はてなキーワード: 領分とは
バニラアイスに黒胡椒(ブラックペッパー)をかけるのが好きで、外で食べる時も黒胡椒があればやっちゃう。
小学校だった頃にバニラアイスに黒胡椒がかかっている写真を真似したらハマった。
ピリっとした風味がアクセントになる。結構大量にかけても美味しい。
でもそういう行動が気に食わない人もいるみたいで、意識高い系と反応されることがある。
あなたは天ぷらに塩やタレをかけますよね。それと同じです。そこには目の前にある物を美味しく食べたいという無意識のような意識しかない。果たしてそれは意識が高いことなのだろうか?
舐めすぎている。野戦築城術といういうものは、単一機材によってのみ効果を発揮する物ではなく、地形を含めた総体を以て防御を行うにある。もちろん欧州大戦の塹壕戦を有刺鉄線が支えた側面は否定できない。しかし塹壕戦が戦車によって蹂躙されるまで誰にも突破できなかったのは、そのシステム全体が強固なものであったからだ。
有刺鉄線、というか鉄条網に期待されているのは敵歩兵の突撃妨害に過ぎぬ。あれで殺すのではない、あれで足が止まった連中を火力で薙ぎ払って殺すのだ。実際くぐってみるがいい。なるほど致命傷にはならないだろう。だが現実に痛みを前にすればそれが人間は死との二択であったとしてもなお怯む。肉体を痛めるという原始的な恐怖からは逃れられない。そして人間に覚悟があっても、人間に付随する衣服だベルトだ銃だ雑嚢だには覚悟がない、トゲに引っ掛かって主人の行動を制限する。ソンムで、パッシェンデールで、フランダースでヴェルダンでイーペルで、もたもたしていればタダの的。いや的ならばまだ狙ってくれるだけ人間的というもので、大体は広がった暴露面積に応じてなんだかよくわからぬ飛んできたものが確率で当たって、死ぬ。
しかるに鉄条網を単に突破するだけならば容易いことだ。毛布の一枚、戸板の一枚、それもなければ代わりに踏まれる犠牲的兵士の一人がおれば、か細いながらも突撃路の啓開は十分に可能である。で、そのか細い突撃路から侵入した兵士がどこまでたどり着けるのか。砲弾降り注ぐ無人地帯を踏破して、鉄条網を潜り抜けてようやくたどり着いて塹壕を一本確保したところで、その奥には予備陣地が控えている。そこをなお突撃する体力は、連合も同盟も有してはいなかった。いや無論、一部の突撃兵には出来た。しかし全体としては少数で、後続の連中には無理だった。人が人である以上、その貧弱な限度を超えることはできないのだ。
そして最大の特徴は、あれは針金で体積から見ればスッカスカである点だ。即ち、事前砲撃や射撃によってほとんど破壊されぬ。通常、陣地攻撃を行うならば事前に「耕す」と形容される程度には突撃路を砲撃によって確保する必要がある。塹壕は強固に作られても線だ。特火点は点に等しいが面積と破壊できる実態がある。砲弾は爆弾は確率の女神の気まぐれでいつかは当たって、それらは破壊される日が来る。しかし有刺鉄線は敷設された空間の中で実態が占めている体積はほとんどない。砲弾が降り注いでも柳に風、都合よく弾片がワイヤーを切ってくれることを祈るしかないがその確率は限りなく低い。つまり単なる鉄線であるがゆえに、これを確実に断ち切ることは火砲ではほとんど不可能だ。となれば突撃を開始してから銃弾ふきっ晒しの敵前において悠長に切るか、肉迫して特殊機材で吹っ飛ばすか、攻撃路を変更するか穴でも掘るか、犠牲を許容して尚踏破するかを迫られる。おまけに普通の阻塞とは異なり、攻撃側の身を隠してはくれず、銃弾砲弾は素通しで危険が増す。なお、変更した先は大体火力が集中しやすい死地になるので選ばれがちなのが犠牲的精神という訳だ。
ちなみに本邦で一番有名な戦訓は「爆弾三勇士」だ。かれらが爆弾で吹き飛ばしたかったものこそが有刺鉄線なのだ。ああいう特殊資材が要求される程度には、あれは厄介な代物なのだ。あの「爆弾」、バンガロール爆薬筒という。ほぼ専用の爆破機材だ。覚えて帰れ。
望外の高評謝するに余りあり。
ただし投稿子は無論本職でもなく、オタクとしての領分はむしろ航空、就中1000~2000馬力までのwarbirdsである。加えて早朝寝る前の勢いで綴った代物で、意図するとせざるとを問わず多数の陥穽があるはずだ。現にこの追記時に助詞程度ではあるが、第一段落から若干の修正を加えている始末である。ゆえに読者、殊にこの領域をご専門であろう諸賢の御鞭撻と補足、並びに御寛恕を賜れば幸いである。
またに未見の作品のご紹介は大変にありがたかった。投稿子はそれを覚えて巣に帰ろう。また何らかの巡り合わせがあれば、何処かで。
オエー。さっきまでの自分が心底気持ち悪くて吐き気がする。身体が視たい身体に触りたいセックスがしたい。性器に触ってるとそんなことしか考えられないのか。
いや糾弾するべきはそこじゃない。そんな妄想を繰り広げているときに、自分に都合のいい美化しきった相手を想像していたのが問題なのだ。「相手はきっと性的なことに興味があるはず」「相手はきっとよがるはず」オエーオエー。お前は、大して交際を重ねてもいないのに、やりとりした言葉の小さな端だけ選び取って、自分の欲望通りの受け答えをする人格の造形(もはや人格ですらない。ラブドールか何か)を創り上げ、妄想の中でヨイサヨイサとやっていた。
はい、私はやっていました。現実の行為に及ばなくてよかった。死刑です。
相手の気持ちは分からない。分からないからこそ、自分の行為の結果を想像して相手の形に投影するのかもしれない。それでも。たとえ妄想の中であったとしても、領分は弁えることだ。自分の都合で相手の形をしたラブドールをつくるな。知りたかったら、知らないことを弁えて、聞くしかない。それを知らないふりして、勝手な形を妄想するのは最悪だ。
一週間もなんかよくわからん代車に乗っていて馴染みそうになっていたので、久しぶりのワゴンRに「こんなに重いんだっけ?」って思った。アクセル踏んでも急に加速しない。でもチェンジレバーは軽い。
ブレーキ……かかりが昔よりも微妙に悪くなってる気がするんだが、点検では引っ掛からなかった。確か去年の車検の時に直してもらったしな。代車のブレーキは踏むとギャン!って感じで利いたので、娘が車酔いしていたし、運転している私までちょっと酔った。
久しぶりのワゴンR、乗っててすごく重い、重いと感じた。まずエンジンの音が重いのとハンドルが重いしアクセルも重い。乗ってると急に自分までおでぶになった感じがしてしまう。燃費の悪い音がするー、と思いながらGSに寄って2000円ぶんだけガソリンを入れた。
