はてなキーワード: 領分とは
最近様々なことに悩みだした。大学4年生にして思春期の訪れである。世の中の様々なことに興味を持っては、大学を卒業するまでの期間の長さを嘆き、折り合いがつかないまま悶々とした気持ちで日々を過ごしている。
僕は今まで散々人生をサボってきた。最低点主義とでも言おうか、家族など周りの人の反応を見ながら自分である程度の基準を作り、それを満たしさえすればなんでも良いと思っていた。高校受験の際は、祖父・両親が通っていた高校に行くことが家族の中で当然とされていたためそれに合わせて合格することを目標としていた。中学校程度の勉強はそれなりにやっておけば志望校くらいは受かる頭の良さであったため難なく受かった。しかし、例えば部活動は自分の中の基準にまったくなく、練習をサボりまくり挙げ句そのせいで同じ部活の女子に泣かれた。僕の中の基準は高校に受かる一点に集中していた。高校に入ってからは、なぜかわからないが志望校を東大と言ってしまったために家族や先生を期待させてしまい(と勝手に思い)よくわからないことになっていた。端から東大に行けるとは現実的に思っておらず、勉強はしていなかった。それでも宣言してしまっているからにはある程度の「惜しさ」を演出しなければならない。高校3年生の頭には学年で半分以下の順位になっていた僕は、「文転」した。文転してからはある程度の順位は取れるようになりワンチャンあるかもという感じを出せていたがあくまで「ワンチャン」。そのまま受験に突っ込み、結果は惨敗した。我が家は浪人には寛容であったためもう一年やらせてもらえることになった。しかし僕の基準はもはや東大ではなく「惜しさ」の演出に移行していたのかもしれない。一年中遊び続け、昨年よりは改善したが結果はだめだった。それでも後期である程度の大学に滑り込めてしまったために「惜しさ」の演出には成功してしまった。大学に入っても最低点主義は言わずもがな変わらない。単位を取るだけだったら誰でもできる。何一つとして学問は身についていないが、あと卒論さえかければ僕は卒業できる。
こんな、最低点主義を人生を通して実践してきた僕も勉強だけをやっていたわけではない。絵を描いてみたり(才能が絶望的だった)、小説を書いてみたり(根気がない)、ギターを弾いてみたり(練習嫌い)、作曲を行ってみたり(世に出ているもののクオリティーにならないことが気に食わない)、いろいろなことを知りたいと思い最初の一歩だけ踏み出してみた。しかしどれもすぐに飽きたり萎えたりしてしまった。今でもこれらをある程度好きだという気持ちは持っているが、世に出るレベルには到底ならないだろうということを予期してしまっている。最低点など存在せず、最高点なら∞の世界の話に立ち入れない僕がいる。
社会に出てしまえば周りから求められる最低点などというものはどこにもない。それに、最低点を取れなくても、ある程度のセーフティーネットは存在する。僕がこれまで回してきたサイクルはほとんど無に帰す。僕はこの社会の中でどこまでもフラフラとしていくしかないのだろうか。
僕の「好き」は移り気で、小さく、根気がなく、僕を規定するものになってくれない。それでも今はこれを大事にせねばならないと芽生え始めた自我が言う。僕の「好き」はこれから最低点を求めず、自由に泳いでいけるか。22年間サボっていたからこそ、今、世界のすべてを手に入れたくなってしまった。領分をわきまえず色々とやることをこの僕が僕に認めなければならない。そして、世に花開くことを真に夢見なければならない。
何者にもなれないことこそ誇らしく、胸を張って生きていこう。
