
日本年金機構は31日、働きながら年金を受け取る「在職老齢年金」の受給者約3200人に対し、
計約8900万円を多く支払うミスがあったと発表した。
これ年金機構のミスじゃん!受け取った俺悪くないじゃん!返還すんのかよ!知るかよ!ってなるよね。
単純計算すると、
89000000÷3200=2万7812.5円
結構な額じゃん。
加藤秀俊(社会学者):社会学はインチキで大学では不要ではないか。
ttps://twitter.com/hikaru_sth/status/645132749817319424
最近、某(自称)社会学者がテレビで差別発言をしたとか話題になっているが、あれは社会学者とはいえない。
少なくとも私は、デュルケームとウェーバー以外の「社会学者」から学問的に重要なことを学んだ記憶がない。
http://agora-web.jp/archives/1665734.html
「社会学者」が奨学金や学費について不満を述べるほど、奨学金を拡充したり学費を下げたりすることへの
支持が下がっていくとしか思えないので、黙ってた方がいいよね。
学生がああいう人たちの講義を受けたり、彼らに給与を払うために税金を投入したいと思う人いないでしょ。
ttps://twitter.com/rionaoki/status/698348305382658048
学生支援機構の奨学金に対する批判の相当部分は、同機構のウエブサイトすら見ていないレベルのものなのだが、
まともな同業者がそのレベルの議論を相手にするインセンティブは小さいかもしれん。
ttps://twitter.com/mana613/status/697763623633035265
日本の社会学者は3600人、世界の10パーセントと推測されるが、
研究の重要性の指標とされる引用率(ほかの論文で研究が引用される率)は1%をはるかに割っているという。
http://japan-indepth.jp/?p=30462
1. 社会学 2. 芸術系 3. 教育学 4. 神学 5. 観光 6. 栄養学 7. 心理学 8. コミュニケーション
http://www.professorshouse.com/the-most-useless-college-degrees/
衆議院選の投票先は積極的財政政策と金融緩和の継続をしてくれそうな政党に入れたい。
消費税増税は2年後はまだ早いので延期してくれるところがいい。
安倍総理は延期に含みを持たせているけど、はっきり増税すると言って選挙戦っているから延期は難しいだろう。
そこで立憲民主党だ。
公約で消費税増税延期を言っているし、枝野代表は民進党代表選で金融緩和の継続を明言していた。
さらに枝野代表はトップダウンではなくボトムアップのリーダーシップを目指すと言った。
これは立憲民主党内で金融引き締めが多勢になればそれに従うということではないだろうか。
というわけで立憲民主党主要メンバーの金融政策に対する姿勢を過去の発言から検証する。
「過度な金融緩和、カンフル剤を打ち続ける、なかなか効果が出ない、格差がどんどん拡大をする、それがかえって経済成長にもマイナスにもなっている」
https://www.minshin.or.jp/article/108841
「金融緩和によるデフレ脱却については民主党も安倍内閣と立場が同じです。ただ、それがバブルを生んではいけない。」
http://net.keizaikai.co.jp/archives/17524
「現在の日本は、弱肉強食である米国流の金融・経済政策原理に基づいているばかりか、実態を伴わないマネーゲームの様相を呈しており、いろいろな所で綻びが出ています」
「日銀が国債を購入する一方で、年金基金などがその分を国内外の株式することになり、一連の株価急騰が実現していますが、これは「中央銀行による国債購入」と「年金運用のリスク拡大」の二点で「禁じ手」なのです」
「金融緩和によって株価が上がる一方で、実体経済は先細っています」
https://www.kon-chan.org/policy/kakuron2.html
「大胆な金融政策】は年金運用機構(GPIF)の運用見直しで株式投資を50%まで増大させ“株高”を誘導し、減額した国債を日銀が買え支えて“円安”を誘導するという綱渡りはかろうじてトランプの景気刺激策に支えられているが、極めて不安定なカラクリである。」
http://www.sasaki-takahiro.jp/?p=2657