先週、ディーラーに車を預けた時、確かガソリンの残量は4分の1くらいだったと思うんだが、何しろ燃費が悪いので、工場に行って帰って来たら燃料は尽きてしまったらしい。
やっぱり、ガソリン代と環境のことを考えたら、この車はもうダメなんだろうなぁ、と思いながらたまにアクセル踏んで慣性で走る。こんなことしてガソリン代の節約になるのかは知らんけど、エンストしやすくなるのはどうやら確からしい……。
信号待ちしていると、代車のカンカンカンカスンカスンという間の抜けたエンジン音が懐かしくなる。間抜けだし、停車時間が長いとカスンってエンジンが止まって私みたいにいまだ古い車に乗ってる人間は不安になってしまうのだが、それは省エネの音であり省エネによる一旦停止なので問題はないのだ。本気のエンストとどうやって区別するのとか思うけど。でもほんと燃費いいんだよなあ。
代車を借りたとき、ディーラーが給油してくるのを忘れたというんで夫がGSに給油しに行ったら、千円分入れるはずの所をGSの従業員のミスで満タン入れられてしまったのだが、それからちょっと遠出とかもしたのに、代車返却するまでに燃料のメーターは殆んど減らなかった。代車の燃費がいいところは良かった。軽いせいで急発進急停止しがちなところはあれだったけど。
銀行へ行って、私の口座から車屋の口座へ、夫名義で60000円振り込んだ。ちょっと大きな金額を一括払いするのは気分がよく、私はこういう時の為に節制した暮らしをしているんだと、誰も誉めてくれないけど誇らしい気分になる。夫名義なので、さすがさすが!と言われるとしたら夫なんだけれども。
残高を見て、このぶんなら来年末には車を買い換えてもいい気がするなあと思う。でもそしたら払い込んだばかりの一年点検の費用とか、来年の車検の費用が無駄っぽくなるよなあ、という気がする。夫ともまた衝突するだろう。だから点検に金を遣うなんて無駄だって言ったんだ!とか。びた一文出さない癖に口はよく出して来る。車のことは俺の領分だと言わんばかりだ。
しかし、車関係のことはほんと、ディーラーにも修理工場の人にも私はナメられまくりでまともに話を聴いて貰えたためしがなく、夫を通した方が何でもすんなりいくから仕方がないなと思う。
車を買うとして。個人的にはラパンが乗り回し易くて好きなんだけれど、自分一人で乗るならともかく子供を乗せなきゃならないので、あんまりちっちゃい車は不便。ラパンの後部座席、見るからに乗り心地悪そうだしな……。
周囲を見ると、子持ちの女性は大体、子供をのびのび昼寝させながら海まで行けそうなでっかい車に乗っている。私は運転が上手くないという自覚があるので、そういう大きい車は手に負えないから欲しくないな。
やっぱり私の愛車くらいの大きさの車が私には合う。ただ、なんの変哲もないワゴンRを修理しながら大事に乗るというのは、ディーラーや整備士さんにはあんまり理解されないらしく、丁寧に乗って長持ちさせる気があるならもっと高くていい車を買った方がいいのかなと思う。
十数年前、愛車を買った時は車なんて動けばっていうか私に動かせられるなら何でもいいと言って予算の範囲内でディーラーに選んで貰った。試乗もしなければ納車当日まで実物を見もしなかった。却ってディーラーに「女の子がそんなこと言うなんて……」とドン引かれて、納車のときディーラーは私が「やっぱり気に入らない」って言うんじゃないかとビビっていた。
そんな私が、今は買うなら高くていい車がいいなんて思っているとは。
あの頃は、自分の買い物を合理的判断と思って悦に入っていたけれど、私は間違っていたなと思う。自分が物を捨てられない質だということを忘れていた。捨てたくないなら、誰が見ても「それを惜しがるのはまあ分かる」と思うくらいのものを買うべきだった。まあ、今頃気づいてももう遅いんだけど……。
いい映画でした。面白かったしゲストキャラもよかった。全体としては満足です。
でも切島鋭児郎を(そんなつもりはまるでなかったのだが)思ったより愛してしまっていたので言わねばならないことがある。
***
まず、爆豪勝己のことは好きです。まあだいたい少年漫画のライバルキャラって人気ですよね。人気投票でもよく1位取るしね。で、人気あるからグッズもいっぱい出るしアニメ雑誌には謎衣装の謎描き下ろしイラストがいっぱい載るしなんかやたらカワイイ感じのアニメオリジナルエピソードを作られたりするんですよ。知らんけど。
とにかく、今回の映画はスタッフ一丸となって爆豪激推し、ダブル主人公の勢いで緑谷と一緒に大活躍。かっこよかったし熱かったっすね。コンビで(というかCPで)推してる人は呼吸が大変だったんじゃないでしょうか。生きてる?
でもね。
悲しいんですよ。
爆豪すごい!爆豪やっぱつえー!かっけー!という場面作りのために切島が犠牲になったことが。
スタッフも需要わかってるから事務所シーンでやたら2人一緒に映したりとか、最初の襲撃のときに同じチームで動かしたりとかしてましたけど、かえってそのせいで残念なことになってしまった。切爆庇い合ってた❤️とか言ってる場合じゃないぞ!
だいたいね、なんですかあの敵の個性は?包帯的なもので包んだ物体を自在に操れるんでしょ?包帯的なものでしょ?まあ普通の包帯よりゃ強いかもしれないけどしょせん布よ?
はい、切島の個性はなんですか?硬化!硬いの!銃弾程度なら軽く跳ね返す硬さよ。かつ鋭いの。実際断ち切ってたじゃないですか包帯を。それなのに巻かれただけで手も足も出ねえって何?国内トップの雄英高校ヒーロー科に入ってくる男はそんなにアホか?違うと思うよ。硬化させろよ!そこで硬化して脱出を図るくらいの頭脳はあると思うよ。ある程度弾性がある?転がれ!地面を!擦り切れ!
(以下蛇足)
というかね、考えてみてください。「切島鋭児郎」なんですよ。この漫画の名付けの法則から言って彼の個性の本質は硬さよりもむしろ「鋭さ」にあるはずなんですよ。
切島自身がまだそれに気付いていない設定なのか、それとも対人戦闘では硬化より断然グロいことになってしまうからそれは少年漫画の主人公側キャラとしてマズいと作者が能力の方向性を変えた(=硬化に重きを置いた)のか、それはわからない。
でも目蓋の傷のエピソードやアームカバー導入があることから、人を容易に傷つける、場合によっては簡単に命を奪える個性だというのは時折描写されている。
(蛇足おわり)
そうやって何かしらできることはあっただろうに切島と上鳴は文字通り手も足も出ず、結局誰よりもピンチの爆豪が自力で解決。
爆豪すごいね!さすが入試&体育祭1位!とか言ってる場合か!入試2位もいるんだよそこに!インターンでクラスの誰より先に名が売れた、そして本物の現場で死に目を見た男もいるじゃんよ!