これは人生に絶望した若者の戯言です。今日話を聞いてくれたみんなへの感謝の一つの形として書きました。そしてCrazy Crazyに感じて星野源にドハマリしていた15歳の僕に捧げます。星野源の多才っぷりはとどまることを知らず、どんどんとかっこよくなっていくばかりです。この7年で更に距離は離れてしまったけれど、星野源はたしかに僕を構成する一要素です。一応結婚のことについて触れておくと、私は有名人の誰と誰がどうだ、みたいなことには全く無頓着で無関心です。しかし、星野源が結婚したことによって新たな面を見せてくれるかもしれないということには期待することもあります。これまでエッセイで見せてくれていた暗黒面もさわやかなライブでの姿にも、それを支える世界への愛のようなものが僕の心までも包んでくれているような気がしていました。これからは包み、包まれた愛が僕に触れることになるのでしょうか。それならば一層、僕も源さんの心を包むような愛を持って世界に向き合っていかなければなりません。世界のすべてを肯定することは難しくても、世界には素晴らしいことがたくさんあるとよく噛み締めたいです。そしてそれを表現にまで昇華できればこの上ないことと思います。
ありがとうございました。
「家事の間に聞く音声、ビジネス書よりも有益なポッドキャストよりも、完全にユーザーインタビューを流す方が価値がある…。最近はずっとこれ。気づきの量が違う。」
ある有名起業家のこのツイートを見て、ああ、現代ってこういう人しかSNSで発信しちゃいけないんだ、と絶望を覚えた。
普通に会社に勤め、与えられた自分の領分だけ働き、家に帰れば自分の時間を楽しんで平凡に人生を過ごす。
そういうごく当たり前の幸せは、昭和から平成の間にすっかり奪われてしまったのだろうか。
幸せのために生きるのではなく、激しく競争し、上を目指す以外の生き方を許されない不幸を生むだけの社会なら、いっそ滅亡してしまえばいいのに。
表面だけしか見ない観察者にとっては、「科学の真理は疑いの余地のないものである。科学上の論理は誤ることは無いし、学者がときおり思い違いをすることがあっても、それは論理の規則を見損なったためである。」
...
世間の多くの人々、とくに物理学の初歩を学んでいる高等学校の生徒などは科学の確実性の起源について、このように考えているのである。
...
少しでも反省したものは、仮説の占める領分がどんなに広いかということに気が付いた。数学者は仮説なしでは済まされないし、実証的科学についてはなおさらである。そこで、
はたしてこれらのすべての構築が極めて堅固なものであるかどうかが疑われ、わずかの微風にあっても打ち倒されてしまうと信ずるようになった。こういうふうに懐疑的になるのも、また表面的な考えである。
全てを信じるか、全てを疑うかは、どちらも都合のよい考え方である。どちらであっても我々は反省しないで済むからである。
だから簡単に判決を下したりしないで、仮説の役割を念入りに調べてみるべきである。
そうすれば仮説の役割が必要であるというばかりでなく、たいていの場合は仮説が正当であることを認めるであろう。
...
仮説には多くの種類があって、ある種の仮説は実際に検証することができ、ひとたび実験によって確かめられたなら、多くの結果を生む真理となる。
またある種の仮説は、我々を誤りに陥れないで思考に拠り所を与える役に立つ。
定常宇宙論者として今なお健在な人はフレッド・ホイル卿である。(*フレッド・ホイルは2001年に死去。)
かれは1948年に定常宇宙論の論文を発表し、それから50年を経た現在においてもなお健筆をふるい続けている。
...