http://www.fukuyama.gr.jp/policy/
「米国が金融緩和を終了する中での今般の追加緩和はかなり強いカンフル剤であり、「異次元の金融緩和」の出口を不透明なものとし、急激な円安や輸入物価の上昇に伴い中小企業や家計・生活者を苦しめることになります」
http://www.fukuyama.gr.jp/diary/2014/11/04/11638/
「金融緩和だけではダメだ、ということは共有化されたようです」
http://www.fukuyama.gr.jp/diary/2016/05/27/14944/
「アベノミクスの金融緩和政策は破たん寸前、マイナス金利という断末魔のような政策を打ち出してきました」
http://blogos.com/article/159356/
長妻氏、福山氏は金融緩和に理解はあるけど副作用が強く出ているというスタンスかな。
立憲民主党の金融政策は引き締め方向に向かうのではと予想する。
どっちに期待すべきか…
こんにちは。最近ハマっているアイドルマスターミリオンライブシアターデイズというスマートフォンアプリの話をします。なんか最近やれ更新が遅いだの音ゲーとして曲数が少ないだのと言われていますが、このゲームのウリはそういうところではない。
という話をします
その前にまず簡単に「アイドルマスター」というゲームについて簡単に話をする必要があります。アイドルマスター(以下アイマス)とは、旧ナムコが2005年に稼働開始したアーケードゲームより始まる、ゲームシリーズ及びメディアミックスの総称を指します。プレイヤーはアイドルのプロデューサーとなり、様々なミニゲームやコミュニケーションを通じて、担当のアイドルをトップアイドルに育て上げる、と言うものです。ここ最近の作品にはあまりない特徴として、固定されたストーリーやエンディングがない事が挙げられます。これは特にPSP版までの特徴ではあったのですが、定められた期間の中で担当のアイドルをどのくらい育てることができるか。その結果どのような結末を迎えるかはプロデューサーの腕次第というのが大きな特徴でした。(PS2版からは割りとストーリー性が強くなったり、逆につい最近のものではもはや終わりのない箱庭のような感じなっていますが…)。いや、いったいそれのなにが面白いんだと思われる方もいるかもしれませんが、私自身このゲームがここまで多くの人に愛されるのはこの
何度やっても同じ展開はなく、誰がやってもその一回はその人のその1回だけのもの
という、担当と紡いだストーリーや絆が特別なものとなる感覚が大きかったのでは似かと思います。だからこそ、いまでもSNSなどで「俺のアイドルを見ろ」と言わんばかりの宣伝が絶え間なく書き込まれ、そこから世界が日8ろがることが多いのだと思います。それだけ、どのプレイヤーも自分の担当への「自分だけの特別な思い出」を育むことができるゲームなのだと思います。ちなみに私は最初あるアイドルでやったらすっげぇ中途半端なランクで終わってしまいました。でも、アイドルはお礼を言ってくれるんです。ありがとうって。私は申し訳なくてなんか泣きました。
ミリオンライブシアターデイズ(以下ミリシタ)とは、このアイマスシリーズの一編。グリーから配信されているソーシャルゲーム「アイドルマスターミリオンライブ」から派生したスマホアプリゲームです。最近流行りの音ゲーアプリの一つとなっていますが、プレイヤーが実際に行うのは大きく2つ「リズムゲーム」と「コミュニケーションゲーム」です。ミリシタの特徴は、ストーリーなどを読む際に挿入されるドラマパートがフルボイスであることと、そのドラマパートが立ち絵ではなく3Dのキャラクターが常に動いているというポイントです。これにより、ドラマパートがただ文字を読むだだけではなく、視覚的にも様々な情報が得られるようになっています。これまでのアイマス同様に共通のモーションも多いですが、アイドルごとに固有のモーションなども実装されており、より「キャラクターとの交流」を押し出していくゲームに仕上がっています。
さて、いよいよ本題です。他にも様々な音ゲーアプリが群雄割拠し、アイマスカラのアプリゲームも複数ある中でミリシタはどこがすごいのか。一言で言うならば
最も「アイマス」をしている