という、本当なら何かしら使えたはずの人間を、爆豪アゲのためにほったらかして木偶の坊に見せてしまった、これはちょっとスタッフのミスだったと思う。細かいところあんま考えてません、というのが透けて見えちゃった。他のシーン、他のキャラでもチラホラあったけども。
しかしよりによって切島、かつて自分の弱さ無力さを思い知った経験のある切島が、よりによって彼の最大の強みを思い出させてくれた存在である爆豪(こうやって書くとすげーな)の目前で何もさせてもらえず、爆豪の優秀さに頼りきりにされてしまったのは無念でしかない。切島がまた落ち込んじゃうよ…ああ見えてネガティブなんだから…
このシーンだけに限らず、切島はこの映画において全体的にあまり活躍していない。
(上鳴もミイラ戦では特に何もしてなかったけど、彼は使い勝手のいい個性で日常でも非常事態でもできることをしている描写がきちんとあった。ほんとあいつ鍛えればめちゃめちゃ強いというか、使えるヒーローになると思うよ)
迷子探しにお前が何の役に立つかと爆豪に突っ込まれていたように、日常の困りごとでは肉体労働くらいしかしてないし、ミイラ戦ではあの有様だったし、個性「硬化」をいかんなく発揮したのがキメラとの最終戦のみだった。
あそこはまあ、あら文化祭のカキ氷コンビねってホンワカしたっちゃしたけども、「神野を思い出すな」ってなんで言わせた?そんなカジュアルに語っていい思い出か?無理を承知、掟破りを承知で危険に飛び込んでいって苦い結果の多く残る神野戦のことをそんなふうに?
まあ「俺たちまた無謀な賭けに出てるな」とかそんな自嘲込みかもしれないしあんまり突っ込まないでおくけど。「切島」「神野」と来たらホップステップで爆豪を連想させるスタッフからの(余計っちゃ余計な)目配せもあるだろうし。
いやそのビーム(?)耐えられるなら相手にそこまで変身させちゃう前にもうちょいなんかできたのではと思わなくもないが、ここは「このメンバーなら確かにこれが最適解」と思える作戦だったからいいと思います。
私のツッコミはそれ以前に遡る。
そこ、障子だろ。
障子、そこにいるべきだろ。
えっここに来て急に障子の話する?する。
思い出そう対キメラ初戦。うろ覚えで申し訳ないけど障子に向けられたキメラのセリフ。その外見は相当イジメられたろう、という。
私もそう思う。障子は何かしら外見に関して苦い体験がある(キャラブックの記述で示唆されている)。キメラもそう考えたから、異形型個性持ちとして自分と障子は似たような過去があると直感したから言ったんだろう。
てな具合に敵と共感するところのありそうなキャラがいたら普通再戦させねえ!?させるでしょ!!似たところのある2人がなぜ片や社会に仇なす存在になり片やヒーローを志しているのか?お前は俺と同じ思いをしたはずだ、というキメラの問いかけが宙に浮いちゃってるんだよ。再戦で障子が答えを返すのがセオリーでしょ!
いやもちろん今後原作で描かれる可能性が高いしアニメスタッフが勝手に触っていい領分ではない。
でも「たとえそうだとしてもお前のようにはならない、俺はヒーローになる」くらいのことは言わせていいんじゃない?障子めっちゃかっこよくない?してよ!かっこよくしてよ!
いや障子はメチャメチャかっこよかった。身を挺してまほろちゃんとかつまくんをメチャメチャ守ってた。ほんとにかっこよかった。それは間違いない。
そこ、切島じゃね?
切島、そこにいるべきじゃね?
切島、お前の個性…「硬化」じゃね?
はいここに来て話が切島に戻った。
1Aメンバーは色々と周到に準備を整えて襲撃に備えた。しかし万が一それでも敵わなかった場合、最後の最後、文字通り盾となって幼いきょうだいを守らなければいけない状況になった場合、クラス内で適任者は誰か?
答えは切島だ。彼に基本的に物理攻撃は効かない。他方、機動力や索敵能力には欠ける。守らなければいけない誰かがいる場合、動かず護衛役に徹するのが、最も合理的かつ個性を生かすオペレーションではないだろうか。
いや分かってます、障子が残ったのはキメラとの初戦によるダメージが大きかったから、切島が前線に出たのはダメージが少なかったから。
分かってるけど入れ替えた方がもっと2人ともかっこよく見せられたのでは??と思わずにいられないんすよねえ…
たとえば初戦のキメラあんなに頑張らせんでもよかった。いや徹底的に絶望感与えた方がいいのはわかるけど、彼の強さを見せるほどに対比でミイラがメチャメチャ弱く見えるんですよねえ…何しろほとんど爆豪一人で片付けたようなもんだし…
もうちょっとミイラ戦に尺使って、爆豪が捕まってる間に切島上鳴をはじめ他のメンバーに活躍させとけば、最初の方で触れた爆豪アゲ他サゲ問題は解決、爆豪も体力温存できて、かつ自分は捕まってクラスメイトに助けられた苛立ちで敵の親玉ナインさんに向かわせる原動力にもなる。
そしてキメラ戦をもう少し抑えめにしていたら、障子も再対面が叶ってさっき触れた激アツ展開になってたかもしれない。
(最終形態にどう立ち向かうかが新たな問題として浮上はするが…轟焦凍頑張ってくれ)
あと、キャラというか個性の生かし方問題でもうひとつ、葉隠ちゃんがマジで何もしてねえんだよ今回!切島以上に何も!なんかなかったのかよ!