…このように、定常宇宙論は観測結果を取り入れるのに精いっぱいで、とても預言的能力を持つとは言い難い。そのため、宇宙論の分野では影響力を失っている。
ホイルの論文も、偉大な業績を持つホイルであればこそ受理されているのであって、私が書けば受理されないだろう。
しかし、全く無意味ではない。宇宙背景放射の塵起源論は、物理学としては原理的に否定できないからである。そのような変わった塵が存在するならば、ホイルのいうようなことが起こるであろう。
問題はそのような塵が実際に存在するかどうかであり、ホイルの提案に刺激されて、塵生成に関する研究が大いに進んだことも確かである。
(追記分)
軽度ではあるものの、人生初のうつ病の診断を受けて休職期間を経て会社を辞めることになった。一応復帰することができたので、振り返りも兼ねて経緯を記しておく。
私のうつ病は仕事に起因するものなので、同じように仕事で悩んでいる人や、実際にうつ病で休職している人の参考になれば幸いである。
(自分のスペックは世間一般的には高いほうだと思うので、そういう意味では参考にならない部分もあるということは前もって断っておく)
【私のスペック】
・男 30代
・旧帝大卒
・職歴:中小企業2社、大企業2社(システムエンジニア、事業会社で企画・開発などを経験)
スペックを見てもらえばわかる通り、飽きっぽい性格のためか同年代と比較して転職回数は多めだと思う。
ちなみに過去の転職理由は、年収を上げたいとか、業界を変えてみたい、という理由によるもので、今回のようなネガティブな理由によるものではなかった。
直近の会社の在籍期間は3年ほどで、過去の会社と比較すると一番長く勤めていた。
主にDX(デジタルトランスフォーメーション)を推進するような部署に所属しており、私はデジタルやデータ活用に関わる施策の企画・開発に携わっていた。
それなりに成果も上げて役職も上がり、2年目くらいまではまぁまぁ充実感を得ながら働くことができていたと思う。
体調、というか精神面に異常を来すようになり始めたのは3年目くらいからである。
人手不足もあったことで担当する業務領域が増え始めたことと、役職が上がったことでより厳しい成果のハードルを課されるようになったことで、だんだんと精神的につらく感じることが多くなってきた。
これまでは自分の手を動かしていればある程度うまくいっていたことが、利害関係者との調整・偉い人への根回し、といったような難しいコミュニケーションが増え始め、なかなかスムーズにことが運ばないことに不安や苛立ちを感じるようになってきた。
コロナ禍でリモートワークがメインになったこともあり、直接会話すればすぐに済むようなこともチャットを何往復する必要があったりと、そういったこともフラストレーションをためることにつながったかと思う。
次第に以下のような症状・変化がみられるようになってきた。
・本が読めない、資料も読めない(文字は入ってくるが、理解ができない)
・趣味もやらなくなった
・日曜日は翌日のことを考えて何もする気がおきない(ずっとベッドのうえ)
会議をさぼるようになると他人の仕事にも影響が出てしまうので、「これはさすがにまずい」と思ったものの、だからといって会議に出れるようになるわけでもなかったので、とりあえず上司に相談した。
最初は業務量を減らして様子を見ることにしたが、それでも自分の仕事へのモチベーション低下や、思考力の低下は改善することがなかったので、
(ちなみに「軽度」としているのは、一般的にはうつ病になると性欲や食欲の低下も見られるらしいが、私の場合はそこまでには至らなかったので「軽度」とされた)
しばらく薬物療法で仕事をしながら経過を見ることになったが、どうにも仕事に手がつかなくなってしまい(がんばって働く意義を見出せなくなり)、また妻からの勧めもあり、私から「休職したい」と申し出て休職することになった。
病院では上記のような症状を伝えただけで「うつ病」と診断されたので、要因は自分で「これではないか」と考えたものである。
(他の病院でセカンドオピニオン的なものを受けたわけではないのでなんともいえないが、患者の言動をもって「うつ病」と診断するのはあまり科学的ではないし、仮にも医者を名乗っているのにそんなんでいいのか、とは思った。本筋ではないのでここでは深入りしないが・・・)
仕事から離れて時間的・精神的な余裕ができたことで、過去の自分の心理状態を客観的に振り返ることができたのはよかった。
今冷静になって考えてみると、うつ病の直接的な要因となった業務内容(利害関係者との調整など)はリーダーやマネージャーであれば普通にやっているようなことである。
にもかかわらず、精神的に不安定な状態となってしまったのはなぜか。(自分にリーダーやマネージャーの適正がなかった、ということも考えられるが、それだと解決にまで至らないのでいったんそれは置いておく)
今までの人生でもそうであったが、私は他人の言動に惑わされることが多いように思う。つまり、「他者の領分を自分の領分にまで侵略させてしまう」といったようなことだ。