という点でしょう。まずアプリゲームであることのそもそもの問題として、どうしても課金をしてもらうような機構を組み込まなければならないということ。据え置き機と全く同じシステムでは作れなことなどがあると思います。つまり、アプリゲームである以上はアプリゲームの枠の中で、何らかのセールスポイントを表現する必要があります。そんな中でミリシタはどのような道を選んだのか。と聞かれれば、答えは「アイマスをすること」なのだと思います。先程も書いたようにアイドルマスターの本来の良さの1つは、プレイヤーとその担当の特別な思い出を作れることがあるかと思います。ミリシタでは、登場する全キャラクターとの出会いのストーリーや、様々なカードに起因するストーリーが配信され、レベルの上昇とともに解放されるメインストーリーでは、これまでのミリオンライブでは明かされていなかった設定や、そもそもこのゲームがミリオンライブとはまた違う独自の路線に進みつつあることを示唆するストーリが続々と配信されています。しかも繰り返しますが、コレが3Dキャラによるフルボイスです。その労力たるや、如何程のものでしょうか。
また、ここ最近のアップデートでさらにコレを強化してきたなと感じたのが、「シネマモード」と「リハーサルモード」です。シネマモードは、ドラマパートに新しく実装された機能であり,これまで表示されていたアイドルのセリフを吹き出しごと消去し、画面にはアイドルのみが映り、音声のみの進行にすることで、より没入感を増すことが出来ます。
「リハーサルモード」は、音ゲーパートの練習ができるようになったというものです。これがただの練習であれば、それほど大した話ではなかったのですが、実際にやってみてびっくり。なんと、衣装がレッスンウェアで固定になり、通常のプレイで表示されていたお客さんが全員消去されていました。個人的にこれはすごいなぁと思いました。旧来のアイマスでも、ライブパートがあり、プレイヤーの選択した衣装に身を包みステージで踊るパートがあるのですが、その前にライブやイベントへの出場権を手に入れるためのオーディションがあります。ここでは衣装はトレーニングウェアでの登場となり、プロデューサーだからこそ見られる一面というのが本来あるわけです。華やかなステージはお客さんからの視点ですが、その裏には地道なレッスンや苦労がある。それを知るのはプロデューサーと担当のアイドルだけでいい。そういうわけです。こういう想像の余地こそが、アイマスというゲームの味を引き出し更に深めていくことができる部分だと思います。
このように、ミリシタはただアイドルの記号的な可愛さで売り出したり、音ゲーとしての質のみで売り出そうとしているのではなく、旧来のアイマスらしさを少しでも表現しようとしていると感じられるところがあります。
冷静に考えると、実施のところこれらの感情はゲームに没入し、酔っているからこその話です。旧来のアイマスにしたって、やりこめばやり込むほど一度見た流れが増えてきたり、より高ランクを目指すと行った効率重視のやり方が増えてきます。ミリシタにしても、ドラマパートを各キャラに…くらい他のゲームでも当たり前といえば当たり前です。蚊gられた枠組みの中でどんなゲームに持っていこうとしているか、日々苦慮していることでしょう。ただ、そんななかでも特にミリシタは「アイマスらしさ」を表現し、プロデューサーとアイドルだけの特別な絆や思い出を積み上げるという想像の余地を与えようとしてくれているのだと思います。楽しみ方や感想は人それぞれですが、こういった制作側のメッセージをなるべくであれば拾っていきたいなぁと思ったので、こうして筆を走らせてみました。
早くも影響が出てきていて、研修医たちが内科を避け始めている。
「内科か、精神科か迷ったんですけどー、精神科にしました」とか「内科か、皮膚科か迷ったんですけどー、皮膚科にしました」とか・・・。
内科に籍を置く人間としては、「くそー、みんな安易にマイナーに行きおって!!」て感じなんだけど、
新専門医において、内科はいかんせん、専門決まるのが遅すぎる。
「専門しながら総合内科的な研修できるように改定しました!」て言われたけど、実際のスケジュール考えると無理っぽいし。
今まではマイナー外科に行く研修医たちって「最初からそう決めてた」人たちだったんだけど、
これからは内科に行く研修医が「最初からそう決めてた」人たちなんだろう。
こんなことを考えて感傷にふけったりしている。
しかしながら実際問題、これから内科を志す人が減って、どうなってしまうのだろうと不安が拭えないでいる。
最初から予想されてた事態なので、何か狙いがあってのことなんだろうなとは思うのだが・・・。
(例えば、より科の偏在が進むことで社会問題になって、強制的に各科定員を決めるようになるとか)