避難所守るのも当然大事ですけど彼女の個性は全く防衛向きではないから万一あそこで何かあっても役に立てない、なら見えないことを利用して前線で罠張っとくとかさせた方がよかったんじゃないか…スタッフさんよぉ…
さて、ここまでおおむね「切島を使いこなして欲しかった」というモンスターペアレントかな?みたいなことを言ってきたわけだけど、わかってんだよ本当は。
切島を使いこなすのってすごく難しいんだよ。
防御力も攻撃力も高いけど、言ってみればただそれだけ。正面戦闘に持ち込めなければ個性の使いどころはそれこそ誰かの盾になるくらいしかない。機動力、情報収集力には欠けるし、緑谷や八百万のような頭脳派でもない。
思い返してみれば前回の映画でも、爆豪関係で目立ちまくった一方、戦闘シーンに入るとこれといった活躍がなかった。魅せ方の豊富な爆豪や轟と比べると単純なことしかできない切島に尺使ってらんないよね、忙しいもんね。わかる。
あの神野でも、塀をブチ破った以外に個性そのものは役に立ってない。そんなふうに切島の「硬化」はなかなか応用が効かない。言ってしまえば不器用。
そしてそれを一番よく分かっているのは切島本人。
か…かわいそう…プロとしてやってくには今のままじゃダメだってすごいよく分かってて…それに追い討ちをかけるかのような今回の「バクゴーやっぱスゲー」係扱い…
作者もわかってると思うよ、あのメチャメチャかっこいいインターン中の切島回を経た上でなお、クラス対抗戦でやっぱり接近戦させてもらえないと詰むぞ〜ってわざわざ描いてるあたり…何か巻き返す手はあるのか、そもそも主人公でもなんでもない切島にそこまでページ割いてらんないだろうし、何か…何か希望をくれ プロヒーロー烈怒頼雄斗としてやっていくための希望を…
そう、やっぱりこれに尽きるんだよ、切島の個性の真の強みは爆豪の指摘通り、倒れない、負けない、ってとこなんですよね。たとえ勝てなくても負けはしない、ということが可能なんですよ彼の個性は…不器用でも華がなくてもいい、他に何もできなくてもいい、絶対倒れないヒーローに…なってくれるといいっすね…がんばって…
【まとめ 】
・障子と切島チェンジ!
・切島の使い方難しい
・切島がんばれ
以上です。
コロナ「ばらまく」男性捜査へ 飲食店の従業員感染 愛知県警(時事通信) - Yahoo!ニュース
ついに威力業務妨害等の容疑で捜査が始まるらしい。ところでブコメでは傷害罪に問うべきという意見も多かったと思う。
ブコメでも出た性感染症の事例(昭和25(あ)1441)を見れば確かに傷害罪は成立しうるとも見える。
ただ個人的には今回の件と同一視できるのかという疑問もある。刑法に関してド素人中のド素人である自分が語っても仕方ないのだが、詳しい人がいたら意見をください。
(1) 因果関係
基本的に刑法では「その行為がなければその結果が生じないであろう」(コンディチオ公式)という条件関係が成り立たねばならないとされている。もちろん単純にこの公式が成り立てば因果関係が成立するというわけではない。例えばAが交通事故を起こして傷つけた相手Bが救急車に運ばれている最中に地震が起きてBが倒壊したビルに下敷きになり死亡した場合にAがBの死まで刑事責任を負うというのは考えにくい。まあ、このあたりは相当因果関係説やら客観的帰属論やらの領分だろうと思うので重要だろうが今回は無視する。
ところで、性感染症の事例ではこの公式は比較的容易に確かめやすい。飛沫感染や接触感染するわけでもなくほぼ性的行為やその類似行為をした場合に感染すると分かる。対象も絞れるしそこから性感染症の持ち主を同定するのも必ずしも難しいわけではない。要するに「その性的行為がなければ感染は起こらなかっただろう」というのがほぼほぼ分かると言ってよい。
一方で、新型コロナの場合はそうとも限らない。飛沫感染では可能性を絞り切れない。もちろん現状濃厚接触者の絞り込みはできていると言えなくもないが、もしかしたら自覚症状のない感染者と接触していた恐れがないとも言えない。実際今回は直接接客していない店員の感染が認められたという。すると結局「被告人の利益」ということで無罪推定原則の対象になるかもしれない。
一応関連して疫学的因果関係(疫学的条件関係)という考えもある。疫学的証明や病理学的証明により合理的疑いを超える確実な事実を認定するという考えで今回の件でも使えなくもないかもしれない。ただ、これが採用された判決の多くはさつま揚げ中毒事件のような広義の公害事件である。また千葉大チフス事件のようなものもあるが、こちらは医師が赤痢菌やチフス菌を食品に添付したり注射で投与したりしたというとんでもない事件なので、今回のように感染者個人が濃厚接触を試みるといった程度の話に援用できるかは微妙な気もする。
では、今回の女性のように、「故意に感染させるつもりがなかった」場合はどうなるのか。鈴木弁護士は、「過失と認定するのは難しく、感染させる可能性を認識しつつ認容していたら『未必の故意』があったと判断されるケースが多いのでは」と述べ、傷害罪が適用される可能性が高いと指摘した。
次の論点に行く前にここを押さえておきたい。要するに性感染症の場合に感染の認識があるのに感染リスクのある行為を行った時点で未必の故意が認められ傷害罪が適用されるだろうということが書かれている。では、少し話は変わるがインフルエンザの場合はどうだろうか?感染のリスクがある行為を行っただけで傷害罪となるだろうか?とすれば、インフルエンザに罹っているにも関わらず出勤するような行為は傷害罪に当たるのではないかという話が浮上する。だが、これは一般には認められないだろう。性感染症の感染リスクのある行為は性的行為でありしかも一般にそうした行為を行えばほぼ確実に感染するであろうという認識(実際にそうかはさておき)が存在する。例えば性感染症者と性行為をしたと判明した時と同僚がインフルエンザと判明した時を比べてみればいい。前者の方が感染しているかもと思うだろう。それなりにお気楽な気持ちで通勤してくるインフルエンザ患者がいる(しそれを許容ないし強要する会社がある)のはそういう理由である。つまり感染リスクといっても程度に差があり、性感染症の場合は結果の発生を認容しているだろうから未必の故意が認められインフルエンザのような場合は結果の発生を認容しているとまでは見ていないだろうから未必の故意が認められないということになるのではないか。しかし、だとしてもまだ問題がある。
素人考えだが実はこちらの方が問題なのではないかと思っている。刑法には過失傷罪の規定がある。これは逆に傷害に該当する行為を特定する際に過失傷害のことを念頭に置いておかなければならないという意味ではないか。言い換えれば、故意を伴う特定の行為を傷害罪と認定した場合、故意はなくとも過失を伴う同様の行為をしても過失傷害として刑罰を与えなければならないということになるのではないか。例えば今回の新型コロナの事例では移す故意を持って濃厚接触した男性を傷害罪とした場合にインフルエンザを移す過失を犯した人も過失傷害で罰さなければならないという帰結になりはしないかということである。
自分が性病に感染していることに気付いていない場合には、理論的には過失傷害罪の成否も検討されますが、感染に気付くべきだったという注意義務の違反(過失)というものはなかなか観念しにくく、また立証の困難さを考えても現実にこれを処罰することは難しいと思われます。
まず性感染症の場合に過失傷害を想定するのは難しい。これは以上と(2)で引用した文に沿えば、(a)感染に気付くべきという注意義務が考えづらく(b)感染を認識した上で感染リスクのある行為(性的行為)をした場合には過失ではなく未必の故意があると認められる、という2点にまとめられる。しかしこれは性感染症の特質ゆえではないか。