具体的には、自分のやり方を批判されたり注意されたりすると自分自身が責められているような感覚に陥ったり、他人の要求を(それが理不尽なものだとしても)突き返すことができなかったり、などがあった。
これはいわゆる認知心理学的な話で、ネットやいろんな本を読んでみたところ解決策としてはマインドフルネスだとか感情ノート(自分が感じたネガティブな感情をノートに書いてみて、あえて肯定してみるトレーニング)が多く挙げられていた。
とりあえず実践はしてみてはいるものの、今のところ効果があるのかはよくわからない。(もしいい解決策があったら教えてください)
・コントロールできないことにこだわりすぎた
上の話から派生するものかもしれないが、自分ではコントロールできないことにこだわりすぎたように思う。
結果にこだわってどう動けばいいかだんだん分からなくなっていった。結果や評価というものは結局他人が決めることで自分ではどうしようもないことだと早く気付くべきだった。
自分は自分が考える最善のプロセスを踏むしかない、とある意味開き直ることが大切だったと今は思える。
コロナという状況で外出する機会が減ったおかげもあり、読書やネットでの情報収集を通じて上記のような思索ができたのは良かったと思う。
【その後について】
これまで真面目に働いてきた反動なのか、結局半年ほど休むことになった。次第に精神的に安定もしてきて、薬の服用も少しずつ減らすことができている。
うつ病になった経緯とその要因について振り返りたかったので、その後については本筋ではないものの、一応復帰はできたという事実は伝えておく。
復職することも考えたが、さすがに休んでいる期間が長かったので戻りづらいという気持ちが勝ってしまい転職活動を始めた。
もともとキャリアを通じて積み重ねていたことが時流に沿っていたこともあり、求人もたくさんあり転職活動はほとんど苦労しなかった。(特に聞かれもしなかったし、休職していることは伏せた)
結局いくつか内定を得ることができたので、転職をすることにした。
現状より高い年収を提示してくれる企業もあったが、あまり高いハードルを設定するとまた同じことを繰り返しかねないとも思い、お断りさせていただいた。
余談だが、今回、学歴や職歴が人生におけるリスクヘッジになることを改めて痛感した。
少なくとも書類選考で落とされることはほとんどなくなるし、「いつでも転職できるし辞めてもいい」という感覚を持てるのは今後の仕事人生でもプラスになると思う。
もし学生の方でこれを読んでいる人がいたらこれが一番伝えたいことかもしれない。
以上です。
正直最後のほうは多くの人参考になるものではなかったかもしれないが、こういう人もいるんだよということで同じように悩んでいる人の参考や助けになったのならうれしいです。
どっちが上だとか下だとか、進歩的だとか遅れてるとか、そういった言い争いはあまり意味がない
都会と田舎というだけでなく、関東と関西でも違うし(関西は田舎と罵倒したい人もいるだろう)
増田にとっては我慢しがたい環境だったというだけで、増田がその会社に行かなければ問題は認知されなかった(少なくとも増田には)
確かなのは情報が不十分なまま就職してしまったということで、事前に情報があればその会社には行かなかっただろうということ
そのような会社は社会正義のために撲滅すべきというのは、一方の利害だけに肩入れすることで、それはビジネスマンと言うよりは活動家の領分だ
ネガティブな情報が広く知れ渡ってしまうのはいわれなき差別につながってしまう恐れがあるので、むやみに広く共有するわけにはいかないのが悩ましいところ
いわく専門外の人の見聞を広めるためにわかりやすい表現にしたーーーー・・・
いやいやまず君が専門外の人じゃん?それ大学も編集も出版社も知ってるよね???
そしてそんな本を無批判に有り難がる自称読書家の意識高い()方々や
呆れて専門家を信じなくなる(酷い場合は反知性主義になる)方々
うーーーん地獄ですわ
日本だけじゃなくて海外の本でもそういう本が売れたりするからもうなんだかねって気持ちになる
もちろんこういった本が完全に無価値ではないけどね?
本というまとまった情報があれば前提の共有が出来るし、正しくない情報や偏った見識が含まれていてもプロの手が入った読み物なので読みやすい
けど本来、権威(アカデミア)をありがたがるのは、研究や試験や論文の評価の作業(数字やまとめに妥当性があるかなど)を省略出来るからなんだよね
売るために専門外の領分に踏み込んで雑なこと(正しくないこと)書いても許されるなら
保育園生の増田さん(6歳)や自宅警備員の増田さん(28歳)が書いても全然かわらなくないっすかね?って言うお気持ち
計算量の解析ってまず何だよそれ
計算量(オーダー、アルゴリズムの計算時間・利用メモリ領域見積もり)の話?解析学(微積、コンピューター分野だったら数値積分とか)の話?