新専門医機構は単なる天下り先なのでは?という記事を読んだり、
女性や現場医師が極端に少ない理事メンバー(だいたい教授とかの偉い人で、研修医や指導医と大して触れ合ってなさそうな人たち)を見ると
もしかして何も考えずに新専門医制度始めるとか言ったんじゃないだろうな・・・
と心配になる。
ほんとどうしてくれる。
まあこんなこと書いたって、何も状況は変わらないんだけど。
薄々気づいていたけど、特定の条件下での話ができない人がかなり多い
世界的に多い
「◯◯という条件下で、殺人することをどう思うか?」という問に
他の例もみてみよう
「もし雨が降ったら休もう」→「雨も降ってないのに何休もうとしてるんだ」
「もし俺が◯◯だったら、好きになると思う?」→「あなたは嫌い」
「この動物は人を大量に殺したので殺処分しました」→「動物が可哀想」
「彼はアメリカ生まれだが、赤ん坊の頃から日本に住んでいる」→「日本語上手ですね」
「ここに白いリンゴがあったとする」→「白いリンゴなんて存在しない」(これはスルーじゃなくて前提の破壊だね)
特に正義感ぶった人、あるいは正義感を持った瞬間に多い気がする
思想信条に触るからだろうか? 自分の都合の悪い条件を排除しているのか、はたまた条件をスルーする能の機構が存在するのか
ただ、ロジックを扱う職業(IT・コンサル・化学・学者など)、ストーリー・キャラクターを生み出す職業では大分少ないと思う
自分が気づかなかったのは、周りにそういう人がたまたま少なかったからだ
避けてたのかもしれないけど
これは色々なシーンで弊害が出る。
・小難しいストーリーや、キャラの心情を理解してもらえない(創作への不理解、万人向けほど薄味になる)
・癇癪を起こす、不必要に怒る
どうしても「例えば」「仮に」「この場合」などの話ができないと
制御しようとするのが間違いなのかもしれない、できないものはできないのだから
「仮定の話を抜きにして話す術」や「相手の順応性を見極める力」が重要になる
ただ、これのおかげで世の中の政治家や、個人の主義主張が玉虫色になりがちというのが残念だ
どう仮定を用いてもタブーには触れられないので、本質を語るのはどうしても密室になってしまう
重要な意思決定がオープンにできなかったり、特定の少人数で行われるのはそういう理由があるのではないだろうか?
___
追記
条件下の話において、「どんな場合でも」という返答は、条件を無視していないと思う。
「どんな場合でもではないこと」が用意できればよかったんだが。
相手に文脈を理解してもらえるとか、自分の想定している話の前提を理解してもらえる、などと期待すると思わぬしっぺ返しを食らう
面白いのは、議論が得意とされる国ですら似た現象が起きていることだ
複雑な構造を伝えるのはそもそも難しいし、頑張って伝えようとすると長文になり読んでもらえなくなる
私はいつも同じ前提ではない反論を受けるたびに「またやってしまった」と相手と自分に対して憤りを感じる
自説が否定されたことではなく、議論が破綻したことがやりきれなくなる(逆に上手く反論してもらえると喜ぶ)
ブコメでも感じたこと
「逆に自分もやってしまっているかもしれない」という観点は今まで弱かったと思う
相手と同じ前提に立った意見を言えているか、これから意識してみたい
(あまり意識すると、質問攻めになってしまうからこれも難しいんだけど)
ところで、私はブログなんかでもいつも伝わりづらいことや、仮定の話をしてしまう(しかも分かりづらい)
これは理解されるのを半ば諦めてしまっている独り言に近いんだけど
たまに「わかる」「スッキリした」と褒めてもらったりバズることがある
そんな時ちょっと嬉しい
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追記2
何かえらい伸びたな
説明が下手ですまない。正直これは自分でも書いてて下手だなと思っていたw
もうちょいちゃんと書けばよかった・・・でもそうすると伸びないのか
でもマジメにコメントしてくれる人多くてありがたい。もっとボロクソに言われると思った。
「秋葉原でアンケートしたら、男性の90%がアニメ好きでした」 → 「男はアニメすきだからね」
「X総理の経済政策は素晴らしいが、軍事政策は良くない」 → 「そうだ、早く辞任するべきだ」
「N動画の有料会員数は5年で50万人から250万人に増え、今年は5万人減った」 → 「N動画は最悪だ、皆酷いと思っている」
うーん