例えばインフルエンザの場合を考えてみよう。インフルエンザの場合は大抵熱が出る。特に冬であれば少なくともこの時点で風邪かインフルエンザかという発想になるし、熱が高ければインフルエンザかもしれないと感付くだろう。つまり(a)感染に気付くべきという注意義務が想起されにくくとも感染の認識自体は朧気なりとも持っていることが多い。感染の認識をしやすいとも言えるかもしれない。新型コロナの場合は逆に風邪に似ていて逆に感染の認識をしづらいかもしれないが…。一方で、(b)先ほど(2)で述べたように未必の故意までそうそう認められないだろう。しかし、これは性感染症では未必の故意が認められる範囲が過失として認定されるという可能性を排除しない。
そこで新型コロナやインフルエンザに過失傷害の問題が生じる。性感染症と違い未必の故意をそうそう認めず「移してやる」という意思があると立証できた場合のみを故意とするよう厳格に解釈しても結局過失傷害の範疇から逃れられない。インフルエンザや高熱の認識があるのに通勤してきた人間は恐らく過失を認められるのではないだろうか。特に咳エチケットを守らないようなのは他者への感染という結果を全く回避するつもりがないと言わざるをえない。こういった事情を法令解釈に読み込んでよいのかという意見はあるだろう。しかし裁判官も人間であるから同程度に説得力のある解釈が2つあればいたずらに社会不安を招くような解釈でない方を(因果関係論など他の理由をつけて)選択しやすいというのもまた事実である。
(4) 以上のような指摘を回避できるか
と言っても上手く構成すればここまで書いてきた問題を回避できるかもしれない。
第一に新型コロナのような新しい感染症とインフルエンザのような日常的に存在する感染症を分けることができればよい。例えば次のような文章は風邪やインフルエンザであっても傷害罪の可能性はあるという前提の元で書かれているが、因果関係の問題で現実に処罰は困難だろうとしている。
また、誰からうつされたかという点についても、よほどの閉鎖空間で、特殊な病気を持っているのが加害者しかありえないということであれば、特定の人からうつされたと証明することも可能かもしれません。
しかし、多くの人は日常生活を送る中で膨大な数の人と接触していますから、病気をうつされたとしても、誰からどのように感染したかは分かりません。
そのため、現実的にはただの風邪やインフルエンザといった感染症をうつしてしまったとしても、傷害罪として処罰されることはないと考えてよいでしょう。
私は(1)で、因果関係について性感染症とインフルエンザ・新型コロナの間に線を引いたわけだが、インフルエンザと新型コロナの間に線を引ければ今回の新型コロナ患者を傷害にしようと多くの人に問題は生じない。つまり新型コロナは濃厚接触者が現段階でもある程度把握できることが多くこの程度の蓋然性の高さであれば因果関係を認めてもよいだろう。一方もはやよくあるインフルエンザでは飛沫感染とはいえ絞り切れないから蓋然性が高いと立証するのは現実に困難だとさえ言えればよいわけである。とはいえ、新型インフルエンザが突然生じて感染した場合にはおおよそ感染ルートが特定されてしまうので過失傷害罪で罰せられる可能性は否定できなくなってしまうようにも思える。
第二に過失犯の成立が困難であれば問題がない。要するに故意による傷害罪が新型コロナやインフルエンザで認められても過失が認められる要件が厳しければ多くの人には特に問題が起こらない。1つには過失傷害が親告罪であることを利用し一般市民の善性を信じるというわけである。もう1つには実際に理論上過失犯が成立する条件が厳しければよい。過失論はよく分からないが大抵義務違反などを想定するはずなのでそのあたりで何かできたらいいんじゃないか的な話で、まあそこは詳しい人に任せる。
なにかにつけて他人を腐して、暇を持て余して重箱の隅をつつき、飽きたら次の吊るす相手を見つけて傷つけてた相手のことは追い出すか村八分にでもして忘れる。
本人たちは生活のために一生懸命やってなにかをやって生き抜こうとしているのに、おまえらからしたら生きようが死のうが娯楽でしかないから関係ないんだろ。認めろよ。
学ばない、歩み寄らない、認めない、進歩しない、現状を打破するために富を産もうともしない、悲観するだけでなにもしない、動こうとする人の足をひっぱる、嫉妬する、人の意見に乗っかる、叩くだけ。
気に入らないから相手が壊滅するまで踏み込むだけでそのあとはほったらかしだっていうんなら、おまえらはただの土人じゃねえか。蛮族以外の何者でもない。己の野蛮さを知れ
俺はどっちも問題ないと思っているけど、もしガイドライン制定担当者になったらどうするか?
第一弾 https://urbanlife.tokyo/post/22892/
第二弾 https://www.huffingtonpost.jp/entry/uzaki-chan_jp_5e366317c5b69a19a4b084b7
俺が見たかぎり、批判者が言いたいのは「表情」と「ピチピチの服」だろ。
1つめ、「表情」についてはかなり難しい。
批判者が第一弾の表情を「アヘ顔」と呼んでいるのを見たが、これは断じて「アヘ顔」ではない。
wikipediaによれば
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%98%E9%A1%94
アヘ顔とは「性行為の最中における架空のキャラクターの表情を表現した日本のポルノの用語」
なのだ。つまり、性行為というコンテクストがないと成立しない表現なワケだ。
宇崎ちゃんの顔は「先輩を煽るウザい顔」である、というコンテクストを理解していれば
全く性的表現では無いと言えるので、「アヘ顔」論者は「アヘ顔」の意味を誤解していないか
A. 批判者は、コンテクストを理解しないと批判してはいけないのか?
BについてはNO、ただし「明文化および規制はできない」だと考える。
まずAについて。
悪意なきコンテクストを理解しないことによる解釈の違いとは「勘違い」と言い換えることができる。
人間の感性は本当に様々で、勘違いが発生しない表現など不可能だ。
これを突き詰めると、女体の下半身に見える根菜を売っている八百屋は猥褻物陳列罪にあたるか?
という話にさえ及びかねない。
つまり、コンテクストを理解すれば問題無い表現に関しては、素直に矛を収めるべきだ。
Bについて。
「悪意なきコンテクスト」と書いたが、実際には脱法的ハイコンテクストを悪用している2次元作品も存在する。
例を挙げると、アンサイクロペディアにさえネタにされる「エロゲー登場人物18以上」問題だ。
(断っておくと、俺はそもそも非実在児童ポルノ規制には反対だが、分かりやすいので例示する)
これは18歳未満との性交を避ける業界自主規制に関するエクスキューズなのだが、
「ランドセルしょって成年です」はねぇよと思いつつ、設定次第でどうとでもなるので
かといって、見た目で判断となると「この絵は幼く見える」という絵柄魔女狩りが始まるのは目に見えているので規制すべきではない。
それでも、「悪意ある脱法」だと確信するなら、根拠を示して堂々と批判すべきだ。
極端な例として、エロ漫画のコマを寄せ集めた「アヘ顔Tシャツ」なるものがちょっと前に話題になった。
これを街中で着ていたら、紛うことなき環境型セクハラだと思うが、
着ている人に「別に裸が写っているわけじゃないし表情だけで判断できないよね?」と言われたら?