計算量の話ならAPでもある程度出てくる気がする、数値積分とかは多分スパコン屋の領分だからAPでは出てこないと思うし使わないと思う、CSの学生なら初歩は学ぶだろうけど
プログラマの話についていくというレベルならコンピューターサイエンスの基礎知識はAP取っておけば全然良いと思う、今やってる領域についての知識(業務知識ではなくて、その実現に使っているシステムについての知識)の方が重要なのでは
思いついたので追記だけど、計算量の解析をマジで「全く新規のアルゴリズムの計算量について解析する」という話と読み取るなら博士以上の研究レベルなのでは、そしてそれを知る必要は全くなさそう
世の中の大抵のアルゴリズムは既存のアルゴリズムを何かに特化させたり適用したりする話なので、その計算量は使った既存のアルゴリズムの計算量の組み合わせになる(例えば、計算量がO(n)かかるアルゴリズムをO(n)回動かす必要があるアルゴリズムはO(n^2)になる)
自分には生きがいが特に無いし、いつ死んでもいいと思っている。
仕事においては無能だし、精神が不安定だからこの先家族を持つ予定もない。ペットにも特に興味がない。
趣味はいくつかあるが、今夜死んだところで惜しく思えるほどのものでもない。
それでも(自殺か病死かはわからんが)いつか死ぬまでは生きているのだから、何か生きがいが欲しいと思っている。
自分にも好きな作品やキャラクターなら山程ある。しかし、好きなキャラを"推し"にするほどの熱量はない。
かつてよく言われた"俺の嫁"みたいに「お前の推し3ヶ月で変わってんじゃねえか」ということもあるのかもしれないが、それにしたってその時の熱量は多分本物なのだろう。
その対象を"推す"ことがどういう回路で生きがいに繋がっているのか理解できたわけではないが、「自分の応援がその対象の利益になっている」と思い込めることが重要なのだと思う。
直接その対象に金を落としたり、同人活動を行って布教したり、まあ何でも良いのだが、受動的な"好き"とは異なるエッセンスが恐らくそこにある。
家族が生きがいだという人は自分の存在が家族の利益になっていると感じているだろうし、仕事だってそうで、要は自己効力感が(得られる人には)得られるのだろう。
自分には好きなVtuberがおり、その人について呟くと本人からいいねされることがある。
HNに好きなVtuberのマークを付けているオタクを最初はちょっと馬鹿にしていたが、確かにこれはもの凄い快感だと思った。
多分、スーパーチャットを投げてグッズを買って推しマークをつけて四六時中その人について呟いていればもっと認知されるのだろう。
でも自分はそこまでする気になれなかった。
単純に金がないし、別に自分が応援しようがしまいがその人の活動になんら影響はない。
100人の応援が101人の応援になったところでほぼ誤差レベルだ。
登録者数の多い企業勢や、それこそジャニーズのように巨大なファンがいる集団ではなおさらだろう。
シビアな人生を送っている彼女には幸せになって欲しいと切実に思うが、それは自分よりも熱量と経済的余裕がある人の領分だ。
最初に言ったように自分には普通の生きがいを手に入れられるアテが今の所ない社会不適合者なので、なんとかそういう真っ当な道以外で生きがいを見つけたいと思っている。
しかし、自分には"俺の嫁"であるキャラクターを愛でる能力も"推し"であるアイドルやVtuberを応援する能力もなかったし、今後もないだろう。
ところで女の腐ったようなというスラング的な慣用句は男同士でもそろそろ職場に女がいたら訴訟モノの差別用語認定来そうだなw増田にある通りある面で事実なのになw
そして案の定、ブコメに魔女みたいなのがわらわらと涌いてるんだが、やっぱ呪文系魔法は耳塞ぐか別の大陸の言語民族にでもなって無効化するしか手立ては無いと思うんだよな
あとメデューサみたいに目を合わせないとか?w
まあタイツはどう考えても女の領分だからそもそも踏み込んでアマゾネスに石投げられた自分たちを反省して、
近づかない、会話しない、コミュニケーションを取らない、もしくは圧倒的火力または財力またはイケメン的な男性的魅力で侵略できないなら徹底的に諦めるということで、