安心してほしいが、ネットを見る限りほとんどのオタクはこのTシャツにドン引きしてたし、
「エロ漫画家が描いたエロ漫画の1コマ」というコンテクストを考えれば客観的に批判の正統性が保たれる。
つまるところ、ハイコンテクストのコンテンツをガイドラインによって規制するのは困難であるが
本当に問題のある表現を赤十字のような公的組織が採用した場合は
その根拠も添えて批判すべきであり、根拠が正統ならオタク含めて大衆の批判に晒されるであろう、と俺は思う。
2つめ、「ピチピチの服」は理解できるし、まだシンプルだが基準を作るとなると話は別だ。
第一弾のイラストを見ると、確かに乳房付近は他の上半身部分に比べて
漫画のコンテクストを考えても胸の大きさがキャラクター性の1つとなっており
漫画と公共ポスターという性質の違いを考えると、確かに適切な表現は変わってくるだろう。
例えるなら、同じ巨乳の女性でもパーティと葬式では着る服が変わってくるようなものだ。
これでは曖昧すぎる。
これでは巨乳女性のファッションを社会通念的に制限することに繋がらないか。
まだ水着とかなら非日常的だし、「肌の露出度が」「局部の際どさが」と言えるだろうが
そもそも「ピチピチの服」=「性的」と定義して良いのか?個人の性癖では?という問題にさえいきつく。
これは俺個人の予想だが、カフェバイトのウェイトレスの制服である
と批判者は捉えているのではないだろうか。
興味深いことに、コンテクストを理解していない批判者がいる一方で、
「女性の胸部を過度に強調した表現を控える」とだけ書くだろう。
前述したように明確な基準を作るのは不可能なので、このように曖昧な表現をするしかない。
おそらくすぐに形骸化するだろうがやむを得ない。
また可能ならば「女性の体型自体は問題としない」と併記すべきだ。
「筋肉を強調した表現」と「マッチョ表現」を描きわける難しさを考えて欲しい。
いろいろ書き殴ったが、批判者の目線に立つとやはり「何か言いたいが曖昧に批判せざるを得ない」気持ちはわかる。
批判者、反論者双方とも、「こんな意見もある」と捉えてお互いの領分を犯さない程度で収めるべき問題だと感じた。
批判者はこれだけ反論が出るのは「セクハラに対する男性の不理解」だけが原因ではないと考え、安易に規制論に走るべきではないし
前職は30人くらいの規模の会社で現職は500人くらい。退職理由をザックリ言うとこの規模の差につまづいた。
縦割り。すっごく縦割り。それぞれの職種の領分と線引きが明確。
見える。来年も再来年も新卒でもできる様なことをやっている、自分が見える。
前職は下請け屋さんだったので「常に新しいツールや知識に興味を持ち、業界でやっていけるノウハウを学び続けろ。出なければ死あるのみ」という教えが染み付いていて、その教えが自分を責めた。
こんな……新卒でもできる事をやっていて良いのだろうか。ずっとここにいると、前職で覚えたあれやあれやあれを忘れてしまって市場価値が無くなるのでは?
煩雑なフロー、レガシーな環境、フォーマットありきのあまりクリエイティブとは言えない仕事。未来が見えない。そこそこは楽しいけど、楽だけどでも。
現職は超ホワイト。どホワイト。福利厚生充実。どれくらいっていうと、偉めの男性社員が一年育休をとれるくらい。(2回め)
あと上司がケツを拭いてくれる。責任を取らされることがほぼない。まあティッシュがもらえないんでケツを拭くことが不可能というのもあるが。
いい歳だし子供ができたら安定したい気持ちもある。未だできる気配がないが、いつ出来てもおかしくない。
その時このホワイト職場にいれたら楽だろうなっていうのもある。
惜しい気持ちもある。ていうか惜しい。
手放すの苦しい。
バツが一個ついて経歴が厳しくなるし。
お気持ち表現規制派を殴るついでに社会構築主義殴られても困るんだよねぇ,正直.
私は人文系で別にジェンダーの問題には関心ないけど,構築主義的な考え方は別にフェミニズムに限られた概念でもないし,社会学だけじゃなく人類学や歴史学でも受け入れられてる.
「民族」が構築されたもので云々みたいな話はさんざんされてきていているわけで.きちんと実証的にやろうとすればするほど構築主義の考え方を取らねばならない局面って多いんだよね.
社会構築主義への批判もあるにはあるけど部分的修正を促すものだし(たとえば「老人」というカテゴリの特殊性から社会構築主義の大前提を疑った論文もあり,これはかなり面白い),本質主義に戻れるかといえば戻れないので,まあ構築主義を受け入れた上でどうやって実証に活かすかという話になるわけだけど,そもそも社会構築主義はおかしいって言われると「ええ……」ってなるよな.
社会構築主義批判が悪いわけではなく,きちんとした論を立てて批判してくれるなら全然大歓迎なわけだけど,一部のアンチフェミな方々の議論は耳を傾けるべき水準に達していないので.
正直もう本当にうんざりなんだけど,お気持ちフェミニストを殴りたかったらお気持ちフェミニストをピンポイントで殴ってほしい.社会学批判とか始めるならネット上の断片的な社会学についての解説だけじゃなくてちゃんと社会学の本やら論文やらをちゃんと読み込んでほしい.当たり前のこと言ってるはずなんだけどなぜか通じない.いやキズナアイを叩くなら彼女の配信をちゃんと見ろとか宇崎ちゃんポスター批判するなら漫画を読めよとかと同じことを言っているはずなんだが? という.
表現規制を求めるお気持ちフェミニスト批判ならオタクとして賛成するけど,雑きわまりない構築主義批判を始めるならそれは文系の学問に喧嘩を売っているに等しいわけで,こちらも文系アカデミシャンとして「は? お前何言ってんの?」というモードに入らざるを得なくなるんだよな.
だからまあ私の感想は,去年キズナアイが叩かれてたときに書いたの(anond:20181011062902)と同じになるわけだけれど.
とにかく私は両側にもうウンザリ.ろくに事実関係を調べもせずVTuberについて基本的なことを知りもせずキズナアイを叩く連中にも,ろくに文系について知りもせずどんな研究をしているか理解もしないできないのにクソバイスを垂れ流す連中にもウンザリです.オタク叩きも文系叩きもクソくらえ.どっちも私の敵.
仕事仲間から趣味を貶められ趣味仲間から仕事を侮蔑されるのそろそろ勘弁してほしいわけですが,まあこの流れは収まらないんですかねと諦めモード.どっちの陣営にも話通じない人がいて辟易.
まあせめて自分が誰に喧嘩を売っているのかはちゃんと把握してくださいね.表現規制派を批判するためにフェミニスト全体を殴ると性の解放を唱えるフェミニストに流れ弾が当たるし,社会構築主義にまで戦線を広げるならフェミニズムや社会学だけじゃなく人類学とか歴史学にまで喧嘩を売っていることになるわけだけどそこはちゃんと自覚してます? 自覚がないなら攻撃対象はもうちょっと限定しようね.もしそれらの分野に喧嘩を売るなら各分野の基本書はちゃんと読んで勉強してねという話になるけど,その覚悟はありますか?
(もちろんこれは男性向けジャンルの潮流とか文化とかについて碌に知らずお気持ちで批判してくる一部のフェミニストや社会学者にも当てはまることだけどね.よりにもよってそのジャンルでデータベース消費論に基づいた雑分析をやりますか? ほんと勘弁してくれ.男性向けだからどうせ女体目当てのポルノだろうみたいなその偏見をどうにかしろ.オタク,というよりも男のセクシュアリティを単純化するな.参与観察なり文献調査なり統計なりの実証手法を使いこなせ.表象分析やるならちゃんと作品に向き合え)
ところで献血行って冴えカノのクリアファイルもらってきたんだけど,今期アニメで白衣着て献血のポスターに採用されてほしいキャラって誰? 僕は,クリーブランドちゃん! アズレン未プレイなんだけどアニメは見てます.出来いいよね.さすが艦これより先にアニメ化されるだけはある.ユニオンとロイヤルと鉄血と重桜でそれぞれ1種類ずつナース服のクリアファイルとか作って献血ルームで配布してほしい.あ,『放課後さいころ倶楽部』も捨てがたい.翠ちゃんいいよね……仮にコラボやるならやっぱり京都府内限定とかになるのかな……(やると決まったわけじゃないだろ起きろ)(もう一回『ヤマノススメ』とコラボしてほしいよぉ……)(いま気づいたんだけどアズレンの鉄血って「血」って字が入ってるから献血にちょうどいいんじゃないか? プリンツ・オイゲンが上から目線で献血を要求してくるポスターとか,どうすか)
似たような話題を似たような面子で似たようなコメントで殴り合うの見てるのは正直言って苦行なので、色々な所に飛び火するのは割とありがたい
勘弁してください.俺は楽しくオタ活や研究して気分よく献血したいだけなんです.献血ポスターを燃やされ趣味を踏み躙られた挙げ句に仕事にケチつけられるとかただただ迷惑でしかないんです……一部のフェミが放火してまわって一部のオタクが焦土作戦しかけてきてるのは巻き込まれた村人Aとしては消耗するだけなんだ……
これはっきり言っておくけど,去年のキズナアイバッシングに付随しての文系バッシングのときにも,私が書いた増田を読んで「こういうのが読めたのはよかった」と言ってる人大勢いたけど,私まだ根に持ってるからね.なんもよくねーよ.水が言葉を記憶しないことについてやたら解説が充実していたり数多の歴史的事件のなかで南京大虐殺にだけやたら詳細なFAQがあったりするのはちっとも良いことじゃねーよ.文系バッシングはこれっぽっちもありがたくないです.一部のフェミに好きな作品を燃やされてもちっとも嬉しくないのと一緒.宇崎ちゃんの売上は上がったらしいけどそれを素直に喜べるかといったら喜べないでしょ.宇崎ちゃんバッシングなんてない方が遥かに良かったわけで(もちろん表現の自由というものがあり,作品への批判をするなとは言わないのだが,しかしその批判をどう思うかというのはまた別の話で……).
社会学部に運動家が集中しすぎている。法学部や経済学部や文学部とは比較にならないほどに集中して存在する。社会学と社会学部全体がうさんくさいものとして見られるようになった。
社会学部なんて設置してる大学は少数派なんですが本当に印象論でしか語ってないんですねというのがよくわかる.偏見を正当化したいだけのノイズ.
この世界は全て物理法則に従って動いている、というのが本質主義なら実際それは多分正しいんだよなぁ…そこに戻れないのは単に人間の知性が追い付かないから「仕方がない」だけなので/クリーブランドはロリだから叩
学問的良心からはたかだか門外漢との対話なんぞのために本質主義を採用するなんてできませんわ.
社会学部を設置してる大学は少数派でたいていの大学に社会学部なんてものはないわけですが本当に印象に基づいたお気持ちで社会学を叩いているんですね(それとも,ひょっとして社会学部がある大学の卒業生なのかな?).
人によります.普通の句読点使う人とかカンママル好きとかコンマピリオド派とか.出版社だと東京大学出版会は横書きの本は基本コンマピリオドですね.岩波もそうだっけ?
「お気持フェミが自分のお気持の裏付けとして使用していますがそもそも関係ありませんし用法も間違っています」というならわかる。フェミニズムと深い関連があるなら批判に耐えるだけの論拠が欲しい
耐える以前の問題で批判側が雑すぎてマトモに相手してやる価値もないというだけの話なんですが.社会構築主義を批判するなとはもちろん言わないけど,批判の質が悪ければ歯牙にもかけないよ.当たり前でしょ.
というかそもそも,社会構築主義の是非と一部のお気持ちフェミの表現規制要求の是非って無関係だし.勝手にその2つを結びつけたのはアンチフェミの側.一部のお気持ちフェミには自由主義とか哲学とかのツールを使って対抗すればいい話で,社会構築主義を疑う必然性はどこにもないし,疑うっていうなら俺の立場は表現規制反対派のオタクから文系研究者に変わりますよというだけの話.文系研究者としては雑なアンチフェミの議論なんて支持できるわけないでしょ.一介の市民としてなら喜んで性的解放とか表現の自由とかを叫ぶけどさ.
本来ならそこは互いに削り合ってこそ信頼性が担保されるはずなのにおフェミさん達は互いにお手々つないで仲良しするからこうなの。社会構築主義の信頼性を担保したかったらおフェミがそれを乱用するのをたしなめろよ
マジで社会構築主義がフェミニズムのあいだでしか通用しない概念だと思ってんの? 馬鹿じゃないの? もう何度でも言うけど本当に馬鹿じゃないの?
文系の学問について無知なのは別に悪いことじゃないけど無知なのにこんな勘違いしたままでドヤ顔で物申すのは馬鹿で恥知らずだと思う.勉強しろよ.
社会構築主義はポスター批判側から確かにあんまり出てなかったけどいなかったかといえば居たような…。「表象」とかゆってた人はソレとは違うの?教えてください!
表象の話は『世界』5月号に載ってた小宮さんのやつかな? あれは社会構築主義とはあんまり関係なくない? いやもちろん関係ないということはないんだけど,小宮さんが言ってるのは表象と女性差別の問題だよね.