グレートウォールを建てて塩すら送らずに閉じたままでいいと思うんだわな
無理無理
この男女群間の関わり行動ってなに?このまま続けて何が生まれるってのよ。こっちの領分を無茶苦茶な理屈で侵略しにくるだけじゃんね。
おーこわw
企業アカウントが赤っ恥晒して罵られながら謝罪に追い込まれてるの超羨ましいしめちゃくちゃ興奮する。今回のタイツの件も批判リプ読みながらしこたま抜いた。
あと、この手の炎上の後湧いてくる「無知なのに口を挟もうとして赤っ恥を晒すツイート」とかも大好き。超興奮する。企業がやらかすとこういう副産物が大量に得られるからありがたい。
特に今回は女性の領分だったので、無知を晒す側が男ばっかりで助かる。すげえ没入できるし罵ってくる側が女性ばっかりで嬉しい。
特にお気に入りなのが、「お母さんにメディキュットプレゼントした君」「チュチュアンナとアツギは客層違う君」「タイツを履くのは若い女だけ君」。お世話になってます。そしてしばらくお世話になります。
今後もちょくちょく炎上してほしい。なんていうのかな、臨場感があってすごくいい。普通の羞恥プレイとは違った良さがあるよね。
どの辺が大風呂敷なの?
どこの会社でも一元化・自動化は労働裁判起こされない程度にやっていることだが?
あるいは社内の権力者が自分の領分を侵されない範囲で渋々やっていること
ちなみに、こういう感じの人です
会社に子供つれてくるのは良いんだが、騒ぐな馬鹿女共が!!!!! (anond:20180223111333)
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20180223111333
たとえば事務の子とか、ある特定の作業だけをお願いしている方とか、
あるいは、花見なり運動会なりバーベキューなり、家族も呼んでみんなでワイワイやりましょうみたいなのもわかる
時間外給出せよボケが!!とは思いつつも大切なことだなぁって思う
なぜそれを大切かと思うかというと、そういう業務を担当している人たちは、
専門性があったり経営層と近い職種は、自分自身が会社に貢献している・必要とされているという自負とプライドを
(その自己認識が正しいかはともかくとして) 持つことができるが、専門性の低い業務の担当者はその感覚を持ち難い
なので、こうやって、『会社は、あなたとあなたの家族を歓迎します、気にかけています』と示すことはとても大切なことだ
たとえ、会社と自分の担当業務はクソだなって思っていたとしても、こうやって家族ぐるみの付き合いが出来たら、
それなりに楽しくワイワイ出来る仲間がいれば、もう少し仕事を続けてもいいかな?と離職防止に繋がるかも知れない
(専門性が低い職ならまた募集して採ればいいじゃん?勝手に辞めされせば?ってヤツはその言葉に責任を持って
休職後に謎のかまちょをせず、休職前にプライドを持って職務を果たし自分のかわりはいないと自負を持つか、
その席を必要としている人に空け渡したら????としか思えんのですよ
あと、謎のかまちょの相手をする方もする方だと思うんですよね?
感じ悪い、愛想が悪いって思われるのがイヤ、とかじゃねぇんですわ、無意味に他者の時間を奪う謎のかまちょを増長させるな
それにいい人ぶるポイントが違うと思うんですわ
いい人ぶるなら、安心して病気やプライベートの用事で休める、安心して長期休暇や休職をとれる環境を作ることに精を出すべきなんですわ
社内制度をどうこうできる立場になくても自分の部署やチーム環境くらいは心掛次第でどうともできるんですけど???
お互い様の環境が出来たら誰だって働きやすいでしょ?長期的に見て得する
ウゼーと思いつつもお愛想笑いする、あるいは本気で可愛いとニコニコはするのは、
けれど、いない同僚のフォローは長期的に続くこと
部署・チーム全体の仕事を見直し効率化させて、いない同僚の仕事を分担フォローなんて絶対にしたくない
かと言って効率化させない状態では当然発生する残業もしたくない
しかも、腰掛けで転職するつもりだからそういう態度をとっているというわけでもない