実のところ社会構築主義ってマジで社会について分析する上でのベースとなる考え方だから社会構築主義が滲み出てくるのはある程度仕方ないところはあるんだけど,anond:20191104014500でも書いたように社会構築主義の是非以前の問題だなと思うことはあるんだよね.ジェンダーは(というかセックスも)社会的構築物だけど,それは議論の前提であって,じゃあその上でどの程度の女性表象を許容すべきかみたいなそういう話は倫理とか哲学とか思想とかの領分じゃないですか.そこに社会構築主義はどうなんだみたいな話を持ってくるの不毛すぎない? ロールズとかの話しません?
ちなみに私は小宮さんの主張には反対するんだけど『世界』掲載論文の注10(236ページ)には同意する.みんなもっと本質的な話しよ.「そもそも男性だって公共空間で性的消費されてるんだから架空の女性が多少公共空間で性的消費されてたって別にいいじゃないですか」「性的自由の拡大が目指されるべきであって表象を制約しようとするのはおかしいでしょ」「医療のための広告には高い倫理性が求められるのだとしても,人気マンガの多少えっちなイラストを使った広告すら問題とされるのはおかしい.それは医療のための広告に求められる倫理の範疇に収まるはずだ」みたいな話しよ.
……この規制反対増田を多数の「お気持ち棍棒」で殴り倒して口封じし「パワフル表現規制」した方が、学問で論破するより遙かに低コストって事は確実そう。だから規制派は扇動するのか。なるほど、俺でもそうするな。
それは過大評価ですよ.私はフェミニズムに学問的反論を加えているのではなく,フェミニストの一般社会に対する主張の一部に対して一人の市民として反対しているだけだもの.私は知の体系としてのフェミニズムにはちっとも触れていないので学者としてフェミニストに勝つことはできません.それはジェンダー研究の偉い先生が私の専門分野で私に勝てないのと同じ.
気持ちはわかる。が、賛成批判両側ともに多数の人間がいる以上、雑でなんも考えてない意見は出るだろうし、そういう意見は大体過激でツッコミ所が多いから目立つんだよねえ。正直、どうしようもない気がする。
フェミニストのお気持ちで趣味を殴られるのもオタクのお気持ちで仕事を殴られるのも正直疲れ果てたというお気持ちがあるけど,でも流石に今回は献血ポスターが叩かれたということで全血献血15回以上行ってるワイもちょっとプチッと来たよね.これまでは割とフェミの言い分もわからなくもないという感じだったけどキズナアイバッシングと献血ポスターバッシングで「こいつらの主張は基本聞く必要ないな」くらいにまで変わった.メチャクチャすぎるものこの2件.でもこの2件でオタク界隈に吹き荒れた文系バッシングの嵐も忘れてないからね.キズナアイバッシングや献血ポスターバッシングを主導したフェミと社会学叩きや文系バッシングを煽ったオタクはどちらも僕の中では絶許という扱いです.あとpixiv論文事件での学問叩きのことも忘れてないぞ……(しつこい)
まあフェミのことなんて無視して表現の自由を満喫してオタクのことなんて気にせず学問の自由を謳歌すべきなんだろーけども,オタクであることも学者であることも私の重要な一部なので,そう簡単に忘れることはできないんだよなー.
あー、キズナアイの時と同じ人か。私の感想としては当時のこちら(https://anond.hatelabo.jp/20181010204115)の増田とほぼ同じです。ていうか、学問の重要さを訴えたいなら匿名じゃない場所でやったほうが効果的でしょうに。
ネット上の有象無象が学問をdisってるときになんで納税者様への説明責任みたいな話になるのか理解できんわ.科研費の報告書とかはちゃんと出してますし論文も書いてます.納税者様への責任はそれで果たしてるはず.はてブ民とか棘の米欄住人とかに丁寧に説明して差し上げる義理はどこにもないよね.
というかそういうこと言うなら同じ口で二度と民主党政権の事業仕分けを批判しないでほしいんだが……
匿名じゃない場所でやれ? 嫌です.自分の専門分野を誠実にさらけ出して物申した先生方がいたけど,どうなったかといえば物知らずの連中が学問分野ごと燃やしに来ただけでしょ.私は私の専門分野に無知と思い込みでケチをつけてくる連中を招き入れるつもりはありません.
あのさ,それは何一つ否定してないじゃん? 法学部や文学部と並んで社会学部って書くのはおかしいよねって話じゃん? 誰も社会学専攻は置いてないなんて言ってないじゃん? 学部の名前と学問分野の名称は往々にして乖離するもので,そんな肌感覚もなしに批判してるのかよって話じゃん?
ただ関西の方だと有名な私大には社会学部を設置しているところが多いので,関西の有名私大を出た人だと社会学部があるのは当たり前って思っちゃうかもしれない.関東の大学でも,例のキズナアイバッシングの急先鋒だったセンセの勤務先は社会学部だしね.けど繰り返すように全国的には社会学部を設置してる大学は少数派です.
「社会学部」と「社会学専攻」を混ぜて論じてよいと思っている人につける薬はありません.文学と文学部,法学と法学部を区別できないってことでしょ?
歴史学者や政治学者や文学研究者もヒウィッヒヒーには生息して色々発言しているわけだけど,社会学者への偏見があるから社会学者が目立っているように見えるだけでは???
貞本義行の件のツイッター発言、言い草は問題あるが、内容としては正直、同感だった。
被害者たちの活動には、痛み入るところはある。性的搾取などあってはいけない。
しかしアレをアートの領分にまで出張って祭り上げて、そこに対するいかなる批判も、ヘイトだ!差別だ!被害者蔑視だ!ということにして、殴りつける大義名分にする連中には辟易する。
なるほど便利だ。そういう「無敵の棍棒」が欲しいだけで、被害者のことなんて、どうでも良いんだろ。
表現の不自由展だってそうだ。あれを潰したのは間違いなく「悪意」だが、開催側も、結局表現の自由の為なんてのはタテマエもいいとこで、気に入らない相手を挑発するためにアレらを「悪意」的に利用したに過ぎなかった。コンテクストだの被害者のことだのは、どーでも良かったんだよ。
だいたい津田氏は、自身への批判した人を「殺すリスト」なんてものを作ってそれを公言するような人間らしいですし?そんなヘイトまみれの人間の正義ヅラした「表現」に、一体何を期待できるというのか。
そんな連中の手垢にまみれたあの像の歴史をこそ貞本氏は「キッタネー」と評したのだと思うし、自分もそう思う。「あの像のコンテクストを汲め」というならば、散々歪な形で利用されてきたことも前提にすべきだ。
自分としては、少女像はどーでもいいし、性的に他人に何かを強要する立場になるくらいなら死ぬが、とにかく、攻撃的に正義を喚いて、その実被害者に目もくれず喧嘩を楽しんでるヤツらが、目障りでしょうがない。